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【謎の】古墳時代についてマタ〜リと語ろう【世紀】

1 :この時代のスレが無いので立てました。:2013/11/15(金) 20:39:46.82 .net
古墳時代は、古墳、特に前方後円墳の築造が
卓越した時代を意味する歴史上の区分である。
古墳の成立とその衰滅をいかに捉えるかによって、
古墳時代の時期区分にも僅かな差異が生じる。
例えば、前方後円墳が造営され始めた年代に関しても、
現在議論が大きく揺れ動いている。

                         by Wikipedia

2 :古墳時代前期:2013/11/15(金) 20:42:34.37 .net
3世紀の後半には、西日本各地に特殊な壺形土器、器台形土器を伴った墳丘墓(首長墓)が現れる。
その後、前方後円墳のさきがけと位置付けられる円墳、出雲特有の四隅突出型墳から変化した大型方墳が代表的であり、
最古のものは島根県安来市の大成古墳と位置付けられ、前期には珍しい素環頭大刀が出土している。
それから少し経ち、奈良盆地に大王陵クラスの大型前方後円墳の建設が集中した。
埋葬施設は竪穴式石室で、副葬品は呪術的な鏡・玉・剣・石製品のほか鉄製農耕具が見られる。
この頃、円筒埴輪が盛行。土師器が畿内で作られ、各地に普及すると、その後、器財埴輪・家形埴輪が現れた。

                                                             by Wikipedia

3 :古墳時代中期:2013/11/15(金) 20:44:27.11 .net
5世紀の初頭、王墓クラスの大型前方後円墳が奈良盆地から河内平野に移り、さらに巨大化した人物埴輪が現れた。
5世紀半ばになり、畿内の大型古墳の竪穴式石室が狭長なものから幅広なものになり、長持ち型石棺を納めるようになった。
各地に巨大古墳が出現するようになり、副葬品に、馬具・甲冑・刀などの軍事的なものが多くなった。
5世紀後半には、北部九州と畿内の古墳に横穴式石室が採用されるものが増えてきた。
北部九州の大型古墳には、石人・石馬が建てられるものもあった。
またこの頃大阪南部で、須恵器の生産が始まり、曲刃鎌やU字形鋤先・鍬先が現れた。
5世紀の終わりには、畿内の一部に先進的な群集墳が現れ、大型古墳に家型石棺が取り入れられるようになった。
南東九州地方や北部九州に地下式横穴墓が造られ始め、また、装飾古墳が出現し出した。

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4 :古墳時代後期:2013/11/15(金) 20:46:51.94 .net
6世紀の前半には、西日本の古墳に横穴式石室が盛んに造られるようになった。
関東地方にも横穴石室を持つ古墳が現れ、北部九州では石人・石馬が急速に衰退した。
6世紀後半になり、北部九州で装飾古墳が盛行。埴輪が畿内で衰退したことで、関東で盛行するようになった。
西日本で群集墳が盛んに造られた。

古墳時代終末期
全国的に6世紀の末までに前方後円墳が造られなくなり、
畿内でも方墳や円墳がしばらくの間築造されていた時期を古墳時代の終末期と呼んでいる。

5 :初期ヤマト王権:2013/11/15(金) 20:49:48.73 .net
弥生時代末期には、発掘調査の結果から、北部九州を中心とする政治勢力と奈良盆地東南部を中心とする政治勢力が存在していたことが判っている。
3世紀前半に活躍した倭国王(親魏倭王)卑弥呼の所在地邪馬台国が北部九州、畿内のどちらにあったのかについては未だ学説が分かれている。
いずれにせよ、この両地域の勢力が母体となって古墳時代のいずれかの時期に、畿内を本拠地とするヤマト王権が成立したと考えられている。
成立の過程ははっきりしないが、考古学の成果は、奈良盆地勢力が吉備政権など列島各地の勢力と連合してヤマト王権へ成長してゆき、
この過程で北部九州が衰退したことを示唆している。
北部九州勢力が奈良盆地へ東遷の後、奈良盆地勢力を制圧してヤマト王権となったとする見解もあるが、この説は科学的に証明出来ない。
ヤマト王権の成立期には、従前のものより格段に大規模な墓(前方後円墳)が奈良盆地を中心に登場している。
弥生末期には畿内、吉備、出雲、筑紫などの各地域ごとに特色ある墓制が展開していたが、
前方後円墳には、それら各地域の特色が融合された様子が見られるため、ヤマト王権は列島各地域の政治勢力が連合したことによって成立したとされる。
ヤマト王権は、ヤマト地方(畿内)を本拠として本州中部から九州北部までを支配したと考えられている。
ヤマト王権は倭国を代表する政治勢力へと成長すると、支配拡大の過程では大小の勢力や種族との衝突があったと考えられる。
『日本書紀』などにはそれを窺わせる記述(ヤマトタケル説話など)が残されているが、詳細な過程は不明である。

                                                                by Wikipedia

6 :日本@名無史さん:2013/11/15(金) 21:14:39.65 .net
6世紀の埴輪にも刺青っぽいものが見られるよね

欽明あたりの時代になってもまだ刺青してたんだろうか

7 :日本@名無史さん:2013/11/15(金) 21:15:22.13 .net
終末期古墳は、飛鳥時代だからな。

8 :日本@名無史さん:2013/11/15(金) 21:18:11.02 .net
>>6

刺青の風習なら現代でもあるな。

9 :日本@名無史さん:2013/11/15(金) 21:25:40.01 .net
太子西山古墳は前方後円墳だが、古墳時代の産物か、
はたまた、飛鳥時代に含めるのかな。
真の敏達陵なら間違い無く飛鳥時代。

10 :日本@名無史さん:2013/11/15(金) 21:52:23.80 .net
いや、飛鳥時代は推古即位からだろ?

11 :日本@名無史さん:2013/11/15(金) 22:18:33.20 .net
>>10

ウム、そう言う決まり事であれば、いたしかたない。
岡倉天心先生は偉大だからな。
しかし、ダンナの治世とヨメの治世で時代区分が異なるのはどうもなあ・・・

12 :日本@名無史さん:2013/11/15(金) 23:01:05.98 .net
古墳時代の人たちは
神武天皇や天照大神が生きていたって
知っていたのかな?

13 :日本@名無史さん:2013/11/16(土) 00:13:25.42 .net
>>10
古墳時代ってのは「前方後円墳が築かれた時代」だと定義しよういう意見がある
それにのっかれば、欽明までは確実に古墳時代で、推古以降は飛鳥になる
母親の陵に追葬された敏達、改葬されて方墳になった用明はどっちか微妙

14 :日本@名無史さん:2013/11/16(土) 08:41:32.16 .net
>>1、2、3、4、5
前提としての歴史認識にはいささか不充分であろう。まだまだ解明されていな
い部分も多く、この認識で古墳時代を考証するには反対したい。たとえば5の
東遷について、科学的な証明がされていないとしているが、それは現時点での
認識であって、今後の研究で科学的な証明が可能になるかもしれないのだ。そ
うなればこの1〜5の前提は根本から覆ることになる。留意して頂きたい。

15 :日本@名無史さん:2013/11/16(土) 09:14:27.41 .net
>>14
>東遷について、科学的な証明がされていないとしている

「東遷」の意味にもよると思うけど。
大陸からの入り口である北部九州を起点として、
事物、人間が在地のものと混合しながら徐々に東進して、
ヤマトの地で統一王権として花開いたと言うのもある意味「東遷」。

16 :日本@名無史さん:2013/11/17(日) 00:28:10.48 .net
始まりは何時?
崇神からか。

17 :日本@名無史さん:2013/11/17(日) 10:04:25.72 .net
纒向石塚古墳から

18 :日本@名無史さん:2013/11/17(日) 15:17:38.59 .net
マキムク石塚からなんだろうな。

で、マキムク石塚は吉備→阿讃播を通じて造られた。

ヤマト王権の萌芽は東瀬戸内地域における海洋通商連合

19 :日本@名無史さん:2013/11/18(月) 20:56:17.69 .net
>海洋通商連合

かどうかは別として、東瀬戸内での諸勢力の連繋がベースであることは間違いないですね。
で、当初は、吉備が主導、いつのころからか、畿内大和が中心になり、王権化した。
これが、石塚建設のときであれば、そこからが古墳時代の開始か。

20 :19:2013/11/18(月) 22:39:43.30 .net
訂正

やはり、定型化古墳の登場以降と言うことで。
石塚単発じゃ、吉備の弥生墳丘墓と差別化できないからな。

21 :日本@名無史さん:2013/11/19(火) 02:26:24.99 .net
お前らってかしこいんだな、感動した。
俺、古墳だらけの処に住んでるけど、よく知らんもんね。

だいたい、後円墳ってなんであんな方になったん?

22 :日本@名無史さん:2013/11/19(火) 21:37:35.34 .net
多分、竪穴式住居が原型じゃないのかな。

23 :前期古墳編年:2013/11/19(火) 23:53:51.45 .net
 箸中山
       桜井茶臼山 メスリ山           島の山     
      西殿塚   東殿塚  ハタゴ塚 
                                東大寺山  西山  
                     行燈山 渋谷向山          櫛山
                       宝来山 佐紀石塚山 佐紀陵山 五社神
                        新山

24 :日本@名無史さん:2013/11/22(金) 18:24:02.67 .net
箸墓はそんなに古くは無い

25 :日本@名無史さん:2013/11/23(土) 10:04:35.62 .net
>>23の中では一番古い

26 :日本@名無史さん:2013/11/23(土) 15:07:47.91 .net
それって24氏に反論している積りなの?。具体的に西暦何年頃か答えたら。

27 :日本@名無史さん:2013/11/23(土) 23:12:41.04 .net
ヨコからだが、実年代答えたら、また荒れるんじゃない?
実年と編年は違うし。

28 :日本@名無史さん:2013/11/25(月) 00:44:21.67 .net
そう、編年だよ、編年。
編年だけだって話はすすめられるよ。

29 :日本@名無史さん:2013/11/25(月) 01:57:47.96 .net
しかし、土器編年ってのも、人によって解釈が変わるな。

30 :日本@名無史さん:2013/11/25(月) 20:36:31.15 .net
順番自体には、さほどの異論は無いでしょうに

31 :日本@名無史さん:2013/11/26(火) 01:09:35.33 .net
まあ確かに、土器編年はある程度合ってるだろうな。前後関係については概ね正しい。
しかしまあ、実年代を推定出来るほど精緻ではないという。

32 :日本@名無史さん:2013/11/26(火) 10:54:37.28 .net
絵画や学問や技術なんてのは、
最初に新しいものを切り開いたあと、結構そのまま長く使われて、普及、
常識になって、多くの人に知られていくうちに、変遷が激しくなっていき、
停滞、あるいは終了というパターンを取ることが多いのだが、

土器にどういう世代変化の速度の変化ってあるのかね?
あるいはそういう変化は編年で考慮されてるのかね?

33 :日本@名無史さん:2013/11/26(火) 10:56:06.50 .net
>土器にどういう世代変化の速度の変化ってあるのかね?

修正

土器にそういう世代の速度の変化ってあるのかね?

34 :日本@名無史さん:2013/11/26(火) 13:18:52.56 .net
>>32
あるけど、このスレ的には詳しいことはいいだろう
土器編年および古墳の編年と照らし合わせてみて>>23は概ね正しいって事で良いじゃないの?

35 :日本@名無史さん:2013/11/26(火) 22:33:46.13 .net
古墳時代の四国について質問です。

考古学的に、古墳時代の四国には、どのような政治勢力があったと現在の
学会では推定されているのでしょうか?ヤマト王権や吉備地方とか、
大きな政治勢力の傘下に入っていったのはいつごろだと推定されているのでしょうか?

記紀に登場する地名の記載などでは、四国のヤマト王権への編入は(記紀としては)
いつごろのこととなっているのでしょうか?

36 :日本@名無史さん:2013/11/26(火) 23:32:08.02 .net
>>35

古墳時代と言うより、弥生時代から、東四国は畿内・吉備と、西四国は九州と関係が深いです。
また、讃岐では、積石塚と言う独自色の多い墳丘墓(でも、前方後円墳だったりしますが)が見られるので、
ある程度独立した政治勢力があったと言えます。
当然、阿波、伊予、土佐にも地域性は認められるので、四国全体が一つにまとまっていたわけではないでしょう。
ただし、これも中期以降になると、全体的にヤマトの王権からの影響のもとに画一化していきます。

最後に記紀との関係ですが、記紀のどの記述が、実際の古墳時代に該当する話なのかは、わからないことが多いですね。

37 :日本@名無史さん:2013/11/26(火) 23:38:42.70 .net
古墳時代の人達は恐竜やマンモスの事
知っていたのかな?

38 :日本@名無史さん:2013/11/27(水) 00:15:31.39 .net
少なくとも、古代日本人は象のことを大和言葉でキサと呼んでるからな。
ナウマン象の記憶は残ってたんじゃないか?w

39 :日本@名無史さん:2013/11/27(水) 00:24:25.91 .net
四国は結構謎が多いんだよな。讃岐と阿波が初期ヤマト王権のメンバーだったのは
おそらくそうだけど、伊予や土佐で結構古い時代の鉄が見つかってきてる。
畿内とは一定距離を置いた地方王権があったのかもしれない。

村上恭通なんかは、伊予では初期古墳が見られないが、代わりに巨大建物が見つかってることを指摘して、
古墳=王権じゃないと言っている。

伊予、土佐が畿内王権にいつ頃飲み込まれたか?は難しい問題。

40 :日本@名無史さん:2013/11/27(水) 21:22:03.07 .net
>>36,>>39さん

ご回答ありがとうございます。
村上恭通・積石塚、キーワードを頂き参考になりました。調べてみようと思います。
積石塚は、先週の読売新聞に長野県のものの記事がありました。四国にも
沢山あるんですね!

41 :日本@名無史さん:2013/11/28(木) 07:09:39.11 .net
無知なんで教えて欲しいんですけど
古墳って古代の偉い人のお墓なんですよね?
なんでその子孫の権力者達は古墳をしっかり管理しなかったんですか?
例えば神社やお寺のようにしっかり手入れをしていれば当時の姿を保つこともできたわけですよね?

なんで木が生えたままになったり盗掘されたりしたんですか?

42 :日本@名無史さん:2013/11/28(木) 10:12:23.45 .net
一族そのものが滅んだり、
滅ばなくても時代が変わって
権力がなくなったりして維持出来なくなったんじゃないのかな?

現代でも世代が変わって
お墓を管理出来ない
ケースがあるじゃん
それと似たような感じなんじゃないかな?

43 :日本@名無史さん:2013/11/28(木) 17:57:57.38 .net
でも天皇の先祖なんですよね?
万世一系ならずっと大事に管理徹底して祭祀を続ける気がするんですが
どっかで権力構造ががらっと変わったってことですか?

44 :日本@名無史さん:2013/11/28(木) 18:47:03.40 .net
古墳時代では、古墳築造後はまともな維持管理をしていなかったことが指摘されている
また、平安時代には陵墓に遣わされることが死の穢れに触れることとして忌避されている
今の感覚で考えたらアカンよ

45 :日本@名無史さん:2013/11/28(木) 22:32:23.59 .net
どうなんだろ?
箸墓の後の大王墓である西殿塚が、誰が被葬者か分からなくなってるからな。

さらには、西殿塚には祭壇が二つあるという。
記紀が伝える皇統譜とは違う大王位継承がされていたんだろう。
ただ、

46 :日本@名無史さん:2013/11/29(金) 07:13:37.62 .net
どの古墳でも暫くは祭祀を行っていたのは間違いないが、
要するにキリがない。
西殿塚の被葬者の系譜は断絶とはいかなくとも衰微しているのかもしれない。
東征を肯定的に捉える立場からは、それこそニギハヤヒの系譜で
その後に王朝交代があったのではと想像をされることがある。

47 :日本@名無史さん:2013/11/29(金) 10:16:22.71 .net
全盛期には栄を極めた藤原道長の墳墓が、
今では(数十年)もうどこにあるかわからない、
という意味の和歌があったらしい。

文化的に、あまり長く祭祀を続けるような習慣がなさそう。
いまでも、古い墓の祭祀にはそんなに熱心ではないような。

48 :日本@名無史さん:2013/11/29(金) 20:58:31.43 .net
普通だったら自分達の住んでる場所に大きな古墳があれば畏敬の対象になったりするのに
なんで盗掘なんてことが起きるんだろう?

中国みたいにまるっきり別の権力者が王朝が変わるごとに墓を暴く感じで
日本の古墳時代もその時々に次の権力者が前の権力者の古墳を盗掘しまくったってこと?

49 :日本@名無史さん:2013/11/29(金) 21:19:25.02 .net
バリ活って迷惑行為している
自覚ないんだよね

19時30分からBきょうぎ で
現在 21時18分
まだ世間話で盛り上がってる
終わったんならさっさとかえれよー

なんでバリ活って会合が
終わっても粘って帰らないの?

50 :日本@名無史さん:2013/11/29(金) 21:20:56.56 .net
あ、すいません
スレ間違いました
レスは流して下さい
以後、気をつけます

51 :日本@名無史さん:2013/11/29(金) 22:44:33.40 .net
日本には権力者が盗掘・乱掘を指示したという記録はなかったはず
多くは庶民が行っており、一部宗教的目的を持った坊主なんかもしていたようだ

盗掘・乱掘は、中世頭、幕末、戦後など、それまでの価値観が大きく揺らいだ時期に横行していると聞いたことがある

52 :日本@名無史さん:2013/11/29(金) 23:02:03.66 .net
>>48
犯罪者はそんなの気にしないよ。

53 :日本@名無史さん:2013/11/29(金) 23:12:09.31 .net
いやまあ、古墳時代の終焉とともに、古墳の有り難みなんてなくなったんだろうな。
昔は共同体を守る氏神さまとして機能してたんだろうが。

戦乱の世になると、合理主義が台頭するし(戦に勝つために)、
南北朝以降、天皇の権威は地に落ちるから、盗掘とか盛んに行われたんだろう。

54 :日本@名無史さん:2013/11/30(土) 07:16:55.60 .net
例えば足利尊氏とかが自分達の正当性を担保するために古墳を荒らして皇族の宝とかを奪った可能性とかがあるってこと?

55 :日本@名無史さん:2013/11/30(土) 09:33:09.16 .net
あ、そんなじゃなくて、天皇が2人いて、醜い争いを繰り返して、権威が失墜したというだけの意味で。

北朝なんかは足利が単に正当性を保持するための神輿扱い。
直義に対抗するために、尊氏が南朝に降ったりとか。

56 :日本@名無史さん:2013/11/30(土) 11:40:56.94 .net
古墳とは何か?前方後円墳とか何かという話なのでけれど、
前方後円墳とはまさに黄泉の国、死国=死国の形ではないか。
遠く死国に使者を送る代わりに、自分たちの住んでいる地域の恵方に極楽浄土を作る。
それが目的だろう。

57 :日本@名無史さん:2013/11/30(土) 11:59:55.32 .net
>>54
「盗掘」って表現するくらいだから、故買目的のことでしょう。
政治的目的のケースとは無縁の話。

政治権力の交代による破壊と言うと
石舞台古墳を蘇我馬子の桃原墓と仮定しての一説ですが、
蘇我宗家滅亡後に懲罰目的で暴かれた姿と言うのがありますね。

58 :日本@名無史さん:2013/11/30(土) 23:00:32.09 .net
記紀とかを編纂する際に古墳からの出土品を勝手に自分達の先祖から伝わるお宝ってことにしたんだよ
そもそも古墳時代は統一王朝なんてなかったから古墳なんて荒らし放題だったしな

59 :日本@名無史さん:2013/11/30(土) 23:02:49.39 .net
>>58
証拠は?

60 :日本@名無史さん:2013/11/30(土) 23:18:09.91 .net
>>58
多分、後段のことを主張したいだけなんだろうけど、
前段とは、何の関係も無い主張だね。
それに記紀が書かれたころ、まだ、古墳は造られてたわけで、
中身を確認するためだったら、一々、墓を暴かく必要もなかろうに。

61 :日本@名無史さん:2013/12/01(日) 00:35:57.36 .net
蘇我イルカのはないんですか?

62 :日本@名無史さん:2013/12/01(日) 03:12:24.64 .net
>>61
「水泥古墳」ではないかという説があります。 検索してみて

63 :日本@名無史さん:2013/12/01(日) 09:46:47.34 .net
そもそも魏志倭人伝っていつ日本に伝わったんですか?
記紀を編纂した時代に日本の知識層は知ってたんですか?

64 :日本@名無史さん:2013/12/01(日) 10:03:01.69 .net
記紀の編纂された8世紀に三国志が
存在したのは間違いない。

漢文である書記の文などから、三国志が参考にされている
という話はよく聞く。

ただし日本側に金印の伝承などはまるで残っていなかったので、
記紀に書こうと思わなかったようだな。

65 :日本@名無史さん:2013/12/01(日) 10:11:30.12 .net
そもそも邪馬台国=大和じゃないから。

66 :日本@名無史さん:2013/12/01(日) 10:45:33.25 .net
>>63-64

東大寺の奈良時代に編纂された献物帳には「三国志」が載ってたはず。
ただし、日本書紀の編纂過程では、ほとんど参考にはされてないと思いますよ。

67 :日本@名無史さん:2013/12/01(日) 10:56:16.14 .net
当時の支配者が大陸への負い目から神武天皇などの架空の天皇をでっちあげたと本で読んだんですけど
卑弥呼を神功皇后ということにしたのは本当なんですか?
日本書紀を編集してた人は卑弥呼の知識とかあったんですか?魏の歴史書なんて知らないですよね?
それなのになんで歴史を改竄する必要があったんですか?

68 :日本@名無史さん:2013/12/01(日) 11:12:28.79 .net
>>67
まずその本を疑おう。

69 :日本@名無史さん:2013/12/01(日) 12:07:41.25 .net
実年代を推定しないと歴史書は書けない。
しかし大昔からの伝承には実年代が伝わってないから、
やむなく、二つの定点を用いて実年を推定した。
一つが神武即位年で、もう一つが神功=卑弥呼。
神功の近肖古王の記事を、百年前の肖古王に読み間違えて、卑弥呼の年代としている。

70 :日本@名無史さん:2013/12/01(日) 19:43:41.24 .net
>>67
これだけ覚えておけばいいってことを教えてやる

卑弥呼=天照大御神=神功皇后
神武天皇=雄略天皇

記紀は妄想捏造されたもので↑これこそが正史

71 :日本@名無史さん:2013/12/02(月) 07:30:10.68 .net
将来的に古墳時代などに書かれた木簡による歴史書とかが出土する可能性ってありますか?

72 :日本@名無史さん:2013/12/02(月) 10:21:19.36 .net
日本の場合、文字が普及する頃には既に紙も発明されていたので、
輸送タグや各地集計用に木簡、
書物は紙が使われている傾向がある。

歴史書などは、紙である確率が高いだろうな。

73 :日本@名無史さん:2013/12/02(月) 14:25:13.59 .net
>>67 稲作と日本人の起源をハードリンクさせるなら

 @南西諸島から入った先弥生人が朝鮮半島にも渡り着いていた

 A朝鮮半島に入っていた先弥生人が高句麗やこれから分かれた百済の圧力を受けて出戻りこれが弥生人と呼ばれる事となる

 B当時日本各地に存在していた豪族国家群は実は伽耶馬韓最弱小だった新羅等の朝鮮半島南東部豪族国家群と全く同種同族つまりざっくり新羅は物部氏の親戚

 C新羅はあっさり高句麗に降伏すると高句麗から自治権を与えられこれを種に周りの豪族国家を次々と併合して三韓の雄にのし上がった

 D交易を重視し科学技術に長ける事に成功した百済は日本の朝廷にも進出を図り遂には蘇我氏が厩王子を戴いて政権掌握に成功

 E百済は唐高句麗そして新羅に国を脅かされる様になり日本の協力を取り付けようと画策するが自分が事実上の為政者になっていた蘇我氏がすっかり日本人の口上を利く様になっていてなかなか言うことを聞かないw

 F業を煮やした百済は蘇我氏に蔑ろにされていた中大兄皇子を百済系渡来人一世の中臣鎌足を通じて蜂起させる事に成功し百済精鋭軍までも難波に上陸させてクーデターを支援し政権を掌握したこれが大化改新

 G百済人親政を敷いた天智天皇は百済支援にのめり込み白村江で大敗唐軍が北九州に進駐大和盆地にも文民監視団が来て立つ瀬の無くなった天智天皇はルードヴィヒII世の如く鎌足ワーグナーを連れて遷都を繰り返す様になる

 H中国監視団の眼を逃れて朝臣は隠密裡の新羅への経済軍事支援を決定藤原鎌足は鬼の形相でこれを支持

 I新羅と南方が騒がしくなり唐軍が北九州から撤退すると鎌足の子藤原不比等は大海大兄皇子を担いで中国の傀儡として天皇に即位した山背皇子を排撃これが壬申の乱

 J乱後天皇を殺して即位した天武天皇と藤原不比等は自分達が天智天皇直系の正当なる皇統である旨でっち上げる為に日本書紀を改竄した

以上NHK・KBS・CCTV共同制作2020年大河ドラマ「白村江」あらすじより

74 :日本@名無史さん:2013/12/02(月) 14:45:00.39 .net
>>73訂正

G中 ×文民監視団→○文臣監視団(勿論唐に仕える文臣)

H中 ×天智天皇直系の正当なる皇統→○天智天皇直接の正当なる皇統

75 :日本@名無史さん:2013/12/02(月) 21:18:03.89 .net
>>72
記紀編纂前の歴史書は時の権力者によって燃やされたりしたんですか?
それとも記紀の時点で始めて歴史書を書こうとなったんですか?

76 :日本@名無史さん:2013/12/02(月) 21:32:14.45 .net
帝記、旧辞、一書に曰く、とあるし、
それぞれの氏族の記録が合わないから、
記紀を編纂した、と書かれているらしいので、
それ以前から、ある程度はあったんだろうね。

焚書されたのか、単純に残ってないだけなのかは知らないけど。

77 :日本@名無史さん:2013/12/02(月) 21:34:17.46 .net
ただし聖徳太子の事績が、非常に不安定な状況でしか
残っていないところを見ると、
その頃が記録の黎明期かな。

78 :日本@名無史さん:2013/12/02(月) 21:34:49.41 .net
正確に言えば、記紀の前に天皇記・国記があったらしい。馬子と厩戸皇子が編纂。
乙巳の変で焼けたとされるけど、何故蝦夷の館にあったのか?は不明。

古事記は日本書紀より先に編纂されているが、推古で終わることから分かるように、
天皇記国記として多氏あたりが偽作した史書。

日本書紀の書かれた順番は雄略以降が最初で、
きちんと歴史を伝える意図で文書が残され出したのは雄略とか継体以降だろう。

79 :日本@名無史さん:2013/12/02(月) 21:36:01.03 .net
>>75
いかにもサypク史観らしい ものすごく幼稚な考えやね。
権力者によって燃やされたとか、記紀をでっち上げたとか。
記紀の時代までの帝紀や旧辞などの歴史書はその内容を日本書紀に取り込まれたと書いてあるではないか。

80 :日本@名無史さん:2013/12/02(月) 21:45:00.53 .net
しかしまあ、日本書紀編纂前に、持統が三輪氏とか有力氏族の系統譜を提出させてるからな。

で、誤りを正し、とか言いながら、都合のいいように改変したのはそうだろう。

81 :日本@名無史さん:2013/12/03(火) 08:37:25.33 .net
左翼とか皇国史観とか持ち出すと、またスレが荒れるよ。

82 :日本@名無史さん:2013/12/04(水) 00:29:08.56 .net
ということは将来に記紀以前の歴史書が発掘される可能性もあるってことですね?
夢のある話です

83 :日本@名無史さん:2013/12/04(水) 08:10:50.15 .net
管理がいい加減と思うのかな。
たくさんの1500年1600年も前の墓が、今も姿をあまり変えずに残ってるって
大変なことだと思うけどなあ。古墳を作らなくなったり、天皇家が仏教に
帰依したり、力が衰えた時期があったにも関わらず。

天皇の墓だけじゃなく、たくさんの古墳が残ってるよ。
ごく少数の墓泥棒は別として、地元民はいじってないと思うよ。
大きな古墳じゃなくても「あの場所は触ってはいけない」という言い伝えは
あちこちにある。調査したら古墳だったとかね。
「墓を暴くと祟られる」とか「死者を冒涜してはいけない」という文化は
ずっとあったんだろうね。

奈良の葛城地域に見に行ったらいいよ。
天皇陵でもないたくさんの大きな古墳がいくつも残ってるからさ。

84 :日本@名無史さん:2013/12/04(水) 11:33:10.39 .net
上のほうでも疑問について書いてるレスがいくつかあったが
確かにどうしてもう少し古墳をしっかり管理してなかったのか不思議だわな

日本人は古来より先祖を大事にして祭祀をしっかり行ってきたはずなのに今の状態は酷いもん
天皇の墓なら毎日お花を供えて年始めにはお祈りをするぐらいじゃないとおかしくないか?
それこそ弘法大師みたく今でも毎日お祈りされるぐらいじゃないと天皇の権威って何?って感じはする

85 :日本@名無史さん:2013/12/04(水) 12:37:55.07 .net
それでまあ、歴史がちゃんと伝わってないという話になるんだろう。

実際、きちんと公的に歴史を後世に伝えていこうという試みがなされたのが、
おそらく聖徳太子の時が最初だろうし。

実際、古墳が誰の墓か?の記憶が記紀の時代ですでにかなり失われている。

86 :日本@名無史さん:2013/12/04(水) 16:26:18.96 .net
墓泥棒はもちろん、中世の在地勢力が普通に石棺の石を掘り出して石材として使ったり
墳丘を城に利用してきたような歴史があるんだが、本で読むばかりの人はご存じないんだろうな

87 :日本@名無史さん:2013/12/04(水) 17:18:34.91 .net
古墳時代って戦国時代みたいな感じだったんだろうな
各地で勢力争いを繰り返して負けた方は城を燃やされるに負けた豪族や王の古墳も盗掘されたり放置されたんだろう

だから皇位継承がなされてきたなんて絶対にあり得ない
それだったら必ず先祖の墓である古墳を大事にする
日本人だったら絶対にそうする
今の日本でも古墳を大事にするのだから今以上に神や先祖を敬っていた時代なら尚の事拘る

88 :日本@名無史さん:2013/12/04(水) 17:22:55.28 .net
そりゃ負けた王や豪族が祭った古墳は勝った新支配者にすれば先祖でもないんだし
祭祀したって仕方がないだろう
尊いのは自分の先祖であってそれ以外の前時代人ではないんだから

89 :日本@名無史さん:2013/12/04(水) 18:30:10.90 .net
>古墳時代って戦国時代みたいな感じだったんだろうな
各地で勢力争いを繰り返して負けた方は城を燃やされるに負けた豪族や王の古墳も盗掘されたり放置されたんだろう

それ弥生時代じゃね?
古墳は各勢力同士の争いは戦国時代と言うほど争っている形跡はなくない?

90 :日本@名無史さん:2013/12/04(水) 18:37:53.07 .net
家康が豊国神社に破却を命じたりしたわけだし日本人だって毎度対立者を
丁寧に扱ってやるほど人がいいわけではないからな
だいたい盗掘が始まったのって時代が下った後じゃないの?
古墳時代からの盗掘が伺える具体的な遺跡とかあるの?

91 :日本@名無史さん:2013/12/04(水) 18:38:22.27 .net
古墳時代、
うーん、古墳が作れるほど人が有り余ってる平和な時代と見るべきか、
古墳が作れるほど常に人を集めなきゃならない、戦争時代と見るべきか

92 :日本@名無史さん:2013/12/04(水) 18:43:06.13 .net
多分戦争戦争言ってるのは一人だろうけど
なんで常に戦争しなきゃならない時代に軍事施設でもないものに
マンパワーと資源を注ぎ込めるんだって話になるな

93 :日本@名無史さん:2013/12/04(水) 18:44:06.85 .net
古墳を有り難がらないのは、古墳時代の終末とリンクしている。

つまりは、古墳がどういう目的で造られたか?に拠るのだろう。

結局は文字が読めない民衆にオホキミの偉大さを伝えるため。

古墳時代が終わっても、先祖として地域に愛されていた古墳は神社に形を変えて今も大事にされている。

大事にされていない大王墓級の前方後円墳が多いのは何故なのか?

94 :日本@名無史さん:2013/12/04(水) 18:48:26.32 .net
他から勧請された神社や仏堂が高く目立つ場所である墳丘に祭られてるのが実情だがな
幸か不幸か信仰と結びつく場となった墳丘がその結果として尊ばれているにすぎないよ

95 :日本@名無史さん:2013/12/04(水) 18:52:27.05 .net
なんか夢見てる人は畑として耕されたり、敷地内にあって邪魔だから削られた挙句
出てきた装飾のある石材をただの庭石にされた地方のミジメな古墳の実情を知らないんだろうな

なんとかして古代の大王やその墓を貶めたいって意図だけはとにかくにじみ出てるけど
結論ありきがバレバレだからまったく説得力がない

96 :日本@名無史さん:2013/12/04(水) 18:55:14.18 .net
祀られない大王墓が増える理由は、

1、王統が変わったから、自分たちの先祖でない墓は打ち捨てらるた
2、戦乱で天皇家が、大王墓を世話する陵戸を養える政治経済力を失ったから

のどちらなんだろう?

天皇霊ってのがまず第一にあって、今上天皇はその依り代に過ぎない。
みたいな秘儀があり、墓なんてどうでもいいみたいな宗教改革が後世あったとかw

97 :日本@名無史さん:2013/12/04(水) 19:10:36.94 .net
古墳が造られる意義は何なのか?の考察は大事だろう。

単なる政治的なモニュメントなら、時代が下れば忘れられることもある。
宗教施設だったなら、その宗教が後世改変されたのだろう。

大和のマキムクに誕生した前方後円墳が、佐紀地域に移り、更には河内地域に移るのも、

大和から河内に王統が変わったからとも取れるし、
大和が河内勢力に大土木工事を強いたとも取れる。

98 :日本@名無史さん:2013/12/04(水) 19:35:46.13 .net
>>95
>>なんとかして古代の大王やその墓を貶めたいって意図だけはとにかくにじみ出てるけど
結論ありきがバレバレだからまったく説得力がない


また、左翼とか言い出すの?
学問板にイデオロギー持ち込むなってw

99 :日本@名無史さん:2013/12/04(水) 21:31:30.18 .net
もし先祖代々の血筋を大事にしてたのなら個々の古墳の情報が絶対に子孫に伝わってるはずだから
記紀の時点でその情報が不明だったってことは中国みたいに王朝が変わるごとに入れ替わってたんだろうな

100 :日本@名無史さん:2013/12/04(水) 23:18:22.68 .net
>もし先祖代々の血筋を大事にしてたのなら個々の古墳の情報が絶対に子孫に伝わってるはずだから

永続的な墓を建てる、代々の墓を守る、なんてのは近世以降の感覚なんだが

101 :日本@名無史さん:2013/12/04(水) 23:34:02.29 .net
首長霊祭祀で前方後円墳を考えれば、
集団を率いるリーダーが死んで神となって、一族を見守る、富をもたらすが基本。

そういう先祖霊を大切にするというのは、日本文化の基底にあって、
それが現在も盆の送り火とかに残っている。

古墳祭祀が廃れた理由は分からないが、やっぱり大王の権威の低下があったと考えるべきだろう。

102 :日本@名無史さん:2013/12/05(木) 00:03:35.07 .net
祭祀って言っても

・畿内や吉備の弥生墳丘墓
・前・中期の大王墓級
・地方豪族級
・後期の群集墳
・地方集落に一基しかない「村の鎮守様」級

みな、それぞれ性格は違うと思うよ。

首長霊祭祀は弥生墳丘墓-大王墓級には認められても
その他のものは、前者に似せて造ったと言うだけで、
精神世界まで模倣していたかどうかは疑問。

現在の日本でもピラミッドまがいの建物があったりするが、
これはデザインをパくってるだけだし、
祭祀にはあたらないと思うが、クリスマスなんて風習は、
完全に形だけの模倣で、みな、それを承知で受け入れている。

そして、古墳祭祀に留めを刺したのは、やはり仏教思想でしょう。

103 :日本@名無史さん:2013/12/05(木) 00:46:08.69 .net
三世紀の日本や朝鮮半島にマウンドを造る流行があって、
神仙思想の影響はそうなんだろうけど、やはり王権の誕生とイコールなんだろうと思うな。

部族連合が王権に変化する時期に、オウが選ばれ、
そのオウのために、それまで部族全体のため、
環濠とか灌漑に使われてた労働力が集中的に投下されたのが前方後円墳。
文字を知らない民衆に問答無用にオウの偉大さを分からせる装置だったんだろう。

古墳中期の古墳の巨大化は、王権の強大化の結果であって、
それが欽明見瀬丸山以降見直されるのは、やはり仏教の影響か。

古墳が沢山造られ過ぎて、差別化が図れなくなった天皇氏が、
仏教やら寺を新しい権威として尊崇されようとしたのかな。

104 :日本@名無史さん:2013/12/05(木) 07:08:06.82 .net
記紀の時点で始めて日本の歴史を纏め始めたなんてことは絶対ない
世界史でも類をみないほどの巨大な古墳をゴロゴロ作って自分の権威を魅せつけるような民族だ
その王の偉大さを後世に伝えるためにも歴史書の類はあったに決まってる

それが支配者が変わるたびに焚書などにあって結局は最期は記紀を書いた勢力が生き残っただけのこと
つまり天孫降臨や建国の神話は100%捏造
それに近い話は古来よりあったかもしれないが天皇云々はその時の権力者が自分達の権力を血統を正当化するためにこじつけただけ

105 :日本@名無史さん:2013/12/05(木) 07:58:07.89 .net
>>104
そういう現存しない逸文を発見するためにも天皇陵の内部調査は必要

特に大仙陵古墳なんか「なんか仁徳天皇の陵っぽい」という理由だけで発掘許可が降りない

その点、中国は古代史研究だけは日本が見習うべき姿勢だ

↓この発見なんかすごすぎ。紀元前二世紀の陵の被葬者の名前まで確定
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E7%8E%8B%E5%A0%86%E6%BC%A2%E5%A2%93

10世紀の墓だと伝わってたものが発掘したら紀元前の前漢のもので
今までタイトルしか伝わってなかった春秋時代の書とか、
現存するものとは字や文が違う部分がある(つまり、よりオリジナルに近い)書が出てきた
日本も中国のここだけは見習うべき

106 :日本@名無史さん:2013/12/05(木) 19:50:46.34 .net
>>86
知ってるよ。今城塚古墳も津堂城山古墳も。
100%残ってると言ってるんじゃないよ。

>>87
なんでそう言い切れるの?
記紀が出来た頃は、どれが誰の墓かは分ってたみたいだよ。
それに、その頃はまだ陵戸がいたらしいし。

千数百年も経つのに、あれだけたくさん残っていてもまだご不満とは
ちょっと驚いた。
自分ちの先祖なんか、300年前なんか分かんないよ。

107 :日本@名無史さん:2013/12/05(木) 20:15:22.21 .net
>>104
あったに決まってるとかもう願望だな

108 :日本@名無史さん:2013/12/05(木) 21:06:24.93 .net
日本の古墳時代には墓誌やそれに類するものはない
期待するだけムダ

109 :日本@名無史さん:2013/12/05(木) 22:09:08.45 .net
江戸時代の人間すら考古学的な手順に従って発掘して
墓誌がなかったことを確かめてるのに未だに>>105のヤツは

110 :日本@名無史さん:2013/12/05(木) 22:21:35.61 .net
邪馬台国の畿内説VS九州説に関連して、どうして皇国史観が絡んでくるんですか?
九州説が正しかったとしても、その当時に畿内に大和朝廷があったとすれば皇国史観的に矛盾はないんですよね?
同じように畿内説が正しかったとしても、卑弥呼を神功皇后にすれば神武による建国神話に矛盾は生じないので、皇国史観に問題はないんですよね?

