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歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ32

1 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 14:55:15.01 .net
皆様の熱い御要望にお応えして第10弾を開始いたします。みんな仲良くね。
本スレは閉鎖的な使用法は禁止とします。
どんな質問でも即答が返ってきます。
よっしゃこい
歴史学博士の俺様があらゆる質問に即答するスレ html化済み分
その1 http://academy2.2ch.net/history/kako/1049/10492/1049211873.html
その2 http://academy2.2ch.net/history/kako/1052/10522/1052236771.html
その3 http://academy2.2ch.net/history/kako/1053/10537/1053783706.html
歴史学博士の俺様があらゆる質問に即答するスレ
その1 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1049211873/l50
その2 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1052236771/l50
その3 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1053783706/l50
その4 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1054302336/l50
その5 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1055591123/l50
その6 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1061647300/l50
その7 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1063475997/l50
(歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ)
その8 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1064764029/
その9 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1067836556/
緊急避難所 日本史を「歴史学」的に語るスレ8
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1064420470/l50
停止の理由を教えてケロ@日本史板
http://qb2.2ch.net/test/read.cgi/sakud/1064487159/l50
削除人とは話し合いました。 詳しくはこちらのリンクをどうぞ。

前スレ
歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ30(実質31)
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1381405411/

2 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 16:26:32.58 .net
今回で12周年目か・・

3 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 21:15:45.63 .net
日本の律令制は、唐を模倣していると聞くけれど、
何で官職名は唐と違うんですか?
外交的に問題があるというか、
相手がどのくらい偉いのか伝わらないんじゃないですか?

4 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 22:09:38.90 .net
外交の時は当然向こうの表記を使うでしょう。
国内でも唐風の名称を雅称として使います。豊臣秀吉の太閤は関白の事です。
水戸黄門の黄門は中納言の事です。(正しくは黄門侍郎だけど省略して使う)

藤原仲麻呂が権力を握っていた時に正式に唐風に改称した時代も有ったけどのちに戻された。

5 :日本@名無史さん:2014/08/16(土) 23:52:12.49 .net
新スレ乙でおじゃる

歴代の歴史学博士らはいまごろサラリーマンか先生でもやってんのかな

6 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 11:09:08.18 .net
>>4
なぜ戻したのでしょうか?
実際に運用するにあたって問題があったのか、それとも単なるナショナリズムなんでしょうか?

7 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 11:20:48.64 .net
それが良いと思って推進していた藤原仲麻呂が失脚したから。

8 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 13:55:15.35 .net
江戸時代大名の官職はなんとかの守とか介とかが多いと思います。
大名だけで300諸侯、世子も任官するとその倍です。国の数は60程度しかないから相当のダブりがでます。

さらに旗本がだいたい5000家あったとありますが、旗本も全員じゃないでしょうが
大岡越前だの勝安房だのがいます。

とすると同時期に大名旗本合わせて、何十人もの越前守がいたのではと思われます。

ついては質問ですが、同じ官職がはちあわないような配慮が幕府にあったのか
あるいは逆に越前会とか山城会など、同職同士での交流会めいたものがあったのか、その辺どうでしょうか。

創作の話で恐縮ですが、小説、ドラマでかち合っているケースを見たことがない。
同じ官職の人に城内で会ったりするときまり悪いんじゃないかなーと。

9 :日本@名無史さん:2014/08/17(日) 17:05:46.91 .net
>>8
>国の数は60程度しかないから相当のダブりがでます。
官職は国司だけでは有りません。その他いろんな官職が有ります。
例えば遠山の金さんは左衛門少尉です。これは左衛門府の上から三番目の席次の
「判官(じょう)」に当たります。三番目だけど大尉と少尉の区別が有ります。

その他大勢の一般大名は諸大夫です。旗本もある程度偉くならないと官職無しです。
鬼平こと長谷川平蔵は無かったみたいだし。(老中の松平定信に嫌われたので出世出来なかった)

10 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 02:57:05.96 .net
>>8
大岡忠相は南町奉行になるまで能登守を名乗っていたけど、当時の中町奉行 (十数年だけそういうのがあった) が坪内能登守だったので越前守に改めた。
一方その越前守は福井藩主 (越前松平家) も使っていたはずなので、はちあわせする可能性がないような遠い立場の人同士でなら重複はありえた模様。

11 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 10:54:22.14 .net
>>9 >>10
ありがとうございます。
大岡越前が大岡能登だったのは初めて知りました。
改めたということはやはり紛らわしいということなんですね。

時代劇とか小説の話でどこまで真実か不明ですが、将軍が相手を呼ぶとき、
佐渡とか越中とか官命で呼ぶことが多いようなので、はちあうと困ると思ったんです。
クラスに同じ名字の人がいるみたいな話ですが。 

守介以外も多いというのは確かにそうですね。
忠臣蔵の主要な人物では内匠頭、左京亮、右京太夫、上総介、淡路守とか思い出されますが
介守以外も結構いました。

12 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 21:06:57.97 .net
「武家」という概念が成立・定着するのはどの時期でしょうか?
たとえば同時代史料らしい『将門記』を読んだ感触だと、
承平・天慶のころは兵という表現はあっても、武家という認識じゃなさそうです。

保元・平治のころは完全に武家だとして、
定着期は前九年とかの頃でしょうか。

また成立へのプロセスでい一番重要なことは何でしょうか。
ご教授いただけるとさいわです。

13 :日本@名無史さん:2014/08/18(月) 22:21:57.45 ID:fCJa1euV0
 ( ⌒)                  { ⌒)
  て人 .  -―- ..      . --. ..  /^〜'′  
    /: ハ : :ヽ: : :ヽ  / r 二ミ`ヽ       
    .′: :ト∧:.i: :i: :ヽ i  ′! l<`^^'ヽハ   
    l: : :癶{\ト、:匕iト| } :|:!\  ノ |: !  
    |: :f'|:..l○   ○{: | ノ :(|: |○  ○{: {     ☆ 日本の核武装は絶対に必須です ☆
    |/ トl! {.  3  ノ:リ'イィ:! :{.   3 ノ从  総務省の『憲法改正国民投票法』のURLです。
    }ハ>弋l>┬<}/  ′厶{ィ` i爪}/http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/index.html
     {  i |「`´ヽ, }.  /´  バ`´}ヽ\
     '.  lハ ノヽ |  /  ィ/  ヽノ  i ヽ
     ∧. {__乂_.ノ {. /  / `廴__夫__ノヽ '.

14 :日本@名無史さん:2014/08/20(水) 17:32:30.41 .net
>>8
通常名字+官職で呼ぶので
頻繁に鉢合わせる場合を除けば、それほど気にしなかったようだけど
名字と官職が両方かぶらないようには注意してたみたい

松平家なんて、かぶりチェックも大変だったろうね

15 :日本@名無史さん:2014/08/21(木) 16:44:45.03 .net
今はもう、単に有力農民が自営やら他の私有地侵略の為武装して在地領主になって
それが発展して武士になったって説明は否定されているのでしょうか?律令制国家において
軍事警察部門を独占的に継承していった職能民が武家となったとされているようだけど、その兵の家としての
職の少数の家における独占っていつぐらいにどのように始まったかはわかっていないんですか

16 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 11:07:44.24 .net
>>15
有力農民の武装化で武士化したのが土豪
楠木正成はそうだし、戦国大名の浅井氏やら前田氏、徳川だってそうだろう
中央での役職にありつけず、受領クラスで地方へ下った源氏などが土着し
土豪たちに担がれて武士の棟梁化した
武家のトップこそ室町時代頃までは皇族や摂家、源氏といった貴人に占められていたけど
そもそも武士と農民が未分離だったし、安土桃山時代頃までは
農民から武士への転身も可能だった

17 :日本@名無史さん:2014/08/27(水) 22:31:48.05 .net
>>16
その有力農民に至る過程はどのようなものだったのですか?

18 :日本@名無史さん:2014/08/28(木) 18:00:24.30 .net
最近磯田までが報道2001とか専門外に出演し、ノウガキをたれるようになったな。
学者のレベル凋落。三流大のタレント学者は不要。

19 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 13:29:24.29 .net
鎌倉幕府の源氏滅亡までの流れがよくわからん
頼家と頼家の長男一幡が北条に殺され三男栄実も謀反で殺され
実朝が頼家の息子公暁に殺されもう一人の息子禅暁も
実朝暗殺に関わったとして処刑されて滅亡ってことらしいが
そもそも公暁と禅暁と栄実は罪人の息子でもないのになんで出家させられたのか。
さらに実朝の存命中に四代目将軍を源氏以外から出すことが内定してたようだが
公暁と禅暁、他にも頼朝の弟と政子の妹との間に生まれた阿野時元など
源氏の血を引く候補はいくらでもいたのにそれらを無視した事に対して
御家人は何も反発しなかったのか。
政子は自分の子孫が次々に殺され何のゆかりもない
藤原頼経が四代目になることに何も反発しなかったのか・・・などです。
よろしくおねがいします。

20 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 13:41:19.46 .net
>>19
室町幕府や江戸幕府を知っているから、征夷大将軍は世襲が当然だと思っているけれども、
当時は征夷大将軍は世襲だと決まっていなかったと考えたほうがいい
もともと大伴氏や坂上氏が任じられていたもので源頼朝ー頼家まで世襲は一度もなかった
源頼朝は都の貴人であるから関東武士を率いることができたが
源氏よりももっと血筋の良い摂家や皇族が来てくれるならそのほうがもっと良い
頼朝の強い希望により頼家が征夷大将軍を相続したが
若年の頼家は政治を混乱させ外戚である北条氏にも反発した
その頼家の子を将軍にという選択肢はなかった

21 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 13:51:15.93 .net
>>20
うーん確かに将軍という職に限ればそうだけど、
歴代の権力者(天皇、蘇我、藤原、平家、北条)はみんな世襲だからなあ・・・
将軍だけ別ってのは違和感が。いずれにせよ回答どうもです。

22 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 14:18:56.63 .net
>>20
なるほど

頼朝に子孫に受け継いでいく発想がなかったか、
大きな集団の中で育てられていないから、ノウハウが身に付かなかった。

一人で切り離されて成長するとそんなものか、秀吉も失敗している。
古くからの家臣集団がいた家康は成功。

23 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 18:46:56.35 .net
関裕二さんが先代旧事本紀を引用し物部氏について書いていました
先代旧事本紀はまるっきり捏造の神話、歴史というわけではないのでしょうか?
私は神話に関して興味を持っています。
先代旧事本紀の神話をまるっきり信じ込むのはダメにしても
一度、読むぐらいの価値はあるでしょうか?

24 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 18:53:12.10 .net
天皇は朝鮮DNAを引き継いでますか????

http://www.youtube.com/watch?v=sCZ8xsk8YJI

25 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 18:56:49.77 .net
19
昔の京都は絡内に篭って洛外は浮浪者だらけ

26 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 18:57:39.39 .net
いや逆に朝鮮DNAを引き継いでない日本人のほうがごく稀だろう
ネトウヨは怒るだろうけど

27 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 18:59:42.50 .net
>>19
>そもそも公暁と禅暁と栄実は罪人の息子でもないのになんで出家させられたのか。
比企の乱で北条と敵対した頼家の血統は、北条にとって邪魔だから。

>他にも頼朝の弟と政子の妹との間に生まれた阿野時元など
>源氏の血を引く候補はいくらでもいたのに
頼朝の血筋を特別扱いして、弟たちの血筋とは差をつけるのが頼朝の方針だった。
その為に河内源氏の家格を上げ、本当は違うのに自分の血筋を河内源氏の嫡流と
宣伝した。しかし北条が全てオジャンにして、将軍に代わる権力者として君臨した。
実権は北条が握ってるから将軍なんて只の飾りは誰が成っても関係無い。

阿野時元は将軍の座を狙って挙兵するも執権北条義時に叩き潰された。
北条の邪魔をする者は許されない。

28 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 19:00:01.50 .net
在日の妄想は聞き飽きた

29 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 19:05:08.93 .net
もう左翼(在日)でいいな

30 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 20:16:13.86 .net
>>27
回答どうもです。
前将軍の息子三人を出家させられるほど
当時の北条に力があったということですね。

31 :日本@名無史さん:2014/08/29(金) 20:23:57.25 .net
>頼朝に子孫に受け継いでいく発想がなかった
おいおい…
>政子は自分の子孫が次々に殺され何のゆかりもない藤原頼経が四代目になることに何も反発しなかったのか
それ全部主導したのは政子だけど?
吾妻鏡は裏を読むものだよ、北条得宗家が政治的に失点したとき、常に表に出てきて北条得宗家の責任を回避させたのは政子

32 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 05:57:18.52 .net
>>24,25
むしろ現代の半島人が当時の朝鮮人のDNAを引き継いでいないという話も。

33 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 09:31:31.89 .net
九州南部に多く、縄文人と関連付けられたりするHTLVキャリアが対馬に大量にいる理由として、
今の対馬人の祖先は、五島列島からの移民が多いからだと聞いたのですが、
これは史料から確認されることですか?

34 :日本@名無史さん:2014/08/30(土) 12:47:17.48 .net
朝鮮民族と言っても、北と南じゃ形質が違う。

35 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 00:38:12.19 .net
トンスラーの血は劣った血

36 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 00:41:16.14 .net
世界でも最も劣った遺伝子の朝鮮民族

37 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 05:13:20.96 .net
家康は何故、松平性を名乗らなかったのですか?

38 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 09:41:44.74 .net
>>37
新田義貞の子孫で源氏の末裔だよと自分の家に箔をつけたかったから


よっしゃこい

39 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 10:36:13.92 .net
鎌倉期や室町期の土豪の成り立ちについて教えてください。

40 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 12:22:05.84 .net
藤原も蘇我も物部もみな朝鮮渡来系ですよね?
公卿も秦氏族系も勿論渡来系だし、東漢氏もそうだし、みな朝鮮渡来系ですよね?

41 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 13:02:17.90 .net
>>40
これが渡来系
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/03/03.htm

42 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 13:21:11.62 .net
>>38
あ、久しぶりによっしゃこいおじさんだ

43 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 13:31:30.38 .net
土豪の定義自体が難しいよな

44 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 18:01:04.71 .net
http://www.youtube.com/watch?v=sCZ8xsk8YJI

45 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 20:35:59.62 .net
「よっしゃこい」もいいけど、
詳細に教えてくれませんか?
家康の親は願人坊主(エタ・ヒニン)の子と言う説も多くありますが???

46 :日本@名無史さん:2014/08/31(日) 20:39:19.48 .net
松平と徳川がようわからん。
願人坊主に聞くしかない。
歴史は勝てば官軍、家康の出自を知る○×神社の者が家康に皆殺しにあったと言う歴史書もある

47 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 00:58:05.39 .net
大体、白山振興を強く保護してたりや真宗であることからも一目瞭然だろ
真の武家階層に真宗はいないだろ当時

48 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 02:36:51.14 .net
質問者はいつぞやの自演大好きキチっぽいな

49 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 10:34:08.87 .net
○○ですが、○○ですよね?と質問を自分で勝手に結論付けて同意を求めていく自演くんお馴染みのスタイルですか

50 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 19:44:39.64 .net
>>49>>49
は退場です。意見があれば「論」を展開してください

51 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 19:50:45.77 .net
下賀茂神社????。家康が出自を隠すために、知りえるを殺戮したのは。

52 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 19:53:36.79 .net
質問です

何故、戦艦大和は敵国の空軍の有利な雲空で出撃したのでしょうか?

53 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 20:05:43.83 .net
「晴天なれど波高し」
秋山中佐?の言ですが、普通晴天の時に海軍は出撃します。
「波高し」は「砲撃の狙いが定まらない」ということです。
破れかぶれの、戦法が戦艦ヤマトです。
時の政府から言えば、一憶総玉砕の象徴でした。

一憶総玉砕におびえた連合国(米軍の野戦撤退は、ベトナム戦争が物語ってます)
だから、日本領土に原爆も落されたかは知りませんが・・・・

>>51さん  勝てば官軍ですのでヨロシク

54 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 20:07:20.16 .net
自演がはじまりましたw

55 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 20:13:48.35 .net
>>53さん有難うございます

「勝てば官軍」の歴史に「モノ申す」が歴史学者の使命だと思います。
日本は敗戦したから、ヤマトの不手際が取り出されるのでしょう(乗り組み員3,000人が無駄死に?)
暗記科目なら学者は不要です。「記紀」が天皇万歳の創作まではわかります。
北朝鮮の「金一族の神格化」に記紀は似てます。
歴史の裏事情を自論で展開していただければ幸いです

56 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 20:15:09.51 .net
○×神社=下賀茂神社でしょ

57 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 20:17:01.56 .net
>>54
歴史板には「自演」はなじません。
論には論でしょ
さて、
>>54の論は??????

58 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 20:19:55.69 .net
>>57君もバツです。質問するか、回答するかのスレです

59 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 20:24:15.76 .net
>>55
記紀は創作とは言えない
考古学的な裏付けが多い
出雲の高層神殿柱跡とか最近見つかっている

60 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 20:28:38.09 .net
>>59
基地害にマジレス付けても無駄だよ

61 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 20:40:52.71 .net
秀吉も父方の親族皆殺しにしてなかったか?

62 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 20:49:47.98 .net
>>55
自論・持論も時には興味深いけれども、アナタのようなメジャーなものへの
妬み・嫉みからくるネガティブ妄想に相手する価値ないよ。
歴史は自然科学じゃないし、経済のような擬似科学でもない。
立証できない(経緯がわからない)ことは山ほどあるし、それを各自の解釈で補正するのは
やむをえないが、狭量な結論ありきで語られちゃ迷惑。

63 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 21:03:23.32 .net
>>62

>>60

64 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 21:11:58.42 .net
幕末の会津藩公用人 手代木直右衛門勝任って
近江屋事件以外で
どれだけの事件に関与してるの?

65 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 21:37:11.11 .net
>>63
了解

66 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 20:29:26.25 .net
木曽義仲の正妻の大姫って、今風の言葉でいうと、ヤンデレですか?

67 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 22:10:04.69 .net
基本的に、続日本書紀も、おかしな記紀を指摘した、結論は、学を捨て権力二」屈ぢtた
sute

時の勢力が日本書紀の、似非創作マンを創作ししました
考古がの多くのの学者が私的してます

68 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 22:14:20.34 .net
何この日本語すら書けない無能?

69 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 22:19:50.05 .net
自動翻訳か?

70 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 22:23:37.54 .net
だから、、、、、考古学にナゾ多いのnodsu
家康が清和源氏と言う例支障は皆無背す。
言ったもの勝ち
」・。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。」

71 :日本@名無史さん:2014/09/03(水) 02:27:15.30 .net
断片的だけど単語は昨日の自演さんの書き込みと一致しているから自演さんが荒らしてるんだろう

72 :日本@名無史さん:2014/09/03(水) 15:59:05.41 .net
>>62
メジャーなものだけなら、書物や、ネットで調べられます・
このスレの意味が良くわかってない

73 :日本@名無史さん:2014/09/03(水) 18:26:59.98 .net
このスレが、自演して自説を述べるためのものでないことは確か

74 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 04:25:22.64 .net
納得、でも為になることもある

75 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 20:21:54.64 .net
くだらん妄想を吹き込まれたところで百害あって一利なし

76 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 06:12:00.17 .net
くだらん妄想と思えば指摘すればよいだけ。
論には論、説には説で・・・・
例えば、
邪馬台国が畿内説か九州等々の説は、論戦の連続です。妄想否仮定も多いです。

77 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 06:22:03.79 .net
根拠・・思考・・結論は学者により違う説となることも多々あります
単に、妄想と決めつけるのはいかがなものでしょう。
多くの学者が指示するものが教科書に載りますが、これも時代とともに変更される場合もあります。

78 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 12:37:19.02 .net
>>76
ここは質問スレだという前提を理解できないのか?

邪馬台国関係スレは邪馬台国について意見を述べあうスレだ
その本義に反しさえしなけれはどんな意見を書き込んでもOKだろう
しかし思い付きや論拠のおかしなものは当然検証という名の攻撃を受けるし
自演で自説を有利にみせようとする行為を行うものは侮蔑の対象になる
実際、各スレともそうした流れだ
質問スレにおける妄想書き込みとは全く異なる

79 :日本@名無史さん:2014/09/05(金) 12:42:33.02 .net
>>77
ここは質問スレであって議論を行うスレではない
質問に対しては現在の学界で通説になっている学説で回答するのが常識人
質問者もそうした回答を求めている
どの学者も主張していないような個人的意見を回答するのはスレの本義に反する行為だ
自分の意見を表明したいのであれば自分でスレをたててそこで好きなだけ主張すればいい

80 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 03:01:30.90 .net
>>77

たぶん何らかの、書物を基に回答してる方もと思います、
三流大學や高程度の書回答なら百点?を求めるなら質問者はこのスレ馬鹿にしてます、

81 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 03:14:13.35 .net
ウザイ方が多いので書き変えます
 何らかの書物を基に回答してる方が多い。。。その書物を批判するならカキコミ者で無く著者へ
 
学について行けない方や、思いこみの激しい方が他人の意見を揶揄する必用があるのであれば、
勉強して欲しいし、それ成りの反論を書き込めば飯田へです。
クダラン回答は、自然淘汰されますから目くじら立てずに関連書物を紹介するぐらい良いと思いますが・・・・

82 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 03:18:10.61 .net
>>77
学説なら、このスレいらないと思うけど・・・
誰を相手に、質問に答えてますか????????

83 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 03:35:11.74 .net
>>79
予備校の試験対策の教師になればいい

84 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 03:43:32.10 .net
>>80-82
まず、まともな日本語を書けるようになってから出直してこい

85 :日本@名無史さん:2014/09/06(土) 16:45:16.49 .net
どうでもいいじゃん!
学者気取りの方が単純な質問に答えるスレで!

86 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 01:37:14.96 .net
歴史に詳しいつもりの爺が自分の質問に妄想で答えるスレだな

87 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:00:11.21 .net
すごく基本的な疑問でお恥ずかしいのですが、質問です∩(´・ω・`)

武士は二本差ししてますが、なぜ? 二刀流でもなければ、普通は1本ですよね?
だったら1本でいいよな……。

88 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:09:29.34 .net
脇差はもともとは予備の武器
大小2本差しスタイルは江戸幕府が決めた

89 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 02:15:05.67 .net
>>88
ありがとうございます。

幕府が決めたというと、武家諸法度か何かなんでしょうか?

90 :日本@名無史さん:2014/09/07(日) 18:49:33.55 .net
>>89の馬鹿に
>>89が猛省を促す、ひっかけ?

91 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 03:17:03.00 .net
>>90
いや、わかんないんで質問したのですが……(´・ω・`)

92 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 18:28:48.82 .net
>>88
早くソース出せよ

93 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 19:46:16.98 .net
歴史を追求して学ぶ意義は何なのか全く理解出来ない
何百年もの前の事象を何でこうだと言切るのか
妄想も甚だしい
妄想でしかない事を義務教育化して無垢な子供達に無理矢理押し付ける
歴史書に書かれている事が絶対に正しいのか
現在の新聞ですら正しい事などあまり書かれていないのになぜ昔の資料を信用するのか
歴史学者になるならジャーナリストになる方が一万倍まし
ジャーナリストになり真実を暴きそれを歴史として直接自分の言葉で子供達に教え後世に残した方がよっぽど有意義

94 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 22:02:11.29 .net
竹中半兵衛はなぜ今孔明と言われたのですか?
立場的にも能力的にも石田三成の方が孔明に近いような気がします。
竹中半兵衛は蜀漢の中から選ぶなら法正が近いように思います。

95 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 22:40:13.55 .net
正史を読めばそうだけど、中国でも既に孔明は名軍師の代名詞に成っていたので
そこにケチをつけてもしょうがない。

96 :日本@名無史さん:2014/09/08(月) 23:00:53.99 .net
>>94
田中角栄はなぜ今太閤と言われたのですか?
というのもある

97 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 18:18:30.90 .net
セイノー運輸の創始者の田口利八(馬喰の利八)もしかり、
貧乏人から一代をなしたからじゃないかな

昭和天皇実録成るものが完成しましたが、、、随分埋もれる(切り捨てられる)歴史もあるでしょう

98 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 18:22:34.87 .net
橋本大阪市長も総理大臣になれば、今太閤と言われるでしょう。
生まれが賎民の子孫は、孫末代までいわれなき差別を受けるのでしょうか?

99 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 18:25:10.84 .net
いわれがない、から差別なんだよな
差別してて楽しい、優越感を感じる、という面が人間にあるかぎり
何らかの形の差別はなくならんだろ

100 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 21:23:30.76 .net
良しとはできないけどネ!

101 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 22:48:07.41 .net
まあ、「賎民から出世した」というと「差別意識から来る・・・・」みたいになるけど、
「今太閤と呼ばれた人はみんな賎民出身だろ」とか
「今太閤とか呼ぶ人はその人のことウラでは差別してんだよ」
とかならないようにたのむよ

102 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 23:39:07.24 .net
まとめると>>98が差別主義者という事で良いのかな。
今時総理大臣を太閤に例えるとか、笑っちゃうけどな。
そんなに偉くないだろ。

103 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 00:37:31.43 .net
角栄は元総理の時に影響力がありまくったから今太閤だったんじゃないのか
今なら森が地方政治家の息子じゃなかったら今太閤だろ

総理になれば今太閤ってのはおかしい

104 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 08:02:15.10 .net
>>103
角栄は秀吉と同様に農家の生まれで学がないのに
総理大臣にまでのし上がったからだろ

橋下は早大卒だしタレント弁護士からの政治家転身
秀吉とは違うわな

105 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 12:30:15.81 .net
文献が後の世をイタズラでまどわすためや事実を隠蔽するためウソの可能性もある

106 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 16:20:20.16 .net
だからよお、農家でも豪農や庄屋層は地侍や土豪て言う在地の領主階層やゆーとるやろ屑が。
小作農民とは歴然と差があんだよ低学歴が。

武士でも江戸大名と江戸下層武士足軽をひとくくりで話してるようなもんやろ知恵遅れが。

107 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 16:27:58.14 .net
>>106
江戸下層武士足軽ってなんだ?
とんでもない知恵おくれだな

だいたい昭和の政治家を戦国大名に例えてる時点で
全く合致する例があるわけないだろうが
太閤と総理大臣なんて全然違う

108 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 19:51:37.69 .net
>>104
橋下どうこうじゃなくて現総理になったら太閤ってのがおかしいだろ
影響力のある元総理こそ太閤と呼ばれるべき
メドベージェフ大統領の頃のプーチンみたいなのが太閤

成り上がりで現総理になろうがそれはただの今一上

109 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 20:27:30.96 .net
>>108
そんな自分基準で細かくわけてもしゃあないだろう
松下幸之助はじめ経済人だって今太閤いわれてたんだから

110 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 20:35:28.73 .net
>>109
松下会長は元社長だろ

111 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 20:39:23.59 .net
室町時代の所領ってどうなっているんですか?コロコロ変わっていますけど混乱とかなかったのかな?

112 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 20:50:57.26 .net
秀吉は移動農民(農奴とまでは言いませんが、雇われ農民の家系)です。
名古屋に行けばわかりますが、秀吉生誕の地、豊国神社(名古屋市中村区)も明治18年竣工とか、
彼の一族が所有してた田畑は歴史上何も残ってません。
秀吉が、自分の過去を葬り去ったか?秀吉に縁もゆかりも無いか一時住んだ地でしょう。

113 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 21:02:29.99 .net
スイマセン質問です

魏志倭人伝が、
日本で解読?
日本人に、こんな書物がある?
、伝わったのはいつごろでしょうか?

114 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 21:32:14.32 .net
しかとは判らんが日本書紀を編纂した人達は卑弥呼の記事を知っていたと考えられている。

115 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 21:33:24.51 .net
>>111
コロコロとは変わってないし、コロコロと言うなら江戸時代だってコロコロ変わっている。

116 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 21:45:37.62 .net
>>111
>>115

目くじら立てるほどじゃない、時の中央や、
中央が服従する地方の権力者が決めただけ

117 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 21:51:37.32 .net
朝廷も凋落してたから、時の権力者にメクラ印
清和源氏もメクラ印・・・
室町期、江戸期・・・有名な天皇の名すら浮かばないよ・・・
生まれ変われるなら、室町期や江戸時代の天皇になりたいよ・・・

118 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 21:57:38.00 .net
>>114
さすれば、記紀神話で実在天皇の分岐点は?
ウソを編纂させた人物の正体は????????

119 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 21:59:53.09 .net
勝てば官軍でよろしい。
昭和天皇実録???葬り去られる歴史も多いでしょう。

120 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 22:04:41.34 .net
>>119です
勝てば官軍・・・・・未来を変えるのでなく過去をも変えるのです。
天皇に個人として戦争責任は無い、しかし会社だと役職員の不始末で、社長の首は飛びます。

121 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 22:49:30.66 .net
>>120
でも会長は居残るよね

122 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 22:53:11.55 .net
すみません質問します。
戦国期の飛び加藤はなぜ信玄、謙信に疎まれたのでしょう?

信玄は兎も角、越後は知将が少ないので貴重だと思うのですが。

123 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 23:02:02.04 .net
>>122
結果どうなりましたか?加藤は滅びましたか?
戦略です。
別に、信玄、謙信に疎まれたのは無いのです。
彼と彼の上司の戦略です。
面白おかしく説明する方もいますが。

124 :日本@名無史さん:2014/09/10(水) 23:13:19.42 .net
自演警報発令中!

125 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 01:32:10.68 .net
戦国時代に、百姓が合戦に参加しそのまま武士に取立てられた例はたくさんありますか?

126 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 04:13:31.97 .net
近い過去〜現在の人間で有力政治家、功績のあった文化人の他に
将来歴史教科書に掲載されるような人物像というと、どんな人物が
考えられますか?
具体的には小泉、安倍クラスの政治家、中山教授や宮崎駿クラスの文化人の
他は一体どんな感じになると思いますか?
↑小泉、安倍、中山、宮崎が歴史教科書に掲載されるかどうかは不明です
 あくまでも参考として挙げました

127 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 06:29:35.63 .net
内閣総理大臣は全部載るだろう。
少なくとも資料集には。


歴史というより、教育ないし出版に関する質問じゃないんでしょうか?

128 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 09:22:02.06 .net
天皇家ってどっからきたの?
邪馬台国とは関係あるの?
奈良掘り起こしたら空白期間がわかるの?
サヨではないが、皇紀2600年をほざくやつが死ぬほど嫌いなんだ。

129 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 10:32:12.17 .net
>>125
そもそも、戦国時代には、兵士は農民であり、農民は兵士の供給源だぞ

130 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 13:32:13.26 .net
>>127
資料集には歴代天皇、歴代内閣総理大臣全部載るでしょうが、
歴史教科書の本文に載る人物はどうでしょうか?

131 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 13:34:02.78 .net
>>130
今の教科書の本文読んでみろ
網羅的に載ってるから

132 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 14:38:52.18 .net
>>125
農民が足軽として徴用されて、
能力が認められれば秀吉のように武士身分に取り立てられた人もいるんじゃないのかな。

133 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 20:46:58.39 .net
農民でなくても、流れ者でも、あらゆる職業も戦力として徴用されました。
今川も織田に負けましたが、兵力のほとんどが武士もどき

134 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 20:51:19.89 .net
今川が京に上る過程で、勝てば官軍、どんどん戦知らずの兵が増えていきます。
信長が精鋭部隊で虚をついたのは、それを承知だったのでは?

135 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 21:36:04.38 .net
>>134
戦知らずの兵の装備が官給品で規格の揃った装備だったから
古参の熟練兵が周囲を固めているところに大将がいることがまるわかりだった

136 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 21:52:11.49 .net
>>135さん
なるほど。

137 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 16:56:09.67 .net
桶狭間の頃はその他大勢兵士に官給品なんて
配るようなことはあんまりなかったんじゃないか。
道三ですら信長の官給品直属兵士を見て
驚いているぐらいだから。

なのでどっちかというと官給品できっちり
揃えられた兵士たちの集まりが、本隊、って感じ
だったろう。

あと、そこまで見えるぐらいの距離にいるのなら
幕をはったりしてあるいかにも大将がいるっぽい
ところは誰にでもわかる。
緩緩と能を舞うところが織田軍から見えたぐらいだしね。

138 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 20:09:50.88 .net
回答が遅れてすいません
「二本差し」について

論1
  長刀は、1対1では役に立ちますが、複数では無理・・・長刀だけでは幾人も切れないし折れる
論2
  切られて死ぬ間際に、やられてないと言う切腹用
論3近戦(狭い所、もみ合った所)では小刀が良い
論4、現実的には重いだけで、安泰の世では戦知らずの武士の象徴

自論では戦闘で二刀流以外小刀は必要ない刀と思います。(小柄、目抜きは必用と思います)

139 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 23:16:06.37 .net
戦闘って言うても色々な状況があるからねぇ

140 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 23:19:27.24 .net
坂本龍馬が襲われた近江屋の屋根裏では、長刀を
ふるいにくいから、刺客が小刀を使ったという説もある

よっしゃこい

141 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 01:48:26.03 .net
>>131
網羅的って言っても、全員が全員載るわけじゃなし

142 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 02:43:39.86 .net
「教科書に載りますか」バカは相手にするな

143 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 06:37:24.06 .net
>>138
論3に賛同

144 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 10:24:25.21 .net
おおたぶみは、大田文?太田文?どっちなんでしょうか?
あと武州は何と読むのでしょうか?

145 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 11:08:48.95 .net
二本差しが怖くて 田楽が食えるけぇ! 気の利いた鰻なら 三本も四本も差してらぁ!

146 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 12:56:43.39 .net
>>142
お前が馬鹿にされる

147 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 14:58:39.02 .net
>>144
>あと武州は何と読むのでしょうか?
「ぶしゅう」

148 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 15:04:32.04 .net
>>147
JRの総武線(そうぶせん)は総州(そうしゅう)と武州(ぶしゅう)を結ぶから総武線。

149 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 20:21:11.94 .net
>>148
総州は、上総? 下総?

150 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 23:08:50.91 .net
上野・下野が上州・野州なので上総・下総が総州・下州かと思ったらそうでもなくて
区別しないで総州と呼ぶらしい。

151 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 01:10:58.36 .net
>>150
滋賀県に野州市がありますが・・・関係ありますか?

152 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 16:44:18.43 .net
ニューポート大学博士・八巻正治教育学博士の輝かしい実績

http://hrr.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10634/5876/1/HirogakuDaigakuinShakaiFukushi_3_57.pdf
弘前学院大学大学院社会福祉学研究科社会福祉学研究第3号(2008)

第1部研究論文
(中略)
八巻正治弘前学院大学大学院社会福祉学研究科教授・教育学博士(障害者福祉論〉
(攻略)

注・八巻正治氏への教育学博士号はニューポート大学より授与されたものである。
2000年03月27日  『米ニューポート大学』より 『教育学博士(Ed.D.)』の学位を取得

非認定校による 修士号・博士号 取得者一覧
http://ameblo.jp/shikakudou/entry-10066172138.html
「日本の大学だって、海外ならば非認定校だ。ディプロマミルと同列視されるのは、とても不愉快だ」
(弘前学院大学・八巻正治教授)八巻正治教育学博士のコメント、最高です。

153 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 18:40:16.19 .net
>>64
>>66
分かる人不在かい?

154 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 19:22:00.44 .net
木曾義仲の正妻は大姫ではないのは分かる。

155 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 07:10:09.18 ID:kqcn5Ku7c
無駄のない完璧な方策を講じる徳川家康

http://music.geocities.jp/jphope21/0203/39/266_1.html

家康の「シミュレーション」に戦術の特徴がみえた。

( http://music.geocities.jp/jphope21/0104/42/278.html )

156 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 09:52:52.40 .net
王朝と国家の関係についてどなたか詳しい方お願いします
古代中国などは殷王朝、周王朝など王朝が変わるごとに国が変わっていました
日本は古代より皇室が存在し続けることによって国家の断絶がなかったと
言われています
大変不謹慎ですが、もし将来皇位継承者がいなくなって皇室が自然消滅した場合、
または国民合意の上で皇室が発展的解消された場合、さらにはテロやクーデターによって
強権的に皇室が廃止された場合、日本はその時点で一度終わり、新しい国の歴史が
始まるということでしょうか?
それとも日本は日本のまま変わらずに続いていくことになるのでしょうか?

157 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 15:25:38.08 .net
>>156
日本は日本だよ
イギリスやフランス、ドイツだって王朝交代があっても
途中で王政がなくなって共和制になっても国号は変わっていない

中国は王朝によって支配層や国土がバラバラ

158 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 18:23:18.60 .net
>>156
イングランドなんてノルマン人に征服されてもイングランドである事には変わりないです。

159 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 22:04:51.12 .net
>>156
当然別の国、日本という国号をそのまま使うことは可能だが。

160 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 23:43:32.18 .net
魏志倭人伝では、倭国の人は刺青を入れてたと載ってますが、
日本文化(邪馬台国畿内説)から、考えるに天皇(倭人)が刺青を入れなく成ったのはいつ頃からですか?
アイヌには残ってましたが???天皇は渡来人????

161 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 00:24:00.22 .net
やっぱ渡来系だからですよね158の事実って?

