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信長の正室濃姫・まむしの娘の謎

1 :日本@名無史さん:2014/04/01(火) 18:32:51.50 .net
以前あったスレだけどいつの間にか消えてしまい
気になったので再スレ立て
昔のスレ住人はいるかな?

2 :日本@名無史さん:2014/04/01(火) 20:50:12.70 .net
京都の部落史(同和地区?)を研究すると、真実がわかると思いますよ。

3 :日本@名無史さん:2014/04/01(火) 21:53:24.25 .net
謎の正室

4 :日本@名無史さん:2014/04/03(木) 13:18:31.40 .net
はっきりとした資料にほとんど残っていない珍しい正室だと思う

5 :日本@名無史さん:2014/04/03(木) 15:51:05.20 .net
同和って言葉はどうやってできたのかね?

6 :日本@名無史さん:2014/04/03(木) 19:17:44.50 .net
部落、同和関連の話は分からんけど、
濃姫って自分で自分の痕跡消したような気がするんだよな〜
母親が明智氏って話あるんで、「織田さんごめんなしゃーーい」ってことで信長死後自分の痕跡消した。

7 :日本@名無史さん:2014/04/04(金) 10:28:16.09 .net
ここだけの話、斉藤道三って、きんさんぎんさんの弟だといっても通用する名前だよな。

8 :日本@名無史さん:2014/04/18(金) 17:32:37.00 ID:A54tD/MnD
>>6
後からキモイのにあーだこーだ言われたくないから痕跡消したんじゃね?

9 :日本@名無史さん:2014/04/19(土) 10:07:55.15 ID:uGEgezyC7
明智光秀とどういう関係だったのかな?
従兄妹だったのかな?

10 :日本@名無史さん:2014/04/17(木) 06:36:57.00 .net
なんでもかんでもケチつけはじめてるんだな

11 :日本@名無史さん:2014/05/16(金) 05:18:13.70 .net
小田原合戦&関ヶ原合戦で織田宗家は一旦改易。
その時点で織田家に保管されていた公文書・私文書は全て処分される。

後に信雄系織田家が復活するも、信雄としては自分の母のことは語って
それが記録に残る、母のことを実態以上に美化して語るから生駒夫人が
「正室同様」「事実上の正室」なんてことに。
一方、本物の正室の記録はほとんど残らない。

12 :日本@名無史さん:2014/05/16(金) 07:09:49.95 .net
嫡男信忠の家臣には美濃衆が多くいる。
これは道三の娘である正室濃姫が信忠を養子にしたからこそできたことで、
濃姫が正室として信忠の義理の母でなければ、美濃衆の離反を招き、信忠の岐阜統治に支障をきたす。
つまり美濃衆は信忠のためというより、道三の娘のためにその義理の孫・信忠を支えたに過ぎない。

また信長の右腕・明智光秀は美濃国土岐郡出身
彼が晩年信長からの色々な無理難題や屈辱を受けながらも、信長の天下統一を全力で支え続けたのは、
ひとえに正室濃姫が、埋もれていた自分を発掘重用して能力を発揮させ世に出してくれた大恩人・斎藤道三の娘だたから
つまり光秀は信長のためではなく、亡き道三の娘のために、その夫信長を支えたに過ぎない。

13 :日本@名無史さん:2014/05/16(金) 14:45:52.45 .net
>>12
信長の正室が斉藤道三の娘であったことは「信長公記」にも見え事実だが

明智光秀の出身地は眉唾物だぞ

江戸時代中期成立の「明智軍記」あたりからの引用

14 :日本@名無史さん:2014/05/16(金) 14:52:54.52 .net
光秀は細川藤孝と共に足利義昭に仕えている。
天皇に任命されている「征夷大将軍」家側近となれば、いくら有能でも「馬の骨」は絶対に採用しない。
むしろ斎藤道三の方が、光秀が源氏に繋がる血筋であることを知っていて、将来足利将軍家とお近付きになろうとしたんジャマイカ?
現に信長は濃姫を通じて光秀を利用し、義昭を操って、最終的に権力を簒奪することで天下人になっているわけだから。

15 :日本@名無史さん:2014/05/16(金) 15:09:25.45 .net
>>14
だから、濃姫が光秀と知り合いっていうのが一次史料にないんだって

あと光秀が室町幕府に仕えていることを記しているのはルイス・フロイスの「日本史」だけど
光秀は細川藤孝と主従関係にある(光秀は細川家の被官)

16 :日本@名無史さん:2014/05/16(金) 15:10:45.55 .net
濃姫って信長関連の結婚した記述は見えるけどそれ以外は全く不明の人だろ
事実、信長の妻としての活躍は吉野(吉乃)の方が有名だもんな
それ以降の行方が全く不明な人というのも珍しい

17 :日本@名無史さん:2014/05/16(金) 15:21:33.00 .net
>>16
生駒氏(吉乃)も成立時期不明の「武功夜話(前野家文書)」によるものがほとんどで
一次史料はほとんどない
吉乃(吉野)という名も武功夜話に見えるのみ

生駒氏は織田家の家系図で織田信雄(徳姫も?)の母であることが知られるだけ

18 :日本@名無史さん:2014/05/16(金) 15:31:23.25 .net
そりゃ現代の歴史物なんて江戸時代創作の軍記物からの転用がほとんどだからな

19 :日本@名無史さん:2014/05/31(土) 16:31:32.77 .net
今やってる大河ドラマ『官兵衛』では、
濃姫と明智光秀は従兄妹同士の設定である。

それは、宣教師が地球儀の説明をしていたシーンで、
濃と光秀が、信長と同じテーブルについていたことで明白である。

20 :日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:14:50.41 .net
>>16
山科言継卿の日記(だっけ?)で
信長が、斎藤義龍の未亡人から茶の名器の椀を取り上げようとして、
美濃の国を挙げての大騒動が起こったとき、
信長の妻とその母親が登場する。
名前は書いてないけど、濃姫っぽい。

21 :日本@名無史さん:2014/06/10(火) 19:24:07.33 .net
>>20
そこに書かれてる『信長本妻』は、濃姫ではないという説もある。

22 :日本@名無史さん:2014/06/13(金) 00:51:51.45 .net
>>21
はて、濃姫でなかったら、誰なんだろう?

23 :日本@名無史さん:2014/07/23(水) 18:40:09.74 .net
濃姫って義龍未亡人をかばってるんだよな
義龍は父道三を討った兄だけど、濃姫はこの兄のことをどう思ってたんだろう

24 :日本@名無史さん:2014/07/24(木) 09:58:42.00 .net
結局「安土殿」ってのが濃姫じゃないの。
もしそうでないとしたら逆に「安土殿」って誰なのか
という疑問が出てくる。

25 :日本@名無史さん:2014/07/24(木) 13:08:19.74 .net
>>20
茶の椀ではなく、壺らしいな。

『言継卿記』

>永禄十二年七月廿七日
>晩頭佐藤錫携来、一盞受用了、故一色義龍後家壷可為所持、
>可被出之由信長連連被申、一乱之刻被失云々、尚於責乞者可自害云々、
>然者信長本妻兄弟女子十六人可為自害、國衆大なる衆十七人、
>女子之男以上卅余人可切腹由也、
>仍中分失弗に治定、今日無事に成了、佐藤も十七人之内也

>永禄十ニ年八月一日
>早旦弾正忠所へ罷出、於門前曾禮申之、しうとめの所へ禮に被行、
>彼門前迄同道、山上城可見物之由被申

26 :日本@名無史さん:2014/07/25(金) 18:00:45.38 .net
>>25
何が書いてあるんだてばよ?

27 :日本@名無史さん:2014/07/26(土) 15:21:01.18 .net
>>26
永禄12年7月27日
午後7時ころ(?)佐藤忠能が、錫の容器に酒をもって来た。一緒に呑んだ。
(そのときの話で)
故一色(斎藤)義龍の後家が持っていたという名器の壺を、
信長は「出せ。出せ」としつこく要求したが、
後家は「稲葉山城の落城のときの混乱の中で紛失しました。
なおも責められるのであれば私は自害します」と答えた。
そしたら、信長本妻の(と?)姉妹16人がこれに同情して一緒に自害すると言い出し、
美濃の国衆の有力者17人+姉妹の夫(16人)、計30余人が切腹すると言い出し、
(大きな騒ぎとなった)
この騒ぎは、仲裁によって収まり、今日、無事に決着した。
佐藤も17人のうちの一人だった。

永禄12年8月1日
早朝、城下の信長の屋敷に行く。門の所で出てくる信長と出会ったので、挨拶をした。
信長は、しゅうとめの所へ礼に行くところだった。姑の住居の門前まで同行した。
信長は(機嫌がよくて)、山上城(岐阜城)の見物をさせてくれると言った。

・・・こんなところか。誰が仲裁したかは、明白には書かれていない。

28 :日本@名無史さん:2014/07/27(日) 15:36:19.74 .net
>>27
誰が仲裁したかは、書かれてないけど、
5日後に仲裁の謝礼に行ったと解釈するのが自然で、
やっぱり、姑が騒動の仲裁をしたのだろうな。

信長本妻は、濃姫かどうか不明だし、
この騒動に対する態度も、姉妹16人と同調したのか、
局外中立、あるいは母親とともに仲裁に動いたのか、
この文章だけではわからないと思う。

29 :日本@名無史さん:2014/07/27(日) 18:07:28.45 .net
>>28
信長本妻が濃姫ではないとすると、
このとき義龍未亡人を庇って自害するとまで言った
信長本妻って誰?

義龍未亡人と相当親しい間柄(身内)であったと思われるし
信長に濃姫以外斎藤氏出身の妻なんていなかったと思うけど

30 :日本@名無史さん:2014/07/28(月) 13:43:03.17 .net
>>29
信長本妻が濃姫ではないとは言っていないよ。この文章では不明だと。
それに、
>然者信長本妻兄弟女子十六人可為自害、
これを、
信長本妻と・・・・・・と読むか
信長本妻の・・・・・・と読むか
で、話が違ってくるよ。
『と』ならば、姉妹16人とともに自害するといい、
『の』ならば、姉妹とは別の行動をとっている可能性がある。

また、『の』ならば、信長本妻は必ずしも生存していなくても意味が通じる。
実際、濃姫は美濃平定以前に信長によって離縁、または殺害されたという説もある。

仮に、信長本妻が濃姫でないならば、改めて道三の娘を娶ったということであり、
道三の正室・小見の方の娘は濃姫だけだから、側室の娘ということになる。
『しうとめ』が側室ならば、道三の娘たち、美濃の国衆に対して仲裁をするという、
説得力ないし権威が認められるか非常に疑問がある。
したがってやはり、この『しうとめ』は小見の方であると推測でき、
その娘である信長本妻は、濃姫以外ありえないのではないか。

濃姫が離縁または殺害によって不在ならば、
信長が『しうとめ』を尊重するはずはなく(病死なら別だが)、
『しうとめ』が美濃国衆等に対してもつ説得力は弱いであろう。
仲裁は成功したのだから、『しうとめ』の美濃での権威は絶大であり、
したがって逆に、この時点で濃姫は生存していると考えられる。
私は、濃姫は母親とともに仲裁したと想像しているよ。

31 :日本@名無史さん:2014/07/31(木) 12:32:48.81 .net
>>30
信長は、わがままで駄々っ子のように描写されてるが、
濃姫が、姉妹の尻馬に乗って「自害、自害」と夫を追い詰めるような妻だったら、
この夫婦かなり先行き危ういといわねばならないでしょうね。
やっぱり、姉妹とは別行動で、仲裁をするような聡明な女性と想像したい。

ところで、
兄弟女子=姉妹、という翻訳で間違いないんでしょうか?

32 :日本@名無史さん:2014/08/01(金) 10:33:54.03 .net
>>31
専門家でないので、自信はないけど、
>信長本妻兄弟女子十六人可為自害→→→→→→→→→自害だから全員女性
>國衆大なる衆十七人、女子之男以上卅余人可切腹由也→切腹だから全員男性
ゆえに、『兄弟女子』の中に男の兄弟は含まれてないと解釈した。

道三の息子は7・8人いて、義龍、孫四郎、喜平次、
それより下の子はみな坊主になった。
そのうち一人か二人は、のちに信長の家来になるのだけど、
義龍が次男三男を殺したので、義龍〜龍興の時代は、
その弟たちは美濃にいなかったのではないだろうか。

33 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 02:00:36.07 .net
しうとめが近所に住んでるってのは分かったw

34 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 11:42:27.65 .net
>>33
そうそう。
8月1日の記述は、信長の姑が近所に住んでいることを示すだけで、
「禮」が、7月27日の騒動と関係があるかどうかなんか、わからない。
どこにも姑が仲裁したとは書いてない。

わたしは、本妻である濃姫までもが、義龍後家をかばって自害すると言ったので、
信長が折れて、この事件は解決したのだと思うけど。

35 :日本@名無史さん:2014/08/06(水) 12:11:41.59 .net
>>34
『言継卿記』には、仲裁によって解決したと明記してあるよ。

>仍中分失弗に治定、←この部分

仍  =よって
中分 =仲裁
失弗に=失われることなく(人命が?)
治定 =治まり定まる

→(この騒動は)仲裁によって、誰も死ぬことなく解決しました。

誰が仲裁したのか、言継は書いてないんだけど、そこは推理するしかない。
信長と、本妻姉妹+美濃国衆の連合軍を仲裁できるのは誰だろうか?
双方に一定の権威をもって説得力を持つ人物。
信長にそんな人物がいるとは想像しにくいのだが、
妻とはうまくいっていて、その母親が仲裁してきたら、ある程度は尊重するだろう。
本妻姉妹は、道三の側室の娘たちだから、正室だった小見の方の権威は高い。
美濃国衆にとっても、旧主・道三の正室の権威は高いはずだ。
(それに説得されたふりして仲裁してもらったほうが命が助かってありがたい)
というわけで、姑のほかに仲裁に相応しい人物が思いつかない。
5日後に、信長が姑を謝礼のため訪問しているので、合わせて一本の状況証拠で、
仲裁者は姑で間違いないと思うよ。

36 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 10:12:20.85 .net
帰蝶って、創作では信長の美濃攻めを道三の敵討ちとして賛成していることが多いけど、
兄の義龍がどんな人間であっても、故郷が戦火にさらされたり、
甥っ子の龍興が亡命して美濃斎藤家が滅亡することに葛藤はなかったのかな。

37 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 23:38:38.45 .net
ねーよ

38 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 00:25:47.88 .net
>>36
義龍は父親とはあんなことになるぐらいに確執を抱えていたが
(と言っても武田や徳川も同様で父子諍いは珍しくなさげ)
お濃たちとは仲がそう悪くはなかったとする見方もあるらしい。
根拠は壺事件と馬場騒動そしてやろうと思えばできた尾張攻略を
本気モードではやらなかった。

なのでこの見方で考えれば大なり小なりはあるがそれなりの
葛藤はあったんじゃなかろうか。

39 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 01:08:35.76 .net
父親が苦労して築き上げた齋藤ブランドが消えるわけだから
むしろ葛藤しないほうがおかしくね?

40 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 04:01:54.32 .net
信長が自ら女性について記録に残るように語ったのは、秀吉の奥さんへの労いの手紙くらいなのか?
男の話ならあるけど女の話がないんだよな信長は
意図的に記録に残らないように、女の話を表に出さないようにしてたのか
お市との話も浅井との確執で第三者的に語られているだけで、信長本人の心根の話がないんだよな
濃姫も信長をぶっ殺すかもしれないって逸話だけ残して、濃姫に対する信長本人から見た逸話がない

41 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 07:43:34.06 .net
安土城などの焼失、秀信などの改易、大久保長安事件勃発の余波、
廃仏毀釈で廃寺の嵐、太平洋戦争の空襲、自然災害、そして各家、各寺社事情、
大人の都合などなど

仮に多少でも記録が残っていたり確かな逸話が昔はあったとしても
これらによって見事に無くなっているか世に出ていなそうだ

42 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 11:23:25.78 .net
>大久保長安事件勃発の余波

連座を恐れてその家も記録の類を始末したり改竄したともいわれているよね。
秀吉の梵書は免れてもこれでトドメさされちゃった記録もあったのかも…。
輝政が長安や政宗に紹介した人物の中には一説にかつての信長や信忠に
直接絡んでいた人の関係者も多かったらしいからそうなるとますます厳しいよね。
うーん、残念無念

43 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 11:24:32.00 .net
その家もじゃなくどこの家もだった。ごめんなさい。

44 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 12:56:47.78 .net
大久保事件の黒幕といわれる本多正信は信長や信忠そして側近池田らを
憎き仇と思っていても不思議じゃない奴だからねえ…
家康も土屋のように一部をのぞき遺臣の扱いには苦労してたというから
両者の利害一致で隙のない輝政や長安が死んだのを契機に一網打尽に
したかったのかもなあ

45 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 15:24:07.30 .net
>>38
>お濃たちとは仲がそう悪くはなかったとする見方もあるらしい。

濃姫は、父だけでなく弟たちも殺されてるので、義龍のことは仇敵としか思ってないだろう。

>やろうと思えばできた尾張攻略を本気モードではやらなかった。

義龍が尾張攻略をやらなかったてことかな?
信長に刺客を差し向けたことはあったようだが。
美濃の国衆というものは、道三が土岐氏を追い出して乗っ取ったときも、反抗せず臣従するし、
道三が信秀の侵攻を打ち破ったときも、余勢をかって尾張に攻め込むことはできなかったし、
同盟成立後、信長が援軍を要請したときも、たった千人しか出せなかったし、
義龍が道三を討ったときは、数千人くらい動員しているようだが、
龍興が稲葉山城で信長に攻められてるときでも傍観状態だし、
なかなか君主のいうとおりに動いてくれない。
義龍は、尾張攻略はしたかったけどできなかったというのが実態だろう。

46 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 17:01:31.95 .net
>>45
その弟達を殺すよう義龍に進言したのは武井夕庵といわれいる。
知っての通り夕庵は信長の右筆であり爺的存在と言っても過言じゃない。
なんせ信長を何回も叱り付けられるような信頼関係があったわけだから。
なのであなたの言うとおりなのであればそういう夕庵が常に公私共に
信長の傍にいるのはおかしいのではないかな?
安土城内にも館を構えて信忠邸のお隣だぞ。

47 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 12:10:42.81 .net
>>46
武井夕庵は、初めてwikiでみたが、、、
義龍に弟殺しをそそのかす男と、信長に命をかけて諫言する男が、果たして同一人物なのだろうか?
その史料は疑ったほうがよいかもしれない。
20年も生きれば人間もかなり変わるが、普通は逆方向だよね。
つまり、青年時代、若い正義感で諫言もするが、中年以降、小ずるくなって謀反人にアドバイスなどする。
これならわかりやすい。

>そういう夕庵が常に公私共に信長の傍にいるのはおかしいのではないかな?

