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漢委奴国王印 いわゆる金印part3

1 :東京:2019/05/06(月) 17:37:27.05 .net
有意義なスレですのでpart3をたてました。

323 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 16:36:26.39 .net
王と言っても倭王じゃないからな

324 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 16:46:11.98 .net
オイ、糸チョンコ!頭ン中を見せてみろ!
   ∧_,,∧   パカッ  __,,
 。゚( ゚^∀^゚)゚  彡  ∨ ∨
  / つ#`Д´>  ヤ、ヤメルニダァ
  (  ( つ  O
  し' と_)_)


  アハハハハハハハハハハ
   ∧_,,∧  クサッ、コイツ、人糞が詰まってんぞ!
 。゚( ゚^∀^゚)゚  
  / つ#`Д´> み、見るなニダ!
  (  ( つ  O  
  し' と_)_)   ∧_,,∧
           

なっ、本当だろ!
   ∧_,,∧   ∧_,,∧ アハハハハハハハハハハ
 。゚( ゚^∀^゚)゚ ( ゚^∀^゚)゚。 マジで人糞じゃん!クサッ
  / つ#`Д´>⊂  ヽ  だから妄想しかできねぇんだw
  (  ( つ  O   )    つーかクッセーなオイ!
  し' と_)_)  し´  ∧_,,∧

325 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 16:58:20.09 .net
>>322
内務大臣みたいなものだろ。
卑弥呼が自分で陣頭指揮をとったりはしない。

326 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 16:59:28.13 .net
官有十六品。
長曰左平、次大率、次恩率、次徳率、次杆率、次奈率、次將徳:服紫帶、次施徳:T帶、次固徳:赤帶、次李徳:青帶、對徳以下皆黄帶、次文督、次武督、次佐軍、次振武、次剋虞、皆用白帶。
(隋書 東夷 百濟)

大率は高位の中央官僚であり、都から出かけて地方を検察する様子が魏志倭人伝において刺史のようだと記載されているのである。
大率そのものが置かれた伊都が倭の王都である。
魏志倭人伝においては、女王国以北すなわち倭の生命線とも言える対馬海峡を検察していたと書かれている。

ところでスレ違いでは?

327 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 17:02:17.25 .net
左平が卑弥呼の弟のような側近で実権を握りうるけど、官位としては大率が最高位なのだろう。

328 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 17:40:02.43 .net
古代史って結局邪馬台国論争に行き着く
キバヤシがノストラダムスに行き着くのも納得できる

329 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 18:18:11.71 .net
卑弥呼が初めて魏に国書を送るとき、それが倭王からの国書であることを証明するのは後漢の発行した印による封泥となる。
魏は後漢の禅譲を受けて外交プロトコルを継承しているから、魏に対しても後漢の金印は国璽として通用する。
文書は官僚による代筆でもいいが、印をするのは王の仕事だ。
そしてその印は福岡県にあった。
漢委奴国王印を最後に使ったのは卑弥呼であるはずだ。
その返信とともに卑弥呼は新しい金印を受け取っていて、それを携えた使いは福岡県に滞在して卑弥呼に面会したと魏志倭人伝は伝えている。

330 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 18:22:25.65 .net
倭奴国王であって、倭王じゃないし

331 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 19:33:10.72 .net
>>320

日本書紀では神武は天皇に即位と書かれてるが、当時天皇なんて役職はない。
それより神武がヤマトに来た時、事代主神と鴨王(おおきみ)がいた。
これは王家があった事を意味する。

卑弥呼(Bei mei hu)とは比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、
つまり事代主神の娘で鴨王(おおきみ)の妹であるヒメ后ことヒメ(蹈鞴五十鈴)媛しかいない。

332 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 19:41:30.78 .net
当時の大和の王は饒速日だよ。
富美の鴨族は長髄彦を輩出したが、饒速日に倒されただろ。

333 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 19:42:04.87 .net
>>329
>そしてその印は福岡県にあった。