162 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 00:28:22.33 .net
まーた自演大好きガイキチさんが現れたぞ

163 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 08:53:35.79 .net
当時、河南地方の人たちは刺青してたらしいし、
そこから日本へ来たということも考えられるらしい。

164 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 09:20:59.18 .net
1548〜9年で常陸小田氏を中心に関東、近畿・東北・全国で
高名な(歴史ゲーム的に高性能とも言う)在野の者、
または浪人は
誰がおられますでしょうか?

子供な年齢でも青田買いのつもりでいますのでお願いします。

このころの明智光秀(21?)って城持ち若殿ですから引き抜きは無理っぽいし…

165 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 14:59:38.75 .net
網野善彦の著作の中で、「職人的」武士団と述べていますが、
それはどういう成り立ちのものなのですか?

166 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 19:19:43.94 .net
>>162
答えに成って無い

167 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 19:23:28.41 .net
魏志倭人伝では、倭国の人は刺青を入れてたと載ってますが、
日本文化(邪馬台国畿内説)から、考えるに天皇(倭人)が刺青を入れなく成ったのはいつ頃からですか?
アイヌには残ってましたが???天皇は渡来人????

168 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 19:24:33.97 .net
戦国大名の名前に仁や礼がないのは何故なんでしょうね
義・智・信や忠孝はあるのに

169 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 20:54:37.74 .net
>>167
魏志倭人伝の習俗紹介は2つの記事の繋ぎあわせなので内容がダブってる。
その前半は狗奴国の説明であって倭国全体の説明でない。
後半が本来の習俗紹介記事。
前半は狗奴国の説明だったのが錯簡で現在のような形に。
以上は早稲田大学の水野祐の説。
この説からいうと刺青の話は狗奴国の話であって倭国全体の話ではない。
狗奴国が九州の西か南だとすると五島列島の海人や鹿児島県下の隼人が
刺青していた記紀の話と合致する。

170 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 22:47:24.04 .net
>>168
いい質問だね。
日本には名前を一文字受け継ぐ慣習があるから
どちらも天皇家に遠慮したのかもしれない。
「仁」は清和天皇以来ほとんどに使われるし
「礼」は神武天皇に使われる。
まぁ、マイナーな人には使われたかもしれないけどね。

171 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 22:56:17.21 .net
偉そうに「良い質問だね」なんて言ってるわりには「〜かもしれない」で返す博士w

172 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 00:58:07.55 .net
>>157->>159
ありがとうございました
日本が続くって意見と国号は同じでも違う国になるって意見が両方ありますね
それだけ王朝(日本の場合皇室)と国家の関係は複雑かつ微妙なもんなんでしょうね
どなたか詳しい方、もう少し王朝と国家の関係を語ってもらえないでしょうか?

173 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 02:10:51.43 .net
その質問内容なら日本史板ではなく世界史板

174 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 07:20:48.75 .net
今、スコットランドが独立するのか否かが話題になっていますが、
もし、明治維新の後、京都から東京へ遷都されなかったとしたら、
今の東日本ではスコットランドのように独立問題がくすぶり、
もしかすると、独立していたかもしれませんね?

175 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 07:28:16.69 .net
別に遷都はしていないぞ
元から江戸が首都だったんだが?
商業路として京都が機能していたのは室町時代までだ

176 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 07:34:32.67 .net
>>170-171
足利尊氏のように偏諱は考えなかったんでしょうかね

177 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 07:35:25.54 .net
天皇が京都から東京にきたから勘違いしてるやつが多いみたいだな
京都は交通の要衝だから武士や町民などからしても抑えておく必要の
ある地だった話だがな
戦国時代のころは完全な分権がすすんでたから各地に小京都と呼ばれ
る地が出現していたんだが

178 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 07:39:49.94 .net
>>175
実質上ではなく、天皇が京都から東京へ居を移されたという意味。

179 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 07:39:54.93 .net
174
偏諱なあ
確かに武家の初期は京都にいって任官するのが
武家として認められるための条件みたいになっ
ていたな

180 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 07:43:10.52 .net
そう考えれば京武者と地方豪族を主体とした武家のイデオロギーの対立は理解
できるだろ、宗教関係くさいやつしか騒いでいないよ

181 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 13:12:31.48 .net
>>176
よくわからないけど、偏諱を考慮したから
天皇関連の字はつけなかったかも、ということね。

現行法でも、東京が首都、というという明文は
ないんだよね。
ちなみに、日本の国字が日本語、というのも
法的に明文化はされてない。

173の、元から江戸が首都、という趣旨がよくわからない。

182 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 13:29:08.05 .net
>>172
中国の場合は王朝というのが、民族の違い
にもなる。漢民族、蒙古、みたいに。
だから、王朝交代がイコール別の国になる。
日本の場合は、同じ民族間の王朝交代に
なるでしょう。
それと欧州の例えも出てたけど、各国の
王朝が元は親族同士だったり、これは複雑で一概には
言えなくなる。

つまり、王朝の意味とか実質内容、国の定義、とか
そういうのによって、いろんな関係がある、という
ことから始まるわけ。

日本では、という限定された質問だと
同一民族間での「王朝」交代劇があったとして
その王朝の定義と実質内容、例えば「日本という国号を
変更した」とかね、そういうのによって「違う国かどうか」
を判断することになるね。

日本史版だから、あくまで日本を語るけど
「その話だと世界の国では当てはまらない」と
言われてもそれはまた別の板で、ということになるけどね。

183 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 16:53:27.55 .net
>>175
将軍がいる場所が首都なのではないよ

それに、桃山時代以降、戦後すぐまで日本一の商業都市は大阪だった
東京ではなくてね

184 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 18:28:58.76 .net
「百済人が日本を支配していた」 「朝鮮から罪人を丸太で流し土着したのが今の日本」 信じる韓国人達
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1411004965/

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/09/13/2014091300869.html

185 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 18:54:42.27 .net
古代史有数の謎といわれる道鏡事件ですが、なぜ和気清麻呂は皇統に関する
重大事案なのに伊勢神宮ではなく宇佐八幡宮にご託宣を確認しに行ったのですか?

186 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 19:05:27.31 .net
>>174
明確に遷都すると捨てられた京の人達が怒るので天皇が引っ越しただけという事になっています。
京の人達はいつか天皇さんが帰って来ると思っています。東京が首都というのは「事実上、そうである」と
いう事であって法的には遷都はしてません。

そして江戸時代も事実上江戸が首都だったので、今更東日本が独立するとかあり得ません。
戊辰戦争の時に旧幕府軍が函館で独立を宣言しようとしてましたが、まぁ無理です。

>>172
たとえ天皇制が無くなっても日本民族の国としての日本には変わりないです。少子化対策で外国人を
受け入れて、民族的にも文化的にも混淆して行くとしたら、それは別の国かもしれません。

187 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 19:13:46.47 .net
>>185
八幡様の祭神は応神天皇なので皇室の祖先です。そして道鏡事件の時には宇佐八幡宮の方から
「道鏡を天皇にしろ」という神託が有ったと報告が有ったので、和気清麻呂が事実関係を調査しに行きました。
八幡様の神託をお伊勢さんに確認するのはおかしいでしょ?

188 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 19:55:14.05 .net
自演君きもちわる

189 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 21:48:26.11 .net
>>187
ありがとうございます
八幡宮の祭神の一人が応神天皇なのは知ってますが、いつも皇室の祖霊神といえば
伊勢神宮ばかりがクローズアップされ、皇室と宇佐八幡宮の関係てあまり強い印象が
ありませんが何故なのでしょうか?
また、道鏡を天皇にせよとの神託が宇佐八幡宮からあったと報告したのは誰で、
調査の結果それが嘘(間違い)とわかった後どうなったのでしょうか?

190 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 22:31:14.45 .net
ググることもできない低腦だらけ

191 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 22:55:24.91 .net
>>169さん
ありがとうございます。
記紀は神話が多分にありますね、歴史書とは思えないです。
記紀をタテに自論をのべる学者は、どう思ってるのでしょうか・・・学者でしょうか?

192 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 23:16:56.92 .net
>>191
古事記はともかく書紀の方は
一応史書という感じではあるねえ。
タテというか、史跡、発掘、出土品、そういうのを
背景に述べてるから、そのあたりはだいじょうぶでしょう。
関みたいなのはトンデモだけどね。

193 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 23:41:36.44 .net
>>181
違います
織田家なら方長とか仁長、もしくは方忠とか仁忠

そういうふうに一文字もらった状態になっていないのはなぜなのかということです

194 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 00:04:22.52 .net
天皇が偏諱を与えた事例がほとんどないのだが

195 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 03:35:41.55 .net
王政復古は、天皇の力じゃないのです。
東京に天皇の意思で来たわけでない。
政治は明治天皇が司だったのでは無い。
所詮、時の勢力の飼い犬

196 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 08:18:43.09 .net
僭称について質問があります
皇室から与えられた官位?ではなく勝手に官位を名乗っている例ってありますよね?
例 織田上総介信長 みたいな
あれの勝手度ってどれくらいなのですか?
というのはあんまり勝手に名乗った場合、逆に公の場で恥をかきそうじゃないですか?

197 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 08:27:27.31 .net
質問
魏志倭人伝の記述で??って点があります
@卑弥呼が死んだ時 奴隷が一緒に墓に埋められたとありますが
日本であまり聞かない風習ですよね?歴代天皇や有力者が死んだ時も、聞いた事
がない
A漁民や舟で支那にわたる時のまじない師が入れ墨をしているとあったが
入れ墨文化自体あまり日本では聞かない
前々から魏志倭人伝の記述ってどうなの??って思っていたのですが
そのへんってどう思います?

198 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 09:35:45.16 .net
1奴隷とは書かれていないが、『日本書紀』垂仁天皇紀に、倭彦命が薨去した際、殉葬をおこなったという記述がある
古代史好きならたいていの人が知っているはなし

2人物埴輪への施文から、古墳時代の近畿地方の兵士クラスが入れ墨をしていたことが指摘されている
現代の知識・感覚で過去の事象を判断することは
歴史を考えていく上で慎むべきやり方

199 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 10:21:36.72 .net
>>194
足利尊氏

200 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 10:22:27.21 .net
宗教学者の島田氏が「天皇とは何か」という本の中で
「天皇が神道の祭祀者の役割を得たのは明治以降。それ以前は神道の祭祀者ではなかった。」
という趣旨のことを書いてますが本当なんでしょうか?
天皇は古代より祭祀を司っているイメージなんですけどね。
「古代から祭祀を司っていたが、明治になってそれが皇室祭祀として明文化された」という
書き方だったらわかるんですけど、上のような書き方だったので驚きました。

201 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 10:38:47.63 .net
>>199
>>194は ほとんどない と言っていて 全くない とは言っていない
尊氏以外の例があるなら挙げて欲しい

202 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 10:45:44.41 .net
>>200
そもそも近代以前には神道なんてものはそれほど明確化されていなかった
平安から江戸末期まで皇室は仏教徒および仏教界の重要なパトロンで、
行っていた祭祀も今でいう神道的なものから
完全に仏教のものまでいろいろあった

203 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 10:53:46.00 .net
>>193、192
話が見えないけど、一文字つけた人が
出世したり、知識がなくて「偏諱」してしまうといけないから
つけなかったか、という意味だったんだけどね。

204 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 12:27:54.78 .net
>>199みたいな哀れなやつって、
必ずいるよね

205 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 12:39:39.58 .net
仏教でも祈願寺だとやっていることは神社そのままだったりしますね。

206 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 13:36:08.26 .net
>>198
ありがとう
その上で
魏志倭人伝の記載って信用できるかなぁ
っていうのは超先進国のシナが超後進国の倭に対する記述って
どうしてもいいかげんになりがちやと思うの
つまり魏志倭人伝から邪馬台国について考察するって結構リスキー
な気がしてて・・・

207 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 14:03:20.87 .net
>>202
ありがとうございます
神道的な祭祀、仏教的な祭祀を含め、五穀豊穣や国家安寧の祭祀を
古代から行ってきたのは歴史的事実ですよね
島田氏の言い方が極端だったと解釈しておきます

208 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 18:50:52.97 .net
>>206
シルクロード沿いとか、中国の周辺の国々に関して中国の史書の記述を元に考察してるのに
倭人伝だけ疑うの?

もちろん100%信じるのも間違いだけどさ。

209 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 21:43:10.55 .net
>>197
日本書紀によれば、垂仁天皇の頃、相撲の元祖としても有名な野見宿禰が、殉死をやめさせて
代わりに埴輪を埋葬させるように建言したとされる
もちろん考古学的には事実と認められていないが、日本書紀成立の頃の公式な見解としては
垂仁天皇より前には、殉死者を天皇と一緒に埋葬していた(ということになっていた)、と言える

210 :日本@名無史さん:2014/09/21(日) 06:20:10.81 .net
>>206
倭人伝の記述は、単に「記録」じゃなくて
将来的な仮想敵国、又は侵略可能な国
という意味での「調査」と考えると、そんな
簡単に「信用できる?」というように
片付けてしまうのはちと違う。
道程を詳しく書いてあるのもたぶん
そういった意味合いだろう。
196の内容をもっと吟味すべき。

211 :日本@名無史さん:2014/09/21(日) 06:27:09.67 .net
>>207
余分かもしれないけど、島田氏は
「祭祀」ではなく「神道」に力点を置いた
主張だろう。
島田氏の著作をもっと読み込んで、宗教学者としての
解釈をしないと。
200さんもそういう意味のレスじゃないのかな。

現代的解釈もいけないし、部分で全体を「拡大解釈」
して、わかったような気になるのもいけない。
回答する方はそれをわかってレスしてるのだけど
どうも、質問者が表面的又は自分流に解釈、理解、納得
してるパターンが多いような気がする。

これは意外と本職さんにも当てはまったりするかも
なんだけどね。

212 :日本@名無史さん:2014/09/21(日) 22:24:49.09 .net
>>189を宜しくお願いします

213 :日本@名無史さん:2014/09/21(日) 23:25:23.87 .net
伊勢神宮ばかりなのはマスコミが取り上げないだけの事です。

神託を報告したのは太宰師だった弓削浄人(道鏡の弟)と大宰主神だった中臣習宜阿曽麻呂の二人。
清麻呂の報告を受けた称徳天皇は怒って清麻呂を流罪にしたけど他の関係者は処罰されていない。
称徳天皇の死後に道鏡は下野に、弟の浄人と三人の子らが土佐に流された。阿曽麻呂は不明。

道鏡は流されたと言っても下野薬師寺の別当に左遷されたというもので、皇位を狙った大逆罪にしては軽すぎる。
奈良時代の下野薬師寺は東大寺や福岡の観世音寺と共に本朝三戒壇と呼ばれた重要なお寺です。

214 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 00:50:29.61 .net
>>213
ありがとうございます
神託の件の真相はわかりませんが、称徳天皇の処罰は随分偏ってたんですね

215 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 01:14:36.66 .net
応神天皇と宇佐八幡の関係は後付けに近いものがあるんじゃないかな。
もともと霊験あらたかな宇佐の神宮に対して朝廷が神託を求めていたというわけで
手向山や石清水への勧請を通して朝廷との結びつきが強かった。
それは応神天皇云々というよりも政治的な意味合い(もちろんこの政治的、というのはまつりごとという意味を多分に含む)が
強く、政治的な一機関として機能していたと考える。

それと平行して清和源氏の氏神となったことで武家政権との関係も同時に醸成されていく過程の中で
武家の神様として各地に勧請されていったという側面もある。

これが劇的に変化したのが明治維新だろうか。
幕末の孝明天皇による石清水八幡行幸など、尊攘派のプロデュースとは言え、
やはり朝廷と政治的な関係がそこまではあったが、明治維新で朝廷も幕府も消滅すると
それまでの八幡宮と朝廷、あるいは幕府との関係がリセットされたと言っていいのでは。

それに対して伊勢神宮は天皇を頂点とする国家神道の頂点に位置づけられたことでその地位が確立されていく。
そもそも江戸期にも御師の活躍で布教活動が展開されて一般市民にとっては馴染み深く、かつ崇高なものとされていた
伊勢の存在がそのベースとなっていたことも見逃せないのではないか。

216 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 08:38:02.54 .net
>>209
ありがとう またひとつ大好きな歴史の知識が深まりました

217 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 09:41:51.62 .net
>>209
重箱の隅をつつくような指摘で悪いのですが
殉死者を天皇(オオキミ)と一緒に埋葬という記録もないですよね
倭彦といういわくありげな名前の王族の記録があるだけ

どこかにあったら、どなたか教えて下さい

218 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 10:32:14.13 .net
ところで、内閣の氏神様は伊勢神宮とされていますが?
国会の氏神様は綿貫さんが神主をやっている氷川神社なのですか?
そもそもどんないきさつで氷川神社が国会の氏神様に
なったのですか?

219 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 10:49:28.78 .net
国会の氏神・・・?

220 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 11:00:51.27 .net
すいません、日本史板で質問さしてください
古代中国などでは何度も王朝の興亡があり、何度も国が滅んで新しい国が建てられてます
こういう時、支配層の皇帝や側近は処刑(自害)されているのでしょうが、国の実務を
取り仕切る官僚組織はそのまま温存されているのでしょうか?
それとも官僚組織も(大部分は)滅ぼされ、新しい役人が就任しているのでしょうか?
しかし、官僚組織まで滅ぼしていたら、それこそ国中が大混乱に陥ってどうしようもなくなりますよね

221 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 11:06:03.41 .net
なんで日本史なのかはわからんが
殷周易姓革命なら周の官僚が中央にスライドすればなんとかなるだろ
ちょっと考えれば想像できる話

222 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 11:48:08.12 .net
まず、当時の国家は領域支配がなされていない。
たくさんの都市、都市網を支配するのが国家というイメージ。
周王室が各都市の頂点にあり、周王の下に斉桓公や晋文公といった公爵の封国があり、
公爵の下に上卿ら侯爵の封地がある。
国(都市)が滅びるというのは、都市内にある祖廟と社稷を絶やすことだから
処刑されたかどうかは分からないが、地位を奪われ、士官しないかぎり流民となる。
都市支配の要は、都市で開かれる市に参加する人たちからの税の徴収や
都市の生活を満たしている周辺農民の庇護といったことだから、関係はドライ。
統治者が変わったとしても、さして困らなかったろうから、士官がうまくいったとは思えない。
ただ、封国が異なっても、周王室の大夫・士階級が他国でも抱えられるような事例が見られるから
身内を頼って外国へ出奔したり、案外コネで士官できていた可能性はある。

墨家が尚賢主義を唱えて以降、各国は有能な人物を抜擢する世風に変わっていったから
卿・大夫・士の普代家臣の専横がはびこった春秋末期と比べて戦国時代は各国の王権が安定しだす。
つまり、卿・大夫・士がどんどん弱っていった。
だから、都市が奪われたり、封地を没収されたり、はては国が滅んだりしても、都市の官僚組織の日常は
平常時とあまり変わらないつらいものだったのかもね。
ちなみに春秋末期に周と同じ姓の魯や衛といった小国は滅んでいくし、
斉は田氏に国を奪われたし、晋も上卿三氏に国をのっとられて韓魏趙に別れました。
燕秦楚呉越は異民族ですから、姫姓の国による秩序は完全に滅びましたね。
そして、かつての封国は周王室を無視してみな王を名乗りはじめます。

223 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 13:15:17.14 .net
禅譲した元皇帝は結構余生をまっとうしてるよ。

224 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 18:35:57.14 .net
>>222
>周王室が各都市の頂点にあり、周王の下に斉桓公や晋文公といった公爵の封国があり、
>公爵の下に上卿ら侯爵の封地がある。
これは誤解を招く。王の下にあるのは公・候・伯・子・男の爵位を持つ諸候。ちなみに斉も晋も
侯爵です。斉桓公の「公」は爵位ではなくて尊称です。

>ちなみに春秋末期に周と同じ姓の魯や衛といった小国は滅んでいくし
衛が滅ぶのは戦国時代に入ってからだし、衛君の称号は実は秦帝国の二世皇帝の時代まで続く。

225 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 21:22:22.74 .net
>>209さん
「日本書紀成立の頃の公式な見解としては」って何????
あなた、歴史どころか・・・・・・・ああああああああああああああああああああああ

226 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 21:27:21.20 .net
公式な見解は撤回します。やりすぎました。
>>216さん、ご迷惑をかけました。公式な見解は撤回します。

227 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 21:32:25.41 .net
なにその>>225-226の自演
>>209は私だ
>>226は私ではない

日本書紀は当時の朝廷が編纂させた正史であり、正史の記述はその時代の公式見解だよ

228 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 00:08:30.10 .net
北海道がよくわかりません。
倭人が移民したのは松前藩からで良いでしょうか?
先住民=アイヌ  征服者=日本でいいでしょうか?

229 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 00:19:37.68 .net
>>227

日本書紀成立の頃の、権力者の私的な見解が公的?????

その時代の公式見解だなんて、ソースは? ほんの小さな地域の見解じゃないのかな?

公式の範囲は畿内?近畿?日本全国?に及んだのですか・

朝廷が勝手に作ったら、すべて公式になる時代ですかね?

私がするウンコの仕方も、偉い方になると公的にできちゃうんですかね????

230 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 00:25:04.18 .net
>>209

土偶と埴輪の違いは?

231 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 00:37:17.76 .net
>>229
「公」の字のもともとの意味は「権力者」w

232 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 00:48:35.21 .net
>>227
ルール違反です


1)私見なら私見とわかりやすようにお願いします
2)引用ならソースを・・・反論覚悟でしょうが、自分で答えられる範囲のソースでヨロシクお願いします
  もしくは、ソースをそのまま検索できるようにして下さい
3)それ以外なら個人名(2ちゃんに来るくらいですから、個人名は無理でしょう)
4)その他あれば、
公式なら、ここに書き込まないで笑ってください。

論を他人の学者に任せるのはよくありません。(参考とか、???書き込み方は任せます)

233 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 00:49:48.28 .net
>>227
ルール違反です


1)私見なら私見とわかりやすようにお願いします
2)引用ならソースを・・・反論覚悟でしょうが、自分で答えられる範囲のソースでヨロシクお願いします
  もしくは、ソースをそのまま検索できるようにして下さい
3)それ以外なら個人名(2ちゃんに来るくらいですから、個人名は無理でしょう)
4)その他あれば、
公式なら、ここに書き込まないで笑ってください。

論を他人の学者に任せるのはよくありません。(参考とか、???書き込み方は任せます)

234 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 00:51:39.33 .net
モッコ???

235 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 02:08:34.63 .net
自分は私見バリバリなのに他人には厳しい自演基地害がまた登場

236 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 02:10:45.48 .net
>>229も私見しか言っていないのにつっこまないとかわかりやすいねぇ

237 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 02:14:28.79 .net
つか、「正史」の意味も知らないくせになんでこんなに偉そうなんだw

238 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 02:21:26.39 .net
自分も全くソース書いていないの「ルール違反」とか笑わせる
そもそもその「ルール」を勝手に言い出した本人なのにwww

239 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 02:35:34.87 .net
自演の次はなりすましかよ
ほんと狂ってるな・・・

240 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 02:59:02.30 .net
>>228
少数の和人が移住し始めたのは松前藩よりずっと前から。

北海道には弥生時代がなく、縄文時代の次は続縄文時代、その後は地域ごとに擦文文化やオホーツク文化などが栄え、鎌倉時代頃にいわゆるアイヌ文化が成立した。
室町時代までには道南 (函館周辺) に「渡党」が居住してアイヌとの交易を行っていた。戦国時代末期にその一人が秀吉から蝦夷地 (北海道) の領有を認められ、江戸時代に松前藩となる。
蝦夷地では米がとれないため、漁業やアイヌとの交易による収入を藩の財源としたが、不公平な取引や、魚の加工でアイヌに重労働を強いたことなどが元でアイヌの武力蜂起が起きることもあった。
18世紀末にロシア人が進出してくると (樺太や北千島に住んでいたアイヌもロシアの支配下に置かれた)、幕府は彼らの脅威に備えて蝦夷地を直轄領にしたり、松前藩に戻す替わりに北方警備を命じたりした。この頃から道南以外への和人の移住が増加する。
明治に入ると本格的な北海道開拓が始まり、アイヌに対する同化政策が行われる。

241 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 03:05:00.01 .net
>>240
マジレス無駄かもよ

242 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 14:30:42.40 .net
へんなのに目をつけられたな

243 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 18:00:02.19 .net
>>209
「日本書紀成立の頃の公式な見解としては」と書き込んだ、
それに
>>216が納得してしまった

それを、指摘したり、嘲笑った輩がおかしくした。
原因は、>>209の浅学や模造がいけない

244 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 21:28:30.06 .net
芦屋西宮の知的障害者施設で未成年利用者に性的な行為をして淫行条例で逮捕された三田谷学園元職員の堂垣直人(西宮市老松町)は、結局どういう罪になったの?
被害者家族のケアを芦屋市役所と兵庫県警はちゃんとやったのか?
差別や虐待は環境を選べない子供には関係ない。

http://www.youtube.com/watch?v=JxMzW3ZlV4g&sns=em

堂垣 直人 (どうがき なおと)
1979年
神戸 阪神間
長田区
生田美玲


未成年に手を出すは性犯罪者(ロリコン)か?

245 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 22:53:09.11 .net
>>243
相変わらずの自演乙
おまえの言うところの「指摘したり、嘲笑った輩」とはおまえ自身じゃねーか
おまえ(>>243)のいうとことろの「おかしくなった」のはおまえ自身だ
公式見解の何がおかしいのかしらないが、なにやら気に入らなかったらしいおまえが>>226
>>209なりすまして勝手に撤回し、>>227>>209本人から否定されて、ファビョったのか
>>228から支離滅裂なことを言い出しはじめた
このスレに誰もおまえをキ○○イと思ってないやつはいないよ

246 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 23:10:08.32 .net
こんな場面では普通使わない「模造」とか使ってるし日本語が不自由な方ですね

247 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 03:19:19.45 .net
日本では平安時代初期の頃に各国ごとに「第一の宮」を制定しましたよね
近江の国では第一の宮は建部大社になっています
しかし、近江の国には他にも多賀大社や日吉大社、近江神宮など
著名、あるいは由緒があったり、規模の大きな神社もあります
こういう神社の格付けってどういう風になっているのでしょうか?
やはり第一の宮が建部大社になっている以上、
建部大社>多賀大社、日吉大社、近江神宮っていうことでしょうか?

近江の国はあくまでも例えであって、他の国にもそれぞれいろんなケースがあると思います

248 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 11:20:26.43 .net
>>247
平安期の格付けってことかな。
延喜式内名神大社、でググってみて。
古代の格に関して載ってるから、そっから
見ていけばわかりやすいと思うよ。

近江神宮ってのは昭和に出来たんじゃなかったっけ。
今現在の格に関しては、明治の神社祭祀令、で
ググってみれば色々書いてある。

249 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 13:51:32.73 .net
>>248
ありがとうございます
あとでググってみます

250 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 19:06:07.21 .net
>>247
>各国ごとに「第一の宮」を制定しましたよね
「第」は付けずに一宮(いちのみや)と表記する。

>近江の国には他にも多賀大社や日吉大社、近江神宮など
日吉大社が二宮で多賀大社が三宮らしい。

251 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 19:40:37.47 .net
大化の「改新」
安政の「大獄」
明治「維新」

過去の歴史的事柄には日常会話では使わないような堅い言葉が使われていますが、
これはなぜでしょうか?
また、最近は逆に堅い言葉を使わなくなってきたと思いますが、これはなぜでしょうか?

252 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 20:08:42.78 .net
>>251
統治者や歴史書の編纂者に和漢の教養が必須であった時代だったから
そしてそれが終わったから

253 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 20:50:56.61 .net
>>209
「日本書紀成立の頃の公式な見解としては」と書き込んだ、

これを肯定するか?指示するかが問題じゃないの?

254 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 20:52:49.07 .net
>>253
こだわりすぎるのも、いけません「過ぎたるは及ばざるがごとし」
>>253も反省してると思います

255 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 20:56:22.33 .net
失礼
>>209も反省してると思います

256 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 21:04:10.45 .net
>>247さん 
貼り付けですいません、
参考までにhttp://www.geocities.jp/engisiki/index.html

257 :207:2014/09/24(水) 21:34:34.96 .net
>>255
私は何ひとつ間違ったことは言っていませんので、反省などしておりません
反省する必要も認めません
反省すべきは、自演や成りすましをしたあなたの方でしょう
それはそうと、こだわりすぎるのがいけないとおっしゃるあなたは、いったいいつまでこの問題にこだわるのですか?w

258 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 21:57:33.35 .net
戦国時代、織田信長の敬称についての質問させて下さい。

『臣下が信長を呼ぶ際「大殿」ではなく「御館様」が正しい』
と言われました。
そこで屋形号について調べてみたところ、関東などではかなり普及していたようですが、地方の小大名であった織田家が屋形号を許可されていたとは思えないのです。

また屋形号自体、足利幕府が崩壊した後では意味をなさず(逆に勝手に名乗り放題とも言えますが)、そんな旧体制の形骸化した呼び方を信長が部下にさせるとも思えないのです。

個人的には上洛後に大道寺に屋形号を許可したという事跡がこういう見方に繋がったのではないかと思うのですが……。
信長が「お館様」と呼称された事を示す史料は存在するのでしょうか?

259 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 23:25:59.10 .net
大道寺じゃなくて、大宝寺、だね。
一次史料では見つからないのじゃないかな。

260 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 00:00:49.61 .net
今日初めて知ったのですが、東京の浅草寺は創建が推古天皇治世の頃で大化の改新の
20年くらい前だとか
日本最古の寺院である四天王寺と20年くらいしか変わらないとか

あの当時の東京といえばまだ未開の地、ど田舎だったと思うのですが、
それでも立派な寺院が建てられていたということでしょうか?

261 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 00:16:55.67 .net
歴史公証がしかっりしているアニメとして知られる
「クレヨンしんちゃんアッパレ戦国大合戦」ですが、
主人公らが敵将の顔を知っておらず
昔敵将につかえていた部下に教えてもらうシーンが有りました
写真のない当時では顔を知っていることは重要なので
よいシーンだと思いますが
部下は敵将配下時代足軽だったと名乗っています
当時の足軽は総大将の顔を見る機会がどれだけあったのですか?
ひょっとして謁見も可能だったのですか?

262 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 00:56:33.36 .net
>>260補足
今の浅草寺が再建なのはわかります
それでも、最初からそれなりに立派な寺院だった気がするのですが、
その辺どうなのでしょうか?

263 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 03:59:51.24 .net
>>261
いい質問だ。
各家の規模にもよるけど、普通はそう簡単には
なかったろう。
だからこそ、下っ端でも「関心がある」と
「あの方がにているそうな」とか話題にしただろうし、
年に一度ぐらいは、新年の拝賀、墓参り、などで
遠〜〜目には見ようとしたかもしれない。

注意深い下っ端なら、イザという時に失礼がないように
そういったことに関心を持ったろうし、答えとしては
「機会はまずありえない」、ただ、何らかの形で
「そこはかとなくわかってた」というのは
あるだろね。

有名な話だと、秀吉母が徳川家に人質?で行った時に
徳川では、そんなおばぁちゃんの顔誰も知らなかった。
そこらのば〜ちゃんが「秀吉母だがね〜」と言ったってわかんない。
だから、その前に秀吉妹ー朝日が徳川に家康嫁として送り込まれてて
「その二人の反応」でもって、徳川は確認した、というのがある。

首改、というのは昔は重要な問題でね。
西郷隆盛の顔がわからない、なんてのもあるし
「00は死んでない」伝説なんてそっから
ウジャウジャある。

初心スレみたいな答えで申し訳ないけどね。

264 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 08:02:09.83 .net
>>262
既に知ってるとは思うけど、始めは隅田川から観音様を引き上げた漁師の主が
自宅を寺としてそこに観音様を安置した。それが浅草寺の始まり。
その人は人を使う身分とはいえど、新たにお寺を建てる財力は無かった訳だから、
そんな立派は家ではなかったでしょう。

しかしお寺の縁起にそう書いてあってもそれは自称に過ぎないので、そのまま信用する
訳にはいきません。四天王寺や法隆寺は日本書紀などの文書に書いてあるから
ある程度は信じるにしても、浅草寺の場合は確実なのは鎌倉時代の吾妻鏡には
出て来る事。

秘仏である本尊が学術調査出来て何時作られたか判ればはっきりするんだけどねぇ。

265 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 15:01:02.88 .net
>>263
大政所を本人確認する術が朝日姫のみだったのならば
そもそも家康の正室として送り込まれてきたのが
本物の朝日姫だったかどうか分からんだろw

有吉佐和子の小説「和宮御留」で関東へ行くのが死ぬほど嫌だった和宮の代わりに
農家の娘が和宮に仕立て上げられて江戸城大奥に入れられるという話があったが

266 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 17:41:40.86 .net
>>265
もちろんそう。
マンガじゃないが影武者の
可能性はたえずつきまとう。
徳川だってバカじゃないから
侍女とかとの会話とかから
判断はしてただろう。

だから、なかー朝日、の反応を持って
両者の素性が高いレベルで判断できたろう
という話ね。

秀吉が、将来母を送る可能性を
言い含めて「お芝居しろよ」と
言ってたとかいうのは面白い小説のネタになる。
さらに徳川方もそれを承知で「ニセモノ」を
受け入れてた、とかね。

267 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 18:20:00.16 .net
そう考えると御目見ってのはやっぱ大事だったんだなあ

268 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 19:23:08.84 .net
>>257さん

「日本書紀成立の頃の公式な見解」
のソースを示せば良いと思います、噛みついた方が納得するかはわかりませんが・・・・

269 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 19:24:48.89 .net
>>268です
単に文書表現の仕方の問題かも?

270 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 19:43:56.16 .net
>>268です
単に文書表現の仕方の問題かも?

271 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 19:51:08.30 .net
>>257じゃないけど
国家事業として編纂された史書の内容が
国の公式見解でないというなら
なんだというのだ

272 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 20:40:49.54 .net
国の公式見解????


いつの時代??????

「日本書紀成立の頃の公式な見解」 の時代の????

273 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 20:49:32.34 .net
「日本書紀成立の頃の公式な見解」はどうでもいい、文書表現が間違っただけでよし

ところで、雑談の域ですが、下記どう思いますか?

名古屋市の河村たかし市長は24日、NHKの大河ドラマに登場する愛知県ゆかりの人物には
名古屋弁や三河弁を話させるようNHK名古屋放送局に要望した。菅康弘放送局長を訪ね、
要望書を手渡した。要望書は、昨年の「八重の桜」では登場人物が福島や京都、鹿児島など
出身地の方言を使っていたと指摘した上で、放送中の「軍師官兵衛」に登場する織田信長、
豊臣秀吉、徳川家康らが名古屋弁や三河弁を使っていないのは「理解できない。なぜ配慮がないのか」と訴えた。

274 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 21:03:16.59 .net
>>273
スレチっぽくて悪いが
大村が再出馬固めたし
民間レベルでの人気、話題作り
ぐらいでいいと思うよ。
自分が「吹き替えやってやるがや」ってぐらいのね。

話題といえば英傑行列の
候補に女性が残ってる。
女秀吉ってのもすごいな〜
ってのはがいしゅつだったか。

275 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 21:06:51.69 .net
>>273
名古屋市長が三河弁まで踏み込むべきではない
三河弁に踏み込みたいなら知事になるべき

276 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 22:10:36.01 .net
>>272
文脈を読み取ることができないのかw
かわいそうなオツムだなw

277 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 22:58:13.04 .net
>>268-270
あなた以外誰ひとり反対してないことにいつまでこだわってるのですか?
こだわりすぎいるのはいけませんねぇ
>>254であなた自身が言ってることですよ、「こだわりすぎるのも、いけません」

278 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 23:15:18.35 .net
>>276
文脈を読み取れないというよりも、>>272はそもそも日本語ができず、翻訳ソフトに頼っている外国人だろう
最初に彼がかみついたレスを、翻訳ソフトがいったいどういうニュアンスで翻訳したのかにはちょっと興味はあるが

279 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 23:33:43.04 .net
>>273だと他人の書き込みを勝手に「文章表現の間違い」とか断定してるし
どれだけ自己中心的思考なのかと思うな

280 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 23:39:53.13 .net
農民を百姓と言ったのは何故?
百姓とは?語源や時代的変遷をお教えください。

281 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 23:56:17.54 .net
「百姓」ってのは一般民衆全体を指す言葉として日本では使われていたが、
貴族や武士など支配階級から見て「一般民衆」という意味合いで使われることが多くなったので、
いわゆる平民、すなわち主に第一次産業に従事する被支配者全般を指すようになった。
つまり、漁師も百姓、木こりも百姓、商人も職人も百姓というわけだ。

しかし、ご存知かとは思うが、税制を中心とする経済活動、土地を基盤にした支配、非支配の関係、
社会全体を通して農業が特に主たるものと見なされるようになったがゆえ、百姓=農民という概念が浸透した。

282 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 07:32:26.88 .net
>>281
ありがとうございました

283 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 10:20:20.83 .net
>>273
独眼竜政宗←伊達政宗はなぜ山形弁を話さないのか
武田信玄←武田信玄はなぜ山梨弁を話さないのか
毛利元就←毛利元就はなぜ広島弁を話さないのか
天地人←直江兼続や上杉景勝はなぜ新潟弁を話さないのか

幕末ならば現在の口語方言に近い言葉だったと思うけど
戦国時代の言葉に方言まで入れたら本当に何を言ってるのか分からなくなるらしい
(現在の方言とも全く違う言葉になるらしい)
最近では古語すらあまり大河ドラマに入れないようにしたんだよね?
義経とか平清盛とか忠実にやろうとしたら
源氏物語読んでるのと同じ言葉を全編でやることになる

284 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 14:39:07.07 .net
今の大河は毎週一回は
「息災」という言葉が入る。
これで時代がかった雰囲気を
出そうとする苦労はわかるよね。

時代劇で困るのは方言というより
呼称の問題なんだよね。
「上総殿」「右府様」「院」とか言ってたら誰が
誰か全く不明。
実際にしばらく前の大河でやって不評だった
らしいし。

285 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 15:10:05.48 .net
まあ、ドラマだから、了解できる範囲に言い換えて問題ない

3014年に、日本の2014年の首相を、
総理、総理大臣、首相、安倍さん、内閣総理大臣、prime minister、どう読んでいたか
論争するのが不毛なのと同じ

286 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 15:10:13.46 .net
便乗質問ですが
今川義元や足利義昭、勧修寺ナントカって
映画やテレビだとセリフがおじゃってますけど
織田信長もあらたまった場では麿キャラに
ならざるを得ないと思うんですが、
やっぱりおじゃってたんですか?