別におかしくはないと思う。
小うるさくはあるが、真剣に諫言する年寄りを、聞き流す程度の度量は、信長ももっていた。
ある意味、信頼していたといってもよいかもしれない。
しかし、反対されたからといって、比叡山焼き討ちを取り止めたわけじゃない。

48 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 14:00:32.68 .net
夕庵はやみくもに殺せと進言したわけじゃないだろ
その2人がつけ上がってたから家中が乱れひいては家臣同士で
軋轢を生むからこれらの芽を積むためとする見方が有力
お濃だって大名家の娘だ、どこまで事情を知っていたかはわからんけど
壺事件でもわかるとおり義龍後家や姉妹との仲は良好なんだから
兄妹といえどそのあたりは割り切っていただろ
別に義龍がそいつら殺してのし上がったわけでもないんだし、男兄弟には
家督も絡むから厳しかったが女姉妹にはやさしかった可能性も否定しきれまい

あと、信頼関係どうのって45の受け売りじゃんか
比叡山も取りやめたわけじゃないが(比叡山側にも非があったからね)、
終った後に叱られ反省、長島も同じく。
武田討伐関連でも叱られ終った後には今までにないブチ切れ叱責をくらい
信長とはげしくやりあい信長が折れたという話もなくはない。
要するに聞き流す程度の扱いではなく受け止めてたんだよ、信長は。

49 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 15:51:16.87 .net
まああの信玄ですら武井にはかなり気を使っていたと言われるし
確か個人的な付き合いもあって武井宛の信玄書簡もあったと記憶
一説に武井は代々諏訪家に仕えていた家の流れともされるから
この説取ればさもあらんといった感じだろう

50 :日本@名無史さん:2014/08/25(月) 09:18:17.50 .net
というか夕庵をあまり知らないようだから仕方ないのだろうけど
信長関連スレで夕庵を小バカにするようなレスを初めて見てちと驚き

>>48
武田討伐の話は俺もなんかで読んだな
夕庵は討伐に反対姿勢でそれが元で参陣予定が留守居にされ
確か池田も同じような姿勢で結局は適当な理由付けて息子達に
後を任せて自分は途中で帰ってしまったとか。
(勝親保護話と関係するのではとする見方もあるようだが…)

51 :日本@名無史さん:2014/08/25(月) 14:00:24.21 .net
もし夕庵が同行していれば快川の火定も恵林寺の焼き討ちも
変わっていたかもしれないからなあ。

「義昭や六角のことなぞもう放っておきなされ。
 それよりも快川殿を手中に収めることに心血を注ぐべきでござろう」

ぐらい言ってくれたと思うだけに残念だ。

52 :日本@名無史さん:2014/08/25(月) 16:31:11.60 .net
>>45
濃姫にとっては義龍は自分の後見人でもある弟
濃姫は壺の一件を見る限り義龍正室と仲が良かったようだし
義龍と仲が悪かったようには思えない
(濃姫が義龍を父弟を殺した仇敵だと思っているならその正室と仲良くしないだろう)
実家が滅ぼされた後の濃姫の同行が記録されていないことといい
義龍の死は痛手だったはず

53 :日本@名無史さん:2014/08/25(月) 19:43:14.44 .net
>>51
そういや明智が諏訪の寺で信長に折檻くらった理由は
お前がなにをしたとなっているが通説では軍事的な意味あいで
何もしなかったや実績もないのにという意とされている。
だが実はそういう意味ではなくて外交的な意味あいでの
何もしなかった(できなかった)という意なんじゃないかという
見方もあるらしいな。
確かにこっちの方がすっきりするといえばすっきりするかな。

54 :日本@名無史さん:2014/08/25(月) 20:25:35.02 .net
快川や快川ルートでの匿っている連中引渡し等の懐柔失敗で難癖までつけて
半ば強引に朝敵認定させる羽目になり朝廷に大きな借りを作ってしまった
ようなものだからな。他方で信忠の未婚の嫁問題も絡むかw

55 :日本@名無史さん:2014/08/25(月) 21:53:54.44 .net
>未婚の嫁問題

人間50年呪文成就に大手がかかっていたから早く内孫の顔が
見たかったんだよw
面倒なことは息子2人にまかせて自分はお濃さんと一緒に孫囲んで
いいじじ様ばば様やりたかったに違いない

56 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 05:17:37.57 .net
>>54
長寿説とってだけど濃姫から言ってもらうことはできなかったのかな?
光秀は長曽我部方面だけでも手一杯だったろうから武田方面に割ける力は
あまりなかったと思う。
そうなると道三娘という立場の濃姫が結構いい働きをしてくれたのではと。
夕庵、猪子、光秀、新五、稲葉そして濃姫が束でかかれば快川といえども
多少は柔軟姿勢になってくれたかもしれないよ?

57 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 07:59:34.36 .net
快川はいざとなれば城を枕にもとい寺(と信玄の墓)を枕に死ぬ覚悟を
決めていたのだろうから束でかかっても無理だったと思うぞ。
快川の死因は総本山では火定とはっきり記録されている。
つまり何かしらの抗議や訴え若しくは願いがあって自らを
焼いたんだよ、あの坊様は。

58 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 08:42:08.43 .net
うん、それはわかる。
でも事前に道三と縁が深い人達で説得にかかれば引渡しにしても
国師の懐柔にしてもできたんじゃないかなと思ったの。
うまくすれば懐柔→勝頼説得→武田家滅亡回避までいけたかなって。
少なからず朝敵なんていう汚名はかぶらずに済んだかもと思う。

59 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 13:23:32.12 .net
信長も実際はそこまではやりたくなかったかもしれないよ。>朝敵
だから>>53準拠でいうとやらざるを得なかったイライラが明智の言葉で
爆発して折檻しちゃったと。
あとお濃はお濃で動いていたかもしれない、なんとなくだが。

60 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 15:25:50.73 .net
>>53->>59
その、武田攻めの際の折檻って、史実なの?

61 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 19:37:51.04 .net
>>60
目の前の箱は何のためにあるのだ?

>>59
そだな。天正10年1月に武田は武装解除令を出しているからね。
甲江和与詐欺という人もいるが勝頼だってさすがにそこまでバカじゃないだろ。
信長そして信忠(←こっちが重要かもしれぬ)を怒らせ朝廷に借りを
作ってまで攻め込むに至った何かがあったんだろうよ。
夕庵や池田あたりが反対姿勢を出し52氏の言うように明智が外交側面で
折檻をくらったのであれば勝頼は嵌められたのかもね、徳川&穴山あたりに。

62 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 22:09:22.05 .net
つか逸話だが武田討伐の時の織田軍(信長の方)の士気は低かったらしい。
長篠のトラウマやなんで今になって武田攻めなんだ?みたいな感じで
腹の中ではやりたくねーよという連中ばかりだったとか。

で、それはともかく濃姫スレなんで濃姫絡みで。
武田家臣の真田家は齋藤家の分れみたいな話が真田本拠地に
鎮座する神社(社名失念)では伝わっているそうだ。
多分同族という意味合いなんだろうがこの社伝が本当なら真田家から
濃あてに何かしらアクションがあっても不思議ではないかもしれぬ。

63 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 05:12:57.06 .net
なるほど
だから信忠軍の中でも美濃と縁深い森や団が上信へ派遣されたのか…

64 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 07:38:32.31 .net
信勝を真田に逃がしておけば・・・。
勝親だって助かったんだ。
信勝も母親は遠山夫人なんだからお濃をつなぎに命だけは助かったかもしれぬ。

65 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 07:39:28.34 .net
真田は裏切らんかね。

66 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 07:53:07.54 .net
戦国板にあった濃姫スレもそうだがここでも濃姫過大評価だなあ
織田家の女性がそれほど政治に絡んだ事実は史料からうかがえないのに
「濃姫が一言言えばきっと助命された」「濃姫が一言言えばこうなってた」
ってそればっかりだもの
濃姫がそんなに政治的活躍をしていたのならば
没年も分からずに史料上から忽然と消えるはずがないのに

67 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 14:32:42.37 .net
つなぎ≠口ぞえ、つなぎは連絡や交流、縁や好という意の側面が強い言葉
すぐ上に勝親のことが書いてあるから山城→池田の線で助かったように
真田→お濃の縁で某で助かったのでは?とはいう意味で俺は読んだけど。

それにどのレスに対してなのかわからないが武田討伐に関してなら
だれもお前さんのように断定的には書いてないだろ?
快川に関しては快川が甲斐に招かれる前にあった義龍との宗教対立、そして
それが原因で信長の元に身を寄せ数年も尾張に滞在したという経緯や背景で考えれば
(恵林寺文書、崇福寺文書、向嶽寺文書他)それだけお濃と快川は普段から
付き合いがあったと言っても過言ではないし何もお濃一人だけとして
書いているわけでもなかろうに。

>>65
確かにそこは未知数なんだよね。
ただ、半分は織田の血だし真田のことだから何かの切り札として
とりあえずは匿ったのではないかなあと。

68 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 19:30:20.81 .net
そういや快川をめぐって信長と信玄と龍興で取り合いをやってたような…
とにかくすげー坊様な快川招喜国師

69 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 19:35:07.96 .net
血〜血〜言ってるが本来その氏族はその氏族のものだから他者が
名乗るのは間違いなんだから当たり前すぎることなんだけどね

70 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 20:33:53.92 .net
>>67
匿うというのがずっと匿うか一時匿ってどこかに落とすかで
そのあたり変わってこない?
あと結果論になるけど身内に甘い信長は信勝を実際どうしたかったのかでも。
信勝は助けろと命じていたとか田野で信勝に降りるよう説得に
かかったという逸話もあれば滝川が勝頼父子を死なせてしまったことに
責を感じ出家を信長に願い出て信長も了承したという逸話もあり
(滝川への恩賞も働きのわりに低いかな)勝頼は仕方ないにせよ
信勝は命を奪うまで実際に考えていたかが謎。
そこらによって真田の出方は変わってくると思われ。

71 :日本@名無史さん:2014/08/28(木) 19:14:50.60 .net
>>64
うん、龍勝寺殿だけにそう言いたくなる気持ちもわかる。
彼女が亡くなった時の信長の嘆きや沈痛ぶりは実の子でもあそこまでは
というぐらいだったと書かれているのもあるよね。(信憑性は不明)

それにしても彼女に信忠に信房と濃姫の手許で育ったと思われる
子供達はみんな武田との縁が深くてなんかおもしろい。

72 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 00:19:23.09 .net
おもしろいことはおもしろいがお濃はいたたまれなかったろうよ。
龍勝寺殿は若くして死亡、孫も夫と息子達によって攻められあげく獄門。
その息子達も片や松姫とのこともありいい年しても正室も持たずあげく
その姫の実家攻撃の総大将になり滅ぼすに至り、もう片やも予想外のことで
武田にかっぱわれ長いこと人質生活を送り帰ってきたと思ったら世話にも
なったであろうな家を同じく攻撃しに行かされたわけだから…。

73 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 01:21:38.45 .net
しっかし父子そろって嫁の実家滅ぼすっていうのはどうなんだべ

74 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 04:23:16.74 .net
どうなんだべと言われてもw
一応どちらもやむを得ず事情だから判断は難しい

75 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 06:44:25.12 .net
信玄が織田を裏切った時点で松姫との婚約は解消されてるだろ
市や千姫のように嫁いだ女性が婚家を実家に滅ぼされたわけではないのだから
一緒にするのも

76 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 07:52:02.34 .net
>>73
嫁や舅を介した部分も大きいとはいえ信長は実力で嫁実家関連の
美濃衆を掌握していたのだから信忠に松姫を正妻にすると決めているのなら
後々のことも考え自分と同じように実力で甲信衆(便宜上そう書く)を
掌握してみろとあえてやらせたんじゃなかろうか。

77 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 09:13:23.04 .net
なるほどー、織田家臣団に対しても示しがつくわけだからな
それで予想以上の働きで成功したから天下もと言ったと
で、源氏名門武田の姓と血をひく松が信忠の正妻におさめれば
公家達に文句を言わせずに織田幕府開府へ大手状態だからなあ
そのあかつきには必ず武田家再興もセットにすればなお心象よろしと

78 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 09:59:03.32 .net
武田スレのやつが移ってきてるな

79 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 10:00:14.06 .net
確かに「信忠」で考えればそういう路線考察は十分アリだね。
どうもこのあたりについては信長と信忠を一緒くたに考える嫌いがあるが
考えてみれば信長は次の世代のことをかなり気にしている節がある。

80 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 11:36:16.75 .net
つか>>76
どこまで信長は親バカなんだ

81 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 13:24:41.07 .net
親ばかだが信長が情報網や勝長を通じて武田家臣団事情を
知っていたとすればこうなる流れは自然なことなんじゃないか?
それでなくても美濃衆以上にクセは強いわ、我を通したがるわ、いざとなれば
国衆特権発動させて文句言えば一揆起こすわ、中央集権?なにそれおいしいの?と
と織田基準で計れば問題児だらけな集団なんだからさ。
仮に勝頼が臣従して家の滅亡は免れたとて織田が介入してどのみち粛清は
普通にしたと思うぞ。
その上でそのまま安堵するか転封したかはifの世界だからわからんけどな。

82 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 15:19:23.21 .net
信長と勝頼って同族嫌悪というやつだったのかもね・・・

83 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 15:39:43.64 .net
たわけめがぁ!
よのせいいきなきこうぞうかいかくに
はんたいするたけだごときていこうせいりょくは
ほろんでとうぜんなのじゃ!

84 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 19:16:22.52 .net
長篠以降は別に抵抗らしき抵抗はしていなかったじゃん。
高天神があるって?
あれは徳川と武田のことなんだから本来は織田が介入する話じゃない。
同盟国だから?
断ることだってできたじゃん。徳だってもう寡婦になってたんだし。

結局そうやって徳川を変に信頼し見誤ったことが寿命を縮めたんだよ。
武田なんてとりあえず放置して(心配なら北條や佐竹に監視させとけ)
先に毛利に力を注ぐべきだったんじゃね?
そうすれば本能寺も起きなかっただろうし起きたとしても
半年ぐらいは猶予できただろうに。ばーか

85 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 23:41:38.12 .net
>>72
トドメのように本能寺の変で2人とも亡くしてしまってますしね。

そういえば龍勝寺殿と同じく養女で幼い頃から信長と濃姫の元で
養育されたと伝わる池田之助正室も実子のようにとても可愛がられ
秘蔵娘とまでいわれていたという話もあるとか。
ここまで可愛がっていた娘なので池田家に之助の話があまりないのは
娘可愛さに之助はマスオさん状態だったのかな?とつい妄想してしまいますw

86 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 00:47:44.35 .net
信長んちでマスオさんってどんな罰ゲームだよwww

87 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 01:03:25.58 .net
側室はまず無理であろう

88 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 04:30:56.31 .net
摂津時代は別居結婚状態にされてしまったのかのう…

89 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 04:45:58.10 .net
娘可愛さを大義名分に本命は婿の方だったりするかもしれないじゃないか!

90 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 04:52:35.08 .net
なんとwww

91 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 17:44:30.58 .net
元助の正妻は由之を産んで亡くなったという説もあれば実父が
明智側に付いたから離縁ないし殺されたという説もあるみたい。
ただ前者は多聞院日記の記述と矛盾が生じるし、後者は後年の池田家と
齋藤家の関係から見るとかなり無理があるみたい。

もしかして忠興みたいにどこかに隠してしまっていたのかな?

92 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 21:36:46.31 .net
>後年の池田家と齋藤家の関係から見るとかなり無理があるみたい。

新五(息子の方)のお墓は輝政のお墓のすぐ近くにあるよ
ぶっちゃけ身内や親族ないしかなーり仲良くないと無理だろな位置
墓まで仲良しこよしなんだからやはりそこにはお濃とその身内の
存在は池田にとって大きいものだったんじゃないかな。

93 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 01:53:08.45 .net
根拠はないけど濃姫のお墓は池田家墓所の一角にひっそりと
あるような気がする

94 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 10:47:04.27 .net
案外と同じ大徳寺にある養徳院の方に埋葬されていたりして?

