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食物と酒、嗜好品の歴史@日本史板 2皿目

1 :日本@名無史さん:2014/07/02(水) 21:37:11.30 .net
前スレが1000レス間近で落ちましたが、引続き
日本の食文化の歴史全般について語りましょう。

前スレ
食物と酒、嗜好品の歴史@日本史板
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1322991797/

589 :日本@名無史さん:2015/11/27(金) 02:24:48.24 .net
そもそも>>586はなぜ世界史板で質問したんだか、完全に板違いじゃんか。

>>588
京都より川越の方が金持ち多かったの?

590 :日本@名無史さん:2015/11/27(金) 02:37:29.47 .net
>>587-588
勾配がきつい川を遡行するというのは、つまり所要時間もかかるわけで、海産物を新鮮な状態で運ぶ(船に積んだ水槽を使う)にせよ歩留まりが悪くなる(あらかた死んでしまう)。
だから海からの距離は川越と同じでも、京都では鮮魚は入手不可能ではないにせよ、貴重品ではあったんだろう。

因みに生命力の強い鱧は時間を掛けて運んできても生きているので、京都でも容易に入手できる鮮魚として人気を集めたんじゃないかな。
余談ながら「海水掛けた藁苞に鱧を入れて運ぶ」というのは流石に無理があるらしいです。京都まで生きている場合も確かにあるけど、大概は死んでしまうので商売にならないとか。

591 :日本@名無史さん:2015/11/27(金) 02:40:27.81 .net
>>589
世界史板の食物スレには結構日本の事例が登場します。外国との比較をする場合もあるし、やはり書き込んでいる人たちの殆どは日本人ですし。
逆はあまり無いけどね。

592 :日本@名無史さん:2015/11/27(金) 05:21:02.66 .net
>>586
加茂川は浅いし狭いもんなぁ
そういうこともあったかもしれん

593 :日本@名無史さん:2015/11/27(金) 05:29:39.03 .net
京都は日本海側から魚を調達してた
鯖街道とか名前そのまんまの輸送ルートがある

594 :日本@名無史さん:2015/11/27(金) 10:07:13.36 .net
鱧なんかは海水はった桶に入れて生きたまま運んでいたはず

595 :日本@名無史さん:2015/11/27(金) 10:44:11.09 .net
>>594
そうそう。生命力の強い鱧はそれで生きたまま京都まで運ぶことが出来た。
野菜が美味しくて質の良い川魚が手に入っても、やはり新鮮な海の魚は別格だったんだろうね。

596 :日本@名無史さん:2015/11/27(金) 11:24:36.83 .net
鱧の生命力とやらは単に皮膚呼吸が出来るからだけナンだけどね

597 :日本@名無史さん:2015/11/27(金) 12:06:51.61 .net
>>589
川越は金をそんなにかけなくても運べたんだろ

自転車で多摩川〜入間〜荒川って回ると、
多摩川から入間川に移動するときにかなり下ることになってびっくりする

598 :日本@名無史さん:2015/11/28(土) 00:57:24.32 .net
>>597
淀川水系の水運はそれなりに盛んだったわけで、
川越が一定の集積地で繁華だったのは分かるにしても、
海産の鮮魚を持ち運ぶことができないほどだったとは思えないんだけど、
>>587>>593の指摘にもあるよに、大阪湾からの海魚の運搬に
それほどの意義がなかったという見方の方が説得力ある気がするのだが。

599 :日本@名無史さん:2015/11/28(土) 12:57:21.24 .net
昔は鯉の刺身があったんだな。
中世人はよほど丈夫だったのか。

600 :日本@名無史さん:2015/11/28(土) 13:09:14.67 .net
洗いは刺身に入らないのだらうか

601 :日本@名無史さん:2015/11/28(土) 18:12:25.49 .net
>>598
北岸は高槻、南岸は枚方を境にして同じ海魚の料理の名前が変わったそうな。
川下では造り、川上は刺身だったそうです。

602 :日本@名無史さん:2015/11/28(土) 20:54:23.47 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