287 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 15:32:13.25 .net
>>286
おじゃる、って結構最近の言い方。
おじゃってはいたろうが、おじゃる言葉は
使ってなかったろう。

288 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 20:48:18.93 .net
>>286
禁裏や公家、門跡寺院では特殊な御所言葉が使われていたが
「おじゃる」という言葉はなかったはず
類似の御所言葉に、江戸時代以降宮中で使われた
「あらしゃる」「ましゃる」と言う言葉があるがこちらは濁らない
「おじゃる」は昭和の映画で公家役の俳優が使って以降
使われ始めた言葉だったと思う
つまり、実際にはおじゃるは使われていなかった

289 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 21:05:16.82 .net
>>287-288
ありがとうございます
当時はプリミティブな麿語があって
信長もそれを喋ったりしてたって事で
ドラマとかの「おじゃる」は、尾張の農民役が
現代名古屋弁を話すのと同様、演出なんですね

290 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 21:22:23.44 .net
信長と正親町天皇が蜜月だったというのが最早常識となっているのはわかるんですが
正親町天皇本人は本当に織田家が好きだったんでしょうか?
異母弟の天台宗が焼き討ちされていようが上皇になれそうなら良しってことでしょうか?

291 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 23:12:26.74 .net
蜜月というのと好き嫌いは別問題だろ
庇護者、スポンサーといった利害関係の中での関係であって「好きだったのか?」と言われれば知らんとしか言えん。

292 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 23:12:34.28 .net
>>290
公武友好論は主流っぽくなってるけど
直接文献で確認できるわけでもなく
「一つの解釈」にしかすぎない。
特に出版物も多い金子拓氏も「自分はこう思うだけです」
という発言で、それなら特に反論する必要もない。
それを、認められた、と拡大解釈してしまってるのが
現在の状況でもあるだろう。

要は、「〜思う」という推論ならば、その妥当性や根拠
に対する個々の論の検証になるのだけど、それに関しても
ある研究会で「考え方の違いですね」と解答がなかったことがある。

具体的に言うと、友好論で説明できるからといって友好だった、とは
また違う話。そういうのを「恣意的な史料の用い方」と批判してきたのが
金子氏であり掘氏であったからね。

個別の例だと「日記改ざんは紙が足りなくなった」「親王の移動は
御所が狭くなったから」「馬揃えは喜ばすため」というテレビなどでも
お馴染みの主張だが、これも金子氏がそう「思う」というだけで
「数日前に本能寺という大事件があったのに、それを関連させて考えないのは
考えられない」とツッコミがあって、解答がなかった。

金子氏に関しては最近良著が出て、まとめ本としては
とても秀逸ではあるのだけど、「友好だからこうした」「こうしたのは友好
だったから」と若干循環論法になってる。
これを、「結論ありきでは」という質問も見かけたことあって
専門家の間でも意見の分かれるところ、というぐらいの
解釈がいいのではないか、とは思う。

異論も多いだろうし、かなり難しいところではあるのですよね。

293 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 23:19:25.32 .net
>>292織田信長皇位簒奪論にも 特に根拠は無いけど

朝廷と織田家の周旋をしとった 近衛前久も信長敵対中すら
比叡山とは 仲悪かったしな
親戚や弟が経営してる吉田神社や園城寺がそもそも天台宗と商売敵で
近衛自身 一向宗や日蓮宗と取引してたし
むしろ足利義昭の方が 朝廷強硬派なくらい

294 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 23:26:48.46 .net
>>291
異母弟の排斥は利害で言えば明らかに害で
次は自分の番かもしれないという脅威ですよね

有効な出資者だった「けれども」異母弟のために寺院を建立したわけではない
ここに注目しないのはバランスが取れていないのでは

295 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 23:28:53.46 .net
>>293
もちろんそうですね。
ところで今週の鑑定団に近衛信尹の言上状が出てましたね。
秀吉の関白相論の直後の心情を述べたもので
写があるから内容は知られているだろうけど
精査すれば何か新知見がでるかもしれない。
かなりの大発見の部類とは思う。
びっくりした。

296 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 23:37:54.64 .net
>>293
皇位簒奪はしなかったんじゃないですか
これは私の「そう思う」に過ぎないですけどもね

斯波や足利の猶子という体裁を取れそうな時期にも取ってないですから

297 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 12:08:07.20 .net
>>295
しかし、近衛家って 足利義満とか義教とか織田信長とか
明らかに皇位簒奪疑惑の人等と仲良すぎな
そして足利義教時代の基の字を前久Jr.に名乗らせるノブ様
マジ義教loveだったのかな

298 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 12:25:27.22 .net
腐女子かよ気持ち悪い

299 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 13:48:24.68 .net
誘導されてきました
田中角栄は首相失脚後も政界に影響力を及ぼし、院政を敷いたと言われてます
そうであるなら、同じように首相失脚後も政界に影響力を及ぼし続け、
「政界のドン」「キングメーカー」と呼ばれている森喜朗は現在進行形で
院政を敷いていると言えるのですか?

300 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 13:58:09.36 .net
>>299
巣へお戻りください

301 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 14:39:49.77 .net
>>297
義教と信長の関係は明石説になってしまうけど
これもあまり語られない面白いとこだね。
ただ義教は簒奪系じゃなくてかなりの
朝廷崇拝じゃないのかな。

>>296
天皇の猶子はその準備段階で、それを警戒した
というのが黒幕論になるねぇ。
そして、その手法?は藤原の模倣でもあるから
近衛にも関係が?というのは小説ネタ。
さらに義満の手法にも似てるから・・
いうのはオカルト小説か。

302 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 16:25:59.44 .net
>>301
南朝滅ぼして 北朝に皇統合一したんだから 相当な尊皇派だよね

明石説だと、義教が世阿弥に作らせた 能 弓八幡を曾孫の義昭が 義教シンパの信長の眼前で演じさせようとしたのが、破局の原因らしい

逆に散々敵対した
前久親子が帰洛して 信長の片腕になるくらい

更に、義教の叡山焼き討ちから数百年後 叡山攻めた 信長を 【天魔の所為】と言って自ら天台座主を名乗った武田信玄
【義教も籤で将軍に選出される前は義円と言う法名で座主等を歴任】
みんな相当 悪御所に入れ込んどるな〜

303 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 18:11:39.96 .net
関白を引退した人が太閤と呼ばれるらしいけど、秀吉以外でそんなケースが多かったの?
全然聞かないけど

304 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 18:21:28.09 .net
近衛前久とかも関白 や准三宮を辞任してから太閤名乗ってたような

305 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 18:48:21.27 .net
>>関白を引退した人が太閤と呼ばれる

これは伝統と言うか慣習だったの?
平安以降、関白を引退(辞職)した人って多いよね

306 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 18:54:32.21 .net
>>305
藤原道長の時代から摂関を引退した人は太閤と呼ばれていた
つまり、秀吉以外も摂関引退した人は太閤と呼ばれた

北政所という呼称も豊臣秀吉の正室ねねの専用呼称のように思われているけれども
摂関の正室は皆北政所だからね

307 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 19:15:59.00 .net
おもっくそ 藤原摂関家のパクリやん 秀吉 てゆーか百姓が太閤や北政所パクったり 新しいmy名字を天皇から貰う方が凄いが

308 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 22:16:30.64 .net
農民に近い身分からの創姓の凄さを認めてるならパクリじゃないのも認めれ
枠を壊した訳じゃなくて枠に入り込んだわけじゃん
その過程で小さな枠を壊したと言えなくもないけどね

309 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 23:35:53.53 .net
野上弥生子の「秀吉と利休」読んでたら、秀吉が家康を「尾張」と呼んでるシーンがあったんですけど、
どういうことなんでしょうか。この時期、「尾張守」を任官してたんですか?
時期的には北条征伐の直前です

310 :日本@名無史さん:2014/09/28(日) 10:20:18.64 .net
明治時代の顔立ちみてると、
支配階層の下級武士層はやたら濃い顔立ち、
例えるなら千葉真一を不細工にしたような濃い顔立ちがおおく、
旧支配階層、いわゆる大名や公家には薄い醤油顔が多いんですが、
なぜでしょうか?

追伸
多少の誤差はありますが、大まかにそうだという話です

311 :日本@名無史さん:2014/09/28(日) 10:23:32.87 .net
日焼けしてるからそう見えるだけでは?

312 :日本@名無史さん:2014/09/28(日) 11:01:45.05 .net
日焼けって、、
輪郭ひとつでも
旧支配階層は顎が極端に細く、
全体的に薄く、ぼーとした顔立ちがおおく、
新支配階層は顎がしっかりしてます。
また目鼻立ちも濃い

明らかに違いますが

313 :日本@名無史さん:2014/09/28(日) 13:25:27.16 .net
殿様は、柔らかいものばかり食ってたからあごの骨が発達してなかったって
なんかの番組で言ってた

314 :日本@名無史さん:2014/09/28(日) 14:12:45.14 .net
沖縄からの文化の北進説が相手にされない為に古代日本史解明が停滞してるって本当ですか?

315 :日本@名無史さん:2014/09/28(日) 14:21:25.44 .net
大和朝鮮同祖やってんだぜw
その方向しか残ってないよ

316 :日本@名無史さん:2014/09/28(日) 17:13:44.93 .net
>>310
明治以前は同じ身分同士でなければ原則結婚しなかったからね
例えば1000年以上親類婚を繰り返してきた天皇や公家は
明らかに違う顔になっている

江戸時代の将軍や大名の場合、正室は公家の姫であることが多かったが
側室は市井の庶民が奥勤めに入って殿様の手が付いた例が多かった。
江戸時代に好まれた女は、細面、色白、目が切れ長、鼻と口と顎が小さい
浮世絵から出てきたような薄い顔の女。
殿様がそのような女を美人だと思って好んで側室に召し抱えていれば、
当然、そこから生まれる跡取りもそういう顔になる。

317 :日本@名無史さん:2014/09/28(日) 18:10:31.32 .net
>>316
なるほど、ありがとうございます!
そのような面長美人を好んで側室にしていたということなんですね?
まれに庶民でもこのような面長美人がいたんでしょうか?
現代のAKBとかみても丸顔だらけで、浮世絵のような上品な美人顔はほぼいないですが

318 :日本@名無史さん:2014/09/28(日) 18:39:49.91 .net
AKBはオーディションの段階で美人は落とすって話じゃね。

319 :日本@名無史さん:2014/09/28(日) 19:30:50.33 .net
http://blog-imgs-31-origin.fc2.com/v/o/i/voiceactressnavi/kotobukiminako21.jpg
こういう顔ってことでよろしいですか

320 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 00:54:47.26 .net
忠臣蔵って現代風に身分を当てはめたら
綱吉 総理大臣
吉良 エリート中央官僚
浅野 知事、市長 
浅野が首相官邸で 拳銃を発砲して内乱罪で処罰される
吉良が浅野の秘書らに暗殺されるっかんじでしょうか?

321 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 03:11:06.29 .net
>>316
適当な事をもっともらしく言うなよw

322 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 06:58:50.20 .net
>>302
おぉ、明石説が話せるとは。
あの義昭につきつけた五箇条の説は
どうなんでしょうね。
確かに形式としては異例だし
義昭が出した、なんてのはオカルトっぽいのだけど
話はつながるのですよね。
あと、信長が摘統ではない、とか
家督相続の直接的な証拠はないとか
細かい話も面白い点はあったのですよね。

323 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 07:06:44.80 .net
>>310
遺伝的に言うと、顔が似ている、というのは
そんな簡単に判断できるようなものではない
とはいいますけどね。
つまりあくまでイメージか、先入観とか。

顎の話も前にしてたけど、発達しないのは
獲得形質、後天的なものであって、それを持って
遺伝的なものとするのはどうでしょうね。

AKBじゃないけど、会社の受付嬢とか秘書は
似たような顔つきの人が多くて、これは社長の好みとか
人事部の好み、なんて冗談で言うけど実際にそうであるだろうしね。
下手すると体型や髪型まで似ている。

こういうのを、どうしてでしょう、と言われても
あまり学問的な意味はないのと似てるかな。

324 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 07:36:50.66 .net
>>322
明石説って 実は歴史アーカイブズ取り上げられてるような
資料の説だからな

信長非嫡統説=家督を継ぐ際 今川強硬派の若手に担がれて
実質クーデター

足利義昭は五箇条に怒ってない=三好が復活するから信長と組み続ける必要があり
浅井に後内書出してない
とか

325 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 07:55:38.21 .net
>>321
どこが適当な事なんだ?

徳川歴代将軍は狸顔のブサ初代家康に比べて
明らかに末期のほうが美男になっている
殿様が美人ばかりを側室にするからだろ

326 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 08:12:25.32 .net
>>324
アーカは知らないけど
違う話のような気がする。
今川強硬派、というのは出てこなかったような。
信長ー信行同腹という記述はない、という感じだったかな。

義昭と浅井は最近よく聞くけど
明石はそういうのに触れてたのかな。

327 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 09:13:55.32 .net
>>326
明石説だと 信長と信行が実は異母兄弟で 実は信行が嫡統だから 家督を力で奪った

アーカイブズでは、 今川家との長い戦いで疲弊した織田家が 今川傘下を模索したのに反発した馬廻が 非主流非嫡統の信長を担いだ説


何れも 家督をヤバい手法で奪取したと結論してた

328 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 11:47:36.08 .net
日本史における土地制度史の流れを教えて下さい。

329 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 17:57:03.30 .net
>>327
ありがと。
疲弊ってのに無理がありそうだけど、担いだ、に
根拠を与えようとしてるところが目新しいかな。
信長は若い頃普通に行動力あるし金も有るし
立場も有るし、馬回りさんたちは喜んで
ついていったろね。

>>328
天皇家ー藤原家ー源平氏ー徳川氏ー平民。

330 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 18:28:46.35 .net
>>329
国力はともかく
美濃斉藤に駿河今川との合戦には 連敗
そこで信長と道三の娘を結婚さしたら
今度は斉藤家が親子喧嘩

更に信秀没後 家督を誰が継いだで 信長と信行が兄弟喧嘩
【その前にも弟や叔父の不審死】

信長の側近のほとんどが 熱田や津島の金貸しの次男三男で
信行の路線に反発

こんだけ、火種あったら起きて当たり前な尾州錯乱

331 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 18:44:35.44 .net
>>329
院政の時期を考えればそれはおかしくないですか?

332 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 18:52:09.76 .net
三種の神器は何故、公開されないのですか?写真でもいいのですが、・・・・現在三種の神器とされてる物で
歴史の変遷とともに、作り替えたりしてると思いますが、
現在三種の神器とされてる物は、個人の所有物?だからですか?

333 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 20:20:08.77 .net
>>331
最初は日本の土地は全部天皇のもの
というとっから始めたかったのね。
院政時も藤原家が握ってたしなぁ。

334 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 20:42:53.67 .net
>>333
院政期には院に寄進していたと習ったような気がするのですが間違いですか?

335 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 20:53:39.36 .net
>>334
ネットで調べられますよ。
勉強するなら「院」のほうが面白いですよ。・・・

336 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 20:57:56.36 .net
浄土真宗の院号は本山護持に協力した方へのお礼として頂きます本願寺派であれば
本願寺に20万円以上で院号を頂けます 本願寺派のどこのお寺に渡しても、そのお寺が
本願寺に取り次ぐだけですので、そのお寺へのお布施にはなりません

337 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 21:57:06.48 .net
スレ違いかもしれませんが、
江戸時代やってたという漢文の素読について。
>内容の理解は二の次にして、文字だけを声に出して読むこと。
ということだから、漢文をお経のように、ひたすら音読みすることだと
思っていました。
が最近、自信がなくなりました。
訓読してたのでしょうか?

338 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 22:57:38.60 .net
お前が天然なだけ

339 :日本@名無史さん:2014/09/29(月) 23:03:40.91 .net
読み下しです。例えば論語の「子曰、学而時習之、不亦説乎、」を
「子のたまわく、学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや」と
声に出して繰り返し読みます。

ちなみに「曰」は普通に読めば「いう(いわく)」ですが江戸時代には
孔子は聖人とされていたので「のたまう(のたまわく)」と読ませました。

340 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 01:02:10.83 .net
こないだの維新大河で「いわく」と読ませて
ツッコマれてたけど
来年の大河ではちゃんと「のたまう」にしてくるかねぇ。

341 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 07:44:00.41 .net
>>339
335です。
初めての者に、ありがとうございます。

342 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 19:44:12.03 .net
いきなりすいません。
人物がわかりません。

自らを「山○○○」と称した

というフレーズを見たのですが
時代などは全くわかりません。
400〜1800年代までだとは思います。

日本史用語集という参考書で見た気がするのですが
どなたかわかりますでしょうか。

昨日見つけてさっと流してしまったので
気になり今に至ります。
よろしくねがいます。

山の後ろは2、3文字だったとおもいます。

343 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 20:36:14.43 .net
山くじら

344 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 20:45:30.43 .net
山田長政

345 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 21:04:58.53 .net
すいません。
少し言葉が足りませんでした。

平将門が親皇、聖徳太子が三宝の奴
といったような感じで
「山○○○」です。
多分相当マニアックだと思います。
よろしくお願いいたします。

346 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 21:06:35.26 .net
山の老人

347 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 21:08:07.11 .net
平将門は新皇だし、三宝の奴は聖武天皇だし。
色々間違ってるよ。

348 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 21:09:52.48 .net
山東京伝

349 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 21:11:00.78 .net
山と渓谷

350 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 21:11:26.07 .net
山本小鉄

351 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 21:13:53.01 .net
山田うどん

352 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 21:15:32.35 .net
山上憶良?
山名宗全?
山本勘助?
山内一豊?
山中鹿助?
山科言継?
山田長政?
山鹿素行?
山東京伝?

400〜1800では範囲も広すぎるし
もうちょっとヒントがないと、それだけじゃなんとも

353 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 21:18:14.02 .net
山法師

354 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 21:23:59.83 .net
日本史用語集を見たところ、
「山川出版」って書いてあった

355 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 21:24:04.42 .net
すいません。

ヒントと言われても、、
自分も必死に探してますが見つからないので、、

>>352さん
が出してくれた普通の感じの名前ではないです。

自分で自ら称していた
みたいなニュアンスで書いてあったかとおもいます。
本当の名前とは別に「山○○○」と自ら称していた
という感じです。

ちょっと情報が少なすぎですよね。
すいません。

>>347
誤字すいません。

356 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 21:46:25.34 .net
人物じゃなくて組織なんじゃなかろうか
山門派とか山科派とか

357 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 22:03:28.33 .net
>>356さん

山法師とかかなーとも思ったんですけど
ピンと来ず。

天皇とか皇子だったような感じが、、
しなくもない

うやむやですいません。

頑張って自分で探してみます!
見つかったらまた来ます。

358 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 22:05:17.89 .net
本当に「山」から始まるのかいな?
「山」がつく異名を名乗ったといえば
平賀源内→風来山人
大田南畝→蜀山人
とかが思いつくけど

359 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 22:25:49.41 .net
というか、本人は正解はわかるのか。

360 :日本@名無史さん:2014/09/30(火) 22:50:09.82 .net
>>357
山背大兄?

大兄がのちの皇太子となる称号であったという説かな?

361 :日本@名無史さん:2014/10/01(水) 07:10:09.47 .net
山のフドウ

362 :日本@名無史さん:2014/10/01(水) 17:32:02.12 .net
鑑真やフランシスコザビエル、ペリー、マッカーサーなど
日本史に出てくる重要な外国人は母国の歴史でも重要人物として
扱われているのでしょうか?

また、外国の歴史教科書や歴史授業で扱われている日本人は誰がいるのでしょうか?

363 :日本@名無史さん:2014/10/01(水) 18:12:46.34 .net
山を張りすぎです。当れば億万長者?

364 :日本@名無史さん:2014/10/01(水) 18:58:15.13 .net
>>362
その中で母国の歴史教科書に載りそうなのってマッカーサーくらいじゃないか?

日本人で載っていそうなのは、まず昭和天皇と東條英機。東郷平八郎や山本五十六も可能性は高い。後はその国自体の歴史に大きな影響を及ぼした人物。
タイ : 山田長政
エクアドル、ガーナ : 野口英世
イスラエル : 杉原千畝
韓国 : 豊臣秀吉、伊藤博文

365 :日本@名無史さん:2014/10/01(水) 20:59:31.29 .net
山ではなくて大塔宮とか

366 :日本@名無史さん:2014/10/01(水) 21:23:06.80 .net
>>364
山田、野口、豊臣、伊藤はやはり・・って感じだけど、杉原だけは
勉強不足でいまいち分かりませんでした

ちなみに諸外国から見た時、戦争時の日本の国家指導者として昭和天皇と
東条英機のキャラ(存在)が被るイメージ
ドイツは全面的にヒトラーが出てくるけど、厳密に言うとヒトラーの上に
大統領(だったっけ?)もいたんだよね

367 :日本@名無史さん:2014/10/01(水) 22:26:57.06 .net
ヒトラーは1933年1月に首相就任。この時点では複数政党の連立政権で、また首相の上にヒンデンブルク大統領がいたんだけど、それから1年足らずの間にナチス以外の政党はすべて活動停止に追い込まれた。
そして1934年8月にヒンデンブルクが老衰で死ぬとヒトラーは「大統領」と「首相」を統合した「指導者兼首相」の座に就き、名実共にドイツの最高権力者となった。この「指導者 (フューラー)」のもう一つの訳語が「総統」。
日本史板でこんな話をするのもなんだけど一応。

368 :日本@名無史さん:2014/10/01(水) 22:28:10.23 .net
>>366
杉原千畝ですか???
有名ですが、彼だけで無いですよ、戦争時、人道で他国の人を救った日本人は。
彼だけが英雄視されてますが、隠れた方が歴史ではいっぱいいます。
杉原さんを讃えるのはいいでしょうが・・・・

369 :日本@名無史さん:2014/10/01(水) 22:49:16.99 .net
そりゃ、隠れていたら教科書に載りようがないわな。

370 :日本@名無史さん:2014/10/01(水) 22:50:54.30 .net
新羅三朗は新羅神社での元服ですが、なんでワザワザ新羅神社なんですか?
渡来系だからというのがしっくりくるんですが。。

371 :日本@名無史さん:2014/10/01(水) 22:53:03.79 .net
>>369
ネットで調べられますよ

372 :日本@名無史さん:2014/10/01(水) 22:59:50.86 .net
自演・なりすまし警報発令中

373 :日本@名無史さん:2014/10/01(水) 23:16:16.44 .net
>>367
ありがとうございました
イタリアもムッソリーニの上に大統領がいたんですよね
その大統領の名前は全然有名じゃないけど

当時、昭和天皇と東条英機の二人は二人とも重要人物として
諸外国から認識されていたんでしょうか?

374 :日本@名無史さん:2014/10/01(水) 23:23:17.53 .net
・ネイティブとは思えないレベルで日本語が不自由である
・皇室をはじめ、何かと名族・有名人の出自を渡来人にしたがる
・自分の主張が支持されていると見せかけるためなら、自演や成り済ましで他人を騙すことをいとわない
・自分が劣勢になると、ごまかすためにさらに自演や成り済ましを繰り返す
・自分が論破された事実をなかったことにするため、何度も同じ話題を引っ張り出して最後には自分が勝ったかのような状況を作ろうとする


これらの事実から導き出される人物像は…

375 :日本@名無史さん:2014/10/01(水) 23:29:25.24 .net
>>373
ムッソリーニの上にいたのはイタリア国王ヴィットリオ・エマヌエーレ3世
当時のイタリアは共和国ではなく王国だから大統領なんていない

376 :日本@名無史さん:2014/10/02(木) 00:23:56.61 .net
イタリア王はムッソリーニを解任してその後継者に連合国との休戦交渉をさせたから、昭和天皇と役割が似ているかな。
ムッちゃんはその後もドイツ軍が北イタリアに作った傀儡政権の首班として、イタリア本土を舞台に連合国軍と戦い続けたけど。

377 :日本@名無史さん:2014/10/02(木) 00:35:11.56 .net
御嶽山に関連する事。
後白河天皇に繋がる山との事。(1161年、後白河天皇の勅使が登山参拝したとの事)
後白河天皇は今様を好み,梁塵秘抄で有名である。(舞え舞え蝸牛、舞はぬものならば、馬の子や牛の子に蹴させてん、踏破せてん、真に美しく舞うたらば、華の園まで遊ばせん)
そこで、かごめ唄(秘儀)を中心に調べてみた。(あまりにも内容が濃くなってしまうので詳細は省く)

かごめ唄=竹堂随筆+戻橋背御摂+月花茲友鳥+幼稚遊昔雛形+俚謡集拾遺+大南北全集+鶴屋南北全集+大南北全集+鶴屋南北全集+行智+持明院+冷泉家+本居宣長
+後醍醐天皇+真言密教+空海+屍林+荼枳尼天+伯家神道+後白河天皇+今様+梁塵秘抄+檜垣嫗+かぐや姫+竹取物語+観月祭+中秋の名月+延喜式+七夕+新嘗祭
+白川伯王家+花山天皇+御冷泉天皇+大嘗祭+死生観+珍しい鳥+鶴+日本三代実録一巻+秋篠+神武天皇+辛酉年1月1日+辛酉76年3月11日+東日本大震災
+式年遷宮+カケコー+鶏+朝+夜明けの晩+心柱+床柱+天照大御神+岩戸隠れ+長野県戸隠+三重県伊勢岩戸+長野県諏訪+真言密教立川流
+足利義満+厳子+貞子+御円融天皇+御光厳天皇+閨事+源氏物語+古事記+712年3月9日+前震+高天原+推古天皇+日本書紀
+和同開珎+和銅元年+元明天皇+多治比真人三宅麻呂+羊太夫の謀反訴え+誣告罪+冤罪+島流し+三宅島+伊豆諸島+噴火
+穂積朝臣老+佐渡ヶ島+多胡碑+長野県浅間山+御嶽山。


※籠目(囲め)(籠女)♪籠目(囲め)(籠女)♪籠の中の酉は(籠の中の鳥居は)(籠の中の女は)(加護の中の酉は)♪
何時いつ出やる(何時いつ出会う)♪夜明けの晩に(夜明けの番人)♪鶴と亀が滑った(鶴と亀が統べった)(鶴と亀が契った)♪後ろの正面誰(後ろの少年だれ)♪

※かーごめかーごめ♪かーごのなーかのとーりーは♪いーついーつでーやーる♪よーあけのばーんに♪つーるつーるつっペぇつた♪なべのなべのそこぬけ♪そこぬいてーたーぁもれ♪

つっぺ=穴に詰める事
つるつるつっはいた=つるつると入った
等など。
詳細はhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%94%E3%82%81%E3%81%8B%E3%81%94%E3%82%81

※詳細はこちらのスレッドで。
【速報】御嶽山噴火
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1412157860/

378 :日本@名無史さん:2014/10/02(木) 00:47:24.10 .net
>>376>>377
大統領じゃなく国王でした、すいません
イタリア国王と昭和天皇は似たような立場、役割ですが、
世界史的にムッソリーニは有名でもイタリア国王は
さほど有名じゃないですよね
外国からすると、昭和天皇より東条英機のほうが有名ってことは
ないのでしょうか?
まあないとは思いますが、イタリアの例に倣うとあってもおかしくないですよね

379 :日本@名無史さん:2014/10/02(木) 03:29:20.17 .net
>>365
分かった大織冠じゃね?
藤原鎌足

380 :日本@名無史さん:2014/10/02(木) 09:39:40.97 .net
>>364
杉原千畝を角川日本史辞典で調べてみたら載ってなかった・・
あとでネットでググってみます

381 :日本@名無史さん:2014/10/02(木) 09:45:20.08 .net
院政とは皇位を譲位した後も事実上実権を握るってだけじゃなく、
何らかの形で正式に申請したり、手続きを行うものなのですか?
上皇が「院政を行う」と宣言するのですか?
それとも周囲の者が「これは院政だ」と判断するのですか?

なにをもって正式に「院政」と判断したのでしょうか?

382 :日本@名無史さん:2014/10/02(木) 10:30:35.79 .net
>>364
ネットで調べてみましたが、この人物は以前友人が称賛していた人物でした
改めて知ると、ユダヤ社会で非常に感謝されていますね
日本人として尊敬できる人物でした

383 :日本@名無史さん:2014/10/02(木) 23:23:34.85 .net
中世社会において、いわゆる「道々の輩」「無縁の輩」といわれる者たちは
総人口の何割くらいの比率で存在したのでしょうか?

384 :日本@名無史さん:2014/10/04(土) 00:56:01.44 .net
学校授業で言霊信仰とか怨霊信仰に触れないのは、
非科学的という評価からですか?
それ以外に何か理由があるのですか?

385 :日本@名無史さん:2014/10/04(土) 04:18:56.32 .net
>>384
井沢元彦の捏造とゴマカシが印象を悪くしてるから

386 :日本@名無史さん:2014/10/04(土) 10:24:44.16 .net
井沢さんか、、ほどほどでやめときゃそういう考えも方もあるわなだったのに同じネタで
水増し量産しまくったお陰で俺の中では細木数子とかと同じコーナの人になった

387 :日本@名無史さん:2014/10/04(土) 14:12:04.71 .net
しかも、正しい史実を知らない
史料至上主義を否定して、想像だけでなんでも書いてって、それは作家だから
許されること

388 :日本@名無史さん:2014/10/04(土) 15:20:59.37 .net
>>383をぜひよろしくお願いします

389 :日本@名無史さん:2014/10/04(土) 15:27:23.38 .net
井沢もそれを完全否定するのも
同じレベルではあるだろうけどね。

390 :日本@名無史さん:2014/10/04(土) 15:33:06.20 .net
井沢は論そのものより
論を進める上での意図的なごまかしで批判されてるだろ

391 :日本@名無史さん:2014/10/04(土) 15:41:58.26 .net
例えば怨霊説でも、奈良時代に早良皇太子や井上内親王らが罪を受け
怨霊騒ぎがあって、後に名誉回復されてるのは史実だ
だから決して怨霊説がまやかしというわけではない
しかしそれが世を動かす力のすべてになっていたわけでもないし
そのあたりを歴史教科書は考慮して書いてるんだろ

392 :日本@名無史さん:2014/10/04(土) 15:50:31.97 .net
井沢元彦のいう史料至上主義を否定とは
どういうことなんでしょうか
既存の文献でいわれてた定説が
覆るほどの遺跡を発掘するという意味でしょうか

393 :日本@名無史さん:2014/10/04(土) 15:57:22.20 .net
怨霊説はむろんあるんだが
怨霊騒ぎを利用して藤原氏の勢力を弱めようとした動きも確かにある
つまり当時の人々すべてが怨霊を信じ怖れ、そのために世の中が動いていたとは
客観的に見て教科書には書けない
それくらいのことだな

394 :日本@名無史さん:2014/10/04(土) 17:40:23.62 .net
ただ、菅原道真が天神になったからといって 藤原政権が崩壊したわけではないしな

逆に 怨霊にされた 人物の遺族が巻き返せた事例はないし

395 :日本@名無史さん:2014/10/04(土) 19:06:15.54 .net
将門の頃の関東の兵の武装ってどんなもんでしょうか
源平ごろのTVドラマの鎧兜イメージとは違うんでしょうか

396 :日本@名無史さん:2014/10/04(土) 19:16:54.46 .net
「皇室」って言葉はいつから使われてるのですか?
「皇室」って言葉に訓読みはないのですか?

397 :日本@名無史さん:2014/10/04(土) 19:17:38.71 .net
>>392
史料に関する伊沢の主張は、「その時代に当たり前のことは誰もわざわざ書かない、だから、この時代には
こうだった、というようななんらかの説に対して『文献史料で確認できない』という理由で否定することは
できない、だが歴史学界はそれをしている」というもの
そのたとえ話として、伊沢があげているのが、中日ドラゴンズのチーム名
文献には当時のオーナーが辰年生まれだったからと記されている、しかしこの当時球団名は強い動物などの
名をつけるのが一般的だったことは、当たり前すぎて誰も書いていない
未来の歴史学者が史料だけから調べたら、この時代にはオーナーに関連したチーム名をつけていた、という
ことになるだろう、と

まあ、一理はあるし、歴史学の手法に対するアンチテーゼとしてはそれなりに面白い指摘ではある
だが、だからといってそれを無制限に適用してしまうと、根拠もなしにどんな無茶な説でも言えることになって
しまうし、実際、伊沢自身もそうしている(だから批判されてもいる)

398 :日本@名無史さん:2014/10/04(土) 20:27:34.71 .net
ツイッターで
「江戸時代で拷問による自白が行われていたというが、拷問は殺人級の重罪に加え、奉行クラスの許可がないとできなかった」と言いますが
明治時代から戦前にかけて、政府は拷問禁止の太政官布告「拷問無用、右に関する法令は総て削除」を出しました。
ですが、実際に拷問は行われたわけですが(表向きは不許可、実際はやってる)
この江戸時代に拷問は殺人級の重罪、奉行クラスの許可がないとできないってのは、事実なんでしょうか?

399 :日本@名無史さん:2014/10/04(土) 20:30:04.45 .net
>>398
日本語おかしくてすみません。
ツイッターで「江戸時代〜」を知ったので、それが本当なのか知りたいという意味です。
実際は江戸時代も、自白拷問時代だったのではないか?ということを知りたいので。
よろしくおねがいいたします。

400 :日本@名無史さん:2014/10/04(土) 21:48:02.58 .net
井沢氏といえば自著で室町時代に大規模な宗教騒乱(天文法華の乱?)があったけど、
歴史授業や歴史教科書でもまったく触れられてないとか言ってた
誰か理由をご存知ですか?

401 :日本@名無史さん:2014/10/04(土) 23:42:30.59 .net
>>397
>しかしこの当時球団名は強い動物などの
>名をつけるのが一般的だったことは、当たり前すぎて誰も書いていない
ヤクルトスワローズのツバメとか広島東洋カープの鯉とか強い動物とは思えないけどなぁ。
この辺、井沢は何と書いているんだ?