95 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 12:00:06.83 .net
まあ池田だけに可能性は無きにしも非ずかもしれぬ
他スレで大久保長安事件に関して

「池田と大久保は信松尼を拠り所にかつての夢を見たかったのさ」

とあったけどこれに似た感情がお濃に対してあったとしても
不思議ではあるまいて

96 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 21:14:04.59 .net
濃姫は罪人でもなんでもないんだから、
なんでひっそりとなの?

97 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 22:37:49.09 .net
別に罪人じゃなくてもひっそりなことはあるだろうに
養徳院みたいに遺言していれば自然とそうなるさ

98 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 22:54:29.13 .net
罪人か?
誰が罪人だってきめたんだ?
この場合はそれを決めた動機、そいつらの正体
これを解くことに意味がある

99 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 23:56:41.00 .net
>>95
その大久保長安事件に輝政が深く関与というか長安と姻戚かつ義兄弟で
めちゃくちゃ仲良くしていたのが痛いんだよね…
池田家の記録でも織田との関わりについてのものが特に欠落しているみたいで
恒興のことも之助のこともあまりわからず輝政も織田時代のことは
あんまりわかっていない裏事情はどうもこの事件絡みらしいし。

ったく本田正信め・・・ムカツク

100 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 12:51:52.16 .net
濃姫は、光秀の従妹で、彼を信長に紹介した張本人。
その光秀が謀反を起こし、夫を殺したんだから、相当なショックだ。
世をはかなんで、読経三昧の余生を過ごしましたとさ。

101 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 14:57:54.87 .net
>>99
気持ちはわかるが本多の真の目的には「それも」含まれていたかもしれないぞっと!
そして持論だが本多は本能寺の変や武田崩れにも一枚かんでると思うよ。

102 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 23:28:47.50 .net
>>99
戦国板にわからないし名前も他三人とはちょっと違う感なんかから
信長の庶子もしくは道三由縁の嫁をもらっているから濃との子か?
いうレスがあったな
元助は字こそ違うが信忠とおなじ「しょうくろう」名乗りで年も二歳差と
(由之の生年(天正5)から信長公記にある年齢は誤りと思われ)
これまた微妙だったりする

103 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 08:11:53.82 .net
おまい勘違いしとるぞ、信忠はかんくろう。
まあくろうという名をもらえたり親子して褒められたり実戦こそ
なかったけど信長直轄で摂津衆を率いたりと譜代跡取りの中で
頭一つ出てるのは確かだけどな。

ついでにぶっ飛び妄想をすれば信忠も濃の実子で元助と双子

104 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 16:24:00.38 .net
>>99>>101
要するに大久保長安事件の背景には本多の根深い私怨晴らしも
かなり関係してる可能性が非常に高いということだな。
(そういや池田兄弟は三成関係の佐和山城で珍しくとてもお行儀が悪いことを
やってるが三成と本多は仲が良かったというからこのあたりも含みそうだ)

もしそうなら妙なところで因果めぐりしたんだね。

105 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 21:01:32.16 .net
何で本田正信がそんなに織田と敵対してんの?

106 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 19:15:32.21 .net
>>104
それ長束の水口じゃなかったか?
まあ三成とかなりやりあったのも確かだが。

>>105
つ松永師匠
つ奴は狂信的本願寺信徒(死ぬまで)
つ伊賀絡みでも一役あったという説もあり

池田個人なら上記に加えて本願寺坊官だった下間の池田への出奔も
何かしら絡むのかもしれぬ。他方だが藤堂も足軽とはいえ旧浅井家臣だし。

107 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 14:51:13.06 .net
238 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 13:37:37.24
>226
>信長もおもしろいだろうけど養華院があったらなおだろうな。
>とりあえず岡田はガッツポーズということでw

そうなんだが反面もし信長の御台で信忠養母を示唆する裏書の位牌が
見つかり表の戒名が全く違う人だったらもうどん底だろう。
その場合どう反論するのかかなり興味あり。

それとスレチですまんが家康が松姫を側女にしていたという記録が
徳川家が家譜を作る時参考にした文献に書かれてあると知って驚いた。
それによると信吉生母も信玄の娘(松を姉としているから多分玉田寺門跡)
なんだとか。信憑性評価は?な文献ではあるけどなんつうか
→徳川って織田を利用して武田家乗っ取りを画策してたんかなとちと思った。

本能寺スレでの拾いもんだがもし家康が通説では出てきていない何かを
織田と武田外交に関してやっていたと仮定すると敵対という私怨だけじゃなく
その陰でやっていたことが露見するのを恐れてとも考えられる。

108 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 16:06:27.69 .net
だから家康が松姫をという逸話が散見されるのか
信忠が生きていればと思わずにはいられんわ
まじなら悲劇すぎな最悪な展開だわな
と書いておいてなんだがなんていう文献?

109 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 18:01:16.62 .net
横だけど
つ「柳営婦女伝系」

保科正之生母浄光院殿のところではこう書かれてあって
「古大神君の御側女たりし信勝院比丘尼と称せしハ武田信玄の娘也」
「信勝院尼は大神君の御八男武田七郎信吉君の御母堂の御姉にして、
 武田信玄の息女也」
※信勝院=信松院

同しく信吉生母長慶院のところで「長慶院殿姉、信松院百回会場記」
として松姫の百回忌の様子が書かれてあって、ここで長慶院について
「且迎二妹氏一備二姫妾一、妹氏生二武田公諱信吉」となっていて
信松院と共に逃れた信玄の娘を家康を側室にしたとなっているみたいよ。

この文献は106のコピペにあるように信憑性はうーんなところもあるけど
保科じゃなく信吉の項で松姫の話が入っている不思議や玉田寺自体も
実際にあったお寺で代々武田家の女性が門跡として入った格式高い尼寺なのは
武田関連文書などでも確認できるみたい。
一緒に落ちたとされる尼は家譜でもあったりなかったりなものの
信玄の七女?八女?と伝わっている人で確か縁のお寺が八王子方面の
どっかにあったような気がする。

110 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 20:28:45.00 .net
そこまではっきり側女と書かれてあるなんて初めて知った。
正直かなりショック。

111 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:22:00.42 .net
だよね。。。
家康の好色を強調するための与太話思ってたけどさすがに
こっちにまで百回忌のことが書いてあるとなると自信なくなってる。
しかも信吉でだよ信吉で。

112 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 22:26:18.47 .net
信松院を信勝院と記しているのもなんだかなあって感じだな
誤りとも取れるし本名でもある松をあえて字を変えて書くということは
無念だがそういうことなんだろうとも取れるな。

あと信吉のところでは生母姉で側女表記なしなのが保科のところでは
側女表記ありということは少なからず信吉が生まれた頃はまだ側女では
なかったのだろう。そうなるといつそうなったんだろうか?
やはり秀信秀則助命と何か関係しているのだろうか?
逆説的に見ればだからこそ助命方向に転換したとも考えられるが。

113 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 00:02:42.30 .net
心源院にいた頃は間近に師僧もいたしおっかねー氏照もいた
八王子城城郭内で僧兵もいたという話だからまず無理。
よってなったとすれば家康の江戸転封後だろう。
そうなると転封以降で於松がそうならざるを得ない事情に関与して
かつ家康がそれなりに影響を持っていたこととなると関が原での
秀信らの助命と引き換えにが可能性としては一番高いのでないかと。

114 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 10:51:22.51 .net
確かに秀信助命にはかなり否定的だったともいわれるぐらい怒ってた家康が
福島のとりなしぐらいで急に助命に転向するとは思えないんだよなあ

115 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 14:10:15.73 .net
松姫があまりにもかわいそう

116 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 14:55:24.51 .net
ということは、なにかい?
自分の子ではない信忠の子供を、身体を張って守ったと。
こういうことか?
それほどまでに、信忠と松姫は愛し合っていたと。会ったこともないのに。
こう言いたいわけか?

泣ける話だなあ・・・

117 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 21:08:30.45 .net
嫁ぐことは無かったけど「信忠」の正妻という自覚があったのかも。
正妻は夫死後は生母関係なく関与の度合いの差こそあれ子供達の面倒を
みたり家が滅びないようにしていくのが役割に入ってくるから。
最終的には残念な結末を迎えた信忠の系統だけど三成のように罪人として
処刑という最悪な最期は逃れることができたのだし末裔さんに伝わる話を
信じるならその血脈は現代まで残っているから松姫が自らを犠牲にして
守ったことは決して無駄ではなかったと思う。

118 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 21:26:48.88 .net
ごめん、追記。
116は今の推測流れを前提にしてのレス

119 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 21:41:06.50 .net
そういえば、
系譜上は、信忠の正室は武田信玄娘になってるそうだね。
つまり松姫のことだ。婚約どまりだったのに。
秀信も、自分の生母を正室にでっち上げることができない何かがあったのかもしれない。

120 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 22:27:29.72 .net
だ〜か〜ら〜生母は松姫なんだって!by三谷

121 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 22:41:01.30 .net
真田丸がんばれよーw

122 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 00:22:28.80 .net
>>120
松姫は甲斐にいたのに、どうやって信忠の子を産めるんだよ?
信忠も松姫と結婚したかったが、家同士が敵対しているからできない。
26歳で死ぬまで独身だった。
父の信長は『早く結婚しろ。子供作れ』とうるさいし、
織田家嫡男として後継者を作るのも義務のうちと考えて、
側室に秀信を産ませた。
『我が心の妻は松姫のみ』とつぶやいていたという、
そんなTVドラマがあったような気がする。

123 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 00:57:15.16 .net
ないない

124 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 04:45:19.72 .net
>系譜上は、信忠の正室は武田信玄娘になってるそうだね。

確かその記述が確認できる家譜の最古版は池田文庫に所蔵されている
1644年作成の幕府公認家譜集_一次だったと記憶
前にあった姫スレなんかではこの記述をめぐって織田家の詐称や一次で
確認できないから軍艦の妄想と(実際は一次の土御門文書で婚約及び
輿入れに向けての動きがあった旨の記述が確認できている)散々な
言われようだったが、柳営〜の記述推測から思うに織田家が何かしらで
そのことについて知り注記は勿論だが彼女へ敬意を表する意味合いもあって
そう記したのではないかな

あと残酷な話だが家康は獣化してやらかしたんではないかな
同意の上とはとても思えんのだよ、秀信助命が絡んだとしても

125 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 07:59:52.54 .net
>>122
信長には男子が10人いたのだし信長が『早く結婚しろ。子供作れ』
と言ったとは思えん
それなら婚約解消した松姫ではなく別のしかるべき大名か公家の姫を
さっさと信忠に娶れば良かった
(徳川秀忠も当初織田信雄の娘小姫と婚約していたのに破談になり
豊臣秀吉養女の江を正室に迎えている。婚約破談→別の人と結婚、
って珍しい話ではない)

秀信は秀忠の庶長子だろ
秀忠の正統な後継者だという認識がなかったために清州会議で大いに揉めた
ちなみに信忠は秀信のほかに秀則という男子も作っている

126 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 08:28:39.36 .net
>>124
獣化てw妄想過ぎやろ

家康の八男信吉の母が信松院の妹ってのが変過ぎ妹ってのもよく分からんし、信吉は天正11年生まれだろ。松姫たちは北条を頼って八王子に行ったのに家康の子を産んだってどゆこと?

127 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 14:39:53.24 .net
>>126
せっかく108さんが情報まで書いてくれているんだから
少しは自分でも調べて考えようとは思わないの?
松姫たちは氏照がいる八王子城内同然の心源院にいたけどこの妹とされる
生一房尼_甲府の玉田寺門跡は宗派が浄土系の時宗だったのも関係したのか
心源院には入っていないよ。あとは自分で考えましょう。

128 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 18:23:26.73 .net
信吉母が穴山の養女で、信玄六女説もあるよってだけで獣妄想するのがキモいのです

129 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 18:51:08.77 .net
信吉に武田を継がせるために、記録上は信玄の外孫って事にしたのかもな

130 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 19:08:33.03 .net
武田信吉って甲州征伐の翌年の生まれだからな
武田勝頼の死によって武田乗っ取りの現実化をもくろんだ家康が
あわてて武田ゆかりの娘を城に連れ込んで側室とし
翌年産ませたのが信吉ってことだろ
このとき家康が手籠めにした武田ゆかりの娘が諸説ある
まあ、松姫じゃないだろうが

ところが信長が穴山梅雪(信玄の娘婿)及びその子勝千代(母は信玄の娘)を
武田の後継者と定めたためにちょっと順番が狂った
梅雪も勝千代もさっさと始末して家康は信吉を武田の跡取りにした

131 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 19:48:35.95 .net
なんか武田討伐後と関が原を勘違いしている奴がいるみたいだが
流れ的に要は信秀らの助命をいいことに松姫を手篭めという形で強引に
側女にした可能性が高いのではないかと言いたかったのではないの?

少なからず信吉母のように周囲の公認下でという感じではなさそうだし
本能寺後年齢的にまだ結婚の余地はなくもないのに潔く出家してしまうような
意思の強い姫さんだから事情はどうあれそう簡単に家康に体を開くとは
思えないという意見が出るのも無理はない。

132 :130:2014/09/17(水) 19:54:59.20 .net
信秀→×、秀信→○

133 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 20:05:04.37 .net
西軍総大将の毛利も、秀忠を遅延させた真田も関ヶ原で助命されているのに
織田秀信だけは助命されるのはおかしい
それは織田家正室である松姫が人身御供として肉体を差し出し家康の側室になったからだ、
ってそんなわけないでしょう

松姫って関ヶ原の時にもう40歳だよね?
松姫よりずっと若い側室大勢抱えてガンガン子供産ませてた家康が
40歳の美女という評判も聞かない松姫を手籠めにしたいがあまりに
誰それの助命〜なんて非現実的

134 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 21:02:44.48 .net
>>130
家康があわてて探したってか、梅雪が寝返りの時に差し出したんじゃね?

135 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 21:15:44.19 .net
>>134
梅雪が寝返るときに差し出すなら信長の側室にだろう
甲斐侵攻や武田家家督に口出しする責任者は信長なのだから

家康は当時正室不在だったのに信吉母は家康の正室になれなかったので
信吉母は武田信玄の娘などではなくせいぜい武田家家臣の娘だろうがね

136 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 22:01:18.03 .net
さっきから史板とは思えないレベルで反論している人って何なの?

137 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 22:24:15.88 .net
時系列がむちゃくちゃだし他人のレスをきちんと読解できず
流れも読めないところをみると菅沼君じゃないかなw

138 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 22:38:32.57 .net
>>137
時系列並べてください

139 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 00:40:30.52 .net
目の前にある箱は何のためにあるんだ?

140 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 02:15:13.00 .net
スレチすぎ

141 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 11:04:26.23 .net
>>122
そのドラマはおんな風林火山だね。
信長が家康の前で嬉しそうにわしも15でお濃と結婚してとテレ交じりに
惚気るシーンもある。(すごいあてつけのようなw)
隆大介さんの信長だったからそのギャップも良かった。

だれか濃姫から松姫にかけての話を書いてくれないかな。

142 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 12:01:09.51 .net
「おんな風林火山」とかw 懐かしいのぉ

143 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 12:10:52.27 .net
>>141
お濃さんの出番は少なかったけどいつも信忠をかばってたよね
そしてお濃さんにとりなしをされるとなぜか引き下がるのぶw

144 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 21:55:33.69 .net
吉乃さんと仲良そうなイメージ

145 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 00:23:54.94 .net
>>127
同人作家界隈では2ちゃんで出た考察推測なんかを平然とさも自分で考えた
そぶりで自ネタにしている人がいるというからそういう人かもよ。
特定防止のためにフェイク入れるけど武井夕庵のことが某スレで話題になった後
それまで武井夕庵のたの字もブログ含めて言っていないしそれまでの作品にも
登場させていなかったのに急に作品に登場させるようになってその話が
2で書かれていた推論とよく似ていて思わず苦笑したことある。

146 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 00:55:12.00 .net
フェイクで夕庵を選んだ理由を説明せよ

147 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 08:50:20.44 .net
>>141
濃姫が松姫の甲斐落ちに同行して助けたみたいに何でもかんでも
おいしいところは濃姫のものという設定とかに耐えられるなら昨年
濃姫の本を出した人が書いてるっぽい。
三条夫人はともかく信玄母の大井夫人までダシにしたような感じで
自分設定を披露するような人っぽいし・・・。

148 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 09:50:29.60 .net
もしかして文○社から出した人?
もしそうだったらその人ブログ内の濃姫記事で武田はまったく
絡まないのに御旗盾無鎧と大井夫人の守刀の写真を載せてたよ。
大井夫人もいい迷惑だよね。

149 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 10:40:42.43 .net
御旗盾無と大井夫人の懐刀がどうお濃と関係するんだよ
この刀は信虎絡みだから斎藤家すら絡まないつうに

150 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 13:01:35.50 .net
濃姫教教祖の一人だから生暖かく見とけばいいよ
全部をかぶせるわけじゃないけど彼女達のおかげで濃姫好きは
遠巻きに見られやすくなってしまったしね
信長が側室に気を引かれるのは絶対嫌というなら記事にしなきゃいいだけなの
やりだまにしてsage発言、坂氏なんてあんなむごい処刑までされているのに
そんなのおかまいなしに濃姫ageのための材料にしている始末で最悪

濃姫大好きだけどこういう教祖レベルの人に言いたい
彼女達が子供を産んでくれたおかげで細々でも織田家は残って
今に至っているんじゃないですか?ってね

151 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 13:53:54.80 .net
>>149
盾無を着用した信忠が(御旗持ちは信房)再建された躑躅ヶ崎館で
織田二十四将を前にして「御旗盾無もご照覧あれー!」と言い放つ。

それを「城介、盾無がよく似合っているぞ(お父ちゃんは嬉しい)」
   「まことに。よくぞここまで立派に育ってくれたこと」
   
と信長とお濃さんが涙ぐみながらそれを見つめているんだよ。

152 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 15:25:33.04 .net
のちの武田信忠である

153 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 16:01:59.91 .net
時代遡ってねーか?w

154 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 20:35:59.18 .net
>>151をちょっと見てみたいと思った俺は腹切った方がいいですか?