朝貢してたのは九州の小国であり、大和朝廷及び天皇ではないということを
強く印象付けたかった勢力による金印偽造だろうねw
金印を国宝にしたのは昭和6年満州事変の年、
軍部もそれと同じ思想を持ってたので、あの出所不明のパッチものの金印を国宝にしたのだろうねw

334 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 19:42:46.95 .net
>>332
何を言ってるんだお前は市ね。

335 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 19:52:56.90 .net
【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。三輪高宮家系譜などに資料が残されている。

その祖は博多湾沿岸の倭王である大山祇の子、伊奘諾の曽孫である三島溝杙耳(陶津耳、賀茂建角身)である。
大山祇の娘の木花咲夜姫は天孫邇邇芸に嫁入りしていて、その実家は志賀島の綿津見神社とされるが、遠賀川沿岸に広がる豊国が支配地域であり、後世の筑紫岡田宮の一族である。
三島溝杙耳は瀬戸内海を通じて大阪湾から畿内に鎮座し、後に神武の東征を助けたとされている。
この一族を祭るのが、伊予国大三島の大山祇神社、土佐の溝咋神社、摂津の三島神社、京都の上賀茂下鴨神社などである。
神武と戦った長髄彦は三島溝杙耳の息子とされていて、耳の娘は活玉依姫(勢夜陀多良比売、玉櫛媛)である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる(丹塗矢説話)。
この娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(媛蹈鞴五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子である。

この登美の鴨王家には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになり、異同が論じられるところである。

古事記では大物主は大国主や事代主と別神であり、勢夜陀多良比売と活玉依姫も別神としているが、勢夜陀多良比売と活玉依姫はいずれも丹塗矢説話が共通している。
いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。

336 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 19:58:12.34 .net
>>335
もういいから、おまえは市ね。
金印と関係ない話はするな。

337 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 19:59:25.81 .net
>>336
金印と関係ない鴨を持ち出したのはお前だ。

338 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 20:21:25.46 .net
いやいや関係ないとは言い切れないでしょ

339 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 23:06:28.50 .net
>>322
治めてるのは王であって一大率ではない
一大率は女王国以北を検察している刺史のような役職。

340 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 23:08:33.07 .net
>>330
倭奴国王が倭国の王
琉球王国の王は中山王であって琉球王ではなかったのと同じ。

341 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 23:10:07.64 .net
>>333
未だ金印は偽造だとか言ってるのかw
知恵遅れwww

342 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 23:43:20.15 .net
外交上、ならびに正式名称は琉球國中山王

343 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 23:44:26.81 .net
倭国は列島の国名じゃないし

344 :日本@名無史さん:2019/08/28(水) 23:58:22.38 .net
九州のことだもんな

345 :日本@名無史さん:2019/08/29(木) 02:04:49.65 .net
琉球王国(笑)

346 :日本@名無史さん:2019/08/29(木) 07:56:45.26 .net
>>342
印の話なんだがw

347 :日本@名無史さん:2019/08/29(木) 08:20:57.57 .net
倭奴国王が倭国の代表として認められたということ。
金印がないと正式な外交文書を作成できないから、他の倭の勢力は外交できない。

348 :日本@名無史さん:2019/08/29(木) 09:59:02.00 .net
「倭国」というのは中国側からの一方的な呼び名

349 :日本@名無史さん:2019/08/29(木) 10:32:55.12 .net
委を倭と解釈することが無理筋

350 :日本@名無史さん:2019/08/29(木) 13:20:01.76 .net
>>339
文盲かよ(笑)

351 :日本@名無史さん:2019/08/29(木) 15:21:49.25 .net
キリスト時代のユダヤみたいなものじゃないの?
ヘロデ王がいるけどローマからピラト提督が派遣されてて
政治は王がやるけど提督が監視してる