603 :日本@名無史さん:2015/11/28(土) 20:54:38.97 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

604 :日本@名無史さん:2015/11/29(日) 16:08:35.38 .net
>>599
細川勝元は相当な鯉グルメで
これは淀川の鯉だとか産地まで当てていたとか

605 :日本@名無史さん:2015/11/30(月) 10:57:14.41 .net
>>595
難波・大坂は昔から食べ物の美味しいところといわれてたし、口実を設けては大阪湾方面に出向いていたしな

606 :日本@名無史さん:2015/11/30(月) 11:07:10.03 .net
>605
難波宮なんてのもあったし、そこを都でよかったんじゃ?

607 :日本@名無史さん:2015/11/30(月) 12:53:37.85 .net
>>604
ちゃんと泥抜きしないと臭いらしい、鼻が良かったのかもな

608 :日本@名無史さん:2015/11/30(月) 17:14:59.61 .net
港湾施設も海運業も未発達の時代には、海辺に都を構える
メリットはあまりないんだよ。むしろ畿内なら琵琶湖の
水運の方が発達してた。

609 :日本@名無史さん:2015/11/30(月) 23:29:17.48 .net
>>608
海運が栄えてきた室町から江戸時代だと、朝廷の力が
衰えて、遷都どころじゃなかったんだろうな。

610 :日本@名無史さん:2015/12/01(火) 04:00:26.03 .net
廻船問屋があったり北前船で船場商人が大儲けしてたこと見ても海運は発達してたでしょ
川の方は、天井川になったり河川の水位が低くなったことで大型船の行き来ができなくなってたことが大きい
明治になって淀川を深くするためにフランス人技師呼んで巨大鉄球で深くしてたりしてる
ポイントは幕府ができて京都の商業的重要性が低下したってことでしょう

611 :日本@名無史さん:2015/12/01(火) 06:06:02.47 .net
>>609
その時代になると実権者は武士になっていたからね。
それでも、秀吉や家康みたいな天下人クラスでないと、
大阪や江戸のような大規模な港湾都市の建設は難しかった。

612 :日本@名無史さん:2015/12/01(火) 15:03:07.31 .net
>>568
>少なくとも食い物に関しては、京都人は進取の・・・・・・・・・・・・・・・・
明治以前の京都・大阪人は、生野菜も平気で食べていたのか?
52 :名無しさんは見た!@放送中は実況板で:2015/10/30(金) 15:11:16.38 ID:7vO1nTbSO
この時代の人って野菜に火を通さないで食べる習慣あったのかな?
漬け物とか薬味にする以外(キャベツきゅうり・・・・・・・・・・・・・・・
NHK連続テレビ小説「あさが来た」part44 [転載禁止]c2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/tvd/1446180146/52

613 :日本@名無史さん:2015/12/01(火) 15:06:17.66 .net
冷やした胡瓜スイカ瓜は食ってたんじゃない?

614 :日本@名無史さん:2015/12/01(火) 21:08:22.22 .net
>>613
洛北大原三千院参道露店夏場の胡瓜バーが、明治以前からの古参名物だと?

615 :日本@名無史さん:2015/12/02(水) 13:33:35.60 .net
>>613
中国経由渡来で中央アジア以西原産食物には、胡瓜、胡麻、胡椒、胡菜、
胡蒜と胡○という名称が多いが、縄文時代遺跡から出土するクルミまで
胡桃と表記されるのは何故なのか?

616 :日本@名無史さん:2015/12/02(水) 14:40:20.16 .net
転載
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1442073441/537

537 :日本@名無史さん:2015/12/02(水) 13:28:48.85
日本では従来、獣肉は食べられなくて
キジや鴨、鶴など野鳥のみを食べてたと言われますが
野鳥を安定して弓矢で捉えるのは難しかったと予想されます。
また、鉄砲が伝来して以降も硝石は高価で今と違い狙いもつけにくい銃では
狩りに使えるようになったのはかなり時代が下ってからでしょう。

と考えるとキジ、鴨等、食べても良い肉類は
一般人はなかなか手が出ない超高級品だったのでしょうか?

