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漢委奴国王印 いわゆる金印part3

1 :東京:2019/05/06(月) 17:37:27.05 .net
有意義なスレですのでpart3をたてました。

255 :日本@名無史さん:2019/08/20(火) 11:48:37.21 .net
>>254
根拠のない妄想だから強引なんだろ
目を覚ませ

256 :日本@名無史さん:2019/08/20(火) 11:51:25.39 .net
贋作にここまで熱狂するとは・・世界じゅうの笑いものw

257 :日本@名無史さん:2019/08/20(火) 11:53:08.55 .net
>>255
具体的にどこがおかしいか指摘してください。

258 :日本@名無史さん:2019/08/20(火) 12:07:14.96 .net
>>257
馬鹿か?根拠が一切ない妄想だろマヌケ
さては・・・

               , -――- 、
              /       ヽ
              | ノ  ー    |   
              |(・) (・)   |
 お前チョンだろ?  |  (      |
              ヽ O    人
               >ー-― ´   ̄ ̄\
  ⊂ニニ ̄ ̄ ̄ヽ  /              |
     くメ) _ノ  |  |  |        |   |
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          |  ト  / |        |   |
          ヽ__/ |        |   |

259 :日本@名無史さん:2019/08/20(火) 12:20:25.66 .net
志賀島からは金印だけしか出てないのがおかしいんやろ

260 :日本@名無史さん:2019/08/20(火) 12:29:04.79 .net
全国の海神社の総本社が現存しとるやんけ

261 :日本@名無史さん:2019/08/20(火) 14:11:04.32 .net
志賀島の古墳から三種の神器のセットが出てきたりしないのかな、ということだろ。

262 :日本@名無史さん:2019/08/20(火) 17:06:47.04 .net
出てこないでしょ
アマテラスじゃないんだから

263 :日本@名無史さん:2019/08/20(火) 17:11:24.97 .net
>>261
時代が違うだろ(笑)

264 :日本@名無史さん:2019/08/21(水) 13:06:08.51 .net
神社に金印て置くものなのか

265 :日本@名無史さん:2019/08/21(水) 13:31:44.64 .net
博物館があった時代じゃないからね。
それ以外のどこに置く?

266 :日本@名無史さん:2019/08/21(水) 13:35:24.44 .net


267 :日本@名無史さん:2019/08/21(水) 15:20:51.12 .net
それでは使うときに使えない。
大事に保管するなら、弥生時代だと高床式の建物に安置して、目印に鳥居を立てたりするだろうね。
今日では神社と呼ぶのだろうけど。

268 :日本@名無史さん:2019/08/21(水) 16:17:22.07 .net
親魏倭王印をもらったからもう使わないんだよ

269 :日本@名無史さん:2019/08/21(水) 16:20:45.17 .net
普通に考えれば王都か大規模集落内に置くほうが実用的だと思うけど
この時代の印は祭祀儀礼用というより外交用途のためで印を祀るようなことをするんかね

270 :日本@名無史さん:2019/08/21(水) 17:21:30.42 .net
>>269
大事に保管することを祀ると呼んだのではないかな。
実質的に同じことだから。

271 :日本@名無史さん:2019/08/21(水) 17:24:17.43 .net
志賀島にあったのであれば、そこが王都であった時期があった、志賀島の海人族が倭王であった証拠。
伊都にあったなら、細石神社が祀る三雲の甕棺墓(三種の神器入り)の主が倭王だったということ。
長崎にあったなら、長崎の海人族が倭王だったということ。

272 :日本@名無史さん:2019/08/21(水) 19:03:54.33 .net
志賀島は110年〜倭国大乱時に追い込まれた、倭王の墓が有った。
ではないのかな?

