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【大覚寺統】南朝vs北朝_2【持明院統】

1 :日本@名無史さん:2019/10/02(水) 21:40:52.93 .net
南朝(大覚寺統)と北朝(持明院統)、どちらが正統な皇統なのか?

何をもって正統と判断するのか?


前スレ
【大覚寺統】南朝vs北朝【持明院統】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1325408296/

2 :日本@名無史さん:2019/10/03(木) 17:22:37.97 .net
後醍醐天皇は持明院統のみならず自身が属する大覚寺統の嫡流も排除するために日本中を戦乱に巻き込んだ日本史上最悪の人物

3 :日本@名無史さん:2019/10/03(木) 21:54:35.23 .net
その野望を手助けした龜山もな

4 :日本@名無史さん:2019/10/06(日) 21:15:22.71 .net
なにをもって正統とするか?

@三種の神器
A治天の君の承認
B京に滞在している

さて、どれが一番大事?

5 :日本@名無史さん:2019/10/06(日) 22:02:46.56 .net
C周囲の目

6 :日本@名無史さん:2019/10/06(日) 23:04:28.41 .net
5(というよりか、4の派生か、もしくは言い換え) 広範な支持

勢力拮抗してるならともかく、劣勢になった時点で支持が足りないことが明白なんだから、その段階で正統性を失ったことが確定してる
後醍醐晩年にはすでに正当と主張するには支持が足りなくなっているんだよな

7 :日本@名無史さん:2019/10/07(月) 12:06:06.60 .net
愚管抄や神皇正統記はあくまで公家目線の正統論ってことかかな?

8 :日本@名無史さん:2019/10/07(月) 13:36:50.22 .net
後宇多もせめて邦良親王を後醍醐の猶子扱いにすれば
後醍醐もあそこまで不満ためなかったかもしれない
後醍醐完全に蚊帳の外扱いだもんな
同じような立場の花園は後伏見の猶子になって
光厳を花園の猶子扱いになっているのに

9 :日本@名無史さん:2019/10/07(月) 21:55:05.86 .net
後醍醐だって後白河だって
そもそも繋ぎだったんだから結果論で正統ってことで
北朝でいいじゃん

10 :日本@名無史さん:2019/10/08(火) 16:39:08.60 .net
両統は保元の乱のように武力で白黒つければよかったんだよ
まあ幕府が許さないけど

11 :日本@名無史さん:2019/10/09(水) 02:08:25.50 .net
昨日の読売新聞夕刊で知ったが南海トラフ巨大地震が起こったそうだな
けど、誰も死んでないということは大したことなかったのだろうか?

12 :日本@名無史さん:2019/10/11(金) 02:11:58.12 .net
「[復刻版]初等科国史」って本屋でチラッと立ち読みしたけど、天皇マンセー一色だな。
足利尊氏とか大悪人扱い。
後南朝なんて大正義南朝の子孫なんだから本に書いてあってよさそうだが、書いて
なかったような・・・・

13 :日本@名無史さん:2019/10/11(金) 02:12:29.56 .net
>>12
後南朝のスレに書いたつもりだったが間違えて南朝VS北朝のスレに書いてしまった

14 :日本@名無史さん:2019/10/16(Wed) 19:53:28 .net
>>9
やっぱり治天の違いかな。後深草は早々と引退し伏見に。伏見は皇太子の一本化を固く守った。かたや亀山は最後まで後宇多を困らせ大覚寺統は分裂。後醍醐は後宇多院政を停止、親政に走り倒幕に邁進する。

15 :日本@名無史さん:2019/10/17(木) 12:35:54 .net
>>14
持明院統は伏見の後、後伏見と花園に別れているし
後伏見の子も光厳と光明に別れている
持明院統も兄弟相続は行われており分裂する可能性はあったのだが
弟側が皇位を主張しなかった
崇光は正平の一統で退位させられて弟の後光厳が即位
後光厳に対して皇統を返せと訴えたが後光厳は子の後花園を即位させる
この時は兄が弟に皇統を取られた形だが泣き寝入り
結局後光厳の皇統は孫の後小松で絶え後光厳系に皇統が回ってくる

16 :日本@名無史さん:2019/10/17(木) 21:12:27.13 .net
だから治天の統制がきいてたんでしょ持明院統は。弟の主張なんか治天の睨みで消える。だいたい弟が皇位に就いたのは大覚寺統との立太子争いのためだし。
後光厳は特異な例だから別の話ね。確かこの時は治天の光厳院は南朝の拉致から解放された後に世を儚んで全国行脚の旅に出てるだろうし

17 ::2019/10/17(木) 21:49:14 .net
>後光厳は子の後花園を即位させる
??

18 :日本@名無史さん:2019/10/17(木) 23:25:25 .net
日本に南北朝の二匹の朝鮮天皇がいた
京都の北朝天皇は新羅人
奈良の南朝天皇は百済人

1300年前に天皇が来てから争いの絶えない国になったのは
半島でやってた新羅vs百済の戦いが、日本列島で続行されたもの
それを源氏だ平氏だの言うから分からなくなる

チョンの争いなら別に日本人関係ないじゃんと思うだろうが
武士が戦うときには、農民である日本人に刀を持たせて
まず日本人同志で殺し合いをさせるのだから関係あるのだ

江戸時代は貧乏ながらも北朝天皇が存在していた
そしてそれが殺されて明治から南朝天皇になったはずなんだが
どうやらその時には南朝天皇というのは、すっかり消滅していて
明治・大正天皇というのはアルバイト的な間に合わせだったと思われる

そこで南朝の百済人は、本国から百済のルーツである高句麗系の
李王家を迎えたのだろって話になってくる
それで移行がスムーズに行われた謎が判るってもんだな

19 :日本@名無史さん:2019/10/17(木) 23:36:18.01 .net
1300年前に営業を開始した天皇は新羅人=北朝
それから100年後に、百済人=南朝も、俺らも天皇立てるにだと
ここから下劣で獰猛なチョン天皇が二匹に増えて戦うのであった

どっちが正統かって、先に作った北朝だろう
北朝天皇は70年前に白頭山に帰って
今は豚化しているとのこと
チョンだしブタだし救いようのない連中だ

20 :日本@名無史さん:2019/10/18(Fri) 01:01:59 .net
色々と間違えてるな>>16

21 :日本@名無史さん:2019/10/18(金) 06:07:52.07 .net
>>18
天皇家でウンコ食べた奴が朝鮮人

22 :日本@名無史さん:2019/10/18(Fri) 09:46:17 .net
>>16
伏見や後伏見が長生きで弟を黙らせていた
大覚寺統も後宇多や後二条が長生きなら弟を黙らせてただろうね
後二条の早世が大覚寺統の皇統が乱れた原因

23 :日本@名無史さん:2019/10/18(金) 12:21:33.56 .net
恒明「せやせや」

24 :日本@名無史さん:2019/10/18(金) 13:24:55.13 .net
>>23
恒明は亀山の死後に外叔父の西園寺公衡が亀山の遺言だと騒いだ話で
どこまで亀山の本心だったか分からない
だいたい亀山は恒明の前は後醍醐押しだった
後醍醐の母五辻忠子はもともと後宇多の後宮にいて後醍醐らを産んだが
その後、院政を執る後宇多の父亀山の後宮に入り
亀山の深い寵愛を受けて准三后という高位に出世した

25 :日本@名無史さん:2019/10/18(金) 17:58:28.79 .net
息子の側妃を寝取って寵愛した亀山も寝返った忠子も、当時はそうとう批難されたんじゃね
それこそ、忠子の息子らにも影響するほどに後ろ指を指されていたと思う

26 :日本@名無史さん:2019/10/18(Fri) 19:52:33 .net
親王になりたい後醍醐の策略じゃないの?

27 :日本@名無史さん:2019/10/21(月) 20:36:55 .net
>>25

28 :日本@名無史さん:2019/10/21(月) 20:42:58.85 .net
>>25
後宇多は亀山が死んだ後も後醍醐を皇太子から動かしていない
後宇多は忠子に未練があり強引に寝とった父亀山と取り合ったとかならだが
後宇多は敵方である持明院統・後深草上皇の皇女である遊義門院と密通し
これを迎え取ると他の妃は遠ざけてしまった
最愛の后・遊義門院がなくなると後宇多は悲しみのあまり出家した
忠子が亀山の後宮に入ったことは別に非難もされてない

29 :日本@名無史さん:2019/10/22(火) 07:35:01.36 .net
皇太子を変更するのが当時は用意ではなかったと言う事実を無視した妄言だな

30 :日本@名無史さん:2019/10/22(火) 12:45:15.65 .net
あんまり女院は関係ないと思うがな

31 :日本@名無史さん:2019/10/24(木) 15:37:20 .net
>>29
後醍醐が立太子したのは亀山死後だよ
後宇多院政期に後宇多が立てた

32 :日本@名無史さん:2019/10/24(木) 20:06:50 .net
恒明に渡すくらいならって感じか

33 :日本@名無史さん:2019/10/29(火) 23:40:36 .net
皇太子が天皇より年上ってこの時だけ?

34 :日本@名無史さん:2019/10/30(水) 04:09:12 .net
三条天皇がいる

35 :日本@名無史さん:2019/10/30(水) 19:47:41 .net
この時代の皇太子はある程度成長してないと立太子もままならないな。幼児だと片方がいちゃもんつけてくる

36 :日本@名無史さん:2019/11/05(火) 09:20:39.39 .net
https://i.imgur.com/5wfzc9B.jpg

37 :日本@名無史さん:2019/12/30(月) 13:13:54 .net
>>32
その可能性は十分にあった

38 :日本@名無史さん:2019/12/31(火) 01:28:41.51 .net
恒明と後醍醐は共に亀山から英才教育を受けてたのな。亀山としては後二条の後の大覚寺統は恒明→後醍醐の順番に立太子だったのかな

39 :日本@名無史さん:2020/01/02(木) 23:45:05 .net
「どっちが正統」ってもう決めんでええんとちゃうん?
「北朝と南朝が並立した」でええんとちゃうん

40 :日本@名無史さん:2020/01/06(月) 09:40:51.75 .net
薬子の変の時に大納言に昇格して自ら二所朝廷を防いだ坂上田村麻呂
坂上宝剣を巡って後深草と亀山がヤンヤヤンヤしてしまったのが皮肉だな

41 :日本@名無史さん:2020/01/06(月) 13:06:48.26 .net
この辺りの時代、ピンポイントの説明はあるんだけど解かりにくい
結局なんで鎌倉幕府が滅んで南北朝になったのん?

42 :日本@名無史さん:2020/01/06(月) 13:34:06.14 .net
え? これまでのレスを読めば普通解かると思うんだけどな〜
もう少しきちんと読んでみると良いよ。まあ簡単に説明するとさ

後醍醐天皇は持明院統花園天皇の後に中継ぎ即位→後醍醐天皇中継ぎ即位に反発→
実父後宇多天皇:「お前の兄の後二條天皇は立派だった。出来損ないのお前と違って。即位できただけでもありがたく思え」→
→後醍醐:「俺の息子はどうなる?」→後宇多:「わしの可愛い孫は後二條の息子邦良だけ。出来損ないの息子の子など知らん」→
持明院統の後伏見天皇とその弟で先代の花園天皇に、実父と甥の行為が不当だと泣きつく→
持明院統の兄弟:「何言ってんの? 親父さんの言うとおりだろ。邦良の次は、うちの光厳だから。そこんとこよろしく〜」→

後醍醐:「くっそ〜 もう許せん。親父なんか院政停止じゃ。これから俺が親政する。おい臣下ども!!俺はこんな酷い目にあってる。主の為に働け」→
臣下の殆ど:「はぁ〜? 何言ってんの? 俺達のご主人様は親父様であり、邦良様であり、光厳様なんだよ。お前についていく奴なんて負け犬だけ。わかった?w」→
→後醍醐:「くっそ〜 そうだ!! わしがこんな目にあってるのはシステム作った幕府が悪い。幕府を倒そう」→北畠等を筆頭とした負組:「俺達ついていきます!!」→
後醍醐、あちこち声を掛けるも色よい返事をもらったのは、楠木正成と赤松円心のみ。挙兵したのはただ楠木のみで倒幕失敗→
全員:「ほら言わんこっちゃない。一生島暮らししてこっち帰ってくんなよ。まあそんな心配はねーがな、ぎゃはははww」→

楠木再び挙兵、さらに今度は赤松も挙兵。→後伏見・花園・光厳・邦良・大多数の臣下、鼻くそほじりながら「あいつもこりねーな」と冷笑する→
総大将の一人で源氏棟梁の足利尊氏、後醍醐天皇を担ぎ上げて突如として謀反。続々と源氏棟梁の下に兵が集まる→
鎌倉幕府が、兵が空っぽの所を総大将千寿王、副将新田義貞の軍によって滅ぼされる→全員、青ざめて震えまくる→
後醍醐天皇、まさかの帰還→後醍醐:「おら!! なにが後伏見じゃ、なーにが花園じゃ、なーにが摂関家じゃ。どう? 帰ってきたけど今どんな気持ち?www」→
後醍醐:「はい光厳天皇廃位ね、後伏見・花園・邦良、お前等は幽閉じゃ。どう? クヤシイ? ねぇ クヤシイ?wwww」

以上天皇側から見た流れです

43 :日本@名無史さん:2020/01/06(月) 15:16:13.28 .net
承久の乱から説明しないとな

44 :日本@名無史さん:2020/01/06(月) 15:18:36 .net
>>42
いや、赤松もちゃんと挙兵しただろ
楠木と違って陥落が早かっただけでは?

45 :日本@名無史さん:2020/01/06(月) 15:19:56.87 .net
幕府の権限が拡大しすぎて管理しきれなくなり、それで全国で幕府への不満が高まりだしたという問題もあるんだよ

46 :日本@名無史さん:2020/01/06(月) 16:10:06.74 .net
>>42
な、なんとザックバランな説明だ(^_^;)

47 :日本@名無史さん:2020/01/06(月) 17:05:29.00 .net
>>42
別に後宇多は後醍醐よりも後二条のほうが立派だとは言ってないよね
後二条のほうが兄だから重んじていただけで
後二条も邦良も病弱で実際に両方とも20代で没してしまったし

48 :日本@名無史さん:2020/01/06(月) 18:21:30.34 .net
>>44
ああ、最初の挙兵っていうのは叡山・笠置から続く第一次赤坂城の戦いなんだけど、あの時赤松挙兵したっけ?
確か元弘の変からだったと思うんだけどな〜

>>46
ありがとwwww

>>47
確かにその通り。資料では心情を吐露みたいな現代文学にありがちなものは何も無い。つまり証拠無し
ノリと言えばノリで説明したし、それに「長子だから重んじた」という機械的な物だったという証拠も無いんだよね

49 :日本@名無史さん:2020/01/06(月) 19:19:32.87 .net
後醍醐のほうが兄なら全てが丸く収まった

50 :日本@名無史さん:2020/01/06(月) 19:26:26.84 .net
41
得宗一門で全国の所領独占したからだろ

51 :日本@名無史さん:2020/01/06(月) 19:28:42.31 .net
最後の得宗当主が時行やったか?

後醍醐に頭を下げて南朝に下り鎌倉攻めたが死んだ

52 :日本@名無史さん:2020/01/06(月) 19:53:51.56 .net
時宗:「え? 後深草天皇と弟の亀山天皇が対立? 後深草天皇の息子の伏見天皇が即位するか? 亀山が即位するかか?」→
御家人達:「その通りです」→時宗:「亡くなったおやっさんはなんて言ってんの?」→御家人達:「亀山にと・・・・」→
時宗:「う〜ん ひらめいた!! 交代で即位すれば良いじゃん。そんならおやっさんの遺言にも反しねーし、これ良くね?プゲラ」→
御家人&廷臣達:「・・・・・・・・・」→

時宗:「大元王朝が攻めて来た。みんな一致団結するぞ!!」→御家人達:「おお!!」→
御家人達:「やった〜 俺等夷狄を追い出してやったぞ〜」→時宗:「よくやった!! あ〜 うち貧乏だからボランティアなw」→
御家人達:「え?・・・・・そんな、俺等の生活はどうなるんだ」→時宗:「まあ、色々考えてるから心配すんなw」→
時宗:「あ、それから異国警固番役よろしくね。もちろんボランティアでw」→御家人達:「そんな!! 俺達の暮らしは」→
時宗:「そんな知らんよ。てめえらは黙って働いてりゃ良いんだよw」→御家人達:「・・・・・」→

貞時:「お前等の為に徳政令出してやるわ」→御家人達:「そんな事してもらっても、ますます金が借りれなくなります」→
貞時:「あ、それと俺達の一族の所領、また増やす事にしたんでよろしく。ま、お前らが金持っても使い道無いから良いよね?w」→
御家人達:「おいおい、ふざけんなよ」

53 :日本@名無史さん:2020/01/06(月) 19:55:59.07 .net
北條一族:「おいおい、あの棚ぼた野郎の高氏が来たよ。見ろ、あの平気そうな顔。あつかましいな」→高氏プルプル→
長崎:「これはこれは、たな・・・・おっと失礼、高氏様ではありませんかww」→高氏:「ど、どうも」→
長崎:「兄の高義様亡き後の急な嫡子相続、さぞうれ・・・・おっと失礼、さぞ悲しみに満ち溢れて大変でしょうなwww」→
高氏:「はぁ(このやろう・・・・・)」→長崎:「何かあればわしに頼られよ、わしこそが得宗家の意思。他の一族なんぞゴミですからな」

高氏:「うちは源氏の棟梁に近い御門葉とはいえ直接将軍家とは繋がっていない。どうするか」→
直義上杉等:「では、八幡太郎義家公を取り上げるのはどうでしょうか?」→高氏:「義家? えーと確か直接の御先祖様だよな?」→
直義上杉等:「はい、棟梁であり往年の大スターです。義朝公よりは現在では知名度は低いですが」→高氏:「よし、それで行くか」→
直義上杉等:「我が家は御門葉であり、われわれこそ遠いですが北條とも近しいです。近いうちに大事な役目を受けるでしょう」→
高氏:「そうだな。それまでの辛抱だ。よし張り合いが出てきた、」→直義上杉等:「そうそう。時期に思い知らせてやりましょう」→

高時&長崎:「楠木が生意気にも官軍として挙兵した。ただの悪党ならほっとくのだが。これは沽券に関わる。軍勢率いて行ってくれ」→
高氏:「父が病気なので」→高時&長崎:「それでも行ってくれ。幕府存続に関わる」→高氏:「(ったく、面倒だな)」→
勝利に貢献→御家人達:「さすがは高氏様、源氏の棟梁じゃ。白旗大明神様も喜んでいらっしゃるだろ」→
高時&長崎:「楠木がまた反乱を起こした。軍勢率いて行ってくれ。妻子は置いていけな」→高氏、ブチギレながら了承→
足利高氏謀反に鎌倉激震→高時&長崎、アワアワとうろたえるだけ→さらに鎌倉が空っぽの所に千寿王総大将の軍勢が迫る→
高時&長崎および北條一族:「ああ、終わってしまった」→高氏:「北條ざまぁwwwww」

武家側から見た鎌倉幕府滅亡ですw

54 :日本@名無史さん:2020/01/06(月) 20:34:08.28 .net
>>47-49
亀山の晩年、後宇多天皇と仲が悪くなったあとに亀山が庇護したのが後醍醐の実母なんだよね
その時点で既に尊治親王を実父後宇多が疎む素地が成長していたのではないかな

>>50
当時の「領有」は多層構造だぞ
現代の場合での、市町村と都道府県と国の関係みたいな感じの階層がある

得宗一門が国のような感じで、その下に都道府県レベルな領主が臣従して、さらに下に市町村レベルの小領主が臣従している
様々な勢力が並立して衝突しあうよりは、1つの上位領主の元にみんな寄り集まる方が平和的に安定する

その状態を上位領主として安定的に統治できなかったから倒れたんだろ

55 :日本@名無史さん:2020/01/06(月) 20:59:04 .net
>>54
>当時の「領有」は多層構造だぞ

それはあなたの言うとおりです。
当時の「領地」って簡単に言うけど、複雑ですよね?

例えば鎌倉幕府の原則として、国司と守護は別物です。実態はどうあれね
そして領地は原則平安から荘園で、武士は荘司から変わった地頭職に任じられた
それを便宜上領地と後年言うようになってるんですよね

で、北條一門の領地独占化というのが、守護という司法権の長独占の事なのか?
それとも、守護の地位を利用しての取締、無理矢理子弟を送り込んだのか?

御家人の女子にも相続権があるという、いわゆる領地細分化というのも
結局一つの荘園に何人もの地頭が出現したという事か?謎ですよね

56 :日本@名無史さん:2020/01/06(月) 21:09:23.01 .net
>>54
後醍醐が立太子したのは亀山の崩後、実父の後宇多が立太子させた
後醍醐母の五辻忠子は後宇多の後宮に入った後、後宇多の後宮に移ったが
だからといって後醍醐が後宇多に冷遇された様子はない
後宇多は後醍醐のために鎌倉幕府に対して
さっさと花園天皇を退位させて後醍醐を即位させろと働きかけているし

57 :日本@名無史さん:2020/01/06(月) 21:17:14.88 .net
>>48
「増鏡」みたいな歴史物語も残っているが
後宇多が特別に後二条に思い入れがあったようには書かれていない
それに後二条の母堀川基子はあまり重用されていないんだよね
息子の後二条が即位しても准三后にもなれず叙位すら行われなかった

58 :日本@名無史さん:2020/01/06(月) 21:20:11.74 .net
>>56
仲の悪い息子だけど、対立中の持明院統との関係で、ほかに中継ぎ皇太子にできる人間がいなくてしかたなく後醍醐

59 :日本@名無史さん:2020/01/06(月) 22:26:04 .net
そして後醍醐は後宇多の院政を停止、親政に猛進する
後宇多も恒明親王に皇位がわたるより実子の後醍醐だからいいやと諦めたのだろうか?

60 :日本@名無史さん:2020/01/06(月) 23:07:20.33 .net
数年にわたる主導権争いの末、年齢の影響もあって後宇多が病臥して引退を余儀なくされ、
それで後醍醐親政が始まったわけだが

61 :日本@名無史さん:2020/01/06(月) 23:28:43.91 .net
だから何?親政が始まったのは史実だぞ

62 :日本@名無史さん:2020/01/07(火) 00:03:51.37 .net
親政が始まったことかどうかを問題にしてるんじゃない

そこは史実で動かないことであって、別のこと。長い争いの末に権力奪取して親政をはじめたという点、つまり後醍醐への権力委譲が後宇多の意図に反するものだった点を問題にしてる

63 :日本@名無史さん:2020/01/07(火) 01:19:27.49 .net
>>41
呉座勇一の本には「鎌倉幕府を倒した理由がわからない」と書いてあった

あと、本郷和人だったか誰かの本には「鎌倉幕府を倒すつもりはなく、北条氏の排除だけを目指したのでは?」と書いてあった

64 :日本@名無史さん:2020/01/07(火) 07:01:41 .net
後宇多は一番寵愛していた遊儀門院に皇子が生まれるのを期待してただろうね
彼女の血筋的にその方が皇統が一本化されやすくなるし

65 :日本@名無史さん:2020/01/07(火) 09:15:09.65 .net
いくら持明院統でも女系の血筋では納得しないだろう。保元の乱のように武力で一本化するしかなかった。後醍醐と足利義教はそれをやった

66 :日本@名無史さん:2020/01/07(火) 10:19:52.40 .net
>>56
徳治三年に立太子されたのは事実ですが
それは邦良親王が幼かった為であってそれを持って厚遇されたと言うのは無理があるかと
まあ、それなりに能力が買われていたから抜擢されたのだとは思いますが

両統間の皇位移譲期間約十年、後二條天皇が短かった為花園天皇後に中継ぎとして後醍醐天皇が存在しています
後醍醐天皇の皇太子は邦良親王ですし、建武親政という姿勢から伺える廷臣の支持の無さ
これらが証明しています

>>57
その根拠で行くと、別に後醍醐流でも良かったという事になる
なぜなら、当時は嫡子相続は絶対ではないし、幼少から邦良親王は病弱だったそうだし

>>62
同意

67 :66by42・52・53でノリで投稿したお調子者:2020/01/07(火) 10:44:27 .net
>>63
本郷和人ですか〜 大河ドラマ『清盛』で天皇を「後白河王」とか言ったり
「アジアはみな天朝の領土だという認識があった」とかわけのわからない事言ってる基地外ですからね〜

まあ、歴史学者って森羅万象を司るお偉いさんですから
だから普通ではあり得ない事でも、彼等が結論づければそれが事実として定着するんですよね

例えば足利義持の死因について、ただ普通に資料を読めば
「ケツにできもの」「壊疽になる」、そして敗血症になって全身状態悪化し死亡なんですが
敗血症みたいなありきたりな説明で満足できなかったのか?
歴史学者の中には「敗血症じゃなく黄色ブドウ球菌感染症ニダ」と仰られてる方が相当数いるそうで^^;

基本「敗血症じゃなくて感染症だドヤ〜」は「これはケーキじゃなくお菓子だ」と主張するのと同じとか
「ケーキじゃない」と言いたいのなら、飴玉かアイスなのかを答えるべきと突っ込まれてます

さらに壊死組織で増殖するのは普通は嫌気性菌であり、黄色ブドウ球菌は好気性菌
「疽になって腐った」という記述からも黄色ブドウ球菌でない事は明らかだそうです

さらに、件の本郷和人大先生に至っては
『建内記』に義持のおできは「馬蹄である」とされていることに着目して義持の死因は憩室炎ではないか
と適当な事を言ってます

憩室炎からどうやってケツにできものができるのかは一切不明で、いまだに説明もされてません
このように歴史学者は森羅万象を司り、全ての専門家ぶるいい加減な部分もありますから
あまり過度に信用しないほうがよろしいですよ

68 :日本@名無史さん:2020/01/07(火) 11:16:30.90 .net
>>58 >>66
後宇多と後醍醐の中が悪かったのならば
即位時点ですでに30超えてた後醍醐天皇が親政しただろう
しかし世間は後宇多の院政となり
すでに出家して大覚寺に籠っていた後宇多の周辺は騒がしくなったとある

そもそもそんなに後宇多と後醍醐の折り合いが悪かったならば
後宇多は別の皇子を即位させればよかっただけの話
この時代の皇位継承は兄弟順だと決まっているわけではなく
後醍醐の生母は後宇多の正后でもなかったのだから

69 :日本@名無史さん:2020/01/07(火) 11:29:13 .net
>>66
>その根拠で行くと、別に後醍醐流でも良かったという事になる

だから後宇多としてはどちらでもよかっただろう
後二条天皇のほうが兄であり母方・堀川家は清華家
一方後醍醐の母方・五辻家は堂上家にすぎず後二条のほうが母方を見ても出自が良い
後二条を退けて後醍醐を立太子させる積極的な理由がなかっただけ
邦良親王の母は五辻宗子で後醍醐の母五辻忠子の姪
あまり母方が良くなかったため立太子するにあたり
後宇多法皇の皇女で叔母に当たる禖子内親王と結婚した

70 :日本@名無史さん:2020/01/07(火) 12:24:03 .net
>>68
立太子の時点では後醍醐(当時、尊治親王)のほかに選択肢がなかった
意中の孫は幼すぎて立太子に反対か多くて無理だし、成長を待つこともできなかったからだ
(待つなら持明院統の天皇を一代はさまざるを得なくなるから)
後宇多としては次期皇太子選任まで院政を続けて後醍醐には実権を与えないつもりだったのだろうが、後醍醐の反逆で実権を奪われてしまったんだよ

71 :日本@名無史さん:2020/01/07(火) 12:25:53 .net
>>67
本郷がバカなだけ
歴史学者を代表させんな
学者嫌いは井沢元彦みたいなトンデモしかいないけどな

72 :日本@名無史さん:2020/01/07(火) 12:29:44 .net
>>67
敗血症って細菌感染がもとで起きる方が多いのでは
敗血症ではなく黄色ブドウ球菌感染だ、と言ってるのではなくて、敗血症の原因が黄色ブドウ球菌感染だと言ってるのだと解釈すべきでは?