352 :日本@名無史さん:2019/08/29(木) 16:32:37.72 .net
土器などの流通を見ると、尾張から東西に文物が運ばれたことがわかる。
大和纒向はその中継地に過ぎない。
そして生産品の最大の消費地が筑紫であることがわかる。

https://i.imgur.com/TRmurSB.jpg

また、海外交流の拠点が出雲と筑紫であったことがわかる。
記紀の出雲の国譲りが倭国の対外交渉権の移譲だったのだのだろう。
魏や帯方郡と交渉していた可能性があるのは出雲と筑紫しかなく、3世紀においては筑紫の他には邪馬台国の候補はあり得ない。

353 :日本@名無史さん:2019/08/29(木) 20:49:34.57 .net
>>352
>魏や帯方郡と交渉していた可能性があるのは出雲と筑紫しかなく

原の辻遺跡では楽浪の文物に交じって出雲や畿内の土器が出る。
これは当時の日本のエスタブリッシュメントが出雲人や畿内人であった証拠。


BC3世紀ころ、加茂岩倉の銅鐸が西日本各地に拡散する。
出雲の王族が移動した証拠で有ろう。

邪馬台国とは畿内大和であり、事代主神や鴨王(おおきみ)がいた葛城である。

纏向ではない。

354 :日本@名無史さん:2019/08/29(木) 20:55:01.56 .net
>>337
鴨族に卑弥呼がいるという意見であり証拠も出してる。

関係ない話をしてるのはお前。

355 :日本@名無史さん:2019/08/29(木) 20:56:18.90 .net
>>341
未だ金印は本物だと言ってるのかw
知恵遅れwww

356 :日本@名無史さん:2019/08/30(金) 00:54:42.35 .net
カマチョンコロは巣に帰ってイビられ続けとけよ

高天原にある卑弥呼の墓  ◆4
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1567051754/

357 :日本@名無史さん:2019/08/30(金) 11:10:54.22 .net
>>355
福岡市博物館に行って偽物だって教えてやれよw

358 :日本@名無史さん:2019/08/30(金) 11:12:03.91 .net
>>353
>原の辻遺跡では楽浪の文物に交じって出雲や畿内の土器が出る。

ソースは?

359 :日本@名無史さん:2019/08/30(金) 11:13:43.30 .net
>>358
あるわけない
カマチョンコロの妄想だもん

360 :日本@名無史さん:2019/08/30(金) 11:16:12.92 .net
出雲族は初期には覇権を握っていたが、高天原に負けて散り散りになったのだろうさ。
そして筑紫が倭国の主権を手にしたんだよ。

361 :日本@名無史さん:2019/09/03(火) 04:00:03.63 .net
???

362 :日本@名無史さん:2019/09/07(土) 11:56:13.76 .net
キナイ説を主張するのは記紀を純粋に信奉する右派もいるから一概に言えないが
金印がニセモノと主張するのはり地域スパイかどうか判定するリトマス試験紙みたいなもので
わかりやすいな あと狗邪韓国が倭人領とかに食いついてくるやつ

363 :日本@名無史さん:2019/09/18(水) 22:31:27.98 .net
???

364 :日本@名無史さん:2019/09/19(木) 14:06:57.01 .net
>>358

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/235531

土器・土製品には朝鮮系無文土器、楽浪(らくろう)系や三韓(さんかん)系の
瓦質(がしつ)土器、朝鮮三国系の陶質(とうしつ)土器などの外来系土器が多数含まれ、
これらに畿内・山陰・周防・肥後など西日本各地からの搬入土器も存在して、国内外との活発な交流を物語る

365 :日本@名無史さん:2019/10/09(水) 12:30:09.16 .net
今の時代に、もし金印でてきたら
いくらの価値がある?10億?
中国の小学生が拾った玉印は100億以上に価値があるでしょうか

366 :日本@名無史さん:2019/10/09(水) 12:53:53.81 .net
国宝になるだろうけど、市場では取引が成立しないから、価格は付けられない。