155 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 05:56:26.25 .net
切腹なんて名誉なことはさせないよ。
打首獄門、一族郎党皆殺し

156 :日本@名無史さん:2014/09/21(日) 09:57:06.49 .net
>>103 
濃姫の実子はともかくも信忠と之助が双子というのは有り得る話だな

157 :日本@名無史さん:2014/09/21(日) 15:16:09.62 .net
その場合信忠の影武者として養育されたのだろうな

158 :日本@名無史さん:2014/09/21(日) 21:10:56.85 .net
来月から始まる信長協奏曲、ドラマではどうなるかわからないけど
濃姫が殿は私が嫌いなのじゃどうのと凹むシーンが原作にあって
うーんとちょっと考えてしまった…。
その殿はニセ信長で一目ぼれしてぞっこん状態、本当の信長は
光秀になっていて生駒と子供作ってみたいな設定でさらにうーん。

なんかこう信長のシェフみたいに濃姫の信長に対する激しい想いを
さりげなく吐露するとか信長は日本刀の手入れをしていて濃姫は
花を活けているみたいなそういう極々普通の夫婦像の信長ドラマが見たい。

159 :日本@名無史さん:2014/09/21(日) 21:20:53.41 .net
自分でマンガとか小説書けばいいだろ
史料は無いんだから好きに書けや

160 :日本@名無史さん:2014/09/21(日) 22:18:18.00 .net
>>158
原作読んでるけどあの程度で嫌われていると思える濃姫って
ぶっちゃけどれだけ面倒くさい女なんだろと思ったよw
料理人は地獄の釜のふたも〜というセリフが好き。
斎藤家関係者以外立入禁止みたいなエリアがあるのには笑った。

161 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 21:52:32.55 .net
>斎藤家関係者以外立入禁止みたいなエリアがあるのには笑った。
岐阜城内にある齋藤家の位牌安置所なんだろうけど
なぜ座敷牢仕様なのか放送当時からの不思議

162 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 01:04:38.84 .net
甲冑の大きさから思うに義龍なんじゃ?
道三や小見の方らは織田家と同じ仏間だろ

163 :日本@名無しさん:2014/09/23(火) 02:26:16.47 .net
>>158
あれは論外。なにか期待するほうがどうかと
あれを55周年記念でやるフジテレビって...

164 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 18:16:45.31 .net
信長協奏曲は作者からしてサブロー(自キャラ/架空人物)と帰蝶(史実どおり)は
相性が良かったとわけわからんなこと言っている作品だからなあ・・・。
結局変形メアリースーな自キャラを持ち上げるために濃や市を利用したとも
読める発言だからなんかもうお察しくださいというかなんというか。

165 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 20:13:07.38 .net
つうか入れ替っていることに気づく奴が家臣団の中で
一人もいないというのがそもそも無理ありすぎなんだよ。
織田家臣団はマヌケな集まりなのかよw

166 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 23:27:26.36 .net
>>162
その方がしっくりきますね。
敵であっても兄でもあるので供養しているという裏設定があるのかも。
お返事ありがとうございました。

167 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 01:15:56.24 .net
お膿け?
あれ信長から離縁されたんやで

168 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 22:04:00.35 .net
>>160
「殿の為なら地獄の釜の蓋も開けるがの」だっけ?
今思うと何気にすごいセリフだよねw

169 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 08:03:34.49 .net
濃姫が長生きだったとしたら、かなりの引っ込み思案だったんだろう
信長がねねに秀吉の浮気の事を書いた手紙あったけど、濃姫じゃなく信長に言うとか

170 :日本@名無史さん:2014/09/28(日) 02:17:11.01 .net
結婚当時の力関係見るに、斎藤>>>織田だから濃姫のことは警戒もしてたと思うよ
下手に跡継ぎうませたら、信長は排除され子供を織田当主にされたり
信長は、その辺の力関係を見切って濃姫には子供を産ませなかった気がする
表面上は、信忠を養子にして正室として面子を立ててあげてたけど
当時の結婚は政略婚だから、内心警戒しつつも面子を傷つけないのは最低限の礼儀だし

171 :日本@名無史さん:2014/09/28(日) 03:25:04.28 .net
織田家から頼んでの結婚なのになにボケたこと言ってんだよw
最近政略婚だからホニャララみたいなのを見かける機会が増えたが
政略婚を少し特別視しすぎなんじゃないか?

172 :日本@名無史さん:2014/09/28(日) 13:49:27.08 .net
戦国期の政略結婚は原則一代かぎりルールだから長い目で見れば
子供という両国の鎹を作らないと意味ないしなあ

173 :日本@名無史さん:2014/09/28(日) 15:20:05.67 .net
>>172
嫁に行った娘が子供を産めばその子供が鎹となって
母親の実家に尽くすので有利言うこともないと思う
戦国時代は平気で子供が母親の実家と戦してるし

174 :日本@名無史さん:2014/09/28(日) 15:28:35.97 .net
>>170
織田信長が濃姫を娶ってから、信長の第一子信忠が誕生するまでに9年かかっている
このことから信長は当初、濃姫以外に妻を持っていなかった時期がかなり長くあったとみられる
濃姫に長年子ができないので(濃姫の了承を得て)側室を持ったのだろう
最初から濃姫に子供を産ませる気がなければもっと早い時期から側室を持つはず

175 :日本@名無史さん:2014/09/28(日) 18:40:11.60 .net
>>173
なんで実家に尽くすことになるんだw

176 :日本@名無史さん:2014/09/28(日) 19:27:51.82 .net
>>175
戦国大名にとって母方の家など大した意味がないだろ

177 :日本@名無史さん:2014/09/28(日) 19:58:43.17 .net
それをいうなら婚家じゃない?

178 :日本@名無史さん:2014/09/28(日) 22:55:04.21 .net
>>174
1556年(弘治2年)5月 斎藤道三死去
弘治3年(1557年)    織田信忠誕生

信忠が何月生まれかはわからんかったけど、
道三の死後すぐから側室に種付けをすれば、翌1557年中に誕生は可能。
ということで、信長は濃姫に気を使ったというよりは、
道三に気を使って、その生前は側室を持たなかったのかもしれない。

もっとも、信長には信忠以前に信正という子がいたとも伝わっている。
側室に産ませたんだが、認知されなかったんだか、いないことにされてる。
それほどまでに気を使わなければならなかったのは、
当時まだ尾張平定ができておらず、力関係で、
道三に後ろ盾になってもらってたからではないだろうか?
実際、道三の死後、弟・信行が謀反の兵を起こす。

179 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 07:44:26.17 .net
>>177
戦国大名にとって正室の家はある程度重要
でも母親の家はあまり関係ない(身分の低い側室腹でもどうってことない)
>>172は政略結婚で最も重要なのは子供だというからだろ
子供が鎹となって両親の実家を結びつけるわけではないのならばあまり意味がない

180 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 10:26:10.76 .net
婚家:嫁ぎ先(夫の家)

181 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 14:25:22.08 .net
友好的な場合は頼りになるよな身分の高い妻の実家。兵を出してもらったり
友好関係にある間はね

182 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 19:02:02.26 .net
同盟者でも友好関係にあるうちは兵出してくれるだろ
友好関係が途切れたら嫁いでた娘を送り返されたりするしね

183 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 01:02:57.14 .net
信長協奏曲
気が強いのは別にいいんだけど信行のことを信行に〜や信行が〜と
平気で呼び捨てにしたり正妻とはいえ織田家中のことに口出ししすぎ。
原作の方も微妙だけどこっちもかなーり微妙で凹んだ。
本格時代劇じゃなくても最低限のことはちゃんと考証しろ!

184 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 03:13:05.66 .net
義弟でも呼び捨てはアリエネー
考証誰?

185 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 11:31:49.83 .net
横だけど時代や風俗考証系はいないみたい
クレジットなかった

186 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 19:40:19.73 .net
考証を引き受けてくれる人がいなかったとか?
信行の最期が池田介錯の切腹というはい?原作だしドラマも信行はただの
dqnとか信清がいい人でまた助けてねーバイバーイと手を振って
見送るニセ信長とかだから誰もまともに考証なんてしたくはないだろうが…。

187 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 21:30:13.36 .net
>>186
信行は、父の葬式のとき、礼儀正しくて、
信長がDQNそのものだったのに?

188 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 23:11:33.77 .net
原作未読だからわからないんだけど信長の乳兄弟なのになぜ恒興が介錯?
普通介錯は味方側がするものなんじゃないの?

189 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 15:46:03.44 .net
>>188
敵に囲まれて味方同士で城を枕に自刃の場合は味方が介錯するけど
処刑の場合は敵がやるだろ

190 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 21:23:12.29 .net
>>188
恒興が信行側に寝返ったという無理すぎる設定を正当化させるために
そういう展開にしたとしか思えない流れでそうなってる。

191 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 22:24:58.74 .net
>>190
恒興は信長の乳兄弟だから、実の弟の信行より親密だっただろう。
それに、信行は以前に謀反を起こして負けているんだから、
そっち側に寝返るとか、かなり無理すぎるんだが、マンガゆえの設定か??

192 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 22:49:43.48 .net
創作だからって信行に寝返る恒興なんてヤダーーー、最悪

193 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 23:23:21.51 .net
間違いなく養徳院にぬっ殺されるべ

194 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 02:36:07.72 .net
殺されるだけじゃなく養徳院自身も死を選ぶだろうな

>>190
漫画ゆえの設定と言ってしまえばそれまでだろうけど、
恒興が寝返るのは最初の謀反の時からなんだよ。
それ以前にも信長がおかしくなったからと切りつけようとしたことも。
入れ替っていることを知らないとはいえ平手や大人連中がそうなった
信長に何もしないのに乳兄弟のお前が独断で何でしゃばってんだよって感じ。

195 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 11:27:22.64 .net
そら池田役が向井理だもの
主役の小栗を食うくらいの主役級設定だから見せ場作らないと

漫画読んでないから向井の出番作りのためだと思ってみてたわ

196 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 12:13:07.15 .net
>>187
弟の秀孝が、叔父信次の家来に殺されたとき、
信行はすかさず信次の居城の城下を焼き討ち、
信長は冷静に、「秀孝に油断があった」とかなんとか。
信行も結構dqnな性格だったのかも。

197 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 14:55:47.61 .net
講談、ドラマ、映画、小説、マンガとかほんと害悪だなw

198 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 16:50:57.85 .net
>>194
恒興は今上の姉が降嫁している家の祖にもあたるから
原作の歴史捏造は修正すると思っていたんだけどね…。
切り付けるシーンを無しにしたり勝家に介錯させたのは
脚本の良心だと思いたい。

それにしてもドラマ板の専スレ見たら原作は史実どおりで
ドラマは史実捏造と思っている原作好きさん多いみたいね。
正直怖い。

199 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 17:35:35.25 .net
もし池田家から抗議きたらどうするんだろう
考証を入れてないなら諸関係に話を通すなんてことは
なおさらしていないだそうし

200 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 17:37:01.67 .net
だそうしじゃなくてだろうしだった。誤字ごめん。

201 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 17:52:20.06 .net
撮影地に恵林寺を選んでいる段階で察すべし

202 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 17:59:28.71 .net
>>198
そんなんで修正するわきゃない

203 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 18:26:23.31 .net
>>201
えっ?そうなの?
お寺の歴史知っていれば外すだろうに酷いね

204 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 18:32:35.74 .net
そんなの考慮することもない。

205 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 18:34:08.84 .net
信玄や快川にケンカ売りたいんじゃねw

206 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 18:43:34.94 .net
まあフジテレビのやることだからといえばそれまでだが
信長本拠地の愛知や岐阜じゃなくなぜ山梨なんだろうねえ
岐阜なんて信長関連は力入れているから喜んで協力してくれそうなもんだが。

207 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 19:05:38.35 .net
いつまでドラマの話してる?

そら役者は他の仕事もいくつも抱えているのだから
山梨のほうが東京に近くて撮影の都合がいいからに決まってるだろ
大河ドラマだって現地で撮影してないじゃん

208 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 19:12:44.70 .net
>>198
というかスレ覘いてみたけど原作ヲタは【史実】という
言葉の意味や使い方をわかってない人が多いみたい。

209 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 19:17:29.12 .net
>>207
それなら話題ふれば?
山梨の方が近いって東北にも行ってるけど…
あと噂ではお断りされたらしいよw

210 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 19:26:17.93 .net
>>208
わかってないというよりただのバカw


234 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:2014/10/16(木) 19:05:02.28
>227
>歴史上における事実

おまえはタイムトラベルでもして見て来たのかよw
要するに途中経過に何が有ろうと
そのおまえの大好きな古文書におまえが知ってる通りに書かれれば
問題ないんだろ

211 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 19:37:48.94 .net
天下分け目の
史実オタvs原作オタvsドラマオタ

212 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 19:51:53.38 .net
>>210
これは酷いwwwwww
菅沼の方がまだマシに思えるから困るwwwwwwww

213 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 21:07:37.36 .net
>>210
コピペになんだけどそこまで言える原作ヲタって
少し頭が弱いんじゃない?

214 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 21:32:30.40 .net
歴史改竄漫画をさらに改竄。
なんで原作のまんまにしなかったんだろ。
いきなりの告白場面でどっちらけ

215 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 21:47:52.58 .net
「信長協奏曲」の話したい奴はドラマ板行けよ
日本史板の厨坊どものレベルが知れるわ

216 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 22:14:52.40 .net
ドラマ板で史実絡めて話すと209みたいなアホが出てきて
史実から見た話ができない現実

217 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 23:40:35.51 .net
あのドラマ見てる人の大多数は史実に興味ないと思うぞw

218 :日本@名無史さん:2014/10/17(金) 00:02:10.46 .net
信長協奏曲を録画してまだ見てない俺涙目

219 :日本@名無史さん:2014/10/17(金) 00:07:00.80 .net
だけど逸話や説の一つにこれこれこういうのがあるからドラマは
そこから持ってきたんじゃないかとか史実はどうなの?という質問に
史実のことをレスされると原作好きが逆ギレ始めるんだよね…。
なのに史実の森父はこうだったのにとか言い出したり原作の流れは
史実に沿っていてドラマは捏造とか史実という言葉を都合よく使ったり。
原作設定を何が何でも史実にしたい人もいるみたいだし

220 :日本@名無史さん:2014/10/17(金) 00:25:01.13 .net
>原作設定を何が何でも史実にしたい人もいるみたいだし

マジかよwどんな設定をそうしたいんだ?

221 :日本@名無史さん:2014/10/17(金) 02:10:40.71 .net
多分恒興の寝返り
その頃の恒興の記録がないから(←実際はあるw)信行が謀反を
起こして処刑された史実(←処刑は初耳)という結果があれば
寝返りが証明されたり正史と整合性が取れるらしい

222 :日本@名無史さん:2014/10/17(金) 03:10:34.73 .net
原作信者は暗殺もしくは自刃と処刑の区別もつかんのか

223 :日本@名無史さん:2014/10/17(金) 07:41:44.37 .net
見る者読む者を楽しませるエンタメなんだから仕方がないだろうw

224 :日本@名無史さん:2014/10/17(金) 12:32:28.24 .net
仕方ないのはわかるけど史実史実わめかれるとさすがに頭にくるよ。

225 :日本@名無史さん:2014/10/17(金) 12:50:23.87 .net
某SNSコミュで伊達好きにいろいろと慰められた俺が通りますよ
政宗における片倉、信長における池田、茶々における大野など
乳兄弟主従関係は改変してはならんと伊達好き連中も怒ってましたぜ

226 :日本@名無史さん:2014/10/17(金) 13:34:38.38 .net
小十郎じゃなくて良かったね(ニッコリ)と言ってやりたいわw

227 :日本@名無史さん:2014/10/17(金) 14:14:59.57 .net
>>225
周りの戦国好きの間では恒興の裏切りを見て信コン切った人が
多いのですがこっちの伊達ファンも怒ってる人多いですよ。
もちろん池田や織田ファンも怒っていますけど。
乳兄弟をなんだと思っているんだが共通理由です。

228 :日本@名無史さん:2014/10/17(金) 14:56:28.64 .net
恒ちゃんのスタンスは原作も似たようなもんだろ
てか、そんなんで怒るなんて…
なら、信長が病弱って時点で怒らなきゃwww

229 :日本@名無史さん:2014/10/17(金) 15:45:34.93 .net
別に原作ドラマの区別していないでしょ
あと史板で恒ちゃんという呼び方するってどうなんだろう

230 :日本@名無史さん:2014/10/17(金) 17:20:58.82 .net
濃姫の話題に戻れよ

池田恒興なんてどうでもいいわ

231 :日本@名無史さん:2014/10/17(金) 17:52:28.59 .net
かなり脱線しているのは否定しないけど現代まで濃姫の実家が
続いているのは池田家のおかげもあるからどうでもいいなんてことは
濃姫ファンの一人としてとても言えないです。

232 :日本@名無史さん:2014/10/17(金) 18:41:43.10 .net
うんうんまるっと同意。

濃姫の実家といえば斎藤家スレで国譲り状じゃない道三遺言状を
斎藤家?池田文庫?が所有しているというカキコを見かけた。
本家の方は空襲で蔵が焼けてしまったそうなんだけど分家の方が
免れたみたいなので濃姫関係のものもあったらいいなと期待。
調査とかしてもらえないのかな。

233 :日本@名無史さん:2014/10/17(金) 18:48:21.93 .net
空襲かwww
何のためにあったんだろうな?

