2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

なぜ鎌倉時代、室町時代は地味で人気がないのか

1 :日本@名無史さん:2016/07/12(火) 18:09:34.50 .net
ヨーロッパの中世史は人気があるが、日本の中世史は人気がないのはなぜなのか?

2 :日本@名無史さん:2016/07/17(日) 04:19:49.56 .net
室町時代は日野富子みたいな、仁義無視のエゴ丸出しのやくざみたいな人間ばかりで、魅力的な
人物がいない
とかなんとか司馬遼太郎が言っていた。

3 :日本@名無史さん:2016/07/17(日) 11:53:46.52 .net
>>2
作家なら書いて魅力引き出せよな

4 :日本@名無史さん:2016/07/17(日) 18:57:19.07 .net
司馬評価が正しいなら信長なんて真っ先に不人気だろう

5 :日本@名無史さん:2016/07/17(日) 21:36:50.11 .net
地味で人気がないというより
天皇関係の問題で太平記が大々的に取り上げられないというのが大きいんじゃないの?
たしか大河ドラマもそこらへんの問題でダメなんじゃなかった?

6 :日本@名無史さん:2016/07/18(月) 00:37:34.44 .net
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

7 :日本@名無史さん:2016/07/18(月) 07:29:36.47 .net
>>5
今の皇室を絡めたがるバカがいるのが不思議だよな。
どっちだろうと関係ないと思うが。

8 :日本@名無史さん:2016/07/18(月) 15:51:20.32 .net
ヨーロッパの中世史だってそこまで人気あるか?
中世風ファンタジーが人気あるだけだろ?

9 :日本@名無史さん:2016/07/20(水) 00:19:05.99 .net
中世風ファンタジーが今時人気あると思ってるのはオッサンだけだろ
アニメにしろゲームにしろ最近のファンタジー物は9割がた日本が舞台だよ

10 :日本@名無史さん:2016/07/20(水) 07:16:43.90 .net
はい

11 :日本@名無史さん:2016/07/20(水) 13:04:05.69 .net
auのCMは日本の中世ファンタジー

12 :日本@名無史さん:2016/07/20(水) 17:23:34.60 .net
日本の戦国時代もファンタジーだな

13 :日本@名無史さん:2016/07/20(水) 18:47:23.71 .net
中国も三国時代の前って人気ないよね。あと明治維新の前とか。その後が派手だからじゃない。

14 :日本@名無史さん:2016/07/20(水) 18:54:35.59 .net
平安〜鎌倉が一番いい!
わかるやついる?

15 :日本@名無史さん:2016/07/20(水) 19:17:08.89 .net
しかし後になってみれば鎌倉時代も平和な時代だったなあ

16 :日本@名無史さん:2016/07/20(水) 19:58:02.97 .net
春秋戦国時代とか三国志以上に人気あるだろ
今連載中のキングダムや達人伝、龍帥の翼とか青年誌はやたらこの時代を舞台にしたのが多い

17 :日本@名無史さん:2016/07/21(木) 00:08:35.20 .net
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

18 :日本@名無史さん:2016/07/22(金) 10:29:51.99 .net
鎌倉は頼朝が死んでからの権力闘争が面白いのにな
源平合戦と元寇ばかり取り上げらる

19 :日本@名無史さん:2016/07/22(金) 14:24:25.17 .net
南北朝の闘争も面白いのに、天皇家の話に持ち込むウヨ、戦時中の思想にアレルギー反応示すサヨが、
太平記に関する自由な論議を妨げる。

20 :日本@名無史さん:2016/07/22(金) 15:14:06.06 .net
>>18
承久の乱がスルーされがち

21 :日本@名無史さん:2016/07/22(金) 15:41:55.25 .net
網野義彦さんがもう少し長生きして、宮崎駿監督や
高橋留美子のアニメや漫画の原案を提供したら、
人気が沸騰したのに、
宮崎駿監督は網野義彦と対談はしたけど、社会とか経済とか
政治史のほうに関心が向かずに、どちらかと言うと怨霊的な部分の
インスピレーションだけに関心を示したし、
高橋留美子も中世の怨霊史観的な部分にしか関心を
示さないからな。

22 :日本@名無史さん:2016/07/22(金) 17:49:47.51 .net
鎌倉と室町を同列にできない気がする。
室町の人気がなさすぎ、というか、わかりにくすぎる。

23 :日本@名無史さん:2016/07/22(金) 19:07:42.19 .net
>>1
鎌倉室町が人気が無い、て何を指して言ってるのかね?
ドラマや映画作品という意味だろうけど、それじゃ奈良時代なんかどうすんの。

24 :日本@名無史さん:2016/07/22(金) 19:23:32.56 .net
右翼にとって都合が悪いからだろ。天皇家が断絶した黒歴史だからな

25 :日本@名無史さん:2016/07/22(金) 19:29:22.80 .net
高橋留美子とかもう過去の漫画家だろ
今の世代にはあの画風はもう古臭すぎて受けない
作るなら虚淵とかに作ってもらいたい

26 :日本@名無史さん:2016/07/22(金) 21:41:10.22 .net
>>24
チョン

27 :日本@名無史さん:2016/07/23(土) 04:04:22.89 .net
子連れ狼みたいな物語、鎌倉・室町だとつくれそうにないからな

28 :日本@名無史さん:2016/07/23(土) 07:03:51.38 .net
>>24
そうだな。ばれてしまう危険性が大きい

>>25
虚淵は作画をしているのか?

29 :日本@名無史さん:2016/07/23(土) 15:20:18.57 .net
大室寅之祐
https://goo.gl/1OBHdN https://goo.gl/6WfyxP

30 :日本@名無史さん:2016/07/23(土) 23:18:12.56 .net
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

31 :日本@名無史さん:2016/07/24(日) 20:43:50.13 .net
地味どころが院政の始まりから足利義満が死ぬまでが最高に面白い

32 :日本@名無史さん:2016/07/24(日) 21:55:28.45 .net
面白いけど地味、ってことよ。
でも実際に太平記は正平一統が破れてからダレるのも事実ですぜ。

33 :日本@名無史さん:2016/07/24(日) 22:30:15.72 .net
センゴクはおままごと、くだらないにもほどがある

34 :日本@名無史さん:2016/07/24(日) 22:38:40.88 .net
センゴクはもうお腹いっぱい。信長信長言ってる連中ってガキばかり。

35 :日本@名無史さん:2016/07/25(月) 22:44:12.00 .net
センゴクは当時の人々の心性をなるべく再現しようという意気込みが良かった
王欣太の蒼天航路の影響だろうけど
あれが上梓されて以降ヒストリエやヴィンランドサガとか今の人間から見たら残虐で意味不明な当時の風習や価値観を強調する手法が一般化した感がある

36 :日本@名無史さん:2016/07/26(火) 05:34:40.41 .net
仙谷由人

37 :日本@名無史さん:2016/07/30(土) 10:21:45.22 .net
鎌倉・室町を舞台にしたチャンバラ時代劇が作れないのが痛い。

38 :日本@名無史さん:2016/07/30(土) 15:42:03.27 .net
鎌倉・室町は、地方のチンピラがメインのケンカって感じなんだよな。

政権を取った奴も、大志が無く、足の引っ張り合いの中を運よく勝ち抜いたとか、義政みたいなバカとか、
主人公になれる魅力的な奴が居ない。

この時代には生まれたくないな。

39 :日本@名無史さん:2016/07/30(土) 21:25:07.38 .net
マジで鎌倉・室町で鬼平犯科帳や銭形平次みたいな
物語を作れるのかねぇ?
犯罪が起きたと訴えても、自分たちで何とかしろで突き返されて、
それでおしまいになりそうだから作れないのかな?

40 :日本@名無史さん:2016/07/30(土) 22:09:28.52 .net
鎌倉までは一応警察が機能していたから作れる。
しかし南北朝を挟んだ室町時代は無理。
長期の戦乱のせいで、基本的に犯罪の解決は自助努力。
そもそも、幕府の統制下にあるのが畿内だけなのだから仕方ないけどね。
作るとしたら、マッドマックス的な雰囲気になってしまうな。

41 :日本@名無史さん:2016/07/30(土) 22:10:52.72 .net
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

42 :日本@名無史さん:2016/07/30(土) 23:02:02.84 .net
これは南北朝時代が不人気の理由にも繋がるな

43 :日本@名無史さん:2016/07/30(土) 23:13:35.71 .net
南北朝時代は、紅白試合的な身内揉め感がある。
どっちでもいい的な感じだし、当事者がモゴモゴしてるというか。

天武天皇みたいに吉野に下りても、実力者が時期をみてすぐ政権を取り返す展開なら見ごたえがあるが。

44 :日本@名無史さん:2016/07/30(土) 23:30:49.95 .net
南北朝は尊氏が九州から戻ってきた時点でワンサイドゲームだもんね。
楠木、北畠、新田は2〜3年以内に全滅するし、
正平一統で盛り返すかと思いきや八幡攻防戦で終わるもんな。

45 :日本@名無史さん:2016/07/30(土) 23:52:20.59 .net
吉野周辺の限られた地域と、後は中央から遠く離れた辺境地域しか残らない、残党としか言いようがない状況になってるもんな

尊氏が九州から戻った時点から数えて、南朝側が上記のような「残党」状態になるまでに十年もかかってない。
南朝がそんな状況になったからこそ、幕府内の派閥対立が徐々に深刻化して「観応の擾乱」に至るわけだからさ。

「勝ち目がなくなって久しいのにナゼか生き残っている」状態が長く続いただけなんだよな。

46 :日本@名無史さん:2016/07/31(日) 00:30:20.07 .net
山崎正和氏の現代語訳太平記は楠木正行の戦死と吉野炎上までなんだよね。
それ以降は幕府内の仲間割れの連続だから、ここで終了と見切ったんだな。

47 :日本@名無史さん:2016/07/31(日) 05:58:57.79 .net
7人の侍のリアル版なんて作ったら、目も当てられない物語に
なりそうだな。
まずは自分たちで武装して、対処するだろうし。
他所者を活用するときは、戦国武将に徴発されたときの
徴用要員として身代わりで差し出すときだろうからな。

48 :日本@名無史さん:2016/07/31(日) 18:17:39.66 .net
あれのモデルになったのは康永元年の「智土師結解状」だがな
農民がつけ焼き刃で武器もったところで悪党に襲撃されたら一たまりもない

>>40
警察が機能してないなら題材にしやすいだろ
江戸時代とかチャンバラのやりようがないし大した政変もなかったから「お江戸でござる」みたいな日常劇しかやりようがない

49 :日本@名無史さん:2016/07/31(日) 18:50:22.41 .net
付け焼き刃で武器って


わりと日常的に近隣の村と境界争いで戦ってるんだが

50 :日本@名無史さん:2016/07/31(日) 19:46:05.15 .net
そんな百姓同士の喧嘩繰り返したところでプロに勝てるわけないし

51 :日本@名無史さん:2016/07/31(日) 19:50:23.49 .net
鎌倉時代も室町時代も
大河ドラマに向いてないし
(´・ω・`)

52 :日本@名無史さん:2016/07/31(日) 19:53:31.19 .net
足利義政が、「政治するの嫌だ嫌だ!誰もいう事聞いてくれない」と乳母にダダこねて甘えて、
跡継ぎ争いで、京が焼き尽くされる様子でも、たまにはドラマにしたらいいのにな。

53 :日本@名無史さん:2016/07/31(日) 19:58:26.59 .net
義政は自分の政策が反対されてボツった時に拗ねて投げ出す悪癖こそ問題だが、引退しようとしたという説はデマだぞ

将軍職という役職からの引退は望んだが、権力権限を手放そうとはしていない。
実際に息子に将軍職を譲り渡した後もしぶとく権力だけは保持し続けたぐらいだ。

逆算すると、将軍職を津刷り渡したがった目的は、いわゆる「大御所政治」みたいなのをやりたがっただけだと思う

54 :日本@名無史さん:2016/07/31(日) 21:22:24.91 .net
金閣寺の金箔を剥いで
銀閣寺にすれば良かったのに

55 :日本@名無史さん:2016/07/31(日) 21:29:17.93 .net
>>51
そんなことないんだけど、視聴者が戦国と幕末以外に登場人物知らないから見なくなるw

56 :日本@名無史さん:2016/07/31(日) 22:02:26.28 .net
>>53 文化的なことばかり好んでやってたようだが

57 :日本@名無史さん:2016/07/31(日) 23:34:16.11 .net
権力欲は歴代足利将軍の中でも一番じゃないか義政は
ただ誰も従わなかっただけで

58 :日本@名無史さん:2016/07/31(日) 23:36:19.78 .net
それは単なる周りに対する反発で、野心って類ではないと思うが。
少なくとも義教みたいな具体的なプランを持ってたって感じでは無い。

59 :日本@名無史さん:2016/08/01(月) 01:17:34.95 .net
飢饉の時、飢饉対策の常道の一つである公共工事やって猛反発くらったりしてるな

60 :日本@名無史さん:2016/08/01(月) 01:32:18.67 .net
>>57
まあ、義政の意のままに動く(可能性のある)側近連中が、守護大名らのクーデタで追放されちゃったからねえ
言うことを聞かない守護大名ら(管領を含む)は、ときどきしか従わなかったんじゃないか。

61 :日本@名無史さん:2016/08/01(月) 07:32:54.01 .net
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

62 :日本@名無史さん:2016/08/01(月) 10:25:06.94 .net
>>60
そもそも守護大名は、管領の言うことすらたまにしか聞かないからな。
多分、細川だって精々畿内の大大名レベル・・・今で言う東京都知事を世襲している程度にしか見られてなかっただろう。
しかも、応仁の乱以前だからライバルとして畠山もいる。
これじゃ義政なんぞ出る幕は無いよね。

63 :日本@名無史さん:2016/08/01(月) 10:45:04.38 .net
この時代はグダグダだな。
体制がまとまってないと、常に命のやりとりのリスクとか、その対策に財産をつぎ込むとか、人生のコスパ悪いわ。

64 :日本@名無史さん:2016/08/01(月) 11:57:30.62 .net
おまいらのレスを見てみると、それこそもののけ姫とか、犬夜叉みたいな
妖怪変化の話しかできそうにないなww
人間からして、大阪市役所の入れ墨公務員みたいな感覚のやつが
標準みたいだからな。
とてもじゃないが、一般市民の価値観ではついていけないよ。

65 :日本@名無史さん:2016/08/01(月) 12:10:41.43 .net
>>64
京都で鵺大明神や土蜘蛛墓を見たよ

66 :日本@名無史さん:2016/08/01(月) 12:24:51.94 .net
十分面白いと思うが、知名度が低いから歴史の教養のない多くの視聴者が見てくれない

67 :日本@名無史さん:2016/08/01(月) 13:55:11.78 .net
平安(院政以前)だって十分不人気
幕末以外の江戸は時代劇が人気あるだけでその時代の人間詳しく知ってる奴は少ない


幕末戦国以外はなぜ不人気なのかにした方がいいと思う

68 :日本@名無史さん:2016/08/01(月) 16:18:46.18 .net
戦国は人気の理由が大体わかるんだが、幕末がイマイチ分からん
結構前から人気の時代だし、腐女子だけが理由とは思えんが…

69 :日本@名無史さん:2016/08/01(月) 16:25:58.81 .net
>>68 新選組がコスプレヒーロー戦隊ものに祭り上げられたのとか、銀魂、るろうに剣心とかによる人気かな

70 :日本@名無史さん:2016/08/01(月) 17:28:00.00 .net
シバ小説の存在は大きい
俺は嫌いだが

71 :日本@名無史さん:2016/08/01(月) 18:46:41.30 .net
>>70
司馬遼太郎は太平記を嫌っていたからなぁww
あれに関わると、そのあとパワーが落ちる、縁起が悪いと言って、

72 :日本@名無史さん:2016/08/01(月) 20:40:05.54 .net
太平記は南朝正統論がウヨに、楠木の玉砕思想がサヨに叩かれ、
南北朝時代そのものを語りにくいのが問題だね。

73 :日本@名無史さん:2016/08/01(月) 20:45:23.49 .net
>>66
中世で覚えておくべき人物なんて近現代は
もちろん近世と比べても全然少ないんだけどね

やっぱとっつきにくいのが原因なんだろう

74 :日本@名無史さん:2016/08/01(月) 21:00:54.50 .net
いや南北朝が右左に叩かれるとかただの妄想だろ

75 :日本@名無史さん:2016/08/01(月) 21:08:20.45 .net
>>74
右左は別としても近現代史を持ち込んで面倒くさくする奴はいるだろ

76 :日本@名無史さん:2016/08/01(月) 22:20:47.12 .net
>>39
>マジで鎌倉・室町で鬼平犯科帳や銭形平次みたいな
>物語を作れるのかねぇ?

鬼平や銭型みたいな似たような話を延々とただ垂れ流す時代劇作ってもだれが見るの?
お前らみたいな痴呆症に一歩足突っ込んだジジイぐらいだろ

77 :日本@名無史さん:2016/08/01(月) 23:26:28.90 .net
>>76
君は興行の世界を知らないようですね。
必殺仕事人でも、水戸黄門でも、暴れん坊将軍でも
似たような話を延々と垂れ流して何十年も続いていたでしょう。
再放送も何回もやっているでしょう?
筒井康隆の時をかける少女でも何回映画化やドラマ化
アニメ化されたことやら。
そもそも仏教説話にしても、御伽噺にしても、大岡裁きにしても、
イソップ物語や韓非子の童話、一休さんの童話にしても、
今のアニメ等でパクられているでしょうが?

おそらく鬼平や銭形平次でも、そのうち鬼平の孫やその孫の設定で、
明治とか大正、昭和宣前期、あるいは昭和の設定で似たような話が
作られると思うぞ。
実際仕事に任は中村主水の子孫が昭和50年代に活躍
すると言う話をやっていたしww
ただし、鎌倉・室町で鬼平の先祖や銭形の先祖が活躍すると
言う話になると?
ちょっと作れないのではないかネェ?
あの時代の人間の行動様式は、裁判所なんてない時代の自力救済
の精神が徹底しているから。

78 :日本@名無史さん:2016/08/01(月) 23:27:20.41 .net
太平記は吉川栄治のが絶望的につまらなかったのが今に至るまで尾を引いている感がある。

79 :日本@名無史さん:2016/08/02(火) 00:31:48.59 .net
大河の太平記もうんこだったわあ
というか中世をしょうもない勧善懲悪にしようとするのやめろや

80 :日本@名無史さん:2016/08/02(火) 08:11:14.89 .net
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

81 :日本@名無史さん:2016/08/02(火) 20:04:00.77 .net
>>77
>必殺仕事人でも、水戸黄門でも、暴れん坊将軍でも
>似たような話を延々と垂れ流して何十年も続いていたでしょう。

それらすべて終わったジャンルじゃん
水戸黄門ももう新シリーズつくられてないでしょ何故なら採算がとれないから

>そもそも仏教説話にしても、御伽噺にしても、大岡裁きにしても、
>イソップ物語や韓非子の童話、一休さんの童話にしても、
>今のアニメ等でパクられているでしょうが?

いや全然
あるというなら挙げてみ2000年代以降のやつでな

82 :日本@名無史さん:2016/08/03(水) 16:42:50.31 .net
>>81
>水戸黄門ももう新シリーズつくられてないでしょ何故なら採算がとれないから
採算が取れないんじゃないからでなく、パナに金がないから。採算とれないと言うのは
お上品に言い過ぎ。

83 :日本@名無史さん:2016/08/03(水) 17:21:02.52 .net
>>81
ワンピが同じような話を延々垂れ流して十年以上続いている件について。
もっと長いまるこやドラえもんやこち亀、さらに長いサザエさんは?

84 :日本@名無史さん:2016/08/03(水) 17:47:35.88 .net
まるこ・サザエさんの日常系と較べても

85 :日本@名無史さん:2016/08/03(水) 19:13:26.31 .net
返答になってませんがな

86 :日本@名無史さん:2016/08/03(水) 19:46:03.54 .net
それ全部2000年代以降のやつじゃないし
ブランド力と懐古ファンが惰性で見続けてるだけでストーリー性そのものが受けてるわけではない
サザエさんとか現代で連載されてたとしたら一話打ち切りで終わるレベル

87 :日本@名無史さん:2016/08/03(水) 20:07:00.37 .net
鬼平犯科帳や銭形平次みたいに悪を裁く正義に投影してカタルシスを得る単純な手法は
価値観が多様化した現代では通用しないでしょう

現代的に時代劇をやるとするなら身分差別しまくりの大岡越前とか容赦なく邪魔な町人を切り捨てて行く長谷川平蔵とか
現代と過去の価値観の断絶性を強調するほうが受けるはず
最近の歴史漫画読んでみるとどうもそういうのが人気あるみたいだからね

88 :日本@名無史さん:2016/08/03(水) 20:38:01.03 .net
ナポレオンもそういうカタルシスあるな
ただそういうのって結局作者自身に人間としての深みがないと幼稚な反道徳、あるいは反道徳的説教になってしまうな

89 :日本@名無史さん:2016/08/03(水) 21:55:47.39 .net
まあリアル日野富子とか細川政元なんてやったら、
それこそ救いようのない私利私欲肯定のトンデモ話になりそうだから、
まずは水上勉の一休さんをNHK大河ドラマにしてはどうだろうか?

90 :日本@名無史さん:2016/08/03(水) 22:10:00.48 .net
勧善懲悪的な物って、本能的に好むらしいんだよ。チンパンジーでも(それ相応の)勧善懲悪的な物を好むとかでw

群を作る、社会的行動をする上で必要になって進化したのかもね。人類に到達するより以前の類人猿段階で。

91 :日本@名無史さん:2016/08/03(水) 22:20:24.67 .net
勧善懲悪は、悪という地雷的立場を、誰かが引き受ける必要があるわけで。
自分が悪として糾弾・処罰される立場に立たされる危険が常にあるわけ。
魅力的ではないね。

92 :日本@名無史さん:2016/08/03(水) 22:21:28.18 .net
勧善懲悪といえば、実際のニュースがそうだ。

いつも誰かが糾弾されている。マスコミは正義の味方の立場にたち・・。

93 :日本@名無史さん:2016/08/03(水) 22:33:14.20 .net
中国「日本に全責任がある」
韓国「日本が100%悪い」
北朝鮮「日本は悪の化身だ」
イスラム国「日本が空爆に参加するな」

日本「安倍が悪い」

94 :日本@名無史さん:2016/08/03(水) 23:25:33.56 .net
>>93
実際に安倍は日本を滅ぼすガン細胞だからな。
チョンに肩入れしたマスゾエを全面的に支援したのも安倍だぞ。

まさか「安倍=日本」などという考えを持っていなければいいが。

95 :日本@名無史さん:2016/08/04(木) 00:16:04.01 .net
>>94 安部に代わって誰ならいいんだ?韓国に土下座しに行った鳩山か?

96 :日本@名無史さん:2016/08/04(木) 05:46:36.71 .net
>>95
韓国に大金支払う安倍がいいのか?

97 :日本@名無史さん:2016/08/04(木) 07:54:40.88 .net
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

98 :日本@名無史さん:2016/08/04(木) 08:59:57.47 .net
>>89
草燃えるは総集編しか見てないが
北条義時とか三浦義村が救いようのない悪人を演じていて面白いと思ったけどな
まあ現代の感覚だと悪人というだけで当時は悪人なんて思われてなかったんだろうが

99 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 12:24:29.76 .net
鎌倉→元寇で金が無くなった
室町→度重なる部下の裏切り
江戸→親戚同士の内輪揉め
世襲制の限界か

100 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 12:38:48.41 .net
>>99
清盛、信長、秀吉は世襲すらなかったけどな。

101 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 21:41:33.59 .net
鎌倉、室町は源氏なんだよ、明智もな、源平交代思想というのがあってな

102 :日本@名無史さん:2016/08/06(土) 06:18:15.36 .net
>>101 秀吉はどうなの?

103 :日本@名無史さん:2016/08/06(土) 08:43:25.70 .net
秀吉は農民

104 :日本@名無史さん:2016/08/06(土) 08:49:58.69 .net
>>50
当時の百姓ってのがみんな殺しのプロなんだよw

それがあの時代だ。

105 :日本@名無史さん:2016/08/06(土) 19:37:24.38 .net
>>103 秀吉は藤原にしときゃよかったのに。

106 :日本@名無史さん:2016/08/06(土) 23:50:13.07 .net
藤原一族は家系図があるから侵入は無理

107 :日本@名無史さん:2016/08/07(日) 01:10:56.59 .net
家康は家康で出自は生臭坊主だしそんな変わらんな

108 :日本@名無史さん:2016/08/07(日) 07:13:30.68 .net
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

109 :日本@名無史さん:2016/08/09(火) 08:19:59.98 .net
>>106 近衛前久の猶子だろう。

110 :日本@名無史さん:2016/08/10(水) 22:47:36.99 .net
>>104
NARUTOの忍びの里じゃあるまいし
「政基公旅引付」見ても常態的に武装はしてたが根来寺の僧兵が荘園に乱入してくると領主様置いてきぼりにして一目散に逃げだしてるよ

111 :日本@名無史さん:2016/08/11(木) 09:17:44.33 .net
>>110
そんなん根来寺の僧兵の方が数も戦力も上だってだけのお話だろ。

だからといって当時の庶民が無力なわけではないわ。

112 :日本@名無史さん:2016/08/11(木) 09:23:39.48 .net
BC3C末、徐福一行の故郷、華北では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。

113 :日本@名無史さん:2016/08/11(木) 11:38:14.43 .net
>>111
いや実際百姓たちでは役に立たないから年貢の一部を割いて足軽を雇うかって話になってるんだが

114 :日本@名無史さん:2016/08/11(木) 14:30:10.09 .net
そりゃ人数差は覆せないからしかたがない

しかし実態として、人数あたりの戦力は農民兵>足軽 って状態ではあった。
だから農兵を動員する領主が足軽を出すなって指定したりもした。

115 :日本@名無史さん:2016/08/12(金) 02:19:50.72 .net
農兵というか当時の雑兵って首塚の発掘調査だと10代の少年少女が大半でしょ
歴戦の職業武士が突っ込んで来たら一たまりもなかったはず

116 :日本@名無史さん:2016/08/12(金) 06:26:37.35 .net
 中馬大蔵みたいな農兵は例外なんだね?

117 :日本@名無史さん:2016/08/12(金) 08:14:08.70 .net
>>40
逆にマッドマックスな時代劇を見てみたいが、あったっけ?

118 :日本@名無史さん:2016/08/12(金) 11:33:34.53 .net
>>40 室町も末期になれば山城一國すら統制できず。

119 :日本@名無史さん:2016/08/12(金) 11:42:24.64 .net
山城一国どころか京都市中すら統制出来てなかったからな。

120 :日本@名無史さん:2016/08/12(金) 14:14:33.54 .net
>>115
普通は同じ武器を持たせても、指揮系統が確立された軍隊と
チンピラゴロツキの暴徒だったら、1vs10だと難なく軍隊が
チンピラゴロツキの暴徒を蹴散らすなぁ。
場合によっては1vs100でも軍隊のほうが勝つかもしれない。
島原の乱のほうがむしろ例外だよな。

121 :日本@名無史さん:2016/08/12(金) 14:46:09.53 .net
元寇の戦闘描写を見たら分かるだろうが、当時は武士でも指揮系統は中途半端にしか確立されてない
部隊長より上は指揮系統が存在しないも同然って感じだ

その程度の軍隊だから、アマチュア軍隊との差は小さいんだよ


島原の乱はまあ、叛乱軍側にもプロたる武士がたくさん混じってるから話が別だけど

122 :日本@名無史さん:2016/08/12(金) 19:07:38.96 .net
第二の青春を始めましょう!!
http://blogs.yahoo.co.jp/logdcabin

123 :日本@名無史さん:2016/08/12(金) 19:35:55.74 .net
戦国時代なんかはすっごいマイナーな地方武将まで研究されてるのに
南北朝は佐々木高氏すらおぼろげ

やってることはそう変わらない上に混沌度合いは上なのにな

124 :日本@名無史さん:2016/08/12(金) 19:50:06.48 .net
元寇の戦闘描写みたら相当高度な集団戦闘法が確立していたことがわかるが
たとえば元寇絵巻に騎馬武士が相当みっちり固まって突撃してる場面があるがこれはなかなかできることではない

元側の王ツも「騎兵は結束す」と特筆してるけどそれぐらい高度な戦法

125 :日本@名無史さん:2016/08/12(金) 23:27:21.89 .net
>>123
庶民が日記や帳簿を付けるようになったのは安土桃山時代からだからな

126 :日本@名無史さん:2016/08/13(土) 00:52:36.55 .net
BC3C末、徐福一行の故郷、華北では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。

127 :日本@名無史さん:2016/08/13(土) 12:09:42.51 .net
安土桃山の頃の識字率って、そんなに高かったか?

「庶民が日記や帳簿を付けるようになった」ではなくて、「庶民の一部(富裕層)が日記や帳簿を付けるようになった」ぐらいじゃね。

128 :日本@名無史さん:2016/08/14(日) 20:02:33.20 ID:VY53N8m2b
>40
さすがにそれはないだろう
各地に守護大名がいるしな

129 :日本@名無史さん:2016/08/15(月) 08:36:13.40 .net
>>117
案外あの時代は、マッドマックス的な世界かと言えば、
妙なところで秩序があったみたいだからな。
本当にマッドマックだったら、
座とかなんか成立しないよ。
勝手に商売して、ハイおしまいだからな。
ところが実際は、勝手に商売したら、どこからともかくギルドの用心棒が
やって来てボコボコにされたのだろう?

130 :日本@名無史さん:2016/08/15(月) 08:55:00.04 .net
>>127
安土桃山時代から文献が増えたし、下剋上で富裕層が増えたとも言えるし兵法の変化で文字などの情報が必須になったとも言える

131 :日本@名無史さん:2016/08/15(月) 09:40:16.66 .net
>>129
その秩序があったのは、みんな武装していたから。
南北朝の大内乱によって警察が機能しなくなると、商人から農民まで武装するようになった。
座が成立していたのは、基本的に武装していて僧兵用心棒を雇っていたからなんだよな。
武装していなきゃ対等の取引が出来ないって、それをヒャッハーというんだが。

132 :日本@名無史さん:2016/08/15(月) 13:56:35.50 .net
自力救済の世界が極まるとそうなるんだよな。

133 :日本@名無史さん:2016/08/15(月) 13:59:16.76 .net
齊藤道三親子のうち親父が油屋だと言われてるが、当然武装してたわけだから武家として頭角現しても不自然ではないね。

134 :日本@名無史さん:2016/08/15(月) 19:35:32.14 .net
私的武装集団の座(シンジケート)を秩序とはいわんだろ
あの時代は盗賊と商人も表裏一体だからな

一般的に治安が悪かったり無政府状態の国ほど刑罰や私刑が苛酷になる傾向がある

135 :日本@名無史さん:2016/08/15(月) 20:22:23.27 .net
>>133
そういや、油商人って言うと酒屋とかに次ぐ大手の強力な商人集団があった気がする
エゴマ座とか。

最大手の一つが山崎を拠点にしてたんだっけ

>>134
ギャングとかの裏社会にも秩序ってのはあるぞ、それを秩序と言いたくない気持ちは分からんではないが、それ相応の秩序だと思う
盗賊はどうか分からんけど、山賊や海賊は商人集団の一種だったよな

136 :日本@名無史さん:2016/08/17(水) 18:09:19.76 .net
あんまりマイナー過ぎてゲームの題材になりにくい

137 :日本@名無史さん:2016/08/17(水) 19:27:53.12 .net
BC3C末、徐福一行の故郷、華北では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。

138 :日本@名無史さん:2016/08/18(木) 12:09:00.97 .net
鎌倉時代は野蛮だった東国武士が京都の文化にインスパイアされはじめたという意味では室町は面白いけどな

139 :日本@名無史さん:2016/08/18(木) 13:00:17.46 .net
地味だから人気が無い、そのままだろう。

140 :日本@名無史さん:2016/08/18(木) 13:44:52.10 .net
そもそも日本の歴史は一貫して地味

141 :日本@名無史さん:2016/08/18(木) 17:24:48.21 .net
教科書の扱いが地味なだけでこの時代はどっちかというとド派手
現代に繋がるエンタメコンテンツが沢山生まれた時期

142 :日本@名無史さん:2016/08/18(木) 20:05:43.26 .net
むしろ貴族一色で雅で退廃的な公家文化に東国の荒々しい風習がミックスされて
さらに退廃化したのが室町という印象

143 :日本@名無史さん:2016/08/18(木) 21:59:19.35 .net
南北朝時代の前半ぐらいまでは公家も武力と無縁じゃなくて、荒々しい人が少なくなかったんだよ
武士と区別がつかないほど猛々しい公家も、(他の公家たちから白い目で見られることが多かったらしいが)いた。

公家が武力と無縁になったのが室町時代って感じがする

144 :日本@名無史さん:2016/08/19(金) 17:54:49.74 .net
文書が盛んになり流通業が盛んになるということは
それまでより山賊窃盗団詐欺団が減った
つまり秩序があるってことよな

中世は混沌無法という理解と真逆な部分

145 :日本@名無史さん:2016/08/19(金) 19:09:43.10 .net
減ってない
つうか当時の流通業者=盗賊だからな
馬借もときには略奪を働くし倭寇も普段は漁師だったり交易商だ

146 :日本@名無史さん:2016/08/19(金) 19:49:57.17 .net
大体、幕府とやらが元来は指定暴力団源組だったり、傘下の2次団体安達組や三浦組だったようなもんだろ。
それでもそれが一つの秩序だったのも確かだし。

147 :日本@名無史さん:2016/08/19(金) 22:03:26.63 .net
幕府は公に認可された統治機関だよ。
野党や悪党は公に認知されてない。
というか、するわけが無い。

148 :日本@名無史さん:2016/08/19(金) 22:52:35.12 .net
その公認というのは関東の実効支配を固めていく中で後付けで段々与えられていったものであって、元々は私的な主従関係に基づく非合法な集団(要はヤクザ)だっただろ。

149 :日本@名無史さん:2016/08/19(金) 23:00:27.12 .net
そんな事を言うなら、大和朝廷も元は単なる一部族でしかないが。
何処の国の始まりだってそんな物だ。

150 :日本@名無史さん:2016/08/19(金) 23:52:04.32 .net
逆に山賊海賊だって一定範囲ながら公に認知された公認特権を基盤とした集団だろ
それを「公に認知されてない」と言っちゃうのは乱暴だぜ >>147

151 :日本@名無史さん:2016/08/20(土) 02:20:39.53 .net
時に盗賊に豹変するけど
基本的には関東の領地から遠征中の九州にまで糧秣を届けることができるし
訴訟なども基本的には効力を発揮するわけよ

現代のこの時期に対する捉え方は
訴訟結果に不満だと爆発して押領したりする部分がクローズアップされすぎて
「基本的には」部分の秩序形成を見失ってる気がするのよ

152 :日本@名無史さん:2016/08/20(土) 08:22:24.92 .net
悪党を現代の基準で秩序破壊者。いやそれも秩序だという議論は、
大人の男なら面白いし、話についていけるだろうけど。
(今でも普通に商売をやっていたら、ヤクザと付き合う必要が出るから)
女子供にはついていけないだろうな。
大河ドラマを女子供好みに改変するようではなww
だから鎌倉室町は分かりづらくなって、人気がないのだろうな。
最も鎌倉・室町の専門家で鎌倉室町大好きの網野がバリバリの左翼の
9条信者だったのは、宮崎駿のミリヲタ9条信者に通じるものがあるの
かもしれないが、あれだけ自力救済主義の実例をみていて、
憲法9条だとわめく感性はけったいだわなww
でも網野は天才だったし、あの人の本とか対談は面白かったな。

153 :日本@名無史さん:2016/08/20(土) 16:20:03.52 .net
今でいうヤクザだったから読み解く価値もない
ただひたすら混沌だったと放置するのは簡単だけど
そう捨て置いて終わらせるにはいろいろ秩序だってる部分がありすぎない?ってことを言いたい


マルクス主義は一つの歴史観を提示したから20世紀の歴史学者がそっちよりなのはうなずけること
問題なのはそれ以降の史観がない(知らないor流行ってない)ということ
鎌倉室町時代の秩序を読み解くことで新しい史観が生まれる予感がするんや

154 :日本@名無史さん:2016/08/20(土) 19:21:44.05 .net
>>152
>女子供にはついていけないだろうな。

むしろ女子供ほどこういうの好きだろ
残虐描写てんこ盛りのベルセルクも主な支持層は10代の少女だし
アウトレイジを初めとする北野作品も女性層から根強い人気がある

石原慎太郎が言ってたけど男は女は残虐なものとは無縁であってほしい純粋無垢でいてほしいという願望が大なり小なりあるが現実は逆なんだよな

155 :日本@名無史さん:2016/08/20(土) 19:31:51.26 .net
>>154
確かに義経をジャニーズにやらせて、平家を女子供ごと虐殺する姿を生々しく描けば受けるかもしれんなあ
返り血を浴びて敵が死ぬのをニタニタ笑う義経を見てみたい

156 :日本@名無史さん:2016/08/20(土) 19:49:48.96 .net
ハーレークインやレディコミの歴史ものとか敵の領主に故郷を蹂躙されて夫を殺された上に子どもまで産まされた主人公が
復讐のため正室の座をかけて延々ドロドロした権力闘争とか読後の気分悪すぎだろみたいな話が多い

シェイクスピアのマクベスやタイタス・アンドロニカスも古来から女受け抜群の作品として知られているが男にはサッパリ
男はヒーローと勧善懲悪のカタルシスを欲しがる生き物だからな

157 :日本@名無史さん:2016/08/20(土) 20:09:46.17 .net
>>155
源平合戦って女子供も虐殺してたんだ
那須与一が的を射る牧歌的な印象が強いからついついそういう残虐な現実を忘れちゃうね

158 :日本@名無史さん:2016/08/20(土) 20:09:50.00 .net
ROMEも男受け悪いね
ドロドロしててヒーローがいないから?

159 :日本@名無史さん:2016/08/20(土) 21:27:22.17 .net
>>155
ネット国士様が発狂するだろう

160 :日本@名無史さん:2016/08/20(土) 21:56:10.31 .net
>>157
女は殺さんよ。
貴重なおもちゃは大事に扱うw
壊したらもったいないだろw

161 :日本@名無史さん:2016/08/20(土) 21:58:56.86 .net
>>155
義経と諸葛孔明と沖田総司は本来の姿がむさ苦しいのに美形化される率が高いよな

美形に描くほうが史実に沿うような歴史上の人物って、(世の中の美形率から考えたら当然だが)少ないんだよな
スレチながら三国志なら「本来なら美形だった人物」は数多く居る。登場人物が多いのに比例してるだけだが。

>>157
与一が奥義を射落とした直後にも平家の女子どもを惨殺しまくるシーンがなかったっけ?

162 :日本@名無史さん:2016/08/20(土) 22:06:54.47 .net
BC3C末、徐福一行の故郷、華北では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。

163 :日本@名無史さん:2016/08/20(土) 22:20:55.53 .net
>>150
認められたのは、室町幕府の統治力が非常に弱体だったから、というだけ。
仕方なく認めたのであって進んで利用した訳じゃない。
事実、鎌倉時代には室町時代ほど盛んじゃないし数も少ない。
内乱期の中央政府が弱体化した時に現れた、単なる盗賊集団の類でしかないよ。
まぁ盗賊集団にもそれなりの掟があるから、それを秩序というなら秩序なんじゃない?