617 :日本@名無史さん:2015/12/02(水) 15:48:39.04 .net
洋の東西を問わず、昔は先っぽにトリモチを塗った棒を使って小鳥を粘着させて取った
大型の鳥は鉄砲で撃つ
鴨などは‥水面に網を打つ
小鳥を絡め取る細い絹糸で編んだ鳥に見えにくい霞網も使う
一番手軽なのは庭先で飼っているニワトリを絞める
ま、今夜は鳥にしようと肉屋でちょいと買って帰るような便利な現代のようには行かない

618 :日本@名無史さん:2015/12/02(水) 15:59:16.84 .net
>>558
奈良から遷都ったって、奈良時代、平城京は京として機能していなくて、難波京が首都だったんだよね
東日本・北陸の開発が進んで、瀬戸内海方面にも北陸・山陰にも東海道にも連絡の良いところとして平安京に遷された。

619 :日本@名無史さん:2015/12/02(水) 16:04:36.95 .net
>>565
仁徳天皇の時代に、難波京を造営してるけど・・・・・・
三年の免租をやりながら、茨田堤やら難波堀江やら百舌鳥の巨大墳墓とか作らせてるから、技術と動員力は有ったんだろうけど

620 :日本@名無史さん:2015/12/02(水) 16:16:58.11 .net
香ばしい子が来たな

621 :日本@名無史さん:2015/12/02(水) 17:50:54.33 .net
>>606
実際に奈良時代まで難波京が首都だった。
宮と京とがあって、普段は天皇の生母とか大臣とかの氏族の所領の宮(屋敷)に天皇が住んでいる。統治は各地の有力氏族に殆ど放り投げ。
恒久的な都市としての京は長らく難波だけ。火急時には天皇も京に出向いてきて各地の氏族にも召集をかける。
藤原不比等が大臣の時分に氏族間のパワーバランスが崩れてしまう。
自分の領地に宮も京も持ってこようとして強引なことをしたけれど、奈良は交通の便がよくなくて京には向いていない。
陪都という名目で残した難波京の方が本物の首都で、奈良は離宮のようなもの、という状態が80年くらい続いた。

622 :日本@名無史さん:2015/12/02(水) 19:01:15.64 .net
>>616
>一般人はなかなか手が出ない超高級品・・・・・・・・・・・
質問文出だしから察して、殺生禁令が浸透していた鎌倉期から江戸期までの
一般人?=被支配階層の野鳥の入手難易質疑なのだろうが、居住地によるだろう。
稲作に付き物の雀は、百姓なら入手容易だったろう。中世以降の伏見稲荷参道
名物が、焼き鳥だったし。
弓矢に長じた或いは鷹狩りのおこぼれにありつける民衆もいただろう。
近世の加賀国では、「坂網」という団扇のお化けのような投網で鴨を
捕獲していたらしい。
坂網猟法と用具(一組)
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kyoiku/bunkazai/minzoku/k1-1.html

623 :日本@名無史さん:2015/12/03(木) 03:01:06.25 .net
>>622
雀は農民が獲っても怒られなかった
弓矢や鉄砲は使えないから、網で捕まえてた

こっそり鶉とか鴫とか鶫とかも捕まえていたようだけれど

624 :日本@名無史さん:2015/12/03(木) 13:12:31.23 .net
>>617
鶏は食べないよ

625 :日本@名無史さん:2015/12/05(土) 15:10:34.01 .net
江戸の町人が食ってた肉のほとんどは犬猫だよ。
本物の大型野鳥や牡丹、紅葉は貧乏人には手が出ない。

626 :日本@名無史さん:2015/12/05(土) 15:23:35.42 .net
いわゆる現代の和食に肉料理が残ってないのはなぜ?

