2ちゃんねる スマホ用 ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

北条得宗家って日本の歴史の中でも異質だよね

1 :日本@名無史さん:2014/08/02(土) 23:22:15.26 .net
なぜナンバー2が、権力を手中にし、世襲制で天下をとれたのか
さらになぜその異質な体制が維持できたのか
普通、将軍家がTOPで有力家臣団が補佐するのが普通だが
TOPを差し置いて完全世襲の家臣の家が前面に出て天下に号令を
かける・・・なんでこうなったの?

2 :日本@名無史さん:2014/08/02(土) 23:25:20.86 .net
まさこさまがいたからじゃないの?

そいや今も…

3 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 00:00:50.76 .net
鎌倉末期はその得宗家すら傀儡化して内管領の長崎円喜・高資親子が実権を握る有様

4 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 00:06:54.98 .net
天皇家に対する摂関家のような関係が鎌倉でも真似をされたのかな?
主君の権力が実務担当の部下に移動してしまうことは世界でもよくあることだろうし。
ただその関係が何世代も世襲されたのは珍しいのかも、他国な主君にとって代わって
新王朝を建てるのが普通だろうし。
日本人は一度出来た体制を例え形骸化したとしても極力壊さずに維持しようとする傾向があるみたい。

5 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 00:14:19.59 .net
時政が将軍になれるだけの出目だったら将軍主権でまとまってたはずだが
自称平氏の怪しい家系だったからな

6 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 06:46:24.30 .net
聖徳太子が日本の価値基準を
1.話し合い(弁証法)
2.三宝(仏教)
3.儒教
と定め、大事は必ず合議によって決めろとしたため
大王(天皇)の行政的実権は事実上なくなった。

統治は行政官の役割であって、主権者の役割ではない。
主権者と行政官は社会的機能が全く違うことを理解していない人は多い。

7 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 15:24:23.92 .net
後の足利将軍や徳川将軍と比較するから異質に見えるけど、
それらは元々自前の軍事力があるところからスタートしていて、
自前の軍事力がないところからスタートした源頼朝とは決定的に違う。

鎌倉幕府は初めから御家人の方が立場が強くて、
その結果将軍は今でいえば、
何とか協会の名誉顧問とか相談役みたいなポジションになった。

御家人が将軍に求めているのは、
貴種であって中央政界に顔が利き、
内部には口を出さないこと。
それが理解できてないと、殺されたり京都に送還されたりする。

時代によって程度の差はあれ頼朝の時から基本は一緒。

8 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 15:57:36.02 .net
摂家将軍、宮将軍を推戴するなど京と隔離されつつも付かず離れずの関係を保っていた

9 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 16:23:17.16 .net
承久の乱後の北条義時や泰時は一応天下を支配できる勢力を持ってたのに
なぜ将門のように帝位を望まなかったんでしょう?
帝位と言わずともせめて将軍になってもよさそうなのに。
それともやはり当時は家格の縛りが強くて、北条ごときがそんな地位に就いたら周りから非難される状況だったのかな?
天下人なのに「相模守」の官位に甘んじてた北条さんがいじらしいれす

10 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 16:24:00.90 .net
足利氏も自前の軍事力なんかあったのか?

11 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 16:28:19.03 .net
徳川も自前の軍事力などあまりなく関が原も外様の活躍に頼っていた

結局足利も徳川も他の有力大名との差はもともと非常に小さい
だから朝廷を担ぎ上げて天皇から征夷大将軍に任じられることで
他の大名との差別化を図った

朝廷がなくなったらそのお墨付きを得られなくなるということで
他大名が連合して朝敵足利・徳川に襲い掛かったら
いくら天下人でも簡単に滅ぶよ

12 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 16:34:14.85 .net
>自前の軍事力

足利尊氏は、後醍醐天皇を討伐すべく鎌倉を出発した。
途中、三河の矢作川のほとりの矢作の宿で三河の足利党19家の兵馬の出迎えをうけたが、ここで倒幕の決意を固めた。

19家とは

01.西条吉良氏■後に将軍御一家
02.奥州吉良氏■後に奥州管領家、関東公方御一家
03.今川氏■後に九州探題、守護職
04.一色氏■後に四職家、九州探題、守護職
05.仁木氏■後に室町幕府執事、守護職
06.細川氏■後に管領家、守護職
07.斯波氏■後に管領家、守護職
08.戸賀崎(荒川)氏■後に守護職
09.畠山氏■後に管領家、守護職
10.桃井氏■後に守護職
11.渋川氏■後に将軍御一家、九州探題
12.上野氏■後に奉公衆
13.岩松氏■
14.石塔氏■後に奥州総大将、守護職
15.鹿島氏■
16.粟生氏■後に奉公衆
17.倉持氏■後に奉公衆
18.高氏■後に室町幕府執事、守護職
19.上杉氏■後に関東管領家、守護職

13 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 16:37:24.61 .net
■元弘の変(1331〜1333年)当時の後に室町幕府の支配層(西三河武士団)■
【岡崎市】
・三河守護所
・額田郡公文所(所領の管理他、鎌倉末期(1310年頃)は尊氏の母方の祖父(上杉頼重)が担当)
・矢作東宿(足利宗家が経営する宿泊施設)
・高氏(足利被官、室町幕府執事、守護職)の屋敷(高一族没落後、一族唯一の菩提寺(総持寺)が屋敷跡に建てられる)
・足利宗家の屋敷(大門屋敷)、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・上杉氏(足利被官、関東管領家、守護職 )の屋敷(日名屋敷)
・倉持氏(足利被官、奉公衆)の屋敷(便寺屋敷)
・仁木氏(足利一族、幕府執事、守護職)の城(仁木城)
・細川氏(足利一族、管領家、守護職)の3つの城(細川御前田城、細川城山城、細川権水城)
・粟生氏(足利被官、奉公衆)の2つの城(秦梨城、秦梨城山城)と2つの屋敷(梅藪屋敷、西熊屋敷)
・斯波氏(足利一族、管領家、奥州管領家)の屋敷(跡地に永源寺)
・石橋氏(足利一族、将軍御一家、守護職)の屋敷
・上地氏(足利一族、細川氏分家)の城(上地城)
・上地氏(足利一族、仁木氏分家)の屋敷

【豊田市】
・上野氏(足利一族、奉公衆)の屋敷
・中条氏(足利被官、守護職、奉公衆)の城(金谷城)

【西尾市】
・西条吉良氏(足利一族、将軍御一家)の屋敷と城(西条城)
・奥州吉良氏(足利一族、奥州管領家、関東公方御一家)の屋敷と城(東条城)
・今川氏(足利一族、将軍御一家、九州探題、守護職)の城(今川城)
・荒川氏(足利一族、戸賀崎氏分家、守護職)の城(戸ヶ崎城)
【知多市】
・一色氏(足利一族、四職家、九州探題、守護職)の城
【新城市】
・設楽氏
・富永氏

14 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 16:46:18.07 .net
10
倒幕時の足利軍団は2万人

15 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 16:47:27.71 .net
>>12
また三河馬鹿かw

で、その足利一門を全部足した兵力は何人?
他大名の助けを借りずに足利が単独で天下執れたわけないだろ

16 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 16:47:29.96 .net
なぜ北条得宗家と藤原摂関家は似ている。どちらもTOPを傀儡化し
何世代も権力を掌握した

17 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 16:58:37.12 .net
北条氏はもともと頼朝の外戚

18 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 16:59:06.35 .net
>>16
藤原摂関家は摂関全盛期こそ外戚政策で外孫を即位させ天皇を傀儡化していたが
平安時代末期以降、摂関家を外戚とする天皇がほとんどでなくなって以降は
ほとんど天皇を超える権力は有していない
ただ鎌倉時代以降公家の家格が固定化したことで天皇との姻戚関係に関わらず
朝廷における天皇に次ぐナンバー2の立場を維持していたというだけ

北条が外戚関係のない摂家・親王将軍を傀儡にしていた状態とは全く違う

19 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 17:26:39.15 .net
源頼朝の外戚とはいえ家格は諸侯と同格の北条家が覇権を確立したのが権謀術数の凄さを物語っている

20 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 17:34:37.44 .net
まさに中世として
平安時代とは異なる流血の抗争だね

天皇家に対する摂関家よりも北条氏が将軍の首を簡単にすげ替えられたことや、外戚になる必要がない点は
摂関政治の運ゲーの側面を克服してるね

21 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 19:14:31.64 .net
北条家の家格は、諸侯以下だろう
坂東平氏に比べたら

22 :日本@名無史さん:2014/08/03(日) 21:24:34.12 .net
藤原氏ももともとの中臣氏は大連や大臣といった大王家に匹敵するような大豪族でなく
ヤマト王権でそれほどの家格があったわけでもない
しかし乙巳の変をやり遂げ天智天皇の永遠の忠臣となった中臣鎌足が出たことで
いっきにこの系統が他の諸豪族たちから突出した

北条の場合もやはり北条政子が凄かったんだよ
源氏3代の後長年の尼将軍時代に鎌倉幕府の基礎を固め
北条こそは鎌倉幕府の統治者であるということを御家人たちに認知させた

23 :日本@名無史さん:2014/08/04(月) 00:52:40.44 .net
北条義時が利害の一致していた三浦義村と連携を図り
源実朝を擁立した上で頼家一派を一掃出来たからな
対する梶原と比企は足並みが揃わず、比企が梶原景時追放に
加担する始末
梶原と比企が上手く連携していれば失脚したのは北条だったかも
知れない

24 :日本@名無史さん:2014/08/04(月) 11:09:40.39 .net
梶原景時は源頼朝の信任を受け5か国の守護となり
鎌倉幕府最大の守護国を持ち影響力を行使していた
北条にとっても比企にとっても梶原は目の上のたんこぶだった
比企が梶原に加担していれば梶原の天下取りを助けるだけで
いいことなしと思ったんだろ

25 :日本@名無史さん:2014/08/04(月) 18:21:47.40 .net
頼朝将軍期

 伊豆・駿河・遠江守護職

頼家将軍期

 遠江守任官、比企の乱後に信濃・大隅守護職獲得

実朝将軍期

 政所別当就任、相模守・武蔵守任官、
 越後守護職(承元年間?)
 和田合戦後に侍所別当就任、美作守護職獲得

政所・侍所を掌握して将軍の命令を代執行できる権限は
大きい。後は、大江・二階堂などの吏僚層を掌握したり、
他の有力御家人が単細胞で、細かい事務仕事を北条氏に
丸投げしたことも有利に働いたか。

26 :日本@名無史さん:2014/08/08(金) 20:11:25.30 .net
>>9
天下人の官位が相模守というのもすごいな。
北条一門で武蔵守が補佐役と考えると、

現代風に言うと、神奈川県知事と東京都知事の職権を北条氏で独占したようなもの。


あれ? 現代にあてはめても実質的な権力強そうだぞ。

27 :日本@名無史さん:2014/08/09(土) 07:36:29.81 .net
武蔵・相模は幕府の枢要国だから、この地域を制すれば圧倒的優位に立てる。
それにしても頼朝没年には、両国司は平賀義信・大内惟義父子だったのに
いつの間にか、北条義時・時房兄弟の手中に・・・。どうしてこうなった?

28 :日本@名無史さん:2014/08/09(土) 15:18:07.49 .net
>>25
吏僚層は頼朝死後後継者の頼家じゃなくて政子の配下になってるからな。
そして政子死後はそのまま北条家の配下と化してしまった。

29 :日本@名無史さん:2014/08/09(土) 16:47:13.60 .net
生き残った奴が、時を経て新たに力強い一門形成し、リベンジしたなら北条一族も大したもんだが
源氏と違って、そのまま日本史からバイナラだからな
所詮はその程度よ

30 :日本@名無史さん:2014/08/09(土) 19:16:26.63 .net
>>27
比企の叛乱で比企能員に与していた児玉党が畠山重忠の与党となった関係で
武蔵国を巡る戦後処理で北条時政と畠山重忠が反目している
畠山が謀叛人として討たれ
平賀朝雅の後見人である北条時政が平賀の在京中に時政が武蔵国に於ける
実権を握ったが、牧氏事件で北条時政は失脚、平賀朝雅は殺されて
武蔵国は北条義時の手中に入った

31 :日本@名無史さん:2014/08/10(日) 20:35:04.99 .net
登子経由で次の将軍家に血が流れているのが興味深い
鎌倉幕府が滅亡しても基氏などを産んでいるし
あ、尊氏自体北条の血が流れまくりか

32 :日本@名無史さん:2014/08/10(日) 20:48:49.12 .net
>>31
そうだよ。
足利は源氏門葉の中でもっとも北条べったりだったから最後まで生き残ったんだから。
北条の血が濃い人間に後継がせ続けたから当然北条の血流れまくり。

33 :日本@名無史さん:2014/08/11(月) 08:36:15.02 .net
陪臣北条

34 :日本@名無史さん:2014/08/11(月) 19:44:36.14 .net
>>30
実際にはそうスムーズに掌握できた訳でもなさそうだけどね、武蔵国。
時房の武蔵守補任は、重忠滅亡から5年も経った承元4年(1210年)だし、
重忠未亡人を足利義純と再婚させて、畠山の名跡をわざわざ復活したり
結構ゴタゴタがあったと予想。

>>32
北条にすれば足利を同族化することで、源氏の血統が他勢力に担がれるのを
未然に防ごうという意図があったのかも。場合によっては神輿にもできる。
結果的にコントロールは破綻したけど。

35 :日本@名無史さん:2014/08/12(火) 03:14:57.11 .net
北条家と足利家の間に緊張が走ったのは
足利泰氏の自由出家騒動かな
泰氏がどこまで九条頼経の陰謀に関わっていたのかは
あやふやだが

36 :日本@名無史さん:2014/08/12(火) 10:14:56.98 .net
源氏と違って、そのまま日本史からバイナラだから
所詮はその程度よ

37 :日本@名無史さん:2014/08/12(火) 10:37:37.62 .net
足利家には相当北条の血が入ってるがな

38 :日本@名無史さん:2014/08/12(火) 11:00:22.78 .net
足利もや泰氏までは得宗家から正室を迎えてたけどそれ以降は庶流からだからな
焦っていたのは足利の方だろうな

39 :日本@名無史さん:2014/08/12(火) 11:18:31.09 .net
>>26
感覚的は大阪府知事と兵庫県知事の連合くらいじゃないの。
政令指定都市制度がないと考えた上でだけど。

40 :日本@名無史さん:2014/08/12(火) 13:55:40.52 .net
>>38
足利は泰氏以降も頼氏・貞氏・尊氏と正室は皆北条氏
ただし家時・貞氏・尊氏はいずれも側室腹の庶子で
義詮まで正室北条氏所生の子が跡を継いでないってだけだろ

41 :40:2014/08/12(火) 14:31:18.10 .net
ああ、得宗家の娘が足利に嫁いでないってことね
そもそも鎌倉時代後半は得宗自体若死にが多いために娘の数が少なく
その数少ない娘も北条傍系にやっている
足利だけでなく他の氏族に嫁いだ娘もいないので別に焦ってはいないだろう

その足利は室町時代になぜか娘を皆出家させてたよね
有力守護大名や公家と縁組など一切しなかった

42 :日本@名無史さん:2014/08/12(火) 18:57:31.67 .net
足利って日野家とばかり結びついて
鎌倉や江戸のような公武合体の動きないよね

43 :日本@名無史さん:2014/08/12(火) 22:17:40.95 .net
そういえば得宗家は安達とばかり結びついてるな。霜月騒動で安達が壊滅したにも関わらず
安達氏の覚海円成が貞時に嫁いで、高時・泰家を産んでいる。

44 :日本@名無史さん:2014/08/13(水) 03:07:24.82 .net
覚海円成じゃなくて貞時正室である宗政の娘が嫡男を生んでいたら安達も復活できなかったろうに
高時の側室になってる御内人の娘が嫡男邦時を生んでいるけど、あのまま幕府が続いていたらいずれ
長崎氏が室町時代の日野家みたいに代々得宗家の外戚になったんだろうな

45 :日本@名無史さん:2014/08/13(水) 06:05:08.27 .net
高時の正室も安達時顕の娘だし、得宗家の婚姻相手は安達氏という不文律でも
あったのかな、後期の幕府には。外戚の家を一つに絞っておけば余計な争いを
防ぐことにもなるし。

46 :日本@名無史さん:2014/08/13(水) 07:20:58.10 .net
得宗家に嫁がせることができる御家人って安達くらいしか残ってないからな。
小山、千葉、宇都宮は政局にノータッチだし。

47 :日本@名無史さん:2014/08/13(水) 10:33:36.68 .net
室町幕府の場合は摂関家から嫁を迎えることはなかったけど歴代の当主は将軍から偏諱を貰ってるし徐々に侵食してるイメージ

48 :日本@名無史さん:2014/08/13(水) 10:34:43.80 .net
>>47
その割に中流公家の外戚・日野家ごときに幕政かきまわされまくってたがなw

49 :日本@名無史さん:2014/08/13(水) 11:48:45.12 .net
近衛家出身で将軍を2人も産んだ慶寿院をお忘れですか?

50 :日本@名無史さん:2014/08/13(水) 11:56:29.62 .net
得宗家の寿命の短さは遺伝?

51 :日本@名無史さん:2014/08/13(水) 19:03:41.94 .net
30代で死ぬのは当時としては普通では

52 :日本@名無史さん:2014/08/13(水) 19:50:41.02 .net
平均寿命が低いのは幼児死亡率が高いからであって大人になった者は
昔でも50くらいまでは生きるよ。

53 :日本@名無史さん:2014/08/13(水) 22:22:19.87 .net
一族の寿命を調べてこいつらは呪われてるんだとか決めつけるのかなり好きやで

54 :日本@名無史さん:2014/08/13(水) 22:42:05.85 .net
泰時までは普通だな。
経時以下が異様に短命。
まあ高時はあんな事がなけりゃ長生きしたかもしれんが。

55 :日本@名無史さん:2014/08/13(水) 22:48:25.04 .net
大阪の歴史って蹂躙されまくりの歴史だもんな、、、

56 :日本@名無史さん:2014/08/13(水) 23:42:04.51 .net
官位にさして興味がないってのは、ある意味異常。
その点ではむしろ内管領平一族の方が常人だな。
よほど合理主義者だったのか、ひねくれ者だったのか?

57 :日本@名無史さん:2014/08/13(水) 23:51:28.11 .net
泰時子孫は、嫡流だけでなく兄弟や従兄弟も多くが短命なんだよね。
まっ、殺されたのも何人かいるんだけど。
自然死でも30代以下がごろごろ。
あまり健康的な一族でなかったのは否めないようだ。

58 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 00:07:22.20 .net
ここまで短命揃いだと食生活に問題があったとしか思えんね。

59 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 00:09:20.57 .net
官位に積極的に忌避したのは、得宗家と、右大臣返上後の信長くらいのもんだな。

60 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 02:03:10.55 .net
将軍でもない武家で4位なるのって得宗と北条庶流くらいだろ?
足利だって得宗専制以後は5位止まり官位は武家としては高い部類じゃないか?

61 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 02:36:41.93 .net
北条は承久の乱で朝廷を事実上滅ぼしたわけじゃん。
大臣にしろとか将軍にしろとか言って断れる状況じゃないんだよ。
現に北条からどんな官位を希望されてもそれに応える気だったって記録がある。
でもしなかったんだよ。四位とか、当時の北条家の力からしたら悪い冗談といえるくらいの低い位だよw

62 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 02:48:38.92 .net
官位は関係ないからな

63 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 02:51:34.64 .net
61
北条は敵が多すぎたからそんな心配はないけどな

64 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 08:00:45.08 .net
北条氏は凄い一族だけどね。
皇室に朝敵にされたのに、朝廷に勝利できたし。
蒙古襲来を撃退したり。

65 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 08:47:51.77 .net
>>64
北条氏は日本史上最強の武家だな。

その実績を考えれば、
関東なら徳川氏より有名であるべき。

66 :日本@名無史さん:2014/08/14(木) 21:55:21.63 .net
将軍とか大臣になったら他の御家人が黙っていないんじゃないか?
北条って軍事力で圧倒していたわけではなく陰謀で成り上がっただけだし
三浦や安達が没落した後でも君主にまではなれない家だと思う

67 :日本@名無史さん:2014/08/15(金) 09:44:59.08 .net
陪臣北条

68 :日本@名無史さん:2014/08/15(金) 16:53:52.19 .net
>>61
政子が従二位になってるけど、義時・泰時が四位止まりだったから
時頼以降の得宗は、恐れ多くて官位を遠慮してしまったのかな?

>>66
所詮は「伊豆国在庁時政之子孫」(by 護良親王)だしな。
まあ、三浦も在庁官人上がりだし、安達は北条よりもっと
得体が知れないけど。御家人にすれば、得宗家が面倒な実務を
引き受けてくれるのは「はいはい、ご苦労さん」だろうけど
得宗家が神輿・看板に成り下がり、下っ端の御内人が
好き勝手やり始めると、「命令なんか聞いてられるか」と
なるのもしょうがない。

69 :日本@名無史さん:2014/08/15(金) 23:44:10.41 .net
承久の乱が起きる前までの北条家なら確かにそうだろうけど、
承久の乱で朝廷を事実上滅ぼしたことで北条義時の権威は頼朝に匹敵するくらい絶大なものになった。
その義時や後継者が高い官位を望んでも他の御家人は別に反発なんてしなかったと思うよ。
高い官位なんて欲しくなかったんだろ。

70 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 00:02:01.99 .net
>北条氏は日本史上最強の武家

源氏と違って、そのまま日本史からバイナラだから
所詮はその程度よ


現在も息づく源氏パワーとは?



トヨタグループは室町幕府である、これが実績だ


将軍家      トヨタ自動車
鎌倉府      トヨタ自動車東京本社
奥州探題     トヨタ自動車東日本
九州探題     トヨタ自動車九州
将軍御一家    豊田自動織機、トヨタ紡織
管領       豊田通商
侍所       デンソー、アイシン精機
政所       東和不動産
相伴衆      トヨタホーム
評定衆      愛知製鋼、トヨタ車体、豊田合成、プライムアースEVエナジー
国持衆      ダイハツ工業、日野自動車、富士重工業
外様衆      ヤマハ発動機、いすず自動車
奉公衆      小糸製作所、協豊製作所、中央精機、大豊工業、豊田鉄工、フタバ産業他多数

71 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 07:14:45.97 .net
義時・泰時は執権として幕府の主導権を握ったけど、
他の御家人にすれば同輩だから絶対的権威はないのでは?
下文・下知状・御教書といった幕府公文書はいずれも
「鎌倉殿の仰せ」という形式になってるし、執権はあくまで
鎌倉殿の代行・補佐に過ぎない。だからただの飾り物であっても
将軍を必要とした。

72 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 08:45:45.17 .net
>>71
だからそれは高い官位を希望しなかったのと同じで、
幕府内でも御家人の同輩という地位以上のもんを望まなかったというだけの話でしかないだろ。
政子死後の北条家は形式的には将軍となんの関係もない。
でもその地位は全然揺るがなかったわけで、それは指導力の源泉が北条家という存在そのものにあったからだよ。

73 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 08:52:28.89 .net
ねえねえ
皆殺しにされたのなんで?

74 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 08:52:38.62 .net
>>58
みそを肴に酒を飲む、なんてのが事実だったら、
あまり体に良さそうな食生活じゃなさそうだ。

75 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 08:55:37.86 .net
北条は最後は皆殺しの目にあってるね、なんで?

76 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 08:56:12.59 .net
なんで皆殺し!にされたの?