107年以降238年迄は、日中外交が無い。
双方大乱である。

卑弥呼就任の190年、奇しくも公孫氏遼東王就任が189年だが、
公孫氏以降は中華ではなく公孫氏対卑弥呼の中原朝貢遮断での四郡外交である。

トンデモの 卑弥呼=公孫氏説は、検討価値はある。

273 :日本@名無史さん:2019/08/21(水) 19:16:48.95 .net
倭国乱の前、7,80年は男王がいたのだから、それだと志賀島に卑弥呼がいなくてはならなくなる。
卑弥呼を公孫氏にしたいのなら、順番として、公孫氏が実権を握る<その影響で九州でも公孫氏系の権力者を立てる、の順番になるはずであり、同時期という時点で逆に消える話。しかも公孫氏がそこまで影響力を持っているなら間の馬韓も公孫氏で塗りつぶされないとおかしい。

274 :日本@名無史さん:2019/08/21(水) 19:44:38.54 .net
公孫氏と強い関係があり、それが魏志倭人伝には記載されなかっただけという可能性は高い。
ただイコールはないな。
それなら魏は邪馬台国も冷遇したはずたからだ。
卑弥呼はあくまでもうまく立ち回っただけ。

275 :日本@名無史さん:2019/08/21(水) 19:56:54.64 .net
公孫氏はあきらめろw
一瞬の打ち上げ花火で前後になーんの利権もないぞwww

276 :日本@名無史さん:2019/08/21(水) 21:55:59.52 .net
国王印は引き継ぐものだから墓には入れない  戦争の時はどこかに隠す
奴国が負ける 隠した奴が死ぬとどこに隠したか分からなくなる

277 :日本@名無史さん:2019/08/21(水) 22:44:15.06 .net
奴国が負けたなどと言う歴史はない。
ただ、天孫降臨が後漢の頃の話なら、志賀島の王家の娘と高天原の王家の若者の婚姻があったのだろう。

278 :日本@名無史さん:2019/08/21(水) 22:55:43.39 .net
現に墓から金印等いくつか出てるし

279 :日本@名無史さん:2019/08/21(水) 23:16:21.19 .net
奴国王が墓に入る前に戦争が起きて隠したんだろ
金は腐食しないから
石の上にも三年、石の下には千七百年あたためられて良かったじゃないか

280 :日本@名無史さん:2019/08/22(木) 03:10:35.15 .net
>>271
細石神社の金印ネタは古田の願望であって現実ではない

281 :日本@名無史さん:2019/08/22(木) 07:29:56.98 .net
>>279
奴国にはそんな戦争は記録にない。

282 :日本@名無史さん:2019/08/22(木) 08:56:53.08 .net
まず本物という前提で考えると
倭国大乱の時期に奴国の王都から金印と共に逃げたけど志賀島でやられた
その際に”神社”に隠したか地面に埋めたかってのが無難そう

283 :日本@名無史さん:2019/08/22(木) 09:27:53.16 .net
倭国大乱でも奴国は戦場にはなっていなかったようだ。
主戦場は筑後平野だろう。

284 :日本@名無史さん:2019/08/22(木) 10:29:03.18 .net
神社に置いたら隠したことにならんだろ  その頃は卑弥呼など王の住居が神の祭壇で
お告げ聞いたんだ 独立した神社建築は無かった

285 :日本@名無史さん:2019/08/22(木) 10:40:55.19 .net
大前提として伊都国は世々王がいる諸国の一つであって女王国ではないということを忘れてるだろお前ら

286 :日本@名無史さん:2019/08/22(木) 12:02:08.30 .net
漢委奴国王印は女王の共立より前の話だからね。
邪馬台国について話しているわけではない。

287 :日本@名無史さん:2019/08/22(木) 12:03:30.34 .net
>>284
というか、祭られる側に王がいたんだろ。
神社の本殿が住居で、拝殿が執務室みたいなもの。

288 :日本@名無史さん:2019/08/22(木) 12:13:16.21 .net
当時はそもそも神社に「社」なんてないだろ

289 :日本@名無史さん:2019/08/22(木) 12:15:20.04 .net
宮だな。

290 :日本@名無史さん:2019/08/22(木) 12:32:08.92 .net
妄想が捗るなぁ

291 :日本@名無史さん:2019/08/22(木) 12:36:10.57 .net
いわゆる神社ってのは
古代祭祀の場で沖ノ島のあんな場所や、三輪山のあんな風景やろ

