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食物と酒、嗜好品の歴史@日本史板 2皿目

1 :日本@名無史さん:2014/07/02(水) 21:37:11.30 .net
前スレが1000レス間近で落ちましたが、引続き
日本の食文化の歴史全般について語りましょう。

前スレ
食物と酒、嗜好品の歴史@日本史板
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1322991797/

137 :日本@名無史さん:2015/02/15(日) 23:28:05.18 .net
なんだそらと思えば
どうやら黴と燻製時の発ガン物質か
表面だけ削るとかそういう処理はできんもんか

138 :日本@名無史さん:2015/02/16(月) 15:52:39.61 .net
鰹節はカビ付け技術の開発で品質が一気に向上したんだがな。

139 :日本@名無史さん:2015/02/16(月) 20:12:54.43 .net
本カマンベールに難癖付けて、カビが汚いから輸入禁止とかやってみたらいいんよ
小泉純一郎と森義朗の大好きなミモレット(ひからびたチーズ)なんてダニで醗酵してんだぜ、
害虫輸入禁止とかやって毛唐どもを火病らせてみてくれ

140 :日本@名無史さん:2015/02/16(月) 21:05:31.51 .net
>>139
火病ってる所を悪いが、日本はそのカビたチーズとか必死で国産化してきたんだからね

141 :日本@名無史さん:2015/02/16(月) 21:34:26.41 .net
阿川さんの本読んでたら、
戦前は雪印ブルーチーズとか
あったらしいな。

142 :日本@名無史さん:2015/02/17(火) 13:27:45.92 .net
>>140
分離培養した種菌を使う、日本とかオーストラリアとかアメリカの贋カマンベールはOKだけれど、
本来の作り方をした本物のカマンベールだけ禁止、とかいうふうにしてやるんよ

143 :日本@名無史さん:2015/02/17(火) 22:45:41.07 .net
まあ、がんばれやw

144 :日本@名無史さん:2015/02/20(金) 08:46:38.01 .net
>>111
先週、埼玉入間川で稚魚放流されたようで、太平洋側では南関東
地方の河川でも鮭が遡上するようですね。
【埼玉】元気に戻ってきて 入間川の河川敷で親子ら300人がサケの稚魚放流©2ch.net
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/femnewsplus/1424155395/

145 :日本@名無史さん:2015/02/22(日) 16:40:21.58 .net
>>144
私は茨城県水戸市の出身だけど、子供の頃「那珂川が鮭の南限」と聞いてきたのは何だったんだろう。
当の茨城県でも、鬼怒川で鮭捕れるし。

余談ながら、利根川を遡ってきた鮭は守谷から悉く北上して西には行かないとか。利根川東遷より前のルートをどこかで覚えているらしい。

146 :日本@名無史さん:2015/02/22(日) 17:37:48.86 .net
人種が違いますんでね。人種が。



日本人 ← 日本人種
韓国人 ← 中央蒙古人種



北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人、フィリピン人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人

147 :日本@名無史さん:2015/02/22(日) 19:45:13.78 .net
>>145
( ´∀`)人(´∀` )ナカーマ
ちきゅうおんだんか のせいでもないな

光圀公が鮭大好きで皮一寸のがあったら35万石と交換してもええ
って話も実際は伊達政宗の話らしい
水戸人は鮭に思い入れありすぎて話を盛ってきた過去があるんだろうね
今時の嫁様は歳暮で実家に塩引きを持ってったりするのかな
しねえだろうなあw

>余談ながら、利根川を遡ってきた鮭は守谷から悉く北上して西には行かないとか。利根川東遷より前のルートをどこかで覚えているらしい。
これマジか?
確かに弟が実家に帰ってきたとき弟の運転でドライブに行くと
バイパスが出来てんのに旧道通ったりするけど

148 :145:2015/02/22(日) 23:28:12.39 .net
>>147
友よ(*^o^)/\(^-^*)
私は三の丸小学校。
秋になると今でも毎年、那珂川の鮭食べてます(*^o^*)

昔、境町に住んでいたこともあるけど、鮭が上がってきた話は聞いたことが無い。鯉とか鮒とか鰻とか川魚の好きな人が多かったから、もし鮭が遡上してれば絶対食用にしたと思うんだけどね。