402 :日本@名無史さん:2014/10/05(日) 00:13:16.08 .net
オリックス・ブルーウェイブww

403 :日本@名無史さん:2014/10/05(日) 01:21:43.80 .net
受験生ですが失礼します。
日本史の教科書の文化史と土地史と経済史の部分を読むに当たって、
知っておくと良いことや、簡単な流れ、コツなんかを教えて下さい。

404 :日本@名無史さん:2014/10/05(日) 12:11:41.98 .net
文化史に関しては、各文化の特徴と時代を明確に分類すること。
加えて、各文化の具体的な作品などが、どの文化のものなのか当てはめることができるようになること。

例えば、前者ならばまずは各文化を時代順に並べられるようにする。
その上で例えば「天平文化」なら「奈良時代」「聖武天皇」「国家仏教」「盛唐文化=国際色」などの時代背景と特徴を理解する。
そうすれば正倉院宝物や東大寺大仏殿などの具体的な事象と重ね合わせやすい。

後者はその発展として、例えば「平等院鳳凰堂阿弥陀如来像」ならば「国風文化」と時代背景を理解しつつ一対一対応できるようにする。
これができればセンターなどの時代並べ替え問題にも対応できるし、文化の問題で落とすことはない。
地道な努力が必要だけど。

土地に関してはまず「改新の詔」で土地の方針が掲げられて、その後の班田収授、三世一身の法、墾田永年私財法を経て荘園が成立すること。
律令制の弛緩化によって国司統治に移行すること、田堵の登場、寄進地系荘園の成立・・・
と言ったように教科書や資料集の土地・荘園に関する項目を順に追って自分で整理してみる。
大事なのは土地に関する法律の制定や変化が「なぜ」起こったのか、その時の政治的主体は何かを理解すること。
ただし、土地史は学校の先生でもイマイチ理解していないケースもあるので、分からないことがあればよく知ってそうな先生や、予備校の先生などに逐一質問するといい。

405 :日本@名無史さん:2014/10/05(日) 12:19:29.11 .net
経済史、というのは高校日本史でいうところの経済史という風に解釈するならば
平安時代までは経済史と言うべきものは政治史や土地史に抱合されると思うので割愛する。

鎌倉以降は「農業」「商業」「流通」をメインに鎌倉時代と室町時代のそれぞれの違いや共通点をはっきりさせる。
例えば農業ならば二毛作から三毛作(畿内)などの変化、肥料の共通点(江戸時代に変化する)などをそれぞれ
把握して一問一答方式の問題集などで理解度を高める。
江戸時代は教科書でもがっつりその項目があるので、覚えることは多いがそこをしっかりやる。

近現代以降は政治史との関係の中でやっていくのがいいんじゃないかな。

406 :日本@名無史さん:2014/10/05(日) 12:32:26.28 .net
文化史は経済史と関連が深い
庶民の文化というならまた別になるが大学入試ではまず出ない
経済史は土地史と関連が深い
まあしかし受験なら、深い研究を読む必要はない
広く浅く確実に覚えるだけ

407 :日本@名無史さん:2014/10/05(日) 13:38:40.96 .net
本当にありがとうございます。
涙出てきました。

408 :402-403:2014/10/05(日) 14:12:19.97 .net
>>404>>405を書いた者だけど、「教科書を読む上に当たって」という部分を見落としてた。

文化史は正直教科書だけで理解するのはしんどいと思う。
先ほど述べたように、時代ごとの特徴や作品の特徴を明確に分類することが大事だから、
表や写真などビジュアルで整理する学習が効果的だと考えている。

なので、学校で図説のような資料集があればそれを用いることを強く勧める。
プラス余裕があれば文化史の簡易な参考書などを用いれば更にいいが、シンプルな勉強を第一に考えるなら教科書と図説、あとは授業のノート(プリント)

もし、あなたの学校の授業で教科書しか使っていないのであれば、個人的に図説を購入した方がいいだろう。
個人的には浜島書店の「プロムナード日本史」を勧めるが、自分に会うものであれば極端な話何でもいい。
要は、時代やジャンルごとにビジュアルで整理するためのツールとして機能できればいい。
図説は眺めてるだけでも受験勉強に疲れた時には勉強にもなるし、リラックスもできるだろう。
頑張って下さい。

409 :日本@名無史さん:2014/10/05(日) 15:56:30.54 .net
「皇室」って言葉はいつから使われてるのですか?
「皇室」って言葉に訓読みはないのですか?

410 :日本@名無史さん:2014/10/05(日) 16:01:54.68 .net
407
だからスメラ、須弥山(スメール山)のこと
梵語(サンスクリット語)由来

411 :日本@名無史さん:2014/10/05(日) 16:03:53.25 .net
シュメール文明から来ているという説もある

412 :407:2014/10/05(日) 16:59:16.98 .net
日本ではいつから使われたのでしょうか

それと、天皇やスメラギ、スメラミコトということではなく、皇「室」のことが知りたいのです
文献とか史料とかないのでしょうか

413 :日本@名無史さん:2014/10/05(日) 17:27:01.14 .net
多分明治以降じゃないかなぁ。

414 :日本@名無史さん:2014/10/05(日) 20:11:58.02 .net
皇室って熟語はないなぁ

室ってのは部屋のことで、早い話、奥さんのいる部屋、引いては奥さん、さらにその子供までを表す言葉だから
皇室ってのは、天皇と皇后、まだ元服前でその部屋で暮らしている親王を表す言葉になる。
当時は、元服すると、後宮にいられなくなったからね。

だれそれの室というと、だれそれの奥さん、あるいは子どもを産むための空間て感じ。
だから天皇の室となると、言語の使い方に従って皇室という言葉になるわけだが、
古文書では皇室という言葉はほとんど見られない。宮室や御室という言葉の方が多いと思う。
で、強いて和訓するとなれば、皇室はすめらむろ、すめむろ、宮室はみやむろ、御室はおむろ、だろうか。

今と家族についての考え方がちがうから、現在使われている皇室という言葉は明治以前の古文書にはないと言っていいね。
同様の理由で、天皇家もない。
天皇という存在は、天子以天下為家,不以京師宮室為常處と言われている通り、
天皇家というと天下の意味になり、今の家族という意味に通じない。

天皇家か皇室かでいうと皇室が適当とは言えるかもね。

415 :407:2014/10/05(日) 20:22:22.12 .net
>>414
ありがとうございます
「皇室」って言葉と同じ意味の文字、言葉が
宮室や御室にあたるとのことですよね

まだ疑問がありますがまた後で書きます

416 :日本@名無史さん:2014/10/05(日) 20:30:37.10 .net
皇室ってのはだから、天皇とその奥さん、その子がいる部屋ってことだね。

つまり、もし今の東宮殿下が即位されたら、東宮とその妻子を皇室と言うのであって
秋篠宮殿下は皇族ではあっても皇室には含まれない。

もし、東宮や秋篠宮すべてを総称するならば、皇族という言い方になる。

あと、厳密には東宮や秋篠宮は、もう独立して、天皇陛下といっしょに暮してはいないのだから
皇室に含めるのは正確とは言えないね。含めるのは広義の皇室と言うべきものだろう。

417 :407:2014/10/05(日) 20:33:51.62 .net
>>416
ありがとうございます
また後で

418 :日本@名無史さん:2014/10/06(月) 01:45:27.95 .net
■天皇の親族は律令で「皇親」と規定され、明治になって「皇族」と呼称した
■臣下の家に生まれた皇后・妃は「皇親」になれなかったが、明治になって「皇族」となった
■天皇は「皇族」に含めない、天皇と「皇族」をあわせた全体を皇室という

>>415
つまり、
「皇親」に天皇が含まれるかどうか、
律令にどう規定されてるかで判断されることになる

「皇親」に天皇が含まれるなら、
>「皇室」って言葉と同じ意味の文字、言葉
は「皇親」てことになる

419 :日本@名無史さん:2014/10/06(月) 04:10:15.19 .net
皇親を漢語としてみると天皇は含まれない
「すめむつ」(orすめみむつ)って和語としてみると天皇を含む
律令がどっちの建前で書かれてるかはしらんが

420 :日本@名無史さん:2014/10/06(月) 09:32:29.49 .net
律令における「皇親」は、親王位を受けられるかどうかの選定基準として設けられているものだからね
当時の法律用語みたいなもん。書かれているのも継嗣令だし。

どうも、今の「皇室」の定義は、完全に西洋由来の言葉みたいだね。
漢字の語義と一致しない。

421 :日本@名無史さん:2014/10/06(月) 13:32:19.87 .net
考古学的にも生物学的にも民俗学的にも宗教学的にでも無く純粋に歴史的に最も古い人間は何処の誰ですか?

422 :日本@名無史さん:2014/10/06(月) 14:19:33.91 .net
質問の意図が分からん。

423 :日本@名無史さん:2014/10/06(月) 15:19:16.33 .net
>>421
つまり、文献史料に記された最古の人間ってことでいいのか?
ここは日本史板なので、日本に限っていえば、文献に初出する日本人は、『漢書』の奴国の使者だろう
名前までは載ってないが、大夫(個人名ではなく上級な身分の人間)だと称した
この朝貢の時に授けられた奴国王(これまた個人名は不明)の金印も出土している(「考古学的」な証拠だが)
世界では誰なのかは、世界史板で聞いてくれ
たぶんメソポタミアかエジプトの王の誰かだろう

424 :日本@名無史さん:2014/10/07(火) 09:46:27.79 .net
連署のさい、順番で序列をつけないために、円形に連署する形のやつがありますが
これは日本独特のものなのでしょうか?中国伝来ですか?

425 :日本@名無史さん:2014/10/07(火) 11:06:08.54 .net
皇室とは渡来語でしょ。
西洋ではなく、当時最先端の朝鮮からの渡来語が有力でしょうが
勝手に西洋コンプで結びつけるなよ恥ずかしい

426 :日本@名無史さん:2014/10/07(火) 11:10:26.11 .net
また変なのが居つこうとしているな

427 :記憶喪失した男:2014/10/07(火) 15:52:27.40 .net
物部氏の子孫である鈴木姓の三人のY染色体遺伝子のサンプルがO3だと確認できたそうですが、
ネットのどこで確認できるのか、ヒントでもいいので教えてください。

補足
物部氏の祖先神のニギハヤヒは、
皇室の祖先ニニギより早く古事記に登場し、十の神宝をもつ偉大な神です。
その神のY染色体遺伝子がO3であるなら、極めて重要な情報です。

428 :日本@名無史さん:2014/10/07(火) 19:57:54.14 .net
与太話は君の巣である世界史板で

429 :日本@名無史さん:2014/10/07(火) 20:59:39.48 .net
>>427
鈴木姓て。

430 :日本@名無史さん:2014/10/07(火) 22:12:19.92 .net
博士、ちょっと聞きたいんだけど、
ヨーロッパ的な歴史観で国史を観る際に中華風な用語を使ったりするのってカオスなんだけど、
明治から最近に至るまで史学者は「脳内で擦り合わせるからいいか」とか思ってたの?
例えば「封建制」とか

いや、漢語の便利さは否定しないんだけどさ
なんか用語に違和感あったりするよね

431 :記憶喪失した男:2014/10/07(火) 22:37:21.61 .net
>>429
ヤフー知恵袋のdounann206さんがネットで確認がとれたっていうんだもん。

物部氏のY染色体遺伝型ハプログループはわかりますか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11120547861

dounann206さん
2014/09/1406:07:53
物部氏の末裔の鈴木姓の3サンプルがO3であるようです。
確定するにはもっとサンプルが必要なのは言うまでもないですけどね。

dounann206さん
2014/10/0700:20:3
鈴木姓3サンプルがO3であったことは以前ネット上で確認しました。

華北系かもしれません。

432 :日本@名無史さん:2014/10/07(火) 22:43:23.08 .net
卑弥呼の話が盛り上がってきたのって1800年代だっけ?

433 :日本@名無史さん:2014/10/07(火) 22:43:26.86 .net
卑弥呼の話が盛り上がってきたのって1800年代だっけ?

434 :日本@名無史さん:2014/10/07(火) 22:43:52.61 .net
卑弥呼の話が盛り上がってきたのって1800年代だっけ?

435 :日本@名無史さん:2014/10/07(火) 22:48:17.18 .net
>>430
レパブリックに共和を当てたり、フェーダリズムに封建制を当てた事に違和感が有るってこと?
当時の人はいざ知らず、現代人はそういう意味内容の用語として認識している筈なのに
何で違和感が有るの?

436 :日本@名無史さん:2014/10/07(火) 23:31:01.96 .net
>>431
うーんw
ご愁傷さま

437 :記憶喪失した男:2014/10/08(水) 05:52:26.67 .net
>>436
どういう意味?

438 :日本@名無史さん:2014/10/08(水) 06:28:34.01 .net
>>435
そういや小学生の時に鎌倉時代の「御恩と奉公」あたりで封建制って聞いて、そんなもんだと思ってた
むしれ中学でヨーロッパの封建制を習った時に日本史的に当てはめて認識してたかもしらん
明治の人なんかだと中国の"封建"が頭にこびりついてそうかもね

439 :日本@名無史さん:2014/10/08(水) 14:47:43.17 .net
明治以前の院政っていうのは、天皇が譲位後も実権を握るという
実態を指した言葉ですか?
それとも何らかの正式な手続きを経たうえでの言葉ですか?

440 :日本@名無史さん:2014/10/08(水) 14:59:06.04 .net
>>438
中国というより、朝鮮文化を継承さしてるから、そっちのが認識としてあったはずだよ

441 :日本@名無史さん:2014/10/08(水) 18:22:28.45 .net
>>439
正式な手続きというのが何を指してるのか分からないけど
単に上皇が事実上の権力を持ってたというだけなのか、それとも正式な政治制度として院政があったのかという意味なら、後者が正しい

上皇は院宣、院庁という正式な権限や組織を持っていて、治天の君(天皇家の家長)という慣習法も完全に政治制度として確立していた
だから南北朝時代に北朝の上皇が南朝に拉致されて一人もいなくなったときはわざわざ非皇族の広義門院を治天の君にしなくては新天皇即位の儀式を行えなかった

もちろん、太上天皇という制度を導入したときはそんなことになるとは想定してなかっただろうけど

442 :日本@名無史さん:2014/10/08(水) 19:19:19.50 .net
>>441
ありがとうございました
院政は飛鳥時代とかにはなかったと思いますので、途中で新しくできた制度ってこと?
太上天皇という制度ができ、その後に院政という制度ができたってことですね

ちなみに田中角栄が首相失脚後も政界で権力を握り続けたことを指して院政と
呼ばれることがありますが、あれはあくまでもその実態をかつての院政に
なぞらえて例えとして言われてるだけですよね

443 :日本@名無史さん:2014/10/08(水) 21:20:56.82 .net
>>441
本当?
院政というのは朝廷の法体系には当てはまらない
という解釈だと思ってたけど。
「正式な政治制度」って何か出典とかあります?

院宣というのは院政以前からあったものが
「事実上」政治決定権を持つようになったもので
「正式な」という場合は何を基にしてそういうのでしょう。

また、院庁というのも同じように、院自体の家庁機構が
「事実上の」政治決定権を持ったために、政治機構と
変化したわけで、制度として確立という場合
あくまで「事実上のもの」とするのが一般的じゃないのかな。

公家法、という場合もあくまで「慣習的なもの」とすると思うけど
「御成敗式目」みたいな「院政の法令」ってのはあるのかな。

ちなみに、院政、という言葉も一般化するのは
江戸期になってからだと思うけど。

444 :日本@名無史さん:2014/10/08(水) 21:44:24.79 .net
441に同意。

公領は朝廷の管轄。院が関与するとしても、非公式なのはゆるがないように思う。

445 :日本@名無史さん:2014/10/08(水) 21:48:10.68 .net
>>442
院政ってのは制度じゃなくて
あくまで「形態」だとするのが一般的じゃないかな。
同じように「摂関政治」も形態であって
制度とは言わないでしょね。

政治史における区分として形態でわける時の
呼称で、「式目」や「法度」みたいな制度とはまた違うもの。

太政天皇も、制度、というのは少し違うというか。
細かいけど、律令制には天皇や太政天皇を規定する
条文がないと言われてるんだよね。
まぁ、言葉の定義の問題にはなってくるのだけど。

446 :日本@名無史さん:2014/10/08(水) 22:12:19.09 .net
>>440
つまり漢籍の殆どは朝鮮経由で、なおかつその過程で朝鮮風味に改変されてたって事?
封建とか共和とか

447 :日本@名無史さん:2014/10/08(水) 22:35:27.83 .net
>つまり漢籍の殆どは朝鮮経由で

は?

448 :日本@名無史さん:2014/10/08(水) 23:34:01.17 .net
>>445
ありがとうございます
しかし>>441と内容が逆なんでどっちを信用したらいいのか・・
でも、とにかくありがとうございました

449 :日本@名無史さん:2014/10/09(木) 00:04:56.03 .net
縄文人と弥生人は正確に区分できるのでしょうか?

縄文人は縄文語をしゃべってたのでしょうか?
弥生人は弥生語をしゃべってたのでしょうか?

耳垢が湿ってるとか乾いてるとかで、
人種や民族を区分できるのでしょうか?

450 :日本@名無史さん:2014/10/09(木) 00:31:15.46 .net
★☆★☆★☆ 拡散中 ★☆★☆★☆

http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/pav/1410778015/260-301
悪質ステマ業者オーディオケーブル市場店主の高柳義康の2ID自演がまた暴露されました。

http://honto-no-oto.net/
プロケ社にいわば犯罪店だと名指しで明言されながらも、それが事実である為に
公式Webで何ら反論も出来ないオーディケーブル市場。
それどころか自身の悪事を満天下に晒したプロケ社を更に逆恨みする始末。
高柳義康は元プロケ社社員で、社員時代に店舗の現金、商品に手をつけて
クビになったと指摘されている人物。
それ以来プロケ社には執拗な恨みを抱き、プロケ社の誹謗中傷を続けている。
が、実際は先にプロケ社と同一商品を自社オーディオケーブル市場で
取り扱っておいた上での誹謗中傷工作によって、
プロケ社顧客の自社への流出を目論んだステマ工作である。
このステマ工作はプロケ社解雇、オーディオケーブル市場設立以後、
数年に渡り現在も続けられている。

http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/saku2ch/1338264540/515
2chスレでそういった高柳を犯罪者だと公言する者が現れると、
すかさず警察に駆け込み侮辱罪適用を訴えるが、むしろ高柳自身が
プロケ社を侮辱・名誉毀損するステマ工作活動に狂奔していたという事実が
警察の調べにより判明した為に、以後警察にも全く相手にされなくなったという顛末。
この出来事により、高柳が2chスレを常時監視しステマ工作活動を行っている、
という事実が確定した。

451 :日本@名無史さん:2014/10/09(木) 00:49:11.92 .net
本来は
縄文人=縄文時代に生きた、あるいは縄文文化の担い手であった人々
弥生人=弥生時代に生きた、あるいは弥生文化の担い手であった人々
という意味だから、人類学的な形質や遺伝などは関係なく、
考古学的な時間差・地域差によって区分される概念

一方、人類学的な見地からは、
縄文時代以前から列島に住んでいた人々=南方系統の遺伝的特徴を持った人々
弥生時代・古墳時代に大陸から渡来してきた人々=北方系統の遺伝的特徴を持った人々
と区分され、時代は関係ない

これを考古学者の佐原真が「市民にわかりやすく説明する」ために
南方系の人々を縄文人、北方系の人々を弥生人として語ったため、
多くの人がかえって誤解したまま現在にいたっているのが実情

なお、各時代の使用言語については、それを記録したものがないため、明らかにすることはできない

また、これも誤解している人が多いが、民族の区分は、後天的な要素である文化によってなされるもので、
人類学的(形質や遺伝的特徴)に行われるものではない

452 :日本@名無史さん:2014/10/09(木) 00:59:29.93 .net
言葉足らずの伊ところがあるので補足しておくと
縄文時代まではいわゆる「縄文人(南方系)」ばかりだが、
弥生時代へと移行する際にいわゆる「弥生人(北方系)」が少数渡来し、
以後、断続的に「弥生人」の渡来があって、
弥生時代以降は、「縄文人」「弥生人」、両者の混血の3者が雑居している状態で、
そのまま現代へと至っている

渡来した「弥生人」は、地理的な条件から西日本、古墳時代以降は政治経済的な条件から近畿地方に多く居住したため、
「弥生人」への混血具合は近畿地方と西日本の度合いが高く、
逆にそれらの地域から離れた東北地方北部以北や九州南部以南は、「縄文人」の特徴をよく残す人々が多い

453 :日本@名無史さん:2014/10/09(木) 01:08:40.62 .net
先に
>「縄文人」「弥生人」、両者の混血の3者が雑居している状態
と書いたが、
実際には、時代の経過によって混血が進んでおり、
現世日本人については、純粋な「縄文人」「弥生人」はおらず、
遺伝的には両者の特徴を併せ持っていて、どこにどちらの特徴が出ているか、
といった違いとなっている

454 :日本@名無史さん:2014/10/09(木) 07:54:33.24 .net
>>453
お公家さんの子孫も縄文の血が混じっているのですか?

455 :日本@名無史さん:2014/10/09(木) 14:17:47.07 .net
藤原氏のDNAは弥生系とは
言われてるけど、皇室はまた別の
タイプなので、縄文系のDNAの
入った公家さんも当然いたでしょうね。

456 :日本@名無史さん:2014/10/09(木) 14:29:39.61 .net
>>451-453
ありがとうございます

>人類学的(形質や遺伝的特徴)
これは
DNA検査や血統で正確に縄文人か弥生人かを区分できるってことなんでしょうか?
それとも
混血が進む前は外見で正確に縄文人か弥生人かを区分できたってことなんでしょうか?

457 :日本@名無史さん:2014/10/09(木) 14:31:57.74 .net
449の説は現在は否定されてるのではないか。
「縄文・弥生・古墳の各時代、それ以降を問わず、列島人男性の遺骸、及び現代
人男性の人体から検出されるY染色体は、列島人に特徴的なそれが過半を占める」
ということが明らかになって、これは韓人や中国人(華北人)に特徴的ではない
DNAだから、「列島人男性に見いだせるY染色体DNAのグループの内、
その90%が縄文人から受け継いだものと解することができる」ということみたい。

その中でまた2大グループというのがあって
それが皇室系、藤原系、となるのだけど
このあたりの解釈はまた難しい話だね。

458 :日本@名無史さん:2014/10/09(木) 14:40:23.41 .net
>>456
補足だけど、縄文や弥生というのは
単に時代区分だからDNAでの区別はまた違う話。
その各時代、地域に多かったものを
「代表的なDNA]とすると、それが例えば縄文時代に
当たるとしたら、「縄文系のDNA]ということが言える、
ということね。

それを学問的に「定義」してしまえば「これが縄文人」
ということが言えるけど、まだそこまでは学説としては
確定していない。

あと、外見や獲得形質はまったく別の話ね。

459 :日本@名無史さん:2014/10/09(木) 15:14:19.82 .net
>>458
ありがとうございます

>>457
日本の現代人男性の90%が、渡来人の子孫じゃなくて、
もともと列島にいた男性の子孫ということが、DNA検査
で明らかになったということでしょうか?

460 :日本@名無史さん:2014/10/09(木) 16:07:51.62 .net
日本人がカブト虫やクワガタを収集・珍重・愛玩したのっていつからなんでしょうか?
皇族、公家、大名といった上流階級は収集・珍重・愛玩したのでしょうか?
外国はどうなんでしょうか?

461 :日本@名無史さん:2014/10/09(木) 16:44:35.70 .net
>>459
北方系のDNAということなので
縄文以前に元々いたか、
北方から来て混血したかは
わからないけど、縄文時代に列島にいた
縄文人、という定義ではそうなるね。

462 :日本@名無史さん:2014/10/09(木) 16:59:06.40 .net
>>460
江戸中期からは記録にあるけど
それまでは、ない、とすら言われてるね。
収集とか愛玩となるともっとずっと
後なのかも。
平安時代にはコオロギとか鳴く虫が
愛でられていたから、いたんだろうけど
あまり興味を持たれてはいなかったかもね。

463 :日本@名無史さん:2014/10/10(金) 03:45:17.19 .net
>>462ありがとうございます

464 :日本@名無史さん:2014/10/10(金) 04:12:22.02 .net
超音波テロの被害にあっています。
卑劣極まりない被害にあっています。

何が起こったかわからないときから、
わかってみれば、
まだ世の中に知られていない超音波テロ。

世の中のどれだけの音の振動源・発信源が
使用されているのかわからないが、
多数の振動源・発信源がシステム化され、
ネットワークを通して、
超音波・音波を集中させて
対象を攻撃するらしい。

人や社会が襲われ、罪もない人が超音波で襲われ、
卑劣な被害にあっています。

465 :超音波テロの被害者:2014/10/10(金) 04:13:00.79 .net
聞こえる声、音。超音波テロの加害者の声。
「もらいました」という声とともに、
形のあるもの、ないもの、奪っていき、壊していく
超音波テロの加害者の声。

超音波による物理的な力で、
ものが飛び、ものが壊れる。
それが人間の体に対してまで。

身体の表面を突き抜け、内臓を攻撃される。
頭蓋骨を突き抜け、意識を失わされる。
聞こえる声、認識できない声で、精神的なダメージ。
人間の体を壊そうとする超音波テロ。

「見続けるのがいやだから、殺して終わる」、
「証拠隠滅だ」という超音波テロの加害者の声とともに
強烈な超音波の攻撃。
叫ばされ、いたぶられ、
超音波テロの卑劣な被害にあっています。
心の底から被害を訴え、祈っています。

天に神に届きますように。

466 :日本@名無史さん:2014/10/10(金) 04:13:29.68 .net
I'm suffering from dirty strong supersonic attacks!! Supersonic terrorisms!!
Help me!!

467 :日本@名無史さん:2014/10/10(金) 13:36:20.23 .net
>>461
ありがとうございます

468 :日本@名無史さん:2014/10/10(金) 14:44:10.29 .net
平安時代にひらがなとカタカナが成立したといわれてるけど、
濁点や半濁点や句読点が使われてるその時代の文書をみたことがありません

濁点や半濁点や句読点はいつごろから使われたのかわかりますか
濁点や半濁点や句読点が使われてる古文書とかありますか

469 :日本@名無史さん:2014/10/10(金) 19:19:16.98 .net
>>329
明石説だけでなく,惟月太郎って著者も 信長が五箇条の上書で足利義昭の権威を規制しようとしたから 怒った義昭が浅井に御教書を送ったはlで

実際は三好がまた
本國寺の時みたいに また自分を襲うのを恐れて 信長との関係を改めて強化するために送った説を唱えてたな

実際の浅井朝倉の媒酌人は比叡山

その理由も明石説と惟月説を重ねると

自分たちの権益を蚕食し始めた信長が
かつて自分たちを焼き討ちした
天魔王足利義教と

キャラ丸かぶりだからと

意外に世間で流布しとる

470 :日本@名無史さん:2014/10/10(金) 20:19:56.21 .net
>>468
少なくとも句読点は明治になってかららしい。
濁点はそれよりは古いけどはっきりした決まりが無くて、付けないのが普通だったらしい。

471 :日本@名無史さん:2014/10/10(金) 20:31:35.92 .net
>>470
ありがとうございます
濁点が使われた文書で一番古いのってわかりますか

472 :日本@名無史さん:2014/10/10(金) 20:50:28.77 .net
世襲親王家で
伏見、桂、有栖川は地名ですが、
閑院とは何ですか?

473 :日本@名無史さん:2014/10/10(金) 22:56:40.51 .net
屋敷の名前

474 :日本@名無史さん:2014/10/10(金) 23:52:47.56 .net
質問です

高校の日本史の教科書のように全時代について満遍なく記述されていて
高校の日本史の教科書よりも専門性が高く、
一つ一つの史実の繋がりをゼロから論理的に理解させてくれるような専門書を教えて下さい。

できれば1冊にまとまっているものがよいですが数巻に分かれていても構いません。

センター日本史を受験する者ですが40代になって受験を決意したので、
やはり自分の財産になるような書物で学習したく、質問に来ました。

475 :日本@名無史さん:2014/10/10(金) 23:53:53.03 .net
質問です

高校の日本史の教科書のように全時代について満遍なく記述されていて
高校の日本史の教科書よりも専門性が高く、
一つ一つの史実の繋がりをゼロから論理的に理解させてくれるような専門書を教えて下さい。

できれば1冊にまとまっているものがよいですが数巻に分かれていても構いません。

センター日本史を受験する者ですが40代になって受験を決意したので、
やはり自分の財産になるような書物で学習したく、質問に来ました。

476 :日本@名無史さん:2014/10/10(金) 23:55:24.84 .net
2度書き込んでしまいごめんなさい

477 :日本@名無史さん:2014/10/11(土) 07:15:07.99 .net
高校の教科書の詳しい版ならあるが

478 :402-403:2014/10/11(土) 11:41:15.21 .net
>>475
教科書の詳しい版ならこういうのがある
https://www.yamakawa.co.jp/product/detail/26/

479 :469:2014/10/12(日) 18:29:13.47 .net
濁点が使われた文書で一番古いのってわかりますか

480 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 11:55:47.74 .net
>>475
余計なお世話かもしれませんが、センター試験で点数を取る事を目的
とするなら、あまり専門性が高くても意味がないのでは?
教科書レベルの掘り下げ方で少しでも多く知識を暗記した方がセンターでは
有利ではないでしょうか?
もちろん歴史好きならそれでは物足りないでしょうが・・・
あと史実をゼロからってのはかなり大変ですよ
例えば官位ひとつとっても、なぜ越前に行った事のない大岡<越前の守>
なのかってのも、なぜ武士が生まれたか?なぜ武士政権がうまれたのか?
平家はなぜ武家勢力から支持されなかったか?
なぜ義経が勝手に官位を受けた事に頼朝が激怒したか 
信長が副将軍をなぜ受けなかったか 徳川幕府において、なぜ朝廷の官位と実際の領地に違いができたか
等時代をまたがって影響してるので、教科書的な通史では基本的には難しいし
現実的にはセンターは通史で行われるので大変ですよ

481 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 18:10:17.29 .net
ある歴史本読んでいたら書いてあったのですが、日本最高格である伊勢神宮の
主祭神の一柱、豊受大神が日本書紀に一切触れられていないとのこと
これはかなり不自然なことだと思うのですが、なぜ触れられてないのでしょうか?

482 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 19:22:24.31 .net
<日本書紀と古代天皇>青春新書 瀧音能之監修
によると 古事記ってのは天皇家の私史 であり、日本書紀ってのは
支那も意識した天皇家の公的記録の意味合いを持つって事やから
となると、日本古代の神とかそういったものが減って、より客観的に見える
記述が多くなる傾向はあるんじゃないかな?

483 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 19:35:24.54 .net
鎌倉時代、武家というのは幕府の御家人を指していたとのことですが、
その武家に仕える家人は武家ではないのですか?
江戸時代では大名の家来である藩士や、
藩の家老や旗本の家来も武家として認識され、
武家の範囲が広いように思われますが、
時代によって武家の範囲は変化していったのですか?

484 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 22:08:24.42 .net
変化するけど、鎌倉時代には御家人の事を指していたというのは初耳だ。

485 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 22:30:51.69 .net
>>483
江戸時代は下級武士を武家という分類はしてないよ。
現代の価値観では足軽まで武家にマクロ的に士族くくりで扱ってるというだけ。

ただ、御家人も鎌倉と江戸では月とスッポンくらいみも身分も違うので、
それと同じく武家も時代で全く扱いも違うし、
武家自体の区分に意味合いがなくなってくるのが江戸時代。
なぜなら中世以前よりの武家なんて江戸藩士にはほとんどいないから。

486 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 22:47:31.49 .net
これは貴族に武士として認められてた者
みたいな話なんじゃないか

487 :469:2014/10/13(月) 22:48:21.41 .net
濁点が使われた文書で一番古いのってわかりますか

488 :日本@名無史さん:2014/10/13(月) 23:44:07.98 .net
>>483
最初の一行目を読んだ時には"武家とは何ぞや"って質問に見えたけど、
二行目以降をよく読むと、君自身が"武家とはこうである"って定義してないと質問になり得なくないか?

489 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 00:39:30.03 .net
実朝って何で公暁に殺されたん?

490 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 01:05:23.94 .net
>>482
古事記の前文に、各家の伝える帝紀に齟齬があるから朝廷が正しく伝える帝紀を書き記して配布する
みたいなこと書いてるよ、正史として編纂されたんちがうん?

491 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 01:09:51.04 .net
>>484
直参でないのは、「武」であっても、「士」ではないからねえ・・・・・

492 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 02:09:32.45 .net
史料を読んでるのですが、「進棰、仰神妙之由」とはどういった意味ですか?

493 :白馬青牛:2014/10/14(火) 03:34:54.57 .net
>>481
神社のいわれなんか後世のもんじゃし、シャーマニズムは、現代の神道じゃ無ぁわ。

靖国も神社本庁も世界的にゃカルトじゃけぇのう。
136 :名無しさん@京都板じゃないよ:2012/04/20(金) 17:20:12.48 神社界が大好きな「伝統」の中身の多くは近代以降に創出したものであります…
それから「神社神道」史について少し学べば分かることですが、
神道人は「日本が悪くなったのは外国のせい」とすぐに考える癖があります。
国学のころは「唐意」・戦前は「耶蘇・アカ等の外来思想」・戦後は「GHQ」のせいと。
なんでもかんでも時代のせいにしていたら進歩無く衰退あるのみです。
時代情勢にうまく迎合してこそ「伝統」は護られるわけであり、無理に
伝統護持しようとするならばそれらは「旧来の陋習」と化し、多くの人
々を苦しめるでしょう。
神社界の多くは保守を謳っておりますが、肝心なことは「保守とは歴史的
感覚を重視しつつ漸進的な改革を進める立場」ということです。
137 :名無しさん@京都板じゃないよ:2012/04/25(水) 23:17:29.95
「神社合祀令」の時点で、明らかにカルトどころか単なる利権集団なんだよ 国家神道は・・・・・・。
 困ったのは、「神社本庁」と名を変えて、そのカルトどころじゃない利権集団が今でも存続してる件
カルトに加担しない、伏見稲荷や、武蔵御嶽神社は立派だと思う  
 8 日出づる処の名無し[sage] 2009/10/09(金) 09:48:40 ID:aarZ1Cio
  〓国際問題研究所(日本政府外郭機関)が、靖国派(日本会議)を「カルト」と分析〓
靖国問題が外交的に騒がしい場所である以上、日本の政治的見解が海外で理解されることはないだろう。
 米紙ワシントン・ポスト(電子版)は2006年8月27日付で、自民党の加藤紘一元幹事長宅の放火事件とともに
「ナショナリズムの高まりに後押しされ、思想統制が本流になりつつある」とする社外筆者の記事を掲載した。

494 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 04:07:37.29 .net
>>493
なんで牛がここにいるんだよ><
考古板に帰れ

495 :白馬青牛:2014/10/14(火) 07:34:45.40 .net
わしは国博士云うて認められとるけんのう。

496 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 09:05:53.09 .net
>>485
ありがとうございます
足軽クラスを江戸時代は武家とは認識されていなかったということですね。
例えば、大藩の1万〜2万・3万石クラスの家老には多くの家人がおり、
彼らは藩主からみれば陪臣ですし、
1万石に近いの旗本などの家人も将軍からみれば陪臣ですが、
テレビなどのドラマで見る限り、一般藩士クラスと変わらない身なりをしてます。
彼らは江戸時代当時において「武家」或いは「武士}と認識されていたのでしょうか?
それとも、そうではなかったのでしょうか?
よろしくお願いします。

497 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 13:43:53.50 .net
坂本龍馬と中浜万次郎に接点はあったのですか

498 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 13:57:19.39 .net
坂本龍馬が操船を学んだ師匠筋である勝麟太郎の実父
である勝小吉の師匠兼身元保証人である団野真帆斎
の娘である鉄が中濱万次郎の嫁

世代が違うのではと思われるかもしれませんが、
真帆斎は享年89歳と天寿を全うした武芸者であり、
齢70過ぎで娘を設けるだけの健康を維持していました

499 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 16:52:55.04 .net
628年4月15日に推古天皇が崩御してから、
629年2月2日に次代が舒明天皇に決まるまで、
かなりタイムラグがあるけど、
この期間は天皇がいなかったから、
天皇制が廃止されてたってことですよね?

500 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 16:57:59.75 .net
あと武烈天皇崩御と継体天皇即位もかなりタイムラグがある

501 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 17:15:54.22 .net
>>499
空位期間があることと、天皇制の廃止はぜんぜん違う
たとえば、ある天皇が崩御してから次の天皇が即位するまでの期間が1ヶ月だったら?
1日だったら? 1時間だったら? 1分だったら? 1秒だったら?
その1ヶ月間、1日間、1時間、1分間、1秒間、天皇制は廃止されていたのかい?
次の天皇の即位まで多少のタイムラグがあるのは当たり前の話で、そのタイムラグが1秒間だろうと
1年間だろうと、天皇制という制度自体が廃止されていたことにはならない

502 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 18:12:52.45 .net
>>501
じゃ空位が100年でも問題ないってことになりますね
中国やロシアも今は空位なだけで皇帝制は廃止されず続いてることになりますね

503 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 18:43:51.23 .net
>じゃ空位が100年でも問題ないってことになりますね
Yes

>中国やロシアも今は空位なだけで皇帝制は廃止されず続いてることになりますね
No
皇帝制を否定した新興政権が以前の帝政国家を基盤として新しい国家を建てたのであり、
帝政期とはそれぞれ別の国になった
皇帝が不在なだけで帝政という制度が続いているという現象とは全く違う

504 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 18:59:37.16 .net
>>499
舒明天皇の時代に天皇制なんて言葉はない
天皇制て言葉は左翼用語だからそれを使うと、廃止や反対につながるからな

505 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 19:01:40.76 .net
>>502
>空位が100年でも問題ないってことになりますね

問題ない
日本ではないし、さすがに百年ではないが、ドイツの神聖ローマ帝国では、1250年〜1273年まで
23年間も大空位時代があった(大空位時代を、対立国王ウィレムが死んだ1256年からとする説も
あるが、それでも17年)

506 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 19:26:37.16 .net
>>503
それだと政権が先にあって天皇が後で政権に認められるシステムになりますよ
いわゆる立憲君主みたいなかんじ

武烈天皇や継体天皇の時代って摂政も関白も幕府もなかったのだから、
天皇は政権そのものだったのではありませんか?
先代天皇崩御と次代天皇即位にタイムラグがあれば、
その期間は無政権状態で帝制を肯定できないのではありませんか?
>>504
ではどんな言葉があったのですか?

507 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 19:29:04.13 .net
504
立憲君主はドイツの模倣ですけど何か?

508 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 19:30:59.71 .net
>>505
天皇の場合、空位の規定てあったのでしょうか

509 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 19:36:10.68 .net
>>507
つまり大昔は立憲君主じゃなかったんでしょ?
天皇は政権そのものだったのでしょ?