292 :日本@名無史さん:2019/08/22(木) 12:39:52.00 .net
祭祀場とは別に、宮には宮様が住んでいたんだよ。
神社の起源は一通りではないのさ。

293 :日本@名無史さん:2019/08/22(木) 12:54:13.46 .net
>>288
建物の意味での社は無くとも神のいる場所の意味での社はあった

294 :日本@名無史さん:2019/08/22(木) 13:21:30.40 .net
ご神体が山全体とか奇岩岩とかね

295 :日本@名無史さん:2019/08/23(金) 11:16:24.01 .net
各地で信仰の形態は異なってたろうね
それが時間とともに神社とよばれる全国統一形式になってったろうし
巨石とか山そのものとかは古代信仰の典型でとても面白い

296 :日本@名無史さん:2019/08/23(金) 11:58:40.91 .net
九州北部の祭祀を見ていると、巨石でも岩上祭祀などのように、首長がその上にいた形跡がある。
山とかもそうで、そこを流れる川の川上から首長が見下ろしていたようだ。
岩そのもの山そのものを信仰の対象とするのは、少し経って首長層が入れ替わった後に祭祀だけ形骸化したためではないのか。

297 :日本@名無史さん:2019/08/23(金) 12:01:35.37 .net
記紀の高天原の描写を読むと、磐座の上に宮がそびえていて、そこにアマテラスがいたように読める。
沖ノ島の岩上祭祀はその名残なのではないか。
原始信仰というのは、支配の形態を今に伝えている可能性がある。

298 :日本@名無史さん:2019/08/23(金) 15:33:10.30 .net
社という字は見たまんま示編に土なんだから「神のいる土地」
そこに建物を建てるようになったからその建物も社と呼ぶようになったわけだ

299 :日本@名無史さん:2019/08/23(金) 16:25:11.56 .net
今は宮の話をしている。

300 :日本@名無史さん:2019/08/24(土) 10:42:50.63 .net
偽造の黒幕は本居だろうな。
本居の熊襲の女酋長が卑弥呼を名乗ったという説とも一致する。
おそらく亀井と書簡をやり取りしていたと推測する。

偽造の理由は「中国に朝貢してたのは九州の小国であり大和朝廷ではない」というもの

301 :日本@名無史さん:2019/08/24(土) 17:06:09.62 .net
フェイクニュースで黒幕はり地域のお前だろw

302 :日本@名無史さん:2019/08/25(日) 12:54:23.01 .net
             /)
           ///)
          /,.=゛''"/         チョンコの言うことなんて
   /     i f ,.r='"-‐'つ____   テキトーに論破しときゃ良いんだよ
  /      /   _,.-‐'~/⌒  ⌒\
    /   ,i   ,二ニ⊃( ●). (●)\
   /    ノ    il゛フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \
      ,イ「ト、  ,!,!|     |r┬-|     |
     / iトヾヽ_/ィ"\      `ー'´     /

303 :日本@名無史さん:2019/08/26(月) 10:00:32.80 .net
金印はたぶん本物だろうけど発見場所=王都王宮とは結びつかないとは思う

304 :日本@名無史さん:2019/08/26(月) 10:14:56.63 .net
王宮ではないけれど、王都だろ。
倭奴国は博多湾沿岸の奴国、那の津に比定するのが一般的。

305 :日本@名無史さん:2019/08/26(月) 11:55:49.46 .net
>>303
根拠のない願望の垂れ流しじゃ糸クズと同類になるぞ

306 :日本@名無史さん:2019/08/26(月) 19:08:10.23 .net
>>305
り地域のキナイコシさん、悔しそうw

307 :日本@名無史さん:2019/08/26(月) 20:37:37.55 .net
アメリカも日本重視
古代中国も日本重視

対馬を侵略すると宣言している国にとっては
金印が目障りなんでしょうなあ

308 :日本@名無史さん:2019/08/27(火) 02:41:12.99 .net
steam

309 :日本@名無史さん:2019/08/27(火) 23:26:27.03 .net
>>285
伊都国には世王(魏の世)がいた
王とは女王卑弥呼
女王国とは伊都国と奴国のこと。