627 :日本@名無史さん:2015/12/05(土) 17:56:49.99 .net
>>625
アホか
町人は基本的に肉を食わん

で猪や鹿は害獣退治のおこぼれとして町人が食える地域でも売ってたが正しい
獣肉はあまり一般的ではないんだ
お前は肉は高級品という前提でかいてる
根本的に間違い

お前基礎的知識がないのがわかる
煽り目的なんだろうが基礎知識がないので頓珍漢

628 :日本@名無史さん:2015/12/05(土) 22:38:17.96 .net
綱吉の例の政策がいったいなんだと思ってるんかね?
「ワンチャンネコチャンを可愛がりましょう」かよw

三味線の原料採取が生業として成り立ち皮を剥いだ残りは、「薬」と称して
当たり前のように流通している。

天明期に江戸奉行が「貧乏人は麦を食え」ならぬ貧乏人は犬肉食えと発言し
反発を食らったが、逆に言えば、それだけ流通量が多かったということだ。
取るに足らない流通量しかないものをわざわざ食えというまぬけな施政者はいない。

629 :日本@名無史さん:2015/12/05(土) 22:43:13.98 .net
>>627
町はずれにモンモンジ屋があったり、噺に、池田の猪狩、鴨獲り権兵衛さん、地名に禁野なんかがあるように、結構、庶民にも肉食は認識されていた
あんまりおおっぴらには食べにくいので、紅葉(鹿肉)、柏(鶏肉)、桜(馬肉)、黒牡丹(牛肉)、牡丹(猪肉)というような誤魔化し方もしていた

630 :日本@名無史さん:2015/12/05(土) 22:45:12.30 .net
>>628
パンが無いならお菓子を食べればいいのよ
と言って反感買って首と胴とが離れてしまったお妃とか外国には居たようだけれど、かの地では庶民に行き渡るほどお菓子の流通がふんだんだったのかな?

631 :日本@名無史さん:2015/12/05(土) 23:05:04.22 .net
実際にはブリオッシュというパンに近いものらしい。

632 :日本@名無史さん:2015/12/06(日) 00:10:11.22 .net
ブリオッシュはバターなどの副材料を使ってるので菓子扱いだったようだが、庶民にしてみりゃ混ぜ物でかさまししたパンだとか

実際にアントワネットが言ったわけではないようだが、風説として広まったのは革命派の陰謀じゃないかって考える人もいる
日本でも正月くらいは鮭や雉で増量しないで餅だけの雑煮を食べたいってのがいたりした

633 :日本@名無史さん:2015/12/06(日) 01:37:04.91 .net
なぜかフランス革命は妙な誤解で塗り固められてるな

634 :日本@名無史さん:2015/12/06(日) 05:35:25.56 .net
ブリオッシュ云々は、ルソーの著作の中の文句らしいが、フーシェあたりが
流布したんじゃねぇの?w

635 :日本@名無史さん:2015/12/06(日) 23:27:50.51 .net
>>633
フランス革命は現代の世論形成の原型かもな
怪しげな、でもそれらしい風説に、わっとひとがたかってあたかもほんとのことのように思われてしまうのはネット社会になっても変わらない(むしろ加速された?)

636 :日本@名無史さん:2015/12/08(火) 21:30:52.05 .net
>>632
そうだったのか
じいちゃんところが、昔の藩でいうと、佐賀領、対馬領、久留米領、秋月領、福岡領のせめぎ合っていたら辺だけれど、筑後平野のド田舎。
雑煮の具が、細く切ったスルメが1〜2本(ダシをとってそのまま揚げないだけ)と、カツオ菜という雑煮専用の菜っ葉が少々。
百姓家だから質素なのかと思ってたが、餅が沢山食べられるから、あれこれ入れずにこれで贅沢だったわけか。

637 :日本@名無史さん:2015/12/08(火) 21:56:29.62 .net
日本人はむかしっから炭水化物ジャンキーだったのだなあ

638 :日本@名無史さん:2015/12/08(火) 22:37:26.84 .net
昔からというか・・・

639 :日本@名無史さん:2015/12/09(水) 01:58:15.06 .net
俺も、ドカベン2つにパンッパンに飯詰めて学校に持って言ってたなぁ、まー良くあんなに
食えたもんだw

640 :日本@名無史さん:2015/12/10(木) 09:56:59.76 .net
>>639
柔道部か何か?