510 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 19:38:27.63 .net
>>506
武烈・継体の頃ってのは王族・豪族などそれぞれが自分の領地領民を持った小首長だったんだよ。
大王はそれらの最終的なまとめ役みたいなもん。

511 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 20:00:06.50 .net
>>510
497です
それだと豪族らのほうが偉くて、
天皇は分譲マンション管理組合の管理人ていどになりますよ
当時は天皇制じたいがまだ成立してなかったって言ってることになりますよ

512 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 20:22:22.48 .net
>>499俗に言う<もがり>じゃないの?
628年4月15日に推古天皇が崩御してから、
629年2月2日に次代が舒明天皇に決まるまで、

別に天皇の<もがり>としては長くないんじゃない

ちなみに<隋書>では貴人は3年って記述もあるし、、漫画で申し訳ないけど
<天上の虹  里中満智子>には長い場合6年って記述もあるよ

あんまり現代の基準で古代を語っても意味ないよ

513 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 20:46:20.55 .net
510

514 :402-403:2014/10/14(火) 20:49:39.76 .net
まあもがりだろうね。

天皇制などという概念はそもそもその時代に存在してないのだから>>511のしつこい突っ込みは無意味。
ただ「天皇制」を否定したいだけなんだろ?
日本の天皇の歴史は「天皇制」なんて左翼が使い始めた薄っぺらい言葉だけで説明できるような単純なものではない。

515 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 20:51:33.93 .net
>>511
大王も領地領民をもつ大豪族なわけ。
通説ではないけれど、私は大王というのは王族(キミ族)の氏上のようなものだと考えている。
天皇制という言葉がどういう体制を指すのかということもあるが、
奈良・平安のような中央集権国家・王朝国家を想定しているのであれば、
そのとおり、この時代に天皇制は成立していない。

516 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 20:56:18.14 .net
>>512
497です
もがりとは何でしょう?
たいへん重要なことだと思います

517 :402-403:2014/10/14(火) 20:59:36.29 .net
少しは自分で調べたら?

518 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 21:22:22.64 .net
497です
>>517
それだとここのスレの意味がなくなるでしょ
>>514「天皇制」という言葉が左翼の言葉なら
それとは違う言葉があったのか>>506で聞いてるんです
今ある天皇皇室を否定したいなんて一言もいってないし、
そういう歴史板にそぐわない主張なんてしてませんよ

ただ過去はどうだったかが気になるんです

519 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 21:28:17.00 .net
>>515
497です
通説だと四道将軍あたりから日本列島のほとんが統一され、
ワカタケル雄略天皇の時代には遺跡などではっきりと天皇支配が確立
してるでしょ
気になるのは、崩御から即位まで仕組みをすんなり引き継げてるか
という点なんです

520 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 21:29:27.38 .net
>>499
ウィキペディアでも載ってるよ
微妙に俺の認識と違うけど 俺の認識では
貴人が死んでも昔やと魂の復活を願う最期のあがきの期間って感じかな
そんな10カ月位のケチくさい例をださんでも
ちなみに斉明天皇崩御から天智天皇即位までは6年
おそらく<もがり>も終わってるし
その期間は天皇不在やけど、その期間天皇制が廃止されてたって解釈になるのかな?
ちなみにこの場合は天皇制を廃止したのは天智天皇になるの?
でその後天智が即位したから 一旦廃止した天皇制を再度復活させたのかな?

521 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 21:32:36.37 .net
つうか天皇家のルーツに遡るなら

飛鳥浄御原宮以前の史跡ってでているの?

522 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 21:39:01.61 .net
>>520
497です
ウィキペディアみました
でもなんかよくわからないのです
>ちなみにこの場合は天皇制を廃止したのは天智天皇になるの?
>でその後天智が即位したから 一旦廃止した天皇制を再度復活させたのかな?
自分もそれが気になるんです

523 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 21:47:04.06 .net
>>521
飛鳥浄御原宮(伝板蓋宮遺跡)の下層の遺跡が、舒明の岡本宮や皇極の板蓋宮と言われてるね。
文字資料が出てないので確実なことは言えないが、豊浦寺(向原寺)の下層が推古の豊浦宮だろうというのも有力。
あとは泊瀬の脇本遺跡が雄略の朝倉宮に関連するかと言われてて、豪族居館風のため池だかが検出されたのではなかったかな。
ちなみに、纏向遺跡以降飛鳥までの間、大王の居館に想定される遺構は見つかっていません、が考古学の合言葉。

524 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 21:53:39.12 .net
>>522
@古代の風習では1年程度天皇が不在でも別におかしい事ではない
なぜなら <もがり>って風習があって、現代みたいに人が死んだら
すぐ葬式→火葬って流れにはならないから むしろ10カ月やと短い位
こんなのを理由に当時ゴタゴタがあったって推論は成り立たない
A<ちなみにこの場合は天皇制を廃止したのは天智天皇になるの?
でその後天智が即位したから 一旦廃止した天皇制を再度復活させたのかな?>
ごめん 之はちょい皮肉で言ったの
こんな事ありえないから  
>>499は全部現代の基準で考えてない?
当然俺も含めた現代人には難しい事やけど、現代の基準で歴史の推論を行って行くと
トンデモない結論がでるよ?

525 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 22:02:39.18 .net
この、皇室・天皇への執着…
あの御方の臭いがするのだが

526 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 22:06:16.60 .net
497です
>>524
ちょっとだけわかってきましたが、
そんな重要なことなのに
<もがり>って風習なんて
ここで今はじめて知って
学校では習わなかったし
古代史の本でもみた記憶がなかったので
驚いてます

527 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 22:06:49.34 .net
>>522
>499です
>ウィキペディアみました
>でもなんかよくわからないのです
正確じゃないけど喪に服していた、と思えば良い。
新王の即位は喪が明けるまで待っていたと。
諸々の制度が整えられるようになると服喪の期間も決まりが出来るけど、
決まりが無い時代は喪に服する側の気が晴れるまでだ。

528 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 22:09:53.47 .net
チョンのうざさは異常

うらやましいのだろうね

529 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 22:10:19.12 .net
キチガイ降臨中

530 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 22:13:18.09 .net
最近やけにサヨクが粘着してくる気ガス

531 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 22:18:10.90 .net
>>526学校では習わないよ
なぜなら学校では歴史の時間が多くても週2〜3時間×45週位?(適当)
で全時代をしなきゃいけないから
当然教える事は通り一辺倒にならざるを得ない
例えば日本のトイレの歴史とか風俗店の歴史ってのもかなり面白いけど
学校でそんなニッチな所まで教えるような時間はないでしょ?
余談やけどよく韓国人が日本は学校で侵略した韓国の歴史を教えないっていうけど
おそらく近現代史にさける時間は年間10時間がいいところかな
韓国にとってはその期間は<日本に支配されてました>だけやけど
日本にとっては世界を相手に戦ってたわけやから、韓国の詳細なんて細かな事を教える時間
はないのね
<もがり>についても学校で習ってないのは当然やで

532 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 22:18:27.97 .net
気違い粘着は別にして「モガリ」については最近の著だと井上亮氏の『天皇と葬儀』で一章まるまる書かれている

533 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 22:36:45.49 .net
昔の天皇って実の叔母でたったんですか?AVじゃあるまいし

534 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 22:45:48.47 .net
497です
>>527>>531ありがとうございます
他にも返事してくれた人と、<もがり>について説明してくれた人に感謝します
>>532の本は機会があれば読んでみたいです

535 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 22:50:26.94 .net
機会があれば、って本なんて自分で機会を作らなければ読むことなんてないだろう。
降って湧いたようにその本が目の前に現れるのか?
「知りたい」という疑問に対して提示された著書について「機会があれば」なんて言うなんてその程度の探究心なんだろう。

536 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 22:50:40.91 .net
497です
>>533
おまえの実の叔母は天皇じゃない

537 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 22:58:16.44 .net
>>536
一般論として血縁関係にある人間同士は遺伝子的に欲情しないものなんですが
実母の実妹を嫁にさせられたからといってやれるもんなんでしょうか

538 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 23:00:10.17 .net
497です
>>535
? がついてるので質問ですよね
探究心の程度なんて人それぞれです
降って湧いたように本が目の前に現れないと思います

539 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 23:04:13.55 .net
497です
>>537
何に欲情するかなんて、
歴史板にそぐわないから
よそで質問しなさい

540 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 23:08:53.03 .net
ほら、本性を現したぞw

541 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 23:12:20.97 .net
>>499
つーか殯とか言う前に日本書紀の崩御と即位に関する部分だけでも読め
年単位の空位期間とか何回も出てくる

542 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 23:12:43.37 .net
NG推奨

543 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 23:29:19.47 .net
「天皇制という言葉はなかった」
と最初に注意?してるように
その後も「政権そのものですよね」と
言われたって、「政権」なんて単語も発想も
同時期にはなかった。
つまりあくまで、現代の定義、に置き換えようとするから
おかしくなるのよ。

過去に存在するものを「現在で言うと」と
理解しようとするのはとてもよく見かけるけど
その発想自体が「歴史的」ではないということに
気づいて欲しい。

例えとして理解して、同時代的にどうだったかを
考察して欲しいのだけど、「共通理解を図るには
現代の単語で語るしかないですよね」とかまた
質問されるだろうから、先に注意しておくと
目的と手段の混同、とか根本的な誤謬に
つながる考え方しかしていない。

部分的に「それはこうですよね」という質問自体が
すでに「部分と全体の誤謬」にもなっている。
「盲人像に触る」の例えそのものだ。
答える方の参考にもなってはいるけどね。

544 :日本@名無史さん:2014/10/14(火) 23:40:10.30 .net
>>543
>>499はこの板では有名な自演・なりすまし上等のキチさんですよ
マジレスしても徒労に終わります

545 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 00:21:18.58 .net
>>544
ありがと。
最近新人さん?の便乗も多い感じだからさ。

546 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 01:43:19.40 .net
殯で説明終わってしまったみたいだけど
この時代の天皇は群臣に推戴されるのが即位の条件とされていたようだから
先帝崩御から新帝即位まで時間が空いているのは
群臣たちの意見がまとまらなかった、あるいは候補となる皇族間で争いがあった、と考えるのが普通じゃないかな
推古後継の場合は田村皇子(舒明)と山背大兄王と有力候補がいてもめていたはず

群臣から推戴される状況からこの時代の政権が豪族連合体であったことを示しているという説、
こうした状況が、大王陵が頭ひとつ抜け出してはいるが決して圧倒的ではないという古墳築造の状況と一致しているという指摘、
魏志倭人伝に記される卑弥呼の「共立」との共通点がうかがえるという意見もある

こうした豪族達の動向に左右される政権構造は権力基盤が脆弱になるので、
それを打破しようとする動きが推古朝から始まる律令国家への動きだともされている

こうした視点に立つと、天智がなかなか即位できなかったのは、
白村江での大敗によって、豪族達からの推戴を受けられなくなったためと考えられる

547 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 03:39:49.40 .net
信長って茶器に執心してたようですが、ということは茶道も嗜んでたと思って良いですよね?
信長がホストとなって家臣なり公家なりにお茶を出したって記録はありますか?

548 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 04:54:41.87 .net
>>547
何度も茶会を開いてるよ
一番有名なのは、本能寺の変の前日に、その本能寺で開いた茶会じゃないかな?

549 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 19:58:04.87 .net
>>546
推古天皇の時代については知識がないから、なんとも言えないけど
天智が豪族からの支持が無くてってのが納得できない
@当時の中大兄皇子って母の斉明を隠れ蓑にした絶対権力者やのに?
A斉明が死んだのは白村江の前やから、敗戦はあまり関係がないはず?
B仮に白村江での大敗が原因なら、即位出来たのはその後どういった功績があった?
むしろ国防等に力を注いだせいで、国民が疲弊した話がよくでてる
C白村江での大敗のせいで即位できないのであれば、即位までに他の候補
がいてもおかしくなかったはず。現時点でそういった勢力争いがあった話は聞かない
D天智の後、大友皇子が豪族に推挙されたって話も聞かない

550 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 20:35:01.34 .net
>>546
1 絶対的な実力者であっても直ぐに即位していないところがミソ
大王家内の論理だけでは決められない状況が透けて見える
2 斉明崩御後の最高司令官は中大兄
敗戦の責任者は当然、中大兄
3 大津への遷都
これにより有力豪族を本拠地から切り離し、勢力低下を狙ったとも考えられる
4 他の有力皇族は実弟の大海人くらいしかいない
5 天智の改革(律令国家化=大王家の絶対化)は進んでおり、臣下の意向など関係なく大友は後継者に指名されたもの
しかし、皮肉にも、群臣からの推戴を経ていなかったことが壬申の乱での敗死の原因となった

551 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 21:13:18.79 .net
>>550
まず
2斉明が死んだのは白村江の前やから、敗戦責任で即位できない
のは成り立たない
3大津への遷都の理由の一つは有力豪族の影響力の低下ってのはその通り
やけど、それは中大兄皇子が即位したあとやから、ロジック的には即位できた
理由にはならない

4大海人しかいないのであれば A大海人をかついで権力争い B仕方ないから
中大兄皇子のどちらかしか選択肢が無いはず 

そもそも中大兄皇子の即位に反対していた有力豪族って何氏?即位後はそこの豪族
はどうなったの?そもそも他の天皇候補がいない中、反対し続ける事って可能なの?

有力豪族からの推戴ってそれは何らかの儀式的なもの?文書や御前会議ってあったの?
例えば持統天皇が孫を天皇にしようとした時皇族を集めて公開会議をしたよね
あんな感じ?

552 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 21:31:53.83 .net
いろいろと時系列順に並べてみた方がいいと思うよ

553 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 21:53:32.45 .net
とりあえず気になったところ

その1
661年 斉明天皇崩御
663年 白村江
斉明天皇崩御後、白村江に至るまで
九州で百済復興支援の指揮を執ったのは誰?


その2
667年 近江宮遷都
668年 天智天皇即位
近江遷都が天智即位後?

554 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 22:09:17.85 .net
660年代前半は中大兄をはじめ政権中枢が九州にいた時間が多かったかも。
草壁皇子(662)、大津皇子(663)は九州で生まれているようだし。
その後大海人が先にヤマトに帰ったか? と思わせるのが、
664年の甲子の宣を中大兄が大海人に命じていること。
ある程度敗戦処理を付けたところで中大兄もヤマトに戻る。
こんな異常状態が続き、かつ間人大后の死去などで「即位」が遅れたのではないか。
で、近江に新天地を定めたところで、やっとこさ即位と。

555 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 22:10:21.79 .net
何でカタカナで書く必要があるの?

556 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 22:33:29.65 .net
ヤマトのこと?
なら他意は無いです。倭で良いです。

557 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 22:38:25.21 .net
何で日本の字で書かないの?

558 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 22:50:51.23 .net
>>557
ゴメン、意味が分からない。

559 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 22:52:06.50 .net
>>558
何で外国の文書の字を使うの?

560 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 22:58:29.99 .net
>>559
ん? 漢字で書くなってこと? ならヤマトでいいじゃん(カタカナも漢字由来だろってのは置いといて)

561 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 22:59:56.43 .net
>>560
外国の文書で使われている字っていう意味だけど分からないんだ。
鈍いなあ。

562 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 23:02:06.24 .net
「倭」のこと?
「倭」なら日本でも使っとるよ。

563 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 23:03:00.01 .net
>>562
それが反論になると思ってるのなら程度が低いな。

564 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 23:04:10.46 .net
>>563
いやw ホンマに分からん 何が不満なのかね?

565 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 23:05:20.09 .net
>>564
ならもう一度聞くが、何でカタカナを使ったんだ?

566 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 23:07:56.59 .net
だから他意はないって。
多分ほかのスレで(もっと時代の古いやつ)使ってたのが変換されただけと思う。
自分でも分からないから、こんなに突っ込まれてびっくりしているw

567 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 23:09:54.34 .net
>>566
他意がない?君は変換されたら何でも無条件に使うの?

568 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 23:13:19.82 .net
>>567
いや、ホンマにホンマに分からんのよ 
何が不満なのかね?

569 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 23:14:25.32 .net
>>568
分からないの?
ならば歴史について騙る資格はないよ。
文字の由来を知らずに使う輩は歴史を学んでいるとはいえない。

570 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 23:16:08.89 .net
>>569
ほんとに分からない。教えてほしい。何がダメなのか

571 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 23:17:15.99 .net
横レス失礼
真意はともかくヤマトとカタカナで書くことは珍しくない
つっかかる方が驚き

572 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 23:17:29.15 .net
>>570
だからさあ、その字を使う意図がなんなのかを少しは勉強しろってこと。
皮肉も分からないのか?ちょっとがっかりだ。

573 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 23:19:38.88 .net
>>572
わけわかんなくなってきたw その字ってどの字だ?
倭か? カタカナか?

574 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 23:20:34.91 .net
最近はヤマト王権って表記も見かける

575 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 23:24:25.96 .net
>>573
場面だな。まあ分からないならいいよ。

>>574
その表記の意図は?という話だけどね。

まあ突っかかった方が悪かったな。謝るよ。
だけど最近の歴史学っていうのは文字を軽く扱うんだよな。
そういう風潮が何かいらいらするんだわ。清少納言あたりだったら結構怒ってると思うんだけどね。

576 :日本@名無史さん:2014/10/15(水) 23:28:09.28 .net
>>575
分からないならいいよって、よくないw
モヤモヤして眠れないじゃないかw

577 :569:2014/10/15(水) 23:29:04.99 .net
>>574
おっしやる通り
当方は基本的に右翼だがヤマトと表記する理由はそれなりに納得できる

>>576
当方は文字表記を過度に重視するゆえのカタカナ表記と解している

578 :569:2014/10/15(水) 23:41:13.04 .net
失礼、レス番号を間違えた

当方の理解ではつっかかってる御仁はカタカナ表記は
我が国を侮辱していると誤解しているのではあるまいか
カタカナ表記の理由はWikipediaにでものっていると思う
無責任ながら当方は確認してないので知らんが
つっかかっている御仁の憤りは理解できなくもないが
学問的にカタカナ表記もありえるというのが当方の理解である

579 :569:2014/10/15(水) 23:46:59.13 .net
何度も失礼
当方の見解が誤っていたら申し訳ない
573殿のご高見をうかがいたい

580 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 00:04:27.59 .net
山跡、倭、ヤマト、夜麻登、大和、日本、大倭
ひらがなはないんだっけ?

581 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 00:24:17.03 .net
>>548
すいませんそういうときに、自分でお湯を沸かし、茶を溶き、出していたんですか、
っていう意味の質問でした

582 :569:2014/10/16(木) 00:24:47.79 .net
>>576
反論もないので当方の理解のとおり
カタカナ表記は我が国を侮辱していると誤解して
つっかかって悪行雑言並べただけの愚物のようですな
エセが愛国ぶるのは当方が如き右翼には迷惑この上ない
外国の文書の字などと書いているところから解すると
カタカナも漢字由来と書いておられる貴殿の方が
はるかに本質を理解しておられると当方は考える
ゆえに愚物にからまれただけと思い安心して眠りについていただきたい

>>580
確かにひらがなは見かけませんな
左様に漢字表記が多々あるゆえカタカナにするわけですよな

583 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 01:08:23.25 .net
>>581
それは不明。利休とかにやらせていたかも知れない。

584 :579:2014/10/16(木) 01:39:50.50 .net
今他のことでググってたら、
「茶湯古事談」に、「信長公も御手自御茶を下され」っていう記述があったようです
まぁ成立が江戸時代に入ってからのようですけど参考にはなりました

585 :白馬青牛 ◆sFKEXPp.2M :2014/10/16(木) 07:57:17.39 .net
成り上がり家系偽装は簡単に作成出来るが、東国から移住した地頭としての記録や、それらが
安芸国人衆となり、近世でも多くが土着し、庄屋文書の記録と歴史の連続性があるけぇ、
味噌と糞は違うど。
朝鮮人認定たぁ、ネット右翼らの毎度の工作じゃなぁか。近代に朝鮮人の系統じゃの
わしの家系にゃ無ぁわ。坂東、東国武士は、百済系だけじゃ無う、高句麗系も新羅系も
混じっとるわ。信濃の戦国大名の源氏を名乗った村上氏も、平安初期に改姓する前は、
高句麗の前方黒麻呂系統じゃし、甲斐の武田信玄の母方大井氏も高句麗系。
武蔵金子氏も平氏以前は高句麗系。武田氏は広島安佐郡へ守護として、金子氏は、
広島安芸郡へ地頭として移住した一族がおるし、系統としては南ツングース北方渡来系じゃ。
上野の群馬県あたりは、新羅系が多いいし、新田源氏も新羅系の可能性が強いのう。
河内源氏系も関東へ移住しとるけど、畿内の摂津・河内は百済系、あるいは鮮卑系の基盤で、
高句麗系も多いい。
ほいから、高句麗は満州の風土で生まれた生粋の南ツングース系で朝鮮の地で形成されたわけ
じゃ無ぁし、朝鮮民族云う概念自体半島部のみ統一された新羅時代に成立したし、
百済、新羅、伽耶の支配層も北方渡来系じゃ。
韓国のトンデモらは、高句麗まで我が民族じゃの妄言云うとるが、韓国にゃ民族が形成された
土地柄云う概念すら無ぁ感情論で騒ぐ、幼稚な困ったちゃんが多いいよ。
日本の奈良期に日本民族が西日本においては形成されたけぇ、それ以前の人たちは日本人でも
無ぁわけじゃ。関東は渡来系が改姓帰化した平安初期に日本人になった程度で、
東北はもっと遅い。ただ西日本と東日本は民俗学的にゃ異民族に近いけどのう。

586 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 08:33:55.72 .net
平安中期から後期にかけて発生しだした武家というのは、
高句麗や百済、新羅系の人々の子孫なのか?

587 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 10:03:01.04 .net
秀吉のアダ名はハゲネズミだったなどと申しますが
信長の肖像画を見てもハゲ、当時チョンマゲヘアはハゲであろうと思いますが
秀吉がハゲネズミとはどういうことですか

588 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 11:13:41.45 .net
>>587
信長が言いたかったことは秀吉の容貌が鼠に似てたってことで
鼠は毛がふさふさだが秀吉はそこんとこは違うってことでハゲを付けただけじゃね

秀吉の浮気に悩むねねの味方になってねねの美貌に対してあの男の醜さはなんだ
もっと自信を持てといってる手紙だから秀吉を故意に落としてるだけで
大して意味はないと思うがね

589 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 13:44:27.07 .net
問い:海外から日本に入ってきた文化の中で最も意外性のあるものを答えよ

590 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 13:59:24.26 .net
>>589
何が最も意外か?なんて質問だと、
個人的な感想は言えたとしても、正解が出てくるとは思えん

591 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 14:29:25.26 .net
なら、自分の中で最も意外な文化で

592 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 15:03:43.75 .net
>>591
ぱっと思いつかないな
意外ってのは、自分の考えがくつがえった経験のことだろ
近代史でなら思いつくのがあるけど板違いだし

593 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 16:46:08.99 .net
中国から入ってきた衆道

594 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 17:30:04.91 .net
聖徳太子あたりからは、たいがい大陸の影響うけてるんじゃないかと、
思い込んでるやつ多いと思うから、「海外からの文化」ってことを
あらためて知ったとしても意外な感じが生じにくい

海外からの文化よりも、実は日本独自の文化だったってのを
挙げてくことのほうが、「意外」感を味わえるのでは

595 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 19:21:27.58 .net
神武東征って言葉がありますが、神武天皇はなぜ日向から
ヤマトを目指したのでしょうか?
最初からヤマトを目指したのでしょうか?
それとも結果的にヤマトの地で建国、即位となったのでしょうか?

ヤマトの地をさらに越えて名古屋、静岡と進んでいってもおかしくはないわけですよね

596 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 19:46:12.91 .net
>>595
今再度本とかネットでにわか勉強した所をまとめると
@日向は西の果てで国土を治めるのには適していない
A東の方によりよい土地がある
Bすでにニギハヤヒノミコトって神様も行っている
Cよしいざ行こう
こんな感じかな
ここからが私見やけど、なぜ静岡 名古屋じゃないかってのは
多分考え方の順序立てが逆やとおもう。神武の東征ってのは、神武の実在の有無は別としても
神話的事実として神武は神やけど、事実としては恐らく人間やし、神武の東征ってのは
後世の奈良地域に住んでた人間が作った話やと思う
つまり神武が実在で且つ東征(日本書紀が100%事実とする)が行われたのであれば
名古屋 静岡って可能性もあったけど、奈良人が考えた神話的事実の東征であれば
なぜ奈良かっていうと、奈良人(関西在中人)が考えたからになるのでは?

597 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 19:50:28.24 .net
>>593 マジでか。それは驚いた

598 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 19:54:23.26 .net
592
修道は仏教坊主が広めたもんだぞ
海外からきた僧も多いことを忘れずにな

599 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 20:10:41.54 .net
>>598にいっておく

自分は592だけど、591にレスしてないし、
こっちから修道の話なんかしてないし、知りたくもないし、
忘れずにな、とかいわれる筋合いもない

600 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 20:23:19.53 .net
修道の話よりも修造の話しようぜ。

601 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 20:27:00.28 .net
松岡修造の話は近現代史のほうだぜ

602 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 20:42:52.16 .net
有田修三

603 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 21:18:58.59 .net
外国人の友人に聞かれて、うまく答えられなかった問題です。
明治時代に日本では「上からの産業革命」が起こったわけですが、同じように「上からの産業革命」をやろうとしてうまく行かなかった国と比較して、決定的に違った経済的要素は何でしょうか?
市場経済、流通システム、家内制手工業、金融システムなどいくつか候補を考えてはみたのですが、よくわかりません。
よろしくお願いします。

604 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 21:26:44.60 .net
>>603
それここより近代史板か世界史板のほうがいい

605 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 21:55:17.08 .net
>>596
ありがとうございます
確かに、奈良の都にいる権力者が書いた史書だから
奈良(ヤマト)がゴールになるわけですよね
でも、神武が実在したかどうかはともかく、
奈良の都にいる権力者(天皇?)の先祖は実際に
東のほうから奈良に来て、奈良を拠点にしたわけですよね
それは結果的に奈良になったのか、最初から奈良を目指したのか、
その辺はどうなんでしょうかね?

606 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 22:09:39.20 .net
>>605
>奈良の都にいる権力者(天皇?)の先祖は実際に
>東のほうから奈良に来て、奈良を拠点にしたわけですよね
違います。何処かから来たのか、それとも元々そこに居たのか、何も判りません。

607 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 22:12:03.01 .net
>>603
それで説明できてると思うけどなぁ
蒸気無き近代化を江戸時代後期にはすでに実現させてたんじゃないのか

608 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 22:47:56.35 .net
また例のヤツの臭いがするな

609 :日本@名無史さん:2014/10/16(木) 23:20:35.33 .net
信長が長生きしていたら近代はもっと早く訪れたと思いますか。

610 :日本@名無史さん:2014/10/17(金) 00:16:32.00 .net
>603
「上からの産業革命」という言葉の使い方が分からないので「殖産興業」が成功した理由を尋ねていると仮定して

江戸時代から藩内単位では上手くやっている藩もあった
だが江戸時代には御上に絶対的に抑えられていた
明治になってから何かが変ったのではなく、江戸時代の涵養と御上という頚木が取り払われたため

次に海外との比較だが、西ヨーロッパの幾つかの国を除けば世界の大半は農奴制・奴隷制という生産性の低い産業構造が持続していた
WWU後東欧はソ連に飲み込まれたが、同じ社会主義諸国の中で、東独とチェコの生産性が図抜けていたことからも産業の興産には一定の素地が必要なことは明らか

611 :日本@名無史さん:2014/10/17(金) 01:04:51.79 .net
庄屋って大きな屋敷に住んでて金持ちの印象ですけど、村で取れる石高ってそんなに多くはないと思いますが、なぜ裕福なんですか?

612 :日本@名無史さん:2014/10/17(金) 04:39:30.34 .net
>>611
だいたいのパターンとしては、庄屋さんが「小作料」を得る。また、商人化して、
醤油造り、酒造りなんかをする。これを村内に売買、また地域に売買する。
さらに開墾事業、海運事業に手を出す場合なんぞもあります。
もちろん金融業も。

ただ、庄屋といっても1年制で交代したり、逆に絶対世襲制だったりと色々のよう
で、当然、裕福さ加減はまちまちで。

613 :日本@名無史さん:2014/10/17(金) 14:13:14.19 .net
飛鳥時代や明治初期の一時期は神祇官が置かれ、神社関係者は国家公務員扱いだったようですが、
神社関係者のどのレベルまでが神祇官(国家公務員)扱いだったのでしょうか?
神主とか宮司のような神社のトップだけでしょうか?
神社関係者といっても上から下までいろいろありますよね

614 :日本@名無史さん:2014/10/18(土) 04:34:28.07 .net
>>613
律令制時代の神祇官は宮城での祭祀と諸国神社のもろもろの窓口、
それらを統括する事務方といったところで、これらは国家公務員的だけれども、
各神社の神職者や運営は神社が決めるもので公務員的(役所的)じゃないよ

615 :日本@名無史さん:2014/10/18(土) 09:15:35.88 .net
教えてください
江戸時代の日本の人口と総石高ってどれくらいですか?
有名な話で江戸時代の百姓が米を食えなかったってのは嘘だ
なぜなら武士は全体の5パーセントくらいで90%位は百姓だ
米は人の5倍とか10倍だべるのは不可能であり、また当時は鎖国で
米の輸出もしていない。残っても腐らすだけなので、最終的には
農民の口に入っていた
かなり説得力はあると思いますが、前提として当時の石高が
日本全体の人口にマッチしていなければいけないと思います
色々調べたのですが、いまいち出てこなくて・・・

616 :日本@名無史さん:2014/10/18(土) 09:26:31.83 .net
>>603
ありがとうごさいます。
そちらの板でも聞いてみたいと思います。

>>607 >>610
ありがとうございます。
「上からの産業革命」というのは、殖産興業とそれに引き続く社会のダイナミックな変化と結果としての近代化をまとめた意味で使っていたのですが、ご説明頂きたかったのは608のような内容です。
私は在米中にアジアやアフリカ出身の複数の人から質問をされたのですが、彼らが知りたかったのは「なぜ日本はうまくいったのに自国は近代化が遅れたか?」ということです。
確かに「一定の素地」が必要なのは当時の私にもわかっていたのですが、彼らの疑問に端的に答えるにはどう言えば良かったのかなあ?
608の説明に即していえば、「幕末の日本は『資本論』に紹介されているような『封建制の現存例』ではなく、科学技術と幕藩体制以外は既にほぽ近代化がなされていた」と答えるのが模範解答と考えてよいでしょうか?

617 :日本@名無史さん:2014/10/18(土) 11:18:29.80 .net
>>615
博士でなく私の勝手な推測で恐縮ですが、
仮に米を食べなかった場合米以上に他の作物を作っていなければならないので
結局米が主食だったのではと思っています。
農作物の輸出入が活発になる前は基本的に食糧生産量=人口で
農民は新田開発しないかぎりは1家族の生活がある程度成り立つレベルの土地を代々1家族で耕作していたのではないかと。

618 :日本@名無史さん:2014/10/18(土) 13:24:00.00 .net
>>614
各神社の神主や宮司は神祇官じゃなかったんですね
ありがとうございました

619 :日本@名無史さん:2014/10/18(土) 13:30:18.11 .net
>>615
百姓の中には木綿や染料をつくっていたところもあるでしょうし
酒にしていたところもあるでしょう

酒なんてのは大量に消費しますのでね

620 :日本@名無史さん:2014/10/18(土) 17:24:56.48 .net
アイヌはもともと民族を指す言葉じゃなかったんですか?
いい人だけがアイヌを名乗ることが許されたんですか?
なぜアイヌって言葉になったんですか?

621 :白馬青牛 ◆sFKEXPp.2M :2014/10/19(日) 07:10:47.19 .net
>>617-618
 過去スレでも、中央アジアは、元来の仏教の原理主義じゃ無ぁし、
ヘレニズムや遊牧民の価値観で生まれた新仏教じゃけぇ、違う云うたんを、
仏教原理主義の教典主義連呼に逃げよったんは、あんたじゃし、
日本書紀に卑弥呼じゃの云う記述も無ぁわ。しかも日本書紀から何百年前の
書物すら無ぁ時代のことで。現代人が江戸前期や室町時代を参考書物無しに、口伝じゃ、
平家村伝説の事実の関連せん概念になる云うことなんで。
そもそも、宗教カルトの歴史修正主義者のあんたらに、歴史を語る価値も無ぁわ。

622 :日本@名無史さん:2014/10/19(日) 08:10:16.93 .net
>>617 >>619
なぜ当時の総石高と人口を知りたいかというと
石高というのは 1石=1年間で人間が食べる米の量だからです
つまり100万石=100万人を1年間食べさせる事が出来るという意味です
例えば人口100万人で50万石しかなければ50万人が飢える
100万人で120万石なら餓死者が大量に出るなんて事は起りえないという意味です

623 :日本@名無史さん:2014/10/19(日) 10:11:02.26 .net
倭寇および壱岐や対馬の歴史についてお詳しい方に質問です

1.先祖が壱岐出身なのですが、現在の壱岐島民の先祖の大半は松浦党といった武士崩れの海賊の子孫と考えてよろしいのでしょうか?
元寇の際に島民がほぼ全滅したと伺っております。
2.1に関連してなのですが、海賊といえば基本的には男社会になるかと思います。
壱岐島民のミトコンドリア遺伝子の由来のかなりの部分は略奪してきた朝鮮人女性ということになるのでしょうか

先祖のルーツの話として歴史問題ということを抜きにしてお聞きしたいです

624 :日本@名無史さん:2014/10/19(日) 23:23:50.50 .net
>略奪してきた朝鮮人女性
こんなことを書いている時点で、荒らす気でいるようにしか見えん罠
後期倭寇の拠点は壱岐じゃなくて五島列島だ

625 :日本@名無史さん:2014/10/20(月) 00:07:58.74 .net
>>623
元寇で壱岐島が無人島になってしまったんですか?

626 :日本@名無史さん:2014/10/20(月) 00:14:35.84 .net
>>623
>海賊といえば基本的には男社会になるかと思います。
船の中は男社会かもしれんが
母港に戻れば女がいてもおかしくないだろ

627 :日本@名無史さん:2014/10/20(月) 00:24:54.81 .net
江戸時代の大名の国替について教えて下さい。
国替を命じられた大名は、家臣全員を一緒に連れて国替したんでしょうか。
石高が低いところに家臣全員で国替したら家臣逹の禄も減ってしまったのではなかろうか?と思いましたので…。
禄が低くなっても殿様について行かないと不忠者扱いされてしまったのでしょうか。
殿様の国替に従わずにその地に土着してしまった者はいたのでしょうか。

ご教授下さい。

628 :日本@名無史さん:2014/10/20(月) 00:47:20.04 .net
>>627
基本的には全員連れて行きますが、石高が不足の場合は召し放ち(解雇)も有ります。
ついて行かないで牢人または帰農する人も居ます。ご恩有っての奉公なので禄が無いのに
不忠とは言われません。

上杉家は豊臣の大老として会津120万石から、関ヶ原で負けて米沢30万石に減らされたけど、
召し放ちをしなかったので上から下まで皆で貧乏に堪えました。

629 :日本@名無史さん:2014/10/20(月) 00:57:47.32 .net
佐竹について行かず水戸に残ったのがけっこういたと思う

630 :日本@名無史さん:2014/10/20(月) 01:03:53.46 .net
>>626
世界各国の例を見ますと、基本的に移民の類は男性優位社会ですよね?
倭寇による被害では女の略奪もありますから、遺伝的には私の言ったような例もあるかと思います。
私が知りたいのはその割合なのですが、ご存知の方いますでしょうか

別に歴史問題とか関係なくただの知的好奇心からの質問です

631 :日本@名無史さん:2014/10/20(月) 01:08:27.77 .net
女を略奪してヒャッホーという話に興奮したいなら、BBSPINKへ
日本語は読めるかい、童貞君。

632 :日本@名無史さん:2014/10/20(月) 01:10:22.53 .net
男性優位な社会が多かったのは事実だが、殊更、移民社会が男性優位ってわけでもないような。

633 :日本@名無史さん:2014/10/20(月) 01:11:40.63 .net
お前が勝手に興奮するなよw

634 :日本@名無史さん:2014/10/20(月) 01:15:04.90 .net
>>632
男性優位社会っていうのは誤解を招くな
移民の男女比は女性よりはるかに男性のほうが多いんじゃないの的な意味で書いた

635 :日本@名無史さん:2014/10/20(月) 01:30:24.69 .net
>>630
遺伝的なことを知りたいなら、
ここで質問するより、
DNA検査とかしたほうがいい

636 :日本@名無史さん:2014/10/20(月) 01:37:17.05 .net
>>623
>>630
倭寇が略奪した女って朝鮮人女性だけなん?

637 :日本@名無史さん:2014/10/20(月) 01:55:07.67 .net
>>634
>移民の男女比は女性よりはるかに男性のほうが多い

移民国家のアメリカやオーストラリアは、
女性の人口のほうが多い

638 :日本@名無史さん:2014/10/20(月) 05:27:23.20 .net
>>628
早々のご回答、有り難うございます。
大変、勉強になりました。

639 :日本@名無史さん:2014/10/20(月) 06:31:01.65 .net
>>629
親藩の水戸徳川家に召し抱えられたのですか?