310 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 00:27:51.01 .net
同意

311 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 07:34:41.84 .net
>>309
>女王国とは伊都国と奴国のこと

偏狭な地域主義。
卑弥呼は記紀に登場するし、大和朝廷発祥地にいた。
神武の時代が実は女王国。

312 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 07:48:47.37 .net
妄想

313 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 10:08:30.13 .net
応神天皇4世紀末、崇神天皇4世紀前半、
それ以前の王権の痕跡は複数の式内・名神大社がある葛城にしかない。

その王朝の墓は魏志倭人伝の通り「棺あり 槨なし」だから、
副葬品として印が出てくるという事はない。

あるとすれば神社に神宝として引き継がれてるのではないだろうか。

314 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 12:06:59.35 .net
>>309
伊都国は女王国に属している諸国の一つと魏志倭人伝に明記されてるぞマヌケ

315 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 13:39:28.45 .net
>>311
卑弥呼は記紀に登場しないよ?
>>314
魏志倭人伝にそんな記述は無い。

316 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 14:04:47.19 .net
>>315
文盲すぎて話にならん

317 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 14:08:08.14 .net
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」

読み下し
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。
諸国は之れを畏れ憚る。
常に伊都国を治むる。
國中に於ける刺史の如く有り。”

和訳
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。
(そのため)諸国(の使)は之れ(=大率)を畏れ、気を使っている。
(大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を監視している。
(大率とは)国中に束ねる(魏の)監督長官のようである。

根拠
三国志の記述では前節が後節に掛かっている。
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
監視されている伊都国(常治伊都國)は前節の諸國。

結論
つまり女王国の北側に設置された一大率が諸国の一つである伊都国を監視しているということ。

318 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 14:34:23.10 .net
>>315
>卑弥呼は記紀に登場しないよ?

登場するよ、
神武東征紀に隠れてるから気づいてないだけ。

319 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 15:54:13.51 .net
おまえもな

320 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 16:01:18.83 .net
>>317
>常に伊都国を治むる。

わざと誤訳してるのか?
常に伊都国に治むる。
一大率は伊都国で治めていると書かれている。

>>318
具体的にどこ?

321 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 16:31:11.36 .net
なんだ朝鮮ヒトモドキか・・・
 
 
朝鮮ヒトモドキ三種の神技

記憶喪失(論破されても半日で忘れる)

文盲病(前後の文脈や論の大局を読めない)

チョンコロ目(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)

322 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 16:33:22.81 .net
>>320
王がいるのに一大率が治めてる国ってどんだけ骨抜き国なんだよ。

323 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 16:36:26.39 .net
王と言っても倭王じゃないからな

324 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 16:46:11.98 .net
オイ、糸チョンコ!頭ン中を見せてみろ!
   ∧_,,∧   パカッ  __,,
 。゚( ゚^∀^゚)゚  彡  ∨ ∨
  / つ#`Д´>  ヤ、ヤメルニダァ
  (  ( つ  O
  し' と_)_)


  アハハハハハハハハハハ
   ∧_,,∧  クサッ、コイツ、人糞が詰まってんぞ!
 。゚( ゚^∀^゚)゚  
  / つ#`Д´> み、見るなニダ!
  (  ( つ  O  
  し' と_)_)   ∧_,,∧
           

なっ、本当だろ!
   ∧_,,∧   ∧_,,∧ アハハハハハハハハハハ
 。゚( ゚^∀^゚)゚ ( ゚^∀^゚)゚。 マジで人糞じゃん!クサッ
  / つ#`Д´>⊂  ヽ  だから妄想しかできねぇんだw
  (  ( つ  O   )    つーかクッセーなオイ!
  し' と_)_)  し´  ∧_,,∧

