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漢委奴国王印 いわゆる金印part3

1 :東京:2019/05/06(月) 17:37:27.05 .net
有意義なスレですのでpart3をたてました。

516 :日本@名無史さん:2020/05/11(月) 20:00:04 .net
>>514
>ならば志賀島は極南界にならないね。

どこから湧いて出た話だよw

517 :日本@名無史さん:2020/05/11(月) 20:02:58 .net
倭国の最大勢力が倭奴国だったから、倭奴国より南の情報は漢末には得られなかった。
だから極南界(南の端)が倭奴国。
北の端の狗邪韓国とセットの記事であることは言うまでもない。

518 :日本@名無史さん:2020/05/11(月) 22:55:45 .net
後漢書の倭国は卑彌呼が共立された倭国
極南界(南の端)の倭奴国が北部九州沿岸で、
朝鮮半島南部と北部九州だけの倭国の範囲だと
大倭王が居る邪馬臺國は倭奴国よりも北になるので朝鮮半島になってしまう

519 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 06:37:20 .net
時代が違う。やり直し。

520 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 06:59:38 .net
北部九州に盛行した甕棺集団はど没落してしまったので
極南界(南の端)の倭奴国は滅亡した
金印が本物であった場合、邪馬臺國は九州には存在し得ないことになった

521 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 07:09:40 .net
中国のニュースだけど
上海で金印が出たよ
詳しくわからないけど複数発見されたみたい
 

522 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 07:20:02 .net
四川省眉山市の明代の「蜀世子宝」印じゃないのか?

https://www.afpbb.com/articles/-/3280983

523 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 07:41:37 .net
朝のNHKのニュースでやってたよ
重さが8キロだったよ

524 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 08:25:47 .net
>>523
だから>>522の蜀王太子の金印だろ。
先月29日発表だぞ?
どんだけ世間とズレてんだよ(笑)

525 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 09:24:25 .net
細石神社については否定は不可能なんだよ
可能性としては残される

高祖神社と細石神社は縁が深い
子と母の関係だから
昔は高祖神社から神輿が細石神社に下る神幸があった

高祖神社が残っていたなら、信仰は残るでしょうね

526 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 12:09:28 .net
福岡の特に古い神社の御神体は化石や石ばかり
そりゃ仏教伝わる前だもの
細石って言葉に惹かれるなぁ
どんな石なんだろうか

527 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 14:38:38 .net
>>525
可能性は皆無だから(笑)

細石神社ネタのまとめ

建武中元2年(57年) 漢光武帝が金印を下賜

紀元前1世紀頃 三雲南小路遺跡築造
王墓前の祭祀施設が後の細石神社の可能性あり
高祖神社との由縁あり
(三代実録の高磯ヒメ神は高祖神社なので削除)
天正年間(1573〜1586年) 戦火により社殿焼失
天正15年(1587年) 太閤検地により神田没収、筑前の石高に組み込まれる(祀る神も奉る神主も存在していない結果=断絶の証拠)
寛永年間(1624〜1645年)末 村長の大原金左衛門が流鏑馬を実施するも再興叶わず
元禄8年(1695年) 細石神社御縁起
元禄16年(1703年) 筑前国風土記にて佐々禮石社の記録を確認(祭日の流鏑馬行事だけは残った模様)
天明4年(1784年) 百姓の甚兵衛が志賀島から金印を発見
文政5年(1822年) 三苫清四郎が三雲南小路遺跡を発見
文政12年(1829年) 氏子が手水舎を奉納(現存)
明治5年(1872年) 村社
大正12年(1923年) 幣帛供進社

古田の言う地元住人の「侍が持ち去った」が事実ならば、神田没収前、おそらく社殿焼失前後と考えるのが妥当
425年も前の出来事を住人が記憶している可能性はない
→信仰は残ったはずとの反論
三雲の戸籍は金龍寺の元禄宗門人別帳に組み込まれている。 よって曹洞宗に帰依、信仰は残らなかった
傍証として神事が流鏑馬という祭行事としてしか残らなかったこと、三苫清四郎が社領の認識をしていなかったことなどが挙げられる
そもそも社伝自体が古田の妄想であり、元細石神社には一切伝わっていない