73 :日本@名無史さん:2020/01/07(火) 12:32:38 .net
>>68 >>69
横からあれだけど、邦良親王に相続させるのは後宇多天皇の意思である事ははっきりしてる。正中の変で退位を強要したのは持明院統ではなく、むしろ後宇多天皇の側近である事からも立ち位置は明らか。

さも後醍醐天皇が大覚寺統の主流であるかのような印象操作はやめるべき。『花園天皇日記』の後醍醐天皇と皇太子邦良親王の幕府への告発のやりあい等もそっから来るものだろ。

74 :66:2020/01/07(火) 12:46:34.59 .net
>>68 >>69

う〜ん 私も>>70>>73に賛成ですね
まあ流石に

>後醍醐の反逆で実権を奪われてしまったんだよ

というのは、後宇多天皇の病弱もあって親政になったという面もあったと思いますが
所謂「親政」というのも二種類あって、従来の「院政停止」による「親政」というのは天皇を頂点とする組織体
『建武親政』のような、ある意味天皇が決めるというのとは根本的に違います

もしあの時点で後醍醐天皇が反逆に成功していたのなら
邦良親王は病弱を理由に遁世に追い込んでいますし、大覚寺統派閥に引導を渡される事もなかったでしょう

後醍醐天皇が出来た事と言えば、「元服しても、また内親王との間に嫡子が誕生しても政務を渡さない」
その程度の事しか出来なかったとも言えるので、明確な反逆というよりは外堀を埋めるという形でしょうね

>その根拠で行くと、別に後醍醐流でも良かったという事になる

というのは、別に邦良親王にこだわらなくても後村上天皇や護良親王でも良かったはず、という事です
わざわざ邦良親王にこだわる事自体が、彼の想いを代弁しているのでは

75 :日本@名無史さん:2020/01/07(火) 12:54:38.50 .net
ここは良い勉強になる

76 :日本@名無史さん:2020/01/07(火) 15:50:10 .net
なにゆえ後宇多は西園寺から中宮を迎えてないんだろうな
西園寺の姫との間に男子が生まれていたら、誰も文句が言えない完璧な皇位継承者になり得るのに

77 :日本@名無史さん:2020/01/07(火) 16:01:26.58 .net
>>70 >>74
後宇多が亡くなるまで後醍醐との関係は良好で特に衝突などはしていない
後醍醐が即位した時点で邦良親王はすでに19歳
この時点ですでに元服も済ませており2年後には第一王子も誕生したが
後宇多は後醍醐に退位を迫ることもしなかった
後醍醐と邦良の関係が悪化したのは後宇多の死後
すでに25歳となり男子も誕生していた邦良親王が
自身こそ大覚寺統の正統であるとして
鎌倉幕府に対し後醍醐の退位と自身の即位を要請した
これより後醍醐が暴れだす

78 :日本@名無史さん:2020/01/07(火) 18:48:20.10 .net
>>76
土御門天皇は承明門院こと源在子の皇子、後嵯峨天皇は源通子の皇子だし
高倉天皇も建春門院こと平滋子の皇子だからね〜

あの時代であっても、例えば伏見天皇は玄輝門院こと洞院いん子の皇子ですし
後伏見天皇は五辻経子の皇子、花園天皇は顕親門院こと洞院季子の皇子でした
光厳天皇は広義門院こと西園寺寧子の皇子、これは中宮ではなかったですが準じて良いでしょう

ちなみにこの広義門院が史上初天皇に准じる臣下で初めて治天の君、つまり天皇になったに等しい人物です

まあ、この様に中宮とことを致して子を儲けるというのは大変なのでしょうね

>>77
>後宇多が亡くなるまで後醍醐との関係は良好で特に衝突などはしていない

良好かどうかはともかく、衝突という事実は確認できていないのは事実です
まあぶっちゃけ、ノリでおふざけで創作したのも事実ですからね

しかし、ではなぜ邦良親王路線を推し進めたのか?
逆に「絶対に邦良に継承させます」と猫をかぶっていた可能性もありうるのでは?

後宇多天皇にしても、後醍醐流に継承させても良かったが
絶対に後二條流にとこだわりを見せている

色々な可能性は当然考えるべきだが、自分の息子に皇位を継承できない事実に不満を持っていた
そしてそれが原因だった、というのはいまや主流をなしている説ですが

79 :日本@名無史さん:2020/01/07(火) 19:33:32 .net
>>75
ノリで書いているので程々にw

80 :日本@名無史さん:2020/01/07(火) 21:09:17.91 .net
>>78
え?広義門院が天皇になったとか?

81 :日本@名無史さん:2020/01/07(火) 21:57:09 .net
>>76
この頃の西園寺はせっかく亀山に配した娘が
寵愛されず実質離縁状態になったのを恨んでいたから
伏見の方に肩入れする気満々だったのでは
よく分からないのが洞院の方も後宇多に正式な妃入れてない点なんだよな

82 :日本@名無史さん:2020/01/07(火) 22:41:23 .net
恒明は西園寺の別の姫の子なんだけどな…

83 :日本@名無史さん:2020/01/08(水) 07:50:52.76 .net
恒明が生まれた頃は伏見&京極為兼と西園寺実兼が
微妙に疎遠になり始めてた時期だから

84 :日本@名無史さん:2020/01/08(水) 10:51:11 .net
>>78
ええ、そうですよ。まあここはまたノリでw

時は正平六年/観応二年(1351)、足利尊氏/足利直義兄弟の対立は熾烈を極め、血みどろの戦いが続いていた
そこでこの年、足利尊氏は弟と南朝の分断を図るために南朝に降伏した

尊氏:「弟のやつ、こんな酷い事してるんですぅ〜 助けてください」
後村上:「んじゃあ、持明院統の連中は廃位して、わしが唯一の帝と認めよ。神器も渡せ。さぁすぐやる!!」
尊氏:「アイアイサー」

息子の足利義詮:「つうわけで、崇光さんは廃位で上皇、皇太子の直仁親王さんも廃位。唯一の帝は南朝な」
光厳・光明・崇光・直仁:「な!! んな勝手な!!」
廷臣達:「そんな約束が違う!! あんな負け犬の使えない連中が正統だなんて」
義詮:「んな事言われてもしょうがないじゃーん、親父押されまくってるし。どーすんだ? って感じ」

その後、弟直義派、勢力を減らした上に、直義死亡

後村上:「直義、死んじゃったね〜 今後どーする?」
北畠准后親房:「その事ですが、もはや尊氏にとって我等は不要。必ず裏切ります。その前に先手を打とう」
後村上:「お?!! それ良いね、ナイスアイデア。んで具体案は?」
親房:「帝は唯一の正統な帝です。が、残念な事にこれを解せず、天孫を対立候補とする策謀を巡せる者も」
後村上:鼻くそほじりながら「だよな〜 お? って事は?」
親房:「その通りです。天孫の方々を対立候補とするのなら、それを無くせばよいのです」
後村上:「おお!! それはナイスアイデア!!」
親房:「神器もこちらにある。そして、上皇様方や元の皇太子様までいなければどうなるか・・・・」
後村上:「おお!! それはナイスアイデア!! じゃあ尊氏は将軍、クビなプゲラ」
親房:「はははは、解かりました。では持明院統の方々にはこちらまで行幸をお願いいたすとしましょうw」

85 :日本@名無史さん:2020/01/08(水) 10:59:48 .net
>>84の続き
正平七年/観応三年(1352)閏二月、総大将北畠准后親房、楠木正儀ら京都を急襲
光厳・光明・崇光・廃太子直仁等持明院統を軒並み拉致、大和国賀名生に連れ去って軟禁する

義詮:「どーーーすんだよーーー これやべえ、やばすぎる。親父に怒られるーーー」
群臣達:「中将様、どうか落ち着いてくだされ」
義詮:「これが落ち着けるかー みーんないなくなったんだぞ!! 皇族が誰一人として」
群臣達:「それは解かりますが・・・・・」
義詮:「いーーーや 解かってねーーー 俺達は正式に朝廷と戦う事になるんだ。大変なんだぞ!!」
群臣達:「どうすればよいのか・・・・・」
群臣の一人:「あ、あの、一つよろしいでしょうか? 後光厳様が残ってらっしゃると思うんですが」
義詮:「は? 誰それ?」
群臣の一人:「崇光様の弟で、まだ親王にもなってはおられませんが」
義詮:「それだ!! それ!! そいつで良い!! って、肝心の神器も上皇も居ないんだが・・・・・・」
義詮:「まあ、あれだ!! そこはなんとかする!! 俺にまかしとけ!!」

86 :日本@名無史さん:2020/01/08(水) 11:05:57 .net
>>85の続き
関白二条良基等廷臣:「で、よくも顔を出せた物だな中将殿、バサラと言われる道誉殿も顔色がお悪いですな」
義詮&佐々木道誉:「・・・・・・ 申し訳ありません」
良基等廷臣:「申し訳ないですむか!! たらい回しにしてワシらの地位も剥奪して、あげくこれか?」
義詮&道誉:「だって〜 仕方ないじゃ〜ん」
良基等廷臣:「で、今回は? お陰で諸々の諸事が滞ってこっちは大変なんだが?」
義詮&道誉:「あ、そうそう、俺良い事思いついちゃったんだよ、後光厳、居るじゃん? 即位とかどう?」
良基等廷臣:「はぁ? 即位とか出来るわけないだろ。最低でも上皇様の《伝国詔宣》が要るのに」
義詮&道誉:「そそ、そこでさ、『広義門院様』を上皇・治天之君にしようと思うんだけど」
良基等廷臣:「え? 何言っちゃってんの?」
義詮&道誉:「だからさぁ〜『広義門院様』がこれからは上皇・治天之君だ、ってこと」
良基等廷臣:「おま!! それ!! 中宮でも無ければ、国母でも無いんだぞ」
義詮&道誉:「みんな!! よく見るんだ!! お二人も帝をお生みあそばされたお方だぞ!!」
義詮&道誉:「そんなお方が高貴でないわけがない!! どうだ? 感じるだろ? この帝にならぶ気品を!!」
良基等廷臣:「そ、そう言えば・・・・・ そんな気がする」
義詮&道誉:「そうそう。どうだ、帝の母君、もうミカドと変わらない気がするんだ。どうだ?」
良基等廷臣:「た、確かに。このお方はまさしくゴッドマザー。帝と言っても良いかもしれない」

義詮&道誉:「それにさ、あの方々が脅されて、後村上が唯一の正当な帝認定されたらお前らも大変だぞ?」
良基等廷臣:「ど、どういう事じゃ?」
義詮&道誉:「あのさ〜 今までお前らいじめ倒してたジャン? いじめられてた奴の息子が力を得たら?」
良基等廷臣:「た、確かにそれは大変かもしれないな。俺達はみんなクビ」
義詮&道誉:「そうそう。おちこぼれに頭を下げ続ける人生、おまえらは嫌だろ?」
良基等廷臣:「い、いやじゃ。そうだな、広義門院様に至急頼んでみよう!!」

87 :日本@名無史さん:2020/01/08(水) 11:17:41 .net
広義門院:「で、今度はどんな無理難題を持ち込むつもりじゃ?」
義詮&道誉:「これは手厳しい。実は至急帝を立てる必要がありまして、そこで上皇をお願いできないかなと」
広義門院:「はぁ? 何言ってんの? 私が上皇? 頭大丈夫? その前に息子を取り返しなさいよ」
義詮&道誉:「いや、頭大丈夫と聞かれても、それしか手がねえし。軍勢も親父が返ってこないとなぁ」
広義門院:「あきれた、責任も取れない結果も出せない。駄目な人達。バサラとかいきってるだけだし」
義詮&道誉:「んな事言われても仕方ねーじゃん。ブラック企業だけど、一生懸命やってるだろー?」

義詮&道誉:「いやぁ〜 あなた様は神々しい、まるで帝の様なオーラに包まれてます。もう帝でいい!!」
義詮&道誉:「帝達の母、ゴッドマザー!! まさしくあなたは帝だ!! そうでしょ?」」
義詮&道誉:「所領も大奮発しちゃって大々的に寄進します。だがらおねが〜い たずげでぐだざ〜い」
広義門院:「はぁ、解かりました。孫の為でもあります。上皇に即位しましょう」
義詮&道誉:「ありがとうございます〜 この恩は一生わすれません」

後村上:「なあおまえら、いい加減観念して俺を唯一の帝と認めろよ」
南朝廷臣:「申し上げます!!」
後村上:「なんだ?」 南朝廷臣:「足利方、広義門院様、上皇に即位。後光厳を新たな帝に任命しました」
後村上:「え? おいおいおい チョット待て、どゆこと?」
南朝廷臣:「足利曰く、帝を二人も生ませられた。これはもう帝に即位したようなもの、だそうです」
一堂:「はぁ?」

こうして、正平七年/観応三年(1352)六月、広義門院こと西園寺寧子、上皇に即位したw

88 :87:2020/01/08(水) 11:33:33.79 .net
>>76
>>81で中宮との間には子をなす事例は中々無いと説明しましたが、それ以外にもう一つ

実は当時、大覚寺統では、後宇多流は後二条の後は、邦良の幼少を理由に廃止して
亀山天皇の末子『常盤井宮恒明親王』を立てるよう遺言したと言われている
実際亀山天皇の財産を多く受け取ったのも『常盤井宮恒明親王』

そしてそれに一番尽力したのが西園寺公衡、その事が理由で大覚寺統の実力者になった
後宇多天皇とは断絶した状態になったらしい

また持明院統の伏見天皇とも、西園寺公衡はせっかく娘である永福門院こと西園寺鏱子を嫁がせたのに
間に子が出来なかった為にギクシャクした関係になっていたそうです

89 :日本@名無史さん:2020/01/08(水) 12:24:32 .net
南朝と講和しようとしたのは直義の方が先で、その講和があったから尊氏は破格の条件を提示せざるを得なかったんではないかな

90 :日本@名無史さん:2020/01/08(水) 12:27:25 .net
>>85
京都に攻め込まれたとき、皇族たちを京都に残して自分らだけ近江に逃げたから、連れ去られたことの発覚が遅れたんだっけ

91 :日本@名無史さん:2020/01/08(水) 14:39:01 .net
>>89
半分当たり。直義は高師直により失脚した後京を脱出し、『高師直討伐』の為に『便宜上南朝に降伏』した
これが正平五年/観応元年(1350)の事

んで正平六年/観応二年(1351)二月、高兄弟を破った直義は「もう用済み」として南朝から離れた
そんで再びこの動乱に至るんだよね〜 また手を組まれる前に自分が、って感じかな

>>90
『太平記 巻三十』では、義詮は勢多の向こう側まで逃げたみたいですね
結構大変で、義詮は腹を切ろうとまで思ったとか
そりゃあ、南朝側は悠々と連れ去る事が出来るはずですよね
もっとも、南朝側は当初は京を保持出来ると考えてたみたいですが

92 :日本@名無史さん:2020/01/08(水) 22:29:55 .net
長文の奴、つまんないから死ね

93 :日本@名無史さん:2020/01/16(木) 12:43:09.28 .net
>>87
たしかさ、即位について今では『三種の神器』とうるさいけど
壇ノ浦で少なくても草薙の剣とか行方不明だよね?
で、三種の神器無くても即位出来ますとか
万世一系だの伝統だの誇ってる割にはかなりグダグダだよなwww

94 :日本@名無史さん:2020/01/16(木) 13:29:12.65 .net
明朝と南北朝と前期倭寇

中国では1368年に朱元璋が明王朝を建国し、日本に対して倭寇討伐の要請をするために使者を派遣する。
使者が派遣された九州では南朝の後醍醐天皇の皇子で征西将軍宮懐良親王が活動しており、
使者を迎えた懐良は九州制圧のための権威として明王朝から冊封を受け、「日本国王」と称した。
その後幕府から派遣された今川貞世により九州の南朝勢力が駆逐され、
南朝勢力は衰微し室町幕府将軍の足利義満が1392年に南北朝合一を行うと、
明との貿易を望んだ義満は、明に要請されて倭寇を鎮圧した。
倭寇鎮圧によって義満は明朝より新たに「日本国王」として冊封され、1404年(応永11年)から勘合貿易が行われようになる。

朱元璋は、福建に16個の城を築城して1万5千の兵と軍船100隻をおき、浙江には59の城を築城して5万8千の兵をおき、
広東に軍船200隻をおいて防備を固めた[16]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%AF%87#%E6%98%8E%E6%9C%9D%E3%81%A8%E5%8D%97%E5%8C%97%E6%9C%9D%E3%81%A8%E5%89%8D%E6%9C%9F%E5%80%AD%E5%AF%87

95 :日本@名無史さん:2020/01/17(金) 19:54:56 .net
>>93
一番わかりやすい正統性が三種の神器を持ってることじゃないの?

96 :日本@名無史さん:2020/01/17(金) 22:28:56 .net
公家たちの大半は、京都を安定的に治めることを正統性の基準とみていた

都落ちした安徳天皇は神器を持ってるけど正統ではない、廃帝だと考えられてたんだ


だから後醍醐帝も同様に。

97 :日本@名無史さん:2020/01/17(金) 23:23:36 .net
当時はね。後世の俺たちから見たら三種の神器の有無のほうがわかりやすい

98 :日本@名無史さん:2020/01/17(金) 23:51:08.18 .net
同時代人が認めた正統性の方が通常は重要(ただし、のちに逆転して覆された場合は除く。捲土重来ってヤツね


南朝は滅亡して子孫断絶してるから、逆転の余地もない

99 :日本@名無史さん:2020/01/18(土) 07:13:34 .net
三種の神器よりも治天の君の詔宣の方が中世では最重要
広義門院が無理くり治天の君になったのもこの為

100 :日本@名無史さん:2020/01/18(土) 08:49:29 .net
横から失礼だが、俺もそれは解かる
だからやれ「伝統」だのの言論封殺はやめてほしいし
「代々三種の神器が伝えられた。即位の儀式には必ず必要だった」だのの嘘はやめてほしいよね

「同時代人が認めた」とか「詔宣」とか重要だし
人臣でありながら「天皇に等しいが認められた」のですよね?

だったら「ご都合主義。それの何処が悪い」と堂々と言うべきだ
デコレーションして、表面を取繕う真似をしても化けの皮ははがれると思う

101 :日本@名無史さん:2020/01/18(土) 09:47:17.05 .net
>>100
必ず必要だったなんて書いてあるものはないのでは
そもそもいつから三種の神器が始まったか諸説あるし
それでも後醍醐天皇が隠岐へ流されるときも吉野へ逃げるときも
三種の神器だけは肌身離さず持参
南北朝合一の際には北朝天皇に返却が条件だったのを見ると
即位の正統性をいうのにそれなりの意義はあったとみるべき

102 :日本@名無史さん:2020/01/18(土) 10:22:30.27 .net
>>101
>必ず必要だったなんて書いてあるものはないのでは

書いてると言ってるわけじゃないんじゃないか?
あれだろ? 竹田とか所とかが令和の即位の儀式の解説とかテロ朝とかで言ってるって事だよな?

ってか>>101自身

>それなり

と言ってるんだからそれこそそれなり程度なんだろ?
まあ現実として後鳥羽天皇だって三種の神器なしだったしw

103 :日本@名無史さん:2020/01/18(土) 12:13:42.92 .net
>>101
肌身はなさず持参するのって、異常事態だよ。大乱の真っ最中であることを示している。
後醍醐天皇時代後半は戦乱の時代だったから仕方ないが、その戦乱を引き起こしたのも後醍醐天皇自身だしなあ

104 :日本@名無史さん:2020/01/18(土) 13:22:15.95 .net
北朝方が式年遷宮をやろうとしたら伊勢の北畠が妨害した
俗物すぎじゃね

105 :日本@名無史さん:2020/01/18(土) 13:48:45 .net
>>102
三種の神器は即位の正統性をいうのに一定の根拠にはなる

これは都に皇居を構えている者が天皇であるというのに似ている

安徳天皇も後醍醐天皇も都落ちしたから正統ではないとされた

106 :日本@名無史さん:2020/01/18(土) 18:32:21 .net
都落ちして吉野に去った後醍醐天皇が廃帝扱いされなかったのが不思議でならない

107 :日本@名無史さん:2020/01/18(土) 18:33:24 .net
>>104
北畠は公家大名で俗人たから、俗物でいいだろ、何がおかしいんだ?

108 :日本@名無史さん:2020/01/18(土) 20:05:53 .net
>>99
それは三種の神器がなかったからだろ

109 :日本@名無史さん:2020/01/18(土) 20:16:54.10 .net
>>108
都落ちした安徳天皇は神器を持っていたが廃帝と見なされた
神器を持っていても都落ちしたらダメってこと

110 :日本@名無史さん:2020/01/18(土) 20:21:08 .net
安徳天皇が都落ちした際、代わって擁立された後鳥羽天皇は、神器を持っていなかったが正統とされた

111 :日本@名無史さん:2020/01/19(日) 06:17:34 .net
後光厳の場合三種の神器がないからそれを入れてた箱で代用していた
都にさえいれば箱であってもいいという例
この天皇の場合南朝と比べて正嫡かではなくて兄崇光との皇統と比べて脆弱ではあったが

112 :日本@名無史さん:2020/01/19(日) 08:57:24 .net
>>100だけど、>>102の言うとおり
去年の即位の儀式の時でも、ああいう連中がしたり顔で「三種の神器云々」と言うから

三種の神器が重要だってのは否定はしませんよ? 後醍醐天皇の態度からしてもね
まあだけど、例えば女性とかがなんか緊急の時にブランド物を持って出るとかそんな感じではないのかね?

だから「三種の神器を保有している」「京都を保有している」という尤もらしい理由が挙げられてるけど
ようはさ、>>86のノリで書かれているように「人間、せっぱつまったら何でもアリ」って事なんじゃないの?

例えばさ、あの時たまたま「後鳥羽天皇」だの「後光厳天皇」だの居たから良いよ?
だけどもし誰も皇族が居なかったらどうなってた?
まあそれこそ、史上二人目の、しかも皇族の血を引かない初の、「人臣天皇」が生まれてただろうね

113 :日本@名無史さん:2020/01/19(日) 12:52:36 .net
まあ、全ては足利が悪いんだけどね

114 :日本@名無史さん:2020/01/19(日) 15:34:49 .net
あの時代で誰も都にいない場合がどこまであり得るかかな
後光厳の時は後光厳がいなくても他に姿を隠していた
光厳の息子がいたし
後鳥羽の時も最悪八条院の登極も有り得たかもしれない

115 :日本@名無史さん:2020/01/19(日) 18:00:11.91 .net
>>112
こういうものいいもなあ
三種の神器なしで即位した後鳥羽天皇や光厳天皇は非常事態
後白河法皇は源義経に安徳天皇と三種の神器を取り返せと命じたし
光厳天皇も足利尊氏に後醍醐天皇と三種の神器を取り返せと命じた
三種の神器はただの皇室所有ブランド品にすぎんから
あってもいいけどなくてもいいよってもんではなかったぞ

116 :日本@名無史さん:2020/01/19(日) 20:10:56.89 .net
>>114
その反論の仕方はないなー

>>115
横からあれだけどさ
非常事態、つまりこの人の切羽つまったらは認めてるね?
女性だって、ってか男性だって大切なもんなくなったら
命をかけて取り返せ、くらいは言うよ?

なんでも鑑定団に出てる人そんなんばっかだし
だけどそれで無くして困った人居んの?
取り返せねえじゃねーか、ってぶち切れはしても困ってはないよね?

117 :日本@名無史さん:2020/01/19(日) 20:26:24 .net
>>115
光厳天皇の在位期間は鎌倉時代で、尊氏はまだ御家人身分の頃だろ

そのときの後醍醐天皇は自力で逃げたんではなくて遠流、島流しで隠岐に流されてるときだ。
このときも神器を持ち出してたっけ? さすがに無理な気がするんだけど……

118 :日本@名無史さん:2020/01/19(日) 20:35:06.05 .net
源姓以外の臣下が即位するのは奈良時代の称徳天皇の時に否定されたという前例があるから多分無理だっただろう

119 :日本@名無史さん:2020/01/19(日) 20:37:54.02 .net
>>117
北朝の女官だった日野名子はたけむきが記で
神器はこちらにあるとハッキリ書いているね
その際の描写はかなり詳しいもので真っ赤な嘘とはあまり思えない

120 :112:2020/01/19(日) 20:44:38.94 .net
>>117
>>116に被りますが、その反論のしかたはありません
一応上皇や法皇になればただの上皇・法皇であって
何とか上皇・何とか法皇、等は儀礼上存在しません

上皇時代の事だろうと、光厳天皇が何かしたと言うのが普通です
礼儀の知らない歴史家如きにならないように

>>115
>>116とほぼ同じです

>>118
いや、切羽つまった人間は何するか解りませんよ?
実際ノリノリ文章の奴だってそんな感じだし

121 :日本@名無史さん:2020/01/19(日) 20:49:22.31 .net
>>120
ああつまりあれ?
後の人が光厳上皇がなんやはありえないあれで、あくまで光厳天皇がなんやであるべき。だから>>115の書き方は別に間違ってないって事か?

122 :日本@名無史さん:2020/01/19(日) 21:33:30.80 .net
>>120
いや、神器なしで即位したのは光厳天皇じゃなくて後光厳天皇じゃないかと言いたかったたけなんだが

123 :日本@名無史さん:2020/01/19(日) 21:45:03 .net
>>122
あれ? ひょっとして、>>115は光厳天皇の即位と
後光厳天皇の即位をただ単に間違えただけ?
それなら謝罪するわ

ただ、指摘させてもらうけど、光厳天皇の弟
光明天皇も三種の神器無し即位ですよ?
だから、光厳天皇が取り返せと言っても
何も不思議は無いかと

124 :日本@名無史さん:2020/01/19(日) 22:47:37.20 .net
でもさ

後醍醐天皇の偽神器作戦って、誰も中身を見たことないのを利用して、
本物は自分が持っていると強弁してるだけで、証人なんていないんだよね
むしろ状況証拠的には正平一統までずっと京都にあったと考える方が妥当
だいたい、後醍醐天皇はいくつの偽神器を持ってたんだよ
少なくとも三回は偽物を渡してるんだけど

125 :日本@名無史さん:2020/01/19(日) 22:53:39.82 .net
光厳天皇の場合はアレだね、神器の有無じゃなくて、即位の例をあげるいとまもなく廃位されたあげくに、即位したという事実さえ否定されたこと

実際には、当時は多くの人が光厳院を先帝と認めているんだけど。
当時の人々は、尊氏と接触する前から光厳院を持明院統が勝ったときに治天となるべき人と認識してて、尊氏に担がれる前から相応に力を持ってる

126 :日本@名無史さん:2020/01/19(日) 23:17:29.12 .net
光厳って三種の神器もきちんと継承したし治天の君後伏見院の承認もあり、なおかつ鎌倉幕府の後見もある完璧な皇位継承者だけど

127 :日本@名無史さん:2020/01/20(月) 09:52:39 .net
>>124
後醍醐天皇は内侍に三種の神器持たせて逃げたと「太平記」にも出てくる
後醍醐帝は急ごしらえで馬に乗って単独逃げたので
三種の神器など持っていく暇はないなんて訳はなく
後醍醐天皇は配下の公家たちに
寵妃の阿野廉子やら女官たちまで大勢連れているわけで
三種の神器の持ち出しだって当然可能

128 :日本@名無史さん:2020/01/20(月) 10:11:07 .net
>>124
その疑問はもっともな事だ

だが、とするとですが、逆説的に言えば
持明院統は「あいつ偽物とか言ってるぜ、本物こっちにあるのに負け惜しみとかだっせー」
「でもまあ、見ていてあまりに哀れだからさ、付き合って返還要求しといてやろうぜwwwww」
という状態だという事になりますよ?

流石にそれは無いんじゃないですか?

>>125
『即位の礼』の定義があいまいですね
そもそも『貞観儀式』に描かれているきちんとした『即位の礼』の形はとっくに崩れています

日本国の『仏教国』として相応しい、皇室の最も重要な儀式『即位灌頂』が行われたかどうかは解かりません
ただもう一つの『剣璽渡御』は、元弘元年十月六日に後醍醐天皇の代理によって行われています
従って『即位の礼』が行われていない、と言うには無理があるかと

>>126
いや、>>125が言いたいのは、あなたの言う「実」ではなく「名」の部分では無いでしょうか?
「名」の部分という意味では、復帰した後醍醐天皇から

「朕の皇太子の地位を退き、皇位には就かなかったが、特に上皇の待遇を与える」

という御言葉があります。つまり「天皇とは見られていなかった」と言われれば
そういう事もあったかも知れませんよ

129 :日本@名無史さん:2020/01/20(月) 11:51:02 .net
>>125 >>128
確か即位の礼って言えば、生國魂神社で難波での八十島祭もあったような

130 :日本@名無史さん:2020/01/20(月) 15:55:19 .net
この時代は神器、治天、大嘗祭で完璧?

131 :日本@名無史さん:2020/01/20(月) 22:52:05 .net
廃帝と言われいた仲恭は践祚だけで即位の儀も大嘗祭やってないね

132 :日本@名無史さん:2020/01/20(月) 23:02:40 .net
>>87
なあなあ、あんたの一連の書き込み読むと、足利尊氏って実は大忠臣だって事になるよな?

だってそうだろ?朝廷から圧倒的支持を受けて、しかも歴代天皇の意思通りの皇統に正したって事なんだから。

133 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 00:37:17 .net
あくまで持明院統から見たらね

134 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 08:01:17 .net
一番気の毒なのは治天の君から正嫡扱いされていたのに弟の我儘で皇統が消滅した後二条の系譜だけどね

135 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 08:40:17 .net
>>132の大忠臣というのはどうかな?とは思うけど
>>133は今までの議論をきちんと見てきた?

『太平記』の「当今御謀反、はおかしい」という人も居るけどあれは言いえて妙でしょ

後醍醐天皇は「大覚寺統・持明院統の垣根を越えた、皇室全体の意思その物に反している」って事
つまり彼は、自らの父親を始めとする歴代天皇に対して謀反を起こしたという事
解かった?

136 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 09:01:28 .net
>>134
邦良親王は病弱だったのが仇になったよね?
『正中の変』の二年後に薨去するんだから
もう少し健康だったら、多分また結果はかなり違ったと思うよ
ひょっとしたら、光厳天皇ではなく邦良天皇になってたかもね

まあ、持明院統は後光厳天皇までは一致団結してたのに比べて
大覚寺統は早々に分裂していたから、未来は必ずしも明るいとは言えないし
そうなったとしても足利尊氏の謀反までの事だろうし

>>132
大忠臣ではないでしょう
そもそも「後醍醐天皇を立てて鎌倉幕府を滅ぼしたのは足利尊氏」なんですよ?