234 :日本@名無史さん:2014/10/17(金) 21:19:43.81 .net
本能寺でもみてるなら落ち着け
http://i.imgur.com/Nrct7ef.jpg

235 :日本@名無史さん:2014/10/17(金) 22:24:20.52 .net
>>233
空襲に草生やすな!

236 :日本@名無史さん:2014/10/18(土) 12:25:00.74 .net
>>233
遺された子供達の行末とか遺品整理とかこまごましたことじゃない?
信長に知られたくないことだって普通にあっただろうし。
それと別の遺言状を新五の家系が持っているということは
壺事件の後に出てくる姑の存在も信憑性が高くなるように思う。
そうなると新五だからこの本妻は濃姫確定でいいんじゃないかな。

輝政、ありがとう

237 :日本@名無史さん:2014/10/18(土) 18:04:14.44 .net
>>236
>そうなると新五だからこの本妻は濃姫確定でいいんじゃないかな。

この文章、意味がわからんのですが??

238 :日本@名無史さん:2014/10/18(土) 18:30:27.54 .net
その姑と新五は関係者だから言継に出てくる本妻はという意味で読めたけど。
姑の存在が確定するならその遺言書を託すのはこの姑なのが常道なので
その遺言書を新五が持っているということはみたいな流れ
違うかな?

239 :日本@名無史さん:2014/10/19(日) 12:09:56.66 .net
新五は小見の方が産んだ子ではないと思う。
てことは側室の子。
姑も側室だから、本妻は濃姫とは限らない。
ということになるのでは?

240 :日本@名無史さん:2014/12/09(火) 20:54:40.06 .net
想像での話だとフィクションの世界になる。

241 :日本@名無史さん:2015/01/10(土) 21:22:03.93 .net
久々にage

ネットでこういうのを見つけたのだけどその後専門家の
調査とかは入ったのかな?
本当に信長公御台とはっきりと記録されていて回向順も三番目という
上位なら研究者の誰かが飛びつきそうだし池田輝政正妻(中川氏)に
関してのことですら地方紙で小さいけど新聞記事になったぐらいだから
何かしら記事になっていても良さそうなものなんだけど見聞きしないし…。
かなり気になる。

ttp://taigan.blog104.fc2.com/?mode=m&no=492&m2=res&page=2

242 :日本@名無史さん:2015/01/11(日) 00:38:08.93 .net
というか本当に阿弥陀寺にそういう過去帳が存在するなら
とっくの昔にこういうものがあると出ていそうなものだが。

243 :日本@名無史さん:2015/01/11(日) 05:39:17.96 .net
正直なんか怪しいなあ…

244 :日本@名無史さん:2015/01/11(日) 11:30:19.37 .net
機長ってせむしの娘だったの?

245 :日本@名無史さん:2015/07/04(土) 11:45:14.01 .net
☆ 総務省の『憲法改正国民投票法』のURLですわ。☆
http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/
☆ 日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である
改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願いします。☆

246 :日本@名無史さん:2015/07/04(土) 19:20:34.67 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

247 :日本@名無史さん:2015/07/04(土) 19:21:07.60 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

248 :日本@名無史さん:2015/08/15(土) 18:32:59.91 .net
そういえば、本能寺後の織田家の女性が織田家家臣に出したとされる手紙で
「花屋(華屋?)」と署名されたものがあるらしいんだが
信孝生母の坂氏の院号も華屋院なんだよね
吉乃が清須城から下げられてからも、坂氏は本能寺まで安土に側室としていたようだし
信雄に処刑されて消え去られた感じする

249 :日本@名無史さん:2015/08/21(金) 10:15:53.79 .net
ただ奥にいるだけの女性だったんじゃないかな
政務をこなしたり奥ごとを取り仕切ったりするような有能な感じはしない
本能寺は美濃の人間がやったから、織田家からは疎まれて肩身が狭くて隠居したんじゃない?
だからどの織田家の資料見ても正室のせの字もないんだと思う
それにしても当時織田家に仕えた人間が沢山生き残ってるのに
思い出話としても濃姫の話が残ってないのは不思議
本当に信長の晩年も奥にいたのかな?何でこんなにスルーされてるんだろ
三条夫人ですら、当時関わりあった人から人格を評価する言葉を残されてるのに
織田家が女性のことを書き残さない家だったとしても
頻繁に安土城に出入りしてた公家も濃姫と会ったような記録がないんだよね
寧々のように家が滅んでからも隠居場所に訪ねてくる家臣や公家がいなかったのも
織田家や家臣、他の側室たちからも、そこまで敬われてたわけじゃないからだと思う
それか、既に亡くなったか別居していて、織田家からは遠のいていたとか
そっちのがまだ正室として濃姫の面子が保たれる気がするんだが…

250 :日本@名無史さん:2015/08/21(金) 12:28:13.32 .net
>>249
安藤、稲葉など美濃の武将が変の後も活躍しているのだから、
美濃出身だからという理由ではなく、
定説では否定されているのか知らんが、やはり光秀と従兄妹関係で親しかったから、
共謀を疑われて、家臣らから見捨てられたんじゃないかな?

251 :日本@名無史さん:2015/08/21(金) 17:12:16.23 .net
本能寺に織田家と不和になったとしても、それ以前も記録がほぼないのが気になる
明確な資料としては、斎藤女が輿入れと壺事件くらいか
お鍋は、公家に平家物語の写本頼んだり、ねねの侍女になったりで残ってるし
坂氏ですら、信孝が朝廷に出仕していた頃にか、朝廷や東宮に献上品送ったことが
「さん七母」として記録されてるのに
信長正室として、朝廷外交も、寺社への挨拶も、子供たちへの手紙も記録が無いとは
北条政子は、頼朝生前は政治には一切関わってないとされてたけど
夫の生前から、鎌倉周辺の寺社へ安堵状が北条政子名義で複数残ってるんだよね
当時の、寺社は独立した軍事力があり無視できない政治機関だから
御台所として、政務の一旦を担っていたことになる
ねねも朝廷外交を担当していたことが分かってるし
各方面での濃姫の資料のなさを見るに、正室として本当に何もしていない女性だったとしか言えないなぁ

252 :日本@名無史さん:2015/08/29(土) 16:12:51.59 .net
家光と正室みたいに別居してたとかは?
お万の方が来る大分前から不仲で大奥を出て別邸で暮らしてたはず

253 :日本@名無史さん:2015/09/02(水) 19:17:01.87 .net
家光正室は本丸大奥を出て中の丸で暮らしていたが
とにかくいたことだけは分かってるからねえ
家光正室の四番目の弟が姉を頼って江戸へ出て旗本に取り立てられてるし
家光との仲は険悪だがその息子たちとの仲は良好だったようで
家綱は将軍在位中、よく付け届けをしている
また綱吉の正室は家光正室の甥の娘だった

254 :日本@名無史さん:2015/10/14(水) 07:43:29.79 .net
光秀も信長に仕えるときは、濃姫の伝手を利用した
形跡があるのにな
なぜか記録が残っていないのだよな

255 :日本@名無史さん:2015/11/08(日) 05:27:57.78 .net
形跡があるのに記録がないとはこれいかに

256 :日本@名無史さん:2015/11/15(日) 19:04:09.36 .net
例として相応しくないかもしれないが大身外様の藩祖正妻で西国将軍とまで 
称された池田輝政をはじめ子供も複数いてそれなりに方々と付き合いが 
あったであろうな善応院ですらまともな記録が無い現実を見れば 
改易を数回もくらったとかも含めると記録がないとしてもさもあらんと思われ 
 
あと三条夫人を引き合いに出すのはナンセンスなんじゃないかな 
快川という道三とつながる存在がお濃の近くにもいたなら話は別だけどな

257 :日本@名無史さん:2015/11/16(月) 16:26:48.11 .net
池田は支藩とはいえ初代藩主の親父の名前も確定していない上に 
生母で濃姫と縁のある元助嫁のこともよくわかっていないよね。 
猪子や武井も不明なこと多いしなんか道三恩顧で濃姫の近くにいた斎藤家関係の 
記録欠落が著しく感じるからかなり気になる。 
本能寺で美濃衆がほぼ壊滅してしまったのがかなり痛いかも。

258 :日本@名無史さん:2015/11/16(月) 16:46:28.73 .net
>>256
織田は比較的史料が残っているのに(市、犬といった信長の妹たちの名まで分かるし
側室生駒がいつ死んだかとか、側室鍋の動向も分かる)
信長正室の動向が分からないからじゃないか

濃姫は「信長公記」でその輿入れの時や、道三と信長の舅婿の交流が詳しく描かれている
道三が死ぬときに娘婿の信長に美濃国譲り状を書いたのも有名
けして家臣団が濃姫の存在を知らなかったわけではない
斎藤家滅亡頃までははっきりとわかる濃姫の動向が
その後ぷっつりと消えているのが不思議すぎるんだろ

259 :日本@名無史さん:2015/11/19(木) 00:02:54.49 .net
池田家ですらそんな調子なら厳しいか…。 
こっちはこっちで疑問がわくがそれは兎も角として前に誰かも書いていたが 
記録はあったものの天災や廃仏なんかの煽りで消えていったのかもしれんし 
信長は奥向きのことは一切表に出さないタイプだったのかもしれんし 
(これは情報媒体が豊富な現代ですら見聞きする) 
男は仕事、女は家のことの線引きがはっきりしていたのかもしれんし 
記録はあるが何かしらの事情で世に出ていないだけなのかもしれない他 
信長の正妻なら残っていて然りみたいな頭を切り換えればそうキリキリ 
することもあるまいて。

260 :日本@名無史さん:2015/11/19(木) 03:53:56.89 .net
>>255だけど、
自分は濃姫と光秀に繋がりはあると思ってる。
>>254が具体的には何も書いてなかったから、
気になったんで、話拡がるかな、と思ってレスしたんだけど、
なぜか池田や織田の奥向きの話になってしまったでござる。

261 :日本@名無史さん:2015/11/19(木) 17:22:27.29 .net
なんで繋がりがあると思うの?
光秀を美濃明智城主の家系とつなげたのは
江戸時代中期の「明智軍記」からだと聞いたけど

262 :日本@名無史さん:2015/11/19(木) 21:06:14.79 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

263 :日本@名無史さん:2015/11/19(木) 21:06:40.29 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

264 :日本@名無史さん:2015/11/20(金) 08:12:19.86 .net
>>261
確かに、同時代史料に明確な記事は無いけど、
美濃の国人の明智氏と、そこから輩出されたと思しき幕臣の明智氏が居て、
光秀の臣下や縁者に、その明智氏と近い者や、美濃出身者が居ることを考慮すれば、
大筋で光秀が美濃の明智氏だという推定が誤ってるとは思えない。
とすれば、元は細川の軽輩だったとも言われる光秀が、
信長の下では早くから比較的枢要な職務を任されたりした理由の一つに、
小見の方を経ての、濃姫との親類関係を推測してもいいと思ってる。

265 :日本@名無史さん:2015/11/20(金) 21:25:06.58 .net
つうか濃つながり以上に猪子の後押しが大きかったんじゃないかな。 
最近の研究では信長は明智士官の時に猪子に相談していたというのが 
判明したらしいから。

266 :日本@名無史さん:2015/11/23(月) 19:35:27.75 .net
して、
「信長御台所」
とは一体、誰ぢや?

教えてたもれ。

267 :日本@名無史さん:2015/11/23(月) 19:42:16.28 .net
>>266
そうやってこのスレへ投稿するときに使っている便利な道具で調べるんだな。
その程度のこともできない奴が理解できるかどうかはさておき。

268 :日本@名無史さん:2015/12/07(月) 13:27:53.50 .net
>>264
細川家配下の明智と美濃明智なんて繋がりあった?
美濃明智家の出自で間違いがない人物が
光秀の家臣の中にいたって誰?

269 :日本@名無史さん:2016/01/09(土) 01:03:07.71 .net
あけおめ

270 :日本@名無史さん:2016/02/19(金) 23:33:18.62 .net
「濃姫の御殿」位置推定=金箔瓦で装飾?―岐阜市

 戦国武将の織田信長が居城とした岐阜城で、信長居館跡の発掘を進めている岐阜
市は19日、新たに池の遺構が見つかったと発表した。発掘に携わっている滋賀県立
大の中井均教授(60)は「ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスの『日本史』によると、
池のそばに信長の奥方の御殿があったとされ、濃姫の可能性が高い」と話し、濃姫の
御殿の位置が推定できたとの見方を示した。

 新たに見つかったのは約6メートル四方の池。池の中からは約30個の金箔(きんぱ
く)で装飾した瓦が出土した。金箔瓦はこの付近から集中的に発見されており、池の
すぐ上に建てられた濃姫の御殿とみられる建物に使われていたと推定されるという。
御殿はこれまで、山頂に近い位置にあったと考えられていた。 

271 :日本@名無史さん:2016/02/23(火) 22:01:28.95 .net
>>270
金箔の瓦なら正室の御殿らしいな。

272 :日本@名無史さん:2016/02/28(日) 19:10:47.43 .net
御台所は正室を指すから濃姫では?北の方も
本能寺の際、安土から逃げた女性の中に
この2人(御台所、北の方)が登場して混乱の元になってる
正室が2人は考えずらいし。生母も考えずらい。
もしかして御台と書いたのを忘れて北の方と書いたのか?謎

273 :日本@名無史さん:2016/05/09(月) 17:55:00.04 .net
久しぶりにきたage

274 :日本@名無史さん:2016/05/09(月) 18:03:18.63 .net

>>241の阿弥陀寺の浄花院の件ってその後に何の情報も無いのかな?

275 :日本@名無史さん:2016/05/16(月) 23:09:11.33 .net
>>270
山科言継の日記の記述から、岐阜城の山のふもとに信長の邸があったことは明らか

276 :日本@名無史さん:2016/05/17(火) 05:12:20.92 .net
浄花院の墓石もあったようだし
これが濃姫に一番近い墓かも
さすがに本能寺で死んだとは思わないが本能寺の変あとの岐阜城混乱期に死んだんじゃとか考えてみる

277 :日本@名無史さん:2016/05/17(火) 13:47:13.19 .net
>>276
本能寺の変のころは、濃姫は、安土城に住んでいたのではないかな?

278 :日本@名無史さん:2016/05/17(火) 13:56:14.76 .net
わーなんかひさしぶりにレスついてるw
>>241
浄花院は信長公室って記録されているんだよね
ネットで拾った阿弥陀寺での写真で卒塔婆に織田信長公室浄花院光徳大姉ってなってる
(この写真をあげた人は記事でそれを濃姫のお墓だと書いていたけど阿弥陀寺ではそういう見解なのかな?)

でもはっきりと信長公御台ってなっていたところでどうせ継室をとったのかも〜だの他の側室だろうって濃姫とは断定できないってなるのが見えるが

阿弥陀寺には青木加賀から寄進された灯籠もあるし
あとこのブログ主さんのところのコメント欄によると斎藤家の人たちの肖像もあったとかいう話も
だからこの回向順3番目の信長室が濃姫かもと考えるのは不自然じゃないようなと

信長の命日も近いし久々に濃姫熱が復活してきたw

279 :日本@名無史さん:2016/06/10(金) 18:11:43.70 .net
回向順が信長信忠に続いての三番の信長公室って普通に濃姫だと考えられるわな
本物の墓じゃなくて供養塔なのだろうけど
でもこれ全く話題にされないっていうか取り上げられることないのが不思議

280 :日本@名無史さん:2016/06/23(木) 17:14:02.05 .net
wikiで土岐頼純に嫁いでたことにされてるぞ

281 :日本@名無史さん:2016/06/23(木) 21:03:47.07 .net
ほんとだ
なんつーか
なんの資料もないのに
一部の人たちの推測だけが出処の土岐頼純ネタをよくもまあ

282 :日本@名無史さん:2016/08/08(月) 19:36:19.86 .net
>>278
そこ濃姫信者かつ自分と自称末裔を含む取り巻きの考える歴史が
正しい論調のサイトだから鵜呑みにするのは危険だと思われ
阿弥陀寺のも寺側は濃として回向しているわけじゃないし
それが濃と言っているわけでもないのに一人歩きしていて
ちょっと困っている感じ
斎藤家のも新五もそこで供養されたから追善回向も兼ねてそこに
収めたってだけの話で濃姫は基本関係ないんだと

283 :日本@名無史さん:2016/08/08(月) 22:08:22.70 .net
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

284 :日本@名無史さん:2016/08/09(火) 00:14:38.77 .net
>>282
新五の倅が阿弥陀寺にも墓を作ったとかなら
話は別だが実際はそんなことないしな
新五郎以降ずーっと岡山

285 :日本@名無史さん:2016/08/10(水) 10:28:32.17 .net
まあ室といってもそれが正室なのか側室なのか
結構あやふやに記録されている場合も多いからな
複数の寺で供養されている場合だと寺によってそのあたり
結構まちまちだったりもするし
阿弥陀寺が織田家の菩提寺なり位牌所として定められていてとかなら
また違うのだがそういうわけじゃないから順番だけで決めるのは
ちと短絡的すぎに思う
信忠流の家譜にある松姫みたいに注記ついてとかなら検証のしようもあるけど
そうでないなら検証する以前のような気もしなくもない

個人的には妙心寺の天球院あたりになにか伝わっていそうだけどな
ここのっけからオンリー池田みたいな寺なのに山門には池田織田両家の
家紋瓦がでーんと葺かれていたりする謎がある

286 :日本@名無史さん:2016/08/10(水) 12:06:48.93 .net
>紋瓦

天球院は光政が鳥取城に入った時もまだ城に住居が残してあって
時々姿を見せていたという話もあるんだよね
もしかしたら妙心寺の天球院は濃姫さんが住んでいたところで
そこに天球院も入ることになったと考えられるかも?と
推測してみた

287 :日本@名無史さん:2016/08/10(水) 16:03:31.10 .net
BC3C末、徐福一行の故郷、江蘇省北部では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。

288 :日本@名無史さん:2016/08/10(水) 18:03:26.71 .net
>>286
戦国板では兄之助が信長の庶子ないし濃姫との子じゃないか疑惑で
話が進んでいたことがあったけど(因みに之助の家紋は信長の定紋みたいな
開き蝶)同じように天球院もそういう可能性はないのけ?