640 :日本@名無史さん:2014/10/20(月) 06:42:29.31 .net
>>639
はっきりと覚えてないけど、
郷士や庄屋に多い、農民になったのもいるみたいに
書かれてるサイトをみた記憶がある

641 :日本@名無史さん:2014/10/20(月) 07:17:00.96 .net
>>637
アメリカやオーストラリアは男女の平均寿命差で女性が多いだけで
別に女性が多い国ではないよ
アメリカは50.8% が女性、49.2%が男性でほぼ半々
若い世代だと普通に出生率の差で男性が多い

642 :日本@名無史さん:2014/10/20(月) 12:28:23.41 .net
>>640
必ずしも武士のままだったとは限らないのですね。
有り難う御座いました。

643 :日本@名無史さん:2014/10/20(月) 19:48:11.90 .net
611です
かつて神社関係者が神祇官として国家公務員扱いをされた時代がありました
奈良時代は仏教を国家統治に使う鎮護国家を目指しました
その上で都に東大寺を置き、各国に国分寺や国分尼寺を配置しましたが、
この時仏教関係者(の一部)が国家公務員的に扱われたという話を聞きません
普通に考えたら東大寺や国分寺、国分尼寺と朝廷をつなぐ関係者が国家公務員
扱いされるのが自然だと思われますが、この辺はどうなっていたのでしょうか?

644 :日本@名無史さん:2014/10/20(月) 23:08:47.69 .net
イボ痔で死んだ有名人って何人います?

645 :日本@名無史さん:2014/10/21(火) 00:36:10.19 .net
このスレ本当に歴史ひろしが答えてんの?

646 :日本@名無史さん:2014/10/21(火) 01:01:42.31 .net
歴史まなぶはかせと読むんだよ

647 :日本@名無史さん:2014/10/21(火) 20:34:18.82 .net
江戸時代参勤交代で別の藩の城下町についたとき
大名はその城下町の主に挨拶しに行ったのでしょうか

そして、別の藩の内情を道程の中で探っていたりしていたのでしょうか

648 :日本@名無史さん:2014/10/21(火) 20:45:40.13 .net
使者を遣わすんだよ
平均で1日に40km以上移動する強行日程だ

649 :日本@名無史さん:2014/10/21(火) 23:10:13.09 .net
一遍聖人は多くの男女が付き従いながら日本全国を遍歴したとのことですが、
その際、男女の乱交が日常化していたのではないかと思うのですが、
どうなのでしょう?

650 :日本@名無史さん:2014/10/22(水) 05:54:12.72 .net
小学校1年の道徳の一覧を見てびっくり。「江戸しぐさ」をやるそうだ
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1413906668/

マンガ版「江戸しぐさ」入門
http://www.sangokan.com/books/978-4-88320-377-2.html
http://www.sangokan.com/books/edosigusa_sample.jpg
江戸しぐさとは、江戸時代に花開いた「となりの人と仲良しになる暮らし方」を提案した日本人の知恵。
カッコイイ庶民の美学であり、学校の副教材や企業の社員教育に導入され、話題を呼んでいる。
そんな江戸しぐさが、マンガになって新登場 大人も子どもも楽しみながら、江戸しぐさのエッセンスが
手に取るように理解できます。

651 :日本@名無史さん:2014/10/22(水) 10:36:43.29 .net
>>647
その別の藩の藩主が参勤中で江戸にいたりしてな

652 :日本@名無史さん:2014/10/22(水) 10:41:25.72 .net
戦国期に百姓から武士になったり、逆に武士が帰農したり、またそれを繰り返したり、
ったくややこしい。

653 :日本@名無史さん:2014/10/22(水) 11:20:53.63 .net
武士ってのは農家の自衛集団だから別にややこしくもなかろ

654 :日本@名無史さん:2014/10/22(水) 17:59:01.51 .net
マキャベリが言ってることって「チェーザレすげえ リーダーはチェーザレみたいにしろ」に過ぎないのに
日本でギュウイチストとかホアニストとか出てこないのは何故ですか

655 :日本@名無史さん:2014/10/22(水) 19:09:21.78 .net
牛一は唯の伝記作家だからだ。マキャベリみたいに「君主論」を書けば良かったのにな。

656 :日本@名無史さん:2014/10/22(水) 19:32:58.76 .net
>>643をお願いします

657 :日本@名無史さん:2014/10/22(水) 20:57:41.33 .net
>>656
東大寺とか国分寺は官営です。その時代に道鏡が斉明天皇の死によって失脚して
下野薬師寺の別当に左遷人事で飛ばされています。つまりその役職は国の官吏だった事になります。

658 :日本@名無史さん:2014/10/22(水) 21:00:34.15 .net
誤解を招く書き方になったけど、下野薬師寺は国分寺では有りません。
国分寺以外でも官営のお寺はたくさん有ったという事です。

659 :日本@名無史さん:2014/10/22(水) 21:12:48.80 .net
当時の僧侶はいわば国家資格であり、試験や証明書も国家管理でした
生活も保障されており、国家公務員といってもよいと思います

660 :日本@名無史さん:2014/10/22(水) 23:12:20.50 .net
古いお寺って官営だから、つまりローマ帝国の劇場みたいな
ものだったんだ

661 :日本@名無史さん:2014/10/22(水) 23:53:00.34 .net
正式に僧になるには戒壇で資格のある導師から戒を授かる必要が有った。
しかし当時の日本にはその資格の有る者が居なかったので中国から鑑真を招いた。
鑑真は太宰府観世音寺と東大寺と下野薬師寺に戒壇を築き、日本に初めて
正式な戒律制度を整えた。

662 :656:2014/10/23(木) 00:29:49.06 .net
>>659
おっしやる通り芸能、さらには広く芸術全般の中心でもありました
さらに大学でもあり、防災から国防も担っていたと言えるでしょう

663 :657:2014/10/23(木) 00:31:18.99 .net
失礼、番号を間違えました
>>660
おっしやる通り芸能、さらには広く芸術全般の中心でもありました
さらに大学でもあり、防災から国防も担っていたと言えるでしょう

>>661
補足ありがとうございます

664 :日本@名無史さん:2014/10/23(木) 08:37:45.52 .net
視力をうしなった状態でそれをやり遂げるって凄いな。

665 :日本@名無史さん:2014/10/23(木) 12:06:26.85 .net
>>656に対するレス、ありがとうございました

国家公務員としての神社関係者は「神祇官」という名称がありましたが、
国家公務員としての仏教関係者には何か名称がありましたか?

666 :日本@名無史さん:2014/10/23(木) 17:16:20.06 .net
>>620をお願いします

アイヌはもともと民族を指す言葉じゃなかったんですか?
いい人だけがアイヌを名乗ることが許されたんですか?
なぜアイヌって言葉になったんですか?

667 :日本@名無史さん:2014/10/23(木) 19:20:39.56 .net
>>665
出家する事を得度と言う。
戒を授かった正式な僧は只の僧。正式でない者は私(わたくし)に得度した私度僧。
僧侶は国の許可を得ているのが基本だから特別な名称は無い。

668 :日本@名無史さん:2014/10/23(木) 20:07:33.86 .net
>>667
サンクスです
官寺の僧侶ではない、もっと小さい寺の僧侶は私度僧なんでしょうか?

669 :日本@名無史さん:2014/10/23(木) 21:34:37.48 .net
>>668
すまん、先日から神社関係者は・・・とか仏教関係者は・・・とか質問してるけどなにをしたいんだろか?
国家公務員という定義も昔と今では違う。現代だけみても法律が変われば昨日まで国家公務員だった
ものが今日からは違うということにもなる。例えば今の国立大学の事務方は数年前まで国家公務員だったけど、
国大法人化により今後は法的には国家公務員にはならない(今は移行期なのでみなし公務員的な感じ)
法人化以前の国立大学の教授は公務員だと思う?(公務員試験とか受けてないけど公務員。)

奈良時代の寺社・僧侶にしたっていろんな成り立ちがあって、先のレスにあるように創建時の東大寺は
国立ではあったけど、そこに関わるものがみんな公務員かというとそうではない。
誰が公務員かそうでないかというと、何を公務員とみなすかによって変わってくる。
僧侶は国家資格だったというけど、国家資格=公務員じゃないし国家機関でバイトしてても公務員じゃないだろ?

東大寺関係でいえば、創建時に「造東大寺司」という令外官が儲けられ、これも含めて国分寺や官寺を造営
するために設置された役所を総称して「造寺司」という。
あるいは僧綱という官職があったけどこれは今でいう内閣の諮問機関みたいなもの

670 :657:2014/10/23(木) 21:50:20.55 .net
>>665のおっしゃる通りで、学界用語として「官僧」と呼ぶこともあります
「最澄 度縁」で検索すると得度の管理が厳格だったことがわかります
私寺については自信がありませんが、私度僧もいたと思います
行基の例もあり、地方に多数の寺院が建立されてますし
それでも仏教は朝廷機構がある程度確立してから広まったうえ
中国の管理方式を手本にできるので管理しやすいです
一方神社は自然発生的に生まれ、長期間経過してから律令制が導入されます
詳しくは知りませんが、管理・統制は難しかったと思います
もちろん朝廷の管理・保護を受けない神社もあったでしょうし
受けている神社にしても職員をすべて公務員と言うのは難しいと思います
朝廷が神職人事を行う神社は極めて少ないのでは

あと神祇官は役人ではなく、役所をさしますが、権限は大したことはありません

671 :日本@名無史さん:2014/10/23(木) 23:47:13.69 .net
他スレで平城京跡地は田んぼだったと聞きました
遷都されても旧都の建物や道路は残ると思うのですが、
どういう経緯で田んぼになってしまうのでしょうか?
遷都→旧都が朽ち果てる→土地がもったいないから田んぼにしよう
こういう流れでしょうか?
こういう場合、国が旧都の土地を田畑化して民に貸し出し、
年貢を取るという流れでしょうか?
旧都が田んぼになる経緯について誰か解説願います

672 :日本@名無史さん:2014/10/24(金) 00:15:19.06 .net
朽ち果てる→野っ原→開墾

673 :日本@名無史さん:2014/10/24(金) 09:46:12.16 .net
大塩平八郎は爆死死体を磔にされたとか
江戸時代に同じような処刑例ございますでしょうか
また明治に法体系が変わっていつ撤廃されたでしょうか

674 :日本@名無史さん:2014/10/24(金) 10:19:44.84 .net
>>673
吉宗以後、心中で死ぬと、死体をさらされた

675 :日本@名無史さん:2014/10/24(金) 12:47:56.53 .net
>>671
>>672が書いているとおりだけど、
もう少し補足すると、アスファルト舗装でも30年もすると草ぼうぼうになって
しまう。おそらく100年も放置すると原野と区別がつかなくなるだろう?

676 :日本@名無史さん:2014/10/24(金) 18:34:23.19 .net
>>673
獄門(さらし首)は別にしてか?

677 :日本@名無史さん:2014/10/24(金) 20:21:20.18 .net
>>671
主な建物は解体して移築したり部材を再利用したりしてる

678 :日本@名無史さん:2014/10/24(金) 20:50:25.84 .net
>>671
地面は、年月が経つとだんだん高くなるらしい。
その結果、田の境界、道路などが埋没していく。

1. 風で流れてきたものが積もる。台風、黄砂、季節風、
どっかで読んだことがあるが、ばかにならない量らしい
2. みみずの作用
地球の全地表を掘り返していて、結果として地面が上がる
ダーウィンも研究したらしい
3. 河川からの流入体積、扇状地など

679 :日本@名無史さん:2014/10/24(金) 21:46:08.33 .net
江戸時代の例としては高橋景保とか

680 :日本@名無史さん:2014/10/24(金) 22:05:49.85 .net
>>671
貴族や寺社、例えば近くにある西大寺とかの領地にはなってないのかな?

681 :日本@名無史さん:2014/10/25(土) 00:14:16.35 .net
>>678
火山灰モナー

682 :日本@名無史さん:2014/10/25(土) 01:23:14.00 .net
>>671へのレス、ありがとうございます
荒れ果てた土地(旧都)は農民が自主的に開墾して自分の田にするのが主流ですか?
それとも国(行政)が開墾させて貸したり、与えたりするのが主流ですか?

683 :日本@名無史さん:2014/10/25(土) 01:24:57.73 .net
徳川将軍家の親藩であり、御三家の一角だった水戸藩はなぜあんな強力な
尊王思想に傾いていったのですか?

684 :日本@名無史さん:2014/10/25(土) 02:22:06.06 .net
>>682
平将門みたいな開発領主が配下の農民にやらせて自分の土地(荘園)にする。
江戸時代には藩がやらせる。農民が自主的にやる場合も藩の許可が必要。

685 :日本@名無史さん:2014/10/25(土) 21:18:50.98 .net
荘園公領制って国衙領に郡司がいるはずですよね
室町末期にも国衙領はあったはずですが郡司ではなく国人とされることが多いのは何故ですか
守護大名が守護請を進める過程で郡司から呼称が変わったということでしょうか

686 :日本@名無史さん:2014/10/26(日) 08:36:54.00 .net
ググっても出てこないのだが
織田信治の旗印はどんなデザインだったのでせうか?

687 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 00:26:53.98 .net
>>686紋については数も一定してない

木瓜 揚羽蝶 永楽銭 桐 引き両筋 五三の桐

688 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 00:36:48.66 .net
>>687
d
令旗を使ったことはありますかな?

689 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 15:28:48.40 .net
>>683
尊王思想の根幹ともいえる水戸学の本場だから

690 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 17:17:23.08 .net
しかし、なんで水戸藩だけはじめっから終わりまで財政難がつづいたのかね
御三家の中でももっとも領地が狭いし、そのくせ江戸からの監視も強い。

691 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 17:24:55.72 .net
>>690
水戸藩だけじゃないよ
基本的に、ほとんどどこの藩も慢性的に財政難

692 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 17:58:09.54 .net
いや、水戸藩の借金は群をぬいている

693 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 18:38:15.38 .net
>>690
八公二民だったか? アレ聞いた時は北条早雲が江戸時代でも名君扱いされたか合点が言ったな

694 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 19:17:51.98 .net
井伊直弼だよ

695 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 19:18:59.94 .net
同志社大学を創った新島襄はなぜ京都御所(京都御苑)隣接地という京都の一等地に
あんな広い土地を買い占めることができたのですか?
最初はもっと狭い土地で、徐々に広げていったのですかね
それでも最終的にあれだけ隣接地を買い占めたのはすごいと思う

696 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 19:26:09.06 .net
>>695
元は薩摩藩の京屋敷があった土地で、
屋敷が不要なった折に格安で払い下げられました
なんか人脈というか、コネを通して手に入れたようです

697 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 19:32:25.33 .net
藩の借財が多いということは、金貸しが儲かるということであって問題ない

現代日本は借金で回っているが、国債の買い手である大手銀行や企業は利息で儲かり、
国が支払う利息分は国民が税金で負担するという、理想的な循環が成立している

698 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 19:38:07.29 .net
>>696
早いレス、ありがとうございます
薩摩藩の屋敷跡を払い下げてもらったわけですか・・
納得しました

699 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 20:12:12.22 .net
>>686つーか織田信治って弟の方か
兄貴すら数もまちまちだから信治の旗印とか不明

700 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 20:41:05.68 .net
>>690
もともと28万石なのに、寸土も増えていない内出しで表高35万石に
物価が高く交際費がかかる江戸常府、御三家の見栄だけは張る
大日本史編纂に莫大な費用を投入

701 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 20:55:24.81 .net
表高より大幅に上回った所って結構あるんか?
伊達藩とかかなり実高は大きかったらしいが

702 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 22:20:54.22 .net
>>689
じゃあ何で徳川家の親藩の土地で尊王思想の水戸学が栄えたのですか?

>>683 異端説の一つに、将来徳川家を滅ぼすとしたら天皇家が最有力候補
となると考えた家康が、仮に天皇家が倒幕をなしえてもその際に水戸家だけでも
天皇家の味方をしていれば、家は保つ事が出来たと考え、水戸家は何があっても
尊王であれと伝えたって説がある。まあ関ヶ原で真田家が親兄弟が西、東軍に
別れたみたいなものかな。それなりに説得力はあると思う

703 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 22:37:12.99 .net
>>702
前征夷大将軍家の足利家に対抗して新田氏を名乗ったから
必然的に南朝ageのため水戸に水戸学を広めさせたのが一つ

その後のは純粋に
紀州系だらけの宗家や御三家を虐げた
老中への反発から尊皇思想を広めた

704 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 23:06:38.75 .net
>>684をお願いします

705 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 23:08:36.78 .net
そういう話になるとよく真田家がどちらが勝っても家が残るように東西に分かれたって話が引きあいに
出されるけど、真田家は別に戦略として東西に分かれたわけではなく、そこにいたるまでの経緯で
たまたま信之は本多忠勝の娘と結婚するなど徳川側と親しく、信繁は大谷吉継の娘と結婚するなど
豊臣側と親しかったので、結果的・必然的に分かれただけ
まあ、小説のネタとしては面白いけど

706 :日本@名無史さん:2014/10/27(月) 23:43:09.15 .net
>>704
682は680に回答してるみたいだが、なにをお願いしてるの?

707 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 00:15:41.09 .net
>>703
それ以前に、朱子学からすれば、天皇を弑逆することは許されないよ
南朝正統論と、尊天皇思想だけが特筆すべきこと。
朱子学的観点からすれば、中華に逆らう構造は許されない。
その点からすれば、将軍が天皇を弑逆する構造をつくることも許せば
遠く中華に牙をむく可能性があるから許されない。
しかし、尊皇思想は、中華を日本にもってくるからもはや朱子学ではなく国学。

708 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 01:07:49.07 .net
>>706
安価ミス
>>685です

709 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 02:01:23.10 .net
明治維新は一部では薩摩長州の下級武士によるクーデターだと言われたりします。
もし、仮に孝明天皇が主導して倒幕→維新となった場合はクーデターには
ならないのでしょうか?
現政権を倒して新政権を樹立するとクーデターっぽいですが、
クーデターには下の者が上の者を倒すイメージがあり、
形式的には孝明天皇(朝廷)は徳川将軍(幕府)よりも格上の存在の為、
その辺がものすごく微妙な感じがします

710 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 02:06:15.69 .net
もうひとつお願いします
明治時代は40数年続き、その間主導者もいろいろ変わっていますが、
それらをあわせて「明治政府」と表現します
しかし、その後大正政府とか昭和政府とは表現されません
明治政府と呼ばれることのほうが特異な気がしますが、
これはなぜでしょうか?

711 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 02:06:43.50 .net
綱紀粛正だろ

712 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 02:09:01.73 .net
>>710
戦後の呼称だよ

昔は、帝国政府だったよ

713 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 02:22:22.31 .net
ガバメントのことを政府としたのは和漢の素養のある幕末明治の知識人としておかしくはないんですかね
政所のことを知らないはずがないと思うんですが

714 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 07:11:56.61 .net
>>709
うーん、承久の乱や足利義輝の例も有るから幕府が勝ったら 天皇御謀反とか言うんでない

それに経緯はどうあれ新政府は徳川首脳が大政奉還までして認可参加を決めた機関で、将軍が辞任して 尾張越前の両徳川が参加してる新政府を攻撃する自体がそもそもクーデターだしね

715 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 07:48:59.70 .net
>>703
説得力として弱くない?
水戸学が始まったのは水戸黄門の時代からやけど
なぜ武家政権の親藩において天皇絶対の水戸学が始まったの?
家康なんかはむしろ禁中並公家諸法度なんかで、天皇を縛ったよね
ちなみに武家政権が法度で天皇を縛る様な不敬って之が初めてじゃないかな?
>>705 恋愛結婚? 家の方針として徳川 豊臣の関係と両天秤にかけて縁を
むすんだんじゃないの?何かあっても大丈夫なように

716 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 08:47:57.82 .net
>>715
確か法律まで作って天皇を締め付けたのって足利北条すらしてないしな
もはや象徴とすら認めてないし

徳川と水戸でこうも天皇観が違うすぎると徳川首脳陣も一枚岩ではなかったとしか

717 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 08:59:50.72 .net
>>709
下の者が上の者を倒すのがクーデター、そういうイメージがあるだろうが、実は、倒す側と
倒される側の上下関係は、クーデターかどうかには関係はない

たとえば、正当な選挙で合法的にフランス大統領に就任していたルイ・ナポレオンは、
1851年、今度は正当な手続きによってではなく強引に力づくで議会を解散、有力議員らを
逮捕し、全権を握った(その翌年即位して皇帝ナポレオン3世となる)
大統領が議員に行ったのだから、上の者が下の者を排除したわけだが、これもクーデター
と呼ばれている

というわけで、仮に孝明天皇が倒幕したとして、その場合も、それをクーデターと呼んでも
言葉の上ではなんら問題はない

718 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 09:20:29.85 .net
>>703
徳川光圀は新田義貞をあまり評価していない
南朝でも専ら評価したのは楠木正成
正成が死んだと言う湊川に顕彰碑まで建てている(明治時代に湊川神社になっている)
徳川の先祖が新田だから先祖ageのための勤王思想というわけではない

>>702
家康が水戸の祖頼房に何があっても勤王と言ったとは思えん
家康が死んだとき頼房はまだ15歳で兄の将軍秀忠の庇護がなければ生き延びられなかった
まずは将軍秀忠への忠君こそ言い伝えるべきことだろう
水戸学が発症したのはどう考えても光圀からで初代が家康からの訓示により始めたとは思えん

719 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 10:05:57.83 .net
>>666をお願いします

アイヌはもともと民族を指す言葉じゃなかったんですか?
いい人だけがアイヌを名乗ることが許されたんですか?
なぜアイヌって言葉になったんですか?

720 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 10:15:41.51 .net
>>719
アイヌは民族を指す言葉だよ
こんにちではね

ただし当のアイヌ人が使っていたアイヌ語では
アイヌとは「神」や「神人」という意味だったというだけ
(いい人って何?元ネタはウィキかな?)

日本が古代「倭」と呼ばれていたが
当の日本人が使う日本語では「わ」は「我(私)」という意味で
使われていたみたいなもんだ

721 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 10:36:54.49 .net
>>718
しかも徳川より先に楠木を顕彰したのが秀吉なくらいだし
良く考えたら水戸家や光圀が尊皇思想を拗らせた理由と時期って良くわかってないのか

722 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 10:47:28.76 .net
>>720 返事ありがとうございます
元ネタはすぐには思い出せません
アイヌはもともとは民族全体でなく、特定の身分や位だけを指すのかな?と考えてました

こんにちでは、アイヌがは民族を指す言葉なのはわかるんですが、
もともとは日本語でエゾと呼んでたと思います
それがなぜアイヌ語でアイヌって言葉になったんですか?

723 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 11:05:59.14 .net
>>722
「蝦夷(えみし・えぞ)」は大和王権(または朝廷)
が東国以北の朝廷に従わない者をまとめて呼んだ言葉です
九州の「熊襲(くまそ)」などと同類で特定民族を指す言葉ではなく
朝廷に従わない日本人も含まれていました

アイヌは民族を指す言葉です
蝦夷の中にはアイヌも含まれますがイコールではないです
(蝦夷には東国以北に住みアイヌと一緒に朝廷に反抗した日本人が含まれる)

724 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 11:22:29.77 .net
>>723返事ありがとうございます
「蝦夷」という漢字だと同じような意味になると思うんですけど、
エミシとエゾは違うものだと思うんですがどうでしょうか?

エミシという言葉にはアイヌ民族が含まれない可能性もある
エゾという言葉にはほとんどアイヌ民族だけを指す
と考えてるのですが、間違ってますか?

それとアイヌ民族が登場してくるのは
文献でも、遺跡でも、鎌倉時代か室町時代だったと
思うんですがどうでしょうか?

725 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 11:33:15.17 .net
エミシもエゾも蝦夷という字を当てているけど、
元来はどこから出てきた言葉なのですか?

726 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 11:44:57.27 .net
>>725
エミシのほうは日本書紀の神武東征に「愛瀰詩」がつかわれて、次に毛人と表されてる
「蝦夷」表記の初出は、日本書紀の景行天皇条である
エゾが使われ始めたのは11世紀か12世紀である

727 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 12:36:55.77 .net
>>715
信之と小松姫は恋愛結婚
特に気が強い女性と評判だった小松姫は
信之に惚れ込んで猛アタックをかけた

信繁は元々吉継と親しい
吉継が紹介した師範から軍学を学んだりしていた
その娘と結婚したことに、政略的な意図があったとは考え難い
第一、吉継は徳川側とも上手く折り合っていたのであって、
明確に石田達反徳川派閥に立っていたわけではない

728 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 13:21:19.14 .net
>>712
ありがとうございました
しかし、なぜ大正時代の政府については大正政府と一括りに言われないのでしょうか?
>>714>>717
ありがとうございました

729 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 14:35:22.92 .net
>>727
ネタ?
信之と小松姫が恋愛結婚なわけがないだろう
徳川譜代とはいえ一城主の姫が結婚前にどこをウロウロして
信之と知り合うんだよw
小松姫は輿入れに当たって徳川家康の養女になっている
このことからも徳川ー本多の真田取り込みの意思が感じ取れるだろ

同様に幸村室も嫁ぐに当たって豊臣秀吉の養女になっている

秀吉存命中には家康はその姻族として豊臣一門のような顔をしていたので
両者が結婚時から将来豊臣と徳川が天下を競う豊臣VS徳川を予定してのものではないだろう

関ヶ原は両天秤だと思われて仕方がない
幸村は豊臣秀頼の命(という名目)で当初上杉征討に向かう徳川家康軍に加えられていた
関が原で徳川に付くこともできたのに(というか家康はその予定で上杉征討軍に加えたのだろう)
石田三成の挙兵を知ると家康と袂を分かち父と共に西軍についた

730 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 15:01:19.55 .net
>>729
真田信之が上田合戦の事後交渉で駿府を訪れた際、
何故か小松姫も駿府をウロウロしていて、
家康との面会待ちそしている信之の所にしゃしゃり出ている
この時の信之の毅然とした対応に小松姫が惚れた

おわかり?

731 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 15:09:00.09 .net
経緯を知らずに結果だけを見るから、
「なわけがないだろう」といった思い込みが生じる

732 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 15:28:48.94 .net
>>724
エミシって言葉はアイヌ人の存在より古い
エミシって言葉ができた頃、アイヌ人はまだいなかった。
北海道にいたのは「アイヌ人の先祖」なのであって「後のアイヌ人」ではなく
東北にいたのは「東北人の先祖」なのであって「後の東北人」ではない。
エゾってのはアイヌ人だけど。

733 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 16:56:04.21 .net
>>728
フジモリ大統領の際に使われていたか、「上からのクーデタ」という言葉があることを申し添えます。
「明治政府」の使用の下限は、遅くとも内閣制度発足という印象です。
なので、政府の制度が未確立な時期限定の言葉かと思います。
あと「明治政府」の段階の構成員がほぼ同じこともあるかと思います。

734 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 17:33:26.39 .net
>>730
それって何の史料に載ってるの?

735 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 17:42:38.73 .net
>>728
「明治政府」は、「年号が明治だった時の政府」ということではなく、「明治維新によって確立された政府」
という意味にとらえるべきでしょう
大正維新があったわけではないので、大正政府とは言わないのではないでしょうか
二・二六事件などで昭和維新って言葉は使われてたけど、政府の転覆に成功したわけじゃないし

736 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 17:46:09.39 .net
ナポレオン3世やフジモリ大統領のようなケースは、「逆クーデター」とか「自己クーデター」とも言うね

737 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 20:50:48.47 .net
>>733>>736
ありがとうございます
>>735
>>「明治維新によって確立された政府」という意味にとらえるべきでしょう

それだと、明治維新〜終戦までを明治政府と呼ぶことになってしまう気がしますが、
どうなんでしょうか?明治維新で確立された政府は終戦によって大転換を余儀なく
されるわけですよね

738 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 20:56:19.28 .net
>>702
は井沢信者だからねえw

739 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 20:57:27.23 .net
>>738
ああいうのは普通に無視する

740 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 20:58:14.30 .net
内閣制度確立がエポックだと書いてあるのが読めないのか

741 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 21:01:10.86 .net
>>732返事ありがとうございます
やはり、エミシとエゾは違うってことですよね
それとエゾという言葉をアイヌという言葉におきかえた経緯はわかりますか?

742 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 21:32:51.39 .net
その時代に恋愛とか言い出すのがねぇ。
1000歩譲っても、政略結婚じゃかわいそうだから
両家親睦のためにもそういった逸話を後から
付与した、ってぐらいだと思うが。

小学校の頃に、明治維新は革命じゃないんですか、と聞いたら
かなり困って先生が、支配層が変わってないから、と答えてくれたけど
これは結構正解だとは思うのだよね。

農民が徳川倒しても、そこで新しい幕府形態を作ったら
クーデターではあるだろうけど革命ではない。
普通の幕府交代だわね。
だから、農民が天皇を倒す、または幕府が天皇を倒す
のが日本においての「革命」に近くなるとは思うが
天皇が「支配者か」という問題が出てくる。

まあ言葉の定義になってしまうが、下から上、というのは
それなりの定義になるわけで「被支配層による政権交代」
という感じでね。
あとは、樹立された政権がどういうものか、という視点も
あるだろうし、これは結構面白い話とは思うのだよね。

743 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 21:42:09.74 .net
>>737
>それだと、明治維新〜終戦までを明治政府と呼ぶことになってしまう気がしますが、
>どうなんでしょうか?

まあ、その辺は、人によって意見はいろいろでしょう
内閣制度発足までという>>733さんのような意見もあるでしょうし
私個人は、終戦までを明治政府と言っても別に間違いではないと思いますよ
終戦まで使っていた大日本帝国憲法のことを「明治憲法」とも言うわけですし
明治大学(ちなみに創立は大正時代)や、明治製菓、明治乳業などは現在もありますし
むしろ、大正、昭和(終戦まで)の政府を明治政府と呼んでどこがいけないのでしょうか?

744 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 21:42:45.21 .net
・家康の存命中には徳川を称していない頼房
・朝廷につくはずの水戸家だけがなぜか江戸定府
・水戸の尊王は二代光圀が尾張義直から影響を受けたもの

井沢さん、さすがです

745 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 23:08:02.21 .net
>>738
井沢主義者でもマルクス主義者でもなんでもいいけど
徳川親藩の水戸において天皇絶対主義の水戸学が生まれた理由って謎すぎるでしょ?
徳川家の最初の方針なんていかに天皇家の力を弱めるかって事に力を注いでるのに

>>734
俺の固定観念かもしれへんけど、戦国時代の結婚って家と家がするもの
ってイメージやねんけどね。特に大名家なんていかに家の利益になるかって事
しか考えてないっておもってたから・・・
恋愛結婚なんて大河ドラマの中だけって、ちょっと歴史知ってる人間やと常識やと思ってた

746 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 23:16:06.43 .net
>>718
たしかに水戸学のスタートは光圀からやから
家康から直接の指令が(光圀に)あったかと言われると厳しい気がする
でもじゃあなんで水戸家で天皇絶対の水戸学?って疑問は残ったまま
何かあった時の為ってのはそこの部分には答えられてる気がする

747 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 23:34:31.51 .net
>>745
>恋愛結婚なんて大河ドラマの中だけって、ちょっと歴史知ってる人間やと常識やと思ってた
「頼朝と政子」

748 :日本@名無史さん:2014/10/28(火) 23:55:59.53 .net
>>741
エゾはどっちかっていうと民族名ではなく、北海道をさす地名だった。
しかも半分外国ってニュアンスもある地名。
民族名として使うのは「エゾに住んでる民族」って意味。
しかし明治以降ははっきり日本領と明確にすべきと意識されたので
外国扱いみたいな地名もマズイし、異民族の土地ってニュアンスも困るので
地名は「北海道」民族名は「アイヌ」とはっきりわけるようにしたんだと思うよ

749 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 00:01:18.26 .net
エゾキチック ジャパン

750 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 00:04:04.33 .net
>>746
特殊な扱いの家って感じはするよね
井沢は詳しくないけど、有事の保険とか言われれば納得しそう
「副将軍」 なんてのも、戦国時代のそれよりも平安時代のを意識してそうな気までしてくる

751 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 00:22:45.72 .net
>>748
逆にエゾの住む地という意味で蝦夷地(エゾチ)と使われると思うが。
蝦夷地は千島列島と樺太を含んで、北海道よりもっと広い範囲を指すし。
北海道を指す地名としては渡島(ワタリシマ)も有る。
松前藩の支配領域の先は日本の支配権が明確ではないので、
そういう意味で半分外国では有るけど。

752 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 00:32:41.55 .net
>>750
水戸家は扱いが格下なので見栄を張る為に「副将軍」を自称したんだよ。
江戸時代初期は将軍家と尾張と紀州で御三家だった。水戸家は新参者で
石高も半分くらいしか無いし、他の二家が大納言なのに水戸だけ中納言。
それなのに、参勤交代を免ぜられて江戸定府なのを根拠に勝手に「副将軍」とか言い出した。

753 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 00:51:48.17 .net
日本人は、外国の名前に、コシやカラという言葉を使いますが

コシは中国の越とも、北陸地方の高志とも捉えられますし
カラは半島の韓とも、中国の唐とも捉えられます。

これらは同一民族であったのでしょうか?それとも異なる民族であったのでしょうか?

754 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 08:26:54.11 .net
>>750>>752
水戸は任国へ赴かず江戸暮らしだった
初代頼房は将軍家光と年が近いこともあって秀忠の方針で学友のようにして育ち
家光から実の弟よりも頼りにしている身内であるという書状を送られている
以来、水戸は江戸常駐の将軍の身内として厚遇されていた
別に水戸が勝手に「副将軍」と名乗ったわけではない
まあ、それも8代吉宗が新たに御三卿を立ててからは御三卿も江戸定府となったわけだが

755 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 09:09:56.61 .net
>>747
他は? 多分政略結婚の例って腐るほど挙げる事ができるとおもうけど
それに頼朝と政子が恋愛結婚っていっても
当時の政子の家なんて有力かって言われると怪しいし、ましてや頼朝なんて
家自体無いっていってもいいくらいやし
真田家 本多家 大谷家とは比べるのは・・・

756 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 09:26:47.27 .net
>>747
頼朝と政子が恋愛結婚だというのが「吾妻鏡」の美談だと言う説
大姫誕生から頼朝挙兵まで2年
大姫誕生の前年には都で鹿ヶ谷の陰謀が起こるなど
反平家勢力が動き出しており北条も乗っかった説

757 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 12:04:46.75 .net
>>751
それは語源論。俺は語源の話をしてたのではない

758 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 13:06:19.55 .net
流れからしたら、突っかかる事でもないんじゃ

これで終わったらモヤモヤするのは確かだけど

759 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 15:04:17.46 .net
>>746
水戸が何かあったときのために朝廷に就くための勤王思想なら
水戸の江戸定府は危ない。
朝廷と将軍が戦になったら江戸城の将軍の命を水戸が狙うと言うことになる。

光圀の勤王思想と何かあったときに生き残るは関係ないと思うよ。
だいたい水戸は幕末に将軍まで送り込んでいるのに
それだったら御三家などにならず将軍を出さず帝のお側の京都定府にでもなるだろう

760 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 15:06:34.61 .net
尊王思想が激化したのは後期水戸学からだから
おまえら、いいかげんうざいよ

761 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 15:10:27.57 .net
井沢が悪いんだよ

762 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 15:52:28.12 .net
>>748返事ありがとうございます
エゾって言葉に半分外国ってニュアンスがあるというのははじめて知りました
漢字の「蝦夷」じゃなくてエゾって言葉のほうの意味ですよね?

>>751蝦夷地(エゾチ)と言われだしたのが、アイヌが出て来て以降で、
もともと渡島(ワタリシマ)のほうが古いんでしょうか?

763 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 18:23:18.77 .net
>>762
渡嶋は平安時代頃にはそういう言葉がすでにあった
北海道とその近辺を指して蝦夷地というのは江戸時代の言葉
蝦夷が住んでるから蝦夷地
北海道にとどまらず樺太辺りまで住んでいたからそのあたりまで蝦夷地

764 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 18:47:24.08 .net
室町末期の郡司の質問お願いします

765 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 21:59:25.74 .net
>>755-756
じゃ政子の前に頼朝の子を産んだ伊東祐親の娘は?
伊東は娘が産んだ子を殺して頼朝と決別したけど。
その頃の頼朝がアチコチの女に手を出したのは間違いない。

伊東祐親が頼朝を拒絶したので伊東のライバルの工藤祐経は
頼朝の元に参じて旧領を回復し、さらに奥州や日向にも領地を貰って
子孫は伊東氏として大名にまでなった。

>>754
>まあ、それも8代吉宗が新たに御三卿を立ててからは御三卿も江戸定府となったわけだが
御三卿の場合は将軍から奉禄を貰ってるだけで領地が無いから。

766 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 22:05:03.34 .net
御三卿は大名ですらない

767 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 22:26:24.23 .net
合戦の時に連れていく兵の数はどのように決めてたんですか?相手の兵数はだいたい分かってたんですか?