149 :日本@名無史さん:2015/02/28(土) 23:43:43.35 .net
田舎すぎてネタになるグンマほどでもない田舎の
関東で影の薄さ一二をあらそう
茨城人が二人もいるとは

鮭のはなしは加賀でも聞いたような
鮭の皮は鮭とばの皮がうまい

150 :日本@名無史さん:2015/03/16(月) 22:28:48.25 .net
皇室の料理番みたいな人の日記が最近発見されたらしいけど
それによると明治天皇って仔牛やトリュフや卵や牛乳みたいな
明治時代の庶民にはお目にかかれない様な食材使ったフランス料理を
晩餐会や誕生日に食べてたみたいだね。

151 :日本@名無史さん:2015/03/16(月) 23:00:47.83 .net
国家元首が晩餐会で一汁二菜でも悲しいだろう

152 :日本@名無史さん:2015/03/16(月) 23:17:24.67 .net
江戸時代の皇族貴族からみても羨ましい話だろうな

153 :日本@名無史さん:2015/03/16(月) 23:59:42.52 .net
女性週刊誌でシャネル風と書かれて、即座にシャネル(断定)なら一着百万円だから許せないと煽ろうとしたら
皇族が着る服で一着百万円は安すぎると突っ込まれた、みたいなw

154 :日本@名無史さん:2015/03/19(木) 23:31:54.87 .net
いかなごのくぎ煮発祥の地(駒ヶ林)[編集] 
いかなご漁は一千年以上前から駒ヶ林で行われている。
 かつてこの「いかなごのくぎ煮発祥の地」の石碑のある地点までが砂浜であったころ、この砂浜では左義長祭が行われていた。
東西がそれぞれのお山を上げ、神社から出た行司のお山の前にて倒しあいをし、勝った方が網入れの優先権を得る。そして底引き網にていかなご漁が行われた。

 前述の通り左義長の始まりは平安時代の永延二年(九八八)と伝わっており、遅くともその頃にはいかなご漁が始まっていたことが伺える。
底引きで捕られるいかなごは成魚となったフルセである。
平安時代、駒ヶ林には玄蕃寮(現在の税関にあたる)の出先機関があり、大陸との外交の要所であった。
そのことから当時は希少な砂糖がすでに出回っていたと思われる。そしていつしかこの地ではいかなごを砂糖と醤油、生姜で炊いて食し始めた。
 以上の歴史を記すため「いかなごのくぎ煮振興協会」はこの石碑を立て、駒林神社へ奉納した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%92%E6%9E%97%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%B8%82)
平安時代に長田区民は砂糖を手に入れていたのかよ。

155 :日本@名無史さん:2015/04/03(金) 10:43:38.36 .net
>>49
和食には味噌汁はじめ漬物、佃煮と塩辛い副食が豊富なのは、稲作受容後の
日本人にとって農作業が汗の噴き出る重労働だったということか?
4 :やまとななしこ:2015/03/26(木) 15:11:21.24 ID:53l1xLtr
一番悪いのは、淡白な味の炭水化物を食べ易くするための塩分。
塩分も炭水化物も過剰摂取になりがち。
例えば、白いご飯と漬物、佃煮、干し魚、梅干、、、
たんぱく質が少ないので血管が弱くなった所に高血圧、最強の・・・・・・・・・・・
【健康】減塩は本当に健康にいいか[03/26] [転載禁止]©2ch.net
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/femnewsplus/1427349877/4-

156 :日本@名無史さん:2015/04/10(金) 00:04:35.44 .net
>>152
少なくとも幕末の天皇はそんなに貧しい食生活ではなかったようだよ。塩鮭をおかずに、晩酌もできたようだし。

157 :日本@名無史さん:2015/04/10(金) 10:01:46.50 .net
>>154
蜂蜜の類じゃないのかねぇ

158 :日本@名無史さん:2015/04/10(金) 11:16:05.70 .net
甘酒では

159 :日本@名無史さん:2015/04/10(金) 17:57:56.12 .net
>>154
玄蕃寮って税関の職務あったっけ・・・?