卑弥呼を九州の豪族の王女だと言う人のメリットってなんですか?
別に箸墓が卑弥呼の墓でもいいじゃんって思うんですけど

111 :日本@名無史さん:2013/12/05(木) 22:24:57.93 .net
>>110
神功皇后が中国に朝貢してたら、皇国史観的にはマズいでしょうにw

112 :日本@名無史さん:2013/12/06(金) 00:16:24.79 .net
>>111
でも倭の五王の時代でも中国にお伺いたててたんですよね?
南北朝の時代も中国の影響力を利用しようとしてたわけだし、中国への朝貢だけで天皇の価値って揺らぐものなんですか?

113 :日本@名無史さん:2013/12/06(金) 00:19:55.07 .net
勝手な「皇国史観」を頭で想像してそれを一人芝居で論破して
勝った気になってる不思議な人がいるな

114 :日本@名無史さん:2013/12/06(金) 00:55:26.87 .net
>>112
倭の五王時代には皇国史観なんてものは無かったんじゃないの?
武の上表文だって代々朝貢に励み、臣下の礼を尽くしてきた、と言ってるわけだろ。
今に残る皇国史観の源流は幕末の水戸学でしょう。
尊王攘夷で一度、亡国の危機を引き起こし、こりもせず復活して、
第二次世界大戦で再び破たん。

115 :日本@名無史さん:2013/12/06(金) 00:56:38.56 .net
ダメだ日本語が通じてない

116 :日本@名無史さん:2013/12/06(金) 01:01:04.80 .net
なんで倭の五王って5人の天皇に比定されてんの?
高校の教科書かなんかで見たとき、
系図も微妙に違うし無理矢理だなぁって感想しかなかったわ

これってなんか説得力ある根拠あるの?

117 :日本@名無史さん:2013/12/06(金) 01:06:07.10 .net
特に根拠は無い。
仮説の検証も不可能、多分、永劫に仮説のまま。

118 :日本@名無史さん:2013/12/06(金) 01:52:03.86 .net
明治新政府も当時の欧米列強に国が呑み込まれないように天皇中心の国づくりを目指したわけだ
その過程で古墳に価値をもたせるために国で徹底管理することにして都合の悪い部分を隠蔽したわけ
同じように天武の時代や不比等が当時の大陸に呑み込まれないように天皇中心の国をつくるために記紀の編纂によって過去の歴史を捏造したわけだよ
当然その過程では過去の古墳やら代々伝わる宝だのを盗掘して皇国史観を勝手に作り上げて三種の神器だのファンタジーを生み出したの

119 :日本@名無史さん:2013/12/06(金) 03:12:10.01 .net
>>117
てことは牛若丸チンギスハーン説と同レベルてわけか

120 :日本@名無史さん:2013/12/06(金) 06:08:33.51 .net
記紀がそのレベルだからしょうがない

>>113が一人でずっと発狂してるが
現実を受け入れられない盲目は痛々しいものだ

121 :日本@名無史さん:2013/12/06(金) 09:58:58.95 .net
未だに記紀を信じてる奴っているのかな?

122 :日本@名無史さん:2013/12/06(金) 12:58:50.63 .net
今となっては記紀は捏造、って言ってる奴が逆に恥かいてるんだけどね
まぁ彼等は考古学の発見なんて見ないふりだからな

123 :日本@名無史さん:2013/12/06(金) 13:35:22.15 .net
>>116
名前が出てるのが五人だから、後の人が「倭の五王」っていってるだけ。
朝貢したのはもっと多いし、どれが誰かはいろいろ説がある。
でも、没年とか、稲荷山鉄剣とかで、目安をつけてる。

124 :日本@名無史さん:2013/12/06(金) 16:28:34.40 .net
今は「甲陽軍鑑」みたいに昔は使い物にならないとか言われてた史料ですら
使える部分は史料批判して使うってのが主流になってきてるからね
捏造(キリッ)で思考停止してるヤツらが取り残される流れになってきてる

125 :日本@名無史さん:2013/12/06(金) 18:34:23.01 .net
扶余諸語で検索すると、高句麗の祖先でもある夫余地域の住民が日本に渡来したのが大和民族のはじまりである。
と書いてるが、事実?

126 :日本@名無史さん:2013/12/07(土) 01:07:43.22 .net
甲陽軍鑑は、まだ当時を知る人が生きていたからまだ何となく信用出来るかもしれないけど、
記紀が書く五百年以上前のことは流石に信用出来ないよ。

記紀が参考にした昔書かれた歴史書とか現存すればねえ、信用出来るんだけど。

127 :風ゴキ:2013/12/07(土) 03:01:36.19 .net
記紀の大部分は正しい
本物の歴史書ですよ

128 :風ゴキ:2013/12/07(土) 03:05:53.54 .net
>>116
倭の五王は天皇じゃないからね
矛盾が生じて当たり前

129 :日本@名無史さん:2013/12/07(土) 18:59:55.48 .net
記紀が日本で始めての史書なんてあり得ないよな
古墳時代の時にどれだけの貴重な歴史書が焚書されたか
ほんと馬鹿なことしてくれたわ

130 :日本@名無史さん:2013/12/07(土) 20:24:35.80 .net
官撰か私撰かの違いを区別出来てない。

131 :日本@名無史さん:2013/12/09(月) 01:38:21.37 .net
>>129
証拠は?

132 :日本@名無史さん:2013/12/09(月) 14:01:37.25 .net
実年代化チラ裏(漢民族王朝への朝貢記録+古事記の没年情報+同時代人)

★三輪(佐紀)朝=【列島統一→半島派兵(新羅攻撃)開始→任那日本府設置(鉄資源を獲得)】
10祟神(〜318年)…神武として纏向に東遷280年頃(西晋滅亡前夜)?四道将軍派遣290年頃?大田田根子
11垂仁(情報なし)…330年頃没?新羅王子「天之日矛」帰化、田道間守 、野見宿禰vs当麻蹴速
12景行(情報なし)…343年頃没?日本武尊の熊襲討伐・東征340年頃? 大臣・武内宿禰(〜応神)
13成務(〜355年)…国造/県主設置  
14仲哀(〜362年)…新羅派兵に反対→神罰が下る
神功(※〜389年)…「旨」(「泰和4年」369年銘石上神宮七支刀→「神功52年」372年百済・近肖古王より贈呈)
★河内朝=【半島派兵(高句麗との戦い&百済支援)本格化】
15応神(〜394年)…「禰(でい)」
16仁徳(〜427年)…「讃」(413年/421年/425年)
17履中(〜432年)…「倭国王」(430年)
18反正(〜437年)…「珍」(438年)←没後朝貢?
19允恭(〜454年)…「済」(443年/451年)
20安康(情報なし)…「興」(460年/462年)
21雄略(〜489年)…「武」@(477年/478年)←「獲加多支鹵大王」…辛亥(471)年銘稲荷山鉄剣+江田船山鉄剣
22清寧(情報なし)23顕宗(情報なし)24仁賢(情報なし)
25武烈(情報なし)…「武」A(502年)

133 :日本@名無史さん:2013/12/09(月) 23:20:29.78 .net
やはり記紀の話をすると荒れる。
学問的に扱えない信仰の領域だから。

134 :日本@名無史さん:2013/12/10(火) 19:36:29.15 .net
第14代仲哀天皇陵墓と比定される前方後円墳の岡ミサンザイ古墳城
http://mirai660.net/castle/okamisanzaikofunjyoh_model.html

135 :日本@名無史さん:2013/12/11(水) 08:34:33.26 .net
>>131
あんな馬鹿でかい古墳を作る連中が史書を編纂しないわけがない
逆に記紀が始めての編纂なんていうほが無理ありすぎ
ていうかそれが事実だったら日本人は土人すぎるだろ

136 :日本@名無史さん:2013/12/11(水) 12:37:21.57 .net
思い込み以上の根拠は出せないのな

137 :日本@名無史さん:2013/12/11(水) 17:33:33.88 .net
横レスだが帝紀や旧辞は存在しなかったということね

138 :日本@名無史さん:2013/12/11(水) 17:54:31.95 .net
日本人が8世紀になってようやく自国の歴史を纏めようとしたなんてあり得ないよね
そんなの国家の体をなしてない野蛮人と同じだもんね

いくら皇国史観をマンセーしたいからって
記紀が一番最初なんだい!これに書かれてることが全て真実なんだい!とは思えないよ・・・・

139 :日本@名無史さん:2013/12/11(水) 19:19:33.22 .net
>>137
作られたのが飛鳥時代だという可能性は無視?
文字史料の出土状況からみて古墳時代には史書とよべるものはないと思うよ

140 :日本@名無史さん:2013/12/11(水) 19:47:01.84 .net
徳川光圀が大日本史編纂の時に南朝を正当化したように
藤原不比等も記紀編纂の際に都合のいいように系統を捏造正当化した

141 :日本@名無史さん:2013/12/11(水) 19:51:50.86 .net
>>139
それでも日本で初めては記紀ではないよね?

142 :日本@名無史さん:2013/12/11(水) 19:54:28.60 .net
不比等が好きなように捏造した、ってのには同意しかねるな
それなら藤原氏の出自が微妙な下級貴族だった、なんて書かないだろ

143 :日本@名無史さん:2013/12/11(水) 19:57:15.16 .net
???
古墳時代に史書があったという妄想には同意できないが
記紀以前に史書はなかったという意見には同意しないぞ

144 :日本@名無史さん:2013/12/11(水) 20:01:59.13 .net
そもそも記紀が日本で初めての史書、なんて誰が言ってるんだよ

145 :日本@名無史さん:2013/12/11(水) 20:11:45.81 .net
でもまあ飛鳥時代の頭くらいまで古墳は作ってるわけで、教科書で受ける印象のように土人から突然文明国になった訳ではないだろうな
あれってよくないよねw

146 :日本@名無史さん:2013/12/11(水) 22:10:06.65 .net
好太王碑にあるように当時朝鮮に進出してた日本が、同じように日本の王の業績を称える史書や石碑を建立してないわけがないわな
たとえ日本人が文字を理解できなかったとしても百済や新羅の高官に記憶させたらいいしな

147 :日本@名無史さん:2013/12/11(水) 22:40:04.54 .net
官撰史書と私撰の違いが分かってないヤシが多過ぎる。

日本書紀の評価は、最古の現存する正史。

日本書紀の前に天皇記・国記があったみたいだが、
蘇我氏の屋敷に保管されてたのだから、正史じゃないんじゃないかな?

148 :日本@名無史さん:2013/12/12(木) 01:16:54.39 .net
天皇は世界史にも稀な巨大な古墳をつくったお!凄い権力だお!
でも石碑や史書の類は残してなかったお!理由は文字が書けなかったからだお!って馬鹿すぎますよね
むしろ当時の日本人を土人と言ってるようなものですよね

149 :日本@名無史さん:2013/12/12(木) 01:33:43.55 .net
>>148
お前さ、ちょっとは前のレスくらい読め
何一つ理解出来てねーじゃん

150 :日本@名無史さん:2013/12/12(木) 01:38:43.47 .net
一人ずっと必死な記紀マニアがいるよね
顔真っ赤で即レスとか怖いよ〜

151 :日本@名無史さん:2013/12/12(木) 02:02:51.66 .net
なぜ古墳がしっかり管理されなかったのかについて誰も答えられないんだよな
皇国史観の弱点だよなw

152 :日本@名無史さん:2013/12/12(木) 07:51:11.85 .net
武家が長い間日本を支配してたのを忘れてる人が多いよね

153 :日本@名無史さん:2013/12/12(木) 08:53:28.82 .net
朝廷は幕府が怖いから古墳を管理できなかったんです
ですから盗掘にも合うし草木も生え放題のボーボー状態なんです
すべては武家がいけないんです天皇家はか弱いいじめられっ子なんです

これでOK?

154 :日本@名無史さん:2013/12/12(木) 09:00:38.79 .net
どれが誰の墓なのかすら武家によって闇に葬られたのだ!

155 :日本@名無史さん:2013/12/12(木) 09:05:20.51 .net
>>153
OK、OK

156 :日本@名無史さん:2013/12/12(木) 10:24:21.15 .net
大体「俺様が誤りを正す」なんて宣言されてる史書を誰が信じるんだよw

157 :日本@名無史さん:2013/12/12(木) 10:26:12.02 .net
>>147は見ないふりなのか

158 :日本@名無史さん:2013/12/12(木) 11:36:34.70 .net
>>153
古墳なんてもっと古い時代から盗掘されてる
天皇の権威なんてそんなものだ

法隆寺のほうがよっぽど権威がある
まったく管理されてない朽ち果てた天皇陵と、輝くような法隆寺を比べたら一目瞭然だ

159 :日本@名無史さん:2013/12/12(木) 14:32:17.47 .net
>>158
昔は墓参りの習慣もないし大概誰をどこに葬ったかなんて分からないんだよ
庶民は風葬が普通だったし
魂は位牌に宿るとされてそれを仏壇や神棚に供えておけばよかったわけ
墓参りの風習ができたのは江戸時代だな
寺が一般庶民に至るまで墓を管理するようになってはじめてできたもの

だいたい聖徳太子陵ができたのなんてだいぶん後だろ
(聖徳太子陵は法隆寺にはない)

法隆寺は寺領があったから景観を維持できたのであって
それと天皇陵は何の関係もない

160 :日本@名無史さん:2013/12/13(金) 02:14:43.42 .net
記紀に継体大王と武烈大王の間の断絶を記録されているのに
五王の墓、邪馬台国の墓、飛鳥時代の墓のすべてが前方後円墳であろうはずがない
王統が変われば、その墳墓様式は違っていて当たり前

161 :日本@名無史さん:2013/12/13(金) 06:30:10.19 .net
>>159
あれだけの規模と予算と人員と当時の最先端の技術を結集した一大事業をやっておいて
誰をどこに葬ったかも分からないだぁ?都合のいい解釈ばかりしてんなよw

王統がコロコロ変わってるからその度に盗掘されて後は放置され野ざらしってのがデフォだろ

162 :日本@名無史さん:2013/12/13(金) 11:46:13.88 .net
都合の悪い部分はいずれバレる嘘をつくより、よく分からないとした方が後々叩かれにくい
書記はそういう風に書かれてる

163 :日本@名無史さん:2013/12/13(金) 12:34:15.58 .net
>>160
無理矢理に結びつけてるからね
この国で考古学が人気ないのも頷けるよ

164 :日本@名無史さん:2013/12/13(金) 13:05:16.79 .net
継体と武烈が断絶…?

165 :日本@名無史さん:2013/12/13(金) 13:37:20.97 .net
断絶してないじゃん。
騎馬民族がやって来て政権を奪ったと言いたいのか?

166 :日本@名無史さん:2013/12/13(金) 21:29:01.29 .net
>>159
祭祀は別
祭祀をしなくなった時点で権力者が変わったということ

167 :日本@名無史さん:2013/12/13(金) 21:33:47.36 .net
>>161
少なくとも継体から後は王統は変わってないだろ
だけど継体以降の陵墓比定も滅茶苦茶じゃないか

だいたい陵墓が初めて比定され、金網張って一般人の進入を禁止したのは
明治時代だ
それ以前は寺が管理している陵墓以外は一般庶民が誰でも入れたんだよ

168 :日本@名無史さん:2013/12/14(土) 02:09:54.25 .net
??
今の陵墓比定がめちゃくちゃって言ってもさ・・・それ明治の学説に基づいて指定したわけだろ?
日本書紀編纂時はどこにあるかわかっていてその後長い時間が経過して風化してわからなくなっただけだろ?
記紀当時からわからなかったわけではないだろ
神武とか遠い昔のケースとなると知らんけどさ

169 :日本@名無史さん:2013/12/14(土) 13:09:29.56 .net
残念ながら記紀当時から分からなくなってた。

170 :日本@名無史さん:2013/12/14(土) 20:44:06.30 .net
流れ読まないで申し訳ないです
歴史に詳しいひと教えてくれ

古墳時代に大和王権ができて全国を統一したんよね?そこから天皇中心の国になったんでしょ?
それが聖徳太子の時点で蘇我氏が実験を握ってる流れがわからんのだけど

半島系の蘇我氏が大和系の物部氏を破って日本を支配してたってこと?
その蘇我一族を中大兄皇子と中臣鎌足が討って天皇中心の国に戻ったって認識であってる?

171 :日本@名無史さん:2013/12/14(土) 21:00:42.75 .net
トンデモ本でよく見るけど
>半島系の蘇我氏

なんでこんな妄想がまかり通るのか私には理解に苦しむね

172 :日本@名無史さん:2013/12/14(土) 22:47:21.20 .net
>>171
蘇我氏というのは藤原氏みたいな感じで天皇を裏で操った貴族というか豪族みたいな感じ?
大和王権ができてからずっと天皇が頂点だけど周りで蘇我氏とかが実験を握ってってことかな?

あと血統的には日本ってことなんだね
なんか安心しました

173 :日本@名無史さん:2013/12/14(土) 23:38:56.59 .net
【大阪】藤原鎌足の墓説さらに強まる 阿武山古墳に最高級の冠帽
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1387001884/

★藤原鎌足の墓説さらに強まる 阿武山古墳に最高級の冠帽
2013年12月14日06時33分

大阪府高槻、茨木両市の阿武山(あぶやま)古墳(国史跡)で戦前に発見された棺(ひつぎ)に副葬
されていた冠帽が、当時最高級の技法とされた綴(つづ)れ織りで金糸を織り込んだ可能性が高い
ことがわかった。被葬者として大化改新で活躍した藤原氏の祖、藤原鎌足(ふじわらのかまたり、
614〜669)が有力視されてきたが、それをさらに補強する発見だ。

古い織物に詳しい関西学院大の河上繁樹教授(日本染織史)が、男性の遺体の入った棺が発見された
1934年当時の写真やX線写真を分析。金糸の端がいずれも急角度に折れ曲がり、何度も往復して
いることから、綴れ織りで金糸を織り込んだ冠帽と判断した。河上教授は「中国で『織成(しょくせい)』
と呼ばれ、正倉院に伝わる奈良時代の織物にも類例がある技法では」という。

「日本書紀」によると、大化改新のきっかけとなったクーデター「乙巳(いっし)の変」(645年)の
立役者の鎌足は、死の直前に盟友の天智天皇から最上の冠位「大織冠(たいしょくかん)」と大臣の位を
贈られた。河上教授は、阿武山古墳の冠帽がこの大織冠の可能性が高いと結論づけた。

http://www.asahi.com/articles/OSK201312120174.html
写真・図版高槻市立今城塚古代歴史館が復元した阿武山古墳の冠帽。金糸による刺繍で再現されている=同館提供
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20131214000670_comm.jpg

174 :日本@名無史さん:2013/12/15(日) 01:18:11.29 .net
>>170
×半島系の蘇我氏
○半島系の物部氏

これだけ訂正しておく

175 :日本@名無史さん:2013/12/15(日) 01:20:00.53 .net
>>170
×半島系の蘇我氏
○半島系の物部氏

これだけ訂正しておく
それ以外の部分は多少雑だが概ね間違っていない
だが蘇我氏の出自を間違えると歴史の根本を見誤ることになるので注意しておいた方がいい

176 :日本@名無史さん:2013/12/15(日) 19:39:22.49 .net
レスくれた人ありがとう
スレ内検索してみたら>>73の人が詳細に説明してくれてたみたいです

>F業を煮やした百済は蘇我氏に蔑ろにされていた中大兄皇子を百済系渡来人一世の中臣鎌足を通じて蜂起させる事に成功し
百済精鋭軍までも難波に上陸させてクーデターを支援し政権を掌握したこれが大化改新

これはつまり藤原鎌足が朝鮮系ということ?
だとするとその息子の藤原不比等が編纂した記紀で蘇我氏を悪く扱ってるということは蘇我氏こそ正当な皇統というこなのでは?
あと藤原鎌足が朝鮮系だということは日本史に大きな影響力を持つことになる藤原氏そのものが朝鮮系の血統によって支えられたってことになるんですかね?
ちょっとそれは俄に信じがたいのでそうではないという確証を得たいんですが

177 :日本@名無史さん:2013/12/15(日) 20:27:12.51 .net
電波に踊らせられるな

178 :日本@名無史さん:2013/12/15(日) 22:37:44.35 .net
百済王子が持統から賜姓されて臣下になってるし。
百済三書と呼ばれる、倭に対してへりくだった史書など。

当時の立場は倭>百済。唐や新羅に圧迫されて倭にすり寄っている。

179 :日本@名無史さん:2013/12/16(月) 01:00:04.71 .net
>>177
× 電波に踊らせられるな
○ 電波に踊らされるな

まずはまともな日本語を勉強しましょう。
それにしても このスレはデムパばっかり ユンユン飛び回っている

180 :日本@名無史さん:2013/12/16(月) 09:18:27.80 .net
それならお前が電波じゃない正しい教示をしてみろよ
なにも語らずデムパデムパと耳をふさいでも進展しないぞ?
団塊ジジィどもの黙っていれば全てが丸く収まるという事なかれと同じ轍を踏むのか?

181 :日本@名無史さん:2013/12/16(月) 23:17:33.33 .net
日本書紀が雄略から書き出して、推古舒明を飛ばし、皇極孝徳斉明天智まで書かれている。

その後、神代やら神武〜安康まで、推古舒明までが書かれた。


雄略から書かれたのは、雄略以降、文字で歴史を残すようになったからだろう。
推古舒明の期間がすっ飛ばされるのは、その期間、蘇我馬子・蝦夷が皇位を簒奪してたから。
隋書倭国伝の男王アメタリシヒコは、無理に聖徳太子と考えるのではなく、
天皇に即位した馬子のことと考えた方が座りがいい。

182 :日本@名無史さん:2013/12/17(火) 07:23:28.50 .net
雄略は神武天皇
よって神功皇后が天照大御神になる

その天照大御神が卑弥呼だとすると全ての辻褄があう

183 :日本@名無史さん:2013/12/17(火) 11:00:34.10 .net
最近日本が嫌いになってきてる
馬鹿正直で毒にも薬にもならない武士道精神だなんだとくだらない美意識だけを重んじて
自分達の主張を一切しない糞っぷりに腹が立つ

白人には卑屈で媚びへつらいプライドも何もなく土下座する醜い国民性
CMでも白人を使えばイメージアップとなって視聴者のゴミどもも白人様カッコイイ!素敵!真似したい!と飛びつく

どこまでも愚直で非合理的な思考で現状維持こそが何よりも価値のあることだと思い込んでる
世界の反応がなんだってんだ
外国のゴミどもに好かれること認められること評価されること一目置かれることに何の価値があるんだ
外面ばかり気にする卑しいイエロモンキーめが

ああ
俺はもう日本を嫌いになってしまうんだろうか
愛しすぎていたからこそ最近矛盾に目をつぶれなくなっている

184 :日本@名無史さん:2013/12/18(水) 20:46:55.55 .net
誰の墓か気になるやつ。

桜井茶臼山古墳 全長207m 古墳前期 武人の墓
メスリ山古墳 全長224m 古墳前期 武人の墓 

どっちも古墳時代初期の崇神の時代頃。天皇ではなく大王クラスで。
四道将軍の誰か?大彦命?建沼河別命?
じゃあ、吉備津彦と丹波道主命は?

大型で古墳時代初期のものは、奈良盆地の南部に固まってるんだよなあ。
西殿塚古墳といい、誰なんだろ?

河内大塚山古墳 雄略?こんなでっかいのが無名の人のなんてないだろ。

185 :日本@名無史さん:2013/12/18(水) 22:01:00.07 .net
造山古墳=吉備津彦命

これはガチ。

186 :日本@名無史さん:2013/12/18(水) 23:29:42.61 .net
また、首長は武人だろが現れたなw

まったり進行でねw

187 :日本@名無史さん:2013/12/20(金) 18:38:55.08 .net
>>185
そうなんだよなあ。
ただ、古墳中期になってるから、時期がずれることがうまく説明できない。

188 :日本@名無史さん:2013/12/20(金) 22:20:38.19 .net
造山は上石津ミサンザイ(伝履中陵)と相似形らしいし。

吉備津彦はないだろ。

189 :日本@名無史さん:2013/12/21(土) 11:53:07.55 .net
>>182
神功皇后は三韓外征まで行った武人の長だが、天照は独身でヒキコモリのシャーマン。

どこも似てない。別人。

190 :日本@名無史さん:2013/12/21(土) 13:40:47.42 .net
記紀で語られるような神功皇后は実在しないだろう。
征伐の主体が当時激しく戦っていた筈の高句麗ではなく、
新羅王になっているのは七八世紀の状況で書かれているから。
斉明天皇の影響が強い。

191 :日本@名無史さん:2013/12/23(月) 16:44:18.72 .net
池田仁三氏の古墳墓碑
って正しいの?

192 :日本@名無史さん:2013/12/23(月) 16:57:06.09 .net
>>190
高句麗とは404年の倭の帯方界進入で戦ってる。
ただ神功皇后の時代ではない。
後世、間違って彼女の功績とされたのだろう。

193 :日本@名無史さん:2013/12/23(月) 17:11:58.05 .net
>>191
ただの落書き

194 :日本@名無史さん:2013/12/23(月) 18:00:31.18 .net
>>185
>>187
吉備津彦は たしか314才で死んだのではなかったかな? だったら古墳時代中期でなんも問題無いじゃん。

というのはちょっと置いといて、吉備はかばねが臣、すなはち皇孫と言うことになっているわけで、
中央政界に於いて自己の立場を確立するためには 皇孫としての正統性を前面に押し出す必要があったのです。
そのためのデモンストレーションとして吉備津彦の墓を築造する必要があったのです。
吉備津神社の祭神を見ても 皇孫としての立場を主張する為のまるでミニ日本書紀の世界。

195 :日本@名無史さん:2013/12/24(火) 21:08:44.43 .net
楯築墳丘墓を見る限り、吉備は、大和より先に王権が誕生している。

吉備のマウンドを造って首長霊を祀る宗教は、讃岐や阿波、播磨に波及し、
その後に漸くマキムク石塚が築かれるという流れ。

記紀の四道将軍とか鵜呑みにしちゃ駄目だよw

196 :日本@名無史さん:2013/12/25(水) 18:34:29.08 .net
で、吉備はその後どうなった訳?

197 :日本@名無史さん:2013/12/25(水) 21:26:28.92 .net
箸墓の二分の一サイズの、中山茶臼山や浦間茶臼山などの
初期前方後円墳が造られることから、新興のマキムク王権と親密な関係だったかと。

大和と姻戚関係を結び、軍事方面で活躍。
造山・作山の頃が最盛期。
雄略の頃に大和に危険視され、勢力を削られ衰退に向かう。

198 :日本@名無史さん:2013/12/26(木) 20:51:01.82 .net
>>195
鵜呑みも糞も、吉備の在地首長の起源譚が四道将軍じゃねーか
なんの矛盾もない

199 :日本@名無史さん:2013/12/26(木) 23:11:56.43 .net
考古学的に見れば、吉備やら東瀬戸内、筑紫などが合わさったのがマキムク王権。
てのが有力なんだよ。

ベクトルの向きが四道将軍と逆な訳だ。

200 :日本@名無史さん:2013/12/27(金) 00:01:29.73 .net
そりゃ中心と辺境との間には「往」と「復」が常にありまんがな

201 :日本@名無史さん:2013/12/27(金) 00:28:28.99 .net
いわゆる大和中心史観ってやつだな。
考古学的には否定されてるが

202 :日本@名無史さん:2013/12/27(金) 10:38:41.78 .net
>>201
適当なこといってフレームアップすんな。大和が中心になっていくのは歴史的な事実
ただ考古学上、その傾向がいつ頃から認定されるのかって問題だろうが

203 :日本@名無史さん:2013/12/27(金) 23:46:37.19 .net
大和に中心=倭王権が生まれるのは、マキムク大溝以降。

いつ頃か?なんて議論ありますか?

204 :日本@名無史さん:2013/12/28(土) 01:41:48.78 .net
>いつ頃か?なんて議論ありますか?

じゃ>>201がいってる「大和中心史観」ってなんのことだね?
>>201は存在しない敵と戦ってたのかw

205 :日本@名無史さん:2013/12/28(土) 08:20:22.05 .net
四道将軍とか、大和中心史観の最たるものだと思うがw

206 :日本@名無史さん:2013/12/29(日) 01:21:17.80 .net
>>205
各地に有力な豪族があり、それが纏向以降ヤマト王権としてまとまる。
戦もせずにお話し合いで出来たってか?

207 :日本@名無史さん:2013/12/29(日) 13:01:44.95 .net
実際、そうみたいなんだよ。考古学的には。

実際、古代日本は永らく豪族連合で、様々な文化がモザイク状に広がっていた。
それぞれの首長たちの勢力範囲は、律令の頃の郡くらいの大きさ。

208 :日本@名無史さん:2013/12/30(月) 07:15:05.41 .net
北条攻めじゃなくて、毛利攻めかな。

209 :日本@名無史さん:2013/12/30(月) 09:42:43.91 .net
古代の人間には戦いと話し合いしか選択肢が無かったのか・・・

210 :日本@名無史さん:2014/01/03(金) 18:32:13.37 .net
椿井大塚山古墳って、山代之大筒木真若王?

211 :日本@名無史さん:2014/01/04(土) 20:21:06.70 .net
>>209
他に何かあるの?にらみ合い??
あ、政略結婚もお話し合いのうちだと思うけどね。

日本中が戦乱に陥るとか、豪族同士が何百人も戦死するようなのはなかった
かもしれないけど、争いはあっただろう。
記紀の記述は、王族同士の主導権争いや従わない豪族を退治する話ばかりだ。
結構きたないやりかたも出てくるからなあ。

212 :日本@名無史さん:2014/01/07(火) 15:54:06.46 .net
初期の大きな古墳がヤマトにばかりなのは何故なんだろうな。
初期といっても纏向型でなくて。
王権が移ったって説があるけど、今も有力なの?

213 :日本@名無史さん:2014/01/09(木) 11:48:13.62 .net
>>212 王権が移ったって説があるけど

そんな説は初めから無い。 ただのヨタ話

214 :日本@名無史さん:2014/01/09(木) 20:25:57.35 .net
>>213
移ったんじゃなく、直系じゃないと言う話じゃないの?
時代は下るけど、壬申の乱のときの当事者、大海人皇子と中大兄皇子は非兄弟説が有力だけど、
似たような事が継体の時も起こったんじゃないの?
資料を残してないからなんともいえないけど。

外戚による操作というのもあるかも知れないし。まあ、とにかく怪しいのは間違いない。
古代だから、どんな理不尽でも、大義名分さえ通ればなんでもありでしょ。

215 :日本@名無史さん:2014/01/09(木) 20:30:50.46 .net
中大兄と大海人非兄弟説が有力ってどこの世界の話だよw

216 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 08:31:13.88 .net
>>215
大海人皇子の生年月日がはっきりしないとか色々ある。
少なくとも、大海人の方が年上だったのではないかという説。

歴史書を編纂したのは大海人朝になってからだから、そこら辺はどうとでも出来る。
天智は、公式上、布団の上で死んだ事になってるけど、狩の時行方不明になって、
暗殺されたという説がある。

天武系は48代称徳帝で途絶えて、桓武帝から天智系が復活するが、
それ以降天武系は復活すること無く、天皇の菩提寺の祭祀から外されている事など、
今の天皇家からはどうも嫌われている。

217 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 09:06:31.69 .net
全部散々論破されているが?
それらが有力だとされている事実などない
もっと良質な本を読んどけ

218 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 11:45:03.98 .net
>>216
それらが書かれてあるソースは?

大海人のほうが年上って平安時代末期に書かれた書物の没年齢の間違いで
日本書紀以前にそのようなことが書かれた史料は存在しないよ

219 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 13:11:07.40 .net
日本書紀が、天武朝に編纂されているという点は重大だと思う。
自分らに都合の悪い事は誤魔化したり隠したりすると思うが?

あと、好戦的な中大兄皇子は普通に考えれば絶対に敵は多かったはず。
自分がそうしたように、本人も暗殺されても全然不思議は無い。
それを実行した天武朝が、わざわざそれを記録に残すはずもない。

だいたい、甥と叔父が王位(皇位と書かなきゃうるさいかw)
を争う事自体が異常な話。(壬申の乱の事ね。)
普通に正直に経過を書いたら、間違いなく大海人には大儀はないでしょ。
絶対からくりはあるよ。神様じゃなく人間なんだもの。

220 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 13:35:20.43 .net
>>219
君は持統天皇と元明天皇が天智天皇の皇女だということを忘れている。
彼女たちは当然父親の年齢や事績を知っているし、天武が好きに編纂して彼女たちの父親を貶めていいわけないよね。
日本書紀編纂は天武天皇が、川嶋皇子・忍壁皇子・廣瀬王・竹田王・桑田王・三野王らに
帝紀及び上古諸事の編纂を命じたのがもとになっていると言われるが、川嶋皇子は天智天皇の皇子だ。

それに中大兄皇子は好戦的じゃないだろう。
好戦的なら吉野に籠る大海人皇子を間違いなく攻め滅ぼしてる。
甥と叔父、兄と弟が皇位を争ったことなどいくらでもある。

221 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 14:03:45.06 .net
>>220
貶めてないから、近代・現代まで天智天皇は”偉人”として伝承されてるんでしょ。
表向きは何も無かったことになっている。
天武とその息子が天智の娘を娶ったのは、普通に考えると天智の血筋を強めるためでしょ。
それだけ、天武は”正当な血統”が弱かったからじゃないかと思えてしまう。

あと、表面上かはわからないが、一応従順に”兄”に従い、皇子のために自ら皇太弟をゆずり
謀反心がない事を表す為に出家までして隠遁した”弟”を攻め滅ぼすような事は、
いくら天智が好戦的であったとしても流石に大儀がないから出来ないでしょ。

別に好戦的と言っても、戦好きというだけじゃない。戦略家であったことは間違いない。
大海人も負けず劣らず戦略家だったと言う事でしょ。

222 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 15:49:13.94 .net
つか記紀の編纂時期考えろってwアホか

223 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 17:04:23.85 .net
逆に、天智系が復活した桓武帝以降は、天武系は不遇な目にあってるように思う。
天皇家が京都に居たころの、事実上の菩提寺である”泉涌寺”(せんにゅうじ=御寺:みてら)
においては、天武帝から称徳帝までの位牌がないらしい。

さらに神式の祭祀においても、天武系の天皇については外されているらしい。

あと弓削道鏡と称徳帝との関係においても、事実とは違うであろう説で片付けられてしまっている。
(愛人関係により道鏡は取り立てられたという説がまことしやかに伝わっているが、
 実際はまじめで優秀な僧侶だったらしいとの事。)
称徳帝の最後も、卑猥な話になってるが、事実は違うであろう事。

天武系の子孫は貶められたと言える。

>>222
記紀の編纂されたのはいずれも天武系の時代(奈良時代)でしょ。
自分の直接の先祖に都合よく、そして天智も貶めないように編纂されたのは想像にかたくない。

でも、復活した天智系の子孫は天武系を貶めた。

224 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 17:30:22.96 .net
>>221
天武は天皇を神格化し、皇親政治をやった人だよ
その天武が天皇家の正統な血を引いてないなんてわけないじゃん
当時の天皇家は基本的に同族婚
皇女が臣下に嫁ぐなんてまずなかったし
藤原氏が光明皇后立后を強行するまで、皇后は皇族に限定された

隠棲した弟を攻め滅ぼすための大儀などいくらでも作れるでしょ
大海人は大友皇子が攻めてきたから攻めたと言っているけれども
近江朝廷は大海人が攻めてくるなんて寝耳に水だったし

225 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 17:44:45.67 .net
大海人が臣下とは思ってないよ。天皇家の血筋は引いてるでしょ。
それを言えば、”兄”の娘が”弟”とその息子に嫁ぐというのも変じゃない?

実際は”兄”と”弟”が逆だったかも知れない。もしくは大海人が皇族の血を引く天智より年上の”養子”だったかも知れない。
もちろん、説だけど、この兄弟の関係は普通の兄弟ではない可能性は大きいだろうね。

226 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 18:23:53.38 .net
>>219-220

227 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 20:52:47.48 .net
>>225
この時代は異母兄妹婚すら行われていたのだから叔父と姪の結婚なんて珍しくもなんともない
むしろ皇族間での結婚は血を濃くするために奨励されていたくらいだ
この時代の上流階級が近親婚なのは当然

で、なんで天智と天武の兄弟順をどうしても逆にしたいんだ?
弟が兄より先に即位し、弟の娘が兄に嫁ぐほうがはるかにおかしいのだが。
また、天智が年上の養子を取る必要などどこにもない。
持統天皇は父親よりも年上の爺に嫁いだというほうが不自然だ。
普通の兄弟ではない説のほうが一般的ではない。

228 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 20:53:18.75 .net
>>225
あと年上の養子を取った例は古代にもないよ。

229 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 21:55:26.54 .net
>>227
>>228
天智の養子であるわけないだろ。
舒明の養子だろ。
もしくは正室の子供ではない長子とか。
いろいろ考えられるが、とにかく天武の生没年がはっきりしてないのと、
天智の死因がはっきりしてないのは異常。
なんで正史である日本書紀にそれらが載ってないのか?
誤魔化していると勘ぐられてもしかたない。

230 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 22:38:53.24 .net
ここで非兄弟説述べてる人って思い込みだけで突き進んでる感があるな。

231 :日本@名無史さん:2014/01/10(金) 23:17:47.99 .net
「史料は都合がいいように編集されて事実を隠してる」
とか言い出したら、それは
「自分の主張には根拠はありません。妄想です」
と告白してるのと同義
キチを相手にするだけ時間の無駄

232 :日本@名無史さん:2014/01/11(土) 01:13:33.53 .net
非兄弟説の方はこちらへ
【ギャグ説】井沢元彦の逆説の日本史 2【逆ギレ】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1384606186/

233 :日本@名無史さん:2014/01/13(月) 11:46:45.26 .net
過疎ってるな。

で、だいたい、民主的でない時代の政権の体制側は、自分らが統治する正当な理由が必要なわけで、
そこには大儀が必要なわけで、体制側の統治に都合の悪い事は隠せる事は隠すものでしょ、普通。
”政権”を神格化するのなら尚更そういう作業が必要なわけだし。
まともその資料を信用すべきかどうかじっくり検討する必要があるわけで。
この当時の政治って”神様”関係してるだろうし、宗教との関係も調べる必要もあるだろうし。

古代の資料に書かれてあるものがそのまま史実だと考える方が、現代の歴史研究としては未熟だと思う。
少しの矛盾点などにこだわって、”嘘のほころび”をほどいてゆき、真実に迫るべきだと思う。

234 :日本@名無史さん:2014/01/13(月) 12:37:04.13 .net
ここは学問板だよ
君にはオカルト板かお花畑板をお勧めする

235 :日本@名無史さん:2014/01/13(月) 14:15:19.09 .net
>>233
>古代の資料に書かれてあるものがそのまま史実だと考える方が、現代の歴史研究としては未熟だと思う。

「史料批判」って言葉知ってる?ガイキチくん?

>少しの矛盾点などにこだわって、”嘘のほころび”をほどいてゆき、真実に迫るべきだと思う。

それには矛盾していると考えられる史料と同等かそれ以上に信頼できる史料が必要なのだがな
君の主張はどこかの作家の受け売りでしかなく、「研究」と呼べる代物ではない

236 :日本@名無史さん:2014/01/13(月) 14:34:21.51 .net
まあ、資料だけを頼りにしてしか思考できない人は、絶対資料がなきゃ動かないんだろうね。
歴史ばかりでなく、考古学の異物、東洋史、民俗学、言語学、遺伝子学など、いろいろな方面から
考察して、矛盾するところを突くところから考えて行かねば。
なんでも物事は柔軟に考える事が必要だと思う。

まあ、俺はド素人だからこういう風に考えるんだろうけど、下手に学問してる人たちって柔軟性が無いようで。

237 :日本@名無史さん:2014/01/13(月) 14:41:28.43 .net
>>236
>歴史ばかりでなく、考古学の異物、東洋史、民俗学、言語学、遺伝子学など、いろいろな方面から
>考察して、矛盾するところを突くところから考えて行かねば。

じゃあ、それらの分野でおたくの主張の根拠となるようなデータだしてみたら?

