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院政について語ろう Part2

1 :日本@名無史さん:2019/06/10(月) 20:52:50.48 .net
摂関政治を打破し、その後300年にわたり続いた院政について語るスレその2です。
白河院政から武家の台頭、鎌倉開幕を経て南北朝時代までをのんびり語りましょう。

前スレ
院政について語ろう
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1317307160?v=pc

2 :日本@名無史さん:2019/06/12(水) 07:18:45.35 .net
PHP新書
院政とは何だったか
「権門体制論」を見直す
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-81065-2

講談社現代新書
院政 天皇と上皇の日本史
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000322699

3 :日本@名無史さん:2019/06/12(水) 09:26:48.55 .net
上皇を特使として北朝鮮へ派遣して、
生存中の拉致被害者全員を日本に返してもらおう

北朝鮮のメンツも保たれるし拉致被害者家族の高齢化で時間が少ないし
これが一番良い

4 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 23:00:34.93 .net
白河院のやりたい放題ぶりよ

5 :日本@名無史さん:2019/06/19(水) 23:32:45.61 .net
白河は長生きだったからね。長命が勝因

6 :日本@名無史さん:2019/06/20(木) 13:12:00.32 .net
ただ白河上皇時代の院領荘園は最大にはなってるけど、
鳥羽上皇時代のような圧倒的割合ではなかったんだな

7 :日本@名無史さん:2019/06/20(木) 13:21:36.78 .net
統治能力でみれば、白河上皇は天才、鳥羽上皇は並みのひと

8 :日本@名無史さん:2019/06/20(木) 15:24:54.40 .net
院政は白河から孝明まででオケ?

9 :日本@名無史さん:2019/06/20(木) 17:25:40.36 .net
後花園上皇まで

10 :日本@名無史さん:2019/06/20(木) 17:29:15.73 .net
後花園上皇の時に応仁の乱が起こって長講堂領荘園群が荘園としての機能停止

11 :日本@名無史さん:2019/06/20(木) 22:13:43.01 .net
明治維新まで院政はあっただろ

12 :日本@名無史さん:2019/06/21(金) 15:00:42.24 .net
明治維新まで院領荘園があったか?

13 :日本@名無史さん:2019/06/21(金) 22:05:29.97 .net
じゃあ後花園から明治までは天皇親政だったんだな、うん?

14 :日本@名無史さん:2019/06/22(土) 17:28:14.16 .net
広義の院政は光格天皇まで

15 :日本@名無史さん:2019/06/22(土) 17:55:39.54 .net
それは超拡大解釈。
荘園も持たないで院政もなにもない。

16 :日本@名無史さん:2019/06/22(土) 19:57:39.27 .net
方々の書物には江戸期の上皇が院政をやったと書いてあるんだけどね。
なにゆえお前はそんなに荘園にこだわるの?

17 :日本@名無史さん:2019/07/09(火) 10:50:22.75 .net
荘園から見れば新たな院領荘園が立たなくなった時が狭義としての院政期の終わりか

18 :日本@名無史さん:2019/07/09(火) 11:55:02.14 .net
後水尾上皇は退位してからも息子3人の代の実権を握り
あれこれ幕府に文句言ってたよね

19 :日本@名無史さん:2019/07/09(火) 11:58:05.10 .net
【あれれ? 議長国なのに…】 G20で、ど真ん中に立っているのに、素通りされまくる安倍晋三
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1562039371/l50

20 :日本@名無史さん:2019/07/09(火) 12:11:14.29 .net
>>18
籠の中で騒ぐのを院政とは言わない

21 :日本@名無史さん:2019/07/09(火) 12:28:09.01 .net
>>20
大宝律令によれば天皇と太上天皇は共同統治をおこなうと規定されているから
もともと上皇は政治参加権があるのだよ

22 :日本@名無史さん:2019/07/14(日) 13:11:42.41 .net
ただし優劣は明確でない

23 :日本@名無史さん:2019/07/15(月) 14:00:51.32 .net
>>18
まごうことなき院政ですなw

24 :日本@名無史さん:2019/08/30(金) 21:51:09.95 .net
後小松の称光に対する院政は実子だからわかるけど、後花園は直系尊属じゃない別の系統なのに院政やってる。猶子にしたらOKなの?