結論: 細石神社の金印庇保管はネタであり、歴史学としての価値はない

以上

528 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 14:45:20 .net
天正初期に焼失し、天正15年(1587年)には社領と呼べる状態になかったから太閤検地で神田ではないと判明し、没収され筑前の石高に組み込まれた。

「侍が持ち出した」のが本当なら、焼失前なんだから433年以上前になり、しかも裏手の土を土塀の材料に掘り出すほどその存在は忘れられていた。

古田の誘導尋問もしくは創作と見るのが常識的。

1587年には野ざらしであり、寛永後期(1635年以降)に村長の大原金左衛門が流鏑馬を実施するも再興が叶わなかったんだから断絶したと見るのが常識的。

529 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 14:46:07 .net
Q1.
その神社が1822年に土壁用の粘土を掘ってる時に偶然見つかった三雲南小路遺跡をどう認識してたのか(ちなみに金印が発見されたのは1784年)。
A1.
235年も前に太閤検地で没収された土地だから忘れ去られていた。
没収された理由は天正年間には既に社殿もなく荒廃していた村社だから。

Q2.
金印に関する伝承?社伝?はいつ頃見つかったものなのか。
A2.
2013年に古田武彦氏が住人や神主から採録したというのが唯一。
史料は存在せず。

Q3.
また最古の出典はいつなのか。
A3.
古田に情報提供した大政就平氏がどこから得た情報なのかは明らかにされていないので不明。


2013年12月06日に投稿されたスピリチュアル系ブログと2014年10月16日に発刊された古田本以外のソースなしにより与太話確定。

530 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 14:46:20 .net
そもそも
・金印が細石神社にあった
→歴史学では相手にされないレベルの噂話
・細石神社は三雲南小路遺跡の拝殿だ
→歴史学・考古学的根拠なし
・金印は三雲南小路遺跡から出土したものだ
→歴史学・考古学的根拠なし
・三雲南小路遺跡は夫婦の墓だから、細石神社祭神の木花咲也とその夫である彦火火出見の墓だ
→超がつくほど飛躍した論理
なのに、循環論法よろしく、関連付けて主張してる奴がバカなだけ

531 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 14:47:15 .net
細石神社が漢委奴国王の金印を旧蔵してたって話の元ネタは古田の「多元史観」
四国の大政就平という人物が古田に知らせ、地元住民に聞き取りしたら「細石神社にあった金印を武士がもって行った」という伝承があったらしい

五世紀も前の出来事を地元住人が知ってるファンタジー
複数の証言が取れるのに一切の記録がないファンタジー
くだんの神社にも一切の記録が残っていないファンタジー
境内の後ろにある王墓の伝承すら残っていないファンタジー

532 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 14:47:47 .net
細石神社に金印が保管されてたってネタは自説の信憑性を高めるために「地元民への聞き込み」というナゾ行動までした古田や、それを盲信しようと必死な糸クズが悪いんであって、細石神社自体に罪はない。

533 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 16:16:21 .net
細石神社に信憑性なかったんやな。
年毛神社もやけど、福岡って神社の捏造多すぎひん?

534 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 16:45:38.41 .net
こんな日本語の文字を考案した(画像有り)
ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3689-0
こんな人工言語を作った
ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3648-0
人類の品種
ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3625-0
言葉の起源
ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3623-0
日本語は海豚の言葉に由来する
ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3622-0
ペンギン(ウルトラマン)
ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3626-0
殷と商&燕国と斉国(日本)
ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3644-0
日本語と中国語との同源語
ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3701-0
関東無政府主義国へようこそ!
ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3629-0

535 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 18:59:49 .net
キナイコシ
 金印偽造を
  あきらめた

キナイコシ
 細石が
  気に食わない

キナイコシ
 邪馬台国は
  朝鮮半島だ

536 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 19:28:19 .net
>>533
捏造だという根拠は?
まあ神功皇后のまわりは捏造もあるかもしれないが。

537 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 19:36:04 .net
>>536

え?>>527-532が読めない文盲なの???

538 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 20:11:30 .net
>>537
キナイコシお得意の屁理屈がなんだって???