768 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 22:38:49.83 .net
>>767
そりゃ、その時その時の条件の中で、動員できる最大の数を出すでしょ
本拠や別の方面が攻められる可能性がある場合には、防御のための兵を残しておかねばならないし、
軍資金という経済的な要素もあるから、いくらでも動員できるってわけじゃない
そういった条件も勘案した上で、その条件の中でできるだけ多くの兵数で行くしょ、普通は

769 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 23:47:35.03 .net
>>767
当然連れて行く兵の数は、その戦の性質とか、状況によって変わるけど
大体決まった数式があってそれに基づいてたはずやで
多分石高やったとおもう。だから10石とり100石とり
で人数が違うし、ただその数式がみつけられなかったの
ごめんなさい

770 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 23:51:46.22 .net
>>760
激化したのは後の時代でも始まったのは黄門様の時代でしょ?
なぜ江戸幕府を倒す可能性がある天皇家が絶対の水戸学が徳川親藩
で始まったの?っていうのが論点
これが薩摩や長州やったら不思議でもなんでもないの

771 :日本@名無史さん:2014/10/29(水) 23:56:47.75 .net
>>770
朱子学がそうなってるからだよ
少しぐぐればわかる
光圀は明から逃亡してきた朱子学者を登用し
大日本史を書くことになるが
正統とは何かを立てる必要があると教わった。
朱子学、いや儒学の立場にたてば、
天皇が悪いことをしていないのに、それを廃すことは明確な禁忌に触れるんだよ。
天皇の権威に預かっていながら、それを簒奪することも同様。
水戸学云々以前に、江戸幕府が官学とした儒教にとって
幕府が将軍であるかぎり、天皇に逆らうという選択肢はなかった。

772 :日本@名無史さん:2014/10/30(木) 00:09:56.06 .net
たとえば、朝鮮半島の人間も
儒教の立場に立って、朝鮮は兄であり、日本は弟であるから
弟の日本が兄の朝鮮に逆らうことはあってはならないとか言うでしょ。
儒教という学問そのものがそういう教えなんだよ

身分秩序、孔子のいうところの「礼」を壊すと、争いが起こり、人が苦しむ。
だから、礼を守りましょうというのが孔子の思想。
孟子の時代になると、ダメな君主は打倒してよい、放伐という思想が起こるが
朱子学においては、大義名分論が緻密に編まれて、
日常生活のいちいちに言葉を用いて秩序を設けて、その礼を守り
心身を整えることが目指されるようになる。つまり、孟子的な反発精神が
抑えられる方向にシフトしていく。
静的、形式主義傾向をもつのが当時の儒学、朱子学なんだよ

江戸幕府も300諸侯を抑える目的で朱子学を登用した。
反天皇という考えが起きようがない。

773 :日本@名無史さん:2014/10/30(木) 00:24:22.83 .net
水戸学そのものは必ずしも倒幕思想ではない。
後期においてすらむしろ攘夷思想であるだけだったと言ってよい。
これが倒幕のきっかけになったのはいろんな理由があると言ってよいだろう。
@ペリー来日時、将軍が病がちでほぼ空位であった。
A幕閣は、原則譜代大名から選ぶことになっていたが、
徳川親藩である烈公が、譜代大名の老中の政権によって蟄居に追い込まれた。
B新論などによって、海外情報が外様藩にも伝わり、幕府の弱腰について
諸大名が知っていた。

774 :日本@名無史さん:2014/10/30(木) 01:04:18.01 .net
将軍が諸大名に君臨できるのは天皇様に任命されたから
従って天皇の権威を強調すれば将軍の権威も高まるということでは
光圀までさかのぼると言えるかはわからないが大政委任論
綱吉や白石もそれなりに「尊王」につとめている

775 :日本@名無史さん:2014/10/30(木) 01:13:25.71 .net
そりゃ黄門様の時点では、いつかはあるかもしれない
倒幕ってか反幕府の動きに朝廷が利用されたり
ましてや朱子学がどうこうなんて想像もできなかったんじゃね。
錦の御旗が利用されてきた過去はともかく
徳川というのは法度で事実上朝廷を
規定下においてたんだしさ。
幕府に反抗するなら朝廷だろう、なんてのが
論理の飛躍のような気がする。

776 :日本@名無史さん:2014/10/30(木) 04:44:49.82 .net
天皇がいまだに東京にいるのは何故ですか?京都に戻ってきたらだめなんですか?

777 :日本@名無史さん:2014/10/30(木) 06:10:53.93 .net
今現在のことを質問するのは「板の主旨」に合わない

778 :日本@名無史さん:2014/10/30(木) 09:56:07.27 .net
>>776
わざわざ京都に戻す理由がない
住むところ一つとっても、今さら御所に住めってか? 御所で現代的な生活は無理
御所を改装するにせよ、新しいお住まいを建設するにせよ、京都に天皇にふさわしいお住まいを用意するだけで、
いったいいくらかかるんだ?
国が借金だらけなのに、わざわざ国費を使ってまで京都に戻す必要がどこにあるの?

779 :日本@名無史さん:2014/10/30(木) 12:16:25.46 .net
>>778
おっとわざわざ国費を使ってまで私大から私大に転学した皇族の悪口はやめろ

780 :日本@名無史さん:2014/10/30(木) 12:31:14.80 .net
>>778
スルーしろよ
案の定、低能が噛みついて来てんじゃんか

781 :日本@名無史さん:2014/10/30(木) 15:33:28.41 .net
>>763返事ありがとうございました

782 :日本@名無史さん:2014/10/30(木) 15:40:07.54 .net
だはw

783 :日本@名無史さん:2014/10/30(木) 21:58:01.47 .net
昭和天皇は皇居ではなく京都御所で即位礼を行われましたが、
当時は東京に都が遷ってから既に60年ほど経ってしました。
皇居で即位礼をするべきだ、してほしい、っていうような声は
なかったのでしょうか?
逆に今上天皇は皇居で即位礼を行われましたが、
京都御所で即位礼をするべきだ、してほしい、っていうような声は
なかったのでしょうか?

784 :日本@名無史さん:2014/10/30(木) 22:11:32.42 .net
本能寺の変の直後に、明智光秀が直ちに足利幕府の復興を宣言し、義昭を推戴する方針を示していたら、明智方の勢力は史実よりも大きくなっていたでしょうか?
羽柴秀吉は大義名分を失って危機に陥っていたでしょうか?

785 :日本@名無史さん:2014/10/30(木) 22:15:27.82 .net
信長の死が不明だとやっぱ下手な手は打てないと思うが

786 :日本@名無史さん:2014/10/31(金) 01:35:34.61 .net
>>783
大正・昭和両天皇の即位は明治42年に制定された「登極令」に基づいて行われた
「登極令」第十一条には「即位ノ礼ヲ行フ期日ニ先タチ天皇神器ヲ奉シ皇后ト共ニ京都ノ皇宮ニ移御ス」とあり、
即位の礼は京都で行うよう定められていた

今上陛下の即位礼については、廃止された「登極令」を準用して京都で行うべきとの意見もあり、
関西では誘致?運動も繰り広げられたが、結局、東京で行われた
京都では海外から訪れる要人の警護、応接に充分対応できないと判断されたことが理由のひとつとされている

787 :日本@名無史さん:2014/10/31(金) 09:15:35.21 .net
>>784
あの時点では足利の権威はほぼ武力的には
なかったので、宣言しても特に利はないだろう。
秀吉は、主君殺しー謀反人を退治する、という重要な
名目がある。
これは織田家中の問題である、ということね。

788 :日本@名無史さん:2014/10/31(金) 11:24:46.66 .net
>>763
うそつけ。蝦夷地じゃなくて蝦夷ヶ島って言い方はもっと古いだろ

789 :日本@名無史さん:2014/10/31(金) 11:38:49.91 .net
秀吉といえば「醍醐の花見」と「吉野の花見」が有名ですが、
一般的にどちらの花見のほうが有名なんでしょうか?
また、この各花見に何かしらの歴史的エピソード、逸話は
あるでしょうか?

790 :日本@名無史さん:2014/10/31(金) 11:42:43.45 .net
>>789
有名、というのは基準が不明確だから
答えようがない。
逸話、エピの類はググれば出てくるだろうから
そちらで確認した方がいいと思う。

791 :日本@名無史さん:2014/10/31(金) 11:46:15.18 .net
もうひとつお願いします
家康は秀頼が再興した方広寺の釣鐘の文「国家安康」にケチをつけ、
それを口実に攻め滅ぼしました
子供のころは「家康、滅茶苦茶や」と思ってましたが、よく考えると
現代でも政敵のちょっとした失言をあげつらって失脚させています
攻め滅ぼすのと失脚させるのは少し違いますが、まあこれは時代の違いということで、
やっていることの本質自体はあのころも現代も変わらないってことですかね?

792 :日本@名無史さん:2014/10/31(金) 13:46:05.67 .net
>>791
現代と比べてもしようがない

793 :日本@名無史さん:2014/10/31(金) 15:19:45.26 .net
>>745
別にイメージとしては間違っていないが、全部が全部政略結婚ではなく、
ごく稀に当事者の意図で結婚に至る例もある

秀吉が浅野家の養女を嫁に貰うことになったのは当事者間の意向だ
新参者の伍長が、中尉を世襲する家柄の娘を嫁に迎えるみたいなもので、
政略的意味合いを持たせようがない
秀吉の初婚は地位が下っ端に近いことが理由で政略の駒には成り得なかったが、
もっと地位が高かったにも関わらず恋愛結婚を成立させた例に、
鍋島直茂の再婚がある

小松姫は信之との結婚に向けての活動がアクティブでいわゆる押し掛け女房になったわけだが、
そこのところの事情は大々的に周知されておらず、知る人ぞ知る程度の話題だとは認識している
特に関ヶ原時に石田三成からの誘いを無視した上、父とは所属陣営を異にした結果は、
10年以上前の結婚まで遠謀だったと誤認させる"赤いニシン"になり得るから仕方ないとは思う

794 :日本@名無史さん:2014/10/31(金) 15:52:30.19 .net
>>793
>小松姫は信之との結婚に向けての活動がアクティブでいわゆる押し掛け女房になったわけだが

だから、それは何の一次史料に載ってるの?

秀吉とねねの話は「太閤記」だろう
鍋島の話は江戸時代中期成立の「葉隠」なのでそのまま史実とも取れない

で、おたくの話の原本は何?

795 :日本@名無史さん:2014/10/31(金) 22:00:38.21 .net
「小松の婿選び」ネタが現在伝えられているのは講談から来ているようだな
その講談の元ネタは何かは不明瞭で、史実の裏付けはとれそうにない
それ以上に、信幸の婚姻が政略結婚だった史料は無いが

796 :782:2014/11/01(土) 14:50:49.47 .net
>>787
光秀は織田、足利両属の時期があったはずですが、足利と主従の縁を切ったという明確な意思表示は無いと思うので、織田家中にない大名に対しては「幕府再興」は十分な大義名分になるという気がします。
少なくとも、細川や寺社勢力は味方になる可能性が高いし、毛利が秀吉と和睦することもなくなるのではないかと。ということで、十分軍事的な意味もあるのではないでしょうか?

797 :日本@名無史さん:2014/11/01(土) 16:34:37.42 .net
>>796
横からだけど…
光秀は本能寺の変で朝廷まで叩き潰しちゃった感じだからなあ、味方増やすのは難しそう。

798 :日本@名無史さん:2014/11/01(土) 17:25:38.72 .net
>>796
名分にはなっても、大儀とかそんなに実情を
伴うものではなかったろう、ということね。
細川も寺社もある意味、幕府とは別の基盤があって
幕府が再興するなら、と単純に従属することはないでしょう。
もっと目先の、強力な敵、のほうが最重要課題。
秀吉に関してはあまり関係ないだろうし。

それと推測にはなるけど、光秀の最終目標が
自らによる幕府新設、だったかもしれない。
あの年で実行したということは、そのぐらいの
目標がないとそれこそ、単なる謀反になってしまう。

衝動的、ノイローゼ、説だとこういう話にはならないけど
あくまで冷静で大義名分を求めるのならば、という
話ね。

これも推測だけど、京都治安守護、から始めて
朝廷の信用、和解により武力解決の緩和、とか
考えていけば、変はそんなに無謀でおもいつきとも思えない
というような考え方もあるわね。

799 :日本@名無史さん:2014/11/01(土) 21:12:21.63 .net
>>796
担いだら担いだで邪魔になるのが足利義昭。

800 :日本@名無史さん:2014/11/01(土) 21:47:52.29 .net
>>797
別に朝廷を潰してはいないだろ
心証は悪くしたかもしれないけど

801 :日本@名無史さん:2014/11/01(土) 22:34:09.42 .net
確かに潰すまではいってないけど、同時代人の感覚としては、
「潰す輩が現われた!」ぐらいの衝撃だったと思うよ。
「日本国中大混乱」とか記録に残ってるだろ?その混乱の中身はこれ。
で実際、変後の朝廷は急速に力を失っていく。

802 :782:2014/11/02(日) 06:25:17.58 .net
>>798
本能寺の変直後の光秀はなぜかぐずぐずしていて、その隙に秀吉が毛利と和睦して中国大返しをしたというのがテレビなどでもよく説明されるのですが、
おっしゃるような光秀自信が将軍になる方向と、義昭を推戴して幕府を再興する方向で迷っていたのではないかという気がするのです。

義昭は備後へ逃れてからも御内書を多数発行していますし、
大寺社の人事権も保持していたようですね。
つまり、足利幕府が完全に消えて無くなったわけでもなさそうですし、寺社も信長の御内書を貰ったあ後でさらに義昭の御内書を求めるというように両者を天秤にかけていた節もあるそうですね。
初めから光秀が幕府再興を宣言してそれを何とか毛利に伝えていれば、
義昭を抱える毛利としては味方せざるを得ないでしょう。
秀吉軍に後詰めが無いことがわかれば、史実のような形での和睦もありえず、
下手すると将軍義昭が秀吉の播磨を安堵なんていう展開もあったかもと思ったりしてしまったのでした。

まあ、素人の推測による与太話なので、このへんで終わりにします。
ご回答ありがとうございました。

803 :日本@名無史さん:2014/11/02(日) 13:56:08.64 .net
>>802
>義昭を抱える毛利としては味方せざるを得ないでしょう。
むしろいい厄介払いが出来ると義昭を光秀の元に送りつけて終わりかも?

804 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 00:31:35.80 .net
質問です
維新物のドラマや映画では、薩長の部隊長みたいな立場の人がヤクの毛の飾りを付けてますが、
江戸城にはかなり大量に備蓄してたんでしょうか?
民間では入手困難だから職人さんに材料の現物を渡すために必要だとは思うのですかが、
江戸時代の将軍家では頻繁にヤクの毛を使ってたんでしょうか?

805 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 02:40:52.13 .net
ドラマが本当のことしかえがいてないとか思い込んでるのか

806 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 07:21:09.05 .net
ありがとうございます
あの毛はTV的な演出で、実際には付けてなかったって事ですか

807 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 07:48:25.75 .net
質者は歴史学ぶよりまずは色々学ぶことが必要そう

808 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 08:53:37.72 .net
この手のアホな質問する奴に限って、妙な改行、句点は絶対に使わないのが共通しているのはどういうことなのだろうか?

809 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 12:36:49.96 .net
>>804 >>806
将軍家がヤクの毛を使ってるドラマや映画をみたことない

810 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 14:00:52.10 .net
誘導されてきました
何卒お願いします

日本国が大和王権(大和朝廷)の時代から平成の現代まで一度も崩壊せずに
続いてきた一番の理由は何が考えられるでしょうか?

811 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 14:25:26.12 .net
>>810
一番かどうかはあれだけど、
ユーラシアと地続きじゃないから、とかかな

812 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 14:42:13.94 .net
質問スレじゃなくて議論しろって誘導されてなかったか?

813 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 18:51:54.29 .net
>>811
でも支配層は渡来系ですよね?

814 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 19:07:21.06 .net
自演成り済まし上等キチガイキター

815 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 19:42:54.12 .net
>>813
なぜ支配層が渡来系であると思うのか
まずはそこを語れ

816 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 20:04:34.85 .net
ドーバー海峡を泳いで渡れるブリタニアはローマだのノルマンだのに蹂躙されまくり。
日本は間に半島が有る分侵入されにくかったのか?
とすると明治の人が半島の近代化が日本の生命線と考えたのも無理は無い。

817 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 20:07:24.21 .net
日本は島国だからってなんでもかんでもイギリスイギリス言う奴はただの馬鹿だから
そんな奴に影響されなくてもいいじゃないか

地形的に日本に似てるのは実はイタリア
イタリア半島北部が山岳だから半島気質というより島国気質に近い
近現代、特に現代政治を見れば一目瞭然

818 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 20:12:04.36 .net
イギリスってさ
ブリトン人のあとに、サクソン人、アングル人が侵入して
そのあと、デーン人が侵入して、サクソン人がアングル人化して
デーン人を排除して、イングランドが安定するかと思いきや
フランスからノルマン人が入ってきてのっとられたっつう悲しい国だろ?

日本とぜんぜんちがうんだが。

819 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 20:18:46.72 .net
ヨーロッパと東アジアの違いは同じ面積で養える人数がぜんぜん違う辺りがかなり大きいと思うよ
このへんの原因は複合的なものだけど

820 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 20:47:08.16 .net
>>819
でも、なんなんだろうね。ヨーロッパの人口密度の低さは。
つーか温暖湿潤気候地域の人口密度が異常なだけなのか

821 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 21:15:04.46 .net
いや、だからさあ、日本の支配層が優秀な渡来系だから国が富んだんでしょ
我々は大陸が故郷

822 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 21:17:03.25 .net
気持ち悪いプロパガンダはいいから、科学的に考えようぜシナ土人

823 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 22:13:45.99 .net
>地形的に日本に似てるのは実はイタリアイタリア半島北部が山岳だから半島気質というより島国気質に近い
そういう見方もできるが古代より海運と異文明と接していたイアタリアと、ガラパゴスである日本の島国気質は全く異なる

>近現代、特に現代政治を見れば一目瞭然
近代政治史においてイタリアは大国間で上手く立ち回ったが、日本は西洋の手のひらのうえで踊っていただけ
現代におけるイタリアの政治力は限定的であり、アフリカ・中東における旧宗主国が今尚強力なプレゼンスを誇るのに対しイタリアのソレは僅か
一方、日本のアジアにおけるプレゼンスは特ア三国を除けば米に次いで強い

824 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 22:17:51.37 .net
>>823
イタリアの多党制のことだったんだけど

825 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 22:59:40.40 .net
戦中と現代を除けば共産党が強いイタリアの多党制と
日本の多党制は似て異なる
何が言いたいのか全く分からん

826 :日本@名無史さん:2014/11/03(月) 23:32:13.85 .net
>>825
二大政党になろうとしてはなれないところとか
爺さん担ぎ出されるところとか

似てる部分はたくさんある

827 :日本@名無史さん:2014/11/04(火) 00:02:50.30 .net
何も知らないけどテキトウなこと言いました
と、素直に言えないのならそれでいいんじゃねぃ
そのまま死ぬまで日本とイタリアは似ていると言い続ければ
誰も困らん

828 :日本@名無史さん:2014/11/04(火) 00:09:40.11 .net
日本史板じゃなくなってきてる

829 :日本@名無史さん:2014/11/04(火) 13:04:19.62 .net
>>820
前近代の人口とか人口密度ってのはほぼ食糧生産量じゃないかなあ

830 :日本@名無史さん:2014/11/04(火) 23:14:12.91 .net
先だってヤクの唐頭について質問した者ですが、実は皆さん真面目に答えてくれてないと思ってましたごめんなさい
図書館で「間違いだらけの時代劇2」という本を発見して納得しました
べつに皆さんより書物を信じたわけではないのですが、荒らしとしてあしらわれた気がして素直になれませんでした

831 :日本@名無史さん:2014/11/06(木) 09:23:52.90 .net
>>829
多分そう 
中学か高校の時に歴史か地理で先生が言ってたけど
米は人を食わせていく能力は高いけど、高温で豊富な水が必要
逆に小麦はある程度寒い所でも育つ代わりに、人を養う能力は低い
多分この辺が大きいと思う

832 :日本@名無史さん:2014/11/06(木) 23:18:01.94 .net
室町時代についての質問です
管領・畠山満家は若い頃、足利義満の勘気をこうむって
一時期畠山家の家督は弟の満慶が継いでいましたが
これはいったい何が原因だったのでしょうか?
具体的に何らかのトラブルなり事件なりがあったのでしょうか?

833 :日本@名無史さん:2014/11/09(日) 20:38:53.53 .net
天皇が践祚、即位と2段階にわけて就任?するのはなぜですか?
室町時代後期の金欠天皇は践祚してから即位するまで10年以上かかってしまったので、
どっちか1つにしようとする動きはなかったのですか?

834 :日本@名無史さん:2014/11/10(月) 01:32:44.80 .net
人種が違いますんでね。人種が。


日本人←日本人種
韓国人←中央蒙古人種



北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人

835 :日本@名無史さん:2014/11/10(月) 04:29:34.32 .net
「人種」の意味は?

836 :日本@名無史さん:2014/11/14(金) 08:50:42.51 .net
>>833
「即位の礼」でググれば書いてあるけど
初期は一緒だったし、結婚式と披露宴を
別々にするようなもの。

837 :日本@名無史さん:2014/11/14(金) 15:46:45.18 .net
結婚式と披露宴の違いは
即位と即位式の違いみたいなもんだから喩がおかしくないか

838 :日本@名無史さん:2014/11/14(金) 15:51:33.12 .net
入籍と挙式かな?

839 :日本@名無史さん:2014/11/14(金) 16:50:38.02 .net
結婚届提出、にしようかと
思ったんだが、まぁ細かいことはいいかと。

840 :日本@名無史さん:2014/11/15(土) 19:19:28.19 .net
藤原種継が暗殺され、早良親王が処罰されたあの事件、
〜の変、みたいな感じで明確な名称がついていないのはなぜですか?

841 :日本@名無史さん:2014/11/15(土) 19:57:40.01 .net
明治維新の折、国内外共に定着していた「江戸」の地名を
東京に改めたのは何故でしょうか?
また、時期がいつかは知りませんが、大坂の表記も大阪に改められました
これも何故でしょうか?

842 :日本@名無史さん:2014/11/15(土) 20:13:07.35 .net
大坂の→大阪
明治期に
するめをアタリメと言い換えたように大きな坂が縁起が悪いだとか、
土に帰るから縁起悪いだとか、当時士族の反乱が多かったからだとか
実は公文書で書き間違いから始まったからからだとか説は色々あるけど本当の理由は分かってないはず

江戸時代にも大阪の表記は有った。
日本は意味が通じれば漢字の異体字に関してはあまりうるさく無かったし

843 :日本@名無史さん:2014/11/15(土) 20:18:33.98 .net
おおざか の濁音がとれて おおさか になったのはなんでなの?

844 :日本@名無史さん:2014/11/15(土) 20:20:19.64 .net
あふさか と おおさか がまぎらわしいんだけど

845 :日本@名無史さん:2014/11/15(土) 20:44:19.16 .net
松坂も、ひっそりと松阪になった

846 :日本@名無史さん:2014/11/15(土) 23:11:13.86 .net
江戸時代から、江戸は東京と呼ばれていた。
明治になって公式に追認されただけ。

847 :日本@名無史さん:2014/11/16(日) 02:49:21.32 .net
人種が違いますんでね。人種が。


日本人←日本人種
韓国人←中央蒙古人種



北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人

848 :日本@名無史さん:2014/11/16(日) 11:06:25.22 .net
防人について質問です。
武装や食料は自弁とのことでしたが、在任中は給料など出たのでしょうか。
帰路で野垂れ死にする例も少なくなかったとの話ですが、
食糧を支給でもされないと絶対に帰れないと思うのですが。

849 :日本@名無史さん:2014/11/16(日) 23:44:17.04 .net
>>842>>846
江戸の呼び方と東京の呼び方、どちらが多数派だったんでしょうかね?
個人的には江戸のほうが多数派っぽいのですが、それを東京に改めたとしたら
何らかの理由があったはず

850 :日本@名無史さん:2014/11/17(月) 00:19:20.79 .net
江戸に遷都したいんだけどそうすることに反対もあったから
京都 江戸 両首都ってことで折り合いつけて(ここまでTV番組の受け売りです)、
東京にしたんじゃないかな。

851 :日本@名無史さん:2014/11/17(月) 05:59:22.72 .net
http://www.youtube.com/watch?v=ZfYKGrEf6tM
http://www.youtube.com/watch?v=ZfYKGrEf6tM
http://www.youtube.com/watch?v=ZfYKGrEf6tM
http://www.youtube.com/watch?v=ZfYKGrEf6tM
http://www.youtube.com/watch?v=ZfYKGrEf6tM

852 :日本@名無史さん:2014/11/18(火) 18:30:53.83 .net
せんせい質問∩(´・ω・`)

大名行列に関してです。
例えば東海道を、大名行列が通るときって、街道を歩いていた庶民はどう対処
してたんでしょうか?

徳川家以外の行列だと、別に土下座なんて不要と聞いたのですが。

853 :日本@名無史さん:2014/11/18(火) 20:45:19.92 .net
ネズミーランドのパレードと同じ見たい人は見に行き、関わりに無いたくない人は近寄らない

854 :日本@名無史さん:2014/11/18(火) 20:52:30.63 .net
脇に避けて見学

855 :日本@名無史さん:2014/11/18(火) 21:00:57.96 .net
>>852
住んでた人たちは事前に連絡があるから
うまく避けてた。
旅人たちは時たまどうしても
遭遇してしまうからその時は控えて土下座。
たまに長い行列に当たると、つか〜ん、とか
言ってたみたい。

856 :日本@名無史さん:2014/11/18(火) 21:11:33.82 .net
特例として、急患のところに急ぐ医者や産婆は、大名行列を横切ってもよかった
通り過ぎるの待ってたら緊急時に間に合わないから

857 :日本@名無史さん:2014/11/18(火) 21:17:39.52 .net
行列見学はどちかといえば庶民の楽しみでも有った

858 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 01:03:53.55 .net
行列見学というと、朝鮮とか琉球の
通信使の時が主だろうね。

859 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 02:13:19.33 .net
天皇の行幸の時は沿道の庶民はどうしてたんでしょうか?
平安や幕末の時
明治〜戦前は並んでお辞儀状態だったようですが

860 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 02:23:50.68 .net
別に普通に、、「ああ、行列だ」くらい
平安時代ならフィクションだが源氏物語に光君の行列の描写があるのであんな感じじゃないか

江戸時代の行列にお辞儀とかは作られた敬意
明治以降の天皇へのお辞儀も明治政府によって作られていったもの
江戸時代は天皇は基本御所から出なかった。
代わりに天皇の使者が行列してた。
それ以前も天皇は自由に外出もままならなかったの行動したい天皇はさっさと譲位して上皇になった

861 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 02:32:34.15 .net
>>855
通行人ですら土下座しなくちゃいけなかったのは、徳川様のお茶運びとか、
そういうものだけで、領民じゃなければ基本的に脇に避けて先に行かせた。

なんてのを聞いたんですが、デマだったんですかね。

862 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 02:35:08.22 .net
脇に避けて邪魔しなきゃよし

863 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 02:36:44.39 .net
馬に乗ったまま殿さまの籠近くにまで行かなきゃ切られもしないだろ

864 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 03:10:22.52 .net
天皇と上皇の関係がもうひとつ理解できない
天皇は伝統に縛られて窮屈、譲位した上皇は実権を握ったまま自由とか・・
天皇は伝統に縛られて窮屈と言いながら、幼帝や若い帝も多かったしな

今の天皇終身制の方が理解はしやすい

865 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 03:16:53.12 .net
天皇は、あれだ生きてる三種の神器みたいなもんだろ
鉄人28号みたいなもんだろ

良いも悪いもリモコン次第〜 

866 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 04:35:00.83 .net
神社ってどうやって広がっていったか知ってる?

867 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 04:37:18.83 .net
862
どうみても何とか時代を表すのとリンクしてるのが現代

868 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 05:09:13.91 .net
>>864
たいていの上皇と天皇は親子関係だから
現代ならともかく、前近代に、父親の言うことにさからえる息子は、そう多くはないよ

869 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 09:07:59.54 .net
>>864
天皇家に限らないからな
徳川家康だって自分が征夷大将軍だったのはたったの2年だけだが
子の秀忠に征夷大将軍を譲った後も大御所と呼ばれて死ぬまで実権を握り続けた

ライバルを蹴落とし自分の子や孫に確実に政権移譲するために早めに家督を譲る
その後は子や孫から父上・祖父上と敬われて実権を握る
天皇家に限らずよくあること

870 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 10:41:16.58 .net
天皇は歴史的に見て、その職務が多岐にわたる
特に祭祀が最重要であり、さらに決裁、文化事業、官位授与など
だけど、さっさと譲位して幼帝をつくる
幼帝には上記職務を行えないから、上皇が幼帝に代わって祭祀を
するのかと思えばそうじゃなくて、他の臣下がやったり・・
上皇と天皇の関係は、二人だけのプライベートな関係で
上皇(父)>天皇(子)というのは分かるけど、そうじゃなくて
普通に世俗権力としても上皇>天皇だった
だけど、どこまでいっても上皇が軸になるのじゃなく、
あくまでも軸は天皇である、というところが難しいし不思議な存在

871 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 10:55:15.64 .net
>>870
幼帝即位が多かったのは摂関全盛期と平家全盛期
いずれも外祖父や外舅が権力を握るため
院政自体は幕末まで続いたけれども
天皇早死にで幼帝即位を除いて院政期の天皇は成人天皇が多いよ

あと院政は上皇が天皇の父や祖父という直系尊属であるという
プライべートな事情でのみ発生
上皇>天皇でどの上皇でも天皇より権力を持っていたのではない
崇徳上皇は近衛天皇と養父関係なかったので院政が取れなかったし
後白河天皇の兄であるのにやはり院政が取れなかった

872 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 12:48:10.74 .net
869
上皇(太上天皇)って追悼号で創案されたもんでしょ
例えば外祖父に贈るとかも前例さえできればありえたって話?
摂関家なんかも元は皇族限定だもんねあれ

873 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 12:52:51.19 .net
天皇経験者というのに限定すればそんなことありえないけど

874 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 13:17:14.80 .net
>>872
太上天皇は大宝律令に規定があるよ
太上天皇は天皇と同権で天皇とともに政治に当たることと規定されている
当時の若年の文武天皇を祖母の持統太上天皇が後見して
共に政治当たることをさしたものとされている

外祖父は皇族とは限らないし関係ない

「摂関家」は藤原氏しか存在しない
初代摂政は皇族の聖徳太子じゃないかと言われるかもしれんが
当時は摂関常置でも親子世襲でもなく(あの時代に本当に摂政だったのかという問題も)
「家」として成立していない
律令にも摂政の規定は何もなく事実上、摂政関白は平安時代に
藤原氏の要請によっておかれた令外の官で問題ない

875 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 13:23:51.73 .net
>>871
自分の疑問を上手く言葉にできないもどかしさがある
院政期、上皇が実権を握り続け、天皇は形式化しても
決して上皇が軸になることはなく、天皇が軸であり続けた
のが不思議
上皇の権威権力の正当性は「元天皇」だということと、
「現天皇の父」ということ
上で誰かが言ってたように、天皇に限らず将軍でも同じことが
言えるんだろうけど、やっぱりなんか不思議な気がする

876 :日本@名無史さん:2014/11/19(水) 13:41:07.33 .net
まあ正体は分かってきたからいいわ
あれだけ騒いだからほとんど解析済み

877 :日本@名無史さん:2014/11/20(木) 12:58:26.77 .net
>>874 でご説明頂いたように上皇は律令に規定がありますが、「治天の君」はおそらく無いですよね?
皇室の「氏の長者」みたいなものと理解しているのですが、「治天の君」の継承順位ってどうなっていたのでしょうか?
承久の乱後に「治天の君」適任者がいなくて、皇室に嫁いだ藤原氏の女性が一時的になったとか、後醍醐天皇が自ら「治天の君」になったとかありますが、どう考えればよいのですか?

878 :日本@名無史さん:2014/11/22(土) 12:22:59.26 .net
>>877
正式な、継承順位、みたいなのは法が
ないのだから決めようが無い。
実権的な状態と、形式的に活用したりとか
そのたびごとの意味内容があるから
そのように把握すべきであって
結果的に「統一された定義」を求めようとすると
少しおかしくなってくる。
幕府の定義、なんてよくある質問もそうだよね。
江戸を基準にして過去の物を「どうして〜〜だったんですか」と
言われても、時間軸が逆というか。

879 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 11:33:47.30 .net
「陸奥」「出羽」ってあんなに広いのは不便じゃなかったのでしょうか。
もっと下の区分とかはなかったのでしょうか。
例えば、「俺陸奥に行ってきた」とかじゃどこに行ったのか全く分からないと思うのですが。

880 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 12:14:35.91 .net
いつの時代のことか不明だが国より下位の概念となりうるものに下記のようなものがある
藩 領 郡 郷 荘 里 村

881 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 13:17:14.36 .net
他地域の「国」に代わるような区分は?
いちおう、「津軽」「会津」「南部」あたりはそう言う感じで使われていたのかもしれませんが

882 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 13:49:29.27 .net
>>879
時代によっても違うけど郡とか村。古代には郡(こおり)ごとに郡衙(ぐんが)という役所があって
各地にある郡山という地名の由来とされている。

>>881
南部地方は意外に新しくて江戸時代の南部藩の領域だそうだ。
会津は元々は領域のはっきりしない大雑把な地域名だった。律令制の時代になって現在の会津地方
まるっと会津郡になり、平安時代に耶麻郡・大沼郡・河沼郡が分離されて会津四郡になった。
津軽もまぁそんな感じ。

現在の福島県で言うと中通り地方を仙道(せんどう)、浜通り地方を海道という呼び方も中世には有った。

883 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 14:02:21.32 .net
人種が違いますんでね。人種が。


日本人←日本人種
韓国人←中央蒙古人種



北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人

884 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 14:02:36.64 .net
明治に陸前、陸中が陸奥から分割されている
明治政府も、陸奥ではでかすぎると思ったんだろう

885 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 14:06:22.72 .net
その際には現在の福島県も岩代国と磐城国として陸奥から分離されている。

886 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 14:24:12.75 .net
は?
陸奥出羽に再統合されたの平安時代だぞ
陸奥陸中陸前羽前羽後磐城岩代は短期間で廃止されてる

887 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 14:32:08.95 .net
平安時代に再統合されたのは石背(いわしろ)と石城(いわき)。
表記が違うし、領域も微妙に違う。

888 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 22:31:34.47 .net
富士山はペリーが「発見」して、ペリー山って付けたんだけど
日本が植民地化されなかったので富士山の名で残った

という話はホントですか?

889 :日本@名無史さん:2014/11/24(月) 11:07:18.95 .net
文学と歴史のテストでは、答えがここまで違うものなんですか?

                     ↓

「文系は永遠に作者の気持ちでも考えてろ」という煽りがあるので。文学系と歴史系ではこれほどまでに違います。


Q:『小右記』(藤原実資[957-1046]の日記。
時代的には藤原道長[966-1028]と同世代)の長和三年(1014)二月七日の条には、
「(鎮守府)将軍の(平)惟良が馬二十匹、砂金、絹、布などを
道長のところに贈り物として持ってきて、その贈り物を一目見ようと見物人が道に列を作った。
田舎の狼ののような者が財貨の力でまた将軍になろうとは、悲しいことだ」という記述がある。
このように書いた作者の気持ちと、そのように考える理由を答えなさい。


A:小右記の前後の部分には「受領(国司。今で言うところの県知事が近い)が贈り物をしてきた。
感心なことだ」という記述が多くある。
たとえば長和二年正月には「藤原経通が丹波守になった土産を送ってきた」などの記述があり、
実資も地方官からの贈り物には決して否定的ではない。
にもかかわらず問いのようなことを記述した気持ちは「惟良が道長には贈り物をしたのに
自分のところには贈り物をしてこない、その態度が気にくわない」である。

890 :日本@名無史さん:2014/11/24(月) 21:18:25.73 .net
>>888
そりゃアメリカンジョークだな。
鎖国以前に外国人にも知られていたし、太平洋側来る船には目印にもなってたじゃん

891 :日本@名無史さん:2014/11/25(火) 15:07:57.38 .net
>>881
伊達氏が伊達を併合できたら伊達領国が「伊達」と呼ばれそう

892 :日本@名無史さん:2014/11/25(火) 15:45:21.85 .net
887
凄い疑問なんだけどその時代に絹が東国にあったのか?
殖産として畑作業などをやっていた連中が製糸業に転換
したのは江戸時代だぞ

893 :日本@名無史さん:2014/11/25(火) 16:56:32.26 .net
租庸調といってだなー

894 :日本@名無史さん:2014/11/25(火) 18:57:42.79 .net
南部国一宮もある

895 :日本@名無史さん:2014/11/25(火) 20:41:52.15 .net
調布でいうところの布って何の布なんだろ

896 :日本@名無史さん:2014/11/25(火) 20:54:18.35 .net
>>895


897 :日本@名無史さん:2014/11/25(火) 22:05:46.93 .net
質問なんですが
江戸時代って、金属製の農具や調理器具が財産だったって聞くけど、布団も財産だったって話を聞きました
布団綿って、もしかして木綿じゃなくて真綿だったんですか?
それとも木綿も高級品って事でしょうか?ピンピン

898 :日本@名無史さん:2014/11/25(火) 22:48:59.85 .net
秀吉が建てた聚楽第って現存してる家康が建てた二条城と比べて
建築物の規模、豪華絢爛さはどうだったのでしょうか?