137 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 09:01:36 .net
107
北畠は公家源氏出身だよ

つまり本姓は源氏

武家源氏は経基王の子孫しかいないからさ

138 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 09:03:15 .net
同じく公家源氏で清和源氏以外なら佐々木氏がいたろ

あれも公家源氏

139 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 09:05:10 .net
将軍になれるのは武家源氏出身でしかも八幡義家の子孫以外不可

これが将軍選出における貴種

140 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 09:07:49 .net
いくら武名が高かろ〜がこれは絶対やからな

その人物は他に将軍立てなければならない

さもないと他の武将らから命を奪われて終わり

親王将軍いたがすぐ終わった

141 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 09:36:57 .net
九条頼経「・・・・」

142 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 12:21:37 .net
>>138
佐々木氏は鎌倉時代初期より以前から武家だろ

143 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 12:23:45.77 .net
>>140
親王将軍は鎌倉時代後半ずっといたし、南北朝時代には源氏将軍より身近だったのではないかな
だからこそ護良親王も将軍になりたいと言い出したのではないかと

144 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 13:45:03 .net
将軍になれるのは源義家の血統のみキリッ

源平交代論とか信奉してそうだなw

それ以前の平氏や藤氏の鎮守府将軍をどう説明するんだ?

145 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 15:17:32 .net
源氏ではない坂上田村麻呂こそが征夷大将軍の代表格だというのに、源氏しかなれないとかさ

146 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 15:20:31.75 .net
もういいだろ
しつこいんだよ

147 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 15:29:40 .net
それだけ頼朝のイメージが強いって事じゃないの?

148 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 15:42:42 .net
142
だから武家の棟梁(将軍)だよ

征夷大将軍は一回廃止されたろ

頼朝のときにどんな官名贈るかで公家の間で評議が起こされてるんだよ

そんでいくつか候補が出て最終的に征夷大将軍て名前が復活した

それを日本の武家の棟梁、源頼朝に贈った

佐々木氏は公家源氏だよ

武家源氏なんて言うやつらおらんわw

武家の要職いっさい付けないのによw

149 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 15:44:01 .net
福将軍にすらなれんわ

皇族将軍はあったが最後は日本全国の武家連中らに滅ぼされたw

150 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 15:44:48 .net
武家源氏の意味分かったニカ(╹◡╹)

151 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 15:50:42 .net
頼朝の最初の官名、右大将だろ

これでもいいんだが右大将って朝廷の官名なんだな

征夷大将軍てのは独立した軍団を率いて政治を自ら取れる!って性質を帯びてるだ

朝廷とは関係ない政権を作れる題目が備わってたんだな

だから頼朝に贈る贈号として征夷大将軍が選ばれた

こんで日本全国の覇者、源頼朝から始まる征夷大将軍を中心とした武家政権が開始された

152 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 15:54:12 .net
日本じゃそのあとから将軍職に就くのが慣習化した

武家政権から引退したら今度は公家内で力を持ったりな

将軍付けない連中らは公家の要職もらった

153 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 15:58:37 .net
八幡太郎義家から始まる者のみ武家の棟梁たる将軍に就くことができる

将軍となった者は日本全国の武家を支配できる権限を持つ

これが武家の棟梁たる八幡将軍たる貴種由縁

154 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 16:00:41 .net
皇族将軍いたわな

日本全国の武家連中らが付いてこなかっただ

いいとこ皇族将軍を担いだやつだけが従った

155 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 16:01:48 .net
武家ってな公家から武家に転身した連中らも含めてだぞ

156 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 16:04:21 .net
その事例に上がってる佐々木氏なんて真っ先に足利尊氏に接近してるわ

最初は京都における取り仕切りを尊氏にまかされてるくらい尊氏の命令のみ尊重した

なぜか

157 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 16:25:28 .net
改行連投バカ

158 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 16:29:22 .net

アホにしてやって

159 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 18:16:30.33 .net
>>148
そりゃ、鎌倉時代には武家という言葉は幕府のこと、将軍のことだったからな
それ以外の一般武士を武家と呼ばなかったのは、そういう意味だ
佐々木氏が武士でなく公家だったという意味ではない

160 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 18:18:45.99 .net
>>151
征夷大将軍も朝廷の官職だぞ

右大将は中央官で征夷大将軍は地方官ってのが大きな違い

161 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 18:33:12.42 .net
>>154
私称(自称)将軍だった頃の護良親王に多くの武士が従ったから鎌倉幕府が倒れたんだけど

162 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 18:41:51 .net
>>151
もともと幕府という言葉は近衛大将の唐名だった
右大将は略称で右近衛大将が正しいので、右大将は幕府と呼ばれるべき存在な、鎌倉幕府ができる以前には征夷大将軍は幕府という言葉と関係なかったんだ

ところで、頼朝の最初の官職は皇后宮権少進じゃないのかな
その後、平治の乱までに右兵衛権佐になってて、挙兵当初は旧官(右兵衛権佐)の略称で佐どのと呼ばれてるわけで。

163 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 20:40:28 .net
アンカくらいきちんと打とうぜ改行君w

164 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 20:55:15.09 .net
おいおい、ここは南北朝時代の皇族について語る所なんだが?

>>148
あと、いつから佐々木氏が公家になったんでしょうか?
公家と分類している資料があるなら明示してください

宇多源氏の公家は庭田氏、近江源氏は武家と明確に別れてますが?

165 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 21:59:43.10 .net
くださいってもな

166 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 22:01:15.56 .net
160
朝廷すごいやってるわけじゃないんでな

167 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 22:02:08.23 .net
ところでなんでそんなムキになってるわけ?

168 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 22:05:01.63 .net
だから公家源氏って書いたじゃん

否定するやつ普通はいねえぞw

169 :日本@名無史さん:2020/01/21(火) 22:31:53.76 .net
アンカの付け方わからないの?w

170 :ひろ:2020/01/22(水) 00:26:12 .net
安倍晋三は李氏朝鮮の王族の3世であることが明らかになっています。

安倍晋三は李氏朝鮮最後の皇太子で李垠の第一子

李晋の3世。李晋の晋と三世の三から、おそらく晋三とつけたのですね。

そして北朝鮮拉致被害者家族の横田早紀江は、安倍晋三の叔母で

あることが発覚しました。

横田めぐみは、金正恩の母親であり、安倍晋三の従妹でした。

以下のブログを読めば、

世の中がどれほどの嘘と悪で満ち溢れているか

そして我々が悪人のカモにずっとされてきた事に

気づくでしょう。


Kawataのブログ検索

http://kawata2018.com/

【北朝鮮拉致問題は嘘だった!!】横田早紀江と拉致被害者家族のドス黒い闇

http://kawata2018.com/2019-11-09/

RAPTブログ検索

http://rapt-neo.com/?page_id=21576

171 :日本@名無史さん:2020/01/22(水) 08:42:31 .net
とうとう>>170みたいな朝鮮総連侵略の手先が出てきたか

武家源氏だの公家源氏だのの話が唐突に出てきたけど、まあこういう左翼や
天皇教信者は無視の方向でお願いします

>>136
大覚寺統は裕福だったみたいですから、内部分裂がしやすい環境だったんじゃないかと
まあ正統な大覚寺統の後継者と言えば常盤井宮ですが、これも後宇多天皇に妨害されてますしね

172 :日本@名無史さん:2020/01/22(水) 12:17:16.38 .net
菩提寺など様々なものを継承できずに新設しなくてはならなかった大覚寺統は持明院統とくらべ、最初から支出が多くて貧しかったんだが

173 :日本@名無史さん:2020/01/22(水) 13:25:36 .net
>>170
でた糖質RAPT理論

174 :日本@名無史さん:2020/01/22(水) 13:27:57 .net
RAPT理論とは何か

なになにとなになには似てる

だから関係ある

というような糖質の思い込みによる牽強付会による虚妄

リチャード・コシミズのような陰謀論の亜種である
それをカルト化したもの

 

175 :日本@名無史さん:2020/01/22(水) 18:19:27 .net
>>143
その時点で

清和源氏の将軍 3人
親王の将軍 2人
摂家の将軍 4人

・・・だし、清和源氏って少数派だったわけだ
「昔そういう人がおったな」というレベル

176 :日本@名無史さん:2020/01/22(水) 19:23:55 .net
亀山って無理くり八条院領を相続したよね

177 :175:2020/01/22(水) 19:50:49 .net
しかし、テレビもねえ 新聞もねえ そもそも紙がほとんどねえ ・・・・時代、100年前 200年前に
どういう首長がおったとかどれくらいの人が認識してたのかと思う

178 :日本@名無史さん:2020/01/23(木) 12:27:23 .net
>摂家の将軍 4人
??

179 :日本@名無史さん:2020/01/23(木) 12:41:59 .net
>>175
なんか順序おかしいなと思ったら人数もおかしいな

源氏将軍三代の次に摂家将軍二代、最後に親王将軍四代だよな
んで、護良親王は五代目の親王将軍になりたかったんだろ

180 :日本@名無史さん:2020/01/23(木) 14:38:44.98 .net
一応征夷大将軍にはなってるな

181 :日本@名無史さん:2020/01/24(金) 16:07:22.58 .net
征西将軍宮を親王将軍にして大宰府幕府を開けばよかったのにね

182 :日本@名無史さん:2020/01/24(金) 19:27:14.12 .net
親王将軍になってるじゃん

183 :日本@名無史さん:2020/01/24(金) 20:08:02.15 .net
征夷大将軍ではないな。日本国王だけどw

184 :日本@名無史さん:2020/01/24(金) 21:47:20 .net
征西将軍府は開いたんじゃないか?

185 :日本@名無史さん:2020/01/29(水) 03:19:39 .net
今日の読売新聞夕刊に記事が載っていたけど、孝謙上皇と淳仁天皇の政権争いのときは
「三種の神器」の奪い合い・・・・ではなく「鈴・璽」の奪い合いだったんだな

時代変われば品変わるな

186 :日本@名無史さん:2020/01/30(木) 19:23:47 .net
今の剣璽等承継の儀だと剣、勾玉、御璽だよね。鏡どこいった?

187 :日本@名無史さん:2020/01/31(金) 06:24:15 .net
>>181
幕府開いても菊地以外は誰もついてこないよ

188 :日本@名無史さん:2020/01/31(金) 11:02:51.37 .net
鏡は無いんじゃ無いか

189 :日本@名無史さん:2020/01/31(金) 22:30:08.11 .net
九州制圧して所領宛行が出来るならば武士はついてくるぞ

190 :日本@名無史さん:2020/02/01(土) 10:32:05 .net
現実には足利のほうにみんな荷担したがな

191 :日本@名無史さん:2020/02/01(土) 12:58:17 .net
>>186
マジで答えると皇居の宮中三殿の賢所にある。鏡は天照大神の形代とされているので、剣璽と比べても特別な扱いをされており、原則動座はない。

192 :日本@名無史さん:2020/02/01(土) 13:40:50.30 .net
>>190
そりゃ今川了俊が九州に来てからだろ

193 :日本@名無史さん:2020/02/01(土) 20:01:23 .net
今川が九州にくる前から大友は南朝にとってガンだったし

194 :日本@名無史さん:2020/02/03(月) 21:10:09.56 .net
>>191
俺が聞いたのは逆に鏡は三種神器の中で最も格が低いから真っ先に外される為
と言う説だったがどうなんだ

195 :日本@名無史さん:2020/02/03(月) 21:21:44 .net
全然ちがう。三種の神器の鏡は別格の扱いで剣璽が天皇の手元に置いとくのと違い、平安時代から専用の安置場所が造られて神そのものの扱いを受けていた。

196 :日本@名無史さん:2020/02/03(月) 21:25:34.10 .net
>>194
鏡は宮中三殿の賢所に御神体として祀られていて持ち運びしない
これは皇居が京都にある頃からそうで、かつては女官の内侍がこれを守っていた
一方、剣璽は持ち運ぶ
普段は天皇の寝所においていて天皇が行幸するときには男官の侍従が持参した

197 :日本@名無史さん:2020/02/03(月) 21:26:41 .net
戦前は、天皇が鏡より高い位置に居るのは恐れ多いと言うことで、鏡を賢所から出して移動するさいは、天皇は鏡より低い高さになるように鏡が輿に乗って再び高い位置になるまで、地面に降りなければならなかった。

198 :日本@名無史さん:2020/02/03(月) 21:31:21.12 .net
戦前即位の礼が京都で行われたさい、京都に移動するさいの列車も天皇は鏡と同じ車両に乗ることは許されず、鏡は鏡専用の車両に乗せていた。鏡をその車両に乗せたり降したりするとき、天皇が先に列車を降りて鏡を出迎えたり、送ったりしていた。

199 :日本@名無史さん:2020/02/03(月) 22:01:11 .net
神鏡は欠片しか残ってないんだよね?

200 :日本@名無史さん:2020/02/03(月) 22:18:50.84 .net
2回火災で損傷したからね。2回目の火災で完全に焼失して、その灰や粒を集めたのを唐櫃に入れて安置しているのが現在、皇居宮中三殿にある八咫鏡らしい。

201 :日本@名無史さん:2020/02/03(月) 22:23:09.61 .net
実は宮中三殿にある八咫鏡は2つあって、1つはその灰や粒になった物ともう1つは、南北朝時代に後醍醐天皇が吉野に逃れるさいに北朝に渡した神器の鏡(後醍醐はそれは偽物としている)らしい。

202 :日本@名無史さん:2020/02/03(月) 22:24:47.66 .net
平成に宮中三殿耐震化工事の時、鏡を仮賢所に渡御するさいに2つの輿を使ったがその2つの鏡を運ぶためだったとか

203 :日本@名無史さん:2020/02/03(月) 22:55:04.90 .net
やべえ、後醍醐が造り出した偽鏡が現存するのかw

204 :日本@名無史さん:2020/02/03(月) 23:15:46.71 .net
三種の神器っつうより四種の神器みたいだな

205 :日本@名無史さん:2020/02/07(金) 18:13:43 .net
今上天皇陛下は北朝だろ

206 :日本@名無史さん:2020/02/07(金) 22:39:28 .net
今の皇室がどっちの血筋だろうと関係ないだろ

207 :日本@名無史さん:2020/02/07(金) 23:11:42.15 .net
正統性の淵源は連続性にあるのであって神器は単なる当主の明かしでしかない

現皇統が北朝子孫である以上、南朝は本流ではなく傍流と解釈せざるを得ない
倒幕運動家たちが南朝正統論を信仰していたアオリで明治になって南朝正統というデタラメを公認してしまったのが間違い

208 :日本@名無史さん:2020/02/07(金) 23:35:17 .net
南北朝時代の人々にとっては幕末や近現代なんか知ったことではないですけど

209 :日本@名無史さん:2020/02/07(金) 23:51:06.30 .net
今の天皇家の直系の先祖をニセモノ呼ばわりして、異系のほうを正統に認定するってアホやな〜

210 :日本@名無史さん:2020/02/08(土) 02:44:59 .net
偽物は偽物なんだけどな、どこの池沼なんだ?

あと捏造(偽造など、その他。そういう類。)ばかりしないほうが良いぞ、
それとw精神病院があるから、そこに行け。

211 :日本@名無史さん:2020/02/08(土) 03:00:32 .net
https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E5%B1%85%E5%BB%B6%E6%BC%A2%E7%B0%A1

212 :日本@名無史さん:2020/02/08(土) 14:12:59 .net
>>210

213 :日本@名無史さん:2020/02/08(土) 21:29:52 .net
>>210
同時代人の認識として、南朝正統説が主流だったことはない
最盛期でも互角程度まで

214 :日本@名無史さん:2020/02/09(日) 14:06:55 .net
南朝の後村上天皇の母は阿野廉子で新待賢門院
江戸末期の孝明天皇の母の正親町雅子も新待賢門院

女院の名前がダブることはないから、江戸末期までは北朝が正統で南朝はなかったことにされてる
あくまでも朝廷ではね。水戸学とかは除く

215 :日本@名無史さん:2020/02/09(日) 16:13:05.05 .net
少なくとも当時の北朝関係者にとっては、南朝は自分たちの正統性を脅かす仇敵なんだから、徹底的に根絶したかったんだよ
神器の問題とか特に許容し得ないわけで、かなり揉めてたんではないかな
合一時に旧南朝をどう扱うかについても、かなり揉めたわけだ

賊徒だけど温情として恩赦する程度にとどめたかった北朝方に対し、約束どうり上皇に任じるよう求めた義満と相当にあらそったっぽい。
最終的には北朝側が折れて上皇に任じたけど、「皇位に即いたわけじゃないけど特別に上皇に任じる」という扱いにした。
北朝側としては、南朝は天皇ではなく賊徒、叛乱軍とみなしていたんだ

216 :日本@名無史さん:2020/02/09(日) 22:16:44.65 .net
いくら現代の人が南朝天皇を正統だといっても、実質的に勝者だった北朝から見たら負け犬の遠吠えにもならないわけで。

217 :日本@名無史さん:2020/02/10(月) 02:58:37 .net
皇位についていないけど特別に上皇にするって言うのは、
後醍醐天皇が光厳天皇にしたやつだろ

218 :日本@名無史さん:2020/02/10(月) 12:15:28.82 .net
承久の乱のあとに上皇になった後高倉上皇が天皇になってなくて上皇になった最初かな?
正平一統のあとに女院が上皇になって後光厳天皇を擁立の上で院政を行ってるし

南朝北朝の間での対立は極めて激しかった一方で幕府は両朝併存を目指してて、両統迭立を復活させたいと考えていた
尊氏から義満までの間はそういう方針だったから南朝を降伏させたくて殲滅することができず、内乱を長引かせることとなった
迭立を復活させたいと考えずに滅ぼすつもりで戦ってたら正平一統の時期まで南朝を生き残らせることもなく早急に統一できていただろう

219 :日本@名無史さん:2020/02/10(月) 17:40:40 .net
>>218
>正平一統のあとに女院が上皇になって後光厳天皇を擁立の上で院政を行ってるし

女院はそのままで院政を行う権限を持っているから
広義門院は改めて上皇にはなっていないよ
治天の君にはなっているがね

220 :日本@名無史さん:2020/02/10(月) 20:27:42.53 .net
>>216
いくら日本が竹島の領有権主張しても
実質的に支配している韓国から見たら負け犬の遠吠えにもならないってか?

221 :日本@名無史さん:2020/02/10(月) 21:34:00.15 .net
>>220
馬鹿の特徴

すぐにバ韓国の話を持ち出して論点をそらすwww

222 :日本@名無史さん:2020/02/10(月) 22:16:44 .net
>>220
いちおう、形式的には武力行使が違法ということになっている現代と、武力行使を生存権のような自然権として扱っていた中世を同等使するとか、知的障害を疑うレベル

223 :日本@名無史さん:2020/02/11(火) 00:51:12.85 .net
義満は両統迭立を復活しようとした

義教は後南朝を消滅させようとした

224 :日本@名無史さん:2020/02/11(火) 11:54:59 .net
義教の時代の初期までは迭立に戻す方針で頑張ってたが、持明院統の天皇たちの抵抗が非常に激しくて埒があかなかったこともあり、方針転換して南朝の皇統を絶やすことに切り替えたのではなかったか

225 :日本@名無史さん:2020/02/13(木) 20:21:45 .net
>>222
両統迭立の復活を条件に北朝に皇位が渡ったものの
それが反故にされる形で北朝が続いているわけだけど、
いくら明徳の和約が反故にされたからといって一応三種の神器持ってる北朝に
武力行使で皇位を奪い返すのは中世では自然権として扱われていたの?

226 :日本@名無史さん:2020/02/13(木) 20:39:45 .net
室町時代は分からんけど少なくとも鎌倉時代始めごろまでの武士の間では、騙すのは自然な行為であって騙される愚か者がすべて悪いってのが、少なくとも武士の間では常識
また、もっと古くなら、神話時代の事件に限れば貴族層でも常識

また、自分の権利を守る力がない無力なヤツは自分を守れないのが当然で、他者から守ってもらえるはずがないとの認識が基本
自分を守るのは自分、自力救済というのだが、これこそが中世という時代の特質だ

227 :日本@名無史さん:2020/02/13(木) 23:03:05 .net
>>225
後醍醐の血統ならOKだったんだろ当時は

228 :日本@名無史さん:2020/02/15(土) 17:42:48 .net
彦仁王が勝ち組

229 :日本@名無史さん:2020/02/15(土) 20:16:18 .net
ただのラッキーだろw

230 :日本@名無史さん:2020/02/16(日) 09:47:25 .net
>>226
そうだね。古事記なんかでも、日本武尊 反正天皇が、卑劣に人をだましても何ら非難されていない。

231 :日本@名無史さん:2020/02/16(日) 12:07:32 .net
>>230
神武天皇の東征神話だって騙し討ちの騙し合いしてるやん
敵の罠を打ち破った神武は賢い、みたいな書き方。

232 :日本@名無史さん:2020/02/16(日) 22:01:02 .net
現代と中世を比べて知的障害を疑われたが
なるほど健常者は中世と神話を比べるものなんだな。
勉強になるわい。

233 :日本@名無史さん:2020/02/16(日) 22:22:44.17 .net
あと近代の話なら明治天皇の裁可で南朝が正当ということに“なった”のでは?
GHQが覆したのかどうかそれはどうか知らないけど。

234 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 03:03:57 .net
もう公式見解として「北朝と南朝に分裂していた」でええやん
けど誰も触れようとしないな

235 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 11:34:07 .net
>>233
GHQは口出ししていない
現在でも天皇の代数は南北朝合一まで南朝で数え
北朝は北朝一代、北朝二代、という数え方で
歴代天皇の代数から外されている

236 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 12:10:36 .net
美野町という名称を破棄して南北朝という名前にしたことが、
南朝正統論を非公式化して両朝並立を公認(本流)視したことを意味する
代数の数えかたまで変更する力は学会にはないので従来説を踏襲してるけど、
南朝正統にこだわる信仰者たち以外の大多数は北朝の方しかみてない

237 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 19:42:47 .net
>>236
イミフな誤字

× 美野町
○ 吉野朝

238 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 20:28:33 .net
南朝正統は信者どうこうよりも宮内庁すなわち日本政府が決めていることやで。皇室の正統な戸籍にあたる皇統譜でも南朝の天皇が歴代にされていて、北朝の天皇は別冊扱い。

239 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 21:00:19 .net
どっちが正統なんてどうでもいいわ
南北朝の動乱は幕府が勝利、北朝がその後の朝廷を継承した。

それでいいだろ。

240 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 22:18:12 .net
 
明朝と南北朝と前期倭寇

中国では1368年に朱元璋が明王朝を建国し、日本に対して倭寇討伐の要請をするために使者を派遣する。
使者が派遣された九州では南朝の後醍醐天皇の皇子で征西将軍宮懐良親王が活動しており、
使者を迎えた懐良は九州制圧のための権威として明王朝から冊封を受け、「日本国王」と称した。
その後幕府から派遣された今川貞世により九州の南朝勢力が駆逐され、
南朝勢力は衰微し室町幕府将軍の足利義満が1392年に南北朝合一を行うと、
明との貿易を望んだ義満は、明に要請されて倭寇を鎮圧した。
倭寇鎮圧によって義満は明朝より新たに「日本国王」として冊封され、1404年(応永11年)から勘合貿易が行われようになる。

朱元璋は、福建に16個の城を築城して1万5千の兵と軍船100隻をおき、浙江には59の城を築城して5万8千の兵をおき、
広東に軍船200隻をおいて防備を固めた[16]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%AF%87#%E6%98%8E%E6%9C%9D%E3%81%A8%E5%8D%97%E5%8C%97%E6%9C%9D%E3%81%A8%E5%89%8D%E6%9C%9F%E5%80%AD%E5%AF%87

 

241 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 22:37:32 .net
当たり前だ

それでなんだかんだ理屈つける話でもないだろ(╹◡╹)

グダグダ言ってるやつらしにゃあよかろ

242 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 22:39:26.54 .net
>>239
それだとスレチになる

243 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 23:17:36 .net
正統かどうかは水戸黄門やら明治以降の人間やらが決めたことで、当時の人には関係ないよ。

244 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 14:06:52 .net
南朝が正統、けど血統は北朝のほうが現在まで続いている

これで痛み分けでいいじゃない

とならないから揉めてるわけで

245 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 15:03:34 .net
南朝が正統なら北朝は偽帝で、その子孫たる今上帝も偽帝となるんだけど。
それはおかしいよな

246 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 19:02:32 .net
天皇家は血筋より皇位継承が全てだからね
南朝が北朝に皇位を譲った時点で正統になる

247 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 19:19:22.86 .net
現皇統の祖先一同、(明治から昭和までの三天皇を除いて)だれも南朝に正統性を認めた者はいないんだけど

248 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 19:37:53 .net
>>224
南朝というかまだ当時残ってた後二条や恒明親王子孫
への継承も後小松が視野に入れていて(後小松は後花園父の伏見宮貞成親王とは微妙な仲だった)
義教としてはそれを否定すべく大覚寺統全ての血統を
断絶したかったのかもしれない

249 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 19:57:10 .net
>>247
歴史の評価は現在の人が決めることだよ。例え昔がそうでも現在の評価が公式の歴史になるんだよ

250 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 20:11:04.29 .net
>>247
そんなことを言いと、弘文天皇、淳仁天皇、仲恭天皇の立場はどうなるんだ?

251 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 20:20:15 .net
>>249
現代でも、一部の宗教的な人が熱心に南朝正統を主張してる以外、大多数は北朝の方を支持してるだろ
南朝正統は少数派だと自覚しなよ

252 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 20:23:07.82 .net
正式な手順を踏んで神器を継承した光厳天皇は正統に入れるべきと思う。神器(後醍醐が作った偽神器も含む)もなく、上皇の院宣もなく、天皇の子じゃない女院の院宣で即位した後光厳天皇とその子、後円融天皇は正統ももちろ、天皇とするのもダメやろ

253 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 20:25:31 .net
>>251
民間人の支持なんか関係ない。日本政府は南朝を正統としている。それじゃああれか、日本人の大部分は楠木正成を未だに逆臣だと思っているのか?

254 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 20:27:13 .net
251って馬鹿だなあ

255 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 20:31:07 .net
>>251
これが答えだ。
https://www.kunaicho.go.jp/ryobo/

256 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 20:40:52.92 .net
どっちが正統とかどうでもいいわ
俺は当時の人々がどう考えていたか、それが全てだと思う。
勝者は北朝であり南朝は細々と生きていたに過ぎん。

質問だが、お前らは太平記を読むのにどっちが正統とか今の皇室とか考えてるの?

257 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 20:43:20.58 .net
お前本当にバカだな。
天皇は日本国の国家機関なんだから、それの正当性を決めるのは政府だ。お前個人が決められる問題じゃない。

258 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 20:48:14.09 .net
神武天皇にしても、大半の日本人は架空の人物だと思っているが、日本政府は神武天皇は法的に実在して、墓もありその管理には税金が使われている。それと南朝の正統は一緒なんだよ。くやしかったらお前は総理大臣になって閣議決定で北朝を正統にしろ

259 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 21:45:19 .net
日本史板で現在の話をしてるヤツがバカ

260 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 22:22:19 .net
日本の義務教育でも日本史でも南朝が正統とされているけどな

261 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 22:58:40 .net
>>253
戦後は政府は南北朝について正統は決めてないだろ、暫定的に前例を踏襲しつつ、両朝並立にしてる。
決めたというならいつどのように決めたのか記録があるだろ、教えてくれよ

262 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 23:30:13.18 .net
つ、皇統譜が全てだ。皇統譜は南朝の天皇を歴代にして、北朝の天皇は別冊扱いで歴代に入っていない。
皇統譜が公式の皇室の戸籍であり系図だ。あくまでも北朝の天皇は正統ではないが、天皇として扱うと言うのが明治天皇裁定以降の日本政府の立場だ。今上天皇も南朝を歴代に入れて第126代天皇だ。

263 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 23:34:43.29 .net
だから?

264 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 23:39:48 .net
君がどう妄想しようが南朝が正統と言うことだよ。君が勝手に北朝が正統と言うのは自由だけどね。

265 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 23:41:29 .net
当然、君は弘文天皇も淳仁天皇も仲恭天皇も認めないんだろ?君の中で今上天皇は第何代なんだ?

266 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 23:42:10 .net
正式には決められていないだろ。あくまでも暫定。
七十年以上も暫定のままだがな

267 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 23:45:10 .net
へー。暫定とする政府見解とかあるの?あるなら出してみな。

268 :日本@名無史さん:2020/02/19(水) 02:40:53 .net
元ネタの魏晋南北朝の正閏論も南北朝正史が多く複雑。要するに分裂原因作って逃亡した西晋がクソのように逃亡した後醍醐がクソ。

269 :日本@名無史さん:2020/02/19(水) 20:10:05 .net
>>259
日本史ってどっからどこまでが日本史?
俺が10年以上前高校で使ってた日本史の教科書は
2002年、小泉純一郎内閣総理大臣が朝鮮民主主義人民共和国訪問までだったけど。
戦前「国史」としては認められ、戦後「日本史」としては排除された神話は?