164 :日本@名無史さん:2016/08/20(土) 23:05:18.62 .net
そもそも、平安期に財政難から役所やお抱え職人集団に給料自弁(と言うか、活動費の自力調達)をさせたことで役所関係者やら職人集団系の山賊海賊が出たりもしてるんだから、
公認特権が先で山賊活動が後って集団も多い

公認特権持ちの集団のうち、特定交易路を独占試用する特権集団とかだと、その道路を往来する他者を襲ったり通行料を取ったりする山賊活動が必然的に付随するんだから、
特権持ちであるがゆえの山賊活動ってのも珍しくない。

そういうのをただの盗賊集団だと言っちゃうのは乱暴だよな

165 :日本@名無史さん:2016/08/21(日) 00:26:55.60 .net
>>160
当時の首塚から女の頭蓋骨がごろごろ見つかってますが
鈴木尚の著作読んでみ

166 :日本@名無史さん:2016/08/21(日) 00:40:22.78 .net
後三年の役で清原家衡は妻子を皆殺しにされてるよね
まあコイツも藤原清衡の妻子を皆殺しにしてるから自業自得なんだが

167 :日本@名無史さん:2016/08/21(日) 09:29:05.28 .net
数年前にデアゴが出してたテーママガジン「日本の100人」に当然入ると思っていた
木曽義仲 新田義貞 山名宗全 細川勝元 が入ってなくてがっかりした。
欲を言えば、佐々木道誉 斎藤妙椿 細川政元なんかも欲しいがこれは個人的趣味。
このシリーズは近現代編がかなり???な人選なんだが、戦国編もあれれな人物がいる。
いくら戦国人気とはいえ、井伊直政 豊臣秀長 藤堂高虎 福島正則など、
上記の4人を押しのけてまで入れるかぁ? というのがある。(大河枠で、山内一豊 山本勘助 直江兼続など)

これぢゃあ、鎌倉室町が可哀相すぎる(TT) 
ついでに 鎌倉幕府初代執権 北条時政の無視ぶりは社会的に見て異常。

168 :日本@名無史さん:2016/08/21(日) 10:07:59.28 .net
赤松則繁

169 :日本@名無史さん:2016/08/21(日) 10:24:21.85 .net
この時代をテーマにしたゲームを作るとしたら、
真言立川流はどうしてもはずせないだろうな。

170 :日本@名無史さん:2016/08/21(日) 10:47:36.08 .net
>>167
そういうのは撰者の趣味嗜好で大きく変わるしな
ちょうどその4人が人気高かった頃ってのもあるかもな(いや、福島は人気高まってないからおかしいけど)

>>169
そこだけ別ゲームになるな

171 :日本@名無史さん:2016/08/21(日) 21:02:04.65 .net
モンゴルと大戦したり
朝廷が二つに割れたり
銭ゲバ女が暗躍したり
それほど地味ではなかったと思う

172 :日本@名無史さん:2016/08/21(日) 22:06:58.81 .net
>>169
18禁ゲームだな
いわゆるエロゲ

173 :日本@名無史さん:2016/08/22(月) 01:30:43.47 .net
まあなんだな。
とりあえず吉田兼好か、観阿弥・世阿弥、一休さんを主役にした
大河ドラマを作ることから始めるべきだと思う。
戦国・幕末物が受けるのは、たいがいの人が知っている人物が出てくるから、
吉田兼好だと、中学や高校の古典でおなじみの話があるし、
観阿弥・世阿弥の言葉は誰でも知っていることわざがある。
まして一休さんはみんな知っているからな。
吉田兼好だと一話づつ独立した話が作れるから、視聴率が悪くなれば、
AKBなりももクロ、モー娘、あるいはジャニーズを友情出演させると
いう裏技もできる。
観阿弥・世阿弥もその作戦が使えそうだ。

174 :日本@名無史さん:2016/08/22(月) 02:21:46.61 .net
観阿弥の嫁が楠木正成の妹だっけ?そこから話をすれば関心は買えるだろうけど
多分観阿弥の動向とかほぼ分かってないだろうし
吉田松陰の妹レベルの妄想小説になるなw

とんち小僧部分をなくしたリアル一休さんならある程度伝わってるだろうし面白そう

175 :日本@名無史さん:2016/08/22(月) 10:36:59.64 .net
>>174
今までの観阿弥・世阿弥だと今までの大河ドラマの手法で作ろうとすれば
君の言う通り妄想小説になるだろうね。
そこでだ、朝ドラの手法を大胆に取り入れて、
風姿花伝書の解説で押し通して、AKBやももクロ、モー娘の連中に
能のマネごとをやらせて、それを観阿弥・世阿弥が教訓話を
くどくどと述べる形式でやるべきだと思う。
視聴率が悪ければ、誰それを友情出演させて
途中から盛り上げる手もできるのだし。

176 :日本@名無史さん:2016/08/22(月) 19:02:13.92 .net
BC3C末、徐福一行の故郷、華北では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。

177 :日本@名無史さん:2016/08/22(月) 19:04:23.14 .net
とりあえずアイドル入れときゃ人気出るだろとかバブル世代のオッサン並みの発想で
ドラマ作ると必殺仕事人2009みたいに大爆死することになる

アイドル俳優濃度を濃くし過ぎると学芸会みたいになるから塩梅がむずかしい

178 :日本@名無史さん:2016/08/23(火) 12:46:41.61 .net
>>171 それ3つとも、大河でやった。懐良親王をやるべきだ。

179 :日本@名無史さん:2016/08/23(火) 13:25:13.42 .net
>>178
それやるとネトウヨが騒ぐと言って、NHKが難色を示すのでないのww
NHKはネトウヨ毛嫌いしているからww
顔も見たくない、相手にもしたくないほど毛嫌いしているから、
ネトウヨが騒ぎそうなネタは敬遠するのでないの?

180 :日本@名無史さん:2016/08/23(火) 14:54:06.91 .net
誰と戦っているんだ? おめーはw

181 :日本@名無史さん:2016/08/23(火) 19:41:18.33 .net
南北朝は南北朝の範囲内で語ればいいのに、今の皇室を捩じ込むキチガイがいるからつまらなくなる。

182 :日本@名無史さん:2016/08/24(水) 00:37:09.09 .net
平成28年8月27日(土)18:45〜NPO法人歴史の駅 第二回シンポジウムのご案内

後醍醐天皇とその皇子たち 吉野からみる日本の歴史

日 時:平成28年8月27日(土) 18:45〜21:30
場 所:さくらホール 渋谷区文化総合センター大和田
    (収容人数730名)
主 催:NPO法人歴史の駅 奈良県吉野町
後 援:奈良県 読売大阪本社 他申請中
参加費:1,500円(資料代)

ttp://rekishinoeki.org/main/topics/310/

183 :日本@名無史さん:2016/08/24(水) 21:50:11.17 .net
でも懐良親王は割とマジで今の皇族からしたらタブーだと思うが。
まぁ、この国から分離独立しようとした奴は今後にもそれ以前にもいないからなぁ

184 :日本@名無史さん:2016/08/24(水) 21:57:44.39 .net
今の皇族がどうたら言うなら足利義満や織田信長を語ることすら許されないだろ

185 :日本@名無史さん:2016/08/24(水) 22:00:54.97 .net
つづき。
そんなに懐良がダメならそれを支えた菊池武光もNGってことになるが、
菊池武光・九州の懐良王国を研究した本だってあるし南北朝の研究書でも必ず語られる。
お前の理屈ではそういったことを一切封印しなきゃならないわけだが、
菊池武光について出した中世武士選書は皇室をはばかって取り締まらなきゃならないものか?

186 :日本@名無史さん:2016/08/24(水) 22:13:50.04 .net
メジャーになっちゃ困るって感じじゃね。
まぁ政府としても、覇権争いでなく独立しようとした奴を広めたくはないだろうし。

187 :日本@名無史さん:2016/08/24(水) 22:31:36.65 .net
想像上の敵と戦ってないか

188 :日本@名無史さん:2016/08/24(水) 22:55:22.18 .net
くだらねえ
だから皇室語る奴が出てくると南北朝の話題が出来なくなって白けるんだよ
南北朝の人気がないのは>>186みたいな馬鹿のせい

189 :日本@名無史さん:2016/08/24(水) 22:57:02.78 .net
南北朝時代の人間、菊池武光や懐良親王は今の皇室なんて知ったこっちゃないだろ。
彼らを語るのはその時代においてであり、現代にまで話を持ってくる必要はどこにもない。

190 :日本@名無史さん:2016/08/24(水) 23:04:12.53 .net
>>188
別に良いとか悪いとかそういう話ではないよ。
そんな事はどうでもいい。
そうではなくて、有史以来始めてにして最後の国家分裂の危機だったから人気がが無い=広める気が無いんじゃない?って話。
戦国時代は基本的に領地争いで、そういう発想の話では無いし。
一部の人間からしたら本気で黒歴史になってるんじゃないだろうか。

191 :日本@名無史さん:2016/08/24(水) 23:21:03.63 .net
>>190
そりゃまあ、壬申の乱だって不人気ではあるがな。
弘文天皇に至っては、明治初期までずっと、皇位を継いでなかったことにされてたほどだしな

192 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 02:40:13.81 .net
現在の政治情勢に結び付けて歴史を話すのは馬鹿らしいけど
殊NHK大河ドラマで扱うかどうかに関してはモロにそれ理由だよね

193 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 02:41:44.96 .net
314 :774円/60分:2016/08/24(水) 23:31:41.50 ID:t3kyomz50
>>313
たぶん今でも「ひろゆき」が2ch管理人のトップだと思います。
ひろゆきって裁判で負けても金を払わないし、前に「もう2ch管理人はしてない」って嘘をついたし、嫌な奴ですよね。


315 :774円/60分:2016/08/24(水) 23:44:54.08
>>314
ひろゆきって脱税、裁判で負けても金を支払わない、広告に本番裏ビデオを使う、2ch管理人を辞めたと嘘をつく、、、などの悪業をしてきた人だよ
これだけの悪人なのにニコニコ動画などで討論をして、アホ顔でアホなことばかり言ってる
ひろゆきの部下の2ch管理人なんてバカしかいないに決まってるわ


317 :774円/60分:2016/08/25(木) 00:08:24.83 ID:KK9v+JQH0
>>315
ひろゆきって文化人きどりだけど、してきた事をみればひろゆきなんて屑じゃん
顔も奇形だし
youtubeのひろゆきの動画に論破とか云ってんの、全部ひろゆきの子分が書き込んでるんじゃないかな
それか自民のネット工作部隊に自分を応援させてるとかw

194 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 18:41:12.27 .net
南北朝を語れなくしたのは天皇家に絡みたがるバカウヨと楠木の思想に拒絶反応示す極左のせい。

195 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 19:23:18.18 .net
楠が何か思想を語ったという話は聞かないが、楠の思想ってなーに?

ありもしないシロモノに拒絶反応を示すゴクサって何者よ

196 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 19:30:44.99 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルは稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

197 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 20:03:51.22 .net
>>195
少し分かりにくいか
戦中の玉砕は楠木を見倣えみたいな考えがあった
皇居に正成像があるのもウヨサヨどちらからも叩かれる

198 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 21:47:44.78 .net
ミネルヴァ日本評伝選 「北畠親房」 最終ページ

>軍事色が濃くなる中、もはや『神皇正統記』は戦意高揚・武士道称揚に不可欠のバイブルと化していった

左の人間が嫌うのはここにもある
右の人間はほとんどか低脳で神皇正統記なんか読めないだろうから血統の問題で騒ぐだけ

199 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 23:06:53.85 .net
ウヨとかサヨってネット上には多いけど現実社会にそんなに多いかねえ
学界とか文壇には多いのかも知れないけど
大河ドラマを楽しみに見てるようなおっさんにウヨサヨなんて殆どいないと思うし
やりたければどんどんやりゃいいんだよ

200 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 23:10:42.42 .net
神皇正統記が難解だと勘違いしてるお前は読んだことないか
それともよっぽど国語の成績が悪かったかのどちらか
超平易な言葉で書かれているため小学生でも読めるレベル

201 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 23:38:58.25 .net
難解じゃないけど「ウヨが馬鹿だから読めない」と書いているんだが
お前も国語の成績は相当悪かったようだな

202 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 23:40:11.71 .net
>>200
あ、お前は低脳と言われて発狂した右側の人間かw

203 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 23:56:43.06 .net
>>199
気にしてる人は殆ど居ないが、広める立場の人達は気にしてるんじゃない?
まぁ一応NHKは国営放送だからね。

204 :日本@名無史さん:2016/08/26(金) 00:09:09.10 .net
>>202
どちらかというと左寄りの人間だ
だって皇国史観よりマルクス史観のほうがロマンがあるしさ
君よりもよっぽど詳しいと思うよ
黒田俊雄先生の提示する農民闘争のピカレスクヒーローとしての「悪党」とかかっこよすぎだろ

>>203
気にしない人が少ないなら平清盛の「王家」問題とかおきなかったろうに

205 :日本@名無史さん:2016/08/26(金) 00:20:38.01 .net
右とか左とかどうでもいいから歴史の話をしろ

206 :日本@名無史さん:2016/08/26(金) 00:26:39.38 .net
>>204
あれは声がでかい人が騒いでるだけじゃないかな。
だって君主政体を世襲する家系の名前なんざどうでもいいし、普通の人は話題にも上げない。
気にすらしないのが普通なんだよ。
まぁ天皇親政の時代でもないんだし、文春的な意味でなく立憲君主が話題に上る方がおかしいと思うよ。

207 :日本@名無史さん:2016/08/26(金) 01:54:51.95 .net
右や左や言ってる人は宗教板か思想板に隔離して欲しいな
今の世にいたら単なる強盗団だなぁとかテロリストだなぁと個人的に思うことはあっても
基本歴史には良いか悪いかなんてないと思ってる

208 :日本@名無史さん:2016/08/26(金) 16:33:58.63 .net
いいから鎌倉室町の話題再開しろよ

209 :日本@名無史さん:2016/08/26(金) 21:43:45.74 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

210 :日本@名無史さん:2016/08/30(火) 07:45:36.58 .net
次の次のNHKの大河が西郷さんだからなww
幕末維新物はあんまり視聴率がよくないのに、それでも何回もやるのだから。
どうせこけるなら、鎌倉・室町物をやれと運動をするしかないだろうな。
とは言っても、鎌倉・室町は女子供も知っているヒーローとか
物語は少ないしな。

211 :日本@名無史さん:2016/08/30(火) 09:23:31.07 .net
西郷隆盛って内乱起こした人なのになんで人気なんだろう
新政府のリーダーだった大久保利通はそれほど人気でもないのに

212 :日本@名無史さん:2016/08/30(火) 09:33:13.14 .net
鎌倉・室町はご当地ヒーロがほとんどいないというのも
大きいのかもしれないな。
戦国になると、高校野球と同じでご当地ヒーローが出て
くるからな。

>>211
義経と同じ感覚じゃないの?
それと当時の人は、明治政府は横暴だとかなり嫌っていたみたいだけど、
業績を上げているのは認めざるを得なかったし、やっていることも
まあ正しいだろうと認めざるを得なかった。それでも明治政府をほめるのは
癪に障る。でも幕府に戻すのは嫌だ。それだったら第三の道というので
西郷さんを応援するというのがあるのではないかな?

213 :日本@名無史さん:2016/08/30(火) 10:11:20.48 .net
>>211  大久保利春
https://www.youtube.com/watch?v=zbe6pfZWJfE (25分21秒)

214 :日本@名無史さん:2016/08/30(火) 23:23:29.73 .net
女子供もって言うけどオッサンたちも鎌倉南北朝なんてほとんど知らんだろ
安倍清明や源頼光に至っては若年層のほうが認知率高いんじゃねーの

215 :日本@名無史さん:2016/08/30(火) 23:28:10.60 .net
安倍晴明は平安時代だぞ
平安時代は結構腐女子向けな気がする

216 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 06:19:58.02 .net
>>215
そりゃ源氏物語と平家物語と太平記だからな。
源氏物語が腐女子のライトノベルの究極版だとしたら、
平家物語や太平記は仁義なき戦いの実話ものだからな。
腐女子がどちらを好むのか一目瞭然だよな。

217 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 16:43:32.42 .net
>>212 太田道灌なんかも影薄いし。

218 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 22:07:00.60 .net
マンガ作者が題材にするかどうかでしか決まらん。
腐った女向けの作品が出てきたら、どんな時代のどんな人物でも一気にメジャーになるよ。

219 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 22:16:38.69 .net
実朝を題材にした腐れ女向けの漫画も悪く無い気がする

220 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 22:29:32.10 .net
>>219
北条義時をヒーローにして腐れ女子を取り込めばよかろう。

221 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 22:35:13.46 .net
漫画家や小説家の技量に完全依存

222 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 23:06:30.49 .net
源氏物語は男少なすぎで腐向けしないと思うが
平家物語のBL同人は何度も見かけた

223 :日本@名無史さん:2016/09/05(月) 11:12:25.69 .net
いっそ女子供には見切りをつけて、
ビジネスエリートにアプローチをかけて、売り込むことにすればどうだろうか?
日経新聞に、中世期の経済の論文を出せば結構わだいなるとおもうぞ。
マジであの時代の経済は妙に今の世界経済のカオス的な状況に
似ている部分があるのだから。
銭本位制と米本位制度とか、中世の決済の仕組みとか、中世の債権回収とか

224 :日本@名無史さん:2016/09/05(月) 16:56:00.79 .net
中世期の経済の論文など価値がない

225 :日本@名無史さん:2016/09/05(月) 17:47:41.19 .net
戦国とか維新とかそこまで細かく知らなくてももうええやろ飽き飽きだわ
という人が増えない限り

226 :日本@名無史さん:2016/09/05(月) 19:21:00.09 .net
鎌倉時代の日本刀の作り方を検証したら現代の刀匠が泣いて喜ぶ・・・かもしれん。
現代の日本刀ってできるだけ鎌倉時代に近付こうという方向で職人さん頑張ってるんだってな

227 :日本@名無史さん:2016/09/05(月) 20:06:51.36 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

228 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 08:01:34.74 .net
歴史物の売り出しはターゲットを絞らないとなぁ
ご当地ヒーロ
女子供向けファンタジー
爺ババ回想もの
ビジネスエリートの経営雑誌
>>1はその戦略をどう考えているのか?
まずご当地ヒーロをやると、あの時代でものになりそうなのは
九州南朝興亡史、北方くらいしかないだろうし、
女子供向けファンタジーだと
観阿弥世阿弥を売り出すしかないと思う。
爺ババ回想録は知らん。
ビジネスエリート向けの経営雑誌だと、中世の為替手形の実務とか
と言う研究論文をわかりやすくプレジデントみたいなところに載せるしか
ないと思う。

229 :日本@名無史さん:2016/09/08(木) 19:14:35.99 .net
中世に為替手形なんてないんだが
あんたみたいな教養コンプレックス抱えたオッサン向けのドラマ作ってもだれも見ないし
当の本人であるお前自身も正直言って興味なくて見ないだろ

230 :日本@名無史さん:2016/09/09(金) 09:23:13.37 .net
北条政子は小説や漫画の女性主人公としてはキャラが立ってるのでいいのだが
性格や行動がアレすぎて(頼朝の愛人の女の家ぶち壊し事件とか)
一般的な女子供向けではないので
フェミニストの女性に対象を絞った小説や漫画を作ればいいと思う
日本の則天武后みたいなノリで

231 :日本@名無史さん:2016/09/09(金) 09:35:50.69 .net
>>230
大河ドラマになった時も、こんなクソ女を扱うなんてと非難が起こって
実際視聴率もかなり低かったよな

232 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 07:47:30.90 .net
>>229
今の基準で為替手形といえるかどうかは別にしても、
それらしきものはあっただろう?
と言うか、古今東西商売が盛んになると、現金を大量に持ち歩くのが
不便だから、書類一枚のやり取りで済ませようとあの手この手で為替らしきもの、
金融らしきものが自然発生的に出てきただろう?
今だって銀行が使えない人・犯罪者向けに地下銀行なるものが出来て、
それが本家本元の銀行よりも機能している国だってあるのだからww
そういうエピソードを分かりやすくまとめて、戦国武将に見る経営戦略とか
常日頃書いていり経済雑誌あたりに売込みを図るのは有効だと思うが?
まあ今の資本主義は女・子供を騙して金を貢がせるやり方が主流だけどさぁ

233 :日本@名無史さん:2016/09/11(日) 00:51:06.92 .net
まあしかし、金自体が
物々交換の不便解消をもくろんで作られたものなのに
その金を持ち歩くのが不便だとなると
金の出番の立場がなくなるね

234 :日本@名無史さん:2016/09/11(日) 07:14:55.36 .net
「かね」(銭貨)の目的はそうなんだけど、1種類の価値の貨幣(銅銭)しかないから高額取引では不便だったんだよな

年貢用だと何千枚も運ぶ必要があったから、1枚3〜4グラム程度として1000枚で3〜4kg、何千枚もあれば10kg20kg程度にはなる
長距離輸送だとひとりでは運べない量だ。


高頻度に人が往来して金が動く場合なら、一定以上の信用を持つヤツが決済手段を用意して送金代行を始めてもおかしくはない。
んだが、それだけの信用を持ちうる組織って、近代より前には少ないんだよな。
狭い範囲で信用を集める組織はあっても広範囲だと、なかなか。

だから、「為替」の登場はわりと速い部類だと思うよ。
地方と京都を往来する年貢の流れ、年貢を担保に商人(?)から前借りする風習の発生、
そういったものが前提になったんじゃないの?



室町時代に入ると決済の及ぶ範囲が東西に分裂しちゃって、東日本と西日本の間で為替送金ができなくなったんだよね。

235 :日本@名無史さん:2016/09/11(日) 23:33:20.60 .net
鎌倉、室町期の人気が出そうもない
不毛な書き込みだなあ
中世史のなかでの為替は面白い題材だから日本史板にはふさわしいけどね

236 :日本@名無史さん:2016/09/12(月) 00:21:05.64 .net
>>235
これが徳川期だと、池波正太郎あたりが天ぷらそばがどうのこうとかの話しに
絡めて、面白おかしく随筆にまとめそうなんだけどね。

とりあえず日経新聞が中世の為替事情あたりについて面白おかしく随筆に
まとめる人を探し出して、ショートショート形式の連載物を
書かせるようにするしかないだろうな。
日経新聞は株屋の機関誌だと馬鹿にしてはいけない。
私の履歴書の水木しげるとかニトリの社長は面白かったし、
連載小説の下天は夢かの信長も面白かったからな。
娯楽部門の読み物を発掘する能力は意外と高そうだからな。

237 :日本@名無史さん:2016/09/12(月) 11:00:04.83 .net
鎌倉市がバックアップして鎌倉時代アピールすれば良い
関東だし、都民も簡単に訪れる地の利があるので
東京メディアも乗りやすいだろう

238 :日本@名無史さん:2016/09/12(月) 12:59:39.47 .net
室町時代という今一人気の無い時代の
第14代室町幕府将軍という名前すら覚えている人がほとんどいない将軍

義輝→○○→義昭

いってる俺も思い出せない

239 :日本@名無史さん:2016/09/12(月) 15:54:51.09 .net
金閣寺、銀閣寺は世界中から人を集める日本の寺のシンボル的存在
一休さんはタイでも大人気になったらしい
室町はワールドワイドに行こう

240 :日本@名無史さん:2016/09/12(月) 22:56:53.63 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

241 :日本@名無史さん:2016/09/12(月) 23:45:24.74 .net
>>237
鎌倉はなんか上品だよなww
普通の田舎町はもう少し地域おこしに血眼になるところがあるけど、
鎌倉は割りとそういう動きには超然としているところがあるよな。
あの京都でさえ、日本の首都は京都だしつこく言い続けて、
大正・昭和天皇の即位式をもぎ取ったと言うのに、

242 :日本@名無史さん:2016/09/13(火) 03:53:21.11 .net
>>235
為替など一般人には面白いわけがない

243 :日本@名無史さん:2016/09/13(火) 07:00:40.60 .net
>>242
>>1の鎌倉・室町はなぜ人気が出ないのか、その不人気の鎌倉・室町を
どうやって売り込もうと言う話だからな。
最も利害関係がない、ましてそれで飯を食っているわけでもないし、
例え鎌倉・室町が人気が出て売れたところで利益になるわけでもない
俺達がこういう馬鹿スレに血眼になるのはけったいな話でもあるけど。
マーケティングとしては、苦い薬を何とかして飲ませようと努力する
ようなものだからな。
ただなぁ
それを言うと、株屋の機関誌の日経新聞が五大紙の一角になるほど売れて、
プレジゼントとか東洋経済等の経済史がそこそこ売れているのだからな。
中世の為替とか、自力救済の世界観だって、売り込みの手法が
あるはずなのだ。

244 :日本@名無史さん:2016/09/13(火) 07:10:24.72 .net
今はインバウンドだの何だの言って
国家ぐるみの政策で外国人旅行者を集めて金を稼ごうとしてるよね
その為に打つ定石はアニメ化だな
大河ドラマでは外国には広まらない

245 :日本@名無史さん:2016/09/13(火) 10:15:04.37 .net
>>237
鎌倉市民の多くは鎌倉の唯一の欠点は観光客が多過ぎること
と思ってる
これ以上観光客増えるような真似する奴出てきたら速攻で追い出されるわ

246 :日本@名無史さん:2016/09/13(火) 17:35:06.34 .net
>>232
>そういうエピソードを分かりやすくまとめて、戦国武将に見る経営戦略とか
>常日頃書いていり経済雑誌あたりに売込みを図るのは有効だと思うが?

こういうオヤジ本は司馬が出し尽くしたからな

247 :日本@名無史さん:2016/09/13(火) 17:40:55.74 .net
は?受験生だが楽しいぞよ
近代の方が僕は嫌いかな

248 :日本@名無史さん:2016/09/13(火) 18:15:20.60 .net
鎌倉室町時代が舞台のアニメならもう腐るほど作られてるぞ

249 :日本@名無史さん:2016/09/13(火) 23:02:18.33 .net
「一休さん」は海外でも人気
義満は売国奴だから中国でも安心して放送できるだろう

250 :日本@名無史さん:2016/09/14(水) 08:30:14.70 .net
>>245
鎌倉文士と言う言葉があるくらい、あそこは変におっとりしているところが
あるからな。
関西で言えば、芦屋に近いかな。
あそこは地域おこしにはほとんど関心がなく、
パチンコ屋でさえ、禁止しているような街だからな。
あそこは文字通り、階層社会だけどな。
高いところに金持ちが住んで、低いところに庶民が住んでいる
町だから。
鎌倉程度の観光客でこれ以上増やすなとわめいていたら、
京都なんかどうなるのだという感じだよな。
あそこはいまや日本人のほうが少ないのでは?と思うくらいだかな。
それでも京都はいまだに観光客を増やすような政策や
宮内庁関連の儀式や権限や施設を執拗によこせと
言っているのだから。
今の天皇の即位式は東京に取られたけど、
次の天皇の即位式は奪い返すと意気込んでいるしww

251 :日本@名無史さん:2016/09/14(水) 17:24:43.10 .net
鎌倉、室町は小説・ドラマでは不人気かも知れなけど
この時代の直垂系ファッションは日本の装束史上の白眉
公家と上級武士は狩衣、中・下級武士は直垂という分け方も見事
優美さと威厳と衣服としての機能が見事に共存している
室町末期の内掛腰巻スタイルの完成度本当に好き

鎌倉・室町と比べて一番ひどいのは江戸時代の武家系ファッション
裃はどんなにしっかりと着付けてもダサいし、
直垂の袖口は布垂れ過ぎだし、すそ引きずって赤ちゃん服みたいだし
戦に行くわけでもないのに月代剃っちゃってるし

三河の田舎モノに天下を取られた悲しさよ

252 :日本@名無史さん:2016/09/14(水) 19:33:03.05 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

253 :日本@名無史さん:2016/09/14(水) 20:15:09.22 .net
鎌倉の待ちは室町時代中期まで栄え続けていたが、室町時代半ばに焼け野原になってから衰退した

254 :日本@名無史さん:2016/09/15(木) 10:35:57.09 .net
この時代だれでも知っているビッグネームは
頼朝、北条政子に北条時宗、あとは鎌倉仏教の担い手と一休だからな。
ご当地ヒーローはほとんどいないし、
鎌倉が地域おこしの活動は力を入れていないし、
鎌倉仏教の担い手と一休さんは宗教がらみで、テレビ局は
一歩引いているからな。
劇画版の一休を大河ドラマにするのは不可能だろうからな。

255 :日本@名無史さん:2016/09/15(木) 11:46:55.76 .net
祖父が小学校の学芸会で義経と弁慶をやったと言ってるけど
父と俺は学芸会でそんな事やってないんだよな
昔の方が人気あったんじゃないか

256 :日本@名無史さん:2016/09/15(木) 15:29:17.96 .net
少し方向性ズレるかもだけどこれとかどうでしょう?

室町無頼  

文芸

垣根 涼介(著/文) 
発行:新潮社

四六変型判   536頁

室町無頼  

文芸

垣根 涼介(著/文) 
発行:新潮社

四六変型判   536頁

257 :日本@名無史さん:2016/09/16(金) 00:02:58.53 .net
>>256
この人うまいし、あの時代の社会情勢とかうまく描いていると思うけど、
骨皮道賢と蓮田兵庫を主人公にしているからな。
あまり資料がないうえに、野垂れ死に同然の死に方をしているから
尻切れトンボみたいな感覚になるのだよな。
で彼らが死んだところで、天下泰平になるのかと言えば、
ますます世の中がグダグダになって、
結局この時代だと、太閤記みたいに、あるいは坂本竜馬等の維新物みたいに通快時代劇になりにくいのだよな。
太平記からして、竜頭蛇尾みたいな結末だし、
この本も結局竜頭蛇尾だよな。
平家物語の最後だって、後白河法皇が建礼門院のところを訪ねる話で
おわってしまったし。

258 :日本@名無史さん:2016/09/16(金) 00:42:57.98 .net
一休さんと言えば、あのアニメのイメージが強いから
やつれた長淵みたいな肖像画の方は出さない方が良い
可愛らしい小坊主が言えばとんちでも、
ジジイが言えば不気味な言動の破戒僧でしかない

259 :日本@名無史さん:2016/09/16(金) 19:18:07.59 .net
>>257
そういう綺羅星のように英雄が出ては消えて行って結局誰も戦乱を止めることはできないみたいなオチのほうが最近は受けるんじゃないの

昔モーニングでカルト的人気があった蒼天航路とか今同じ作者が連載してる達人伝も結末は同じようになるでしょう

260 :日本@名無史さん:2016/09/17(土) 20:30:18.21 .net
>>259
君のその意見を聞いていると、いかにも平成デフレの時代だと
感じるよww
少年漫画の傾向でも、高度経済成長期は巨人の星みたいにスポ魂の
東京に出て、一旗上げてやるみたいな話が受けて、
オイルショック以降になると、高校生の日常的なラブコメ路線が受けて、
バブル期はトレンディドラマが受けて、
平成デフレになると、綺羅星のように出てくる英雄の生き死にを
横で達観するような物語が受けるようになるのかネェ

261 :日本@名無史さん:2016/09/17(土) 23:51:16.92 .net
そんなの定期的に巡ってるだけだろ。
要ははその時代に合わせて作ればいいだけ。
白けないレベルに違う要素も入れてな。

262 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 17:34:44.82 .net
日本の装束は確かにかっこいい。

韓国の装束はしまりがなくてダサイ。

中国はよろいかぶとは進んでいたね、三国志のころ。
その装束の流れが東大寺や新薬師寺の彫像に残っている。
始皇帝の墓からでてきた土人形もすごい。

263 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 18:35:07.09 .net
……………………


真田一族が仕えた主君の家紋が並ぶ上田電鉄別所線のNHK大河ドラマ真田丸ラッピング電車1000系の窓上広告枠

https://www.youtube.com/watch?v=1hWIVQyAL6s


……………………

264 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 19:37:49.04 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

265 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:40:08.45 .net
隠密物(スパイ物)暗殺者、剣豪関係、忍者物はこの時代は書けないのかネェ

266 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 22:40:08.26 .net
実際にいるのは山賊強盗団暴力団ばかりだからな
ある程度勧善懲悪が成立するような社会じゃないと小説やテレビには
出せないわね

267 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 02:04:14.51 .net
前にネットでは見たことあるけど越中一向一揆衆で小説とか書けないのかな、、、

268 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 18:04:36.10 .net
足利義教を主人公にした「籤将軍」とか面白そうじゃん?

269 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 21:17:19.49 .net
足利義教を主人公にした「籤物語」とか面白そうじゃん?
西尾維新御代頼むで

270 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 21:39:22.09 .net
>>266
この時代だと、仕事人シリーズは絶対に無理だろうなww
間違いなく自分達で復讐するだろうからなww
渡世人物も無理だろうな。
水戸黄門シリーズくらいかネェ
できそうなのは?

271 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 22:00:15.23 .net
>>270
水戸黄門の講談の原型ってのか? 北条泰時だかの全国行脚ものがあったみたいだな。
演じられたのか説話として語られただけなのか分からんけど。

類似物があったんなら、できそうとは言える

272 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 15:04:41.30 .net
>>271 北条時頼

273 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 15:11:14.61 .net
一休さんと森信女のエロ、グロ、ナンセンス話で
サブカル好きを惹きつけよう

274 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 21:05:33.00 .net
新しいジャンヌを開拓するしかないのかネェ
とりあえず交渉人物、断交物を開発してはどうだろうか?
百姓一揆は徳川時代だと,喧嘩両成敗的な解決をしたけど、
室町の場合はお互いに武力をちらつかせながら、交渉で
話をつけていただろう?
そういう話をやってみてはどうかなぁ

275 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 23:59:51.00 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

276 :日本@名無史さん:2016/09/23(金) 19:04:05.88 .net
戦国ばかり有名になってバカもチョンも信長信長言ってるようでは話にならん

277 :日本@名無史さん:2016/09/23(金) 21:00:55.94 .net
>>272
このお方を何方と心得うる
畏れ多くもさきの執権北条時頼公なるぞとか言っただけで
屈服する悪人達が想像できない

278 :日本@名無史さん:2016/09/23(金) 21:07:17.82 .net
盆栽ぐらいなら焚火に使ってくれそうだな

279 :日本@名無史さん:2016/09/23(金) 21:17:43.87 .net
司馬が魅力ある人物が居ない言ってたな
楠木正成みたいな人物は魅力あるから

280 :日本@名無史さん:2016/09/23(金) 22:52:27.16 .net
魅力がないというのはいいわけで、実際は書こうにも書けなかっただけじゃないかなぁ

でも確かに政治的なあれこれを考えないとしても、創作そのものが難しい時代ではあるんだよね
主要人物の誰を主人公にしても、その最期が時代の節目足りえないから物語をきれいに終わらせられない
『太平記』ですら投げっぱなしエンドで、後世の作家がほとんど手を出していないのもうなずけるというか

281 :日本@名無史さん:2016/09/23(金) 23:26:44.37 .net
南北朝関連の本も足利尊氏が生きているうちまでは熱心で義詮に代替わりするとほとんど触れもしないもんな。

282 :日本@名無史さん:2016/09/24(土) 01:26:51.76 .net
>>278
中国版の元ネタだと、カミさんを料理して食わせるのだろう?
小室直樹がそういったことを言っていた。
実際安達ケ原の山姥でも、人間を食うのだし
病気治療に人間をたべる話は、明治のころまであったそうだから、
淫し邪教伝説で人間を食べる話を創作してもとは思うのだ?

283 :日本@名無史さん:2016/09/24(土) 06:10:35.45 .net
>>277 名目副将軍実質征夷大将軍。でも時頼は正五位下だから公じゃなく
卿でしょう。

284 :日本@名無史さん:2016/09/24(土) 21:13:47.70 .net
人気がある三国志も孔明後は大体省略カット
ほんとに魅力がなくて書く気がなくなるんでないだろうか

285 :日本@名無史さん:2016/09/24(土) 21:29:46.08 .net
足利尊氏にそこまでの魅力があるとも思えないが、太平記における主人公的存在であることには変わらんね。
でも一番はやっぱり争いが幕府内の抗争に移ってしまい南朝が絡まなくなることだろうな。
これを足利直冬をひっぱり巨大な敵に立ち向かう若大将という物語にすれば孔明くらいの話は出来たかも。

286 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 02:02:50.46 .net
同じ高氏でも京極高氏はいいね
魅力たっぷり

鎌倉は実朝がもう少しカリスマ性あったらねえ

287 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 18:50:57.79 .net
>>286
百人一首に選ばれるカリスマ歌人やぞ

288 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 20:32:14.63 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

289 :日本@名無史さん:2016/10/11(火) 09:20:03.95 .net
一休さんを実写化するなら一休役はリリーフランキーだな
顔似てるし

290 :日本@名無史さん:2016/10/11(火) 10:13:08.18 .net
死んだ忌野清志郎にも似てるな一休さん。

291 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 13:37:22.57 .net
>>289
http://up.mugitya.com/img/Lv.1_up98019.jpg

292 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 23:27:46.55 .net
鎌倉は源氏が開いたくせに有名どこはとっとと消えちゃうからな
執権と将軍で別々なのも学生からしたらめんどくさいだろうし
なにより室町は適当に暴れまくるアホどもが多いから嫌われる

293 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 23:29:00.59 .net
ちなみに俺は歴史上の全人物の中で後醍醐天皇が一番好きだ

294 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 23:42:28.33 .net
後醍醐はなぁ
なかなかにファンキーだから良く知るとひくよね

295 :日本@名無史さん:2016/10/14(金) 07:05:16.00 .net
タケカワユキヒデは「不死鳥のようなエネルギーを感じた」とか言ってたな。
まあ「バサラ」が時代の空気でもあったわけだし。「朕が新儀は未来の先例たるべし」
なんて、日本史ではやはり異質な人物という気がする。

296 :日本@名無史さん:2016/10/18(火) 16:40:16.63 .net
>>295 信長に比べりゃ異質さが。

297 :日本@名無史さん:2016/10/18(火) 19:17:09.56 .net
>>296
何を言ってるんだ。
信長こそ後醍醐帝の生まれ変わりみたいなものと自称したわけだろ。縮小コピー(自称。実際はさほど似てないし縮小とも思わないが)と主張したんだぞ

信長が「第六天魔王」と称したといわれてるけど、第六天魔王ってのは後醍醐帝のこと。
戦国時代にも多くの武士が常識的に知っていた太平記において、後醍醐帝が死後に生まれ変わって第六天魔王になったと記されてるんだ。
それを自称したことはすなわち、後醍醐帝の生まれ変わりと自称したに等しい。

298 :日本@名無史さん:2016/10/18(火) 20:18:15.67 .net
「ぼくたちがかんがえたのぶなが」は最高に異質だが

299 :日本@名無史さん:2016/10/18(火) 22:45:16.77 .net
「ぼくたちがかんがえた〇〇」はすべての歴史上の人物に当てはまるけどな

300 :日本@名無史さん:2016/10/19(水) 12:34:55.64 .net
のぶなががダントツだろ。
政教分離して鉄の戦艦造って世界初の市場経済導入して世界も統一するんだから

301 :日本@名無史さん:2016/10/19(水) 12:54:55.78 .net
>>297 後醍醐は天台座主に護良をいれている。信長は比叡山を焼いている。

302 :日本@名無史さん:2016/10/19(水) 18:21:58.43 .net
蜷川日記とか読んでると悲しくなるしな。

北条氏からの音信3年で3通,上杉1通、伊達、無し、大崎3通、今川ゼロ・・・

あれだろ領地が少ないから発言権も弱い→ただ一応ショーグン、ショーグン殺しは
勘弁→各地で守護、守護大名が乱立、国人も乱立。バカバカしくて幕府みらね、
オレがこの辺で一番だよ、みたいだからなぁ・・・

303 :日本@名無史さん:2016/10/19(水) 18:24:25.46 .net
後醍醐は野望はあるけど実力と人望がないな
信長は野望も実力もあるけど人望がなかったな

304 :日本@名無史さん:2016/10/19(水) 19:05:50.05 .net
>>301
信長の前に比叡山を焼いた足利義教が、将軍になる前に天台座主を務めてた前例もあるぞ
信長と義教の類似性を指摘する見解もあることを考えれば、比叡山と敵対して焼いたことが必ずしも(略

305 :日本@名無史さん:2016/10/19(水) 20:23:40.90 .net
信長が比叡を焼いたことをことさら強調するヤツがいるが、
そんなもんより南北朝の高師直のほうがえげつないもんな。

306 :日本@名無史さん:2016/10/22(土) 18:47:42.48 .net
関東の方が人口が多いし、 人気という指標でいけば 不人気になってしまうだろう

307 :日本@名無史さん:2016/10/25(火) 19:14:38.31 .net
司馬が中世を話題にしないのは結構でかいかも

308 :日本@名無史さん:2016/10/25(火) 23:26:54.72 .net
>>307
言われてみれば確かに
興味を持ってもらうための、とっかかりになる作品がないのは大きいかも
古代ローマ史でいう、塩野七生のローマ人の物語みたいな

309 :日本@名無史さん:2016/10/26(水) 08:07:02.73 .net
>>906 司馬 楠木氏のおひざ元だったのにな。

310 :日本@名無史さん:2016/10/26(水) 09:08:45.94 .net
司馬は義経書いてるじゃん

311 :日本@名無史さん:2016/10/26(水) 12:25:55.84 .net
義経は地味に中世の始まる前
信長は派手に中世の終わり頃

この二人の間がすっかり抜けてる
シバは嫌いだが大衆人気考えるとこいつに書いて欲しかったのはあるな

312 :日本@名無史さん:2016/10/26(水) 21:45:09.09 .net
南北朝時代は新たな時代の始まりではないからな。
そして、ずば抜けた英雄も不在な時代だ。
テンポのいい物語が出来得ないから仕方ない。

313 :日本@名無史さん:2016/10/26(水) 23:13:09.70 .net
それは言えるかも。源平は古代から中世へ。戦国は中世から近世へ。幕末は近世から近代へ。
南北朝は、鎌倉政権と室町政権にもいろんな違いはあるとはいえ、中世の枠組みの中でしかないからね。

314 :日本@名無史さん:2016/10/27(木) 00:28:45.72 .net
だが、様々な伝統工芸とか文化、風習の起源が南北朝時代あたりに求められる程には、文化的に大きな変動があった時代だぞ。

それより前は板材の大量生産ができなくて、庶民生活には竪穴式住居が広く用いられてたぐらいなんだしさ

315 :日本@名無史さん:2016/10/27(木) 20:52:33.50 .net
文化面って地味なんだよね。
源平や戦国のような華々しい合戦の方が動きがあって面白いから。
南北朝は尻すぼみで太平記もだれてくる。
足利義満なんて日本史上でも最大級の英雄だと思うけど、
それを発揮したのが対中国の外交だったりと地味な印象だ。合戦で活躍してないからね。

316 :日本@名無史さん:2016/10/27(木) 23:49:36.10 .net
潜在的謀反因子をあぶり出して挑発し、討伐していった義満が室町時代の安定を築き上げたわけで、
多くの合戦で(部下の派遣ばかりとは言え)勝利した人物ではあるだろ

317 :日本@名無史さん:2016/10/28(金) 09:29:10.95 .net
自分が戦っているわけではないからなぁ。
しかも政敵を完全殲滅した訳でもなく、取り敢えず近所の手近な敵を倒して満足だ。
関東婦は相変わらず残ってる。
これじゃぁな・・・

318 :日本@名無史さん:2016/10/28(金) 19:10:19.23 .net
>>316
それを知った上で地味だって話をしてるんだろ

319 :日本@名無史さん:2016/10/28(金) 23:29:35.50 .net
義満の実績は信長なんか比べ物にならないくらい凄いよ。
でも地味だ。

320 :日本@名無史さん:2016/10/29(土) 06:33:52.65 .net
>>319 金閣を作っているのにね。信長の破壊の方が派手に見えるか?それに金閣にしても秀吉に比べて地味なんかな。

321 :日本@名無史さん:2016/10/29(土) 18:59:58.80 .net
義満が南北朝を平定したのは、もともと圧倒的に幕府側が強かったこともあるから、
武将なり政治家なりの評価があまり高くなりないのはわからないでもない。
でも信長なんて天下も平定できないのに異様なほど過大評価されてるんだよな。
義満の真骨頂は当時最強の中国相手に対等の外交をやってのけたことだろう。
戦じゃないから地味なのもわかる。

322 :日本@名無史さん:2016/10/29(土) 22:03:41.57 .net
対等ではないだろう。明らかな朝貢、臣従。
ただし当時、明朝と付き合おうとするなら
そうする以外に手段は無いわけだが。

政治家としては優秀だと思うけどね。

323 :日本@名無史さん:2016/10/29(土) 23:12:24.31 .net
奉公衆の人数について、10000人という人と3000人という人がいます。
概説書で良いので、それぞれが書いてある本ってわかりますか?