641 :日本@名無史さん:2015/12/10(木) 17:35:11.62 .net
俺は柔道部だったが1日五食喰ってたなW
二時間目で早便してたW

642 :日本@名無史さん:2015/12/10(木) 17:35:54.59 .net
◇本朝食鑑
大抵参州・遠州以東から奥州・夷にかけては、馬が多く牛は少ない。
それで、耕耘運転には皆馬を用いる。
尾州・濃州以西より海辺の国にかけては、牛が多く馬は少ない。
それで、耕耘運転には皆牛を用いる。
就中、播州・備州は最も牛を産出するところで、盛んに蕃息(はんしょく)する。

馬は関東の産が上い。
したがって奥州・常州の産が第一で、信州・甲州・上野・下野・上総・下総の産がそれに次ぐ。
関西の産は劣弱であって関東産に及ばない。

近代九州に稍良い馬がある。就中薩洲の産が高大強捷で関東の産に劣らない。
あるいは、古来よりこのようであったともいわれている。

643 :日本@名無史さん:2015/12/10(木) 19:54:41.81 .net
今の競馬界と真逆やな

644 :日本@名無史さん:2015/12/10(木) 20:33:43.55 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

645 :日本@名無史さん:2015/12/10(木) 20:34:17.58 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

646 :日本@名無史さん:2015/12/11(金) 07:47:31.58 .net
>>641
便所飯?

647 :日本@名無史さん:2015/12/11(金) 22:44:05.47 .net
柔道部の奴は暴力で他人の弁当奪って堂々と教室で食う
奪われたやつが便所で泣く

648 :日本@名無史さん:2015/12/17(木) 21:01:34.89 .net
>>647
我が校の柔道部員はそんなことしなかったぞ。

649 :日本@名無史さん:2015/12/17(木) 21:11:02.52 .net
島田小学校はいじめ学校や!ってヤツ?

650 :日本@名無史さん:2015/12/22(火) 13:11:07.26 .net
修学旅行では足りなくて友達のものを食ってた
ありがたかった

651 :日本@名無史さん:2015/12/25(金) 04:21:33.17 .net
>>650
中学が男子校だった。
修学旅行で京都に行ったんだけど、毎食毎食用意された料理を食い尽くして店の人が青くなってた。
後で聞いたら、旅行会社が食堂に人数は伝えても「全員男」とは伝えてなかったらしい。
中学生くらいでも、男は女より食べるんだね。

652 :日本@名無史さん:2015/12/25(金) 08:18:17.32 .net
むしろ、中学くらいが一番食うだろw

653 :日本@名無史さん:2015/12/25(金) 14:36:16.68 .net
>>628
犬肉は鷹の餌だろ
大名・幕臣・旗本の飼うたかがが多くて、鷹のオヤツに必要なオケラ虫の収集が江戸近郊の農民の苦しめたという

654 :日本@名無史さん:2015/12/25(金) 20:54:25.04 .net
>>653
調べたらまず江戸初期鷹の餌として鷹狩りのやる地域の住人の現物納税が犬肉
これは遊びに来るときに備わってないといけないので常備する必要がある
でも年間常備するのが大変ということで金納になっていってそれでは意味がなくなってきた
次に犬でなくトリを現物で納めるようになった
雀とか鳩(に似たとりらしい・・)とか

でその雀などのえさとしてオケラなど蟲が必要だったということみたい

幕府の役職で雀とりみたいな職あったし鳥が鷹のえさとしては良かったんだろうね

655 :日本@名無史さん:2015/12/26(土) 00:58:53.22 .net
>>654
鷹の餌は、主食がお肉で、オヤツに虫。
ヨーロッパや回教圏の鷹匠は鷹のオヤツにバッタ類を与えていたので、日本の鷹も田んぼにウジャウジャ佃煮にするほど居るイナゴでよさそうなものだが、
なぜか上級士分層がオケラ虫にこだわった。