270 :日本@名無史さん:2020/02/19(水) 20:31:34 .net
>>267
もともとの南朝正統論は国家神道の中核の1つ
国家神道の大黒柱みたいなものなんだよ

国家神道を廃止する上で最大の障害みたいなもの
その国家神道を廃止してるんだから、一括で廃絶せざるをえない

271 :日本@名無史さん:2020/02/19(水) 22:27:53.64 .net
はえー南朝が大黒柱だったり靖国神社が諸悪の根源だったり
神社神道、いわゆる「国家神道」を目の敵にする輩は
何でもかんでも神道の中心に据えたがるな

272 :日本@名無史さん:2020/02/19(水) 22:33:07.35 .net
そもそも国家神道の母体じゃん

討幕運動とか国家神道とかの思想の出発点の頃から南朝正統論が中心部に位置していたぞ、無知蒙昧めが。

273 :日本@名無史さん:2020/02/19(水) 23:05:39 .net
南北朝時代の人にとっちゃ現代の皇室なんか知ったこっちゃないだろ
なんで南北朝時代の話題をする場で現代の皇室を絡めるんだか理解できない

274 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 12:34:16 .net
いやいや、南朝にしろ北朝にしろ自分達の、最大の目的は現在の皇室が自分たちの子孫であるかと言うことだよ。北朝なんかさらに崇光と後光厳とでどっちの子孫が皇位継承するか争っていた

275 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 17:53:10 .net
世代交代のたびに争ってた大覚寺統、そこで勝ち残った実力主義者の南朝に比べたら北朝の方が皇位争いは少ないんだけど

276 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 18:20:24 .net
>>274
それは皇室に関するスレで議論することであり、南北朝時代の話題を語るここで議論することではない。

277 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 18:52:18.72 .net
何言っているの?ここは南北朝時代てはなく、南朝北朝を、語るところだから皇室の話行くのは自然。

278 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 18:56:07 .net
じゃあ後醍醐天皇が沖に流されたことと今の皇室がどう関係するのか語れよバカ

279 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 18:56:35 .net
>>275
大覚寺統持明院統と南朝北朝を一緒にはなすのは間違いわろ。後醍醐までは一つの朝廷だ。南朝北朝に分かれてから、明らかに北朝の方が皇位継承に争いがあった。(まさか、崇光と後光厳や後小松と伏見宮の争いを知らんの?)

280 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 18:58:19 .net
>>278
後醍醐が沖に流されたときは南北朝時代じゃないけどな

281 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 19:04:36 .net
南朝は後亀山天皇までは、すんなりと皇位が継承されているが北朝は足利尊氏の寝返りなどあって、一度廃絶されているし、その後即位した後光厳天皇は神器もらなく、上皇の院宣もなかったから正当性に欠けるんだよな。

282 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 20:20:23.29 .net
後小松もいくら伏見宮と仲悪いといってもさすがに南朝の皇孫に皇位を譲ることはしないだろ。さすがにないだろそれは

283 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 20:30:52 .net
史料が乏しくて争いがあったことすら知られてなかっただけで、ぜんぜんすんなりとは運営できてない。実際は揉め事だらけだぞ
特に後村上の後は主戦派と講和派が争って、勝った主戦派の推す長慶天皇が即位することとなった

で、戦って埒が明かなくなって講和派が盛り返した結果、主戦派の長慶が退位させられて(退位したというより、させられた)後亀山に交替した

284 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 20:48:56.87 .net
まるで自分で見たかのように語るバカ

285 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 20:54:29 .net
俺は南北朝時代好きで太平記読んでいるけど、
太平記のどこにも明治天皇以降の天皇について触れられていないんだよな。
つまり皇室の話をしなくても南北朝時代は語れる。
皇室の話をしたい奴は現代の皇族について語る板に行ったほうがいいよ。

286 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 21:03:01.85 .net
>>280
スレタイくらいは読め
鎌倉時代から室町時代を語るスレだ

287 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 21:33:52 .net
>>280
後醍醐天皇が沖ならぬ隠岐に流されたときし在位してた光厳天皇を世間では北朝の第一代として皇統譜から外してるぞ
どう考えてもおかしな扱いになっている。

288 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 21:35:58 .net
>>284
南朝の史料を精査する研究から内実が明らかにされたんだよ
平成に入ってからようやくマトモに研究が始まった程度なので
一般向けの本が少ないけど、わずかながら出てなくもない

289 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 21:42:14 .net
森茂暁あたりかな

290 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 21:57:01 .net
>>286
お前、日本語読めないのか?>>1のどこに鎌倉時代から南北朝時代を語るとか書いてあるんだ?ここは、南朝、北朝について語る所なんだか?

291 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 22:01:58.04 .net
>>287
残念ながら鎌倉時代は通説は1333年までになっているから光厳天皇は鎌倉時代の天皇であって南北朝時代の天皇ではない。

292 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 22:05:19.02 .net
>>290
大覚寺統
持明院統
読めますか?
理解できますか?
バカなんですか?
生きてて恥ずかしくないですか?

293 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 22:08:44.08 .net
少なくとも、北朝は光厳天皇、光明天皇、崇光天皇まで南朝に京を占領され崇光天皇の強制退位で廃絶したとするべきだ。後光厳天皇は足利幕府の正統性のために、神器なし、治天の君の院宣なしで即位したから北朝天皇としても本来なら外すべき存在。

294 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 22:09:56.18 .net
>>292
後醍醐の隠岐に流される話は完全にここでは無関係

295 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 22:13:30.01 .net
>>294
重症だな
なむなむ

296 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 22:13:55.09 .net
>>292
いやいや、ここは南朝北朝どっちが正統なの?を語り合うスレであって南朝が大覚寺統、北朝が持明院統だからスレタイに大覚寺統持明院統とあるだけだよ。まだ朝廷が一つだった鎌倉時代や建武新政までの話しはスレ違い

297 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 22:15:59.50 .net
>>294
朝廷の正統となんの関係があるの?

298 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 22:16:25.04 .net
間違えた>>292

299 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 22:19:35.41 .net
このスレ的には後嵯峨から後土御門まで

300 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 22:28:41 .net
践祚すれでも即位できない貧乏が待っていようとは・・・

301 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 22:30:19.97 .net
>>290
現在の皇室について語ろうとしているハゲにも文句言え

302 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 22:33:55.01 .net
それは仕方がない。歴史を評価するのは現在の人々だからな。北朝を正統を語るお前も現在の人間じゃないのか?

303 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 22:37:59.62 .net
>>290
どこに現在の皇室を語っているのがあるんだいら?

304 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 22:38:32.74 .net
間違え>>301

305 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 22:46:44.07 .net
誰かが言ったように光厳天皇(本来なら正統な手順で即位したから歴代に入れるべき)、光明、崇光までが北朝だな。
手頃な皇族がいなかったから、足利義詮に無理やり天皇にされた後光厳と後円融は北朝天皇からも除外されるべき。

306 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 23:23:31.54 .net
両統迭立が一番平和的だよね

307 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 23:42:43.06 .net
>>296
一般の皇統譜では後醍醐天皇が隠岐に流されたときから南北朝時代にしてるだろ
北朝の初代天皇は光明天皇じゃなく、後醍醐天皇が隠岐に流されてた期間にだけ在位していた光厳天皇なんだから。

308 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 23:49:33.39 .net
一般の皇統譜てなんぞや?
皇統譜は正本は宮内庁、副本は法務省にあるし、記載事項に何時代なんかないんだが?

309 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 23:54:41.99 .net
>>307
現在の常識では得宗である北条高時が自害して鎌倉幕府が滅びた1333年までが鎌倉時代。
光厳天皇が即位したときから南北朝時代なんか聞いたことがない。

310 :日本@名無史さん:2020/02/20(木) 23:55:49 .net
おそらくら307は皇統譜とは何か理解していないと思われ

311 :日本@名無史さん:2020/02/21(金) 00:00:13.19 .net
南北朝時代は後醍醐が吉野に行ってからか
一乗院なんとかの日記では一天両帝南北京

312 :日本@名無史さん:2020/02/21(金) 00:03:22.20 .net
307は建武新政を知らないらしい

313 :日本@名無史さん:2020/02/21(金) 00:30:38 .net
光厳天皇は「北朝の初代」として扱われて、歴代天皇ではなく北朝に数えられている。
これは建武の新政のまえだ。隠岐から戻る際に後醍醐天皇が自分は退位していないと強弁して光厳の即位を無かったことにしたから、後醍醐の重祚を認めない皇統譜では光厳天皇の入る場所がないんだよ
それで、南北朝時代より前なのに北朝と数えられている。

南北朝時代の天皇には含まれていない光厳天皇(南北朝時代には天皇ではなく最初から上皇だった)を「北朝の初代」と数えてるんだ。

そうすると、光厳天皇の在位期間は鎌倉時代末期だけど南北朝時代でもある、ということになってしまうのではないか?

314 :日本@名無史さん:2020/02/21(金) 01:13:03 .net
後醍醐天皇を退位させて光厳天皇を皇位に即け、その光厳天皇が皇位を逐われるまでが鎌倉時代。(鎌倉幕府が滅亡したのとほぼ同時だしね)
しかし、後醍醐天皇(96代)の次に光厳天皇を97代として数える系譜は使われておらず、基本的に光厳天皇は「北朝の初代」と数える。97代は後村上だ、とね。
南北朝時代はどう考えても後醍醐天皇が再度退位させられたのちに吉野へ奔った以後であり、光明天皇の時代に入ってからなのに、鎌倉時代末に在位していた光厳天皇を北朝の初代とするんだ。

区切りの位置がおかしいけど、それ以外の区切り方はほとんど使われていない。

光厳天皇が鎌倉時代であって北朝ではないと考えるなら、第97代天皇は光厳天皇であって後村上天皇ではないと考えないと駄目じゃないか?

315 :日本@名無史さん:2020/02/21(金) 01:23:53 .net
端的に自分の意見を言えないぐらいの教養がないんだね

316 :日本@名無史さん:2020/02/21(金) 11:54:48 .net

上から目線のくせに日本語に不自由しているオカマ

317 :日本@名無史さん:2020/02/21(金) 13:58:53 .net
不毛な争いはやめよう。建設的な議論を

318 :日本@名無史さん:2020/02/21(金) 18:27:48 .net
誰も真実はしらない…

319 :日本@名無史さん:2020/02/21(金) 22:18:27.01 .net
後醍醐が光厳の即位を認め重祚しないで光厳を退位させ後醍醐の息子を天皇にし院政をやっていたらこんなに揉めなかったのにね

320 :日本@名無史さん:2020/02/22(土) 04:45:57 .net
しかし、ゴダイゴはアホなことしよったなあ
・国は無茶苦茶
・朝廷はガタガタ
・資産もかなり失った(はず)
・子孫は全滅

321 :日本@名無史さん:2020/02/22(土) 11:20:02 .net
>>319
後醍醐は、父の後宇多の言うことを聞かず皇位を邦良親王に譲位せず、自分の子孫に皇位を継承させようと両統迭立も院政も否定したから今更、自分が譲位して院政なんか考えられなかったんでしょ。

322 :日本@名無史さん:2020/02/22(土) 11:32:36 .net
他のスレでも書いたけど、政治権力を武官から文官に移そうとしたのは
評価というか酌量してもいいと思うけどな。
公家に政治的な実態が伴ってなくて性急に過ぎたけど。

323 :日本@名無史さん:2020/02/22(土) 12:12:10 .net
後醍醐帝の政策の結果として武士の社会的地位は向上してるけど

324 :日本@名無史さん:2020/02/22(土) 12:29:35 .net
武家に高い官位をやるのは間違いだったんだよ。
尊氏はまだしも新田や三木一草は行政官の能力がないんだし、そこは親房が批判した。
武士には官位より実利=土地を与えるほうが得策。

今の企業に当てはめればわかる。
トップセールスマンには役職与えて事務所にいずっぱりさせるより、ボーナス出してさらに動かすほうがいい。

325 :日本@名無史さん:2020/02/22(土) 19:11:56 .net
従来は幕府上層部クラスじゃないと就任できなかった国司やら(新設の令外官とは言え)要職に多くの武士を登用して、武士の(地方領主以外の)社会進出を加速させたのが後醍醐の新政

その状態を引き継いだのが室町幕府で、幕府は建武時代の様々な新制度を多く流用した
それがなかったら義満の太政大臣就任もなかったんだろうな

326 :日本@名無史さん:2020/02/22(土) 20:59:39 .net
平清盛が太政大臣になった先例があるから、なれんことはない

327 :日本@名無史さん:2020/02/22(土) 21:04:50.88 .net
清盛はもとから貴族だから義満とは違うと思う

328 :日本@名無史さん:2020/02/22(土) 21:13:53.19 .net
武家にひとつでも先例があればよい

329 :日本@名無史さん:2020/02/22(土) 22:03:07.60 .net
源氏長者をも兼ねた足利義満は公武に君臨した絶対権力

330 :日本@名無史さん:2020/02/23(日) 18:52:44 .net
源氏長者自体がそこまで凄い地位でもない
公家の久我家から奪ったものだし
徳川家も源氏長者だった

331 :日本@名無史さん:2020/02/23(日) 19:05:26 .net
氏長者ってのは、同氏族のなかで最も高位高官に登ったもののことで、士族長としての役割を担うだけだぞ
奪うような性質のものじゃない

332 :日本@名無史さん:2020/02/23(日) 19:43:12 .net
【承詔必謹!】

【天皇陛下、愛子天皇を否定!】

【天皇陛下、女性天皇を否定!】

天皇陛下におかせられましては本日のお誕生日における
お言葉にて、愛子内親王殿下について

「自分のやりたいことを見つけ、将来への希望を描いていってもらえれば、
と思っております」

と述べられ、女性天皇、愛子天皇ということを明確に否定され
愛子内親王殿下に自分の希望どおりの人生を歩んで欲しいことを
明確に示されました。

天皇陛下の意向を受け、「女性天皇」、「愛子天皇」の
各論は今後その言を慎むべきであろう。


http://www.sankei.com/life/amp/200223/lif2002230013-a.html?__twitter_impression=true

333 :日本@名無史さん:2020/02/23(日) 21:25:31 .net
スレチだけど話の流れで聞いちゃうけど、
源氏や平氏って皇別、つまり天皇家の親戚で
藤原は天児屋を祖とする神別(皇別摂家は別として)で、
天皇の親戚の源氏や平氏のほうが偉いような気がするんだけど
実権はともかく藤原のほうが高い官職につけるのはどうして?

334 :日本@名無史さん:2020/02/23(日) 21:47:35 .net
高い官に就くための知識、教育の積み重ねが藤原氏の独占資産になってるしなあ

職業教育が公教育じゃなく役所の育成でもなく家産になってるから、新規参入は難しいんだよな
初代源氏がたまに太政大臣とかになって権力をふるうことがあるほかはたいてい藤原氏になっちゃう
太政官トップとして政治を動かすノウハウを藤原氏しか持ってない時点で。

335 :日本@名無史さん:2020/02/23(日) 22:07:27 .net
>>334
なるほど、いくら天皇家の親戚と言っても臣籍になったら(ギャグじゃないよ)
語弊を恐れず言うと血筋よりも知識やら既得権益やらが絡んでくるのね。

336 :日本@名無史さん:2020/02/23(日) 22:22:10.82 .net
あとは、初代源氏は天皇から見て近い親戚だけど代を重ねると遠縁になるが、藤原氏の内でも有力者はたいてい天皇から見て近い親戚だし

337 :日本@名無史さん:2020/02/23(日) 22:50:30 .net
そうそう。遥か昔から天皇の外戚をキープし続けてきた実績と伝統が藤原氏の強み

338 :日本@名無史さん:2020/02/23(日) 23:11:54 .net
武家政権ってのはこの秩序に反する政権だから朝廷と仲が悪いのは当たり前

339 :日本@名無史さん:2020/02/23(日) 23:25:50 .net
もともとの武家政権ってのは、東国武士だけを統率する政権であって、半独立国みたいな形式にすぎなかった

承久の乱で幕府が勝って勢力範囲を広げたことや、元寇対策で新しい権限を獲得したことで全国政権に近いほどの勢力を持つようになった
それでもまだ大した力ではなかったが、建武ののち武士の力が伸びたことで公武を束ねるほどの力を持つようになった

340 :日本@名無史さん:2020/02/23(日) 23:44:10 .net
>>330
将軍が源氏長者も兼ねる先例を作ったってのが凄いってことじゃないの

341 :日本@名無史さん:2020/02/24(月) 11:02:35 .net
源平は藤原摂関家の犬だったからな
武力を持ち武士が増えたことでようやく藤原氏を凌駕することができた

342 :日本@名無史さん:2020/02/24(月) 12:36:21 .net
よそでやれ

343 :日本@名無史さん:2020/02/24(月) 16:33:15 .net
過疎スレで自治w

344 :日本@名無史さん:2020/02/24(月) 21:03:23 .net
また負けたのか

345 :日本@名無史さん:2020/02/24(月) 21:17:41.88 .net
大丈夫?精神病?↑

346 :日本@名無史さん:2020/02/27(木) 21:33:02.33 .net
誰か

255 :NHK名無し講座:2020/02/27(木) 00:51:00.15 ID:l+RZhzJ0 [ 8/9 ]
菊水作戦は楠木正成の家紋の菊水から
楠木正成は天皇に足利尊氏に負けるとわかっていながら忠義の戦士をした


264 :NHK名無し講座:2020/02/27(木) 00:52:23.23 ID:Yz5K+vyQ [ 20/22 ]
>>255
光厳天皇に仕えた足利尊氏も忠義だったんじゃない?

347 :日本@名無史さん:2020/02/28(金) 11:01:04 .net
2020/02/27(木) 00:52:23.23 ID:Yz5K+vyQ [ 20/22 ]
52分間で22回書き込むって、アホか

348 :日本@名無史さん:2020/02/29(土) 05:40:46 .net
今の天皇家があるのは足利家のお陰やろ
足利家が今の天皇家の先祖を天皇位に就けてくれた
今の天皇家にとって大恩人・大忠臣ではないか

それなのに自分の先祖をニセ天皇呼ばわりして、大恩人大忠臣であるはずの足利家を逆賊呼ばわりするっておかしいではないか
今からでも遅くないから足利家を顕彰すべきだな

349 :日本@名無史さん:2020/02/29(土) 07:18:49 .net
後小松天皇を傀儡にした義満を大恩人大忠臣として顕彰?
キン・セイオンではないが盗っ人猛々しいにもほどがある。

350 :日本@名無史さん:2020/02/29(土) 22:22:03 .net
ぬすっともうもうしい

351 :日本@名無史さん:2020/02/29(土) 23:36:31 .net
武田家しいんじゃね

352 :348:2020/03/01(日) 07:09:28 .net
現天皇家は足利家が擁立したから足利朝・足利天皇とネーミングしてもいいな

353 :日本@名無史さん:2020/03/01(日) 09:13:11 .net
北朝は崇光天皇までだな。後光厳天皇と後円融天皇は足利将軍家の大義名分の為に神器もなし、治天の君の院宣もなしに擁立されたから足利朝と別にすべきだし、天皇として扱うのもどうかと。

354 :日本@名無史さん:2020/03/01(日) 10:07:28 .net
>>348
足利尊氏は悪い人物ではないが、北朝なんかに忠義はなかったよ。都合よく利用しただけ。直義との兄弟喧嘩では北朝を見捨てて南朝に帰順したし直義も南朝に帰順している
(ここで一旦、北朝は廃絶している)だから逆臣と言われてきたんだよ。

355 :日本@名無史さん:2020/03/01(日) 11:24:26 .net
>>352
直近の皇室の転機と言うべき閑院宮や光格天皇は無視して
足利まで遡るのか……

356 :日本@名無史さん:2020/03/01(日) 11:37:11 .net
相手しちゃうヤツ

357 :日本@名無史さん:2020/03/01(日) 14:41:49 .net
どちらかといえば後醍醐ラブな尊氏

358 :日本@名無史さん:2020/03/02(月) 04:27:16 .net
>>341
藤原氏には藤原秀郷みたいな武家もいたんだがな。

359 :日本@名無史さん:2020/03/02(月) 21:19:10 .net
落ちぶれて地方に下った藤原氏は論外

360 :日本@名無史さん:2020/03/03(火) 00:01:09 .net
後花園天皇の陵は光厳天皇陵と同じ場所(京都市街地から離れた山奥)にあるが、崇光系の後花園が後光厳系の後小松の後継者ではなく、崇光系が光厳天皇の後継者と後世に示すため、あんな山奥の光厳陵に自分の陵を置いたんだろうな

361 :日本@名無史さん:2020/03/03(火) 16:53:26 .net
>>255
光厳はさすがに可哀想…

362 :日本@名無史さん:2020/03/04(水) 20:45:36 .net
南朝の皇位継承でだけど後村上の後が兄弟継承になったのはなんか大きな意味が有るんだろうか
長慶と後亀山で方針に対立が有って後亀山派が長慶を降ろしたって説は結構有るからそれはまだ分かるけど
後亀山も天皇在位中は自分の子じゃなく弟を皇嗣としてる辺り子供では不安だったんだろうか
惟成が有力だけど泰成って説も有ったりでよく分からん
ttps://ameblo.jp/tengetu-akindo/entry-12147835847.html?frm=theme
ttps://ameblo.jp/tengetu-akindo/entry-12147845530.html?frm=theme
護聖院=泰成は流石にどうかっつうか説として吹っ飛びすぎな気はするが

363 :日本@名無史さん:2020/03/05(木) 13:25:14 .net
↑ブログの人めっちゃ詳しいね

364 :日本@名無史さん:2020/03/08(日) 21:46:38.39 .net
北朝との和戦方針の対立という説も

365 :日本@名無史さん:2020/03/09(月) 03:14:20 .net
京都の北朝は新羅人
奈良の南朝は百済人

南北朝時代よりずっと前から南北朝はあり、南北朝と言ってなかっただけだろう
日本列島上の全ての争いは新羅派と百済派の戦いであった

そのどちらが最初に天皇を立てたかというと北朝の新羅で1300年前だ
そこから100年遅れて南朝の百済人も恒武天皇を立てた
しかし百済人の言い分としては、新羅より先に日本に来ていたということだろう

366 :日本@名無史さん:2020/03/09(月) 20:03:17 .net
北朝と南朝も内部では割れていたのかな

367 :日本@名無史さん:2020/03/09(月) 21:43:17 .net
>>366
もちろん割れてた

南朝の祖先たる大覚寺統では内部争いをうまく集束できず遺恨試合に終わらせる傾向があって持明院統は程々に妥協させる傾向があった

ので、鎌倉幕府倒した後も後醍醐帝と大塔宮の間で主導権争いをして実子たる大塔宮をその政敵たる足利に収監させたりした
後村上のあとの皇位も争いがあって、勝った長慶が即位したものの、のち逆転されて長慶天皇は退位に追い込まれ逐電してる

368 :日本@名無史さん:2020/03/10(火) 00:05:33 .net
上皇が逐電ってすごいな南朝w

369 :日本@名無史さん:2020/03/10(火) 12:54:26.89 .net
そもそも弟の即位継承を正当化したのが起源の大覚寺統では更なる分派に歯止めが利きにくい

370 :日本@名無史さん:2020/03/10(火) 15:51:27.46 .net
そりゃ後嵯峨のせいってもんよ
亀山も好きで天皇になったわけじゃない

371 :日本@名無史さん:2020/03/10(火) 16:35:12 .net
天皇は交代が慣習だった
北朝→南朝とな
だが慣例を壊した奴其れは
誰だっけー

372 :日本@名無史さん:2020/03/10(火) 21:27:55.88 .net
持明院統大覚寺統と北朝南朝を一緒にしているバカがいる

373 :日本@名無史さん:2020/03/11(水) 13:44:43.84 .net
後嵯峨と後醍醐が悪いってことでFA

374 :日本@名無史さん:2020/03/11(水) 14:15:23 .net
>>372
揉めるなら交代制にしろ
だが正当な血筋は俺達だー
って流れ?

375 :日本@名無史さん:2020/03/11(水) 14:39:37.44 .net
後深草は父後嵯峨に嫌われていたのは、ともかく実母にも見放されたのは救い用がないなあ。強制的に弟に皇位を譲らさるれ、実母にも弟の子孫が後継者とされたからには、本来なら亀山子孫が皇位継承と確定したもんだが

376 :日本@名無史さん:2020/03/11(水) 14:42:16 .net
なんで幕府は後深草が太上天皇辞退と言い出しただけで後深草に配慮したんだろか?勝手に出家して下さいなにならなかったのだろうか?

377 :日本@名無史さん:2020/03/11(水) 15:04:56 .net
2つに割るいい口実ができたんだろ
あとは西園寺の策謀

378 :日本@名無史さん:2020/03/12(木) 00:33:59.31 .net
>>376
文永の役の翌年であり、モンゴルの再度の来襲を強く警戒していた時期のことであり、下手な対応で不満を爆発させると戦況への悪影響を懸念される情勢だっただろ

379 :日本@名無史さん:2020/03/12(木) 07:28:19.19 .net
>>375
実母だけじゃなく他の異母兄弟達の意見も亀山に意向が有るって証言してたからなぁ
それに後深草も実は当初は亀山の正統性自体は認めていた
前スレか前々スレだかで別な人言ってたけど後深草の正統性には息子の伏見の手腕が大きいのでは
あとは>>377の様に2つに割る事で皇族の権威と勢力を減退させるって言う目的も有ったし

380 :日本@名無史さん:2020/03/12(木) 14:36:47 .net
伏見院って策士だよな。大覚寺統の分裂を誘発してる

381 :日本@名無史さん:2020/03/14(土) 05:35:51 .net
>>362
吉田家日次記より 護聖院宮=東宮(春宮)
吹上本帝王系図より 泰成親王=東宮

∴ 護聖院宮=泰成親王
QED

382 :日本@名無史さん:2020/03/14(土) 07:43:41 .net
後亀山が京都に赴いた時に同行した兄弟としなかった兄弟がいる
同行が確実なのはほぼ懐成でしてないのは長慶上皇と師成
もう一人同行したのは惟成か泰成かどちらかのはず
余談だが良成は同行してないがそもそも鎮西府として外したので彼は最初から除外して良い
護聖院=泰成だとすると泰成が生涯出家せず皇子のままだった論拠の一つにはなる
ただ南朝&後南朝の研究家の多くは護聖院は惟成で一部は旧来の懐成って説ばかり
泰成を言った説が上に出てるサイト以外自分は見た事がまだない
もしかしたら今はもっと議論されてるのかもしれないけど泰成が護聖院ならもっと議論されても良いはずではある
あと惟成も東宮で有ったって説も有る
これはどうなるんだろう

383 :日本@名無史さん:2020/03/14(土) 12:37:35 .net
昨年末に出た 赤坂恒明氏の『「王」と呼ばれた皇族』では、
論拠を示さないが、護聖院宮=泰成親王と推定しているよ

惟成親王説こそ、『南山御出次第』で後亀山の帰洛の際に
随行している「三宮」が東宮であるはず、という思い込みが
発端だから、そもそも論拠が乏しい。提唱した小川剛生氏も
「断定するのは留保せざるを得ない」と消極的態度である。

384 :日本@名無史さん:2020/03/14(土) 15:17:20 .net
>>372
南朝は大覚寺統内部の後醍醐流だがこちらもまた弟系だから結局は同じ

385 :日本@名無史さん:2020/03/14(土) 15:18:33 .net
意味を理解できてないようで

386 :日本@名無史さん:2020/03/14(土) 15:34:04 .net
>>384
わかってないなあ。持明院統大覚寺統は一つの朝廷内で皇位継承した二つの「系統」の名だ。北朝南朝は、二つに分かれた「朝廷」の名だ。朝廷が分かれてから交互に皇位継承することがなくなったので南北朝以降の天皇は持明院統大覚寺統の天皇とは呼ばれない。

387 :日本@名無史さん:2020/03/14(土) 15:46:27 .net
そもそも372の意味は>>371が鎌倉時代の持明院統と大覚寺統を北朝南朝と呼んでいるからバカだと言っていたんだろ
統と朝の意味ぐらい理解しような

388 :日本@名無史さん:2020/03/14(土) 16:46:59 .net
>>387
飽きた系譜で
馬鹿に説明したれ
貼り付けろ

389 :日本@名無史さん:2020/03/14(土) 18:37:52 .net
スレタイに大覚寺統、持明院統とあるから

390 :日本@名無史さん:2020/03/14(土) 19:39:14 .net
>>365
新羅と百済は別の国同士だから南北国時代というべきだな。

391 :日本@名無史さん:2020/03/14(土) 20:34:36.68 .net
あくまでも個人的推測で根拠も何にもないけど
長慶と後亀山が方針を巡って対立してた可能性が有るように
惟成と泰成も実は後亀山の意向について対立してた可能性が有るのでは
東宮は惟成か泰成かではなく惟成も泰成もなっていたんじゃないかとか

392 :日本@名無史さん:2020/03/14(土) 23:17:31.76 .net
>>386
光厳をちゃんと北朝一代と正式に認めているのが実は隠れたポイント
本当に後醍醐起源の南朝が絶対の正統ならばそれを中断させた形の光厳の即位は絶対に認められないはず
だから光厳の時点で南北朝分立は開始されているという解釈になる

393 :日本@名無史さん:2020/03/15(日) 15:50:30 .net
牧原が偉そうに一言↓

394 :日本@名無史さん:2020/03/16(月) 20:42:48 .net
後醍醐は亀山の子ではないのかという説もあるとか

395 :日本@名無史さん:2020/03/16(月) 21:45:31 .net
泰成親王と言えば中田宮なる存在自体してたのか怪しい宮の開祖なる話も有った
ttp://nihonrekishiken.com/nakatakensin.htm
これとかだけど初代の泰成親王の経歴からしておかしさ満載
ttp://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/nakada/nakada2.html
こっちの人の言う通り創作だろうって言うのが実際の見方だろうな

396 :日本@名無史さん:2020/03/17(火) 13:32:30 .net
後南朝の資料が少ないのは公家が日記とか残してなかったの?摂関家は何やってんのよ

397 :日本@名無史さん:2020/03/17(火) 18:16:56 .net
公家にとって後南朝は単なる反乱軍で賊徒だから記録する意義が薄かった
反乱があったことの記録としては意味があるが、首魁の血統を書き記す意味があると考える貴族がいなかった

398 :日本@名無史さん:2020/03/17(火) 20:31:22 .net
それを良い事に南朝正統論者の大方も合体後の後南朝はほとんど無視

399 :日本@名無史さん:2020/03/17(火) 22:10:35.01 .net
そりゃあ、後南朝は何の正統性もない反逆者だからな。

400 :日本@名無史さん:2020/03/17(火) 23:13:10 .net
北朝の公家たちにとっては後南朝どころか南朝も反乱軍であって賊軍だったのにな

401 :日本@名無史さん:2020/03/18(水) 00:20:28 .net
南朝はまだ、皇位の印になる三種の神器をもっていた。
後南朝はそれもなかった(一時は璽を奪ったが)から、一緒に語るのはナンセンス。北朝、特に後光厳、後円融は口には出さなかったが本人も公家も自らの正統性に疑問符持っていたからな。

402 :日本@名無史さん:2020/03/18(水) 07:19:06 .net
鎌倉幕府も元々は伏見の方をかなり警戒していて
後宇多とはむしろ協調路線だったみたいで

403 :日本@名無史さん:2020/03/18(水) 07:21:43 .net
>>396
南朝側の公家も日記書いてた可能性あるけど
どさくさと子孫断絶で散逸してそう

404 :日本@名無史さん:2020/03/18(水) 07:59:37 .net
南朝には公家がいたけど後南朝には公家はいなかっただろ?