25 :日本@名無史さん:2019/10/01(火) 12:11:40.54 .net
後花園は後小松の猶子にするのを義教に確認した上で後花園を猶子にしてるから
後小松的には後花園は後光厳皇統の嫡流
実父の貞成親王は認めたくなかったけれど

26 :日本@名無史さん:2019/10/01(火) 20:00:00.18 .net
>>25
御花園は後小松の猶子になったことで天皇になれたが
後小松が死んだら早速実父の貞成親王に対して
「天皇の実父」であることを理由として太上天皇号(院号)を贈った

27 :日本@名無史さん:2019/10/03(木) 21:04:48.48 .net
院政とは要するに摂関家が脱税を満喫しているのを見て皇室が羨ましく思ったことに始まる
天皇が脱税することはできないので位を退いて上皇となって脱税することにしたのだ

28 :日本@名無史さん:2019/10/03(木) 21:15:10.22 .net
天皇家の家督者であることが絶対条件で、実子への皇位継承はそこから出てくるんじゃないか?実子がいなけりゃ皇位継承者指名権になる。

29 :日本@名無史さん:2019/10/03(木) 21:16:20.28 .net
「悔い返し」の慣習に見られるように、この時代隠居の権限は相当強かったようだ。

30 :日本@名無史さん:2019/10/03(木) 21:17:57.80 .net
治天が当今を退位させて意中の人物を皇位につけるのも、広い意味で悔い返しの一種かも。

31 :日本@名無史さん:2019/10/03(木) 21:21:40.56 .net
治天の君=共産党総書記
天皇=国家主席

32 :日本@名無史さん:2019/10/04(金) 07:52:49.46 .net
>>31 それは違う

治天の君=元社長の会長又は最高顧問
天皇  =社長

33 :日本@名無史さん:2019/10/07(月) 17:56:50.97 .net
NHK出版新書 601
世襲の日本史  「階級社会」はいかに生まれたか
[著] 本郷 和人
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000886012019.html

院政に関する本郷氏の論も書かれている

34 :日本@名無史さん:2019/10/20(日) 18:32:04.01 .net
即位式直前あげ

35 :日本@名無史さん:2019/10/25(金) 22:22:51.04 .net
院生はつらいよ(´・ω・`)

36 :日本@名無史さん:2019/10/30(水) 15:02:01.05 ID:li04qrrF5
霊元天皇は早くから院政を志向して譲位を急いだ。もちろん幕藩体制確立後は統治権はないから、もっぱら朝廷内の権力闘争や宿願の大嘗祭の再興に狙いがあったようですが。

37 :日本@名無史さん:2019/11/01(金) 02:04:56.90 ID:Lq/ucaJI1
桜町天皇も28歳の若さで幕府の反対を押し切って
譲位したな、

38 :日本@名無史さん:2019/11/01(金) 09:41:38.27 ID:vmPXOYgPM
地下貫通爆弾バンカーバスターの実射。

北の金ちゃん将軍に良く似たマネキン人形が潜む地下施設を模擬した目標に命中!

39 :日本@名無史さん:2019/11/10(日) 14:14:33.00 .net
中国でも似たような政治は時折にやっていたが良い結果に終わった例はほとんどないような
特に趙の武霊王とか

40 :日本@名無史さん:2019/11/10(日) 18:56:54 .net
尊属を敬う傾向が強い中国のほうが上手く行きそうなもんなのにな。
でも母后が摂政になる垂簾聴政の例は日本より多いみたい

41 :日本@名無史さん:2019/11/12(火) 15:51:02.14 ID:1a0V9629A
これ!!!!!!
https://twitter.com/taekwondo5000/status/1159919549807910913

42 :日本@名無史さん:2019/12/18(水) 17:43:06 .net
>>39
最近の中国での院政といえば、?小平だろうな
江沢民はあまり尊敬されていないようだしw