160 :日本@名無史さん:2015/04/17(金) 13:32:53.26 .net
>>156
塩鮭wwwwびんぼくさ

161 :日本@名無史さん:2015/04/18(土) 10:11:07.07 .net
京で鮭とは贅沢ではあるだろな。

162 :日本@名無史さん:2015/04/18(土) 13:52:42.24 .net
鮭が気楽に食べれるようになったのは割と最近な気が

163 :日本@名無史さん:2015/04/18(土) 18:27:10.66 .net
は近畿地方でも鮭取れたから

164 :日本@名無史さん:2015/04/18(土) 20:25:59.68 .net
>>162

鮭の値段が上がったのは、冷戦期。顕在化したのは年代で言うと昭和52年頃
200カイリ経済水域の各国の主張教化、サケ・マス類の母川国主義の主張、日米貿易摩擦の制裁で、アメリカ、カナダ・ソビエトの三ヶ国の
漁場から締め出しを喰らった

165 :日本@名無史さん:2015/04/19(日) 02:44:46.50 .net
>>164
最近という言葉が指している時期が違いすぎる気がするな。
いずれにせよ、貯蔵と輸送の技術が発達するまではそんなに気軽に食えるものでもなかったし、近海漁業も含め外洋で魚を大量にとれるようになったのも、たかだか100年かそこらのことだね。

166 :日本@名無史さん:2015/04/19(日) 18:45:57.55 .net
三角形の握り飯の具に塩鮭というのが、陸軍の歩兵の行軍食だからだろ
戦争・兵役で普及した食べものだ
樺太とか千島とか確保したり日露戦争で沿海州の陸の際まで漁業をする権利とか握ったりで、鮭鱒取り放題だったから

167 :日本@名無史さん:2015/04/20(月) 18:36:25.37 .net
幕末の京の食糧事情の話に
陸軍も昭和52年もあるまい。

168 :日本@名無史さん:2015/04/20(月) 20:00:24.84 .net
塩鯖、塩鰤、塩鰯、身欠き鰊、鰹のナマリ節なんか京に運び込んでいたようだけれど、
幕末に塩鮭なんか運び込んでいたの?

169 :日本@名無史さん:2015/04/20(月) 21:00:23.65 .net
平安時代から献上されてたし
幕末ぐらいになるといろんな藩が
献上してたんじゃなかったか。

170 :日本@名無史さん:2015/04/20(月) 22:22:11.72 .net
献上っても毎日あるわけじゃないし
たまにしか食えなかったろうね

171 :日本@名無史さん:2015/04/20(月) 22:29:02.40 .net
塩鮭なんてたまにも食いたいほどのものだったんだろうか

172 :日本@名無史さん:2015/04/20(月) 23:06:18.24 .net
全国から献上はたくさんあったわけだけど
食べ物なんてたまに食べるぐらいが
一番美味しく感じるんじゃないか。

今は回ってる寿司屋さんで子供が
「まぐろなんていらない」「しゃけなんていらない」
という時代だもんな。

うちのおばあちゃんなんて大人になるまで
刺身を食べたことなかったのだけど
日本も素晴らしい国になったもんだわなぁ。

173 :日本@名無史さん:2015/04/21(火) 10:24:55.06 .net
>>172
ただのガキの好き嫌いでは?

174 :日本@名無史さん:2015/04/21(火) 17:26:11.51 .net
>>173
その好き嫌いがとんでもない
という話なんだけどね。

175 :日本:2015/04/21(火) 19:39:30.01 .net
鯉を食べると母乳の出が良くなると言われていますが、ここ西蒲原では、鯉の食べ方に特徴が有ります。
鯉汁にして食べるのですが、小さめの鯉の頭とワタだけを取り除いて、まるまる一匹の状態で鱗を一枚も残さず食べるのです。
当地では鱗の事をコケと呼ぶのですが、鯉のコケの中のたった一枚にだけ母乳の出を良くする不思議な栄養分が詰まっているので、
そのコケを食べ逃さないように全てのコケを食べなくてはいけないのです。
命がけで赤ちゃんを産んだ後に鯉のコケを食べさせられるなんて拷問みたいですが、お母さんたちは大事な赤ちゃんの為に鱗だらけ
の鯉を必死に食べたのです。
ああ、母とは何と偉大な存在なのでしょうか。お母さん、有り難う。
(小さめの鯉を良く煮てあるので鱗も柔らかくなってたそうです。また、若い世代の人の時は、鱗の成分が煮出してあるので、その汁を
飲むだけでも効果が有るとされていたそうです)

176 :日本@名無史さん:2015/04/22(水) 02:25:56.66 .net
>>175
す、すごい
大事な赤ちゃんの為に鱗だらけの鯉を必死に食べたお母さんたちすごい
お母さんたちよ、ありがとう

177 :日本@名無史さん:2015/05/01(金) 18:27:55.54 .net
当時の酒は腐敗しやすいから樽廻船で運んだと言うけど、火入れしても駄目なのかね?