405 :日本@名無史さん:2020/03/18(水) 13:41:10 .net
>>403
へー。持明院統が鎌倉幕府とは蜜月とばかりに思ってた。逆に大覚寺統は幕府とは疎遠なイメージ。治天によって対応が違ったのかな?

406 :日本@名無史さん:2020/03/18(水) 19:06:50 .net
>>405
伏見とその懐刀の京極為兼は朝廷権威を上げようとしていて独自行動取ってたから鎌倉側からは五月蝿がられてた
対照的に後宇多は浅原事件もあってか比較的大人しくしてた

407 :日本@名無史さん:2020/03/18(水) 19:16:49.01 .net
阿野廉子の阿野家も南朝では重鎮だったが、合一後はちゃっかり北朝に移って後南朝はスルー
そして公家として室町から江戸時代まで残り、明治には子爵として華族に

もともと源義経の同母兄・阿野全成の娘の子孫という異色さも含めて、なかなか面白い

408 :日本@名無史さん:2020/03/18(水) 19:27:35 .net
まぁそれ言うなら北朝に対して強硬的だった長慶もその家を継いだ末子の玉川宮は一転して幕府に従順で順応もしてたし
それこそ北朝の他の皇族と一緒に交流までしてたくらいだから…

409 :日本@名無史さん:2020/03/18(水) 23:27:10 .net
後深草は幕府と円満だったのにな。息子の伏見は天皇になり久明は将軍になった

410 :日本@名無史さん:2020/03/19(木) 14:40:25 .net
伏見の最大の謀略は亀山に同調して恒明の擁立に同意していたこと
これによって大覚寺統の分断と亀裂はより大きくなる

411 :日本@名無史さん:2020/03/19(木) 15:14:36 .net
どうみても亀山の説得に折れただけやん

412 :日本@名無史さん:2020/03/19(木) 15:16:22 .net
そもそも、朝幕間の連絡を独占して大きな権力を持っていた西園寺が先に亀山に同調してる時点でな

413 :日本@名無史さん:2020/03/19(木) 21:47:39 .net
後醍醐の即位後の当面の敵は邦良と幕府

414 :日本@名無史さん:2020/03/19(木) 22:13:03 .net
幕府は幕府でいっぱいあったんだね

要するにそれぞれ独立して兵団を整えていた

415 :日本@名無史さん:2020/03/19(木) 22:14:13 .net
足利幕府、山名幕府、斯波幕府、古賀幕府

416 :日本@名無史さん:2020/03/19(木) 22:15:40 .net
説得して足利幕府に参内させるか対抗馬となる守護やら送り込むしか手はなかったの

離反したらそのまんま

417 :日本@名無史さん:2020/03/19(木) 22:18:36 .net
足利が京都で弱体化したら山名と細川って二大勢力に分かれて京都で合戦やった

これが応仁の乱

もともと足利に従っていたわけではない連中らだからの

418 :日本@名無史さん:2020/03/19(木) 22:21:20 .net
幕府自体が分裂していたから南朝と蹴りがつこうが終わりはこない

北畠も楠木も最後は北朝に寝返っている

419 :日本@名無史さん:2020/03/19(木) 22:22:25 .net
話全然違うけど、東北地方には未だに長州に恨みを抱いている人もいるようだけど、
そういう人たちって東武皇帝こそ正統!現・明治朝は長州の傀儡!って言わんのだろうか。

420 :日本@名無史さん:2020/03/19(木) 22:24:59 .net
山名なんざ丹波に軍勢を集めて京都を占領し足利将軍が一時逃げていたときもあった

そのあと義満の時代になんとかの事件で瓦解に追い込んだろ

それからだよ、従ったのは

421 :日本@名無史さん:2020/03/19(木) 22:25:38 .net
419
長州だろ

ザコすぎてな

422 :日本@名無史さん:2020/03/19(木) 22:31:21 .net
まあ応仁の大乱でそれを境にそれぞれの配下の武将らが守護を離れて独立の動きにでるんだけどね

室町幕府自体がすべてを支配しきれなかったのが原因だよ

423 :日本@名無史さん:2020/03/19(木) 22:34:20 .net
それぞれが源氏正統の家柄だからね

つよりほとんど祖先神義家を先祖とする将軍となれる家系ばっか

424 :日本@名無史さん:2020/03/19(木) 22:42:20 .net
足利時代で安定していた時期は義満ー義持ー義教の三代だけだろ

周りから攻められ将軍が京都を不在となって奪回するために逃げて味方を率いて奪還しただのって事件はいくらでもおきた

だいたいこれが200年続いた

425 :日本@名無史さん:2020/03/19(木) 22:45:02 .net
同族だろ〜がそいつらを滅ぼすために違うやつらを立てなきゃならない場合も当然あった

南朝正統だから従わなきゃならないだのどんだけ勉強不足なんおまえら?(°▽°)

426 :日本@名無史さん:2020/03/19(木) 22:46:28 .net
将軍さえも暗殺された時代なのに、よくボンクラの義政は殺されず人生を全うできたなあ。

427 :日本@名無史さん:2020/03/19(木) 22:49:09 .net
だいたいほとんどこれらは清和源氏の同族の子孫ら同士の間で行われた戦争やぞ(╹◡╹)

南朝勢力もあったが幕府が分裂していなきゃとっくに肩がついとるわ

だいたい尊氏が離反してから十年で南朝方の武将らほとんど討死

428 :日本@名無史さん:2020/03/19(木) 22:55:40 .net
足利将軍なんざ鎌足幕府の将軍や江戸幕府の将軍らとくらべもっともタフな将軍らだったって言われてるだ

京都にいられない時代やら京都奪還戦で戦い抜いた希な時代の将軍ら

429 :日本@名無史さん:2020/03/20(金) 00:03:54.72 .net
徳川氏が将軍となったときの源氏家系図を差し出した保証人が吉良氏やろ

徳川氏自体は祖先の松平氏が加茂朝臣名乗っていた時期もあっただ

美濃に加茂氏がいたからその氏子だったらしいんだが

430 :日本@名無史さん:2020/03/20(金) 01:17:50 .net
以上、ガイジの独語でした

431 :日本@名無史さん:2020/03/20(金) 15:13:34 .net
>>383
名前は本名なのかな?w

432 :日本@名無史さん:2020/03/21(土) 07:43:00 .net
お前ら吉野に行ったことあるか?
俺はない
いっぺん吉野に行ってみたら何か知見が広がるかもしれん

笠置はある 山の中だった 仏教の修行にぴったりの場所という感じ。
天下人が号令をかけるような場所ではない
逃げ込む場所だな

433 :日本@名無史さん:2020/03/21(土) 22:27:41.27 .net
吉野って、一応大和国に入ってるとは言え、あんな地図を見るに山だらけなところ
「畿内の一部」って認識当時の人にあったの?
一時期「芳野監」なるものが設置されたことがあるようだけど
大和国とは別に特別に管理しなければ、ってよりも
あんなところ大和でもなんでもねえよって理由があったんではないかと思うんだけど。
今の三重県南部まで紀伊の国なら吉野も紀伊でいい気がするんだけど。

434 :日本@名無史さん:2020/03/22(日) 22:26:21 .net
>>433
律令時代の初期には、郡司は少し特殊な役人だった
他の役人と違って地元郡司の家に産まれた者を優先で任命する上、任期なしの生涯在任で、その仕事にたいして朝廷の干渉が難しかった
そのため、特に重要な郡に限っては国司を直接に現地に赴任させるため、小さくても分割して国をおいた
大和国南部は朝廷が干渉しにくい場所もなかったので辺鄙でも分割してなかったのだろう

435 :日本@名無史さん:2020/03/26(木) 14:41:11 .net
賀名生をNHKで見たことがあるな。
今にも熊が出てきそうな山奥で泣いた…

436 :日本@名無史さん:2020/04/18(土) 18:11:13.36 .net
俺から見ると三国志のキャラとかぶる

足利尊氏→劉備
足利直義→孔明
高師直→ホウ統
佐々木道誉→関羽
土岐頼遠→張飛
赤松則祐→趙雲

後醍醐→曹操

437 :日本@名無史さん:2020/04/20(月) 06:56:43 .net
南北朝の頃から急に「○○宮」なるものが出現するんだが、北朝・南朝とも同時に出現してるんだな

438 :437:2020/04/20(月) 07:22:01 .net
○○王
|
○○王
  |
○○王
  |

その後、貴族・武家・侍ですらなく、ド庶民の地位にまで転落して歴史の彼方に消え去る・・・という感じだが

○○宮

・・・・と名乗った途端、何世を経ても皇族扱いで永続的に続きそうな感じになる

439 :日本@名無史さん:2020/04/20(月) 22:26:18 .net
そういや有栖川宮詐欺事件ってあったな

440 :日本@名無史さん:2020/04/29(水) 06:33:19 .net
麻呂

441 :日本@名無史さん:2020/05/06(水) 09:42:50 .net
奈良・平安時代と比べて、皇族の数が減少したからだろう。
かつては皇族が多かったので、諸王は次々に臣籍降下させられた。
だが、南北朝期は世襲宮家として皇位のスペアとして存続した。
南朝においても、熊野宮や十津川宮がある。

442 :日本@名無史さん:2020/05/07(木) 11:14:39 .net
白河が法親王制度作ったのも大きそう

443 :日本@名無史さん:2020/05/07(木) 14:06:11 .net
今の天皇家は北朝なのに
未だに南朝を正当と考えてる風潮がおかしい
なんか矛盾しすぎ

444 :日本@名無史さん:2020/05/07(木) 16:32:30 .net
「太平記」の影響がそれだけ強かったということだね
児童用の教材としても使用されたし、講談など芸能の題材にもなった
太平記のエピソードが日本人の基礎教養になった
だから、今でも日本人の意識の基底に、後醍醐天皇や南朝の功臣たちを英雄視する
価値観が受け継がれている

445 :日本@名無史さん:2020/05/08(金) 07:53:52 .net
太平記じゃなくて水戸学の影響だろ

446 :日本@名無史さん:2020/05/08(金) 18:35:31 .net
太平記や神皇正統記は後醍醐に否定的だね

447 :日本@名無史さん:2020/05/08(金) 19:06:00.77 .net
後醍醐の皇位に否定的なんではなくて言動、政策に否定的なだけだけどな

でも、光厳の登極・在位を否定したことも後醍醐の政策の一部だよな、んでもって、後醍醐に対する否定派の方が最終的に勝ったんだから、その否定とかも否定されてるべきだよなあ。つまり光厳も正式に登極してて後醍醐は重祚してるべき

448 :日本@名無史さん:2020/05/09(土) 12:11:47.81 .net
だからそう言ってるじゃんw

後醍醐は重祚だけは認めないぞ
俺は退位してない、光厳に渡した三種の神器は偽物、隠岐に長期間動座してただけ
この主張だけは一貫してる、頑として譲らない

449 :日本@名無史さん:2020/05/09(土) 20:20:59.76 .net
>>443
血筋じゃなく継承のしかたを問題としてるんだろ
おかしいとは思わないが

450 :日本@名無史さん:2020/05/09(土) 20:28:18.95 .net
後醍醐廃位と光厳即位のとこは手続き面で問題ないのになかったことにされてるぞ

451 :日本@名無史さん:2020/05/09(土) 20:59:02 .net
三種の神器の宝剣は燃えたよね?
それもニ剣

452 :日本@名無史さん:2020/05/09(土) 21:11:23 .net
焼けたのは鏡じゃなかったか?
剣は壇ノ浦に沈んだだろ

453 :日本@名無史さん:2020/05/09(土) 21:24:06 .net
鏡は炎から飛び出した
安倍晴明が宝剣を作ったハズ
間違いなら勘弁して

454 :日本@名無史さん:2020/05/10(日) 00:05:37.34 .net
南朝が正統だけど今の天皇は北朝の血統で続いている。
これでどちらの面子も一応は保たれてる

455 :日本@名無史さん:2020/05/10(日) 00:37:48.77 .net
子孫のいない南朝のメンツをたてる意味がわからない

456 :日本@名無史さん:2020/05/10(日) 09:25:04 .net
後醍醐の怨霊を鎮めるためじゃない?

457 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 15:21:37 .net
皇室や公家など当事者は当然、北朝を正統と考えていた。
自分自身が北朝の子孫であり、北朝に仕えてきた公家の子孫だから
南朝を正統と考えるのは、朝廷とは無関係の身分で、「太平記」を読んで、イデオロギー的に
正統論を考えていた人たちだ

458 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 16:10:13 .net
水戸w
まさか幕末の倒幕運動に水戸学が利用されるなんて皮肉すぎるだろwww

459 :日本@名無史さん:2020/05/14(木) 20:23:27 .net
後醍醐だけ過激的で
ほかの皇族は別に執権北条の政治でもよかったんじゃないの?

460 :日本@名無史さん:2020/05/14(木) 23:24:13 .net
後醍醐を即位させるにあたって後宇多が幕府や持明院統有力者たちなど諸方面に、
後醍醐退位時に入れ替りで立てられる皇太子として後醍醐の実子ではなく甥にあたる邦良親王(または、早世した場合はその子)を
立てるよう約束を取り付けていたので、後醍醐にとっては幕府を倒さないと自分の子孫が皇統から外されてしまうことが確約されていた
それが後醍醐の強硬路線の最大の理由ではないかと考えられている

461 :日本@名無史さん:2020/05/15(金) 15:31:44 .net
>>460
皇族からは後醍醐は過激的で危険視されてたから
息子は天皇後継から外されたんじゃ

462 :日本@名無史さん:2020/05/16(土) 00:36:04 .net
上に後宇多が全て決めたって書いてある

463 :日本@名無史さん:2020/05/16(土) 15:16:05 .net
後宇多が後醍醐に期待したのは邦良親王が無事に育つまでの中継ぎとしてだけだから
持明院統の後伏見に未だ子がいないから擁立された花園とそこは変わらない

464 :日本@名無史さん:2020/05/16(土) 17:42:46 .net
>>443
後亀山天皇から12等親の親戚である後小松天皇に譲位しただけでしょ

465 :日本@名無史さん:2020/05/17(日) 00:44:52 .net
親等だろw

466 :日本@名無史さん:2020/05/17(日) 02:18:13 .net
>>464
後小松のほうは後亀山は元々偽帝であって自分の皇位は後亀山ではなく北朝側から継承したと考えていたけどな

467 :日本@名無史さん:2020/05/17(日) 06:36:53 .net
後小松的には既に勢力的に衰えた南朝の後亀山よりも
正統性のある崇光院皇統の方が脅威だった

468 :日本@名無史さん:2020/05/17(日) 16:46:36 .net
いや、ちがう

北朝凪いでの争いは基本的に皇太子の座、次期天皇の座をめぐる争いしか起きなくて、
現役の天皇の廃立まで行うことはない
対するに、南朝、後南朝の軍勢が入京すれば即座に北朝天皇の廃立が行われるので、
確率は低くとも脅威の度合いは高かったから、蜂起する度に逆賊として優先的に討伐させようとした

469 :日本@名無史さん:2020/05/17(日) 20:45:33 .net
北朝も崇光流と後光厳流で争ってたな
南北朝合一もこれが影響してたかな?

470 :日本@名無史さん:2020/05/17(日) 20:59:58 .net
合一の際には北朝の意見は全く聞かないで義満の独断で条件を決めてるしな
後小松としては、合一の交渉自体が寝耳に水だったのではないか

471 :日本@名無史さん:2020/05/18(月) 23:13:14 .net
さすがは公武に君臨した絶対権力の室町殿

472 :日本@名無史さん:2020/05/19(火) 07:41:54 .net
んで、ちゃんと北朝がわと打ち合わせてなかったから、後小松はじめ朝廷がわの反対が強くて
合一の際の条件の大半は実行できなかったんだよ
義満としては最大限に条件を守ろうとしてた様子はあるけど、ほとんど全部を反古にする結果になった

473 :日本@名無史さん:2020/05/19(火) 18:05:16 .net
なんか、どの時代のどの時点でも

・○○流
・○○派
・○○統
・○○家

・・・・って発生するな

皇位継承権のない皇族を寺院に送り込むのは正解だな

それをせず長男に○○領を与えて、次男に○○領を与える・・・・なんてことをしたら高確率で

・○○流
・○○派
・○○統
・○○家

・・・・が発生するな

474 :日本@名無史さん:2020/05/19(火) 21:11:17 .net
そこは親の煩悩なんだよ
おまえも子どもがいるならわかるだろ

475 :日本@名無史さん:2020/05/21(木) 12:47:36 .net
皇統に関することで南北朝につながるとは
執権北条の対応が失敗したということか

476 :日本@名無史さん:2020/05/21(木) 20:56:13 .net
後醍醐までは上手く調整できてたと思う
後醍醐への処遇が甘かったことは否めない
尊氏の後醍醐への対応も同様に甘い

477 :日本@名無史さん:2020/05/24(日) 15:11:06 .net
後醍醐に甘いといえば甘いけど
天皇家に対しての対応はあんなもんかなと思った
脱走させないように鎌倉で監視下に置けばよかったのに

478 :日本@名無史さん:2020/05/24(日) 21:05:23 .net
あかん、直義が新院を害し奉るわw

479 :日本@名無史さん:2020/05/26(火) 21:58:30 .net
>>448
偽物の神器を渡したのは光厳天皇じゃなく光明天皇だったんじゃねえ?
光厳天皇本物の神器を継承して即位式も大嘗祭もやっているから本来は皇統に加えるべきなんだが、後醍醐が戻ってきて神器を光厳から没収、自分は譲位してないが特別に光厳には太上天皇号を与えたはず。

480 :日本@名無史さん:2020/05/27(水) 23:00:45.85 .net
まずは治天の君にお返ししないとね

481 :日本@名無史さん:2020/05/28(木) 08:10:23 .net
後醍醐は建武頃は持明院統にはそこまで厳しくないけど後二条嫡流には容赦ないよな

482 :日本@名無史さん:2020/05/29(金) 13:22:11 .net
複雑で分かりにくい
分裂から統一まで再現ドラマにして欲しい

483 :日本@名無史さん:2020/05/29(金) 14:13:38 .net
尊氏は後醍醐を崇拝してたので戦う気はなかったが
直義が敗走してきたので対決を覚悟して北朝を担ぐ
が、直義が義理の息子直冬攻めに激怒し南朝に降伏
もともと南朝に惹かれていた尊氏も南朝と和睦 正平一統
が、南朝が約束を破り京都攻めして尊氏と決裂

尊氏は度量もあるし義もある人だから約束は守るタイプだと思う
結局、南朝が最後に京都攻めしなければ南朝の天下だった可能性もあったのに

484 :日本@名無史さん:2020/05/30(土) 23:53:37 .net
最後の詰めが甘かったのな北畠親房は

485 :日本@名無史さん:2020/06/01(月) 19:44:13 .net
楠木正行が高師直との戦い前に
3千ぐらいしかいないから籠城したかったが
北畠親房が出撃命令を出して正行戦死
親房って妙な面のある人だね

486 :日本@名無史さん:2020/06/03(水) 00:03:07.42 .net
息子顕家を失っての八つ当たりだろ

487 :日本@名無史さん:2020/06/03(水) 04:45:02.79 .net
せっかく「世襲宮家」「永世皇族」というシステムを発明したのに、後醍醐は戦乱なんか起こさんほうがよかったんや。
ゴリ押しして、自分の子孫を「万世に渡って親王位が確約されている世襲宮家」くらいにしとけばよかったんや。

戦乱を起こした結果、大覚寺統の皇族は全員不幸になって、しかも子孫は絶えた。
持明院統の皇族も戦乱に巻き込まれて苦しんだ。

朝廷は権力を失ったし公家社会も無茶苦茶になった

アホなことしよったなあ

488 :日本@名無史さん:2020/06/03(水) 21:53:25 .net
鎌倉幕府が徳政やってりゃ後醍醐なんかが台頭することはなかった

489 :日本@名無史さん:2020/06/03(水) 22:27:09.82 .net
>>485
太平記にそんな描写あったかね
四条隆資なら出てるけど

490 :日本@名無史さん:2020/06/04(木) 13:05:44 .net
後醍醐天皇がもっと自重していれば大覚寺統は伏見宮家のような世襲宮家になっていたかも知れないな
そのまま近代まで続いていれば、「旧宮家」のひとつになっていた

491 :日本@名無史さん:2020/06/04(木) 13:29:39 .net
恥ずかしい妄想

492 :日本@名無史さん:2020/06/04(木) 15:10:36 .net
>>490
実際に天皇を出す世襲宮家になっていただろうな
紀州・水戸徳川家みたいに

493 :日本@名無史さん:2020/06/04(木) 15:16:58 .net
>>487
後醍醐の挙兵がなかったら世襲宮家は成立しなかったと思うけどな

494 :日本@名無史さん:2020/06/05(金) 09:02:18 .net
大覚寺統の世襲宮家ができていたら、現代でも両統迭立が実現したのかも知れないな

495 :日本@名無史さん:2020/06/05(金) 19:53:41 .net
そういや現代こそ両統迭立が望ましいな
断絶する恐れはないし

496 :日本@名無史さん:2020/06/05(金) 19:55:21 .net
>>495
もう遅いので明治天皇の子孫を宮として受け入れるべきかと

497 :日本@名無史さん:2020/06/05(金) 21:48:36.78 .net
竹田は君主の徳がない
「僕ちんは偉いんだぞ!」と恥ずかしげもなく自画自賛するただのネトウヨ

498 :日本@名無史さん:2020/06/05(金) 22:43:31 .net
現代ネタバカ

499 :487:2020/06/06(土) 07:04:59 .net
自分の子孫が天皇になれなければ、後は滅ぶか地方に降って殺人鬼(武家)になるしかないというのがなあ・・・・
ここに手を付けられなかったのかと思う


朝廷の構成員

皇室
天皇
皇太子親王
僧僧僧僧僧僧僧僧僧僧僧僧僧僧僧僧僧僧僧僧僧僧僧僧僧

諸臣
藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原
源藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原
源藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原
源藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原
源平清原中原菅原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原藤原

藤原道長の女系子孫である村上源氏

500 :日本@名無史さん:2020/06/06(土) 08:20:30 .net
>>495
明治天皇の男系の子孫は、現在の皇族しかいないんだけど?旧宮家の連中は、男系に限れば南北朝時代までさかのぼることになり、もはや他人みたいな存在。

501 :日本@名無史さん:2020/06/06(土) 17:12:53 .net
 伏見宮系の旧皇族は、全員が女系でも1732年に亡くなった霊元天皇の子孫にはあたる。東久邇宮は昭和天皇の女系子孫。竹田宮、朝香宮、北白川宮は明治天皇の女系子孫。
 また、香淳皇后(昭和天皇皇后)が久邇宮出身なので、明仁上皇とその子孫、そして常陸宮は、伏見宮&久邇宮家の女系子孫であり、そこから数えると旧伏見宮系は全員近い親族。
 更に、現在の全皇族の共通の先祖である貞明皇后(大正天皇皇后)は、摂家九条家の出身だけれど、九条家の(貞明皇后の兄の)血筋を山階宮や賀陽宮を継いでいて親族にあたる。

502 :日本@名無史さん:2020/06/06(土) 18:15:23.16 .net
女系で良いなら愛子内親王でいいじゃないか?となるやろ。

503 :日本@名無史さん:2020/06/06(土) 20:54:06 .net
確かにな。竹田て女系なん?

504 :日本@名無史さん:2020/06/06(土) 21:25:54 .net
愛子内親王は男系女子
女系への移行は愛子内親王の子供から

上で例示されてる旧宮家は男系男子で女系でもある

505 :日本@名無史さん:2020/06/06(土) 21:46:00.76 .net
いや、男系で南北朝時代までさかのばなければ、天皇に辿り着かないなら、もはや赤の他人やろ。それなら、愛子内親王が天皇に即位し、その子孫が皇位を継承する方が健全。

506 :日本@名無史さん:2020/06/06(土) 21:55:09.54 .net
竹田は女系天皇は認めないくせに、女系筋になる明治天皇の玄孫と自己紹介する奴。男系て言うならまだ江戸時代の皇別摂家の子孫の方が天皇に近い血筋。

507 :日本@名無史さん:2020/06/06(土) 22:18:10.48 .net
つか悠仁さま忘れんなやw

508 :日本@名無史さん:2020/06/07(日) 00:11:11 .net
秋篠宮に皇位が移るより愛子内親王が皇位継承する方が良いと思っている国民が多数やろ。

509 :日本@名無史さん:2020/06/07(日) 09:47:56 .net
愛子さんが天皇になってもいいけど、その後が問題よな
女系の子孫はダメだし、悠仁さんの子どもがいればいいけど

510 :日本@名無史さん:2020/06/07(日) 13:41:51 .net
スレタイ読めないバカの熱弁

511 :日本@名無史さん:2020/06/07(日) 17:16:05 .net
今ちょうど大河ドラマ太平記の再放送でやってるな

512 :日本@名無史さん:2020/06/08(月) 08:28:47 .net
もし南朝の宮家が近代まで存続していたら、「南朝が正統」と考える人たちは、南朝宮家への
皇位返還を主張して、政治問題化していた可能性がある。
そこで、北朝系の現皇室は南朝宮家との通婚を進めて、南北朝融和を図っただろう。
「男系では北朝の子孫だが、女系では後醍醐天皇の子孫」という皇族が多く出現した。

513 :日本@名無史さん:2020/06/14(日) 22:28:29 .net
女系では南朝の宮も納得しないだろう

514 :日本@名無史さん:2020/06/23(火) 07:29:09 .net
>>473
戦国時代なんかは即位式などの財源すらなくて
なかなか代替わりもできなかったようだし
そういう状況だと力を持った傍系が増えていくどころじゃない

他との勢力バランスや
分派勢力を維持できるかなどにもよるだろう
摂家5家の分立とか

515 :日本@名無史さん:2020/06/23(火) 12:35:55 .net
>>473
それをやっちゃったのが後嵯峨天皇なのではないかな
んで持明院統と大覚寺統ができた
領地を分けて持たせてなかったら、最初に負けた時点で逆転不可能なのに。

516 :日本@名無史さん:2020/06/25(木) 14:46:11.70 .net
後嵯峨は後継者こそ明言してなかったけど、幕府の忖度で亀山を後継にしてほしかった、と思うんだ

やはり政治利用した西園寺と時宗が悪いことになるのかな?

517 :日本@名無史さん:2020/06/28(日) 17:29:00.90 .net
天皇が同時に2人いれば関白や左大臣も2人いてもいいはず

518 :日本@名無史さん:2020/06/29(月) 10:17:16 .net
いたでしょ。五摂家も南北朝に分裂した

519 :日本@名無史さん:2020/06/29(月) 15:20:59.88 .net
南朝は、後醍醐天皇が親政をしたから後村上や長慶、後亀山はそれにならって、関白は置かなかったのでは?

520 :日本@名無史さん:2020/06/29(月) 19:41:15 .net
五摂家の分裂は鎌倉時代で、南北朝より前だよな
両統迭立が始まったあたりで五摂家成立後だっけ? まだ3つぐらいだっけ?

521 :日本@名無史さん:2020/06/29(月) 20:15:06 .net
南朝公卿補任は資料としてダメか?