324 :日本@名無史さん:2016/10/30(日) 11:24:19.50 .net
五番衆で各々2千じゃなかったっけ。

325 :日本@名無史さん:2016/10/30(日) 19:15:35.80 .net
中国に朝貢、臣従した足利義満より、北条時宗の方が比べ物にならないくらい凄い。

326 :日本@名無史さん:2016/10/30(日) 22:07:58.60 .net
義満は臣従していない。外交の時は対等な立場で国交樹立にこぎつけてる。

327 :日本@名無史さん:2016/10/31(月) 00:01:14.26 .net
国王って時点で対等ではないし、そもそも冊封事態が対等じゃない。
まぁ実を取ったんだろうが、自分で貨幣を発行せずに獲得した外貨で国庫を賄うと言うのは余り宜しくないな。
政府の信用は全く無いままなのだからね。

328 :日本@名無史さん:2016/10/31(月) 07:00:55.46 .net
>>327 自国で通貨を発行し金本位銀本位なんてしたら金銀の海外流失に気をつかんといかんぞ。

329 :日本@名無史さん:2016/10/31(月) 07:52:38.35 .net
>>327
義満は後醍醐みたいに通貨発行の必要性を認識していたのかネェ?

330 :日本@名無史さん:2016/10/31(月) 10:16:37.09 .net
臣従だ国王の称号だ、みたいな些細なことに拘るより実をとるのが大事だろ。
のぶながが何を名乗ろうと殺されたら意味がないわけで。

331 :日本@名無史さん:2016/10/31(月) 15:33:46.48 .net
やっぱり怨霊史観しかないか。井沢さんに期待するねえ

332 :日本@名無史さん:2016/10/31(月) 18:19:47.89 .net
義満が朝貢貿易を行って明と冊封関係に入ったことが「名を捨てて実をとる」と見る時点で、
現代の日中関係を投影しすぎじゃねーの?

当時の日中の実力や権威、経済等々の圧倒的不均衡を考えたら、「名も実も両方とる」だろ。
大明皇帝から日本国王のお墨付きをいただけるんだから。

333 :日本@名無史さん:2016/10/31(月) 18:45:51.70 .net
圧倒的不均衡なんてなかったことは北条時宗が証明してる。
足利義満が北条時宗より優ってる点なんて一つも無いだろ。

334 :日本@名無史さん:2016/10/31(月) 19:02:03.42 .net
現代の日中関係とか言い出してる時点でこのスレに関係ないから死ねよって言いたい

335 :日本@名無史さん:2016/10/31(月) 19:20:34.87 .net
>>334
アスペ

336 :日本@名無史さん:2016/10/31(月) 19:24:10.17 .net
>>329
北朝・幕府側でも何百年ぶりかでの私鋳銭鋳造取り締まりを行ったらしいし、通貨発行を夢想してはいたんじゃね?

337 :日本@名無史さん:2016/10/31(月) 20:43:29.34 .net
征西将軍宮のように、
外交しながらも、
倭寇は野放しにしとけば明への牽制球となった。

足利義満はへりくだり過ぎ。

338 :日本@名無史さん:2016/10/31(月) 21:46:42.97 .net
>>336
こマ?
じゃあ、皇室を支配した暁にはやる予定だったって事か。
そこら辺は後醍醐を意識していたんだろうな。

339 :日本@名無史さん:2016/11/05(土) 18:11:47.70 .net
>>1
南北朝時代がタブーだから触れられないだけ

340 :日本@名無史さん:2016/11/05(土) 21:07:26.58 .net
タブーにする理由がわからん
くだらない思想に邪魔されて歴史を学べないなんてどこの中華人民共和国だよ

341 :日本@名無史さん:2016/11/05(土) 21:19:02.14 .net
>>340 今の右翼に南朝正統論と言ってもちんぷんかんぷんだろう。

342 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 01:26:28.83 .net
研究自体はそれなりに盛んなんだけどね
少なくとも今は学問の場で南北朝時代にタブーなんてないし

結局は前の方で話題になってるように、この時代を取り扱った現代人、特に歴史にそこまで興味のない人に受ける創作がないのが人気のなさの最大の理由だよ

343 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 09:29:17.78 .net
右翼は皇室問題に絡め
左翼は戦中思想に絡め

南北朝時代の本質から離れたところで議論されている現状

344 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 12:52:34.36 .net
それ以前に、江戸時代後期の反主流派が南朝正統説を核に結集して倒幕を果たした影響が大きいだろ

明治維新と南朝正統説がm一説に絡んでるから、南朝を正統と見る人が政府内の主流になってたんだ

345 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 17:16:46.43 .net
そんな政府の意向なんか関係なしに過去の出来事としてみれば面白いものを、
南朝正統とかなんとかいうから南北朝時代の話が出来なくなって小説やドラマも作れなくなるのでは。

346 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 20:02:01.65 .net
>>345
この時代、知名度が低いからかもしれんが、
NHK大河で「太平記」が放送された1990年代初頭の数作以外、
歴史ゲームでも取り扱われていないw
魅力的な人物も多く、のちの戦国大名につながる一族も多く登場流する時代だから
ゲーム化したらおもしろいとは思うがw

347 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 20:37:23.29 .net
>>346
そのあたりのゲームが売れてたりしたら違ったんだろうけど、どれもろくに売れなかったハズレゲームばかりだったからなおさらねえ
多少のファンでもいたら他のゲームが出る可能性も多少はあっただろうけども……

348 :日本@名無史さん:2016/11/07(月) 21:28:31.04 .net
自民党公明党連合VS民進党くらいの開きがあって勝負になってないからな。

349 :日本@名無史さん:2016/11/07(月) 21:32:50.21 .net
>>348
中先代の乱鎮圧時点とか楽しそうじゃない
後醍醐天皇側にも、新田・北畠・楠木・菊池など、
各地方に有力なのがいる時代だし

350 :日本@名無史さん:2016/11/07(月) 22:51:26.01 .net
尊氏が完全に南北朝の統一を成し遂げていたら、人気も出たかも。
しかし現実は出来てねぇし、息子の代でも出来てない。
しかも太平記は尻切れトンボに終わってる。
こりゃ人気出るほうがおかしいわ。

351 :日本@名無史さん:2016/11/07(月) 23:36:20.63 .net
しかし自身の天下統一どころか一代で身代潰した信長が一番人気あるという事実。

352 :日本@名無史さん:2016/11/07(月) 23:51:38.63 .net
>>350
細川頼之の管領就任で世の中平和になりました
てか、なってほしい、という終わり方だなw

この時点でも九州は懐良親王が押さえていたりするから
ゲーム化したらおもしろいとはおもうがなw

353 :日本@名無史さん:2016/11/08(火) 06:14:59.58 .net
>>352 長慶の即位がすべて。後村上死後後亀山が即位すれば20年早く南北朝は合一していた。

354 :日本@名無史さん:2016/11/08(火) 16:42:45.28 .net
あとは、永享の乱とか結城合戦とかどうだろうか?
かなり鎌倉公方(とその遺児)側がムリゲーだが、
そこをあえて切り抜けるみたいなシナリオ

355 :日本@名無史さん:2016/11/08(火) 20:46:25.42 .net
>>352
九州を南朝が制圧していたのもあるし、直冬派が南朝に加担して京都を脅かしていたこともあるね。
ただ正平一統がやぶれたあとの南北の戦力差は菊池を別にするとすでに戦いになってないな。
関東甲信越の新田だってゲリラ戦を展開するのが精一杯。
幕府側は出来るだけ穏便に南朝を統合しようとしていたから戦国時代のような華々しい戦いはない。

356 :日本@名無史さん:2016/11/08(火) 21:30:15.37 .net
>>355
戦国時代だって、毎回毎回華々しく戦っているわけではないけど、
ゲームだといけいけどんどんで戦いが行われていくw

357 :日本@名無史さん:2016/11/08(火) 21:36:16.11 .net
もし南北朝で戦国のようないけいけどんどんやってたら、武家と宮の戦そっちのけで、
幕府の守護大名同士が潰し合って南北朝から一足飛びで戦国に発展するぞw

358 :日本@名無史さん:2016/11/09(水) 04:00:50.76 .net
>>355 楠木正儀は?

359 :日本@名無史さん:2016/11/09(水) 21:07:39.82 .net
正儀は和平のために頑張っていました

360 :日本@名無史さん:2016/11/10(木) 00:00:03.20 .net
>>359 正儀は北朝に降りた後一族に総スカンを買い千早城のあたりも守れず頼之の合力で取り返してもらったらしいが、南朝にいた頃は和平に奔走していて一族をよく押さえていたもんだ。

361 :日本@名無史さん:2016/11/11(金) 02:53:33.21 .net
戦前は源義経、北条時宗、楠木正成が人気だったんだろ。
人気なんてメディアの扱い次第で何とでもなると思うが。

362 :日本@名無史さん:2016/11/11(金) 21:05:28.99 .net
そしてメディアがなぜ取り上げないのかという問題にループ

363 :日本@名無史さん:2016/11/12(土) 02:36:46.52 .net
今、週刊モーニングで赤松円心を題材した連載やってるのだけど、とても面白い。こういう漫画が二、三出てくると変わってくるかもね。

364 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 02:39:11.92 .net
観光では鎌倉や金閣寺、銀閣寺は人気あるのになあ 

365 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 08:37:58.19 .net
日光東照宮も悪くはないが少し見劣りするかな。久能山とは鎌倉や金閣寺、銀閣寺とは月とスッポン。

366 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 09:52:30.48 .net
>>365
徳川幕府だって、鐘は腐るほど持っていただろうに、
なぜか、鎌倉・金閣・銀閣だからな。
美的感覚があの時代のほうが、研ぎ澄まされていたのかねぇ
徳川時代は、天守閣のお城だからな。

367 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 16:59:41.64 .net
久能山の辺りに実家有るけど久能山知らなさすぎ。

まず北方面からは堀切で満載、登れないだろう崖も有る。南は海、
階段上ったら死ねるタイプ。大権現が「駿河の詰めの城」と言った
意味が良く解る。

368 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 18:09:49.77 .net
そもそも久能山は久能城があったところに建てられたものだし

369 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 21:29:26.95 .net
>>366
>鐘は腐るほど持っていただろうに


ゴ〜〜〜〜〜〜〜〜ン

370 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 23:43:01.61 .net
龍安寺も外人には凄い人気

371 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 23:54:23.73 .net
>>369
しょうもないのに笑ってしまった自分が嫌だ

372 :日本@名無史さん:2016/11/16(水) 19:12:51.74 .net
>>370
竜安寺が竜造寺にみえた俺、、、もうダメだorz

373 :日本@名無史さん:2016/11/20(日) 21:34:10.45 .net
北方謙三きたけどもう遅いかな?
大河は3年間クソ決定だし、、、

374 :日本@名無史さん:2016/11/20(日) 22:59:39.27 .net
国民的アニメ一休さんがあるだろ!

375 :日本@名無史さん:2016/11/21(月) 00:03:55.36 .net
コントやドラマにはなったけどリメイクブームに乗らないね 一休さん

376 :日本@名無史さん:2016/11/21(月) 22:53:26.58 .net
アニメの一休さんは声が女性だったし坊主頭を別とすれば容貌も少女めいたキャラだったな。
先輩坊主どもの稚児にされているような印象があるし女の子たちにも女子同士のおふざけみたいないじられ方をしていた。

377 :日本@名無史さん:2016/11/21(月) 23:31:22.33 .net
坊さんブームでもあるのに

378 :日本@名無史さん:2016/11/22(火) 01:17:51.14 .net
2019年大河ドラマ 「戦国王 蓮如」

379 :日本@名無史さん:2016/11/22(火) 01:31:34.77 .net
一休さんはいい素材だな

・腐女子向けにはアニメの絵柄で一休さん×新右衛門
・オタク男向けには実物の方の破戒僧一休で調教モノのエロ漫画
 

380 :日本@名無史さん:2016/11/23(水) 00:39:25.37 .net
>>379
そして、蓮如と掛け合い漫才をやるとww
マジでそれに近いやり取りをしていただろうww

381 :日本@名無史さん:2016/11/23(水) 11:41:56.23 .net
>>379 >>380 これか。
親交のあった本願寺門主蓮如の留守中に居室に上がり込み、蓮如の持念仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝をした。
その時に帰宅した蓮如は「俺の商売道具に何をする」と言って、二人で大笑いしたという。

382 :日本@名無史さん:2016/11/23(水) 21:15:27.93 .net
二条河原の落書の犯人を突き止める
ミステリ作ってくれ

383 :日本@名無史さん:2016/11/23(水) 22:15:37.77 .net
あの落書を後世まで残し伝えた人物は偉い

384 :日本@名無史さん:2016/11/25(金) 02:16:03.07 .net
識字率は高いね

385 :日本@名無史さん:2016/11/25(金) 05:58:20.19 .net
>>384 南北朝時代のか?

386 :日本@名無史さん:2016/11/26(土) 17:42:59.84 .net
>>385
太平記でさえ、
かなり早い段階から、太平記読みの講談師みたいな人間が
興行として、あちこちで話していたみたいだからな。
梅松論や難太平記が出てきたのも結構早い段階だから。

387 :日本@名無史さん:2016/11/26(土) 19:27:16.69 .net
全国レベルではまだ識字率が高くなってないだろ
京都とか一部の都市部で例外的に識字率が高かっただけじゃないか

識字率が高くないからこそ講談、講釈が盛んだったんだと思うが。


まあ、(中小の)荘園領主とか寺の坊主とか、文字の読み書き(漢文の読み書き)ができる人がどこの村にもいたって意味では識字率が高いと言えるだろうけど
本格的に識字率が上がったのは江戸時代に入ってからじゃないかな。

388 :日本@名無史さん:2016/11/26(土) 19:50:56.93 .net
>>387
君の言うことはほぼ正しいと思うけど、
識字率はもう少し高かったのではと思うのだ。
能や狂言の理論書だって、現代に通じるくらいの高レベルで
書かれていたのだし、世阿弥が想定する読者はおそらく能役者とか
狂言の役者だと思うから、芸人レベルでは文字の読み書きが
できたのではないかな?
もう少し時代が下るけど、あの秀吉にしても蜂須賀小六にしても
読み書きはきちんとできたみたいで、曾呂利新左衛門に教養のなさ
をからかわれた記録はあるみたいだけど、文字の読み書きもできなかった
と馬鹿にされた形跡はないからな。

389 :日本@名無史さん:2016/11/26(土) 20:24:24.75 .net
庶民のうちでも職人・商人は少し識字率高めだろうとは思う
が、

>能や狂言の理論書だって、現代に通じるくらいの高レベルで書かれていたのだし、世阿弥が想定する読者はおそらく能役者とか狂言の役者だと思うから、

弟子を指導する立場とか一座を率いる立場とかの人が読めたら用が足りるものではないかな?
役者全員が自分で読んで自分で独自に練習する必要があるものではないと思う

>もう少し時代が下るけど、あの秀吉にしても蜂須賀小六にしても読み書きはきちんとできたみたいで

秀吉は漢文は読めなかったんじゃないかという雰囲気はあるが、読めた可能性もあるね
少なくとも最小限度の文字使用ができなかったら流れの商人として契約とか売買とかにも支障があっただろうし

蜂須賀は小規模とは言え集団を率いる立場の、普通に武士(みたいなの)だったわけだし、漢文を最小限度ながらも読めたんじゃないのかな
オレらが英語を読める程度のレベルの最小限度で。

390 :日本@名無史さん:2016/11/26(土) 20:27:19.81 .net
中世文書で現代にも残っているようなものって、大体は高度な教育を受けた人物が書いたものだぞ
それに『風姿花伝』だって、超一流の文化人である世阿弥が内々に技術を伝えるために書いたもので、外部の人間が読めるようになったのはここ百年かそこらだし

391 :日本@名無史さん:2016/11/26(土) 20:32:39.85 .net
庶民でも漢文をすらすら読めた

392 :日本@名無史さん:2016/11/26(土) 21:33:08.54 .net
>>391
時代は下るけど、種子島に鉄砲が伝わった
ときも、村長が中国人と砂浜で漢文の筆談をして
意思の疎通を図ったみたいだろう?
種子島の村長で漢文がある程度はできたみたいだから、
一般市民だとひらがな、カタカナと自分の名前は漢字で書けたの
ではないかな?

393 :日本@名無史さん:2016/11/26(土) 22:01:22.89 .net
種子島の村長って、村長とは言ってるが、郡司クラスの中堅領主だろ?

あと、あそこは早くから貿易立国だったんじゃなかったっけ?

394 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 01:13:42.80 .net
アンジローがザビエルに簡単な読み書きなら誰でも出来ると 
ソースは歴史ヒストリア

395 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 23:40:32.09 .net
中世の「郡司」つったら木っ端役人もいいとこだぞ

396 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 10:07:36.34 .net
そもそも中世に郡司なんていたのけ?

郡司の子孫は国衙に行って在庁官人になってたんでは?

397 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 20:15:58.42 .net
それ以外に、在地領主から荘園領主へ転じて、庄屋(の原型)になったのも多い
要するに、「村長」ってわけだ

398 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 23:30:25.57 .net
まあ尊氏が統一出来ていないで(というか室町幕府は何時かの時点で「統一」
出来たの?)源氏長者になってしまいそこからグダグダ、鎌倉は早くも3代目から
ざわざわ、後南朝とかどれも悲しく終わる大河になりそうも無いものばかりで
足利義満かろうじて。でも金閣ショボ!幕府はカネ無領土無しまあ神輿だけの存在
っちていうのが全ての終わりの始まり。

399 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 23:52:43.28 .net
足利義政には正直憧れてる。

400 :日本@名無史さん:2016/12/01(木) 01:00:20.61 .net
あの隠居生活は憧れるな

401 :日本@名無史さん:2016/12/01(木) 09:03:49.36 .net
現代の日本らしさってほとんど室町時代の文化だよね

402 :日本@名無史さん:2016/12/01(木) 09:45:33.77 .net
>>396
懐良親王の入薩した後、頼ったのは郡司の谷山隆信であった。
http://373news.com/_bunka/jikokushi/kiji.php?storyid=6498
http://gayacoffee.exblog.jp/11063299/
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keijiban/taniyama1.htm

403 :日本@名無史さん:2016/12/01(木) 18:01:53.07 .net
>>401
南北朝のバサラ文化と足利義政ではかなり断絶がありそうだけど、
どこでどういう風に美意識が変わったのかねぇ?

404 :日本@名無史さん:2016/12/01(木) 18:19:54.29 .net
>>397
郡司が荘園領主なわけがない
ただの現地勤めの管理人にすぎないから荘官としては末端に近い
序列順で行くと
荘園領主→上司→中司(預所、雑掌)→下司(郡司郷司保司)→公文、田所、追捕使

https://kotobank.jp/word/%E4%B8%8B%E5%8F%B8-59364
>(2)荘園(しょうえん)の現地にあって荘務を執行するものをいう。荘園領主の政所(まんどころ)で荘園のことを扱う上司、上司と荘園現地の間の連絡にあたる中司(預(あずかり))に対して、現地で実務にあたるものを「荘の下司」
>(荘司(しょうじ))といった。
>所領を寄進した在地の領主(地主)がそのまま下司に任命される場合と、荘園領主から任命されて現地に赴任するものとがあった。

>平安末期には、在地の下司は世襲となり、国衙(こくが)領の郡司職(ぐんじしき)・郷司職(ごうじしき)を兼帯して、それらの職(しき)を足掛りにして在地領主として成長し武士化するものが多かった。

405 :日本@名無史さん:2016/12/01(木) 18:27:44.25 .net
世襲とか書いてあるが実際は上の胸先三寸で職を取り上げられてるから世襲でも何でもない
さらにいうと荘園は郡司の「私領」というわけではないので厳密には「領主」ですらない

406 :日本@名無史さん:2016/12/01(木) 18:48:35.17 .net
>>398
そういう基準でいうなら、平安中期に統一が綻んでから秀吉が全国統一するまではずっと不統一なままだろ
いや、建武年間に1年程度の期間だけ統一できてたのかな?

407 :日本@名無史さん:2016/12/01(木) 21:27:04.93 .net
統一も出来ない信長がなぜ人気あるのか説明してもらおうか

408 :日本@名無史さん:2016/12/01(木) 22:28:14.97 .net
桶狭間とか、浅井の裏切りとか、うつけ者とか、長篠とか、安土城とか
話題にことかかないからでは。

409 :日本@名無史さん:2016/12/01(木) 23:40:44.92 .net
>>398
そういう基準で言うなら、室町幕府でも足利義満〜義教までは天下を統一していたと言っていいんじゃないか。
南北朝は義満によって両統が統一されてるからね。
戦も地方のしょぼい反乱以外は起きていない。
それ以前は南北朝が並立していたし、それ以降は守護大名が地方で内戦を始めるカオス状態だから統一とは違うだろうな。

410 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 17:29:28.83 .net
江戸時代は「しょぼい」戦すらおきていないだろう。1400年の大塔合戦とか
「しょぼい」のか?守護が入れなかったんだけど。

411 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 17:35:34.46 .net
義満〜義教もダメダメ。上杉禅秀の乱なんて関東管領反乱だぞ?江戸時代で
言えば大阪城代が反乱してるレベル。

412 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 19:48:56.59 .net
>>411
それなら永享の乱は、尾張と紀伊が手を組んで反乱起こすレベルだなw

413 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 22:48:19.13 .net
>>408
話題に事欠かないというなら、>>411の指摘のように室町時代も話題に事欠かないのでは。

414 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 23:04:51.19 .net
>>411
大坂冬の陣・夏の陣とか島原の乱あたりの規模は上杉禅秀より大規模だと思うがなあ。

415 :日本@名無史さん:2016/12/03(土) 02:42:21.04 .net
島原は別にしても室町時代は一貫して反乱とか起こりまくりなんだよ。
だから「話題」が有りすぎて逆にしょぼくなってる。

416 :日本@名無史さん:2016/12/03(土) 05:04:36.06 .net
>>414 大阪夏・冬の陣の方が応仁の乱より規模がでかい

417 :日本@名無史さん:2016/12/03(土) 12:40:01.91 .net
明徳の乱とかお

418 :日本@名無史さん:2016/12/03(土) 15:17:47.77 .net
>>416
全国規模である点は似たようなもので、期間の長さは応仁の乱が上、動員兵力や戦闘の激しさで大坂冬夏の陣が上
総合的に見たら互角ぐらいじゃないか?

419 :日本@名無史さん:2016/12/03(土) 19:21:50.59 .net
永享の乱なんか大河化出来ないだろうw。
「どこの誰が公方側について、そうこうしている内に管領側では誰々が
家督相続の問題で公方側に〜」
誰も見ねえぞ。w

420 :日本@名無史さん:2016/12/03(土) 22:50:39.74 .net
結局はとりあげかたの問題だな
三国志だって蜀なんかしょぼいのに演義のおかげで人気だし

421 :日本@名無史さん:2016/12/03(土) 23:28:32.18 .net
八犬伝がヒットすれば

422 :日本@名無史さん:2016/12/03(土) 23:41:12.37 .net
八犬伝は戦国やな。
室町時代の関東はカオスすぎて、やらん方がいい。
というか室町時代の戦は中央対地方や地方対地方ではないからな。
基本的に地方内で揉めてるカオス状態だからね。
分かりにくいったらありゃしない・・・

423 :日本@名無史さん:2016/12/04(日) 00:35:37.99 .net
八犬伝は仁の玉を持つガキの存在が話をつまらなくしてる

424 :日本@名無史さん:2016/12/04(日) 20:55:26.62 .net
大河もうやめて
全4回のドラマを一年間やってくれないかな
通年で見たいドラマがない

425 :日本@名無史さん:2016/12/04(日) 21:59:40.96 .net
大河も女主人公増やしたら見るに堪えないのが増えたもんね。
基本的に女が歴史の表舞台で活躍することってほとんどなかったんだから、
男尊女卑とかじゃなく女が主人公の大河は無理がありすぎる。
中世では北条政子と日野富子くらいのもんだろう。

426 :日本@名無史さん:2016/12/06(火) 15:59:29.56 .net
太平記ですっ飛ばした唯一の女院で治天の君となった広義門院寧子とか十分行けそうだけどね

吉田松陰の妹は論外にしても江とか井伊直虎なんかよりは
はるかに面白そう

427 :日本@名無史さん:2016/12/06(火) 19:06:38.12 .net
井伊直虎なんて雑魚誰が考えついたんだよw。
殆どの人生今川の配下の僻地黒人じゃん・・・。

428 :日本@名無史さん:2016/12/07(水) 00:22:04.34 .net
坊主も個性的なの多い
日親なんか義教相手にようやるわ

429 :日本@名無史さん:2016/12/07(水) 00:57:59.91 .net
京都・対馬を舞台に日奥を主人公にして天下人と渡り合わせる

430 :日本@名無史さん:2016/12/07(水) 02:08:53.63 .net
養珠院あたりを主人公にしても面白そう
水戸光圀なんかこの人の気性受けついでそう

431 :日本@名無史さん:2016/12/07(水) 06:45:04.24 .net
>>427 桂昌院でもやれ。

432 :日本@名無史さん:2016/12/07(水) 13:32:28.59 .net
新兵器や海外の新技術が出てこなくて
気持ちがワクワクしないからだよ。

戦国時代は鉄砲、幕末維新は軍艦にガトリング砲にと色々ある。

433 :日本@名無史さん:2016/12/07(水) 13:46:03.32 .net
そもそも大河ドラマってなんで時代劇オンリーになったんだろう?
時代劇なら時代劇でも良いけどさ、なんで有名人や大物が主人公じゃないとならないんだ?
たいしたことない小物や市井の小人物が時代の変化に翻弄されつつも生きていく、
みたいな筋で面白い脚本がなぜかけないんだろう。

「戦争と平和」のピエール・ベズーホフだって、「ドクトルジバゴ」のユーリー・ジバゴだって
「風とともに去りぬ」のスカーレット・オハラだって、君主でも政治家でもないじゃん。
そこそこ知名度のある大名とか武将とかを主人公格に据えときゃ、脚本がどうでも
合戦とか興亡みたいな歴史の流れ自体への興味で見てもらえるだろう、みたいな
脚本家の甘えを感じる。

434 :日本@名無史さん:2016/12/07(水) 14:07:32.24 .net
話がグダグダじゃないからか?w。別に上杉顕定が足利義政の意向により関東
管領継いだ、とか持氏の遺児の成氏がファビョって又反乱起こして義政は
弟の政知入れようとしてけど関東武士の邪魔に有って伊豆に留まって、
何て大河化は、ムリ!w。

435 :日本@名無史さん:2016/12/07(水) 14:14:59.29 .net
https://youtu.be/8fPmkq1CkCU

https://youtu.be/PR6r40GbIfk

436 :日本@名無史さん:2016/12/07(水) 20:09:03.13 .net
>>434
太田道灌ならいける
最期の悲劇的な死も含めて

437 :日本@名無史さん:2016/12/07(水) 20:57:06.58 .net
>>434
信長の存在自体がグダグダなのにしょっちゅう素材になっとるで

438 :日本@名無史さん:2016/12/07(水) 22:18:54.38 .net
三好長慶なんかいいぞ 
最後の方はグダグダだけど

439 :日本@名無史さん:2016/12/07(水) 23:32:37.96 .net
三好長慶だったら、後半は主人公が弾正になっちまうじゃないか・・・
本人退場するんだから。

440 :日本@名無史さん:2016/12/07(水) 23:34:50.83 .net
北条早雲

441 :日本@名無史さん:2016/12/07(水) 23:39:12.09 .net
>>438-439
12月初週に長慶が死んで最終回にダイジェストで三好家屈服までって感じかなあ
長慶死後を描くなら別の主人公が必要。

長慶の晩年から後のgdgdあたりは史実じゃない創作譚も多いから……特に松永関係とかで。

442 :日本@名無史さん:2016/12/08(木) 01:11:10.88 .net
三好長慶だったら最初の数回を之長、元長あたりの死に方ヒャッハーな連中描いてから、長慶描くのがいいな 
前世代の無念をはらす、という感じで

443 :日本@名無史さん:2016/12/08(木) 01:29:48.66 .net
東 常縁も面白いぞ
享徳の乱にも参戦するし、古今伝授の人だし。
最後に幽斎ちょろっと出すのなんかも。

444 :日本@名無史さん:2016/12/08(木) 10:17:14.72 .net
室町は戦国時代の地方予選みたいなもんだからな
殆どは国内まとめに必死

445 :日本@名無史さん:2016/12/08(木) 17:49:37.45 .net
超馬鹿だな

鎌倉は150年間、ご成敗式目、武家政権の成立、元寇排除、民事裁判をやっただけの機能停止能無し政府で期間の2/3年間粛清テロルと報復テロルが耐えなかった粛清抗争年間

室町は実3-6代までの短命40年政権であり
1350-1400室町政府ない年間
1400-1440足利4代室町年間
1440-1490内戦機能停止年間
1490-1540細川幕府
1540-将軍復権末期無停止年間

であり室町幕府なのに実1400-1440の足利幕府、1490-1540の細川幕府であり、中途半端で足利幕府と呼べないくらいで足利がだめすぎる

平安も含め、大和、鎌倉、室町は全国政府と呼べないし、しばしば機能停止してるから政府と呼べない
たいして江戸幕府は明確な安定の260年を確率したので正規に政府と世べる

政治の安定と支持が全く違う。平安、鎌倉、室町はまともに支持されない所詮地方政権だった。
細川幕府なんかは実細川、今川、北条の三大地方幕府(建前は西の今川、東の北条の代表幕府)

446 :日本@名無史さん:2016/12/08(木) 21:12:57.40 .net
そんなこといったら、平安も奈良も全国成分じゃねーし、各地で反乱や争乱が相次いだし

447 :日本@名無史さん:2016/12/08(木) 22:16:37.42 .net
現代の政府のつもりで過去を見ても何にもならんぞ

448 :日本@名無史さん:2016/12/09(金) 14:18:28.60 .net
>>447 226をもって内乱は収束したのでは。

449 :日本@名無史さん:2016/12/09(金) 15:30:33.38 .net
>>445
どや顔でその程度のこと書いてバカじゃねーの

450 :日本@名無史さん:2016/12/09(金) 18:44:37.76 .net
確率と確立の変換ミスにも気付かないくらいの馬鹿だからしかたないな

451 :日本@名無史さん:2016/12/09(金) 18:57:01.47 .net
>民事裁判をやっただけの機能停止能無し政府

近代以前にこれに当てはまらない政体があるとでも思ってるの?

452 :日本@名無史さん:2016/12/11(日) 03:02:36.08 .net
斎藤妙椿 って従三位まで上がってるのか

453 :日本@名無史さん:2016/12/30(金) 11:29:34.30 .net
足利氏満みたいな異様に誇大妄想狂な野心強い奴主人公に書いてみたいね
アレくらい悪辣な奴の半独立的東日本王朝みたいなのを

454 :日本@名無史さん:2017/02/22(水) 20:34:32.65 .net
>>238
義茂

455 :日本@名無史さん:2017/02/22(水) 21:28:51.24 .net
え、義栄じゃなかったっけ?

義維とかいろいろわけわからない

ところで義茂ってよししげ? 義成(義政の旧名)とまちがえそう

456 :日本@名無史さん:2017/02/23(木) 00:44:02.05 .net
徳川14代の家茂とチャンポンにしたネタなんだろうけど、
足利将軍は義直の義ばかり名前に使って初代の尊氏(高氏)のは使わないんだな
ここが昔から謎だった

457 :日本@名無史さん:2017/02/23(木) 00:56:25.07 .net
>>456
氏の文字は鎌倉公方のほうが継承した

458 :日本@名無史さん:2017/02/23(木) 01:22:55.11 .net
ウィキペディア見てるけど足利義氏てのが2人いて
時代が違うのにどっちも北条と絡んでるのが面白い

459 :日本@名無史さん:2017/02/27(月) 16:38:17.17 .net
足利将軍の義って文字はどこから来たの?

460 :日本@名無史さん:2017/02/27(月) 16:43:35.53 .net
アホ

461 :日本@名無史さん:2017/02/28(火) 01:04:14.88 .net
八幡太郎義家

462 :日本@名無史さん:2017/02/28(火) 14:57:23.49 .net
登場人物が多すぎる時代はついていけないひとが多い
同姓で争ったりするとお手上げ

463 :日本@名無史さん:2017/03/01(水) 21:30:22.32 .net
明治大正時代とか山縣有朋と西園寺公望押さえとけばなんとかなりそう

464 :日本@名無史さん:2017/03/03(金) 18:33:38.53 .net
今中公新書の応仁の乱がうれてるんだってよ
室町ブーム来るか

465 :日本@名無史さん:2017/03/03(金) 21:47:28.96 .net
>>464
NHKで言ってたが、
この話、かなり前から聞いてたぞ

466 :日本@名無史さん:2017/03/06(月) 20:53:57.84 .net
足利高氏と後醍醐帝の関係は小説として書いたら「そんなのありえんだろ」ていわれるぐらいグチャグチャしてるからな
俺は最近は面白いと感じてるけど

467 :日本@名無史さん:2017/03/06(月) 22:20:52.00 .net
>>466
おまえ南朝正統論者か

亡命政権なんてのは、捲土重来に成功しなかったら正統性を失うものなんだよ
滅んだ南朝は、それに伴って正統性そのものをも失った。

南朝の成立まで遡ってすべての期間の正統性がない。

かろうじて「並立」程度には言えるけどな。

468 :日本@名無史さん:2017/03/06(月) 23:03:29.06 .net
>>467
はぁ?
そもそも反後醍醐の鎌倉軍を率いた足利高氏が六波羅探題を殲滅したのが始まりだろが
南北朝とかはその後の話だ

469 :日本@名無史さん:2017/03/07(火) 19:27:15.29 .net
普通は足利「尊」氏と書く。

高氏と書くのはたいてい、南朝正統論者だろ

470 :日本@名無史さん:2017/03/09(木) 10:03:53.89 .net
このスレ読んでちょいと考えたことがあるので 新スレ立ててみようかと思う。

471 :日本@名無史さん:2017/03/09(木) 23:03:49.04 .net
太田道灌のドラマ希望

472 :日本@名無史さん:2017/03/09(木) 23:53:54.53 .net
主君とうまくいってない話は見ててつらい……

473 :日本@名無史さん:2017/03/13(月) 22:33:03.38 .net
太田道灌はカタルシスが無さ過ぎる。
北条早雲で、どうぞ。

474 :日本@名無史さん:2017/03/13(月) 23:22:01.30 .net
太田道灌で毎日抜いている俺って一体・・・・・

475 :日本@名無史さん:2017/03/14(火) 20:29:51.11 .net
南北朝の争乱――それは「クソ対クソの50年戦争」と言う気がしてならない。
 治承寿永の内乱、戦国時代、戊辰戦争、大東亜戦争などは結果はどうあれ、
次の時代の扉を開けるために避けて通れない戦い、「新しい時代への産みの苦しみ」という評価ができる。
中国史は同じところをグルグル周回している感があるが、日本の動乱は次代の発展の原動力だった
しかし、南北朝の争乱は、そのビフォア―アフターを比較して、鎌倉末期の諸問題はほとんど解決していない。 後醍醐天皇と足利尊氏は世の中をさらに酷くしただけで、日本社会の発展に全く貢献していない。
室町幕府の安定期と言われる3代義満〜6代義則の時代もたかだが50年程度であり、
大小の合戦があって全く「平和」であったわけではない。 この室町中期を「室町の平和」と呼んだ歴史学者がいたが、
鎌倉滅亡から応仁の乱終結までの150年間はむしろ「室町の動乱」ではなかったか?
 末期の鎌倉幕府がいくらグダグダだったとは言え、「鎌倉の平和」を私利私欲でぶち壊し、
その後仲違いした後醍醐と尊氏の2人は日本史上最大の糞である。
武士や庶民にとっては、鎌倉幕府があと150年続いていた方が良かったのではないか。

476 :日本@名無史さん:2017/03/14(火) 20:33:08.96 .net
戦国時代は中世から近世への過渡期であった。経済も土地制度も大きく変わるためのスクラップ&ビルドのための作業であった。 私たちが学校で習った南北朝時代は「守護・地頭制」から「守護大名領国制」への転換期とされる。
この時生まれた守護大名の跋扈が後の応仁の乱勃発⇒戦国時代到来の遠因となるわけだが、
そう考えると南北朝の争乱がそもそも戦国時代へ発展する要素を孕んでいる。
明治時代の急速な近代化が可能だったのは江戸時代の経済的・文化的高さがベースにある。
その意味で江戸時代があったからこそ明治時代の成功があった、と言える。
この【理論】を中世に応用すると、「室町時代」があったから戦国時代が到来したと考えてみたりする。 

477 :日本@名無史さん:2017/03/14(火) 21:44:00.92 .net
鎌倉幕府滅亡 即 戦国へ、という可能性もあったかも

478 :日本@名無史さん:2017/03/14(火) 22:20:21.86 .net
>>475
中世の社会なんて、平安後期や鎌倉幕府全盛期も含めて似たようなもんじゃん

諸外国……といっても古代中世近代の区分をきっちり当てはめられない地域もあるんだが、その中世社会ってだいたい同様だろ
小競り合いが多くて、安定的な平和とか存在しない

鎌倉時代が室町時代より平和だったとか、大間違いだな

479 :日本@名無史さん:2017/03/14(火) 22:27:27.58 .net
歴女
とかバカが寄ってきても困るし

480 :日本@名無史さん:2017/03/15(水) 00:00:30.70 .net
これ普通にショックでしょ?
本当なの?
https://goo.gl/oORYbN

481 :日本@名無史さん:2017/03/15(水) 00:44:15.05 .net
なんか平安時代にしろ鎌倉時代にしろ京都や鎌倉といった一部の都会以外の
日本の大部分の田舎の様子がよく分からなくて暗黒地帯のような感じで怖いんだ

482 :日本@名無史さん:2017/03/15(水) 01:11:29.21 .net
鎌倉時代はかなり陰惨な時代だろ
合議制〜得宗専制なんて一言でいうけどかなりえげつないぞ
足利義教程度を恐怖政治と言ってるがあんなの大半は頭挿げ替えただけで
別に恐怖でも何でもない

483 :日本@名無史さん:2017/03/15(水) 03:04:24.80 .net
>>481
言っても分かりやすい面白さがないからメディアで取り上げられてないだけだぜ
荘園文書やら軍忠状やら書状やらである程度の事は分かってる
もちろん地域で差はあるけども

試しに各地の自治体史を読んでみると結構イメージは変わると思うよ

484 :日本@名無史さん:2017/03/15(水) 04:38:51.29 .net
上の方で世阿弥の名前も出てたけど鎌倉時代なら西行なんか面白いんだけどね
特に最後の東の旅は興味深い
鎌倉に着いた時頼朝に会ってるんだけどその時まだ静御前が生きてたんだよね
その後東北を旅するんだけど平泉に2か月位滞在してて、察しの通り義経と被ってるんだよ
もし静御前と会ってたとしたら伝言位は伝えてたかもしれん
清盛と同い年で出家する前は北面の武士
上皇と仲良かった事を考えると芭蕉より面白いと思うんだけどな

485 :日本@名無史さん:2017/03/15(水) 11:11:09.58 .net
>>478
>鎌倉時代が室町時代より平和だったとか、大間違いだな
豪族の小競り合いが多かったというのは平安も鎌倉も室町(南北朝合体〜応仁の乱前)
は皆似たようなのはそのとおりだが、鎌倉は外国からの侵略である元寇を別にして、
承久の乱〜安東氏の乱までの100年間は大きな内乱が無い。鎌倉周辺のゴタゴタはあるが。
それに対して室町は明徳の乱や応永の乱 永享の乱 享徳の乱など大きな戦いがある。
こんな時代を「室町の平和」というなら、よっぽど鎌倉の方が平穏である。
>>476の論旨を理解できず、単に「鎌倉の平和」というワードに脊髄反射していないか?

486 :日本@名無史さん:2017/03/15(水) 11:17:38.66 .net
484訂正
>>476の論旨 ×  >>475の論旨 〇

「室町の平和」 
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b35304.html

487 :日本@名無史さん:2017/03/15(水) 16:05:15.54 .net
北条は対抗勢力が出てきそうになるとその前に潰すからね
足利は対抗勢力出てきても放置して大勢力になったところで分裂を誘い潰す

488 :日本@名無史さん:2017/03/16(木) 12:59:22.43 .net
執権よりも得宗のほうが権力があることが不思議

489 :日本@名無史さん:2017/03/16(木) 18:29:54.15 .net
>>488
天皇より治天のほうが権力があるという状態(院政)と同じだろ

490 :日本@名無史さん:2017/03/16(木) 21:13:07.71 .net
得宗のほうが年下だったりするわけだが

491 :日本@名無史さん:2017/03/16(木) 21:59:05.74 .net
藤原時平だって若くて権力者になってるんだし

492 :日本@名無史さん:2017/03/16(木) 22:03:18.07 .net
代官を任命することもある、状況によっては代官でもOkな職務なんだろ。執権職が

493 :日本@名無史さん:2017/03/16(木) 23:15:51.65 .net
得宗を漂流教室としたら
執権はまことちゃんみたいな感じ

494 :日本@名無史さん:2017/03/17(金) 22:49:55.28 .net
>>490
その場合は、内管領が摂政だよ。

495 :日本@名無史さん:2017/03/18(土) 13:27:51.74 .net
徳川は御三家など明確に分家した
北条も赤橋や金沢などに分家した
足利は鎌倉公方以外は明確な分家は無し?
出家したのに還俗して将軍になるとか、複雑で馴染めない

496 :日本@名無史さん:2017/03/19(日) 00:00:17.91 .net
足利は源氏だと自覚してただろ
今川その他も同族

497 :日本@名無史さん:2017/03/19(日) 13:44:22.89 .net
>>495
鎌倉公方と斯波(尾張足利)と、御一家(吉良・渋川・石橋)が分家だね。

498 :日本@名無史さん:2017/03/19(日) 14:39:40.91 .net
そうでなくて
尊氏が将軍になって以後の血統をひく分家は無し?