325 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 16:58:20.09 .net
>>322
内務大臣みたいなものだろ。
卑弥呼が自分で陣頭指揮をとったりはしない。

326 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 16:59:28.13 .net
官有十六品。
長曰左平、次大率、次恩率、次徳率、次杆率、次奈率、次將徳:服紫帶、次施徳:T帶、次固徳:赤帶、次李徳:青帶、對徳以下皆黄帶、次文督、次武督、次佐軍、次振武、次剋虞、皆用白帶。
(隋書 東夷 百濟)

大率は高位の中央官僚であり、都から出かけて地方を検察する様子が魏志倭人伝において刺史のようだと記載されているのである。
大率そのものが置かれた伊都が倭の王都である。
魏志倭人伝においては、女王国以北すなわち倭の生命線とも言える対馬海峡を検察していたと書かれている。

ところでスレ違いでは?

327 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 17:02:17.25 .net
左平が卑弥呼の弟のような側近で実権を握りうるけど、官位としては大率が最高位なのだろう。

328 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 17:40:02.43 .net
古代史って結局邪馬台国論争に行き着く
キバヤシがノストラダムスに行き着くのも納得できる

329 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 18:18:11.71 .net
卑弥呼が初めて魏に国書を送るとき、それが倭王からの国書であることを証明するのは後漢の発行した印による封泥となる。
魏は後漢の禅譲を受けて外交プロトコルを継承しているから、魏に対しても後漢の金印は国璽として通用する。
文書は官僚による代筆でもいいが、印をするのは王の仕事だ。
そしてその印は福岡県にあった。
漢委奴国王印を最後に使ったのは卑弥呼であるはずだ。
その返信とともに卑弥呼は新しい金印を受け取っていて、それを携えた使いは福岡県に滞在して卑弥呼に面会したと魏志倭人伝は伝えている。

330 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 18:22:25.65 .net
倭奴国王であって、倭王じゃないし

331 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 19:33:10.72 .net
>>320

日本書紀では神武は天皇に即位と書かれてるが、当時天皇なんて役職はない。
それより神武がヤマトに来た時、事代主神と鴨王(おおきみ)がいた。
これは王家があった事を意味する。

卑弥呼(Bei mei hu)とは比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、
つまり事代主神の娘で鴨王(おおきみ)の妹であるヒメ后ことヒメ(蹈鞴五十鈴)媛しかいない。

332 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 19:41:30.78 .net
当時の大和の王は饒速日だよ。
富美の鴨族は長髄彦を輩出したが、饒速日に倒されただろ。

333 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 19:42:04.87 .net
>>329
>そしてその印は福岡県にあった。

朝貢してたのは九州の小国であり、大和朝廷及び天皇ではないということを
強く印象付けたかった勢力による金印偽造だろうねw
金印を国宝にしたのは昭和6年満州事変の年、
軍部もそれと同じ思想を持ってたので、あの出所不明のパッチものの金印を国宝にしたのだろうねw

334 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 19:42:46.95 .net
>>332
何を言ってるんだお前は市ね。

335 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 19:52:56.90 .net
【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。三輪高宮家系譜などに資料が残されている。

その祖は博多湾沿岸の倭王である大山祇の子、伊奘諾の曽孫である三島溝杙耳(陶津耳、賀茂建角身)である。
大山祇の娘の木花咲夜姫は天孫邇邇芸に嫁入りしていて、その実家は志賀島の綿津見神社とされるが、遠賀川沿岸に広がる豊国が支配地域であり、後世の筑紫岡田宮の一族である。
三島溝杙耳は瀬戸内海を通じて大阪湾から畿内に鎮座し、後に神武の東征を助けたとされている。
この一族を祭るのが、伊予国大三島の大山祇神社、土佐の溝咋神社、摂津の三島神社、京都の上賀茂下鴨神社などである。
神武と戦った長髄彦は三島溝杙耳の息子とされていて、耳の娘は活玉依姫(勢夜陀多良比売、玉櫛媛)である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる(丹塗矢説話)。
この娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(媛蹈鞴五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子である。