539 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 20:55:15 .net
へー悔しくなったらキチスレ連打するんだwキナイコシわw

まんまクソテンプレと同じでクソワロタw

540 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 21:13:11.27 .net
.



中国大陸には7000年前の河姆渡遺跡の時代から皿という器種がありました。

あちらで皿は盤と呼びます。

ところが、縄文末に渡来した弥生人は鬲や鼎どころか、皿(盤)の一枚さえも
伝えませんでした。

日本に皿という器種が伝わるのは4C末の古墳時代です。

中国大陸には7000年前からある皿という器種を我々の祖先は古墳時代まで
知らなかったのだ。

その時代差、約5400年。

弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!


.

541 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 21:28:50.10 .net
>>538
細石神社の来歴は前スレや伊都スレにも書き込まれてた客観的事実だと思うけど

542 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 22:36:10.58 .net
「常識的」というキナイコシ特有の非論理的な逃げ口上でガチガチのいちゃもんが何を証明できるって?

543 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 22:53:47 .net
元は細石神社に金印があったということの証明は一切なされていないわけだが

544 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 23:29:29.89 .net
>>542
まぁ妄想に取り憑かれてる糸クズが言えたことじゃないけどな。

545 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 00:48:21 .net
そもそも細石神社に金印があったという情報は「古田史学の会」の四国会員である大政就平が古田に伝えたもの
そして現地調査した古田が地元民から「侍が持ち去った」という伝承を聞いたと『古田武彦が語る多元史観』に記載した

それでは細石神社(旧・佐々禮石社)について検証してみましょう

紀元前1世紀頃 三雲南小路遺跡が築造
建武中元2年(57年) 漢光武帝が倭国王に金印を下賜
(三雲南小路遺跡の祭祀施設が後に佐々禮石社になった可能性があり、高祖神社との由縁も確認できる)
天正年間(1573〜1586年) 戦火により社殿焼失
天正15年(1587年) 太閤検地により神田没収、筑前の石高に組み込まれる
              (祀る神も奉る神主も確認できなかったため神領とは認められなかった=断絶の証拠)
寛永年間(1624〜1645年)末 年貢逃れのために村長の大原金左衛門が流鏑馬を実施するも再興叶わず
元禄8年(1695年) 細石神社御縁起が書かれる
元禄16年(1703年) 筑前国風土記にて佐々禮石社の記録を確認
              (祭日に流鏑馬行事が実施されていた様子)
天明4年(1784年) 百姓の甚兵衛が志賀島から金印を発見
文政5年(1822年) 三苫清四郎が自宅の土壁補修のために当地を掘り返したところ三雲南小路遺跡を発見
             (何の由縁も残らず藪と化していた証拠)
文政12年(1829年) 氏子が手水舎を奉納(現存)
明治5年(1872年) 村社
大正12年(1923年) 幣帛供進社
              (現宮司はこの時に神社庁から派遣された)

古田が聞いたとする「侍が持ち去った」が事実ならば、神田没収前、おそらく社殿焼失の1586年前後と考えるのが妥当
425年も前の出来事を住人が記憶している可能性は皆無である

三雲の戸籍は金龍寺の元禄宗門人別帳に組み込まれており、信仰対象を失っているため曹洞宗に帰依していたと考えるべき
傍証として流鏑馬が神事ではなく祭日の行事としてしか残らなかったこと、三苫清四郎が社領であると認識していなかったことなどが挙げられる
まして現宮司は大正時代に神社庁から派遣された神職であるため、古田が宮司から伝承を聞いたということ自体が虚言である

結論: 細石神社の金印庇保管はネタであり、歴史学としての価値はない

546 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 01:11:05 .net
侍が持って行った

日本兵に連れていかれた

倭寇が仏像を持って行った

547 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 01:21:42 .net
金印とは無関係な可能性の高い細石神社だが、祭神が磐長姫と木花開耶姫の姉妹である点は興味深い。
このパターンは同じ糸島の若宮神社やにも見られる。

何が興味深いかと言うと、この姉妹神の父が大山津見であること。
北部九州沿岸といえば当時最大勢力の海人だった安曇の支配地であり、大綿津見の地。
大綿津見の地である奴国と大山津見の地である伊都国とも取れるのではないか?