77 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 09:31:47.81 .net
北条氏はすごいと思うよ。なんでここまで特権化できたんだろうね

78 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 09:47:02.73 .net
>>73
皆殺しじゃなくて自刃だろ
北条時行などは落ち延びている

北条高時の母は北条が滅亡した後も12年間生きてるし
北条一門の女性は足利から韮山を安堵されて生き延びてたはず

79 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 10:47:00.77 .net
北条の場合、最高官位の低さ自体も変なんだけど、
庶流の方が官位が高いことが多いってのが異常なんだな。
なんで嫡流が大概五位どまりで、庶流が四位なんだろう。
あれほどまでの官位への執着のなさは日本人離れしてる。

80 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 10:56:53.83 .net
>>79
ローマ帝国でいうなら皇帝以上に権力集中しときながらあくまで世襲の元老院議員の立場維持したような感じで。
貴族共和政みたいな関東武家共和政みたいな。

81 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 10:57:45.86 .net
内管領の内管領の内管領の内管領の内管領の内管領の内管領の・・・・・

82 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 11:15:56.77 .net
>>79>>80
時代が逆だけど西関東の党制度や東日本の洞中制度ってプチ鎌倉幕府制度なんだろうな。
後北条氏も鎌倉幕府の再来を期していた決意表明の自称で。

西日本の単なる平等な「一揆」よりも内部構造が複雑なリアル幕府ごっことして。

83 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 12:26:59.38 .net
>>79
得宗家嫡流で長生きした奴がいない、長生きしても早い時期に出家してるからだろ?
庶流よりも官位昇進速度が遅いということはない。

84 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 22:32:42.53 .net
北条家の官位が低いのは、
あくまで征夷大将軍の家来という建前だから。

鎌倉幕府はだいたい
将軍が二位(二品)ぐらいで執権が四位ぐらい。

室町幕府立ち上げ当初、
尊氏が正二位で直義が従四位だったのは
鎌倉幕府の前例に倣ったものと思われる。

85 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 00:50:24.14 .net
室町幕府の管領や江戸の大老も四位。
執権は君主じゃなくて将軍家の家老扱いだから官位が四位は妥当。
上級公家の諸大夫が四位五位なのと同じ事。

86 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 13:24:11.90 .net
藤原摂関家と似たような感じじゃないか?
外戚になったり主君の代理人の体を成して全体を統治するやり方とか
日本に古くからある支配方法だと思うよ。

87 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 14:24:33.40 .net
>>78
女性の存命者が多かったということはやはり登子の存在が大きかった?

88 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 14:37:06.13 .net
だからその殿上人の官位任官である従五位下の地位がそのまま武家の格として
機能していたのが平安時代までじゃないのか?
鎌倉幕府以降は独自の統治法で機能は失っている

89 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 14:38:35.58 .net
>>1
東国武士の願いは平将門から変わらない
それを実現させたのが鎌倉幕府
その神輿に源頼朝
だから源氏本流が滅んでも幕府は続いた

90 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 14:42:14.22 .net
一人の大将を立ててその家臣として認められたものがいわゆる御家人
制度的には一家を中心とする家裁制度的なものの発展

後世のヤクザなどがやってるのはそれに憧れたやつらが真似しただけ
ヤクザ自体は江戸時代の博徒からの発生だからな

91 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 14:45:12.18 .net
事実、武家社会初期においては家裁的なものだから当主の婦人などはかなり地位が高かったりする

92 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 14:53:57.35 .net
>>87
登子は京都暮らしだし関係ないだろ
北条一門の女性の生活のために伊豆の土地を寄進したのは
関東に下向した足利直義のようだから直義からの庇護は会ったと思う

93 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 14:56:04.12 .net
鎌倉武士などの地位低下は所領分割相続で総体的な力が低下したため
頼朝などは同じ源氏でもこの総体的な力を恐れ難癖つけてはこれの力
を削ぐ政策をやってる
北条が継承したのもこれだろ、何とか騒動なんてのははなから仕掛けあり
御内人の専横だの後期は自分らでもコントロールができなくなってるがな

94 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 21:29:34.23 .net
鎌倉時代
天皇−将軍−北条(得宗家)−内管領(長崎)

室町時代
天皇−将軍−管領(細川)−守護代(三好)−執事(松永)

江戸時代
天皇−将軍−大老、老中

95 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 22:06:54.70 .net
>>79
同じくらい官位に執着がなかったのが後北条氏
後北条氏は早雲以来、中央の政治のゴタゴタに煩わされない
独立王国を関東に築こうという意思があってのことだけど
鎌倉北条氏も根っこは似たようなもんだったんじゃないかなと
要するに朝廷の官位にそれほどの価値を見出してなかっただけのこと

96 :日本@名無しさ:2014/08/18(月) 15:12:10.44 .net
若死には毒殺という話、因縁つけて他家を殺しまくったから、恨みも相当だと思う。

97 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 17:10:54.68 .net
暗殺誅殺謀殺を平気で表だってやる死穢も怨霊も恐れない武家の藤原氏が北条氏。

98 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 17:15:18.69 .net
他家どころか同族すら二月騒動、嘉元の乱で殺してる。

99 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 14:14:22.92 .net
>>95
四位でも従五位下でも授爵される武士はかなりのエリートだよ。
金で官位買えるようになった戦国時代においても国持大名で五位というのは
珍しくない。

将軍以外で
管領とかスーパー上級武士の極官が四位でノーマルな地方国持大名は名門でも五位が普通。

100 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 15:28:28.35 .net
天下人以外に大臣、納言をゴロゴロ出した秀吉時代が異例なだけで、
あとは概ね武家の官位は安定しているよね。
秀吉の時代は武家のトップが関白という公家のトップでもあったからだろうな。
その後、家康が左大臣、秀頼が右大臣、秀忠が内大臣と、大坂の陣が終わるまではややインフレ傾向が続く。

101 :日本@名無史さん:2014/08/19(火) 23:56:34.03 .net
常陸国は凄いなw

戦国時代に、自称官位と思われるが、
竹原左大臣
今宮大納言という武家?がいたらしい。

102 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 00:35:45.09 .net
結局北条氏はなんで滅んだん
新田義貞との戦いとかかなり戦術的な要素も大きいのは分かるけど
後醍醐が蜂起失敗した「天皇(笑)」みたいな雰囲気から数年で激変したのがよく分からん
幕末並みの複雑な心理の変化があったのか?

103 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 00:39:38.55 .net
江戸時代の一万石程度の小大名、昔で言えば富裕な地頭クラスで5位というのも室町以前の武家官位としてはインフレじゃないか?

104 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 00:43:23.59 .net
安達泰盛陥れた御内人の平頼綱って頼朝や清盛と一緒で苗字無いのか?

105 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 05:24:08.31 .net
>>104
長崎

106 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 07:19:18.61 .net
>>102
元寇後、北条が合議制度を形骸化した為

107 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 10:05:30.43 .net
>>102
平氏が滅んだのと一緒。というより明治維新に至るまで時の権力者が転ぶのは
統制力不足が全て。律令体制崩壊後、今に至るまで日本の権力は民事不介入
的態度を取るため地方では紛争の種が絶えないのが常。地方の勢力家は自己保身
や伸長のために中央権力と人格的結合を求めるがそれが難しいとアナザーの権力者候補
と結んで自己の資産の保全を図るのは頼朝や後醍醐(護良)、応仁の乱、両細川、家康を見ればわかる。

108 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 18:04:29.77 .net
>>1
東国武士の願いは平将門から変わらない
それを実現させたのが鎌倉幕府 その神輿に源頼朝
だから源氏本流が滅んでも幕府は続いた

109 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 19:36:02.68 .net
>>107
うーん、兵士の場合は平治の乱の負け組がいたのと、平家の専制が短期間に飛躍的に高まった矢先に以仁王が大義を与えたっていうのがあるじゃん
応仁の乱を初めその他の乱も、どちらかというと幕府や朝廷の側から乱をせざるを得ない状況に追い込んだ側面が強いと思うんだよね
でも鎌倉の崩壊の時にはそういうのをあまり感じないな

110 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 20:29:20.39 .net
>>105
えっ?

111 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 12:26:56.35 .net
得宗専制以降、北条以外で四位になった武家って皆無だよな。
将軍や有力御家人は陰謀で滅ぼすし守護職も一門で独占して鎌倉時代って
北条が陰謀と謀略で天下を取ったという印象しかない。
しかし左翼は鎌倉時代はあまり叩かないよね。

112 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 14:46:34.17 .net
>>111
> しかし左翼は鎌倉時代はあまり叩かないよね。

マルクスの発達史観に当てはめるのに都合よかったからね。
ただし、そのマルクス的解釈に対する否定的な見方が有力になって来ている。
それやってるのも左巻きぽい学者だけど。

113 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 00:01:53.21 .net
被支配階級の武士が支配階級の貴族を打ち破って武士階級の時代を作り上げた。。。
みたいな階級闘争史観、オレも昔どっぷり浸かっていたな。
単純明快で研究室に閉じこもっている世間知らずの単細胞歴史学者を魅了していた。
でも現実はそんな単純じゃなかったのよね

114 :日本@名無史さん:2014/08/22(金) 00:05:38.87 .net
冷戦崩壊で社会主義国家の惨状を目のあたりにした日本の左翼は
唯物史観から逃げ出して自虐史観に走っちゃったのよね。

115 :日本@名無しさ:2014/08/23(土) 10:45:10.02 .net
時政が後妻の息子と畠山重忠の息子がケンカした仕返しとして重忠を三浦と組んでだまし討ちにしたのがでかいね、仮にも鎌倉の先鋒、武士の鑑とまで言われた男をバカ息子の為に、これでは鎌倉が困っても誰も助けない。

116 :日本@名無史さん:2014/08/23(土) 10:57:37.47 .net
>>115
朝敵になっても鎌倉武士一丸となって北条を助けたが?w

117 :日本@名無史さん:2014/08/24(日) 19:51:37.42 .net
>後妻の息子と畠山重忠の息子がケンカした

時政の娘婿である平賀朝雅と重忠の息子がケンカしたんだろ

118 :日本@名無史さん:2014/08/25(月) 10:08:23.08 .net
>>102
太平記にも度々記述があるように、その当時の武士は仰ぐ旗を変えることを恥とは考えていなかった
北条に不満がありつつも渋々従ってたが形勢逆転となると次々幕府から離反するのは当然のなりゆき

119 :日本@名無しさ:2014/08/25(月) 11:21:40.77 .net
ありがとう、間違いを指摘してくれて、政範と朝雅をごちゃごちゃにしていたよ。

120 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 10:05:07.41 .net
鎌倉時代の武士は所領安堵をしてくれさえすればトップなんて誰でも良かった
頼朝の時代は朝廷との二元政治が敷かれていたが義時の時代に起こった承久の乱で
完全に鎌倉主導を勝ち取ったことで北条得宗は武士から信任を得た
短命ではあったが義時・泰時・時宗・貞時など名君揃いであったことも幸いした

滅びたのは元寇による不満と高時個人の資質と後醍醐・足利両者の野心が合致したことによる

121 :日本@名無史さん:2014/08/26(火) 12:12:06.42 .net
元から土地をもらったわけではないのでご家人に十分なほうびがあたえられなかった

122 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 00:28:25.09 .net
>>115
三浦と畠山は
源平の争乱の頃、三浦義明が畠山重忠に討たれているから
因縁があったのだろうな
比企の与党だった児玉党が畠山の与党になっていたから
北条時政と畠山重忠が反目するのは必然
武蔵国を手中に収めたい時政にとっては畠山は目の上の瘤だった
平賀朝雅も北条と畠山の両方と関係が深いから微妙な立場だよな

123 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 01:21:26.85 .net
結局、比企も畠山も時政も平賀も、そして畠山を売った稲毛も全部消され、武蔵は得宗家のものになりましたとさw

124 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 04:35:28.94 .net
時政と反目した北条義時が畠山重忠は冤罪だとして
時政に抗議していたんだよな
榛谷重朝も三浦義村に討たれているし

125 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 11:54:44.63 .net
執権すら庶流が任官して得宗の傀儡になるとか異質だな
少なくても執権位は得宗で世襲しないと駄目だろ

126 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 01:43:04.66 .net
>>125
得宗の北条時頼と執権の長時の関係だね

北条政村は専ら時宗の守り立て役だったね
深秘の御沙汰も時宗が主導のもと執権政村と金沢実時を
自邸に招いての密談だったわけだし

127 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 18:23:16.10 .net
>>1
東国武士の願いは平将門から変わらない
それを実現させたのが鎌倉幕府
その神輿に源頼朝
だから源氏本流が滅んでも幕府は続いた

128 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 18:52:01.25 .net
そう考えると
関東のボスは平氏のほうが違和感ないな。

129 :日本@名無史さん:2014/09/03(水) 10:29:08.50 .net
関東のボスは源氏だろうw
武家政権700年の間で平氏がボスったのは北条と後北条のおよそ200年だけ。
後は源氏、足利氏、徳川氏wと八幡太郎系の由緒ある家系が関東を統べている。

130 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 09:03:57.16 .net
>>126
政村は時宗の後見人だね。
だから執権→連署となった唯一のパターンになったんだね。

131 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 03:00:29.61 .net
>>129
足利家は北条家にとっても特別な存在で畏敬の念を以って
接して、足利家も北条家と親密だったからな
足利家の正妻は必ず北条家から迎えていたわけだし

>>130
北条時宗は良き藩屏やパートナーに恵まれていたな
執権の在り方が変遷していくのが実にユニークだな

132 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 20:02:52.78 ID:aSpN+RmZ/
海外に隠密を江戸時代から送り込んだ日本

http://music.geocities.jp/jphope21/0203/34/225.html

マネーロンダリングが目的だった。

( http://music.geocities.jp/jphope21/01/6/74.html )

133 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 06:14:28.05 .net
>>125
時頼以降は政治的決定機関が政所・侍所→寄合に変わったからな。

ところで、北条氏の特異なところをもう一つ挙げると、幕府が崩壊したときに庶流も含め一門から裏切りが全然出てないことだ。
源平争乱でも平氏に与した源氏とかその反対とかいたのにな。

134 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 12:56:23.57 .net
一旦滅亡しながら残党が中先代で鎌倉を奪還するぐらいの抵抗を見せたのも特異だよ
足利幕府なんて信長に追放されたら毛利に寄生するしかできなかったからな

135 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 13:10:17.83 .net
大友氏が気になって上洛軍を起こせなかった毛利氏がなに?
大内氏のご烙印が豊後にいたのは知ってるぞ

136 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 16:42:08.13 .net
>>135 誰もそんな話してないって。
徳川幕府滅亡時なんか親藩も譜代もこぞって官軍に寝返ってるし、 鎌倉幕府のときも得宗や御内人に圧迫されてた一門衆の一部くらい寝返っても良さそうなのになぁ。

137 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 19:13:20.17 .net
鎌倉時代は得宗と庶流で結構喧嘩していたのに幕末に仲良く滅んだね。
平氏の壇ノ浦同様生存手段降伏する手段すら無かったんじゃないのか?

138 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 20:05:09.11 .net
北条家の内輪もめは時政、義時の頃からあった。
ただ、外部に対して内通したる裏切るような北条一門は1人も見当たらんのよね。
そういうのが家風って奴じゃないのかな。

139 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 20:38:14.56 .net
家風というより、やっぱりもっと現実的な、得宗体制への過剰適応みたいなのがあったんじゃないかな?
安達氏も一緒に滅びてるわけだし。
足利は得宗から独立してやっていける体制があったんだろうね。

140 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 01:04:22.21 .net
名越家も二月騒動以降は従順だからな
家格の高さ故にその自信から得宗家に反目してきたけれども

141 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 19:39:55.39 .net
元寇で恩賞やれず北条が幕府の要職や殆どの国の守護職独占したら一般御家人はそりゃ不満持つわな。
あれほど特権的な立場を独占するなら自腹で元寇の恩賞払えっての。

142 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 21:10:14.07 .net
御家人は幕府に不満なんてないよ。

143 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 22:54:25.92 .net
>>140
> 名越家も二月騒動以降は従順だからな

なんで幕府滅亡時に寝返らなかったんだろう?
むしろ不思議な気がする。

144 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 23:46:29.85 .net
当時の武家にしたらほんと北条家は珍しいくらい寝返りがないんだよね。
赤橋家に対して足利側から随分アプローチがあったようだが守時はああいう死に方を選んでるし。
やはり前にも書いたけど家風と言っていいと思う。
内紛はするけど、外敵に対しては一致するという点が。

145 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 08:02:37.42 .net
>>144
赤橋守時は執権だぞ
親王将軍がいたり得宗制度があったとはいえ
守時こそが鎌倉幕府の代表者でもある
足利側からアプローチがあるわけがないだろう
執権が自家を見捨てて妹婿に寝返るようになったら終わりだわ

146 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 15:05:58.21 .net
>>125
でも同時代に、天皇すら庶流が即位して治天の傀儡になるとかありえた訳だから、得宗だけが異質とも言い切れないな。

147 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 21:33:07.55 .net
宗宣は嘉元の乱で貞時の側近である宗方を討ち取って連署、執権の座を手に入れてるわけで
単なる得宗家の傀儡というわけでもないだろう。

148 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 11:28:52.62 .net
>>147
そんなの単なる庶流同士の争いだろ

149 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 15:44:03.48 .net
北条って平家だろ。源氏の神輿担いだ後にポイ
得宗も神輿にされ。長崎円喜親子の傀儡

150 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 23:13:16.27 .net
>>148
宗方は時宗の猶子、貞時の義弟で庶流ではなく得宗家の一員みたいなもの
さらに頼綱粛清後に内管領に任命されていて師時に次ぐ腹心中の腹心

151 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 03:44:23.04 .net
宗方は貞時の側近だったけど謀反を企てて、貞時の命を受けた宗宣に討たれた
その功績で連署→執権になれたようなもの

152 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 04:05:22.49 .net
嘉元の乱は宗方1人の反乱と断じることが出来る程単純なもんじゃないだろ。
その後貞時が酒浸りになって政治を顧みなくなったことからすると、
貞時は大事な側近を北条庶流によって討たれて打撃を受けたと見るのが素直。

得宗:貞時
執権:師時(得宗庶流)
連署:時村(北条庶流)
内管領:宗方(得宗庶流)
一番頭人:宗宣(北条庶流)

時村が、貞時の「仰せ」により、御内人等により滅ぼされる。

時村追討は宗方の命令であるとの噂が流れる。

北条庶流を代表する存在の宗宣が手勢を率いて貞時、師時に詰め寄る。

手勢を率いて駆けつけて来た宗方を、宗宣が討ち取る。

宗宣、連署に就任

貞時、酒浸りに。

流れを見る限り、得宗一門と北条庶流との間で対立があり、貞時が宗方をつかって粛清を仕掛けたが、
逆に北条庶流の猛反発を喰らって側近ナンバーワンの宗方を討ち取られて意気消沈ってように見える。

153 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 21:43:51.49 .net
佐々木道誉が、北条のように足利家をのっとることは出来なかったのかな

154 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 22:24:18.09 .net
実朝の時に義時が御家人に準ずるように願い出たけど、
実朝に却下された北条家家臣である主達。
この主達ってどういう意味、家来の家の主立った者達ってことなの?
主(あるじ)の家来達ってこと?
なんで家来なのに主がつくのかどうもよくわからない。

155 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 12:50:57.53 .net
寝返りを受け入れる御家人が居るのか?

156 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 12:53:27.60 .net
ゴダイゴは許さなさそうだが

157 :日本@名無史さん:2014/10/07(火) 00:29:46.46 .net
家風はありそうだな
政子のかけおちを許してしまうとこ、伊東と対比的だがその頃からさ
義時死後、泰時が京を引き上げた時も、弟は曲者ぞろいだから
泰時はうたれるだろう、と言われたのに、そんなことなかったし
確かに曲者ぞろいの兄弟ではあった

家人たちの団結も成り上がり一家にしては強力だ

158 :日本@名無史さん:2014/10/07(火) 01:06:11.04 .net
>>1
単純に承久の乱だろな原因は
実朝時代はまだ義時は頼朝時代のイメージで動いてる感じで、将軍重視
だったと思う
ところが、実朝死んで将軍不在の時に、後鳥羽から合戦ふっかけられてこれに勝った
帝を廃位、三上皇島流し、公家や武家の処刑、それも鎌倉から馬でぴゅーっと指令一本で
粛々とすすんでいくんだからなショックはでかい

つまり、期せずして予想外に天下をとってしまったが、予想外だったんで
北条氏の位置と実際の権力のギャップがうまれても、そのままずーっといった
まず、義時自身はのんびりしてて、幕府体制変える気が全然なかった
泰時んときに執権体制と得宗体制を整備したぐらい

159 :日本@名無史さん:2014/10/07(火) 18:14:40.56 .net
その通りだと思う。
承久の乱で誰がどう考えても北条義時が朝廷を滅ぼしてしまったから
以後形式はともかく実質は得宗家(義時の後継者)が天下人になってしまった。
義時はそこまで考えてなかったろうね。

160 :日本@名無史さん:2014/10/07(火) 22:15:32.03 .net
続いたのは歴代が有能なのはあるだろ
義時泰時時頼時宗って強力すぎるラインナップ
頼朝や清盛は一代で終わったようなもん

161 :日本@名無史さん:2014/10/08(水) 05:06:31.05 .net
日本史上もっとも優秀な一族だよね。
庶流にも人材が多いし。

162 :日本@名無史さん:2014/10/08(水) 09:36:11.98 .net
武家の棟梁としては
源氏将軍よりも北条氏のほうが安定して優秀な感じだ

対外戦の勝率も良い

163 :日本@名無史さん:2014/10/08(水) 13:49:14.18 .net
乱の中で父祖が築いたポジや体制を子孫が変えるというのはあんまりないな
義満も日本国王めざしてもなんかぽしゃったし
幼子で無力な将軍かついで、得宗が執権になって最高権力者になる
て体制が義時の時にできて、結局そのままな

164 :日本@名無史さん:2014/10/08(水) 20:24:09.59 .net
>>158
義時の頃は政子が健在で、幕府の求心力になっていたからね。
政子が死去して、後に残ったのがいまいち権威に欠ける幼少の
三寅。それでも何とか組織を維持しようと打ち出した対策が
評定衆設置と御成敗式目制定だったんじゃないかな。

165 :日本@名無史さん:2014/10/09(木) 00:41:34.84 .net
政子はそれほど求心力ないと思う
死んでもたいして違いない程度に
政子には北条が必要だった
承久で負けたら、私は山奥に行かなければ、と言うぐらいに
まあ、北条の娘だからな

166 :日本@名無史さん:2014/10/09(木) 06:27:53.43 .net
実朝の死後、幕府公文書(下知状)は執権(義時)単独署判になるけど、
末尾には必ず「仰せによって下知件の如し」と入ってるんだよね。

義時に仰せることができるのは、将軍不在の状況下では頼朝御台所で
実朝生母の政子だけだし、政子の存在がなければ、下知状には
何の効力も生じない。 伊賀氏の変も政子がいなければ
義時の後継を巡って血みどろの争いになっていたかもしれない。

167 :日本@名無史さん:2014/10/09(木) 07:48:06.97 .net
政子はミトラかついでたじゃん伊賀局事件のとき
義時がいないと単独では権威 ないからだろ
公文書に女の仰せてことはねーわ
単純に慣例化した文でその後も一緒

168 :日本@名無史さん:2014/10/09(木) 08:26:40.76 .net
「吾妻鏡」には単独で北条政子の尼将軍の章があるけど?

逆に政子がいないのに義時が単独で権力持てたかが謎だわ

169 :日本@名無史さん:2014/10/09(木) 12:47:27.82 .net
政子にちからあったら、泰時を執権に指名した後、一月も兵が鎌倉を
走り回ったりしない
北条家がおさまらないとどうにもならん
だから政子はわざわざ 三浦に頭下げにいったわけで

170 :日本@名無史さん:2014/10/09(木) 23:31:29.05 .net
つうか、得宗権力集中まで鎌倉幕府に絶対的権力者は存在しなかったと思う。
頼朝さえも御家人の顔色を見なきゃならない場面もあったし。
頼家、時政は追放喰らってる。
実朝政子は北条と持ちつ持たれつだし。

171 :日本@名無史さん:2014/10/10(金) 11:00:21.61 .net
頼朝死後は政子が絶対的権力者に近い存在だよ。
13人の合議制や比企追討、時政追放、承久の乱の朝廷への侵攻、いずれも政子以外に裁断者は存在しない。
当時の後家は本人に才覚があり、当主が不在か幼い場合はかなりの権力者になる場合があったからね。

承久の乱で実質的リーダーだった義時が勝利した事で初めて北条本家当主に権威が発生したと見るべき。
だから承久の乱以後の政子は相対的に権力が低下している。

172 :日本@名無史さん:2014/10/11(土) 18:25:54.33 .net
源実朝を暗殺したのは北条氏だという説あるけど
それは言いがかりだと思うけどな。
なぜなら、北条義時や北条政子にとって、
源実朝は自身の権力のための源泉なんだから。
他の御家人に対して、北条氏は絶対的な存在ではないんだから
実朝という神輿と一体化することによって、自分たちの権力を維持していた。

事実、実朝が暗殺されて、その後、北条義時は朝廷から朝敵にされて
危機を迎えたわけだから。

173 :日本@名無史さん:2014/10/11(土) 18:36:02.96 .net
むしろ、北条内部の反得宗家派の仕業でない

174 :日本@名無史さん:2014/10/12(日) 09:35:34.30 .net
>>172
同意。北条が実朝を暗殺したいのなら他にいくらでも機会はあるし
三浦が公暁を擁立して幕府の実権を握るのは無理。

実朝が警備手薄な儀式を鶴岡八幡宮で挙行すると聞いた公暁による
単独犯行というのが、一番理解しやすい。

>>173
得宗という用語が生まれるのは時頼以降で、義時・泰時の頃は
得宗家という概念は存在しないのでは?あえて分けるとすれば
義時流と時房流だけど、時房は義時と仲が良さそうだから
北条内部の内輪もめなんてないだろう。

175 :日本@名無史さん:2014/10/12(日) 19:22:03.25 .net
北条は人気ないね
足利家の婦人の実家が力がないのは北条を見てるからだと思うけど

176 :日本@名無史さん:2014/10/12(日) 22:30:17.14 .net
政子にはべつに絶対的権力なんてない
あくまで将軍の母としてのみ力発揮した
源家のことには口を出すが、御家人に直に命令は出さん
比企の乱は源家の後継争いがらみだから口をだした
時政追放は、きっかけは実朝の身柄を義時亭にうつしたことだがこれも実朝がらみ
逆に、和田の乱や畠山討伐は政子には口を出せないから合戦になった
承久の時の演説は気合いいれる意味はあるが、それで作戦が決まったり御家人が動いたわけではない
だから、演説後も京に出陣するかどうかでもめた

政子については、比企討伐や泰時が執権になる正統性確保するために
北条があとから過度にもちあげただけで実際はそこまでは力なかった

177 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 03:59:10.04 .net
政子は婚家滅ぼしちゃったからな
どうしたって、実家の傀儡だろ、といわれるわな
源家の御曹司を棟梁にたてて、それを北条やら御家人が支える体制を守るでなくて
義時が頼家の息子たちを次々と殺していくの黙認してたわけで
政子が黙ってるんだから、外様の御家人たちも黙ってるわなそりゃ

政子からすれば、だって源家よりも北条のが優秀なんだもん、かもしれんが
外からみたら政子に実力が足りなかったと見える

178 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 04:06:08.30 .net
実家の傀儡?
頼朝死後は政子あっての北条だろ。
だいたい頼朝と駆け落ちしたり、頼朝の愛人にうわなり討ちするような女が大人しく実家の言う事聞くだけの女だと思う方がどうかしてんじゃねえの?

