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邪馬台国畿内説 Part203

879 :畿内説正統派:2017/03/02(木) 22:49:57.87 .net
神武東征なんかあとからはいってきた逃亡百済人の作りばなしさ。
勿論、対馬海峡から、人の移入なんてそれまで殆どない。
熊野は黒潮のぶつかるところで、縄文時代から揚子江流域からの漂着民が多いんだ。
それで、江南米をたまたま持ち込んだ越人、呉人が米作に適した場所を探したわけさ。
すると、どうだろう、今の奈良盆地に大きな沼地があった。
彼らがここで、周辺の縄文人と自然と共生関係を作って、弥生人になったわけ。
平和なもんだよ。
後に、瀬戸内方面からも朝鮮半島経由で、他の穀物が伝わってきたけど、やっぱり、適所適材、奈良盆地には栄養価の高い水稲だけが残ったんだよ。
キビとかアワとか売り込みにきていた商人は美しい黄金色の奈良盆地みて青ざめただろうよ。
このときの軋轢が倭国乱だろうね。
倭国乱を、水稲で制した江南系弥生民がこの地に邪馬台国をつくったんだろうね。
魏志倭人伝がその証拠さ。
南越、その後呉のテリトリーとなった地域の風俗が倭人のと一致していると記されているものね。

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