656 :日本@名無史さん:2015/12/26(土) 10:35:31.04 .net
>>655
そーなの?
なんかトリのえさとしてオケラみたいなことかいてた二次資料があったけど

ちなみに鷹の餌にオケラってソース教えて

657 :日本@名無史さん:2015/12/26(土) 18:01:27.58 .net
>>656
上目黒村名主加藤家々譜

658 :日本@名無史さん:2015/12/27(日) 11:37:21.74 .net
昔は一杯いたんだな、ガキの頃田舎に住んでたのに、おけらなんて1回しか見た事ねぇや(笑)

659 :日本@名無史さん:2015/12/28(月) 11:31:01.47 .net
沢山いることはいる
夏場、夕方、どこからともなくジーっと一定の音量で持続する音がなってるだろ。あれはオケラ虫の鳴き声。
土の中にもぐっているからなかなか姿が見えない。捕まえるのも容易ではない。

660 :日本@名無史さん:2015/12/29(火) 17:54:37.40 .net
>>657
ネットにおちてねーなぁ(´・ω・`)
大学関係を漁る必要があるのか

661 : 【馬】 【927円】 :2016/01/01(金) 08:22:24.41 .net
あけおめ

662 :日本@名無史さん:2016/01/06(水) 22:22:02.93 .net
無料でデザインしたアイテムを、自分で販売できます。
http://goo.gl/Yw4t3j

663 :日本@名無史さん:2016/01/06(水) 23:31:54.96 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

664 :日本@名無史さん:2016/01/06(水) 23:32:25.19 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

665 :日本@名無史さん:2016/01/07(木) 10:49:28.79 .net
>>652
それは男女問わずだろう。

666 :日本@名無史さん:2016/01/07(木) 17:25:46.51 .net
このスレの住民はみんなスルースキルが高いなあ。

667 :日本@名無史さん:2016/01/07(木) 18:50:56.87 .net
単純に人がいないという面も・・・

668 :日本@名無史さん:2016/01/09(土) 22:23:18.75 .net
お正月にお土産で知人からおはたきもちと言うお餅みたいなものを頂いて
調べてみたら静岡の地方食でお米から出来ているみたいなんですが
このようなお米からお餅を作る風習って江戸時代には他に無かったのですか?

669 :日本@名無史さん:2016/01/10(日) 02:13:13.79 .net
米以外から作る餅を食ったことないです

670 :日本@名無史さん:2016/01/10(日) 06:46:56.59 .net
それは幸せな事です飢饉の時には松の皮を剥いで・・・、今でも好き好んでやってる地方があるそうだが

671 :日本@名無史さん:2016/01/10(日) 11:39:18.31 .net
>>668
くず米を粉にして団子にするとか、秋田のきりたんぽとか、もち米以外を使ったものは昔からどこにでもあると思うよ
物の少なかった時代、食べ物は今以上に大事だったしね

672 :日本@名無史さん:2016/01/10(日) 21:32:24.79 .net
>>668は米から餅を作ることに驚愕しているんだが

673 :日本@名無史さん:2016/01/15(金) 13:16:11.86 .net
うるち米から餅を作ることときちんと読み替えろよw

昔はもち米にうるち米を混ぜてもち作るのは普通にあったし
うるち米からもちのようなものはよく作られた

674 :日本@名無史さん:2016/01/16(土) 21:19:48.30 .net
きちんとwwwww
モチ米がまるでまっとうな米の埒外にあるかのような言いようだなw

675 :日本@名無史さん:2016/01/17(日) 01:59:14.28 .net
3年前に亡くなったばあちゃんは、元気なときにうるち米に里芋混ぜておはぎ作ってた。うまかったよ

676 :日本@名無史さん:2016/01/17(日) 23:30:40.83 .net
ふと思い立って太田なわのれん風の牛鍋をやってみたが
肉が厚いので火が通りにくくて、よく煮えたと思って皿にとっても
まだレアというパターンが多くて、取り皿が赤い肉汁で汚れてしまった。