179 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 09:06:13.35 .net
政子から見たら、頼家の息子たちは血は四分の一に薄まり
その母方や別の取り巻きがいるから
政子もあんまり可愛くないだろう?孫だと言っても。
また、公暁の首実検した時も、
泰時は公暁の顔を知らなくて分からなかったらしい。
つまり、政子も会ったこともなかったような孫らしいから。

180 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 09:48:28.07 .net
>>179
政子は女孫の竹御所は可愛がってただろ
あれは北条が殺した一幡の同母妹だぞ

181 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 10:24:33.01 .net
男系で範頼の系統は吉見氏として地方領主で残れたようだが、
中枢の頼朝の源氏鎌倉将軍の男系が途絶えれば満足だったのでは?
貞暁も出家したし。

源氏将軍が一族で殺し合いしてることが多かったのに対して
北条一門は基本的に一族どうしでの争いが少ないのが対照的な気はする。

182 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 12:23:17.90 .net
義時が黙認したから竹御所は鎌倉にこれたんだろ
あれは比企の血筋だから義時も気に入りだ
男系はことごとく殺された
だいたい、実朝死んだなら禅暁でいいじゃん
そら、胤義も怒るわ
和田の扱いも政子は義時のいいなりで、そら和田も怒るわ

とにかく万事実家のいいなりで、源家滅亡させたのが政子

183 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 12:26:15.90 .net
院・朝廷・摂関家・平家・源氏とのリーグ戦で優勝したのが北条氏

治承・寿永の乱とその周辺時代の最終勝者

184 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 13:09:19.54 .net
北条が成功したのは政子と泰時が仲良かったから

185 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 16:12:18.12 .net
阿野時元の誅殺は「禅定二品(政子)の仰せに依って、右京兆(義時)が
金窪兵衛尉行親以下の御家人等を駿河に差し遣わした」と『吾妻鏡』にある。

後鳥羽上皇の長江・倉橋荘地頭職停止命令は、政子邸で幕府最高幹部が
対応を協議してるし、時房は「二位家(政子)の御使」として上洛している。

義時はあくまで補佐役で、実朝死後の幕府最高権力者はやっぱり政子だろう。

186 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 16:43:42.81 .net
政子には権力なくてただの象徴だろう
実際、御家人が出陣する時には義時の館にいって名簿出して出陣してる

政子と御家人の間には距離があるが、怖がられてたんじゃないかな
このスレでも政子はそれほど可愛く思わないから孫見殺しにしたといわれてるが
感情的で何しでかすかわかったもんじゃない、みたいな
実朝のご機嫌損ねたと言っては義時に泣きつく御家人続出してるが
政子の逆鱗にふれたやつも義時に泣きついてそうだw

187 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 17:17:54.59 .net
>>186
そう考えるのは無理な事象が多すぎるんだよ。
13人の合議制、比企追討、頼家誅殺、時政追放、承久の乱の決断、政子以外に誰が決断権持ってんだよ。
政子を傀儡と考える場合はどこかに実質的決定権者が要るんだぞ。
いずれも単なる御家人には無理な決断だろ。謀反になるんだからな。
ところがいずれの場合でも幕府の組織は崩れず整然と行われた。
謀反だったらどこかで組織は瓦解してなきゃおかしい。
幕府の最高権力者の決断だったから組織は崩壊しなかったんだよ。

188 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 17:32:24.85 .net
吾妻鏡と愚管抄で相違が見られる
比企の乱では、政子が幕府の実権を掌握して比企能員の謀叛を宣言して軍を
派兵したのか、それとも能員を討った時政が派兵したのか
あと、梶原、比企の乱では時政もしくは政子が主導で義時は特に目立った行動は
起こしてはいないのか

189 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 17:36:02.41 .net
実質的な決断は義時だろ
公暁だって勝手に処刑命じてたやん
禅ぎょうも政子が命令下したのかな
義時はかなり自由に動いてて、都合によって政子持ち出したり出さなかったりしてる
謀反がどーのって、関東武士はリアリストで上皇にも兵を向けるぐらいだから気にしねーよ
稲毛兄弟襲撃なんて完全に私闘だがみんな知らんぷりで見逃されてる

実朝が幼い時に北条が沙汰するパタンがなんだかんだ残ったんだと思うな
実朝親政になってもなんとなく
和田に館下すという将軍の裁定が覆って義時にいくぐらいだもんな

190 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 17:40:59.81 .net
公暁は謀反人の現行犯だから執権が処刑命令出すのは当然だろ。

191 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 17:44:11.63 .net
比企の乱は一幡も含めて比企の皆殺しを行ったわけだから幕府の裁断権者が判断しない限り謀反なんだよね。
頼家は人事不省だったんだから政子以外にいないだろ。
しかもまだ頼家が生きてるのに死んだことにして朝廷に千幡の後継を申請してる。
これも政子が決断したから出来たことだろ。
つうかこの場合は政子が積極的にやったことは目に見えてる事例といえる。

192 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 17:48:12.60 .net
主体が結城朝光から北条時政に変わっただけで梶原景時追放と
比企の乱は似た構造に見える
比企の乱を構想したのは政子と義時の姉弟で時政は彼等に従ったまで

193 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 17:52:51.08 .net
三寅は子供で将軍宣下うけてないが吾妻鏡の書きっぷりでは鎌倉殿みたいな
実朝がまだ若いうちの体制に戻ったんだろう
その後の鎌倉はずっとその体制だ
成長して邪魔になりそうな将軍は追放すると
時政追放してから義時執権就任以降を、御後見の代とカウントしてるのも
時政からカウントしてやれ、とは思うがw

194 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 17:54:21.79 .net
なんで政子の決断になるんだ
実家の傀儡だからできるんだろ
息子や孫を殺されるのは

195 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 17:57:29.93 .net
頼家を殺したのは北条の仕業といわれ、金窪が殺したとまでいわれてるが
あれも政子の命令だったのかね

196 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 18:19:24.88 .net
>>194
政子は本気で守りたいと思ったら安達の時みたいに身を挺して守りに行くぞw
赤の他人の安達であそこまでやるのに息子や孫の時はそこまでしなかったのは納得づくだからだよ。
どっからどう考えても他人の傀儡になるような玉じゃねえだろ政子はw

197 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 18:42:12.06 .net
頼家も親に対して不孝を働いたという面もあるからな
冷徹な判断をせざるを得なかった政子も嘆いていたそうだが

198 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 18:46:46.30 .net
政子の激情はちょっと普通じゃないよね。
あの激情は外に対する攻撃に向かうだけじゃなくて、
内側では政治的判断を優先して自分の愛情を封殺する方にも向かうんだろう。
それが子や孫を切り捨てるという冷徹な判断になってる。
普通の女性じゃあり得ないから傀儡だの悪女だのといろいろ言われてしまうんだろうけどね。

199 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 19:12:51.51 .net
>>198
男からすると理解できないけど
女だと、ああいう激情は割とある

200 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 20:34:06.54 .net
賢かったら自分の血筋をトップにすえて、北条を筆頭に有力御家人が
それを支える頼朝的な体制を維持したさ

実際はその能力がないから、完全に実家のいいなりになってしまった
安達を身体はって守ったのは相手が頼家だったからだ
息子や孫を守らなかったのは、相手は北条だったから
それだけの違い

201 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 20:39:56.18 .net
単にやきもちやいて女をいじめてたぐらいでいいなりになるタマでない
なんていえんだろw
義高を殺した御家人を誅殺するように頼朝にしいるぐらいのバカ女だよ
判断ってものができてない
まあ、御家人たちに御台所は怖いから触らないようにしよう、と思わせる効果はあったな
あと、自分がバカだとわかってるから、政治に口を出さずに、義時に任せきったとこは
よかった
ここは女の利点だな

202 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 20:55:20.79 .net
政子の判断力のなさは、北条と離れて単独で動いたときにでてしまう
その典型が善哉の処置だ
実朝の猶子にしてたが、あれは政子の処置だろ
でも、義時からしたらはあ?てな感じではなかったか
だからその後、出家して京においやられてさ、なんつーかgdgd
しかもその公暁を鎌倉に戻したのも政子の処置だろ
そんで実朝暗殺、と

まあ、政子がいなかったらそもそも頼朝は伊豆で殺されてたろうから
べつに政子のせいで子孫断絶しても頼朝も文句はいわんだろけどな

203 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 19:30:25.60 .net
政子の功績
1、父親の反対を押し切り頼朝と結婚。(のちの北条家を考えれば大成功)
2、頼朝が側室を作りづらかったため男系が少ない。(のちの北条家を考えれば大成功)

204 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 20:53:31.31 .net
>>176
『吾妻鏡』では政子の演説の後に、幕府最高幹部が集まって
作戦を協議したけど意見がまちまちで結論が出ず、義時が
足柄防衛と京都進撃の二案を持って政子の所に赴き、政子が
京都進撃を命令したとあるから、最終決定権は政子だろう。
「尼将軍」の異名は伊達じゃないよ。

205 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 00:09:40.00 .net
でも御家人がぐずぐずしてやっぱ鎌倉防衛にしよう、という声がでたんだろ
だから、泰時が18騎でとにかく出陣するというハメになった
とても尼将軍には見えないね

過大評価だよ承久の政子はさ
大江のが活躍してるぐらいだ

206 :日本@名無史さん:2014/10/17(金) 20:46:13.87 .net
政子がお飾りなら、協議の内容をわざわざ知らせる必要はないと思うけど。
義時は執権として幕政を主導したけど、実朝や政子を推戴して補佐役に徹し、
内心思う所はあっても、立場をわきまえて主君の意向は尊重していたように見える。
イメージとしてはリシュリューとかビスマルクのような感じかな。

207 :日本@名無史さん:2014/10/18(土) 14:13:42.83 .net
>>206
そんな感じ。
義時は出しゃばらんで無理をせず、それでいて周囲の人間の利益にも目配りしたから信頼を得ていた感じがする。
実朝をお飾りにしてたというイメージが何故か出来てるけど、
史料見る限りではそんな気配どこにも感じられんのよね。
多分、後世の得宗支配時代のイメージから逆算して得宗体制の創始者の義時のイメージが勝手につくられらのだろう。

208 :日本@名無史さん:2014/10/20(月) 23:33:58.19 .net
しかし、実朝が鎌倉から離れて宋にいくといいだしたり
実朝暗殺されても幕府が動揺した気配はなくてふつうに動いてたから
ただの補佐役ではないと思うぞ
まさに後見役という感覚なんだろ、つまり将軍代理で沙汰する人
義時はがつがつしてないから、実朝をちゃんとたてて大事にしてたが

和田の乱が大きいと思うな
二大御家人がつっぱしって鎌倉巻き込んで大合戦やるんだから
実朝に将軍としての力があったらあんな乱はおきないだろう
たとえば頼朝時代には想像できん
頼家や実朝の時に、御家人同士が合戦を始めるわけで、ある意味なめられてる

209 :日本@名無史さん:2014/10/21(火) 21:55:19.87 .net
リシュリューやビスマルクとは違う感じ
連中は王家そっちのけにして自分の家系が天下に号令してないし

210 :日本@名無史さん:2014/10/25(土) 21:46:56.79 .net
実朝は和田や北条の申請を却下したり主体的な判断が出来たので
飾り雛ではないだろうな
只、将軍実朝は北条と和田の対立に挟まれた権力の源泉としての玉だったのは
確か
中立的な立場から和田義盛を宥めて対立を回避させようとしたけれども
権威のみでは人は動かせなかった

211 :日本@名無史さん:2014/10/26(日) 15:57:39.79 .net
実朝って女好きなイメージないし
おぼっちゃん的な文人じゃなの?

212 :日本@名無史さん:2014/10/26(日) 21:12:43.42 .net
実朝って男色家じゃなかったっけ

213 :日本@名無史さん:2014/10/26(日) 22:01:43.34 .net
男色ってろくなのいないね

214 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 05:47:05.61 .net
>>203
父親の反対を押し切りってのも、嘘じゃないのか?って説がある。

215 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 05:57:16.69 .net
頼朝は人格形成期を合戦と流刑で過ごしたから人格障害が有り猜疑が酷かったので政子の存在は家臣にとっても安心の拠り所であり婿を取ったも同然だった北条家が意思決定にコミットする事は最初から当然だった

216 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 08:33:21.39 .net
疑心暗鬼な頼朝

快楽戦闘狂な義経

源氏は変人だらけやな

217 :日本@名無史さん:2014/10/30(木) 00:17:09.59 .net
まぁ、源氏は共食い上等な連中ですから

218 :日本@名無史さん:2014/10/30(木) 01:02:50.25 .net
義時は頼朝から可愛がられてるし穏便なやつといわれるぐらいに
まったりしてたと思うぞ
だから実朝を大事にしてたし、子供がいたら実朝暗殺後も、普通にこどもを
だいじにしてたろう

ただ、頼朝への情は半分は主だが、半分は姉の旦那の流人だった人という意識があり
代々の家人てな連中とは違う
だから、頼家の系統には容赦しない
二面的な対応してるのはつまりそういうことだろ

219 :日本@名無史さん:2014/11/05(水) 15:42:58.87 .net
>>218
なワケ無えだろw
20代の若者の頃は知らんが
義時なんて時政譲りの謀略家だろ
実朝暗殺にも噛んでただろうしなあ
身代わりで死んだ源仲章サン可哀想に

220 :日本@名無史さん:2014/11/05(水) 22:36:53.58 .net
世界史の知識が豊富な人に訊きたいのだが、北条や藤原のように、ナンバー2を代々世襲して
政権を運営した家はどんな家があるの?
フランク王国の宮宰時代のカロリング家 高麗の武臣政権の崔氏ぐらいしか知らない。
征夷大将軍もそうだが、こういう政治スタイルは日本独自のものだな。

221 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 01:32:01.84 .net
ティムールだな
モンゴルのチンギス統を据えて、自らはキュレゲンと名乗った

あと、マムルーク朝のようなカリフを保護したスルタンとかもどうだろ

222 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 08:05:13.81 .net
遼→金→元と王権は変わるけど、何代も丞相を出し続けた耶律氏とかもかな。

223 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 22:14:07.02 .net
>>221-222
オイラの質問に答えてくれてありがとう。参考になった。
世界史の素養が全くないので手っ取り早くウィキ他で知識を詰め込んだが、
まず、ティムールが立てた傀儡のハンは2代、ティムール在世中に消滅してるね。30年保ったので、
決して短くはないが、たとえていうなら西楚の義帝みたいに完全な使い捨てだな。
ティムール以降の王はもはや傀儡のハンウィ立てていない。
マムルーク朝はウィキどおり、将軍と天皇の関係だな。しかもマムルーク朝は世襲王朝ではないので
北条氏とは離れる。耶律氏はイメージでいkと、江戸時代の酒井・水野など老中を輩出した譜代名門という感じだな。
主家を傀儡化し、数代にわたって権力を世襲した北条氏とこれらは少し別物のようだ。
やはり、北条氏の政治制度は世界史的にも稀なケースだな。

224 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 22:25:14.64 .net
北条氏スタイルの先駆者としては藤原摂関家があるが、こちらは天皇家の外戚という
血縁関係を主とした引責政治であって、シナや半島ではお馴染みの政治形態だ。
それを代々行って、いわば皇室と一体化し、自ら淳皇族化した大勢だから、
後の北条・足利・徳川のような二重権力とは異なる。

結局 この北条氏が確立した二重政権構造を足利・徳川が形を変えて継承し、
逆に言いうと、政治責任から解放された天皇や摂関家は生き残る術を新たに獲得できた。
日本独特の二重王権体制のプロトタイプが北条政権というわけだ。

少しオツムが閃いてきたので、この続きは別スレで連投してみる。

225 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 22:29:01.56 .net
引責政治→姻戚政治  淳皇族→準皇族
他にも変換ミスがあるがドンマイ>おれ

226 :日本@名無史さん:2014/11/10(月) 11:03:36.00 .net
承久の乱がなかったら北条家は将軍の外戚という形にあくまで拘ったと思う。
それしか支配の正当性を担保するものはないからね。
承久の乱で義時自体に大きな権威が発生したので、外戚へのこだわりは薄まって行った。
どちらかというとティムールの形態に似てるんじゃなかろうか。

227 :日本@名無史さん:2014/11/10(月) 14:22:07.41 .net
同じ人のレス。「将軍にならなかった」説の根拠らしい。
これまでの学説を覆す 画期的独自脳内解釈w ↓

121 :日本@名無史さん:2014/07/20(日) 06:55:49.12
北條得宗家に真の政治的権威が発生したのは承久の変で朝廷を倒したからだよ。
この時、将軍という存在が事実上空白だったのにも関わらず朝廷を妥当したので、
義時自身に頼朝並の権威が発生した。
だから義時の後継者にはあの義時の後継者であるという権威が継承されて行ったんだ。
義時の後継者であるという事自体に幕府統率者としての政治的権威があるのだから、
もはや得宗自身の官位や幕府における地位の上下にほとんど意味がなくなったんだよ。
時頼以後、得宗が執権じゃなくなっても全く政治的権力にに変わりがなかったのはそういうこと。
そしてその北条家は、幕府において執権以上の地位に執着しなかったから
将軍にならなかっただけのことだよ。
当時の公家の記録に、朝廷では北条家の望む官位を与えようとしてたが、
北条家では相模守あたり以上の官位を望まなかったとある。
幕府内の地位に関しても全く同じ姿勢だったんだろう。

228 :日本@名無史さん:2014/11/10(月) 14:34:42.99 .net
将軍の外戚でもなく、官位も高くないのに幕府の主導者であり続けたってことは、
北条家自身に権威があったと解釈する他ないんじゃねえの?
それのなにが不満なんだろうか?
>>227こそ承久の乱で敗北したのは朝廷じゃないとしつっこく書きこんでる奴だろw

229 :日本@名無史さん:2014/11/10(月) 14:41:12.35 .net
北条家に権威があったならなんで御内人やらやたら騒動が起こったのか説明してほしいもんだ

230 :日本@名無史さん:2014/11/10(月) 14:58:06.25 .net
つうか北条氏は頼朝の家臣、頼朝を担いだのはほとんどはそれ以外の坂東平氏
そういったやつらは北条氏の家臣ではない

231 :日本@名無史さん:2014/11/10(月) 15:03:29.37 .net
225 227
いつもの独自解釈君かw
義時の政治的権威って具体的に何がどう変わったの?w

232 :日本@名無史さん:2014/11/10(月) 15:11:57.46 .net
権威と権力は別。
北条氏の権力は有力豪族の討伐によって幕府内の地位を固めた。特に三浦氏の滅亡は大きい。
義時・泰時時代の鎌倉幕府は北条と三浦の連立政権みたいなところがあった。
結局 北条氏は武家の棟梁としては家格が低すぎた。
よって 宝治合戦以降も、自らの代わりに新たに皇族将軍を迎えた。

233 :日本@名無史さん:2014/11/10(月) 15:32:04.21 .net
宝治合戦は単に北条が三浦を滅ぼした戦いとは違うだろ。
北条宗家の外戚を巡る三浦と安達の戦いの様相を呈している。
この頃の政争の玉は完全に将軍家ではなく北条宗家になっている。
時政、義時の頃の豪族討伐とかなり性質が違う。
その後も将軍家ないしその周辺が政争の帰趨を決するような状況は一切なくなっている。

234 :日本@名無史さん:2014/11/10(月) 16:10:54.96 .net
>>226
>どちらかというとティムールの形態に似てるんじゃなかろうか。
ティムールはチャガタイ・ハン家を最後は廃立したので、
ハン擁立自体が権力掌握までの一過性の処置だ。
一方 北条氏はその滅亡まで鎌倉殿を必要としたので、一緒にはできない。
 東国社会での武家の棟梁というのは、やはり軍事貴族か、それ以上の家柄ではないと
東国武士団と主従関係を結べない。没落した貧乏御家人は御内人となったが、所帯の大きい古株クラスにとって、
在庁官人上りの北条を主君に仰ぐなど無理な話。
北条も自分の家格の低さが分かっていたから、御家人の第一人者の立場で幕府を実質支配する方向を
取らざるを得なかった。

235 :日本@名無史さん:2014/11/10(月) 16:17:26.22 .net
時政、義時の時代ってのはほとんど頼朝の意思が反映されてんだけどな
いわゆる同族の源氏討伐がメイン、武田討伐や佐竹討伐、摂津源氏の解体
や義仲討伐、蒲漢者範頼やら義経やら
このとき頼朝配下の軍団構成は坂東平氏

236 :日本@名無史さん:2014/11/10(月) 16:20:23.42 .net
蒲冠者だった

237 :日本@名無史さん:2014/11/10(月) 16:26:45.10 .net
武田氏で生き残ったの石和流だけだもんな
ほとんどこの時代は一部を除いてほとんどの
源氏が滅んでるからな

238 :日本@名無史さん:2014/11/10(月) 16:29:42.36 .net
後世から系図みると、石和流が武田の嫡流みたいに見えてしまうんだよな。
この辺が系図の怖いとこ。

239 :日本@名無史さん:2014/11/10(月) 16:30:59.74 .net
まあ伊勢の平家が滅んだ後の話だけどな
あとは奥羽の藤原氏やらな

240 :日本@名無史さん:2014/11/10(月) 17:25:27.56 .net
時政・義時が滅ぼした豪族
 梶原  比企  畠山  和田

ポスト頼朝の権力争い

241 :日本@名無史さん:2014/11/11(火) 15:51:50.49 .net
奈良時代も権力闘争がすごかったし
いつの時代も似てるんじゃない

242 :日本@名無史さん:2014/11/11(火) 19:30:08.10 .net
権力闘争はどんな時代にもある。
政権に求心力がないと、権力闘争は室町時代みたいなgdgdなもんになる。
鎌倉時代の権力闘争は承久の乱と幕末除いて所詮宮廷内闘争の域を出ない小規模なもん。
これは一見派手に見える時政、義時時代の御家人どうしでの争いでもそうだ。
鎌倉での数100単位の市街戦だからな。

243 :日本@名無史さん:2014/11/11(火) 19:42:25.98 .net
>>242
足利将軍のアレは
守護同士を争わせるいつものお家芸だから、あれを持って求心力が無いにはならんと思う

翻って北条得宗家も時宗の頃すら 一族で内紛を起こしてるし そもそも二代義家以来のお家芸じゃん

敵対者を謀反の前に暗殺すんのは

244 :日本@名無史さん:2014/11/11(火) 19:53:38.70 .net
>>243
守護同士争わせなきゃいけない段階で、守護の力が強すぎて政権の求心力に問題アリなんだよ。
結局その手法でなんとかできたのは義満と義教だけで、
義教は絶頂期を作り出すと同時に、犬死してしまって、室町幕府解体のきっかけになってしまったしな。

245 :日本@名無史さん:2014/11/11(火) 22:37:25.15 .net
>>244
室町幕府解体っていつの話だい?
聞いたことないんだが

246 :日本@名無史さん:2014/11/14(金) 20:36:28.09 .net
>>244
そもそも、北条執権の得宗家時代に守護職独占したのを全国の武士が不満に思ったから倒幕されたんやん

足利氏が政権を握った頃は地方武士が力をつけまくった時期だし
むしろ自分の一族に加えてから守護に任命するなどきちんとコントロールして
足利義満から義教の時代には中央集権化が加速すらしてる


少なくとも北条執権や建武政権では南北朝時代を収められないのは崩壊したので明らかでしょ

247 :日本@名無史さん:2014/11/15(土) 13:14:46.23 .net
初期は分をわきまえた立ち回りで上手く実権を握ってた北条が、何で他の御家人の不満を買う独占体制をするようになってしまったの?
傲慢になったのか、まずいと知りつつせざるを得なかったのか。

248 :日本@名無史さん:2014/11/15(土) 13:39:10.80 .net
>>247
そりゃ、元対策をしなけりゃいけなかったからじゃないの?