499 :日本@名無史さん:2017/03/19(日) 15:35:01.88 .net
そういう分家を作れる財力がないからしかたがないね

500 :日本@名無史さん:2017/03/20(月) 10:33:57.48 .net
>497
鞍谷公方と平島公方

501 :日本@名無史さん:2017/03/20(月) 10:53:33.97 .net
>>500
そういや、何代も続かせることができずに早期に滅んだとは言え堀越公方も分家だよなあ。義政弟の家系

最初の世代交代の時点まで続かずに叛乱消滅だし、家系と言っていいのかは疑問だけど

502 :日本@名無史さん:2017/03/20(月) 12:46:26.41 .net
頼朝→自分でやった
得宗家→まあまあやった
足利将軍家→ほとんど京観光w

503 :日本@名無史さん:2017/03/20(月) 14:45:35.98 .net
戦国後期はもう飽き飽きしたからドラマやらんでいいよ

504 :日本@名無史さん:2017/03/20(月) 15:16:26.59 .net
ドラマは視点がまったく変わらないからな
新たにわかった史実をスルー
怠慢そのもの

505 :日本@名無史さん:2017/03/20(月) 15:37:57.84 .net
2020年の大河ドラマに 「赤松政則」希望

506 :日本@名無史さん:2017/03/20(月) 19:11:00.05 .net
戦国時代やるなら新しい切り口からやって欲しい
戦国長島巨人軍を原作にするとか

507 :日本@名無史さん:2017/03/20(月) 23:31:32.69 .net
大河ドラマで南北朝やろう
主人公は北畠顕家で
最後は『義経』のときみたいに悲劇な感じで

508 :日本@名無史さん:2017/03/20(月) 23:53:56.49 .net
顕家って没年齢を考えると難しくないか

義経は1年分もたせられるギリギリぐらいの年齢だった気がする
吉田松陰が主役を張れなかったのと同様の没年齢まわりの理由で厳しいはず
親房ならともかく顕家の年齢だと話作る余地が足りないよ

歴史物三時間ドラマとかの主役張るぐらいでも苦しいほどネタがない。

509 :日本@名無史さん:2017/03/21(火) 22:59:33.88 .net
前半護良親王、後半北畠顕家ってどうだろうか。

510 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 00:25:08.02 .net
新田義貞は無視ですかそうですか

義貞って歴史的に扱い低杉 鎌倉幕府を滅ぼしや人物なのにローカル戦国武将以下の扱いだ。

511 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 00:50:16.60 .net
人気はもともと ローカル戦国武将>足利尊氏 なんだから新田となればなおのこと。
織田信長みたいなザコが大人気ってのも変な世界だよな。

512 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 01:48:10.45 .net
南北朝に人気がない理由は明確で、
それは南北朝時代そのものというよりは、「その次」の時代がグダグダだったから。

逆に、戦国と幕末が人気なのは、「その次」の時代が徳川の泰平の世と、明治日本という奇跡だったから。
乱世を超えて、その先に良い時代が現れる、っていう予感がないと
人は感情移入できないし、人気出ないわけよ。

なので、南北朝に人気がないのは、尊氏や顕家にスター性がなかったからじゃなくて(彼らは十分に魅力あるスター的な人物だった)、
実際には義満が、秀吉・家康や西郷・大久保ほどのカリスマ性で新しい時代の基礎を築けなかったから、が最も大きな理由。

513 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 01:51:08.75 .net
作られた存在にカリスマも何もないんだよ

514 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 02:15:51.53 .net
>>511
信長が人気なのは、単に、後を継いだ秀吉と家康が天下統一を成し遂げてくれたからで。
もしそうでなく、死後また戦乱の世に戻ってたら、
三好長慶とかと同じ、ただのよくある奸雄扱いだよな。
実際にやってること大して変らんし。

515 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 02:23:07.43 .net
『ボーボボ』を実写化したほうが良いんじゃないの

516 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 02:25:01.55 .net
義満に、頼朝や家康くらいの、ぴしっとした政治体制を築きあげる能力があったらな・・
って思うけど、まあそれは仕方ないとは思う。
普通の人がやったらああなるか、またはもっとひどくなる。

頼朝や家康は、現在から数百年先を見据えて政治の基盤を考えることのできる
天才的政治家なんで、むしろこいつらの方が特殊事例だし異常と言うべき。

517 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 02:49:03.01 .net
義満が具体的に何すればよかったのか?

息子の教育かwww

518 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 02:50:33.23 .net
ボボボーボ・ボーボボ??

519 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 03:06:36.21 .net
義満にできたこと

・とりあえず鎌倉府は全力で潰す。後には身分のあまり高くない(親族でない)代官を置く。
・山名みたいな大きすぎる大名は潰す。(これは実施済み)
・本拠地を京都から移す。足利まで戻れとは言わないまでも、せめて近江とか摂津とか。
・武家の勝手な任官は禁止。自分以外の武家は低い官位にとどめる。
・政治は信頼できる小大名の合議制にさせる。大勢いる大身の親族は基本、政治に参加させない。
・懲罰的国替えを多数実施。
・参勤交代を実施。
・後継者については(ここだけは後の清朝を見習って)密建制とする。


これくらいすれば安定政権作れただろう。
まあこうやってみると、いかに江戸時代の政治体制が、政治的安定を保つために
尋常でない工夫をしてたかが、よくわかるんだが・・・

江戸時代の体制は、日本史上はもちろん、世界史の中で見ても稀に見る驚異的な体制と言うべき。
黒船の来航がなかったら、徳川の政権はあと数百年間余裕で続いただろ。

520 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 09:51:05.92 .net
ボーボボの元型は井上陽水だよ

作者は否定するだろうけど、
井上陽水だよ

いや違います、他の人ですよと否定するだろうけど、
井上陽水だよ

521 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 10:09:02.55 .net
>>516>>519
義満はあれはあれで偉大だったよ。能力的には家康や頼朝と同等。もしくは上ですよ。
ただ、子孫があれだったから、幕府が結果 後世グダグダになった。
業績評価を厳しく査定するのもわかるが、時代背景(社会発展度)を考慮せず違う時代の人物、
つまり其々の環境的制約を抜きに同一に並べて論評するのも酷であろう。
頼朝の場合は政権が北条に則られているし、家康は豊臣秀長や前田利家 蒲生氏郷が長命なら天下取れたかどうか疑わしい。
あの時代って、どんな天才がやってもパーフェクトな政治体制を築くのは無理だったと思う。
その可能性があるとしたら、義満期よりも義持・義教期だろう。だから、>>517は正鵠を突いている。
義満の失敗は後継者教育に失敗したことではなかったか。そこは家康の方が格段に上だった。

522 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 10:11:35.27 .net
正鵠を得ている だな。すまん日本語下手なもんで。

523 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 11:16:47.21 .net
>>521
足利義満は義持に将軍の座を譲りながら
その弟・義嗣を溺愛し火種を作った
だいたい頼朝も嫡子相続を徹底しなかったから
頼家の代にガタガタになって源氏将軍は3代で絶えたのだし
家康が孫の家光以降は「無能でも幼児でも長男相続」
を徹底したことで江戸幕府は400年もったしな

524 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 15:47:51.14 .net
>>523
家康がハッキリと早々に弟の忠長ではなく
家光を秀忠の後継者としたことが大きいな
あそこで家康が曖昧にしたまま亡くなってたら
お家騒動が勃発して徳川幕府の権力は脆弱なものになってたかもしれない
そもそも秀忠自体が長男でないし養子に行ったとはいえ
結城秀康が将軍になっても不思議ではなかったわけだから

やはり家康は偉大だなあ
子だけでなく孫の代の騒乱の火種すら結果的に摘んでるのだから

525 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 18:47:34.43 .net
>>509
俺的には護良親王単独主人公で行ってほしいが、こちらも難しい点では大差がないしなあ

大河的には敵と戦って戦死する系って微妙な気がするし、死にざまでは護良親王のほうが大河向きな気はするんだがなあ……

>>510
最近では、新田氏は鎌倉時代を通してずっと「足利氏の庶家」扱いされてたんじゃないかという研究が出てるぐらいだ。
尊氏が後醍醐帝と争うようになった影響で新田も足利から完全に離れた時点までの期間はずっと足利家の一員として行動してた可能性さえ想起できる。
あんまり主人公向きな気がしない。

526 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 18:48:53.86 .net
>>514

いちおう信長の時点で、西は中国地方の一部と四国の一部から東は関東まで制圧済みで、秀吉家康ほどではないが、すでに一介の地方大名じゃない

527 :日本@名無史さん:2017/03/22(水) 18:54:42.27 .net
>>516
頼朝はびしっとした国家を作ってなどいない
単に関東を独立国然にしたのと朝廷との関係を良好に保ったのぐらいだ。

>>521
頼朝の子孫が義満の子孫より上等な人間だったとは思えない。
まあ、すぐ絶滅したんだけどさ。

>>524
または、綱吉が出てくる前の時点で宮将軍が成立して鎌倉幕府の二の舞になったかもな
幕府内で実際に検討されるトコだったみたいだし

528 :日本@名無史さん:2017/03/23(木) 00:23:43.79 .net
家康のすごいところは、子孫に暗君が出ることをはじめから想定して、それでも継続する政権作りを実際にしてしまったところではないか。

実際に迷君暗君あれだけ出まくって、それでもびくともしなかった徳川政権ってのは世界史的に見ても驚異だ。

529 :日本@名無史さん:2017/03/23(木) 00:30:42.18 .net
>>526
だからといって「本能寺の変がなかったら世界制覇」みたいな妄想は許されませんが

530 :日本@名無史さん:2017/03/23(木) 00:36:54.60 .net
>>529
それは君の頭の中の妄想?

531 :日本@名無史さん:2017/03/23(木) 01:35:43.81 .net
>>510
むしろ新田義貞は持ち上げられた悲劇の人という気も。
鎌倉時代の尺度では中級以下の御家人で、もともとそんなには軍事力も持たなかったはず。
尊氏が後醍醐と対立して後、義貞一家はあまり勝てていない。
さすがに短期間では勢力を築けなかったからだろう。

532 :日本@名無史さん:2017/03/23(木) 01:43:14.29 .net
>>525
その庶家論もなかなか断を下すことができないでしょうな。
新田義重の子供たちの代で

新田義重→里見

山名

と分かれてて、山名はもう新田とは別の家の扱いだったような。
新田の分家の山名がそうなら、新田の宗家が足利の庶家の扱いというのも腑に落ちない。
鎌倉時代の途中でそうなったなら、わからなくもないけどね。
武士って分裂に分裂を重ねるんで、和田が三浦の同族意識を持っていたか、相馬が千葉の以下同みたいなのは何とも。
足利宗家が求心力を持っていたなら、それは庶家の強さにもよるかも。

533 :日本@名無史さん:2017/03/23(木) 03:16:18.12 .net
・鎌倉将軍家
 暗君(だけど天才歌人。だけどむっちゃ暗君。)が出てすぐに消滅。

・北条得宗家
 名君続き。だが若干微妙な凡君が出たとたん、即座に消滅。

・足利将軍家
 普通に暗君輩出。普通に慢性的な政情不安。

・豊臣氏
 二代目が普通に凡君で、即座に滅亡。

・徳川将軍家
 普通に暗君凡君続き。でも政権はむっちゃ安泰。数百年間、内乱すらなし。

534 :日本@名無史さん:2017/03/23(木) 05:51:14.62 .net
むしろその中で言えば有能なのが三代目くらいで(二代目も?)徳川みたく将軍はアレでも家老が有能
ってこともない足利が15代。まあ実質8代か9代までだとしても続いたのは結構すげえと思う
ていうかなんだかんだで基礎を築いた頃の将軍はみんなそこそこ有能だったんじゃないか

535 :日本@名無史さん:2017/03/23(木) 07:45:03.60 .net
>>528
家光なんか幕府財政悪化の端緒を作った張本人だしな

536 :日本@名無史さん:2017/03/23(木) 07:50:13.52 .net
足利尊氏兄弟は真に足利一門を率いる源氏の嫡流って夢があってドラマ向きと思うんだけどな
家康とか源氏自称だよな
まあ源氏は平安時代から親子兄弟で殺し合うけど

537 :日本@名無史さん:2017/03/23(木) 07:53:05.77 .net
>>527
足利尊氏が京都に幕府を置いたのも、結局日本が京都中心だったからなのか?

538 :日本@名無史さん:2017/03/23(木) 07:57:35.68 .net
ゲームオブスローンズみたいなグログロ劇もあるから世界視野では人気とれそうな気もするけど、日本じゃ人気でなさそう

539 :日本@名無史さん:2017/03/23(木) 08:00:07.66 .net
>>529
信長ってバックに宣教師軍団がついてるよね?銃弾薬を豊富に供給
宣教師らは信長を足がかりというか傀儡政権にするつもりだったのかと。 CIAがビンラディンらにスティンガー豊富に与えて(山岳地帯に便利)育てたみたいに

540 :日本@名無史さん:2017/03/23(木) 08:24:59.52 .net
>>387
統一言語があったことと識字率が高いのって日本が西欧の植民地にならなかった理由でもあるよね 西欧の愚民化政策を防げれた

541 :日本@名無史さん:2017/03/23(木) 12:58:19.88 .net
父、子、叔父、っていう小さな家族関係の中で、
全く異なる種類の3人の天才を生み出した鎌倉将軍家って何なんだろうと思う。
義経は日本史上の軍事的天才の代表格みたいなもので、実朝は軟弱な文学者の典型みたいなもんだが
この二人が実の叔父・甥だったってことを考えると唖然とする。

ちなみに実朝の歌人としての実力は、なぜか日本史版では過小評価される傾向があるようだが、
実際には「日本文学史上有数の大歌人」というのが妥当な評価。


芭蕉は、弟子の木節に、「中頃の歌人は誰なるや」と問われ、言下に「西行と鎌倉右大臣ならん」と答えたそうである(俳諧一葉集)。
http://library.rikkyo.ac.jp/digitallibrary/mokichi/explain/explain_03.html

542 :日本@名無史さん:2017/03/23(木) 17:13:59.54 .net
戦国時代が舞台でも細川とか赤松とか室町幕府近辺の大名を中心にすれば今までにない
戦国大河になると思うんだ

543 :日本@名無史さん:2017/03/23(木) 19:03:13.31 .net
>>533
源実朝も北条高時も豊臣秀頼も、当人の代で滅亡したことによって暗君扱いされているわけだが、
滅亡の原因となった不適切な政治とか行動とかいうのが、近年の研究の中で、実在しないといわれるようになった。

つまり、なんらかの失敗によるわけではなく滅亡したのではないか、と言われている。

暗君と呼ぶのはいかがなものかと。


少なくとも名君じゃないんだけどさ、凡庸よりは上、水準以上の資質と行動は残してるようだぞ。


>>537
京都に拠点を置かないと後醍醐の反攻にあって自分が滅ぼされる、ってぐらいの緊迫した状況でもあったからだろ
まあ、近畿在住の武士らが強く引き留めたというのもあったらしいけど

544 :日本@名無史さん:2017/03/23(木) 23:22:14.49 .net
>>543
東條が近衛の政治を引き継いだ時点で既に詰んでたみたいなもん?

545 :日本@名無史さん:2017/03/24(金) 01:18:20.45 .net
> なんらかの失敗によるわけではなく滅亡したのではないか、と言われている。

秀頼が家康と開戦したのは明らかな「失敗」でしょ。
もし逆の立場でこれが家康だったら、少なくとも相手が病死するまで開戦はしなかったはずだ。
病死後に開戦して勝てた確率はそう高くないと思うかも知らんが、
でももし家康並みの政治力・工作力があったら、分断工作して五分の戦いに持ち込めた可能性はないわけじゃない。
開戦してからも外堀を埋めたりせず、長期戦に持ち込めば、チャンスはいくらも出てくるはず。

まあいずれにせよ、あの時点で国家安康なんてつけいる隙与えて開戦してしまったのは、
どう考えても「失敗」だよ。

546 :日本@名無史さん:2017/03/24(金) 01:47:03.19 .net
北条の場合は、得宗個人の能力と政略によって政権が成り立ってた節があるからな。
まあ、周りに本来自分より格上の御家人がたくさんいて、
その中で絶対権力握ってたんだから、恐るべき家系だよ。
逆にいえば特に有能でもない平凡な跡継ぎができたら、直ちに滅びてしまうのは必至だし、
実際にそうなった。

547 :日本@名無史さん:2017/03/24(金) 01:52:43.67 .net
>>543
政権を途中で放り出して宋に行こうなどと本気で考え、
しかも実際に船まで作っておきながら、船が動かないので諦めたような人物を
「暗君」と呼ばずして、何と呼ぶのか?

548 :日本@名無史さん:2017/03/24(金) 08:54:46.43 .net
へー、実朝ってそんな面白いエピソードあったんだ
ウィキペディアで見ただけだけどなんか好きになってきた
ぶっちゃけ頼朝嫌いだからその子のあたりもちゃんと調べたこと無かったんだよな

549 :日本@名無史さん:2017/03/24(金) 11:22:46.84 .net
暗君かあ(ちなみに中国には昏君という語もある)。
実朝は金槐和歌集を残してるので、歴代鎌倉殿ではわりとキャラクターをうかがい知ることのできる人でもある。
金槐は若死にした実朝の、そのまた20代前半までの和歌を集めたものだが、
実朝は頑固だったろうと思わせる歌も少なくない。
セレクションというよりは未定稿を並べたもののようで、似たような歌が並べらてることもある(どれかに絞る前に本人が死んだということだと思う)。
賀茂真淵や正岡子規がほめたほど素晴らしい歌人かは非常に疑問だが…
ひかえめな人なら公表はしなかったであろう歌が多く残されてるのは、実朝の人間像を考察する上での好材料になってると思う。

個人的な見解を述べさせてもらえば、頼家よりは実朝のほうが御家人からは支持されていたろうということ。
頼家は武勇に秀でていたが、乱暴な人だったともいわれる。

あと、和歌将軍というと鎌倉6代宗尊親王が有名だが、彼は意外にも恋の歌が得意だったようだ。
人情こまやかな人で、御家人の信望も篤く、大河ドラマ『北条時宗』で描かれたような野心家ではなかったと思われ。

550 :日本@名無史さん:2017/03/24(金) 11:37:22.84 .net
>>543
実朝で頼朝嫡流が途絶えたというのも、彼にたまたま男子がいなかったからと言えなくもなく、
頼家遺児は実朝死亡時に3名(1名は公暁だが)はいたんで、諸々の配慮の結果だと思う(頼家系に継がせる考えはなかった)。

>>541
むしろ過大評価でないかと思う点で、俺は日本史板住人なのだろうな。
ドナルド・キーンは、実朝が持ち上げられたのは、正岡子規が武将の歌人を称揚したかったからではないかと言ってる。
賀茂真淵は「万葉調」というわけだが。
正岡は紀貫之・藤原定家をぶっ叩いてるので、必ずしも和歌文学史を通覧して公平に評価してるわけでは全然なく、
彼なりの意向が強く働いたものと考えるべき。
土岐善麿が妙に京極為兼を賛美したのと通じるかも。

551 :日本@名無史さん:2017/03/24(金) 11:45:37.38 .net
>>546
鎌倉幕府の御家人としては北条(得宗家が?)が最高格だったらしい。
頼朝時代の扱いでは、必ずしも北条が最上位だったかは何とも言えず、
御門様(足利・平賀・山名など)とか大江広元・梶原景時が重んじられていたふしもあるが、
後の時代に比べると将軍頼朝の意向が強く働いていた(いわば独裁)とも思われるので、過大評価してはいけないとも思うけど。
得宗家の権力はそれなりにシステマティックだったと考えていいんじゃないかと思う。
時宗以降は若年の当主が増えるが、結局北条氏主流派は得宗家を中心にまとまっていたと思われるから。
高時時代に長崎氏などが特捜をロボット化し…との見方は慎重を要する。
高時を最後に滅んじゃうから、その一因が御内人に帰せられていると思えなくもない。
筧雅博は、鎌倉幕府の最盛期は最後の30年、と説く。

552 :日本@名無史さん:2017/03/24(金) 22:38:34.60 .net
>>530
ヤフーの知恵袋で 信長 本能寺の変 あたりで検索すれば妄想の山w

553 :日本@名無史さん:2017/03/25(土) 00:59:15.37 .net
もし実朝に男子がいたらどうなってたんかね?
例えば実朝が落命した時点で5歳だとする。
11歳くらいまでは政子と大江広元が生きてるので安全に保護される。

問題は政子・広元の没後だが、・・・まあ何とも言えんな。

554 :日本@名無史さん:2017/03/25(土) 01:18:35.87 .net
その実朝の遺児(×朝)が泰時とどういう関係を築くかの問題だが、
泰時の性格上、それこそ急に宋に出奔するようなDQNでない限り、
泰時はきちんと×朝を立てて政権運営した可能性が高い。
(×朝の嫁として自分の親族の娘を嫁がせた可能性も高いが)

こう考えると、河内源氏直系の滅亡ってのは、(よく信じられてるように)実朝が厨二病でDQNだったからではなく、
単に実朝の生殖能力が足りなかったからじゃないか、って気がすごくしてくるね。

555 :日本@名無史さん:2017/03/25(土) 02:27:41.13 .net
実朝に子がなく、頼家の男子は実朝殺しで誅殺されたから
頼家の娘を摂家将軍に嫁がせて、その子孫を将軍家として継続させようとしたんだがね。
結局死産したので失敗したが、せめてそこに男子が生れてくれれば話は違っただろう。

まあ鎌倉将軍家の第一の原因は実朝の性的不能、
第二の原因は頼朝の弟殺し、
三、四がなくて第五の原因が北条氏の専横、ってとこだよ。

556 :日本@名無史さん:2017/03/25(土) 02:51:01.10 .net
>>550
確かに子規はじめアララギ派は田安宗武とか微妙な武家歌人を推してはいるが、
ここで問題になるのは「武家」ではなくて(良寛とか僧侶も称揚されてるので)、
純粋に「万葉回帰」の文脈で語られるべきだと思う。

で、(少なくとも一部の)文学者にとって、万葉への回帰というのは、「文学でないもの」から「文学」へと回帰することであって、
その中の中心的人物が実朝だった、っていうのがこの流れでの見方だと思う。

たとえて言えば、アニメオタクが進撃の巨人やら君の名はやらを否定して、
初期の宮崎アニメという「純粋なセカイ系美少女」に回帰しろ、と言っているのに近い。
(わかりにくい譬えだったらすまん)

まあ、これは子規以来、日本文学界の半分を占める見方で、残りの半分は必ずしもそうは見ていない、というのも
それはそれで正しいけど、でも少なくともその半分にとってみれば、実朝はそれだけ大きい存在ってのは間違いないと思う。

557 :日本@名無史さん:2017/03/25(土) 04:50:55.97 .net
実朝も夜暗いところで討たれたけど証拠の首が行方不明らしいし
以外に宋に渡ってチンギスハーンになってたりして

558 :日本@名無史さん:2017/03/25(土) 16:04:25.18 .net
>>533
実朝は暗君ではない。むしろ名君カテゴリー。

北条高時も、足利将軍家も、豊臣秀頼も、
凡庸なだけで、暗君とまでは言えない。

559 :日本@名無史さん:2017/03/25(土) 17:29:55.16 .net
とりあえず実権を持ってるかお飾り的存在かでまず変わってくると思う
北条高時って当時のお飾り将軍の守邦親王と大して立場違わないだろうし
病弱だから長崎氏や安達氏を武力で倒そうって気力も無くやることないから
闘犬とかにはまってただけだろうしあれはしょうがない

かといって鎌倉末期は高時や守邦親王じゃなければ誰を王というか実質権力者と呼べばいいのか
よく分からんのが。
だから高時が暗君扱いになるんだろうけど

560 :日本@名無史さん:2017/03/25(土) 19:44:47.61 .net
>>48
人質とった相手におむすびコロリンで気を引いて・・・ってのは剣聖和泉守が元ネタだっけ?
映画の方も殆ど記憶がなくなってるわw

561 :日本@名無史さん:2017/03/26(日) 12:56:50.23 .net
何もしないのは暗君ではない
余計なことをするのが暗君だ

562 :日本@名無史さん:2017/03/26(日) 20:24:19.92 .net
頼朝自身、平家のやり方では駄目だと解ってただろうけどじゃどうするかというのがな
北条も足利も結局時代に流されたけど

563 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 09:15:53.50 .net
>>559
> とりあえず実権を持ってるかお飾り的存在かでまず変わってくると思う

そういう二分法で見たがる人が多いけど実際の歴史は、そう簡単には言えんのよ。

実朝は実権を持っていたか?お飾りだったか?
または、平宗盛は実権を持っていたか?お飾りだったか?って問いに一意的には答えられないし、
たぶんそういう単純な問い自体が意味がない。

逆に、「お飾り」としか見られていない摂家将軍だって、始めから既定路線で「お飾り」が決まっていたわけではなく、
本人の能力次第では実権を持っていた可能性も十分にあったはず。

564 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 09:18:01.06 .net
>>558
> むしろ名君カテゴリー。

そ れ は な い 。 (きっぱり)

565 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 09:26:47.19 .net
なんでそんな喧嘩腰なんだ

566 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 09:37:25.05 .net
いやさすがに実朝が「名君」はないでしょ。
あれだけ政子にも広元にも愛されてたし、泰時にも敬愛されてたんだから
実朝の行動力と生殖力次第では、河内源氏政権を安泰にできたはず。
つーか20代半ばで殺されたりしてなければ、子供くらい生まれただろ。

567 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 12:20:38.29 .net
>>563
頼家なんか実権握りたくても周りが許さなくてアレだもんな。
いくら親分に才覚あっても部下をまとめる人望がなければ誰もついてこないよね。

568 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 12:40:00.56 .net
まあ晋の恵帝みたいな超絶暗君は日本には存在しないが・・・

でも統治者としての治績から言っても、その結果から見ても、
実朝や義政を「暗君」と呼ばないなら、誰が暗君なんだって気はする。

569 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 13:04:18.81 .net
この坂の住人には常識だろうけど、おさらいまでに

河内源氏:源頼信の系→源頼朝、範頼(吉見)、源義家(足利、新田、山名、里見)、源義光(武田、小笠原、南部、平賀、佐竹)
摂津源氏:頼信の兄源頼光(らいこうさん)の系→源頼政、土岐、明智、浅野、尾張山田、水野
宇多源氏:宇多天皇系→佐々木氏が有名…というか佐々木氏のおかげで有名なようなもん(ほかに尼子氏など)
村上源氏:村上天皇系→久我、北畠(公家が多い)、赤松
嵯峨源氏:渡辺→肥前松浦氏

こんななので、河内源氏断絶なんてとんでもない。
足利が義家嫡流と思われてるけど、これは室町幕府ができたからそう思われてると言っていいぐらい。
範頼の吉見氏はずっと続いてて、石見吉見氏は周防大内氏の姻戚で、
大内氏は大友・伊予西園寺・土佐一条など大名家との関係が深いので、吉見は大名ぐらいの名門と扱われていたことになる。
だから、岡野友彦にネタされてる「源氏断絶」は頼朝の男系断絶か、幕府将軍家が交替しただけの話。
吉見や阿野(頼朝弟阿野全成の家)が将軍になることもなかったので(全成は頼朝没後に殺されてるので、可能性がゼロだったわけでもなかろうが)、
単に頼朝に血統が近かったことだけが重視されたわけでもなさそう(平賀氏の将軍擁立もまんざら空虚でもなかったんだろう)。
江戸時代でも、「将軍は京都から迎えたら?」って意見はあったそうなんで、幕府首長というものの意味を考えさせる。

570 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 13:15:26.38 .net
源頼家に男子が4人以上はいた(1人は比企氏を母に持つ一幡)らしいのに、
公暁没後に頼家遺児が将軍にされるでもなかったのは、
頼家が「廃嫡」されたことと関係あるかもね。
陽成天皇も、乱暴者ゆえに廃立された(殺されはせず、とても長生きした)から、その系統は後に天皇を出せなかった。

実朝に男子がいたら、特に廃立する必要があったかどうかは永遠の謎。
今に至るまで鎌倉幕府が続いていた可能性も皆無ではない。
実朝はけっこう権力を行使していたらしいので、
将軍は御家人の不満をものすごく集めるようなことしなけりゃ、相応に権力を持ち、尊敬されるものだったのかも。
藤原(九条)頼経・頼嗣父子も、吾妻鏡を読む限りでは御家人に尊敬はされていたようなので、
鎌倉将軍が本当に傀儡ロボット化されていたかは非常に疑問だ。
宮将軍で最も有名な宗尊親王は御家人に慕われていたらしい。

571 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 13:15:35.25 .net
>>569
まあその通りなんだが、でも実際に実朝の後をその吉見なり足利なり武田なりが
継いだわけではなく、藤氏の将軍と平氏の執権に権力が移ってしまったから、「河内源氏政権は一旦滅亡した」と言われてるわけよ。

572 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 13:16:38.98 .net
>>568 足利義栄は?

573 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 13:24:33.43 .net
>>570
実朝没時で生きてた男子は公暁と禅暁だけで、公暁は論外だが
禅暁も実朝殺害に加担した風で誅せられたのは恐らく、単に北条氏の陰謀。

もし実朝に男子がいたら、廃立させられる理由も大義もないし、
むしろ政子がよろこんで征夷大将軍に仕立てただろ。

574 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 13:26:42.58 .net
>>568
中国の暗君「伝説」は権力交代を正当化するために相当捏造されてることも考えられるからなあ。
夏の桀王、殷の紂王、周の幽王…全て美女に溺れて愚政をやって失墜。
太平記でも、後醍醐・護良親王・高師直は淫乱だったとされてて、新田義貞は勾当内侍との愛に溺れ足利尊氏追討に失敗(子の義興も好色だったとされる)、
これが因果応報説と結びつき、彼らの没落を説明しているとも考えられる(だから、とても南朝賛美してるとは言えないのだ)。

ただまあ、天皇は歴史が長すぎて一概に言えないが、
幕府将軍に全く無学・無教養で非文化的な人はいなかったとは考えていいんじゃないかと思う。
暴君扱いの源頼家もお経を筆写している。

575 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 13:26:44.43 .net
>>570
> 今に至るまで鎌倉幕府が続いていた可能性も皆無ではない。

これはないw

576 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 13:36:07.35 .net
>>574
桀紂はともかく、恵帝は仮に捏造やら贔屓やら中傷やらを考慮したとしても、
どう考えてもド派手な暗君であったことに疑いはない。
なので、もしあなたが「暗君」ってものそのものがほぼ捏造もしくは後世の印象に過ぎないと考えてるとしたら、
それは明らかに言い過ぎだと思う。
歴史には桀紂みたいに、意図的に中傷されたかわいそうな人もいますよね、って程度。

> 幕府将軍に全く無学・無教養で非文化的な人
つ足利義量、徳川家重

577 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 13:40:13.47 .net
恵帝は暗君界のぶっちぎり世界チャンピオンだからな
次点は恐らくジョンだろうが、正直、格が違いすぐる

578 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 13:41:41.59 .net
>>571
頼朝の血統が鎌倉時代を通じて幕閣に重視されたのもまた事実ではあるらしいんだが、
実朝の後継者にされたのは父系で連なる源氏ではないんだよな(御門葉は何だったのかと)。
だから、このころの源氏なり平氏なりがどう考えられていたかも考えないといけない。
太平記では、足利尊氏が「王氏」と言ってるんだが(巻9)、
当時の人は源平を非常に天皇と近いもんと考えていた可能性もある(一天万乗の漢意にかぶれた皇国史観に引きずられてはいけない)。
まあ、尊氏は「北条は平氏で人臣に降って長い、源氏の俺は王氏から遠くない」と言ってるんだが。
周王朝のころの中国では、諸侯はやたら周王室と同族が多く、彼らなりに支配の正当性の根拠にしてたと考えられる。
平氏は桓武天皇以降、源氏は嵯峨天皇(桓武の子)以降に天皇から分かれてるんだが、
清和源氏は源経基って人から始まってて、平将門の乱(940)で将軍に任じられたことで有名な人なんで、
頼朝のころで200年、尊氏のころで400年ぐらいしかたっておらず、
この程度なら農家でも同族意識を持つ年代期間なので、
我々が想うよりも源・平・橘・高階・中原・清原・安倍・蘇我・紀などは「天皇と同族」との意識を持ってた可能性はある。

579 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 13:44:47.28 .net
>>575
天皇制が今も続いてるなら、実朝さま、足利・徳川さまの天下が続いてたっておかしかないさ。
戦前の貴族院は旧大名家が多く、そう単純に天皇とフラットな国民になってたでもない。
吉田茂が「臣」と書いたのも「俺は民じゃない!」ということだったかも。

580 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 13:54:40.81 .net
>>576
夏・殷なんてあまりに古すぎて真実は永遠に謎なんだろうけど(ま、天皇もだけどね)、
よくウヨ?の書く「中国じゃ旧皇室根絶やし」は神話と言っていいほどで、
殷の王族は宋国(宋襄の仁で有名な、おちゃめな国)の公主としてずっと続いていた。
項羽(楚の貴族)や楚王族が始皇帝の時代にも生きてたんで、天皇賛美の捏造ウヨ神話は全く神話と言っていいほど。
で、何で中国の帝王の一族が玉座を失っても生き永らえたかは、よく「神をまつる人がいなくなると困るから」と説明される。
これは日本の神主さん一族を考える上でも参考になるかも。

徳川家重さんは意外にも頭はとても良い人だったそうで、特に将棋を好んだそうです。
大正天皇もよく頭がおかしい人と言われるけど、漢詩を大量に残す程度には知性があったんだよね。
高貴な人はとかく変なイメージを持たれるので、その辺は差し引いて考えないとね。

581 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 14:02:53.00 .net
>>580
「中国で旧皇室根絶やし」は東晋を滅ぼした劉裕に始まるものだから、
殷や楚の話を出しても反論にはならないと思うよ。

実際、劉宋以降の時代になると、もちろん数多くいる皇族を一人残らずとは言わないけど
旧皇帝の近い親族は基本、ものすごい勢いで殺されまくっている。

582 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 14:07:02.55 .net
1333位からはゴダイゴとか北朝とか幕府創設からすぐさま内乱で北斗の拳さえ思わせ得る
微笑ましさw。

583 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 14:19:43.72 .net
つーか何かにつけてウヨサヨ言う人は学問板に来るなよ・・・

584 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 15:16:37.70 .net
>>583
それだよな。
南北朝時代を話題にしにくいのは現在の皇室を持ち出す馬鹿がいるから。
題材としては魅力的なのに正閏論でかきまわされる。

585 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 15:19:02.19 .net
>>579
覇道と王道の違いってのがあってだな。

586 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 15:54:59.34 .net
>>569
摂家将軍も宮将軍も得宗より年上になると逆に得宗をコントロールしようとするので
京に追い返されてた
なんだかんだいって成人した人間を完全に傀儡化するのは難しい

587 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 18:08:00.28 .net
故・奥富敬之先生は「鎌倉幕府の御家人に族滅された家など一つもない」と書いてて
(ついでまでに言うと、吾妻鏡には一度も御恩・奉公の語は見えないとも書いてた)
族滅なんて封建以前の社会では非常にめずらしいことだったんじゃないかね?
さすがに豊臣秀吉の子孫はいないとして、これは彼の子が秀頼しか成人せず、
秀頼の子の最後がわかってるだけで(男子は死刑。女子は鎌倉東慶寺で尼僧として一生を終えた)。
北条高時・時行の子孫を称する人はいて、横井小楠がそれ。
平将門の子孫も伝承レベルではいる(マニアックな所では、小説『大菩薩峠』の主人公が称してる)。

何せアジアの貴族なんてのはハーレムでめちゃくちゃ増えるのが常で、サウジの王族は100年で10,000人以上増えたとか。
夏王朝は実在が議論されるレベルだけど、越王勾践は禹の末裔を称してた。
殷王朝の末裔は宋の公になった。
周王朝は多すぎて言うまでもないが、魯や晋→韓の王公など。
古すぎて反論にならないという点では、倭の五王と今の天皇が本当につながるかも疑わしい。
古代日本から消えていった豪族がジェノサイドで死滅したのか、伝染病で全滅したのかも謎(いや、生き残ってんじゃないの?)。
ちなみに中世土佐国の安芸氏は蘇我赤兄の末裔を称してた(天智に仕え、壬申の乱で流された)。

588 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 18:19:54.55 .net
>>586
何で鎌倉幕府の将軍さまはやたら廃立されてた「っぽい」のか、解明されてないよな。
最後の将軍様(9代目)は幕府滅亡まで鎌倉殿だったと思われるし(ならば年齢の問題ではなかったことになる)。
大河ドラマ『北条時宗』では廃立された藤原将軍父子が暗殺されとったが、
史実では、7代目の将軍様は京都に帰って60歳ぐらいまで生きた(6代目は短命だったが、別に殺されたのではなかろう)。
院政みたいなもんだったなら、廃立よりは【譲位】というほうがいいのかも。
足利・徳川・天皇が全部(天皇は判明する限り…だから奈良時代以降かね)父系でつないだのに、
鎌倉幕府の元首さまは何でしょっちゅう父系が替えられたのか、日本史最大の謎のまま残ってる。

589 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 18:44:38.03 .net
暗君…
天皇の歴史では(神話は除く)、やはり後醍醐が最高の馬鹿殿(志村けん)になるのかなあ?
ただし、彼個人のキャラクターは意外に真面目なものだったらしい(精力絶倫はほめられるべきことで、悪ではない)。
後鳥羽院は、承久記で「十全の帝王」と呼ばれ、
学才に優れ、まあ伝説レベルだけど武芸にも秀でていたらしいから、凡人と比べちゃ気の毒だよな。
天皇の歴史を追ってると「凡人が多かったんだろうな」と思えるのだけど、突出した暗君は意外といなかったようにも思える。
中国の帝王は何せすごい贅沢とセットで語られるので(これも微妙な所で、貴族の贅沢は美徳とも言える)、
天皇は「所詮その程度の田舎酋長」ということかも知れんけど。

590 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 19:07:34.95 .net
なんでこのスレ思想的に片寄ってる人多いん?