43 :日本@名無史さん:2019/12/30(月) 13:18:20 .net
?小平自身は党や国家としての主席にはなってないんだよな
そのためスターリン後のソ連の共産党党書記長のように中国共産党の党軍事委員会主席が以後は実質的な最高ポストになっている
それ以前の林彪事件でもそこが決め手になったとも言われるだけに

44 :日本@名無史さん:2019/12/30(月) 17:06:43 .net
まあ日本だって即位しなかったのに治天の君になった院が2人ほどいるし

45 :日本@名無史さん:2019/12/30(月) 20:53:30 .net
>>26
皇統が崇光流に戻ったとの宣言かな

46 :日本@名無史さん:2020/02/25(火) 22:02:53 .net
>>26
後崇光天皇、か

47 :日本@名無史さん:2020/02/25(火) 22:04:48 .net
じゃなくて、後崇光太上天皇だな

48 :日本@名無史さん:2020/02/25(火) 22:27:46 .net
白河院政は遼の日本国王府だった。
白河院は自分が遼の皇帝の臣下であるという自覚を持っていた。

49 :日本@名無史さん:2020/02/25(火) 23:00:32 .net
中華皇帝>>>日本国王なんだから、中華皇帝である北宋皇帝が遼に屈服した時点で、
遼の皇帝>>>日本国王になるのは当然。

50 :日本@名無史さん:2020/02/26(水) 05:17:45 .net
世界史板に誤爆してんじゃねーよ!

51 :日本@名無史さん:2020/02/26(水) 10:27:34 .net
白河法皇の後ろ盾は遼王朝だった。

52 :日本@名無史さん:2020/02/26(水) 14:26:57 .net
遼の軍隊が日本海を横断して越前か若狭あたりに上陸してきた?

53 :日本@名無史さん:2020/02/26(水) 14:55:09 .net
>>52
自殺かな?

54 :日本@名無史さん:2020/02/27(木) 13:19:59 .net
白河院政は遼の日本国王府で西日本を統治し、東日本は遼の直接支配下に置かれていた。
院政の武力たる北面の武士とは遼の北面官に基づく契丹系の武力。

55 :日本@名無史さん:2020/02/27(木) 18:57:44 .net
天皇は儀式で時間を取られるし、人材の登用も貴族たちの家格による制限がある。
譲位して上皇になってこそ、時間も人材登用も自由になる。

56 :日本@名無史さん:2020/02/28(金) 21:15:02 .net
律令体制のトップである天皇は建前上は荘園の寄進を受け取ることができない。
が、退位して上皇となればその制約から自由になる。
だから上皇となったのだ。

57 :日本@名無史さん:2020/02/29(土) 11:40:41.00 .net
「せっかく天皇になったのだから、ずっと天皇でいたい」というよりも、「早く譲位して
上皇になりたい」という動機が強いことがあるね
天皇は上皇になる通過点で、上皇になって院政をすること、荘園経営や人材登用を自分の
意思でできるようになる利益が大きいように感じる

58 :日本@名無史さん:2020/02/29(土) 17:50:02 .net
遼は南面官と北面官という政治組織を持っている。遼史の日本国王府は北面官に属している。
白河の北面の武士との名前の一致は、白河が日本国王府の長であったことを示している。

地政学的に、日本列島の北部は豆満江を通じて支配する方がたやすい。
豆満江の遼の女真大王府が奥州を版図にいれようとして前九年後三年がおきた。
1086に白河が院になり(日本国王府成立)、後三年の役は意味がなくなり、
朝廷は義家に戦費を返せと迫った。義家を白河が救った。

遼史大安7年の朝貢を密貿易事件として処罰した事件は白河と朝廷の二重権力構造をしめした。
白河が上だった。後世、院政と名付けられた。
 
白河は京の外で活動拠点を持った。鴨東の法勝寺、鳥羽離宮である。
院の近臣をはじめとする貴族から雑人に至るまで,鳥羽殿周辺に宅地が与えられ,「あたかも都遷の如し」といわれた。