367 :日本@名無史さん:2019/10/09(水) 13:20:58.86 .net
志賀島から出て来た金印は日本史最大の偽造品としての価値があるだろう。

朝貢してたのは大和朝廷でも天皇でもない、
九州の小国だというのが金印偽造の根拠。

黒幕は本居宣長ではないか。

368 :日本@名無史さん:2019/10/09(水) 18:51:09.19 .net
黒幕はお前だろw

369 :日本@名無史さん:2019/10/10(木) 19:18:27.12 .net
新井白石や本居宣長の言ってた

「朝貢してたのは九州であって大和朝廷ではない」

それと符合する金印がなぜか志賀島から出てきた。
出土状況も大きな石があったの無かったの、極めてあいまい。

「朝貢してたのは九州であって大和朝廷ではない」勢力による偽造だろ。

彼ら国学者にとって日本の歴史が朝貢から始まるのはさぞかし辛かったであろうな。
現代人は中国に対して全然コンプレックスを持ってないだろ、だからその感覚が分からないのだよ。

370 :日本@名無史さん:2019/10/10(木) 22:12:06.14 .net
と、国宝金印にコンプレックスを持つかの国キナイコシが申しております。

371 :日本@名無史さん:2019/11/05(火) 09:10:10 .net
https://i.imgur.com/ZkllrbX.jpg

372 :日本@名無史さん:2019/11/05(火) 12:35:39.35 .net
他に金印が出る可能性はある?
あるならどこ?
見つけてみたい

373 :日本@名無史さん:2019/11/05(火) 13:08:01.73 .net
福岡県内の大きな神社。

374 :日本@名無史さん:2019/11/05(火) 17:18:44.36 .net
正始元年(240年明帝没 曹芳8歳戴冠、佐治曹爽・司馬懿)
太守弓遵 遣建中校尉梯儁等 奉詔書印綬詣倭国 拝仮倭王
并齎詔賜金帛錦罽刀鏡采物 倭王因使上表答謝詔恩

其四年(243年 曹芳元服) 倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪拘等八人
上獻生口倭錦絳青縑緜衣帛布丹木拊短弓矢 掖邪狗等壱拝率善中郎將印綬

曹操鉄鏡は、日田で出た。
日本の王が曹家と繋がるのは、これくらい。 

卑弥呼の宗家だろうが、没落してる。
日田の遺跡から、古墳を何代か追えれば辿ってみるべき。

ただし金印については、
一大率 奴国が扱った可能性も高い。
其八年 齎詔書黄幢拝假難升米 為檄告喩之
福岡266〜320年の古墳

375 :日本@名無史さん:2019/11/05(火) 18:46:35.75 .net
>>374詳しくありがとう

376 :日本@名無史さん:2019/11/09(土) 19:23:23 .net
今年五月「志賀島歴史研究会」の解散が決まった。十二年間お疲れ!
年一度の「金印シンポジウム」から、毎月一度の勉強会「金印と歴史の会」に変わった。
福岡市総合図書館で第四日曜日に、市民講座「金印に挑む」として開催されている。

377 :日本@名無史さん:2019/11/10(日) 06:15:22.66 .net
耶麻等民族最高

378 :日本@名無史さん:2019/11/10(日) 06:38:40 .net
劣等民族万歳

379 :日本@名無史さん:2019/11/18(月) 16:06:43.69 .net
>>373神社から出るか?
私は古墳より、仏像の内部とかから出る予感がする

380 :日本@名無史さん:2019/11/18(月) 16:35:57 .net
まだ仏教が伝来していなかった時代のものだからねえ。
どうかな

381 :日本@名無史さん:2019/11/18(月) 17:18:51 .net
なるほど仏教より前かあ
隠したか?返したか?だなあ
インディジョーンズみたいに見つけたいわ

382 :日本@名無史さん:2019/12/04(水) 16:17:12 .net
遺構がない(笑)