591 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 19:13:55.10 .net
今なら言える
長崎円喜は優秀

592 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 19:22:00.30 .net
天皇なんか単なる国王
TVに出ても陛下とも殿下とも呼ばず明人とか呼び捨てにしてやるわ

こう書くだけでファビョるウヨこわこわ

593 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 19:56:24.20 .net
流鏑馬って最高にかっこいい

594 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 20:09:00.70 .net
>>593
大河ドラマでもほとんど騎射は再現できないものなあ
騎射の達人はどんだけ鍛錬してたんだって話

595 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 20:26:16.47 .net
>古代日本から消えていった豪族がジェノサイドで死滅したのか、伝染病で全滅したのかも謎(いや、生き残ってんじゃないの?)。

本人も知らないような豪族の末裔が現にいたとして、
そんなのは氏族として生き残ってるとは言えない。
歴史は生物学じゃないんだから。

596 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 20:54:58.22 .net
>>595
武士はけっこう先祖を偽称してると言われる。
平安時代の連中からして疑わしいので↓、地方豪族が偽称した可能性はおおいに考えられる。

佐々木→他に有名な宇多源氏もいない
関東の平良文末裔を自称する三浦など→良文から数十〜100年以上空白になってしまう
波多野・糟屋→藤原氏を称していたが、実際には佐伯氏じゃないかとの説→前九年合戦で源頼信に従った佐伯という武士がいた
武蔵児玉党→自称藤原氏だが、全然別の豪族じゃないかとの説
大江氏→平城天皇末裔を称していたが、実際には平城の外戚で、もともと菅原と同族

通婚・養子などで近畿の有力豪族と結び、先祖をそっちにつなげた可能性もある。
これは単なる詐称と切るのではなく、昔の人が氏族や名乗りをどう考えていたかの一材料と見るのがいいかも。

597 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 20:58:52.04 .net
古代豪族たちって単に正解からこぼれ落ちて凋落しただけでジェノサイドとかはないだろ

そういうのを滅亡と呼んできただけだ。

598 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 21:01:24.05 .net
>>596
地方の豪族は健児制とかで中央に出仕するのが普通だから、当時の人々の間では系図続柄が空白となっていたわけではないのではないかな

ただ、その辺の記録が後に消滅しただけで。


将門とかでも藤原氏に仕えていたりしてるんだしさ

599 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 21:25:14.88 .net
古代だと読み書きできない人が多いから、単に何も残さなかっただけの可能性も。
日本書紀とか続日本紀でも、やはり高貴な人はよく記録に載り、身分が低い人は記録があまりないんだよね。

通婚・養子などで、好都合(つまり血統の良いほうを優先)な伝承を残した可能性も。
新撰姓氏録には1,000を超える氏族が書かれているが、あれだってどれだけ真実を伝えているか。
新撰姓氏録は皇別(天皇の父系子孫)、神別(藤原など、祖先の神が天皇と違う在来豪族)、諸蕃(渡来系)の3つに分かれるけど、
実勢力はたいしたことなかったのかも知れないけど、皇別氏族がけっこうな頭数になる点は注目してよいかも。
これだと蘇我氏も皇別なので、仮に彼らに皇位簒奪の意図があっても、後世の天皇絶対派が想うような大逆ではなかったかも知れない。
ちょっと興味深い所では、多々良という任那系豪族がいて、周防大内氏は多々良氏と百済王孫を自称してたので、ある程度真実を伝えているのかも。

話を中世につなげると、今の日本では中世武士の苗字がとても多い。
あまりに多いので(福島県一部地域が佐藤だらけ等)、全部が血族とはとうてい思えず、賜姓がおこなわれていた可能性がある。

600 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 21:53:50.23 .net
日本人の主要Y−DNAも三大別(@D1b特にD1b1a2、AO1b特にO1b2a1a1、BO2系)されるのが興味深い。
あ、歴史は生物学じゃなかったね

601 :日本@名無史さん:2017/03/27(月) 22:02:30.22 .net
>>600
まあ、新撰姓氏録なども、実態はどうか疑わしいもんだが、一応、父系原理ね。
そもそも氏姓なんてものが中国の影響を受けていると思われ。
藤原氏もけっこう源平と通婚してるんで、天皇の子孫になる仁が多い。
今の女「系」(女性ではない!)天皇問題で、男系男系いわれるのもそんなのがあるからかと。

602 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 03:00:32.69 .net
中国では基本、(六朝以降の政権交代では)旧皇室は一家皆殺しだったわけで、
日本でも平家や北条氏の末路はそれに近いように見えるが、
よく考えると日本の場合、「一家皆殺し」じゃなくて「一家心中」に近いんだよな・・

数は少ないとはいえ、平頼盛とか北条泰家とか、生き残った人もいたので
逆に言えば、あんなにみんなで仲良く死ぬ必要なかったのでは?とも思うんだが何でああなったのかね。

603 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 03:49:14.25 .net
平家についていえば、滅亡の直前まで、自分たちが本当に滅亡するとは思ってなかった節があって
(知盛なんぞは、都落ち後の流浪中にセクロスして子供産ませたりしている)、
いつか返り咲く日に不利にならないよう、最後まで帝から離れずに一緒にいたってとこじゃないか。

北条氏は一族の中で時行以下、生き延びた者もある程度はいたが
結局ほとんどが新政権側に殺されている。一緒に心中しなかったとしても、結局ほとんどが殺されてただろう。

あと悲惨なのは後南朝の皇子たちだね。皇族殺害を禁忌ともせず殺されまくっている。

604 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 03:56:43.42 .net
実際はそうだよ、一家惨殺、殺しても良いんだよ、
特別な存在なんていないから

普通に人を殺してしまった、
悪いことをしたな・・・となるだけ

保身のために、この家は特別な存在だと、
宣伝して廻った人達もいるんじゃないの

そうすれば安泰だと

605 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 04:21:08.95 .net
特別な存在だ

このようなハッタリのようなものは通用しないぞ
と言っていたでしょ

606 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 04:42:48.27 .net
日本でも天皇や皇族が殺される例もないわけじゃないが、
少なくとも大化の改新後はかなり例外的であることは間違いなくて、
特に後南朝みたいに殺されまくったのはあの時だけ。
これは、北朝方からみれば後南朝の皇子は既に皇族ではなく、
源氏や平氏と同じ、単に「皇室の遠い親戚」ってだけだという意識だったからだろう。

607 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 07:08:08.97 .net
>>603
そもそも北条氏は、しなくてもいい集団自決をしてますやん。

北条氏・安達氏共通の地盤である陸奥に逃げ込んで、5年耐えれば、
建武政権のその後を見れば、最終的に勝利することもできたよ。

608 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 10:14:02.83 .net
足利に勝てるか?
前科者だしなぁ・・・

609 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 11:54:46.24 .net
>>603
後南朝の皇子の末路を見ると、中国の王朝交代劇を連想させるね。特に魏晋南北朝 五代。
皇位さだつは一応 前帝からの禅譲という形式を取っているが、譲位後の廃帝は大概まもなく処刑されている。
こうやってみると、後醍醐天皇系→北朝系への皇統転換は「王朝交代」と言えるかもしれないね。

610 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 11:56:28.37 .net
皇位さだつ×  皇位簒奪〇  訂正

611 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 11:57:51.32 .net
>>602
>中国では基本、(六朝以降の政権交代では)旧皇室は一家皆殺しだったわけで

こりゃーはっきり数値化されとるのかね?
多くやられたが少しは残ったというなら殷王朝とあまり違うまい。
古代の天皇もずいぶんな殺戮を伴ったのではないかと思われる。
継体天皇の前は、仁徳〜数代つづいていたと日本書紀はいうのだが、
水谷千秋「男子が全く絶えてしまうとは考え難い」もごもっともな見解で、
大量ジェノサイドで根絶に追いやられたのかも知れない。
そもそも継体天皇自体が渡来系との説もあるほどで、だったら右翼は半島系を崇拝してることに?(苦笑)
まあ、日本人全員を天皇の血族とするのに無理があるように、王と民など別に異民族でもいいわけだが。

612 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 12:01:27.97 .net
後南朝ったって、殺されたとハッキリしてる人は少ない。
有名なのは禁闕の変で神璽を盗んだ(皇族のくせに泥棒w)自天王と弟だが、
これも乱戦の結果そうなったと言えなくもなく、捕らわれたら流罪や出家で許されたかも。
後南朝の多くは仏僧となって断絶したが、皇族の仏寺入室は平安時代からよくやってたことで、
後醍醐の子でも法親王はいたので、むしろ名誉の皇族待遇だったのかも知れない。

613 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 12:09:23.97 .net
>>609
北朝は主観的には「我が家こそ正統!」だったろうから…
北朝の廷臣は南朝を「偽主」と書いたのもいたほどで。
後南朝の断絶策も、南北和合の40年も後に足利義教が決めたもので、
後崇光院貞成は「恐ろしい」と他人事のように書いてる。
北朝にとって南朝は自分らの正当性をおびやかすものではなかったのではないかと思う(正平一統でも起きない限り…ほとんど可能性はゼロだったろう)。

614 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 12:12:02.75 .net
>>609
南朝が唯一の朝廷だったならともかく
北朝として現に社会的に存在していたわけだから
それは当たらんだろ。
後南朝はともかく
合一後の宮廷社会においては
小倉宮とか護聖院宮とか玉川宮とか
宮門跡でも円満院宮とか、一応皇親の列に名を連ねているわけだし。

615 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 12:19:34.14 .net
>>614
北朝(優勢な)としては南朝(劣勢の)をさっさと「回収」してしまいたかったことはわかるが、
ぶっちゃけある時点でどうでもいいような存在になっていた可能性が高い。
なぜか天皇の正当性の根拠とされる三種の神器も、
「天下のどこかにあればいい」と豪語した北朝廷臣もいたとか。
後南朝断絶策の理由は知らないけど、存続させといてもせいぜい宮家として続いてたぐらいじゃなかろうか?
後二条天皇の系統は室町中期までは続いていた。

616 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 12:22:34.52 .net
>>611
右翼が半島系だってのはよく言われること。

「血族」の範囲にもよるが、普通の日本人で天皇の(特に古代の)血を引いてない奴はまずいない。
藤原からしてごく初期に(大量繁殖する前に)敏達系の血が入ってるので、
1000年前(30世代前)の我々の先祖はのべ10億人になるのだから、
その中に、藤原某や源某、平某が一人も居ないなんてことは
よっぽどの僻地で一族婚を繰り返してた家系でもない限り、まず無い。

617 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 12:28:39.82 .net
>>615
廷臣に日和見主義者が多いのは正平一統前後の公家の動きからも分かる。
後二条系の木寺宮はむしろ「北朝の皇族」でしょ。王統でスパッと割り切れるものではない。

618 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 12:54:46.53 .net
>>617
まあ当のお公家さんにしてみれば南北朝なんて「雲の上の争い」「ご兄弟の喧嘩」で、
自分らの家業を務めることが第一だったろうからね。
どうせそのうちどっかで収まるだろうと考えてたんじゃないかな?
南朝も「後醍醐に従った大覚寺統」であって、
後醍醐の子で法親王としておそらく政争にタッチしなかった人も、
光厳天皇に嫁いだ皇女もいた(このことは、後醍醐が持明院統に配慮してた証左にもなる)。
一時期皇太子にされた成良親王も父に従わず(いや、ついていきようもなかったんだろうが)京都で亡くなった。
ただまあ、↑だけ見ても、後醍醐は公家に広く支持されていたとは考えにくく、
京都から逃亡した時点で「詰んでいた」と思えなくもない。
南朝正統論は種々の点で無理がある。

619 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 13:02:12.76 .net
>>616
まあ継体の出自や(俺は―彼の先祖は知らず、彼自身は越前・近江の人だったと思うのだけど)
崇神天皇の騎馬民族説は俺の手に負える範囲外なんで等閑視しておくけど、
昔は何より身分の別が厳しかったので、漁師だった俺の祖先と天皇が血縁あるとは考えてない。
その後、俺の祖先は農家になったのだけど、村でも家ごとの格というもんがあり(武士などハイソ出身の人はここを知らないように思える)、
農民間でも格差は厳然と存在した。
中国には黄帝・炎帝神話、朝鮮には檀君神話があり、つまりまあ天から下りてきた神様がその辺の人の先祖だって話なのだけど、あくまで神話。
保守的な田舎出身の俺は、昔の殿様と自分が血縁あるとはとうてい信じられず、身分というのはそうもんだと思うのだが、
何とも左翼的な万民平等思想を持つ右翼の皆さんは「日本の伝統」なんか無視しておられるようだね。

620 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 13:11:43.56 .net
>>619
証明が難しい話なので不毛な議論にはなるが、
皇族や貴族、豪族の末裔みんなが「千数百年間その地位を保ってた」わけはないだろう(女系からの派生を考えても)。
帰農したり手に職を持ったりは普通にいただろう。

621 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 13:38:55.22 .net
天皇は百済の王さまの子孫だと自慢げに国史に書かせてるからのー
まあ人類皆兄弟って話じゃね?棒

622 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 14:03:51.37 .net
>>620
うちの先祖は秩父平氏だから桓武に遡るが、江戸時代に没落して樵をやっていたからな。

623 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 14:05:50.97 .net
人間の遺伝子の数は2万2、3千とされるから、
ある先祖から1つずつの遺伝子を引き継いでるとすれば、
およそ15世代前(4、5百年前。戦国時代頃)より前の先祖の遺伝子は
もはや分解されてしまっている計算になる。
その頃の日本人の子孫と朝鮮人の子孫とでは
もはや兄弟ではなくなっている。

624 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 14:19:38.39 .net
>>623
うちは300年前には農家やってたから、まず天皇とは無縁だな。
王孫さまがAV女優やってようが俺には関係ない話だ。
朝比奈順子は桓武平氏で天皇の子孫のくせにカメラの前でアンアン喘いでいたのか。
汚れの家系だな天皇。

625 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 14:25:17.90 .net
朝比奈某の300年前の先祖は天皇だったのかよ。
お前なんつーか、必死すぎるぞw

626 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 14:43:07.77 .net
>>625
おいおいw
朝比奈順子は芸名だろ!www(ポルノ女優だぞ!w)
桓武平氏三浦氏の一族の和田氏に朝比奈三郎義秀がいたってオチ(そもそも三浦氏が本当に桓武平氏か疑わしい)
室町時代に駿河今川氏に仕えていた朝比奈氏はその系統とも違うとも

627 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 15:03:51.89 .net
まあ要は、
遺伝子レベルでは、近世以降の天皇と>>624さんや朝比奈さんはほぼ無関係だろうが、
血筋レベルでは、計算上先祖がウン億人いる時代の朝鮮人継体や朝鮮人桓武と>>624さんや朝比奈さんはどこかで繋がっておろう
って話やね

628 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 15:15:51.39 .net
成程。鎌倉時代、室町時代の人気がないのは、その頃の遺伝子が雲散霧消しちゃってるからなのだなwww

629 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 15:29:52.11 .net
君たち、少し一息ついたらどうか?

630 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 17:48:21.93 .net
天皇との血縁は強調されても被差別部落や隣国の民族との血縁は都合よく無視される右翼の民族論

631 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 17:50:12.44 .net
スレタイからズレてきてるな

632 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 18:03:19.33 .net
中世を院政〜戦国時代とすると、一番人気のある時代と思えなくもないんだが。
古代は謎すぎるし、江戸時代はマニア向けじゃなかろうか?
大河ドラマが戦国時代に偏りすぎる気はするが

633 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 18:46:43.70 .net
中世は保元平治からと思う。
武家の時代って区分で。

634 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 19:15:56.11 .net
>>606
北朝の人々から見ると、廃帝後醍醐以外はだれも登極していないのだから、(北朝視点で許容できる範囲として)親王宣下だけは受けた後村上はまだしも、それ以後はみんな一介の諸王と認定してたんだろうね


>>607
あの時点じゃ、建武政権が早期に滅ぶとはだれも予想できないからさ……

635 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 19:21:29.24 .net
>>609
少なくとも魏は禅譲後の旧王朝を手厚く保護してる
漢の献帝も蜀漢の後主劉禅も諸侯としてきっちり生き延びてるよ。ちゃんと長生きした。

ぬっころすようになったのって遊牧民の征服王朝以後じゃないの?
つまり五胡十六国の乱から。


後醍醐系から北朝への皇統の転換は南北朝が始まる前だぞ、転換に対する抵抗として後醍醐が吉野に逃げたけど、勢力を維持できたのは数年だけだし。

636 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 19:23:57.11 .net
>>633
それも慈円の「武者の世」ってやつで一定の説得力はあるんだ。
通説というか通俗的には鎌倉幕府の成立から新時代なのだろうけど。
鎌倉時代の起点がいつか議論が百出するのは周知のとおり。
「鎌倉幕府の権力が及ぶようになった時期」としちゃうと、幕府滅亡まで治外法権の地域もあったり。
室町時代の始まりは1336年に尊氏が後醍醐に勝ち〜とすると、同年の数か月内となる。
征夷大将軍就任では1338年。
鎌倉時代と逆に、終りがいつかは難しかろう。
足利義昭にとっては、単に京都を追われただけだったろうし(10代将軍以降はそんなのばっかで)。

637 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 19:24:57.36 .net
>>611
継体以前の天皇は後継争いによる親族内での殺し合いが激しすぎただけ
特に雄略とか武烈あたり? では、自分の地位を脅かしそうなヤツは皆殺し〜なんて感じで激しく。

638 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 19:32:43.73 .net
>>634
長慶天皇に至っては即位自体が疑問視されてたりするレベルでなあ。
もっとも長慶の子孫は南北和合後に京都に帰ったのがいたので(長慶自身は紀伊で死んだらしい)、
実在は疑う必要ないんだろうけど。

>>635
森茂暁は1348年の吉野行宮焼失が大きな打撃だったろうと説く。
四条畷合戦で楠木正行が滅んだ後に、高師直軍が焼き払った。
もっともまあ、吉野宮の規模はわからんし、南帝は大阪の住吉神社に行ったりしてるので、
南朝史の画期もまた難しい。

639 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 19:45:24.82 .net
>>635
簡単に皆殺しと言っちゃうが、実際にどの程度までやっていたかは検討を要する。
宇文とか拓跋など、北朝貴族の姓を名乗る人は今でもいる。
北魏朝廷は、そういう胡族風の姓を漢風に改めたりもしてるので、元という姓はそんな出自が多いという。
元「禾眞」という白楽天世代の詩人は北魏皇帝の末裔。
金元代の詩人、元好問もまた北魏貴族の末裔という。
水滸伝の胡延灼は胡延が姓で、こんな姓は豪傑を連想させたのかも知れない。
すごく少ないらしいが韓国に【独狐】という姓があり、これ確か匈奴貴族の姓で…あっちに行った人もいたのかのう?

640 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 19:53:11.99 .net
>>637
まあ殷周革命と同じで、前の王朝が不当に悪く描かれてる可能性は常にあり、
そもそも継体天皇が本当に応神天皇末裔か?からして疑わしいわけだから、
「革命」(この意味もずいぶん広い)正当化しとるのかもね。
まあ大和朝廷の連中なんて出自に関してはうさんくさいのばっかで(天皇も例外ではない!)、
たとえば蘇我氏も天皇から分かれた同族(武内宿禰末裔という)を称してたから、
蘇我蝦夷・入鹿が天皇になってもおかしくなかったのかも知れない。
天皇関連は、時代の都合で歪曲されてる可能性を常に蔵する。

641 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 20:34:04.74 .net
>>640
日本書紀自体には、系図一巻っていう失われた巻が最初は存在したわけで、応神五世孫とか言う出自に関する系図は本文になくてもそこには書かれてたんだろ

古代の天皇が、戦国大名と同様な感じでの政略結婚(養子入りも含む)での婚姻外交をしていたと想定するなら、
越前の豪族の元に婿入りした親族が居ても不思議じゃない。

後代なら臣籍降下とか他家とかで皇位継承権の欠片も残らない程度の遠縁だが、古代にはまだそこまで細かく区別されてなかったんだろうな

642 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 21:26:36.17 .net
【速報】何でも鑑定団で北条氏政の書状が本物と判明!

ぶっちゃけ、それほど大したもんじゃないと思うのだけど、鑑定額150万円だった。
氏政が家来の間宮氏に与えた書状が、子孫に伝わったもの。

643 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 21:39:19.66 .net
古代は傍証資料が極端に乏しくなってしまうから、けっこうトンデモに逝きがち。
日本書紀に引用されてる百済の記録も原本は失われた。
中世はそれと比べたら資料が潤沢になってくるけど、まだ未発掘の文書も眠ってはいるんだろう。

644 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 22:01:01.34 .net
>>636
平清盛政権が古代か中世かというのは難しいけど、結果から見たら移行期間と言えそうですな。
中世と近世の境目も意見のわかれるところだけど、戦乱が収まった秀吉の統一から大坂の陣が移行期間かな。
信長は戦乱収めてないし戦国の世は続いているから中世のほうだろうな。

645 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 23:15:47.98 .net
>>644
そもそも古代・中世・近世・近代はヨーロッパのとても雑な(苦笑)歴史区分なので、過度に神経質になることもw
西ローマ帝国滅亡で中世、東ローマ帝国滅亡で近世、民主化・資本主義化(英仏の、かなあ?)で近代と。

ま、さておき、日本では信長入京を近世の始まりとする説がある。
でも、信長の勢力圏は絶えず拡大し続けたわけだし、東日本は秀吉が北条氏を滅ぼすまで特に画期らしいものもない。
徳川さんの覇権、だから1600年以降は近世でいいとしても、1568〜1600とずいぶん幅がありますねw
だから、今も一般的な、奈良・平安・鎌倉・室町・江戸って中央政府の所在地での時代呼称もそれなりに正当性あるんすよね。
まあ室町は京都市の一角なんで、「鎌倉殿」みたいな「室町殿」(尊氏は違う!笑)にちなむのも妥当かなあとも。
大体、世の中ある時バッサリ急変することはなくて、江戸時代だってまだ戦国っぽい空気あったんすよね。

646 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 23:23:09.62 .net
所詮、机上で考えたざっくりとした区分。
細かく見て行けばキリが無い。

647 :日本@名無史さん:2017/03/28(火) 23:30:38.01 .net
>>646
まあ大学以上では古代とか中世で専門を分けるから、そっち方面に行きたい人には重要だろうけど、
まあ、それ以上のもんじゃないやね。
鎌倉時代(いや、鎌倉幕府史と呼ぶ方が正確だろう)の3区分

頼朝独裁(1180〜1199)
執権政治(1199〜1185)
得宗専制(1185〜1333)

はわりとマシなほうなんだろうけど、頼家・実朝(1219没)時代はまだ将軍の権力も大きかったらしく、
1285の安達泰盛一派滅亡の前も泰盛や平頼綱が権勢をふるっていたらしく、得宗権力がますます強くなったといわれ、
1285の泰盛滅亡〜1293の平頼綱滅亡までは頼綱が強権をふるってたといわれ、
「移行期」「過渡期」がやたら多いのが歴史だ!と考えるほうが正しいのだろうね。

648 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 00:18:11.05 .net
レスが怒涛のように流れ込んで誰が誰だがわからんがレスしてみる。
>>635
あい。608です。中国王朝に関してはそのとおりだす。端折って書きますた。
南北朝正閏論には深入りせず 両朝の合一、つまり後醍醐系の断絶を以て、光厳系による
皇位簒奪完了とみますた。
>>636
私めは中世の始まりを荘園公領制の完成期、11世紀末ないし12世紀初頭とする説に同意する輩です。
近世は秀吉の全国統一を始期としまーすです。
>>645-647
同意しますです。 元々 東アジアには向かない歴史区分法を無理やり当てはめるものですから、
専門家以外はあまり意味ないですね。

649 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 00:47:37.58 .net
>>639
皆殺しって言ってもさすがに男系皇族全員殺せるわけはない。ので、子孫が残ってても当然だよ。
別に趣味で皇族を殺戮してたわけじゃなく、単に
「皇位を主張するかも知れない危ないやつ(=旧皇帝及び近い皇族)はとりあえず全員殺しとく」ってことだもの。

>>581に書いた通り、この風習は六朝時代に始まるものであって、
それ以前の時代、例えば魏や晋は、>>635の言う通り、そういうことをしていない。


>>611
> こりゃーはっきり数値化されとるのかね?

数値化とかそういう問題じゃなくてさ、例えば

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E5%B8%9D_(%E5%8D%97%E6%9C%9D%E5%AE%8B)

この人の大勢の子が、何年に死んでいるか
クリックして確かめてみるといいよ。みんな同じ479年に死んでいて、暗澹とした気持ちになること間違いないから。。

他の王朝も大体似たようなもん。例外的に前皇帝を殺さなかった宋の太祖の事例が、珍しい美談として残っているくらいだもの。
唐なんかは最後に兄弟全員集めて偽りの宴会をして、その場で皆殺しだものね。


> 多くやられたが少しは残ったというなら殷王朝とあまり違うまい。

いいえ。全く異なります。
紂王の子は普通に諸侯として遇されてるわけだけど、六朝以後はほぼ、それはあり得ない
(上述の通り稀な例外はもちろんあるが)。


ていうかさ。
いい加減、学問板で、何かと言えばウヨサヨ言いたがるその癖はやめなよ。

650 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 00:51:49.11 .net
ごめん、リンクが少し変かもしれないが、
>>649のリンク先は、「明帝 (南朝宋)」ね。
もしクリックできなかったらアドレスコピペしてみてください。すまん

651 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 01:03:35.76 .net
>>648
中国の前王朝がどんぐらい生き残れたかは時の政情によるんじゃないかな?
戦乱の五代十国でも、宋王朝に帝位を譲った旧皇室(国号は周)は残った。
水滸伝の柴進はその周王朝の末裔ってネタで、これはその「美談」がよく知られていたことを示す。
旧王族というやつは、ある程度時間がたつと単なる名家になってしまう感もあり、
ゴルゴ13で「琉球王室を擁立して独立を」って自衛官が出てくるけど、
そんな現実味はほとんどないんじゃなかろうか?
だったら別に危害を咥える必要もない。

652 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 01:14:10.88 .net
>>648
ヨーロッパの×代/×世ってこういうことなんですよね。

古代 オリエント(ヨーロッパですらない!)〜ギリシャ・ローマ
中世 やっともっと細かい国々が出てくる、南欧以外も姿が見えてくる(古代はほとんど記録がない)
近世 美術史(苦笑)とからんでるとも思われ。東ローマ滅亡とアメリカ大陸到達が同時期なのは偶然。
近代 資本主義と民主制が混然一体(単純に符合するでもない)

ヨーロッパって大きな概括があり、昔のインテリの考えの反映と思うのですね。
昔の西欧インテリはラテン語とかフランス語などできて、国と関係なくコミュニケーションできたから。
で、国境もやたらめったら変遷して、ドイツとかイタリアなんか統一されてない時代が長かった(する必要あったかも疑問)。
ちなみにヨーロッパは古代ギリシャ神話の女神に由来し、これは古代ギリシャ人が自分たちの土地をヨーロッパと考えてなかったことの証左だと思います。
古代人的には、文明化された土地/未開の土地だったんじゃないでしょうか。
日本にからめると、日本書紀で朝鮮の記述は多いのに、東日本はほぼ全然ない…これも大和朝廷の見方を反映してるんじゃないでしょうか?
西の人にとって、東日本なんか今の北海道よりもっとずっと僻地だったでしょうから。

653 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 01:42:36.31 .net
あ、「封建時代」って何とも〜な語の問題もあるよねw
とかく日本で「鎌倉幕府がー」と言われるのは、ありゃ封建制度だろ→古代律令制崩壊って歴史観があって。

654 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 01:42:37.60 .net
「美談」を残した宋皇室の末裔もまた
結局、元に皆殺しにされてしまうんだから、やりきれないよな

655 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 01:45:12.28 .net
>>654
あれも元に降った南宋皇族と、崖山で身を投じた皇族もいてなあ。
中国には『崖山哀』って楽曲もあるほど。

656 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 01:49:13.85 .net
>>649
とかくウヨウヨとなるのは、連中が自分に都合よいように歴史を見るからだろ?

657 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 01:57:39.74 .net
やっべ、Wikiの洗衣院の記述、いつの間に、誰がこんなに充実させたんだよ・・・w
勃○が止まらんじゃないかorz

658 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 02:04:51.06 .net
>>656
そう思ってる時点でお前の見方自体が偏ってるってことに気づけ

659 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 03:48:33.27 .net
>>634
足利直冬も、懐良親王も、古河公方も、足利義稙も、粘りに粘ってますやん。

まあ、時代が下がっているので、早まったことをした先人から学習したとも言えますがね。

660 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 03:57:04.74 .net
北条氏滅亡の時点では、それまでの戦って、基本すぐに勝者敗者が決まってたからね。
今から見れば源平合戦みたいにすぐに決着がつく方がむしろ異常で、義経どんだけすごいやつなんだって話だけど
それしか知らない北条の人々が、もうだめだと思ってしまったのも無理はない

661 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 08:47:06.92 .net
変なのがスレに粘着してるから
人気がないんだろ

662 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 09:50:40.21 .net
それでも>>661が来たってことは意外にも隠れファンが多いことを表している

663 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 11:36:25.08 .net
天皇制廃止で万事解決
皇族も苦しみから解放される!

664 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 12:12:55.63 .net
>>662
ブログとか書いてる人はコアなファンが多いみたいだね

665 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 12:59:28.93 .net
>>238
鎌倉幕府の将軍:頼朝、頼家、実朝、頼経、頼嗣、宗尊、惟康、久明、守邦
室町:尊氏、義詮、義満、義持、義量、義教、義勝、義政、義尚、義稙、義澄、義晴、義輝、義栄、義昭

在位の長かった将軍さまは、偏諱が多いので憶えておきやすい。
鎌倉幕府は得宗家当主を憶えるほうが有意義なのだろうけど。

666 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 13:08:42.41 .net
太田道灌は…英雄だと思うのだけどなあ。
何せ関東各地で戦ってるし、最後は悲劇だし。
しかし、きっと今の大河ドラマにされたら、お寺の境内で女とイチャイチャさせられるんだろうから、
そんな汚れの道灌さんを見たくないです。

667 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 15:20:08.37 .net
ケチ付ける気はないけど西日本の人間はあんまり太田道灌には興味ないかも
西日本では一般人の知名度がおそろしく低い

668 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 15:27:55.62 .net
>>666 sexはしとらんやろう。

669 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 17:36:35.02 .net
 
歴史は前代を否定してその前々代を肯定することによって
自らの正しさを証明する論拠として利用されるから
その点で言えば、鎌倉〜室町時代は混沌でしかないから
どの世代からも否定されるゆえに地味で人気が無いのかもしれない
平成は今の世代は戦後を否定して戦前を肯定するし
明治以後戦前までを否定して江戸時代を肯定する論もある

でも江戸時代以降を否定して鎌倉〜室町時代を肯定する論は難しい
戦乱が続いたせいでもあるが当時を良しとするのは寺家勢力くらいだろうか
とはいえ、中世日本思想などこの時代にこそ日本人が見つめ直すものがありそうだ
先行き不透明な現今の情勢と重なるものがあるかもしれないから

670 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 18:22:58.17 .net
>>667
西どころか、太田道灌なんて武蔵・相模のローカルヒーローレベルかも。
上杉氏の下であちこち戦う、江戸城建設、…それも多くは後半生で、前半生は謎(ゆえに神話が生まれやすいんだが)。
江戸城の元祖(それ以前もあったかも知れないが、どうも小豪族割拠が真相らしい)なので江戸市民には人気があったが。
諱がハッキリしない(資長とも持資とも)ぐらいで、実子もいなかったらしいので、女がらみの妄想もふくらましにくい。
扇谷上杉氏の執事・家宰(山内上杉氏の長尾氏に相当)でもそんなだから、それより下位の武士についてはますますもって謎。
同時代の関東でとびぬけて有名な人でもあるので、ライバルらしい人もいない(敢えて言うと長尾氏…曽我氏?だけど、道灌に遠く及ばない)。
関東史通には非常になじみのある人だが、それ以外は名前だけ知ってるレベルの英雄。
直江兼続が、ご家老様ではあっても英雄ではないのと通じるお方かも。

671 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 18:32:17.62 .net
>>668
道灌さんは30代?にはもう道灌と名乗ってたんだったかな?
諱がハッキリしないのは初見資料でも道灌と署名してるからだろう。
北条早雲も、1432生年でなく1456誕生(下山治久説)なら、30代で「早雲庵宗瑞」と名乗ってたらしいので、
道灌も若年で出家してた可能性もあり、
鎌倉五山(建長寺・円覚寺など)無双の学者と呼ばれたこともあるので、もしかしたらもともと僧になる予定だった人?
細川政元(勝元の子で幕府管領)や上杉謙信のように一生童貞だった可能性もゼロではない(政元の場合、宗教によるものだった)。
そういう女っけのない【聖人的英雄】って、武士にすら恋愛させたがる今の大河ドラマじゃ取り上げてもらいにくいかもねえ。
北条早雲と会った?ことも考えられるので、早雲が映像化されたら登場するかも。
でも、今川家当主をめぐって対立する立場だった(早雲は甥の氏親を、道灌は小鹿範満を推していたという)。

672 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 18:38:46.32 .net
>>669
鎌倉〜室町を最短で見積もっても、1185〜1467(応仁の乱開始年)で300年近くもあり、
有史がせいぜい千数百年しかない日本史では重要な時期であり(西暦で、継体天皇が500年ごろ、聖徳太子が600年ごろね)、
これがないとその前の平安時代とその後の戦国・江戸時代がつながらない。
しかし、戦乱が多く、没落する氏族がとても多かったので、謎が多くもなってしまう
(古代の資料自体が存在しないのと違って、断片的な資料が相互矛盾したりして謎が多いのだが)。
乱世だから、武士が一番武士らしかった時代とも言えるのだがねえ。
俺は乱世の武士が好きだね。

673 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 18:54:31.10 .net
せっかくだから江戸の概史

平安時代…秩父平氏の江戸氏が進出(同族の豊島・葛西氏も今の23区内にいた)
太田道灌の時代…道灌以前は↑諸氏が多く残ってて、吉良氏が世田谷にいて、豊島氏が滅ぼされ、千葉氏当主が逃げてきたり、勢力図が変わる
後北条氏の時代…北条氏が江戸周辺を押さえるのは氏綱のころ
徳川以降

江戸・東京の歴史は、太田道灌と徳川によって大きく3つに区分できると言えるほどで、道灌前はさほど大きくない豪族が割拠してるに過ぎなかったと思われ。
ただし、品川・浅草は都市にはなってたらしい。
道灌後の江戸城は、扇谷上杉氏当主(関東管領)が居住してたり、後北条の江戸城代が詰めていたりと、江戸の存在意義が非常に大きくなった。
里見八犬伝にも江戸の話が多い。

674 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 19:06:10.13 .net
>>649
六朝時代という言い方だと魏や晋も含むだろ。六朝時代後半に始まるとか六朝時代の華北(遊牧民エリア)で始まるとか、そういう感じの指定を付けないとデタラメ化する。
あと、隋は簒奪で滅んだわけじゃない影響もあってか、(叛乱軍による放伐ってとこかね?)
その敵討ちをした形になってる唐で積極的に滅ぼされたりはしてないんじゃないかなあ。

唐の時代には、隋以前(北魏以降)の有力氏族はだいたいが有力者として残ってる気がする。

>>648
>つまり後醍醐系の断絶を以て、光厳系による皇位簒奪完了とみますた。

傍流の後醍醐系が簒奪されるってのもおかしな表現。

>>665
守邦と尊氏の間にもうひとり将軍がいなかったっけ?
鎌倉幕府でも室町幕府でもない宮将軍さ

675 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 19:18:50.14 .net
>>665
あー護良親王が征夷大将軍になっとるよ。
1333年の5月に北条氏滅亡、6月に護良の将軍就任、9月には解任されたらしいが。

後醍醐は傍系とは言っても、大覚寺統に序列をつけると(1)後二条天皇系(2)後醍醐(3)また別の亀山天皇系(これは天皇を出していない)だろうから、
一応、二番手の嫡流ではあった可能性(1位と2位じゃ天地の差がある気もするが)。
南北朝の分裂は公家の当事者にも何とも困るものだったらしく、神皇正統記を読んでも、北朝を偽物とまでは言えなかったんじゃないかと思われ。
ただし、北朝の公家に南朝を「偽主」とまで書いた人はいた。
今谷明先生は中世天皇(院もだろうね)の要件の1つに「京都にいること」を言ってた。
南朝はもうある時期以降は「田舎の宮様」の域を出なかったんじゃなかろうか?

676 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 19:40:33.84 .net
>>673
扇谷上杉氏当主が関東管領になったことはありません。

677 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 19:53:55.65 .net
>>675
後醍醐天皇の皇太子だった後二条天皇の皇子・邦良親王は
後醍醐が在位中に20代で死んでいるからな

邦良親王の弟である邦省親王は自身を代わりの皇太子にするよう
鎌倉幕府や続く室町幕府に手紙を送ったものの相手にされず
後二条系は終わった

678 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 20:10:32.20 .net
>>667
東日本でも同じだ
信長秀吉家康しか知らないアホが増えた

679 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 20:16:23.24 .net
>>676
両管領とは呼ばれたことはあるよね。
上杉氏は関東での活躍が一番有名だが(謙信しか知らないなんて言わないで〜)
嫡流は京都にいた八条上杉氏でないかとの説もある(湯山学)。
まあ、長男絶対でもない時代だから、嫡流・本家・惣領なんてどうでもいいのかも知れんけど。
扇谷家は永享・享徳の大乱のころに急速に歴史に浮上してくるよね。
道灌の父・道真(どうしん)は長尾景仲と並ぶ「無双の案者」と呼ばれたとかで、
犬懸家の穴埋めのような感もある。

680 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 20:28:54.40 .net
>>677
後二条・邦良と短命な当主が続いたせいもあるのかなあ?
クニミさんは長生きしたのに、勅撰集にちらほら載ってるぐらいなのは寂しいねえ。
もっとも邦良の子康仁がいた以上、クニミもそうやすやすとは天皇になれなかったろう。
後二条流は後醍醐逃走後も京都に残ったんで、彼らが天皇になれなかったのは気の毒だね。
康仁以後の大覚寺統が天皇になることはなかったけど、もしそれが辞退したのだとしたら、
これで両統迭立(分裂)は決着がついたということだったのかも知れない@京都

681 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 20:31:02.46 .net
>>678
ちょっと嘆かわしいもんがあるよな。
どの時代、どの人が人気かは時代によるとはいえ…
大河ドラマも戦国後半期ばかりではヘキエキしてしまう。

682 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 20:55:19.61 .net
>>681
とりあげかた次第ではどの時代も面白いんだけどねぇ……
南北朝なんか見ごたえあるんだがな。

683 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 21:02:08.29 .net
地侍なんてこの時代が・・・だろ?

684 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 21:12:46.11 .net
>>682
歴史通レベルになると、どの時代も面白くてたまらんのだよな。
足利義持の時代、つまり室町幕府が最も安定してたころでも「この管領は実力者だな」みたいな。
そう考えたら、蒙古襲来より鎌倉幕府内紛が多かった『北条時宗』は頑張ってたと言えるかも。
でも映像活劇となると、徳川家康みたいのが好まれるんだろうなーとは。

>>683
何時代の話かちっともわからん『七人の侍』とか『どろろ』も面白いには面白いんだがなあ。
『花の乱』の骨川道賢なんてスネ夫の先祖みたいなやつとか、歴史通には魅惑的な人物ではあると思う。

685 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 22:30:59.21 .net
鎌倉時代て粛清、一族皆殺しの連続で陰鬱なイメージがあるお。

686 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 22:40:36.72 .net
>>675
北朝を偽物呼ばわりしてるのはイデオロギー系のあれな人たちだけだよ
南朝正統論を看板のひとつに掲げてる宗教系イデオロギーの信者たち以外は北朝を偽物とか言ってない

687 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 22:49:44.92 .net
上流階級は陰鬱だろうが、一般庶民は関係なかったろうな。
今と同じじゃないかな?

688 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 23:01:24.39 .net
>>687
いやー生きるのが大変だったと思う
>>685
武士の世界で粛清は常だが、鎌倉幕府は特に内紛が多かった印象(ほかだと奈良以前の朝廷)。
梶原、比企、畠山、和田、伊賀、三浦、毛利、千葉、安達、そして最後に北条と、宿老がどんどん敗北していく中央政府って…
よく鎌倉幕府・鎌倉時代は「過渡期(の政権)」といわれるけど、
未確立なことが多かったのかなーなんて。

689 :日本@名無史さん:2017/03/29(水) 23:05:07.53 .net
>>686
いや、そもそも本当に皇室に忠誠を誓うなら「雲上の争い」に口入しちゃ変でね。
特定イデオロギーで歴史を政治利用してると自分で言ってるようなものだね。

「偽主」論に関しては、北朝廷臣の立場としては、南朝を認めるわけには行かなかったんだろうとも思う。
一天万乗の君って、まず何より直にそこに仕えてる公家にとって重要なんでね。
朝廷とはまたよその家=幕府に属する武士だったら「知ったことか」で済ませられたろうけど(幕閣レベルはまた別)。

690 :日本@名無史さん:2017/03/30(木) 00:34:03.68 .net
>>687
> 今と同じじゃないかな?

何年かに一度大きな飢饉があり、住民の数〜数十パーセントが餓死し、
息子は結構な確率で戦に狩り出されて惨めに戦死し、
娘は結構な確率で夜盗にレイプされたりする世界が、今と同じ?

691 :日本@名無史さん:2017/03/30(木) 00:39:29.30 .net
ハイチとかソマリアとかなら

692 :日本@名無史さん:2017/03/30(木) 01:46:59.53 .net
昔は武士より農民のほうがよっぽど凶悪だったんじゃないかと思うこともある。
隣村皆殺しにするぐらい何とも思ってないレベルで。
領民同士の衝突が領主の戦争につながってたこともあるのじゃないかとも。
昔はマジで民族も糞もなかったろうね。

693 :日本@名無史さん:2017/03/30(木) 10:41:37.54 .net
「女が一生のうちに一度以上レイプされる確率」ってのがもし統計的に取れたら、取ってみて
「歴女」たちやら糞大河ドラマのプロデューサーやらに示してやってみたいな。(実際には統計データないから難しかろうが・・)

まあ今の世の中、女がどれだけ男に守られてるかってのがよくわかるだろう。

694 :日本@名無史さん:2017/03/30(木) 10:48:00.54 .net
「男が戦死する確率」はどれくらいのものかね?
日本の歴史では、例えば治承・寿永期とか南北朝期だったら10%くらい、だろうか?
戦国時代にはもっと大きくなって、江戸時代には(打ちこわしとか一揆くらいしかないので)1%未満まで下がって、
第二次世界大戦時に突然、史上最高まで上昇して、今はほぼゼロ、ってとこかね。

695 :日本@名無史さん:2017/03/30(木) 10:58:26.24 .net
N:男が一生のうちに戦に狩り出される回数(全日本人平均)
x:一回の戦で戦死する確率

とすると、

「男が戦死する確率」X=1-(1-x)^N

で計算できるわけだが、仮にN=5回、x=2%とすると、Xは10%くらいだね。
まあ南北朝時代とかは、きっとこれくらいなものか。
鎌倉幕府滅亡前までの時期は、もう少し低かったかも知らん。

696 :日本@名無史さん:2017/03/30(木) 11:30:31.56 .net
「女が生涯のうちに一度以上レイプされる確率」は、昔は50%くらいかね?
今は1%未満でしょう。

697 :日本@名無史さん:2017/03/30(木) 12:12:51.32 .net
>>696
昔もそんなにレイプされてるわけないじゃんw
昔だって娘がレイプされたら娘の親兄弟から半殺しにされて
村八分で追放だよw

698 :日本@名無史さん:2017/03/30(木) 12:14:20.28 .net
>>674
> あと、隋は簒奪で滅んだわけじゃない影響もあってか、(叛乱軍による放伐ってとこかね?)
> その敵討ちをした形になってる唐で積極的に滅ぼされたりはしてないんじゃないかなあ。

それはちょっと違うと思う。宇文化及が煬帝を弑し、(慣例によって?)皇族をことごとく殺戮しまくったわけだが、
宇文化及は長安を奪取できず敗死。
長安に残っていた煬帝の孫が3代皇帝となり、この子は唐の太祖(李淵)に禅譲した後、(慣例の通り)殺されている。

ちなみに隋から禅譲された時点で李淵・李世民の勢力は、全国に割拠する群雄の一つに過ぎず、
李世民は敵対する勢力を全て滅ぼし、その全ての指導者を殺している。

Wikiにもある「隋末唐初の群雄の一覧」でクリックすると、
数十人もいる「群雄」たちのうち、最終勝者の李世民を除いて全員が「殺害」されていて、
これまた暗澹たる気分になる。

699 :日本@名無史さん:2017/03/30(木) 12:23:20.02 .net
>>697
よくわからんが、レイプって村の中の人だけからされるもんだと思ってるのか?
まあ普通に考えて、戦乱の世だったら、一度くらいレイプされた経験あるのは普通だったろうね

700 :日本@名無史さん:2017/03/30(木) 13:13:27.66 .net
何度も何度もレイプされた人もいただろうから平均とるとそんな感じかもね

701 :日本@名無史さん:2017/03/30(木) 13:18:51.96 .net
人間のもつエロの力ってもんをみくびっちゃいかんよ。
現代の女で、槍珍にヤリ捨てられた経験をもつ女ってどれくらいいるの?って考えたとき、
ちょっと考えるとヤリ捨てなんてそんなないんじゃない?って思うけど
実際には、共学の大学通って容姿並み以上であれば、普通一度くらい誰かにヤリ捨てられてるだろ

702 :日本@名無史さん:2017/03/30(木) 14:51:07.07 .net
>>699
日本の長い歴史で戦乱があった時期ってそんなに長くないと思うが

戦乱の時には兵隊の統率が取れていないので合戦に出たら敵を殺すよりもまずは
その辺の農家へ行って物品を奪ったりレイプすることに専念していたと
妄想しているわけかい

703 :日本@名無史さん:2017/03/30(木) 23:30:35.28 .net
> 日本の長い歴史で戦乱があった時期ってそんなに長くないと思うが

保元・平治の乱から元和演武までの間、日本の歴史はずっと戦乱続きだったわけだが?・・・

704 :日本@名無史さん:2017/03/30(木) 23:33:15.59 .net
すまん
×元和演武 ○元和偃武 ねw

しっかし数百年ずっと続いてきた戦乱を、本当にピタっと止めてしまった徳川氏って改めてすごいよな

705 :日本@名無史さん:2017/03/30(木) 23:49:07.76 .net
もっと凄いのがマッカーサーだが

706 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 00:03:40.45 .net
>>698
「隋末唐初の群雄の一覧」全部クリックしてみたが、
唐に帰順して生きながらえた人も、全くいないわけじゃないね。

郭子和
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%AD%E5%AD%90%E5%92%8C

丘和
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%98%E5%92%8C
(この人は独立勢力として天下を目指したわけじゃないから、ちょっと違うかも知らんが)

皇帝を称した人は、さすがに必ず李世民によって殺されているようだが、
郭子和の例をみても、帰順する人を全て殺す方針だったわけではないようだ。

しかし結果として、敵対する人をほとんど殺さざるを得なかったわけだからまあ、大変な時代だね。

707 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 00:14:49.31 .net
庶民史がほとんど闇の中なのも中世史の哀しい所だね。
蒙古合戦の時、俺の祖先が日蒙どっち側だったのかもわからんわ。

708 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 00:18:05.00 .net
>>707
> 蒙古合戦の時、俺の祖先が日蒙どっち側だったのかもわからんわ。

応仁の乱のとき西軍・東軍どっちだったかならわかるのか?

