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食物と酒、嗜好品の歴史@日本史板 2皿目

912 :山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ :2016/04/15(金) 20:26:42.64 .net
>>906
>恒常的に飢餓状態の前近代で、数百キロの肉の塊を簡単に遺棄するものなのか。
食用になるうる物があっても、「食材」と看做さない場合がありますからね。
海草や蛸といった海産物を中心に、特定の土地では食べられていても、他の土地では見向きもされないものがあります。

ユダヤ教では豚に限らず相当の物が食材から除かれていますが、畢竟初期の信者の生活から離れており、除いてもさし
つかえない、元々縁遠いものであったからでしょう。
日本では鹿や猪は平安中期まで死穢ばかりか食穢とも看做されていませんでしたが、大陸から移入された家畜を食べる
文化が元々縁遠いもので、家畜を食べることが必要と看做されない一方で、鹿や猪を食べることは染み付いた必要と看
做される文化であったから、制限はあっても現代まで続いたのでしょう。

牛の内臓も、昭和にはまだ食べるのに抵抗感がある人がいましたし。私もそうでした。
飢饉の時は食べていましたが、エタ以外の人々が「自分たちの食べ物ではない」と認識していれば、そうそう食べること
はなかったのではないでしょうか。
ただ遺棄していたのではなく、エタ(餌取)が食べていましたからね。
牛や豚の肉食が普及しても、臓物は昭和も半ばを過ぎるまで被差別部落・在日韓国朝鮮人・アイヌのイメージが強かった。
そこまでの壁はないとはいえ、アメリカにおける白人の牛肉、有色人種(黒人)のチキンのようなものか。

>>909
重要かつ美味であるからこそ、生贄になるのです。価値がなければ生贄にはなりません。
何に価値を見出すかと言えば、人と神の価値観は通常同じです。人が神を語るのですから。

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