>まあ、俺はド素人だからこういう風に考えるんだろうけど、下手に学問してる人たちって柔軟性が無いようで。

君のような学問の手続きを無視した主張を「トンデモ」というのだよ

238 :日本@名無史さん:2014/01/14(火) 21:05:20.74 .net
史料批判という妄想

239 :日本@名無史さん:2014/01/14(火) 22:13:32.15 .net
依拠する史料もない妄説

240 :日本@名無史さん:2014/01/14(火) 22:14:58.89 .net
古墳があった上に建物を建てていいものなんですか?
以前お姫様の古墳があった場所が水戸の私立大学の駐車場になっていたんですけど。

241 :日本@名無史さん:2014/01/19(日) 08:37:25.30 .net
実は大和の古墳も荒れ放題、盗掘され放提だったけれど、王制復古で水戸藩が中心になって天皇陵を特定、整備したんだ。
天皇陵とされなかった古墳は、発堀調査が進んでいるが、既に破壊された古墳も多い。
四天王寺も古墳の上に作られているし、とすると聖徳太子は古墳文化の担い手とは無縁の渡来人ということがはっきりする。
聖徳太子は、仏教を伝えるにめに渡来した百済の皇子ではないだろうか?

大阪城も古墳の上に二重三重に築城されていると思われる。
卑弥呼の墓は大阪城の下か?

242 :日本@名無史さん:2014/01/19(日) 12:12:06.60 .net
コナベ古墳、ウワナベ古墳が誰の墓かとか、説はあるの?

243 :日本@名無史さん:2014/01/20(月) 06:20:21.60 .net
>>241
百済にも古墳があったんじゃないの?

244 :日本@名無史さん:2014/01/20(月) 16:23:27.58 .net
>>241
というか、大阪城の下は古墳時代は海だね
河内湖
それよりは上町台地に埋まってるはずの仁徳の難波宮を発掘したい

245 :日本@名無史さん:2014/01/20(月) 16:27:48.67 .net
>>236
やたらめったら掘り返しても何も出てこない
文献で目星をつけて発掘しないと金と労力のムダ
縄文時代の遺跡は工事の際にたまたま出てるだけ
(日本列島改造時代に関東エリアに開発が集中した結果多くの縄文遺跡が発見された。
関東に縄文人が集中してたとかいう理屈はこういう背景から。あまり論理的ではないのよね)

246 :日本@名無史さん:2014/01/20(月) 17:38:03.02 .net
>>245 >>244

仁徳天皇の高津の宮が造られる

その跡に高津神社が建てられる

石山本願寺が造られる

高津神社を移動させた跡に秀吉の大坂城が造られる

家康が増築する

現代の鉄筋コンクリートの天守閣が造られる

「石山」というのは本願寺築造に手頃な石がたくさん出てきた、つまり ここに高津の宮の造営に使われた石があったと言うこと。
高津の宮があった場所は場所は分かっている。 しかし、現在建っている大阪城を撤去しないと、発掘できない。

247 :日本@名無史さん:2014/01/20(月) 20:09:10.89 .net
>>246
だな、本願寺があったんだった
堺も島だったみたいだし

248 :日本@名無史さん:2014/01/30(木) 13:22:37.68 .net
火星に前方後円墳が発見される。
http://www.youtube.com/watch?v=Gc51ftLEE4Y

249 :日本@名無史さん:2014/01/30(木) 22:13:01.32 .net
 
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250 :日本@名無史さん:2014/01/31(金) 10:32:06.86 .net
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251 :日本@名無史さん:2014/01/31(金) 12:45:02.19 .net
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        ノ/////ノ⌒    ⌒ili∧
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      {lililililili{  ィf王>   rrゥx :}Y}   「切り札を持ってるぞ」
.       /Yl/\{    ̄    |  ̄ {Yi}   って感じなのよねえ………
     _ イlilili{        ヽ/    .|^ソ
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  }lilililililililililililil\{     ー一  /lilil{
 ノilililililililililililililililil}\        /lililili)
 {ililililililililililililililililil|   >   /  {ililil{
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ililililililililililililili/./}        / /   /´ ̄ ̄\
ilililililililililililイ  (         / /   /       }

252 :日本@名無史さん:2014/02/24(月) 22:01:04.79 .net
無いとされていた古墳墓碑、その存在が明らかに!
「画像解析によって判明した古墳墓碑 上下巻」
http://www.amazon.co.jp/%E7%94%BB%E5%83%8F%E8%A7%A3%E6%9E%90%E3%81%AB%E3%82%88%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%88%A4%E6%98%8E%E3%81%97%E3%81%9F%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E5%A2%93%E7%A2%91-%E4%B8%8A-%E6%B1%A0%E7%94%B0%E4%BB%81%E4%B8%89/dp/4792604680
http://www.amazon.co.jp/%E7%94%BB%E5%83%8F%E8%A7%A3%E6%9E%90%E3%81%AB%E3%82%88%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%88%A4%E6%98%8E%E3%81%97%E3%81%9F%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E5%A2%93%E7%A2%91-%E4%B8%8B-%E6%B1%A0%E7%94%B0%E4%BB%81%E4%B8%89/dp/4792604699

253 :日本@名無史さん:2014/02/24(月) 23:44:17.65 .net
今さら落書き本を持ち出されてもな

254 :日本@名無史さん:2014/02/26(水) 18:17:35.31 .net
>>240
遺跡の指定がなかったら、何が立つか分からんね。
古墳って言ってもいろいろあるし、全国で数万基あるらしいからね。
全部を保存するのは難しいんじゃないかな。
オレなんか、あれだけある古墳が1500年も経ってるのによく残ってると思うけどさ。
「あの場所は荒らしてはいけない」とか、結構伝承が残ってるんだよな。
どうしても残したかったら、自分でその土地を買って市に寄付すればいいと思うよ。

255 :日本@名無史さん:2014/02/26(水) 21:02:28.08 .net
>>240
地元自治体から「埋蔵文化財包蔵地」(いわゆる遺跡)に認定されている土地だと開発行為を行う際には事前に届け出ないといけなくて
届出を受けた地元自治体からは発掘調査を行う、慎重に工事する、などの指導がある
調査によってよほど価値の高い遺構・遺物が見つからない限りは「記録保存」といって発掘調査で記録がとられたあとは調査が終わり次第、遺跡は潰される

256 :日本@名無史さん:2014/02/26(水) 21:18:17.02 .net
素朴な疑問だが、古墳時代(大和時代)って原始?古代?
弥生時代が原始で飛鳥時代が古代なのは確実だけど、古墳時代はよくわからん。

あと、欽明〜崇峻のあたりは飛鳥時代に入るんだろうか?それとも古墳時代?

257 :日本@名無史さん:2014/02/26(水) 23:01:45.62 .net
原始時代・・・・歴史区分としては、今はあまり使われてないんじゃないの?
文献時代に対して、無文献時代を「先史時代」と言う人は多いけど。

258 :日本@名無史さん:2014/02/26(水) 23:20:22.53 .net
日本史の教科書だと、「原始・古代」「中世」「近世」「近現代」の区分になってる。
原始・古代でひとくくりになってて、どこまで原始で、どこから古代なのかわかりにくい。

259 :日本@名無史さん:2014/02/26(水) 23:33:50.48 .net
歴史学の古代と地質時代の古生代の区別がつかないというのなら病院逝け
教科書を読んで古代の始まりが分からないというなら教師に聞けよ…

260 :日本@名無史さん:2014/02/27(木) 00:18:41.55 .net
弥生時代はフツーに原始時代。
飛鳥時代はフツーに古代。
古墳時代はビミョー。

261 :日本@名無史さん:2014/02/27(木) 00:30:47.25 .net
手元の教科書の年表だと4世紀ころから古代になってる。
平城奠都までが大和(古墳)時代で、推古朝以降を特に飛鳥時代としてる。

262 :日本@名無史さん:2014/02/27(木) 18:27:28.19 .net
ためしに現行の山川「詳説日本史」の目次を見た。
原始・古代→中世→近世→近代・現代の4部構成になってる。
旧石器時代から古墳時代(6世紀後半まで)は「日本文化のあけぼの」で一括りになってる。
やっぱり古墳時代までが原始時代っぽいな。

263 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 13:33:48.31 .net
>>262
いや、普通【先史時代】だろ。王権が存在してて都市もある。外国(中国)の文献にも現れる

ちなみに縄文・弥生時代は新石器時代

264 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 13:35:31.90 .net
>>262
高校でそのレベルなら恐ろしくなる
ゆとりはガス室に送った方がいい。それが日本国のためだ

265 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 16:32:14.99 .net
なるほど原始時代と教えてるのか
弥生時代はドングリ食ってウホウホ言ってたんだろってアホがやたらわいてくる訳だw

266 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 18:17:57.07 .net
歴史系出版社の雄、山川様が「原始」って書いて、
文部科学省が検定合格してる以上は、原始時代と納得せざるをえない。

まあ、こども向けの本や図鑑とかの弥生人の想像図なんかでも、
弥生人って貫頭衣か布をまきつけたような半裸体で農作業やってるから、
半裸でウホウホ言ってたと言われても仕方ないな。

ちなみに神話の神様の格好(埴輪スタイル)は、6世紀の衣装ですよ。

267 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 18:55:01.39 .net
古墳人も、おーいはにまるくんや大国主命みたいな格好になるのは6世紀代で、
倭の五王時代は職貢図にあるような半裸でウホウホの原始人状態です。

268 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 19:40:49.62 .net
>>267
半裸=原始人ってのは儒教的な価値観でしかないね
エジプトやメソポタミアの王族も半裸で裸足
日本は亜熱帯に近い温帯地域なんだからおかしくはない。中国や半島が厚着してるのは寒いからだ

269 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 19:42:50.56 .net
ウホウホの原始人に支配されたんだな、半島人

270 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 19:53:26.81 .net
>>267
せやな
ローマ人とかも原始人やもんな

271 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 20:04:24.39 .net
http://www.sousou.co.jp/media/11/20110511-DSC02585.jpg
http://www.kaen-kaido.com/images/column/column17_fig01.jpg
http://www.kodai-bunmei.net/blog/Jyoumon_Fuku1.jpg
http://www.sousou.co.jp/media/11/20110511-DSC02586.jpg
http://file.depth333trench.blog.shinobi.jp/twotai-haniwa01.jpg
http://file.depth333trench.blog.shinobi.jp/hekigahaniwa_josei.jpg

>半裸でウホウホ
<参考>日本近在の某国〜日本統治直前の正装〜
http://koumokuten.iza.ne.jp/images/user/20060917/11042.jpg

272 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 20:57:05.07 .net
>>266
あれって洋服なのか和服なのか?
あれズボンだろ?女性はスカートだし
髪型はミズラ

273 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 21:40:25.96 .net
鉄の王キムスロとか見てたら、同時代の倭人がウホウホ状態のときに、
伽耶の人々は文化的な生活やってて、なんか情けなくなったわ。

274 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 22:11:43.33 .net
ドラマかなんか?

275 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 22:15:32.49 .net
19Cに東南アジアを訪れた白人は、現地の貧困と自国を比べ、罪悪感を覚えることもあったそうだが、
朝鮮には嫌悪感しかもたなかったんだよな、どれだけ酷い社会だったのか今の日本人には想像もできないことなのだろうが…

でもまあ、俺も知りたくないわ、やっぱw

276 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 22:24:28.27 .net
明日落ちても驚くなよー

【話題】韓国が3月1日に2ちゃんねる攻撃を予告 韓国ハッカー 「日本猿は再び挑発をしている! ネトウヨの拠点を潰す」★2
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1393589623/

277 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 23:52:39.83 .net
>>270
古代ギリシア人もペルシャ人も原始人ですわな

278 :日本@名無史さん:2014/02/28(金) 23:54:02.46 .net
>>273
ああいう大嘘を放って措かない方がいいと思うねマヂに

279 :日本@名無史さん:2014/03/01(土) 00:04:47.16 .net
世界史板で賑っていた映画・ドラマスレで突然韓国ドラマの紹介

何?それ、詳しく知りたい!

こんなドラマもあるよ

おもしろ〜い

韓国ネタでレスが重なる

一ヶ月後

何でこんなにこのスレ過疎ったの?

数ヵ月後

廃墟

280 :日本@名無史さん:2014/03/01(土) 09:30:44.95 .net
「原始」
日本語として始まりと言う起点の意を表すのには適しているが、
時代と言う長さを伴う概念の呼称には相応しく無い。
西洋的文明にだけ価値を置く、昔の文化進化論で造られた明治史学の影響を
今の文献史学は未だに脱却できていないわけだ。

281 :日本@名無史さん:2014/03/01(土) 16:51:16.80 .net
>>267
まあ、書紀の記述を信用しても、雄略朝に呉から機織り工女がやってきたとあるから、
埴輪スタイルのマトモな衣装を着用するようになるのは、そのあとからだろうしね。

倭人、マジで未開だな。

282 :日本@名無史さん:2014/03/01(土) 21:48:00.46 .net
漢字の伝来
・漢人
・漢
・朝鮮
と三つの記述があって朝鮮人と書いてあるのは日本書紀だけで、しかも日本書紀の該当箇所には事実誤認があるのに
何故か日本に漢字を伝えたのは朝鮮人と決め付ける風潮はなんとかならんのかと思うが、
都合の良い時だけ記紀を引用し、朝鮮に都合が悪ければ「記紀なんか史料としての価値なんかない」と言い張るタイプだろ>>281

文字資料がなければ存在しないと、絵画資料を全否定するような愚か者が学問板にいて楽しいの?
「倭猿〜」とか書いてオナニーするしか休日の過ごし方を知らない人生を見直してみてはどうだろうか

283 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 08:25:11.91 .net
>>281
そういうのは特別な技能を持った職人を連れてきたってのが本旨
それまで服が無かったという話ではないの
舶来品を喜ぶのはどこの国の人間もいつの時代の人間も同じことだ
渡来人関連の記事はすべて天皇(倭王)の権威を高めるために書かれててホントかどうか分からない
【倭人のみならず外人も天皇の徳を慕って来日、帰化した】【外国の王が〇〇に長けた職人を献上してきた】
というのが日本書紀の言いたいことなわけよ

284 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 10:39:39.17 .net
史書はある程度裏を読まないとな
服の記述がない→服着てないってアホすぎるw

285 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 12:51:27.35 .net
服はあっただろうが、それが職貢図に出てくるような布巻き付けたようなやつなんだろうな。
5世紀代は半裸のウホウホ状態。

286 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 13:02:13.03 .net
>>267
http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-2282.html

287 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 19:19:56.56 .net
倭人、未開すぎてワロタw

288 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 20:11:02.67 .net
>>286
(彼ら曰く)未開の日本人に支配されてた半島ってどんだけ〜

289 :日本@名無史さん:2014/03/02(日) 21:27:08.68 .net
>>285
それ前に韓国人がいってたね。東亞板で見たよ。『裸足でみっともない』ってな
別にオレはあの姿を恥ずかしいとは思わない
逆にあの姿は倭人が中国文化とかけ離れていたことを逆証明している
百済人は中国人そっくりな着物だよ
日本の夏は亜熱帯スレスレの気候だし、何枚も重ね着してる方がおかしいだろう。自然体が一番だよ

290 :日本@名無史さん:2014/03/03(月) 08:57:04.12 .net
半裸ってのはあり得んな。
なんせ、九州北部も奈良も冬は雪が降る。

291 :日本@名無史さん:2014/03/03(月) 11:50:07.77 .net
て言うか日本がウホウホってそいつらに支配されてたチョンっていう盛大なブーメランを笑うところだろ
どれだけ雑魚なんだと

292 :日本@名無史さん:2014/03/03(月) 13:59:49.78 .net
古墳時代の人達って恐竜やマンモスの
存在って知っていたのかな?

293 :日本@名無史さん:2014/03/04(火) 21:02:11.32 .net
人物埴輪でまともな服装してるのは6世紀のものがほとんどだから、
正直、5世紀の倭人の服装は不明。
職貢図を信頼するならば、半島諸国に比べて野蛮未開としか言いようがない。

294 :日本@名無史さん:2014/03/04(火) 21:08:17.49 .net
>人物埴輪でまともな服装してるのは6世紀のものがほとんど

半裸のウホウホ未開民族に人質を差し出す惨めなチョンを連呼しているのと同じ劣等人種の書き込みだろうが
違うのなら、人物埴輪でまともな服装していない例を数点挙げてみて
同じ数だけ人物埴輪でまともな服装してる例を俺はだせると思うのだがw

295 :日本@名無史さん:2014/03/04(火) 23:15:36.25 .net
人物埴輪の服装は当時の服装を反映しているの?

296 :日本@名無史さん:2014/03/07(金) 17:14:06.94 .net
埴輪って何であんなに造形が下手に出来てるんだろね
縄文土器のほうがディテールが細かいレベル

297 :日本@名無史さん:2014/03/07(金) 18:24:27.71 .net
職貢図のは五王時代の倭人かどうかわからん
あれは魏志倭人伝の文章を図画化したもの。絵の横に倭人伝の文章が書いてあるだろ
服なんかコロコロ変わるからね日本は

298 :日本@名無史さん:2014/03/08(土) 22:29:17.10 .net
わからないね。

299 :日本@名無史さん:2014/03/09(日) 12:46:03.67 .net
磐余池の土手の説明会があったんかな。

300 :日本@名無史さん:2014/03/09(日) 13:30:57.00 .net
>>296
造形はそれなりだが、様々なもの作ってて面白いね
屋根付きの井戸の模型なんか面白い
屋根を外すと井戸が出てくるのよ

301 :日本@名無史さん:2014/03/09(日) 13:52:02.22 .net
>>296
最近、かなり精巧な造形の埴輪が出土したらしい

『機織形の埴輪が2点出土 下野の甲塚古墳』
http://www.asahi.com/articles/ASG3563R9G35UUHB00Y.html

302 :日本@名無史さん:2014/03/09(日) 14:57:18.64 .net
>>300
>>301
面白い
下手だとあげつらうつもりはなくて職人が作ったものではないんだろうなぁと
職人というか職業として成立していなくても上手な人はいたはずなのに
子供も含めて死んだ人の近親者が一生懸命作ったのかなぁとか

303 :日本@名無史さん:2014/03/09(日) 15:11:00.07 .net
少なくとも古墳時代後期の埴輪は専門的な集団が作っていたと考えられているぞ

304 :日本@名無史さん:2014/03/09(日) 22:18:37.15 .net
東国の人物埴輪がスキ

305 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 19:47:54.32 .net
東国の人物埴輪みたいな立派な服装になるのは6世紀。
5世紀は、どうひいき目に見ても職貢図に毛の生えたていどの半裸に近い格好だろうな。
人物埴輪でも半裸っぽい、ムンクの叫びみたいな埴輪もあるし。

306 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 20:21:59.42 .net
雷神山古墳 4c
http://inoues.net/museum/sendai392.jpg

小牛田町山前遺跡 4c
http://inoues.net/museum/sendai400.jpg

円筒埴輪ははじめか ら一貫して作られた。
一方形象埴輪は、家型埴輪、武具などをかたどった器材埴輪、動物埴輪、人物埴輪の順に出現し、
人物埴輪でも、鎧などを着た武人埴輪は5世紀末から現れる。



他所の国の歴史を妄想だけで捏造して楽しいのかねぃ…

307 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 20:41:19.74 .net
>>305
職貢図のは邪馬台国時代のものだね
倭国使の隣の文章読んだか?

308 :日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:52:48.24 .net
〜都道府県の居住意欲ランキング〜

1位は『 京都 』

「地域ブランド調査」(全国3万2124人から回答)によると、
47都道府県のうち、最も「住んでみたい」と思われている地域は京都府でした。

京都は、回答者のうち12.2%が「ぜひ住みたい」と答え、13.3%が「できればすみたい」と答えるなど、
ほぼ4人に1人といえる25.5%が居住意欲を示しています。

年代別にみると20代の居住意欲が最も高く、ほぼ4割である39.8%が居住意欲を示しています。
そこからさらに学生に絞ると、なんと半数を超える53.7%という結果となります。
つまり、学生など若い世代の居住意欲がかなり高いのです。

309 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 01:07:33.53 .net
アフリカのでっかい三角とか中南米のでっかい三角も古墳ですか

310 :日本@名無史さん:2014/03/11(火) 13:15:09.86 .net
日本人ていろいろ時代によって服装変わるよね。珍しいと思う。
スペインやポルトガルの影響だろうか

311 :日本@名無史さん:2014/03/19(水) 11:41:18.71 .net
半裸でウホウホをまじめに言ってんのかい?
凍死するがな。

312 :日本@名無史さん:2014/03/19(水) 21:34:23.08 .net
縄文人は既に布の衣類を着ていたってのは常識。

よく覚えておけ

313 :日本@名無史さん:2014/03/20(木) 21:10:53.47 .net
世界中そうだが、衣類関係はなかなか出土しないからな
証明は難しいよな。ただ、裸だと寒いのは確かで何かを着ていたのは間違いない

314 :日本@名無史さん:2014/03/21(金) 14:48:44.53 .net
まあ、エスキモーやシベリアの先住民なら衣服は必要だが、
アフリカやハワイやニューギニアの先住民は文字どおり半裸か裸同然だからな。

日本くらいの気候だと、微妙だな。

315 :日本@名無史さん:2014/03/21(金) 19:08:20.74 .net
日本て充分寒いと思う
北関東で鉱山開発してた連中とかどんな格好してたのか知りたいわ
ま、基が頑丈なのは確かだろうけども

316 :日本@名無史さん:2014/03/22(土) 12:50:07.04 .net
>>313
土器の底に付着した布の模様で実在が証明されている。

>>314
熱帯でも股間は褌様の布地で隠すのは常識。
そもそも低緯度地域における衣類の着用は保温よりも羞恥的な意味合いが強い。

>>315
近世では火消や漁民の着るような木綿の刺子で作った分厚い着物を着ていたが、
木綿以前は麻布や紙布で作った分厚い刺子を着ていた。
雪や雨の日はその上に蓑を纏った。


よく覚えておけ

317 :日本@名無史さん:2014/03/22(土) 13:06:26.85 .net
まあ麻布関係だよね

318 :日本@名無史さん:2014/03/22(土) 13:07:51.70 .net
大麻だ〜の何だの騒がれてるのも元は衣類の方だろ

319 :日本@名無史さん:2014/03/22(土) 13:09:54.97 .net
>>316
最後の一行が無ければ良レスなのにな

320 :日本@名無史さん:2014/03/22(土) 13:14:14.76 .net
さてりけ〜んにかかわってくるとこ?

321 :日本@名無史さん:2014/03/22(土) 13:28:06.21 .net
要するに古墳人もフンドシ一丁だったってことだろ。

322 :日本@名無史さん:2014/03/22(土) 13:47:50.11 .net
>>321
埴輪は衣類を纏っている様子を表しています(相撲埴輪は例外)。
つーか、古墳時代は小氷期だったので衣類必須です。

よく覚えておけ

323 :日本@名無史さん:2014/03/22(土) 20:48:42.39 .net
貫頭衣や腰巻きレベルだけどな。

324 :日本@名無史さん:2014/03/22(土) 20:59:20.92 .net
人物埴輪から復元された古墳時代の服装
http://www.haniwakan.com/img/tenji/2/2-1p3.jpg

325 :日本@名無史さん:2014/03/23(日) 13:40:51.14 .net
>>324
でも、この状態になるのは6世紀(継体朝以降)になってからでしょ。

326 :日本@名無史さん:2014/03/23(日) 13:51:26.04 .net
ハワイでも初代のカメハメハ大王(半裸に飾り物)とその後の王様(洋装)とで、
短期間に服装が激変してるから、倭国でもそんな感じだったんだろうな。

ちなみに日本が、まだチョンマゲ着物に帯刀だった時代に、ハワイの王様は洋装です。

327 :日本@名無史さん:2014/03/23(日) 14:11:40.82 .net
>>325
大して差は無いが5世紀末の蕃上山古墳から人物埴輪が出てる。

328 :日本@名無史さん:2014/03/23(日) 14:47:55.04 .net
>ちなみに日本が、まだチョンマゲ着物に帯刀だった時代に、ハワイの王様は洋装です
上か下かでしか物事を捉えられない朝鮮人ならともかく
文明国人として恥かしいねコノコ
どんな劣等感を抱くと今時こういう物の考え方ができるのやらw

329 :日本@名無史さん:2014/03/23(日) 15:08:36.67 .net
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330 :日本@名無史さん:2014/03/23(日) 16:51:59.27 .net
>>325
それは分からん
職貢図のはどー考えも冬はムリ
柔道着みたいなのは冬服かも知らん

331 :日本@名無史さん:2014/03/24(月) 00:07:21.88 .net
鉄製の甲冑が5世紀半ばには出土するようになってるから
>>324みたいな服装もそれくらいの時期にはある程度普及してたんじゃね

全裸に鎧装備だったらこの限りではないが

332 :日本@名無史さん:2014/03/25(火) 22:06:42.91 .net
当時は貫頭衣で男は褌、女は腰巻程度しか身に着けていなかった。
ギリシア兵のように全裸で甲冑着て戦っていたんだよ。

333 :日本@名無史さん:2014/03/25(火) 22:11:01.52 .net
甲冑って大陸由来なのに
大陸の人間みたいに衣服を着た上で鎧をつけなかったのは何でなの?
乳首擦れて痛くね?

334 :日本@名無史さん:2014/03/25(火) 23:11:54.88 .net
というか、あの柔道着風着物は鎧の下にきるためのもんだよ
鮮卑の服にそっくり。ま、兵馬俑にもあるけどね

335 :日本@名無史さん:2014/03/26(水) 08:41:11.42 .net
>>311
日本よりはるかに寒い地域で暮らしていたゲルマン人やクリミア半島のギリシャ人も
半裸でウホウホだったから別に不思議でないよ

336 :日本@名無史さん:2014/03/26(水) 20:38:09.66 .net
>>335
ゲルマン人はともかく、クリミア半島はあったかいぞ

337 :日本@名無史さん:2014/03/26(水) 22:39:04.99 .net
確かにケルト人は裸だね。上半身は首輪だけとか。
さすがに冬はなんか着てたのかな

338 :日本@名無史さん:2014/03/28(金) 17:20:16.97 .net
いくら未開人でも、寒い地域の民族はなんか着てるぞ。
織物が出来るまでは毛皮だけどさ。

339 :日本@名無史さん:2014/03/28(金) 20:22:29.68 .net
柳田國男は『木綿以前』で木綿の伝来は古いが庶民に普及したのは明治以降でありそれまでは麻の服が一般的だったとしている
中国人は体臭が薄いらしいが服を着込むより小まめに体を洗い清潔にしているのが一番文明人っぽいと思う

340 :日本@名無史さん:2014/03/28(金) 20:50:47.08 .net
中国は乾燥気候が多いけど日本は温暖湿潤気候が多い
そういう気候上の差もあるような気がする

341 :日本@名無史さん:2014/03/29(土) 21:29:38.11 .net
日本の場合は近世でも駕籠かき等の雲助は褌のみというスタイルだった。
役人、僧侶、大商人以外は殆ど裸といっても良いような恰好。
まして麻布さえも超希少だった古墳時代といえば大王ですら褌がデフォ。
従って有力者の儀礼用服というえば、麻布の貫頭衣を纏い、腰に環頭太刀、股間は麻布の褌、裸足。

342 :日本@名無史さん:2014/03/30(日) 01:01:09.52 .net
>>341
古墳時代なら半島に進出してるし、中国人仕立屋なんかもかっ拐ってきてたと思う
支配層はすでに中国かぶれだったのではと埴輪など見て思う
当時の【中国文化】とは実質遊牧民文化
それで鮮卑風の三角帽やズボンなど着てるのではないか
江上波夫はその服装から直に遊牧民が渡来したと短絡的に考えたようだが、デザインが流行したと考えた方が現時点ではないかな

343 :日本@名無史さん:2014/03/30(日) 01:02:48.76 .net
>>342
現時点→現実的
お恥ずかしいm(__)m

344 :日本@名無史さん:2014/03/30(日) 12:12:05.80 .net
>>341
服装ってのは、寒暖だけじゃなく、身分階層を示す重要なアイテムだからな。
アフリカのウィッチドクターとか、クソ暑くても洋服を重ね着したりしている。

345 :日本@名無史さん:2014/03/30(日) 16:13:05.11 .net
確かにそうだね。いい観点。

346 :日本@名無史さん:2014/03/30(日) 16:33:00.91 .net
>>342
中国人仕立屋を招聘したところで、倭国には麻布しか産しないが
全てを輸入品の絹織物に頼っていたのだろうか甚だ疑問が残る。
又、日本は高温多湿なので絹の筒袖&筒袴と革靴というスタイルは苦痛以外の何者でもない。
弥生時代に朝貢用として始まった絹織物が早々に廃れ、江戸時代まで復活しなかったのは
日本人が常服として着用するのは麻が一番適していたからに他ならない。

347 :日本@名無史さん:2014/03/30(日) 19:51:17.80 .net
絹織物は細々と継続していただろう

348 :日本@名無史さん:2014/03/30(日) 20:45:32.77 .net
>アフリカのウィッチドクターとか、クソ暑くても洋服を重ね着したりしている

身分階層を示すというより身分階層が齎す財力の誇示だね
アフリカーナが金属製品をジャラジャラいわせるほど纏うのも同じ
ようは一部の超富裕層を除けば衣装の重ね着は全財産を貧民への見せつけ

ビミョーに違うと思われ

349 :日本@名無史さん:2014/03/31(月) 00:27:22.88 .net
>>348
いや
例えばマゼラン諸島のネイティブは、ペンギンがいる位寒いのに、服を殆ど着ない。

寒暖や奢多品の見せびらかしでは説明がつかないだろ。

350 :日本@名無史さん:2014/03/31(月) 00:34:23.29 .net
え〜と、アフリカの話だよね?

351 :日本@名無史さん:2014/03/31(月) 02:00:48.74 .net
アフリカとマゼラン諸島は同じことを示しているんだよ。
衣服には寒さを凌ぐや見せびらかし以上に、
社会的役割があるということだ。

352 :日本@名無史さん:2014/04/07(月) 20:29:14.26 .net
日本の古墳時代の場合、権力者は衣服ではなく装身具で権力を示したので
裸同然の姿に勾玉をぶら提げ、革帯を巻いた腰には金銅製の拵えの太刀を提げていた。
イメージ的には洋装前のカメハメハ大王。

353 :日本@名無史さん:2014/04/08(火) 18:06:10.46 .net
装飾太刀を佩刀していたのか

354 :日本@名無史さん:2014/04/08(火) 19:20:36.87 .net
そうなのかな?
あの時代の半島との人の行き来からすると頑なに半裸である理由がなければそれはないんじゃないか?
庶民はともかく

355 :日本@名無史さん:2014/04/08(火) 20:11:12.02 .net
前期古墳の頃は褌一丁で、身体中に朱を塗りたくって、
貝の腕輪を山ほど腕にはめて、勾玉ジャラジャラ首にぶら下げて、
環頭太刀を帯びた、まさに蛮族の酋長って感じだったと思う。
5世紀代の中期古墳の頃でも、>>352みたいな感じだろう。
やっぱりカメハメハ大王みたいなイメージだな。

356 :日本@名無史さん:2014/04/08(火) 20:30:13.02 .net
まじで?
褌一丁の倭軍が大挙して新羅や百済を蹂躙してたのか
そりゃ恐怖だなw

357 :日本@名無史さん:2014/04/08(火) 20:35:08.92 .net
まあ、ずっと後世の倭寇も褌一丁に近い半裸状態で、腰に日本刀ぶちこんで、
朝鮮や中国を蹂躙してたからなあ。

358 :日本@名無史さん:2014/04/08(火) 20:40:29.79 .net
>>355
そう思うんならいいんじゃん?それで

359 :日本@名無史さん:2014/04/08(火) 22:15:26.11 .net
ほぼ全裸の野蛮人にいとも簡単に占領されるクソチョンわろたw

360 :日本@名無史さん:2014/04/08(火) 22:53:23.54 .net
前近代だと野蛮人のが強かったりするからな
ゲルマン人とか

361 :日本@名無史さん:2014/04/08(火) 23:01:48.89 .net
かの国では倭を孟獲みたいなイメージにしておきたい理由があるんだろ

362 :日本@名無史さん:2014/04/09(水) 00:32:39.39 .net
>>360
今でもそうだろ
白人の下劣さにアジア人は勝てない

363 :日本@名無史さん:2014/04/09(水) 00:42:04.97 .net
チョン国は半島南端が倭国領だった事実を認めてないだろ。

364 :日本@名無史さん:2014/04/09(水) 07:26:15.83 .net
>>355
日本には四季があるのでね。
半裸では寒いのだわ。
あと木製の甲冑は弥生時代から出る。
鉄製は3世紀後半。
いい加減な事を言わないように。

365 :日本@名無史さん:2014/04/09(水) 07:30:23.08 .net
×半裸では寒いのだわ。

○冬は半裸では寒いのだわ。

366 :日本@名無史さん:2014/04/09(水) 08:46:30.11 .net
服の遺物出ねーかな
不毛な議論なんか終わるのに

367 :日本@名無史さん:2014/04/09(水) 09:09:03.21 .net
縫い針なんて縄文時代の遺跡から出てるのに、
古墳時代には麻あたりを巧妙に編んでただろうよ。
日本のクソ蒸し暑い夏は半裸かもしれんが。

368 :日本@名無史さん:2014/04/09(水) 18:46:52.20 .net
当時はヒートアイランド現象とかないから、夏でもそんなに熱くないぞ。
おまいらも、子供のころクーラーとかなくても平気だったろ。

369 :日本@名無史さん:2014/04/11(金) 17:02:04.79 .net
おいらは随分昔の関西圏の田舎の子どもだったが、夏はやっぱり暑かったよ。
夏休みは暑くならないうちに宿題をしましょう、とかw
むしむしたまらん日が時々あったし、川で泳いでたよw

今と人間が違うわけじゃなし、冬は寒くて半裸じゃ死んでしまうと思うよ。
弥生時代に布はあったんだから。
ま、氷河期をくぐり抜けた先祖が、服を作ることを知らなかったってありえんし。

370 :日本@名無史さん:2014/04/11(金) 18:02:24.18 .net
冬はアイヌみたいな格好だったのかな。

371 :日本@名無史さん:2014/04/11(金) 19:29:33.48 .net
確かにアイヌの格好は手がかりになるかな
北海道で着流し一枚で平気だったのかどうか

372 :日本@名無史さん:2014/04/12(土) 07:39:45.68 .net
>>371
毛皮。
体毛

373 :日本@名無史さん:2014/04/12(土) 08:49:41.33 .net
>>372
そんなもんで厳冬の北海道で暮らせるのかとw

もののけ姫のアイヌはうまく合理化された姿だが、あんな感じか?

374 :日本@名無史さん:2014/04/13(日) 17:35:25.05 .net
世界先端の縄文土器を作り、漆塗りまで作り、遠く南国から北国まで交易していた
縄文人の先祖を持つのに、なんで半裸なんだよ。
死んでしまうじゃん。

375 :日本@名無史さん:2014/04/14(月) 21:18:08.33 .net
>>374
「高度な文明=厚着」という勘違いを改めた方が宜しい。
ギリシア人なんてフルチンで古代オリンピックを行っていたんだぞ。
世界的に厚着するようになったのは綿花&綿織物の大量生産と流通網が整備された18世紀以降。
つまり産業革命以前の世界は薄着が標準であった。
真冬に寒ければ暖を取れば良いだけの話で、そもそも真冬は冬用の土葺きの家に籠っていたんだよ。
古墳なんかは温かい季節に造っていたワケ。

376 :日本@名無史さん:2014/04/15(火) 00:26:49.90 .net
>>375

ま、>>374は論外として冬服の存在は気になるところよ、やはり
出土しないもんかね

北方系の中国人(実際は遊牧民)の服装を真似ねる以前の姿を見たいね

377 :日本@名無史さん:2014/04/16(水) 18:00:48.55 .net
古墳に登ってきたよ〜
馬見古墳の、ナガレ山古墳ていうやつ。
知らなかったけど、あの一帯はすごく多いんだな。オレなんかデカイ前方後円墳
しか知らなかったよ。
前方後円、円墳、帆立貝形、方墳、いっぱいだ。
山を散歩してるつもりが古墳の上を歩いてるんだもんな。
公園になってるし、これからは新緑がきれいだし、おすすめだよ。
昔の里山の、木がでっかくなったような感じのいいところ。
運が良ければ吉野の山が見える。山が何重にも取り囲んで、八重垣を実感できる。

378 :日本@名無史さん:2014/04/16(水) 18:17:57.78 .net
馬見古墳群ね。この季節はチューリップがキレイだね

379 :日本@名無史さん:2014/04/16(水) 18:52:06.87 .net
今みたいに上空から航空写真が撮影できる時代ならともかく、
昔の人はどうやって古墳と自然丘陵(小山)を判別してたんだろう。
樹木に覆われた古墳なんて、自然の小山と見分けられたんだろうか?

380 :日本@名無史さん:2014/04/16(水) 18:54:05.36 .net
位人身を極めた藤原道長の陵墓が、
もうどこにあるかわからない、

という和歌が残っているそうである。

381 :日本@名無史さん:2014/04/16(水) 19:32:09.48 .net
平安時代の火葬墓は古墳と比べ物にならないくらい小さい

382 :日本@名無史さん:2014/04/16(水) 19:55:56.92 .net
>>379
小さいやつは分からんかも知れんね。
江戸末期の天皇陵の絵図では樹木は書いてなくて、神社が書いてあることが多い。
奈良なんかだと、割と小さいのでも結構残ってる。天理なんかスゴイよ。
多分、誰のかは分からなくてもお墓だということだけは伝わっていて、
荒らしてはいけないって伝承があるんだと思う。

周濠のある大規模古墳なんかは、池の水を稲作に使ってるから残りやすい
と思うな。
あんなでっかい古墳を反乱もなく作れたのは、作った人たちに水利権を
与えるとか、土木技術を習得させるとか、使い終わった鉄の道具を
与えるとか、そういう何かがあったから出来たんじゃないかと思う。
そうだったら精を出して参加し、大事にお守りすると思うな。

383 :日本@名無史さん:2014/04/19(土) 21:00:53.90 .net
>>382
大阪や奈良の大古墳を造らされたのは奴婢とか賎民でしょ。
神武天皇に侵略されて以降の纏向人で、ムチで打たれながら強制労働でしょ。
そして最後は人柱となって埋められ、被葬者の従者として黄泉の国へお供する。
それが無くなったのが仏教伝来以降で、古墳も小規模化したいわゆる薄葬令って奴。
なので、大和朝廷の権威が低下した途端に盗掘の嵐。
現在、殆どの大古墳の後円部には擂鉢状の窪みがあるのはそのため。

384 :日本@名無史さん:2014/04/19(土) 21:55:39.27 .net
古代ギリシャもケルトもバビロンもアステカやインカに至るまで
否定的な現代の価値観を押し付けて悦に入りながら演説する教師って
何で今の北朝鮮や中国は批判しないのかな?かな?
中国の負の側面は絶対に口にしない教師が好んで384が書いていることを言いたがり
妄想全開で日本批判に恍惚とし、劣化コピペしかできない384は末期の匿名掲示板で寝る前にオナニー

いやぁスバラシイ(藁

385 :日本@名無史さん:2014/04/20(日) 06:35:20.51 .net
>>383
鞭打ち喰らうからと言って何万人という人間が果たして黙って従うのだろうか?
そうした現実的視点から見直されたのが【ピラミッド建設公共事業説】なんだが
つまり農閑期に一定の賃金(食い物とか)を支払いつつ雇っていたというもの

奴隷に鞭打って働かせていたというのは、白人の黒人支配から連想された観念だろう
白人の場合、科学技術や社会制度その他で完全に黒人を上回っていた
古代においてそのような決定的格差が人類にあったかどーか?君はどう思うかね?