548 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 02:08:57 .net
若宮神社は江戸時代に漁師の妻の神のお告げ
櫻井神社(浦姫宮)も同様のお告げで黒田騒動の裁判の最中
黒田は官兵衛から親子2代キリシタンだったから
禁教令の後改易されないように藩内の民の信仰には気を配ったんだろう
唐津の松島、馬渡島は長崎から移住した隠れキリシタンの島

549 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 02:21:43 .net
>>547
オレモ無関係だろと思ってたが、キナイコシが無関係言うならその反対で実は関係あるんじゃないかと迷い始めた

550 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 02:28:12.64 .net
つまり「恨」が根拠

551 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 02:58:59 .net
>>549
お前はいつまでキナイコシの亡霊に取り憑かれてるんだよw

552 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 03:06:46 .net
奴国が大山津見、志賀島が大綿津見じゃないの?
天孫の前代王が大山津見だからこそ、天孫は木花咲耶姫を娶ったわけだよ。
そして伊都国に奴国から遷都した。
その墓が三雲南小路遺跡だというわけさ。

553 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 03:22:37 .net
>>552
魏志倭人伝には伊都国は都(女王国)ではないと明記されてるんだから諦めろよ糸クズ

554 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 03:28:06 .net
伊都だから都

555 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 03:40:54 .net
三國志で都がつく県名はけっこうある

556 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 03:57:35 .net
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。諸国は之れを畏れ憚る。常に伊都国を治むる。國中に於ける刺史の如く有り。”

女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。
(そのため)諸国(の使)は之れ(=大率)を畏れ、気を使っている。
(大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を監視している。
(大率とは)国中に束ねる(魏の)監督長官のようである。

三国志の記述では前節が後節に掛かっている。
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
監視されている伊都国(常治伊都國)は前節の諸國。

つまり女王国の北側に設置された一大率が諸国の一つである伊都国を監視しているということ。

言い換えれば伊都国は女王国に属する諸国の一つで一大率に管理されている国。

557 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 04:33:37.27 .net
弥生初期
九州 イザナギにより能古島で倭国建国、稲作拡大
本州 スサノオが日本海から全国へ農業を広める

弥生中期
九州 筑紫生まれの大山祇や大国主らによる倭奴国の最盛期、前漢に朝貢し内行花文鏡をもらう
本州 大山祇の子である三島溝杭耳らにより瀬戸内から近畿の稲作拡大

弥生後期
九州 伊都に遷都した天孫ニニギらが後漢に朝貢し金印と内行花文鏡をもらう
本州 三島溝杭耳の末裔である鴨一族と天孫ニギハヤヒの王権

弥生末期
九州 倭国は乱れ天孫族が九州脱出、収拾のため伊都で卑弥呼共立へ、滅亡した漢王朝のかわりに国産の内行花文鏡である平原遺跡の八咫鏡を製作
本州 ニギハヤヒの物部王朝に神武が合流して大和王権の基礎となる

古墳時代初期
九州 再びの乱を収拾するため壹與共立へ、続いて八咫鏡を継承した神夏磯姫が景行と共闘、沖ノ島の合同祭祀の規模拡大へ
本州 崇神により大和王権は拡大征服路線へ、八咫鏡を宮から追放し伊勢へ

古墳時代前期
九州 仲哀が筑紫に迎えられるが崩御、神功皇后が神夏磯姫の末裔の田油津姫を倒し筑紫を統一へ
本州 神功皇后の子で筑紫生まれの応神による統一王朝へ

558 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 04:38:32.39 .net
>>552
志賀島は奴国じゃねぇのかよマヌケ(笑)

559 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 04:46:08 .net
奴国は博多側だろハゲ

560 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 04:49:38 .net
>>559
無能すぎて笑えるな
飛鳥時代に志賀明神は儺県の地神だ無能

561 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 04:55:50 .net
>>552
> 奴国が大山津見、志賀島が大綿津見じゃないの?
違うな
伊都国が大山津見、奴国が大綿津見だ