249 :日本@名無史さん:2014/11/15(土) 20:57:58.15 .net
北条が恨まれてたのかね?
その場の勢いで滅ぼされてしまったような感じ。

250 :日本@名無史さん:2014/11/15(土) 21:14:08.74 .net
>>249それだな

世は正に悪党時代
・【悪党王に俺はなる】な時代だったんだろ

251 :日本@名無史さん:2014/11/15(土) 21:51:07.63 .net
武家ってその場の勢いで勝ち馬に乗るというのが体質だからな。
鎌倉幕府成立の時の流れから、徳川幕府滅亡の時の流れみてもこの辺は一貫している。
新田義貞が挙兵してあっという間に滅亡するまで、幕府の動員にみんな従ってた。
北条が憎いとかなんとかで動いた武家はほんの少数ってのが現実だと思うよ。
その証拠にすぐ中先代の乱とかで大軍が時行の味方になってるw
その中には義貞に従って鎌倉に攻め入った連中もかなりいたはずだw
武家ってほんと利己的で、自分の家の盛衰以外はほんと考えないもんなんだよ。

252 :日本@名無史さん:2014/11/15(土) 22:57:00.91 .net
>>251
鎌倉末期は元寇に冷水害に食糧難に徳政令の失敗に悪党による治安の悪化で年貢だけでは国も家も成り立たなくなったらしいしな

一所懸命は正に命懸け
忠義は二の次にもなる

だから足利は土地独占を断念して貨幣経済を導入せなあかんかったわけだ

253 :日本@名無史さん:2014/11/17(月) 09:05:50.58 .net
足利って家臣に土地を与えすぎて徳川幕府と正反対
貨幣経済って成功したといえるのか疑問だ

254 :日本@名無史さん:2014/11/17(月) 17:13:19.95 .net
京への関所を駆使して
室町幕府収入の数十倍を超える財を手に入れた日野富子は真の商人

255 :日本@名無史さん:2014/11/17(月) 17:28:22.80 .net
>>254
蓄財=商業じゃねえよ……
商取引しない商人がいるか

256 :日本@名無史さん:2014/11/17(月) 18:23:16.80 .net
>>253少なくとも北条すら永仁の徳政令が失敗したくらいだが
足利は遂に貨幣経済導入だけでなく借書などの金融商品を派生させたしな

それに家臣に土地を遣りすぎた訳ではない

そもそも土着武士が巨大化したのが守護なんだから


そもそも尊氏義満以来、貿易推進な足利と

鎖国は祖法(家康を除く)を国是に掲げる徳川とでは政治体制が違うよ

257 :日本@名無史さん:2014/11/18(火) 07:57:12.89 .net
貿易は江戸時代は禁止されてたけど室町時代は守護大名も自由に参加できたんだよな

258 :日本@名無史さん:2014/11/18(火) 12:38:12.95 .net
徳川幕府は、北条、足利、織田、豊臣の経験を
よく研究できたのが大きいな。
参勤交代とか、貿易統制とか、国より小さな藩による諸大名の分割とか
政策が巧みだな。


259 :日本@名無史さん:2014/11/18(火) 12:57:59.77 .net
倭寇(海賊)問題が発生してたから対明貿易もかなり苦労してんだけどね

勘合貿易、割り符を使って木片を合わせ合わなければ商取り引きもさせてもらえなかった時代
支配が及ばなかったところが勝手にしてただけでしょ
この時代は各地に小京都の乱立

260 :日本@名無史さん:2014/11/18(火) 13:01:05.73 .net
公家などが京都の生活から逃れていわゆる昔の国府などに身をよせたのもこのころ
公家の令嬢などの輿入れの話とかしらんの?

261 :日本@名無史さん:2014/11/18(火) 13:07:10.23 .net
何も名前が残ってるような上級公家とか言っとらんよ

262 :日本@名無史さん:2014/11/18(火) 15:13:07.44 .net
>>259
対馬や隠岐の倭寇拠点に対しては掃討が進んでたし そもそも文明国では普通貿易には割り符が必要だよ

しかも小京都乱立ってどんだけ高度成長期だったんだと

江戸時代すら成長が鈍化した藩が乱立したのに


支配が及ばなかったかは戦国期すら明は足利政権を承認し続けたのに対し 大内や尼子はどうだったか

連戦連勝にもかかわらず寧波での貿易を中断された


足利政権が承認しなかったという理由で

263 :日本@名無史さん:2014/11/18(火) 19:14:37.87 .net
>>260
親王将軍初代の宗尊親王が鎌倉に下向したときに
公家の上杉家(藤原北家勧修寺流)がお供についてきた
宗尊親王がのちに京都へ送り返された後も上杉家は鎌倉残留
娘は北条にこそ輿入れしなかったが足利家に嫁いでいる
足利家は北条家から正室を娶る慣例があったから側室だけどね
足利頼氏の側室・足利貞氏の側室などになって
足利尊氏・直義の母はこの上杉氏

264 :日本@名無史さん:2014/11/18(火) 19:27:39.81 .net
>>258
何で北条織田豊臣が関係あるんだよ
トヨタグループをみても、三河に居れば日本全体が見通せるのは今も昔も変らない

265 :日本@名無史さん:2014/11/18(火) 19:34:18.87 .net
>>263
太田亮は違うと言っているそ
1305年頃に頼重が三河に居たのなら、尊氏直義兄弟は三河生まれの可能性が大だな
貞氏は三河と鎌倉を頻繁に行き来していたらしいから、三河には側室、鎌倉には正室をおいていたのかもしれん


■上杉氏

上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。
丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。
『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、足利家家人の上椙三郎入道(上杉頼重)より前は不明。
その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か



■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷)

鎌倉末期に三河国額田郡日名にあった上杉氏の屋敷。
足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。
日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。

266 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 13:23:45.50 .net
また三河馬鹿かw

267 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 13:26:14.77 .net
三河屋さん元気ですねえ

268 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 18:47:15.89 .net
高倉健は北条一族の末裔だったんだってな。

言われてみればどことなくもののふの風情があったな。

269 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 18:49:50.34 .net
>>268
この系譜が信用できるかだがな

117 :日本@名無史さん:2011/06/01(水) 15:44:30.34 >>94
高倉健が北条氏末裔を自称してるのは事実

それによれば北条篤時(2代執権北条義時の三男重時の子孫)
が鎌倉幕府滅亡時に子を九州へ逃した
その子孫が両替商になって小田と名乗った(高倉健の本名は小田剛一)というものらしい
そのために北条氏歴代の墓がある鎌倉の宝戒寺に高倉健が卒塔婆を寄進しているらしい

270 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 18:54:19.86 .net
お前らさ、いじりすぎwww
もうここまでくると無茶苦茶w

271 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 19:28:22.21 .net
>>265
頼重が1310年頃三河にいた事はわかっている
清子が相続したと言う事は、清子にとって思い出の場所だったんだろう

272 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 19:42:20.15 .net
ここは三河馬鹿のニートスレじゃないんだぞ
清子と北条得宗家に何の関係もないわw

273 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 19:45:52.58 .net
はいはい三河屋さんの話はまたあとでね

274 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 20:32:34.46 .net
いや、高倉健=北条氏末裔は事実のようだよ。
自身のエッセイで触れているし墓は北条家代々の墓のすぐそばの鎌倉霊園に
買っていたそうだ。

275 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 20:37:22.32 .net
だから飽きたよ
宣伝は他でやれな
芸能界の話は知らんからよ

276 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 20:57:16.24 .net
一瞬で滅んだ間抜け一族の話題ではないか、大目にみてやれよ
未だに影響力のある足利一門や松平と違って跡形もないからなw

277 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 20:58:07.43 .net
事実だから言っているのにね。

「高時やぐら」に行けばわかるよ。

278 :日本@名無史さん:2014/11/20(木) 13:46:20.21 .net
鎌倉北条氏はあれだけ隆盛を誇ったのに
子孫が公家や大名で生き残れなかった

高倉健が北条一族の末裔なのであれば
それはそれで更にカッコイイな

強そうだ

279 :日本@名無史さん:2014/11/20(木) 15:34:51.62 .net
>>276
そんなに間抜けなら、伊勢氏もわざわざ後北条なんて名乗らないと思うがな。

280 :日本@名無史さん:2014/11/20(木) 17:13:49.67 .net
北条家は政子が正室だったから地位はあったけど
所領はいつごろから多くなったんだろう

281 :日本@名無史さん:2014/11/20(木) 18:58:05.35 .net
足利なんて何の影響力があるんだよ?
明治時代〜戦前まではむしろ逆賊扱いされてるし影響力なんてないんじゃ
ないの?

282 :日本@名無史さん:2014/11/20(木) 19:02:19.56 .net
>>281それは建て前
足利は子爵に列せられた


だいたいリアルで
逆賊になった殿様とその若年寄も子爵と参事になってるんだから

283 :日本@名無史さん:2014/11/20(木) 19:02:59.00 .net
>>281
細川

284 :日本@名無史さん:2014/11/20(木) 21:10:30.28 .net
北条などただの一発屋だろw今からでもいいからリベンジしてみろや


日本の由緒正しい支配層(金では買えないステイタス)

公家(No.1、No.2)
・近衛家←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・鷹司家←現当主(伊勢神宮大宮司)は大給松平家(三河国加茂郡大給、三河県豊田市)からの養子

武家(No.1、No.2)
・喜連川家←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)


細川家
菩提寺
・隣松寺(三河県豊田市幸町隣松寺126)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)

氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46

大給松平家菩提寺・墓所
・松明院(三河県岡崎市細川町字根古屋123)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
・大給城(三河県豊田市大内町字城下)

氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46

285 :日本@名無史さん:2014/11/20(木) 21:14:58.56 .net
首都圏でもなく県庁所在地でもなく、日本に君臨し影響を及ぼす
これが口先だけない実績だ


トヨタ、通期最終益で過去最高の2兆円に挑戦 中間期は営業、最終益とも最高 [2014/11/05]
http://www.sankei.com/economy/news/141105/ecn1411050022-n1.html

 トヨタ自動車は5日、今年度の9月中間連結決算を発表した。
営業利益は前年同期比7.7%増の1兆3519億円とし、最終利益とともに中間期としての過去最高益を更新した。
これを受けて、通期(2015年3月期)業績では最終利益で初の2兆円に挑戦するなど、
売上高、営業利益、最終利益のすべてで過去最高をめざす。

 通期業績目標は売上高が従来目標より8000億円多い26兆5000億円、営業利益は2000億円多い2兆5000億円、
最終利益は2200億円多い2兆円へと、それぞれ上方修正した。

 中間決算の売上高は3.3%増の12兆9455億円、最終利益は12.6%増の1兆1268億円だった。

 中間期の増益は、為替差益の増加が大きく寄与した。
円安の進行を受け、通期の連結業績予想の想定為替レートを1ドル101円から104円に見直した結果、
為替差益で1350億円の増益効果が出た。
コスト増加による費用増は原価改善でまかなった。

 上半期の世界自動車販売台数は、前年同期より9千台増えて447万7千台とした。
日本は7万1千台少ない103万台と6.4%減になったが、北米など海外が8万台増えて好調だった。

 同日会見した小平信因副社長は「(上方修正は)為替要因とともに、さまざまなマイナス要因に対応するため
原価改善や販売面の努力などの要因が合わさったものだ」と説明した。


写真:説明会後、記者に取り囲まれるトヨタの小平信因取締役副社長(中央)
http://www.sankei.com/images/news/141105/ecn1411050022-p1.jpg

286 :日本@名無史さん:2014/11/21(金) 18:50:27.47 .net
大河板で怒られた名古屋コンプレックスの三河馬鹿が日本史板に粘着w

287 :日本@名無史さん:2014/11/21(金) 19:16:19.80 .net
>子孫が公家や大名で生き残れなかった

不器用ですから

288 :日本@名無史さん:2014/11/21(金) 19:36:32.43 .net
>>287政権崩壊しといてあんだけ戦力が残ってるんだから かなりすごいよ

289 :日本@名無史さん:2014/11/22(土) 08:49:54.20 .net
高倉健つながりなんだけど。

290 :日本@名無史さん:2014/11/22(土) 08:58:55.89 .net
鎌倉北条氏の末裔って
表舞台になかなかいないような気がするから貴重だな

源氏将軍を乗っ取り元寇にも打ち勝った日本最強武家
対内・対外の戦績勝率高すぎ。

291 :日本@名無史さん:2014/11/22(土) 10:38:16.29 .net
武家政権でこれだけ壮絶に散った一族は他にないしな。
実に濃い一族だ。

足利なんて馬糞の川流れのような消え方をしてるからなあw

292 :日本@名無史さん:2014/11/22(土) 11:03:09.90 .net
北条は身を律した武家生活
足利は公家かぶれの堕落生活のイメージw

293 :日本@名無史さん:2014/11/22(土) 12:25:19.80 .net
>>291
>>292
なんせ「討幕」されることなく秀吉時代まで存続しちまって 家康時代には高家筆頭になっちまい

北条の名跡を継いだのが足利の意を受けた室町政所伊勢氏から着た伊勢宗瑞だし

294 :日本@名無史さん:2014/11/22(土) 12:44:11.69 .net
>>290
承久元寇南北朝etc.
北条執権が前線に立ったことはない

295 :日本@名無史さん:2014/11/22(土) 15:20:08.45 .net
伊勢宗瑞の小田原北条氏もありならば
一応、系統が小大名で残ってるな。

天領時には
たまに小田原城代を務めることも有ったようだが江戸幕府の温情だろうか

296 :日本@名無史さん:2014/11/22(土) 15:27:27.62 .net
足利は天皇の御子を土牢に幽閉したあげくに惨殺するなど極悪犯罪者の
イメージが強すぎるな。

297 :日本@名無史さん:2014/11/22(土) 15:39:16.22 .net
まあ、普通の話
天皇だからといって特別なもんでもなかったってことでしょ

298 :日本@名無史さん:2014/11/22(土) 15:42:17.67 .net
つっかー、護良親王の話だっけ?
こりゃ朝廷が絡んでたはずだぞ

299 :日本@名無史さん:2014/11/22(土) 16:05:18.83 .net
>>296
護良親王なら殺害を指示したのは親父の後醍醐だよ

征夷大将軍廃止路線の後醍醐にしたら
自分に逆らう息子が北条残党と組まれたら大変だから尊氏の弟 直義に依頼したらしい

300 :日本@名無史さん:2014/11/22(土) 17:16:14.75 .net
>>299
何の史料に載ってる?
太平記だと後醍醐天皇は激怒しており
足利尊氏が朝敵となった主因になっている

301 :日本@名無史さん:2014/11/22(土) 17:32:50.61 .net
>>300
その太平記に親王を失脚逮捕して鎌倉に差し出したのは、後醍醐天皇と後醍醐の愛人で義良親王の母,殊艶で便佞であったために後醍醐からの寵愛を独占した阿野廉子だって言ってるぞ


新政挫折の一因には、廉子と護良親王による政権内抗争があるとして、「雌鳥が鳴いて夜明けを報せると一家が滅ぶ」という中国の諺を引き合いに出し、批判的な叙述を行っている


作者はそれをして後醍醐を欠徳の君主と非難してる

302 :日本@名無史さん:2014/11/22(土) 20:40:30.52 .net
原田美枝子は鎌倉室町の悪女担当でいいんじゃないか?

303 :日本@名無史さん:2014/11/22(土) 20:56:39.72 .net
>>299
高氏と三位の局が謀ったあげくの悲劇だな。
後醍醐天皇は讒言を信じてしまったわけだ。

304 :日本@名無史さん:2014/11/22(土) 21:02:15.55 .net
大塔宮と北畠顕家って何か似ていないか?

悲劇の美丈夫というイメージなんだが。

305 :日本@名無史さん:2014/11/22(土) 21:16:30.22 .net
>>303
只 武田信玄や徳川家康みたいな 息子殺しが結果的に政権に利になった例もあるしな

てゆーか、逆賊と悪女が後醍醐の心配をして
皇子と忠臣が父帝をほったらかして好き勝手やっとるって

306 :日本@名無史さん:2014/11/22(土) 22:31:22.91 .net
自分の息子を将来皇位に即けたい三位の局と征夷大将軍の位を熱望していた
尊氏にとって護良親王は共通の敵だったというわけだったんだな。

307 :日本@名無史さん:2014/11/22(土) 22:49:13.13 .net
>>306
後醍醐にしても、征夷大将軍職を廃止出来るからな

ただし尊氏は鎮守府将軍では満足出来なかったようだな

本人も全国の武士たちも

308 :日本@名無史さん:2014/11/22(土) 23:04:13.95 .net
征西大将軍や鎮守府大将軍や正一位大将軍とか南朝側は高貴な方も武官につくこと多いな

309 :日本@名無史さん:2014/11/22(土) 23:05:56.56 .net
人手不足だったからな
南朝

310 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 09:38:24.08 .net
征西大将軍=懐良親王

このお方は菊池氏の後盾もあって活躍された。
妃も菊池氏の娘を娶っている。

311 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 10:26:11.46 .net
>>301
後醍醐は帝位を狙う可能性のある護良親王の鎌倉配流までは認めたが
殺害指示を出したという史料はどこにある?
そもそも尊氏が朝敵となった原因を護良親王殺害にあるとしている太平記の記述が正しいなら
廉子の讒言で後醍醐が護良親王の鎌倉流しに応じたという根拠もなくなってしまう
それを聞いているんだが

312 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 11:19:08.11 .net
後醍醐天皇は藤原廉子の讒言を真に受けて大塔宮を捕縛させ足利に委ねたが
殺害を命じてなどいないよ。
むしろ足利をその時点までは信用していたからこそ宮を足利に預けたのだろう。
ところが足利は中先代の乱のどさくさにまぎれて宮を弑逆し後醍醐天皇を
裏切ったわけだ。
そういう意味でも足利は大逆賊である。

313 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 11:41:57.92 .net
>>311
その太平記に護良親王を鎌倉陥落後 親王を排除するため再び出家させようとしたり、親王派の赤松一族を冷遇したり、尊氏の進言で流罪にすると清涼殿の朝議で決定したのは後醍醐ってあって 親王の死に激怒したとは一文字も無いよ
逆に親王が自分に謀反を企てたって激怒してる記述があるくらい
多分、神皇正統記と間違えたんでない

314 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 11:46:06.27 .net
>>313
全ては足利と廉子が仕組んだこと。
後醍醐帝は騙されていたんだよ。
誰が我が子を殺したいものか。

315 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 11:53:31.94 .net
妄想終わった?

316 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 11:59:31.88 .net
>>314
鎌倉流罪にしたら普通に死罪になるって分からなかったのなら、そりゃ医者に見てもらうレベルだぜ後醍醐様

317 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 12:27:31.60 .net
>>316
「鎌倉の足利に渡したら」ってことですかね。
でも後醍醐天皇は「殺せ」と命令はしていない。
殺害を指示したのは「足利直義」ですからね。
この男も最後は尊氏により毒殺。
大塔宮の呪いだろうね。
足利は呪われた一族だよ。

318 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 12:35:56.30 .net
坊さん、元気かね?

319 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 12:41:10.74 .net
>>317
少なくとも孫はそうは思わなかったらしいね

320 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 12:51:33.19 .net
『梅松論』では
「宮の尊氏討伐の令旨は、実は天皇の意向に基づいたものだが、尊氏から責められて困った帝は罪を宮になすりつけたのである」
と説いている

少なくとも後醍醐天皇が大塔宮殺害に何の関係が無い訳はない

321 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 13:13:09.70 .net
尊氏は後醍醐帝に頭が上がらなかったようだったし帝を責めるなんてことが
出来たか疑問だ。
最終的には帝に反逆したけどそれまでは帝に逆らうつもりはない、許して
ほしいと頭を丸めて出家したりしていたしな。
直義に「帝は出家しても許さん、足利は根こそぎ殲滅させる」と言っている
と聞いて出家をやめて帝と全面対決することにしたんだろ。

322 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 13:19:05.38 .net
大塔宮が尊氏の征夷大将軍の野望、引いては新たに幕府を開こうとする野望を
見抜いて帝に進言したが帝は聞き入れなかったという話だよ。
そして尊氏と謀った廉子の讒言を帝が真に受け宮を捕えさせ足利に引き渡した。
そういうことだよ。

323 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 21:29:22.59 .net
尊氏に讒言の意識は無かったのでは?
尊氏の正義と護良親王の正義が衝突、後醍醐天皇は尊氏に理があると判断した
のだろう
これが尊氏からすれば帝が肉親の情に流されず正しい判断をしてくれたとなり
後醍醐天皇個人への崇敬の念が生じ、ひいては南朝に対する戦意の低さに
つながっていったものと推測

324 :日本@名無史さん:2014/11/24(月) 13:40:05.13 .net
高倉健だけでなく川端康成も北条の子孫と言ってたんだろ
元寇の昔から相手がワールドワイドだな<ノーベル賞

325 :日本@名無史さん:2014/11/24(月) 15:59:30.88 .net
族滅食らった割には子孫が結構いるんだなw

326 :日本@名無史さん:2014/11/24(月) 16:13:07.51 .net
>>325
族滅???
多すぎる分家全部滅ぼすとかやってねえよ

327 :日本@名無史さん:2014/11/24(月) 17:40:43.32 .net
つうか、北条の末裔とか平家のおちうどレベルの話だろ

328 :日本@名無史さん:2014/11/24(月) 18:25:40.58 .net
川端康成は東大でも秀才で有名なんだろ
北条子孫名乗っても許すw
バカだときついが
どっかの市長になんかいたな以前

329 :日本@名無史さん:2014/11/24(月) 18:41:17.08 .net
お前に関係ある話なのかな?

330 :日本@名無史さん:2014/11/24(月) 23:18:41.98 .net
まだ件の資料が手には入ってないから定かでないが中先代の乱を起こした北条の遺児時行が 当たり前のように南朝の一員になっとると聞いて混乱してる

南北朝時代ってどんだけカオスなんだ

331 :日本@名無史さん:2014/11/25(火) 01:07:26.60 .net
平家は清盛の子孫がそれにあたるから数少ないが、北条は義時の子孫となると
相当いるからなあ
川端は泰時の子孫で高倉健は朝時の子孫と言ってんだっけ?
墓碑が北条鱗だからなんかいいよなw
あの鱗紋使うやつはほとんどいないし

332 :日本@名無史さん:2014/11/25(火) 07:41:55.36 .net
>>331
明治屋って鎌倉北条氏か後北条氏に関係あるのかな?
三つ鱗だよねあそこのシンボル

333 :日本@名無史さん:2014/11/25(火) 07:55:45.46 .net
正三角形が鎌倉北条
二等辺三角形が小田原北条 

たしかこのような感じ

334 :日本@名無史さん:2014/11/25(火) 08:12:51.90 .net
>>333
いや、鎌倉北条氏が多用したのは北条鱗(背の低い二等辺三角形)だよ
だからこそ「北条鱗」なんだし

335 :日本@名無史さん:2014/11/25(火) 18:19:50.12 .net
>>334 正解

336 :日本@名無史さん:2014/11/25(火) 20:23:35.63 .net
>>331
ちびまるこちゃんがCMしてるミツウロコは?