386 :日本@名無史さん:2014/04/20(日) 17:51:48.63 .net
>>383
奴隷が作った証拠ってあるの?
奴隷を使ってって、かなり効率が悪いんだよな。
見張りがいるからね・・・見張りを働かせたほうがマシじゃないかい。

農民が農繁期に公共事業で雇われたとか、土木作業を指揮して耕地を作った偉大な
指導者のためとかのほうが一生懸命働くと思うよ。
あと、奈良や大阪の古墳の周濠は、今でも田んぼの溜池として近隣が水利権を
持っている。天皇陵でもね。仁徳陵だけなくなったらしいけどさ。

宗教的象徴プラス、耕地と溜池創出のために食料を支給して人を集めたって方が
ありそうだな。そんで、その周辺に出来た田んぼを作る権利をあげるとかさ。
喜んで人が集まって、まじめに働きそう。
江戸時代の新田開発もそんなかんじ。

387 :日本@名無史さん:2014/04/20(日) 20:23:41.35 .net
>>386
古墳時代なら宗教的要因が強いかもね
パラダイムが完全にわれわれと違うから

388 :日本@名無史さん:2014/04/21(月) 20:40:09.05 .net
>>387
激しく同意。

耕地や溜池の利水権だの食料だの労働者側の利益が絡んでくるのは
それこそもっと民主的な時代になっての公共事業の話でしょうね。

人権だって無い時代なら、墓造りする穢れた賎民は道具と同じだし、暴行されても殺されたって何も言えない。
大和朝廷の勢力が東へ拡大するに従って、賎民の数も増えて行き、超巨大古墳の造営を可能にしたのだろう。
因みに、古墳時代以降に対馬の防人をさせられたのがこの東国の賎民。

389 :日本@名無史さん:2014/04/21(月) 21:36:54.60 .net
宗教的要因ていうか仏教が途中で入ってるから古代とはかなり違ってると思うぞ

390 :日本@名無史さん:2014/04/21(月) 21:37:02.19 .net
宗教的要因ていうか仏教が途中で入ってるから古代とはかなり違ってると思うぞ

391 :日本@名無史さん:2014/04/21(月) 22:55:59.96 .net
大事なことなんですね。

392 :日本@名無史さん:2014/04/21(月) 23:37:42.46 .net
ワロタ

最近多いんだよ二重書き込み。アクセス失敗の表示が出て、もう一度書き込むと最初のレスも書き込まれてる

393 :日本@名無史さん:2014/04/22(火) 01:23:59.96 .net
律令税制の租庸調ってあるじゃん。

稲の初穂や織物、海産物を神に捧げたのが租や調のルーツって言われている。

俺的には当然、労役にあたる庸も、そのルーツは神に対する労働奉仕だったのではないかってね。

で、オオキミの墳墓を造るのも、神に対する労働奉仕に含まれていたんじゃないかってね。

仏教が入ってきて墳墓造りから寺院建立にシフトしていって、礎石一つ運ぶのも仏に対する結縁となり功徳となるって変化していったんじゃないかと。

奈良の大仏も単純に強制労働だけでどうこう出来た代物とは思えんしね。

394 :日本@名無史さん:2014/04/22(火) 02:36:44.08 .net
強制労働でなく共同作業を通して国としての一体感を高めるためでしょ。
水田拡大には周囲より低いレベルの平坦地を作らねばならないから、大量の残土が出る。
古墳作りはついで的な作業でもあった。
古墳は確かに組織的な人の営みがあったことの証拠でしょ。
左翼教師みたいなこと言ってる人は奴隷労働の証拠でも見せてほしいね。

395 :日本@名無史さん:2014/04/22(火) 03:18:20.64 .net
神に捧げるってのもあると思うけど、古墳は天皇だけじゃないからね。
天皇陵以外の100m級の古墳がみんな神様とは思えんのよ。
まあ、耕地を広げた偉大な指導者かも知れん。
古墳時代は人口が急増してるようだしな。
武田信玄とかだったら、食料さえ出せば集まってくれそうな気がする。

396 :日本@名無史さん:2014/04/24(木) 19:40:01.50 .net
始皇帝陵より大きいのが連発だよ。
これは奴隷による強制労働では無理。
むしろ日本らしい和=強調の精神。
汗をかくことを美徳とする精神がこの頃からあったのだろう。

397 :日本@名無史さん:2014/04/24(木) 19:52:58.74 .net
耕地にしてはいけない掟のところのまわりのあたり

徐々に削って耕地を広げていってあげたら

いつのまにか瓢箪型になってしまったでござるよ。

398 :日本@名無史さん:2014/04/24(木) 20:04:33.62 .net
ないないw

399 :日本@名無史さん:2014/04/24(木) 20:14:32.69 .net
http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-9f-b1/kazukimi30/folder/972201/30/41281030/img_1
耕地を広げていってあげたら いつのまにか瓢箪型になってしまったでござるよのの例だし。

400 :日本@名無史さん:2014/04/24(木) 20:24:38.48 .net
こわいことにこれのも妄想ウソ前方後円墳の疑いがある。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/96/4e5b43a2e93748dd54d36e6b478c56c3.jpg
明治三十八年(一九○五)に岩井武俊という人がはじめてこの古墳を学界に紹介したときも「円墳」としています。
明治一七年(一八八四)、「椿井村村誌」の陵墓の項には次のように書かれました。
  「古墳 本村東北方字大塚山山中二アリ。
   封土高五間(約9・1M)、周囲一町(99・17アール)許。
   墳上、松及ヒ雑木ヲ生ス。伝へ云フ、藤原百川ノ墓ナリト・・」
http://www.eonet.ne.jp/~yamashiro/yamashiro/ootukayama.html

401 :日本@名無史さん:2014/04/24(木) 20:57:51.88 .net
>>399
残念な頭してるな
和泉黄金塚は発掘調査で葺き石や埴輪列が確認されている
これがどういう意味かわかるかなw

402 :日本@名無史さん:2014/04/24(木) 21:00:30.55 .net
>>400
椿井大塚山も発掘調査で葺き石が見つかっている
事実は妄想を駆逐する

403 :日本@名無史さん:2014/04/26(土) 09:32:04.06 .net
その辺りは昔川原だった。
Googleアースで見れば一目瞭然。

404 :日本@名無史さん:2014/04/26(土) 11:17:47.32 .net
全世界に向けて己のアホさぶりを発信する前に
2万5千分の1地形図を確認した方がいいぞ

405 :日本@名無史さん:2014/04/26(土) 12:31:21.48 .net
確か円墳の回りに溝を掘って土橋を渡した形(ホタテ貝型)が進化して前方後円墳になったのじゃなかったか

406 :日本@名無史さん:2014/04/26(土) 15:02:50.72 .net
>>405
前方後円墳の形は貴人が乗る古代中国の宮車を象ったものである。
それぞれ円形の部分は座席、方形の部分は引棒、左右の造出のは車輪に見立てている。

よく覚えておけ。

407 :日本@名無史さん:2014/04/26(土) 15:17:24.45 .net
>>406
蒲生君平乙

408 :日本@名無史さん:2014/04/26(土) 16:45:42.76 .net
::::::::        ┌─────────────── ┐
::::::::        |ジャムリンが氷鷺に殺られたようだな… 
:::::   ┌───└───────────v───┬┘
:::::   |フフフ…奴はウィキペディア編集者四天王の中でも最弱 … 
┌──└────────v──┬───────┘
| ジャムリンめ、氷鷺ごときに殺られるとは   │
| ウィキペディア編集者の面汚しよ…      
└────v─────────┘
  |ミ,  /  `ヽ /!    ,.──、
  |彡/二Oニニ|ノ    /三三三!,       |!
  `,' \、、_,|/-ャ    ト `=j r=レ     /ミ !彡     
T 爪| / / ̄|/´__,ャ  |`三三‐/     |`=、|,='|    
/人 ヽ ミ='/|`:::::::/イ__ ト`ー く__,-,  、 _!_ /   
/  `ー─'" |_,.イ、 | |/、   Y  /| | | j / ミ`┴'彡\
  海獺        Ks aka 98     池脱兎   

409 :日本@名無史さん:2014/04/26(土) 16:52:51.40 .net
先日、春の陽気に誘われて山の辺の道をサイクリングして
箸墓の周辺を見てきたのだが、箸墓のあの巨大な池は元々あった周濠の一部なのか?

410 :日本@名無史さん:2014/04/26(土) 20:42:54.61 .net
>>406
オレは蓬莱山の壺型を象ったと読んだが

ま、学者たちもはっきりわかってないのよね結局

411 :日本@名無史さん:2014/04/26(土) 20:43:29.86 .net
>>409
箸墓のは違うみたいっすよ

412 :日本@名無史さん:2014/04/27(日) 00:59:13.57 .net
周濠の一部だろうね。
発掘で渡り堤が出てるし、周辺の地形に残ってる。

413 :日本@名無史さん:2014/04/27(日) 09:56:17.78 .net
元々、巨大古墳は灌漑のための溜池の用途を兼ねていました。
水利権は古墳造営に力を貸した地元の土豪が持っているのです。
なんていうか、要するに当時の公共事業なんですよ。
ニューディール政策が全国に広がって、日本中がバブル景気に沸いたのです。

414 :日本@名無史さん:2014/04/27(日) 13:03:19.64 .net
>>413
>水利権は古墳造営に力を貸した地元の土豪が持っているのです。

おいおい、それは後世の事だろ?
律令時代まで御陵は諸陵寮の管理下に置かれていたので立ち入り禁止だった。
荘園が発達してくるに従って土地も利水権も土豪である武士に移ったって話だろ。
なので古墳が造営された当時は農民には何の得にもならない単純労役でしかない。
建設地の田畑を潰され、濠に水を引くため農業用水の水量も減り、埴輪を焼成するために周囲は禿山だらけにもなっただろう。
資源を使い果たした末に待って行ったのは農地の荒廃と飢饉、農民の逃亡。追い討ちをかけるように疫病の蔓延。

415 :日本@名無史さん:2014/04/27(日) 13:37:07.99 .net
埋葬施設から50m離れたところから何が出ても考古学的にはあまり意味とかないよ

古墳学っていうのは国学からの派生物件みたいなところがあって

意図して企画してしでかされた墓域のがあったものとあらかじめ妄想しておいて

そいつが万世一系みたいのでなんとなく守られる傾向があったものと想定してからに

現実には徐々に昔日の形のが崩れちゃってなまっているものとして

そこのを脳内でなんとか妄想復元してあげてからに綺麗に整えてあげる

なあんだかね古墳学自体のが前近代的な側面を色濃く持っている

416 :日本@名無史さん:2014/04/27(日) 13:41:45.08 .net
古墳を作らせた大王家や地方豪族が権威を高めることができただけではなく、
施工を請け負った古代のゼネコンや地方の土建屋集団、
工事関係者や日雇い人夫、賄い婦や簡易宿泊所のオババ、
周囲の商店街やパチンコ店(賭博場)まで、広く経済効果があったからこそ、
全国各地に古墳が何百年もの間、造られ続けたというのに・・・
その辺り理解していない人がいたとは、少し意外でした。

417 :日本@名無史さん:2014/04/27(日) 13:52:53.36 .net
大王と言うのは誰のことなの?

418 :日本@名無史さん:2014/04/27(日) 14:10:01.10 .net
それが分かれば、歴史板の半分のスレが消える。w

419 :日本@名無史さん:2014/04/27(日) 14:15:24.93 .net
417
古墳てゼネコンの職業対策かよwww

420 :日本@名無史さん:2014/04/27(日) 14:41:05.99 .net
このようにしたいの?

 天
 ↓
父 母
↓↓↓
三 人

421 :日本@名無史さん:2014/04/27(日) 14:41:46.95 .net
>>416
その古墳築造の原資って何かね?
効率的に税収が確保できた律令時代ならともかく
半裸で暮らしていた古墳時代の民衆に公共事業のメリットなんて無かったよ。
例え何百年も作られ続けられようとも経済というものが未発達な世界では無意味。
農民に何のメリットもなくても支配者がヤレと言えば下層階級が使役されて当然な世界。
その証拠に農民の遺跡から還元された富の存在など感じられないじゃないか。
要は一定の富が一握りの支配層に集約管理されていただけの時代が古墳時代。

422 :日本@名無史さん:2014/04/27(日) 14:42:04.42 .net
アメノヒボコについて日本に渡来した石工集団がいます。
たとえば、野見宿禰と呼ばれる埴輪を作った集団、
それに、石の宝殿 生石神社(おうしこじんじゃ)、
そこに祭られている大穴牟遅命、少毘古那命、
出雲や吉備がゼネコンの親玉かもしれません。
彼らが食っていくために日本の大王にお勧めした魅惑の商品、それが巨大古墳です。

この生石神社(おうしこじんじゃ)の「おおしこ」と
さきたま古墳群稲荷山鉄剣で有名な「意冨比危(おおひこ)」大彦は同一人物では?

423 :日本@名無史さん:2014/04/27(日) 21:04:55.95 .net
>>421
農閑期は暇だろ、民衆は
何かやることを与えられるってのは重要なことだよ。今でも祭なんかを通して町の一体感を作り出してる
それに宗教観が加わった古代なら黙って従ったと思う
公共事業説ってのは一応シャレだろう。比喩的な表現
王は租税の食料を配給するし、事業に伴って新たな鉱山の開発もしただろう
埴輪を作るだけでも浮浪人を減らすことができる。人が人を呼び、そのための田畑の開発も進む。
そうして人口は増え続ける。人が増えれば兵隊も増える。
兵隊が増えれば周辺はの侵略も可能になる。いいことづくめじゃないか

424 :日本@名無史さん:2014/04/27(日) 22:01:35.05 .net
前方後円墳は仏教で言う須弥山と同じだよ。
http://tobifudo.jp/newmon/betusekai/shumi.jpg

仏教が日本に入ってなくとも、
地球が丸いと知らなかった時代は、
大地の真ん中に高山が聳えるという発想を世界中がしたようだ。
日本ではそれを高天原と言ったのだろう。

425 :日本@名無史さん:2014/04/28(月) 08:42:06.11 .net
>>414
おいおい、古墳時代の初めが、今のように田んぼだらけだったとでも
思ってんのか?
田んぼを潰されたんじゃなく、古墳に盛り上げる土を取ったために、
余計な山が削られて荒野が田んぼに出来るんだよ。

周濠に水を引いて田んぼの水が足りなくなるってことはないんだよ。
入れるだけだったら溢れるだろうが。
周濠に水を入れ、出すために周りの水路を作らないといけない。
天皇陵の周濠でさえ田んぼの用水になってるってのに。

何もない野原に、人を集め、古墳を作り、水路を作り、田んぼを作り、
古墳が出来たらそこで耕作させた。
古墳時代は大開発時代で、人口は増えてるんだよ。
禿山はあったかも知れんが、そもそも人口が少ないから、荒れ野の木を切るだけで
切ったあとも耕地にしたんじゃないかな。

426 :日本@名無史さん:2014/04/28(月) 18:17:06.23 .net
>荒野が田んぼに出来る

久しぶりにすげーバカを見た希ガス

427 :日本@名無史さん:2014/04/28(月) 21:13:33.39 .net
>>424
この説は昔ちょっと見かけたことがある
確認できてうれしい。ありがとう

428 :日本@名無史さん:2014/04/29(火) 14:22:22.67 .net
>>425
貴方、タイムスケールが無茶苦茶なようだが
古墳のすぐ周囲に田畑があり、その水濠が用水地として利用されているのは現代の風景だ。
築造当時の古墳周囲は広大な兆域であり、官の賎民である陵戸がこれを維持管理していた。
従って兆域内を耕作するとか水濠を田畑の用水として利用するなど出来ない。
又、兆域内の鳥獣や魚は勿論のこと、一木一草も採ってはならない(これは現在の陵墓参考地内でも同じだ)。
この状況が崩壊するのは朝廷主体の律令制から貴族や寺社主体の荘園制へと領民所有の概念が変化して以降のこと。

429 :日本@名無史さん:2014/04/29(火) 14:40:14.68 .net
>>425
>古墳時代は大開発時代で、人口は増えてるんだよ。
>禿山はあったかも知れんが、そもそも人口が少ないから

人口増えてるのに「そもそも人口が少ない」?
言ってることが矛盾してないか?

430 :日本@名無史さん:2014/04/29(火) 14:51:56.38 .net
してないな。

431 :日本@名無史さん:2014/04/29(火) 15:38:07.20 .net
人口は増えてる=人口が少ない



全然、矛盾してないな。

432 :日本@名無史さん:2014/04/29(火) 15:42:45.23 .net
>何もない野原に、人を集め、古墳を作り、水路を作り、田んぼを作り、
>古墳が出来たらそこで耕作させた。

スゲー簡単そうw
土木も農業も知らない人の発想ってどんだけスゲーんだw

433 :日本@名無史さん:2014/04/29(火) 21:17:04.94 .net
>>429
横レスだが、古墳時代はせいぜい多くて人口500万
現代よりはるかに少ないってことだろうよ

434 :日本@名無史さん:2014/04/29(火) 21:27:38.68 .net
縄文時代の人口が20〜30万人だったらしいからそう考えると爆発的に増えたよね

435 :日本@名無史さん:2014/04/29(火) 21:35:46.27 .net
以前、推定人口をグラフにしたことがあったが、
弥生時代と古墳時代でかけ離れてるんだよね。

実際には稲作が増えた弥生中期くらいが、
一気に増える時代だと思う。

従って弥生後期には古墳時代と同じくらいは、
人口があったんじゃないかな。

436 :日本@名無史さん:2014/04/29(火) 23:49:10.53 .net
古墳時代って行商みたいな各国間の民間の交易みたいなのはあったのかな

縄文時代は黒曜石の交易ルートがあったそうだけど

437 :日本@名無史さん:2014/04/30(水) 10:30:35.30 .net
宮城県の雷神山古墳はなぜ未発掘なんですか?
祟りでもあるんですか?

東北地方では珍しい大きさだし、歴史的な大発見があるかもしれませんよ。

地震で頂上が陥没したらしいので、もしかしたら石室が崩壊したのでしょう。
早く発掘して保存しないと、いろいろと手遅れになるかもしれません。
 

438 :日本@名無史さん:2014/04/30(水) 10:32:48.52 .net
あれ?田んぼって土木技術が要るよな。
一人や二人の人間では難しい。

みんな都会もんなのかい?
簡単じゃないから人手を集める事ができる権力者じゃないと難しいんだよ。
まずは、水が引けるかだしな。
毎年の水路の手入れも大変だし。

439 :日本@名無史さん:2014/04/30(水) 10:59:14.25 .net
そりゃそうだ
灌漑だの水引きだのな

440 :日本@名無史さん:2014/04/30(水) 13:53:49.94 .net
>>437
未発掘でもすでに盗掘されてる可能性もあるけどね

441 :日本@名無史さん:2014/04/30(水) 19:24:18.35 .net
>>438
だよな。

426の頭悪い人みたいに民衆を集めたら、すぐ「荒地が田んぼに出来る」とか言ってる無知は都会もん。
荒地に水路引くとか相当な土木工事で工期も長期間必要だし。
全くの原野に一から人工物造るなんてのは現代でもかまり難易度高い作業だもの。
大和にしろ和泉にしろ元々弥生時代から人口が多かった地域に巨大墳墓は造営された

442 :日本@名無史さん:2014/04/30(水) 19:31:57.76 .net
そうじゃなくて、ただの荒地に水を引いても溜まらないで全部土壌に浸み込んでしまう
過っては田圃であっても数年間補修せずに耕作放棄するともう取り戻せない

443 :日本@名無史さん:2014/04/30(水) 19:53:52.00 .net
みんな弥生時代を甘く見てないか?単なる農耕時代じゃないぜ
すでに食料生産を担う第一次産業から第二次産業(製鉄製銅)という非農耕階級が出来上がってる
そうした原始王国が覇を競っている戦国時代なんだ

444 :日本@名無史さん:2014/05/01(木) 00:03:35.95 .net
>>436

行商どころか、常設市場による交易が普通に行われてるんじゃないんですか?
それって、治水と並んで、王権成立の主要素でしょう。

445 :日本@名無史さん:2014/05/01(木) 02:00:09.20 .net
>>444
お金がまだない古墳時代に常設市場なんてあったのかなぁ?
この頃はまだ物々交換でしょ

446 :日本@名無史さん:2014/05/01(木) 11:53:23.68 .net
古墳時代以前の弥生時代の国ってどのくらいの広さだったのかな?
今の市町村単位程度の範囲?
古墳時代になると今の県レベルの範囲だよね?吉備とか毛野とかそうだし

447 :日本@名無史さん:2014/05/01(木) 16:59:21.26 .net
>>442
ただ水を引くだけじゃないよ。
田んぼって「田を掘る」っていうんだよ。
田んぼは、水を引けるかどうか調査して、水路を作り、田んぼの底が平らに
なるように整地して、粘土のような水を貯めておけるやつを底に敷かないと
水が漏るんだよ。さらに纏向や大阪の堺のような所だと、土手をしっかり
作らないといけない。大雨が降ったら土手が崩れるからね。

だから、古墳と同じような技術が必要な土木工事なんだよ。
仁徳さんは用水路を作ったり堤防を作ったりしたらしい。
今も残ってるよ。

448 :日本@名無史さん:2014/05/01(木) 18:53:42.49 .net
>>446
あんまりマルクス風の解釈は好かないんだが、吉野ヶ里程度の国が統廃合されて巨大化していくんだろね
村→町→市→県のような広がりだろうが、飛び地の支配地もある

449 :日本@名無史さん:2014/05/01(木) 18:57:55.06 .net
>>447
仁徳紀は余計な物語を取り払ってしまうと、土木工事と国土開発の伝承しか残らない、
という説を読んだことがある。
いわゆる河内王朝の祖にふさわしい事績だね

450 :日本@名無史さん:2014/05/02(金) 21:34:31.47 .net
>>446
100国の時代が今の郡くらいで、邪馬台国の時代が古代の令制国より少し小さいくらいじゃないかな。
100国の時は、吉野ケ里とか池上曽根遺跡とかのような大きな拠点集落を中心にした一帯。

451 :日本@名無史さん:2014/05/02(金) 23:17:21.49 .net
>>450
3世紀なら結構統廃合進んでるのかもね
四隅突出方方墳なんかも広範囲の広がりみせてるし

452 :日本@名無史さん:2014/05/03(土) 14:51:44.73 .net
どうなんだろ?
古墳時代初めでも、集落間に畿内土器の受け入れに差があるみたいだし。
郡レベルの首長がいて、それらが連合して、
大和・吉備・出雲・東海・筑紫・丹波とか
呼ばれてたんじゃないかな。

453 :日本@名無史さん:2014/05/03(土) 18:53:52.10 .net
日本書紀で〇〇公(キミ)と呼ばれてる連中がおそらく地方の独立君主だよね
それらが直接、間接的に倭国王(天皇家)に忠誠を誓ってる連合体
ざっくり言うと江戸幕府みたいな幹事かもよ

454 :日本@名無史さん:2014/05/03(土) 20:27:11.73 .net
>>453
国造が独立君主なんじゃないの?
俺はそう思ってたけど

455 :日本@名無史さん:2014/05/03(土) 20:59:46.55 .net
磐井は筑紫君だが、日本書紀では筑紫国造と書かれてるな。

456 :日本@名無史さん:2014/05/03(土) 21:41:47.40 .net
でも、君=国造じゃないよね
君の称号を与えられたのは毛野、吉備、筑紫、出雲など限られた首長だけだったはず

457 :日本@名無史さん:2014/05/03(土) 21:49:02.17 .net
ごめん、間違ってた
君の姓を与えられたのは毛野、筑紫、豊、肥だった
ちなみに吉備と出雲の姓は臣

458 :日本@名無史さん:2014/05/04(日) 02:53:49.48 .net
国造のカバネでいちばん多いのは直(あたえ)、これが並みの国造
臣(おみ)や君(きみ)は特殊な国造で並みのより格上なんじゃね
江戸時代の大名もいろいろ格式うるさかったのと似たような話で。

5世紀6世紀の頃だと国造の権力なんてたかがしれてる、なぜなら一円支配がないから
皇族や中央貴族の部民が設定されてて国造が自由にできる領地は多くない
中世の荘園全盛期の国司みたいなもんだ
3世紀でも魏志倭人伝の説明みてると中央の邪馬台国の中央集権が強くて
他の諸国は自立してるようにはぜんぜん読めない。封建制に近い。
地方王朝みたいのは現代人の妄想だろう

459 :日本@名無史さん:2014/05/04(日) 09:28:35.07 .net
磐井とか見ても、地方はまだかなり自主性、政治的独立性を持ってたと思うがな。

460 :日本@名無史さん:2014/05/04(日) 11:07:01.58 .net
隋書の倭国伝でも統一国家ではないんだよね
国造ってのは日本書紀の一方的な書き方なんだろ。中央から任命された役人だという認識
しかし、実際はそうではない、と

461 :日本@名無史さん:2014/05/04(日) 11:09:33.50 .net
>>457
それらの地域をみるに【辺境伯】だよねキミってのは
ただ、中央からの派遣された譜代なのか、現地豪族の外様を取り込んだのかは不明

462 :日本@名無史さん:2014/05/04(日) 12:59:54.02 .net
畿内近辺の直姓国造は中央から派遣された可能性はあるが、
吉備や出雲の臣、筑紫や毛野の君は、現地の有力豪族を、
中央から国造に任命した態をとっていただけだろう。実際は。

磐井の墓とされる岩戸山古墳は福岡から大分、熊本に広がる石人石馬文化の頂点。
磐井の乱の実際は、中央ヤマトvs北部九州首長連合の覇権をかけた争い。

463 :日本@名無史さん:2014/05/04(日) 14:00:03.84 .net
磐井はチョンと大和の代理戦争だろ

464 :日本@名無史さん:2014/05/04(日) 14:33:12.30 .net
>>462
だろうね
吉備は大王級の前方後円墳があるし、瀬戸内海の中国交易ルートを考えると大和のライバルだ

>>463
むしろ近場の政治勢力と組もうとするのが常識かもしれんね、外交的には
ただ、組む相手を間違えたな
チョンは昔から裏切りや破壊工作を仕掛けてくる存在なのよ

465 :日本@名無史さん:2014/05/06(火) 12:55:23.29 .net
天武の時代が家光の時代とするなら、崇神の頃は秀吉初期で、邪馬台国の頃は
長篠の戦いが終わった頃。

466 :日本@名無史さん:2014/05/06(火) 17:52:40.34 .net
別の村の豪族と他の村の民衆は戦ったりしないのか?
意味付きで教えて欲しいです

467 :日本@名無史さん:2014/05/06(火) 20:03:27.48 .net
>>466
も少し具体的に頼むわ

468 :日本@名無史さん:2014/05/06(火) 20:22:32.64 .net
地方の自主性ってのが、やっぱあって欲しいよな
森浩一も考古学は、地域振興に使えるって言ってたし

469 :日本@名無史さん:2014/05/06(火) 21:59:10.70 .net
>>468
吉野ヶ里なんかモロだね
ただ、朝鮮人観光客を見込んで『古代朝鮮人の築いたムラ』だの言ってたのは許せない
カネ目当てにあんなことやってるから外堀を埋められる

470 :日本@名無史さん:2014/05/08(木) 18:07:38.20 .net
え?そんないい加減なことを書いてるのか。

471 :日本@名無史さん:2014/05/11(日) 17:41:54.66 .net
>>459
磐井の乱は近江毛野の渡韓を阻もうとした新羅が背後いついた上での叛乱なんだから
外患誘致であって、自主性・独立性を照明するのに十分ではないだろ

>>460
学界では一般的に推古朝の歴史は日本書紀を根拠に議論されているところからみて
学界における隋書の史料的価値は高くみられてない。
>国造ってのは日本書紀の一方的な書き方
古事記、姓氏録、風土記、その他あらゆる文献で国造が何か他のものになってる例あるか?
>中央から任命された役人だという認識しかし、実際はそうではない、と
それはおまえの妄想。世襲の地方統治官というのが通説。

>>461
中央からの譜代だよ、伝承記録による限りはね。
現地豪族の外様を取り込んだっていうことにしなくても矛盾は何もないのに
何か何でもそういうことにしたい連中がいるんだよ

>>462
>吉備や出雲の臣、筑紫や毛野の君は、現地の有力豪族を中央から国造に任命した態をとっていただけ

何を根拠にいってんだ?どこにそんな記録なり伝承なりがあるんだ?
文献に根拠ないなら具体的に論証してみせろよ。ただ言うだけなら妄想だね

>>464
おまえの説ではまるで大和朝廷が瀬戸内海通れなかったみたいだなw

472 :日本@名無史さん:2014/05/11(日) 17:43:08.73 .net
>>468,>>469
あほか、現代人の都合で決められてたまるかっつの
ちなみに朝鮮人云々ってのは森浩一なんかいかにも言いそうだけどなw

473 :日本@名無史さん:2014/05/11(日) 20:23:56.30 .net
>>471
稲荷山鉄剣の漢文読んでみると、地方豪族の子息が杖刀人とやらになって中央に出向してたと読めるね
これは中央に擦り依った外様と考えていいんじゃないかな

474 :日本@名無史さん:2014/05/11(日) 20:28:06.52 .net
>>471
隋書と日本書紀の矛盾は深く探求する価値があると思うね
日本の王名をリアルにでっち上げてまで隋書が嘘をつく理由はない
ハイセイセイは日本列島まで出向いていて一年以上滞在までしてる。貴重な史料だよ
魏志倭人伝よりは役に立つだろう

475 :日本@名無史さん:2014/05/12(月) 19:54:21.72 .net
古墳時代は中央集権国家じゃないだろ。

476 :日本@名無史さん:2014/05/12(月) 21:07:02.70 .net
市町村や県単位の独立国が時々の都合で連合したり敵対してる段階だと思うね
中国の春秋戦国みたいなもん
統一国家ができるまではどこもそうだろ

477 :日本@名無史さん:2014/05/14(水) 09:56:54.02 .net
>>473
まあ、初代がオオヒコだから外様っていうのもどうかなあ。

478 :日本@名無史さん:2014/05/14(水) 10:16:33.96 .net
コウレイ天皇の子孫のオオヒコとは別物じゃない?

479 :日本@名無史さん:2014/05/18(日) 13:53:16.83 .net
もし孝霊天皇子孫のオオヒコ命と別人なら、そのことを鉄剣に記す(あの雄略天皇が皇族と臣民が同じ名を名乗ることは許さないはず)から四道将軍の大彦命でいいと思うよ

480 :日本@名無史さん:2014/05/18(日) 14:00:36.16 .net
古墳時代は封建国家だろうね
国造や県主はそれなりに自主性を持っていたし

481 :日本@名無史さん:2014/05/18(日) 19:48:52.21 .net
上野のキトラ古墳展、なんかイマイチだった

482 :日本@名無史さん:2014/05/18(日) 20:49:09.89 .net
>>479
鉄剣と日本書紀なら鉄剣の方がずっと古いんだが
しかも鉄剣は埋まってたわけだし、書物と違って改竄できない

483 :日本@名無史さん:2014/05/18(日) 21:25:02.41 .net
だからオオヒコなる人物は孝霊天皇子孫なんだろ

484 :日本@名無史さん:2014/05/18(日) 22:28:39.92 .net
大彦命って孝霊じゃなくて孝元の子じゃん
オオヒコは少なくとも地方の人じゃないよ
オオヒコとその息子のタケヌナカワワケは子孫が北陸・東海に点在してる
それに子孫に丈部が見えるからたぶん記紀の人物とも同一

485 :日本@名無史さん:2014/05/18(日) 22:32:59.63 .net
たまがらみの孝霊のが大和とかのおみそに蛆とか涌いてるのか

486 :日本@名無史さん:2014/05/18(日) 23:23:32.14 .net
日本語で桶

487 :日本@名無史さん:2014/05/18(日) 23:34:00.96 .net
>>486
そいつのわざっとだから、日本語おかしいところはスルーね。
ついでに東遷厨だから、そこらへんもスルー。

488 :日本@名無史さん:2014/05/18(日) 23:38:08.37 .net
稲荷山鉄剣のオオヒコってのはあくまで【そういう風に読める】って程度だな
それにありがちな名前だし、その後の子孫は日本書紀に全く現れない
日本書紀のオオヒコと同一人物ってのは、ちょっと信じられんなぁ

489 :日本@名無史さん:2014/05/19(月) 00:25:03.41 .net
>>488

>【そういう風に読める】

”意富比?”=”オホヒコ”
【ありがちな名前】だけど、普通に読めるでしょう。

乎獲居臣の7代前が、実際に紀の大彦だったかは別にして、
それを意識した名乗りだったんじゃないのかな。
氏姓制確立前の話だから、そこらへんは言ったもん勝ち。

490 :日本@名無史さん:2014/05/19(月) 00:52:15.17 .net
>>489
年代合うのかなぁ

491 :日本@名無史さん:2014/05/19(月) 14:39:47.95 .net
記紀に雄略天皇のころ活躍した人の系譜をみると
葛城円は大彦命の弟彦太忍信命の6世孫
大臣の平群真鳥は4世孫
大連の物部目が伊賀色男命の5世孫
大伴室屋は豊日命の5世孫
ヲワケはオオヒコの6世孫だからまあありえなくはない
記紀には見えないけど中臣氏は雄略朝の真人、意冨乃古は崇神朝の神聞勝命の7世孫だしね

492 :日本@名無史さん:2014/05/19(月) 16:56:43.37 .net
なるほど
よく調べたね。エロい

493 :日本@名無史さん:2014/05/19(月) 17:01:12.24 .net
オオヒコって大彦命以外に有名な人物いるの?
どこの誰かも分からないオオヒコの子孫である事をわざわざ記録してたのか?
不自然すぎるだろ。

494 :日本@名無史さん:2014/05/19(月) 19:06:25.29 .net
オオヒコつったら四道将軍の大彦命しかしらないな
○○ヒコの形は古代の人名にはよく見る形だけども

495 :日本@名無史さん:2014/05/19(月) 21:49:04.82 .net
大彦命の古墳って、桜井茶臼山古墳くらいしか候補がないよね

496 :日本@名無史さん:2014/05/19(月) 22:32:59.77 .net
櫛山古墳も候補にならなるだろ。

497 :日本@名無史さん:2014/05/19(月) 22:59:48.32 .net
櫛山古墳って4世紀後半だよね

498 :日本@名無史さん:2014/05/19(月) 23:38:37.03 .net
崇神陵の少し上に位置する櫛山は、双方円墳で古墳の形が古いので、
崇神と同格の血統で崇神より年長の人物だろうと考えると、大彦は
よくあてはまるんだよなあ。

499 :日本@名無史さん:2014/05/20(火) 00:16:44.66 .net
なるほど
じゃあ4世紀後半という推定年代が間違いなら可能性があるのか

500 :日本@名無史さん:2014/05/20(火) 01:22:59.68 .net
大彦命が櫛山古墳なら
武淳川別命が黒塚古墳で崇神皇后の御真津媛命はアンド山古墳なのかな

501 :日本@名無史さん:2014/05/20(火) 01:30:26.81 .net
>>499
推定年代は円筒埴輪とか土器がもとになっているけど、それが置かれたのは
被葬者が死んで埋葬された後。

築造の時期は、古墳の形から櫛山、崇神陵、箸墓、黒塚の順で
埋葬の時期は、箸墓、崇神陵、櫛山、黒塚の順とすれば
つじつまは合う。

502 :日本@名無史さん:2014/05/20(火) 05:53:00.40 .net
火山噴火が4世紀だから4世紀で間違いなし

503 :日本@名無史さん:2014/05/20(火) 16:43:23.68 .net
そういや、あの群馬の埋もれた戦士の分析進んでるのかね

504 :日本@名無史さん:2014/05/20(火) 21:00:11.33 .net
桜井茶臼山かメスリ山古墳かなあ。
櫛山古墳は崇神の陪塚だし、形からして吉備に関係がありそうな気がするんだが。
まあ、陪塚という意識が当時あったかどうかはわからんね。

古い大きな古墳は、天皇陵だけでは数があまるし、四道将軍も考えると足りないというか。

505 :日本@名無史さん:2014/05/21(水) 00:54:45.25 .net
>>504
吉備には天皇陵クラスのあるからね
歴史家は播磨王朝のものだと言うだろうが、オレは地方政権があったと思ってる

506 :日本@名無史さん:2014/05/21(水) 02:28:11.11 .net
櫛山古墳のほかの候補は彦坐王か彦太忍信命かね。
吉備のは造山古墳は御友別命、作山古墳が稲速別命だと考えてる

507 :日本@名無史さん:2014/05/22(木) 14:58:57.70 .net
>>437
史跡に指定されているみたいだから、主体部の調査は難しいよぉ

508 :日本@名無史さん:2014/05/22(木) 20:46:15.75 .net
彦坐王は、椿井大塚山古墳もあるかな。

葛城も吉備も丹後も、初期よりちょっとあとというか次の世代くらいなんだよな。
だから、箸墓〜崇神のころの大規模古墳はほとんどがヤマトにある。

古事記と日本書紀では伝承が違うんだけどね。
古事記のほうが古い伝承で、日本書紀では崇神のハツクニシラススのために
以前の伝承をまとめて書いたって気もする。

記では吉備は早くから出てくるし、もっと昔の発掘成果では、縄文時代に
イネのプラントオパールが出てたり、かなり古くから栄えていたような。
この頃に出てくる地域は大抵そうなんだけどね。
丹後は貨泉が出てるし、葛城は秋津中西遺跡のようなのもあるし。

509 :日本@名無史さん:2014/05/24(土) 19:37:54.93 .net
吉備ってなかなか不思議だよね
国造の祖先はなぜか四道将軍本人ではなく弟だし
建造当時日本一だった古墳建てた割には系譜だとその後すぐ国造や県に分割されてるし
それでも雄略朝に征伐されるほど影響力があったみたいだし

510 :日本@名無史さん:2014/05/25(日) 10:31:35.31 .net
白村江の戦いの兵力は封建国家とは思えにくいんだけど、
封建国家じゃなくなったのは雄略期かな?
それとももっと後?

511 :日本@名無史さん:2014/05/25(日) 15:17:39.86 .net
雄略朝に吉備下道国造、清寧朝に吉備上道国造を、継体朝に筑紫国造を討伐したし、
安閑朝に武蔵国造の後継争いに大和朝廷が介入して上毛野氏の押す小杵は殺され中央の押す使主が就任したわけだし、
中央集権化は雄略朝(もしくはそれ以前)から中央政権が押し進めてはいたが完了したのは安閑朝とみていいんじゃないかな

512 :日本@名無史さん:2014/05/25(日) 19:27:53.73 .net
白村江の戦いは一度の敗けで全てを失うという良い例
そしてそれは現在まで糸を引いている

513 :日本@名無史さん:2014/05/25(日) 20:03:15.95 .net
日本の朝鮮経営は神功・応神期が最盛期でその後はジリ貧だったわけで
白村江は朝鮮進出を諦める契機にはなったんじゃないかな

514 :日本@名無史さん:2014/05/25(日) 20:54:27.88 .net
>>511
遠山美津男だったか、【日本書紀は雄略紀から書かれている】という説があったね
漢文の文体がそれ前後で切り替わっているとか
つまり、一番古い正確な大王の伝承は雄略か、あるいは河内王朝だったのかもね
日本統一とゆかないまでも、広範囲を初めて統合した大王だったのかも

515 :日本@名無史さん:2014/05/25(日) 20:59:59.85 .net
>>513
日本も新羅も大唐から距離を置けたおかげで中国文化から離れて独自路線を歩めたわけだ
結果論だが良かったかも知れんよ

朝鮮はその後また飲み込まれて、結局日本の独立だけが目立つ結果となり、妬まれる要因ともなっているが

516 :日本@名無史さん:2014/05/25(日) 22:53:56.85 .net
大伴金村の任那割譲って北部任那への影響力を日本がもうすでに失ってどうしようもないから
同盟国が強くなってくれるならそれでいいかって感じであげたのかね

517 :日本@名無史さん:2014/05/26(月) 00:25:19.11 .net
どうだろうか
日本書紀は基本、日本の失敗は記さないだろうし
そのあと新羅に奪われてるから、それが真相なんでは?