289 :日本@名無史さん:2016/08/10(水) 22:52:00.73 .net
庶子については全く否定できる材料もないので可能性が
無いとは言い切れないと思います。
池田家は乳母の家でもありますしね。
之助の母が濃姫という疑惑は今更ながらおもしろいと思います。
正妻も道三の血筋の方ですし之助の子孫も斎藤家とのつながりや
道三の血筋であることを利用したりしていたみたいですし。

290 :日本@名無史さん:2016/08/12(金) 12:03:34.32 .net
もし之助が信長の庶子なら信忠と同腹の可能性が高いかもね
名乗りも勘九郎と庄(勝)九郎で一字違いだし年齢も2歳差

291 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 14:21:50.11 .net
http://ryosai.link/archives/67

292 :日本@名無史さん:2016/10/05(水) 01:44:02.73 .net
>>290
実は双子嫡子だったりして…
之助が恐ろしく地味な謎や(信忠の影武者だったとか?)
正妻が道三の血筋で彼から始まる天城池田家の一門家老として
斎藤家(新五の血筋)が付けられていて何回か正妻にもしてる

293 :日本@名無史さん:2016/10/05(水) 13:46:40.42 .net
まあ池田んちだから可能性が全くないとはいえんなあ
池田んとこはもともと親父の代以前から西濃の稲葉ともつながりが
あったようだし恒興がえらく懇意にしていた坊さんがいた寺の開基は
新五の舅佐藤その人と結構池田は斎藤家と絡んでいたりする

294 :日本@名無史さん:2016/10/05(水) 16:36:04.14 .net
fumei

295 :日本@名無史さん:2016/10/05(水) 16:39:41.58 .net
tesuto

296 :日本@名無史さん:2016/10/05(水) 22:28:24.24 .net
>>292
嫡子は兎も角もスペアも兼ねていたんじゃね?
だから道三の血筋を正妻にしたとも考えられる

297 :日本@名無史さん:2017/02/09(木) 08:06:20.73 .net
斎藤義龍なんかカスだよ。
チンカスだね。
ただの病死した健康管理も出来ないただのアホ
息子も女遊びばっかして
家督も守れなかったアホ

298 :日本@名無史さん:2017/03/14(火) 17:56:39.31 .net
保守

299 :日本@名無史さん:2017/03/14(火) 18:11:15.68 .net
信長は道三に気を遣い側室を持たなかったが
道三が死ぬとタガが外れたように、あちこちの女に種付けしてるな
信雄と信孝なんて母親がほぼ同時期に種付けされてる
流石にマズイと思ったのか、生母が正式な側室ではない信孝は3男になれたが
信孝生母を正式な側室になるのと入れ替わりで
正式な側室だった信雄の生母は実家に帰されてる

長庶子は濃姫が輿入れする前に生まれてるから
庶子がいるじゃないかという意見は間違いだ
政略結婚以上の関係は無かったと思うぞ
夫に母を脅されるような関係だったんだしな

300 :日本@名無史さん:2017/03/14(火) 19:28:58.51 .net
>>299
織田信忠を意図的に抜いている理由は?

301 :日本@名無史さん:2017/03/15(水) 05:21:04.73 .net
信忠も道三が死んでから種付けされてるだろ
おまけに信忠生母と信雄生母の妊娠出産期間を考えると
信忠妊娠中に、信雄も妊娠してることになるから
信雄と同母兄弟説は否定されるし
信長がうかがってたのは道三の顔色で、濃姫の顔色ではない
これが全て

302 :日本@名無史さん:2017/03/15(水) 09:29:53.54 .net
>>301
信忠は弘治元年生まれ説が有力
しかも濃姫の養子になっている
道三が死ぬ前

303 :日本@名無史さん:2017/03/23(木) 12:01:53.92 .net
>>289
之(元)助の嫡男由之の嫁は蜂須賀の長女だしな

304 :日本@名無史さん:2017/03/24(金) 13:47:48.04 .net
なんか池田家近辺怪しいね
岡山県や岡山大学(池田文庫)にがんばってもらって現存するという
斎藤家分家筋の蔵を調査してもらいたいな
分家でも何か残っているかもしれない

305 :日本@名無史さん:2017/03/25(土) 08:05:31.83 .net
明智斎藤<羽柴織田だって

306 :日本@名無史さん:2017/06/05(月) 22:46:45.42 .net
斎藤家の義龍って信長にアポーンされたアホ
ってまだ人気あんの?

307 :日本@名無史さん:2017/06/05(月) 23:18:20.48 .net
>>306
義龍は病死だぞ

308 :日本@名無史さん:2017/06/14(水) 08:51:53.92 .net
斎藤義龍なんてショボいの
好きな奴いんの?

309 :日本@名無史さん:2017/07/13(木) 16:17:48.55 .net
濃姫の部屋もCG再現されるらしい
岐阜行こうかな

http://www.cool-gifucity.jp/special/450project/

310 :日本@名無史さん:2017/07/17(月) 20:58:43.72 .net
歴史上の人物でもトップクラスに有名でいろんな史料や足跡が残っているのに
奥方の足跡や生死すら謎につつまれているというのも不思議な話だな

信長が生きている間に亡くなっていたなら菩提寺に葬られて盛大に葬儀を
したろうからそれはなさそう
信長生前に離縁して里に帰ったから歴史上から足跡が消えたんじゃないか?
それだと壺事件で濃姫が美濃にいたのもわかる
「本妻」は「モトツメ」と呼び「前妻」(正妻だったがその後結婚した
別の女性が事実上の正妻になった場合)の意味もある
日記を書いた言継が公家だったので「本妻」は公家特有の婚姻制度上の
前妻という意味で書かれていた可能性は高い

道三亡き後は同盟関係も解消されたので同盟の証であった濃姫が
実家に戻されるというのも理に適ってる

家督を継いだ弟もあんな最期で事実上斉藤家が没落したから
足跡が残ってないのも納得
濃姫は美濃のどこかの寺にでもひっそり埋葬されてるんじゃないかな

311 :日本@名無史さん:2017/07/18(火) 00:14:51.75 .net
・舅の仇討ちという大義名分の象徴である濃姫を信長が手放すはずがない
・旧斎藤家の家臣を中心とした美濃衆が織田家中で譜代並みに厚遇されてる
以上の二点から離縁説はとっくに廃れてるよ

312 :日本@名無史さん:2017/07/18(火) 06:13:51.91 .net
織田家にとってそんなに大切な存在なら生きてた証の史料がもっとあるだろ
側室より存在感がないのだからとっくにいなかったんだろ

あの時代なら付き添ってきた奥方がいなくなっても一緒に戻るか否かは
家臣の意思にまかされてたろ
主君があのボンクラなら普通戻らない、戻っても居場所もなく織田家より
好条件でないのは明らかなんだから戻るわけもない
美濃衆は有能だし美濃攻略に使えた、だから厚遇されたってこと

313 :日本@名無史さん:2017/07/18(火) 15:18:38.40 .net
「信長公記」に織田信忠は濃姫の養子であることが書いてある
信長が濃姫を離縁したなら普通はその時点で信忠との養子縁組も解消されるだろう
信忠にとって実母でもないのに父から離縁された嫡妻がいつまでも
養母の座に居座っているのはおかしい
だからといって本能寺まで生きていたかと言えばその限りではない
信長の正室ならば夫死後の家督相続に口を出す権利もあるだろうに
清須会議でも信長の正室の存在は一切出てこず
次期執政者となった羽柴秀吉が主宰した大徳寺での信長葬儀に呼んだ信長の妻も
側室のお鍋の方だった
信長の母・土田御前は晩年に至るまで孫の織田信雄から扶持を受けていたが
濃姫の足跡は全くたどれないので

314 :日本@名無史さん:2017/07/18(火) 16:56:11.16 .net
離縁にしろ死別にしろ濃姫がいなくなったのなら
政略的に有用な継室を迎えそうなものだけどその記録もないからな
やっぱり信長が死ぬまで普通に正室でいたんじゃないの

315 :日本@名無史さん:2017/07/18(火) 17:44:22.03 .net
息子の織田信忠も松姫との婚約破棄後
新たな正室を迎えることもなかったんだし(側室や子はいた)
信長も正室いなくなったらすぐに継室を、ってことでもないんじゃないの
側室や跡取りはいたわけだし

「武功夜話」では生駒吉乃が信長の正室になったと書かれてあるらしいけど
濃姫が信長が死ぬまで正室として織田家に君臨していたならば
いくら江戸時代の成立でもそんな伝承が生じないでしょう

316 :日本@名無史さん:2017/07/18(火) 18:42:12.69 .net
当時は政略結婚だから同盟を結びたかったら子供を使えばいいわけで
自分がわざわざ継室をもらう必要はないからな

その点家康は気の毒だった
秀吉の血縁者が少なく実子は晩年まで生まれず政略の手駒が自分の妹だけ
ありえない縁談を押し付けられて
どうしても家康とは義兄弟の関係になりたかったんだろうけどさ

>>313
それが書いてあるのは信長公記じゃなくて勢州軍記な
公記には濃姫のことは輿入れしたとしか書いてない

317 :日本@名無史さん:2017/07/18(火) 18:48:16.58 .net
武功夜話は江戸時代どころか昭和に書かれたものじゃなかったっけ

318 :日本@名無史さん:2017/07/18(火) 18:50:01.71 .net
>>316
スレチだが家康が気の毒というのはどうかとw
確かに朝日姫は家康の元へ嫁いだときに44歳だったが
家康も45歳と高齢だった

家康は政略結婚の築山殿と朝日姫の2人と死別すると
正室を置くことはなかった
天下を執ってからも正室不在は続き
孫より若い側室たちと楽しく暮らしていた

319 :日本@名無史さん:2017/07/19(水) 13:28:01.76 .net
>>310
前の方で指摘している人がいたが江戸時代通して幕末まで片や準親藩として
片や大身外様として共に繁栄した池田家ですら家祖恒興の正妻で
藩祖輝政の生母でもある善応院についてほとんど記録らしい記録が
残っていない現実をみれば記録がないことはあまり不思議じゃないだろ

320 :日本@名無史さん:2017/07/19(水) 13:52:52.77 .net
善応院は実子息子が4人もいてどの家も幕末まで存続し没っしたのも
関ケ原後でその頃輝政もいいお年なはず
そして実家荒尾家も絶えることなく鳥取藩内で城持ち家老家として大繁栄
これだけの好条件でも残っていないのならお濃さんなんて長寿であっても
満足に残っているわけねーw

321 :日本@名無史さん:2017/07/19(水) 14:09:40.52 .net
池田恒興の正室と織田信長の正室ではさすがに重要度が違うだろう
織田家は信長の妹の実名が市、犬などと分かってるなど女性の情報が比較的残っている
豊臣秀吉の正室があれだけ情報が残っているのだし
慈悲にあふれていたという北政所ならばかつての主君の正室と交流もあっただろうに
かなりの量の手紙が残っている北政所のところにも濃姫に関するものはないしね

322 :日本@名無史さん:2017/07/19(水) 15:24:30.14 .net
319さんの言いたいことは重要度の問題じゃないと思うんだけど…

そういえば北政所のところには善応院はおろか養徳院の手紙も残っていないね
三傑から大事にされて尾張にあった彼女の所領は御三家の尾張藩でも手出しを
遠慮して死後もしばらくは池田家所領という特別扱いまでされた信長の乳母だけど
北政所とは交流なかったのかしらね…

323 :日本@名無史さん:2017/07/19(水) 16:07:45.04 .net
>>320 >>322
北政所にとって主君の正室である濃姫は
信長の乳母筋である池田家の嫁と同程度であり
濃姫と交流するなら当然池田家の嫁たちとも交流するはずである
というほうがわけわからん

どれだけ池田家を過大評価w

324 :日本@名無史さん:2017/07/19(水) 16:17:37.80 .net
三の丸殿の葬儀でも秀信はもちろんだけど池田や滝川、斎藤が
援助したりしてるんだよね、実は
なんていうか信長の奥関係にも派閥みたいなのがあって斎藤家(道三流)派閥
(暫定的にそう呼ぶ)は一線引いてたんじゃないかな?

325 :日本@名無史さん:2017/07/19(水) 16:22:25.03 .net
>>323
というか池田には輝政時代というのもあってだな…w
それに春日局みりゃわかるが過大評価もなにも乳母というのは
それだけ影響力があったわけで秀吉はだからこそ恒興死後何回も
養徳院に書簡を送ったりもしてるんだがそういうのはスルーか

326 :日本@名無史さん:2017/07/19(水) 16:38:30.58 .net
>>325
秀吉は濃姫に書簡を送ってないよね

・すでに濃姫が死んでいたか
・完全に織田家から見捨てられ没落していたか


どちらか

327 :日本@名無史さん:2017/07/19(水) 16:48:09.93 .net
>>324
政宗の乳母喜多と愛姫のように濃姫も養徳院と仲良かったのかもね
斎藤、池田、滝川って江戸時代に入っても立場は変われど仲いいよ

328 :日本@名無史さん:2017/07/19(水) 20:51:11.06 .net
信長亡き後まで秀吉は池田恒興母を「大御乳殿」と敬わっていたのに
信長の正室はスルーというのはありえないでしょ
織田の家臣団を懐柔するためにも濃姫は使える、放っておくわけない

あと言継みたいな公家衆も放っておかないよ
お鍋と入魂だったように信長に影響力のある女性には近づいて
取り入ろうとするでしょ、必然的に日記なんかで消息が知れるというもの

それと寺院
寄進や奉納で願掛けや弔いをすればあれほどの有名人の妻なら必ず寺伝で残る
道三の菩提寺に肖像画を寄進したことは確認できるのに信長の死後
濃姫と確定できる形で信長の菩提寺にまったくないのはおかしい

道三死後同盟解消に伴い美濃にかえったに一票だな
お市だって子供もいたのに織田家にかえったしな

329 :日本@名無史さん:2017/07/19(水) 21:15:25.81 .net
信長の嫁なんだからこうあるべきに捉われすぎなだけじゃね?