899 :日本@名無史さん:2014/11/26(水) 00:14:18.55 .net
>>897
ググってみた。掛け布団はかなり時代が下がってからで、江戸時代に布団と言ったら敷き布団の事だそうだ。
木綿は大変高価で、元禄の頃には布団三枚で100両したらしい。手の届かない庶民は天徳寺と呼ばれる
紙の布団とかゴザだそうだ。古代から掛け布団は無くて、着物を掛けて寝ていたらしい。その流れで江戸時代も
襟や袖のついた着物のような夜着(よぎ)または四角い衾(ふすま)というものを掛けていた。

>>898
派手好きの秀吉好みに金箔瓦とかで豪奢に飾っていたらしい。規模は知らない。

900 :日本@名無史さん:2014/11/26(水) 00:37:42.01 .net
綿が庶民にまで普及する江戸時代以降は、寝具として「蒲団」を使うようになります。他にも江戸では【夜着(よぎ)】という袖と襟がついた大きな着物のような形のものを使っていました。
当時は、蒲団が一枚しかないという人も多く、蒲団を半分に折ってその間に入って寝る姿を「柏餅」と呼んだそうです。

http://www.nhk.or.jp/kininaru-blog/103760.html

901 :日本@名無史さん:2014/11/26(水) 00:38:56.85 .net
ちなみに江戸時代には紙衣(かみこ)という紙で出来た着物も有った。

902 :日本@名無史さん:2014/11/26(水) 00:42:13.37 .net
>>899
子供の頃、田舎の親戚の家に泊まったとき、袖付きの掛け布団があったけど、
そういうわけなんですか

903 :日本@名無史さん:2014/11/26(水) 00:59:53.07 .net
>>898
聚楽第については資料がほとんど残っていないから正確なところはわからないけど、敷地面積は現在の二条城より少し大きかったと推定されている。
なお二条城は家光によって大規模な増改築が行われており、現在の敷地面積は家康時代の二倍近い。

904 :日本@名無史さん:2014/11/26(水) 01:21:30.62 .net
人種が違いますんでね。人種が。


日本人←日本人種
韓国人←中央蒙古人種



北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人、フィリピン人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人

905 :日本@名無史さん:2014/11/26(水) 01:43:58.87 .net
「出来心」って落語で、泥棒に入られた貧乏人が、もともと何もない部屋なので何もとられていないのに
大家に対して布団をはじめいろいろ盗まれたことにしようとして嘘をつき、盗られた物を説明するのに
なんでもかんでも「裏は花色木綿で」って言う
その落語の成立当時は、布団はかなりの財産だった

906 :日本@名無史さん:2014/11/26(水) 02:38:08.87 .net
布団の話題なのにここまでラフカディオ・ハーンなし

お前たちには失望した

907 :日本@名無史さん:2014/11/26(水) 03:12:14.83 .net
自分で仕込めばええのに

908 :日本@名無史さん:2014/11/26(水) 07:38:38.46 .net
布団の件、皆さまありがとうございますピンピン

909 :日本@名無史さん:2014/11/26(水) 07:53:04.60 .net
小泉八雲さんですか
ギリシャ生まれの人なんやね

910 :日本@名無史さん:2014/11/26(水) 12:10:33.77 .net
>>899>>903
ありがとうございます
あくまで推測ですが、聚楽第のほうが規模、豪華さで上っぽいですね

911 :日本@名無史さん:2014/11/26(水) 12:18:19.93 .net
最近日本でも反富裕なんて意味不明な抗議行動(反貧困なら分かるが)が出てきてるみたいだけど、労農階層が主人公のはずだった旧ソ連においては、貧富の差というのはどの程度存在したのでしょうか。
詳しい方がいらっしゃったら、ご教示願えませんか。

同じ社会主義国の中国は、改革開放路線に移行してからの経済先進地区と内陸部の対比が明らかにすごいようですが・・・
貧しい地域は民国時代の生活水準と同レベルではないかとすら思えます。

912 :日本@名無史さん:2014/11/26(水) 12:41:55.33 .net
>>911
世界史板で質問しなさい

913 :日本@名無史さん:2014/11/26(水) 15:35:50.36 .net
歴史に関するアンケートができるスレッドないですか?
あれば教えてください
また、近未来を予測するようなスレッドもあればぜひ教えてください

914 :日本@名無史さん:2014/11/27(木) 03:20:14.28 .net
織田信長が足利義昭にしたことは、謀反とか下克上とか否定的にいわれないのはなぜでしょうか?

915 :日本@名無史さん:2014/11/27(木) 10:03:26.47 .net
織田信長と足利義昭の関係の移り変わりを理解できてる人間には
そんな単純な言葉でまとめられるものじゃないと理解できるからじゃないのか

916 :日本@名無史さん:2014/11/27(木) 10:49:40.64 .net
信長は英雄・改革者のイメージが大きいからじゃね?
小説やドラマの影響

917 :日本@名無史さん:2014/11/27(木) 11:51:39.48 .net
豊臣秀吉が聚楽第に後陽生天皇を招いた話は具体的にどのような公文書に
書き残されているのでしょうか?

918 :日本@名無史さん:2014/11/27(木) 15:14:27.40 .net
>>914
否定的、というのは価値観の問題だけど
普通に下克上とは言うよね。
研究者によっては、追放ではなく出奔だ、という意見もある。

>>917
聚楽行幸記、かな。

919 :日本@名無史さん:2014/11/28(金) 00:49:20.62 .net
人種が違いますんでね。人種が。


日本人←日本人種
韓国人←中央蒙古人種



北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人、フィリピン人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人

920 :日本@名無史さん:2014/11/28(金) 17:05:16.68 .net
第○○○代帝の「帝」は何と読むかご存じの方いらっしゃいますか。

921 :日本@名無史さん:2014/11/28(金) 19:52:54.90 .net
>>920に捕捉させていただきます。>>920は日本の天皇の場合です。例えば後白河天皇(第104代帝)という時の「帝」は
なんと読むのが正しいのでしょうか。

922 :日本@名無史さん:2014/11/28(金) 20:11:07.95 .net
正しい、の定義をしないと答えようが無い
とは思うよ。
先生の質問に答える時は
普通に「ミカド」でいいでしょね。
正しい、ってことじゃないけど。

923 :日本@名無史さん:2014/11/28(金) 20:28:11.75 .net
>>922ありがとうございます。今「先祖を千年、遡る」という本を読んでいるのですが繰り返し「○○天皇、第○○代帝」
と出てくるのでその度にどっちだろう?気になり出しまして、気になりだしたら止まらなくなり質問させていただきました。
「ミカド」と読むのは天皇が日本発祥の「みかど」に「帝」という字をあてたからでしょうか?

924 :日本@名無史さん:2014/11/28(金) 20:52:01.97 .net
「ミカド」と思いますが、「第○○代帝」という言い方はあまり聞いたことがありません。
「○○天皇、第○○代」で通じますから、「帝」は不要、というか重複表現と思います。
次の質問は簡潔には答えにくいですが、「ミカド」が天皇をさすようになるのは、奈良時代より後のような気がします。

925 :日本@名無史さん:2014/11/28(金) 20:56:28.98 .net
神武天皇から第○世、という言い方はするよね
皇統が替わると、○の数字が減ったりする

926 :日本@名無史さん:2014/11/28(金) 20:58:29.06 .net
>>924ありがとうございます。そうなのですね、丸山学さんという先祖探しを生業にされてある行政書士の方が書かれた本なのですが、
独自の言い回しなのでしょうか。

927 :日本@名無史さん:2014/11/28(金) 21:37:51.77 .net
>>926
日本史ではあまり使わない、ってことで
一般の人の世界史とか中国史とか
巨人の「第00代四番打者」とか
そういう表現がごっちゃになってる、ってとこかな。
厳しい人だと、後白河天皇(第104代帝)、という表現は
間違ってる、とか感じるでしょね。
理由は922さんの言われるように、重複、という意味もですし
慣例ではない、というのも。

928 :日本@名無史さん:2014/11/28(金) 21:57:00.26 .net
>>927勉強になりました。皆さんありがとうございました。もうひとつ気になる事があるのですが狭義と広義という言葉の意味について
なのですが、歴史の本を読んでいる時に狭義の〜とあったのですが、狭義とはその言葉の一般的な意味のことでしょうか?
それともごく一部の限られた意味のことでしょうか?

929 :日本@名無史さん:2014/11/28(金) 22:02:09.27 .net
より狭い方ですが、どちらが一般的な意味かはその語句によって違うでしょう。

930 :日本@名無史さん:2014/11/28(金) 22:02:16.54 .net
民俗学的な質問ですがお願いします
世界中のいろんな地域で大昔から祭りが行われているけど、
大きな山車を引きずり回したり、神輿を担いで練り回ったり、
各地各地で気候風土、宗教が全然違うのに祭りのベースが
似通っているのは何故でしょうか?
地域によって山車や神輿の形状や素材は違いますが、
これだけベースが似ているのは、何かのモデルがあり、
それが世界中に伝播したということでしょうか?

931 :日本@名無史さん:2014/11/28(金) 22:10:39.42 .net
>>930
狭義の意味では「個別に検討が必要」とかで
広義の意味では「人間の考える事は大体同じもんさ」
とかになったりね。

原始的に、顔に刺青いれたりする、とか
ヘビを見ると本能的に恐怖を感じる、とか
夜景はきれいに見える、とかの「共通体験」は
文化、人類、発達心理の
いろんな学問からのアクセスができるでしょね。

932 :日本@名無史さん:2014/11/28(金) 22:14:11.96 .net
あのモーゼのアークみたいなことがけっこうあったんじゃね
つまりご神体を担いでの移住

933 :日本@名無史さん:2014/11/28(金) 22:17:47.20 .net
あと敵に集落が襲われたときにご神体を担いで逃げるとか
戦争にご神体を担ぎ出してとか
何の根拠もないけどね

934 :日本@名無史さん:2014/11/28(金) 22:20:40.24 .net
ただこの手のことは民俗学だと何もわからんよ
人類学なら、欧米人の未開部落の調査記録がたくさんあるから
興味があったら調べてみれば

935 :日本@名無史さん:2014/11/28(金) 22:40:15.97 .net
>>931->>934
ありがとうございます
参考にします

もうひとつお願いします
戦国時代は男色文化があったようですが、男色文化が興った要因は
何が考えられるのでしょうか?
また、その後に男色文化が衰退し、タブー視されるようになったのは
何故でしょうか?

936 :日本@名無史さん:2014/11/28(金) 23:03:56.97 .net
仏教修行僧の禁色からきてるんじゃね
あと江戸時代は男色文化は廃れてないよ
陰間とか

937 :日本@名無史さん:2014/11/29(土) 00:22:38.12 .net
祭りですが、聖なる物を巡回させて人々に広く礼拝させる、
あるいは聖なる物に宿る神霊に各地をご覧いただくということで
世界のどこででも思い浮かぶ発想かと思います。
伝わったと想定する必然性は無いのでは

938 :日本@名無史さん:2014/11/29(土) 05:34:53.60 .net
対馬の寺から韓国人が8世紀の仏像を盗んだ件がニュースになってますが
それって当時朝鮮経由で仏教が伝わってるって事ですよね?
なのに遣唐使とか遣隋使だとか時代的にそのあたりだと思うんだけど
何故陸地まで近い半島ルートを選ばずに東シナ海を渡って大陸に行くというリスクを犯したのでしょうか?
半島経由なら遥かに海難事故の悲劇は減ったはずなのに

939 :日本@名無史さん:2014/11/29(土) 06:20:39.51 .net
>>938
白村江で日本は百済側について新羅を敵国とした関係で、その後も日本は新羅との関係がよくなかった
その新羅が朝鮮半島を統一したので、半島経由ルートが使えなくなった

940 :日本@名無史さん:2014/11/29(土) 11:34:23.31 .net
ひつもん。
日本人は全員、天皇陛下の血が入っているのですか?
よろしくお願いします。

941 :日本@名無史さん:2014/11/29(土) 11:40:38.91 .net
>>936
仏教の禁色とは女性との恋愛や結婚、性行為が禁止ってことですよね
その反動で男色文化が興ったって解釈というわけですね
江戸時代頃はよく分かりませんが、少なくとも昭和末期頃は
男色なんてものはタブー視されてたし、変態行為と看做されてたと思います
ここ最近は昭和末期頃よりは理解が広がっている気がします

戦国武将と小姓の関係って男色なんですよね?

942 :日本@名無史さん:2014/11/29(土) 11:41:53.61 .net
>>937
ありがとうございます

943 :日本@名無史さん:2014/11/29(土) 14:19:05.16 .net
>>940
織田信長が死んだ時に肺の中にあった
原子の3〜4こは日本人全員の今の肺の中にあるよ。

944 :日本@名無史さん:2014/11/29(土) 14:29:37.26 .net
>>941
昭和末期頃に男色がタブー視されていたとは、どこの田舎者かね?

945 :日本@名無史さん:2014/11/29(土) 14:30:22.89 .net
人種が違いますんでね。人種が。


日本人←日本人種
韓国人←中央蒙古人種



北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人、フィリピン人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人

946 :日本@名無史さん:2014/11/29(土) 14:50:58.96 .net
>>940
輸血したことない日本人てけっこういると思うよ

947 :日本@名無史さん:2014/11/29(土) 22:24:41.30 .net
>>944
当時、男色ってメジャーだったかね?

948 :日本@名無史さん:2014/11/30(日) 01:21:19.34 .net
>>943
我々は全員、織田信長の子孫なのですか!?
それとも、その当時の安土戦国天皇の血ということでしょうか?

>>946
どういうことですか?

949 :日本@名無史さん:2014/11/30(日) 06:14:55.70 .net
>>948
輸血したことない日本人=他の誰かの血が入ってない日本人
だから全員はありえないってこと

950 :日本@名無史さん:2014/11/30(日) 07:41:17.76 .net
>>949
なんで輸血の話が出てくんの?

昔は権力者の男ほど多くの女性を娶って大勢の子孫を残すことができたから
日本人の3分の1程度には天皇の血が入っていると言われるけどね

でも織田信長なんて天下も取れず末裔は零細大名や旗本にまで没落したから
子孫が残ってはいるがたいして血を引いてる人はいないと思う

951 :日本@名無史さん:2014/11/30(日) 08:23:21.33 .net
あほですか

952 :日本@名無史さん:2014/11/30(日) 10:14:52.80 .net
ですかは余計、要らない。あほのみでOK

953 :日本@名無史さん:2014/11/30(日) 12:00:57.79 .net
>938
鑑真も大陸から直接日本渡海を目指したけど、黒潮の流れを乗り切るには予め流されることが前提
現在の感覚では半島を渡る方が距離的に近いと考えるけど、狭い海峡が一番海流が早いのでリスク的には変らない
あと、陸路で人と物資を運ぶより海路の方が楽というのもある
半島伝いに中国を目指す航路も初期にはあったが直に廃れ、直接渡海を目指したのは半島の港に立ち寄るメリットが日本側には全くなかったから

>935
戦国時代は男同士のが主流で女とのは子作りのための作業でしかなく実質レイプだったと田中貴子なんかは書いている
豊臣秀吉のように男色を嫌ったり、毛利元就のような例もあるから一概にはいえないけどね
古代ギリシア人は男色こそ至高と言ってるし、男色がタブー化したのはキリスト教が広まってからの話

>930
日本のソレは海外とは全く事情が異なる
幕末明治初期に日本に訪れた、花好きでは定評のある英国人が、「何所の国でも春は美しいが日本の春は全く別世界だ」と記している
中国や北米欧州でも紅葉はあり、初見では雄大さに圧倒されるが、
海外の紅葉は色彩が単調で日本人は直に飽きる

古来より日本人は秋に神神は山に去り、春には山から降りてくると考えていた、これは仏教伝来以前からの古い習俗で日本の豊かな自然に意味性を持たせた土俗信仰
大きな山車を引きずり回すのは磐座信仰の延長のようなものであって、海外のソレは大きさが信仰の強さとするもので、大きなもの・立派なものでなければ神が来ないとするものではない

954 :日本@名無史さん:2014/11/30(日) 13:43:04.69 .net
>>953
戦国時代は〜  ってのはかなり偏った見方じゃない?田中貴子って人はよく
しらないけど、どちらかというとフェミニズム的な人のイメージで見たものの
言い方じゃない?一般論としては戦場に女をつれていけないから男色って言われる
でしょ。戦国時代と古代ギリシア文明はあまり関係ないしね。
江戸時代でも中ごろ以降で庶民はともかく男色をしている大名ってそんなに多かったのかな?
あまり聞かない気がする。やっぱり戦場に行くって特殊な環境で流行ったものじゃないのかな?

955 :日本@名無史さん:2014/11/30(日) 13:59:44.76 .net
俺が言ってることの繰り返しに何の意味があるのか分からん

あと、西洋でもキリスト教以前には男色は肯定され日本で男色が否定されるのは
そういう西洋的価値観が流入してから以降だと書けば君にも理解できるのかな?
影響の低い中央アジアや中東では現在も残ってる

956 :日本@名無史さん:2014/11/30(日) 15:05:24.42 .net
>>938
高校の教科書には新羅との関係が良好な時は半島沿いのルートをとり
関係悪化後の八世紀からは東シナ海横断ルートになったとある

957 :日本@名無史さん:2014/11/30(日) 15:25:54.02 .net
>>955
んん??
フェミニズム的な〜ってのはもしかしたらそういった面も極少しは
あるかもしれないけど、田中さんの意見はバランスを著しく欠いてるからあまり妥当じゃ
ないんじゃない?って意味やねんか
戦国時代は男色が主流ってのも、主流って意味は本音は男色がいいけど
男は子供が産めないから、しょうがなく女って意味やと思うけど
一般論では逆で戦場には女を連れていけないから男でって言われてるよね
古代ギリシアで男色が至高って言われててもそれが、極東の敷島まで
影響を与えたとは思えない。もしキリスト教の影響なら、少なくとも明治維新後のキリスト教
解禁まで(明治政府成立1867年 キリスト教解禁1873年)日本で男色がもっとメジャーなはず
武市半平太と竜馬、中岡慎太郎の三角関係とか、孝明天皇が岩倉具視を寵愛していたとか
主流じゃなかった(もしくは大多数はしゃーなしでやってたから)太平の世と同時に
下火になったのじゃない?

958 :日本@名無史さん:2014/11/30(日) 21:48:04.61 .net
>>955
男色は別に戦国時代の日本でもメジャーではない
坊主は女を抱けないから男色
武将は戦場に女を連れていけないから男色
本当に男しか愛せないホモもいなくはなかったが生物学上メジャーなものではない

田中貴子さんは女性禁制の僧侶の世界では稚児が女性同様に愛され
美貌の稚児は美貌の女性同様に僧侶たちからの寵愛の対象になったことが書かれてあるが
戦国時代の性愛は男色が主流であって
女を抱くのは子孫を残すために仕方なくだったとも書いてないと思うが

959 :日本@名無史さん:2014/11/30(日) 21:56:06.46 .net
男色か〜?w
まあゲイバーとかあるからまったくないとは言わないがね

960 :日本@名無史さん:2014/11/30(日) 23:46:25.84 .net
>田中貴子って人はよくしらないけど
何を知らないかではなく、何を知ってるかを書いた方が早いんじゃねぃ?
むろん一冊でもまともな本を読んだことがあるのならの話だけどねw
ここは妄想を書き連ねるスレじゃない

961 :日本@名無史さん:2014/12/01(月) 01:33:42.27 .net
人種が違いますんでね。人種が。


日本人←日本人種
韓国人←中央蒙古人種



北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人、フィリピン人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人

962 :日本@名無史さん:2014/12/01(月) 09:20:36.37 .net
あ〜羨ましき戦極時代。
俺もお稚児さんが欲しい。。

963 :日本@名無史さん:2014/12/01(月) 09:51:33.55 .net
>>955
??
メジャーと主流の言葉の定義がいまいちピンとこないけど
同義ではないの?上4行でメジャーではない で下4行で主流であってと書かれても

僧侶の世界と戦国武士の例をだされても違うもんやから
比較の対象には・・・
いまいち文意がわかりにくいけど、戦国時代は男色が主流で女性との性交
はレイプみたいなもんなんやんね?
一般にレイプって女とやりたいからするもんであって、女なんかとやりたくない
ひとがレイプとかってするのかな?
子作りの為ってのはそれなりに説得力はあるけど、実質レイプってのは
田嶋陽子やないねんから

964 :日本@名無史さん:2014/12/01(月) 11:07:05.93 .net
>>953
>古代ギリシア人は男色こそ至高

ギリシア哲学の父プラトンの思想からきてるんだが
プラトンは肉愛を醜いものとし男同士の主君愛や同僚愛こそが真実の愛であると説いた
肉体関係のない恋愛関係をさす「プラトニック・ラブ」という言葉があるがプラトンの説く愛という意味
古代ギリシア人が至高だと説いたのは男色ではなく
性愛によることのない男同士の愛をさす
性愛がらみの男色など醜いものの類(ちなみにプラトン本人には妻子がいる)

965 :日本@名無史さん:2014/12/01(月) 21:54:21.00 .net
中世の国質、郷質でレポートを書くとしたら、なにか面白い着目点ってありますか?

966 :日本@名無史さん:2014/12/01(月) 23:53:07.96 .net
>>955
中東に発して中央アジアにも強い影響力をもってるイスラム教も男色禁止だけれどw

967 :日本@名無史さん:2014/12/02(火) 01:03:09.78 .net
教科書だけを読んで満足してればいいじゃない
何時まで粘着してスレを荒らしているんだか…

質問スレで教えてくれというのならまだしも、バカなボクチャンの思い込みを聞けと
演説を続けられてもなぁ
本気で相手をしてもらえると思っているなら、君は物事の見方考え方、現実世界での
君の周囲の君を見る目を意識した方がいいよ
赤の他人が君のようなどうしようもないオコチャマに示せる行為はその程度
それ以上は求めるべきじゃない

968 :日本@名無史さん:2014/12/02(火) 07:20:39.03 .net
「いい国(1192)」だった鎌倉幕府の成立 最近は「いい箱(1185)」が新定番
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1417381493/

969 :日本@名無史さん:2014/12/02(火) 10:17:54.65 .net
じゃあ、なんで、江戸幕府成立は天正15年(1587年)ではないの?
関東奥羽惣無事令が下されて徳川家康に東日本の監督が任されてるだろ
鎌倉からで好き勝手に東日本の土地を武家に分配していいよ も
江戸から好き勝手に関東奥羽の土地を武家に分配してもいいよ も
同じだろ
豊臣秀吉も九条兼実も関白太政大臣だし

違いは、鎌倉勢が奥州の在地勢力を悉く粉砕したが、家康は伊達政宗仲良しで孫のお守りまでさせてるくらいか

970 :日本@名無史さん:2014/12/02(火) 13:45:55.92 .net
>>969
惣無事令って秀吉が大名間の私闘を禁じた命令
家康に好き勝手に関東奥羽の土地を武家に分配してもいいよと
土地分配権を与えたものではない 

971 :日本@名無史さん:2014/12/02(火) 15:34:19.80 .net
>>970
北条氏直が踏ん張っていてどうにもならんから、豊臣方の総攻め(小田原戦役)で関東を分捕って、それをほぼまるまる家康に与えてるだろ

972 :日本@名無史さん:2014/12/02(火) 16:18:48.35 .net
>>971
それは秀吉の裁量での家康の国替えだろ
家康の独断で好き勝手に関東奥羽の土地を武家に分配してもいいよと
何の史料に書いてある?

973 :日本@名無史さん:2014/12/02(火) 16:30:25.00 .net
関ケ原前に一豊が家康にあげますーって言ったら
関東諸侯がそれにつづいたらしいよ
それで関東のほとんどが徳川領になった

974 :日本@名無史さん:2014/12/02(火) 17:19:18.14 .net
>>972
宇都宮仕置

975 :日本@名無史さん:2014/12/02(火) 17:38:26.34 .net
>>972
武家に対しして、領主に任命する、領地として与えるというのは、貰った側に領地経営の一切が任される、
陪臣に再分配するの領主の裁量なんだよ
現に、本多忠勝に上総大多喜とか上野前橋を平岩親吉とか上野高崎を井伊直政とか武蔵川越を酒井重忠とか再分配してるだろ

976 :日本@名無史さん:2014/12/02(火) 18:24:35.00 .net
九州は島津義久に惣無事令が出されているから
九州幕府なわけか

977 :日本@名無史さん:2014/12/02(火) 18:31:05.35 .net
人種が違いますんでね。人種が。


日本人←日本人種
韓国人←中央蒙古人種



北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人、フィリピン人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人

978 :日本@名無史さん:2014/12/02(火) 19:30:47.68 .net
>>976
1185年から鎌倉時代とするなら、ね

979 :日本@名無史さん:2014/12/02(火) 21:52:17.65 .net
もし近い将来、現在の議院内閣制をやめて違う制度に変えた場合、
それは政体の抜本的変化ということで、かつての鎌倉幕府成立や
王政復古と同じような扱いになりますか?
もし、資本主義体制から社会主義体制に変えた場合、
これは政体を超えた国体の変化ということで、鎌倉幕府成立や
王政復古を凌ぐような日本史上有数の転換点になりますか?

980 :日本@名無史さん:2014/12/02(火) 21:52:53.70 .net
現代史の画期っていつなんでしょうか
1955からずっと変わらない?非自民政権が出来た数年が画期?

981 :日本@名無史さん:2014/12/02(火) 22:20:53.52 .net
議院内閣制をやめて帝政にしたら古代ローマが共和政から帝政に変えたくらいの扱いになるかもね。
大日本帝国時代みたいのじゃなくてカエサルとかオクタビアヌスみたいな強力な皇帝が表れたらね。

982 :日本@名無史さん:2014/12/02(火) 23:03:31.85 .net
日本国憲法は先進国有数の古い憲法ってのはよく聞くけどね

983 :日本@名無史さん:2014/12/03(水) 10:28:59.42 .net
>>982
修正や追加を無視すれば、もっと古くからの憲法はあるでしょ
たとえば、アメリカ合衆国憲法は1787年制定
その後何度も修正条項が追加されているが、憲法そのものを廃止して新しい憲法を採用した
というわけではない

まあ、まったく修正や追加なしに60年以上も前の憲法を当時のまま使い続けてる日本は
世界的にはめずらしいのかもしれないけど

984 :日本@名無史さん:2014/12/03(水) 13:51:19.38 .net
>>979
社会主義体制で皇室の存続というのは可能なんですか?
可能でないなら皇室がなくなるわけで、それだけでも一大転換点と言えますね
あくまで私見ですけど

985 :日本@名無史さん:2014/12/03(水) 14:16:10.71 .net
畿内説、九州説それぞれに根拠あり 邪馬台国はどこなのか
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1417570628/

986 :日本@名無史さん:2014/12/03(水) 15:57:13.61 .net
スペイン・コリア「慶長遣欧使節」の末裔 「私達は日本人」
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1417589616/

987 :日本@名無史さん:2014/12/03(水) 16:03:20.37 .net
>>984
欧州の旧王族みたいに、亡命した皇族の子孫が「皇位請求者」になるかも知れん。

988 :日本@名無史さん:2014/12/03(水) 16:36:00.96 .net
>>984
日本史じゃなくて世界史になるが、
昔のカンボジアが一時期だけど、王制社会主義といわれた

989 :日本@名無史さん:2014/12/04(木) 04:42:05.49 .net
http://www.youtube.com/watch?v=ZfYKGrEf6tM

990 :日本@名無史さん:2015/04/07(火) 18:23:05.07 ID:2yMyImj8d
大阪の陣で豊臣方が集めたのは浪人と言われていますが、彼らはどのような人たちなのでしょうか。
戦国期の地侍は農家の本家が分家とともに武装しているイメージです。
例えば上の戦国大名が秀吉等に滅ぼされた場合、大半は武器を捨て統治権を明け渡し帰農すればいいわけで、土地を離れる必要はないと自分的に思います。
豊臣方が集めた浪人というのは、秀吉等に侵略されたときに帰農を許されない地元じゃ元リーダー格の家柄の人達という事でしょうか??

991 :日本@名無史さん:2015/04/07(火) 23:44:43.22 ID:aBp+qofOV
武士が浪人しても、まともな農民にはなれない。
根性があれば、山賊や海外傭兵をやる。
それができなければ部落に入って労務者になるだけだよ。

992 :日本@名無史さん:2015/12/13(日) 01:32:21.70 ID:SVET7xFol
歴史学博士ってさ、俺は文学博士号取ったけど、歴史学博士ってさ、ここは國學院閥か?レベル低いな。鳥居龍蔵先生が草葉の陰で泣いてるんじゃね?

993 :日本@名無史さん:2015/12/13(日) 07:33:17.21 ID:faNd99umA
文学博士らしいレベルの高いレスですね、大変勉強になります。

994 :日本@名無史さん:2015/12/16(水) 00:52:48.33 ID:YkUBWj4BP
↑↑↑↑↑

当たり前だろ

995 :日本@名無史さん:2015/12/16(水) 00:57:17.86 ID:Z+W1BmzYU
博士はさすがですね、その記号には深い意味があるのですか。

996 :日本@名無史さん:2015/12/16(水) 22:02:46.22 ID:0WYPSq5+n
コイツ何言ってんだ?溺死学博士かよ(藁

997 :日本@名無史さん:2015/12/16(水) 22:43:44.34 ID:Z+W1BmzYU
人の来ないscで誰を罵ってるの?w

998 :日本@名無史さん:2015/12/17(木) 10:59:09.51 ID:mXUdehyTM
人の来ないって…コノヒトは人ではないの??キモイ

999 :日本@名無史さん:2015/12/17(木) 11:32:09.84 ID:o/wvt7uiq
過疎のscで罵倒していい気になってる方がよほど気持ち悪いと思うがね

1000 :日本@名無史さん:2015/12/17(木) 15:38:17.29 ID:oXFGAlrBD
罵倒観音。チ〜ン♪

1001 :日本@名無史さん:2015/12/17(木) 21:48:22.13 ID:aypMkCO4c
チンチン♪

1002 :日本@名無史さん:2015/12/17(木) 21:50:42.22 ID:yJlFfR1wX
チンチン♪は深い意味があるのですか。罵倒するのはやめたまえ。誰もこないスレなんだが。

1003 :日本@名無史さん:2015/12/17(木) 21:51:38.71 ID:+uGGc1heO
チンチン♪はどうかと思うがね。

1004 :日本@名無史さん:2015/12/17(木) 21:53:19.83 ID:+uGGc1heO
溺死学博士の俺様をのけ者にするは、いかがなものか?

1005 :日本@名無史さん:2015/12/17(木) 21:53:56.87 ID:+uGGc1heO
即答!

1006 :日本@名無史さん:2015/12/17(木) 21:56:19.09 ID:uewEiUNZc
ウンチ博士の俺様が即答するのだが。過疎なんだが。罵倒するのは俺様なんだが。

1007 :日本@名無史さん:2015/12/17(木) 21:56:42.01 ID:uewEiUNZc
俺様なんだが。

1008 :日本@名無史さん:2015/12/17(木) 21:59:53.72 ID:aiObTBu3n
気持ち悪いのは俺様なんだが。

1009 :日本@名無史さん:2015/12/17(木) 22:01:50.86 ID:aiObTBu3n
鳥居博士!コイツらバカ丸出しですがね。

1010 :日本@名無史さん:2015/12/17(木) 22:03:43.00 ID:uewEiUNZc
チンポコリン!だが。

1011 :日本@名無史さん:2015/12/17(木) 22:05:04.48 ID:aiObTBu3n
あらゆる質問に即答するのだ。

1012 :日本@名無史さん:2015/12/17(木) 22:14:13.34 ID:aypMkCO4c
即答するのだ。

1013 :蜜蜂だよ〜ん♪:2015/12/17(木) 22:15:15.43 ID:/llFm2LxC
蜜蜂だよ〜ん♪

1014 :日本@名無史さん:2015/12/17(木) 22:19:34.85 ID:aypMkCO4c
即答してねーよな

1015 :日本@名無史さん:2015/12/17(木) 22:20:40.59 ID:oXFGAlrBD
封建論争はどうなんだ。

1016 :日本@名無史さん:2015/12/20(日) 05:33:57.86 ID:g3SQaK1Bj
ここは糞博士しかいねーのか?

1017 :日本@名無史さん:2015/12/20(日) 06:18:39.41 ID:/qlWuR+gD
俺様が即答だってよ(o^∀^o)こんなレベルで何ぬかしてやがる?(o^∀^o)

1018 :日本@名無史さん:2015/12/20(日) 06:22:01.44 ID:O0S2gPVgg
お前!何様のつもり??(o^∀^o)どこが俺様なんだよ(o^∀^o)バカ!(o^∀^o)

1019 :日本@名無史さん:2015/12/22(火) 13:11:31.94 ID:zTmc4ei0W
この歴史スレ かなり寒いとこだな バカな歴史学博士とアホな仲間たちかよ

1020 :日本@名無史さん:2015/12/22(火) 19:55:35.06 ID:lKCTfWAwE
ここの博士は腐れチンポだからね(≧∇≦)

1021 :日本@名無史さん:2015/12/22(火) 20:01:04.04 ID:fsXogtliv
チンポしゃぶってもらってこいや

1022 :日本@名無史さん:2015/12/23(水) 11:32:35.65 ID:2al2GtFXv
お〜い!インチキ溺死学博士〜!

しゃぶってもらったか〜!

即答せ〜よ〜!

1023 :日本@名無史さん:2015/12/23(水) 21:10:46.57 ID:2al2GtFXv
この死に損ないスレ、息の根止まったみてーだな(≧∇≦)

1024 :饅頭先生:2015/12/23(水) 21:24:10.25 ID:/mcqX7y5i
卑弥呼は北朝鮮人ニダ♪

1025 :【朝鮮半島は邪馬台国時代から日本の領土である!】:2015/12/24(木) 18:52:43.25 ID:pYwNc/76U
朝鮮人!よく聞け!


中国北方から朝鮮半島は日本の領土だ!


邪馬台国の女王卑弥呼は朝鮮半島を治めていたことが分かった!


明治政府はこの歴史的事実を根拠にし、日韓併合を断行したものと思われる!


朝鮮半島は3世紀の昔から日本の領土である!


竹島どころが朝鮮半島を奪還せよ!

在日朝鮮人は日本国から出ていけ!

http://c.2ch.sc/test/-/history/1450557970/i

1026 :満州先生:2016/03/02(水) 18:03:54.92 ID:siZc3fZOh
ポクの本を買って読めば分かるのである。卑弥呼は朝鮮人なのである。ポクの本に書いてある。

1027 :このクソスレ立ち上げた在日朝鮮人は逃げ出したのかい?:2016/03/03(木) 20:25:23.67 ID:SZlBY+8kB
インチキ歴史学博士が何を晒してけつかるんだい?ケツでも掻いてろ。ケツまくってんじゃねーぞ。ケツ拭いてろやwww

1028 :この糞スレ立ち上げた馬鹿がいけない:2016/03/10(木) 13:03:59.08 ID:o++novMhB
在日だったとはな。残念な奴だった(過去形)。

1029 :チンカス野郎!:2016/03/29(火) 00:31:37.52 ID:Id9kwftQ3
オワスレぢゃね?

1030 :日本@名無史さん:2016/04/08(金) 00:28:40.51 ID:sWcWCYE71
乙!在日チンカスだったのか(笑)

1031 :日本@名無史さん:2016/04/10(日) 04:37:23.28 ID:a3R+a/Gau
チンチンブラブラ博士は逃亡したのか?いかにも在日らしいケツのまくり方だな。

1032 :日本@名無史さん:2016/04/10(日) 04:38:43.14 ID:a3R+a/Gau
チンチンブラブラ博士もアホ満州と変わらねーってことか。

1033 :日本@名無史さん:2016/04/11(月) 00:05:05.40 ID:i8x/UjU5A
このスレ作った在日さんは即答すると豪語していたが、即倒したらしい。何とも情けない御仁ではないか(笑)

1034 :日本@名無史さん:2016/04/12(火) 09:37:09.43 ID:cKDPGszvk
このスレ立ち上げたチンカス野郎は、メンへラでコピペの達人。しかも在日北朝鮮人。バレたから脱糞して逃亡したんだろう。

1035 :日本@名無史さん:2016/04/13(水) 04:25:36.81 ID:Ahl/jWL9a
この糞スレ→脱北者→脱糞者→どちらも臭い

1036 :日本@名無史さん:2016/04/15(金) 23:59:10.25 ID:8NYwkSVDv
チンカスなオワスレに用はないな(大爆)

1037 :日本@名無史さん:2016/04/24(日) 03:57:40.73 ID:tBSaqTcZW
チンカス脱糞者(・o・)ノ

1038 :日本@名無史さん:2016/04/30(土) 13:23:40.35 ID:qUNLshd/a
大ホラ吹きの脱糞者にどんな歴史が語れんだ?そんな野郎に用はねえわな。そんなヒマがありゃ、祖国北朝鮮を何とかしろよ(笑)

1039 :日本@名無史さん:2016/05/05(木) 16:05:26.61 ID:8NbPIjDd7
ここの脱糞野郎はどーした?トンスル飲み過ぎてゲロ吐いて雲隠れかよ?ヘタレなチョン野郎が!二度とクソスレ作んじゃねー!

1040 :日本@名無史さん:2016/05/23(月) 01:30:21.92 ID:yksKSmt1b
ここって、即倒スレだったんですね。

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