337 :日本@名無史さん:2014/12/01(月) 00:22:10.49 .net
>>336
北条家とは関係ない
元が三社の運送業者から成り
鮮魚を扱っていたからだそうだ

338 :日本@名無史さん:2014/12/06(土) 20:48:52.27 .net
http://www.youtube.com/watch?v=ZfYKGrEf6tM

339 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/13(土) 14:52:50.25 .net
ナンバーツーが天下を取ったなんて本当に思っているのか。
征夷将軍がナンバーワンなんて後世の権力者が勝手に決めたことで、
有名無実の官職だったのを誰かが頂点に持ってきただけのこと。
鎌倉幕府の頂点は執権北条氏。

もし日本史が鎌倉時代で終わって、
その後1350年くらいからスペインかトルコにでも支配されてたら、
「将軍=武家の頂点」の概念は存在しなかった。"将軍"をジェネラルともアドミラルとも訳さなかった。
"別当"くらいの意味で消えていた。

340 :日本@名無史さん:2014/12/14(日) 20:12:55.87 .net
東京国立博物館、すご過ぎ!
古代アジアのエキゾチックな芸術品の集められた東洋館は、日本が大アジアを支配してた過去を反映してるよね
中国朝鮮が多いのはその現れだし……異教的でエキゾチックな古代の芸術品の数々は、とても魅惑的!
本館は、縄文時代から昭和まで、歴史をたどれるよね?
縄文、弥生、古墳、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、桃山、江戸、明治、昭和………歴史を思い出しちゃうよね?
すごさに圧倒されながら、上野から本郷にまわり、クラシック喫茶「麦」の地下室に潜入したり……
京都を知ってる人なら分かるよね?京都は平安京の上に室町時代を塗り重ねて、
(政治都市が鎌倉だった鎌倉時代、江戸だった江戸時代、東京になった明治昭和平成、京都はゼロだった)幕末を加えて出来た場所
室町幕府は明に従属的…足利義満は明から臣下として認められたくて働きかけ、日本国王に認めるから臣下の礼を取れとの手紙をもらったとき、
狂喜し、中国服を着て、明からの使者を土下座して迎えたという
豊臣秀吉にも、明から、日本国王として認めるから皇帝に臣下の礼を取れと言ってきた
秀吉は、激怒し、大陸に世界最強の殺戮軍団を送り込んだ
明からすれば、足利義満の次の実力者が秀吉で、だから日本国王に認定した
義満は臣下の礼をとり土下座して使者を迎えたから同じかと思ったら、違った
日本人はよく分からないと思っただろう
が、日本は古代から、中国から臣下の礼を取れと言われたら突っ張って反抗するような国だった

太閤秀吉は、義満の土下座外交を吹き飛ばした

秀吉が送り込んだ殺戮部隊は、結局明にはあまり届かず、朝鮮半島で虐殺の限りを尽した
これははからずも元冦の壱岐対馬の報復となった
元冦の数日、朝鮮兵が壱岐対馬でやった虐殺。これは京都の朝廷と鎌倉幕府に報告され、衝撃を与えた。朝廷は祈願し、幕府は全国に緊急指令を出し、モンゴル軍を殺戮する大軍団を九州へ向けて出動させた。

神風で生き残った朝鮮兵は全員殺したけど、おさまらないよね?
その報復としてさんざんな殺戮を半島全域で数年間やりまくったわけ
秀吉、ナイスファイト、って思うよね?

341 :日本@名無史さん:2014/12/14(日) 21:26:13.80 .net
>>339
そりゃ足利が征夷大将軍になったのは
それしか残ってなかったからだし

そもそも大君絶対主義とか 徳川のフカしだしな

342 :日本@名無史さん:2014/12/14(日) 22:58:43.75 .net
鎌倉幕府だけは代表取締役副社長・専務が北条のイメージ
将軍である社長は代表権無しの平社長

343 :日本@名無史さん:2014/12/15(月) 15:17:21.95 .net
そりゃまあ子孫はいるかもしれないが、
政治的には北条氏は完全に滅亡。
普通は裏切り者がいて、少なくともしばらくは生き残るもんだけど。
高氏だって、平家だって生き残りがいた。
なんなのこの一門の団結力、あるいは宗家の統制力?

344 :日本@名無史さん:2014/12/15(月) 15:33:05.20 .net
日本の武家は裏切りや内通があるのが普通だからな。
内紛はあれども裏切りや内通がないのが北条家の強みだったんだろうな。

345 :日本@名無史さん:2014/12/15(月) 15:55:30.98 .net
343
ボ〜ケ
北条自体が何とか騒動の連座で何人も処分されてるわw
得宗被官と北条一門どっちが幕末に上だったと思う?w

346 :日本@名無史さん:2014/12/15(月) 16:02:44.07 .net
得宗権力を確立するための御内人だが最後は鎌倉幕府の実験を握ったのは内管領だからなw

347 :日本@名無史さん:2014/12/15(月) 16:09:44.47 .net
権威も何も無い連中に牛耳られちゃったんだから、あっけなく滅んじゃった

348 :日本@名無史さん:2014/12/15(月) 17:09:09.72 .net
内紛と内通の違いもわからん馬鹿発見

349 :日本@名無史さん:2014/12/15(月) 17:42:01.85 .net
北条は何か嫌々やっていたって説あるけどどうなんだろ

350 :日本@名無史さん:2014/12/15(月) 20:11:55.55 .net
一見御内人の専制のようだけど、
実は有力一門の均衡の上に立ってただけって説も有るみたいだね。
どの面を重く見るかってだけの気もするが。

351 :日本@名無史さん:2014/12/15(月) 20:31:20.04 .net
鎌倉末期が内管領専権政治だったと今でも信じてる人いるんだなあ
いや驚いた、驚いたw

352 :日本@名無史さん:2014/12/15(月) 22:47:53.23 .net
結局日本じゃ専制政治なんて無理でしょ。
他人の顔を伺わなければ何もできない。
無理にやろうとしても大概は数年で瓦解。

353 :日本@名無史さん:2014/12/16(火) 18:16:06.34 .net
>>352
まあ神聖不可侵の書記長が片っ端からポアして回るよりはマシだよ

354 :日本@名無史さん:2015/01/04(日) 19:36:58.27 .net
>>340
秀吉も日本国王号をありがたく受け取っているがねw

355 :日本@名無史さん:2015/01/06(火) 13:55:22.01 .net
貿易で富を得た大内日本国王を見習い
秀吉も日本国王はそれはそれで使えばよかったか

便利な定期券だと思えばいいw

356 :日本@名無史さん:2015/01/06(火) 17:28:28.57 .net
>>354
土下座外交どころか、貿易の渡航費は全額明国持ちで利益の大半は義満の懐に入って、明と足利家の経済格差は逆転すらしてるぞ。

>>340
その話も更なる開戦を望む秀吉が戦の口実欲しさにわざと提案したもの、実際は蹴ってる。

357 :日本@名無史さん:2015/01/06(火) 21:18:25.75 .net
>>356
朝貢だから頭下げて交易を願ってることには変わらない
それは当時の東アジア秩序における常識だから、殊更に「土下座外交」と言い立てることもナンセンスだが
逆に「対等だ!」といきり立つのも奇妙な話

358 :日本@名無史さん:2015/01/06(火) 21:55:52.25 .net
土下座外交とは今の日本をいう
アメリカ国債購入やシナODAへの献上金強制で
税金無駄遣いされとる

359 :日本@名無史さん:2015/01/07(水) 00:14:51.11 .net
>>357
対等云々以前に格下の国が高度成長期を迎え、宗主国が疲弊してるって話やろ。
>>358
見方によっては日本企業に利益還元や安全保障の丸投げだから、実益はあるな。
向こうにおかしな思想を台頭させたという方が深刻。

360 :日本@名無史さん:2015/02/09(月) 10:37:09.98 .net
後半はやたらと短命な人物が続いた印象
安達との近親婚を繰り返した結果でしょうか・・・

361 :日本@名無史さん:2015/02/09(月) 14:39:31.59 .net
最初の三代はそれなりの寿命、4代目以後は短命。
まあ自然死以外も含むけど。
分家にはそれなりの寿命の人達もけっこう。
3代目の嫁選択が悪かったんじゃないの。

362 :日本@名無史さん:2015/02/09(月) 21:49:21.45 .net
うちみたいに現代でも四十代で代々死んでるんで高血圧じゃないかな

363 :日本@名無史さん:2015/02/09(月) 22:38:46.28 .net
足利将軍も割と短命多い
波乱万丈なのが多いから長生きなのかと思ってたらびっくりするほど短命っていうのが
よくある

364 :日本@名無史さん:2015/02/09(月) 23:19:30.15 .net
中世の人間の生活スタイルに問題があったわけではないだろうし
やっぱ遺伝的なものなのかな

足利はどちらかというと夭折・不妊が多いような

365 :日本@名無史さん:2015/02/09(月) 23:36:30.28 .net
織田信長の人間五十年どころではない
波乱万丈な人間だな 足利家

366 :日本@名無史さん:2015/02/10(火) 10:05:27.91 .net
昔は幼児死亡率が高いので、その頃を乗り越えれば、
50.60程度は期待できたらしい。
それが北条泰時子孫はほとんど30代以下で死亡ってのは、
やっぱり健康に問題があった家系だとしか思えない。
まあ殺されたり自害も含んでるけど。
普通の病死で20代30代がごろごろ。
もしかして半分くらいは暗殺?

367 :日本@名無史さん:2015/02/10(火) 12:13:22.18 .net
北条の短命ってのは当時の人間の噂の対象にならなかったのかな。
頼朝やその孫の竹御所が死んだときは、「平家の遺児を葬った報いであろう」だのなんだの
いわれていたそうだけど。

>>361
3代目の嫁というと、矢部禅尼?
三浦とは遺伝子レベルで犬猿の仲だったと・・・。

368 :日本@名無史さん:2015/02/10(火) 14:50:02.97 .net
>>367
北条泰時の息子や娘が次々早世したり気が狂ったりしたときには
比企氏やら伊賀氏やらの怨霊だといわれていたようだよ
泰時は庶長子の生まれだったけれども比企氏や伊賀氏を外戚とする異母弟たちが
比企の乱や伊賀の乱で次々失脚していったからね
(父義時の最初の正室は比企氏、後室が伊賀氏だった)

泰時の子は三浦出身の矢部禅尼との間の時氏以外も短命が多かった

369 :日本@名無史さん:2015/02/10(火) 14:53:57.25 .net
怨霊ね〜w

370 :日本@名無史さん:2015/02/10(火) 15:47:33.88 .net
>>368
比企谷の話は有名ですよね。比企の娘の怨霊が北条の娘を祟ったとか。
現代の感覚でいえばナンセンスだけれど、当時はまだ目に見えないものは相当怖かったようで。

371 :日本@名無史さん:2015/02/10(火) 22:11:43.33 .net
短命だけど子なしはいないよね?>得宗家

経時→時頼の時以外は実子が惣領継いでるし

372 :日本@名無史さん:2015/02/11(水) 01:59:21.64 .net
三浦は長命の家系だからな。
遺伝子的な問題があるとすれば泰時の母親ってことになる。
そもそも何者かよくわかってねえしなw

373 :日本@名無史さん:2015/02/11(水) 11:40:26.75 .net
単独だと良いけど、組合わさると短命遺伝子だったりして。
あれも微妙で複雑なものだからねえ。

374 :日本@名無史さん:2015/02/14(土) 10:12:11.01 .net
貞時あたりになると、もう短命を覚悟してたんだろうな。
貞時、どうせ短命だからやりたいようにやる。
高時、どうせ短命だから享楽的に生きる。

375 :日本@名無史さん:2015/02/14(土) 11:18:38.46 .net
時政が79とかで、義時も泰時も政子も60代まで生きた。
短命は時氏からだな。
というか時氏以後の得宗で1人も長生きした人間がおらんw

376 :日本@名無史さん:2015/02/14(土) 19:27:49.96 .net
貞時は傀儡と化さずに平頼綱を討ち独裁権を強化させたり
豪胆さを感じる

377 :日本@名無史さん:2015/02/14(土) 19:43:29.90 .net
せっかく平頼綱を倒したのに結局は内管領に権力が復権するとは・・
内管領>得宗>執権>連署>将軍
後期の鎌倉幕府の力関係はこんなイメージ

378 :日本@名無史さん:2015/02/14(土) 21:44:13.36 .net
貞時の絶頂期が得宗の権力が極まった時だよね。
そこからの転落は恐ろしく早くて真っ直ぐに滅亡へと行ってしまったのが凄まじい。

379 :日本@名無史さん:2015/02/17(火) 15:33:35.50 .net
若いうちに家督相続しなきゃならなかったストレスもあったんじゃない?

時政 頼朝挙兵時四十代
義時 時政追放四十代
泰時 義時死去四十代

以降は早いうちに家督相続

380 :日本@名無史さん:2015/02/19(木) 11:02:01.95 .net
人殺しが職業だった武士が、鎌倉時代になると怨霊だの祟りだの言い出すのは面白いね。
京の公家の文化が浸透してきた証拠と言える。

381 :日本@名無史さん:2015/02/19(木) 11:51:47.84 .net
北条の短命を見ると後漢王朝を思い出す。しかし北条は短命でも直系相続で来たから立派ではある。
それを思うと経時-時頼の相続は時頼の消極的なクーデターだったのかも知れん。
時頼賛美の記述や伝承が多いのも後ろめたさを隠すため?

382 :日本@名無史さん:2015/02/20(金) 20:51:32.13 .net
>>381
経時には子が居たからね。
そしてその子らの消息は歴史から消えてしまうわけだから怖い。

383 :日本@名無史さん:2015/02/22(日) 10:22:37.26 .net
>>378
権力は強ければ強いほど、それを使いこなすのが難しくなる。
貞時に政権運営の能力が無かっただけのこと。
安倍晋三も似たような末路を辿るだろう。

384 :日本@名無史さん:2015/02/22(日) 19:57:23.13 .net
>>381 後漢というより北魏だな

385 :日本@名無史さん:2015/02/22(日) 20:01:08.78 .net
>>383
民主党は使いこなす以前に扱えてすらいなかったしな。

386 :日本@名無史さん:2015/02/22(日) 20:58:56.88 .net
高時は覚醒するのが遅すぎたとか言われてた気がする
確かに後醍醐帝配流、日野資朝俊基本処刑、高資暗殺企図など
執権だった頃と比べるとかなり強引なことをやっている

387 :日本@名無史さん:2015/02/23(月) 12:12:14.84 .net
鎌倉幕府は元寇があった分、他の時代よりも不幸だった。
元寇は現代から振り返れば2回で終わったが、当時は停戦協定も間諜もいないので、
臨戦態勢で何十年も過ごさねばならなかった。
事実、1301年には薩摩に異国船が現れている。

388 :日本@名無史さん:2015/02/23(月) 13:10:32.73 .net
元朝帝国+高麗王朝に二度も勝った鎌倉幕府北条氏
大英帝国に実質的に勝った薩摩藩島津氏

日本武士の武威の頂点たち

389 :日本@名無史さん:2015/02/23(月) 20:05:14.05 .net
>>388
領土も賠償も取れない勝利など負けたも同じこと。
皮肉にも公家衆の荘園が横領される結果となった。

390 :日本@名無史さん:2015/02/25(水) 18:56:15.38 .net
北条泰時が革命をおこした
以後鎌倉幕府は日本的革命政権となった
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yamamoto.html

391 :日本@名無史さん:2015/02/25(水) 23:51:57.41 .net
>>390
そういえば貞永式目の内容って、その後の法律の規範になってて結局明治維新まで
続いていったもんなー。

392 :日本@名無史さん:2015/02/26(木) 14:44:31.99 .net
>>391
現在の民法まで影響残ってる。
20年借りたものの返却請求しなかったら時効が成立して請求できなくなる
とかは御成敗式目から続いているらしい。

393 :日本@名無史さん:2015/02/26(木) 23:49:13.36 .net
時政の親も早死に説があるんだろ
それ以前も系図が複数あるろこからみても結構早世多かったんじゃ
時政と息子孫がちょこっと長生きしたからそのあとが目立つが
もともと健康に不安があったのかもあの血筋

394 :日本@名無史さん:2015/02/27(金) 05:12:47.76 .net
得宗家以外の北条諸流の寿命はどうだったんだろ?

395 :日本@名無史さん:2015/02/27(金) 13:48:29.23 .net
>>393
母親の血ってのも影響あるからね。
時政の母ちゃんあたりが長生きの血筋だったのかもしれん。

396 :日本@名無史さん:2015/02/27(金) 19:00:44.52 .net
吾妻鏡に時政の母親(政子の祖母)って出てこないでしょ
時政と19歳違いの政子が18歳で頼朝と結婚したあたりから載ってるのだから
時政の母親存命なら出てきてもおかしくないのに

397 :日本@名無史さん:2015/02/27(金) 19:21:48.50 .net
そもそも時政の事あまり触れてないのが吾妻鏡だからな。
そこはなんとも言えんわ。
前半生のことバッサリ書かれてないのは、わからなかったというよりも、
時政の事は書きたくなかったからだろうし。
時政の母親や政子の母親なんかもその巻き添えで書かれてない可能性がある。

398 :日本@名無史さん:2015/02/28(土) 00:10:42.33 .net
極楽寺も早死にイメージあるな
得宗家よりも短命かも

399 :日本@名無史さん:2015/02/28(土) 02:10:02.56 .net
>>367
6月に死ぬ人多かったんで、後鳥羽院の祟り、とか言われた
てのはどっかで見たな

しかし、得宗の早死には20年ほど権力握ってからの死だから
それほど祟りという感じはなかったかも

400 :(ー〇ー)b:2015/03/03(火) 20:33:56.18 .net
足利氏の短命も異常

401 :日本@名無史さん:2015/03/04(水) 18:02:53.42 .net
>>400
足利は北条得宗より長生きな印象
足利義教(享年48歳)、足利義輝(享年30歳)は殺されたし

402 :日本@名無史さん:2015/03/04(水) 19:56:09.75 .net
足利は2人も殺されてるからな。
早死にといえるのは義詮、義量、義勝、義尚、義栄。
あとは普通だな。
長生きがいないな。
北条時政程度のが1人くらいおっても。

403 :日本@名無史さん:2015/03/05(木) 11:18:24.49 .net
義教の恐怖政治が成功していれば応仁の乱は来なかった。惜しいことだ。
日本では急激な変化を起こすと必ず潰される。織田信長も然り。

404 :(−○ー)b:2015/03/06(金) 21:09:12.72 .net
おれが言ってるのは鎌倉時代の足利だワン

405 :日本@名無史さん:2015/03/10(火) 11:05:20.08 .net
>>402
北条得宗は長いきが初期3代だけのような…

北条得宗長生きベスト5
北条時政…享年78歳
北条義政…享年62歳
北条泰時…享年60歳
北条貞時…享年40歳
北条時頼…享年37歳

足利将軍長生きベスト5
足利義昭…享年61歳
足利義殖…享年58歳
足利義政…享年55歳
足利尊氏…享年54歳
足利義満…享年51歳

406 :日本@名無史さん:2015/03/10(火) 15:53:51.57 ID:UqFDM92n5
義政じゃなくて義時だね
義政は極楽寺流塩田氏で連署、たしか40か41で亡くなった

407 :日本@名無史さん:2015/03/10(火) 22:01:12.77 .net
鎌倉時代の足利氏の享年を較べろカス
違う時代を比較してどうすんだよ中卒野郎

408 :日本@名無史さん:2015/03/11(水) 18:05:30.83 .net
>>407
お前が比べろ、カス

だいたい鎌倉時代の足利なんて北条から代々妻を娶ってたから
ほとんど血筋が北条だろw

409 :日本@名無史さん:2015/03/12(木) 06:49:07.28 .net
ベスト5の平均はほとんど一緒だな

410 :日本@名無史さん:2015/03/16(月) 19:04:48.55 ID:OORPYlCG1
徳川幕府の歴史に一致するイランの政治家

http://music.geocities.jp/jphope21/0204/42/278_1.html

もちろん、アフマディーネジャード大統領もだ。

( http://sky.geocities.jp/datepedia/02/update.html )

( http://music.geocities.jp/jphope21/0103/32/208.html )

411 :日本@名無史さん:2015/03/21(土) 08:16:58.21 ID:LFgK13sPK
北条も足利もいけ好かない。
こいつら同じ穴のムジナだろ。

412 :日本@名無史さん:2015/03/27(金) 18:18:36.49 .net
“北条時輔の乱”でググッても特定の宗派のサイトばっかりなんですけど、
いわゆる二月騒動で北条時輔は反乱を起こしてませんよね。
なにか軍事的な抵抗をしたんでしょうか?
詳しく書かれた史料などはありますか?

413 :日本@名無史さん:2015/03/28(土) 17:23:06.93 .net
>特定の宗派のサイト

どういう意味だ?w

414 :日本@名無史さん:2015/04/01(水) 16:58:42.29 .net
これだけ優秀な人間が続いた一族もめずらしいが
最後に高時というババを引いちゃった

415 :日本@名無史さん:2015/05/10(日) 20:37:02.61 .net
高時もそんなに悪い人物ではないでしょ
虚無感を漂わせている部分が末期のもの悲しさを感じさせるが

416 :日本@名無史さん:2015/07/07(火) 11:56:52.91 .net
北条氏にも男色文化ってあったのかな
あまり男色家がいたという話を聞かないけど

417 :日本@名無史さん:2015/07/09(木) 20:00:45.80 ID:pvIP58WGO
>>405
どうでもいいけど、足利義稙も書けない様な人がいてもだな

418 :日本@名無史さん:2015/07/19(日) 16:45:40.53 .net
北条得宗家は寿命も短いが、出家するのも早い印象がある。
30過ぎくらいで出家して、その後、時間がたたないうちに亡くなってしまう。

419 :日本@名無史さん:2015/07/20(月) 08:51:39.47 .net
>>400-405
北条足利に関わらず鎌倉の主が短命なんだよね
鎌倉公方
義詮(のちに将軍になるが) 36歳
基氏 18歳
氏満 31歳
満兼 31歳
持氏 (これは処刑だが)41歳

古河公方になると少しだけ長い気が多くなるし
鎌倉の主っていうのがかなり呪われていたんじゃないかって気はする
得宗だけじゃなく鎌倉将軍も長生きしたのいないしね

420 :日本@名無史さん:2015/07/20(月) 10:00:34.40 .net
鎌倉は三方を山で囲まれ一方が海なので攻めにくい(大嘘)

421 :日本@名無史さん:2015/07/25(土) 08:07:04.48 .net
得宗だけではなく、歴代鎌倉殿の中にも短命な人が何人かいる点も気になるね。
鎌倉殿の平均寿命は38歳だ。

422 :日本@名無史さん:2015/07/26(日) 15:25:39.25 .net
とにかく、得宗家に優秀で清廉潔白な人が続いたんだよね。

二代目義時はあの疑り深い頼朝に、彼ほど信頼出来る人はいない、と言わせたくらいで、
父の時政が頼朝を見限った時も、義時は頼朝に付いたし、頼朝の寝所のガードを任されるほど信頼された。

泰時(彼の号が得宗)は歴史に残るレベルとゆーか、天下を差配した人の中で最も清廉潔白と言える人物。
父義時からの相続でも兄弟にほとんどを譲ってしまったし、弟のピンチには仕事を投げ出して駆けつけるって
男らしさにも溢れる。泰時自身が天下万民の手本にならねばいけないとゆー思いで生きていた。
とにかく泰時には“いいひと”エピソードが多い。

時頼は三本の鉢植えエピソードもあるくらいの人物で、その子である時宗は日本をフビライの魔の手から救った
スーパーヒーロー中のスーパーヒーロー。

高時は評判良くないけど殉死者が870人いたし、その子の時行が中先代の乱の主将になった時も、
時行は7歳のおぼっちゃまくんにも関わらず多数が加勢したから、高時も人望は相当あったのだろうね。

423 :日本@名無史さん:2015/07/30(木) 20:38:43.50 .net
人望はあっても優秀ではないだろ。
目の前の問題から逃げ続けたのだから。

424 :日本@名無史さん:2015/08/01(土) 21:18:18.67 .net
高時が優秀だった証拠はまるでないが、
北条一門の結束が半端じゃないのは事実。
だいたい日本じゃ必ず裏切りもんがでるんだけどね。
ところが北条一門は普段内紛ばかりしてたくせに
いざって時はほとんど落ちこぼれを出さずに戦って族滅したからな。
名越とか裏切ってもよさそうなもんなのに裏切らんし、
赤橋みたいな家は普通なら高氏を頼るもんだがこれまら裏切らずに最後まで戦った。
こういう外敵に対する結束力の高さが北条一門の真の強みだったんだろうね。

425 :日本@名無史さん:2015/08/02(日) 06:55:56.46 .net
名越家は家格の高さ故に得宗家と反目してきたけどそれは例外的で何処の分家も得宗家に献身的だからな
北条政村は執権でありながらも得宗の時宗の良き藩屏だったわけだし

426 :日本@名無史さん:2015/08/02(日) 08:20:56.49 .net
まぁ政村はママのオイタで葬られかけたのを、時宗のひぃおじぃさんであるお兄ちゃんに救われとるからね

427 :日本@名無史さん:2015/08/07(金) 02:19:33.19 .net
足利でいうと義栄とかは裏切り行為になるわけ?
それとも名越的な感じ?
徳川だと一部を除き御三家をはじめとする親藩は裏切りと言ってもいいよな。