522 :日本@名無史さん:2020/06/29(月) 21:40:04 .net
>>518
五摂家の一部で分裂して南朝がわについた人間がいたのは事実だが、
合一後は一人を除いて下野させられたよな
官界、貴族社会に残れた唯一の者も分家の養子に入れられて零落してるし。

523 :日本@名無史さん:2020/06/30(火) 16:34:17.08 .net
>>520
五摂家成立は平安時代末期
南北朝時代には五摂家筆頭の近衛家なども分裂して
北朝でも南朝でも関白として近衛がいる事態に

524 :日本@名無史さん:2020/06/30(火) 20:10:49 .net
摂関家から五摂家への最初の分裂そのものはたしかに平安時代だけど、平安時代末の時点ではまだ、近衛家以外は摂家になれず再統一される可能性があった
五摂家の2番手(成立順)である九条家が摂家となったのは鎌倉幕府の成立が契機(幕府との最初のパイプ役だった九条兼実が摂関家の惣領たる「内覧」になったのが頼朝からの要求なんだから、
幕府が成立してなければ九条家が摂家となる可能性は低かった

他の三家、鷹司・二条・一条とも鎌倉時代半ばになってから最初の摂関を輩出している


どう考えても五摂家の成立は鎌倉時代。平安時代の時点では五摂家ではなく摂関家だ

525 :日本@名無史さん:2020/07/01(水) 01:06:58.86 .net
長慶は院政をやった痕跡があるな

526 :日本@名無史さん:2020/07/05(日) 15:11:06 .net
院宣を数通出した程度で院政と呼べるかどうかね

527 :日本@名無史さん:2020/07/06(月) 02:51:28.80 .net
天皇が同時に2人おったら、さらに3人目 4人目・・・がおってもよさそうだが、そうはならなかったな

528 :日本@名無史さん:2020/07/06(月) 03:26:57.43 .net
教皇だと3人目の対立教皇がいたときもあるようだけど

日本だと上皇が同時に何人もいたとして
実験は天皇になく上皇にあったときても
やっぱ天皇という権威は特別なんだろうね

529 :日本@名無史さん:2020/07/06(月) 14:37:21.18 .net
こういわれると三種の神器じゃね?

530 :日本@名無史さん:2020/07/09(木) 09:28:27 .net
南朝でさえかなりの弱小勢力だったからね
仮に3人の天皇がいたとしても、泡沫的な存在になってしまう
南朝の傍流で美作後南朝がいたらしいが、大名の食客のような存在に過ぎなかった

531 :日本@名無史さん:2020/07/10(金) 16:19:11.96 .net
じゃあやっぱり京に滞在してるってのは結構なアドバンテージだったのかもね

532 :日本@名無史さん:2020/07/11(土) 07:34:25 .net
天皇であるためには、現役の皇族として皇統に連なることはもちろん大切だが、一定の家格のある
公家たちに支えられ、実態を備えた行政機構が存在することも重要になる
発給する文書や制定した年号が実効性を持つことも、天皇としての要件になる
その点で南朝の末期や美作後南朝の天皇は、実態を失いつつあった

533 :日本@名無史さん:2020/07/11(土) 13:16:53 .net
天皇がいないと院の存在意義が無くなる

534 :日本@名無史さん:2020/07/14(火) 11:49:40 .net
あくまで天皇あっての院
院が天皇をコントロール下に置くのが院政の絶対条件

535 :日本@名無史さん:2020/07/14(火) 19:41:40 .net
>>506
明治天皇の玄孫って言ったほうがわかりやすいだけど
男系たどっても竹田宮家は北朝の崇光天皇の末裔だぞ。
奇しくもスレの趣旨と重なったな。

ちなみに「東武天皇」北白川宮能久親王の末裔でもある。

536 :日本@名無史さん:2020/07/14(火) 19:47:40 .net
それを知っているから、女系を認めないなら明治天皇の玄孫なんて名乗るなってことやろ。男系で室町時代まで遡らいと天皇にたどりつかないなら、もう赤の他人みたいなもん。

537 :日本@名無史さん:2020/07/16(木) 01:02:44 .net
皇親は4世までで、5世以下は皆一般人になったのに伏見宮だけ10世になっても20世になっても
皇親のままっておかしな話だなあ

538 :日本@名無史さん:2020/07/16(木) 22:50:12.14 .net
伏見宮家はスペア家で別格だから

539 :日本@名無史さん:2020/07/16(木) 23:28:08 .net
スペアっていうよりは本家筋だから特別待遇

540 :日本@名無史さん:2020/07/17(金) 03:13:03 .net
本家とかスペアとか別格とかそんなんどうにでもなるやん

徳川吉宗だって自分の子孫だけで宗家の継承権を独占したいから御三卿なんて作ったし

どこの組織でも同じだけど、声の大きいやつが「こうだ!」って決めたら結構それが続いてしまうな

541 :日本@名無史さん:2020/07/17(金) 11:34:14 .net
枝分かれしたのが遠い過去でも、皇族や貴族としての家格を直近まで保持していれば問題はない。
皇室であれ、徳川御三家であれ同じことだ。

542 :日本@名無史さん:2020/07/17(金) 12:21:34 .net
憲法で皇位は世襲と規定されているから、憲法制定時に皇族でない者は皇位継承できないよ。

543 :日本@名無史さん:2020/07/17(金) 14:26:13 .net
皇室典範さすがっす

544 :日本@名無史さん:2020/07/17(金) 15:06:41.94 .net
皇室典範は憲法じゃなく一般法だから、そっちのほうは憲法と違って弾力的な運用の余地があるだろ
問題は憲法のほうじゃね

545 :日本@名無史さん:2020/07/17(金) 21:36:48 .net
まあ、究極的にはすげー昔でも天皇に連なる男系男子ならおkってことでしょ?(明治以前ね

546 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 16:56:08 .net
現役皇族(内親王)と伏見宮家で成婚して、その間に生まれた男子なら、皇位継承に問題はない。
また、憲法は天皇についての規定はあるが、上皇についての規定はない。
それでも、譲位して上皇になることができたのだから、憲法はどうにでもなる。
憲法より皇室の祖法を順守することが重要。

547 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 18:13:16 .net
古くからの仕来たりとしては、臣籍降下したら皇位継承権がなくなるってのがあるから
民間人になってからもう一度、宮家に戻る、皇族に戻るのはできないはず
まあ例外で皇族復帰して天皇になった事例はあるけども。

548 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 18:27:26 .net
>>546
時代は変わったんだよ。

549 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 19:39:00.41 .net
>>542
「世襲」のターニングポイントが憲法制定時かどうかは憲法解釈次第じゃね?

550 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 20:33:19 .net
>>539
俺は別に必ずしも5代で区切るべきだとは言わないけど、
南朝が正当(って扱い)なのに北朝系の伏見宮が本家筋で特別待遇なの?

551 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 20:51:11 .net
少なくとも法律のなかには南朝正統説は存在しない
法律としては南朝と北朝のどちらが正統とも決めてないからな

552 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 21:01:27 .net
あれは明治天皇の個人的見解ってこと?

553 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 22:05:20 .net
天皇の見解じゃなく、新政府の見解。
あの時代の天皇は権限がなかったから拒否できなかった。
というか、あの決定は法律じゃないし。
政府としての決定が必ず法律としてのかたちをとる訳じゃないよ
政府決定はあった。

554 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 22:19:23 .net
いや、法律である皇室典範に基づいてある皇室の戸籍と言える皇統譜では南朝の天皇を正統と扱われているから、法的にも南朝が正統になる。

555 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 22:22:04 .net
皇統譜では北朝の天皇は別冊に北朝天皇として記載されていて、代数に加算されていないから。

556 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 22:36:18 .net
それ、法律じゃなくて政令や省令のカテゴリでしょ

557 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 22:39:26 .net
しかも、
>皇室令及附属法令廃止ノ件(昭和22年皇室令第12号)によって廃止されたが、
>現行の皇統譜令の第1条は、「この政令に定めるものの外、皇統譜に関しては、当分の間、なお従前の例による。」との経過規定を置き、
>皇統譜の詳細について旧皇統譜令の定めを準用する。

明確に規定することなく、暫定措置のまま放置されてるだけ

558 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 22:41:25 .net
>>556
皇室典範第26条

559 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 22:44:49 .net
わかってないなあ。皇室典範第26条に天皇皇后、皇族の身分に関することは皇統譜に記載すると規定されているから、皇統譜に記載されていることが法的に皇室の公式の記録になるんだよ。

560 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 22:46:02 .net
>第二十六條  天皇及び皇族の身分に関する事項は、これを皇統譜に登錄する。

譜の内容は法律として定められてはいない
条文からは、施行規則レベルのものが付帯してるだけとしか読み取れない

561 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 22:49:26 .net
法律から政令、政令から皇統譜になるから法的に有効になるのがわからないのかよ。

562 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 22:54:12 .net
だから、国会で審議されて法律として定められてる訳じゃないでしょ
宮内庁のなかだけでしか審議されてない
省令に該当するのか施行規則に該当するのかは知らないけど、法律ではない

563 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 22:54:14 .net
例えば、遺言状とか借用書とか私文書であっても民法などの法律に基づいつくられたならも「法的に有効」って言うだろ?

564 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 22:55:04 .net
>>562
お前本当に馬鹿だなあ。

565 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 22:57:35 .net
法律と法的を同意語と思っているなら黙った方が良いよ

566 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 22:57:38 .net
日本史板だ
わきまえろ

567 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 22:59:13 .net
逆ギレかよ

568 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 23:16:26 .net
北朝でも光厳天皇は三種の神器を継承し即位したのだから本来は正統に入るべきだと思うけど後光厳は三種の神器なし、治天の君の院宣もなしにだから天皇にするのは無理がある。

569 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 23:22:48 .net
光明天皇と崇光天皇はおそらく本物の三種の神器(南朝は北朝の神器は偽物と言っているがその後、観応の擾乱でその神器を回収しているので、おそらく本物の神器だと思われ)を継承して即位しているからグレーかな

570 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 23:52:55 .net
>>554
そういう理屈で熊澤天皇をはじめ一斉に南朝末裔が蜂起したんやな

実力があれば現皇室を倒して正式な天皇位に就くことも可能だった 実力さえあれば

571 :日本@名無史さん:2020/07/19(日) 02:02:54 .net
法律は制定以前には遡及されないそ
そこんところをよく考えよう

572 :日本@名無史さん:2020/07/19(日) 09:01:31.61 .net
>>570 >>554
大室寅之祐ってそんな実力あったの?

573 :日本@名無史さん:2020/07/19(日) 10:28:38.56 .net
熊沢〜?はホンモノなんだけどな(だった?)

もれ(仮)が言っているんだから、正解。

574 :日本@名無史さん:2020/07/19(日) 10:30:47.39 .net
テンノウの話だろう。

メディア、テレビなどで(報道)言われている人間は、
成り済まし、騙り。

575 :日本@名無史さん:2020/07/19(日) 12:47:41.50 .net
無知バカ自演中

576 :日本@名無史さん:2020/07/19(日) 17:26:54 .net
キモいスレだな

577 :日本@名無史さん:2020/07/19(日) 17:54:43 .net
そりゃあ、このテーマではアレな人が集まりやすいのも仕方ないことだしな
デムパの巣窟になりやすすぎるテーマ

578 :日本@名無史さん:2020/07/19(日) 18:45:26 .net
とか言ってキモいデムパの巣窟来て剰え書き込んじゃうやつ

579 :日本@名無史さん:2020/07/19(日) 21:26:56 .net
明治にばっちり決まってたら今までどちらが正統かで揉めてないよね?

580 :日本@名無史さん:2020/07/19(日) 21:40:59 .net
歴史なんてものは見直されるもの

581 :日本@名無史さん:2020/07/19(日) 22:45:14 .net
>>579
今ももめてないが?

582 :日本@名無史さん:2020/07/20(月) 00:15:52 .net
今でも南朝を正統とした場合の代数で「126代天皇」と言っているわけだから、
「南朝が正統、ただし、その後合一したので、今の皇統が正統」と考えているんだと思う。
一方、南朝の子孫はもう残っていないので、現皇族と伏見宮家で皇統をつなぐしかない。

583 :日本@名無史さん:2020/07/20(月) 01:10:47 .net
光厳はきちんと皇統に入れないといけない

584 :日本@名無史さん:2020/07/20(月) 01:25:12.65 .net
淳仁天皇も弘文天皇も仲恭天皇も明治天皇の裁定で加えられたからな。南朝を正統とした明治天皇の裁定を否定すると言うことは、これらの天皇も否定することになる。

585 :日本@名無史さん:2020/07/20(月) 20:19:38 .net
>>582
合一後に北朝に皇位が移ったと考えていいね

586 :日本@名無史さん:2020/07/20(月) 20:31:58.12 .net
北朝の貴族たちも幕府もみんな、正統は南朝で北朝は偽帝などとは思ってなくて、
南朝正統を信じてるのは南朝関係者と少数の支持者だけだったし、
南朝関係者も南朝所属の貴族も滅亡して子孫断絶してるのに、
南朝を完全に正統と見なしうる適切な理論ってなにさ
合一後の天皇も南朝のことを合一直後の当初から偽帝呼ばわりしてきたのに。

587 :日本@名無史さん:2020/07/20(月) 20:53:19.36 .net
今だと併記してどっちも正統で終わりなんだけど、明治の頃は一系でないと不都合だったのだろうか?

588 :日本@名無史さん:2020/07/20(月) 21:54:03 .net
そもそも倒幕を正当化する思想の出所が南朝正統論だから、
南朝を正統ということにしないと明治維新を正当化できなかったのではないかな
いまなら南朝北朝のどちらが正統でも明治維新を否定することには繋がらないけどさ

589 :日本@名無史さん:2020/07/21(火) 08:13:57 .net
皇室や貴族などの朝廷の当事者たちは、当然「北朝が正統」と考えていただろう。
自分たち自身が北朝や北朝側貴族の子孫なのだから。
「南朝が正統」というのは、朝廷とは関係のない民間人の思想だった。
民間人が「太平記」を読んだり、「太平記」をもとに作られた芸能に親しんでいるうちに、
新田義貞や大楠公を英雄視するようになり、南朝を正統と考えるようになった。
そのイデオロギーが明治維新の立場になった。

590 :日本@名無史さん:2020/07/21(火) 11:30:34 .net
光厳の子のうち
兄が崇光となり弟が父の名を継ぎ後光厳となったところが意味深い

591 :日本@名無史さん:2020/07/21(火) 12:09:58 .net
>>589
その南朝正統説が本格展開するのは江戸時代半ばごろからなんだよね
それまでは、南朝正統説は非主流派だった、特に室町時代後半は支持者がほぼいなかった

592 :日本@名無史さん:2020/07/21(火) 12:14:08 .net
>>590
光厳とか崇光とかの名前は基本的に死後の追贈なんだ
自分でつけた名前ではないし、親からつけられるのでもない
後醍醐天皇が遺言で(だったかな?)自分の天皇号を「後醍醐天皇」と決めていたことが特殊事例として、強調して特記されるぐらいに特殊。

593 :日本@名無史さん:2020/07/21(火) 12:19:30 .net
水戸学「おーい!」

594 :日本@名無史さん:2020/07/21(火) 12:34:25 .net
水戸学も初期段階では南朝正統説を採用してないじゃん
南朝正統説を採用したのは光國晩年ごろだろ?

光國晩年って将軍が五代綱吉になったあたりのこと、おおむね元禄期じゃなかったか。
それってもう、江戸時代半ばごろになるんじゃないか?
江戸時代の期間の4割近くが過ぎ去ってるわけだしさ

595 :日本@名無史さん:2020/07/21(火) 13:24:37 .net
南朝正統論が江戸時代半ばでようやく現れるのは、朱子学が浸透して、名分論に関する議論が
深まってきたからではないか?
「南朝、北朝、どっちが正統か」などという抽象的な議論は、名分論を戦わせる素地がないと、
誰も関心を持たないし、そもそも議論しようとさえ思わない。
林羅山など江戸初期の朱子学者は「神皇正統記」を読んで講評を加えたりしているが、
「どっちが正統」という議論まではまだ踏み込んでいないように見える。

596 :日本@名無史さん:2020/07/21(火) 15:07:59.23 .net
三国時代の正統を魏ではなく蜀と見なすようになったのも朱子学(の開祖である朱熹)だしな

朱子学の浸透によって実態を無視した空論へと傾倒するようになったのかもな

597 :日本@名無史さん:2020/07/21(火) 18:53:39 .net
楠公マニア、孔明マニアがつくり出した暴論

598 :日本@名無史さん:2020/07/21(火) 19:20:15 .net
楠木正行も美化できる
楠木正儀は父や兄が死んでいくのに疑問に感じ政略的に動いたと思う
本で読んだが昔から三国志で劉備が負けると子供たちはがっかりしたらしい
つまり昔から劉備の方を応援したくなるものがあったんだろう

599 :日本@名無史さん:2020/07/21(火) 20:25:05 .net
>>597
いや、朱熹が蜀を正統と言い出すまでは、人気は多少あるけど正統とは考えられてなかったのを、
辺境の蜀を自国・南宋の現状になぞらえて感情移入し正統と言い出したことで人気爆発させたんだろ

600 :日本@名無史さん:2020/07/21(火) 21:13:08 .net
皇統が分かれたキッカケになった後深草天皇ってなんであんなに両親に嫌われたんだ?異母兄弟ならともかく、亀山天皇とは母も同じなのに。なんで大宮院は自分が産んだ子なのに後深草を嫌ったんだろうか?

601 :日本@名無史さん:2020/07/21(火) 21:18:35 .net
ホントに嫌ってたら財産の半分も与えなかっただろ
財産を半分ずつ分けて相続したから両統迭立になったんだぞ

602 :日本@名無史さん:2020/07/21(火) 22:27:51 .net
長講堂領と八条院領ですな

603 :日本@名無史さん:2020/07/22(水) 00:53:34 .net
それらの荘園群て一元管理されてたのを2つに分けたのか?

元々管理系統が違うのでは?

604 :日本@名無史さん:2020/07/22(水) 01:37:11 .net
いくら管理系統が違うからといって、所領を分割するとヤバイことはホンの百数十年前に体験済みなのに。
保元の乱の再来、待ったなしだ。
それがわかってて領地を分けてるんだぞ

605 :日本@名無史さん:2020/07/22(水) 03:09:03.57 .net
>>602
推測でもいいからそれってどれくらいの収入が入ってきてたのかわからんのか?

あと、相対的に日本国内でどれくらいの割合を占めていたか

606 :日本@名無史さん:2020/07/22(水) 10:08:05 .net
およそ長講堂領は八条院領の三分の一とは聞くな。院領の全てを相続はしてないけど。室町院領の相続で両統かなり揉めてるし

607 :日本@名無史さん:2020/07/22(水) 12:17:35 .net
>>604
おいおい
保元のときは崇徳上皇には女院領の関係からは参戦してないだろ
そちらは摂関家領の関係武士しか招聘されてない
つまり、領地的に見れば皇室対摂関家だ

608 :日本@名無史さん:2020/07/22(水) 14:30:23 .net
八条院は高みの見物だったね

609 :日本@名無史さん:2020/07/22(水) 15:08:20 .net
まあ、崇徳も後白河も八条院にとっては切り捨てられない身内だったわけだし、
どちらにも味方できないまま流されたんだろうな

610 :日本@名無史さん:2020/07/22(水) 15:38:12 .net
しかし平家が外戚になると凄まじい反撃を開始したな八条院は。
以仁王も八条院の猶子だし、頼朝は伯母の上西門院付きだし。

611 :日本@名無史さん:2020/07/22(水) 16:28:30 .net
>>604
幕府の睨みがきいてるから、保元の乱みたいなのは起きないと踏んでたんじゃね後嵯峨は

612 :日本@名無史さん:2020/07/23(木) 12:00:32 .net
中公新書の「北朝の天皇」がなかなかの傑作

特にポイントは正平の一統以後の北朝内部での崇光流と後光厳流の分裂についてか

613 :日本@名無史さん:2020/07/23(木) 12:13:21 .net
その辺の時代を扱ってる本は少ないから、すばらしいな

614 :日本@名無史さん:2020/07/23(木) 12:26:47.76 .net
特に正統でないはずだが血統では現代につながる北朝の天皇は扱い難い素材でもあっただけに

615 :日本@名無史さん:2020/07/23(木) 13:32:17 .net
でも正統じゃないと言ってるのは江戸時代以後の人だけで、同時代には南朝正統説は少数派だけどな
南朝支持者のなかですらも、ごく一部だけ。

616 :日本@名無史さん:2020/07/23(木) 15:22:37 .net
葛野王「兄弟相続は日本の内乱になると言ったでしょうが!」

617 :日本@名無史さん:2020/07/23(木) 15:44:12.62 .net
義満におちょくられてるからな北朝

618 :日本@名無史さん:2020/07/23(木) 18:41:08 .net
>>612
検索をしたけど最近発売された本ですか?

619 :日本@名無史さん:2020/07/23(木) 19:56:41 .net
義満だけでなく、尊氏、直義、義詮に良いようにオモチャにされたのが北朝。

620 :日本@名無史さん:2020/07/23(木) 20:37:46 .net
正平の一統での御都合主義は凄かった

それでも結局生き延びたのは崇光流

621 :日本@名無史さん:2020/07/23(木) 21:03:55 .net
南朝の天皇に比べて、世の無情を悟った光厳天皇以外の北朝の天皇の小つぶ感が、、、

622 :日本@名無史さん:2020/07/23(木) 22:29:53.15 .net
その小粒に権威的に依存しなければならなかった足利将軍家

623 :日本@名無史さん:2020/07/23(木) 22:39:09 .net
君主のカリスマ性以外になにもないゆえにカリスマ性だけはそれなりの南朝と、
統治の実質を、システムを持っていて、カリスマ性がなくても国を保てる北朝の比較だからな
中身がなにもない南朝が滅亡せず存続するためには、それが必要だったのも当然さ
北朝は、そんな危うい代物に頼る必要がなかったから小粒なんだよ

大道やぶれて仁義ありっていうの、知らない?

624 :日本@名無史さん:2020/07/24(金) 07:48:39 .net
南朝のカリスマ性ってのも結局は後醍醐の余光みたいな物だからな
だから時間が経てばどんどん薄れる

あと北朝の強みは元々が兄系なだけでなく問題が起きても結果的に兄系に収斂される部分なんだよな

625 :日本@名無史さん:2020/07/24(金) 11:23:34 .net
北朝系の継承で一番の謎は直仁親王の立太子
正平の一統によって解消されたのが皮肉なわけだが

626 :日本@名無史さん:2020/07/24(金) 11:42:25 .net
その母親の正親町実子が彼の姉の嫁ぎ先である光厳院との間に設けたとなれば凄い話だが

627 :日本@名無史さん:2020/07/24(金) 12:18:00 .net
光厳院も持明院統を割ろうとしているねw

628 :日本@名無史さん:2020/07/24(金) 12:45:08 .net
正平の一統で一時的に北朝系が突き放されたのもその辺りに一因があったのかも
光厳院との関係が深かったのは尊氏よりも直義らしかったのも含めて

629 :日本@名無史さん:2020/07/24(金) 14:05:17 .net
室町時代の初期は、幕府の守護大名にも南朝に寝返る人も多かったし、赤松のように
南朝を尊崇している人もいた。後醍醐天皇や護良親王の権威は大きかった。
南朝側が室町幕府にもっと融和的に接していれば、南朝は京都に復帰し、南朝(大覚寺統)が
皇位を継承していった可能性がある。

630 :日本@名無史さん:2020/07/24(金) 14:09:31 .net
なんとしても親政の後醍醐天皇が譲歩しないから無理

631 :日本@名無史さん:2020/07/24(金) 14:54:41.15 .net
しかもあの御仁、終身天皇にこだわってる

632 :日本@名無史さん:2020/07/24(金) 15:51:14 .net
幕府の降伏を要求した後村上天皇の判断が最大のミスやな。

633 :日本@名無史さん:2020/07/24(金) 15:56:05 .net
>>630
正平の統一は後醍醐天皇の死後の話。
せっかく幕府が南朝に帰順したのに、後村上天皇がプライドと南朝の力を過信して幕府に降伏を要求したのが失敗。
あの時、後村上が幕府を受け入れていたら南朝がそのまま皇位を継承し北朝の皇族、公家は全員出家させられたと思う。

634 :日本@名無史さん:2020/07/24(金) 16:12:19 .net
まあ半端な妥協するくらいなら死んだ方がマシと考えるのは本人の勝手だが
あとは親房の腹だろうな

635 :日本@名無史さん:2020/07/24(金) 16:40:28 .net
後醍醐の遺言が幕府との妥協を許さなかったのは確かだが、
後村上より前の大覚寺統の歴々は遺言ガン無視が主流だったことと対照的だな

636 :日本@名無史さん:2020/07/24(金) 17:12:59 .net
やっぱ怨霊とかを気にしたんじゃないの
魂魄は北闕をうんたら〜とかいって亡くなったわけだしさ

637 :日本@名無史さん:2020/07/24(金) 18:09:57 .net
吉田定房が内大臣になったのを非難してたのに自分は準三后を受ける親房

638 :日本@名無史さん:2020/07/24(金) 18:13:28 .net
>>631
血統的に傍流の傍流である後醍醐は自流以外の家長権を握る事が出来ない
だからこそ皇位に居続ける必要があったとも言えるし自分も含めた歴代が親の意思に逆らい続けてきた事も影響したかも

639 :日本@名無史さん:2020/07/24(金) 18:31:41.22 .net
逆に経済的理由で譲位したくても出来なかったのが後土御門以降の戦国天皇

640 :日本@名無史さん:2020/07/24(金) 22:59:24 .net
後醍醐ってほんと変だよね、異次元

641 :日本@名無史さん:2020/07/25(土) 10:45:32 .net
その異次元の強烈な個性に後世まで影響されてるんだよな
まさに怨霊

642 :日本@名無史さん:2020/07/25(土) 13:09:01 .net
>>638
花園の品行方正が際立つな

643 :日本@名無史さん:2020/07/25(土) 16:50:40.37 .net
光明もあくまで嫡流のショートリリーフに徹してるし

644 :日本@名無史さん:2020/07/25(土) 17:01:41 .net
ショートリリーフとして抜擢された現状を変えようとしたという点だけで後醍醐は十分異質かも

645 :日本@名無史さん:2020/07/25(土) 18:01:18.89 .net
>>644
もともと異才と言われてるし

646 :日本@名無史さん:2020/07/25(土) 18:10:38.84 .net
正平の一統のごたごたでまず光明だけ返されたのは何も実権がないからか?

647 :日本@名無史さん:2020/07/25(土) 18:28:10 .net
後光厳天皇と揉めてくれたら戦いやすいとでも思ったからじゃないの?

648 :日本@名無史さん:2020/07/25(土) 18:45:38 .net
>>646
治天の君になりうる光厳上皇が健在だから治天の君になれない光明上皇を置いといても仕方がなかったからだろう。

649 :日本@名無史さん:2020/07/25(土) 20:35:22 .net
崇光と直仁も返さなかったのはなぜ?

650 :日本@名無史さん:2020/07/25(土) 21:28:16 .net
崇光は廃されたとは言え、拉致の時は北朝の今上天皇だっし直仁親王はその皇太子。幕府が裏切っていつまた、北朝を復活させるかわからないからな。実際、北朝復活させる時に幕府は天皇、皇太子がいなくて困って反則技で後光厳を立てた。

651 :日本@名無史さん:2020/07/25(土) 22:48:18 .net
南北朝って傍系による嫡系への逆襲か
「お前が持っているものを俺によこせ」という

傍系1後醍醐
傍系2源氏足利尊氏

652 :日本@名無史さん:2020/07/26(日) 09:15:10 .net
嫡系が健在か否かで意味も違うし

大覚寺統としては自分たちこそが両親公認の嫡系のつもりだったろうが血統的には不利な同母の弟系であるのも事実
だからこそ内部で更なる弟系が嫡流になろうとするのを規制しにくかったとも言える

653 :日本@名無史さん:2020/07/26(日) 10:56:32.82 .net
保元の乱みたいに武力決着すべきだった

654 :日本@名無史さん:2020/07/26(日) 13:40:51.26 .net
鎌倉幕府が睨んでいるから出来ない

それでも宮中乱入事件があったわけだが

655 :日本@名無史さん:2020/07/26(日) 17:07:22 .net
中公新書「北朝の天皇」買った
全部読んでないが、なかなかいい本だ

656 :日本@名無史さん:2020/07/26(日) 17:41:20 .net
>>655
最近出た本だよね?

657 :日本@名無史さん:2020/07/26(日) 22:17:24 .net
>>652
それに加えて幕府は持明院統寄りだしね

658 :日本@名無史さん:2020/07/27(月) 18:48:12 .net
>>656
そう 今月の新刊
新聞広告にも載ってた

659 :日本@名無史さん:2020/07/29(水) 13:22:03.44 .net
その新書、まだ目次だけしか見てないけど興味ある項目がズラリで嬉しい

660 :日本@名無史さん:2020/07/29(水) 22:43:30.22 .net
>>657
かといって図々しくすると大覚寺統を立てたりもしたみたいですね
後伏見の後に後二条を立てた事情にも触れてるのが凄い

661 :日本@名無史さん:2020/07/30(木) 01:49:03 .net
伏見が策を弄しすぎたかな

662 :日本@名無史さん:2020/07/31(金) 12:51:07.96 .net
おれおれ後醍醐が尊治のままだったのも不思議だな
〇仁にしようという意思はなかったのか
北朝崇光流ですら天皇になってないのに栄仁、治仁がいる

663 :日本@名無史さん:2020/07/31(金) 13:47:09.09 .net
農耕民族の中国皇帝、騎馬民族の蒙古合罕、海洋民族の日本天皇=東アジア三大天子

664 :日本@名無史さん:2020/07/31(金) 13:56:02 .net
>>662
自身の後継者にも 〇仁って付けていないし

665 :日本@名無史さん:2020/07/31(金) 15:14:52 .net
大覚寺統の後醍醐天皇以前も仁じゃないのいなかったっけ?