518 :日本@名無史さん:2014/05/26(月) 14:57:29.12 .net
任那割譲の件はそれが金村失脚の理由になるんだから、架空の事跡ではないでしょ
というか任那割譲も広義では日本の失敗じゃん
任那割譲は菅直人が韓国にやったのと同じ感じだと思うけどね

519 :日本@名無史さん:2014/05/26(月) 18:35:05.99 .net
崇神朝:四道将軍と出雲の平定
景行朝:自身の九州親征と日本武尊の東征
仲哀朝:景行天皇の制覇してない北九州へ親征
応神朝:朝鮮へ出兵

こうみると段階を踏んで拡大していってるのがわかるな

520 :日本@名無史さん:2014/05/26(月) 22:58:42.41 .net
雄略の時代まではジリ貧ってこともないんじゃないの。
日本書紀も自国を大きく書いてるだろうけど、広開土王碑にしたって、
大きく書いてるよなあ。
中国に貰った官位あたりが一番時代を表してるだろうけど。

521 :日本@名無史さん:2014/05/26(月) 23:46:30.04 .net
雄略朝は大伴談が戦死したり、将軍同士で殺しあったりともう斜陽なイメージだなあ…
新羅王慈悲麻立干の父の訥祇麻立干は新羅本記に無謀な追撃で兵を消耗させた、とあるからまだ優位に戦えてたみたいだけど
この王の代になって新羅の拡大を止めることはできなかったわけだし

522 :日本@名無史さん:2014/05/27(火) 15:44:15.29 .net
古代氏族系譜の対応
多くの氏族系譜で崇神朝に活躍した人物は神武朝の人の5世孫となっている。
それぞれの系譜の○○朝供奉を加味して世代数を考えると以下の通り。

三輪氏   安曇氏  物部氏   三上氏   忌部氏   紀国造家 久米氏  大伴氏 中臣氏  皇室  

櫛御方   穂己都久 宇摩志麻治 彦伊賀都  天富    天道根  大久米   道臣 天種子 1神武
健飯勝   摩幣区利 彦湯支   天夷沙比止 彌麻爾支  伊麻枳利 布理祢   味日 宇佐津臣2綏靖3安寧
健甕尻   意伎布根 意冨祢   川枯彦   和謌富奴  比古麻  味耳    稚日 御食津臣4懿徳
豊御食主  小栲梨  出石心大臣 坂戸毘古  佐久耳   知名曽  五十真手  大日 伊賀津臣5孝昭6孝安
健飯賀田巣 麻曽杵  大綜麻杵  国忍富   阿加佐古  久志多麻 久米大人  角日 梨津臣 7孝霊8孝元9開化
大田々根子 大栲成吹 伊香色男  大加賀美  玉久志古  大名草彦 押志岐毘古 豊日 神耳勝 10崇神
大御食持  百足足尼 十市根   鳥鳴海   多良斯富  宇遅比古 七拳脛   武日 大鹿島 11垂仁12景行
大友主   勝海足尼 胆咋    八倉田   麻豆奴美足尼等与美々 祢久良支  武以 臣狭山 13成務14仲哀
志多留   大浜   五十琴   室毘古   佐岐大人足尼豊布流  伊与足尼  佐彦 雷大臣 15応神
石床    浜子   伊呂弗   比賀多   多比古足尼 塩籠   加志古   山前 大小橋 16仁徳

523 :日本@名無史さん:2014/05/27(火) 16:08:30.53 .net
めっちゃずれた…これでどうかな

三輪氏   安曇氏  物部氏    三上氏   忌部氏    紀国造家   久米氏  大伴氏 中臣氏  皇室  

櫛御方   穂己都久 宇摩志麻治 彦伊賀都   天富        天道根   大久米     道臣 天種子  1神武
健飯勝   摩幣区利 彦湯支    天夷沙比止 彌麻爾支     伊麻枳利 布理祢     味日 宇佐津臣2綏靖3安寧
健甕尻   意伎布根 意冨祢    川枯彦     和謌富奴     比古麻   味耳       稚日 御食津臣4懿徳
豊御食主  小栲梨   出石心大臣 . 坂戸毘古   佐久耳       知名曽   五十真手   大日 伊賀津臣5孝昭6孝安
健飯賀田巣麻曽杵   大綜麻杵   . 国忍富     阿加佐古   .久志多麻 久米大人  角日 梨津臣  7孝霊8孝元9開化
大田々根子大栲成吹 伊香色男.  .大加賀美   玉久志古    大名草彦 押志岐毘古 豊日 神耳勝  10崇神
大御食持  百足足尼 十市根    鳥鳴海    多良斯富   .宇遅比古 七拳脛    武日 大鹿島  11垂仁12景行
大友主   勝海足尼 胆咋       八倉田    麻豆奴美足尼 等与美々 祢久良支   武以 臣狭山  13成務14仲哀
志多留   大浜    .五十琴    室毘古    佐岐大人足尼 豊布流   伊与足尼  佐彦 雷大臣  15応神
石床     浜子    .伊呂弗    比賀多    多比古足尼   塩籠    加志古     山前 大小橋  16仁徳

524 :日本@名無史さん:2014/05/27(火) 22:04:00.90 .net
神武天皇を1世としたときの世代数
38代(25世) 天智 626-672
77代(42世) 後白河 1127-1192
125代(72世) 今上 1933-
25世天智天皇(生年626)から42世後白河天皇(生年1127)は1世代平均29.47年
42世後白河天皇(生年1127)から72世今上天皇(生年1933)は1世代平均26.87年
25世天智天皇(生年626)から72世今上天皇(生年1933)まで1世代平均27.81年
時代が古くなるほど1世代あたりの年数は長くなる

生年が確定している天智を起点に1世代29.47年で遡ると・・・
626 25天智 626-672
596 24舒明 593-641
567 23押坂彦人大兄皇子
537 22敏達 538.?-585.?
508 21欽明 509.?-571.?
478 20継体               (20武烈)
449 19彦主人王     (19清寧)(19仁賢)
419 18乎非王       (18雄略)(18市辺押磐皇子)
390 17意富富等王   (17允恭)(17履中)
360 16若野毛二俣王 (16仁徳)
331 15応神
301 14仲哀
272 13日本武尊
242 12景行
213 11垂仁  田道間守(たぢまもり)=難升米(タヂマ)
183 10崇神  四道将軍=倭国大乱
154 09開化 08孝元 07孝霊
125 06孝安 05孝昭
095 04懿徳(すきとも)=帥升等(スシト)
066 03安寧 02綏靖
036 01神武

525 :日本@名無史さん:2014/05/27(火) 23:11:29.63 .net
>>521
天皇直属の武将と地方豪族の武将とが仲間割れするってのは、つまりそういうことなんじゃないかな
つまり、地方豪族は隙あらば天皇位、当時は倭国王位をうかがってる、と
緊張感あっていいじゃない

526 :日本@名無史さん:2014/05/27(火) 23:58:02.44 .net
雄略天皇の時代に大王位を狙えるとは思えないけどね…
その数代あとならわからないけど

527 :日本@名無史さん:2014/05/28(水) 00:18:10.01 .net
雄略が手荒な討伐ばかりしてるのはその証拠だと思うがね
ああいう暴君だからこそ歯向かう輩もいるわけで
男らしくていいよ、すごく

528 :日本@名無史さん:2014/05/29(木) 13:05:31.95 .net
>>524
それなんだけど、天智天皇から桓武天皇(嵯峨天皇)に至る間が、異常に
長いんだよね。そこが平均を長くしてるから。嵯峨天皇なんて49歳の時の
子どもだし。

25〜26才で考えたほうがいいと思うな。
25歳で9世代とすると、応神天皇の生年は368年になる。
神功皇后が活躍した時代と矛盾がない。

529 :日本@名無史さん:2014/05/30(金) 07:04:43.59 .net
実年代を考察には、
古事記崩年(干支)がもっとも妥当な資料だろう。
書記の紀年法はすでに明治の学者が「辛酉革命」説を出している。
その後も諸説でたが、それを超えるものはなかった。
実年代と書記などの文献資料が一致するものを基に、
平均の数値を割り出した説等々あるが、
目安にはなっても、決定的に正しいとはいえない。

530 :日本@名無史さん:2014/05/30(金) 08:37:01.55 .net
>>522
ズレそうな時は「メモパッドでコピペ確認よろ」と付け足せば桶
よく解ったよ、サンクス!

531 :日本@名無史さん:2014/05/31(土) 06:20:20.93 .net
>>523
わかりやすくいいね。
気づいたところでは、

物部氏

大綜麻杵(の下に)
欝色雄

となる。

532 :日本@名無史さん:2014/05/31(土) 06:49:48.61 .net
526
そんな統一された勢力があったと思ってるのかよお前らわよ

533 :日本@名無史さん:2014/05/31(土) 11:46:24.38 .net
統一されていないに違いない
だって文字もないんだぜ

534 :日本@名無史さん:2014/05/31(土) 12:47:35.14 .net
文字がなくても文明は存在し、文化は存在し、社会は存在するだろ
オレらは今あるものがないという状態をなかなか想像できないが、古代人にはさほど不便はなかったんではないかな

535 :日本@名無史さん:2014/05/31(土) 14:21:31.52 .net
文字がないから統一された国家は存在してないなどという思考は、
奴隷制度を布いていた西洋文明諸国がエジプトでピラミッドを見たとき
「このような大きなものを作れたのはエジプト人も奴隷を酷使して作らせたに違いない」
という結論と同じで自らの価値観でしか物を考えられない無知蒙昧な思考だな

536 :日本@名無史さん:2014/05/31(土) 20:36:24.03 .net
>>531
欝色雄って大綜麻杵の兄弟じゃなかったっけ
欝色雄の末裔が穂積氏で、大綜麻杵の末裔が物部氏でしょ

537 :日本@名無史さん:2014/05/31(土) 21:45:09.91 .net
>>535
面白い喩えだ
白人どもは自分らが奴隷を使っていたから、そういう発想になったってことだよな

538 :日本@名無史さん:2014/05/31(土) 23:48:40.41 .net
ピラミッド造営はエジプトの公共事業。
農閑期の住民、一年中暇な肉体労働しかできない下級奴隷、
そいつらに仕事を与え、対価として食料を与えすむ場所を提供する必要があった。
万里の長城の前方後円墳も発想は同じだ。
そういう発想を世界に広めたのは、シュメールということになる。
わかるよね?

539 :日本@名無史さん:2014/06/01(日) 06:12:20.70 .net
>>536
>欝色雄って大綜麻杵の兄弟
かつ
>穂積氏の祖
大綜麻杵の兄かもしれないから、上になるかもしれない。
欝色雄の妹が欝色謎で、開化天皇の母。

そうか。この系譜はシンプルな直系のみだったか。

欝色雄(兄)から大綜麻杵(弟)に直系が移った
ということまでは不要だった。
失礼。

540 :日本@名無史さん:2014/06/01(日) 06:43:59.53 .net
ウンバッホーψ(`∇´)ψ
って土人民族多いのにか?
だから1800年代の基準で考えるなっての

541 :日本@名無史さん:2014/06/01(日) 21:51:35.63 .net
火星で見つかった古墳って
天照大御神の陵なんじゃないのか?

542 :日本@名無史さん:2014/06/02(月) 07:56:38.27 .net
>>541
火星で古墳見つかったの?

543 :日本@名無史さん:2014/06/02(月) 13:21:14.05 .net
じゃあ月には月夜見命の陵があるはずだな

544 :日本@名無史さん:2014/06/03(火) 01:06:18.07 .net
>>541
↓これでしょ?
http://livedoor.blogimg.jp/occult_matome/imgs/a/9/a9c1e63c.png

545 :日本@名無史さん:2014/06/03(火) 04:58:00.41 .net
天照大神火星神説

546 :日本@名無史さん:2014/06/03(火) 07:42:02.82 .net
>>544
あ、スゲエ( ´∀`)

547 :龍雲:2014/06/03(火) 11:43:16.51 .net
アレックス・コリアーさんの動画に 在るんだけど。
1935年だったかな?
グレイ(T)が、やって来て、米国と契約して
技術供与する代わりに、地球人の人体実験。
カースト制度の一番下で、遺伝子操作を受け過ぎ
種の保存が出来ないため、滅びようとしているので
魂を 地球人の身体に移植できないか?の実験を繰り返している。
ドイツには、既に プレアデスのギザインテリジェンスが来てて
選民思想を植え付けていた。
 ⇒ アンネの日記は ボールペンで書かれた

問題は、グレイTは、タイムマシンで遡って 歴史を改ざん。
日本も 考古学が滅茶苦茶。
どうやったのは、知らないけど、
最古の古墳は、三世紀以降になっている。
考古学上は、神武天皇は、架空になっている。
卑弥呼=天照大御神 説も出ている。

ここ延岡に、瓊々杵尊の古墳神社があるのだけど
瓊々杵尊と木花咲耶姫が出会ったのは、愛宕山が 未だ島だった頃
愛宕山の海岸で 磯漁りしていた縄文海進の時代。
つまり、6000年ぐらい前か、それ以前。
これは、大国主尊に 国譲りを要求し
出雲大社を建立した時期(遺跡の柱が見つかった当時、調査上、6000年前と推定)
と一致する。

考古学は、信用できない。

548 :龍雲:2014/06/03(火) 11:45:35.07 .net
仏とは
龍族と 人間をチャンポンにした言葉。
神とは
龍族と、爬虫類をチャンポンにした言葉。

オットセイの下半身:森ゴルフ総理曰く
日本は、天皇家を中心とした爬虫類の国
犬HKの日本人は 恐る恐る、チクリ番組を作った。
犬HK Special『第2回 出雲大社〜大国主の謎』
⇒(URLが長すぎて貼り付けられない。ググって観てくれ)

テーマ⇒大国主(龍族)は天皇家(爬虫類)を祟る!

549 :龍雲:2014/06/03(火) 12:23:09.13 .net
今の天皇家の天照は、天照皇(すめ)大神。
すめ=シュメール。シュメールを支配し 後に惨殺したアヌンナキ=ドラコニアン=ルシファーの事。
法隆寺にも その土偶がある。
 ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=ez1Nf4v3hQM
この動画と、

爬虫類の陰謀を危惧する
アンドロメダ人アレックス・コリアー氏
 ⇒https://www.youtube.com/watch?v=vtq0VnAR9vM

を見れば、年間10万人も行方不明が居る理由が解る筈。
朝鮮爬虫類宗教:統一教会の合同結婚式で 韓国へ渡った6500人の日本人女性も行方不明。
テロや戦争が起きるのも、食糧にされている。

輪廻転生とは
本来、他の惑星の宇宙人だと、スパイラルに転々とする。

地球人だけが
三次元現世 と四次元霊界を グルグル回る輪廻に閉じ込められ
【食糧・奴隷・実験体】にされている。

550 :日本@名無史さん:2014/06/03(火) 12:28:19.78 .net
キチガイが多いなぁ

551 :龍雲:2014/06/03(火) 12:57:21.89 .net
>>550
自分の無知を理解しない人や
デムパを真に受け、それを 正 としているからなw

幾つもの情報を照合し、自分が間違っていないかの検証をするモラルが欠落。

因みに。
いつから、各家庭の神棚に爬虫類天照を祀るようになったか 調べてみた。

県神社庁に問い合わせたら
明治より遥か以前
天皇家の命令で
伊勢神宮から 【御師】 と呼ばれる人たちが、ドラコニアン御札を
持って 全国を回って 祀らせたとの事です。

552 :龍雲:2014/06/03(火) 13:01:51.49 .net
いけにえ、人身御供などは、現実に 今も続いている。
天皇家を崇拝する サクラが居るんだろうな。

http://ai.2ch.net/test/read.cgi/psy/1400137772/7-8

553 :日本@名無史さん:2014/06/03(火) 13:05:54.72 .net
>>549
ネタとしては面白いと思うよ

554 :日本@名無史さん:2014/06/03(火) 13:26:05.61 .net
オカルト板にでも行って二度と帰ってくんな

555 :龍雲:2014/06/03(火) 13:27:36.49 .net
>>553
ターミネータ雅子爬虫類 の動画。
二人の医者へツイ。

> @touyouiグーミン先生!【#奥様は爬虫類】って番組が
> 他にも在りましたよ。
> 0:37で、左手の人差し指と中指が、長〜く、伸びる。
> 顔もゴムみたいに見え 気持ちが悪い。
> https://www.youtube.com/watch?v=3__VfoLrxAc
> 静止させて観ると、異常な長さですよ。
> @onodekita

556 :龍雲:2014/06/03(火) 13:32:34.89 .net
>>554
警視庁も 自衛隊も知らなかったけど。。
不安は無いか?
このロシアの落下物と粉砕したUFOの正体。

 > @bouei_saigaiD昨夜、警視庁にツイしてみましたが…
 > #ロシアを狙う落下物 と #このUFO は、何者だったか?
 > https://www.youtube.com/watch?v=OHwUa4I0ABE
 > @fukuoka_PCO @JASDF_PAO @JMSDF_PAO @JGSDF_pr @nhk_news

これは、防衛省と自衛隊に ツイした物だが
敵か味方か 皆目解って 無かった。

557 :日本@名無史さん:2014/06/03(火) 13:46:04.50 .net
>>555
オウムの残党か何かか?消えろよキチガイ

558 :龍雲:2014/06/03(火) 13:53:56.65 .net
>>553
実は、ネタでは無いんだよ。
憶病なNHKツイ担当(無論、グループのはず)が、爬虫類の動画に怖がらない。
当然、やばい映像は 避けて放映しているだけらしい。

そこで、反応チェック。
【消費税8%】のニュースを、人間と爬虫類を区別した表現にするよう提案してみたら、案の定、怯えた。
マスコミは 爬虫類が怖いので 日本人でも反日。

 > @nhk_newsE今日の4月1日は
 > レプティリアン・フールday!(。◕ฺˇε ˇ◕ฺ。)
 > 今日から、‪#‎爬虫類‬ と ‪#‎人間‬ を区別しましょう!
 > ニュースが、ぐ〜んと、解り易くなるはずだよ。
 > @mainichijpnews @asahi @SAIKYONEWS
 
 > ➀あ、このニュースも、#爬虫類 VS #人間 を入れると 子供でも意味が解る
 > @nhk_news 4月がつ1日ついたちから 消費税しょうひぜいが5%から8%になりました
 > http://nhk.jp/S0W1of
 > @mainichijpnews @asahi @SAIKYONEWS

 > @nhk_newsA爬虫類宗教・創価が、バブル化し
 > 爬虫類ユダヤが、日本から2800兆円を引き抜いた。
 > 結果、経済に大穴が空いた。
 > 爬虫類宗教・統一の安倍総理は、爬虫類を庇い
 > 人間を苦しめるために、消費税8%
 > @mainichijpnews @asahi @SAIKYONEWS
 
 > @nhk_newsB田舎の爺さん婆さんでも解るニュースに 変わるでしょ?
 > #爬虫類 と #人間 は、‪#‎違う生き物‬ です。
 > チャンポンにするから、意味不明なニュースになる。
 > 今後は、気を付けるように!
 > @mainichijpnews @asahi @SAIKYONEWS

559 :龍雲:2014/06/03(火) 14:02:43.13 .net
>>553
マスコミにも 怖がられた苦い経験があるので…
一旦はフォローして来た 夕刊フジ@yukanfuji_hodoには怖がられブロック。
気をつかってます^^;

去年7月10日。

 > Aあ、#犬HK さん。タイプミス?がありますよ。
 >  ] 電力会社は原発事故が起きないよう対策を
 >  〇 電力会社は原発 爆破テロが起きないよう対策を
 > @nhk_news http://www3.nhk.or.jp/news/easy/ 
 > @kharaguchi @touyoui @onodekita

爆破テロは、隠ぺいしていたので、酷く怯えた。
緘口令が 敷かれていたんだろう。
慌てて
 
 > @nhk_newsB
 > 昨日、東京電力@OfficialTEPCO @TEPCO_Nuclear
 > さんに連続ツイをした時、ヘラヘラ笑ってました。
 > ツイの担当者も、爆破テロと知っています。
 > 言葉は、正しく使うように!
 > @kharaguchi @touyoui @onodekita
 
と、安心させるツイ。

560 :日本@名無史さん:2014/06/03(火) 14:16:57.91 .net
>>557
小沢一郎の議員秘書も経験したと云ってた気がするんだが…
妨害が有って、ツイを削除されたので 記憶が定かではないが
その人の話では、オウムの残党は 北方領土に潜伏しているそうだ。
オウムの闇を知り過ぎて、政界を追放されたと。

オウムは、ロシア製ヘリを使って、爬虫類の館ー皇居をサリンで狙うはずだった。
成功したら、石原慎太郎が総理になるはずだったが
それの計画が ばれそうになり、国会を辞めたと云われる。
ロシア製機関銃1000丁も行方不明のまま。

ロシアは、爬虫類のイラク空爆も反対してた。
反天皇派。

561 :龍雲:2014/06/03(火) 14:18:53.54 .net
>>557
>>560に追記。
その元議員秘書からのレス。

 > もう10年以上前の話ですが、私は JICA(国際協力機構)で海外に行く前に、皇太子ご夫妻には謁見しています。
 > やはり普通の人とは違う、ただならぬ雰囲気は感じました。
 > 私は外務省関係の某政治家の秘書時代、当時の小沢(自民党幹事長)さんが
 > PKO法案を強力に通したいということで小和田さんのところによく通っていたことなど、
 > 厚かましくも私の政治観を開陳、それに対しお二人は興味津々で聞かれ、そばにいた侍従次長がハラハラしていました。

尊王攘夷派だったので、天皇を批判すると 私を告訴するとDMで云って来た。
しかし、【奥様は爬虫類】の内容を、送ると。。。
相当、ショックだったらしく。
 
 > もう私はそのような話題には興味がないんです。
 > 静かに穏やかにヒッソリと暮らしていきたいのです。
 > さようなら。

562 :龍雲:2014/06/03(火) 14:23:42.39 .net
既に、爬虫類天皇家は、世界支配をしてます

防衛省へのツイ。

> @bouei_saigai@爬虫類天皇の支配構造
> 1.絶対的権力:ドラコニアン象徴天皇3つの皇室
> 2.対極:ロスチャイルドMI6 VS ロックフェラーCIA
> 3.三竦み:英国・米国・ロシア
> 4.強調:各国王族貴族
> 5.誘導&広報:イルミナティ・メイスン、各国宗教
> この下に一般

> @bouei_saigaiA爬虫類天皇の世界支配原理
> 1⇒象徴 =天皇の絶対的な権力
> 2⇒対極 =1を脅かさないように対立させ力を二分させる
> 3⇒三竦み=1,2と4,5のバランス取り
> 4⇒強調 =この仕組みは恒久的(安心)な物である事とする
> 5⇒誘導 =1234の流れを広報

563 :龍雲:2014/06/03(火) 14:29:48.66 .net
>>557
誹謗中傷する人って、間違いを指摘しても
絶対、謝罪しないよね。

ネットのモラルが低い。
相手を見下す癖が付いているからだろう。

内容の問題だよね。
>>561の 元議員秘書も、私を告訴する!とか脅しながら
結局は、その謝罪せず、逃げて行った。

564 :龍雲:2014/06/03(火) 15:28:56.80 .net
元議員秘書は、尊王攘夷の誘導をしていた訂正・謝罪をしない。
これでは、誤った観念を植え付けられた人は、そのままになってしまう。

大嘘を吐いた、カルマが残り、妄想を植え付けられた人達も 前世のカルマと同じで
また、騙されたままになってしまう。
カルマ(因縁)の連鎖が作られたまま。

謝罪する文化が無いと、カルマの清算が出来ない。
カルマは、来世へ持ち越される。 

565 :日本@名無史さん:2014/06/03(火) 15:34:30.59 .net
龍雲って友達一人もいなさそう

566 :日本@名無史さん:2014/06/03(火) 19:43:34.61 .net
カルマときたわ
最近宗教臭いヤツ多いな
底辺が現実逃避して宗教にハマってるって本当なのかね

567 :日本@名無史さん:2014/06/03(火) 23:39:56.63 .net
少女の割れ目でもカルマならOKなのか

568 :日本@名無史さん:2014/06/04(水) 00:15:53.58 .net
キチガイだらけ

569 :日本@名無史さん:2014/06/04(水) 02:43:19.36 .net
○○にゃん=宗教フェチ

570 :日本@名無史さん:2014/06/04(水) 22:07:02.83 .net
巻向って4世紀ならともかく3世紀までさかのぼるの?

571 :日本@名無史さん:2014/06/04(水) 23:34:38.76 .net
>>570
まだ全体の10%も発掘してないらしいから早計だろうね
今後に期待したいね

572 :日本@名無史さん:2014/06/05(木) 10:34:45.77 .net
発掘量の問題というよりも編年の問題。
発掘は他で例がないほどあちこち掘ってる。予算豊富だから。

573 :日本@名無史さん:2014/06/05(木) 12:20:10.18 .net
桜井市が予算豊富だとかw

574 :日本@名無史さん:2014/06/05(木) 12:40:28.55 .net
4世紀の地層から3世紀の遺物出る場合もあるだろ

575 :日本@名無史さん:2014/06/05(木) 12:44:41.70 .net
問題は出方だな

576 :日本@名無史さん:2014/06/05(木) 18:00:57.71 .net
ゴッドハンドか

577 :日本@名無史さん:2014/06/07(土) 10:55:45.04 .net
奈良は発掘が進まないよ。
大規模工業団地とか作らないし、新幹線の工事もないし。
み〜んな田んぼと集落の下に埋まってる。
休耕田を地主に頼んでちょこちょこ掘るのが関の山。
まあ、おかげで破壊されずにすんでるけどな。

578 :日本@名無史さん:2014/06/07(土) 19:43:59.80 .net
下手に曝されてカビが生えるよりは、埋まったまんまの方がまだましだね。

579 :日本@名無史さん:2014/06/07(土) 23:01:57.04 .net
>>572


580 :日本@名無史さん:2014/06/08(日) 19:55:11.40 .net
>>565
爬虫類系嫌いだからな。

気持ち悪くなるんだよw

581 :龍雲:2014/06/08(日) 20:03:46.55 .net
>>566
前世の記憶が無いのは、何故か?
考え事ないだろ?

考えないから、解らない。
死んだら何処に行くのか?
墓、招魂碑、葬祭場を出たら落とす黒不浄。

ちなみに。
しめ縄の【七五三】は、歴史を逆に創った意味。
この宇宙は、元神=スの神から出発した2つの龍族で始まった。
2つの龍族とは

 @天主・天之御中主神グループ
 A天神・国常立大神グループ

先に地球に来たのは、天主グループ。
太陽の創世後、地球に来たのが、天神七代。

別天津神五神に、天主の宇宙至高三神が、含まれるのは 2つの合流を意味します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%B8%96%E4%B8%83%E4%BB%A3
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b5/Creation_myths_of_Japan.svg/200px-Creation_myths_of_Japan.svg.png

しめ縄の【七五三】は
 七=天神七世
 五=別天津神
 三=造化三神
を意味し、天神七世が先になって逆になっているのは
Black Mondayを起点に 過去へ遡り 歴史を逆に作ったことを意味。

582 :日本@名無史さん:2014/06/08(日) 23:07:51.86 .net
>>581
お引き取りください

583 :日本@名無史さん:2014/06/09(月) 08:35:55.27 .net
>>577
金属探知機で調査しまくればいいのに…
外人から三時間で観光終わるなんて言われて悔しくないんだろか…素晴らしい遺跡あるのに

584 :日本@名無史さん:2014/06/09(月) 09:56:09.15 .net
>>583
ま、寂れてたからこそああして遺跡が埋まってるんだろうね
地味に発掘してくしかないだろう
『邪馬台国はここ巻向!』キャンペーンでもやれば予算つくかも

585 :日本@名無史さん:2014/06/09(月) 12:37:56.55 .net
地中レーダ探査を行ったところで、「何が」出てくるかはわからんよ〜

586 :日本@名無史さん:2014/06/09(月) 12:40:51.31 .net
そもそも「発掘調査=遺構破壊」だから、むやみやたらと掘りまくるのはどうかとは思うが。

587 :日本@名無史さん:2014/06/09(月) 22:25:35.48 .net
金属探知機で調べまわっても、
二千枚の三角縁神獣鏡が三千枚になるだけのような気もする。

銅が姻族探知機に引っかかるかどうかは知らない。

588 :日本@名無史さん:2014/06/09(月) 22:27:34.18 .net
これがあると良さそうだけど修正
姻族探知機→金属探知機

589 :日本@名無史さん:2014/06/09(月) 23:17:04.07 .net
それどんな探知機?在日発見器に転用できる?(´・ω・`)

590 :日本@名無史さん:2014/06/10(火) 01:25:16.35 .net
↑おもしろくない。

591 :日本@名無史さん:2014/06/10(火) 09:08:19.97 .net
在日探知機とかあると公安は喜ぶだろうな
是非開発して欲しい

592 :日本@名無史さん:2014/06/11(水) 15:59:54.24 .net
↑おもしろくない。

593 :日本@名無史さん:2014/06/11(水) 18:27:11.31 .net

こいつ朝鮮人

594 :日本@名無史さん:2014/06/13(金) 12:34:14.94 .net
>>523を見る限り崇神天皇の没年は3世紀半ばだと思うんだけどなんで4世紀前半説が有力なの?
>>523みたいに垂仁・景行と成務・仲哀が一世代と置いて計算するならまだわかるけどそう主張している学者は見たことないし。

595 :日本@名無史さん:2014/06/13(金) 18:13:16.31 .net
>>594
525の説が受け入れられてるわけじゃないからだよ。

七支刀や広開土王碑、神功皇后時代の伝承との整合性、雄略天皇を倭王武と見る
説からすると、318年のほうが受け入れられるってことだろうね。
一世代25〜6年で計算すると、大体そうなるよ。

596 :日本@名無史さん:2014/06/15(日) 10:14:23.08 .net
倭国大乱と高地性集落全く関係なかったのな

597 :日本@名無史さん:2014/06/15(日) 10:31:10.79 .net
>>593は朝鮮人

598 :日本@名無史さん:2014/06/15(日) 12:08:30.03 .net
仲哀天皇って結構重要な人物だと思うんだけど
非実在説やら種馬やら評価が芳しくないのが不憫

ヤマトタケルの子供ってことで近江以西の地盤はある程度この人に靡いていたと思うんだが
関東・畿内が合一したのってこの人の時代と見て問題ないんだよね?
ほかの天皇だと説得力ないんだよな

599 :日本@名無史さん:2014/06/15(日) 14:25:20.29 .net
>>596
なるほどね
一世代30年では長すぎるわけか

>>598
仲哀天皇はそのほかにも景行天皇が親征しなかった北九州に初めて入った天皇なのでかなり重要だと思うんだけどね。
ヤマトタケルの死後何十年もたって生まれたから非実在とかいう奴は歴代天皇の生没年を真面目に信じてるんだろうか

600 :日本@名無史さん:2014/06/15(日) 15:54:36.92 .net
というかまず存在を疑うことありき、だからだろう
それこそ「客観的」だと思ってる

601 :日本@名無史さん:2014/06/15(日) 16:14:16.70 .net
王朝交代説を否定する気は毛頭無いんだが
史料的な裏付けなしであれが大手を振って歩いているのには違和感ある
綏靖天皇の実在性の方が王朝交代説よりは説得力あると思うけどなー

602 :日本@名無史さん:2014/06/15(日) 17:10:50.18 .net
直木や井上光貞と交流のあったある現役教授の本を読んだとき
昔の本では神功皇后を否定していたのに、最近の大学の紀要では神功皇后実在を前提に話を進めていて
偉い先生の学説は生前には否定できない文化でもあるのかと思った

603 :日本@名無史さん:2014/06/15(日) 18:58:07.66 .net
>>600
実在を疑うなということではなくて、実在しないとする証拠がきわめて不十分だからでしょ
生年の問題は記紀の記述をそのまま信じる方がどうかしてるし
タラシが名に入る人物だって天皇に4名、后妃に2名、臣下に1名いればむしろこの時代から使われていたと考える方が自然。
ヤマトタケルの息子だから多くの皇族の中から天皇になれたと考える方が自然じゃん

604 :日本@名無史さん:2014/06/15(日) 19:24:58.24 .net
仲哀→神功→応神→仁徳の流れが胡散臭いのは分かるんだが
神功=卑弥呼の整合を図ったという説をどう評価するかによるよな
・神功は卑弥呼の記述から逆算して創作された説
・仲哀→応神をつなぐために創作された説
・実在説(功績も事実だよ派、功績は盛ってるよ派)
で整理できるのかな

彦坐王の美濃〜山城〜丹波にかけての地域と吉備津彦・稚武兄弟の吉備地域は
朝廷にしてみれば無視できない勢力ではある、その気になれば簒奪も可能

605 :日本@名無史さん:2014/06/15(日) 20:32:45.34 .net
神功皇后は仲哀天皇の妃には景行天皇の孫の大中姫がいるのにわざわざ遠縁の人物を創作したとは思えないんだよなあ
それに卑弥呼の記述から創作したというよりは当時の朝廷の知識では女王に相当する人物が神功皇后しかおらず
卑弥呼=神功皇后となるよう年代を調整したように思える

606 :日本@名無史さん:2014/06/15(日) 21:17:09.43 .net
朝鮮半島出兵記事と擦り合わせたときに引っかかるのが
「誰が好太王に敗北したのか?」という点だな
没年干支で追っていくと仁徳期ころっぽいけど
葛城襲津彦あたりになるのかなあ

負けて権力基盤が強くなるってのは普通はあり得ないと思うが
でも襲津彦もよく分からん人物だしな

607 :日本@名無史さん:2014/06/15(日) 22:43:31.50 .net
時代としては応神天皇か仁徳天皇だろうけどもどちらにせよ権力基盤が揺らいでないってことは
碑文にあるほどの大敗ではなかったか、敗北しても大丈夫なくらい権力がすでにあったかだろうね。

前線指揮官はわからないけどあえて言うなら紀角か大伴武持か、またはその息子あたりで敗北してその氏族が一時的に権勢を失ったというのはありそう

608 :日本@名無史さん:2014/06/15(日) 22:56:06.80 .net
高句麗で好太王、長寿王という長期安定政権が登場したことが大和朝廷にとっては最大の不運
それなりの名君が二人合わせて百年というのは打つ手なしだと思う

中国(南北朝)でも半島(高句麗優勢)でも状況が膠着しちゃったのが、案外大和朝廷を
外交に走らせるきっかけにでもなったのかなあ

609 :日本@名無史さん:2014/06/16(月) 06:18:39.55 .net
>>606
ソツビコは百済記か何かにも出てくるんだっけか
微妙に名前が違うらしいけど

百済記含めて捏造と言われちゃ打つ手はないが、実在は信じていいのでは

610 :日本@名無史さん:2014/06/16(月) 12:30:04.59 .net
沙至比跪は名前と時代的に襲津彦以外考えられないからな
新羅記の葛那古もおそらく襲津彦

611 :日本@名無史さん:2014/06/16(月) 22:48:47.90 .net
半島で劣勢なのに大規模古墳を造営する理由がよく分からん>>河内王朝(?)

半島で暇になったから資源を古墳に投入したのか
劣勢を覆すために、神頼み的な気持ちで(あるいは権威を誇示するために)古墳を造成したのか
仁徳天皇とか本当に仁君だったのか疑わしい

612 :日本@名無史さん:2014/06/16(月) 23:19:38.55 .net
でかい古墳を作ったり減税とかしてたから半島で負けたんでしょ

613 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 03:01:51.91 .net
>>611
別に半島政策間違えたって、国内じゃ磐石、トップのままだろ
領民をどう使おうと思うがまま

614 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 10:28:44.21 .net
経済力だけで戦争の勝敗が決まると思ってるバカ発見

615 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 11:06:49.58 .net
白村江のように大敗して半島から手を引いた訳じゃないだろ。
その後の中国の史記から見ればね。

でっかい古墳は、作れば民が疲弊したとは考えにくい。人口が増えてるんだよな。
古墳作りと大規模な耕地開拓が一体となって、民が豊かになったとしか考えられない。

九州の支配層は、入手した金属製品を実用品としてではなく、威信財として扱い、
墓に埋葬し、民を富ますことに使わなかった。

吉備〜近畿〜東海の支配層は、実用品として耕地の開拓や用水路の建設などに
使用し、人口を増やし、民衆の支持を集めた。
弥生中期〜後期〜古墳時代の遺跡の状況を見ると、そんな気がする。
邪馬台国九州説の人間は、畿内からは鉄が出ないから未開だって喚くけどさ、
遺跡は増えて人口は増えてるんだよな。

616 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 12:04:31.10 .net
>>615
かつて森浩一が試算したところ、古墳は全国に15万基存在するとか
消滅したものも含めるとそれ以上だ
これを古墳時代350年で割ると年平均500基作られていた計算だ
それを実現する人口があったわけだよね
現実に証拠が残ってんだから

617 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 12:04:44.83 .net
九州で威信財は銅器かな。
九州の鉄器では鋤鍬、包丁、ノミ、タガネと実用品もどっさり出てるな。

銅器の実用品って、どんなものがあるんだっけ?

618 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 14:26:07.24 .net
>>596
時代ずれてるからね。

619 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 18:41:52.34 .net
>>595
一世代25〜6年では短すぎる
父が20歳前後の時に生まれた息子が継ぐことは稀だから
一世代平均25〜6年になることはない

>>599 
一世代は30年でも少ないぐらい

生年           生まれた時の父の年齢=1世代
1305 01足利尊氏
1330 02足利義詮 25才
1358 03足利義満 28才
1394 04足利義教 36才
1435 05足利政知 41才
1481 06足利義澄 46才
1511 07足利義晴 30才
1537 08足利義昭 26才
足利将軍家  1世代 33.14年

生年           生まれた時の父の年齢=1世代
1543 01徳川家康
1602 02徳川頼宣 59才
1627 03徳川光貞 25才
1684 04徳川吉宗 57才
1721 05徳川宗尹 37才
1751 06徳川治済 30才
1773 07徳川家斉 22才
1801 08徳川斉順 28才
1846 09徳川家茂 45才 14代将軍
徳川将軍家  1世代 37.88年 ※15代慶喜が傍系すぎるので初代から14代将軍まで

620 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 19:06:07.63 .net
>>619
>一世代25〜6年では短すぎる

これお前の主観、決め付け、妄想な
根拠となる史料をだしなさい

621 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 20:05:14.94 .net
>>619
>>619に書いてる

足利将軍家 (初代から15代まで)
一世代平均 33.14年

徳川将軍家 (初代から14代まで) 
一世代平均 37.88年

血で血を洗う抗争がなくて一世代33.14年、37.88年
古代天皇家みたいに皇族同士で殺し合うと一世代の年数は長くなる(長男→長男→長男という相続が起こりにくいので)

622 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 20:22:40.04 .net
>>620
>>620は自分の史観に合わないものはどんなに証拠を示しても根拠がないって言って
あちこちの学説から自分の説に会う所だけを持ってきて「これが真実!受け入れない奴は無能!」っていう輩だから無視した方が良い。

623 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 20:29:01.85 .net
足利将軍家の後半なんて継承争いばかりじゃん

624 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 20:46:21.14 .net
欠史八代はともかく
史実に近い5世紀以降の古代天皇家は兄弟相続が基本だから
一世代の年数は短いだろ

625 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 21:25:13.61 .net
え? 兄弟相続だから一世代の年数は長くなるんだろ?