> 天孫の前代王が大山津見だからこそ、天孫は木花咲耶姫を娶ったわけだよ。
天孫の前代王という発想がすでに妄想
論ずるに値しないので却下

> そして伊都国に奴国から遷都した。
そんな歴史的事実は存在しないから却下

> その墓が三雲南小路遺跡だというわけさ。
お前の妄想でしかないから却下

結論:お前は全却下

562 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 07:30:37 .net
「認めたくない」と駄々をこねるだけのキナイコシ

563 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 07:42:17.70 .net
大山祇の祇や大山津見の見はミまたはミミで王族の称号。
大山祇が王名であることは明らかだ。
綿津見が海の神、大山祇は山の神(陸の神)。
志賀島と博多を陸海で分けるのだから、大山祇が陸側だよ。

564 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 14:04:39 .net
.
最古水田菜畑に伝わった日本最古の耕作用農具だって当時の中国とは
全く違ったものが伝わっている。

と言うか、当時の中国には存在しない耕作用農具が伝わっている。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具 → クワ、エブリ 《すべて木製》

◆同期する中国の耕作用農具 → 耜(スキ)、鋤、犂 《すべて石刃》


クワは当時の中国には存在しない耕作用農具。

エブリは田を均す耕作用農具で、これも当時の中国には存在しない。

鋤は地面を引っ掻いて除草する除草用の耕作用農具で日本には伝わっていない。

スキが日本に伝わるのは菜畑遺跡から200年以上あとの弥生前期頃で、
やはり全て木製であり、犂は牛耕用の耕作用農具で日本に伝わるのは5C頃で鉄刃。

伝わった日本最古のイネの粒種だって違う。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古のイネ → 短粒種のみ

◆同期する中国のイネ → 中粒種が半分近く混ざったもの



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!
.

565 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 14:49:48.90 .net
>>563
大山津見は伊都国だろ
志賀島は奴国の一部だし

566 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 14:55:01 .net
伊都はアメノヒボコ

567 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 14:55:44 .net
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。諸国は之れを畏れ憚る。常に伊都国を治むる。國中に於ける刺史の如く有り。”

女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。
(そのため)諸国(の使)は之れ(=大率)を畏れ、気を使っている。
(大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を監視している。
(大率とは)国中に束ねる(魏の)監督長官のようである。

三国志の記述では前節が後節に掛かっている。
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
監視されている伊都国(常治伊都國)は前節の諸國。

つまり女王国の北側に設置された一大率が諸国の一つである伊都国を監視しているということ。

言い換えれば伊都国は女王国に属する諸国の一つで一大率に管理されている国。

568 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 16:34:15 .net
>>565
伊都国のニニギに嫁いだのだから、伊都以外の周辺のどこかだよ。

569 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 16:34:42 .net
>>566
それはもう少し後世の話。

570 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 16:37:41 .net
>>565
志賀島は火遠理命(伊都の高祖神社の祭神になっている)に嫁いだ豊玉姫の実家、海神豊玉彦の国だね。
綿津見(海神)と対となる陸の王が大山祇で、奴国の王。

571 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 17:57:25 .net
>>569

アメノヒボコの前は
支石墓や甕棺が日本には広がっていないので
日本の神より韓国の全羅南道と共通した神だろう

572 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 18:11:29 .net
対馬海峡を挟んだ国家だな

573 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 18:12:58 .net
大山祇がもともといたのなら大山祇が倭人なのか?

574 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 18:23:51 .net
>>570
正確には、
志賀島は火遠理命(伊都の高祖神社の祭神になっている)に嫁いだ豊玉姫の実家、海神豊玉彦の国だね。
綿津見(海神)と対となる陸の王が大山祇で、伊都国の王。
だな。

575 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 18:24:47 .net
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   ┃ ▼よく分かるチョンコ半島の歴史
   ┃
   ┃有史以前: 虎になりたいメス熊とファックしてチョン誕生。
   ┃紀元前 : 南部から縄文人に支配される。
   ┃ 2世紀 : 北部から漢に従属させられる。
   ┃ 4世紀 : 倭の属国になる。
   ┃ 7世紀 : 唐に征服される。
   ┃13世紀 : モンゴルに犯されまくる。
   ┃14世紀 : 明に隷属する。
   ┃17世紀 : 清の勅使に三跪九叩頭の義務を課される。
   ┃20世紀前半 : 日本の一地方にしてもらう。
   ┃20世紀後半 : 北半分がソ連の、南半分がアメリカの属国になる。
       ∧_∧   。
      (  ´∀`) / <これでテストは満点        E[]ヨ
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576 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 18:43:21 .net
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
”女王国から(自)、以北には、
一大率を特に置き検察す。
諸国は之れを畏れ憚る。常に伊都国にて治むる。國中に於ける刺史の如く有り。”