666 :日本@名無史さん:2020/07/31(金) 17:34:17 .net
>>662
親父の後二条天皇は邦治。

667 :日本@名無史さん:2020/07/31(金) 18:00:49.19 .net
兄貴だろw

668 :日本@名無史さん:2020/07/31(金) 23:43:49 .net
朕が新儀は未来の先例たるべし、だよ

669 :日本@名無史さん:2020/08/01(土) 19:42:42.68 .net
>>661
京極為兼の追放劇に絡んでるというのも書いてましたね

670 :日本@名無史さん:2020/08/02(日) 11:19:29 .net
伏見院の一番上手いのは亀山院の恒明立坊に同意している点
大覚寺統を分裂させるのに絶好のチャンスって

671 :日本@名無史さん:2020/08/02(日) 12:29:05 .net
小賢しいから幕府の癪に障ったんだなw

672 :日本@名無史さん:2020/08/04(火) 15:13:55 .net
このあたりの時代で両統で西園寺の産んだ子は光厳光明くらい?

673 :日本@名無史さん:2020/08/04(火) 15:45:07 .net
上の方であった「北朝の天皇」って本、買って読んだが軽い内容で大したことがなかった。書いてあることはここスレにいる人が知っている内容で、もっと濃くマニアックな内容がと思ったががっかりな内容だった。

674 :日本@名無史さん:2020/08/04(火) 16:02:35 .net
新書になにを期待してんだか

675 :日本@名無史さん:2020/08/06(木) 22:00:35.83 .net
最近知ったんだが金剛寺って南北朝好きにとっては聖地なんだな
見に行こうと思う

676 :日本@名無史さん:2020/08/06(木) 23:16:25.95 .net
恒明親王に触れてなかったのも残念

677 :日本@名無史さん:2020/08/08(土) 22:34:35.95 .net
吉野から戻った後の光厳は崇光系の復権を望んでいたとも書いてあったがその時点ではもう直仁はどうでも良かったのかな

678 :日本@名無史さん:2020/08/09(日) 21:11:42 .net
光厳からみたら崇光も後光厳も自分の系統なんだけどな。やはり後光厳のほうは即位に瑕疵があるから治天として納得出来なかったのか?あとは持明院統の分裂を招くからか?

679 :日本@名無史さん:2020/08/09(日) 22:12:10 .net
一緒に拉致られた崇光を不憫に思ったとか

680 :日本@名無史さん:2020/08/13(木) 15:05:38 .net
>>662
そもそも、仁をつけてない皇族の天皇は少なくなかったし、別に不都合がなかったんだろ
後鳥羽天皇とかな

681 :日本@名無史さん:2020/08/14(金) 17:21:36 .net
結局当時の皇室領は崇光が継いでるんだよな

682 :日本@名無史さん:2020/08/14(金) 17:23:48 .net
>>678
そもそも直仁の立太子自体が持明院統を分裂させかねない行為なわけだが

683 :日本@名無史さん:2020/08/14(金) 17:47:26 .net
そこは治天の光厳が睨みをきかせて直仁の次には崇光の子をたてただろう
両統迭立も終わってるし、持明院統内では皇位がすぐ回ってくるだろうし

684 :日本@名無史さん:2020/08/18(火) 22:23:17 .net
後醍醐流が皇統の主流になったら○良の諱が多かったかもね

685 :日本@名無史さん:2020/08/20(木) 22:57:48 .net
天皇の諱の一覧表をみると、「仁」を含む諱を持つ最初の天皇は56代清和天皇、つぎが60代醍醐天皇三人目は66代一条天皇
その後、4人目の70代後冷泉天皇から定着した感じだ
82代後鳥羽天皇から85代仲恭天皇までを除いてほぼ全員が「仁」
だが、後醍醐天皇の実兄である94代後二条天皇も含め、まだまだ何人かは「仁」をもってない
特に南朝は誰も。

686 :日本@名無史さん:2020/08/21(金) 23:28:29 .net
>>685
ちょっと色々見てきたけど大覚寺系は「仁」の字の通字から外れてる方向性みたいに見える
持明院の始祖の後深草は将軍になった久明以外は一応ほぼ「仁」
一方大覚寺の始祖の亀山は初期の皇子こそ「仁」を付けてるが五辻宮始祖は守良で問題の常磐井宮の始祖は恒明
亀山は余り通字に強い拘りを持ってる感じでもなさそうだ
後宇多は自分の子の通字は「治」後醍醐は「良」後村上は「成」と一代づつで変えている傾向が有る
因みに長慶及び後亀山も息子用の通字をやってた可能性は有るらしいが具体的には分からない
一説では「泰」の字が通字とも言われるがこれは出典が出典だけに疑わしい
ただいずれにせよ大覚寺で天皇になった系統は息子用に新たな通字を付けるのが半ば慣習的になってたみたい

687 :日本@名無史さん:2020/08/22(土) 00:14:41 .net
後嵯峨は後深草と亀山には仁をつけて将軍になった宗尊には仁なし。
やはり西園寺から生まれた子は別格だったのかな?

688 :日本@名無史さん:2020/08/23(日) 01:57:31 .net
清和源氏初代の 経基は弟が経生
二代目、満仲の弟達は 満政、満季、満実、満快、満生、満重、満頼
三代目、頼光の弟達は 頼光、頼親、頼信、頼平、頼明、頼貞、頼範、頼尋、源賢

って感じの時代に戻そうとしてた様に思える 大覚寺統・南朝の皇族達は

689 :日本@名無史さん:2020/08/23(日) 11:53:10 .net
なんで臣籍降下した源氏に合わせるのよw

690 :日本@名無史さん:2020/08/23(日) 12:09:45 .net
>>683
最初は直仁の系統に全て継がせろのはずだったんだよな

691 :日本@名無史さん:2020/08/23(日) 12:37:55 .net
>>686
要は親子相続の縦の時代の価値観から兄弟共通の横の時代の価値観にしてた可能性有るんだな
因みに昔の中国も通字は親子相続じゃなく兄弟共通がメインだったから
その古い時代の方に合わせてた可能性は有るかもしれない

692 :日本@名無史さん:2020/08/23(日) 12:38:56 .net
>>691のスレは>>688宛てだったすまん

693 :日本@名無史さん:2020/08/23(日) 18:12:43 .net
>>689
満仲の頃の天皇は 醍醐〜村上天皇

醍醐天皇の息子達は 寛明親王(朱雀天皇)・成明親王(村上天皇) 〇明
村上天皇の息子達は 憲平親王(冷泉天皇)・守平親王(円融天皇) 〇平

694 :日本@名無史さん:2020/08/24(月) 00:29:18.05 .net
揃え方は 敦〇みたいに上をそろえてたりいろいろだな

695 :日本@名無史さん:2020/08/24(月) 15:18:51 .net
後鳥羽の息子で天皇位についたうち土御門の名は為仁
もう1人の順徳は守成

696 :日本@名無史さん:2020/08/24(月) 17:20:14 .net
後鳥羽は治天になったらイキがったとか

697 :日本@名無史さん:2020/08/26(水) 13:25:51.94 .net
後醍醐が理想とした醍醐天皇は敦仁

698 :日本@名無史さん:2020/08/30(日) 12:00:12.40 .net
自分の皇子の即位を見られなかった土御門
自分の皇子が即位できなかったのを見せ付けられた順徳

699 :日本@名無史さん:2020/08/30(日) 14:40:02 .net
>>698
承久の乱のときの天皇は仲恭天皇
順徳天皇の皇子だ

四条天皇崩御時、順徳皇子忠成王は有力な後継者であったが
佐渡に流された順徳上皇がまだ生きていたことから
即位すればきっと父を帰京させるに違いないとして
執権北条泰時が猛反対して止めさせた

700 :日本@名無史さん:2020/08/30(日) 16:12:13 .net
結局は皇統も後鳥羽の血統に戻ったな
そして後鳥羽の子孫の後醍醐がやらかすw

701 :日本@名無史さん:2020/09/12(土) 06:27:43.88 .net
後醍醐天皇から始まる南朝って敗者だし

・謀叛人
・ニセ天皇
・一応天皇だけど廃帝とか呼ばれる

・・・みたいな扱いをされるのが普通ですがな 歴史上、敗者はいつでも悪者扱いされてきた

ところが敗者であるにも関わらず、正統な天皇扱いという・・・・これは日本史上唯一無二の例なんだろうな

702 :日本@名無史さん:2020/09/12(土) 12:38:33.66 .net
合一直後の室町時代後半にはそういう扱いだったぞ

江戸時代に入って以後、幕府側の何らかの都合で南朝が賞揚されるようになってから状況が変わっただけだ

703 :日本@名無史さん:2020/09/12(土) 12:39:17.53 .net
中国の蜀漢だって似たようなもんだぞ

704 :日本@名無史さん:2020/09/13(日) 18:51:16.27 .net
水戸学+尊王攘夷運動=南朝正統

705 :日本@名無史さん:2020/09/19(土) 19:50:14.27 .net
蜀漢を正統とするのは「三国演義」の描き方だが、南宋の朱子が蜀漢を正統としていた。
日本において南朝を正統とするのも、やはり朱子学の影響だろう。
朱子学は歴史の実態を離れて、独自の正義によるパラレルワールドを作る傾向にある。

706 :日本@名無史さん:2020/09/19(土) 20:28:02.96 .net
朱子学が蜀を正統あつかいしたのは、朱子の活動した時代 宋の国際関係を反映したものだ
遼、金、ついで元に圧迫され続ける自国、宋の立場を蜀に投影したからにすぎない
蜀に人気があったのも事実だが、それとは明らかに無関係だろ

707 :日本@名無史さん:2020/09/19(土) 21:25:30.76 .net
魏を正統とするのはどちらかっちゃ中国のやつらだろ

実際に漢帝より禅譲受けてるからな

正統もなんもねえよ

あの国はもたもと10国くらいに分かれていたんだからな

708 :日本@名無史さん:2020/09/19(土) 21:28:06.99 .net
それぞれが主張しての王朝交代劇やからな

ほいから唐が覇権取ったときは北部の鮮卑も同じく活動が活発化してる

ど〜いう意味だと思う?

つまりあの辺も王朝などが変わればそれと連動してまた支配者を変えていたんだよ

709 :日本@名無史さん:2020/09/19(土) 21:31:53.82 .net
後世になるほどそれぞれの分離活動が進むからな

つまり独立性が高くなる

710 :日本@名無史さん:2020/09/19(土) 21:47:15.73 .net
>>707
どう考えても蜀ではなく魏が正統なのに、自国の境遇を投影して蜀を正統ということにした無理筋が朱子学だった
その無理を日本で再現してるのが南朝正統説で、どう考えても無理しかない

711 :日本@名無史さん:2020/09/19(土) 21:56:04.36 .net
んならあの国二つにわければよいやん

712 :日本@名無史さん:2020/09/20(日) 11:37:00.26 .net
南朝を正統化したため血統的には北朝系の天皇家の扱いが腫物になった

713 :日本@名無史さん:2020/09/20(日) 17:26:42.81 .net
江戸時代なら、南朝がわの新田氏の支流と称する徳川家と北朝の系統である天皇家のバランス的に、北朝が微妙な方が便利だったろ
それが問題になるのは天皇を神格化した明治になってからじゃね

714 :日本@名無史さん:2020/09/20(日) 17:27:03.63 .net
>>711
分ける意味が不明

715 :日本@名無史さん:2020/09/20(日) 17:33:07.73 .net
大日本帝國憲法が悪い

716 :日本@名無史さん:2020/09/22(火) 15:17:20.61 .net
南朝正統論には朱子学の影響があるっつーことだけど
本居宣長や平田篤胤あたりの国学者はどっちが正統ってスタンスだったんだろ

717 :日本@名無史さん:2020/09/22(火) 18:44:16.55 .net
国学者の大多数は南朝正統

718 :日本@名無史さん:2020/10/04(日) 22:51:07.57 .net
南朝の末裔が既に存在しなかったからこそ出てきた思想だよな

719 :日本@名無史さん:2020/10/05(月) 01:40:46.57 .net
だよな

720 :日本@名無史さん:2020/10/05(月) 22:54:07.53 .net
誰か弘文天皇正統説唱える人いないのかな。
あるいはその(自称)末裔が名乗り出てきたり。

721 :日本@名無史さん:2020/10/05(月) 23:00:46.52 .net
ああ、でも結局大友皇子の直系ではないとは言え、
天武統から天智統の大友皇子の甥の光仁天皇やその子の桓武天皇に戻ってきたから別にいいやってなったのかな

722 :日本@名無史さん:2020/10/06(火) 03:47:22.85 .net
>>720
末裔がおっても自動的に5世で臣籍降下やろ

723 :日本@名無史さん:2020/10/06(火) 18:02:51.47 .net
どっちが正統だって関係ないやん
仮に南朝が正統だということにしても統一で正式に天皇の地位を得ているんだから

724 :日本@名無史さん:2020/10/06(火) 21:06:21.71 .net
つまんねーやつ

725 :日本@名無史さん:2020/10/06(火) 21:18:47.09 .net
現代の皇室の話題に持ち込む意味が分からん
太平記読む際に北朝が今の天皇の先祖だとか考えねえよ

726 :日本@名無史さん:2020/10/06(火) 22:57:40.13 .net
でも俺は現代に「上皇」が復活したことで
前近代の天皇家に親近感を持つようになったぞ
いわば昔に戻ったわけだからな

727 :日本@名無史さん:2020/10/06(火) 23:07:11.26 .net
出家したら法皇になんのかな
皇族に信教の自由があるのかわからんが

728 :日本@名無史さん:2020/10/06(火) 23:11:01.29 .net
恥の上塗り
バカの壁

729 :日本@名無史さん:2020/10/06(火) 23:16:06.89 .net
そもそも江戸時代以前は「太上天皇」だけど現代は「上皇」が正式名称だし
現行憲法では皇族には神道以外の宗教を信じる自由はないでしょう

ただ、秋篠宮家の御令嬢はキリスト教系の大学に進学されているので、女性皇族についてはあまり制限は厳しくないのでしょう

730 :日本@名無史さん:2020/10/07(水) 09:01:38.63 .net
皇族から坊主になったやつもいるだろ

単なる坊主になるだけだよ

そいから皇族連中らだろ〜がやつらの生活費みたいなんはしっかり請求いくからやつらがすべて出さなきゃならないんだが

731 :日本@名無史さん:2020/10/11(日) 11:27:59.86 .net
>>699
同時に下ろされるのも見ていたわけか
そうなればプラマイゼロどころかそれ以下かな

732 :日本@名無史さん:2020/10/25(日) 06:33:58.24 .net
「椿井文書―日本最大級の偽文書」を読んだら椿井政隆は南北朝関係の史料も偽作していると
書いてあったんだが、具体的にどういう内容かな?

733 :日本@名無史さん:2020/10/25(日) 10:46:45.04 .net
いずれ落飾して法皇になられると思うが、法皇になることで仏教界にも君臨し、園城寺や
比叡山も支配下に置くことができる
これからは皇宮警察だけではなく、院の親衛隊として僧兵や神人が御身辺を警護する
ようになるのではないか?

734 :日本@名無史さん:2020/11/05(木) 00:40:21.49 .net
安倍ちょんは非国民

735 :日本@名無史さん:2020/11/20(金) 19:18:40.77 .net
ヅラスガ「強盗キャンペンでアベコロナ推進ぢゃ」

736 :日本@名無史さん:2020/11/21(土) 01:36:08.16 .net
日本は神仏習合だから、神道を信仰したまま仏門に入って法皇になるのは可能だよ
上皇が出家されたら、近親たちも習って出家する者が続くと思う

737 :日本@名無史さん:2020/11/29(日) 10:48:04.90 .net
そして以後の後南朝は無視

738 :日本@名無史さん:2020/12/01(火) 16:28:58.82 .net
>>699
幕府に反対されるとは考えなかったのかな

739 :日本@名無史さん:2020/12/01(火) 18:54:21.69 .net
たぶんだが、朝廷の方では承久のときの惨敗ぶりがトラウマ化してたので幕府が朝廷の武力を警戒してると気づいてなかったとかではないかなあ

警戒してないから、懇願したら認められるだろうと思ってたんだと思う

740 :日本@名無史さん:2020/12/02(水) 23:20:50.01 .net
というより血統的にそれが順当だからまさか拒否されるとは思わなかったって感じ

741 :日本@名無史さん:2020/12/03(木) 06:57:37.07 .net
あるいは順徳が亡くなっていたら可能だったかも
幕府が一番警戒していたのはむしろ順徳が戻って院政をする事だったはずだけに

742 :日本@名無史さん:2020/12/04(金) 08:02:38.36 .net
またあるいはむしろ院政が常態になっていたからこそまだ健在の順徳系が支持されたのか

743 :日本@名無史さん:2020/12/05(土) 09:10:41.80 .net
北朝の天皇を読むと当時の天皇がとにかく譲位に拘ってるのが良く分かる

744 :日本@名無史さん:2020/12/11(金) 12:26:05.87 .net
天皇に即位することも大事だけど、譲位して治天の君になることも大事だからな
在位中は行事やしきたりが多いから、なかなか自分のやりたいことができない

745 :日本@名無史さん:2020/12/12(土) 08:57:53.27 .net
あの後鳥羽もマルチな才能を発揮し始めるのは譲位後だし

746 :日本@名無史さん:2020/12/13(日) 03:23:50.63 .net
この時代、誰が即位してもよかったのにそうならなかったのは何故か?
北朝 南朝 東朝 西朝 陸奥朝 関東朝 北陸朝 山陰朝 山陽朝 四国朝 九州朝・・・・

1持明院統の皇族の傍流の誰か
2大覚寺統の皇族の傍流の誰か
3上記に属さない皇族の誰か
4上記に属さない皇族の子孫で皇親でなくなった者(五世王 六世王・・・・)
5皇別氏族 源氏その他 足利氏の誰か
6その他一般人

水戸学もなかったのに、律儀にルールを遵守しつつ戦争しているように感じる

朝廷のルール・・・律令のなんとか令?を守り続けたのは何故か?

747 :日本@名無史さん:2020/12/13(日) 09:14:02.52 .net
>>746
まだ旧来の身分意識や家格による秩序が残っていたからだと思う。
武士においても、源氏御門葉の筆頭格で貴族の身分を持っていた足利氏が鎌倉殿(後に室町殿)
となり、足利一門でも家格の序列があった。
皇室や堂上貴族ならなおさらのことだった。
だから、皇位でも摂関や公卿クラスの官職でも、相応の者が継承するように動いていた。

748 :日本@名無史さん:2020/12/13(日) 12:08:02.61 .net
たぶん、当時は南朝以外の地方朝廷を作っても自力存続できるほどに十分な支持を集めることはできなかったからでそ

749 :日本@名無史さん:2020/12/13(日) 14:41:08.27 .net
スポンサーがいなきゃだめでそ

750 :日本@名無史さん:2020/12/13(日) 22:39:38.79 .net
成功したのは九州王朝の懐良親王くらいのもんじゃないの
次点で信濃の宗良だけどこれは散発的に関東甲信越で挙兵しただけだな

751 :日本@名無史さん:2020/12/14(月) 00:07:45.32 .net
九州王朝はあくまで九州のためだからな
中央への援軍としては役に立っていない

752 :日本@名無史さん:2020/12/14(月) 12:21:20.07 .net
懐良親王は完全に独立した勢力じゃなく、兄弟の後村上天皇と連携して、南朝として活動してたらしいよ
勝手に冊封を受けたりと独自行動も多すぎるけどね

753 :日本@名無史さん:2020/12/14(月) 22:21:28.07 .net
役に立たないも何も九州の統治が精いっぱいだろうに
菊池一人で大友島津畠山を抑え込まなきゃならんのだぞ
それでも南朝は九州の武力を頼みとして幕府相手に強気の姿勢を崩さなかった

754 :日本@名無史さん:2020/12/15(火) 16:22:59.36 .net
南朝が一番期待したのはあくまで京奪還の援軍だからな

755 :日本@名無史さん:2020/12/17(木) 07:28:27.15 .net
北陸王朝なんか後醍醐のその場凌ぎで出来たような物だし

756 :日本@名無史さん:2020/12/17(木) 12:57:53.87 .net
懐良親王の将軍府は、親王一代で終わってしまったのが残念だ
皇子はいたが、臣籍降下して後醍醐源氏になってしまった

757 :日本@名無史さん:2020/12/17(木) 19:39:50.24 .net
良成「」

758 :日本@名無史さん:2020/12/18(金) 22:45:16.63 .net
後醍醐は息子に継がせたかったとはいえ特定の誰かというのは無いんだよな
だから恒良も成良も平気で捨てる
たとえ全滅してもまた新しく作ればいいくらいにしか考えてなさそう

759 :日本@名無史さん:2020/12/19(土) 10:34:02.06 .net
南北朝合一後、もし両統迭立が再開されてたら、日本史は無駄にめんどくさくなってた

760 :日本@名無史さん:2020/12/19(土) 10:44:54.55 .net
んで、たぶんだが、戦国時代の始まりが早まってただろう

だいぶんと違った展開に変わってた可能性もあるね
さすがに戦国時代を越えて両統迭立体制を維持することはできないだろうけども

761 :日本@名無史さん:2020/12/19(土) 13:31:17.09 .net
近代まで両統迭立が続いていたら、なかなかすごい。
皇子や弟に継承するのではなく、持明院統の現皇統の次は大覚寺統になる。
明治や昭和のように在位が長く続くと、次の皇統はかなり待たされることになる。

762 :日本@名無史さん:2020/12/19(土) 14:43:12.26 .net
両統迭立制度って、一世代分の在位期間を2つの皇統で分けあうような形だから、十年程度で退位する必要があるんだよね
それ以上になると、朝廷以外の外部機関が皇位継承を管理しなければ存続できない。
だからこそ、不安定さゆえに廃れたのでは

763 :日本@名無史さん:2020/12/19(土) 15:29:52.58 .net
後土御門「カネがなくて譲位もできない」
後柏原「践祚したけどカネがなくて即位もできない」
後奈良「じいちゃん、とうちゃん・・・」

764 :日本@名無史さん:2020/12/19(土) 21:26:37.86 .net
持明院統の天皇は死んだら納骨堂みたいな深草北陵に遺骨が納められて、大覚寺統の天皇はみんなそれぞれ自分だけの陵に遺骨が埋葬された。両統は死んでからも仲悪かったんだな。まあ、3代ぐらい離れると他人みたいなもんだし。

765 :日本@名無史さん:2020/12/19(土) 21:47:35.44 .net
累代の墓所を持明院統が独占したから大覚寺統の人たちは新規に作らざるを得なかったんだよ
しかも、大覚寺統の人たちは後継問題で実父と対立することが多くて墓所を流用したくなかったんじゃないかな

766 :日本@名無史さん:2020/12/21(月) 16:56:03.28 .net
後醍醐なんか最たる物だしな

767 :日本@名無史さん:2020/12/21(月) 21:48:15.74 .net
後醍醐にとって従順な子供が必要だったのは結局自分が絶対的な院政を敷くためだったんだろうな

768 :日本@名無史さん:2020/12/22(火) 10:58:17.14 .net
いつまで生きるつもりだったんだよ

769 :日本@名無史さん:2020/12/22(火) 12:50:24.38 .net
そりゃ死ぬまでだろ

770 :日本@名無史さん:2020/12/22(火) 12:53:38.76 .net
>>763
皮肉にも次の王親町にとってこの三代の終身在位は信長の譲位攻勢に抵抗する重要な先例になったんだよな

771 :日本@名無史さん:2020/12/22(火) 18:36:25.88 .net
正親町

772 :日本@名無史さん:2020/12/23(水) 08:07:52.81 .net
後醍醐が天皇で居続けたのはあくまで血統的な正統性において劣っていたため
大覚寺統が慣例より聖断に重きを置いていたのも慣例に依拠できない弱味があったから

773 :日本@名無史さん:2020/12/24(木) 07:45:50.69 .net
後醍醐は家族愛が強く子供たちとの関係は基本的に良好だったという研究もある
但し捨てる時の冷徹さを考えるとむしろ懐柔策ではなかったかと疑いたくもなる

774 :日本@名無史さん:2020/12/24(木) 12:19:48.78 .net
後醍醐天皇はもっと多くの皇子を生んで、臣籍降下させて、南朝の藩屏となる貴族を
作っておけばよかった。
そうすれば、後南朝の北山御所にも多くの公卿や殿上人が仕えて、にぎやかで活気の
ある朝廷になった。

775 :日本@名無史さん:2020/12/24(木) 18:39:24.77 .net
自分で自分の最も戦力になりうる息子殺しておいてそれはねえよw

776 :日本@名無史さん:2020/12/24(木) 18:55:20.47 .net
>>770
大覚寺統の天皇で、実父の上皇と主導権争いしたことない天皇は、在京の天皇のなかでは後二条天皇一人しかいないよな
他はみんな、揉めたことがある

つまり、護良親王が存命なら将来的に後醍醐天皇との主導権争いが深刻化しそう(新政成立前の時点ですら揉めてそう)だったから、排除せざるを得なかったのではないか

777 :日本@名無史さん:2020/12/24(木) 18:55:33.45 .net
アンカー消し忘れすまん

778 :日本@名無史さん:2020/12/24(木) 22:01:35.90 .net
>>776
そもそも弟系の大覚寺統で嫡流を確立しようというのが無理なわけで

779 :日本@名無史さん:2020/12/24(木) 23:58:53.32 .net
明治以降に「南朝正統」としたことは完璧な誤りだったね
歴史を後付けで書き換えてはならない

780 :日本@名無史さん:2020/12/25(金) 06:29:39.02 .net
血統的には北朝の子孫なわけだからな
それならそれでそれでも合体以後はこっちが正統と徹底すれば良かったんだが

781 :日本@名無史さん:2020/12/25(金) 07:05:57.60 .net
徹底はしてたでしょ
明治までは一貫して北朝正統だった
それをこれまで政治の表舞台に立ったことのない維新志士がひっくり返した

782 :日本@名無史さん:2020/12/25(金) 07:39:22.17 .net
もちろん明治以後の事
当たり前だが南朝正統を強調すればするほど北朝血統の現在の天皇家の正統性は揺るがざるを得ない
そのためか皇国史観の平泉などは正統論を避けて忠臣か逆臣かに問題を摩り替えている

783 :日本@名無史さん:2020/12/25(金) 07:47:46.54 .net
要するにいくら後醍醐を持ち上げても現在の天皇家が後醍醐の子孫でなくむしろ敵方のだという事実だけはどうにもならないって事

784 :日本@名無史さん:2020/12/25(金) 12:07:07.95 .net
>>779
南朝正統説の論者は学問としてではなく信仰として説を唱えてたからな
あいつらの迷妄が近代日本での精神活動を大きく狂わせた

785 :日本@名無史さん:2020/12/25(金) 12:10:37.98 .net
>>782
極論するなら、正統なる天皇家は室町時代後半に滅亡して、
室町時代初期に登極した偽帝の家系だけしか残ってない、
天皇制は残骸だけしか残ってなくて、すでに消え去ってる

なんて結論に直結してしまうからなあ

786 :日本@名無史さん:2020/12/25(金) 12:40:10.93 .net
朝廷の当事者(皇室、堂上貴族など)にとっては、北朝が正統なのは当たり前だったと思う。
一方、ふだん朝廷と関わりのない人々(下級武士など)が、本で読んだ知識で南朝が正統
だと思い込むようになった。
そして、明治維新以後、この思い込みが一種のポリコレになって、異論をヒステリックに
攻撃するようになった。

787 :日本@名無史さん:2020/12/25(金) 12:59:35.53 .net
そもそも血統的には傍系の傍系である後醍醐はどういう論理で正統なのかなんだよな
どうせやるならいっそ後嵯峨から後醍醐までのラインだけ公認して他は全部北朝と同じ扱いにすれば良かったのに

788 :日本@名無史さん:2020/12/25(金) 20:00:56.20 .net
明治〜昭和でも
今の天皇は北朝の系統なんだから、北朝を助けた足利には恩こそあれ
逆賊呼ばわりするのは筋違い
っていう人いなかったのかねぇ…やっぱ、そういうこと言える空気じゃなかったんだろうか

足利家の当主は三笠宮から「自分たちが天皇やれるのは足利のおかげ」といわれたらしいが

南北朝合一後の朝廷でも楠木正成は室町時代を通じて逆賊だったのに
明治になったら日本一の忠臣とされて
逆に室町時代は大正義だった足利が明治になったら逆賊呼ばわりされるような
手のひら返しされたんじゃ忠義の尽くしようもないように思えるんだが

789 :日本@名無史さん:2020/12/25(金) 20:35:13.19 .net
むしろ共産主義者の大逆の建前名目として、正統なる吉野朝と争った逆賊の子孫だろ、それを討伐して悪いのかなどと言われたりもしてるようだしな

790 :日本@名無史さん:2020/12/25(金) 21:47:30.50 .net
楠木は素朴に天皇への忠誠の為に戦って死んだが、足利尊氏は自分達の為に北朝をたて、用がなくなったら北朝を廃絶して南朝に恭順し、再び南朝に反旗を翻して再び超法規的(神器なし、治天の君の院宣なし)で再び北朝を立てたから、印象が悪いんだろ。(自分は尊氏がやったことは仕方がないことだとは思うが)

791 :日本@名無史さん:2020/12/25(金) 21:52:11.90 .net
.






今から約3500年前の紀元前15世紀には、朝鮮半島でも数ヘクタールという大きな畑を
作って、そこでコメや麦を栽培する生活が始まります。朝鮮半島では日本よりも
500年も前に、本格的な農耕生活に入ったのです。

紀元前11世紀になると、朝鮮半島南部で水田稲作が始まります。本格的な穀物栽培が
始まって約400年後のことになります。

こちらにある写真は韓国で最も古い水田の一つの写真です。釜山の少し北側に
位置する蔚山(ウルサン)市で見つかったオクキョン遺跡の水田跡です。

http://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=2975


※炭素年代測定と他国からの共同研究を拒否して埋め戻す隠蔽工作をしたという
ウソのレッテルをしている中国人詐欺師にその証拠提出を無数に求めましたが、
その証拠が出てきた事はありません

遺跡のメイン部分が今も空き地である事などグーグル地図の航空写真で確認すれば
容易に分かる事であるし、それ以前にこれは国の研究機関の公表であるので悪しからず





.