330 :日本@名無史さん:2017/07/20(木) 08:16:25.91 .net
確実な史料が無い以上、結局は「お前がそう思うんならそうなんだろう。お前ん中ではな」だからな
どう考えるかは勝手だけどそれを他人に押し付けても不毛な争いにしからならん

331 :日本@名無史さん:2017/07/20(木) 11:46:34.03 .net
>>327
養徳院が建立した妙心寺の塔頭にはいわれは不明ながら昔から大事に
されている墓があって寺の特性上などから恒興の供養塔だろうとされては
いるけど尼僧の墓という話も昔はあったらしい
もう一つ同じ妙心寺塔頭の天球院は恒興の娘天球院が入っていた寺だけど
天球院はのっけからあの場所になぜかえらくこだわり何度も懇願して今の場所に
建立したんだと、そしてここは織田家と池田家の両紋瓦が葺かれていて
昔からそうだったそうだ

個人的に濃姫の墓は供養塔かもしれんがこの二つのどちらかにあるじゃないかと
推測している、前者の寺は新五の舅佐藤が開基の寺で住職をつとめ恒興とも
公私ともに仲がよかった坊さんを招いて開山としているけどこの坊様、織田家の
位牌所だった崇福寺にもいたことあって快川とも入魂の仲
後者はいわずもがな
あと見方を変えれば濃姫が生きていたからこそ輝政も道三の血筋である斎藤家に
気を使ったのではないかなと思ったりしている

332 :日本@名無史さん:2017/07/20(木) 13:08:38.21 .net
戦国期に政略結婚して同盟解消したのに嫁が実家に返されなかった例って
あったっけ?
長政なんて2人の正室を返してるよな
あと信玄の娘も北条から返されてすぐに病死してしまった
逆に同盟解消後に濃姫が織田家にとどまっていたという根拠はなんなんだろう

333 :日本@名無史さん:2017/07/20(木) 13:42:45.19 .net
その前に政略結婚して同盟が解消された例を知りたいです(笑)

334 :日本@名無史さん:2017/07/20(木) 15:35:17.83 .net
織田家と斉藤家

335 :日本@名無史さん:2017/07/20(木) 17:04:00.79.net
道三の娘が織田に嫁いできて織田家と斎藤家の同盟が
解消されたって誰の新説

336 :日本@名無史さん:2017/07/20(木) 17:13:47.97.net
331さんと333さん

337 :日本@名無史さん:2017/07/20(木) 17:34:33.29.net
むしろお市は浅井家が滅亡するまで留まり続けてただろ
同盟解消=離縁なら浅井が朝倉に与すると決めた時点で織田に返されてるんじゃないか

338 :日本@名無史さん:2017/07/20(木) 17:48:05.43.net
江は浅井が滅んだのと同じ年の生まれで
浅井家側の史料に城を落ち延びたのは娘2人(茶々と初)と書かれること
岐阜県の神社に城から落ちる途上の市がここで出産したという伝承のあることなどから
浅井が織田軍に囲まれていた時には妊娠中だった可能性が高い
生まれる子が男子ならば確実に信長の手で殺される
だからうかうかと実家へ帰れなかったというのがあるらしい
市が出産してもしその子が男子なら織田の手の届かないところへ逃がすつもりでとどまっていたのかも

339 :日本@名無史さん:2017/07/20(木) 20:35:54.66.net
>>331
他スレにあったけど大説得と怪我の回復を待ってまで仕官させたみたいだな、輝政
利治は秀信付で即ち西軍だし早い時点でお濃が死亡ないし返されたとしたら新五の
子供とはいえここまでするというのはちと不自然に思えなくもないし由之(輝政甥)の母親が
道三の血筋だったからとはいえこちらも早い時点でお濃が死亡ないし返されたとしたら
そこまで斎藤家と由之を結び付けるかな、血は斎藤でも家的には伊勢だからな

340 :日本@名無史さん:2017/07/20(木) 20:54:42.30.net
sm31559856

341 :日本@名無史さん:2017/07/20(木) 23:52:32.17.net
築山殿も今川方と手切れになった後も離縁はされてないよな
最後は離縁通り越して息子ともども殺されてしまったけど

342 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 08:28:33.24.net
お市を浅井家のおいておけば浅井家の動向が筒抜け放題じゃないか
お市を返さなかった浅井家側が同盟解消を望んでいなかった気がするのだけど

築山殿は屋敷を城外にあてがわれ家臣に正室の呼び名とは異なる呼び方をされていた
ことから離縁されたとみなされてるよ
築山殿の墓も将軍家から切り離されて歴代御台所扱いの旭殿の墓よりはるかに酷い
ありさま

ガラシャは一時期離縁されて山中に放置
離縁によって細川家は明智と同盟解消したという身の証をたてたわけだな

北条氏政と黄梅院も両家の完全亀裂で黄梅院は武田に返されたあとすぐに亡くなる
のちにまた同盟回復したら分骨してもらい氏政は北条家の菩提寺に埋葬した
愛情のためというより同盟の証でもあったのだろう

両家の事情でとどめ置かれたり突然離縁されたり
結婚は政治そのものだな

343 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 09:01:27.06.net
そうそう両家が派手に戦をやっているのに土壇場までとどまっていたのは千姫もそうだな
徳川サイドが圧倒的優位で幕藩体制を整える最中だから被害を最小限に
解決するためにあえて家康が姻戚関係を継続したのだろうという説を読んだことがあるが
家康は使者をたくさん大阪に送って和睦で解決したかったようだしな

344 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 09:13:59.88.net
>>342
でも家康はわざわざ人質交換してまで信康と一緒に築山殿を今川から引き取ってなかったっけ
政略的な価値が無いなら信康だけ引き取って嫁の方は放っておいたんじゃないか

345 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 10:10:20.82.net
>>341
家康が今川を裏切った時は築山殿は2人の子(信康、亀姫)と共に今川領内にいて
そのまま今川の人質になった
築山殿の父は娘婿が裏切ったせいで切腹に追い込まれたから
築山殿には帰る実家もなくなった

同盟破棄なら嫁は実家に帰されても子(特に男子)は父方に置いて出るのが普通
家康は信康がとらわれたために家康の嫡男が今川に殺されたとなれば外聞悪く
救出に動いたとみられる

家康が生け捕りした今川家家臣・鵜殿との人質交換で
築山殿と2人の子は家康が引き取ったが
築山殿は以降、家康とは別居で軟禁されていたとみられ
実家へ返されるよりも扱い悪かった感じ

346 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 10:14:40.64.net
だって氏真の元で両親は自害に追い込まれ軟禁状態で人質にされていた築山殿だけを
残して子供たちだけを引き取ったら家康どんだけ人でなしってなるもの
氏真は家康憎しと徳川の人質を串刺しにしてる
世間の手前嫡男生母をないがしろにするわけにもいかないし

一方で新たに同盟を結んだ信長への手前今川家出身の築山殿とは一線引かなければ
ならないので離縁したんだろ

347 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 10:18:02.78.net
>>342
浅井と織田は織田の朝倉侵攻で断絶してるよ
浅井が後ろから挟み撃ちにした金ヶ崎の戦いで信長は死を覚悟して早馬で逃亡
しんがりを命じられた外様の家康は死ぬ寸前だった
本来ならば浅井は市を織田に返すべきだったが
織田の朝倉侵攻の年にも市は妊娠中であり(この年に初を出産)
長政が市の美貌を愛しすぎて市の出産が控えていたため
男子誕生ならば浅井に置いて出るのが通例のためにずるずる延びた

348 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 10:53:47.95.net
それを考えると父を殺され母方の実家も攻め滅ぼされた濃姫を
仇である異母兄の元へ送り返すってのもなかなかの人でなし行為ではないか
濃姫が実父や母方の親戚と不仲で義龍とは仲良かったとかなら問題無いかも知れないけど

349 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 10:54:51.63.net
>>347
でも大崎合戦での伊達家と最上家みたいな例もあるぞ
本音で相手と敵対関係になりたくない場合はあえて和睦の懸け橋になる
婚姻関係は継続しておくこともあったんだろ

350 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 10:59:53.56.net
同盟で婚姻締結→同盟で婚姻解消

その事例も多いが、そうじゃない事例も多いから、
「通例」にはなっていないのではないか ケースバイケースだよ

例えば北条氏康の正室・瑞渓院院は今川の娘(寿桂尼の娘)だが、
河東一乱で今川と北条が戦に及んでも離縁はしていない
武田勝頼の正室の北条夫人も、北条と武田が戦に及んでも離縁せず、最期を共にした
上杉景虎の正室・清円院は上杉景勝の姉だが、御館の乱でも離縁せず、最期を共にした
毛利元就の正室・妙玖は吉川氏の娘で、毛利氏が出雲の尼子に従っていた時に、同じく尼子方の豪族である
吉川氏と好を通じるために結婚したが、毛利が周防の大内氏に鞍替えし、吉川氏と敵対しても離縁していない

351 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 11:04:18.74.net
>>349
大崎合戦の時の伊達家当主は伊達政宗だろ
息子が実母を敵方へ送り返すというのはあまりないよ
(逆に実母を人質にされる)
それでも義姫が政宗を毒殺しようとしたときには
実家に送り返されたがね

352 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 11:08:04.84.net
>>349
足利尊氏の正室・赤橋登子は最後の執権北条守時の妹だが、
離縁せず、やがて足利将軍家の御台所となり、彼女が産んだ子が二代将軍となった
そして彼女が産まなかった、尊氏の庶子の足利直冬が、実父の尊氏と激しく戦うことになる

353 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 11:20:04.44.net
>>352
実母が離縁されても嫡男は嫡男のままだよ
徳川家康も実母のお大は家康が2歳の時に
実家の水野家と松平家の中が悪くなったために
離縁されて実家の水野家へ帰されその後奥平と再婚しているが
それで家康が廃嫡になったわけではない

354 :352:2017/07/21(金) 11:24:06.54.net
訂正
お大の再婚相手は久松

355 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 11:25:46.52.net
>>350
なるほど
各家が代々残ったので彼女たちの消息が辿れるからわかったことだよな
墓も残っている

ではなぜ濃姫の消息は辿れないのだろうな

織田家でも尾張でも安土でもまったく足跡がないから
同盟破棄に際して斉藤家に戻されたのだろうという推測が成り立つわけなんだろ
その斉藤家も滅亡したので美濃でもまったく消息がしれなくなったのだと

356 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 11:35:40.52.net
>>351
それでも義姫を介して父親の代からの同盟を継承してたんでしょ
同盟関係にあるから義姫は両家が戦争しないように立てこもったり
和睦交渉のために義光のもとにも行ってたんだから

義姫は自分で最上家に出奔したんだよ
政宗と義光との関係も良好だったので同盟に関係なくなにがしかの理由で実家に帰っただけ
最上家にいても政宗とは手紙でのやり取りもして関係は悪くなかった
最上家が改易して行き場がなくなったら政宗が引き取って看取った

357 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 11:37:38.10.net
>>355
逆に家もしっかりあって今も続いていて、もちろんお墓もあるのに、
何をしていたどころか性別すらわからない
それが今の大河ドラマの主役である井伊直虎だ

井伊家といえば江戸時代は譜代大名筆頭の名門だ
著名な井伊直政の「先代」がよくわからないというのは異常というほかない
しかもその「よくわからない」時期は、今川家が井伊を圧迫し、今川を滅ぼした
武田の侵攻で井伊谷を奪われるという、
井伊家にとっては存亡の危機が連続した時期だったにもかかわらずだ

後年の井伊家が、意図的にこの時期の歴史を「よくわからない」ように
霧をかけてしまったとしか思えない

358 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 11:41:04.16.net
>>357
しかも直虎の時期は江戸時代のすぐ手前だから、
江戸時代の井伊家からみれば、「遠い昔話で分からない」ということはありえない

359 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 11:41:06.24.net
取りあえず織田家は基本的に奥向きのことを記録しないのが慣例なせいというのがある
先代の正室である土田御前もよく分からないことだらけだしそもそも本当に信長の母どうかすら不明っていう

360 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 11:52:32.76.net
>>359
織田家では妻妾の事は一切記録しないことにしていたから
濃姫は長生きしたというのも無理が多いがな

お鍋あたりはあんなに残ってる

361 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 11:55:40.43.net
>>357
>性別すらわからない

井伊直虎は女だよ
江戸時代中期に儒教の教えが充満し
政治に口出しする女は悪であるという考えが武家社会の共通事項になると
あわてて井伊家が井伊直虎は関口家から迎えた男養子であり一代で絶えたというのを
江戸幕府に差し出した

362 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 14:37:46.01.net
>>356
というかその毒殺未遂事件自体、政宗による自作自演説が濃厚に
なってきていてお東がやったのはほぼ否定傾向になりつつある
(もしかしたらお東も了解済だったかもしれん)
根拠は寺の記録とお東と政宗の書状日付など
彼女が最上に帰ったのも最上家中が荒れていたからでこれも記録がある
政宗に対し最上からお東が帰る旨の了解をとりつける書状も確認されているから
出奔ではなくただの里帰りだな
まあこれができたのも伊達と最上の仲が良好だったからでお東の存在は偉大

363 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 15:01:27.13.net
>>339
言われてみれば確かにだな
由之の嫁が蜂須賀だからかなとも思ったけど斎藤が滅んで
20年以上経っているし何よりも天城池田が由之以降斎藤家との婚姻を
重ねているから早くに濃姫が死んで織田家中でも存在感なしみたいのだったら
池田がこだわるのもなんかおかしいよな

364 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 16:32:40.73.net
織田信長は滅亡させた斎藤の旧臣たちを雇っているのだから(これは他の戦国大名たちにも言える)
それをいちいち「濃姫様が生きていたからこそ雇ってもらえたのだ」
「濃姫様が生きていなかったら織田家家臣が斎藤の女など娶るはずがない」
と言って回ってもなあ

365 :subo:2017/07/21(金) 17:41:42.26.net
生駒吉乃様については無視なのか?

366 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 18:39:36.83.net
>>364って時代の流れなんかをわかっていっているのかな…
脊髄反射する前に自分でも調べればいいのに

367 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 19:03:21.31.net
天城池田は池田でも傍系
石高にして3万2,000石
濃姫さまが池田に身を寄せ池田本家が濃姫さまに色々気を使ったおかげで
斎藤の末裔や姫たちはいい思いができたという割には小さすぎる家

368 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 19:08:09.98.net
濃姫が離縁されていたとしても
美濃出身の池田が斎藤家末裔を気にかけ世話しただけかもしれんし
濃姫がわざわざ織田家を出て池田家に移住する意味も分からん

369 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 19:21:09.15.net
>>366
違うでしょ
このスレの長期濃姫住人が濃姫は離縁されず長生きしていた
ということを大前提にして話してるのでしばしば乖離した話が展開されている
昔戦国板にあったときに基地外スレ扱いされて荒らされたため
少数のヲタたちが濃姫長寿説をうたって日本史板に引っ越した予感

370 :subo:2017/07/21(金) 20:20:31.55.net
濃姫暗殺説はないのか?

371 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 20:23:37.05.net
>>360
お鍋は豊臣家に仕えて有力な侍女になったから記録が残ってるんだろう

372 :subo:2017/07/21(金) 20:32:32.02.net
濃姫は土岐源氏なんだろ、織田信長は桓武平氏だそうだが

373 :日本@名無史さん:2017/07/21(金) 21:27:49.92.net
>>369
長寿説は別にこのスレ内だけで支持されてる異端説というわけではなくね
最近はむしろ離縁説や早世説を唱える人間の方が少数派になってると思う
とは言え散々言われてる通り証拠が無いからどの説も平等に不確定でしかないが

374 :日本@名無史さん:2017/07/22(土) 01:30:26.77.net
>>367
傍流と言ってる時点で調べ直し

375 :日本@名無史さん:2017/07/22(土) 01:56:37.48.net
というか傍から見てると輝政がそうしたから生きていたんじゃね?という推測話でしか
ないことに対して身を寄せただの移住だのと話を勝手に飛躍させて論点ずらそうと
している段階でお察しな人なんだろ(笑)
きちんとレスを読んでいないみたいだしそもそも話で大名格が1万石以上なんだから
家老で万石ってかなりなんだよね(因みに江戸期の家老所領は6倍換算が普通らしい)

376 :日本@名無史さん:2017/07/22(土) 02:05:37.21.net
天城池田家:3万2千→3万

天童藩:2万石
柏原藩:3万6千→2万五千

悲しい史実だのう(´;ω;`)

377 :日本@名無史さん:2017/07/22(土) 02:38:46.90.net
まじかよwww
どこが小さすぎる家なんだよw

378 :日本@名無史さん:2017/07/22(土) 11:18:00.98.net
>>377
自演っぽい

濃姫が生きていて信長の後正室様と世間から崇拝されていたから
斎藤の娘が石高3万の池田家家老の家に嫁げたんだ
濃姫が生きて居なかったらとてもじゃないが
斎藤家の娘など石高3万の家に嫁げるはずもないって?

負将の石田三成の娘でももっといいとこに嫁げてるのに

379 :日本@名無史さん:2017/07/22(土) 12:51:58.08.net
上げアスペいい加減うぜーわ
どこに濃姫のおかげで斎藤家が天城池田に嫁げたなんて
書いてあんだよ?
池田関連レスしている誰が濃姫のおかげなんて言ってんだよ?
お前さんが勝手にそう決めつけているだけだろうが

380 :日本@名無史さん:2017/07/22(土) 13:32:06.47.net
結局こうやって自論に沿わないものはわけわからない理論武装で
言いがかりつけてはスレの空気を悪くするのが現れて考証が止まって
しまうんだよね、前にあった武田スレで指摘されたとおりだわ…

歴史の検証はいくつものやり方や通り道があるし後の時代の出来事から
あの時のあれはこうだったのではないかみたいなのも出てくるから今更ながら
池田家サイドから濃姫や斎藤家を考証するって面白いと思って読んでいただけに
この流れは残念すぎる

381 :日本@名無史さん:2017/07/22(土) 15:58:07.37.net
まあ信長の奥向きを調査する上である意味最後の砦みたいな
家だからな、池田家は。
調査があまり進んでいない家だし池田文庫や林原には未開封の箱や
手つかずの文書も多くあるらしいし何よりも宗家門閥筆頭だった天城池田家の
家老におさまったのは新五の系統で分家筋には蔵が残っているらしい
しかも戦前作成された池田文庫収蔵リストには道三遺言状という気になる記載もあるとか

382 :日本@名無史さん:2017/07/23(日) 02:19:25.52.net
本能寺の変の後、濃姫の領地を安堵する、内容の書状が見つかって、
信長の死後もわりと長生きしてたんだな、って話があったね

383 :日本@名無史さん:2017/07/23(日) 20:20:27.58.net
あつち殿、のことではなくてか?