北面の武士は、日本国王府の軍事組織。各地に配置され、源氏・平家になった。日本が急に武家社会に移行していった原因。
詳しくは「国際的視点からの古代史考」の「付録」を参照。
https://sites.google.com/view/jhistory

59 :日本@名無史さん:2020/02/29(土) 18:28:31 .net
あっそ

60 :日本@名無史さん:2020/02/29(土) 21:53:21 .net
閉じこもって院政を考えても進まない。外国の侵入が契機なのだよ、あんぽんたん。

61 :日本@名無史さん:2020/03/01(日) 06:44:29 .net
上皇陛下の仙洞御所にも北面の武士を配備し、守りを固めてほしい
北面の筆頭には田母神さんを配置し、五位の上臈に任じていただきたい

62 :日本@名無史さん:2020/03/02(月) 08:41:30 .net
じゃまず貴殿から名乗り出よ。
鎌倉時代の甲冑を着用して宮内庁に出向かれよ。

63 :日本@名無史さん:2020/03/02(月) 18:40:08 .net
武者鎧が好きで金貯めて買った。付属品含めて20万也
んで届いた日の夜にすぐ装備。カッコヨスw
装着具合を確かめるために散歩してたら悪ガキ連中がタムロしてるのに出くわした。
周りは元は城の鬱蒼とした森で外灯の下にぽつんと鎧武者一人。
悪ガキ連中ダッシュダッシュ猛ダッシュwww一人など腰砕けて匍匐前進w
雰囲気を出しつつゆっくりと腰砕けに近付くと小便漏らして気絶したw
その後、あの森には落ち武者が出ると噂になったのは言うまでもない
今は反省してる

64 :日本@名無史さん:2020/03/02(月) 19:37:11 .net
将門公を潰した連中が遼の配下だと?将門公は遼の太祖をリスペクトしたのに!

65 :日本@名無史さん:2020/03/02(月) 20:16:36.08 .net
「高望王の三男平良将の子。第50代桓武天皇の5世子孫」は証拠があるのか?

66 :日本@名無史さん:2020/03/02(月) 21:15:28 .net
貞信公記、将門記、今昔物語などに将門公の存在と素性は明らかなんだが?何を言っているんだ!

67 :日本@名無史さん:2020/03/03(火) 20:48:55.78 .net
もし将門が早死にしなければ、遼に朝貢して日本国王に冊封されたことであろう。
大陸の動向に目を向けたグローバルな史観が求められる。

68 :日本@名無史さん:2020/03/03(火) 22:10:41.83 .net
時々登場する勘違い乙

69 :日本@名無史さん:2020/03/03(火) 23:22:47 .net
>>66
そう書いてある今昔の成立年は新しい
将門紀は原本がない
藤原忠平死後貞信と諡号されたので貞信公記は書き直されている可能性あり

70 :日本@名無史さん:2020/03/06(金) 21:35:12 .net
将門の正体は半島系の関東の土豪。平氏というのは僭称にすぎない。
だから遼に臣下の礼をとることには抵抗がなかった。

71 :日本@名無史さん:2020/03/06(金) 22:02:40.64 .net
平氏だろ。関東東北に土着した平氏一族だから蝦夷に近い血筋で異端なんだよ。

72 :日本@名無史さん:2020/03/06(金) 22:45:05 .net
平姓もある時代からは臣籍降下しても名乗らなくなったからな。プレミア姓。源氏ばっかりになっちゃった

73 :日本@名無史さん:2020/03/07(土) 04:52:07 .net
源姓も平姓も名乗るもんじゃなくて賜るものなんだが

74 :日本@名無史さん:2020/03/07(土) 05:10:57 .net
また・・・成り済ましの話、
日本の天皇(?)は偉いとかwそういう話だろう?