428 :日本@名無史さん:2015/08/07(金) 03:17:30.62 .net
足利は冒頭から尊氏と直義が壮絶な争いやって、一門の結束力のなさが確定して滅亡まで変わらなかった。
徳川もだらしねえよな。
足利の体たらくを勉強した家康がいろいろ装置つくってやったのに、
まず水戸が結束力を乱して、尾張は積年の不遇感からそれに続いて宗家を裏切る。
後半の本流は紀伊家だったから紀伊家は比較的忠実だったんだが、
宗家に水戸の慶喜が入ってからは紀伊家も離脱しちまった。

まあ、でも日本の歴史みると、足利や徳川の方が普通なんだよな。
北条家だけはほんとそこは特殊。

429 :日本@名無史さん:2015/08/07(金) 21:08:31.83 .net
徳川は親藩もそうだけど東海道に配置した譜代にことごとく裏切られてるっていうのがなあ
豊臣と完全に同じ轍踏んでる

430 :日本@名無史さん:2015/08/08(土) 09:17:57.77 .net
滅亡に際しての北条氏の結束の固さに感動すると同時に、幕府方についたのが
ほぼ北条氏一門しかいなかったことに驚く。
承久の乱に際して、御家人が結束して戦ったのとあまりに対照的だ。

431 :日本@名無史さん:2015/08/08(土) 13:48:33.70 .net
鎌倉末にはそれだけ人心が北条から離れていたということだわな。

432 :日本@名無史さん:2015/08/08(土) 18:48:04.55 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

433 :日本@名無史さん:2015/08/08(土) 18:48:35.37 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

434 :日本@名無史さん:2015/08/24(月) 08:08:15.20 .net
まぁ、諸侯が求めたのは結局のところ鎌倉幕府のリメイク版だからね
足利尊氏は自信が望まずとも自然と期待と信望が集まる

435 :日本@名無史さん:2015/08/26(水) 16:39:37.90 .net
諸侯は鎌倉幕府のリメイクなんて期待してねぇぞ。
北条の専制、というか中央集権構造が嫌になったんだから引っくり返したんだからな。

436 :日本@名無史さん:2015/08/26(水) 21:18:07.23 .net
北条抜きの鎌倉幕府希望

437 :日本@名無史さん:2015/08/27(木) 21:12:52.48 .net
北条抜きの鎌倉幕府なんて上手く行かなそうだな。
室町幕府ですら足利っていうロイヤルファミリーがいたからね。
中世に共和制なんて無理難題だろう。

438 :日本@名無史さん:2015/08/28(金) 02:20:30.73 .net
北条得宗家と持ち上げながらも、どこの馬の骨だかかわからんという反発が反北条の根っこだったんだろうな。

439 :日本@名無史さん:2015/08/30(日) 19:23:39.76 .net
創設時からあった執権ならともかく得宗専制は北条家内の私的なものだからね
得宗の下に執権が置かれる複雑な構造に

440 :日本@名無史さん:2015/08/31(月) 01:15:59.81 .net
公的な家政機関として朝廷に認められるっていうのは、意外に重要だったんだな。

441 :日本@名無史さん:2015/08/31(月) 23:05:50.67 .net
普通に承久の乱の時に幕府に政治を一元化させれば良かっただけだと思うぞ。
やり方は秀忠の方法をそのままやれば宜しい。

442 :日本@名無史さん:2015/09/01(火) 01:35:44.17 .net
隠居して長時に移譲後も得宗として君臨し続けた時頼は院政に重なるものがあるな

443 :日本@名無史さん:2015/09/01(火) 14:17:14.33 .net
院政や大御所政治と異なるのは後継が息子じゃなくて単なる親類で時頼が死んだ後も後継執権長時が最高権力者になれない点

444 :日本@名無史さん:2015/09/01(火) 16:47:15.85 .net
つまり得宗家当主であった時頼や貞時や高時が治天の君なわけだろ

445 :日本@名無史さん:2015/09/02(水) 18:21:20.22 .net
時宗の代で乖離していた執権と得宗が一元化した
若い頃は執権政村が補佐を務めてたけど

446 :日本@名無史さん:2015/09/10(木) 11:42:58.75 .net
>>395-397
女性はお産で死亡ってのが結構あるからね。
長命の家系でも早死にの場合がある。
むろん証拠はないのであくまで憶測だけど。

447 :日本@名無史さん:2015/09/10(木) 23:28:04.98 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

448 :日本@名無史さん:2015/09/10(木) 23:28:39.73 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

449 :日本@名無史さん:2015/09/24(木) 02:50:07.53 .net
源氏と違って、そのまま日本史からバイナラだから
所詮はその程度よ

450 :日本@名無史さん:2015/10/28(水) 02:00:24.64 .net
平家滅亡させて同じような滅び方

451 :日本@名無史さん:2015/12/16(水) 00:16:41.21 .net
これ、北条氏は何を目指していたのか、よく分かる。
おそらく、目的の道半ばで滅びちゃったんだろうな。

鎌倉北条氏の話−時頼の構想−
http://www.buncho.org/igai/xx/hojo/hojo1.htm

452 :日本@名無史さん:2015/12/16(水) 01:04:30.46 .net
>>451
読んでもよくわからんけど。
そもそも主家に対して積極的に外戚たろうとしてない。
政子と檜皮姫は偶々というレベルでしかない。
安達氏を婚家に選んだ理由も判然としない。
最後まで得宗をして名実共に武家の頂点に立たせるという動向がない。
結局、よくわからない。

453 :日本@名無史さん:2015/12/16(水) 01:20:40.56 .net
東国の古代史がイマイチよく分からんからな

何度も戦争に参加してるはずなんだけどね〜

なぜか西日本主体にしか書かれないんだよ

454 :日本@名無史さん:2015/12/16(水) 01:33:00.14 .net
スレ違いだバカ、北条はもう中世だよ。

455 :日本@名無史さん:2015/12/16(水) 03:12:33.93 .net
意味不明

456 :日本@名無史さん:2015/12/16(水) 10:28:27.05 .net
皇別というだけでは、東国の武家の棟梁にはなれない。
なぜなら、当時の日本の武家の多くが、皇別か藤原氏の末裔だから。
彼らの上に立とうと思えば、数代にわたる先祖の実績がないと駄目。
だから、南北朝の時、同じ源氏でも、足利と新田の間に大きな格差が出来ていた。

北条氏の場合、先祖の平貞盛は実績抜群だけど、その後、この家系には大きな実績はない。
一番、目立っていた平直方でも、結局は同族の平忠常の乱の鎮圧が成功できず
源頼信に美味しいところを全部もっていかれたことぐらい。
北条氏が頼れるのは、源義家の外戚だったことぐらい。
つまり、北条氏が他の御家人に対抗できるのは、源家の外戚の家ということだった。

でも、その源家が実朝の暗殺で滅ぶ。だから、源家をしのぐ権威として
天皇の皇子か、摂家の子供ということになった。
また、これらを京都から将軍として連れてきたほうが、北条氏の傀儡にしやすかった。
他の源家の豪族だと、彼ら自身が単独で大きな軍事力をもっているので
北条氏の傀儡にするのは難しかった。

457 :日本@名無史さん:2015/12/18(金) 10:13:11.09 .net
得宗はずっと直系で相続してるからすごいよな
直系だからこそ得宗なんだろうけど

458 :日本@名無史さん:2015/12/19(土) 12:07:51.36 .net
1回だけ経時から時頼の兄弟相続があるけどな

459 :日本@名無史さん:2015/12/19(土) 12:35:33.97 .net
得宗家って何で支配できたの?
大した官位もなく将軍に比べれば血統も下、武力も少なくとも鎌倉中期くらいまで突出して大きいわけじゃない。
執権職とも分離したらただのオッサンじゃん。

460 :日本@名無史さん:2015/12/19(土) 13:48:36.37 .net
北条家働き者説が有力wだけど、

家業が成立した時代に「執権」だったからという単純な理由が一番妥当だと思う。

461 :日本@名無史さん:2015/12/19(土) 18:58:01.83 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

462 :日本@名無史さん:2015/12/19(土) 18:58:49.90 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

463 :日本@名無史さん:2015/12/29(火) 08:05:57.82 .net
本来ならば家格の高い三浦あたりがナンバー2の位置だった筈
結局、政子が頼朝に嫁いだからなのかな
頼朝に賭けた時政の英断だな

464 :日本@名無史さん:2015/12/29(火) 13:11:00.03 .net
我が子すら殺してしまうという

465 :日本@名無史さん:2015/12/30(水) 01:19:55.99 .net
頼家側の忠臣が比企能員と梶原景時しかいなかったからな

466 :日本@名無史さん:2016/01/02(土) 10:21:35.78 .net
朝廷の権威はあまり関係なく天下人みたいに仕切ってたんだから、すごいな
官位だけなら並みだもの

467 :日本@名無史さん:2016/01/02(土) 22:15:35.28 .net
得宗家の官位って武家の中で見たら特上じゃん
他の最有力御家人は殆ど従五位下だぞ
得宗や北条有力一門は皆四位。

468 :日本@名無史さん:2016/02/07(日) 11:56:59.97 .net
>>466
御家人たちの利益を守ったからじゃないの?
その証拠に得宗専制が行き過ぎるとあっけなく滅びてしまったからな

469 :日本@名無史さん:2016/02/07(日) 12:03:47.05 .net
武家政権樹立間もないのもあるんだろな、その理由は判らんけど。

470 :日本@名無史さん:2016/02/07(日) 17:29:00.87 .net
たぶん源氏だと権威と権力が重なって専制君主になる可能性大だけど
幕府の侍たちには、北条氏だったら、権威がさほどじゃないので、そんなに主君面してあれこれ指図
してこないだろうという計算があったんじゃ
日本人は独裁者嫌うから

471 :日本@名無史さん:2016/02/08(月) 08:40:26.82 .net
江戸時代で言えば、宗家将軍家相当で、
諸事情により途中で尾張家や紀伊家から将軍が出ても
また自家に将軍職が戻ってくる
あり得ないな

472 :日本@名無史さん:2016/02/08(月) 14:09:19.01 .net
北条得宗権力は源氏将軍や室町将軍なんかよりもよっぽど高圧的に見えるけどな。
抗争で滅ぼされた有力御家人なんか星の数ほどあるだろ。

473 :日本@名無史さん:2016/02/08(月) 17:24:38.41 .net
北條貞時の時代に真の鎌倉殿に脱皮しようとしていたんじゃね?
この頃は、有力御家人の合議制から
北条得宗家とその御内人による独裁へ移行しつつあったし。

474 :日本@名無史さん:2016/02/08(月) 19:44:46.62 .net
末期の連署ってあまり権力無かった?

475 :日本@名無史さん:2016/02/08(月) 19:48:01.01 .net
末期は連署どころか得宗じゃない執権も権力無かったw

476 :日本@名無史さん:2016/02/08(月) 20:01:35.07 .net
赤橋とかかわいそうな感じ

477 :日本@名無史さん:2016/02/08(月) 22:06:17.33 .net
>>473
貞時の時代には天下の副将軍って称された位だからな。
貞時の改革が成功していたら、若しくは幕府が高時以降続いていたら将軍も分からんよね。

478 :日本@名無史さん:2016/02/08(月) 22:19:48.10 .net
承久の乱でも権力者が、北条氏だったから、上皇とかを島流しにしたんだろうけど
源氏が滅んでいなかったら、幽閉で終わっていただろう
どうしてかというと源氏(頼朝の子孫)は、天皇家あっての存在だったから

479 :日本@名無史さん:2016/02/08(月) 22:25:40.93 .net
平氏も天皇の末裔なんだけどね

480 :日本@名無史さん:2016/02/08(月) 22:48:57.90 .net
源頼朝と北条氏では身分が違うだろ
源頼朝は、確かに幕府をつくったけど、公卿だったら幕府みたいな組織は誰でも
つくれた
頼朝は、朝廷に反抗する意識はなく、ただ補完として幕府をつくったのに過ぎなく
勤皇家だったと思える

481 :日本@名無史さん:2016/02/09(火) 10:18:17.95 .net
天皇の末裔だからといって、武家の棟梁になれるわけない。
先祖数代にわたる実績がないと駄目。
同じ清和源氏でも、摂津源氏では東国の武家の棟梁になれない。
北条氏は時政の代までは、まだ東国の武家の棟梁になれる権威はなかった。
でも、北條貞時の代には、かなり武家の棟梁の権威がついてきたと思う。
承久の乱、元寇と実績を積み重ねてきたから。
あと一歩というところで、失敗したけどね。
でも実績を積み重ねてきたからこそ、中先代の乱も一時期、成功した。

482 :日本@名無史さん:2016/02/09(火) 10:49:05.21 .net
武家の棟梁になれないのに
お飾り将軍の下で実質天下人になった、しかも完全世襲
恩賞なしが不満を募らせたのだから、元寇は負の実績でしょう

483 :日本@名無史さん:2016/02/09(火) 10:49:41.22 .net
大将軍護良親王
執権北条時行

吉野朝廷はこれで関東委任すべきだった。

484 :日本@名無史さん:2016/02/09(火) 15:39:45.78 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

485 :日本@名無史さん:2016/02/09(火) 15:40:10.64 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

486 :日本@名無史さん:2016/04/08(金) 13:09:04.33 .net
得宗家の得って何ですか?

487 :日本@名無史さん:2016/04/08(金) 13:58:22.07 .net
北条義時の法名が徳宋だったから
その嫡流家は後に得宗家と言われるようになった。

488 :日本@名無史さん:2016/04/11(月) 00:12:43.62 .net
中華では◯宗とか皇帝の諡号に多いので、
得宗も最高権力者としてはネーミング悪くないな。

489 :日本@名無史さん:2016/04/11(月) 00:12:45.32 .net
中華では◯宗とか皇帝の諡号に多いので、
得宗も最高権力者としてはネーミング悪くないな。

490 :日本@名無史さん:2016/04/16(土) 13:03:16.10 .net
>>471
家宣→家継の時に
いったん尾張吉通に将軍を明け渡し(もしくは将軍職を空位にして)
家継成人の暁に将軍職を譲るみたいな話はあった

491 :日本@名無史さん:2016/07/11(月) 03:05:23.89 .net
北条は大神氏らしい

492 :日本@名無史さん:2016/08/10(水) 16:41:59.87 .net
将軍→将軍の代理の執権(得宗)→得宗の代理の内管領
権力が内の内へと移っていく現象すごく興味深いよな

北条だけじゃなく足利も執事高師直が出てきてるし
武士の家制度(今で言う不動産業の株式会社か?)のシステムに特徴があったんだろうか

493 :日本@名無史さん:2016/08/10(水) 16:50:39.67 .net
BC3C末、徐福一行の故郷、江蘇省北部では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。

494 :日本@名無史さん:2016/08/11(木) 13:42:50.77 .net
本来ならば比企や梶原がナンバー2として収まってた筈なのに結局のところ足引っ張りあって共倒れしてしまったからな

495 :日本@名無史さん:2016/08/11(木) 14:31:16.72 .net
梶原も比企も単に足の引っ張り合いで自滅したんではなく
明らかに北条に嵌められてるからな。

梶原潰しなんて連判状に北条親子の名前が入ってないんだから実にしたたかだよ。
で、梶原の首を最終的に上げたのは北条時政系列の武士なんだから怖いわ。
あの当時の北条親子に狙われたら生き延びるのは無理だよな。

496 :日本@名無史さん:2016/08/11(木) 15:43:01.91 .net
影で有利になる様に駒を進めた上で、独断専行ではなくて、上手いこと利害の一致する諸侯同士で連携を組めたから正当性を得やすいんだよな
愚直な和田や畠山とは正反対の策略家だ

497 :日本@名無史さん:2016/08/11(木) 16:41:58.32 .net
>>496
三浦義村、大江広元、この辺が常に北条親子の謀略の際の連携先なんだよな。
この辺の動きは謀略の鏡みたいでゾクゾクするわ。
マキャベリとか知って居たら大喜びで勉強しただろうな。

498 :日本@名無史さん:2016/08/11(木) 18:26:43.31 .net
>>497
和田は三浦を過信して墓穴を掘ってるしな

三浦は裏切ったというよりは表返ったという言い方の方が正しいような気がする

499 :日本@名無史さん:2016/08/11(木) 18:39:11.97 .net
三浦義村からしたら、同族ではあるが和田は自分の上に立つ鬱陶しい存在でしかないんだよな。
従兄弟でありそれまでも数々の謀略で組んで来た義時と組む方がずっとメリットがある。
義時はまたそういうきめ細かい利害計算と相手の感情の忖度も上手だったんだろうな。
下手な謀略を仕掛けると裏切られて謀略が事前に漏れて逆襲にあってしまうもんだが、
義時はそういう下手打ちを絶対しないからな。

500 :日本@名無史さん:2016/08/12(金) 00:35:50.04 .net
両家とも旗揚げ以前から源家を支え続けた重鎮だからね
政略的な関係以前に個人間の繋がりもあったのでしょう

501 :日本@名無史さん:2016/08/12(金) 02:48:19.42 .net
天皇家も藤原家も足利家もすぐ親兄弟で分裂して争い出すのに北条は一族の結束の強さがすごい
100年間強で名越の数名くらい?敵対勢力となったのが数えるほどしかない

502 :日本@名無史さん:2016/08/12(金) 12:47:21.68 .net
六波羅探題を北条一門から派遣するようにして
完全な幕府の統制下に置いたからね
あれ世襲にしてたら絶対室町幕府と鎌倉府みたいな対立生まれてたと思う

503 :日本@名無史さん:2016/08/12(金) 15:25:14.01 .net
親子の相克だと牧氏事件があるね

504 :日本@名無史さん:2016/08/12(金) 15:31:53.00 .net
BC3C末、徐福一行の故郷、華北では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。

505 :日本@名無史さん:2016/08/12(金) 20:52:33.06 .net
>>503
逆に言えば牧氏事件以後はほとんどないんだよね。親子相克。
時頼以後は得宗が短命化したことも原因だとは思うが。

506 :日本@名無史さん:2016/08/12(金) 23:36:45.02 .net
連署や引付が導入されたことから見ると
合議制を尊ぶ治世意識が強い一族で一族が頻繁に合議したんかな?
そうであったとしても他氏はナンバー2、3ですら不満を爆発させるのに
なぜこの一族だけそれが強く保てたのか不思議だ

507 :日本@名無史さん:2016/08/13(土) 04:34:45.16 .net
第二の青春を始めましょう!!
http://blog.goo.ne.jp/boeing7a7

508 :日本@名無史さん:2016/08/13(土) 08:19:45.18 .net
親子で相克するほど長生きしてないからかもな。
おかげで分家にもそこそこ利権?(執権職とか)がまわってきて、一族分裂が避けられた側面もあるかも。

509 :日本@名無史さん:2016/08/13(土) 08:29:37.09 .net
たとえば金沢実時は
平姓金沢氏で、「北条」はどこに入るの?

510 :日本@名無史さん:2016/08/13(土) 13:46:06.95 .net
氏→平
姓→臣
本家の名字→北条
名字→金沢

511 :日本@名無史さん:2016/08/13(土) 16:04:58.00 .net
外戚と近臣が台頭し政治が腐敗して蜂起を招くパターンは中国的だが
それが滅ぶ迄何代も続いてるのは日本的

512 :日本@名無史さん:2016/08/13(土) 16:08:03.96 .net
日本だと一族が滅ぶ時必ず裏切者や寝返り者が出るんだが、
北条家の場合は、名越家も含めて誰1人裏切者が出なかったのが大きな特色。

普通なら赤橋家くらいは寝返るもんだが、
守時は先頭に立って突っ込んで行ったくらいだからな。

513 :日本@名無史さん:2016/08/13(土) 17:34:07.59 .net
>>512 内官僚の長崎が逃げてないし。

514 :日本@名無史さん:2016/08/13(土) 18:44:17.20 .net
なおクソ高氏は

515 :日本@名無史さん:2016/08/13(土) 21:38:57.06 .net
忠義団結のお手本として江戸〜明治あたりで脚光浴びてても良さそうなもんだが
大楠公か大長崎公ってくらいに

516 :日本@名無史さん:2016/08/13(土) 22:52:59.34 .net
BC3C末、徐福一行の故郷、華北では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。

517 :日本@名無史さん:2016/08/14(日) 03:58:14.22 .net
>>505
御家騒動だと北条時宗と時輔の反目があるけど時頼も時輔を邪険に扱うのではなく一定の配慮はあったようだね

518 :日本@名無史さん:2016/08/14(日) 22:57:43.08 .net
単に頼朝が死んでから源氏のカリスマ性が失われたから

519 :日本@名無史さん:2016/08/14(日) 23:50:23.69 .net
実朝がもう少し指導力発揮していればよかったのにな

執権とか北条惣領が最高権力者なんて言うのはやはり歪
実朝暗殺を食い止められなかった政子義時姉弟の責任は重い

520 :日本@名無史さん:2016/08/15(月) 05:34:34.89 .net
>>519 義時が暗殺を傍観したという話もあるが。

521 :日本@名無史さん:2016/08/15(月) 22:14:34.67 .net
頼朝が死んだのって落馬説が有力だけど、吾妻鏡の頼朝の部分抜けてるんだよね

522 :日本@名無史さん:2016/08/15(月) 23:37:06.38 .net
頼家の時将軍近臣vs北条家のような形になって完全に押さえ込んだ挙句
暗殺→皇族将軍→藤原将軍と骨抜きにしていった鬼畜さは高師直や土岐頼遠もビックリのバサラだよな

523 :日本@名無史さん:2016/08/16(火) 08:01:39.45 .net
公家と宮の順番が逆だよ

524 :日本@名無史さん:2016/08/16(火) 10:04:12.86 .net
死なせるメリットがないからね
実朝公暗殺は黒幕説が浮上するけど、純粋に公暁の私怨や逆恨みによる単独犯が一番しっくりする

525 :日本@名無史さん:2016/08/18(木) 11:58:54.79 .net
バサラと言えば平頼綱もなかなかのものじゃないの?

526 :日本@名無史さん:2016/08/18(木) 18:36:39.03 .net
そうだな。
婆沙羅の先駆けは頼綱のような気がする。

時宗の死から頼綱粛清までは面白いよね。

527 :日本@名無史さん:2016/08/18(木) 19:46:32.60 .net
BC3C末、徐福一行の故郷、華北では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。

528 :日本@名無史さん:2016/08/18(木) 21:23:07.99 .net
>>525
得宗が北条なのに
頼綱が平なのはふしぎやねえ

529 :日本@名無史さん:2016/08/19(金) 18:02:24.49 .net
詳細はわからんけど北条家の一員であって一家を構えてないって事かもな
実用的には禅門さんと呼ぶことで呼び分けもできてたんじゃないかな

除目など公式の呼び名はみんな北条も禅門も平氏だろうし

530 :日本@名無史さん:2016/08/19(金) 22:45:04.79 .net
安達も最後は北条に殉じてるしな
霜月騒動でこの上なく痛い目に遭ってるのに本当に意味不明

531 :日本@名無史さん:2016/08/20(土) 01:35:30.14 .net
へーてっきり霜月騒動で滅亡したもんだと思ってたわ
調べたらその後また秋田城介に復帰して原状復帰されてたんやな

しばらく後の南北朝期に顕家に従ったのはそういう勢力だったんかな?

532 :日本@名無史さん:2016/08/20(土) 16:04:23.82 .net
しかも嫡男の平宗綱が一回佐渡に流されてるのに内管領になってるのも謎

533 :日本@名無史さん:2016/08/21(日) 07:57:58.37 .net
北条とか足利とか家名は将軍から与えられるものって前提があるんだろう。
源や平や藤原とかの姓は天皇から与えられるものって前提があるように。
平頼綱の場合、北条氏の御内人であり、将軍の直臣ではなく陪臣だから
平のままだったけど、最終的には長崎氏を名乗るようになった。

534 :日本@名無史さん:2016/08/21(日) 08:01:55.68 .net
元寇の時、源氏将軍待望論が巻き起こったんだよ。
それで、当時の皇族将軍が一時期、臣籍降下して源を名乗ることになったはず。

その頃、足利氏の家格が大いに上昇し、北条氏から事実上
源氏の本流と認められていたはず。

535 :日本@名無史さん:2016/08/21(日) 09:35:56.92 .net
頼朝の海賊版コピー

源惟康
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%9F%E5%BA%B7%E8%A6%AA%E7%8E%8B#.E7.94.9F.E6.B6.AF

536 :日本@名無史さん:2016/08/21(日) 10:32:09.20 .net
頼朝と惟康は同じミトコンドリアDNA。これ豆知識な。

537 :日本@名無史さん:2016/08/21(日) 13:56:12.15 .net
>>534
そういうことだったのか
親王将軍が源氏になったことは知っていたが、事情は知らなかった

538 :日本@名無史さん:2016/08/21(日) 13:58:47.06 .net
おいおい源、平、藤原などは氏だぞ
姓は朝臣、直など
北条、足利は今は名字という呼び方をされてるけど領地名を主とした呼び分け

539 :日本@名無史さん:2016/08/21(日) 14:06:04.01 .net
氏、姓、名字がぐじゃぐじゃになったのは今に始まった話ではない。
平安時代に既に氏と姓がぐじゃぐじゃになってる。
普通に氏のことを姓というようになってるのが既に平安時代末期だからな。

540 :日本@名無史さん:2016/08/21(日) 19:07:33.10 .net
BC3C末、徐福一行の故郷、華北では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。

541 :日本@名無史さん:2016/08/21(日) 20:44:51.42 .net
源姓足利氏、藤姓足利氏っていうけどあれは間違いで
源氏足利家、藤氏足利家とするのが正しい

542 :日本@名無史さん:2016/08/21(日) 23:15:44.76 .net
惟康親王から偏諱もらってる人いる?