383 :日本@名無史さん:2019/12/23(月) 05:26:25.01 .net
>>369
倭国は九州であって近畿ではない

そもそも冊封体制の象徴とも言うべき金印を国宝にするとは何たる恥なことか

384 :日本@名無史さん:2019/12/23(月) 08:58:45.43 .net
でもおかげで国王として認められていた。
その象徴が鏡だ。
今でも三種の神器として崇めている。

385 :日本@名無史さん:2019/12/23(月) 09:12:40 .net
>>385
>そもそも冊封体制の象徴とも言うべき金印を国宝にするとは何たる恥なことか

国宝にしたのは昭和6年、満州事変の年。

かつて中国に朝貢していたのは九州であり、大和朝廷及び古代天皇ではないという事実を決定したかった軍部の意向であろう。

そもそも邪馬台国九州説自体が、
大和朝廷及び古代天皇は朝貢などしていない、
朝貢していたのは九州の小国であるという事にしたい新井白石の創作。

386 :日本@名無史さん:2019/12/23(月) 09:18:46.63 .net
志賀島から出たw

どこから出たことにしようか、それが一番の悩みであっただろう。
分からないから福岡の玄関口から出たことにしたw

金印は日本の歴史上で最大の偽造。
あんなものメルカリで売っても問題はない。

387 :日本@名無史さん:2019/12/23(月) 09:22:13.52 .net
卑弥呼が貰った親魏倭王の印はおそらく某神社のご神宝。

何神社かおおよその検討はついている。

九州ではないよ畿内。

388 :日本@名無史さん:2019/12/23(月) 09:34:32.51 .net
>>384
>今でも三種の神器として崇めている。

そうかな。
ではなぜ、明治天皇になるまで1500年間、
天皇は一度も鏡をご神体とする伊勢神宮に参拝しなかったのかな?

答えられないだろ。

389 :日本@名無史さん:2019/12/23(月) 10:38:37 .net
>>387
伊都の細石神社だよ。

390 :日本@名無史さん:2019/12/23(月) 11:11:26.65 .net
>>388
祟り神だからだよ

391 :日本@名無史さん:2019/12/23(月) 12:19:26.80 .net
>>385そう、そこが空白のミステリー
いろいろ考えられて頭いっぱいになる

392 :日本@名無史さん:2019/12/23(月) 12:54:15 .net
実は細石神社に伝世していたらしい。
それがどうして志賀島から出たことにされたのかというミステリー。

393 :日本@名無史さん:2019/12/23(月) 16:25:54 .net
>>392
また糸クズの願望垂れ流しに来たのかよwww

394 :日本@名無史さん:2019/12/23(月) 16:32:49.98 .net
もう日本中の古墳と沖ノ島と大宰府と宇佐神宮あたりを掘りまくれ

日本の歴史がハッキリするから

395 :日本@名無史さん:2019/12/23(月) 20:23:54 .net
沖ノ島はかなり調査された。
古墳時代で最大級の古代祭祀跡だ。
玄界灘沿岸が倭国の中枢であった証拠に他ならない。
大宰府は大きすぎw

396 :日本@名無史さん:2019/12/23(月) 20:58:11 .net
>>389

そんなパチモン神社にはないよ。

>>390

同じ意見だ。

397 :日本@名無史さん:2019/12/23(月) 21:20:00 .net
漢委奴国王
神倭磐余彦かむやまといわれひこ(神武天皇)

漢委奴国王
かむやまと奴国の王

有り得ない話では無いけど畿内説の方々は
認めたくないだろう。

398 :日本@名無史さん:2019/12/23(月) 21:26:22 .net
>>396
パチモンだという理由は?
卑弥呼時代の3世紀の九州北部の権力の所在地であった伊都の中にある宮だけど?