178 :日本@名無史さん:2015/05/01(金) 20:06:30.31 .net
江戸時代の技術で完全な火入れは難しかったのでは

179 :日本@名無史さん:2015/05/01(金) 21:42:10.61 .net
小泉先生の本によると、
結構緻密な火入れの調整の記録があるようです。

雑な技術しか持たない業者もたくさんいそうですけどね。

180 :日本@名無史さん:2015/05/09(土) 22:48:52.31 .net
バケツとかで稲作やってる人いる?

181 :日本@名無史さん:2015/05/11(月) 02:22:03.79 .net
そもそも、缶詰めみたいに完全密閉してないんだから
火入れしても後から菌がはいったら普通に火落ちするだろ。

182 :日本@名無史さん:2015/05/26(火) 08:49:27.67 .net
「ナンバン」とか「ナンバ」「
トマトやピーマンはいつ頃日本人の生活に根づいた? 
http://dot.asahi.com/nhktext/2015052400003.html

183 :日本@名無史さん:2015/05/26(火) 08:52:08.59 .net
唐辛子は、西日本一帯では「ナンバン」とか「ナンバ」と呼ばれる
ことから、南蛮国ポルトガルから伝来したのか?
トマトやピーマンはいつ頃日本人の生活に根づいた? 
http://dot.asahi.com/nhktext/2015052400003.html

184 :日本@名無史さん:2015/05/29(金) 00:53:16.07 .net
>>183
聞いたことないわー
どこの西日本?

185 :日本@名無史さん:2015/06/05(金) 16:37:37.85 .net
昼食はいつぐらいから全国的な習慣になったの?
平家物語の義仲上屋敷への中納言光隆の来訪のくだりからすると、東国では源平合戦の頃にはすでに昼食を食べていたようだけれど

186 :日本@名無史さん:2015/06/05(金) 17:48:53.87 .net
一般的には江戸中期と言われてるがね。『枕草子』を見ると
宮中に工事に来た大工が昼飯を食ってるし、よくわからん。

187 :日本@名無史さん:2015/06/05(金) 17:55:35.88 .net
古代ローマも一日二食のはずだが、畑に作業に行く農夫が
種無しパンを持参したり、皇帝アウグストゥスが旅先から
妻への手紙に「昼にパン一切れと葡萄二粒を食べた」と
書いてたり、これまたよくわからん。

188 :日本@名無史さん:2015/06/05(金) 18:12:50.85 .net
日本史板で、なしてローマのアウグストゥスとかの話になるん?

189 :日本@名無史さん:2015/06/05(金) 19:37:44.65 .net
この過疎スレでそれを言うのかねワトスン君

190 :日本@名無史さん:2015/06/08(月) 16:10:36.13 .net
コンニャク----漢語で蒟蒻(クニャク)は、中華料理では使われず北京語にもなく、
わずかに四川地方で食され磨芋豆腐と呼ばれているらしい。これは、コンニャクが
ナットウ同様に中国南部少数民族から列島伝来発明品だからなのか?
また蒟蒻「芋」の「イモ」は、万葉集には宇毛「ウモ」とあり中国語の芋「yu」由来
らしいが、稲作伝来以前の焼畑農耕時代に食していたサトイモの和名は、何というの
かな?それとも焼畑農耕は、中国伝来農法なのか?

191 :日本@名無史さん:2015/06/09(火) 00:55:58.47 .net
里芋こそがイモだよ

192 :日本@名無史さん:2015/06/17(水) 06:34:18.75 .net
生豚肉提供が禁止されたら予想通り生鶏肉提供店が現れ早速食中毒w

193 :日本@名無史さん:2015/06/21(日) 18:04:16.06 .net
>>189
なぜ、そういう話を日本の話ばかりの世界史板の同スレでやらない

194 :日本@名無史さん:2015/06/21(日) 20:40:18.60 .net
と、自分はネタを提供せず他人のレスをスレチと
叩くだけのスレなので過疎るのです。

