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邪馬台国は四国徳島だった!3

370 :古代人:2015/02/15(日) 13:15:19.55 .net
奈良橿原市にある橿原神宮(御祭神:神武天皇)は、明治23年に民間有志の請願により
創建されたもので、かって神武天皇の宮があったとの民間伝承が理由とされている
天皇家の初代の方を、この地で皇室の方々が明治まで手を付けていなかったのが不思議です
神武天皇を御祭神とする神社は全国100ヶ所弱あると言われていますが
延喜式式内社で記録されている神社は阿波の橿原神社だけです
これだけ重要な方が式内社で1社のみとは理解しがたい気がします
天皇家(宮中)で神祇されている宮中八座の内、神産日神・高御産日神・御食津神等六神は国産神話に
登場する謂わば抽象神ですね(御食津神は古事記に明示されている阿波の神様であるオオゲツヒメ=食物の神様)
この六座に大宮賣神、事代主神があり、この二神が天皇家の血脈につながる男女神といわれています
大宮賣神は押小路家蔵の古文書でオオヒルメノミコト(=矢倉比賣≒卑弥呼)であると確認されています
この神様は式内社正一位天岩戸別矢倉比賣神社として鎮座しています
ここからは私の自己流解釈ですが、皇室の初代を宮中八座で神祇することが当然だと考えれば
事代主神が神武天皇なのではないかと考えたりします(事代主を主祭神とする
式内社は幾つかあるようですが、阿南の方の事代主神社も式内社です)
古事記の中で東征などという単語は使われていません
板野郡地域には伊勢・熊野・奈良など狭い地域に古代から使われている地名があります
根拠はありませが、神武の物語はこのあたりのの出来事ではないかと思います

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