399 :日本@名無史さん:2019/12/24(火) 02:24:30 .net
>>398
海人スレかなんかで何度も何度も完全論破されてただろ
お前の記憶喪失のフリも見飽きたわ

400 :日本@名無史さん:2019/12/30(月) 14:38:07 .net
倭と委は従順という意味で使われる同じ漢字

401 :日本@名無史さん:2020/01/09(木) 21:00:24.80 .net
>>374いつの日か、この鉄鏡も国宝になるかもね

展示したら中国の人達がたくさん見学来そう

402 :日本@名無史さん:2020/01/09(木) 21:12:32.54 .net
吉野ヶ里に観光客を集めるためには、長崎本線を存続させないといけない。
長崎新幹線は佐賀知事とゆっくり話し合った方がいいぞ。

403 :日本@名無史さん:2020/01/14(火) 16:59:19 .net
志賀島は安曇族の氏神である志賀海神社がある。
安曇族は古代の海洋民族であり、糟屋の安曇から出て、
志賀島を拠点に、日本全国に散らばっていった事が分かっている。
この安曇族が属しているのが奴国があったとされる博多湾周辺であり、
漢委奴國王の金印が、奴国の、安曇族の本拠地、志賀島から出たと言うことは、
日本の古代史からみて至極まっとうな事であると考えられる。

404 :日本@名無史さん:2020/01/14(火) 17:02:37 .net
ちなみに、かつての博多湾は現人神社まで入り込んでいたので、
非常に温暖な入江の海辺だったと考えられている。
魏志倭人伝の温暖な倭国を再現するに相応しい場所だ。

405 :日本@名無史さん:2020/01/14(火) 20:06:11 .net
志賀島の海人は記紀における豊国だろ?
豊玉姫や木花佐久夜姫などの、大山祇の一族だ。
豊国と婚姻したのが筑紫の日向、すなわち伊都の天孫族だ。
実質的には支配権が志賀島から伊都に移ったのだろう。

406 :日本@名無史さん:2020/02/04(火) 09:19:05 .net
天皇の故郷で金印がある九州が倭

407 :日本@名無史さん:2020/02/04(火) 09:54:26 .net
志賀島から出たって不思議がる人がいるけど
志賀島は安曇族の本拠地だから不思議ではない

408 :日本@名無史さん:2020/02/04(火) 13:05:52 .net
安曇族というと傍系のイメージだな。
しかし記紀にある天孫降臨の前の博多湾沿岸の支配者が大山祇なら、その一族の宮である竜宮城があった志賀島こそ、倭の王都であった時代があって良いことになる。
魏志倭人伝では卑弥呼の前に男王の時代が70〜80年あり、これが天孫族の日向三代なら、金印をもらったのはまさにその直前の大山祇の時代になる。
倭奴国の王宮は、世俗にまみれた博多を離れて志賀島にあったというわけさ。

409 :日本@名無史さん:2020/02/04(火) 14:02:31 .net
志賀島は北部に農業できる平坦があるんだよな
誰も真面目に発掘したことないだろ
だれか一緒に掘りに行くか?

410 :日本@名無史さん:2020/02/04(火) 14:16:23.07 .net
遺構がない時点で考古学的価値はゼロ

以前は蛇鈕は現物知らなきゃ無理かなって考えていたけど
あんなの江戸時代に入手可能な書物読めば蛟ってのがでてくるから
大方それを蛇と勘違いして偽造したんやろうなって

411 :日本@名無史さん:2020/02/04(火) 16:54:45 .net
>>409
ちゃんとした発掘許可を得てやらないと、盗掘と変わらなくなる。
記録の残し方とか遺物の保存方法とか、きちんとしないとね。

412 :日本@名無史さん:2020/02/05(水) 18:57:28 .net
>>411土地を買って自分の家をたてるつもりで
基礎を掘ってたら古墳でてきた

ってパターンなら良いんだよね?