709 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 00:18:35.14 .net
偉い人ってあんま数は要らないから、出家させるのもある種の殺人とも。
全然子孫の伝わらぬ何ちゃら天皇一族も…なのかなあ?
ま、ウヨ(笑)のいう民族全滅も信じられないが。

710 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 00:19:36.51 .net
>>709
お前確信犯だろ?さすがにもう飽きた。

711 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 00:23:01.66 .net
自分の母親の父系の先祖(変な言い方だが、まあ先祖の一人であることに違いはない)は
関ケ原で東軍だったことが明確なんだが、でも父方の本当の父系の先祖はわからない。(たぶんどっちでもなかったと思う)
っていうか母系父系含む「先祖」ってことで言えば、ほぼ確実に西軍・東軍両方いるはずだろ。
蒙古襲来時に敵方にいた先祖が一人くらいいてもおかしくない。

712 :706:2017/03/31(金) 00:28:20.10 .net
>>708
戦国以前で祖先の資料が存在する人はそれだけで名家だろ?w
俺の知る、最古の直系父系先祖は300年ぐらい前の農家。
没年、苗字、法名、後に世襲された通称(〜衛門みたいなやつ)まではわかる。
本家はもう少し前までさかのぼれるが、↑の数十年前に没した当主の法名は墓碑にある。
これが庶民の現実で、せいぜい「中世から村にいた」がわかるぐらいで、当然個人名など望むべくもない。
俺の直系先祖は、「戦国時代には村にいたかも」という推測と、伝承が限界。
近くの村の知人は鎌倉時代から農家やっとるというんだが。

室町時代になると、寺に庶民の名を伝える資料が出てくるようにはなるとか。
もっとも、武士でも、特に女は諱がわからんことが多い時代ではある。

713 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 00:32:18.59 .net
>>711
火曜の開運何でも鑑定団で後北条に仕えた間宮氏の子孫の遺品が出てたね。
先祖が武士とか天皇とかわかるなんて、それだけで大した名門よ。

714 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 00:33:15.03 .net
現代の一般的な日本人は、明治〜大正時代くらいまでは何とか遡れるけど
それ以前は伝承の域を出ず、一切不明、って感じだよね

715 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 00:38:15.82 .net
江戸時代までは、あれだけ武士たちは血統を気にしていたし、
その子孫もたくさんいるはずなのになあ・・・結構みんな忘れてるんだよね。

以前、知り合いに足利氏の著名な分家の苗字を名乗る女の子がいて(結構かわいかった)、
普通にある苗字じゃないので、君の先祖何なの?って聞いたら
いやよく知らないし興味ない、って言われた。。。もし彼女が本当に○○家の末裔だったとしたら、
今頃先祖は草葉の陰で泣いているだろう。

716 :706:2017/03/31(金) 00:48:31.21 .net
>>714
幸い、俺の先祖は江戸時代には農家やってて(江戸時代に武士だった家はない)、
同族が今も村(祖父の故郷)にいるから、
古い家で江戸時代初年、遅いのでも江戸時代後期にはその村にいたことがわかる。
ただ、江戸時代に没した祖先は個人名がわからん。
何でかというと、家の当主が同じ名を世襲してて、女は法名が伝わるのみ。
うち浄土真宗なんで、戒名じゃなく法名っていうらしいんだね。
個人名=明治政府に登録された名がわかる最古の直系先祖は今から200年ぐらい前に産まれたジジイ。
その祖父は先妻と後妻がいて、俺は先妻の子孫だが、先妻は江戸時代に死んで個人名未詳。
農家ルーツの人は「祖先は××村にいた」ぐらいしかわからんと思う。
新選組の土方歳三の祖先は後北条に仕えた武士とかで、記録があるというから、それだけで名門なのな。

農家・商人・職人などは当主が同じ名を世襲してたことが多々あったようで、
無論、個々人の名もあったとは思われるが、その襲名だけ伝わることも多いようだ。
江戸時代の俺の親族は「△×郎」(×に数字が、△にまた何か別の漢字1字が入る)が多かったようだ。
武士でも、朝日重章(鸚鵡籠中記の著者)の家は当主が重左衛門/嫡子が文左衛門を世襲(家督を継ぐと通称も変わる)、
土佐藩の武市瑞山(諱:小楯)の家は当主が一代おきに半平太を称したという(だから瑞山の祖父も半平太なんだろう)。

717 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 01:00:15.43 .net
>>715
僕の知人にもいた伊藤、渡辺、斎藤、加藤、三浦、和田、千葉、畠山、後藤、土屋、梶原、安西…あいつら武士の子孫だったのかなあ?笑
今列挙した苗字はルーツ(地名)がわりと限られると思うけど、全員が同族ではないんだろうね。
ねらーは天皇・源・平(これ同族ね)、藤原氏、果ては漢の皇帝や百済王の子孫もいるそうだが(あくまで本人談)、知ってるだけでも偉いと思う。

718 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 01:03:45.54 .net
>>717
あのさ、
「普通にある苗字じゃないので」って書いたじゃん?伊藤とか渡辺とかいうよくある苗字じゃない、って書いたつもりだけど?
そうやって、人の発言を茶化して楽しい?

719 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 01:16:45.33 .net
>>718
足利の分家も多々あれど、斯波は珍奇かも知れんが、細川や吉良はいくらかいそうだ。
もっとも、斯波・志和と称した人はそんなには多くなかったんでないかという気も。

渡辺は平安時代の渡辺綱に始まる大名門だぞ?
よくある苗字はルーツがけっこう偉い人だったりするのだ。あなどるべからず。穴掘るべし。

720 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 01:23:03.01 .net
>>719
まあ個人バレしないとは思うから言うが、その斯波さんだ。
紛れもなくそう名乗っていた以上、本当にあの斯波氏の子孫である可能性はそれなりに高いと思うが、
まあ本当のところはわからない。

> 渡辺は平安時代の渡辺綱に始まる大名門だぞ?

別にそれは否定しないけど、でも知り合いに渡辺君がいたとして、
その人に「もしかしたら君、嵯峨源氏の末裔?」とか聞かないでしょ?
そういうのとは全く別の話をしてるつもりなんだが。

721 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 01:23:39.81 .net
>>716
うちも浄土真宗だから過去帳で江戸時代初期までは遡れる
山奥の百姓だから遡っても意味がないけどw
>>716さんみたいに同じ名を世襲してたら残念ながら過去帳があっても無駄だね
珍しくもなく、たまにある苗字だけど、屋号は変わってる

あとちなみに父親の田舎は中国山地の山奥なので
「うちの田舎って平家の隠れ里なんだぞw」って笑いながら言ってた
冗談のつもりなんだろうけど面白くねえw

722 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 01:48:24.29 .net
明治になって先祖が名家の苗字を勝手に付けたとしても
子孫には全く責任はないよね
田安家の当主が本に「徳川という苗字で電話帳に私が知らない人がいるけど
別にいいですよ」って嫌味たっぷりに書いてたけど、子孫は苦労してそうだ

723 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 01:49:48.85 .net
足利とか斯波とか新田とかって
江戸時代は(世を忍んで?)別の苗字名乗ってたけど、明治維新後に元の足利や斯波に戻したりしてるんだよな。
尤も(喜連川)足利家はそのおかげで、戦前は逆賊の末裔っていじめられてたみたいだが。

724 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 01:52:32.08 .net
>>722
あなたの先祖だって新田末裔の名家の苗字を勝手に名乗ってたのに何を仰るって感じだね。

725 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 02:00:33.69 .net
>>722
蓮舫なみのブーメランだなwww <田安家当主

726 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 02:02:38.99 .net
>>723
ここは日本史板だから関係ないかもしれんけど
東洋史の泰斗宮崎市定が友人の中で一番高貴な血筋だって
喜連川の当主のことを書いてた
学者つながりらしい
同世代だしね

727 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 02:09:17.83 .net
せっかく復姓した喜連川足利氏も、後継ぎがなく断絶したんだっけね。
もったいない話だ。

728 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 02:17:20.58 .net
改姓って簡単にできるんかね?それとも、明治のその時代だからできたの?

もしできるのなら、世の中の佐村河内さんや小保方さんは、きっと今みんな改姓したがってると思うんだが。

729 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 02:33:05.76 .net
足利一門でも斯波は特に特殊で独特な家なんだよなあ。
細川・仁木(岡崎市)、吉良・今川(愛知県)、渋川(群馬県)などは←で概括するのが一般的だけど。
斯波は太平記では「足利高経」などと斯波では呼ばれず、斯波家長が「志和三郎」と書かれてる。
で、(太平記の話じゃないよ)一般に大崎・最上はそっちで概括することが多い。
たしか鎌倉大草紙では、三管領家が武衛・細川・畠山と、斯波だけ官職名で書かれてた。
つまり、斯波氏は後世の俺たちがそう概括してるだけで、室町時代はややこしい家だったと考えられる。
斯波の由来は陸奥国紫波郡(岩手県)というが、ここが名字の地なのも不思議な気もする。

武士の苗字は分裂・多様化するのが常だったけど、時代を下ってから子孫が昔の苗字に復した例もある。
尼子→佐々木、正木→三浦など。
三浦、佐々木、千葉などは、そんな「復氏」が多かったのでないかと思う(今の法律用語「復氏」より広い意味で)。
足利とか今川は、特定の家(将軍家、関東公方家、駿河守護家)だけがその苗字を使ってよかったとか。
楠木正成一族も、室町時代以降は名を憚って別の名を称したとか。

730 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 02:36:24.37 .net
>>721
江戸時代に死んだ先祖は法名と、当主の襲名しかわからんね。
だから、いや特にどうって家じゃないから、俺個人レベルでは各人は法名で呼んでる。
まあ、庶民なんか一生で何回署名したかレベルだろうからねえ。
読み書きできない商人なんかどうやっていたんだろ?

731 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 02:45:06.09 .net
>>722
ある本でチラ読みなんで流してくれていいが、明治の世になって、
東京府(東京都になるのは戦中)の徳川さんは半分が将軍家の関係者で、
残り半分は全然関係ない家が勝手に名乗ったのだとか。
>>723
新田もまためちゃくちゃ多く分かれてなあ。
室町の世で最も有力だったのは山名と岩松だろうが(里見はちょっとわからない)、
山名・里見・岩松なんか新田宗家(義貞の家ね)とはもう別の家と意識してたかも。
義貞一族没落後、岩松が新田庄の支配権を…要するに新田宗家の扱いになるけど、
父系では足利(の中の畠山)の一族なんで、義貞なんかより足利を近い親戚と思ってたかも。
>>724
松平信光が「加茂信光」と署名したことと葵のご紋から、松平氏はもともと賀茂氏じゃないかって説もあるね。

732 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 02:52:41.39 .net
>>726
俺も、八幡太郎義家の子孫を名乗る知人はいる…が、疑ってるやつもw
>>727
まあ、将軍家・関東公方家・阿波公方家を探せば、誰か当主できるんだろうけどねえ。

>>728
昔と今での難易度の差はわからんが、今の日本で改姓できるかは裁判所が権限を握ってる。
一応は法治だが、相当な人治とも思えなくもない(↓例)。
沖縄県は独特な姓が多いが、過去に先祖が本土風に改めたんで旧に復したいと訴えたが却下された事例が本に載ってた。
日本の姓・苗字はなかなか複雑なので、現行制度はちょっとどうかと思ってる。
そもそも結婚で変えるものなんですかね…?

733 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 02:55:51.58 .net
>>731
岩松はまさに維新後に「新田」を名乗ってる家なので、
喜連川と同じく、自分たちが新田を代表すると信じていたと思われる。

でもまあ岩松の場合は、自分がどう思ってたかはともかく
外部からは、必ずしも新田宗家と思われてたかはかなり微妙なところで・・
そもそも徳川氏の世に「新田宗家」などを名乗れるわけもなくて、
誰もが紛れもない足利と見做していた喜連川とは異なる、微妙な事情が色々あるね。

734 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 03:13:41.49 .net
>>733
新田氏もまた「新田義重の子孫を概括してるだけ」とも言えてねえ。
岩松が宗家ってのも、室町時代の、特に関東ローカルでの話だよね。
実態としても山名のほうがずっと格上って感じだったかも。
岩松も関東管領上杉禅秀の姻戚だったりはしたけど。
室町の代ともなると、山名・里見なんか完全に別の家だろう。
それどころか鎌倉時代いっぱいもどうだったのやら。
山名は頼朝御門葉とされ(新田義重・義兼父子は御門葉ではない)、新田宗家よりずっと裕福だったかも知れず。
足利は宗家の格が高かったから一定の求心力を持ったろうが、
新田なんて、三浦一族にとって遠い先祖の「村岡五郎」みたいなもんで、ブランド力がどれほどあったことやら。
三浦氏にとっては、「三浦」が一族の標章であって、村岡なんか全く知らんやつも多かったろう。

735 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 03:32:36.10 .net
斯波の子孫(の一人)は、三菱重工の社長をやっていたそうだ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%AF%E6%B3%A2%E5%AD%9D%E5%9B%9B%E9%83%8E

維新後に足利や新田の諸家が昔の苗字に戻したのは、やはり徳川幕府に抑圧されてたって意識があったのかね。
あれだけ北条得宗家の末裔を信じてた横井小楠の家なんかも、維新後北条に戻しても良さそうだった気がするんだが、
そうはしなかったみたいだ。

736 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 03:38:36.67 .net
>>728
あ、日本前近代史オタには常識だが、正確には尼子→佐々木みたいのは改「姓」ではない。
氏と姓の使い分けはこれだけで小論文になるほどなんで割愛するが(半端な古代史通が想うほど単純ではない)、
姓ってのは源・平・藤原・菅原・大江・清原・中原・蘇我・佐伯なんかのことで、
本来、父系を示すものなんで、結婚でも養子入りでも変わるもんじゃない(中国の影響も考えられるね)。
源頼朝正室は「平政子」(実家の北条氏が平氏だったため)。
だから、畠山氏は、重忠は平氏だったのでそっちは平姓畠山氏、その後を継いだ義純は足利一族で源氏なんで源姓畠山氏という。
足利氏も2つあって、藤原秀郷系は藤姓足利氏という(源姓足利氏とは聞かないけど、藤姓が没落したからだろう)。
もっとも、室町時代にはその父系原理もいいかげんになってきていたようで、

上杉(藤原氏)→三浦氏(平氏)

に養子入りした三浦義同道寸入道は「平義同」とか「平道寸」と署名してたらしい。
細かいこと言うと、義同のお父さんが上杉高救(扇谷家)で、高救が三浦に養子入りしたらしいのだが(それでも父系は藤原氏だ)。
まあ、室町時代に上杉家から養子入りした人が当主だった佐竹・三浦は、「上杉の同族」って意識はあったろうけど。

737 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 03:51:07.66 .net
>>735
大久保利通の子孫はロッキード事件の時の丸紅の偉い人だったっけ?

いやー復氏に関してはケースバイケースじゃないかと。
足利ぐらいになるとおいそれと名乗れなかったかも知れんけど、新田なんて問題にならなかったろう。
同音の仁田なんて武士もいて(今も仁田忠常の子孫は伊豆にいるとか)、コッチ系が新田と書いた可能性もあると思う。
そもそも新しい田畑って意味で、珍しい地名でもなかろうからね。

北条は、もともと土地区画だから、鎌倉幕府執権一族以外にもいたと考えてよかろうし、
越後の北条(きたじょう)氏も語源はそんなもんで(これは安芸毛利氏の同族)、
鎌倉北条氏だけでも鎌倉時代に1,000人を超えたとかで、あまりありがたみのない苗字と思われたのかも知れない。

ちょっとマニアックな話では、下総千葉氏の同族・東(とう)氏(東ノ庄が語源なんでそう読む)は、
室町時代に遠藤氏によって美濃国郡上から追われてしまうんだが、
その遠藤さんは苗字を東(とう)に改めたとさ。
「遠藤は藤原氏だろ!」と思いましたw

738 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 03:54:06.30 .net
>>736
姓の父系は初期のころだけで、後の時代になるとかなり怪しいでしょ。
西園寺公望は父系では皇胤だが普通に藤原氏を名乗っていて、
そこに疑いを挟む人もいなかったはず。むしろそこで藤原氏以外のものを名乗ったら、ものすごく怪しまれたはず。
従って江戸時代には既に完全に、姓は父系ではなく、家に関連するものと思われていたはず。

739 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 04:00:50.47 .net
>>738
姓の父系原理は鎌倉・室町がターニングポイントかななんて思う。
奥富敬之先生のいうように、朝廷と幕府の力関係が影を落としてたかも。
吾妻鏡でもまだけっこう氏姓で書かれてるんだよね(橘とか)。
ただまあ養子入りした人も、直系先祖は意識してたろうとも思う。
母系まで加味すると、日本史の上流階級ってたいてい天皇の親戚だよねw

740 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 04:19:36.83 .net
斯波は足利別家なので、本来は足利に復姓すべきであった。

明治維新で、“斯波”に復姓した自己責任。

741 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 04:29:36.58 .net
新田義貞の貞は北条貞時からの編諱であろうか
新田のような貧乏御家人に編諱を与えるのも不思議な感じはするし
かといって当時の得宗当主の名を勝手に名乗るのも変な気はするが

742 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 09:09:25.65 .net
新田義貞が元服したときには、北条貞時はすでにタヒんでいた可能性が高いです。

743 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 10:04:53.20 .net
義貞って貧乏な御家人だろ。
天下人に名前に一文字貰えるようなご身分じゃ無かったろう。
血筋は正しいと言っても、もう過去の話だしな。

744 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 10:08:49.13 .net
wikiによれば、驚くべきことに、
足利高義(貞氏の嫡男、尊氏の異母兄)の「義」の字の偏諱を受けたようですね。

745 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 10:11:59.05 .net
足利貞氏から偏諱を受けて、義「貞」のような気もしますけどね。

746 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 10:35:46.81 .net
>>743
新田義貞の曾祖母は北条一門の赤橋氏出身
(足利尊氏の正室・赤橋登子の実家)と言われるし
巷で言われるほど下級武士だったのか?新田って

747 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 13:15:28.05 .net
スレタイを理解できないバカばかり

748 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 14:03:16.46 .net
大河ドラマ太平記で新田義貞蜂起を知った長崎円基が

「数万?あの貧乏御家人の新田が?皆頭がどうかしておるのではないか?新田など多くて1,000か2,000…」

新田氏が鎌倉末にどんなだったかは諸説あり、
お寺への寄進も「領地を切り売りしなければならないほど困窮」と「いや裕福だった」と見解が対立。
新田宗家の置かれた立ち場も「北条氏の被官」とも「足利氏の傘下」とも、無論そうでなかった可能性も。
義貞の妻は3人以上いて、安藤氏(義顕の母?)、義宗の母(これが関氏だっけ?)、義興の母(義顕・義宗母とは違うらしい)、と実在が疑われる勾当内侍。
足利一門・被官は、高師泰と上杉氏、足利直義と渋川氏など(鎌倉時代だと、直義は足利当主の庶子だから、家来と言ってもよい程度の地位のはず)、
その程度で通婚していたらしいから、当主の貞氏・尊氏・義高などより低く位置づけられ、義貞は足利被官・庶族よりは偉いようには思える。
さすがに義顕は倒幕前には生まれてて、生母?安藤氏は得宗被官っぽい。
御家人はピンキリで、守護など務めた有力者と、所領を失う竹崎季長みたいなのがいて、
もし義貞が倒幕に150名程度の将兵を用意できたなら中級程度だった可能性(竹崎季長は文永の蒙古合戦で数名しか用意できなかったという)。

749 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 14:10:02.07 .net
>>740
さすがに足利の名は一族で取り決めあるんじゃない?徳川と松平みたいなもんで。
うちは農家だったから村の親戚みんな同じ苗字で、「屋号」で呼び合ってるけど。

750 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 14:24:42.66 .net
庶民の苗字なんて仮冒だらけだろ

751 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 14:31:05.35 .net
義宗の母は常陸守護の小田氏だっけ?

鎌倉時代は氏姓と苗字の過渡的時代かもね。
三善は姓だし。
大江広元は中原とか大江と姓で呼ばれることが多く、
長井とか毛利と苗字で呼ばれるのは広元の息子の代から。
平頼綱の苗字は謎。

752 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 14:38:22.68 .net
>>750
うちは取り立てて武士っぽい苗字でもなく、武士の許しを得て名乗り始めたもんでもないらしく(確認・伝承される領主の苗字とは違う)、
おそらくは単にルーツの地名で、もしかしたら村内の別の家が呼び始めた、つまり他称から始まった可能性もある。
どうにも村内の他家もそんな苗字に思える。
だから×藤や、ルーツの地が限られる(地名があまり多くはない)渡辺・高橋・千葉・三浦・熊谷・梶原などではない。

753 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 15:52:25.85 .net
>粘着マン

あんた、このスレに居座るのはいいが、深夜も含めてどんだけ暇やねんww

754 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 17:12:00.40 .net
>>748
> 安藤氏(義顕の母?)

ノンノン、平姓安東氏(安東忠家の流れ)な。

陸奥の安倍姓安藤氏(→安東氏→秋田氏)とは別系統の一族、
つまり大河ドラマ「太平記」の描写も間違い。

ちなみに、さらに別の藤原姓安東氏(安東光成の流れ)も有力御内人として存在する。

755 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 19:44:04.82 .net
>>707
日本側の人間でモンゴル側についてたヤツなんてほとんど居ないから、モンゴル側なら高麗人か南宋人かモンゴル人の可能性が高い

>>712
つまり庄屋か
戦国期の史料があったとしたら、どっかの在地武士の可能性が高そうだな

>>715
気にするような地位の人の方が少数派だよ
大半を占める庶民はさほど先祖の系図は気にしない

それでも先祖供養とかの意味では先祖を大事にする部類に入るらしいんだ。戦国期の宣教師によれば。

756 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 20:07:32.08 .net
>>720
まあ本家は(大名としては)断絶してるけど、族滅されたわけじゃないし子孫は存在するわな

西軍の斯波義廉の子孫は分からんけど東軍に居た斯波義敏の子孫なら残ってそうだ
分家の東北派遣の支族は苗字が変わった(大崎とか最上とか)はずだから、きっと本家か在京の分家あたりだろうね
(室町時代、文明頃までは本家含め皆在京のはず)

>>729
分家の中でいくつかの家が斯波同様に足利の苗字を名乗れた。
それと比べ、仁木とか吉良とかは格式が低いんじゃなかったか?

鎌倉末頃まで足利の苗字を名乗れた分家はたしか3つ
吉良は、名乗れない分家の中ではいちばん格式が高い部類だったような?
スマン、すごく うろ覚え過ぎる

757 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 20:10:40.04 .net
>>731
足利の支流が郡とか荘園の名前を苗字にしてる(零細はのぞく。細川も苗字の来歴に関しては零細。)のとちがって、
新田の支流は郷・村・集落名を苗字にしてるんだよな

領地の規模が桁違い。

758 :日本@名無史さん:2017/03/31(金) 20:24:50.22 .net
>>735
それ、wikipediaで見る限り加賀藩津田氏の人だよな
斯波じゃなく織田の分家じゃないかって気がプンプンと漂ってくるんだが……

759 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 01:25:34.58 .net
三菱重工社員A「斯波会長!会長の家って昔から続く、由緒ある旧家なんですってね!」
三菱重工取締役B「何だキミ、今までそんなことも知らなかったのか。会長の家は前田家の家老で、あの織田信長の親戚の子孫と言われておる」
三菱重工社員C「織田信長の親戚の子孫!そうなんですか、すごい由緒ある家ですね!さすがですね!」

斯波会長「・・・」

760 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 01:31:46.32 .net
まだ、そんな事を言ってるの?
琉球の民やアイヌとなるのが一番良いんだよ

761 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 01:36:17.36 .net
ぽけもん
というゲームがあるでしょ

そういう話みたいだよ

俺はコイツと旅に出ると言って、
そのまま、どこかへ行ってしまった話

762 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 01:42:52.43 .net
このような人、他にもいるでしょ

家にあったものを売ったり、
あげたり、盗まれたものもある・・・とか

その後、他の地へ

763 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 06:42:01.81 .net
>>757 佐竹秋田県知事と細川元首相の生家の由緒自慢に佐竹知事は宗家じゃないとケチをつけた人がいたが、元首相の細川は傍流も傍流で足利の一門でも細川は傍流の傍流なんだな。
佐竹知事の方が由緒あると思うんだが。

764 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 09:58:30.41 .net
まあ明治大正年間あたりに、「細川の宗家はどなたですか?」って尋ねたら、
大抵の人は侯爵家でしょって答えただろうね。
>>763みたいなことを言う人は、つむじまがりのごく一部だけだっただろう。

765 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 10:48:02.22 .net
>>764まあ、その二家と毛利あたりは血統書がつくだろう。他に血統書のつくのは?

766 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 12:01:01.52 .net
細川家の苗字も郡や荘園じゃなくて細川郷から来たんだよな
鎌倉時代には足利一門の中でも庶流の末端の零細だったはず

767 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 12:02:48.53 .net
>>763
んなこと言ったら徳川将軍家は、
「偽源氏はおろか、松平家の中でも傍流の傍流」ってことになってしまう。

768 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 12:10:43.08 .net
細川(というか、足利支流全体)の場合は幽斎の家系のみが大大名として残り、
他の多くの家系とは圧倒的な格差があったわけで、あれだけ差があればその家系が細川宗家と見られるのは当然。
歴史ってそんなもん。

さすがに足利宗家を名乗らなかったのは、細川自体があまり家格高くない傍系だったからだろうが。

769 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 14:50:14.74 .net
>>767 得川って新田から見ての立ち位置は?

770 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 15:07:01.38 .net
>>766 大河の太平記で尊氏が倒幕勢力鎮圧の大将として上洛途上、細川が吉良と共ち三河の一族を束ぬて待っていたシーンがあったが、その時期までには細川氏も台頭してたのかな?

771 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 16:22:13.29 .net
>>770
そのシーン、吉良貞義の横にいたのは今川だな。細川が出てきたのはもうちょい後。
足利直義の側近で細川和氏と顕氏が出てたな。
まあ、テレビだからどうでもいいが。

772 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 16:31:53.15 .net
見事なくそスレ化

773 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 16:51:22.99 .net
よく「足利の一族では宗家の次に斯波、そのまた次に吉良が格が高い」といわれるが、
これは鎌倉時代の話で、室町時代にも斯波はまだ足利と名乗っていたりしたが、
管領家が確立されて以降は、管領家と守護家が格の目安になっていただろう。
室町時代の吉良はあまりぱっとしなかったから…
教科書レベルでは三管領(斯波、細川、畠山)・四職(山名、赤松、京極佐々木、一色、※土岐)家が強調されるが、
関東管領の上杉、駿河の今川もそれと同じぐらいには格が高く、九州探題の渋川も現地では権威があったと思う。

※土岐も侍所をと務めたと今谷明先生は書いてる

仁木と細川は足利の非常に古い分家で、鎌倉時代でも宗家の家来ぐらいだったろうと佐藤進一先生はいう。
仁木頼章が高師直の後に執事になってるのは、将軍の家来の格だったからとも、有力だったからとも考えられる。
細川が管領になったのも、高・仁木の延長だったかも。

松平並みに信じてよいのかわからない話だが、榊原氏は仁木の、奥平氏は赤松の一族と称していた。

774 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 17:03:59.71 .net
>>757
武士の苗字はそんなに広くもない地名由来が多いから、新田支族の名字の地の広狭だけでは何とも。
たとえば三浦は郡名だが、芦名は江戸時代三浦郡に数十あった村の1つに過ぎない。
郡の規模もばらばらだったんで、意外と小さい郡名が苗字になってることも多い一方で、
わりと大きかった足柄(相模)、多摩・埼玉(武蔵)、糖部(陸奥)などを苗字とした武士はいないと思う。
土佐に安芸氏というのがいたが、これは土佐国内の地名からで、直接には安芸国からではない。

775 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 17:58:06.10 .net
細川政元が絶頂期でも将軍になれなかった、なる必要はなかったのと同じ
日本独特なのかな

776 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 19:12:25.69 .net
>>770
台頭してない

室町初期の時点での細川の立ち位置は高師直ら執事職の連中と大差ない、支流じゃなく家臣って感じ。

777 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 19:16:58.35 .net
>>774
自分の領地より広い広域地名を苗字にすることはない。

郷名村名を苗字としているのは、苗字を使う用になった当時の領地がその程度の広さしかなかったって事。

足利荘とか新田荘は広いけど、それらのように広い領地を苗字にできるのはかなり規模の大きい武士だけだよね
新田氏は鎌倉幕府ができる際に勢力を弱めたから零細だったんだよね

778 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 19:43:51.80 .net
>>773
>管領家が確立されて以降は、管領家と守護家が格の目安になっていただろう
チョト違う

室町幕府の「御一家」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E4%B8%80%E5%AE%B6

779 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 21:30:23.57 .net
>>763
細川も調子こいて、貴重な宝物は応仁の乱で焼けちゃったとか、
余計な吹かしをするからダメ、叩かれるんだよ。

細川侯爵家は、血統上は和泉上守護家、系譜上は奥州家なんだから。

780 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 21:33:42.05 .net
>>765
辺境で中央政界とは無縁な暮らしをしてきた佐竹を入れてもいいのなら、
島津、伊達、京極、相馬あたり。

781 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 21:35:19.84 .net
あー小笠原もいれていいかも。 養子とかは調べてないけど。

782 :日本@名無史さん:2017/04/01(土) 22:32:45.46 .net
上杉から養子をもらってる佐竹
佐竹から養子をもらってる相馬
島津から養子をもらってる黒田
先祖を偽称した島津

武士はややこしいねえ

783 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 00:03:44.11 .net
>>778のWikiみると吉良よりも斯波の方が格下みたいに書かれてるけど、ほんとなんかね?
Wikiだから鵜呑みにできないけど

784 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 00:14:38.72 .net
>>779
細川って叩かれてるか?
黒田家みたいなよくわからん家でも、江戸時代を通じて国持の大大名だったってだけで
今の基準からみれば、十分以上に誇って良い家系でしょ。
しかもれっきとした系譜の確かな清和源氏で、母系は近衛だ。

殿本人が無能だったから叩かれてはいるかもしらんが、
家そのものは、叩かれなきゃならないような要素は何もない。

785 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 00:39:08.59 .net
しかし義満ってやつは本当に、最高権力を握ったけれどそれ以外何もしなかった
って感じが強いな。京都で公家相手にふんぞり返ってる時間あったら、
もう少し将来のことを考えられなかったのだろうか?
鎌倉府なんか残しておいたら、将来確実に戦乱になるってことくらい、わかったはずだと思うんだが。

786 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 01:09:56.62 .net
革命家には二種類ある。
革命が成功したら、自分が旧来の権力者になりたがる人と、
革命後の世界はそれまでとは異なるものでなくてはならないと考える人と。

平清盛や足利尊氏〜義満は前者で、源頼朝や徳川家康や大久保利通は後者だった、ってだけの話。

787 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 01:16:43.46 .net
頼朝っていう人は考えれば考えるほど、すごいよね。
関東に、天皇制を否定しない形で、もう一つの政権を作るなんて、それまでの日本の歴史には一度もなかったわけだし、
頼朝以外の誰もそんなことを考えなかった。
もしこれが頼朝以外の人だったら、普通に木曽義仲みたいに京都に攻め込んで
三つ巴だか四つ巴だけでグダグダの泥仕合を続けただろう。

788 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 01:19:10.95 .net
斯波が吉良より格下とか有り得ない
斯波の嫡流武衛家は別格だろ

789 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 01:20:27.76 .net
その人物論には同意できんな。前者と後者の評価が逆(大久保以外)

790 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 01:20:46.65 .net
>>785
土岐・山名・大内を討ったじゃん

足利・徳川両将軍家の親族序列はわかりにくいよね。
ほとんど政治の歴史には登場しない将軍の兄弟がけっこういたり(堀越公方もおそらくは元々そんな人だった)。
徳川では、非常に有名な御三家があり、やや歴史に強い人なら御三卿も知ってると思うが、
このほかにも家綱の弟の甲府侯(6代将軍家宣の家)や館林侯(綱吉)があり、歴史の本では彼らは徳川の名字で呼ばれてる。

>>783
実勢力の問題もあったろうと思う。
吉良は室町時代さほど大きな勢力ではなかったし。ただし、関東ではとても重んじられていた
(政治力には直結しなかったと思われるが、後北条氏の時代でも名門の扱いだった)。
管領や奥州探題は地方国人と幕府中央との連絡を担ってたけど、「ご一家」の機能はどんなだったんだろうね。
斯波管領家の後継者に、渋川義鏡の子・義廉(管領になる)が入ってるが、渋川の家格は考慮されたと思う。
渋川もまた室町時代に関東に来て、家柄は高かったからか、歴史にちょこちょこ足跡を残してる。

791 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 01:21:54.64 .net
おっと788は>>786宛て

792 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 01:23:15.55 .net
>>788
もし仮にそうされたとしても、斯波一族は納得しなかったのではないかな?
実態も斯波のほうが吉良よりずっと栄えていたろうし

793 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 01:27:05.93 .net
>>787
頼朝は後世に残した影響力で、それ以後のどの政治家にも勝り、比べられるのは大和朝廷だけだと思う。
ていうのも、頼朝に仕えた武士たちが本当に日本各地に散らばったから(足利・徳川はこの点で遠く及ばない)。
本人がどこまで意識してたかは知らず、日本史を二分・三分するほどの影響力を持ったと思う。
リアルタイムの話では、彼じゃなかったら鎌倉幕府は存在し得なかったんじゃないかと思う。
歴史の機関車みたいなものかと。

794 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 01:30:55.93 .net
まあ有名な吉良義昭と斯波義銀の席次の争いですよ。

いずれにせよ、少なくとも斯波氏は常に自分たちの方が吉良よりは上だと
思っていたはずなので、当時「一般認識として吉良の方が斯波よりも上だった」という事実はないと思われる。
従って>>778のWikipediaの記述は、少なくとも不正確の謗りは免れまい。

795 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 01:34:06.99 .net
>>787
頼朝時代の鎌倉幕府は基本的に東国国家で全国政権ではない。(一応 西国にも守護設置してるけど)
後世の我々は歴史を後知恵で見てしまうから、頼朝の政権構想を非常に綿密に練られたものと考えてしまうが、
鎌倉幕府の誕生は様々な環境用件の結果、ああいうカタチになったわけだ。
もちろんこれは平家や義仲の失敗を見た上での学習成果である。
鎌倉幕府のプロトタイプとしては奥州藤原氏や院政(院庁)が挙げられる。

796 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 01:41:11.07 .net
>>794
「御一家」というのは将軍家の政治的配慮から来た家格制度ってことを
ちゃんと理解できているか?  妄想だけで書き込んでないか?