女王国から北側に対しては、一人の大率を特別に置いて、検察している。
(そのため)諸国は之れ(=大率)を畏れ、気を使っている。
(大率は監督長官なので)いつも伊都国で執務している。
(大率が率いる監督組織とは)魏国における刺史のようである。

一大率の説明が「諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
一大率が部下を北方の各国に派遣して監督しているのが魏の刺史組織のようである。

つまり女王国の首都である伊都に特設された一大率が、刺史のような部下を派遣して、
北方の諸国を監視しているということ。

言い換えれば投馬国(狗邪韓國が中心)は女王国に属する諸国の一つで一大率に管理されている国。

577 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 18:46:25 .net
>>576
恣意的な読み間違いはやめろよ。

正しくは
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。諸国は之れを畏れ憚る。常に伊都国を治むる。國中に於ける刺史の如く有り。”

女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。
(そのため)諸国(の使)は之れ(=大率)を畏れ、気を使っている。
(大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を監視している。
(大率とは)国中に束ねる(魏の)監督長官のようである。

三国志の記述では前節が後節に掛かっている。
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
監視されている伊都国(常治伊都國)は前節の諸國。

つまり女王国の北側に設置された一大率が諸国の一つである伊都国を監視しているということ。

言い換えれば伊都国は女王国に属する諸国の一つで一大率に管理されている国。

578 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 18:54:43 .net
僅か千餘戸の伊都國は郡使や倭国の遣使が逗留する国で
倭の女王とは別の王が存在するのだから
女王国が伊都國王及び往来する郡関係の商人達を保護している

579 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 18:59:08.82 .net
>>573
>大山祇がもともといたのなら大山祇が倭人なのか?

倭王

580 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 18:59:59.11 .net
>>577
>>576
>恣意的な読み間違いはやめろよ。

ブーメランw

581 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:01:07.70 .net
【伊都国】

伊都国の官は爾支と記されているが、ニニギ、ニギハヤヒなどと同じ系統の名であり、神道における神職を意味する禰宜にも通じる。
平原遺跡には鳥居などの遺構があり、いわゆる神道の形式が整いつつあった。
高祖宮は伊都国から日の出の方にあり、卑弥呼らは太陽を背にして君臨していた。
高千穂宮から始まる神武東征の時、神武は天の子は太陽を背にするべきだと発言していて、伊都は神道の基本である太陽信仰の都である。
卑弥呼の鬼道とは、中国人から見た古代神道のことだったのである。

伊都国の平原遺跡は3世紀頃の女王墓であり、方格規矩四神鏡と内行花文鏡、玉を中心とする豪華な副葬品を持ち、後漢の頃には見られなかった巨大な国産の内行花文鏡、いわゆる八咫の鏡が5面含まれていたことから、倭国大乱後の倭国の王権が伊都国にあったことがわかる。
2世紀の倭国大乱以降では卑弥呼が最初の女王であるため、平原遺跡の被葬者の最有力候補が卑弥呼である。
魏志において伊都国は人口が1000戸と少ないが、魏志に卑弥呼の王宮の下女は1000人とることと一致する。
近隣の世俗の商業都市としての博多奴国と、政治・祭祀・外交のための聖なる王都である伊都が分離されていたと考えられる。

伊都国には高祖宮(高祖神社)があり、後世にはその東側の高祖山とクシフル山の山頂を囲む中国風山城(奈良時代は怡土城、戦国時代は高祖城と呼称される)があった。
高祖山を越える峠が日向峠であり、筑紫の日向のクシフル山にある高祖宮の古名が高千穂宮であったと考えられる。

アマテラスの孫のニニギはクシフル山に降臨してその西側に埋葬されたとあり、三雲南小路遺跡、井原鑓溝遺跡などが、魏志において倭国大乱の前の男王の時代70〜80年を担った日向王家の王墓であると考えられる。
三雲南小路遺跡の拝殿であり漢の金印を保管していた細石(さざれいし)神社は天孫邇邇芸と木花佐久夜毘売を祭神とし、
平原遺跡からはニニギが授かった三種の神器である八咫の鏡と思われる超大型内行花文鏡が出土しており、筑紫の伊都がその名の通り倭国王家である日向三代の都であった証拠である。

582 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:03:49 .net
>>577
伊都国を監視しているとどこに書いてあるの???