384 :日本@名無史さん:2017/07/24(月) 17:08:16.91.net
あつち殿=安土殿=養華院≠濃姫

という堂々巡りだった
養華院が濃姫なのに寵妾と記されてたり織田家主催の法要の記録もないとかで
でもお鍋の方を凌ぐ立派な墓をもつ側室がいたのにその存在を示すものが何もない
というのも謎

385 :日本@名無史さん:2017/07/24(月) 17:56:15.79.net
墓の立派さって正直あんまり関係ないんじゃないかと
縁者や当人の遺言によっても変わってくるだろうから
だからもし濃姫でないのであれば本当は鍋を凌ぐような側室じゃ
なかったのかもしれない

386 :日本@名無史さん:2017/07/25(火) 11:58:18.88.net
側室でそこまで重要視されたか、というと
また堂々めぐりになるか。
しかしきになるあつち殿。

横山氏の美濃太守の寵というのはどうなったんだ。
これだと早くに亡くなってることになるし。

387 :日本@名無史さん:2017/07/25(火) 12:02:32.66.net
お鍋の方の墓は子孫が後日織田家の菩提に移転してきたから最初から織田家の菩提に
ある養華院のほうがより織田家と近い存在だったと思うけどね

388 :日本@名無史さん:2017/07/25(火) 14:46:10.33.net
興雲院(お鍋の方)と養華院は全く同じ年に死んでるんだよね
没した日付が12日ほど違うだけで
むしろ養華院とは大徳寺の信長葬儀にも出席したお鍋のことで
別のところで伝えられていたお鍋の墓がもう一つ来ただけの気がする
養華院は「信長寵妾」だし

389 :日本@名無史さん:2017/07/25(火) 14:46:28.90.net
興雲院(お鍋の方)と養華院は全く同じ年に死んでるんだよね
没した日付が12日ほど違うだけで
むしろ養華院とは大徳寺の信長葬儀にも出席したお鍋のことで
別のところで伝えられていたお鍋の墓がもう一つ来ただけの気がする
養華院は「信長寵妾」だし

390 :日本@名無史さん:2017/07/25(火) 18:29:36.92.net
387さんのレス準拠にしての話だけどお鍋の墓石とされている自然岩
本当は墓石じゃなくて墓地の飾り石だったのがいつしか墓石とされた
可能性はないのかな?

391 :日本@名無史さん:2017/07/26(水) 09:13:33.74.net
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆

392 :日本@名無史さん:2017/07/26(水) 09:49:52.25.net
お鍋の墓は別の場所にあったけど、後年にお鍋の子孫が
織田家の一族の墓所にあの自然石を置いたんじゃなかったっけ
まあ、生き残った家系の箔付けだけど
立派な供養塔を建てるのは遠慮したんじゃないの

393 :日本@名無史さん:2017/07/26(水) 10:37:34.54.net
ただ濃姫が本能寺の変の後でも生きていたとするなら、
墓所は大徳寺総見院に置かれただろう

394 :日本@名無史さん:2017/07/26(水) 11:36:50.01.net
信長墓所はそれこそ全国各地にある
息子の信雄は本能寺跡地に造ったし(移転先の現在の本能寺にある)
総見院は秀吉が造った墓所というだけ

お鍋の墓所が総見院にあるのもそういうことから
お鍋は大徳寺で行われた秀吉主宰の信長葬儀に信長の妻妾の中では唯一招かれている

大徳寺での信長葬儀に出席していない濃姫は秀吉からは遠かったというわけで
総見院に墓があるのは本来おかしい

395 :日本@名無史さん:2017/07/26(水) 11:44:13.73.net
>>392
それって記録に残ってる?
養華院とお鍋が同じ年に10日ほどの差で死んでいるのが気になる

お鍋を故意に貶めたいのか知れないけど
子孫がわざわざ「自然石」を持ってくるってことはないでしょう

個人的には養華院はお鍋の可能性が高いと思っている

396 :日本@名無史さん:2017/07/26(水) 11:44:37.94.net
養華院とお鍋は同一とは言うよね。
日付の違いは、初七日、とかでの
勘違いじゃないか、とか。
これはそうじゃないのかな。

大徳寺葬儀に呼ばれてない、というのは濃姫
早期死亡説の良い根拠とはなるわな。

397 :日本@名無史さん:2017/07/26(水) 11:47:57.60.net
あとさ、もし濃姫が生きてたとして
清州会議にはどうして呼ばれなかったのだろう。
女の出る会議じゃない、という言い方はあるけど
織田家の跡目だったら一番発言権があるぐらいだろう。
美濃の所領をどうするかなんて、自分の故郷なわけだし。
あまり話題にはならないけどね。

398 :日本@名無史さん:2017/07/26(水) 17:55:51.23.net
wikipediaによれば 『氏郷記』には、蒲生賢秀が本能寺の変直後に安土城から日野城へ
「信長公御台君達など」を避難させたという記述がある。

『総見院殿追善記』にも、安土城から落ち延びた北の方の記述が見られる。

さらに『妙心寺史』には、天正11年6月2日(1583年7月20日)に
信長公夫人主催で一周忌を執り行った記事があり、
羽柴秀吉主催とは別の一周忌法会であるため、興雲院(於鍋の方)とは別人と推測され

399 :日本@名無史さん:2017/07/26(水) 21:26:46.89.net
>>397
最近では清州会議自体なかったとする見方が強いんだよ
史学界隈ではね
仮にあったとしてもそれぞれの確認だけの簡単なものでしかなかったとも
だから御台が出てくるような大きなものではなかったんじゃないか?

400 :日本@名無史さん:2017/07/27(木) 00:05:48.27.net
確か清州会議は太閤記にしか出てこないんだっけか…

401 :日本@名無史さん:2017/07/27(木) 01:02:57.38.net
ただ所領分配もあるからな

あと土田御前が、かつて信行を支援していたという失態で、女の政治介入を
嫌悪する風潮が織田家中にあったことと、
明智光秀が濃姫の縁者だったことで、
濃姫が信長死後の家督に口出ししにくかったのではないか

402 :日本@名無史さん:2017/07/27(木) 03:04:20.80.net
養華院を信長御台とする根拠は總見寺に所蔵される織田家の過去帳『泰巌相公縁会名簿』の
「養華院殿要津妙玄大姉 慶長十七壬子七月九日 信長公御台」なんですよね。
一般的には戸籍制度が確立する以前は寺の過去帳がその代わりをしていたので、この過去帳はかなり信憑性が高いと思っています。
ただ養華院を「寵妾」と記した史料が存在することも事実なので、絶対とはいいきれないです。
個人的には織田家衰退とともに、濃姫の実子の子孫が存在しなかったことから仏事なども疎かにされ、
そのあたりの真偽が曖昧になってしまったから?

分限帳の貫高も信長正室にしては見劣りしますし、どっちかというと最高の貫高である御局のほうが濃姫ではと
子の徳姫よりも貫高が低いのは不自然だし、「局」は城の妻子が居住する空間をそう表現する場合もあるので、
安土城の局の長であった正室のことを示していると解釈できなくはないです。信雄の身内の女性で、公家出身で高貴な身分の女性はいないはずですし。そうなると安土殿というのは恐らく丹羽長重室あたり?
(輿入れに際しての化粧料とか)安土城は1585年までは織田宗家の城として機能していますから、
結婚当初丹羽室が安土殿と称されても不思議はありません。姉である徳姫より低い貫高なのも納得がいきます。
信雄の庇護下には自身の室や姫なども大勢いたところに母親や信長の妻子も加わったので、
分限帳ではこういう表現になったのではという臆測も成り立ちます。
千貫は現在で換算すると1億程度といわれていて、その他濃姫は御料所なども持っていたので
貫高的には妥当ラインだとは思います。

それから濃姫が岐阜で亡くなっていても斎藤家の菩提寺である常在寺に葬られることはないと思います。
信長生前に亡くなったとしたら墓はやはり尾張の織田家の菩提寺か、あるいは岐阜なら崇福寺あたりではないかと思います。
でも濃姫が亡くなったならあの言継が日記に書かないわけがないので、少なくとも信長生前に亡くなってはいないでしょう。

403 :日本@名無史さん:2017/07/27(木) 04:57:43.75.net
寺の過去帳が戸籍の代わりをなしていたというのは詭弁かと
必ずしも正しいとか限らないし複数の寺に記載されているケースも
あるから一人の人間があっちにもこっちにもいたことになってしまう

あと信長の正室ならみたいな思い込みは捨てた方がいいんでね?
本人がそんなにいらないといえばそれに従うだろうし徳に関しては
家康との関係絡みもあるからそこらも考慮しないと

404 :日本@名無史さん:2017/07/27(木) 12:01:29.84.net
>>401
光秀が濃姫の縁者だというのは否定されてるだろ

最近ではルイス・フロイスの「大日本史」にある通り
光秀は「細川の小者」で室町幕府の官僚出身だったとされている

405 :日本@名無史さん:2017/07/27(木) 12:34:39.15.net
>>402
信長の妻妾達の墓は織田家菩提寺にあるとは限らない

・久庵慶珠…岐阜の崇福寺で織田信忠が7回忌法要。崇福寺は信長が建てた斎藤家菩提寺。
・生駒の方…尾張の久昌寺が墓所。久昌寺は実家・生駒家の墓所で信長が600石寄進。

例えば織田信忠が「久庵慶珠」なる人物の7回忌法要を行っている岐阜の崇福寺
織田信長が美濃の斉藤氏を滅ぼした際にその菩提を弔うために建てた
斎藤家菩提寺で信忠がわざわざ「久庵慶珠」の法要を行っている
信忠は濃姫の養子だったといわれるので「久庵慶珠」=濃姫
信忠が斎藤家菩提寺で死んだ濃姫の供養を行った説もある

406 :日本@名無史さん:2017/07/27(木) 13:04:38.20.net
・永姫の母…加賀の瑞龍寺。永姫の嫁ぎ先である前田家の菩提寺。

前田利長正室である永姫は、前田家の菩提寺である瑞龍寺に
父・信長とその夫人、兄・信忠の墓を建てた
この信長夫人は濃姫の事かとも言われたが近年、永姫実母(信長側室)とされている
信長夫人=正室ということではないので注意

407 :日本@名無史さん:2017/07/27(木) 13:20:22.97.net
>>399
清州会議って、信長ー家康じゃなくて
本能寺の後の三法師登場の時の
ことなんだけど、それもなかたってこと?

408 :日本@名無史さん:2017/07/27(木) 13:21:07.42.net
>>404
肯定否定以前に光秀の出自に関しては濃姫並みにまともな記録が無さ過ぎて何も分からんだろ
どの学者も信憑性の低い資料の隅を突っつきながら論じてる状態だから何一つ断言できることがない

409 :日本@名無史さん:2017/07/27(木) 13:27:27.13.net
>>401
ちょっと話変わって悪いが
土田御前が信長生母と言うのは
どこまで確定してるんだろう。

信行をだまして殺したり、信行と信長は
別腹としたほうが首巻がしっくりくる感じがする。
片や「折り目正しき」で片や「うつけ」というのも
どうも「対比」が主眼になってるような。
他にもいろいろあるのだけど。

410 :日本@名無史さん:2017/07/27(木) 15:38:07.68.net
>>408
それは濃姫は光秀の縁者だと言ってる元ネタの400に言わないとw

光秀が濃姫の縁者だというのは江戸時代中期の「明智軍記」が初出
同時代史料のルイス・フロイス「日本史」のほうがまだ信頼できる

411 :日本@名無史さん:2017/07/27(木) 17:13:29.77.net
>>407
意味がわからん
そもそも家康のことなんて俺はどこにも書いていないけど
どこから家康なんて出てきたの?

>三法師登場の時の
うん、だからそれ
当初から継ぐのは三法師で決まっていたからその確認ってだけで
言われているような侃々諤々はなく終了、所領分配もこれでいいかという
再確認でこっちは少しもめたけどその程度だった可能性が高い
誤解されやすいけど信雄と信孝の争いも織田家の跡目とかじゃなく三法師の
後見をどちらかがやるかが理由でどちらが織田家を継ぐかじゃないのも
書状などから判明している事項な

412 :日本@名無史さん:2017/07/27(木) 17:23:16.64.net
>>405
斎藤家菩提寺は常在寺

崇福寺は織田家菩提寺で建立は鎌倉時代
信長が美濃を攻略する前に快川がこの寺にいたという
良質史料もあるけどそれについてはどう反論するの?

413 :日本@名無史さん:2017/07/27(木) 18:10:03.36.net
江戸時代初期の『美濃国諸旧記』でも、
濃姫の母は明智家の娘である小見の方と出てくるがな

明智が細川の小者あがりであることを裏付ける史料はフロイス以外にあるのか?
細川家関係史料にあるのか?
ないなら信頼できんね

414 :日本@名無史さん:2017/07/27(木) 20:08:34.82.net
>>413
そうじゃなくて、明智光秀が美濃の土岐氏一族明智家出身だという
史料がないんだよ

415 :日本@名無史さん:2017/07/27(木) 20:12:28.62.net
>>412
崇福寺は美濃の土岐氏と斎藤氏が室町時代に建立したともいう
(実在が確実なのはここから)
斎藤氏が庇護を加え境内には斎藤利匡一族墓もある
織田信長が美濃を征服すると崇福寺も取り込んだため
信長・信忠の墓が同じ寺にある

416 :日本@名無史さん:2017/07/27(木) 21:59:59.59.net
仮に光秀がその辺の馬の骨だったなら土岐氏の桔梗紋を勝手に使うのは不味いんじゃないのか
こじつけであっても土岐一族の端くれくらいではあったんじゃないの

417 :日本@名無史さん:2017/07/28(金) 00:27:39.66.net
>>409
独眼竜正宗は実母義姫に毒殺されかけてなかったっけ?
同腹の弟の方に継がせたいとかで

戦国の女性は気性が荒いのかもしれん

418 :日本@名無史さん:2017/07/28(金) 11:43:25.59.net
>>417
>>362

419 :日本@名無史さん:2017/07/28(金) 12:48:11.97.net
明智光秀は土岐源氏である

420 :日本@名無史さん:2017/07/28(金) 16:52:52.58.net
正妻同腹の兄弟争いは信長、政宗、家光が有名だな
時代は違うが源頼家も結果的に子供もいたのに弟に将軍職を奪われた
それぞれの家臣たちの対立から兄弟間の仲が悪くなってそこにいつの間にか
母親の依怙贔屓もあったと後付けされたというのもあるんじゃなかろうか
家にとって嫁は他所者だからお方様が悪いと悪人に仕立てあげられちゃったとか

421 :日本@名無史さん:2017/07/28(金) 22:20:41.35.net
>>411
桶狭間の後の清須会議が
一次史料では確認できない、という話はよくあったからね。
そっちかと。
で、三法師の時の会議は別に、なかった、なんて
話しじゃないでしょしね。
当初から三法師に決まってた、とはあまり聞かない説だけど
誰が言ってます?あの会議以前に三法師はあまり
史料には出てこないとは思うけど。
書状から判明、もどうなんだろう、書状の解釈と言うのは
そこだけ見て書いてあることを判断するとおかしくなることも
多いとはおもうけど、「可能性が高い」というのは誰が言ってるんでしょか。

どちらにしても、会議がそこであった以上、内容はともかく
濃姫がもし生存してたら、出席しててもおかしくないと
思うのだけどね。

422 :日本@名無史さん:2017/07/28(金) 22:28:11.08.net
>>420
首巻は牛一の、後付け、がかなり入ってる
だろからね。
確定しようがないし、公記に書かれていることを
そのまま受け入れるのも偏ってるだろし
まぁ、典型的な2次史料という扱いにはなってしまうけど。

いろんな兄弟争いがあるけど
あれだけ見事なだまし討ちという信長はさすがだ。

423 :日本@名無史さん:2017/07/29(土) 10:12:44.96.net
>>415
斎藤違いだな

424 :日本@名無史さん:2017/07/29(土) 11:17:52.61.net
>>420
足利尊氏・直義兄弟の争いが大規模だったな
全国を巻き込み直義死後も余波が続いて長期間続いた

425 :日本@名無史さん:2017/08/09(水) 23:26:54.00 .net
Wikipediaに書かれてしまってるせいか土岐頼純と結婚してたという説を
事実だと思い込んでる人がじわじわ増えてるっぽいのがなんかちょっとモヤる
道三の娘と結婚してただけであってそれが濃姫だという根拠はないんだよね

426 :日本@名無史さん:2017/08/11(金) 00:26:06.97 .net
>>425
別の本来の名前がわからなくなってて、
信長がつけた名前が『濃姫』として定着してるんだろう。

最近チラッと見たTVドラマで、小栗旬と芝崎コウのコンビので
濃姫は信長の前にどこかに嫁いでいたみたいな設定になってた。
あれは、wikiのせいだったのかー。

427 :日本@名無史さん:2017/08/12(土) 23:46:20.96 .net
道三の娘って10人以上いるのに、濃姫が一人娘みたいなイメージだからw

428 :日本@名無史さん:2017/08/30(水) 18:49:53.54 .net
正室・小見の方が産んだ娘としては、濃姫ただ一人

429 :日本@名無史さん:2017/09/19(火) 12:56:38.78 .net
池田之助に嫁いだ道三の孫の母も濃姫と同腹かもしれないぞ?
之助の子から始まる天城池田の家老は新五の系統
この系統は蜂須賀家にも仕えていて斎藤も名乗ってる

430 :日本@名無史さん:2017/09/29(金) 19:12:37.02 .net
その阿波蜂須賀に仕えた人が大石内蔵助を援助したとして
史実確定している阿波藩士なんだよね
大石の母親熊さんもその斎藤の血を引いてる
ひょんなところで道三の血が世間騒がしているのがおもしろいよね

431 :日本@名無史さん:2017/10/17(火) 23:38:55.64 .net
濃姫は天正元年に亡くなったというのが有力という説が
昨日からTwitterで回ってるけどソースは横山住雄なのか
土岐頼純に嫁いでた説といいこの人の濃姫論は
全体的に異説というか奇説っぽく思えるんだがどの程度信頼できるんだだろう

432 :日本@名無史さん:2017/10/18(水) 15:17:45.63 .net
斎藤の女は糞ばかりだな

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