この登美の鴨王家には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになり、異同が論じられるところである。

古事記では大物主は大国主や事代主と別神であり、勢夜陀多良比売と活玉依姫も別神としているが、勢夜陀多良比売と活玉依姫はいずれも丹塗矢説話が共通している。
いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。

336 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 19:58:12.34 .net
>>335
もういいから、おまえは市ね。
金印と関係ない話はするな。

337 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 19:59:25.81 .net
>>336
金印と関係ない鴨を持ち出したのはお前だ。

338 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 20:21:25.46 .net
いやいや関係ないとは言い切れないでしょ

339 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 23:06:28.50 .net
>>322
治めてるのは王であって一大率ではない
一大率は女王国以北を検察している刺史のような役職。

340 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 23:08:33.07 .net
>>330
倭奴国王が倭国の王
琉球王国の王は中山王であって琉球王ではなかったのと同じ。

341 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 23:10:07.64 .net
>>333
未だ金印は偽造だとか言ってるのかw
知恵遅れwww

342 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 23:43:20.15 .net
外交上、ならびに正式名称は琉球國中山王

343 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 23:44:26.81 .net
倭国は列島の国名じゃないし

344 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 23:58:22.38 .net
九州のことだもんな

345 :日本@名無史さん:2019/08/29(木) 02:04:49.65 .net
琉球王国(笑)

346 :日本@名無史さん:2019/08/29(木) 07:56:45.26 .net
>>342
印の話なんだがw

347 :日本@名無史さん:2019/08/29(木) 08:20:57.57 .net
倭奴国王が倭国の代表として認められたということ。
金印がないと正式な外交文書を作成できないから、他の倭の勢力は外交できない。

348 :日本@名無史さん:2019/08/29(木) 09:59:02.00 .net
「倭国」というのは中国側からの一方的な呼び名

349 :日本@名無史さん:2019/08/29(木) 10:32:55.12 .net
委を倭と解釈することが無理筋

350 :日本@名無史さん:2019/08/29(木) 13:20:01.76 .net
>>339
文盲かよ(笑)

351 :日本@名無史さん:2019/08/29(木) 15:21:49.25 .net
キリスト時代のユダヤみたいなものじゃないの?
ヘロデ王がいるけどローマからピラト提督が派遣されてて
政治は王がやるけど提督が監視してる

352 :日本@名無史さん:2019/08/29(木) 16:32:37.72 .net
土器などの流通を見ると、尾張から東西に文物が運ばれたことがわかる。
大和纒向はその中継地に過ぎない。
そして生産品の最大の消費地が筑紫であることがわかる。

https://i.imgur.com/TRmurSB.jpg

また、海外交流の拠点が出雲と筑紫であったことがわかる。
記紀の出雲の国譲りが倭国の対外交渉権の移譲だったのだのだろう。
魏や帯方郡と交渉していた可能性があるのは出雲と筑紫しかなく、3世紀においては筑紫の他には邪馬台国の候補はあり得ない。

353 :日本@名無史さん:2019/08/29(木) 20:49:34.57 .net
>>352
>魏や帯方郡と交渉していた可能性があるのは出雲と筑紫しかなく

原の辻遺跡では楽浪の文物に交じって出雲や畿内の土器が出る。
これは当時の日本のエスタブリッシュメントが出雲人や畿内人であった証拠。


BC3世紀ころ、加茂岩倉の銅鐸が西日本各地に拡散する。
出雲の王族が移動した証拠で有ろう。

邪馬台国とは畿内大和であり、事代主神や鴨王(おおきみ)がいた葛城である。

纏向ではない。

354 :日本@名無史さん:2019/08/29(木) 20:55:01.56 .net
>>337
鴨族に卑弥呼がいるという意見であり証拠も出してる。

関係ない話をしてるのはお前。

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