797 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 01:42:33.13 .net
>>795
> 後世の我々は歴史を後知恵で見てしまうから、頼朝の政権構想を非常に綿密に練られたものと考えてしまうが、

自分の考えは全く逆で、後世の我々は歴史を後知恵で見てしまうから、頼朝の政権は歴史の流れに沿ったものだとか考えてしまうけど、
実際にはあれほど革命的で革新的なものはない。
歴史の流れに従って武家政権ができたのではなくて、頼朝が明確な武家政権を作って歴史の流れを作ったというのが正しいと思う。

> 鎌倉幕府のプロトタイプとしては奥州藤原氏や院政(院庁)が挙げられる。
藤原氏はただの地方勢力で、明確な対朝廷戦略や朝廷・幕府の二重政治のしくみなどがないから全く異なると思う。
院政が武家政権のプロトタイプ、っていうのは、自分には少し言っている意味が理解できない。

798 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 01:45:37.62 .net
>>796
あのさあ、そうやってすぐに人を誹謗する癖はやめた方がいいよ。誰の何の得にもならない。
同じことでもそう人を罵倒しないで、もう少し書き方ってものがあるでしょう。

>「御一家」というのは将軍家の政治的配慮から来た家格制度ってことを ちゃんと理解できているか

もちろん理解できてるつもりだけど。
だからこそ「吉良氏の下の家格へと実質的に落とされた」ってことはないでしょ、って言ってるんだけど。

799 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 01:59:19.24 .net
名目上はどうであれ、「実質的に」はどう考えても斯波の方が上だよなあ・・
江戸時代の細川と喜連川くらいか、それ以上の違いがあるだろ。「実質的」には。

800 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 02:07:04.99 .net
>>797
まず前半部分から。
頼朝が作ったシステムが非常に優れたシステムであることは論を待たず、そういう意味では革新的だった。
ただ、あれは突然変異的に出現したものではない。既述したように、先人の失敗例と成功例を学習したものであるし、
また頼朝自身、鎌倉から離れた政権運営というのは実際上無理、という点を押さえておきたい。

次、後半部分
既述したように鎌倉幕府も関東御成敗地を主軸としたローカル政権(ちょっとデカいが)として誕生し、
基本 承久の乱まではそういうカタチである。 
奥州藤原氏の対朝廷戦略も頼朝のそれとそう変わらない。(国司が都から派遣されてきているのは大きな違いだけどね)
それと院政であるが、鎌倉政権の構造は公卿の家政機関のまんまであることを押さえておくべき。
院政は朝廷の枠外(太政官・神祇官)にある組織であり、外部から朝廷をコントロールしていた。
院庁は天皇家の家督である治天の膨大な荘園を管理する(これまた)家政機関であり、北面の武士という直属の武士団を有していた。
院政が幕府の類似性はよく指摘されており自分もそのとおりだと理解している。

801 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 02:13:26.69 .net
>>792
そもそも、吉良家などが重んじられたのは初代(と言うか、足利本家から別れたとき)が当主の庶兄だったからなわけだが、
吉良の場合、母親の身分もよく分からない本当にザコの庶兄なのに対し、
斯波家の場合は北条家の有力な支流の娘で、おなじく庶長子とはいっても格が違うよな

吉良家の格が高まったのは、徳川氏に系図を売りつけたからじゃないの? つまり江戸時代に入ってから。たぶん。

802 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 02:20:34.33 .net
>>798
>だからこそ「吉良氏の下の家格へと実質的に落とされた」ってことはないでしょ
その根拠を訊いているわけよ。ウィキが間違いが多いし、鵜呑みにできないしろものであることは
そのとおりだけど、根拠もなしに御一家の家格が武衛家より下であるはずがない、というのは
筆の走りすぎもいいところ。ウィキ以外にも「御一家」の記述はあるわけだし。
それに家格制度というのは実勢力の上下ではなく、あくまでも将軍家の政策で決まるもの。
関東公方や武衛家の将軍継承権を剥奪するためという説もちゃんと理に適っている。
江戸幕府も越前家より御三家の方が家格が高かったり、いろいろ「政治的配慮」があるのと同じ。

史料的根拠のある「御一家」を根拠なしに「そんなものはない」と決める理由がワカラン。

803 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 02:37:11.28 .net
土曜の夜に荒れるなやw

奥州藤原氏は、おそらく一大名ぐらいの実力しかなかった…(本拠地が東北地方中部ゆえ、経済力ゆえかと)。
まあ、東北のあちこちに手を伸ばしてはいたらしいのだけど(青森県や会津にも)
鎌倉幕府の奥羽攻めの時には在地勢力はけっこう鎌倉方についてしまったと思われ。
田村・石川・岩城などはそうして生き残り、佐藤(信夫庄司)は戦ったが敗れて鎌倉傘下に入ったと思われ、
出羽の由利氏は吾妻鏡で勇戦をたたえられてるほどだが結局は鎌倉体制に従い御家人になった。
これ以降の東北の大名、安達・白河結城・伊達・芦名・葛西・南部・相馬・伊東・留守・国分などは攻めた側。
秋田安東(安藤)氏も、鎌倉幕府以前はどこにいたか定かでない。
だから、藤原何代さんも著名な方々ではあるけど、同時代の四国とか九州の豪族なんかと比べて強かったのか疑問も。
さすがに平泉さんを「中世の始まり」というのは言い過ぎじゃないかと個人的には思う。

804 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 02:40:55.56 .net
御一家については研究論文も出ているから、納得いかない人は自分で調べてちょ。


中世足利氏 御一家の研究
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-11J10136/

805 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 02:47:48.58 .net
>>801
いや、吉良さんが足利一族内で格が高かったのは事実で、吉良満氏が守護を務めてる。
ウィキには、足利の宗家当主でないのに鎌倉時代に守護になったのは彼一人とある。
吉良さんは鎌倉・室町・江戸時代で分けて考えるべきだろう。
室町時代の関東では、世田谷(東京都)や蒔田(横浜市)に所領を持ってて、勢力は小さかったと思われるが家格は高かった。
江戸時代は高家で、上野介義央は、晩年は高家の長老格だったからだろうが、高家筆頭と呼ばれたりするのは周知のとおり。
高家筆頭は徳川との縁故ゆえかも知れんけど。

806 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 02:50:15.74 .net
吉良氏の家格が鎌倉時代から高かったのは確かだけど斯波氏みたいに宗家と張り合うほどではなかっただろ

807 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 02:55:31.29 .net
>>799
斯波さんは管領で、越前・尾張・遠江の守護を兼ね、大崎・最上は東北で栄えたしねえ。
吉良も、奥州管領ではあったが東北史では消えてしまい、主に関東で事績が知られる。
ただ、どっちみち足利将軍家が確立されて以降は、そう簡単に将軍家=宗家を継げることはなくなったろうとは思われ。
斯波と吉良が足利庶流のツートップって、鎌倉時代の話じゃなかろうか。

808 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 02:59:11.29 .net
>>806
尾張足利氏(武衛家。斯波氏を名乗ったのは南北朝時代の斯波義将から)は足利宗家と
張り合う家だったからこそ、武衛家の頭の上に御一家をわざわざ持ってきたわけで。
斯波氏もそうだが御一家3氏の共通点は皆 庶長子の家であること。石橋氏は尾張足利氏の庶兄

809 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 03:00:14.76 .net
>>795
ん〜まあ一応は頼朝生前に全国政権にはなってたと言えるだろうと思う。
九州の南の島でも幕府の威令は及んだというからね。
ただ、穴だらけの支配で、足利どころか後の鎌倉幕府と比べても、未熟な政権だったとは思うが。

810 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 03:10:36.76 .net
>>809
今は劣勢になっている佐藤進一先生の「東国国家論」ですよ。西国の国衙領・公家領・寺社領に対する支配力が
頼朝時代は弱かったからね。そこをどう見るか。自分は「権門体制論」を支持してるんだけどね。

811 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 03:25:19.61 .net
>>805
>室町時代の関東では、世田谷(東京都)や蒔田(横浜市)に所領を持ってて、勢力は小さかったと思われるが家格は高かった。
たぶん承知し田植えでの記述だと思うけど、御一家の吉良氏と↑の奥州吉良氏(分家)は別だとカキコ。

812 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 03:27:53.79 .net
田植え←変換ミス。恥ずかしいので寝ます。

813 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 10:10:54.97 .net
あんな弱体政権で15代まで続いたと感心。6代目は暗殺されてるしw。

814 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 10:17:50.21 .net
>>811
三河家と奥州家ね(西条・東条のほうがいいのかな)。
関東は公方と管領上杉の天下になるけど、
公方と言えば一色だけど吉良ほど重んじられたではないっぽいし(家来って色が濃いと思う)、
高一族は結局高師冬敗死後は庶流が公方や管領の下で〜って感じだし、
吉良は公方・上杉・後北条を通じて重んじられていたとは言えるんじゃじゃないかと思う。
所領がそこそこあったってことかも知れないけど、家柄も軽視されてはいなかったような気はする。

815 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 10:28:50.23 .net
>>811
鎌倉幕府ほど、時期により権力の程度に差があったというか、支配の密度に差があった権力も珍しいような。
できた当初は関東の頼朝派が集まっただけって感じなのに、鎌倉時代後半には中央政府としか言えなくなる。
だから石井進・本郷和人の「1180年10月が幕府成立でいいだろう」という説も(これだったら、山木館襲撃=幕府発足と言えなくもないと思うのだけど)、
1183十月宣旨で成立論も、今まで有力だった1185守護・地頭の全国設置もそれなりに説得力はあって、
1192頼朝征夷大将軍も後世を考えたら全く見当外れなわけでもないと。
でも、ローカル政権だから幕府は成立してないとは言えないんじゃないかなあ?
↓結局、幕府の権力が浸透した地域の差が大きいので。

権門体制論も、本郷和人「朝廷は武力に関して幕府に頼らないと何もできなかったんでは?」ってツッコミも至極当然だと思うし、
何せ時期によりずいぶん違うと思うのだけど、
黒田俊雄の射程が「いつの時代を言ってるのか?」(だって頼朝以前は幕府ないし、てことは武士のありようがずいぶん違う)が何よりの問題とも。
自分は、東国国家論はちょっと無理があるんじゃないかと思います。
結局、日本はそう截然と東西に分けられるのか?が疑問。
朝廷の一円領は東にもあるし、御家人は頼朝のころから西にもいるしで、混然としてたのが現実じゃないですかね。

816 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 10:49:04.90 .net
>>813
権力というのは、ある程度「惰性」で続いてる面もあると思う。
だって積極的に廃止しなきゃならない理由がなきゃ、やめる必要ないとも言えるし(近代国家も実はそうだよね)。

足利将軍に関しても、3幕府で最も将軍の権限が大きかった(強かった)と言う人もいる。
徳川歴代は大きな官僚機構の頂点で、政事と言えるようなことは下の人がやっていたし、
鎌倉歴代は、初代の頼朝は大きな権限を行使してて、実朝はそれほどではなかったろうけど、やはり幕府の長と言える権限を行使してたけど
(後鳥羽院との対立も彼に由来するとも―後鳥羽が北条義時を標的にしたのも、将軍を敵にしたくなかったからかも知れない)、
さすがに4代以降はそれ以前ほど権力を持っていたか疑問(でも、全く傀儡でもなかったんだろうと思う)。
両幕府と比べると、確かに足利将軍は大きな権力を持ち、実際に政事に関与してたろうと思わせるふしはある。
義教(6代)・義稙(10代)は直臣を整備し裁判など活性化させようとしたそうだし、
無気力に思われがちな義政(8代)も大名家に介入していたし、義尚(9代)は六角討伐親征の途中で死んだ。
これを、官僚機構の未整備ゆえ将軍の関与が必要だったと見ることも可能だろうけど、足利政権が単純に弱体だったと考えるのもどうかと思う。

でも、3幕府のどれを見ても、最終的には将軍様が絶対必要だったのだろうとは思う。
ないと、いざって時に困ったろうし、その辺は江戸時代の藩主さんのようなもんかなと。
北条得宗家、管領・侍所、老中・大老は、将軍に取って代われなかったんじゃなく、将軍と彼らとは別個であるほうが諸々好都合だったんではないかと。

817 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 13:52:14.79 .net
>>815>>810宛てと理解してレスする。まあ>>811も自分だが。
>ローカル政権だから幕府は成立してないとは言えないんじゃないかなあ?
そんなこと書いたつもりはないけど そう受け止められたならそれは誤解。
自分は1183年が「幕府」成立の年として一番いいかなと思っている。おそらく>>795
誤解を招いたと思うが、その大意は平安と鎌倉の断絶・不連続性を重視する>>787氏に対して
逆の平安と鎌倉の連続性を言いたかっただけ。

818 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 14:51:08.30 .net
鎌倉 六波羅探題で朝廷を監視しよう
室町 将軍が京都にいなきゃだめだ
江戸 所司代で十分

819 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 16:25:34.22 .net
義政は大飢饉の中で遊びまくっていて天皇にも注意を受けたけど優秀なのか?w

江戸3飢饉の時は幕府が助けただろう。

820 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 22:53:26.37 .net
>>816
「将軍の権限が強い」ってこと自体が、「無能な将軍が出たら政治が停滞する」ってことだから
ひいては政権の弱体性を示しているわけな。

なので義満がやったことは、自分個人の権勢を強めること=長期的に幕府を弱体化させること
だったわけで、要は自分の権勢に酔ってただけで将来への布石を何も打てなかった。
まあ徳川幕府みたいな精緻な統治機構はまだ歴史になかったから、それに及ばないのは仕方ないが、
それにしてもひどすぎる。

821 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 23:17:19.02 .net
異なる時代 異なる政治環境を一切考慮しない評論はどうもねえ・・・・
なんでもかんでも同じテーブルに載せて論じることに意味があるのかね?

822 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 23:37:49.18 .net
>>820
>「将軍の権限が強い」ってこと自体が、「無能な将軍が出たら政治が停滞する」ってことだから

前の「 」と後ろの「 」が明確な相関性を持ってないと思うのだが

823 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 23:40:55.49 .net
>>822
え?そう?
「制度上、将軍が政治の上で大きな力を行使できる」
→「将軍が有能か無能かによって、政治の運営が大きく変化する」
→「無能な将軍の治世下では、政権の運営能力が極度に低下する」

どう考えても明確な相関を持っていると思いますけど。

824 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 23:50:41.44 .net
どちらかと言うと室町幕府は、将軍が無能だからダメというより管領が分かれていたからダメだったってのが大きいと思う。
応仁の乱前後に政治が混乱しまくったのも、四職三管領だって北条ポジションの家が同時並立し過ぎたのが原因だしな。
政元以前にもっと早くから細川が管領を独占できていれば、ここまで弱い政府だと言われることは無かったろう。

825 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 23:51:14.25 .net
説明しなくても気づいているはず、
超時空シリーズだよ

プリンセス・トヨトミ

超時空太閤

超時空マクロス

戦国自衛隊

その他


重要『ボーボボ』トヨトミミ聖ことウマヤド

826 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 23:59:44.02 .net
ところで畠山氏は、歴史上の扱いにおいて
「苗字の字面がかっこ悪いから」という理由で、かなり損してると思う。
このスレでも、斯波や細川についてはみんな語りたがるが、畠山は地味。
日本史上の一大氏族なのに、かわいそうだと思う。

827 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 00:25:23.60 .net
>>824
応仁の乱の頃に混乱したのは、管領家が分れてたからというよりは、
それぞれの管領家(もちろん将軍家もだが)の中で家督争いが生じてたからじゃないの?
江戸時代だって大老を出す家は井伊・酒井・堀田と分かれてたけど、別に混乱しなかった。
むしろ一家に権力がまとまった方が、将軍の存在を脅かすことになるから、一般的には政権は不安定化すると思う。
(鎌倉時代はそれが行き過ぎて将軍を無力化しちゃったから逆に安定したけど)

828 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 00:29:33.68 .net
長子相続が確立した時代とそうでない時代の差だな

829 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 02:27:59.09 .net
畠山は大名として残れず、華族にもなってないし。 吉良と同じ扱い。

830 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 03:05:45.15 .net
>>829
吉良と同じ扱いにしては、吉良よりもずっと人気がないね。

831 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 05:14:08.45 .net
>>830 吉良上野介がいないか大過なく勤めていたら目立たなかった。

832 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 05:20:35.19 .net
んなこたない。
忠臣蔵がなかったとしても吉良氏は(歴史ヲタから見たら)著名だし、「御一家」「御所が絶えなば云々」で常に語られる存在。

833 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 05:33:37.81 .net
このスレの中で出現回数を数えてみた。

斯波 44
細川 39
吉良 37
山名 14
畠山 12
赤松 7
京極 4
一色 3

まあ管領家の中では畠山は圧倒的に人気ないのは間違いない。

ってか、一色人気ないねwww 3つのうち一つは>>142だしw

834 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 06:56:26.36 .net
畠山の知名度を考える

1)管領家の内紛
2)畠山重忠
3)国清(関東公方の執事)、義深(国清の弟で管領家の祖)・基国・満家、直宗(太平記に登場)
4)能登畠山氏
5)東北に畠山さんが多い

1)は応仁の乱の要因だから、小学生でも歴史好きな子は知ってる。
斯波管領家の分裂も同上だが、畠山のほうが有名だと思う。
2)の重能・重忠・重保は平姓畠山氏で、足利義純から始まるのは源姓畠山氏。ここまでが高校レベルかな。
斯波には重忠レベルの有名人がいない。
敢えて言うと、最上義光は今は重忠より有名かも知れない。
高経・義将でも3)レベル。
4)は、上杉謙信に敗れた家として記憶してる人も少なくなかろうが、文化人の家として有名。
5)斯波さんは少ないと思う。畠山さんは珍しいとは思わないぐらいにはいると思う。
総合すると、斯波よりは畠山のほうが知名度は高いと思われ。

835 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 09:21:43.23 .net
自殺したゴレンジャーが抜けとる

836 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 09:31:17.85 .net
高野山所蔵の伝武田信玄の肖像を
畠山氏だアピールすればもう少し畠山氏の知名度が上がるかなww

837 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 10:23:08.46 .net
>>834
荏原製作所&畠山記念館の創業者も入れてやってくれ。
本当の斯波か疑わしい三菱重工会長や、大名家とは無縁の島津製作所創業者とは異なり、
こちらは真正の源姓畠山らしい。

838 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 10:29:11.62 .net
畠山にとって問題なのは知名度じゃない。
知名度から言えば畠山=細川=吉良>>>>斯波で、畠山は日本国民誰でも知っているレベル。

問題なのは「人気」だ。
これだけ知られているにもかかわらず、細川や斯波みたいにファンがいない。地味。

839 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 10:37:27.61 .net
君の畠山愛には正直感服した

840 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 10:53:42.92 .net
戦国時代の登場の仕方が能登っていう小国の領主だから、
イメージが小物なんだよね

841 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 10:59:42.89 .net
ていうか斯波ファンてこのスレ以外にいるのかよ?w

畠山や細川はわりに傍流でもその苗字を名乗ってたように見受けられるが
斯波は非常に限られた人しか名乗ってなかったんじゃない?
大崎と最上は普通そっちの苗字で呼ぶし。
だからか、斯波某で有名な人って室町時代の数人になってしまうのではないかな?

いや…畠山重忠ってそこそこ人気あるんじゃないかな?吉川弘文館の伝記がある。
斯波に個人単位の伝記あるか?

842 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 11:03:53.11 .net
>>840
そっちは管領家の庶流なんだよなあ。
管領家の本拠地は大阪府とか近畿で。
今の歴史への関心がよっぽど戦国に偏ってるのな。
四国だって、長宗我部なんか元々微弱な勢力に過ぎず、
三好・宇都宮・河野・西園寺・一条のほうが強かった時代が長いのに。

843 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 11:12:13.40 .net
しかし分家の家格っていうのは、考えてみると不思議だよな。

同じく男系の分家でも、分れた家祖の状況とか
ちょっとしたことによって、家格の上下ってものがなぜか決まってしまう。

一般的には近い分家の方が古い分家よりも家格が高いことが多いが、
足利から最も古く分かれた新田はほぼ同格(かどうか微妙だが)の別家扱いで、
その次の代で別れた細川は足利の家臣扱い。

しかも一度家格が固定されると、その記憶は永遠に受け継がれて、
同じく管領を出す家になった室町期になっても、「家格は斯波>>細川ですよね」って誰もが考える。

844 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 11:26:20.76 .net
どうでもいいが管領・守護大名の畠山家は庶流で、嫡流は二本松畠山家(伊達政宗の親父さんを殺した)だぜ。

845 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 11:48:38.97 .net
>>843
分家が本家より有力になると、本家の地位が逆転することよりは、別の家と考えられるようになることが多いかも。
今、日本史板で一番人気の新田氏も、頼朝時代に山名のほうが格上にされて、以後はもう別の家だろう。
別所・有馬両氏は赤松の、立花は大友の庶家。←なんて本家が衰退したのもあるかなと。

鎌倉時代、上杉は足利の家来程度、今川は足利の庶流にすぎず、守護の武田のほうがずっと格上だったはずだが、
武田信玄のころでは武田が一番格下みたいだ。
信玄が今川義元・北条氏康より年下なので、ドラマにされると余計信玄が若輩に思える。
上杉禅秀の乱のせいで、武田がちょっと低迷してたせいもあるけどね。
後北条は元々伊勢氏の庶流にすぎないから、本来なら今川や武田と比肩できるはずもない。

武田・小笠原・南部・平賀は甲斐源氏だが、時代を下ると、同族意識を持ってなかったかも。
佐竹と武田は、佐竹の方が兄筋だが、これも同族意識があったかどうか。

徳川でも、家康の子に始まる御三家と越前松平は石高が大きく、後に分かれた会津松平はそこまではもらえず。
江戸初年はまだあげる領地に余裕があって、保科さんはたまたま会津加藤家が改易になったラッキーなんだろうけどね。

846 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 11:53:45.99 .net
>>844
室町初期の派遣先を見ると、奥州家のほうが重んじられてたかもね。
しかし畠山も悲運な家で、滅ぼされてしまった重忠は無論、
奥州畠山氏は衰微してしまい、国清もまた没落してしまって、
国清の弟義深の系統が管領家になった(庶流の庶流だ)。
畠山は、足利一門でも特に勇将が多かったように思える。

847 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 13:08:34.69 .net
>>843
嫡流庶流の関係や家の格ってのは元々、実際にその人が得た領地や官職等によるもので、
例えば長男Aと次男Bがいて、勲功等によって二人とも同じ規模の領地が得られれば
AとBは同格の分家となり、Aの子CはAの領地を継いだが、その弟Dは領地を得られなかった場合には
Dは兄Cに庇護されて生きるしかないので、その子孫はCの家臣となる。
この場合、Bの家とDの家はともに分家で、しかもBの方が格上だが、
それは何も不思議ではなくて、その「家格」はB家とD家の資産の差を示しているに過ぎない。

なので不思議なのは「何で分家に家格の差ができるのか」ではなく、
「何で一度できた家格が永続すると見做されるのか」であって、
これは社会の「慣性」によるとしか言いようがない。
そもそも家系とか身分制度ってものがこの「慣性」によっているので、
斯波家は元々織田の主筋だとかいうのと、○○家は没落したが元々××家の嫡流だというのは、
同じこの「慣性」に基づいている。

不思議なのは戦国みたいな実力社会の中でもこの「慣性」が案外生きていたということだが
>>844みたいな、(失礼ながら)実質的な意味のない嫡庶の議論は、昔からずっと人々の好んで話したがる話題だった)、
まあそれは人間がそういうものだってことだろう。
別に日本だけでなく世界どこの国でも同じような現象はある。

848 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 15:06:13.00 .net
キチガイスレ

849 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 16:33:59.27 .net
>>847
嫡流か庶流かの議論は江戸時代は大事だった。岩松と横瀬は江戸時代はもとより明治期まで
どちらが新田嫡流か争っていた。(岩松勝利)
津山松平と越前松平(忠直改易後)はどちらが秀康嫡流か争っていた。
饅頭屋ではないが、本家VS元祖は良くある話で当人にとっては大事な問題。
最近では鞄屋の一澤帆布が話題になった。

850 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 16:43:40.39 .net
日本における「家格」や「身分」の物差しは資産ではなく、天皇家との距離。
日本人はすべてこの物差しで「格付け」される。 ここを押さえていない「家格」議論は無意味。

851 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 17:34:33.02 .net
アメリカ兵と突き合ってる女たちが

「天皇?あのだっせーオッサン〜?」
「アメリカ人と突き合ってナンボだよね〜」
「ハーフはモテるし〜」

敗戦国はみじめ

852 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 18:48:53.47 .net
キチガイレス

853 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 20:36:05.60 .net
>>834
1について、畠山は畿内に所領をもつのに対し斯波は畿内に所領をもたない地方大名だったからかな
でもどっちの内紛も将軍が家督に干渉した反作用で起きてるんだよね

>>840
一部のゲームでは紀伊にももうひとり居る(こっちが管領家で能登はその分家だが)

854 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 21:13:36.85 .net
国清が没落しなかったら関東管領は上杉ではなく畠山が世襲で任命されてたかもな
その代わり中央の管領にはなれなかっただろうけど

855 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 21:59:34.40 .net
幕府ができて以降は、将軍家とそれに準ずる大名家も天皇・摂関家と並ぶ名門だろう。
今だって名家の基準は江戸時代の大名家だったりするのだ。

太平記は北条氏を「位、四品を越えず」(位階は四位止まりだった)と書くんだが、
これは執権が相模国司を兼ね(赤橋相模守とはそのことで、高時は前相模守と書かれてる)、
守護である有力御家人が多く国司を兼ねてたから四位か五位で妥当という話で、
将軍家を別格とする幕府秩序からも妥当。
新井白石は武家の位階が公家より低いことに不満だったというが。

戦国時代の摂関家の娘は王族・摂関家以外に嫁ぎ先がなかったのか、出家が多かったという。
高貴な女性は結婚相手に困る一例だね。

856 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 22:01:26.64 .net
幕府ができて以降は、将軍家とそれに準ずる大名家も天皇・摂関家と並ぶ名門だろう。
今だって江戸時代の大名家は名家だ。

太平記は北条氏を「位、四品を越えず」(位階は四位止まりだった)と書くんだが、
これは執権が相模国司を兼ね(赤橋相模守とはそのことで、高時は前相模守と書かれてる)、
守護である有力御家人が多く国司を兼ねてたから四位か五位で妥当という話で、
将軍家を別格とする幕府秩序からも妥当。
新井白石は武家の位階が公家より低いことに不満だったというが。

戦国時代の摂関家の娘は王族・摂関家以外に嫁ぎ先がなかったのか、出家が多かったという。
高貴な女性は結婚相手に困る一例だね。

857 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 22:17:31.08 .net
大事なことなので2度書きました

858 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 23:22:21.82 .net
>>850
九条家や二条家は明治維新に至るまで、九条良経の男系子孫として続いているが、
江戸後期の徳大寺家は東山天皇の男系子孫。
なので九条家よりも徳大寺家の方が「皇室に近い」。でも当然ながら、徳大寺家よりも九条家の方が家格としては上。
なのであなたの言っていることは間違い。

このスレに即して言えば、斯波家と細川家の家格の差を「皇室との距離」で説明することは絶対にできない。
(むしろ、それは皇室ではなく「北条家との距離」によって決まっている、とは言える)

859 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 23:35:52.34 .net
>>849
どちらが嫡流か?という問いは不思議な問いだよね。

仮に福井と津山の間で多くの議論をして、福井が嫡流だと確定したとしよう。
その「福井が嫡流である」という裁定は、ただ単に「福井が嫡流である」というそれだけ以外に、いったい何を意味するのだろうか?
まあ当主どうしが会った時の挨拶の仕方とか、手紙の文面とかは異なるんだろうけど、
単にその挨拶の仕方のためだけに、嫡庶の議論を延々と続けていたのだろうか?というのはとても不思議に思われる。

860 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 23:50:44.62 .net
>>855
将軍家が摂関家と並ぶほどの名門になったのは足利義満の時からで、それ以前は違う

861 :858:2017/04/03(月) 23:56:38.21 .net
ちょっと自分の疑問の書き方が悪かったかな。

前期ウィトゲンシュタイン風に言うと、ある言明は、それに対応する、現実世界の中の何らかの「事態」を示している、と言える。
たとえば「A家はB家の主家である」という言明は、現実世界において
「A家の当主はB家の当主に対して何らかの命令をすることができる」といった「事態」を意味している。

で、いまA家とB家が嫡庶の議論を延々と続けていて、それに見かねた幕府が仮に
「A家を嫡流、B家を庶流とする。ただしこの嫡庶は礼に影響するものではなく、礼式の上では全く同格とする」
と裁定を下したとする。
この場合、「A家はB家に対して嫡流である」という言明は、いったいこの現実世界のいかなる「事態」に対応するものなのだろうか?
もし何の「事態」にも対応しないとしたら、その言明はいったい何を意味するのだろうか?
というのが疑問。

862 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 00:26:31.22 .net
>>858
>九条家よりも徳大寺家の方が「皇室に近い」。
「天皇家との距離」というのは血の濃淡という意味ではない。天皇家を頂点とした身分制ヒエラルヒーの中での
天皇家や天皇家に比肩される将軍家(ピラミッドの頂点側)が政治的判断する“親疎”という意味。
当然これは政治状況で変化する。武家政権内部でのヒエラルヒーも鎌倉殿や室町殿との親疎で決定され、
それは間接的マクロ的には「天皇家との距離」に包含される、という考え方。
>>847は少しその視点が抜け、財産形成過程に家格決定の力点を置いたように感じたので意見した。


>「北条家との距離」によって決まっている、とは言える)
図をイメージしてもらいたい。 
 天皇制ヒエラルヒー∋幕府ヒエラルヒー∋足利一門ヒエラルヒー
という認識が出来ていればそれでヨロシ。(∋は「含む」ね。)

863 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 00:28:25.35 .net
>>860
鎌倉将軍家は天皇や摂関家に相当する格だったと言えないかね?

嫡庶に関しては、はっきり「こうだと決めてあります」でもないと。
明確に家来ぐらいの扱いの同族(足利宗家に対して細川・仁木など)はともかく、
斯波と吉良なんて「並んで座る時どうしましょうね」と思えなくもない。
実際問題、室町時代は将軍家の後を継ぐ可能性はほとんどなくなってたろうし、
その程度には尊氏・義満・義教の子孫はいた。
吉良云々も、本当に万々が一…レベルの対策で、吉良男系よりは関東公方庶流が将軍になれたんでは?

家の格を測る尺度は天皇だけでなく、足利・徳川両将軍家は考慮しなければならないと思う。
で、だいたい大名は両将軍家の親戚だから…日本のハイソは天皇だけ見てもダメでしょ。

864 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 00:40:06.50 .net
>>859
>「福井が嫡流である」というそれだけ以外に、いったい何を意味するのだろうか?
城中の席次(控室)や官位。 津山松平ではないが、 越後松平>越前松平のケース
松平太郎左衛門家(松平家宗家)が400石でも大名格(交代寄合)になってるし。
ちなみに自称新田氏嫡流の岩松もたったの120石で交代寄合である。
他人にとっては饅頭屋の本家争いなどどうでもいいが、当人たちは必死のパッチである。。

865 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 00:55:16.05 .net
>>864
> 城中の席次(控室)や官位。

福井藩も津山藩も、当然ながら、実際に席次や官位は既に明確に定まっていたわけなんだが?・・
どちらが嫡流か庶流かが決まったとしても、それ(席次や官位)が変わるわけでは全くあるまい。

866 :861  863:2017/04/04(火) 00:56:45.32 .net
あー、>>860とは別人だす。 847 848はわてでおます。 で横レス

>>863
>家の格を測る尺度は天皇だけでなく、足利・徳川両将軍家は考慮しなければならないと思う
そうだよ。 その上で鎌倉将軍家も得宗家も足利も徳川も、官位と席次で朝廷ヒエラルヒーにがっつり「格付け」されている。
>>862で既述したとおり。

867 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 01:01:55.84 .net
>>862
あなたの言う「皇室に近い」というのが、「血縁的に皇室に近い」という意味でなく、
単に「ヒエラルキーの中で頂点に近い」=「身分が高い」ということであるのなら、
あなたが言ってることは、単に
「身分・家格が高いということは、ヒエラルキーの中で高い位置にいることである」という、ほぼ同語反復以上のものではないように見えるが。

日本において「身分・家格が高い」≒「位が高い」≒「朝廷というヒエラルキーの中で高い位置にいる」
ということは別に否定しないし、別に誰もそれに反論はしないと思うけど、
だから何?というのが自分の正直な反応。

868 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 01:16:32.56 .net
>>865
いやいや、当人にとっては必死のパッチだよーん。 コピペ貼ってみる。

<越前 本藩論争について (部分)>
将軍家からの養子である第8代斉民は、天保6年(1835年)の老中・大久保加賀守(大久保忠真)への
内願書にて越前本家は津山松平家と主張し、
斉民自身の生家である将軍家との約束として旧石高への回復を求めている。
その中で斉民は自身の津山藩が本家であると主張、一方、越前国(福井藩)は分家であると断じ、
「分家が『三十万石余ニ而越前国ヲ領地致候故本家与心得候茂有之間敷物ニモ無御座候』
との状況になっている」と主張し、津山松平家の「秀康家筋之規模」すなわち
津山藩家が本家であることが明らかになるように、三位の格式と(福井藩と対等の)
30万石の復活を求めている。これに対して幕府は天保8年(1837年)8月に
秀康、忠直、光長らが用いた「金十文字投鞘対鑓」の使用を旧例に復することや、
海のない津山藩領に小豆島の一部を加えたほか、預地などでの配慮を見せている。
「金十文字投鞘対鑓」の使用は先代で復した三河守任官なども併せて、
幕府が津山松平家が秀康嫡流であることを改めて示した史実といえる

869 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 01:58:07.84 .net
>>867
負けず嫌いは解るが 自分のレスと他人のレスをちゃんと読んでいますか?
>だから何?
ですから、貴方のレス
「その「家格」はB家とD家の資産の差を示しているに過ぎない」(by貴方様)
というフレーズに対して
「財産形成過程に家格決定の力点を置いたように感じたので意見した」わけですよ。
それにあーた、上の自分の書き込みは無かったことにして、
「「北条家との距離」によって決まっている、とは言える) 」という、
「単に「ヒエラルキーの中で頂点に近い」=「身分が高い」論を主張されていますやん。
こちらにとっては>>847>>858が言うてること違ってますやん、と言いたいざます。
で、家格というのは
「B家とD家の資産の差」だけで決まるわけではニャイ、ということが理解できていれば
それでヨロシ。

次に
>あなたが言ってることは、単に身分・家格が高いということは、ヒエラルキーの中で高い位置にいることである」という、
>ほぼ同語反復以上のものではないように見えるが。
そう見えたんなら、少し解説義務が私に生じますな。 ここは明日以降 機会があれば書きますだ。
(貴方と私以外誰も興味ない話題について自論展開するのも格好悪いし、スレ浪費になるし)
まあ簡単に言えば 身分制 価格制度つうのは複雑な要素が絡み合って「格付け」される。
領地の大小だけでも天皇家や将軍家の血縁間だけでもない、天皇家(又は時の最高権力者)との親疎で決まる。
その視点が>>849には全く欠落してたので注意喚起した、つーこと。
その『抜け」を注意したのに対して、「わかってたよそんなこと! だから何よ?」
というレスで >>849以降の貴方のレスも俺に言わせれば「いちいち長文書くような話か?」となるわね。
まあ、お互いの言い分は理解し、特に大きな差異は無いようなので、>>849関連からは
撤退します。

870 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 02:05:56.07 .net
訂正  価格制度→家格制度 血縁間→血縁関係  >>849関連→>>847関連
今日も俺はダメだった(TT)
おやすみなさい。

871 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 03:20:02.75 .net
>>869
> 自分のレスと他人のレスをちゃんと読んでいますか?

はい。勿論、あなたよりはちゃんと読んでいるつもりです。というかあなたは他人のレスを一応読んではいるようだけど、理解は全くしていないようなので。。。
まず同語反復についてだけど、自分の言っていることはだね。

> まあ簡単に言えば 身分制 価格制度つうのは複雑な要素が絡み合って「格付け」される。
> 領地の大小だけでも天皇家や将軍家の血縁間だけでもない、天皇家(又は時の最高権力者)との親疎で決まる。

身分というものの一例として「官位」を考えてみると、たとえば将軍家の推挙によって、柳沢吉保が高い官位に登った、とする。
普通の一般的な理解では、これは単に将軍家の寵愛を受けたからです。
これは完全に、徳川綱吉の個人的な好みによるものなので、皇室は全く関係ない。
従って、普通の言葉の用法では、「皇室との親疎」は全く関係ない。

でもあなたの主張では、天皇制ヒエラルキー⊃幕府ヒエラルキー
(揚げ足とるようで悪いが、包含記号間違えてますよ。∋は集合対要素に使うもので、集合同士の包含関係には使いません。)
なので、「綱吉の個人的な好み」も天皇制ヒエラルキーの一部だ、ということですよね。
つまり「天皇に近い綱吉に好かれたことは天皇自身に近いことだ」みたいな。
そこまで無理してまで、「天皇制ヒエラルキー」を拡大解釈するのならば、
全てのものがあなたの言う「天皇制ヒエラルキー=皇室との親疎」で説明できてしまいます。それは当然の話です。

つまりあなたが言っているのは、「身分は天皇制ヒエラルキーで決まる」ということではなく、
単に、「私は身分を天皇制ヒエラルキーで解釈します」ということ。
そういう意味で「天皇制ヒエラルキー(=皇室との親疎)」という言葉を使うのなら、当然、
「家格は皇室との親疎によって決まる」というのは明確に同語反復に過ぎない。

もし、そうでない、と主張したいのなら、せめてあなたの言う「皇室との親疎」とやらが、具体的に何のことを意味しているのかを
明確に定義してからお話しなさいな。「複雑な要素が絡み合って」なんて逃げてないで。
そうでないと、何の議論にもなりませんよ。

872 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 03:22:08.69 .net
で、
> こちらにとっては>>847>>858が言うてること違ってますやん、と言いたいざます

そんなこと、ふざけた口調で言われてもねえ・・・ 全然、言うてること違いません。
何か全く理解されていないようなので、自分の言いたいことをもう一度書くとだね、

Aの弟Bが、大きな領地なり高い官位なりをもらったとしましょう。
それは当然、あなたの言う何とかヒエラルキーの中で認められたから
(何らかの形で、時の権力者に認められたから)でしょう。
>>847では「勲功等によって」って書いてますが、「等」なので別に勲功以外の他の理由もあり得るでしょう。

で、その「認められて大きな領地を得た状態」(C家とは異なる資産を得た状態)が「家格が高い」ということに他ならない、
というのが、>>847で言っていることです。
もちろん、>>847で「この場合」と断り書きしているように、他の場合では資産ではなく、家格が官位の差を示していることもあり得るでしょう。

でね、その「大きな領地を得た状態」というのは、上記のように、当然ながらあなたの言う何とかヒエラルキー(ヒエラルシーですかw)、つまり
時の権力者に認められたことが前提となっているわけです。当り前です。
いくら自分だって、「領地を与えられるためには、当時の権力者に認められることが必要だ」なんて当たり前のことがわからないわけがないですよ?・・ねえw
だからこそ上にも書いたように、「勲功等によって」ってちゃんと書いてあるわけですが。

それに対して、あなたは
「いやいや!そこには何とかヒエラルキーがあるはずだ!(=時の権力者に認められたという要素があるはずだ!)」
と文句をつけてきたわけだけど、・・・それに対しては正直、
「そうですね。当たり前ですよね。だから何?」としか答えようがない。
そんな当たり前のこと言われて、「その視点が抜け落ちてる!」とか言われても、いや抜け落ちてませんよとしか言いようがありません。

873 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 03:22:39.23 .net
>「B家とD家の資産の差」だけで決まるわけではニャイ、

すまん、前言撤回。あなたは人のレスすら読んでませんね。
「資産の差だけで決まる」なんていつ言いました?>>847の例では資産の差で決まっている、と言っただけで、
(上記の通り)他の要素で決まることがあり得ないとは言っていません。

繰り返すけど、>>847で示した「資産の差」の中にあなたの言う何とかヒエラルキーが含まれている、というのなら
それは同意します。あたりまえですもん。
でも、お前は「資産の差に過ぎない」と言った以上、「権力者から認められる要素」を拒絶している!お前にはその視点が抜け落ちている!とか言われても、ねえ・・・
もう少し相手の言っていることを理解してから批判なさいな、としかどうにもこうにも。


あとついでながら、>>868についてもコメントしとくと、
そういう官位なり石高に直結するような例が仮にあったとしても、そうでない例も恐らくあり得るわけで、
そうでない例があること自体が不思議だね?ってのが>>861で言ってることでしょう。これに対してあなたは何もレスできてません。
まあ、こういう抽象的な議論はわからないんでしょうねえ。

874 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 03:46:12.25 .net
あと
>>869

> まあ、お互いの言い分は理解し、特に大きな差異は無いようなので

これは違うねえ。自分は上述の通り、あなたの書き込み>>850
明確な間違いか、もしくは明確な同語反復(つまりナンセンス)か、どちらかだと思っています。

あなたは自分のレスに対して「いちいち長文書くような話か?」とか思うのかも知らんけど、
長文書くのはまあ人の好みです。(ていうか、この程度の文章を「長文」とかいう人って論文書いたことないのかな?とも思うけど)
少なくとも、間違ってはいないし、ナンセンスでもない。

でも、あなたの発言は間違いか、もしくはナンセンスです。
なので「お互いの言い分は理解し、特に大きな差異は無い」は誤解。
あなたは自分の言い分を理解していないし、差異はあります。

875 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 04:28:10.79 .net
×ヒエラルシー
○ヒエラルヒー

876 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 05:02:54.98 .net
大事なことなので「長文」で書きました

877 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 05:05:36.52 .net
今 ざざっと目を通したが、要するに「>>850は同語反復で、「家格は資産で決まる」と言ってねーよ。行間を読めよカス」
ちゅうことだな。あー、そうですか、すまんやったね。
誤読を全て相手方の読解力のせいにして自らの文章力に一切の責任はニャイ、
という方に対しては、「お客さんには負けますわ」と答えることにしております。
家格というのは「B家とD家の資産の差」だけで決まるわけではニャイ、ということが理解できていれば
それでヨロシ。
それよりも849の説明をしたいので、長文原稿出来たら投下します。
これはマルチレスなので、レス不要。暇だったら一読してワロテやってください。

それから また訂正w >>848は私ではないです。アンカーミス。848 849が私。

878 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 10:32:05.88 .net
このスレ見る限り鎌倉室町時代大人気だな
やっぱり皆源氏とか足利が大好きなんだな

879 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 11:21:24.66 .net
>>878
このスレに足利と新田を嫌いな人なんかいないでしょ

中原
清原

菅原
大江

小野
佐伯
高階

あたりも語りたいもんですな

880 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 18:02:42.19 .net
ドヤ顔で強姦の証拠ばらまいてて草生える

881 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 18:55:46.03 .net
ほんとお前らって貴種だとか家系の話だとか好きだよな
年齢層が高いってのもあるんだろうけど

882 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 19:21:37.88 .net
>>881
中世史は偉い人しか名前が残らないもん
俺の祖先なんか地球のどこかでセックルしてただけさ(日本にいたかも不明)

883 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 19:26:33.37 .net
>>881
大学生だけど足利大好きです

今売れてて話題の、
『応仁の乱」を書いた呉座勇一氏の『戦争の日本中世史』買ったぜ

884 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 22:44:25.40 .net
避妊具が発達した現代でもドイツでは10人に1人が父親と遺伝子が一致しないという話だから
大昔のことなんて猶更わからないよね
本当に血統的な意味での先祖を探りたいなら女系でしか確実にたどれない

885 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 23:37:15.40 .net
この長大なレス応酬も

「斯波と吉良はどっちが偉いの?」
「斯波と畠山はどっちが人気あるの?」

という斯波大人気が発端なのだ

新田義貞「…僕は新田の宗家でいいんですよね(´;ω;`)ウゥゥ」

886 :日本@名無史さん:2017/04/05(水) 11:31:32.55 .net
 
鎌倉時代に馴染みを持ってもらうにはなるだけ長寿な北条一門を見つけて
そいつ中心に歴史小説でも書くのが一番だと思うんだけど、
たとえば鎌倉幕府滅亡のときに一斉に集団自決してるんだけど
そのときに一番最高齢だったのは誰なんだろうか
元寇に参戦経験あったら一番いいんだけど

887 :日本@名無史さん:2017/04/05(水) 20:08:12.24 .net
イメージでは長崎円喜

888 :日本@名無史さん:2017/04/05(水) 20:42:15.36 .net
斯波の知名度が抜群なのは、信長・秀吉・家康のテレビドラマを作ったら、
信秀・信長の(形式上の)主君として、必ず出てくるからだよ。

細川昭元(細川京兆家)とか出てこない(藤孝・忠興とかぶって視聴者が混乱するという面もある)、
ましてや畠山なんてまったく出てこないから。

889 :日本@名無史さん:2017/04/05(水) 20:43:52.43 .net
結局のところ、足利一門の名族の本家筋で、大名として生き残ったところは無いんだよね。

890 :日本@名無史さん:2017/04/05(水) 20:49:39.64 .net
>>886
北条政村(1205-1273)と金沢貞顕(1278-1333)で、2人でリレーするのがよい。

政村が死んで貞顕が生まれるまで、わずか5年だ。

891 :日本@名無史さん:2017/04/05(水) 20:55:47.56 .net
>昭元(細川京兆家)とか出てこない(藤孝・忠興とかぶって視聴者が混乱するという面もある


室町とかが人気ないのはこれに尽きると思う。諱無しで呼ばれたらアチコチ〜守やら
太夫とかがわんさかで視聴者はチンプンカンプン、諱で呼ばれても誰が誰で、一体何時挙兵
して理由は何よ? みたいになる。

892 :日本@名無史さん:2017/04/05(水) 21:05:04.19 .net
本当は、ともに信長の傀儡となった足利義昭(将軍)と細川昭元(京兆家)の対比を
ドラマで描けば、面白いんだけどね。 つくづく藤孝と忠興が邪魔わだね。

893 :日本@名無史さん:2017/04/05(水) 23:09:06.63 .net
>>890
中継ぎは大仏宣時(1238-1323)にでも任せれば完璧だな
霜月騒動の中心人物とも言われてるし

894 :日本@名無史さん:2017/04/06(木) 00:17:58.75 .net
>>888
大河ドラマの斯波さんなんかあんま記憶にないなあ
太平記の高経からして高師直に馬鹿にされるキャラだった
細川と畠山と吉良は高卒新採用の試験でも書けなかったら不採用レベルの名字だと思うけど

895 :日本@名無史さん:2017/04/06(木) 06:59:11.23 .net
>>889 細川は卑族とでもいうべきか?

896 :日本@名無史さん:2017/04/06(木) 08:39:30.61 .net
>>891
大河なんか相当不自然なレベルで諱を使ってるぐらい。

上杉ママン「尊氏殿」

実は諱すら判然としない武将が多く、官職や「×郎」などで呼ぶほかなかったりする。
諱は署名では使っても口頭で頻々と使うようなもんではなく、主君でも家来を諱で呼んだら非礼だった。
天皇を「明仁」「尊治」と呼んでるようなもんか。

897 :日本@名無史さん:2017/04/06(木) 10:39:35.57 .net
>>896 楠木正成の部将だった 恩地左近や平野将監の左近や将監は官名なのかな?