もしかしてすき焼きに生卵をつける風習のおこりには
取り皿が赤く汚れて食欲が失せるのを防ぐ、という目的もあったんじゃないかと思った

677 :日本@名無史さん:2016/01/18(月) 04:54:31.22 .net
17世紀前半までに、スペイン人・ポルトガル人が晩秋に植えて春に採る地中海系の品種、オランダ・イギリスが春夏に植えて秋に採る寒冷地向けの品種と、少なくとも二回持ち込んでいるのに、
キャベツはなんで明治まで普及しなかったんだろう?
内務省勧業部、農商務省による、欧化策・新作物の導入でようやく普及したというが、貝原益軒は本草綱目に「味良し」と記載し、味噌汁、煮浸し、炊きあわせ、漬物というような、純和風の料理で美味い。
18世紀中盤には花壇に植える観賞用の品種が多数作出されているから、栽培法がよく伝わらず系統維持が困難・気候が合わないというようなものでもなさそうだ。
なのに、何故、20世紀に入るくらいまで、食用としては普及していなかったんだろう?

678 :日本@名無史さん:2016/01/18(月) 09:21:41.64 .net
寒い冬に世話したくなかったんだろう
って今朝思った

679 :日本@名無史さん:2016/01/18(月) 17:07:58.69 .net
収穫量と小売価格が見えないからじゃね?

680 :日本@名無史さん:2016/01/18(月) 17:47:42.40 .net
ある時代作家が江戸人に白菜の漬物を食わせて笑われたとか何とか

681 :日本@名無史さん:2016/01/18(月) 21:22:16.26 .net
玉になる大白菜は日露戦争で北支を進軍して発見したから
徳川時代にも支那人は長崎や沖縄に来ていたけれど、来る分には伝わらず、日本人が行って初めて接触した。

682 :日本@名無史さん:2016/01/18(月) 21:32:54.94 .net
小白菜の方は、ずーっと昔からあって、伝わってきたのは古墳時代以前。
今残っているものだと、シロ菜、コマツナ、野沢菜 等。青梗菜も、広東語では、白菜。葉柄の緑色のものを特に青梗菜というけれど、白いのも緑のものもごちゃまぜで「白菜」(Bak-Choy)
コマツナは、「菘」(すずな)の字が読めなくて、小菘の誤用からだろう。

683 :日本@名無史さん:2016/01/19(火) 01:36:59.45 .net
>>680
風野真知雄さんですね。
「女だてら麻布わけあり酒場」
シリーズで、鍋の具材に白菜入れたり、きゅうりと白菜の
漬物なんていう季節感丸無視のメニュー出してる。

684 :日本@名無史さん:2016/01/19(火) 06:13:08.12 .net
白菜は明治以後入ったものなのにあっという間に広まって
どこの田舎でも白菜を漬けるから、昔からあると思われても
無理はない。逆に胡椒は唐辛子より昔からあり、江戸時代の
料理書にもよく見かけるのに、明治以後のものだと思われがち。
オランダ東インド会社が出島経由で日本に大量に輸出した
のだが、国内栽培不可の輸入物はやはり厳しいか。

685 :日本@名無史さん:2016/01/19(火) 11:00:48.14 .net
なんで結球白菜は簡単に受け入れて、キャベツは受容に時間かかったんだろう。
食べる方には見向きもせず、花壇に植えるための品種は熱心に作っていたのに。

686 :日本@名無史さん:2016/01/19(火) 11:24:20.87 .net
>>685
それが食べ物であるという認識が全く無かったからでしょ

687 :日本@名無史さん:2016/01/19(火) 20:09:39.91 .net
虫害かもな。

688 :日本@名無史さん:2016/01/19(火) 22:52:40.08 .net
>>685
明治時代の日本人の味覚にあうのが白菜だったと思う。
キャベツだとどうしても調理が洋風になるから時間が掛かったかと。
鍋にキャベツ使うのも結構いけるんだが。

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