413 :日本@名無史さん:2020/02/05(水) 20:35:42 .net
見つけた、あるいは気付いた時点で
教育委員会に通報しないといけない

414 :日本@名無史さん:2020/02/10(月) 21:24:16.14 .net
文科省なんて全然信用ならないわ
いじめすら認めない
自分の出世と天下りばかり勘定
どうしようもない

415 :日本@名無史さん:2020/03/14(土) 18:44:02 .net
>>405伊都に天孫がいたという根拠は?

416 :日本@名無史さん:2020/03/16(月) 16:01:12 .net
>>412
そもそも志賀島に家建てようとしたら、工事の前に地価調査義務付けられてんじゃね?
もしかしたら福岡は結構その辺ずさんだから、規制してないのかな?

普通は遺跡があったり、歴史的に重要そうな地域は、工事の前に調査が入る。

417 :日本@名無史さん:2020/03/16(月) 16:10:29 .net
福岡市埋蔵文化財地図で遺跡名在る地域かどうか確認できる
http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/about_constructions/detail/2
https://f-chirijoho.jp/maibun_leaflet/index.php

418 :日本@名無史さん:2020/03/17(火) 09:34:07 .net
>>416
福岡って古い物より新しい物を大切にする文化だからな…
金隈遺跡や板付遺跡に近い福岡空港の下にはかなりの遺跡が沈められてるとのこと

419 :日本@名無史さん:2020/03/17(火) 21:45:28.07 .net
まあ、ある意味では保存されていいのかも。
市街地だと確実に失われるからね。

420 :日本@名無史さん:2020/03/17(火) 22:24:33.35 .net
>>419
めたくそに破壊されたに決まってんだろ
今まで何度拡張工事されたと思ってんだよw

421 :日本@名無史さん:2020/03/18(水) 14:28:25 .net
最古水田菜畑に伝わった日本最古の耕作用農具だって当時の中国とは
全く違ったものが伝わっている。

と言うか、当時の中国には存在しない耕作用農具が伝わっている。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具 → クワ、エブリ 《すべて木製》

◆同期する中国の耕作用農具 → 耜(スキ)、鋤、犂 《すべて石刃》


クワは当時の中国には存在しない耕作用農具。

エブリは田を均す耕作用農具で、これも当時の中国には存在しない。

鋤は地面を引っ掻いて除草する除草用の耕作用農具で日本には伝わっていない。

スキが日本に伝わるのは菜畑遺跡から200年以上あとの弥生前期頃で、
やはり全て木製であり、犂は牛耕用の耕作用農具で日本に伝わるのは5C頃で鉄刃。

伝わった日本最古のイネの粒種だって違う。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古のイネ → 短粒種のみ

◆同期する中国のイネ → 中粒種が半分近く混ざったもの



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!

422 :日本@名無史さん:2020/05/02(土) 03:22:22 .net
文様の製造方法が中国のものと根本的に異なる以上、本物では無いのかなと思ってます
これが決定的で、研究の結果、明るみに出て良かったです
ただ、もし中国で、金印と同じ作り方の印が、偽物ではなく発見される事があれば、その時にこそ再考の材料になるのかなと思います

蛇鈕部分も中国で発見された蛇をあしらったものと全然違いますね
中国のものは、ラクダにせよ亀にせよ、まず、動物のデザインがあり、そのデザインを保持した上で、鈕としての機能が持たされてます
一方で、問題の金印は、まず鈕としての機能があって、それに蛇の意匠を後付けしています
それで、ラクダの首を切った改造タイプとか、新説が出てくると思うのですが、この説が出る時点で、背景に中国の印とのデザイン上の違いを説明する必要性を感じます

鈕のデザイン差異は、金印を実用的な道具とするか象徴として与えるかの違いにありそうで、やはり、後世、印章とした伝わっていたものを新造する場合は、どうしても、象徴としての造形に着目できないように思います

それで、もともと鈕として無難な形にまとめたものに蛇の形状を彫り込み、本場のものとは似ても似つかない独自形状になってしまったのではと推測しています

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