543 :日本@名無史さん:2016/08/22(月) 08:03:05.68 .net
>>541
お前が書きこむスレが間違っている

544 :日本@名無史さん:2016/08/22(月) 16:50:03.37 .net
>>542
大仏に惟貞というのが一人見つかったけどその他は全く見つからんわ

545 :日本@名無史さん:2016/08/22(月) 18:44:56.67 .net
一瞬 『だいぶつ』と読んでしまったオレガイル

546 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 04:59:41.65 .net
畠山は重忠が討たれた後に未亡人が足利に嫁いで平姓から源姓に変わった特異な例

547 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 18:36:10.78 .net
同じ北条時政の娘が嫁いでるのに足利宗家と比べて畠山の地位が低すぎだな
せめて斯波と同格ぐらいはあってもよさそうだが

548 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 19:29:03.30 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルは稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

549 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 23:36:30.01 .net
天皇を利用した朝鮮人の藤原氏の真似をして、
源氏を利用した朝鮮人かもしれない。

550 :日本@名無史さん:2016/09/02(金) 00:19:57.06 .net
>>7
えー?
父親の源義朝が上総国とか下野国とかから東海道一帯で地盤固めをしていて、伊豆に流されたときも関東方面で好き勝手していたろうに。

551 :日本@名無史さん:2016/09/02(金) 07:45:45.93 .net
>>11
岡崎譜代とか駿府譜代とか松平御家門とかは徳川の自前の軍事力ではないの?

552 :日本@名無史さん:2016/09/02(金) 08:46:30.39 .net
>>18
平氏の栄達も外戚政権だろうて。高倉天皇・安徳天皇の外戚。
白河天皇・崇徳天皇・鳥羽天皇は摂関家ではないけどその近い筋の藤原公実の血縁。近衛天皇もやはり近い筋の藤原長実と源俊房の血縁。
二条天皇・ 後鳥羽天皇 の生母は摂関家の出。
土御門天皇の生母・源在子も摂関家に近い筋で、縁故は栄達している。
仲恭天皇の生母藤原立子は摂政・九条良経の娘
後深草天皇・亀山天皇とも生母は西園寺家の出で、これも摂関家に近い筋。
以降両統迭立期は洞院家と西園寺家が外戚政治を行う。この頃、摂政関白と大臣を兼任しない慣例ができる。

で、結局、院政期・鎌倉期で外戚があまり力をもたなかったのは、六条天皇・ 順徳天皇・後嵯峨天皇・後醍醐天皇と結構少数だな。

553 :日本@名無史さん:2016/09/02(金) 09:16:44.24 .net
>>18
北条執権の場合は主家の血統が安定してなかったからだろ。
下剋上してしまうと、自らも下剋上されてしまうかもしれんから、都から家格の高い人を呼んできて主家に据えて、東国の事情に疎いことをいいことに補佐の名目で好き放題。
外国だと、ティムール帝国とか、マムルーク朝エジプト・イスラム国とかがそうだな。
前者は、それこそ外戚摂関政治のようなもので本物の王様(ハーン)は影が薄く、関白太政大臣相当のティムール家のアーミールが貴族首座としてやりたい放題。
後者、土着貴族化したマムルークの末裔たちがパワーバランスを崩さないよう、新たに地元事情に疎いマムルークを外から呼んで王座につける。

554 :日本@名無史さん:2016/09/02(金) 09:27:32.11 .net
>>22
もっと後だろ。
確かに一代賜姓は優秀な証拠だけれど、それ以上に、公卿として閣議に参加できるのは各一氏族一名ずつという制約があったから。
一代賜姓は功績多大な個人を各氏族一名の枠を超えて閣議に呼ぶ為の方策。
辛巳事件・長屋王讒言失脚事件と天然痘の流行で政務担当能力のある公卿が足らなくなって、やむなく藤原不比等裔に藤原姓の相続、
葛城王に橘姓の相続を許し、さらに、一氏族一名の原則も解いたことが、その後の藤原氏の栄達につながる。

555 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 20:35:40.10 .net
摂家・親王将軍も頼朝の血縁じゃろ。北条も頼朝のカリスマ性だけは超えられなかったし上手く利用してる

556 :日本@名無史さん:2016/09/12(月) 05:12:10.93 .net
カリスマや人望は個人に依る部分が大きいから
頼朝個人に対する忠誠心であって頼家に対するものではなかったんだろうな

557 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 09:18:44.76 .net
形式上
天皇>摂関>征夷大将軍>執権>内管領
内管領は平氏=長崎氏
権力がどんどんずれていく

558 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 11:35:51.52 .net
明治維新直後の歴史総括では、承久ノ乱より後、
尊皇心無き武家の悪政が始まると云う。
承久ノ乱自体が、人気投票的雪崩式にて鎌倉軍が
奇跡的に勝った異常な戦いであったのだろう。

559 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 17:30:12.70 .net
時頼の代から執権自体が形骸化してるからね
隠居体制は日本の伝統だから

560 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 19:41:14.81 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

561 :日本@名無史さん:2016/11/03(木) 19:49:20.39 .net
たかが書記が国の実権握って世襲までする国もあるし

562 :日本@名無史さん:2016/11/03(木) 22:49:36.62 .net
たかが書記という感覚が間違い。
役所や組織の事務方トップの肩書が「書記」ないし「秘書」というのは、世界的にはごく普通だから。
日本の内閣官房長官も英訳は "Chief Cabinet Secretary"だし。
「○○大臣」「○○長官」「事務総長」「官房長官」と意訳することが多いから気づいていないんだろうけど。

563 :日本@名無史さん:2016/11/04(金) 20:21:23.03 .net
レーニン「奴には“たかが書記”が相応しい。権限を与えるな」
スターリン「え?俺の功績は認められず“たかが書記”なの…O.K.レーニン」
トロツキー「後継者は俺のはずなのに、何で権限が“たかが書記”に集中してるの?」

564 :日本@名無史さん:2016/11/04(金) 20:24:37.44 .net
訂正
レーニン「奴には“たかが書記長”が相応しい。権限を与えるな」
スターリン「え?俺の功績は認められず“たかが書記長”なの…O.K.レーニン」
トロツキー「後継者は俺のはずなのに、何で権限が“たかが書記長”に集中してるの?」

565 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 01:56:34.43 .net
実力主義の象徴という点では如何にも武家らしい

566 :日本@名無史さん:2016/11/23(水) 09:02:39.61 .net
日本史上唯一の革命家とは… 大澤真幸さんの論考に注目
http://www.asahi.com/articles/ASJCJ5THCJCJUCVL013.html
 大澤さんが、唯一成功した革命家と位置づけるのは、鎌倉幕府3代執権・北条泰時(1183〜1242)だ。

 1221年の承久の乱で後鳥羽上皇の朝廷と対決。武士が皇族と戦うには、上皇や皇太子らの命令に基づく
「院宣(いんぜん)」や「令旨(りょうじ)」を必要としてきたが、泰時はそれなしに京都に攻め上って朝廷軍を
倒した。泰時ら幕府による戦後処理も厳しく、後鳥羽ら3上皇を流罪にし、仲恭天皇を廃した。朝廷の外の人間が
皇室関係者を断罪したのは「日本史上、後にも先にもない」と大澤さん。

567 :日本@名無史さん:2016/11/23(水) 13:10:16.31 .net
天皇はときに調子に乗りすぎるから
史上たまには痛い目に遭わせないとな

568 :日本@名無史さん:2016/11/23(水) 13:26:34.08 .net
少平家

569 :日本@名無史さん:2016/12/03(土) 04:37:04.79 .net
日本らしさたるサムライ文化を築き上げた頼朝とそれを引き継いだ北条家は偉大

570 :日本@名無史さん:2016/12/08(木) 17:15:09.74 .net
>>1
何言ってんだ?

そもそも執権を知るには、まくら創始と大日本史が改ざん本、権力宣伝本にすぎず史書ですらないと知らなければいけない。

鎌倉幕府は1984-1331まで約150年もあるものの、初期は執権権力は微妙で安定した執権年間はわずか40年しかない。
そして残りの期間は執権のための粛清テロル、1285年間
以降は報復大テロル年間だったと忘れてもならない。

1184-1198 頼朝年間、但し執権の事をしるほど婿養子傀儡体制に近く、北条とまきの方が頼朝を暗殺したとされる。
1199-1205 頼朝派大粛清年間、これは頼朝後継者を傀儡にするための工作でもあった
1206- 義時が畠山殺しに激怒して父やまきの方を廃して独裁と対天皇派粛清を開始する挑発的な工作
1221-ほうじ 執権独裁のために三浦一党、千葉氏を打つ年間

1240-1285までジャンプ
元寇直後行政上執権を弱体化させる改革過程で執権と安達が分裂、後に安達一党は様々な勢力や三浦氏、千葉氏に滅ぼされる

1285-1292頃 政変で短命の非執権幕府が成立
以降 転覆で執権が返り咲くもハイパーグダグダ年間に突入、執権政治は末期状態に

鎌倉ははっきり言って政府が政府と呼べず機能停止もして、なにより執権VSその他のテロ合戦の様相で
常に赤軍粛清の如く、常時テロと暗殺が耐えなかったのでまともなせいたいではない

鎌倉政府の功績は武家政権の確率、ご成敗式目、民事裁判と人民優先性、元寇での応戦だけ
たいしてそれ以外はほぼ何もしてなくて実2/3の期間は執権テロル年間だったんだよな

571 :日本@名無史さん:2016/12/08(木) 17:20:13.29 .net
以降幕府の倒閣→室町開闢まで50年の無政府状態、実4代40年の短命足利室町政権時代しかないわけだけど

つまり政治機能は鎌倉崩壊後も停止してたようなもんだったのだが、鎌倉自体が政治停止状態だったから影響なかったんだ

日本は建前的に鎌倉以降公式な全国政府を持ったが、内実は政府の停止、転覆、暗殺、内戦などであり、戦国まで中央政府が無政府状態だった

そして前戦国の時に新興勢力と地域勢力が台頭したにもかかわらずかえって行政と政治は安泰した位

むしろ今日の政府のルーツで統一した政府のルーツは桃山幕府、江戸幕府にあたり
大和府、鎌倉府、室町府はあきらかにただの地方政権ないし、政府機能停止で全国政権と呼べないだろ
むしろ元寇という危機状況くらいでなきゃ共同対処できない政権と呼べない存在だった

逆に統一された全国政府としての桃山、江戸幕府を作った秀吉、徳川の功績は絶大

572 :日本@名無史さん:2016/12/11(日) 01:36:55.13 .net
長い、市ね

573 :日本@名無史さん:2016/12/11(日) 16:24:32.23 .net
管領や大老も同じじゃね

574 :日本@名無史さん:2016/12/12(月) 12:06:42.32 .net
大老は名誉職だし、家が相続し続けたわけじゃない

575 :日本@名無史さん:2016/12/13(火) 07:53:07.99 .net
岡野や横井が北条の末裔というのは明らかに仮冒だろう。

576 :日本@名無史さん:2016/12/18(日) 11:56:43.51 .net
得宗家という呼び方が本来は嫡流ではないというのを暗示
北条の真の嫡流はあくまで名越家

577 :日本@名無史さん:2016/12/18(日) 11:58:42.00 .net
得宗家は義時の子孫であることがポイントだからな、

578 :日本@名無史さん:2016/12/18(日) 12:08:15.53 .net
まあ名越家も義時の血統が入ったわけだが

579 :日本@名無史さん:2016/12/18(日) 12:45:40.60 .net
>>576
庶長子だった北条泰時が父義時の名称である
得宗を継承できたことに意義があるんだろ
名越初代の朝時は義時の嫡男であったが
母の実家・比企氏が父によって滅ぼされたために廃嫡され
母親も義時と離婚して別の男と再婚した

580 :日本@名無史さん:2016/12/18(日) 13:14:07.23 .net
そのため名越家はとにかく得宗体制への最大の反抗勢力に

581 :日本@名無史さん:2016/12/18(日) 13:24:28.67 .net
しかし滅亡時に裏切る一門はゼロ

582 :日本@名無史さん:2016/12/18(日) 13:30:04.39 .net
御内人が北条一門でなくあくまで得宗家の被官のみだったとみても末期の得宗家の巨大ぶりが分かる
内管領の権力を見てもまさにそれ自体が一つの幕府と

583 :日本@名無史さん:2016/12/18(日) 15:03:14.89 .net
源氏→家柄で武家の棟梁としてふるまった→頼家以後に有力御家人を抑えきれずに瓦解
北条氏→武力で天下の実権を握り国政を采配→武士のための幕府が北条氏のための幕府となり瓦解
足利氏→家柄で武家の棟梁としてふるまった→尊氏の晩年から有力守護大名を抑えきれずに応仁の乱で瓦解

徳川氏→武力で天下の実権を握り、家柄も家康を神にしたり源氏の長者になったり脚色した

584 :日本@名無史さん:2016/12/20(火) 00:39:34.37 .net
>>582
というより元から御内人は北条得宗家の被官で北条庶家の被官は含まない

585 :日本@名無史さん:2016/12/21(水) 14:12:17.83 .net
>>583
北条は武力というよりは陰謀と家柄(初代将軍御台の実家という)で実権握った
と言った方がいい

586 :日本@名無史さん:2016/12/22(木) 08:31:32.93 .net
戦で勝ってるじゃないか

587 :日本@名無史さん:2016/12/23(金) 08:06:13.85 .net
家格が低いと言われてるけど将軍御台所の実家という時点でアドバンテージが高いからな
一部を除いては諸侯も北条に協調的で賛同しているし

588 :日本@名無史さん:2016/12/23(金) 19:31:45.71 .net
仮に伊東の娘と結婚してたらどうなってたんだろう
伊東は平家の目を恐れるあまり時政みたいな賭けには出ないだろうが

589 :日本@名無史さん:2016/12/24(土) 02:47:39.58 .net
言うほど家格が低いとは思われん。
だって伊東、三浦、中村なんかと嫁のやり取りしてるじゃん。
こういうクラスの連中と同格だからそういうことが可能なんでね。

590 :日本@名無史さん:2016/12/24(土) 05:22:32.38 .net
北条時政、三浦義澄の室は八重姫の姉だからその場合でも頼朝の舅ではないが義兄にはなるわけか

591 :日本@名無史さん:2016/12/24(土) 22:38:15.85 .net
得宗家って、江戸時代で言えば、何万石の大名で藩士数は何人ぐらいのものだったの?

592 :日本@名無史さん:2016/12/27(火) 14:36:07.60 .net
>>587
頼朝は兄弟たちを粛清したから
正室の実家を親族として重用する比重が高まった
その点、後の室町幕府や江戸幕府とは異なる
室町幕府の場合、初代足利尊氏の正室の実家が粛清されていたために
赤橋家が実権を握ることはなかった
江戸幕府においても初代徳川家康の正室の実家は粛清
2代徳川秀忠の正室の実家も粛清されている

593 :日本@名無史さん:2016/12/28(水) 07:54:38.14 .net
秀忠の正室の実家は信長に滅ぼされてるだろ
秀吉養女だったから豊臣が実家と言えなくないが

594 :日本@名無史さん:2016/12/28(水) 15:48:18.17 .net
モンブラン

595 :日本@名無史さん:2016/12/28(水) 18:43:57.05 .net
栗クリームのケーキ?

596 :日本@名無史さん:2017/01/17(火) 15:24:18.11 .net
>>592
家光以降は摂家か宮家からお輿入れ。

597 :日本@名無史さん:2017/01/22(日) 19:35:37.97 .net
>>592
阿野全成はかなり例外的なパターンかな

頼朝以外では一番の実力者だった範頼は仮に存命しても衝突しそう
確執が生じたきっかけの一つの曽我兄弟の敵討ちや繋がりのある人物の相関がかなり複雑

598 :日本@名無史さん:2017/03/14(火) 23:01:52.60 .net
将軍を傀儡にした時点で画期的
そもそも武家政権が始まってそう間もない

599 :日本@名無史さん:2017/03/14(火) 23:48:32.24 .net
武家政権で朝廷権威を利用せずに最高権力握ったのは得宗だけじゃないか
まあ後に朝廷から将軍頂いてはいるけど

600 :日本@名無史さん:2017/03/14(火) 23:54:12.23 .net
これ普通にショックでしょ?
本当なの?
https://goo.gl/oORYbN

601 :日本@名無史さん:2017/03/15(水) 04:25:35.63 .net
頼朝の御台所の実家で、尚且つ将軍が後ろ盾になってくれていたから
だからこそ、実朝が暗殺された事は北条にとって災難だった

602 :日本@名無史さん:2017/03/15(水) 05:27:22.95 .net
結城朝光と足利義氏がどっちが上かでケンカして、足利が、オレは門葉だぞ
といったら結城が頼朝の書きつけ出してきて、両家は同格ってあったよな
そんで、義時は家子の専一とされてた

どういう意味か知らんが、思われてる以上に初期から義時の地位は高いと思うぞ
だから執権就任がすんなり行ったし、就任後も鎌倉は落ち着いてる
自分は石橋山に参戦してたのが大きいと思うけどね

603 :日本@名無史さん:2017/03/15(水) 05:35:24.39 .net
>>592
北条だって同じだよ
北条の権力が強くてまとまってたのは外戚がいなかったからだ
義時の母の実家は誅殺、泰時の母は不明
義時の妻の比企は滅亡、伊賀氏は追放
その後は外戚同士の三浦と安達が合戦やらかして三浦滅亡
これに懲りたのか以降は安達に固定されてるが、その安達も討たれたりした

604 :日本@名無史さん:2017/03/15(水) 10:19:50.82 .net
>>603
三浦や安達が粛清されたのはだいぶ後だろ
最後の得宗である北条高時の母は安達家出身だし

初代か2代目のうちに外戚がすべて粛清され
以降は同族婚(正室はすべて北条氏からのみ迎える)か
江戸幕府のように都から宮家や公家の姫を迎えるか
(これも室町幕府のように公家の日野家と固定してしまうと
また外戚の影響が強くなる)
しない限り外戚の影響は無ではない

605 :日本@名無史さん:2017/03/15(水) 15:07:48.64 .net
時政義時泰時に母親の実家がいなかったのが大きいよ
だから兄弟で支え合う体制になってる
時頼には安達が影響与えて三浦が滅亡する羽目になったが
そこまでいくともう得宗家自体が強くなってて外戚は藩屏みたいなもん

606 :日本@名無史さん:2017/03/15(水) 16:55:09.51 .net
真相!!  水素爆発の元凶は安倍晋三だった
http://79516147.at.webry.info/201701/article_34.html

…吉井が問題にしているのはバックアップ電源の「数」であり、原子炉の設計とは関係ない。
実際、福島原発はバックアップ電源が全部ダメになって、あの深刻な事故が起きた。
それを安倍は「設計が違うから、同様の事態が発生するとは考えられない。」 とデタラメを強弁していたのだ

蝦夷韓唐と言う国賊ゴキブリチョンコ
国賊チョンコまる出しでんな

アホエベンキ根絶やしにせんからやで

607 :日本@名無史さん:2017/03/15(水) 19:59:54.17 .net
>>605
時政義時泰時って全然兄弟で支え合っていないが
義時に関しては勿論、姉妹である政子からの取り立てはあったが
男兄弟とは粛清しあってただろ

608 :日本@名無史さん:2017/03/16(木) 02:48:29.79 .net
真相!!  水素爆発の元凶は安倍晋三だった
http://79516147.at.webry.info/201701/article_34.html

…吉井が問題にしているのはバックアップ電源の「数」であり、原子炉の設計とは関係ない。
実際、福島原発はバックアップ電源が全部ダメになって、あの深刻な事故が起きた。
それを安倍は「設計が違うから、同様の事態が発生するとは考えられない。」 とデタラメを強弁していたのだ

蝦夷韓唐と言う国賊ゴキブリチョンコ
国賊チョンコまる出しでんな

アホエベンキ根絶やしにせんからやで

609 :日本@名無史さん:2017/03/16(木) 03:06:09.80 .net
>>607
粛清?
時房と釣るんでたやん

610 :日本@名無史さん:2017/03/16(木) 08:49:52.09 .net
時房は頼家側近でもあった。
比企合戦の頃はあくまで実家の北条に忠実であったのか、
比企側が勝った時のスペアだったかかなり微妙な立場だな。
まあ武家ってのは族滅したら終わりなんでこういうときスペアとして対立する側に人間配置しておくのは当時から常識なようだが。

611 :日本@名無史さん:2017/03/17(金) 14:02:55.30 .net
>>609
時房はギリギリのところで源頼家を裏切り
兄義時に忠誠を誓ったからだろ
本来は比企騒動の時に粛清されておかしくなかった

612 :日本@名無史さん:2017/03/19(日) 01:42:40.66 .net
伊賀光宗も赦されているし、謀反人の子で自身も担ぎ上げられていた北条政村は執権に就任しているし、意外と緩やかだったりする

613 :日本@名無史さん:2017/03/19(日) 05:18:40.37 .net
私は得宗です。

614 :日本@名無史さん:2017/03/20(月) 13:13:40.56 .net
>>611
義時だって比企の婿だぜ
妾に子供ができたら頼家がわざわざ贈り物よこしたぐらいで
仲は良いだろ
だから、実朝の側近にも義時の息子は誰もいないし
ぎりぎりのところで頼家と比企を裏切ったのでは同じ

北条兄弟はつるんでるよ

615 :日本@名無史さん:2017/03/20(月) 18:24:10.85 .net
泰時は年上だし政村以下は年下過ぎだし
実朝と一番年周りの合う朝時重時が比企の血筋だもんね
朝時は実朝とケンカしてるし、比企べったりだったんじゃないかな

616 :日本@名無史さん:2017/03/21(火) 14:52:13.12 .net
>>614
義時は比企騒動後、比企氏出身の正室を離縁し
正室腹の子を廃嫡しただろう
だから妾腹の庶長子・泰時が跡取になった
義時は比企や時房と仲良しだったというならば
跡取りは嫡子の朝時のままで良かった

617 :日本@名無史さん:2017/03/21(火) 18:05:44.83 .net
義時は跡取りが誰だなんて定めてないぞ
勘違いしてるんじゃねーの

618 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 09:08:12.05 .net
>>617
比企合戦の後、義時の命令で嫡男の朝時は駿河国へ蟄居させられている
表向きは実朝の怒りを買ったためとしているが実質的な廃嫡

その後、庶長子であった泰時が父義時から侍所別当を親子相続され
従五位下となり跡取りに定められた

619 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 11:27:20.30 .net
>>618
泰時は、頼朝にかなりかわいがられていたようだけど、比企合戦以前から泰時が後継者だった可能性はないの?
頼朝を烏帽子親にして元服しているみたいだが

最も、比企合戦時点では、義時自身も時政の後継者じゃなかったんだっけ

620 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 12:39:22.32 .net
建久三1192 9月 義時と姫の前結婚
建久四1193 朝時誕生
建久九1198 重時誕生
建仁三1203 9月 比企合戦
姫の前義時と離婚、源具親と再婚
元久元1204 源輔通誕生、時政嫡男政範急死
元久二1205畠山重忠の乱→牧氏事件
建永元1206 10月 朝時元服
承元元1204 姫の前亡くなる
建暦二1212 5月 朝時実朝の怒りを買い、駿河で謹慎
建暦三1213 和田合戦起きる 朝時呼び戻され、泰時と防戦にあたり活躍

621 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 13:37:46.13 .net
訂正 姫の前が亡くなった承元元年は、1207年だった

こうして見ると、比企合戦から牧氏事件まで一気に動いているのが、興味深い

政範が京都で急死したのは、実朝が御台所に関東の武士の娘でなく、京都の貴族の姫君を望んだため
母親の牧の方が京都の貴族にコネを持つ政範を使者にする流れになったから
実朝が京都の姫君を希望しなければ、政範は若くして亡くなることもなかったはず

将来を期待していた息子に死なれた牧の方が、娘婿に期待をかけ暴走

それと気になるのは、実家を失った姫の前があっさり再婚できたこと
京都の貴族社会に彼女自身が元々コネを持っていたのか?
もしくは離婚と再婚は、比企合戦の前だったのかな?