例えば、孫氏、何やら氏などには関係のないこと。
・・・そもそもが上だから。

75 :日本@名無史さん:2020/03/07(土) 05:20:12 .net
中国からの渡来人()も、いるだろうという話。
渡来人は、そもそもが上の人々なんだよ、なぜわからないんだろう。

76 :日本@名無史さん:2020/03/07(土) 09:46:14 .net
関東は高句麗とか騎馬民族系の渡来人が多く、坂東武者のルーツになっている。
この連中が平氏を名乗ったのが、関東に多い平氏の正体。将門もその一人。

77 :日本@名無史さん:2020/03/07(土) 11:29:35 .net
現代においてもせっかく譲位が実現したのだから、本格的に院政を始めてほしい
天皇や首相は憲法の制約があるが、上皇は憲法に規定がなく、元々朝廷や既存の
秩序を超える存在だから、思い切ったことができる
災害時の非常事態宣言は、院宣で行えばいい

78 :日本@名無史さん:2020/03/07(土) 17:16:13 .net
とりあえず不徳を恥じて落飾し、法皇となり読経三昧の生活を送るべし

79 :日本@名無史さん:2020/03/08(日) 04:40:14 .net
坂東武士は名誉ある平氏の家柄を誇るが、渡来人を家のルーツにしたことないけどね。

80 :日本@名無史さん:2020/03/12(木) 17:59:00 .net
埼玉あたりに高麗郡ってなかったっけ?

81 :日本@名無史さん:2020/03/12(木) 22:08:30 .net
>>80

あそこは百済の亡命王族が移住したのではなかったか?

82 :日本@名無史さん:2020/03/12(木) 22:28:37 .net
強制移住の部落民と鎮守府将軍として関東に土着した源平は違うだろw

83 :日本@名無史さん:2020/03/13(金) 00:26:54 .net
>>58
朝鮮人は、まだこんなに手間ヒマかけて、壮大な妄想歴史を書いているんだな(笑)

何十年たっても、変わらんねえ

84 :日本@名無史さん:2020/03/13(金) 00:30:38 .net
>>77
左翼と朝鮮人は、「平成上皇がアベと対立している」という妄想を信じて期待していたが、あれはどうなったのかね?

85 :日本@名無史さん:2020/03/13(金) 13:52:39 .net
遼、金、元は「漢王朝」を引継ぐ志はなかったから北朝とも呼べない国。日本の知る中華王朝は宋で断絶した。

86 :日本@名無史さん:2020/03/13(金) 20:41:27 .net
周防の大内が秦氏だったな

87 :日本@名無史さん:2020/03/22(日) 10:53:56 .net
日本が文化大国として重んじたのは、やはり宋が最後だろう。
宋学(朱子学)はわが国の学問・思想に大きな影響を与えたし、文物も重んじられた。
南宋が滅亡した段階で、中華王朝の価値はなくなった。
元(蒙古)は儀礼をわきまえない蛮国であり、北条時宗によって討伐された。

88 :日本@名無史さん:2020/03/22(日) 11:40:52 .net
いや江戸幕府って明の影響無茶苦茶強いから
いろいろ参考にしまくってるから

89 :日本@名無史さん:2020/03/23(月) 06:09:29 .net
康熙字典とか日本でも珍重されてるしなあ

90 :日本@名無史さん:2020/04/04(土) 11:19:44 .net
陽明学とか唐詩選とかが流行したし、明の文化に影響を受けたのは確かだが、唐宋に比べれば
文化としての評価が低いのでは?
清朝の文化はハイレベルだったが、異民族王朝だったので、「中国の文明は終わった。これからは
日本が中国の文明を継承しなければ」という考えになっていった

91 :日本@名無史さん:2020/04/10(金) 05:44:08 .net
朱子学と陽明学の違いはよくわからん

92 :日本@名無史さん:2020/04/14(火) 11:18:22 .net
ごく簡単に言うと、朱子学は勉強重視。朱子の注釈に従って儒学の経書を精読すること
によって、聖人(孔子や孟子)の領域に近づくことができる。ただし、猛勉強が必要。
陽明学は実践重視。勉強もするが、静座や日常の行為によって、聖人の領域に近づく
ことができる。