583 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:04:12 .net
離島を中心とした両岸の極小倭国は
離島でおでん文字の看板出して商売してる人の願望じゃないかな

584 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:05:47 .net
>>583

領域としては狭いが、半島大陸との交易を大率が全て掌握していたから、伊都と奴国は非常に豊かだった。
それは考古学的にも分かっている。

585 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:14:09.75 .net
狭すぎだろ

586 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:16:24.74 .net
後漢書では狗邪韓国から倭奴国までしか出てこないしね。
倭とはそれくらいの国だった。
それでも奴国は東夷では単一の国邑として最大級だった。

587 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:19:38 .net
>>582
日本史スレにおるのに漢文の読み下しもできんのか???

「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。諸国は之れを畏れ憚る。常に伊都国を治むる。國中に於ける刺史の如く有り。”

女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。
(そのため)諸国(の使)は之れ(=大率)を畏れ、気を使っている。
(大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を監視している。
(大率とは)国中に束ねる(魏の)監督長官のようである。

三国志の記述では前節が後節に掛かっている。
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
監視されている伊都国(常治伊都國)は前節の諸國。

つまり女王国の北側に設置された一大率が諸国の一つである伊都国を監視しているということ。

言い換えれば伊都国は女王国に属する諸国の一つで一大率に管理されている国。

588 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:20:44 .net
倭奴国は倭国の南の端の国
後漢書は卑弥呼が共立された倭国の範囲

589 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:28:31 .net
日本列島で九州北岸より北は本州

590 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:30:03 .net
>>589
お前、どこの国の人?

591 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:31:32.52 .net
>>590

それお前に聞きたい

592 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:34:52.68 .net
>>587
日本史スレにおるのに漢文の読み下しもできんのか???
恣意的な読み間違いはやめろよ。 「有如刺史」


「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國於 國中有 如刺史」
”女王国の以北には一大率を置き特に検察す。諸国は之れを畏れ憚る。常に伊都国に於いて治むる。國中に有り 刺史の如し。”

女王国より(自)北の国々には、特別に一人の大率を置いて検察している。
諸国は之れ(=大率)を畏れ、気を使っている。
(大率は検察長官なので)常に(首都である)伊都国で執務している。
(大率の部下は)各国に派遣されて有る。
(大率の組織は)魏本国における刺史組織のようである。

つまり女王国の首都である伊都に特設された一大率が、刺史のような部下を派遣して、
北方の諸国を監視しているということ。

言い換えれば投馬国(狗邪韓國が中心)は女王国に属する諸国の一つで一大率に管理されている国。

593 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:38:00 .net
伊都国は行程上で女王国に行く途中の国

594 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:39:19.30 .net
詐欺師キナイコシがとっくに決着がついた話を蒸し返すから
忘れていたわw

>>592
これが正しい。

キナイコシは詐欺師だから
諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史
と区切って伊都国を治めるとしているが、
これだと
於國中は於國じゃないと中が浮いてしまう

595 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:41:53.22 .net
>>592は関西の朝鮮部落民だけの読み方

596 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:44:11 .net
>>592>>594

猿芝居までして見苦しい
伊都国について書かれた中国史書において共通しているのは、伊都国には王がいて女王(国)に属しているという点

魏志倭人伝
「世有王皆統屬女王國」

翰苑(魏略)
「其国王皆属女王也」

どんなに伊都ファンや糸クズ、キナイコシが屁理屈を並べても伊都国は女王国にはなり得ない。

597 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:45:41 .net
>>596
>伊都国には王がいて女王(国)に属している

そりゃそーだ。

伊都国には王がいて
伊都国にいる卑弥呼女王に属しているのだからな。
狗奴国と全力で戦うために。

598 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:45:59 .net
>>596
どんなに頑張っても蛙の骨w

599 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:46:08 .net
>>592
お前さんは妄想ふくらませる前に大前提となる三国志をちゃんと読めるようになりなさい。
話はそれから。
今の知識じゃ他人と議論できるレベルに達していない。

600 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:47:20.33 .net
>>597
それ本気で言ってんのか???
伊都国は女王国に属し、伊都王は女王に属してるのに???