195 :日本@名無史さん:2015/06/22(月) 13:42:25.94 .net
>>193
既に出て古くなってるネタだから

196 :日本@名無史さん:2015/06/23(火) 03:01:13.70 .net
>>186
1日3食が普通の現代でも小腹塞ぎに何か軽くつまむなんて珍しくない。それだって言い方によっては4回目の食事だろう。

197 :日本@名無史さん:2015/06/24(水) 22:33:44.79 .net
以前好まれたが今では食べる習慣が無くなった食材を挙げよう。
狸などがそうだな。兎は微妙。日本料理で使われることは滅多に無いが、フランス料理店などでは供されることもある。

198 :日本@名無史さん:2015/06/25(木) 12:57:12.76 .net
鯉、鮒、タニシ、などの淡水棲生物全般

199 :日本@名無史さん:2015/06/25(木) 18:23:50.03 .net
>>198
私は茨城県水戸市の出身。
田螺は私も食べたことが無いな。鮒は水戸ではおせち料理に甘露煮が入っていて正月にだけ食べていたし、鯉は全く食べなかった。
だが古河市に引っ越したら、鮒の甘露煮が名物で一年中売っているし、鰻屋さんに行くと肝吸いか鯉こくかを選ばされて大変驚いた。

200 :日本@名無史さん:2015/06/25(木) 19:26:47.57 .net
ウナギと鯉こく一緒に食べたらえらい精力つきそうww

201 :日本@名無史さん:2015/06/25(木) 21:01:03.04 .net
>>197

戦時中に一時復活したけれど

ドングリ
縄文時代は主食、弥生時代に禾本類の穀物に取って代わられた

202 :日本@名無史さん:2015/06/25(木) 21:15:36.82 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

203 :日本@名無史さん:2015/06/25(木) 21:16:48.48 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

204 :日本@名無史さん:2015/06/25(木) 23:14:58.37 .net
>>201
薩摩には「えのころ飯」という、子犬の腹に米を詰めた料理があったそうだね。
チキンやターキーの腹に詰め物した料理があるのだから子犬を使う料理があってもおかしくはないが、確かに今では全く見ないね。

205 :日本@名無史さん:2015/06/25(木) 23:17:23.60 .net
>>200
中田(古河市南部)には明治の頃まで遊郭があったそうだから、鰻に鯉こくというのは今から女の子のところに行く人向けのスタミナ食だったのかも。

206 :日本@名無史さん:2015/06/26(金) 04:13:18.06 .net
>>202
情報古すぎ!情弱

207 :日本@名無史さん:2015/06/26(金) 06:43:21.70 .net
小麦って中国経由で日本に入ってきたんじゃないの?
違うの?

208 :日本@名無史さん:2015/06/26(金) 15:20:53.19 .net
>>205
なるほど、やけにコッテリした組み合わせだと思ったが
そういう解釈もあるのか

209 :日本@名無史さん:2015/06/26(金) 20:51:41.23 .net
>>197
旨いとされてたのはアナグマだそうな
でもタヌキと同じくムジナと呼ばれる

210 :日本@名無史さん:2015/06/26(金) 23:15:53.80 .net
>>208
関東の人は蝦夷の血が濃いから油っちぃいもの好きだろ

211 :日本@名無史さん:2015/06/27(土) 00:04:10.38 .net
>>209
食べる地域では今のアナグマを昔はタヌキと呼んでいてタヌキの方をムジナと呼んでいた。
食べない地域ではどっちもタヌキと呼んだり、どっちもムジナと呼んだり、逆だったり、総称と個別に分けて言うときで違ったり
要は混乱していた。
明治の頭の東京では、食べない地域で、どっちも「タヌキ」、武家向けに毛皮の需要があったので、毛質の良い今のタヌキの
方が馴染み深かった。

212 :日本@名無史さん:2015/06/27(土) 00:42:15.86 .net
>>208
浅草に美味しい天婦羅屋さんが多いのも元々は同じ理由らしいよ。
吉原で女の子と遊ぶ人が、まずはスタミナをつけに…と天婦羅屋さんでご飯食べていったそうだ。

213 :日本@名無史さん:2015/06/27(土) 00:50:25.49 .net
>>201
粟のような雑穀は、健康食や菓子として細々ながら生き延びているのに、ドングリはついぞ聞かないね。せいぜい「縄文食復元」なんて時に食べてみたという程度。
よほど不味いんだろうか。