898 :日本@名無史さん:2017/04/06(木) 13:30:18.81 .net
思ったけど、鎌倉・室町時代の武士とかって複雑極まりない各家の家系をネットもない時代にどうやって把握してたの?
応仁の乱とか複雑すぎてこいつ誰だっけみたいにならなかったの?

899 :日本@名無史さん:2017/04/06(木) 14:20:58.79 .net
多分なったからあんな泥沼になったんじゃないかと

900 :日本@名無史さん:2017/04/06(木) 17:35:12.84 .net
>>898
きちんと歴史のある家なら文書が残ってるからね
それを辿れば家系を把握できる

901 :日本@名無史さん:2017/04/06(木) 19:11:57.65 .net
つか、南北朝時代とか電話もネットもない時代に何万という武士の誰が味方で誰が敵とかよく把握できたな
頭が混乱しそう

902 :日本@名無史さん:2017/04/06(木) 19:53:23.50 .net
守護みたいにしゅごい家はさすがに知られてたんじゃないかな

903 :日本@名無史さん:2017/04/06(木) 20:15:27.89 .net
NHKの人名探究バラエティー日本人のおなまえっ!で斎藤・斉藤特集

おまいらは当然語源を知ってるよね(´・ω・`)ヌフフ

904 :日本@名無史さん:2017/04/06(木) 21:32:09.93 .net
>ネットもない時代にどうやって把握してたの?
把握できるようになったのは阪神大震災以降。
俺が大学生のの頃なんか誰も把握してなかったよ。

905 :日本@名無史さん:2017/04/09(日) 23:23:11.07 .net
>>901
基本的に南朝か北朝かで争っていたわけではなく、
豪族同士が土地や家督の争いをしていたら、
相手が足利の庇護を受けてたら自分は新田に協力を求める、
みたいなところでしょうね。

906 :日本@名無史さん:2017/04/10(月) 08:57:19.82 .net
>>905 それは尊氏も直義も。

907 :日本@名無史さん:2017/04/10(月) 11:07:54.74 .net
一般に「南北朝の争乱(動乱)」と呼ばれるが内実は「国人たちの争乱」と見れば理解しやすい。
鎌倉幕府・建武政権の崩壊でそれまでの秩序が乱れ、在地領主たちの国衙領・公家領の侵略が進み、
荘園の切り取り勝手次第の世の中となった。在地領主・悪党たちは国人へと進化し、これが自分の都合で
南朝や北朝に分かれた。そんで隣の奴がこっちについたら、あっさりそれまでの敵方に回ったりと、
それはもう日替わり定食状態になったから、だらだらと60年続いた。
足利義満はこの「学級崩壊」状態の一番の癌は南朝の存在であるとし、これを潰して秩序を回復させた。
足利義満は徳川家康と同等の評価を受けてよい。 (没後、幕府はグダグダになったが)

908 :日本@名無史さん:2017/04/10(月) 20:23:50.61 .net
>>907
義満みたいな英雄が評価されず、信長みたいな糞が絶賛されてるっておかしいよな。

909 :日本@名無史さん:2017/04/10(月) 22:09:27.53 .net
>>907 義持の時はまだましじゃない。

910 :日本@名無史さん:2017/04/10(月) 23:07:39.70 .net
義満も義持も死に方がなあ

後継者しっかり決めずに死ぬってどういうことだろうか
争い起こるに決まってるじゃないか

911 :日本@名無史さん:2017/04/10(月) 23:44:26.89 .net
>>909
義持は親父と弟に挟まれて地味な感じだが、これも評価されてよいと思う。
有力守護たちと上手に調整政治を行って幕府の安定期を築いた。 ちょっと北条泰時に似てる感じ。(反論は認める)
但し>>910氏の言うように籤引きはいかんよ籤引きは。 しかも自分の死後にさせているし。
しかし、嘉吉の乱が無ければこれはこれで「義持流後継者指名」は成功となるはずだった。
何事も結果次第。 痩せても枯れても15代続いた室町幕府はレジームとしては実は史上最強だったのかもしれない。
ちなみに足利義昭は京都追放後も鞆幕府を開き、織田政権より長続きした。

>>908
ノブりん悪口はやめてくれ

912 :日本@名無史さん:2017/04/11(火) 00:46:05.56 .net
くじ引きとはいうものの、あの時点で義教以外にはろくな候補が居ない
最有力候補の義教がごねて、くじ引きで選ばれたことにしたがったからという可能性もある

913 :日本@名無史さん:2017/04/11(火) 02:38:05.90 .net
義教に決まってたのに籤をやった可能性もあると思う
神意で正当化するため

914 :日本@名無史さん:2017/04/11(火) 02:52:43.53 .net
>>913
あの時代はそこまで人間は堕落していない思う。
もう少し時代が下った、戦国ならその可能性はあるけどな。

それにくじ引きをみんな馬鹿にしているけど、選挙だってある種の神の意思が
働いているとの理論武装をしているのだから、くじ引きを否定するなら、極端な話
選挙だって否定することになる。
もう一つ、選挙でも地方議会のレベルでは、同数になるとくじ引きで
決めているしな。(実際に決めた事例がある)

915 :日本@名無史さん:2017/04/11(火) 06:21:40.43 .net
義満は独裁者なんて言われてるが実際は守護大名の顔色伺ってるし
かなり媚びへつらうタイプの将軍
守護大名の協力なしじゃ立ち行かないことをよく認識していた

916 :日本@名無史さん:2017/04/11(火) 08:37:01.17 .net
独裁者だって自分一人でなんでも出来る訳じゃねーし
人望がなければ義教や信長みたいにアボン

917 :日本@名無史さん:2017/04/11(火) 09:54:22.50 .net
ノブはかなり人望はある方だったろ。
好みが別れるだけでね。
そりゃどんな人間にも好みはあるし、万民に好かれるなど不可能だわな。
そして義満は公家には高圧的に出るが、武家には全然独裁者では無いぞ。
独裁者だったらもっと天領も拡大してるし、守護の権限も削っているだろう。
そしてだからこそあんな風に公家や朝廷の権威に縋ったんだ。

918 :日本@名無史さん:2017/04/11(火) 10:51:31.17 .net
>>914
斎宮や斎院も決まっているのに一応、卜占をやるんだよ
神のお告げだっていう体裁を取る

足利義教は4代将軍足利義持の同母弟で当時すでに准后・天台座主
くじ引きをした4人の弟たち中でも義教一人だけが突出していた
他は義持の異母弟たちだし義教ほどの高位僧ではなかった

919 :日本@名無史さん:2017/04/11(火) 16:22:34.21 .net
>>917
信長は部下には独裁者だが日本全土で見たら諸大名に命令ひとつ出来なかったただの暴君ですが

920 :日本@名無史さん:2017/04/11(火) 17:00:58.19 .net
>>910
信長はそのあたりは賢かった
40代で後継者をしっかり決めて育てたのは慧眼
まさか信忠まで自分と一緒に死んでしまうとは思わんかっただろうけど

921 :日本@名無史さん:2017/04/11(火) 17:11:00.91 .net
後継者を育てたうえに一緒に殺されることのなかった足利尊氏ってすげーよな

922 :日本@名無史さん:2017/04/11(火) 17:19:57.42 .net
尊氏は人望はあったが独裁者のイメージが全く無いな
俺はこの時代にあんまり詳しくないので違うかもしれんが

923 :日本@名無史さん:2017/04/11(火) 18:23:28.03 .net
>>922
高師直「将軍、寺社や公家にいい顔ばかりして武士をないがしろにする
弟君の直義様を除くべきです」
尊氏「そうせい」
直義「兄上、師直を除かぬ限り政道が安定しませぬ」
尊氏「そうせい」

924 :日本@名無史さん:2017/04/11(火) 19:27:19.49 .net
選挙という手法だって、黎明期には民意を汲み取る手段じゃなく神意を汲み取る手段って考えられたんだよな
くじ引きとの区別は薄かったと思われる。

925 :日本@名無史さん:2017/04/11(火) 19:29:02.37 .net
>>919
本能寺の直前頃になると、信長の命令に従わない大名なんて数人しか残ってないぞ

上杉と毛利と長宗我部といった交戦中の相手をのぞけば本当にわずかだ。

926 :日本@名無史さん:2017/04/11(火) 19:54:13.23 .net
>>922
独裁どころか弟直義にけっこう仕事を投げていたらしい。
…というよりは直義が裁判などを好み(戦は好きでない?)、
君臣長幼の序を重んじるまじめな人だから、尊氏の地位そのものは脅かされることも考え難くって所か。
対し尊氏は戦場では勇敢で(これは裏付けられると思う)、教養あり、おおらかで、人気があったのは確かなようだ。
兄弟対立の原因は当時の人にも謎だったらしく、古典の太平記では、護良親王などの悪霊が働きかけ、
ずっと実子のいなかった直義に急に如意丸という男子が生まれて、直義の妻も驚くという描写がある。
大河ドラマ太平記では、直義が義詮をこころよく思ってなくて(義詮は闘犬にうつつを抜かすボンクラと描かれてる)、
養子にした直冬に将軍を継がせたいと尊氏に言うシーンがある。
対し高師直は義詮を後継にしたくて、けっこう前から尊氏夫人登子に働きかけている。
直冬はともかく、如意丸なんて将軍の後継者に直義が推すとは全く考え難いので…今でも兄弟対立の真因は未解明と言っていいかな。

927 :日本@名無史さん:2017/04/11(火) 19:55:31.13 .net
北条と伊達は信長のダチ。信長の全国統一は数年以内に達成できたと思われ。
所詮はIFでしかないが、信長が中世社会をぶっ壊した(特に宗教戦争)ことへの評価を考えれば
918の評価はいささか短絡的な感じがする(失礼)

このスレのテーマに繋がるが、北条氏や足利氏の功績にについてもう少し適正な評価が与えられれば
鎌倉・室町時代も面白い時代と認識されよう。
今年なぜか「応仁の乱」(中公新書)が30万部超えのベストセラーになり、(おお!)
別スレでは高師直が大人気となった。(ちっちゃい話やな)
 今、時代の潮流が変わりつつある。

928 :日本@名無史さん:2017/04/11(火) 19:57:30.16 .net
>>925
重臣でさえも信長に背いてますが

929 :日本@名無史さん:2017/04/11(火) 20:02:47.21 .net
>>927
部下ですら背く信長に天下統一は無理でしょ
現実に出来なかったんだから

宗教戦争なんて井沢のこじつけ真に受けてどうする
比叡山と対決したのは信長が唯一でも最初でもない

中世を壊したってどんな意味かな
中世と近世の違いは乱世か治世かの違い
信長は乱世を終わらせてないから中世どまりだよ

930 :日本@名無史さん:2017/04/11(火) 20:05:49.11 .net
今谷明先生は信長の権力を「累卵の危うき」と表現してるな@講談社新書『信長と天皇』
まあけっこう部下に丸投げの権力で(検地なんか差し出し式…なら計量とか部下任せだよね)、
信長の個人的力量に依存するところ大だったろうから…
続く秀吉もずいぶんと大名に裁量権をやって、彼個人の政治力でどうにかしてたのだろうから、
信長・秀吉はまだまだ戦国大名=「諸勢力糾合型権力」だったのかもね。

931 :日本@名無史さん:2017/04/11(火) 20:24:58.12 .net
>>927
北条や足利だと、具体的に領地に何したなんて業績がわかりにくいのだと思う。
信玄が堤防を造らせた〜みたいなさ。
となると、どうしても政治の上澄み…マクロな政策から推測するしかなく、
また大名レベルでも諱がわかれば幸せ…では個人像も想像しづらいのだと思う。

師直は太平記・歌舞伎(忠臣蔵)で「悪」とはされたものの、学者や歴史通は昔からけっこう好きだったようにも思う。
これも↑同様「事績が不明すぎ」る武将が多いのに、師直はまだ事績はわかってるほうで(そりゃ足利譜代で一番偉い家だしね)、
四条畷合戦など彼の実像の一端を伝える記述が残るからだと思う。
悪もまた複雑な受容され方してて、師直はそりゃ勿論「悪役」なんだけど、太平記では人望厚い有能な武将とも描かれてる。
悪源太義平、悪左府藤原頼長なんてのは、一概に否定してるわけでは勿論なく、常人と比べて知・勇に優れていたということでもある。
師直は

有能・勇将(太平記で、兄弟の高師泰が師直をほめているほど。師泰もまた乱暴だが有能とされている)
達筆(書状から)
和歌が好きな教養人
美男子(太平記から)
女好き(同上)

など、キャラクターとしては太平記で最も精彩を放っていると言えるほど。
実は、楠木正成、北畠顕家、尊氏兄弟もそんなにはキャラをしのばせる言及はなくて、北条高時は遊び好きの馬鹿者の面だけ描かれ、
師直兄弟と、女好きゆえに滅んだと言わんばかりの新田義貞・義興父子が一番キャラ立ってると言えるほど。

932 :日本@名無史さん:2017/04/12(水) 08:07:32.15 .net
>>928
外様の明智光秀と荒木村重(これも本人ではない)くらいでしょ。

933 :日本@名無史さん:2017/04/12(水) 19:47:26.37 .net
>>928
そいつらを含めても数人
というか、残ってた敵対者の半分が元家臣ってぐらい敵が減ってただろ

934 :日本@名無史さん:2017/04/12(水) 21:24:15.81 .net
それまで頼りになっていた味方が突然背くって異常だよね
家康も基盤が弱い頃は配下も敵になったりしたけど
天下とり目前になると重臣が叛くなんてなかったし
やはり信長は天下人の器じゃないんだよ

935 :日本@名無史さん:2017/04/12(水) 21:26:58.69 .net
戦国時代?なんていうのは創作だから

936 :日本@名無史さん:2017/04/12(水) 23:19:57.21 .net
>>932 これは家臣とは言わないかも知れんが松永久秀は?

937 :日本@名無史さん:2017/04/12(水) 23:49:38.02 .net
>>936
松永久秀って将軍殺してたよね

938 :日本@名無史さん:2017/04/13(木) 00:51:07.84 .net
>>934
つ【石川数正】、【大賀弥四郎】

>>934は必死の印象操作だが、
むしろ織田家臣団の忠誠心の高さは特筆に価するんだよ。

外様の明智光秀と荒木村重(本人ではなく家来が謀反を起こして巻き込まれた)だけ。

家康の家来は、少なからず一向一揆に味方したが、
織田家臣団で本願寺に寝返った例は存在しない。
(上述の荒木村重の家臣団くらいのもの)

939 :日本@名無史さん:2017/04/13(木) 03:22:45.79 .net
うおお
戦国時代・武将板は別個に立てるほうがいいと思わんばかりの信長トークだなw

家臣と言っても、信長の家来は一体いつごろから仕えたかわからんのが多い。
譜代でないなら、そんなに強い忠誠心を持ってなくてもおかしくない。
だいたい信長の曽祖父からしてハッキリしない(祖父は信定または信貞らしい)。
織田は長尾に似てる気もする(家自体は有名で有力だったが、どうにもわからない部分が多いのは守護代ゆえか)。
信長の家来に経歴未解明なやつが多いからといって、信長が家柄にとらわれない人事をやったとNHK好みの落とし方をするのも疑問が。
豊臣秀吉にしたって、その数ある「謎が多い家来」に過ぎないのであって、彼を下層民の出とするのは短絡だと思う。
むしろ、信長の家来・陪臣に、森・毛利(河内源氏)、池田(摂津源氏)、明智(摂津源氏土岐氏流)、浅野(同前)、前田(菅原氏)、堀(藤原利仁流)、
山内(山内首藤氏)など、名門を称した人が多いことに注目していいのかも知れない。

940 :日本@名無史さん:2017/04/13(木) 09:52:47.63 .net
そりゃあ斯波氏(尾張足利氏)の被官をそのまま家臣団に組み込んだのだから、
名門・旧家の庶流・末裔を多く抱えていても、何の不思議もないよ。

三河の徳川氏にも一部あてはまるがね。(石川や渡辺など)

941 :日本@名無史さん:2017/04/13(木) 10:02:36.56 .net
だいたい、後年の秀吉に対する対応とまったく違って、
後北条氏が戦わずして信長に従属を決めたり、
長宗我部や島津もおとなしかったのを見てもわかる通り、

斯波氏家臣団の序列2位で、
尾張守護代の織田家の家格、知名度自体が、かなり高いからね。
(信長の家はそのまた家来の三奉行家の家格だが)

応仁の乱以前は、守護の斯波氏、家臣団序列1位の甲斐氏と同様に在京で、
足利将軍自ら任命に介入してくるくらいの地位だ(織田郷広)。

「尾張の織田」からお手紙が来たと聞けば、全国のどの大名も、まともに扱ってくれる。

942 :日本@名無史さん:2017/04/13(木) 10:58:16.84 .net
>>938
お前日本語読めてないだろ。
石川とかが徳川裏切ったのは、まだ天下取りの欠片もないころじゃん。
信長家臣団は実際に瓦解した事実をお前は無視か?
本能寺の変がなかったことにしたくてたまらないようだけど、
信長は裏切られて死んだことくらい認めような。

943 :日本@名無史さん:2017/04/13(木) 11:01:37.31 .net
>>938
追記
なにをほざいても負け犬の遠吠えだ、信長は天下人として失格。
もしくつがえしたいなら、信長が天下を統一し泰平の世を築いたという史料を提示してくれ。
仮想戦記小説家の妄想は禁止。

944 :日本@名無史さん:2017/04/13(木) 11:28:01.20 .net
>>942
「裏切り」を(信長・信忠死後の)「瓦解」としれっと書き換える印象操作w

945 :日本@名無史さん:2017/04/13(木) 11:33:46.73 .net
>>942
「基盤が弱い頃」(>>934)を「天下取りの欠片もないころ」(実際はそうとも言えない)
にしれっと改竄する姑息さw

946 :日本@名無史さん:2017/04/13(木) 16:01:06.01 .net
織田の知名度自体はけっこうなもんだったろう。
斯波(京都管領家)の家来でも、甲斐・織田・朝倉は並みの国人ではなかった家。
守護代クラスでも、美濃斎藤・長尾に匹敵するぐらいじゃなかろうか。
重臣としても、遊佐(守護は畠山)、垣屋(〃山名)、陶・内藤(〃大内)、跡部(〃甲斐武田)より有名だったろう。
尾張守護代は、カナーリ早い時期(織田氏の尾張守護代が確認できるのは足利義満の晩年ぐらい※尾張守護が土岐→斯波に替わったので)
から在京の守護代と尾張在国の守護代(こっちを又代といい、在京が格上)とがいたから、
山名や赤松の在京被官より全国的に知られていたぐらいだったかも知れない。
としたら、信長の家が織田では庶流でも、そもそも嫡家と庶家の格差がどれほどあったかわからないし、
尾張一国で戦国時代に50万石と仮定したら、織田各家は数百〜数万石といった所か?
これぐらいなら嫡庶の逆転はさほどあり得なくもない話だったかも。

書いてて思ったが、守護代って意外にわかってないよね。
守護が在国してればあまり必要がなかったのかも知れないけど。

947 :日本@名無史さん:2017/04/13(木) 17:12:08.08 .net
>>946 三好が一番有名。

948 :日本@名無史さん:2017/04/13(木) 19:30:31.26 .net
>>939
うn、村井貞勝とか林なんちゃらとか、あとは前田の犬千代とかぐらいしか旧臣って記憶にないな
林は蟄居させられて最晩年までの勤続じゃないし

主要な家臣の大半が尾張統一を進める過程で降伏した尾張普代(などとは普通は呼べないが)と
美濃攻略過程で降伏した美濃普代(こんなのを普代といわないのは当然だが)と上洛の前後までに、または浅井攻略途上で降伏した近江普代あたりだな
この三ヶ国の外様たちが家臣の大半だったはず

>>947
尼子も著名な守護代だったはず

>>946
守護といっしょに在京する守護代も少なくないが、そいつらが何の役割を果たしてたのかもよく知らないんだよな……

949 :日本@名無史さん:2017/04/13(木) 19:55:25.77 .net
阿波三好氏は、応仁の乱後に登場する三好之長より前はほとんど事績がわからないらしい。
本人たちは鎌倉時代に阿波守護だった小笠原氏(甲斐源氏)の一族というんだけどね。
なんでも鑑定団の天目茶碗ももとは三好家の所有と出品者が言ってた。
細川氏領国でも阿波は意外にわかりにくい気がする。
讃岐は香川・香西などが強かったらしく、土佐は本山・山田・長宗我部や関白一条家などが割拠してて守護代は細川一族がやってたらしいが、
阿波は本国と言っていいほどだったせいか、かえってどの国人が強かったかいまいちわかりにくいようにも。
三好以外の阿波国人では赤沢が有名か。
ちなみに長宗我部は太平記に登場するらしい。

尼子は佐々木導誉の子に始まる旧家だが、尼子経久以前に著名な人がいない。
経久あっての尼子と言われるのもわかる。

守護が在京してたような家だと守護代がけっこう職務を代行してたのだろうけど、
今川みたいに地方在住が多かった家だと「守護代なんて必要だったのかなあ?」という感もなくはない。
甲斐守護代の跡部氏は、上杉禅秀の乱で武田家が衰微したころに、逸見氏などと権勢をふるっていたという。
武田信玄の父・祖父はそういう武田の同族と争って勝っていく時代。
遠州の守護代は狩野氏ではないかといわれてて、狩野も源頼朝以来の名門。
狩野は今川と争っていて、北条早雲が伊豆で狩野氏と争ったのもその延長ではないかと思う。
織田ぐらいだと、小国(若狭、伊賀、隠岐)の守護より偉かったぐらいじゃないかって気はするけどね。

950 :日本@名無史さん:2017/04/13(木) 20:07:43.19 .net
>>948
だいたい豊臣秀吉の家来の有力者も濃尾・近江が多いやね。

尾張 加藤清正、福島正則、山内一豊
美濃 蜂須賀(尾張?)、浅野(土岐氏の一族というので美濃ルーツか?)
近江 石田、脇坂、大野治長(浅井時代から淀殿に仕えたという)
播磨 黒田

秀吉が出世して勢力を扶植していった地域に呼応する。
今、NHK総合でやっとる山田も、尾張源氏に山田氏がいて、承久の乱で敗れた山田次郎重忠がいた。
阿波蜂須賀藩家老の山田家もこの一族かも知れない。
『おあむ(御庵)物語』の尼僧の父が山田去暦というんだが、石田三成に仕えていたという。

951 :日本@名無史さん:2017/04/13(木) 20:10:21.83 .net
応仁の乱より少し後の時期に遠州の守護代として甲斐が出てきてた気がするが
朝倉に越前を逐われて主家共々遠州に移住した可能性?

甲斐常治らの一族って遠州じゃなく越前在住だったよね。

952 :日本@名無史さん:2017/04/13(木) 20:43:45.60 .net
>>951
あの甲斐氏っていうのも、甲斐国ルーツかと思いきや下野か上野の藤原秀郷の子孫だとかで、
としたら、鎌倉時代から足利家と関係があって、斯波家の家老格にされたのかな?
斯波家は応仁の乱で越前守護を朝倉に取られちゃったせいか、
斯波義廉(西軍)は尾張に向かい、以後消息不明らしい。
尾張は守護家の分裂のせいで大混乱だったらしい。
義廉の系統は、尾張では斯波義敏(東軍)の系統に敗れてしまい、
以後、義敏の系統が尾張守護になったのは織田一族の偏諱にも反映されてる(織田敏定・寛定・達定とか)。

北条早雲が台頭するのは、今川義忠(義元の祖父)が遠州で討ち死にしちゃって(1476)、後継問題に関与したから。
甲斐氏は越前から遠江に移ったともいうけど、その後はあまりわからない。
遠州は、国内に突出した勢力がいなかったんじゃないかと思う。

953 :日本@名無史さん:2017/04/13(木) 22:45:15.86 .net
斯波氏って三管領の割に領国少なくない?

954 :日本@名無史さん:2017/04/13(木) 23:22:24.36 .net
家康がまだ三河の小大名レベルだった時の話を持ち出すんだったら

信長だって柴田勝家に敵対されてるし

本能寺の変くらいのインパクトを考えると
関ヶ原で本多が西軍につくくらいでないと無理だね


信長信者って絶対信長の汚点を認めないから笑える

955 :日本@名無史さん:2017/04/13(木) 23:25:59.52 .net
のぶながのぶじゃ

956 :日本@名無史さん:2017/04/13(木) 23:28:54.90 .net
がははははははは

957 :日本@名無史さん:2017/04/14(金) 03:12:48.76 .net
>>946
斯波家臣団序列1位の甲斐氏の家督を安堵するのは足利将軍で(つまり将軍直臣扱い)、
甲斐氏の京屋敷には将軍自らのお成りがあったという。

斯波家中の甲斐氏は、鎌倉公方に対する関東管領(山内上杉)に近い存在。

さしづめ織田は扇谷上杉相当か。


やはりここでも、「斯波」と書くからわかりづらくなる、誤解・錯覚するのであって
(他の三管領家や有力守護大名との質的な違いがわかりづらくなる)

「尾張足利家の執事は将軍直臣」、「武衛家の執事は将軍直臣」

と書くと、理解しやすい。

足利義政は、(将軍直臣の)執事の甲斐氏や当主の実父の渋川氏を通じて
斯波氏という「組織」をコントロールして関東へ出兵させようとしており(頓挫)、
他の有力守護大名に対する介入の仕方とは、根本的に異なる。

今にして思えば、堀越公方とした政知を、直接、
斯波氏の養子に入れた方がよかったのではないか。

958 :日本@名無史さん:2017/04/14(金) 03:41:56.60 .net
>>954
美濃(と尾張)攻略を見ると、けっこう勝ったり負けたりで、信長の軍事的天才説は成り立たないと思う。
まあ信者は「桶狭間奇襲」「鉄砲三段撃ち」「鉄甲船」をとくとくと語ってくれるんでしょうけどね。
信長と並び信者の多い「軍事的天才」源義経の有名なひよどり越え(山を馬で駆け下りたってアレ)も実際にはやってないとか。

959 :日本@名無史さん:2017/04/14(金) 03:48:41.27 .net
>>958 楠木のうんこ・しよんべんと湯のぶっかけは?

960 :日本@名無史さん:2017/04/14(金) 03:59:39.67 .net
>>953
斯波管領家…越前、尾張、遠江(大崎が奥州探題、最上が羽州探題)
畠山…河内・越中(管領家)、能登(能登家)、大和の西〜紀伊の北(管領家が現地国人を味方につけて支配)
細川…摂津(有馬郡は除く)、淡路、讃岐、阿波、土佐、備中、三河(↓一色氏の後任)
赤松…播磨、備前、美作、摂津有馬郡
山名…但馬、伯耆、因幡(この3つは明徳の乱後も保った)
京極佐々木…近江半国、飛騨、出雲、隠岐
土岐…美濃(宗家)、伊勢(全部ではない&美濃とは別の家が守護)、尾張(義満の時代に斯波に替わられる)
上杉…伊豆・安房・上野(山内家)、相模(扇谷家)、武蔵・上総(犬懸家)、丹波(在京の八条家)
一色…三河・若狭(足利義教に当主を殺され、ともに失う)、丹後
渋川…九州探題(肥前守護も?)
大内…周防、長門、筑前、石見の西

ざっと見ても、斯波は畿内近国の裕福な越前・尾張+遠江なので優遇されてるぐらいかと。
高一族もあちこち守護やってたらしいのだが、師直たち滅亡以後はずっと保てた領国がなかったので省いた。
本スレのアイドル吉良が出ないのが寂しいねえ(奥州探題を一時期務めたが)。

961 :日本@名無史さん:2017/04/14(金) 04:01:12.16 .net
>>958
左翼は簡単だよね、偶像破壊して喜んでりゃいいんだからw

962 :日本@名無史さん:2017/04/14(金) 04:05:24.37 .net
>>957
将軍家から男子を送り込んでしまうと、かえって混乱のもとになると考えたのかな?
斯波という家の中途半端な立ち位置がめんどうだったのかもねえ。
細川、仁木、畠山、一色ぐらいだと、まず絶対に将軍=宗家に取って代われないけど、斯波はまだ微妙だった可能性。

>>959
楠木も鼻をつまんで下知をなし(やなぎだる)

糞庶民の妄想なのか現実にそんな戦術があったのか…日本史の闇は深い

963 :日本@名無史さん:2017/04/14(金) 04:11:25.35 .net
>>961
そりゃ共産主義者にとっては天皇なんて単なるフェティシズムだからね
その共産党に吉良(清和源氏足利一門)・佐々木(宇多源氏)なんて議員がいるのも皮肉

964 :日本@名無史さん:2017/04/14(金) 08:18:41.70 .net
> 醍醐寺座主・満済の日記(『満済准后日記』)によると、正長元年(1428年)8月6日、
> 常松は病に侵され危篤状態にあったとされ、満済が常松の許に見舞いの使者を送った際、
> 織田弾正という者が応対したという記述があり、この頃まで生存が確認される。
> 『建内記』の永享3年(1431年)3月8日の条文には「織田故伊勢入道」とあることからこの間に死去したと思われる。

965 :日本@名無史さん:2017/04/14(金) 10:16:50.51 .net
こんなサイトを見つけたので参考まで。 かなりの系図マニアさんのようだ。

織田一族の系譜
http://www.kakeiken.com/report003-2.html#織田一族の系譜()

966 :日本@名無史さん:2017/04/14(金) 18:55:16.63 .net
>>952
>斯波義廉(西軍)は尾張に向かい、以後消息不明らしい。

尾張に向かったけど入ることができずに遠州に行った、そこから消息不明
遠州入りまでだけ分かってるはずだ

今川と争って、最終的に全部取られたんだね


義廉方の守護代である織田敏広が京都に駐留していた間に敏定が尾張で蜂起して勢力を拡大し、
乱後に下向した敏広は(たぶん妙椿の支援かなんかで)美濃との国境に近い岩倉に拠点設置して敏定と争ったんだろ


>甲斐氏は越前から遠江に移ったともいうけど、その後はあまりわからない。
乱後の一時期に守護代として名前が見えるからきっと移住したんだろうと思っただけで、移住したかどうかすら不明な気がする

今川氏親の代で全滅したから突出した勢力が見えないだけで、ひょっとしたら突出した勢力の一人や二人ぐらい居たかもしれない。知らんけど。
少なくとも攻め込んできた義忠を返り討ちにしちゃう程度の勢力はあったんだしさ。

967 :日本@名無史さん:2017/04/14(金) 18:57:44.89 .net
>>963
共産党とか(旧)社会党とか、実家が裕福な名家の出じゃないと議員を長期間にわたって続けるとか無理じゃないの
私財持ち出しで政治資金を用意せんと活動費がたらんでしょ。親から巨額の資金をもらってたとかいう鳩山氏みたいに

968 :日本@名無史さん:2017/04/14(金) 19:30:31.74 .net
ここで信長の話するのマジでやめてほしい
戦国しか語れない浅い奴が湧きまくるから

969 :日本@名無史さん:2017/04/14(金) 20:04:42.80 .net
信長もスレ住人みんな大好き斯波ちゃんマンの家来だからなあ。
明智光秀の謀叛を批判する連中は、信長の将軍・守護追放は批判しないよね。
道義上の問題ではなく感情論だと、はしなくもバクロしてるわな。

松平も、足利一門が勢力を伸ばしてた三河で台頭したのだから、足利と無縁ではなかろう。
これまたみんな大好き新田末裔説は保留するとして、また足利一門でも長らく仕えた譜代でもないのだろうから、
氏素性が謎の人が多い中世の恰好のテーマにはなる。

織田・松平はまだ由緒ある家ではあるけど、豊臣秀吉は謎が多い。
でも、彼の姻戚の浅野氏は土岐の一族だという。
加藤清正も秀吉の姻戚で、両人の母が姉妹とか従姉妹とか…
秀吉が「百姓」、「加藤」清正は、さらっと流してしまう人が多いのだろうが、
百姓だから農民とは限らず(大体、農家は上下の差が大きい)、加藤は斎藤と並ぶ藤原利仁流の苗字。
普通、通婚というのは同程度の家同士が多く(今でも日本ではわりとそんなもんだが、なぜか秀吉関連では都合よく無視されるようだ)、
浅野や加藤が名門なら、秀吉もその程度には名家出身の可能性が高い。
「農民からのしあがった秀吉」像は、そろそろ再考されてよいころだと思う。

信長・秀吉・家康も濃厚に中世を引きずってると思うよ。
次スレ立てる予定あるのか知らんけど、何ならその辺は除外とタイトルに入れておけばいいんじゃね?

970 :日本@名無史さん:2017/04/14(金) 21:54:30.64 .net
>>969
> 明智光秀の謀叛を批判する連中は、信長の将軍・守護追放は批判しないよね。
> 道義上の問題ではなく感情論だと、はしなくもバクロしてるわな。

そりゃあ信長には「勤皇家」という錦の御旗、絶対のアリバイがあるし、
足利義昭も、斯波義銀も、何度か赦して助命しているからね。

清須の守護代・織田信友を滅ぼしたときも、
信友が守護・斯波義統を殺害したという大義名分があった。

(織田)弾正忠家は、父親の信秀の代から、
理論武装・大義名分を重んじる家だから、そこは抜かりはないよ。

感情論?(大爆笑) なわけねーだろうがw

感情論で片付けて信長叩きができると思ってる、お前が幼稚なんだよw

971 :日本@名無史さん:2017/04/14(金) 22:14:32.18 .net
うざい
戦国の話は他所でやれ

972 :日本@名無史さん:2017/04/15(土) 00:06:56.75 .net
応仁の乱以前なんて誰も興味ないんだから過疎るぞ

973 :日本@名無史さん:2017/04/15(土) 00:22:16.02 .net
むしろ過疎っていいんだけど
最近やたら喧嘩腰でどうでもいいことを長文で語る奴多くて読んでて疲れる

974 :日本@名無史さん:2017/04/15(土) 03:45:58.20 .net
鎌倉時代初期の文書に、ご先祖様のことが頼朝公なんかと一緒に載ってると、過疎ってもヘヘンと思う。

975 :日本@名無史さん:2017/04/15(土) 03:53:47.51 .net
御家人として与えられた所領にの地名を苗字にする者も多かったようだが、取り立てたられる
以前から侍長くやってたようで、うちの苗字の方が地名に残ってる。

976 :日本@名無史さん:2017/04/15(土) 04:00:55.24 .net
読み方に4、5種類あるようだが、うちが本流らしい。

977 :日本@名無史さん:2017/04/15(土) 04:08:47.44 .net
戦国のビッグネームなんて、わしらの同僚や、それよりずっと下民の足軽雑兵から湧いて来た
急造苗字連中がいくらでもいる。

978 :日本@名無史さん:2017/04/15(土) 22:21:52.78 .net
そりゃ家康も源氏でも何でもない乞食坊主の家系だからな。
別に守護大名でも何でもない出来高大名は、多くが成り上がりだろうな。
雑兵下級武士に商人農民下僕・・・そんなのがウジャウジャだろう。

979 :日本@名無史さん:2017/04/16(日) 04:00:30.66 .net
徳川はただの国人。

980 :日本@名無史さん:2017/04/20(木) 12:49:08.16 .net
足利直冬さんの歌声は、郷愁を誘います。?

981 :日本@名無史さん:2017/04/20(木) 14:29:53.02 .net
>>979
5代前が始祖でその母方・松平が国人
婿養子に入った父方は新田源氏の得川だと主張しているが
こっちは乞食坊主

982 :日本@名無史さん:2017/04/20(木) 16:27:54.79 .net
>>981 松平は賀茂氏じゃないか? その乞食坊主は徳阿弥だな。

983 :日本@名無史さん:2017/04/20(木) 20:03:30.54 .net
>>982
松平は賀茂氏の家紋を使っていたらしいが
そもそも家系図がなく家紋も拝借しただけかもしれんので不明
家康が朝廷に新田源氏の家系図差しだして採用されてるくらいだから
国人レベルでは家紋ぐらい使い放題だろう

984 :日本@名無史さん:2017/04/20(木) 21:29:48.31 .net
松平氏=賀茂氏説は、松平信光が「加茂信光」と書いたってのが論拠になってるんだよな。
信光は三河松平氏3代目で、初代親氏は伝説上の人物、2代泰親は実在が確認されるんだったか?
ただ、↑署名だけでは賀茂氏とまで特定できるかは何ともで、
三河には賀茂郡があったし、武士の苗字は可変的で、拠点の名を冠するもんだから。
家紋なんか言うまでもない。

985 :日本@名無史さん:2017/04/21(金) 14:01:04.84 .net
信長の藤原氏は妥当中ような気がするが平氏に宗旨がえしたのは源平交替論によるものだろうか?

986 :日本@名無史さん:2017/04/21(金) 18:35:01.58 .net
>>985
え、忌部から藤原に変えて、そこから更に平氏に改めたんだろ
最初から藤原だったわけじゃないと思うんだが

987 :日本@名無史さん:2017/04/22(土) 00:34:48.04 .net
天皇から授かったものである姓をコロコロ変えて許される理由がわからん

988 :日本@名無史さん:2017/04/22(土) 01:08:18.07 .net
天皇家の血が流れてないのに源氏や平氏を仮冒していいものか

989 :日本@名無史さん:2017/04/22(土) 15:06:59.90 .net
>>988
それを言ってたら江戸時代のかなりの大名の存在が問われる
ていうか先祖がはっきりしすぎて源氏や平氏をどうやっても仮冒できない
毛利家ってなんか特殊な気がする

990 :日本@名無史さん:2017/04/22(土) 17:09:33.57 .net
豊後守護大友氏は足利将軍家から源姓を拝領したとの説がある。
むしろ後に源頼朝落胤を称したほうが有名だろうが。
大友氏は相模国大友を名字の地とした波多野氏の一族で、波多野氏は藤原秀郷末裔を称してた。

大江広元末裔の毛利氏(大江姓以外の毛利氏もいる)はごまかす気もなかったんじゃなかろうか?
中世の大江氏は平城天皇末裔を称していたし(これは仮暴)、その点では嵯峨源氏・清和源氏に遜色ない(平城は桓武の子で、嵯峨の兄)。

昔は血縁と関係なく賜姓がおこなわれてもいたようで、奥六郡の安倍氏もそれだったかも知れない。
×藤(藤原氏)、渡辺(嵯峨源氏)、高橋、安倍・安部・阿部、菅原、古賀(漢王朝後胤)、樋口(中原氏)、小野・横山(小野氏)、
武田(清和源氏義光流)、佐々木(宇多源氏)、井上(源氏)、三浦・和田・千葉(桓武平氏)などが多いのはそのせいじゃないかと思う。

血縁と無関係な賜姓は大陸でもけっこうあったようで、
後唐王朝(五代十国の一)は李淵の唐朝から李姓をもらい、李姓をさらにいろんな人にやってた。
唐王朝自体がもともと鮮卑じゃないかと言われてる(本人たちは老子=李耳の末裔を自称)。
ベトナムでは王が姓を与えていた。このためか、阮とか陳という皇室の姓が今も多い。
朝鮮人に金と朴が多いのも、新羅王朝に由来するのではないかと思う。

991 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 01:48:28.39 .net
なんで中世の戦ってなかなか決着がつかないの?
治承寿永の乱は例外として、南北朝とか応仁の乱とか長すぎだろ
しかも応仁の乱に至っては十年も戦いながら主要な武将が誰も戦死してないとか

992 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 09:39:05.40 .net
>>991
むしろ野戦は一日でカタが付く。
籠城だと何か月もかかることも。
応仁文明の大乱も、開戦日時はまだしも、いつが終了の日なのか何とも言えない所がある。
よく言われる1477説は畠山義就が京都を去って河内に向かった日で大乱の終焉としてて、
河内近隣では両畠山氏の抗争は続いていたので、政情には何の変化もなかった。
大乱は、京都でにらみ合いと矢戦(矢を射ち合うが軍の衝突はない)が多く、
細川なんか途中からほとんど戦いをやめていたという。
南北朝は南朝の天皇が京都に帰らなかっただけとも言えて…そもそも呼称自体の妥当性も疑問が。

993 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 10:01:02.19 .net
>>987
>天皇から授かったものである姓

といわれることが多いが(情報操作かも)、
ウジ(あー古代日本人と近代の学者のせいでめんどくさい)は慣用や追認が多かったのではないかと思う。
藤原、蘇我、小野、平群、葛城などは地名由来だ(その点で名字と違わない)。
カバネ(尸)もコロコロ変えたので、本来の機能をあまり果たさなくなってしまった。
たとえば真人は朝臣より格上だったはずが、高階真人→高階朝臣のように変えたりしていた。
なぜ尸に替えて姓の字を用いたのかよくわからん。
天皇は夢精とよく書かれるけど、天皇は息長氏の可能性もあり、なら息長真人になる。
姓という字が二重性を持っていることを利用した情報操作かも知れない。

994 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 12:56:13.95 .net
>>991
敵を滅ぼすまで戦うことが少なく、和睦で終わるのが基本だしな
滅ぼすのが基本になった後は徐々に統一に向かった感じ

あれ、平安期の武士は敵を滅ぼすことが多かった気がするな。何が違うんだろう?

995 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 13:31:52.69 .net
次スレのスレタイどうしますか?

996 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 13:54:28.34 .net
同じスレタイで2を付ければよいかと

997 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 14:23:49.59 .net
スレタイに沿った書き込みが少なすぎる
キーワードは「人気がない」

998 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 16:03:03.44 .net
武士団同士の結び付きが弱くて離合集散を繰り返すからじゃないの?

999 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 19:13:22.30 .net
次スレが立てられない
誰かお願いします

1000 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 19:47:43.43 .net
なぜ鎌倉時代室町時代は地味で人気がないのか2代目©2ch.net
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1492944440/

1001 :日本@名無史さん:2017/04/23(日) 22:47:58.27 .net
おつ

>>1001なら次のスレは1か月で埋まる!

総レス数 1001
348 KB
掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★