622 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 13:52:43.38 .net
>>619
泰時の異母弟・実泰(母は伊賀の方)は
将軍源実朝を烏帽子親として元服してるし
将軍の加冠=嫡子ということではないよ

623 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 14:07:00.60 .net
>>622
烏帽子親だからといって猶子じゃないのは、わかるけど
泰時が他の御家人とトラブルになった時にも、頼朝が激怒して相手方を罰したなんてエピソードもあるし

そういえば、朝時の元服の烏帽子親も実朝?
朝時の朝は、実朝から偏諱を受けた?

624 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 14:12:02.66 .net
>>621
北条政範は病死だし京都へ行かなければ死んでいなかったという理由もない

源実朝の御台所に公家の姫を望んだのは実朝ではなく北条政子だろう
実朝は結婚した時わずか12歳で自分で政治を取っていたわけですらなかった
選ばれた御台所は後鳥羽上皇の従妹に当たる姫・坊門信子で
信子の姉は後鳥羽上皇の寵愛を受ける愛妾という間柄
実朝も後鳥羽上皇から義弟として可愛がられることになる

姫の前が出た比企一族はもともと都にいて頼朝と一緒に関東下向した一族であり
比企尼の長女・丹後内侍は二条院に出仕した経験があり
比企一族の縁者が都にいてもおかしくはない
再婚相手の源具親も左少将程度であるし大変な美女で義時が一目惚れしたと伝えられる姫の前ならば
都で再婚相手が見つかってもおかしくないだろう

姫の前が産んだ朝時・重時は名越流・極楽寺流として傍系にやられはしたが存続
姫の前が後夫との間に産んだ子に幕府が朝時の弟であるからとして官位を貰ってやっているなど
その後も鎌倉と繋がりはあったらしい

625 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 14:19:22.34 .net
>>623
泰時を頼朝が溺愛していたエピソードは
「吾妻鏡」の付け足しの可能性があるからなんとも

北条朝時は御所で元服したとあるから将軍源実朝の御前であったことは間違いない
烏帽子親の記載が「吾妻鏡」にないが実朝であってもおかしくない

626 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 15:00:40.49 .net
>>624
当初、実朝の御台所候補は足利義兼の娘だったのを実朝がいやがったという話では?
義兼の娘は、母親が政子の同母妹みたいなんだが
政子がこっちを強く推薦したんじゃないかと思うんだが

627 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 15:25:15.96 .net
>>626
足利の娘は将軍弟の妻としてはありだったかもしれんが
実朝が将軍になって事情が変わったのでは?
比企の娘すら頼家の正室ではなかったと言われる
実朝の嫁取りの話が出て来るのは頼家が殺害された直後
当時実朝は12歳
頼家の死を朝廷があれこれ検索されるより前に
鎌倉幕府の親朝廷を打ち出すために
後鳥羽上皇の近親者と縁組することは重要だった
(頼家の死因を吾妻鏡は描かず
京都の公家や僧の記録で知れるのみ)

628 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 15:48:17.31 .net
河内源氏も滅亡させたよな

629 :日本@名無史さん:2017/03/23(木) 03:32:53.91 .net
横井小楠の写真よく見たら、普通に北条家の家紋をつけててびっくりした。

通称・横井小楠、本名(?)北条時在っていう幕末の人物が、
自分は北条得宗家の真正の末裔だって、本気で信じていたらしいことに
結構な歴史のロマンを感じるんだが。

630 :日本@名無史さん:2017/03/23(木) 06:47:16.54 .net
あれだけ栄えた上に南北朝期の時行が子だくさんだったらしいからな
滅亡の際も離反者がなく、残党を率いた時行は尊氏が恐れる程の手練れの精兵だったとか

631 :日本@名無史さん:2017/03/24(金) 12:51:33.42 .net
>>599
利用してんじゃん。摂家将軍とか親王将軍とか

632 :日本@名無史さん:2017/03/25(土) 19:39:12.47 .net
後ろ盾は重要だからな

633 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 06:20:29.75 .net
京と鎌倉の協調の証であること
朝廷の権威を示しつつ、幕府も担ぎ上げる神輿を迎えられる
他の源氏や摂家から将軍を迎えるよりもメリットが高そう

634 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 14:20:34.62 .net
>>604
江戸に下向してきた宮家とか摂家の出の奥方って子を為してないよね

635 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 06:21:18.70 .net
>>619
義時は最初から泰時を跡継ぎに考えてたと思うよ
ただ、母方の一族がいなくてバックアップがない
それで、三浦の娘と縁組し、でも離婚しちゃったんで、足利を泰時の婿にしてる
侍所別当にもしてるし、自分の分身みたいに思ってたんじゃ
義時の気持ちは家人たちもわかってて、だから被官たちが泰時支持で
動いたんだろう

比企がいる間はあまり泰時大事にはできなかったろうがね
許嫁の三浦氏と泰時の婚儀が行われたのが比企合戦の前年

636 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 17:50:46.60 .net
朝時嫡男だったら義時は比企側になり頼家支持になる
だが姫の前の輿入れ出産と並行して、泰時を御所で元服させ、三浦氏との
婚姻を決める
泰時を嫡男にすれば、比企と離れ、つまり実朝支持になる

時政が実朝側、時房が頼家側、その間で両天秤だったのが義時
彼が嫡男を決めずにずっとやってたのは不思議ではない
決められなかったのさ

比企氏追放して泰時嫡男にしようかと思ってたところで泰時が三浦と離婚
てあたりでは親として頭抱えてたりしてw
おまけに泰時の後妻は小さい家だし母も妻も実家の後押しが期待できない長男に
心砕いたろうね
足利義氏を自分の婿でなくて一世代飛ばして泰時婿にしたのも配慮の一つだよ

637 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 20:26:12.71 .net
時系列みてると興味深いのは、義時と姫の前の婚儀の直前に実朝が生まれてるんだな
ずっと恋文送ってた女性と晴れて結婚!
でもその直前に姉が将軍の次男を産んで、その子の乳母に姉妹がなった
あたりでねじれが生じてる
姫の前が男児をうんだら今度は金剛を御所で元服させて頼朝が烏帽子親だからな
なんとなく張り合ってる印象を受ける

638 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 21:33:51.16 .net
>>635
泰時が侍所別当になったのは比企騒動のずっと後
義時と姫の前の結婚は源頼朝の命令であり
頼朝の存命中には頼朝の乳母一族・比企氏の権力は大きく
義時が迂闊に庶子の泰時を優遇することはなかったはず
頼朝死後、比企氏を滅ぼして頼家を殺し
姫の前を離縁したことで泰時の家督がみえた

639 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 23:24:13.72 .net
>>638
それはあまり意味がない議論だと思う
侍所の別当職が北条のものになったのが、和田氏粛清の後で
比企合戦の時点では、侍所別当は和田だったから

640 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 01:32:59.81 .net
どうみても泰時は庶子の扱いではない
庶子だったら有時のような扱いになる
姫の前に男児が生まれてるのに御所で元服で太郎頼時で三浦とわざわざ結婚の約束
誰だってへーふーん、て思うわな
比企は面白くなかったかも
義時が結婚する時、なんで離縁しないという起請文書いたのか疑問だったが
実朝誕生でゴタゴタするの頼朝が見抜いてたのか

で金剛の後見人として頼朝をプッシュしてたのは政子だったりしてw
義時が比企に取り込まれるの気に気に食わなかったのあり得る
なんせ、後で伊賀局追放して泰時を指名したぐらいだ

641 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 02:13:24.30 .net
母方の一族がいない義時より、牧氏コネクションのある政範のが
北条の家督をつぐ可能性高かったんじゃ
北条殿、江間殿、てずっと書かれてたし
時政は娘も多くて婿も多いが、義時には頼れる婿殿もいないし
比企は義時には心強い援軍だったと思うな
で、時政や牧の方は比企は気に食わないだろう

642 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 02:42:15.10 .net
エベンキ蝦夷総出でエベンキアホエベンキチョンコ安倍擁護ミエミエ

643 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 09:39:16.50 .net
>>641
義時の母親は、伊東の娘で本来は大豪族なんだよね
その見方で行くと、頼朝の挙兵成功は義時の母親の実家の没落を意味するから微妙なんだよね

まあ牧の方も、池の禅尼の親族の可能性が高いから、本来は平家よりなはずで

ウィキでは時房は、母親が稲毛女房と同じ説なんだが、畠山の乱では稲毛の肩を持たなかったのかな

644 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 10:22:42.66 .net
時政の妻というか子供の母親ではっきりわかっている伊東の娘と牧の方だけど
今まで言われていたように北条が小豪族なら、その割に有力なところと縁組しているよう思えるのも謎

645 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 13:09:38.91 .net
稲毛に嫁いだ時政娘はその時はすでに亡くなってたからなあ
政範が北条ついでたら、北条と江間は三浦と和田みたいな感じだったのかな

泰時母も姿見えないし、同母きょうだいの姿も見えないし、泰時母は早世した可能性
となると、泰時は父親宅で10年ばかし同居してたことになる
おのずと江間殿のご子息、という目で見られ頼朝にも可愛がられてさ
後妻が強力なあたり、泰時朝時の関係は、平重盛と宗盛なイメージ

646 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 13:46:16.23 .net
政範は官位昇任のスピードがやばかった
アレは絶対に嫡男仕様

でも位うちにあっちゃった

647 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 14:05:42.72 .net
畠山も時政娘の婿なのに、時政の外孫でもある嫡男が牧の方の娘婿の平賀と揉めて、粛清されている
畠山嫡男は、時政にとっては孫なのに、殺している

後に足利義純を婿取りしたのが重忠後家なら、時政娘はまだ生きていたはず
あるいは、婿取りしたのは異説のように重忠と時政娘との間の娘だったのかな
年回りからみると、重忠の娘の方が釣り合うような気がする

648 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 19:00:09.14 .net
小豪族でも貞盛流だろ
直方5代の子孫つってるわけで大きな豪族と縁組してもおかしくない
時政は無位無官でも叔父だかが任官してて、時政のオヤジが早世したあるよな
後の子孫の早死にみても、短命な家系だったんでね
それで家督が弟にいったり孫にもどったりあれこれしてて系図が複数ある
貞盛の息子と孫の段階ですでに複数の系図があるからな

649 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 23:21:03.65 .net
エベンキキチガイ韓唐なんてチョンコと言う以外はない

650 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 01:35:42.30 .net
泰時は義時が興した北条の別家江間家の嫡男
弟の朝時は祖父時政の牧の方が生んだ嫡男で早世した政範の後継

651 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 08:09:47.47 .net
>>650
政範の死後、牧の方事件まで一気に展開しているから、時政の意向は今となってはわからないけどね
比企を滅ぼしたのが時政の主導なら、比企の血をひく朝時に北条本家を継がせようとするかな?

652 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 09:28:10.37 .net
>>648
時政から泰時までの三代は、早死にじゃないんだよね
泰時の次の代から短命になっている

草創期の三代が早死にしていたら、基盤固めできなかっただろうね

653 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 15:03:28.17 .net
宗時が三郎だからその上に子供二人いたのかもしれない
なんせ昔は今と違うからなあその辺りはわからんね

654 :日本@名無史さん:2017/04/19(水) 03:03:26.10 .net
時房の扱いはどーなってんだ?
義時は次男だから江間の所領を得たんだろうが
宗時が死後もそのまま独立してる印象
牧氏に息子ができたらそっちが跡継ぎかもしれんが死んだら時房でもよいんじゃ

655 :日本@名無史さん:2017/04/22(土) 09:47:45.29 .net
トンスル蝦夷はキチガイなので避難訓練しないんだ
まあキチガイチョンコ脳では竹槍訓練しかできん阿呆チョンコ人モドキやからな

656 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 08:44:45.80 .net
東西チョンコソウル頭狂に全弾叩き込めはええのとちゃうか
金豚は
どうせ勝ち目なんてない
キチガイチョンコの巣は丸焼きにできんぞ
公約どおりやないけ
その上でしなに亡命して国民は放置でええやん
処刑の手間が省けるだけやん
エベンキベクレ国賊蝦夷のきちゃない死体累々はよみたいわ

657 :日本@名無史さん:2017/04/28(金) 04:58:17.30 .net
北条政範って16歳で死んでるけど死亡当時で従五位下
源頼家が16歳で従五位上、源実朝が12歳で従五位下
主君である鎌倉殿とわずかな差しかない
政範の「政」は時政の「政」だけど「範」は阿多見聖範からか

658 :日本@名無史さん:2017/04/28(金) 11:30:38.01 .net
>>657
時政と牧の方は娘婿の平賀を鎌倉殿にしようとしたくらいだし
生きて居れば政範が鎌倉殿でもいいぐらいに思ってたかもね
牧の方の唯一の男子・政範が早世し後は娘たちしか残らなかったために
娘婿を鎌倉殿にしようとした

659 :日本@名無史さん:2017/04/30(日) 14:09:57.29 .net
>>657
時政や牧の方は良くても、他の御家人にとっては良くないよね
政範の京都での急死は、それを危惧した他の御家人たちによる謀殺じゃないかな
黒幕が義時で、実行犯が畠山の息子とか?

660 :日本@名無史さん:2017/05/03(水) 17:28:02.87 .net
そして、もう一つの戦後処理として、旧百済、高句麗の難民の問題がある。百済・高
句麗は敗戦により国土を失ったので、支配層の多くは倭国に逃亡を余儀なくされた。そして、日本書紀にも記載されているし、現代にも高麗川という地名が残っているように、
多くは東国、つまり旧・関東毛野国に入植させたのである。

エベンキ蝦夷がどうごまかそうが事実なんだわ
更に違法難民チョンコも未開の地チョンコ蝦夷に勝手に住み着きチョンコ蝦夷エベンキこキチガイキャラ馬鹿国賊チョンコキャラが固定したんだわ

661 :日本@名無史さん:2017/05/16(火) 21:48:29.71 .net
相模守

662 :日本@名無史さん:2017/05/20(土) 00:01:05.29 .net
しかし北条氏の最期ほど、因果応報という言葉がぴったりくる最期もないわな。

北条氏は幕府の創設者でもなく貴種でもない一介の地方豪族に過ぎない。
それが創設者の源氏を根絶やしにし、梶原、畠山、和田、比企といったライバル御家人たちを次々と罠に落として滅ぼし、まんまと幕府の権力を手中にしてしまったわけだろう?

その後も鎌倉時代の間を通じて有力御家人を排除し自分たちの権益拡大を進めた。

こんな奴らでも御家人たちが従っていたのは、要するに恩賞が貰えて所領安堵さえしてくれれば権力者なんか誰でもいい、っていう、御家人側も利害打算で動いてただけ、ってことだからだろうな。

だから、その力が無くなればもう用済みってことで、最期は四方八方から寄ってたかって攻め滅ぼされる、って無様な末路を辿った。
つまり自分たちがしてきたことを、最期は逆に受ける側になった、ってことだろう。
鎌倉幕府滅亡後は歴史の表舞台に出てくることも二度となかったし。

663 :日本@名無史さん:2017/05/20(土) 12:08:44.81 .net
判官贔屓の視点から見たら悪者なのだろうが勝者なのは事実
北条以外にリーダーに成り得る存在が居なかった

664 :日本@名無史さん:2017/05/20(土) 13:29:31.36 .net
位階や官職に頼らなかったところがすごい
天皇、将軍、得宗、執権
何重構造や?

665 :日本@名無史さん:2017/05/20(土) 14:54:57.87 .net
官位に関しては無頓着だったのでは
担ぎ上げている将軍は宮家の出身だけど、京とは隔離していたから

666 :日本@名無史さん:2017/05/23(火) 11:03:22.31 .net
従四位程度の連中にあれこれ指図受けるのが嫌で
朝廷は本当は高い官位をやりたかったという話もある

朝廷として見ると恫喝してでも高官位要求してくる方が
無頓着なのよりは有難かったのかもしれない

667 :日本@名無史さん:2017/05/29(月) 15:29:18.83 .net
>>662
平氏だから貴種だろ

668 :日本@名無史さん:2017/05/29(月) 20:32:08.85 .net
>>665
江戸幕府が将軍家菩提寺の寛永寺門主に都から法親王を連れてきて
有事の際には天皇に擁立するぞと脅してたらしいが
鎌倉幕府の宮将軍も朝廷に圧力かけるためみたいなもんだよね
(後鳥羽上皇が「朝廷を二分する」と反対した通り)
江戸幕府も武家は武家官位で朝廷とは別に勝手にやるからといってたみたいに
基本幕府は朝廷官位に無頓着
室町幕府は足利義満が官位に執着したから将軍の官位が異様に高くなっただけ
足利義満は後円融天皇と母親同士が姉妹で兄弟みたいに育ったから
自分が天皇でもいいんじゃ?みたいに思ってた節がある

669 :日本@名無史さん:2017/05/30(火) 01:14:21.36 .net
皇別氏族の中でも序列はある。
清原氏や安倍氏や小野氏や日下部氏も皇別なわけだから。
結局、なるべく新しい時代に臣籍降下した氏族ほど格上。
とくに皇別氏族に与えられる姓は、平安前期以降には源氏ばかりになった。
よって、本来は、源氏>>>>平氏。

平氏は清原氏や安倍氏よりは貴種かもしれないが
源氏とは大差がある。

670 :日本@名無史さん:2017/05/30(火) 01:47:14.03 .net
>>669
えー?
その時の権勢なよるものなんじゃないの?

671 :日本@名無史さん:2017/05/30(火) 06:21:26.78 .net
>>456
やるだけやった直方の方が好きだ。

直方の奮戦によって忠常は磨耗し、戦いを続ける余力を無くした。

任を解かれた直方には哀惜の念が湧くのを禁じ得ない。
心から同情する。

頼信は美味しいところをかっさらっていっただけ。

頼信赴任時には忠常はもはや死に体の状態だったのだから。
こういうのって本当に無常を感じる。

672 :日本@名無史さん:2017/06/02(金) 05:26:22.93 .net
>>667
関東の豪族にとっては頼信以来の河内源氏が主君筋で、平氏はその下に位置するものと思われてたんじゃないか。
京都視点から見る源平両氏と関東から見る源平両氏は違ったんだろうね。
清盛周辺の平家ではない桓武平氏は貴種とは見做してなかったんじゃないかな。

673 :日本@名無史さん:2017/06/02(金) 13:45:49.61 .net
>>671
でも直方の娘が義家らの母だから
鎌倉将軍、室町将軍、徳川も建前上は新田の子孫を称してるから
皇族将軍除けばみんな子孫

674 :日本@名無史さん:2017/06/03(土) 01:16:10.93 .net
>>668
徳川幕府は家斉が従一位を要求してから
凋落が始まったな
高官位が欲しいっていうのは結局朝廷権威に取り込まれるということなんだろう

675 :日本@名無史さん:2017/06/03(土) 02:00:45.75 .net
>>673
皇族将軍も宗尊親王除いて子孫だよ

676 :日本@名無史さん:2017/06/03(土) 19:05:12.25 .net
北條時政以前から、北條氏は従五位ぐらいの地位にある貴族だった。

677 :日本@名無史さん:2017/06/03(土) 19:45:45.37 .net
平直方は平貞盛流の嫡流。
(一応、平中方という兄貴がいたけど、この人は京都で公家として活躍することを目指したので
坂東平氏としての貞盛の子孫の嫡流は直方)
平良文流の平忠常から先祖の敵の子孫だと公言されている。

その要因が、平貞盛VS平将門の時代の因縁。
平良文は甥っ子の平将門と仲が良く、将門の遺児をかくまったりする。
後に良文と将門の子孫は結婚。その間にできたのが、平将常。その子孫が秩父氏。
将常の兄貴が忠常で、忠常は良文流の嫡流。

そんなわけで、坂東平氏は長い間、貞盛と良文(甥っ子の将門の後を受け継ぐ)の
2人の子孫の間で構想があった。

678 :日本@名無史さん:2017/06/17(土) 19:24:54.32 .net
>>675
久明親王、守邦親王も直方の血は引いてないだろ?

679 :日本@名無史さん:2017/06/22(木) 19:39:29.78 .net
>>678
引いてるんだよ、それが
久明親王も守邦親王も源義朝の女系子孫
源義朝の曾祖父義家の母が平直方の娘

680 :日本@名無史さん:2017/06/26(月) 16:54:21.70 .net
8代前の先祖は256人いるし
あの時代の天皇貴族上流武家は全員血族だろう

681 :日本@名無史さん:2017/06/26(月) 21:54:57.37 .net
そんなに後のお歴々がその血を引いてるならもっと直方のことアピールしてあげればいいのに(´;ω;`)

682 :日本@名無史さん:2017/06/27(火) 11:30:08.16 .net
>>681
歴代天皇って結構無名人の血も引いてるだろ
そんなのいちいちアピールされても

683 :日本@名無史さん:2017/06/27(火) 12:53:16.53 .net
得宗、関係なくなってるし

684 :日本@名無史さん:2017/11/21(火) 22:42:31.81 .net
トップは象徴となったら二番手が力持つのは必然

685 :日本@名無史さん:2017/11/23(木) 06:54:57.56 .net
しかし、すごい世渡りの術だよな。

元々、自分たちと同等の中央軍事貴族(留住貴族)の家はことごとく滅ぼしたり、僻地に追いやって無力化させたり(泉、比企、波多野、山内首藤etc.)、
有力在庁官人系豪族は、惣領筋よりも諸流筋を要職に引き立てて、一族間の内紛を図ったりと(三浦ー和田など)。

これらがことごとく上手く行ってる様には凄みすら感じさせる。

呪術とかの天才家系だったんじゃないか?

686 :日本@名無史さん:2018/01/07(日) 22:32:06.94 .net
北条時政と、北条四兄弟姉妹の政治力は異常
で、この兄弟姉妹の政治力が一族に受け継がれていってんだよね
日本史上最も政治的に有能な一族だよね
というか世界史的にもここまで有能な一族は稀
反対に足利一門は酷いもんだよねw

687 :日本@名無史さん:2018/01/07(日) 23:45:39.42 .net
不安感があったからこそ権謀術数に長け、ナンバー2だからこそ緩衝役として機能して配慮が徹底していたんだろうな

688 :日本@名無史さん:2018/01/08(月) 01:03:12.16 .net
北条歴代で出来が微妙なのは友人の喧嘩に馳せ参じてしまって泰時に辛い評価を受けた経時さんくらいか
まあその記述も嫡流が時頼さんに移って後のものだから本当かどうかわからんしな

689 :日本@名無史さん:2018/01/18(木) 15:47:02.40 .net
その得宗家も貞時の時代、権力の集中に失敗して、政務放棄すると
次の高時時代は、得宗家といえども家来の内管領に対して無力になったらしいからな
内管領の長崎家の力がました

690 :日本@名無史さん:2018/01/18(木) 23:24:48.21 .net
BS歴史館で末期にはナンバー2の仕事をしなくなり、ナンバー1になった時に優れたナンバー2がいなかったから滅びたとか言われてたな

691 :日本@名無史さん:2018/01/19(金) 02:06:47.93 .net
>>688
経時も泰時と同様に撫民を掲げた名君なんだけどね
僅か二十三歳で亡くなったけど
経時が解決しきれなかった問題を時頼が引き継いだ

692 :日本@名無史さん:2018/01/20(土) 10:34:21.12 .net
北条氏は、経時以来短命なんだけどね
安達氏の近親婚が原因らしいけどね

693 :日本@名無史さん:2018/01/20(土) 23:01:08.44 .net
今日本史Bでやってるところだから混ざりたいけどレベルが違いすぎた高2

694 :日本@名無史さん:2018/01/20(土) 23:03:30.78 .net
>>693
Wikipediaで北条の歴代執権16人それぞれの項目を全部読めば、
基本的知識は十分かと存じ候

695 :日本@名無史さん:2018/01/20(土) 23:08:02.18 .net
北条宗家の当主をなぜ得宗というのかという考察なんかも面白いよね
かわいそうな時政www

696 :日本@名無史さん:2018/01/21(日) 12:26:14.36 .net
日本史では、元寇の時宗のところが大きく取り上げられて、
あとは後醍醐天皇の倒幕のところに話がとんでいくからな
元寇の戦費の負担で御家人が貧しいくなって、恩賞も与えない不満が
倒幕になったと書いてある
時宗が以降の鎌倉幕府のことはあまり取り上げられない

195 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
名前: E-mail (省略可) :

read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★