626 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 21:49:59.17 .net
>>625
まさか兄弟全員の在位期間足すのかよw

天皇家って弟の後に兄が即位したり
甥の後に叔父が即位したり世代が無茶苦茶なんだよね

627 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 21:53:50.01 .net
生年がそれなりに確からしい舒明天皇(593年24世代)以降、
今上天皇(1933年71世代)に至る48世代の天皇の平均は、27.9年。
天皇の権力が強い時代のほうが長い傾向があり、譲位することもままならなかった
戦国時代は短め(25.3年)。
桓武天皇、光仁天皇は極端で、この二人だけで平均を1年上げているw
この両天皇をはさむ10世代だと、33年になり10世代単位で言えば最高値。

>>624
「王の在位年数」とは違うよ。
そうじゃなくて親子関係で辿った「世代」のこと。

628 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 22:12:59.47 .net
>>626
「世代を代表する天皇」を選べば、天皇家はおおむねキレイに世代(四半世紀・25年)ごとに割り振れるよ。
>>627さんが書いてるように、計算すると25年を少し上回るから、
その誤差は系統が変わったった(傍系に移った)としてダブルカウントして例示すると次のとおり。

19世紀  66b光格天皇/67仁孝天皇/68孝明天皇/69明治天皇
18世紀  63東山院/64中御門院/65桜町院/66後桜町院
17世紀  60後陽成院/61後水尾院/62後光明院/62b霊元院
16世紀  56後柏原院/57後奈良院/58正親町院/59陽光院
15世紀  53後小松院/54称光院/54b後花園院/55後土御門院
14世紀  48後宇多院/49後醍醐院/50後村上院/51後亀山院
13世紀  44後鳥羽院/45土御門院/46後嵯峨院/47亀山院
12世紀  40堀河院/41鳥羽院/42後白河院/43高倉院
11世紀  36一条院/37後朱雀院/38後三条院/39白河院
10世紀  32宇多天皇/33醍醐天皇/34村上天皇/35円融院
  9世紀  29嵯峨天皇/30仁明天皇/31文徳天皇/31b光孝天皇
  8世紀  27文武天皇/28聖武天皇/27b淳仁天皇/28b桓武天皇
  7世紀  23彦人大兄/24舒明天皇/25天武天皇/26草壁皇子

629 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 22:18:56.97 .net
(つづき)
で、↑のを古墳時代にも応用すれば次のとおり。

 6世紀  20武烈天皇/20b継体天皇/21欽明天皇/22敏達天皇
 5世紀  16仁徳天皇/17允恭天皇/18雄略天皇/19仁賢天皇
 4世紀  12景行天皇/13成務天皇/14仲哀天皇/15応神天皇
 3世紀  (8孝元天皇)/(9開化天皇)/10崇神天皇/11垂仁天皇

630 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 22:46:48.23 .net
>>629
景行天皇は前後の天皇に比べて長寿だったような気がする
九州御幸、ヤマトタケルによる関東経略、武内宿禰の北陸巡視、タケル死後の東国巡幸
活動範囲がここまで広い天皇も珍しい

個人的に「大王」のイメージに一番近い
(当人に関する記述が少ないといういちゃもんはあるが)

631 :日本@名無史さん:2014/06/17(火) 22:57:25.11 .net
たしかに。
4世紀第U四半期(4世紀中盤)まで生きたとすれば、
渋谷向山古墳の被葬者としてふさわしい。

632 :日本@名無史さん:2014/06/18(水) 01:38:54.57 .net
>>626
馬鹿だなあ
一世代の年数=親子の年齢差
一世代の年数は長子相続だと短くなり末子相続だと長くなる
兄弟相続がないと短くなり兄弟相続があると長くなる

>>524
仲哀応神、継体欽明は高齢の時の子だから平均値をかなり押し上げてる
天智崇神の15世代は平均30年超えてるな

633 :日本@名無史さん:2014/06/18(水) 08:58:17.13 .net
>>632
兄弟相続があると長くなるわけがない
日本の天皇家は兄弟相続をやっても原則兄の子に帝位が戻るから
長子相続と変わらないよ
兄に男子がなければ弟の子に帝位がいくが
それは長子相続でも一緒だからね

634 :日本@名無史さん:2014/06/18(水) 10:19:44.41 .net
マッタリ頼むよマッタリ

635 :日本@名無史さん:2014/06/18(水) 12:25:50.66 .net
>>633
>原則兄の子に帝位が戻る
さらっと嘘吐くなよそんな原則ないだろ

一度弟に行ったら断絶するまで兄の系統には戻らない
16:仁徳天皇 応神の第4皇子
17:履中天皇 仁徳の第1皇子
18:反正天皇 仁徳の第3皇子
19:允恭天皇 仁徳の第4皇子
20:安康天皇 允恭の第2皇子
21:雄略天皇 允恭の第5皇子
22:清寧天皇 雄略の第3皇子

清寧から父親→父親→父親と遡ると
清寧天皇 雄略の第3皇子

雄略天皇 允恭の第5皇子

允恭天皇 仁徳の第4皇子

仁徳天皇 応神の第4皇子

だいたい4男が家督を継いでる
長子相続だったら25年もあり得るが
4男が何代にも渡って家督を継いでるからな

636 :日本@名無史さん:2014/06/18(水) 12:39:24.05 .net
>>635
雄略による兄の子大粛清があった特殊な時代だけ出すなよw
平穏時には兄の子に戻っている

637 :日本@名無史さん:2014/06/18(水) 12:42:25.17 .net
ふん、古墳すべてを天皇家とか天皇陵に結びつけるのは無理があるね
大王陵は多いかもしれんが

637
それって記紀を読んだ感想なんだろ

638 :日本@名無史さん:2014/06/18(水) 12:53:57.85 .net
兄弟相続があると長くなる傾向があるね。
みんな死に絶えて、末子の末子だけ生き残るとか。

古代でも仁徳の子が兄弟相続なんだけど、これは当てはまらない。
何故なら、母が同じだから60歳の時の子どもとか有りえないから。
まあ、継体系に変わってるけどね。継体は五世孫だけど、本家と世代は同じだ。

古代は妃もそれほど多くないし、正妃の長子か次子が後継ぐことが多いから、
数世代に一つ末子があったとしても、平均ではそんなに長いと思わんな。
江戸時代のほうが正妻は跡継ぎを産まず、鉛白粉のせいかしらんが、乳児死亡率が
高すぎる。天然痘が入っていない時代は、結構生き延びたのかもしれない。

639 :日本@名無史さん:2014/06/18(水) 12:55:48.93 .net
相手が例を出して説明してるんだから、反論する方も例を出して説明したらいいのに

640 :日本@名無史さん:2014/06/18(水) 13:29:33.37 .net
>>636
雄略以前も仁徳の長子である履中天皇の子は帝位についていない
仁徳の孫で帝位についたのは第4皇子の二男と五男

>>638
同母でも四男が継いでいる(父40母35ぐらいか?)一世代は40年
異母兄弟で60の時の子が継ぐこともある
押し上げられた平均値が25年になるには二十歳ぐらいの時の子が何代も続かなくてはならない
足利将軍家徳川将軍家を見てもそんな事は起こっていない>>619

>継体系に変わってるけどね。継体は五世孫だけど、本家と世代は同じだ。
伝わっている系譜は父子間だけだが応神→継体も本当は仁徳系と同じ兄弟相続で
長子ではなく末子(四男あたり)が継いでいたのかもしれない

641 :日本@名無史さん:2014/06/18(水) 13:44:27.60 .net
>>640
殺し合いをして弟系が生き残った結果だから仕方がない
あと、嫡腹優先だから卑母の皇子は兄でも即位できない

642 :日本@名無史さん:2014/06/18(水) 16:29:23.26 .net
日本書紀を編纂を命じた天武天皇が悪人?
天皇の神格化を偽造。北朝鮮に似てる。
朝廷にとっては英雄かも?
古墳と朝廷とは離すべき。
大仙古墳を仁徳天皇陵と固定概念を植え付けたのは、江戸期以降じゃないのかな?

643 :日本@名無史さん:2014/06/18(水) 16:30:29.16 .net
朝鮮半島でも前方後円墳は見つかっているよ

644 :日本@名無史さん:2014/06/18(水) 16:58:58.42 .net
宮内庁が天武・持統合葬陵の発掘は認めたとのことですが、
仁徳天皇陵はなぜ発掘できないのでしょうか?

645 :日本@名無史さん:2014/06/18(水) 17:54:48.67 .net
>>642
延喜式も知らない馬鹿は邪馬台国スレにお帰りください

646 :日本@名無史さん:2014/06/18(水) 19:43:49.89 .net
>>644
墳丘への立ち入り(墳丘の外を歩くのみ)を認めただけで発掘は認めてないよ
野口王墓が天武・持統合葬陵と確定しているのは江戸時代以前の文献による
明治以前には天皇陵を宮内庁が管理することがなかったため
野口王墓も一般庶民が石室内まで自由に立ち入っていた
そのときの石室図などが江戸時代の観光地図に豊富に残っている

647 :日本@名無史さん:2014/06/18(水) 20:06:14.27 .net
>>642
朝廷の主催者が天皇なんだから…

648 :日本@名無史さん:2014/06/18(水) 21:42:19.83 .net
>>644
天武朝以前を調べられたら、書記の捏造がバレるからだろ。

649 :日本@名無史さん:2014/06/18(水) 21:59:09.64 .net
どうして他人の墓に入れないんですか?って質問が出る時点でキモイ

650 :日本@名無史さん:2014/06/18(水) 21:59:40.14 .net
そんなに他人の墓に入りたいなら自分の先祖の墓にでも入ってろよ

651 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 02:54:38.44 .net
>>650
自分の先祖の墓にさほど考古学的価値はないからな

652 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 08:41:06.41 .net
ホケノ山のように300年もあとに、他人の墓に入るってどういう状況なんだろうな。
先祖代々同じ墓に入るとか、親兄弟、夫婦程度に近ければ、納得できなくもないが、
300年前だと同じ一族だとしても、ほとんど知らない人間だろうし。

653 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 08:43:00.38 .net
一族から厄介者扱いされて、
古墳を作る費用もケチられ、厄介払いされたかな。

654 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 08:46:36.66 .net
>>653
厄介者なら穴でも掘って埋めるだけだろ

そのころにはホケノ山古墳が古墳であるという認識も薄れて
ただの小高い丘に横穴式堀ったつもりだったんだろうな

655 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 08:49:21.90 .net
ホケノの小高い丘のてっぺんに方形墓があっただけだろ

656 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 08:55:37.22 .net
いま、ふと思った。
ホケノ山が6世紀に再利用され、そのときに形が整えられたとしたら、
3世紀の時点の墳墓は、本当に前方後円墳だったのか?

報告書でも読み返してみよう。

657 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 09:20:55.02 .net
>>656
報告頼むよ(^人^)

658 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 11:22:25.21 .net
40の時の子どもが後を継ぐってのは、緊急時だけだね。
基本、正妃の子どもが優先されているように見える。
ただ、仁徳以前は、正妃という意識があったかどうか。
皇后としたのは後代だし。

崇神以前は第二子が後を継ぐのが多い。長子は母の実家の跡取りのような。
婿入りして、長男はその家を継ぎ、次男が独立しって感じ。
婿入りというか、女系というか、双系というか。乗っ取ったとも見えるw

それを数代繰り返すと、有力豪族はほとんど天皇家の子孫になってる。
ホアカリの子孫の伝承の一族が多いから、王族どうして婚姻したとも見えるね。
アラブの王族の世界みたい。

659 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 12:28:10.42 .net
>>646
幕末に宇都宮藩が修陵した時は石室はやらなかったんだろうか。
文久山陵図に載ってないのかな。

660 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 14:47:40.30 .net
>>658
普通は25歳前後の時の子供が継いでたまに4050の時の子が継ぐから平均30年になるんだろうな
>>619の足利将軍家7代徳川将軍家8代見ても25歳未満の時の子が継いだのは徳川家斉(22才)だけ
15人いて25歳未満が一人だけなんだから平均25年になる訳がないよな

661 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 18:15:35.27 .net
ちょっと他家を見てみたら、江戸時代の武家はダメだね。
正妻が産んだ子どもが少なすぎて。

公家の近衛を見ると
後陽成天皇から近衛文麿までの12世代は、26.6年だ。
次の文隆がシベリアで亡くなってるのが惜しまれる。

つーか、ここにいる人は知ってるんだろうけど、
後陽成天皇の皇后の藤原(近衛)前子って方すごいね。
なんていうか、天皇家がこのあと現代までなんとか続いてるのはこの方のおかげ?
子孫の内親王の何人かが近衛家に嫁ぎ嫡子を産んでるし。

662 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 18:50:41.28 .net
長子相続で26.67年なら兄弟相続で四男の子孫が継いでいた古代天皇家は30年ぐらいだな

663 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 21:35:19.73 .net
>>661
正妻が美人とも健康とも器量佳しとも限らんからね
天皇や将軍も人間だから、結局そこが問題だと思うよ
あまりムチャを言ってはいけない

664 :日本@名無史さん:2014/06/20(金) 23:24:18.78 .net
>>661
武家は役割分担がきっちりしてるみたい?
「氏より育ち」だの「お腹(袋)さま」だの
母方に力を持たせない為とかイロイロあるんじゃない?
時代劇じゃあ大奥の御台所は妊娠できない薬盛られてるって設定だしww

665 :日本@名無史さん:2014/06/21(土) 08:56:39.69 .net
よく近畿以外の神社の謂れにここは神武東征や神功皇后の三韓征伐の際、
宮殿が築かれた場所とあるけど

こういう軍事拠点の前線基地(戦国時代の城)みたいなのって実際
古墳時代、大和朝廷が各地の豪族を制圧する際に築かれたのだろうか

城みたいに楼閣や曲里みたいなのはあったのか気になる

666 :日本@名無史さん:2014/06/21(土) 16:11:26.07 .net
神社の構成が、日本中である程度統一されているのは、大和朝廷の宮殿(屋敷レベルだが)に由来するからじゃないの?
軍事拠点としては、結構な人数を整列させれるというレベルで十分だったんじゃないかな

667 :日本@名無史さん:2014/06/21(土) 21:40:48.03 .net
なるほど、確かに
古墳時代から環濠集落はあまり見られなくなるそうだけど
戦いは野戦中心で、館に籠城するとかはなかったのかな

一応当時の宮殿は主殿の周りに塀はあったそうだから
敵が攻めてきたときに足止めするくらいはできそうだけど

668 :日本@名無史さん:2014/06/22(日) 13:06:35.80 .net
半島の血を受け継ぎ、また宗室の流れも汲む神功皇后だが
この肝っ玉母ちゃんが半島に介入したせいで、その後延々と半島情勢に振り回されるはめに
なったかと思うと複雑な気分だ

高句麗が復活する4世紀末までは半島出兵も楽だったような気もする
神功皇后の主敵が新羅だったとしても違和感はない
親戚(新羅)だしちょっとくらい略奪してもいいよね、くらいの勢い

669 :日本@名無史さん:2014/06/22(日) 18:23:45.72 .net
神武天皇が南九州出身と書かれていても、誰も信じていないのに、
天日矛が新羅出身というのは無邪気に信じるのなw

基本、史料批判ってムラがある気がする。

670 :日本@名無史さん:2014/06/22(日) 18:39:28.99 .net
>>669
筑紫日向説と南九州の日向説の二つがあるんじゃないの?
個人的には筑紫日向説だと思うけど

高千穂はよく分からん
神話体系的にもあれだけ浮いてる

671 :日本@名無史さん:2014/06/22(日) 19:10:44.60 .net
日本書紀の年号を批判する学者が三国史記の年号を鵜呑みにしたりとかよくあるよなあ
天日矛は編纂当時日本に亡命していた百済官僚に配慮して百済出身にしてもいいのにわざわざ新羅出身としたのは確たる伝承があったんだと思うけどね

672 :日本@名無史さん:2014/06/22(日) 20:16:39.69 .net
>>670
風土記にあるように、奈良時代の史書編纂時にすでに、臼杵説(宮崎)と曽於説(鹿児島)があった。

北部九州説は、古事記に見える
「此地者、向韓国、真来通笠沙之御前而、朝日之直刺国、夕日之日照国也。故、此地、甚吉地」
の韓国のみが根拠だから弱い。
(日本書紀には空国とでてくる。)

北部九州の先進性と天皇家は別に結びつける必要はないと思う。

673 :日本@名無史さん:2014/06/23(月) 02:07:35.15 .net
>>669
同意だね
神功の物語は【祖先が新羅出】なので新羅を支配する運命と権利を背負っていた

天孫隼人説は8世紀に隼人の反乱に手を焼いた朝廷がその支配の根拠として、
【隼人は大昔に天孫族に従う契約をした】ことにしただけ
書物というのは最初の部分ほど手直ししやすい
神武の後、時間が開いてから河内王朝(応神〜武烈)で隼人が現れるのは面白い

674 :日本@名無史さん:2014/06/23(月) 02:11:55.48 .net
>>670
高千穂は宮崎にその名の山がある。ショボい山だ
霧島の高千穂峰は修験者が後世考えただけだろう
修験者は一応知識人で、古典の教養もあったしね

675 :日本@名無史さん:2014/06/23(月) 14:38:46.36 .net
>>673
神功皇后が父方ではなく母方で新羅の血を引くことにした理由は?
天皇家と隼人の同祖伝承は隼人支配の理由づけというが蝦夷を支配する根拠は古事記・日本書紀のどこにもない。
蝦夷にも同祖伝承を設けて支配の根拠を求めるべきなのに隼人だけ同祖にして蝦夷を同祖にしない理由は?

お前の言ってることは証拠が一切ない陰謀論。朝鮮侵略を正当化するために日本軍が広開土王碑を改竄したってのと同レベル。

676 :日本@名無史さん:2014/06/23(月) 15:14:07.39 .net
>>675
父系だと天皇家(当時は大王か)を脅かさないとも限らなくなる
母系なら問題ないと思ってた証拠だ

日本書紀完成前後、隼人は鎮圧できたが、蝦夷はまだまだ完了していない
神話に取り込むのはさすがにムチャだったんだろうな

ちなみにオレはクソ牛風にいえば極右だよ
天皇家は敬愛するが、日本書紀の内容には疑いを持っている。そもそも史料は疑う所から始まる
この二つの態度は矛盾しないよ

677 :日本@名無史さん:2014/06/23(月) 15:17:40.62 .net
>>675
ついでに言うと神功の名はオキナガタラシヒメ
神功と同じく新羅征伐に向かったのは斉明天皇だが、亡夫の舒明天皇の名はオキナガタラシヒロヌカ
天武は果たせなかった母親の無念を歴史の中で実現させてやった、と考えるのが合理的じゃないかね

678 :日本@名無史さん:2014/06/23(月) 16:40:31.21 .net
>>676
神功皇后の母方は田道間守の親族であるゆえに皇族と通婚したと考えたほうが自然。
田道間守は渡来系であるから結果的に渡来人の祖神、天日矛の血を引くとされるようになった。

蝦夷が平定できていなかったというが、隼人だって8世紀になっても反乱を起こしている。
日本列島の両端はまだ朝廷に服属しきっているとは言えない状況で南端の隼人にだけ同祖伝承を作る意味はない。
九州出身の天皇家は隼人と同祖だという伝承が先にあり、それを宣撫に利用したんだろう。

>>677
舒明天皇の投影であるというならオキナガタラシヒコ天皇を、斉明天皇の投影ならイカシヒタラシヒメ天皇を創作して新羅を服属させたことにすればいいのに、
わざわざオキナガタラシヒメ皇后にする理由がない。これでは舒明天皇を女性扱いしているようでこんなことを息子の天武天皇がするはずがない。

679 :日本@名無史さん:2014/06/23(月) 22:29:09.69 .net
>>674
修験者の時代より前に、薩摩国風土記にあるよ

680 :日本@名無史さん:2014/06/23(月) 22:43:14.85 .net
>>678
イカシタラシヒメ(笑)じゃまんま過ぎだろ

隼人に関しては国郡を置いて一段落しているから蝦夷とは状況が異なる
西都原の存在を考えると隼人天孫族同祖説を捏造しやすい状況にあったと思うね、蝦夷に比べて

>>679
さて、薩摩国風土記がいつ頃できたのかな?
日本書紀の前か後か

681 :日本@名無史さん:2014/06/23(月) 23:11:27.46 .net
韓国併合してから、日鮮同祖論が流行ったみたいなものやな
騎馬民族征服王朝説の江波も、満洲支配の理論づけが欲しかった関東軍がスポンサーだったし

682 :日本@名無史さん:2014/06/23(月) 23:14:16.57 .net
江波ってなんだよ…
江上だったw

683 :日本@名無史さん:2014/06/23(月) 23:50:21.08 .net
>>666
明治時代に無理やり規格化。それまでは玉石混交。村の神社の多くもその時に初めて出来た。

684 :日本@名無史さん:2014/06/23(月) 23:59:08.59 .net
>>683
まずは貝原益軒の『筑前国続風土記』でも読んでみたら?

685 :日本@名無史さん:2014/06/24(火) 14:18:58.61 .net
>>680
推論に推論を重ねてどうする。

686 :日本@名無史さん:2014/06/24(火) 17:50:00.12 .net
隼人の反乱っても、西南戦争みたいなパターンも考えられるわけだしな

687 :日本@名無史さん:2014/06/24(火) 17:52:43.55 .net
薩摩隼人

688 :日本@名無史さん:2014/06/25(水) 18:14:38.79 .net
>>660
普通は20〜30歳の時の子どもが後を継いで、たまに40〜60の時の子どもが継ぐ。
兄弟の上のほうが死んでしまって末子が継いだとか、血統が絶えそうになった時とか。

桓武天皇の子、嵯峨天皇は49歳の時のこ。桓武天皇の父光仁天皇は
父がいくつの時か記録がないが、祖父天智天皇と83年違うから、父か光仁が
かなり高齢の時の子どもだと思われる。
霊元天皇は58歳の時の子ども。兄達が夭折したり出家をしていたりで回ってきた。

こういう40歳以上の時生まれた6人を除くと、42人の平均は25.2歳になる。
6人の打ち半分の3人は、桓武天皇前後の人。

武家は何故長いのか分からんが、15代将軍は家康から数えて10代目になる。
水戸の頼房以下慶喜まで9代の平均は26歳。家康までにすると、とたんに29.4歳になる。
頼房は家康が60才の時の子だから、一気に平均を上げるw

短期間で見ると大きく数字が変動することがあるが、日本最長の確かな家系を
持つ天皇家の48世代1340年の記録と、約300年の徳川将軍家の記録からは、
通常は25〜6年平均、10世代に一度ほど40〜60才の時の子どもが命を繋いできた
ということが見て取れる。

689 :日本@名無史さん:2014/06/25(水) 20:28:58.19 .net
天皇家は院政でかなり平均を押し下げてる
39世 73代白河 1053-1129
40世 74代堀川 1079-1107
白川天皇が33歳で退位したため本来継ぐはずのない第一皇子の堀川1079-1107(26歳の時の子供)が継いでいる
白川天皇死亡時生きていた皇子は第4皇子の覚法法親王1092-1153(39歳の時の子供)だけ

早期退位の院政時代や引退制の江戸時代は一世代は短くなっている
やはり院政のなかった終身天皇の古代天皇家が25〜6ってことはありえないな

690 :日本@名無史さん:2014/06/26(木) 12:30:45.24 .net
古くなるほど年寄りの子どもが後を継ぐのは難しいよ。
40や50の時の子どもが後継者になるには、親が元気なまま長寿でないといけない。
政権が安定し、赤ん坊や未成年が当主になっても地位を脅かされないほど安定
した時じゃないと困難。

戦国時代と同じで、自分が死ぬ時に子どもが一人前の大将になっていないと
潰される。跡取りは若い時の子どもであればあるほど有利になる。

秀吉に20代の時の子ども(男子)が2人いれば、滅びることはなかったかも。

691 :日本@名無史さん:2014/06/27(金) 21:30:36.77 .net
南九州の古墳と畿内の古墳が似てるのはなんで?
土木技術者の移動はあったのかな?
それとも、古墳なんてアイデアを聞けば、すぐに真似ができるのかな?

692 :日本@名無史さん:2014/06/28(土) 00:50:46.45 .net
>>691
日本中の古墳は畿内の古墳に似てるが?

693 :日本@名無史さん:2014/06/28(土) 08:35:07.39 .net
こども向けの本や図鑑とかの弥生人の想像図なんかでも、
弥生人って貫頭衣か布をまきつけたような半裸体で農作業やってるから、
半裸でウホウホ言ってたと言われても仕方ないですね。

ちなみに神話の神様の格好(埴輪スタイル)は、6世紀の衣装ですよ。
古墳人も、おーいはにまるくんや大国主命みたいな格好になるのは6世紀代で、
倭の五王時代は職貢図にあるような半裸でウホウホの原始人状態です。

694 :日本@名無史さん:2014/06/28(土) 08:58:14.98 .net
>>693
・職貢図の時代に日本と国交はない
・なので倭人の横の文章は、魏志倭人伝のまるパクリ
・あの服装は、仏像なんかで見られるタイプなんで、完全に想像図

なんていうか、素直だよね
記紀を全部信じている人みたい

695 :日本@名無史さん:2014/06/28(土) 10:05:45.57 .net
>>693
旧石器時代と新石器時代の区別くらいつけような

696 :日本@名無史さん:2014/06/28(土) 10:07:52.84 .net
>>694
倭の五王のときだろ

オレはあの姿好きだよ
中国文明と全く無関係だったことがよく分かる
百済なんかは中国風の着物着てて笑える
職貢図の倭人が魏志倭人伝を基礎に書いた想像図なのは否定しないけどね

697 :日本@名無史さん:2014/06/28(土) 10:40:54.04 .net
職貢図をまともに信用したら、半島国家はみんな中国風で、
人物埴輪の服装は一体どこから伝わったんだ、と思う。

698 :日本@名無史さん:2014/06/28(土) 10:47:18.69 .net
>>696
梁は、倭の五王の時代じゃないぞ

699 :日本@名無史さん:2014/06/28(土) 11:37:36.39 .net
職貢図の服装はこれだな
http://art15.photozou.jp/pub/391/197391/photo/24773587.jpg

700 :日本@名無史さん:2014/06/28(土) 11:47:32.49 .net
職貢図の倭人ってせんと君っぽいよね。
日本人というよりインド人か東南アジア人のイメージ。

701 :日本@名無史さん:2014/06/28(土) 14:46:44.32 .net
やはり倭人は南方系が主体なのかな。
高床倉庫とかもスマトラ島とかの民家によく似てるし。

702 :日本@名無史さん:2014/06/28(土) 15:01:00.22 .net
698
そんなわけないだろ
新羅の由来を調べたら始皇帝のときに逃げてきた
連中が住み着いたのがもと
あの辺一帯はもとは弁辰含み辰国って呼ばれている

703 :日本@名無史さん:2014/06/28(土) 15:02:52.51 .net
その後は蒙古やらいろいろあり過去の影すらないがな

704 :日本@名無史さん:2014/06/28(土) 15:06:09.24 .net
シラギって名前は出雲風土史の国引き神話で半島の中の一部がつながるだけだ

ほとんど一部の都市単位といってもいいくらい

705 :日本@名無史さん:2014/06/28(土) 15:12:31.15 .net
企画展示 弥生ってなに?! 国立歴史民俗博物館

http://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/140715/yayoi2014/index.html


古墳時代の直前までの企画展示

706 :日本@名無史さん:2014/06/28(土) 15:20:54.57 .net
706
銅鐸時代

707 :日本@名無史さん:2014/06/28(土) 15:24:22.75 .net
紀元前2世紀から2世紀まで銅鐸が出土し古墳時代になると
一切が消える不思議

稲作なんかだったら紀元前10世紀くらいまで遡るんだろ?

708 :日本@名無史さん:2014/06/28(土) 15:28:04.85 .net
田んぼで水稲栽培は遡れない

709 :日本@名無史さん:2014/06/28(土) 16:56:06.03 .net
>>696
頼むからもう少し調べてから来てくれ

710 :日本@名無史さん:2014/06/29(日) 18:19:52.58 .net
馬韓諸国は元をたどれば箕氏朝鮮まで遡る中国からの亡命政権がベースになっているだろうから
その後継国たる百済が中国風と言うのも別におかしくないとは思う
(338年に中原の後趙政権が遼東を攻める際に山東半島から渡海して丹東に数万の軍を
揚陸させた記事があり、海路自体は古くから存在していたことが伺える)

倭国が半島への介入を積極的に繰り返す理由がよく分からん
地理的な問題で持続的に制圧できないくせによくやるものだ

711 :日本@名無史さん:2014/06/29(日) 18:36:57.41 .net
そりゃ東北地方よりは土地が肥えてそうだったからじゃないの

712 :日本@名無史さん:2014/06/29(日) 18:39:40.37 .net
支配層の多くは半島や大陸がルーツでしょ。

713 :日本@名無史さん:2014/06/29(日) 18:42:01.88 .net
証拠も出さず馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返すんじゃねーよ

714 :日本@名無史さん:2014/06/29(日) 19:22:42.76 .net
>倭国が半島への介入を積極的に繰り返す理由がよく分からん
>地理的な問題で持続的に制圧できないくせによくやるものだ

英は北仏に介入しまくりで、ノルマンディ領の放棄を公式に宣言したのは二十世紀末ですが何か?

715 :日本@名無史さん:2014/06/29(日) 19:28:28.00 .net
>>710
倭国の支配層がむこうの出身だったから。高天原は、おそらく高句麗。
天孫降臨神話は、むこうの連中がやってきた史実の神話化されたものだろう。

716 :日本@名無史さん:2014/06/29(日) 19:31:06.83 .net
>>699
お、ビンゴ

717 :日本@名無史さん:2014/06/29(日) 19:32:31.47 .net
何が高句麗だよw

718 :日本@名無史さん:2014/06/29(日) 19:33:45.57 .net
>>715
神話だからさ
『昔々あるところに』の昔々は〇世紀であるところとは〇〇だろう、とか考える必要ないよ
西洋歴史学の受容以来そんな合理化ばっかやってんだよな

719 :日本@名無史さん:2014/06/29(日) 19:35:03.90 .net
>>710
馬韓(慕韓)で超未開民族だったと三國志に書いてあるけど、そんな由緒正しい国だったんだね

720 :日本@名無史さん:2014/06/29(日) 22:25:29.88 .net
天皇家のハプログループはD系統で縄文時代から日本にいるみたいだけどどうなの?

721 :日本@名無史さん:2014/06/29(日) 22:43:29.28 .net
>>715
沖縄にも天孫降臨神話があるけど、支配層が日本からやってきたことが史実化されたわけ?
インドネシアにも天孫降臨神話があるけど、支配層が日本とか沖縄とかからやってきたことが史実化されたわけ?

722 :日本@名無史さん:2014/06/29(日) 23:05:13.34 .net
  しんでい い でんし
  ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   |/-O-O-ヽ| ブツブツ...
   | . : )'e'( : . | ハァハァ...
   ` ‐-=-‐  フヒヒ...
   /    \
||\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
||\\.          \      ∧_∧
||. .\\          \    ( ;´Д`) (また来たよw遺伝子厨w)
.    \\          \ /    ヽ.
.      \\         / .|   | |
.        \∧_∧   (⌒\|__./ ./
         ( ´,_・・`)目合わせるなって ∧_∧
.         _/   ヽ          \  (     ) な?遺伝子厨が来ると一気にトンデモクソスレになるだろ?

723 :日本@名無史さん:2014/06/30(月) 06:25:54.15 .net
弥生人は加羅の人たちが「鉄の王キムスロ」みたいな文化生活送ってた頃、
半裸でウホウホ言ってたんだろ。

そりゃ、むこうから「天孫降臨」してきた連中に征服されるよな。

724 :日本@名無史さん:2014/06/30(月) 06:28:04.90 .net
また変な理屈ならべてきたな

725 :日本@名無史さん:2014/06/30(月) 13:56:52.79 .net
>>710
弥生時代の遺跡からは、半島南部は倭人圏だったようだ。
中国の史書にも倭人が南部にいると描かれている。
クニが出来る以前から、倭人のエリアだったんだろうな。
故地とも違う、イヌイットにとってのシベリアとアラスカのような関係。

726 :日本@名無史さん:2014/06/30(月) 15:38:28.12 .net
>>722
答えられないからってそうやって誤魔化すのは感心しないな。
天孫降臨なんて伝承より遺伝子の方が史実を探る上では重要だろ。
神話を探りたいなら民俗学・神話学板でやってね。

727 :日本@名無史さん:2014/06/30(月) 16:11:43.90 .net
また遺伝子とかいっちゃってるよw

728 :日本@名無史さん:2014/06/30(月) 16:14:53.51 .net
726
古代の倭人圏とやらは必ずしも日本列島を指すとは思えないけどな
ちょっと東南アジアあたりから生息するサルの分布を調べてみな

729 :日本@名無史さん:2014/06/30(月) 16:39:12.40 .net
>>725
馬韓諸国は倭人圏より少し西じゃね?

弁韓は倭人圏と重複してたっぽいし
それと同時に交易のための中国系住民の居留地も存在していた可能性が高いと思う

730 :日本@名無史さん:2014/06/30(月) 19:07:58.14 .net
日本神話の神様衣装って、あっちの人たちの風俗だよね。

731 :日本@名無史さん:2014/06/30(月) 19:41:46.18 .net
あっちって?

732 :日本@名無史さん:2014/06/30(月) 21:22:12.31 .net
もち、半島よ。

733 :日本@名無史さん:2014/06/30(月) 21:45:27.75 .net
どこの半島?

734 :日本@名無史さん:2014/06/30(月) 21:47:09.67 .net
テレビドラマとかの影響だろw

735 :日本@名無史さん:2014/06/30(月) 23:29:16.25 .net
前方後円墳って、台形の様な所が居間で円の所がリビングみたいな感じでいいの?

736 :日本@名無史さん:2014/07/01(火) 00:26:27.71 .net
>>730
ああいうのは只の想像図
埴輪を基に描いてるの

737 :日本@名無史さん:2014/07/01(火) 06:56:36.63 .net
>>733
朝鮮半島だよ。そこまで言わせるなよ。

738 :日本@名無史さん:2014/07/01(火) 07:49:31.19 .net
馬鹿じゃねえの
ほんとにしつこい野郎だな

739 :日本@名無史さん:2014/07/01(火) 07:53:08.97 .net
>>723
何それチョンドラ?

740 :日本@名無史さん:2014/07/01(火) 12:32:10.44 .net
朝鮮厨は半島にカエレ

741 :日本@名無史さん:2014/07/01(火) 17:52:46.53 .net
むしろ、半島からの影響を否定する方がバカじゃねえの?
神様衣装=埴輪衣装なんて、南方系の倭人の風俗(貫頭衣や袈裟がけの布)と全然ちがう、
北方系の風俗だろうに。

742 :日本@名無史さん:2014/07/01(火) 20:39:08.65 .net
半島に逃れてきた漢人の影響はあるだろうが
半島の劣化コピーが日本に与えた影響って何よ?

743 :日本@名無史さん:2014/07/03(木) 01:15:27.14 .net
>>741
あれは鮮卑なんかが鎧の下に着てる服だね
柔道着みたいなヤツ
前方後円墳とその埴輪が現れるのは半島進出後のようだから、大陸文化の影響だろうね
そこは認めるが朝鮮人が関係あるかは分からない

服なんか流行があるし、洋服着てたらオレたち外人か?
奈良時代の官服はまんま唐のものだね
日本は唐人に乗っ取られたのか?

744 :日本@名無史さん:2014/07/03(木) 10:27:38.92 .net
>>720
過去には縄文と弥生は断絶していて、新しい文化を持った人たちが人口の希薄な
西日本へ大量にやって来たという説が流布されたが、どうやら違うらしい。

考古学の現場からは、縄文人が少しずつ新しい文化を取り入れ弥生文化を
作っていったとしか見えないそうだ。もちろん外来の文化を受け入れているし、
人もやって来ただろうが。

大きな影響を与えた渡来があったとしても、紀元前300年とかじゃなく、
もっと以前のことだろう。それでも言語を入れ替えるほどの影響はなかった。
言語、遺伝子、発掘、これらすべてが、かなり古い時代の文化の形成を物語る。
高句麗や新羅が出来るよりもっと昔のことだ。

紀元前300年に渡来人がやって来て弥生が始まったという古い説で、弥生の
編年が新しく設定され、今もそれを信奉する人もいるが、その説では文化は
すべて半島が先行し、数百年を経て日本が受け入れたことになっている。
しかし半島では紀元前1000年以前の遺跡は乏しいらしい。それ以降も。

紀元前後の支配層(天皇家含む)は、昨日や今日やって来た新参の氏族ではなく、
もっと古くから土着していた列島人だと思われる。
基本的に海民で、縄文時代から黒曜石やアスファルトや翡翠を各地に運び、
活発に交易していた縄文人たちの末裔だと思うよ。

745 :日本@名無史さん:2014/07/03(木) 18:28:20.60 .net
>>744
いつも思うんだが、そうした何十年前の学説が残り続けて定説化してしまうのは何故だろうね
江上の征服王朝説なんかも案外20代の連中が知ってたりする

新説を学ぶために旧説(つまり定説)を基礎知識として学ぶせいだろうか

746 :日本@名無史さん:2014/07/03(木) 18:39:07.67 .net
>>744

> 基本的に海民で、縄文時代から黒曜石やアスファルトや翡翠を各地に運び、
> 活発に交易していた縄文人たちの末裔だと思うよ。

こういう経済活動をしてたからには、資本の蓄積と指揮命令系統を持った原始的な官僚体系があったはず
それはそのまま王権だ
中国の『蕃国誌』という史書に、フィリピンの様々な段階の王権と交渉する華商の様子が描かれていて興味深いが、
基本中国商人は原住民の権力者に逆らえない。ヘーコラするだけ
日本の場合歴史はさらに複雑だが、古い土豪が天皇家に繋がった可能性は高いと思う
少なくとも北方民族の大量移民と襲来、征服よりは蓋然性は高い

747 :日本@名無史さん:2014/07/03(木) 19:54:23.47 .net
>>745
何故だろうねえ。
騎馬民族国家説と火の鳥のインパクトが強かったのかなあ。
マンガ日本の歴史は、今どうなってるのかなあ。

地道にコツコツと文化を築いたというよりも、おもしろくてドラマがあって
記憶に残りやすいのか。あるいは洗脳が解けないのか。
はっきり言って、ほんとうに「洗脳」だと思うよ。
「渡来人が・・」「朝鮮半島から新しい文化が・・・」こればっかり。
新しい文化は、必ずどこかから伝わってきたのであって、日本で生み出された
はずはないという前提。明治初期の欧州的「世界史」の歴史観。

そりゃ、確かに人類はすべてアフリカからやって来たのは確かだと思うけどさ。
考古学者は、旧石器の呪縛があってむやみに語れなくなってるのかもね。

>>746
王権かどうかは分からんけど、マダガスカルへ船で移民した人たちの遠い親戚
なんだから、結構な技術は持っていただろうね。

あるからかねえ。

748 :日本@名無史さん:2014/07/04(金) 01:05:09.70 .net
>>747
結局は印象しか残らないのかね

749 :日本@名無史さん:2014/07/04(金) 06:45:05.78 .net
数字遊びは不毛

750 :日本@名無史さん:2014/07/04(金) 08:03:29.64 .net
平安時代の初め頃に彫られた神像の服制は、
朝鮮的な要素があるという。
その頃は、日本の神のイメージに、朝鮮の人が重なっていたのか?