93 :日本@名無史さん:2020/04/17(金) 11:59:59 .net
猛勉強が必要というのはわかるとして、それと聖人の域云々とはなんの関係も無いだろう

94 :日本@名無史さん:2020/04/17(金) 23:47:15 .net
宋学(朱子学)では、聖人というのは雲の上の超自然的な存在ではなく、人間が努力して
至ることができるものとした。その手段が経書(儒学)の勉強だったということ。
当時の世界全体を見渡しても、おそらく最も人間の理知を重視し、超自然や迷信を廃した
合理的な思想だったと思われる。

95 :日本@名無史さん:2020/05/29(金) 12:48:43.32 .net
自分が生きている時代に上皇が出現して院政が始まるとは夢にも思わなかった
うまくいけば摂関も復活して、再び権門が大きな力を持つのではないか?
院御所、摂関、鎌倉殿、天台座主などが君臨する錦絵のような世の中になれば面白い

96 :日本@名無史さん:2020/05/29(金) 16:45:30 .net
>>95

天台座主はいまでもあるわけだが

97 :日本@名無史さん:2020/05/29(金) 22:19:21 .net
権門復活は憲法改正しない限り無い

98 :日本@名無史さん:2020/05/29(金) 22:21:14 .net
鎌倉殿もとい征夷大将軍も氏姓制度廃止されてるから復活させない限り無い

99 :日本@名無史さん:2020/05/30(土) 06:27:38 .net
>>97

憲法改正しても無理だろ

100 :日本@名無史さん:2020/05/30(土) 13:06:32 .net
>>99
権門復活、つまり貴族が存在出来るように改正したら出来るよ

101 :日本@名無史さん:2020/05/31(日) 08:44:59 .net
院、摂関、鎌倉殿は律令が想定した秩序を乗り越えて出現したのだから、今の世の中でも
憲法が想定する秩序を乗り越えて存在することは可能
天皇の地位や国事行為は憲法で定められているが、上皇は定められていないので、憲法に
囚われず何でもできる

102 :日本@名無史さん:2020/05/31(日) 09:19:20 .net
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受けるものの一代に限り、その効力を有する。

103 :日本@名無史さん:2020/05/31(日) 14:02:25 .net
院政は律令を超えて実施されたから、憲法も超えて実施されるってことでしょ

104 :日本@名無史さん:2020/05/31(日) 18:21:03.33 .net
>>102

そこで改憲ですよ

105 :日本@名無史さん:2020/06/01(月) 12:12:57 .net
養老律令を残したまま摂関政治も院政も始まったから、憲法を残したまま院政は始まると思う

106 :日本@名無史さん:2020/06/03(水) 16:32:41 .net
院政が法的制度というより事実上のシステムだったことを考えると、ロッキード後の角栄みたいなのがそれでは?あるいは旧憲法下の元老とか。
まあ、制定法より慣習や前例を重んじる中世社会の実情がないとしっくりこないね。

107 :日本@名無史さん:2020/06/03(水) 16:44:55 .net
慣習法の面で言うなら現状一番近いのは元首と規定されていないが事実上の立憲君主という扱いである天皇

108 :日本@名無史さん:2020/06/04(木) 12:59:49 .net
養老律令を変えなかったので、律令に合わない新しい制度や慣習がどんどん出てきた
憲法もおそらく同じ運命をたどる
摂関や院政、鎌倉殿のような存在が現憲法の時代にも出現する

109 :日本@名無史さん:2020/06/05(金) 08:57:40 .net
内閣の閣僚は専門知識のある学者や実務家にさせたほうがいい
その上で、政府の最高意思決定は、摂関を中心とした公卿議定で行うようにすればいい

110 :日本@名無史さん:2020/06/05(金) 17:55:12 .net
>専門知識のある学者や実務家
大企業にしばしばある、経営者の出身部門や専門ばかりを重視しがちになるのはOK?

111 :日本@名無史さん:2020/06/05(金) 18:46:50 .net
>>110
良いと思うわ

112 :日本@名無史さん:2020/09/01(火) 08:52:32 .net
age

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