もはや駄々っ子レベルだなwww

601 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:49:23 .net
>>597
世有王皆統屬女王國

これ100回くらい声に出して読み上げてみなよ。

602 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:50:45 .net
伊都国について書かれた中国史書において共通しているのは、伊都国には王がいて女王(国)に属しているという点

魏志倭人伝
「世有王皆統屬女王國」

翰苑(魏略)
「其国王皆属女王也」

どんなに伊都ファンや糸クズ、キナイコシが屁理屈を並べても伊都国は女王国にはなり得ない。


伊都国について書かれた中国史書において共通しているのは、伊都国には王がいて女王(国)に属しているという点

魏志倭人伝
「世有王皆統屬女王國」

翰苑(魏略)
「其国王皆属女王也」

どんなに伊都ファンや糸クズ、キナイコシが屁理屈を並べても伊都国は女王国にはなり得ない。


重要なことなので二回書コピペしましたよ(笑)

603 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:55:45 .net
キナイコシ大暴れw

604 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:57:07 .net
>>602
だからさ。

そりゃそーだ。

伊都国には王がいて
伊都国にいる卑弥呼女王に属しているのだからな。
狗奴国と全力で戦うために。

605 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:58:08 .net
爾支=一大率

キナイコシ敗北www

606 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 19:59:13 .net
伊都国王=一大率

キナイコシ敗北www

607 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 20:00:43 .net
伊都国を治めてるのは誰だ?

わざわざ記録されてる伊都国王か
わざわざ記録されてる爾支だろうが。

一大率が伊都国を治めてるんだろ?
だったら一大率をやってるのは伊都国王か爾支だな。

兼任だよ兼任。

608 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 20:02:12 .net
伊都国にいる卑弥呼女王が邪馬台国全域を支配。

同じく伊都国の伊都国王か爾支=一大率が下働き。

考古学でも矛盾しないな。

609 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 20:02:55 .net
元ネタは魏志倭人伝スレのコレやな

151日本@名無史さん2019/08/29(木) 09:49:06.41

「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」

読み下し
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。
諸国は之れを畏れ憚る。
常に伊都国を治むる。
國中に於ける刺史の如く有り。”

和訳
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。
(そのため)諸国(の使)は之れ(=大率)を畏れ、気を使っている。
(大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を治めている。
(大率とは)国中に束ねる(魏の)監督長官のようである。

根拠
三国志の記述では前節が後節に掛かっている。
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
監視されている伊都国(常治伊都國)は前節の諸國。

結論
つまり女王国の北側に設置された一大率が諸国の一つである伊都国を監視しているということ。

610 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 20:03:49 .net
>>605
兼任とな。
プーチンみたいなものか。
元KGB長官にして現大統領。

611 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 20:04:27 .net
爾支は新羅で親玉を表す尼師今と同じ
伊都国は倭人の風習がない非倭人の国

612 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 20:04:29 .net
>>604
伊都国に王が二人いるって駄々っ子かよwww
糸クズもう諦めろんwwwww

613 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 20:05:48 .net
>>604
伊都国王が女王国に統属されているって倭人伝の記述と矛盾するから却下だな。

614 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 20:05:51 .net
>>609
伊都国を監視しているというのは詐欺師キナイコシのいつもの嘘。

一大率は治めているとしか書かれていない。
そもそも治めているという時点で妙だがな。

伊都国を治めているのなら、一大率=伊都国王か爾支。

615 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 20:06:39 .net
>>607
一大率は女王国の以北から伊都国を治めてんだよ

616 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 20:07:11 .net
>>613
は?
同じことを言ってるのだが。

日本史スレにおるのに日本語の理解もできんのか???

>反日キナイコシ

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