751 :日本@名無史さん:2014/07/04(金) 08:25:03.27 .net
>>750
ないね
飛鳥時代の支配層の中国かぶれはぶっ飛んでる
いちいち半島を絡ませる必要はないね

752 :日本@名無史さん:2014/07/04(金) 10:06:53.54 .net
かつて支配してた連中を見下す事はあっても、神と崇める事は100%有り得ないわなw

753 :日本@名無史さん:2014/07/04(金) 13:52:19.53 .net
>>720
現在の天皇家でしょ。
このスレには関係ない話では?

754 :日本@名無史さん:2014/07/04(金) 17:56:34.79 .net
天孫降臨=半島から支配者がやってきて倭人を征服

手塚先生の「火の鳥」黎明編はそういう解釈だったな。
まあ、普通に考えて、そうなるよな。

755 :日本@名無史さん:2014/07/04(金) 19:16:33.77 .net
朝鮮脳ではそういう風にしか考えられないのは当然のことなのだろうが
最近の民族学校では祖国を草原と砂地の国と教えているのか?

読んでいない漫画に妄想を被せているのか、劣等民族得意の原作レイプで変なことが書いてある非正規版と勘違いしたのか知らんが…

756 :日本@名無史さん:2014/07/04(金) 19:32:43.34 .net
「火の鳥」黎明編を読んでないのは>>755の方。
黎明編は日本神話とヤマタイ国と騎馬民族征服王朝説をミックスした内容。
ヤマタイ国は卑弥呼がアマテラス、男弟がスサノオに重ね合わせられ、
猿田彦がヤマタイ国の将軍の設定。
卑弥呼の死後(だったかどうか忘れた)、海の向こうからやってきた征服者のリーダーがニニギ。
猿田彦が上陸したニニギの集団にとっつかまってる。
そしてニニギの集団はヤマタイ国を蹂躙して征服した。
天孫降臨神話をうまく利用してマンガにしてると思った。

手塚はマンガの中のニニギをニニギノミコトと神武天皇のイメージで描いているようだ。
ちなみに日本神話の神様衣装だったのは、征服者のニニギたち。

757 :日本@名無史さん:2014/07/04(金) 19:48:14.64 .net
十数年前には755のように出鱈目を書き散らし続け
誰も相手にしなくなると勝利宣言して朝鮮人の妄想が正しい歴史認識だ〜とやらかす奴が数ヶ月毎にやってきたものだが
最近又日本人に成りすまして政治的な発言が目立つようになってるな…

755-757は手塚の漫画なんか読んだことがないんだろう
http://free.5pb.org/p/s/140704194353.jpg

758 :日本@名無史さん:2014/07/04(金) 21:13:58.46 .net
マジで火の鳥黎明編読んでみろよ。何かと勘違いしてないか?
まあ、あれは手塚の解釈で、あくまでマンガだけどな。
日本神話を上手に料理してるぞ。

759 :日本@名無史さん:2014/07/04(金) 21:24:44.06 .net
 ___  見えないニダ
‖    |     ∨
‖事実 ∧_∧   .ヘ∧
‖ \ ( ・∀・)<`∀●>
|| ̄ ̄⊂   )  (   と)
凵    し`J   U U

 ___  読めないニダ
‖    |     ∨
‖空気 ∧_∧   .ヘ∧
‖ \ ( ・∀・)<`∀●>
|| ̄ ̄⊂   )  (   と)
凵    し`J   U U

 ___  知らないニダ
‖    |     ∨
‖常識 ∧_∧   .ヘ∧
‖ \ ( ・∀・)<`∀●>
|| ̄ ̄⊂   )  (   と)
凵    し`J   U U

 ___  真っ暗ニダ
‖    |     ∨
‖未来 ∧_∧   ∧∧
‖ \ ( ・∀・) <●●>
|| ̄ ̄⊂   )  (づ と)
凵    し`J    U U

760 :日本@名無史さん:2014/07/04(金) 21:27:11.20 .net
┏━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓
┃A 脳内ソースを持ち出し.    ┃B 冷静な日本人を装って.   ┃C なぜか右翼の話をする....   ┃
┃  根拠の無いことをわめく   ┃  火消しに奔走する..      ┃   从_从人_从_从人_       ┃
┃    ∧_∧..          ..┃     ∧_∧   ヲイヲイ..      ┃从从ゞ ウヨ必死!涙目プギャー/,..┃
┃   <#`Д´>Oこいつは釣り.!..┃   .<=( ´Д┌ <こんな事で . ┃ウヨクタバレ .∧__∧ 从_从人.从人┃
┃    Oー、 //| 騙されるな!!...┃    /     .|  i ̄ 喜ぶなよ..┃⌒WWY´<#`∀´>ウヨ死亡!ktkr!.┃
┃ビリビリ\ (;;V;;)/             ┃  ...jm==== | i :: i | .      ┃ 从_从( |   | )⌒WW⌒⌒Y..┃
┣━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━┫
┃D  理屈で反論できなくなり   ┃E 事実に対して都合のいい +. ┃F  ムキになってコピペ荒らし. ┃
┃    レッテル貼りか人格攻撃┃  +   .∧_∧ 仮定を持ち出す┃     ((((( ))))))         ┃
┃     ∧_∧ <コノヤロォー!!  ┃  ,:'.<  `∀´>  ,:'     。.┃       | |           . ┃
┃    <♯`Д┌―――┐_     ┃+  , ..⊂    つ . .   + ,:'  ┃       ∧__∧    从_从人从..┃
┃    /    . | i ̄ ̄i |      ┃  '  ,:'ノ  つ ノ  + 。   ,.. .+┃   ∩<#`Д´>'') フザケヤガッテ┃
┃   ..jm==== | i :: i |      ┃   ... レ レ 幸せ回路作動中 ┃   ヾ      ノ  WW⌒⌒Y ┃
┗━━━━━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━

761 :日本@名無史さん:2014/07/04(金) 21:41:15.95 .net
バカがコピペで荒らしはじめたな。
図書館でもどこでもいいから手塚の火の鳥読んで来いよ。
黎明編ってのは日本神話とヤマタイ国がモチーフだから。

思いこみで否定する前に、ちゃんと読んでから文句言えよな。

762 :日本@名無史さん:2014/07/04(金) 21:44:35.88 .net
ネトウヨ嫌韓厨は、マンガの神様手塚大先生が、騎馬民族王朝説に立って、
半島からやってきた勢力に列島が征服されたストーリーを書いたことを、
たとえマンガの中の世界でも許せないらしい。

心の狭いというか、もうただのアホやな。
おまえが嫌いな内容でも、手塚先生がそういう内容のマンガを描いてるのは事実なの。
ウソだと思うなら図書館でも古本屋でも行って、読んで来いよ。

763 :日本@名無史さん:2014/07/04(金) 22:10:48.93 .net
黎明編の該当箇所をわざわざスキャンしてupしているのに、都合の悪いものは全く見えないってすごいなw

764 :日本@名無史さん:2014/07/05(土) 01:01:39.53 .net
>>760
A図書館でもどこでもいいから手塚の火の鳥読んで来いよ。
黎明編ってのは日本神話とヤマタイ国がモチーフだから。
思いこみで否定する前に、ちゃんと読んでから文句言えよな。

Cネトウヨ嫌韓厨は、マンガの神様手塚大先生が、騎馬民族王朝説に立って、

D心の狭いというか、もうただのアホやな。

Eおまえが嫌いな内容でも、手塚先生がそういう内容のマンガを描いてるのは事実なの。
ウソだと思うなら図書館でも古本屋でも行って、読んで来いよ
半島からやってきた勢力に列島が征服されたストーリーを書いたことを、
たとえマンガの中の世界でも許せないらしい

で、F.A.?

765 :日本@名無史さん:2014/07/05(土) 01:18:34.89 .net
ここは漫画を語るとこか?

766 :日本@名無史さん:2014/07/05(土) 01:46:25.50 .net
俺の妄想通りのソースが見つかるまで二度と書き込むなと
他人に命令するスレです

767 :日本@名無史さん:2014/07/05(土) 02:14:19.80 .net
漫画をもとにこんな話もある!こんな話もある!こんな話もあるー!って喚き散らす奴のなんと醜きことか
>>753
現在の天皇家と当時の天皇家が男系でつながっていないという証拠を述べよ

768 :日本@名無史さん:2014/07/05(土) 18:23:03.83 .net
銅器だの鉄器だのは、倭人が大陸に買いに行ってたの?
それとも、大陸から売りに来てたの?

769 :日本@名無史さん:2014/07/05(土) 22:31:59.60 .net
>>756
考古学や古代史をなにも知らん人達の脳裏には焼きついただろうねぇ
手塚も罪なことしたよ

770 :日本@名無史さん:2014/07/05(土) 22:39:26.05 .net
>>762
手塚を好かん人間もいるってことが分からん辺り君も視野が狭いね
共産党と関わっていたと言われる手塚が、定型的な闘争史観で歴史漫画を描いてた影響は計り知れないよ
もちろん悲劇を描くからには権力者に虐げられる物語の方が楽なのだろうけど

まあ、黎明編に関しては、あの世代は江上説しか信じてないからムリもないのかとは思う
【時代の限界】というやつだ

771 :日本@名無史さん:2014/07/05(土) 22:43:05.55 .net
>>768
両方だと思う
倭人は砂鉄と砂金と水銀(丹)を売っていたんではないかな
そういう商人頭が人を集めて(雇って)王権に成長する。その原始的な王権同士が相争う
それが弥生時代

772 :日本@名無史さん:2014/07/05(土) 23:08:27.26 .net
>>771
倭人が大陸で商業活動していた考古学的根拠はあるの?
文献的根拠は三国志にあると思うけど

773 :日本@名無史さん:2014/07/05(土) 23:11:23.19 .net
半島で「倭人鉄を取る」、と書かれていたのは、
なんの書物だったっけか?

774 :日本@名無史さん:2014/07/06(日) 02:06:47.16 .net
三国志東夷伝

775 :日本@名無史さん:2014/07/06(日) 10:04:28.21 .net
まあ、高天原が高句麗なのはまちがいないけどね。

776 :日本@名無史さん:2014/07/06(日) 11:12:19.53 .net
だよなあ

777 :日本@名無史さん:2014/07/06(日) 11:29:52.05 .net
史料を出せ
まずはそれからだ

778 :日本@名無史さん:2014/07/06(日) 12:12:15.32 .net
よせよ、また漫画の話になるぞ。

779 :日本@名無史さん:2014/07/06(日) 13:38:56.00 .net
うむ、加羅あたりに比定しておくのが妥当だろう。
さすがに高句麗は飛躍しすぎ。

780 :日本@名無史さん:2014/07/06(日) 14:23:46.00 .net
このスレのレベル下がったな。

781 :日本@名無史さん:2014/07/06(日) 15:37:02.55 .net
>>745
全く別分野の専門家とかが、関連する記事で今もそういう表現をしてるな。
定年退職した考古学や歴史を趣味にして遺跡訪問記とかWebで書いてる人達も、
そっちが多い気がするね。わざわざ朝鮮まで旅行して、ここから伝わってきたんだ
とか、感慨深げに書いてたり。

埴原の100万人渡来説も関係があるかも知れないけどね。
あと、なまじちょっとかじってると、遠賀川式土器に引っ張られてるかも。

あと、あなたは「縄文人」「弥生人」?みたいなテレビ番組とか。
「弥生人」というまったく別の人種がどこかからやって来たかのような印象を
植え付けてる。

782 :日本@名無史さん:2014/07/06(日) 17:29:18.14 .net
>>710
亀レス失礼

当時は概ね測地航法だったので、中華との安全な通行路を確保するのは半島西南岸を押さえておくのが一番なんですな

783 :日本@名無史さん:2014/07/06(日) 18:00:14.68 .net
>>723
http://hachiman01.blog.fc2.com/blog-entry-2279.html

加耶の準構造船は日本の部材が使われていた。
この記事だと舷側板が日本の楠だった様だが、この頃の船は通常船底も楠でその上に上部構造が乗っかるようになっている。
そんなデカイ木材を朝鮮海峡を超えて運ぶのは困難であり、要は金官加羅の船は日本製であったと言うこと。

なお、日本では準構造船は弥生時代中期から出土例があり、しかも出たのは琵琶湖沿岸。
朝鮮人が造船技術を伝えたとか、まして海上交通・勢力そして陸上の人口・領域・生産力において優位な倭より先進的で優勢であったなど妄言でしか無いのですよ。

784 :日本@名無史さん:2014/07/06(日) 19:20:04.60 .net
対馬海峡は倭人の支配領域だったんだろうな

785 :日本@名無史さん:2014/07/06(日) 20:32:11.42 .net
応神大王は金官加羅からやってきた傭兵隊長

786 :日本@名無史さん:2014/07/06(日) 21:10:52.06 .net
応神大王www
最高に頭悪そうな単語w

787 :日本@名無史さん:2014/07/06(日) 21:27:32.53 .net
つか半島の昔の基礎人口、とんでもなく少なかったはずだぞ

788 :日本@名無史さん:2014/07/06(日) 21:31:03.04 .net
そういや、上の火の鳥の画像で思い出したが、騎馬民族が征服したんなら騎射に取り回しの良い短弓を使ってるはずなんだよな。

日本の弓は古来から長弓。

789 :日本@名無史さん:2014/07/06(日) 21:31:20.74 .net
今は日本の二分の一だかそんなもんだけど
二十分の一とかそんなもんだっけ?

790 :日本@名無史さん:2014/07/06(日) 21:37:41.74 .net
>>783
スサオヲの脱線話でも船の記述あるよね
何かの象徴なのかな、と思う

791 :日本@名無史さん:2014/07/06(日) 21:41:42.69 .net
>>772
商業活動の考古学的証拠というのは少ないね
オリエントのコップが正倉院にあるとか、数字のイチニィサンが中国語のイーアルサンと似てるとかそんなもん
あるいは日本各地に『唐人町』とかいう地名が残るとか、か
そういうのが痕跡という証拠しかない

ためしに楽浪郡の金細工の成分を調べて、日本の砂金と比較してみるという手もある
楽浪郡は他の地域に比べて金細工の出土品は多い
あれは日本産の金だと思ってるよ

北朝鮮で金山が見つかったのは最近の話だからね

792 :日本@名無史さん:2014/07/06(日) 21:48:21.03 .net
翡翠曲玉とか黒曜石とかは割と有名だと思うが。
後は倭人が鉄を取るぐらいか。

793 :日本@名無史さん:2014/07/06(日) 22:00:59.47 .net
>>791
793書いた後で思い出したが、日本の産金は百済王敬福のが最初じゃなかったかな

まあ糸魚川の翡翠も奈良以降は産出されなくなってるから途中で断絶してるかもだが

794 :日本@名無史さん:2014/07/07(月) 01:36:15.32 .net
>>744
縄文人の行動力は大したもの
大木を整形して作った舟で伊豆大島とかよく行ったものだよ
良い物を作りたいという意欲がそうさせた

795 :日本@名無史さん:2014/07/07(月) 02:42:31.57 .net
後代の天皇家が自分たちの先祖たちの墓・古墳を放置してた理由がわからない
ましてやどの古墳に誰が埋葬されているかすら判らないとかありえない

個人的には大仙陵古墳をはじめすべての古墳の埋葬者は天皇家とは関係がなく
記紀編成時の後付だと思ってる

796 :日本@名無史さん:2014/07/07(月) 02:45:52.07 .net
最近の学説は全然知らないんだけど、
よく本で紹介されてる縄文人と弥生人との比較もいい加減なものなの?
縄文人と弥生人とで骨格やら顔の特徴やらが違うと言われてたけど、そんなことはなかったの?
考古学者でも、生物学に詳しい人の意見を聞いてみたいな。

797 :日本@名無史さん:2014/07/07(月) 08:00:36.60 .net
しかし、なんでもかんでも通説を否定したり批判するのもどうかと。
記紀の記述を全面否定するのと、ベクトルが逆なだけで、やってることは同じにならないか?

798 :日本@名無史さん:2014/07/07(月) 11:03:41.32 .net
韓国人「日本人が自慢する『日本書紀』とかいう歴史書の捏造が酷すぎる まるでファンタジー小説」
http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1404660097/

799 :日本@名無史さん:2014/07/07(月) 13:00:40.01 .net
>>795
そんなこと言ったら平安時代の多くの天皇も天皇家とは関係が無くなっちまう。
平安時代の天皇陵も確かなものは4分の1ほどしか無いから。

800 :日本@名無史さん:2014/07/07(月) 14:28:12.27 .net
そもそも放置されてないし
陵墓管理、祭祀は南北朝時代まで続いてる

801 :日本@名無史さん:2014/07/07(月) 15:25:36.43 .net
>>795
じゃあ誰の墓なの?
それが説明出来ないなら偉そうな事は言うべきじゃない。

802 :日本@名無史さん:2014/07/07(月) 16:41:01.19 .net
>>795
雄略天皇陵は円墳と方墳が繋がって見えてるだけらしいよ
中心軸もズレてる

雄略ほどの大帝の墓を知らないなんておかしい
飛鳥時代の天皇家と朝廷は、過去の天皇家とよほど遠いか、まるで無関係かどちらかだろう

803 :日本@名無史さん:2014/07/07(月) 16:42:51.43 .net
>>801
掘って見ないとわからない
隋書のアマタラシヒコみたいに、日本書紀に現れない実在の人物だろうね

オレはただ真実が知りたい

804 :日本@名無史さん:2014/07/07(月) 16:47:03.24 .net
>>798
チョンコの三國史記や他の史書よりずっとマシ
考古学的証明も一部実現してるしな

805 :日本@名無史さん:2014/07/07(月) 16:49:05.21 .net
>雄略ほどの大帝の墓を知らないなんておかしい

普通に延喜式の頃は知られていたし祭祀も行われていたけど?

806 :日本@名無史さん:2014/07/07(月) 17:57:14.28 .net
懐良親王は良懐
源義満は源道義として冊封を受けてるのになんでアメタリシヒコが本名だと思ってるんだ?
馬鹿じゃねーの

807 :日本@名無史さん:2014/07/07(月) 17:59:13.21 .net
中国に史書によると中国出身の方白古登なる人物が日本の王を殺して王位を簒奪し
朝鮮を従えて中国に攻めてくるなんて話も乗ってるが、>>802にいわせればもちろん方白古登は秀吉とは別の実在の人物なんだよな?w

808 :日本@名無史さん:2014/07/07(月) 18:22:28.23 .net
2chネラーなんてドンキホーテの集まりだろって常々思ってたが
こいつぁすげえわ、ハリボテの風車どころじゃねえや、見えない戦車と戦ってやがる

809 :日本@名無史さん:2014/07/07(月) 19:43:36.10 .net
>>805
今の雄略陵は江戸時代のでっち上げなんかじゃないよ

810 :日本@名無史さん:2014/07/07(月) 19:46:15.57 .net
>>806
時代の違う人物を出しても無意味だな

なら、アマタラシヒコを名乗ったのは日本書紀中の誰なの?
チャンコロがわざわざ和名の王をでっち上げる動機はないだろ

811 :日本@名無史さん:2014/07/07(月) 19:48:09.28 .net
>>807
その史料をはっきり示してくれないと茶化してる意味ねーぞ、チンカス

812 :日本@名無史さん:2014/07/07(月) 19:49:54.77 .net
>>805
君が言ってる雄略陵はナニ県のどこなの?

813 :日本@名無史さん:2014/07/07(月) 21:33:36.32 .net
>>812

しらねーし論点ずらすな

814 :日本@名無史さん:2014/07/07(月) 21:52:59.96 .net
その延喜式の雄略陵が中心軸のズレた前方後円墳じゃないの

昔読んだことあるな、その話

815 :日本@名無史さん:2014/07/07(月) 22:16:25.59 .net
真の雄略陵は岡ミサンザイ古墳だろ

816 :日本@名無史さん:2014/07/08(火) 00:17:04.15 .net
>>768
よくわからんが弥生の遺跡から
銅銭が幾分か出土するから
商いはやっているっぽい
木炭とか硫黄とか玉とか奴隷とか売るものはあるだろうけど
そしたら絶対縫い針とか縫製技術が伝わるはずなんだけど
本格的に貿易をしだしたのは古墳時代になるんじゃないかな
とにかく衣服類の出土があると文化圏や技術レベルがかなり解るんだが

817 :日本@名無史さん:2014/07/08(火) 01:44:58.25 .net
もし前方後円墳が天皇・時の権力者の墓なら地方に前方後円墳を造れる訳がない
そんなことをしたら権力者に対する冒涜か挑戦に値するだろう

818 :日本@名無史さん:2014/07/08(火) 02:31:07.54 .net
天皇の皇子何人いると思ってんだ?
皇位継承できない皇子は地方に飛ばされて地方豪族の娘と結婚する
墓は当然前方後円墳

819 :日本@名無史さん:2014/07/08(火) 23:38:43.00 .net
>>818
側室とかの数半端ないからね
今と違って金持ちほど子孫を多く残すわけだ

820 :日本@名無史さん:2014/07/08(火) 23:40:47.74 .net
>>816
昔の交易なんか年に数回船が来る程度だから、非常にゆっくりした進化速度だろうね

前漢の真番郡の建設でだいぶ漢人の来訪は促されただろうけども

821 :日本@名無史さん:2014/07/09(水) 07:12:38.17 .net
真番郡がいまの韓国のあたりにあったというのは信じがたい。

822 :日本@名無史さん:2014/07/09(水) 18:00:53.31 .net
>>817
何が言いたいのか分からないけど、権力者の墓でないなら誰の墓なの?

823 :日本@名無史さん:2014/07/09(水) 18:44:23.33 .net
>>796
いかげんとかじゃなくて、資料の制約からくる不十分さがあるのに、
それがすべてかのように流布されたってことじゃないかな。

縄文人骨は関東から、弥生初期の遺骨は九州からのものを比較してるから。
「日本人になった先祖たち」で篠田さんが書いてるね。

よく「縄文人・弥生人」で出てくるやつは、山口のまあ特殊な人骨だね。
比較するのに違いがわかりやすいからよく使われるんだろ。

824 :日本@名無史さん:2014/07/09(水) 19:56:05.40 .net
>>821
諸説あるけどね
『長安を去ること7840里』ってのは、マイレージ換算だとちょうど洛東江流域辺りになるよ
オレは支持する

825 :日本@名無史さん:2014/07/09(水) 22:11:25.19 .net
>>785
応神=ホムタワケが金官加羅からやってきた傭兵隊長あがりの大王だったというのは、
それなりに説得力があるな。
傭兵隊長が従来の畿内政権=三輪王権を武力で乗っ取ったのが河内王権だろうな。

826 :日本@名無史さん:2014/07/09(水) 22:50:51.35 .net
そうでもない。
古市・百舌鳥における最初の頃の古墳には、
腕輪形石製品の副葬や鰭付円筒埴輪の配置がみられ、
墳丘規格も佐紀陵山古墳に近似するなど非常にヤマト(佐紀)的。
しかも応神の実年代はその1〜2世代後であり、
津堂城山・仲津山に続く誉田御廟山(現応神陵)が実際に応神陵である可能性が高い。
どこぞの傭兵隊長なんぞより、日本武尊−仲哀−応神の連続性はそう荒唐無稽な話でもない。

827 :日本@名無史さん:2014/07/10(木) 05:27:36.66 .net
そりゃ韓ドラの話だからな
説得力なんかない

828 :日本@名無史さん:2014/07/10(木) 15:48:20.48 .net
古墳の埋葬者を比定してる本とかあったら教えて

829 :日本@名無史さん:2014/07/10(木) 17:10:23.32 .net
ヤマトタケルとか仲哀は架空のキャラ。
その名前を出す時点で荒唐無稽。

830 :日本@名無史さん:2014/07/10(木) 18:54:39.46 .net
記紀だけしか出てこないやつはみんな架空キャラ
ダブルチェックできないとな

831 :日本@名無史さん:2014/07/10(木) 19:26:11.57 .net
そんなら金官加羅の傭兵隊長なんて誰かさんの脳内以外どこにも出て来ませんがなw

832 :日本@名無史さん:2014/07/10(木) 19:42:40.05 .net
>>830
そりゃ、そうよ。少なくとも倭の五王以前の連中はほとんど架空のキャラか、
実態がほとんどわからなくなった人名を元に創作されたキャラだろ。
系図もつぎはぎのパッチワーク、伝承とされるものも説話やおとぎ話レベル。

833 :日本@名無史さん:2014/07/10(木) 20:13:58.26 .net
ただ、仲哀天皇を祀る香椎宮が橿日廟と呼ばれていたところが面白い

834 :日本@名無史さん:2014/07/10(木) 20:17:12.77 .net
韓ドラ自体が架空やんけ

835 :日本@名無史さん:2014/07/11(金) 10:40:23.86 .net
>>832
【検証の十字砲火】は必要だ
文献学の基本だからね
ただ、日本古代史の場合史料が足りない
日本書紀と比較できるのは中国史料くらいだが、チャンコロは昔からいい加減な上に倭国の記事も少ない

ただ、倭の五王に関しては、兄弟相続があったと書かれていて、
これに時代的に対応するのは仁徳(応神)以下のいわゆる河内王朝しかない
この辺は割りと実在を信じて良いのでは
もっとも、その時代の日本書紀のエピソードが事実ということにはならんのだが

836 :日本@名無史さん:2014/07/11(金) 19:18:38.11 .net
創作ねえ。もしそうなら昔の人の創作能力はすばらしいねえ。
現代の小説家なんか目じゃないね。

837 :日本@名無史さん:2014/07/11(金) 19:28:21.84 .net
>>836
記紀なんて、たいした心理描写があるわけでもなく、単なる説話・伝承の寄せ集めだろ。
そんなもの小説でもなんでもないわ。
志賀直哉や谷崎潤一郎に謝れ。

はっきり言って、各地や各豪族の伝承をパッチワークして、天皇家に都合のいいように書き換えることは、
創作・捏造ではあっても、文学でも小説でもない。
単なる説話の切り貼りと改竄。

838 :日本@名無史さん:2014/07/11(金) 20:01:52.08 .net
六国史以降の歴史だって言ってみりゃパッチワークの賜物だろ
純粋創作物じゃなく各地や各豪族の伝承を取り入れてるってのは
程度問題はあれ歴史に対してある意味真摯に向き合ってたとも言えまいか
天皇家に都合のいいような書き換えってそんなにあるかなあ

839 :日本@名無史さん:2014/07/11(金) 20:43:35.73 .net
天武紀以降は実録として認められるが、それ以前は文飾や改竄てんこもり。
継体紀のクライマックス、磐井の乱からして、本来は古事記で一行ていどの記事しかないものを、
盛りに盛って、漢籍の美文のコピペ=文飾でもっともらしい長文記事に仕立て上げている。
継体紀以前なんて、倭の五王に比定される大王の系図以外は説話、おとぎ話レベルの話ばかりで、
とうてい信ずるに足りない。

ヤマトタケル?
あんなの神話や英雄伝説といったファンタジーの世界だろw

840 :日本@名無史さん:2014/07/11(金) 21:18:58.29 .net
話には脚色や文飾があるだろうが、
倭王武の上表文にも「祖先は自ら甲冑を着て諸国を云々…」とあるじゃん。
津堂城山古墳なんか、佐紀古墳群に縁を持ち、呪術司祭者的でありながら武人でもあり、
大王墓よりは規模が一回り小さく、島状遺構には初めてハクチョウ埴輪が置かれと、
どうしても被葬者にヤマトタケルを想定したくなる要素はある。
金官加羅の傭兵隊長は…それこそファンタジーだろ

841 :日本@名無史さん:2014/07/12(土) 09:16:21.43 .net
でっち上げだと叫ぶ奴が、でっち上げの証拠を提出するのを見たことがないな。
ただただ「でっちあげに決まってる。」「〜はずがない」
「天皇家に都合のいいように書き換えたに決まってる」
これしかない。

842 :日本@名無史さん:2014/07/12(土) 09:55:24.51 .net
>>841
基本スタンスはそれだが、オレはその中から基礎になったであろう原始テールを探るべきだと思う
例えばヤマトタケルは関東一円に広がる前方後円墳を築いた英雄たちの総体と見るよ
稲荷山鉄剣みたいに文字を刻んだ遺物が出ると話が進むんだが

843 :日本@名無史さん:2014/07/12(土) 10:35:19.07 .net
記紀に書かれてる物語や系図、個々の人物を全て史実と考える記紀厨は論外だが、
ヤマトタケルの物語が、いまは名前も系譜も不明になった名無しの英雄たちの記憶が、
史実とはかけ離れた物語として再構成されたものというのなら納得できる。

844 :日本@名無史さん:2014/07/12(土) 10:57:35.71 .net
>ヤマトタケルの物語が、いまは名前も系譜も不明になった名無しの英雄たちの記憶が、
>史実とはかけ離れた物語として再構成されたものというのなら納得できる。

主観的過ぎて、俺にはそっちの方が理解できんよ

845 :日本@名無史さん:2014/07/12(土) 12:05:20.07 .net
要するに日本武尊(倭建命)=ヤマトタケルという一個人は実在しなかったけど、
いまは固有名詞も系譜関係も生存年代も忘れられた複数の英雄たちの活動の総体が、
おぼろげな記憶として残っており、のちに記紀のもとになる説話が創作されたときに、
ヤマトタケルという一人の英雄の姿に集約して表現されたということだろ。

神話、伝説というのは、さまざまな集団の行為を一人格に代表させることが多いからな。

846 :日本@名無史さん:2014/07/12(土) 12:36:40.30 .net
>>845
それをどうやって証明するの?

847 :日本@名無史さん:2014/07/12(土) 13:05:23.05 .net
それを言うなら、ヤマトタケルの実在を証明するものだって、
仮に実在したとして、在世したと推測される4世紀よりずっとあとの、
8世紀の記紀しか文献史料がないけどな。

常陸国風土記の倭武天皇は、むしろワカタケル=倭王武を投影したものだろう。

848 :日本@名無史さん:2014/07/12(土) 13:07:45.79 .net
>>846
そこは稲荷山鉄剣類型の遺物を願うしかない
ノアの方舟神話が、実はユダヤどもが新バビロニアに連れ去られた先で身につけたメソポタミア神話だったと劇的に証明されたように

吾妻の地名譚の『ああ、我が妻よ』とタケルが叫んだのが起源とか言う話は、地元の古墳に遺されてそうだが…
吾妻に古墳あるのか?

849 :日本@名無史さん:2014/07/12(土) 13:11:34.31 .net
>>843
うむ
結局の所、史実は伝説や物語としてしか伝わらない
口伝の時代は特にそうだね

まあ、日本むかし話がすべて史実を基礎に作成されたとは思わんが

850 :日本@名無史さん:2014/07/12(土) 17:09:54.05 .net
>>847
別に俺は、口伝の時代の話を史実だといってるわけじゃないよ

だからといって、

>要するに日本武尊(倭建命)=ヤマトタケルという一個人は実在しなかったけど、
>いまは固有名詞も系譜関係も生存年代も忘れられた複数の英雄たちの活動の総体が、
>おぼろげな記憶として残っており、のちに記紀のもとになる説話が創作されたときに、
>ヤマトタケルという一人の英雄の姿に集約して表現されたということだろ。

こういった解釈もきちんと証明しないと、傍から見たら、分かった気になってるだけに見える

851 :日本@名無史さん:2014/07/12(土) 17:44:30.22 .net
>>850
でも、そういう解釈は、わりと通説でしょ。
数多くの王族将軍や有力武将の戦いを一人のヒーローの姿に凝縮して説話化したってのは。

852 :日本@名無史さん:2014/07/12(土) 17:48:00.81 .net
で、記紀=ファンタジー派の史料の提示はまだ?
決めつけるなら先ずは資料を提示するのは常識だぞ。

853 :日本@名無史さん:2014/07/12(土) 18:00:25.31 .net
記紀の記述を素直に読めば、神話的で奇怪な記事だらけなのは一目瞭然。
むしろ、あんな出来事が実際にあったと考える方が頭がおかしい。
カラスが道案内したの、ヘビの神様とまぐわっただの、女装してクマソを倒しただの、
神様のおつげで妊婦が海外遠征しただの、ファンタジー以外の何物でもない。

アニメやゲームの原作に出来るレベル。

854 :日本@名無史さん:2014/07/12(土) 18:06:03.51 .net
>>853
で、全てファンタジーだとする証拠は?
資料の提示を早く

855 :日本@名無史さん:2014/07/12(土) 18:22:18.64 .net
>>851
通説?
梅原とかの奇説じゃないか?

856 :日本@名無史さん:2014/07/12(土) 18:35:45.54 .net
通史書いてる本業の歴史学者の方がヤマトタケルは王族将軍の神話化された創作物って解釈で、
梅原とか他分野の人間は、わりと記紀の内容を史実ととらえる側だろ。
まあ、さすがの梅原もヤマトタケルの物語をそのまんま史実とは思っちゃいないだろうけど。

857 :日本@名無史さん:2014/07/12(土) 19:38:14.99 .net
ヤマトタケルは場面場面で名前が変わるから「複数の人物の統合された人格」ではないかという
推論が提示されても違和感はない

重要なのは関東に出鎮した点だと思う
建沼河別命による東海方面からの進出、豊城入彦命による北関東経略に引き続く第三世代目の
関東(特に南関東)におけるヤマト王権の軍事指揮官という性格は無視してはならない部分

前方後円墳の関東への波及が4世紀頃であり景行天皇〜仲哀天皇が実在した場合の
没年干支から導きだされる在位期間とだいたい一致する
常陸国風土記とかでも言及されているが「天皇」に匹敵する関東の統治者が4世紀ごろに
存在していた点は限りなく事実と見て問題ないと思う
逆にヤマトタケル的な人物が存在しなかった場合、関東がどうやってヤマト王権に組み込まれて
いったか明確な過程が不明になってしまう(豊城入彦命だけでは南関東がカバーできない)

858 :日本@名無史さん:2014/07/12(土) 20:48:26.74 .net
>>857
全面的に同意
たとえ数人の説話が組み合わさったものでも、
その根幹の説話(東方への出征と薨去)の人物が小碓尊なのは間違いまるまい。

859 :日本@名無史さん:2014/07/12(土) 21:58:32.63 .net
その辺の時代の固有名詞は、あまりマトモに考えないほうがいい。
複数の王族将軍や武将が派遣されて東国を征服したくらいのおぼろげな記憶に、
後世、後付の人名や説話が創作されたと考えるべきだろう。

860 :日本@名無史さん:2014/07/12(土) 22:20:04.30 .net
>>857
稲荷山鉄剣の漢文は手がかりになるだろうね
あの一族が何者なのかは分からんままだが

結局文字を刻んだ遺物が出ないと手詰まりだね
モノだけで歴史を再構成するのは限界がある

861 :日本@名無史さん:2014/07/12(土) 22:28:13.58 .net
人物の人格を統合するのが可とされるのであれば
短命で事跡の少ない天皇なんて一人にしちゃえば良さそうな話なのだが
それこそ飯豊青皇女のワンポイントリリーフなんていくらでも抹消可能な事跡だっただろう
でもこういう人の事跡が少なからず残されたということは人格の統合なんて「とんでもないこと」だったことの証左に他ならない
同様な話だが神功皇后の事跡だって応神に全部やらせても問題ない話なんだよ
仲哀の崩御年を先延ばしにして応神がサクっと皇位継承した形にさえすれば

記紀編纂にあたって創作性を発揮する場面というのは少なかったと思う
どちらかと言うと年代の作為の方に主努力が向けられた感じがする
これで生じた不整合が虚構的に感じられるというのはあるかもしれない

862 :日本@名無史さん:2014/07/13(日) 06:31:56.60 .net
垂仁天皇と豊城入彦命の関係って室町時代の京都の幕府と鎌倉公方の関係っぽいよね
言っちゃなんだが分割統治的な体制
古代の通信伝達手段なんてショボイから遠国を統治するには丸投げするしかない

景行天皇と倭武天皇もこの関係の延長線上にあったのでは

863 :日本@名無史さん:2014/07/13(日) 11:22:57.49 .net
>>861
マレーシア年代記なんか一人の王の30年くらいの事績を百年に伸ばして書いてる
マレーシアにとって最重要の課題のはずのイスラム伝導さえ架空の王様の時代に設定されてる
仏教伝来と比較して考えると、いろいろと興味のわく史料だよ

864 :日本@名無史さん:2014/07/13(日) 11:54:39.57 .net
やっぱり、どこの国にも年代記の初めの方には架空の王様っているんだよな。
日本だけ、架空の大王がいない、みんな実在だなんて主張する記紀オタの発想は不自然すぎる。

865 :日本@名無史さん:2014/07/13(日) 12:07:35.66 .net
>>863
スウェーデンもカール○世を捏造していたな
7世より前がいないんだっけか

引き延ばすのと圧縮するのでどっちのケースが多いんだろ
箔持たせるための引き伸ばしの方だろうか

866 :日本@名無史さん:2014/07/13(日) 13:47:57.98 .net
>>863
マレー年代記の捏造は、どの史料からわかったんだっけ?