214 :日本@名無史さん:2015/06/27(土) 01:36:13.73 .net
>>213
椎の実は炒って食べると美味しいよ

215 :日本@名無史さん:2015/06/27(土) 10:02:37.03 .net
どんぐりはアク抜きしないと食えないからねえ。

子供がどこからか拾ってきたのが
椎の実だったんで、食って見せたら
嫁が驚いてた。

216 :日本@名無史さん:2015/06/27(土) 22:12:46.46 .net
江戸時代にはヘチマも食べていたらしいね。
沖縄では「ナーベラー」といって今も食べるが、本土では廃れちゃったね。

217 :日本@名無史さん:2015/06/28(日) 00:26:38.27 .net
>>215
いやだから椎の実は拾って軽く炒っただけで食べられるよ

218 :日本@名無史さん:2015/06/28(日) 20:56:03.12 .net
椎の実は、嫁の実家がある北九州では普通に食うらしい。
いって

219 :日本@名無史さん:2015/06/28(日) 20:58:34.97 .net
椎の実は、嫁の実家がある北九州では普通に食うらしい。
炒ってから塩を振ったものは、夏祭りの夜店では定番だそうです。

220 :日本@名無史さん:2015/06/28(日) 20:59:12.00 .net
柏やナラの普通のどんぐりは渋くて食えない。
しいの実は炒って食うとうまいが、
生でもほんのり甘い。

221 :日本@名無史さん:2015/06/28(日) 20:59:46.13 .net
失礼。
二重になった。

222 :日本@名無史さん:2015/07/01(水) 17:12:03.75 .net
戦時中のシイ団子の作り方っての見たらトチや曼珠沙華くらい手間がけてたな

223 :日本@名無史さん:2015/07/01(水) 17:27:53.20 .net
>>216
ヒョウタンの漬物は普通に食えるね

224 :日本@名無史さん:2015/07/02(木) 03:37:43.63 .net
>>223
食用瓢箪というのがあるそうだね。
「瓢箪なら何でも構わないだろう」と児童に食べさせて腹を壊させた小学校教師が居たらしいが。

225 :日本@名無史さん:2015/07/02(木) 09:12:02.50 .net
江戸時代のお饅頭は砂糖ではなく塩味のあんこが主流だったと聞いた

226 :日本@名無史さん:2015/07/02(木) 09:27:11.23 .net
>>225
釣りは間に合ってます

227 :日本@名無史さん:2015/07/02(木) 11:30:55.40 .net
>>186
>『枕草子』を見ると宮中に工事に来た大工が昼飯を食ってるし、
朝食を摂ってなかったのでは?
現代でも朝食抜きという人は結構あるくらい、朝は空腹を感じにくい
そりゃ食べ慣れていて朝食を抜けば空腹だろうけど
昔の百姓は朝起きて野良へ出て、一段落したら朝昼兼用の食事をとっていたと言う

228 :日本@名無史さん:2015/07/02(木) 11:33:00.59 .net
俺が想像するに、野良仕事しながら朝飯の材料揃えてたんだろう

229 :日本@名無史さん:2015/07/02(木) 12:51:38.64 .net
>>224
栃木県の特産物だろ
リボン状に剥いて干して・・・・・・・・・

230 :日本@名無史さん:2015/07/02(木) 18:44:17.59 .net
>>228
想像する余地などないはっきり分かってることなんだけどね

231 :日本@名無史さん:2015/07/02(木) 22:17:43.77 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

232 :日本@名無史さん:2015/07/02(木) 22:22:19.04 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

233 :日本@名無史さん:2015/07/03(金) 00:45:06.65 .net
禾本科の穀物のプラントオパールは粒が小さいから雨水の神道に伴って下部の地層に浸透しやすいんではなかったっけ?

234 :日本@名無史さん:2015/07/04(土) 11:40:09.64 .net
>>225
大福でその話きいたことあるよ
興味深いよね

たしかに砂糖はかなり貴重品だったはず

235 :日本@名無史さん:2015/07/04(土) 11:42:50.09 .net
塩味の餡の大福って、
おにぎりに味噌みたいな感じなのかな?

236 :日本@名無史さん:2015/07/04(土) 11:52:12.53 .net
なんだこのゆとりワールド

237 :日本@名無史さん:2015/07/04(土) 12:05:24.91 .net
>>235
むしろおにぎりに塩?
慣れればうまい

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