867 :日本@名無史さん:2014/07/13(日) 14:07:41.09 .net
>>865
カールとかグスタフって僧侶の名跡みたいなもんだよ。
何かしらんけど、開祖は弘法太師空海になっていて三世ぐらいから実在とかね。

868 :日本@名無史さん:2014/07/13(日) 14:38:41.65 .net
でも未だに記紀の捏造部分がはっきり特定できないんだから、編纂グループはうまくやったもんだわ

漢族や韓からの帰化人たちが文書記録はそこそこ取ってたと思うけどね
高句麗領内であれば4世紀の亡命晋人の墓誌とか出土しているし
日本でも発見されないかな

869 :日本@名無史さん:2014/07/13(日) 15:44:39.90 .net
俎上に上がっているヤマトタケルの場合は一人を薄めて架空の人物をいっぱい作ったパターンの真逆だと思うんだが

その上寿命が糞短いから倅がタケル死後に生まれるという謎の状態に
仲哀非実在説ってどうなんだ、実際のところ

870 :日本@名無史さん:2014/07/13(日) 16:58:47.13 .net
マレーシアとかスウェーデンの例は、具体的にはどうやって捏造部分を特定したんだろうか?
そこが抜けてるよね。
それがわかれば、日本の場合にも応用できるかも。

871 :日本@名無史さん:2014/07/13(日) 17:00:51.97 .net
>>870
マレーシアは知らんがスウェーデンの場合はいきなりカール7世登場だったような
捏造を隠す気すら無いという潔さ

こいつらの場合13世紀あたりの話だぞ

872 :日本@名無史さん:2014/07/13(日) 18:57:12.71 .net
>>871
いきなり7世が出てくるから、7という数字は捏造ってこと?
なんかイマイチだな。

873 :日本@名無史さん:2014/07/13(日) 19:03:10.08 .net
>>869
最近の考古学の発見で四道将軍の実在が有力視されて来てるし、仲哀天皇も実在の可能性がかなり有力視されてる。
未だに架空とか言ってる連中は少数派だろうね。

874 :日本@名無史さん:2014/07/13(日) 19:20:34.20 .net
ヤマトタケルが死んだ後に仲哀天皇が生まれたから仲哀天皇は非実在とかいう奴は
歴代天皇が百歳以上生きたのもそのまま信じるのか?w
記紀の年代記述をそのまま受け止めるべきではない。

875 :日本@名無史さん:2014/07/13(日) 19:30:04.41 .net
なんで天皇厨、記紀厨は日本だけ、記紀だけ無謬だと主張するんだろうな。
世界のどこの国でも、初期の年代記なんて創作や水増しは当たり前なのに。

876 :日本@名無史さん:2014/07/13(日) 19:44:44.84 .net
>>875
無謬と言ってる奴がこのスレにいた記憶がないのだが
神功・応神辺りは明らかな作為の部分が存在しているし
倭の五王の存在なんて完全頬被りだ

そういう部分を解明していく上で記紀の記述を全否定するよりは
足がかりにしていった方が有意義というスタンスなだけ

877 :日本@名無史さん:2014/07/13(日) 19:48:38.10 .net
世界中の国でそうだから、日本も同じに決まってるという決めつけは雑すぎる
世界の例でも、どういった条件で捏造が行われているかを明確にしたうえで、日本に当てはめていかないと、
記紀厨を笑えないガバガバな思考だ

878 :日本@名無史さん:2014/07/13(日) 19:49:39.66 .net
記紀厨って呼び方がもうアホすぎる

879 :日本@名無史さん:2014/07/14(月) 06:54:59.68 .net
そりゃ、記紀に書いてある天皇は全部実在だの、ヤマトタケル個人も実在だの、
個々の事件も史実だの騒いでるヤツがここの古代史系のスレには多いからな。

記紀厨と呼ばれて当然。

880 :日本@名無史さん:2014/07/14(月) 07:00:03.88 .net
何で古墳なんて作ったんだよ。
世界的に見てデカイ墓を作る奴等なんていないじゃん。
倭人って異常だろ。
しかも目立つ所に作るし。
ありえねーよ。

881 :日本@名無史さん:2014/07/14(月) 10:15:51.16 .net
>>866
同時代の中国やポルトガルの史料と比較して分かるんだよ
普通、こういう風にして史料の間違いや嘘を見破ることができる
日本書紀はある意味助かってるな

882 :日本@名無史さん:2014/07/14(月) 10:17:58.55 .net
>>870
882: 日本@名無史さん [sage] 2014/07/14(月) 10:15:51.16
>>866
同時代の中国やポルトガルの史料と比較して分かるんだよ
普通、こういう風にして史料の間違いや嘘を見破ることができる
日本書紀はある意味助かってるな

883 :日本@名無史さん:2014/07/14(月) 10:20:41.34 .net
>>875
この当時の【歴史書】を現代の実証主義歴史科学と混同してるんだろうね
丸きり性質が異なるんだが

まぁ、かくいうオレも勉強し始めのころはそうだった

884 :日本@名無史さん:2014/07/14(月) 10:27:01.68 .net
結局>>853は記紀が全てファンタジーだと証明出来る資料を提示する事なく逃げたのか?
もし記紀=全てファンタジーと言うのが根拠のないデタラメだったんなら謝罪の一言くらい欲しいんだが

885 :日本@名無史さん:2014/07/14(月) 10:28:13.16 .net
>>878
あいつは、記紀を尊重しようという人間はケチョンケチョンに貶すが、
金官加羅の傭兵隊長とか反記紀で妄想語ってる人間については全く言及しないからな。
かなり偏ってるよ。

886 :日本@名無史さん:2014/07/14(月) 12:27:11.24 .net
記紀は捏造です。
証拠?ないけどタイがそうなんだから日本もそうに決まってる!
でも金官加羅の傭兵隊長が応神天皇になったのは否定しないよ。

アホか。

887 :日本@名無史さん:2014/07/14(月) 18:15:15.63 .net
>>875
100%真実だなんていうやつはいないと思うよ。神代は「神話」でいいしさ。
そうじゃなくて、記紀はでっち上げの捏造というやつへの反論だわな。
天皇家に都合のいいように捏造したとかさ。

記紀を読めば、どこがつごうがいいのさ?ってことがいっぱい出てくる。
捏造するならもっとましな話をでっち上げるだろwというような。

昔の人はもっと素朴で、先祖を大事にし、勝手にでっち上げるとかしてないと
思うよ。あれだけたたりや病気や事前災害をおそれ、占い師にすがっていた
ご先祖様が、「勝手に先祖を捏造する」という暴挙にでるのは不自然すぎる。
そんなことをすれば、それこそ祟られて、一族が滅亡するよ。

長い間には伝承がうまく伝わらないこともあったろうが、7世紀に天皇家に
都合のいい物語をでっち上げるなんて、それこそ捏造だ。
捏ち上げるなら、継体も雄略も神宮皇后もいらない。仁徳が20人いればいいんだから。

888 :日本@名無史さん:2014/07/14(月) 19:14:17.32 .net
神武以降の登場人物は、欠史八代の人物も含めて、捏造としては出来が良すぎるんだよ。
天皇家に都合がいいという意味で出来がいいんじゃなくて、出てくる土地は
ちゃんとそれなりの遺跡があり、妃の出身もね。

捏造ならば、発掘して矛盾がない土地を選定したのかというくらいw
吉備や丹後、尾張、関東、山城、近江。
鴨氏、尾張氏、葛城氏、息長氏・・
出雲だって、今じゃ神社もその他も、嘘っぱちなんて言えなくなった。

各地の各一族のたくさんの伝承のうち、天皇家に関係する部分だけ摘んだのが
記紀なんだろうけど、記紀を作るまでに何百年経ってるから間違いもあるだろうけどさ。
古い神社の言い伝えが面白すぎる。

889 :日本@名無史さん:2014/07/14(月) 19:47:55.44 .net
ちょっとひいきの引き倒しじゃないのか?
説話や伝承は、あくまで説話や伝承であって史実じゃない。
核となる史実はあったとしても、詳細は忘れられて、おぼろげな記憶になったものや、
断片的に残っていた記憶を、7〜8世紀の朝廷に都合がいいように再構成し、
創作、捏造、改竄し、最終的に中国の古典の文章で修飾してると考えた方が合理的だ。

890 :日本@名無史さん:2014/07/14(月) 20:26:31.04 .net
合理性皆無、ただの願望だな

891 :日本@名無史さん:2014/07/14(月) 20:52:19.28 .net
>>889
そうだとする証拠は?
君こそ改竄だと決めつけるあまりに結論ありきになってるんじゃないのか?

892 :日本@名無史さん:2014/07/14(月) 22:55:04.18 .net
むしろ記紀がそのまま史実と考えるほうが、合理性皆無のただの願望で、
戦後史学への反動と反発のあまり、記紀の内容が史実を正しく伝えているという、
「結論ありき」からスタートしているのではないのか?

893 :日本@名無史さん:2014/07/14(月) 23:06:42.34 .net
>>892
水掛け論過ぎないか?

どっちかと言うと年代の虚構を削ぎ落としていくと考古学的な成果や中国の史書との整合性も
生じてくるし「史実をある程度反映している」という見方になりそうなもんだが
年代を除いた場合どこがあからさまな捏造と判断できる箇所なんだろうな?

894 :日本@名無史さん:2014/07/15(火) 00:14:34.08 .net
史実を正しく伝えているというか、前提が違うのかもね。
一字一句正しいんだと、戦前のような立場を取るわけじゃないよ。
そんなのカルトだ。

そうじゃなくて、旧約聖書程度には伝承を伝えているというかさ。
嘘っぱちだと聞いていたけど、発掘やらと意外と整合してるじゃん、という感じ。
捏造したというより、「伝承を伝えている」のであって多少の錯誤や記録漏れは
仕方がない。何百年も経ってるし記事そのものが少ないからさ。

作り話と言われていた出雲もちゃんと出てきたし。
各地の神社を掘ったら、きっと伝承にあるような時代の遺物が出てきそう。
というか、ヤマトタケルの話なんか、熱田神社が今もあるじゃん。

石上神宮からは七支刀が出てきたし。
諏訪神社も、大神神社も、一言主神社も、石上神宮もちゃんと存在してるw

神功皇后の話は、中国にも朝鮮にも倭が攻めてきたという記録がある。
ただ名前がないだけで。
石で出産を遅らせたという点を持って、すべてでっち上げだとするのは
ちょっと違うと思う。

仁徳さんが作ったという用水路や堤も残っている。神功皇后が作ったという
水路も残っている。依網池の痕跡も残っている。
ヤマトタケルと崇神の四道将軍の話は、まとめて書いたにせよ、当時はそう
伝わっていたのかも知れない。

うそっぱちだろうと思いながら読み始めたが、考古学の成果と繋がってるよな、
と思うこの頃です。

895 :日本@名無史さん:2014/07/15(火) 06:57:43.70 .net
だけど、ヤマトタケルという王子や神功という女王は、個人としては実在していなかった。
ヤマトタケルは文字通り「ヤマトの勇者」で、複数の王族将軍や武将たちの象徴的ヒーロー。
神功=オキナガタラシヒメは、4世紀末の半島出兵の漠然とした記憶(日本側の記録はない)を、
7世紀の斉明女帝をモデルに、母神やら海神やら息長氏の主張をミックスして創作したもので、
実際に4世紀末にそういう王妃や女王がいたとは考えがたい。

896 :日本@名無史さん:2014/07/15(火) 12:09:28.45 .net
>>864
ああいうのを記紀オタと呼んでほしくないとは個人的に思う
別に詳しくもないし

897 :日本@名無史さん:2014/07/15(火) 12:21:42.05 .net
戦前に一字一句正しいと考えられてた思ってるあたり、なんというか…
戦前どころか江戸時代から明らかな矛盾点は学者が考察をしてることも知らなかったのか?
まさか戦前の歴史学者は本気で紀元前660年に神武天皇が即位したと考えていたと思ってるのか?

なんつーか、ソ連が崩壊してもマルクス主義を捨てられない老人みたいで哀れだな…

898 :日本@名無史さん:2014/07/15(火) 13:18:11.33 .net
>>897
紀元前660年に神武天皇が即位して何かおかしいのか?
正しいにせよ正しくないにせよ、大和王権の始まりはかなり古いだろう
そのくらいの時代で始まっても良いんじゃないか

899 :日本@名無史さん:2014/07/15(火) 13:20:05.38 .net
>正しいにせよ正しくないにせよ、大和王権の始まりはかなり古いだろう

それと紀元前660年なんてのは全然レベルの違う話だ

900 :日本@名無史さん:2014/07/15(火) 13:25:17.14 .net
農耕部族がどこかから流れて来たと思うけど、
北部九州の先進地帯で日本で初めて稲作が始まったのは紀元前10世紀
その安定収入を確保できた部族が東に流れて来た、あるいはその部族に敗れた九州の先住民が東に落ち延びて来たとしたら
紀元前7世紀流入で、いい線いってると思うけど……

901 :日本@名無史さん:2014/07/15(火) 13:28:16.77 .net
>>897
信じるも信じないもそれは残された記録
記録上は天皇家の始まりは紀元前6世紀
それでいいだろう
妄想でもなく厳然とした残された記録

902 :日本@名無史さん:2014/07/15(火) 13:28:21.08 .net
あてずっぽう考えていい線とか自画自賛するのは勝手だけど
自スレでも立てて一人でやってくれないかね?
みんなが迷惑してるよ

903 :日本@名無史さん:2014/07/15(火) 13:29:51.17 .net
>>901
訂正
記録上は天皇家の始まりは紀元前7世紀

904 :日本@名無史さん:2014/07/15(火) 13:31:19.48 .net
>>897
いやいや、戦中に子どもだった爺さんは、神武〜の天皇の名前を暗記させられ、
間違えたらぶん殴られたらしい。
日本書紀が間違ってるなんて言おうものなら、憲兵に連れて行かれる
勢いだったと、今でも嫌ってるよ。
今でも神武からどこかまで空で言えるらしい。

そういうのを聞いていないと、拒否反応は理解できないかも。

905 :日本@名無史さん:2014/07/15(火) 13:33:26.47 .net
戦前の研究者の話と一般人の認識を一緒にするなよ
なんでお前は身近なことでしか考えられないんだ

906 :日本@名無史さん:2014/07/15(火) 16:20:03.33 .net
>>904
んなことあるわけねーよ

907 :日本@名無史さん:2014/07/15(火) 19:40:12.11 .net
>>904
そんなんで嫌いになるんだったら今頃天皇制は存続してないだろ

908 :日本@名無史さん:2014/07/15(火) 19:45:40.97 .net
記紀の一部しか知らないと、あんなのでっち上げだと考えるのも分かるな。
古事記を読んで、各地の古い神社の伝承、風土記なんかを読むと、おもしろい。
武蔵や毛野や常陸の国の栄え方からすると、崇神の時代以前の系譜がいい線行ってると思うな。
四道将軍は古事記にはないんだけどさ。
オオヒコや丹波道主命、吉備津彦、彦坐王、豊城入彦命の伝承がある場所は、
早くから人口が増加し、古墳や古い神社も多い。
常陸の国の繁栄ぶりからすると、鹿島神宮の伝承通り、もっと古くから
開発されたのかも知れない。

909 :日本@名無史さん:2014/07/15(火) 20:05:03.04 .net
最北の国造の思田国造とかも普通に考えると怪しいと思うかもしれないが、
100メートル越えの4世紀の前方後円墳がその領域内にあるんだよね
その古墳は地元では初代国造志久麻彦命の墓と伝わるらしい。
大和朝廷は意外と早めに東の方は平定しきったのかもしれない。

910 :日本@名無史さん:2014/07/15(火) 20:58:50.09 .net
思田?

911 :日本@名無史さん:2014/07/15(火) 21:06:53.95 .net
ごめん思太国造だ

912 :日本@名無史さん:2014/07/16(水) 15:41:55.98 .net
>>909
平定というか全国統一は意外と早かったのかも。
まあ、完全にとは行ってないだろうけどね。
後の「反乱」は、「反乱」でしかないような書き方だし。古墳の分布も
東北にもあるし、少なくとも共通の価値観と文化を共有していたと思われる。

913 :日本@名無史さん:2014/07/16(水) 20:23:48.52 .net
前方後円墳は形状こそ同じだが、玄室や内装(壁画とか)は地方色強いね
同祖意識とか、封建するときの契約程度じゃないのか

914 :日本@名無史さん:2014/07/23(水) 10:36:49.67 .net
反乱とか平定とかいうけどさ、別にその土地の住民を全部虐殺してしまうわけじゃない。
納税とか貢物を収めるとか、兵士を出すとか、それを承服することが平定なんだろうし。

915 :日本@名無史さん:2014/07/23(水) 18:58:26.70 .net
そらそうだ

916 :日本@名無史さん:2014/07/24(木) 22:57:30.76 .net
>>898
橿原遺跡の年代測定の結果とほぼ一致する

917 :日本@名無史さん:2014/07/24(木) 23:31:13.23 .net
>>916
そんなに古くないだろ、巻向

918 :日本@名無史さん:2014/07/24(木) 23:31:52.83 .net
間違えた
巻向→橿原

919 :日本@名無史さん:2014/07/24(木) 23:58:19.07 .net
まあ古すぎて正確な伝承ができなかったという可能性はあるよな

影が薄い人だと事績がどんどん省略されていくんだろうな
歴代天皇見ていても平安初期とか桓武、嵯峨は存在感あって印象に残るけど
後期になると後朱雀天皇とか本当に名前だけっぽい人が出てくるから困る

920 :日本@名無史さん:2014/07/25(金) 13:57:33.27 .net
エポックな事例の記憶は口伝であってもそこそこは伝承しているだろうけど、
記紀の成立から100年以上前のことについては
歴史というよりは神話になり始めていると思う。

921 :日本@名無史さん:2014/07/25(金) 15:02:25.79 .net
>>920
明らかに文字を使い始めた雄略期以前、200年前ぐらいから先は結構あやふやだったとは思うが
100年前程度でそれはないわ

922 :日本@名無史さん:2014/07/25(金) 19:13:46.80 .net
>>921
というか、様々な伝承を日本書紀に取り組む際に作り替えてるんだろ
直接7世紀の天皇家に関係ない地方王権のおとぎ話なんかはボカさざるを得ない
例えば、クマソ退治に行ったヤマトタケルと、イズモタケルと戦ったそれと、関東征伐のそれとは別だろうしね

923 :日本@名無史さん:2014/07/25(金) 19:18:56.91 .net
文字が余り使われていないところでは、
世代が変わればいろいろと尾ひれがついて、
割とすぐに神話化するらしい。

南方のある島では、第二次世界大戦の日米戦が、
神々の戦いになってた。

と、小松左京の本に書かれていた。

924 :日本@名無史さん:2014/07/25(金) 20:20:33.89 .net
>>923
現代人の俺ですらあれは神々の戦いだったと感じるぐらいのスケールのデカさだけどな

逆に言えばショボイ戦いの物語はオリジナルもやっぱショボかったんだろう

925 :日本@名無史さん:2014/07/26(土) 01:16:55.01 .net
>>923
トロイ戦争もアテナとアポロンの戦いになってるしな

926 :日本@名無史さん:2014/07/28(月) 17:30:43.99 .net
>>920
ただの庶民のうちでも、5代くらい前の江戸時代末期の爺さんの話が
酒席で笑い話に登場するというのに。

一族をこの土地に導いた偉大な先祖とか、繁栄の元を切り開いた偉大な先祖とか、
先祖の中でも伝承の伝わる人とそうでないのがいるんだと思う。
うちの先祖でも、近隣のばあちゃんまでが語ってくれる先祖もいるが、
一度も登場しない先祖もいる。庶民で140年程度でそうだから、一族を率いて
繁栄のもとを築いた先祖なら、10代たっても伝わると思う。

マオリ族の伝承とか、アメリカ・インディアンの伝承とか、誰も否定しない。
細かな部分で不都合やおかしなところがあろうとも、全体の流れはね。
マオリ族なんか、千年たっても詳細に伝わってる。

927 :日本@名無史さん:2014/07/28(月) 18:50:53.59 .net
大規模古墳群がそれぞれ誰の墓なのか、作ってから二三百年でわからなく
なっちゃうなんてことはあり得ないよね。

つまり日本書紀時代の日本人と古墳を作った人間とはまったく別物だ。
土蜘蛛だのなんだの言われていた異族かね。

928 :日本@名無史さん:2014/07/28(月) 20:34:26.08 .net
>>927
いや、あると思う

雄略紀だったか、墓守の奴隷をどこそこに異動させたとか目潰しにして放擲したとかあったね
ああいう政治的混乱の中で失われた情報は多いと思う
今より人口は圧倒的に少ない時代だ。文字通りの皆殺しは可能

929 :日本@名無史さん:2014/07/28(月) 21:23:11.56 .net
マオリやネイティブアメリカンの口伝による伝承は
『大きな地震の前』とか『大飢饉の時』『部族の危機に』とかいうように、特異な事象の時に
○○が△△をした。という形であって
なにがしかの反映はしているものの、時期の特定はほぼ不可能だとおもう。

930 :日本@名無史さん:2014/07/28(月) 21:24:54.33 .net
>>927
こういう奴ってどういう思考回路してるんだろう
脳みそを覗いてみたい

931 :日本@名無史さん:2014/07/28(月) 21:32:09.92 .net
あれだけでかい代物だぞ。
すぐ近くにいる人間でなくとも、畿内一円の集落の長クラスなら、全員知ってるだろ。
ただし、納税なり労働提供なり交易なりなんらかの交流があった場合はね。
まったく交流がなかったなら、そりゃ知らんまんまだろうね。

932 :日本@名無史さん:2014/07/28(月) 21:35:29.88 .net
>>930
頭が弱い人?

日本書紀がなぜか畿内の稜の同定ができていない、というのは日本古代史の
大きな謎なんだよ。

933 :日本@名無史さん:2014/07/29(火) 00:54:31.29 .net
その説で行くと平城天皇も今の天皇家とは関係がなかったことになるんだが

934 :日本@名無史さん:2014/07/29(火) 04:33:53.69 .net
日本書紀の時代はわかってただろ。
今の人間には分からんだけで。

935 :日本@名無史さん:2014/07/29(火) 07:46:28.29 .net
日本の場合、あまり墓誌を立てる習慣がなくて、
埋葬さえできればそれで良いとする文化で、
子々孫々まで長く祭祀をするという発想が無い。

936 :日本@名無史さん:2014/07/29(火) 08:40:17.95 .net
>>932
記紀は同定してるんだよ。
それを後世の人間が治定間違いをした。
継体天皇陵の太田茶臼山古墳(現陵)と今城塚古墳(真陵)や
斉明天皇陵の車木ケンノウ古墳(現陵)と牽牛子塚古墳(真陵)などが良い例。

937 :日本@名無史さん:2014/07/29(火) 08:48:55.76 .net
>>936
飛鳥奈良時代の地図があれば間違えずに陵墓を発見できるというわけ?
間違えたのは江戸時代や明治時代の人間ってこと?どうかねぇ

938 :日本@名無史さん:2014/07/29(火) 08:59:23.04 .net
>>933
なんで?
卑弥呼の墓が伝わらなかったのと同じで、陵墓も正しく伝わらなかったんだと思うよ
つまり、飛鳥時代の朝廷は、例えば河内王朝などからは、かなり離れた連中ということ
全く無関係とは思わないがね

だいたいからして日本書紀は、天武に味方した豪族や部下の先祖を不自然に持ち上げたり、時には創作したりして怪しい部分がある
歴史書という前に、論功行賞の人物伝の側面が大きい
聖徳太子が書いていたという歴史書が見つかれば比較検証できるが、そんな日が来るのかね

939 :日本@名無史さん:2014/07/29(火) 09:08:03.10 .net
>>938
飛鳥時代の朝廷で天皇だった推古天皇陵すら
宮内庁比定と本当の陵墓は違っていたりするんだから
それ以前の陵墓が違っていてもおかしくないだろ

だいたい墓に墓標建てるでもなし、現在のような墓参りの風習もなかったのだから
何年か経つと先祖の墓でも分からなくなる
陵墓が残る天皇家はまだまし、一般庶民など風葬が主流で墓すらない

940 :日本@名無史さん:2014/07/29(火) 09:18:12.53 .net
推古陵は現陵でほぼ間違いないと学界も考えているぞ

941 :日本@名無史さん:2014/07/29(火) 11:22:48.87 .net
>>937
むろん飛鳥・奈良時代の指定が全部正確とは言わんよ。
>間違えたのは江戸時代や明治時代の人間ってこと?
の典型例としては天武・持統合葬陵があるよね。
現陵でまず間違いないと言われており、鎌倉時代までは事実そう認識されていた。
が、幕末・明治には五条野(見瀬)丸山古墳が天武・持統陵に治定されていた。
このように、「真陵の近くにある古墳を誤指定」という現象が、
飛鳥・奈良の時点でも起きていたケースはあるだろうということ。
王朝交替説とか刷り込まれてるから、指定が合わないとすぐに別王朝だの無関係だの言いだす人がいるが、
欠史八代はともかくとして、崇神以降古墳前期〜後期の天皇陵(大王墓)の地理的変遷は、
考古学的考察とも概ね合致するから、むしろ伝承が良く残されている方だと私は思う。

942 :日本@名無史さん:2014/07/29(火) 13:41:00.57 .net
>>941
オレは何も反天皇家ではないんだが、さすがに万世一系父子相続はムチャだと思う
日本書紀はムチャなことを実現した王統だと言いたいのだろうけどね
王朝交替説といっても、日本の場合『天武系』『天智系』といったあまり意味のない王統設定だ
遠山みつおも王朝という単語の内容を疑問視してた

日本書紀自身が書いてる通り、母系の相続や五世相続等も存在したようだ
直近の先祖に当たらない古い王統の伝承は、七世紀の段階で失われていたのではないかな
古墳は今よりずっと多く残存してた時代だ。すべて語り継がれたとは思えない
残念なことだが

943 :日本@名無史さん:2014/07/29(火) 13:49:27.99 .net
室町〜江戸中期まではそのほとんどが陵としての管理を放棄されていたのだから
文書などが散逸すれば記憶も不確かになると思う。
江戸時代では地元の古老の言い伝えでは〜云々、というくらいだから
外に出てくるものはあやふやだったのかも。
文字で書かれていない状況下では予想を超えて不明になると思った方がよさそう。

天武持統陵についてなら1880年に発見された『阿不幾乃山陵記』が決め手になったのだし
伝承はそれなりでしかないと思った方がいいかな。

944 :日本@名無史さん:2014/07/29(火) 19:04:32.39 .net
「偉大な天皇家」をでっち上げるなら、神武天皇陵を真っ先にでっち上げるだろ。
でっかい古墳のどれかにね。
そうしていないってことは、伝承がそうなっていたってことさ。
八代(九代)までの天皇は、古墳時代ではなかった。
開化天皇陵がイマイチ分からんが、少なくとも崇神からは古墳時代だ。
崇神の父の代か祖父の代に大規模前方後円墳に繋がるヤマト王権の基礎が
出来ているはず。神武〜孝元までは、大きな墓をでっち上げたりしていない。
まさに「伝承通り」を記紀は書いたんだろね。

こういう点から見ても、記紀の編者と時の政権がでっち上げたとは思えないね。
でっち上げ論者のほうがよっぽど捏造だ。

945 :日本@名無史さん:2014/07/29(火) 19:51:34.96 .net
>>927
日本書紀には書いてあるじゃん。

>>941
よく伝えていると思うね。
まあ、江戸末期に比定で間違えたのは仕方がないものもあるしね。
それにしても、雄略陵のあれはないだろうと思うけどさ。
まだ河内大塚山にしておけばよかったのにさ。

946 :日本@名無史さん:2014/07/29(火) 19:56:32.08 .net
>>944
確かにショボいね神武陵

947 :日本@名無史さん:2014/07/29(火) 21:10:42.38 .net
>>942
万世一系父子相続ってあった?
何度も絶えそうになって傍系に移ってることになってるけど。
徳川だって直系は何度も絶えて傍系で繋いでるが、それでも家康の子孫は
何百人もいるらしいからねえ。

948 :日本@名無史さん:2014/07/30(水) 01:20:33.51 .net
>>947
けっしはちだい

949 :日本@名無史さん:2014/07/30(水) 02:09:31.83 .net
ここの連中は池沼ぞろいか?

聖徳太子の時代が6世紀後半、100年足らず遡れば古墳時代まっただ中だ。
んなんで、口承だから稜の主が誰だかわからなくなるとかあり得ないだろうが。

もしかして、聖徳太子が日本で初めてまともに文章が書けた人間だとでも
思ってるんかねw

950 :日本@名無史さん:2014/07/30(水) 02:52:52.40 .net
>>949
文献が発見されたら証明できるね
そんな日が来るといいとオレも思ってる
天皇陵の中には墓碑銘でもありそうなもんだが
惜しいね
稲荷山鉄剣のようなものがザクザク出るといいんだが

951 :日本@名無史さん:2014/07/30(水) 05:24:55.18 .net
日本での文字の扱い方については、
3〜4世紀は墨書土器の時代で、一文字だけ(田の字が多い)書く
おまじないのような扱い。

5世紀は見よう見まねでなんとか(中国人の指導で?)文を書くが、
書になってなかったり、切り貼りして、文章も変な時代。
鉄剣の金石文など。

6世紀では仏教の経典が入ってきたりして、僧侶などや一部の役人で
文字の読み書きができるようになった時代。

7世紀で戸籍など文字が下級役人でも扱えるようになった時代。

もちろん、国書などは、帰化人などの監修を経て、
恥ずかしくないようにはしただろうけど。

952 :日本@名無史さん:2014/07/30(水) 05:40:26.67 .net
8世紀になると万葉仮名など、日本人特有の魔改造が始まった時代(笑)

953 :日本@名無史さん:2014/07/30(水) 09:19:38.09 .net
木簡が出土するのが7世紀後半以降だからな。
王権内部で文書行政が行われるようになるのは、やはり天智・天武以降だろう。

それ以前は、一部の専門家(渡来系の史部)や僧侶くらいしか読み書きはできなかった。

954 :日本@名無史さん:2014/07/30(水) 10:01:47.79 .net
勘違いしやすいのだが、中国人だから漢字漢文をスラスラ書けるというわけではない
漢文は中国語じゃないからね
いつの時代も漢字漢文に長けた人間は人口の1%もいなかった
漢文はもともと多言語国家の中国で生まれたもので、スピーキングを無視して意味で意志疎通を諮るシステムだ
つまり、日本語も漢文で記して構わない
古い時代の文献は漢文だろうと思う

955 :日本@名無史さん:2014/07/30(水) 11:18:31.36 .net
なるほど、特殊な例を排除すれば
文字を記録媒体として使用し始めるのは6世紀後半以降と考えた方がいいのかな。

一次資料もしくは一次資料からの引用としてそれなりの信頼度が出せるのは
よくて5世紀半ば以降からかな…

稲荷山が115文字で、江田船山が75文字。
これだけでもかなりのことが確定ないし比定できたのだし
やっぱり歴史と取れる銘文付きがもっと沢山でてこないかなぁ…

もしくは中華からの下賜品にあちらで銘入れしたものとかでてこないかなw

956 :日本@名無史さん:2014/07/30(水) 13:01:39.16 .net
東大寺山鉄剣や七支刀は大したことが書いてないのか。

957 :日本@名無史さん:2014/07/30(水) 13:57:18.43 .net
祭祀用なのか、言祝ぎや祝詞にも似た文面が多くなるけど
少なくとも製造年は書かれている場合が多いので
歴史的な話はともかく価値が低いことにはならないかな。

七支刀でいうなら、日本書紀の話との相関の考察を促したりして面白いと思う。

958 :日本@名無史さん:2014/07/30(水) 14:58:58.18 .net
>>956
百済との関係が分かってためになる
ただ、漢文は舌足らずなので、バカチョンは『日本へ下賜したもの』と勝手に解釈してる
己らの歴史書には登場しないのにな

百済が中国南朝の年号を使っていたこと(つまり柵封を受けていた)、倭国同盟の中心人物が王太子だったこと、など分かる

959 :日本@名無史さん:2014/07/30(水) 15:01:10.80 .net
>>952
その魔改造のおかげで日本文明が残ったようなもんだから素晴らしいよ
時間はかかったが

960 :日本@名無史さん:2014/07/30(水) 16:06:19.77 .net
このスレって古墳は天皇家と関係ないって喚いてる子がいるときしか伸びないよね
ほかに話題ないの?

961 :日本@名無史さん:2014/07/30(水) 16:24:45.43 .net
関係あるのもあるんだろうがないものも多いってのが正解だろ
日本の学問の始まりは飛鳥時代、それ以前が正史に残るわけがない

962 :日本@名無史さん:2014/07/30(水) 16:26:49.80 .net
朱塗りの棺なんてのも学説ではでるけど証明する証拠がないからな

963 :日本@名無史さん:2014/07/30(水) 17:41:26.91 .net
顔真っ赤にして何騒いでいるのやらw

964 :日本@名無史さん:2014/07/30(水) 17:53:27.04 .net
>>962
ホケノ山古墳は墓室から水銀(丹)が大量に出てきたね

965 :日本@名無史さん:2014/07/30(水) 17:57:26.01 .net
>>957
贈ったのが369年だっけか?それから30年後の396年に第一回高句麗戦争参加だから大分間があるね
同盟当時の倭国王は存命だったか代替わりしてたのか
どうだろうね

966 :日本@名無史さん:2014/07/30(水) 19:56:03.41 .net
>>959
漢語が使われている地域が隣接していないというのがラッキーだった。
音が長安の遣唐使が持ち帰ったセットでほぼ固定だったので
万葉仮名が安定していた。

五胡十六国の胡族にも万葉仮名があり
漢の時代の白狼王歌に洛陽の音で音写され胡族の言語は
民族移動してしまって唐の時代には蜀あたりの音で音写されてしまい
一貫性の証明が困難。
声調のあるチベット系の言語を話し、猿の神話を持ち、放牧形態での牧畜を
行うという状況で当該胡族の成分を匈奴・鮮卑・羯・氐・羌のうち「羌系」と特定した。

967 :日本@名無史さん:2014/07/30(水) 23:36:05.60 .net
>>966
李白の歌がトルコ語の漢文訳だという分析もあるね
詩経や屈原の詩も意味不明の文字の羅列があって、スピーキングの訳後ではないかと言う文献をかつて読んだ

968 :日本@名無史さん:2014/07/30(水) 23:38:26.01 .net
>>966
どうだろうね
佛典の影響もあるかも知れん。いわゆる呉音というやつ
聖徳太子の師匠は高句麗人らしいが、日本語高句麗語説なんかを産むからくりはこれじゃないかと

969 :日本@名無史さん:2014/07/31(木) 00:06:18.92 .net
蘇我馬子の父、蘇我稲目が生まれたのが6世紀初頭、
蘇我稲目のじいちゃんが大仙陵他河内の大古墳が築かれている現場を
見ていたとして不思議は無いんだぞ。
当然、天皇や他の豪族のひいじいちゃん連中も同じこと。

文字を多少なりとも操れるようになれば、まっさきに書き残そうとするのは父祖の系譜。
稜が誰のだかわからなくても当たり前とか本気で思ってるのか?

970 :日本@名無史さん:2014/07/31(木) 10:52:45.67 .net
記録として文字で書かれた文書では
直接的に言及しているのか間接的になのかによって正確度も質量も変わってくるのは自明。
 ex. 自分が見た、長命なじいちゃんが見た、
  じいちゃんが若い頃に聞いた古老の体験談。じいちゃんが聞いた古い伝承。

先の大東亜戦争ですら、豊富な資料と映像、記録などがあるからこそ全体像もわかる
自分の祖父母などの体験談だけからはとてもではないが再構成できない。
伝承だけでは幕末あたりに遡るだけで、おそらくは微々たる復元しか出来ない。

蘇我三代の3代目の頃は陵の比定は自明に決まっているだろうね。
ただ、それがそこから百年単位で未来へ残っていくかどうかは微妙。
意外と簡単に消失すると思う。

971 :日本@名無史さん:2014/07/31(木) 15:06:18.81 .net
真の仲哀天皇陵はどこなの?

972 :日本@名無史さん:2014/07/31(木) 18:14:23.78 .net
津堂城山古墳だろう

973 :日本@名無史さん:2014/07/31(木) 18:25:57.37 .net
>>970
一次史料、二次史料、三次史料ってやつだね

一次史料→事件当時、当事者及び関係者がその場で書き記したもの
二次史料→事件から数年後、当事者及び関係者が回想して書き記したもの
三次史料→一次二次を基に、第三者がまとめたもの。作者の身元が確認できるものが好ましい

一次史料の典型は日記とかだね。裁判でも証言として重要視される
歴史書の大半は三次史料だ。ガリア戦記などは二次に当たる
一次史料は激レアで、古代史料にはまず存在しない
文字を書けるものが少ないからな

974 :日本@名無史さん:2014/08/01(金) 10:53:01.49 .net
中国に使者を出したり、中国から官位をもらったりしてるのに、
文字が読めもしないってどんな妄想だよ。

975 :日本@名無史さん:2014/08/01(金) 12:14:19.41 .net
このスレを見ると、レスしているやつのうちかなりの人間が
中学生レベルの日本史の知識もないんじゃないかと思うよ。

中学生の社会の教科書に出てくる蘇我馬子、聖徳太子、推古天皇、
みんな古墳時代の人間なんだぞ。
んで、仏教伝来から100年前は河内大古墳群がつくられていた。

古墳時代の最大の謎は、なんでそんな最近の重大な史実の記述があいまい、
もしくは間違っているのか、ということなんだよ。

976 :日本@名無史さん:2014/08/01(金) 13:11:05.25 .net
三次史料はあまり聞かないかな。
いわゆる同時代資料が一次史料で、それ以外が二次史料という程度で。
あまり敏感に考えなくてもいいかな。
一次であろうとバイアスはかかっているだろうし、
二次であっても別に価値が低いわけでも無いし。


それにしても、せめて風土記が全部残っていたら
歴史屋さんはもっと幸せになれたに違いない。

977 :日本@名無史さん:2014/08/01(金) 15:37:36.55 .net
>>975
馬鹿だなあ。本当に馬鹿だな。
平城天皇なんか平安時代の人物なのに平城京の建設の際に前方部が取り壊された古墳(5世紀築造)に埋葬されたことになってるんだぞw
古墳時代の陵墓が不明確なのは当たり前だろ。

978 :日本@名無史さん:2014/08/01(金) 19:10:12.78 .net
ポイントは記紀編纂時、どの古墳が誰のやら、既に分かんなくなってたのか否かってこと?

979 :日本@名無史さん:2014/08/01(金) 20:19:29.92 .net
筆者の政治的立場や社会的役割等考慮して、記述の真偽を検証してゆくわけ
何でも信じればいいというもんではない
日本書紀もしかり
中国の場合正史は官製だから【身元】は確かだが、皇帝の沽券に関わる問題などは華麗にスルーされる
やはり同時代史料との比較で史実を抽出してゆくのが正攻法だが、日本の場合古代史料は少ない
考古学に期待の目が向くのは当然だろうね

980 :日本@名無史さん:2014/08/01(金) 20:21:44.03 .net
>>978
まぁそうだね


ところで、このスレは日本史板にしてはなかなかレベルが高かった。時期にスレ落ちするだろうから皆さんに礼を言っておきたい
ありがとう

981 :日本@名無史さん:2014/08/02(土) 08:10:21.56 .net
で結論、伝天皇陵の発掘調査を許可しない宮内庁が癌

982 :日本@名無史さん:2014/08/02(土) 08:20:17.24 .net
素朴な疑問です。
記紀は現代なら誰でも読めますが、
書かれた当時はどの程度の範囲の人まで読むことが可能だったのでしょう?
それはひいては記紀が対象読者をどう想定して書かれたのかという問題になりますが。
千年も後の読者を相手なら、好き勝手書いてもいいでしょうが
当時は
「ここの文章は事実と違うだろ」
と突っ込める人がいたと思います。
そういう人には読ませなかった?
読まれても抑え込める力関係だった?

983 :日本@名無史さん:2014/08/02(土) 13:30:47.95 .net
>>981
ヴァカか?
掘ってわかるなら造山古墳の埋葬者はとっくに特定できてるだろうがよwwww
掘ってもカビを生やすことしかできねー考古学者が一番の癌だよ

984 :日本@名無史さん:2014/08/02(土) 13:50:27.88 .net
>>982
当時において政体中枢部を占める有力氏姓は見ることが出来たと思われ。

ナノで基本は事実もしくは当時事実として流布されていた事象を書いているはず。

詔勅ないし勅命の形ですし、少なくとも6世紀以降に関してはほぼ真実にそっていると思われます。
押さえ込むとかその手の捏造の強要は基本無理かと。

逆にいうと、事実の真偽が指摘しにくい文字記録のないもっと古い時期に関しては
大いに改変されている可能性が高いです。

985 :日本@名無史さん:2014/08/02(土) 14:07:33.34 .net
>>984
>少なくとも6世紀以降に関してはほぼ真実にそっている

何デタラメを言ってるんだよ。
悪役にされた蘇我氏などの言及が真実のはずがないだろ。

あくまで日本書紀の時点で権力を担っていた連中が合意できる文書だ。

986 :日本@名無史さん:2014/08/02(土) 14:56:36.76 .net
蘇我氏だって蝦夷の弟の一族が存続してるんだよなあ
もしでたらめならそいつらがなんか言うだろ

987 :日本@名無史さん:2014/08/02(土) 15:50:31.19 .net
フムフム。
では日本において文字が伝わった(また普及した)のは
西暦何年頃かは分かっているのですか?

988 :日本@名無史さん:2014/08/02(土) 19:55:35.16 .net
>>987
全部とは言わないから、
せめて100レスくらいは読み返したら?

>>951

989 :日本@名無史さん:2014/08/02(土) 20:16:19.16 .net
古墳って日本以外に無いの?

990 :日本@名無史さん:2014/08/02(土) 20:35:33.58 .net
あんたらはこっちへいきなよ

歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ30
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1381405411/

991 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 02:45:47.67 .net
>>988ごめんねありがとう。

992 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 09:15:14.77 .net
>>982
日本書記は、編纂の翌年養老5年(721)に勉強会が開かれている。
基本、役人向けのテキストなんだろう。

993 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 09:19:55.58 .net
>>952

994 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 02:11:05.29 ID:mR9f4QM13
>>一次史料、二次史料、三次史料

たしか80年代にはやった芸術系の歴史認識論で、
新選組で池田屋に最初突入したのは誰か?ってテーマに適用され
そこそこ成果があったやつですね。

中村彰彦、津本陽ら史実重視派が、そこからの流れにいる。
三谷幸喜は彼らの亜流。

995 :日本@名無史さん:2015/01/15(木) 08:56:56.03 ID:Ck/lPlZoT
土方をするために大阪で働いていた
しかしお金がなく電車に乗れない
23kmの道のりを毎日歩いて職場まで通った

朝は早く寮を出て帰宅は午前様だった
堺市内の府道30号線を通るたびに
「鳥になりたい」
そう願った

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