792 :日本@名無史さん:2020/12/25(金) 22:04:36.46 .net
足利義詮自身が北朝天皇が正統じゃないことを認識してたんだし、
当時の状況で南朝が正統だといわれても仕方ない。
正式な手続きを踏んで北朝天皇が正統になった後は義満以降の足利氏は後南朝なんか無視している。
今の天皇が北朝の血筋だから北朝が正統というのは無理だろう。
>>779のいうように「歴史を後付けで書き換えてはならない」
仮に正平一統で北朝が消滅し南朝が正統になったのだとしても、その後の南北朝統一で北朝が正統になったんだよ。

793 :日本@名無史さん:2020/12/25(金) 22:19:49.83 .net
歴史の大半において北朝が正統扱いだよ

794 :日本@名無史さん:2020/12/25(金) 22:42:39.50 .net
南朝が正統だった時期なんてせいぜい40年くらいのものだから仕方ない

795 :日本@名無史さん:2020/12/25(金) 23:23:04.99 .net
その時期でさえ、京都を支配することがほとんどできない亡命王朝でしかなかったんだよな
北朝ってか幕府と互角に戦えてたのは数年ほど、あとは常に劣勢な亡命政府のまま

796 :日本@名無史さん:2020/12/25(金) 23:58:23.38 .net
>>790
尊氏が北朝に厳しかったのは直義との関係が深かったというのもありそう
もっとも南朝からの講和破棄で元鞘になったが

797 :日本@名無史さん:2020/12/26(土) 07:58:53.52 .net
実際に土岐事件に見られるように直義と光厳院は個人的にも仲が良く露骨に肩入れするのも目立ったらしい
そうなると尊氏側としてもそれでも擁護擁立しなければならない義務や義理を感じなくなるのも無理はない

798 :日本@名無史さん:2020/12/26(土) 12:23:54.93 .net
>>792
初期の幕府は、将軍たちは、両統迭立が適切だと信じ混んでいたから、持明院統と大覚寺統の両方を迭立で存続させたかっただけ

799 :日本@名無史さん:2020/12/27(日) 08:36:16.01 .net
但し両統とも基本はあくまで自統での独占狙い
大覚寺統に至っては更に内部分裂してたし

800 :日本@名無史さん:2020/12/27(日) 10:31:55.27 .net
よく間違われるが南朝イコール大覚寺統ではない
あくまで後醍醐流だけ

801 :日本@名無史さん:2020/12/27(日) 12:50:25.54 .net
後醍醐が大人しくしてれば両統迭立は続いただんろうな
鎌倉幕府を倒そう!という武士の気運も盛り上がらなかっただろうし

802 :日本@名無史さん:2020/12/27(日) 13:05:54.22 .net
大人しくしてたら自分の子孫の出番なかったから
大覚寺統の嫡流はあくまで兄の後二条の系統で後醍醐は一代限りのツナギに過ぎない

803 :日本@名無史さん:2020/12/27(日) 15:51:43.91 .net
そもそも本来なら皇位を継承することが出来ない、尊治親王を幼少期に出家させていなかったんだろう?

804 :日本@名無史さん:2020/12/27(日) 17:22:26.32 .net
>>800
本来なら大覚寺統のなかですら嫡流じゃなかったはずの後醍醐流を尊氏以下歴代将軍が「大覚寺統のなかでの」嫡流あつかいして尊んだことで北朝と並ぶ権威を持つに至ったのにな
ただし、六代義教が方針転換して後醍醐流を滅ぼすことに決めたことで存続困難になったけども。

805 :日本@名無史さん:2020/12/27(日) 19:17:53.34 .net
>>803
後宇多としてはいざという時のスペアとして欠かせないというのもあったんだろうな

806 :日本@名無史さん:2020/12/27(日) 22:05:15.38 .net
特にあの亀山が健在な内は

807 :日本@名無史さん:2020/12/29(火) 20:23:47.08 .net
>>776
足利の皇子殺しで批難されるのはもっぱら護良についてなんだよな
恒良や成良があまり話題にならないのはやはり後醍醐の子捨てが目立つからか

808 :日本@名無史さん:2020/12/29(火) 20:45:41.23 .net
でも護良排除の主犯は足利じゃなく後醍醐だろ

809 :日本@名無史さん:2020/12/29(火) 21:26:33.55 .net
あれは湊川と同じで側近が悪いというロジック

810 :日本@名無史さん:2020/12/29(火) 23:47:11.65 .net
一時的にでも京都を放棄すれば威信が保てないというのは後醍醐の立場の弱さを白状している

811 :日本@名無史さん:2020/12/30(水) 11:58:51.04 .net
唯我独尊

812 :日本@名無史さん:2020/12/30(水) 13:55:39.36 .net
>>807
恒良、成良については「太平記」では足利尊氏によって花山院に幽閉され
毒を盛られて毒殺されたことになっているが
公家の日記「師守記」に出てくる「後醍醐先坊」は恒良か成良の可能性が高く
これが恒良か成良なら太平記で言う毒殺時期よりも後まで生きていたことになり
太平記の言う毒殺が史実かどうかはっきりしないからだと思うぞ

813 :日本@名無史さん:2020/12/30(水) 15:18:03.43 .net
そもそも史書ではなく軍記物語にすぎない太平記のみに全面的に依拠する説は論外だもんな

太平記以外に傍証を得られるもの以外は信用しない方が無難なぐらいだ

814 :日本@名無史さん:2020/12/30(水) 15:58:22.01 .net
>>813
些細なネタでも足利叩きに使う戦前の風潮からすればむしろ意外

815 :日本@名無史さん:2020/12/31(木) 08:54:04.38 .net
足利市の出身というだけで殴られたってくらいだからな

816 :日本@名無史さん:2020/12/31(木) 09:52:46.52 .net
>>812
共に一時的にも皇太子だった者同士が終わり知らずってわけか
後の直仁の方がまだマシか

817 :日本@名無史さん:2020/12/31(木) 12:03:04.35 .net
>>814
戦前、皇国史観の集大成的な存在だった平泉氏が、当時としては珍しいとはいえ、カチガチの実証主義だったと聞いたような気がする

818 :日本@名無史さん:2020/12/31(木) 12:33:04.57 .net
>>817
といってもあくまで後醍醐絶対主義が前提だからな
建武の新政が失敗したのもあくまで天皇の理想を理解しようとしなかった連中の責任だって

819 :日本@名無史さん:2020/12/31(木) 12:41:11.17 .net
うん

かなり実証主義に振りつつ吉野朝正統説を全面的に展開してるんだよなあ

しかも、戦後も長い間、その主張を貫き通してた。

今じゃデムパ系な皇国史観派の拠り所になってる感が。

820 :日本@名無史さん:2020/12/31(木) 14:05:05.82 .net
その実証主義も都合の悪いは無視って感じだから

おそらく戦前で一番無視されたのは多々良浜
足利に神風が吹くなどあり得ないって

821 :日本@名無史さん:2020/12/31(木) 14:33:33.95 .net
平泉は南朝正統を主張しながらならば現在の皇室は正統かどうかについては明確な回答を出してはいない

822 :日本@名無史さん:2020/12/31(木) 15:18:38.72 .net
後小松天皇が素直に譲国の儀を受け入れて、後亀山天皇から皇位を譲位を形でも受けていたら、問題なかったのにな

823 :日本@名無史さん:2020/12/31(木) 15:32:57.58 .net
後光厳流は北朝の中でも正統性が弱かったからな
だから余計に突っ張らざるを得なかった印象

824 :日本@名無史さん:2020/12/31(木) 17:31:02.35 .net
>>804
かといって後二条流が嫡流である根拠は兄系だからではなくあくまで後宇多の聖断による物だからな
兄系を強調すればそれこそ後伏見流に譲らねばならないという事にもなりかねないだけに

825 :日本@名無史さん:2020/12/31(木) 18:19:35.44 .net
だが先代の聖断を無視していいなら後嵯峨の御内意の意義もなくなるし、大覚寺統の根本が覆りかねないんでは

826 :日本@名無史さん:2020/12/31(木) 19:25:17.05 .net
平泉教授は「円太暦」の購読をしたり、実証的な歴史研究で実績があるのは確かだな。
一方、「南朝=正統」というのは、当時のポリコレだったので、学問以前の倫理として
相対化できなかったんだろう。南朝=正統の前提の上に実証を重ねようとした。
歴史が純粋な学問ではなく、国家・社会の中軸だった時代の制約かも知れない。

827 :日本@名無史さん:2020/12/31(木) 20:25:26.04 .net
>>825
流石の亀山も恒明を立坊させろとは言ってもそっちを嫡流にしろとまでは言えてない
とにかく後宇多が亀山の遺思を無視した事は今度は後醍醐が後宇多のそれを無視する先例にもなったわけで

828 :日本@名無史さん:2020/12/31(木) 22:12:24.54 .net
>>821
仮に南朝が正統だったとしても後小松から北朝が正統になったんだから問題ない
現代の皇室問題を南北朝時代にもっていくのは間違いだろ
当時の人たちは今の皇室がどうかなんて知るはずもないんだから

829 :日本@名無史さん:2021/01/01(金) 05:01:45.97 .net
今でも南北朝期は南朝を正統とし、後小松天皇以降は北朝(南北朝合一)を正統として
天皇の代数をカウントしているね
平泉さんも同じだったはず

830 :日本@名無史さん:2021/01/01(金) 05:52:00.90 .net
南北朝合一を絶対化出来ないのは逆賊の足利氏による仲介や約束の不履行などがネックになってるためか
そのため現在の皇室の正統性についてはむしろあくまでなし崩しの結果といった印象の方が強い

831 :日本@名無史さん:2021/01/01(金) 08:49:17.16 .net
「神器のあるところ正統とせざるをえず」という原始人レベルの発想

832 :日本@名無史さん:2021/01/01(金) 09:07:21.44 .net
そういう意味では南朝の正統性もその程度とも言えそうなんだけどな

833 :日本@名無史さん:2021/01/01(金) 09:48:53.51 .net
血統的に更に面倒なのは合一の相手であった後小松流自体が次代の称光で早くも断絶してしまった点
そうなれば合一の相手であった後亀山流に分が出てくる解釈も可能だが結果は合一から外されていた崇光流の後花園が立った事でこれもまた面倒な事態となってしまう

834 :日本@名無史さん:2021/01/01(金) 10:14:59.97 .net
皇位は血筋が全てではないから
何回も傍流に移ったのまでチスジガーとか騒いでんのかよと

835 :日本@名無史さん:2021/01/01(金) 11:33:02.00 .net
正当な形で登極してることとか京都で多くの官人を束ねてキチンと政務をこなしてることとかも重要なんよね
官人の支持を得られずにろくに政務をこなせない亡命王朝には正統性が不足してるんだよな

836 :日本@名無史さん:2021/01/01(金) 11:40:42.29 .net
>>834
日本人は血統信仰が強いのでそこに瑕疵が生じると正統化の論理を尚更に捻らねばならない
北畠親房がわざわざ神皇正統記を書かねばならなかった一因もそれ

837 :日本@名無史さん:2021/01/01(金) 12:27:11.78 .net
>>834
天皇家など血統以外の何物でもない
ただし明治以前は院政という名の家父長制が長く続いたため
父親の権限で兄弟順がひっくり返ることがあった

838 :日本@名無史さん:2021/01/01(金) 12:32:57.75 .net
そういった「父親の意向」が影響しないかたちの継承トラブルも何度もあるし、父親の意向を無視して強行した事例もたくさんあるけどな

839 :日本@名無史さん:2021/01/01(金) 15:54:35.79 .net
>>838
「父親の意向」がはっきりしない場合に
将軍や摂関が皇位継承を決めたことはあるが
基本的には父院が決めるのが一番正統性がある
南北朝分裂も「後嵯峨上皇の意向」がこちらにあったと
両統が主張を続けていた

840 :日本@名無史さん:2021/01/01(金) 19:42:16.35 .net
まあ晩年に優遇していたのは明らかに亀山だったがそれでも後深草には同母の兄としての血統的な優位性があったからな
そして結局はそちらの血統的な嫡流が断絶する事なく後花園まで継続する事が出来たというのが一番大きいわけで

841 :日本@名無史さん:2021/01/01(金) 21:58:40.81 .net
どっちが正統なんてどうでもいいことだと思うけどな

ただ北朝は足利が担いだだけで正平の時は廃止されてるわけだし、
その後も必死に和睦を要求してたということは北朝を担いでいる足利のほうで南朝を正統だと認めていた証拠。

842 :日本@名無史さん:2021/01/01(金) 22:36:00.73 .net
北朝は元々、足利尊氏が後醍醐天皇に反旗を翻す正当性を示す為の錦の旗に過ぎなかったからな。自分たちが逆賊になるのを防ぐ道具に過ぎない。少なくとも、尊氏、義詮は内心、南朝が正統だと思っていただろう。義満もそう思っていたから南朝有利な条件(後小松の猛反対で反故になったが)な明徳の和約を提示したんだろう。

843 :日本@名無史さん:2021/01/01(金) 22:45:23.58 .net
そのあと、幕府と合一後の北朝との間で水面下の政争があって最終的には旧南朝の廃止を求める旧北朝の勝利に終わり、旧南朝の滅亡に舵を切ることになったんだよ
幕府にそれを決めさせるほどの力はあったんだ

844 :日本@名無史さん:2021/01/01(金) 23:02:05.87 .net
南朝正統論が出てくるのは当然のことだね
今の皇室が北朝の血筋だからって北朝が正統じゃないと言われるのは当然の話だ
正統になった後小松天皇の血筋なんだからそれでいいだろって話

845 :日本@名無史さん:2021/01/02(土) 02:40:01.98 .net
>>844
後小松の血筋は次の称光で早くも断絶している
そのため正平の一統で一度は廃された崇光の血筋が復活し現在まで続く

846 :日本@名無史さん:2021/01/02(土) 06:18:38.56 .net
しかし同母兄弟なのに、後嵯峨は後深草と亀山にここまで差をつけたんだろう。
その割には所領分割で後深草にも配慮して対立の基盤を作ってるし。
元々、両統迭立を企図してたとか?

847 :日本@名無史さん:2021/01/02(土) 10:22:05.78 .net
後深草は身体に障害があったから両親に疎んじられたとか。徳川秀忠お江与夫妻が性格に難があった家光より聡明な忠長を可愛がっていたのと一緒ではないだろうか。
母の大宮院も明らかに亀山に肩入れしていたからな。

848 :日本@名無史さん:2021/01/02(土) 10:47:14.36 .net
北朝の歴代天皇が後南朝の内親王と縁組して、女系で南朝の皇統を補っておけばよかった
そうすれば、北朝の正統性はゆるぎないものになった

849 :日本@名無史さん:2021/01/02(土) 11:22:46.37 .net
北朝は南朝を全否定していたからな
そもそも正統は最初からこちらだって

850 :日本@名無史さん:2021/01/02(土) 11:44:14.56 .net
>>847
両親に好かれたように亀山は覇気が強く幕府に警戒された可能性がある
それで後深草を牽制に使おうとしたがこちらもこちらで伏見という傑物が次代に現れた事で均衡政策に切り替えたとも言えそう

851 :日本@名無史さん:2021/01/02(土) 12:18:30.87 .net
正式な手続きを経て北朝が正統性を得たあとは後南朝なんか相手にするはずがない

852 :日本@名無史さん:2021/01/02(土) 12:35:22.79 .net
そもそも北朝は合一すら認めていない
あれは義満が勝手にやった事だって

853 :日本@名無史さん:2021/01/02(土) 12:38:47.64 .net
後亀山1代限りで太上天皇待遇、でもぎりぎりの譲歩だしな

854 :日本@名無史さん:2021/01/02(土) 13:02:16.71 .net
南朝正統とする人って官位とかどういう風に解釈してるんだろ

北朝の関白は関白と認めず、尊氏・義詮は将軍ではなく、
室町将軍の初代は義満って認識なんだろうか

855 :日本@名無史さん:2021/01/02(土) 13:44:40.97 .net
>>851
室町中期以降は北朝の天皇も貧乏で
御所の築地が崩れても修理できなかったり
天皇の葬式ができなかったりで
天皇制自体が危なかった
当時は北朝天皇の御所もかなり小さかったしな

856 :日本@名無史さん:2021/01/02(土) 13:56:21.58 .net
>>854
そもそも血統的には傍流の傍流である後醍醐の正統性をどう考えていたかだよな
文保の和談を根拠にすれば後醍醐の約束違反が問題になりそうだし

857 :日本@名無史さん:2021/01/02(土) 14:24:20.29 .net
>>847 >>850
マジレスすると後見の問題
後深草天皇は母方の西園寺家の後見を受けて即位
母大宮院の実妹で叔母に当たる西園寺公子を中宮にした
ところが西園寺家出身の中宮をないがしろにして側室ばかり寵愛していたため
公子もその姉大宮院も兄の西園寺公相も怒ってしまった
挙句に後見人のいない側室腹の皇子を後継に据えようとして失敗
西園寺家も深草上皇も亀山の系統に切り替えてしまった

後深草上皇は皇統を外されて初めて西園寺家と仲良くやるべきだったと後悔する
そのため深草上皇が死ぬと早速西園寺家と仲直りすることにした
側室に産ませた伏見天皇の中宮に西園寺家の姫を立てるから
伏見天皇擁立に協力しろというわけだ
こうして起こったのが南北朝動乱

858 :日本@名無史さん:2021/01/02(土) 17:20:00.16 .net
伏見・亀山・後醍醐の相手は西園寺家の三姉妹なんだよな
それだけでドラマが作れそうな物がある
中宮であった長女と三女には子供は出来なかったが亀山の寵姫であった次女に恒明が生まれたため
事態は面倒な事となる

859 :日本@名無史さん:2021/01/03(日) 06:54:04.25 .net
>>857
公子が「こんなに無視されてもう辛いから出家したい」と言ってきたときの後深草院の返事も相当だよねw
「出家のことは仏縁なのでこちらからとやかく言いません(出家したけりゃ勝手にしろバーカ)」

860 :日本@名無史さん:2021/01/03(日) 07:15:46.36 .net
そりゃ実家の怒りも買うわ
後には後深草が似たような嘆きをやるのも皮肉

861 :日本@名無史さん:2021/01/03(日) 21:45:04.89 .net
南朝正統論の一番曖昧な点は合一後の皇統は認めるのかという点

862 :日本@名無史さん:2021/01/03(日) 21:55:24.29 .net
>>47
そのロジックの最大の弱味はそもそも大覚寺統自体が弟系だという点
だから後二条系が嫡流だという根拠はあくまで後宇多の聖断でしかない

863 :日本@名無史さん:2021/01/04(月) 19:44:04.78 .net
だからこそ後醍醐にしてみればなんで親父は俺に聖断をくれないんだなんだろうな
それこそ聖書の祝福争奪みたいに

864 :日本@名無史さん:2021/01/05(火) 08:03:33.79 .net
後宇多が後醍醐を忌避したかった一番の理由はおそらく後醍醐を皇位に据えては思い切った自分の院政が出来ないというのもありそう

865 :日本@名無史さん:2021/01/05(火) 18:32:53.79 .net
>>861
南北朝の合体以降は北朝が正統だろ
内乱時代に南朝を正統だと主張しても今の皇室を貶めることにはならない

866 :日本@名無史さん:2021/01/05(火) 18:49:11.59 .net
>>865
南朝正統論者で合体後は現皇室が正統と明確に言ってる人っていたかな

867 :日本@名無史さん:2021/01/05(火) 22:45:25.06 .net
>>866
宮内庁

868 :日本@名無史さん:2021/01/05(火) 23:35:34.19 .net
>>867
しかいないって事か

869 :日本@名無史さん:2021/01/06(水) 08:06:13.01 .net
そもそも後醍醐の皇位自体が直接の血縁でない年下の花園の後を受けた物なんだから別に後亀山の後を後小松が受けたとしても何の問題も無いはず
その意味で完全な再統合時の天皇の名が後花園だというのも興味深い

なのにそれを割り切れないのはどうしても後醍醐の血統以外は認め難いという無意識のブレーキが働く感じ
要するに南朝正統論とは後醍醐絶対論というのが正しい
要するに後醍醐だったら何をやっても許される
逆に後醍醐に対しては何をやっても許されぬ
その根拠は後醍醐だから

870 :日本@名無史さん:2021/01/06(水) 17:23:31.49 .net
>>869
一度大覚寺統に皇位を譲ったら持明院統からは二度と天皇を出せないというわけではなく
花園の後は大覚寺統の後醍醐に皇位を譲るが両統迭立の約束である10年たったら
花園の兄後伏見の皇子で花園の猶子である光厳を即位させるという条件での譲位だからな
南北朝合一の時も表向きは両統迭立だと申し入れをしていたが守られなかった

大覚寺統は後二条の系統は絶えてしまったし後醍醐の系統しか残ってない
もし後醍醐以外の系統が残っていたところで北朝方は皇位を譲る気なかっただろ

871 :日本@名無史さん:2021/01/06(水) 18:31:28.93 .net
>>870
合一の頃にはまだ、残ってただろ
それどころか恒明系統もいた

872 :日本@名無史さん:2021/01/06(水) 20:25:15.30 .net
北朝を担いだ尊氏自身が北朝放り投げて正平一統だからねぇ。
北朝に正統性があるといわれても誰も納得しないわ。
逆に南北朝統一以後に後南朝が正統だった南朝の血筋だといったってそんなの知るかって話。
すでに皇位は北朝に移ってるんだから。
なんでこの程度のことでどっちがどっちだと議論になるのか全く分からない。
北朝が今の皇室の先祖だからって、そんなのは南北朝時代の人には関係ない。

873 :日本@名無史さん:2021/01/06(水) 20:31:12.78 .net
>>871
後小松が恒明系の常磐井宮家を新たな大覚寺統の正統に認定して皇太子にしていれば
建前上は両統迭立が成立していたんじゃね
実際には後醍醐の末裔以外が皇統を主張することはなく
これ以降は北朝の天皇しか即位させないとなったから
両統迭立は反故にされたといえる

874 :日本@名無史さん:2021/01/06(水) 20:47:55.21 .net
>>872
当時の北朝が直義贔屓だったから

875 :日本@名無史さん:2021/01/06(水) 20:51:58.19 .net
それもあってか幕府は南朝側に拉致された三上皇を徹底無視し改めて擁立した後光厳流を全面的にバックアップする事となる

876 :日本@名無史さん:2021/01/07(木) 07:05:16.11 .net
>>873
恒明は鎌倉幕府の滅亡で西園寺家にも力が無くなって完全に目が無くなったからな
下手に騒げばかえって危ないと思ったのかも

877 :日本@名無史さん:2021/01/07(木) 08:01:41.56 .net
正平の一統で特に重要と思われるのはむしろ破綻後なんだよな

動機はどうであれ約定を破って攻撃を仕掛けたのは南朝側だという事
三上皇を拉致しても南朝の軍事的劣勢に変わりはなかった事
それでも足利幕府は代わりの天皇を政治的に必要とした事

878 :日本@名無史さん:2021/01/07(木) 08:29:59.79 .net
戦前の熊沢藩山なんか今の皇室が(足利義満の子の)後小松の子孫だと勘違いしてたらしいな

879 :日本@名無史さん:2021/01/07(木) 18:07:10.55 .net
トランプ大統領ってアメリカ社会を混乱に陥れているけど、後醍醐もこんな感じの人間だったんだろうと思うな
強烈な個性を持った人間が上の方にいると歴史を動かすんですなあ
歴史を動かすというか社会を分裂させて乱世にしてしまうというか

・ナンバーワンにのし上がりたい
・相手を倒すためには手段を選ばない
・主流派(アメリカ東部のインテリ階層)が嫌い?
・熱烈な支持者が多数いる

トランプ支持者が議会占拠、銃撃で1人死亡 バイデン氏「反乱」と非難 1/7(木) 3:23
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6381481

880 :日本@名無史さん:2021/01/07(木) 21:34:55.91 .net
>>877
野蛮人や逆賊との約束など守る必要などない
まさに宋学精神

881 :日本@名無史さん:2021/01/08(金) 04:02:04.85 .net
まあ戦前と言えば戦前だけど・・・
>熊沢蕃山

882 :日本@名無史さん:2021/01/08(金) 08:02:22.08 .net
江戸期において合一は古代以来の正統王朝の滅亡と解釈する傾向すらあった
これらはむしろ幕府をトップとする武家優位のニュアンスが強いが後世において天皇権威を持ち出す際には厄介な部分となる

883 :日本@名無史さん:2021/01/08(金) 08:19:48.92 .net
血統信仰の強い日本では後醍醐を持ち上げれば持ち上げるほど現在の皇室が後醍醐の子孫でない事も強調されてしまう絶対矛盾

884 :日本@名無史さん:2021/01/08(金) 19:05:39.47 .net
血筋は違っても正式な手続きを経て皇位を継承したことも知らないバカがいますね

885 :日本@名無史さん:2021/01/08(金) 19:10:02.75 .net
南朝正統論者という連中の事か

886 :日本@名無史さん:2021/01/08(金) 20:49:21.56 .net
仮に南朝が正統だとしても後小松から北朝が正統になった、それで何が不満なの?
馬鹿なの?

887 :日本@名無史さん:2021/01/08(金) 21:26:28.04 .net
今の皇室問題を南北朝時代に絡めて話す奴がいるとまともな歴史談議が出来なくなる
政治と宗教の話は厳禁っていうけどそのとおりだな

888 :日本@名無史さん:2021/01/08(金) 21:40:49.51 .net
>>886
当時の人々の大多数は南朝でも北朝でもどちらでも、自分の利益になる方を支持する中立派、次に多いのが北朝正統派
南朝が正統と考えてる人は南朝に仕えてる人の中ですら一部にすぎず、ほとんど存在しなかった
南朝支持者のなかですら主流は中立派だ

江戸時代以後の南朝正統説は実際の南朝とは無関係にイメージとして南朝を見てただけの、机上の空論でしかない、むしろ宗教的なシロモノと考える方が妥当
新興宗教の一種だったと考えるのがいいんだよ

889 :日本@名無史さん:2021/01/08(金) 22:43:37.67 .net
どうでもいいけど、今の皇室が北朝だから〜なんて議論を歴史を語る場に持ってくるなって話。

890 :日本@名無史さん:2021/01/08(金) 22:56:15.34 .net
今の皇室が北朝というより、南北朝期も北朝が実際の政治を担って
最終的な勝利も北朝が得たというだけの話なんだよなぁ

南朝が正統とかいう話が入る余地がむしろない

891 :日本@名無史さん:2021/01/08(金) 23:07:41.47 .net
系譜を見ても後深草から伏見に始まる最兄系の血統が後花園まで途絶する事なく続いていたというのが一番凄い
まさに継続は力ってか

892 :日本@名無史さん:2021/01/09(土) 09:18:14.53 .net
>>890
どちらかといえば昔から大衆人気のあった楠木正成の主人だったから後醍醐が正統というのが全ての出発点といった感じ
この辺りは諸葛孔明の主人だから劉備が正統というのと同じか

893 :日本@名無史さん:2021/01/09(土) 10:26:04.52 .net
そもそも何で楠木正成って人気だったんだろ
人気を「強要」されていた明治〜昭和ならわかるが江戸時代に人気だった理由がわからん

現代じゃ楠木正成って別に人気ないわけじゃないけど、尊氏の方が人気だろう

894 :日本@名無史さん:2021/01/09(土) 12:05:15.99 .net
>>890
いや、同時代人の間での正成人気は高かった模様
幕府首脳部の人々も正成には尊崇の念があったようだ
太平記の筆者も忠臣正成と暗君後醍醐という対比で物語を作ってて、同時代人の間では後醍醐帝はむしろ不人気だよ、南朝には正成人気だけしかない

895 :日本@名無史さん:2021/01/09(土) 12:12:55.62 .net
楠木正成なんてどうでもいい
靖国神社でも参拝してろ

896 :日本@名無史さん:2021/01/09(土) 13:16:55.49 .net
今は後醍醐明君説がトレンドみたいだけど、じゃあ何で早期に瓦解したの?って話に戻っちゃうんだよな。

897 :日本@名無史さん:2021/01/09(土) 15:05:28.75 .net
>>895
あれは南朝の歴史に関してはフィクションが多くてダメだろ
三国時代を三国志演義で勉強するのに近い

898 :日本@名無史さん:2021/01/09(土) 15:06:34.55 .net
>>896
名君説なんてあるのか

むしろ始皇帝なみに問題児と思ったけど

899 :日本@名無史さん:2021/01/09(土) 15:30:29.85 .net
>>894
太平記の主人公は後醍醐天皇だし
後醍醐天皇に同情的に書かれてあるぞ
楠木正成なんて大して出てこず枝葉でしかない

900 :日本@名無史さん:2021/01/09(土) 18:42:49.22 .net
太平記をもとにして講談とか芸能が作られているから、そこで人気が出たんじゃないのかな?
「太平記読み」のころから何百年もかけて、楠木正成のヒーロー化が進んだ
明治維新のころには、皇国史観教育を待つまでもなく、すでにヒーローだった

901 :日本@名無史さん:2021/01/09(土) 18:55:53.21 .net
>>899
そりゃ、死んだあとも魔王に生まれ変わって蠢動してるぐらいに重要人物ではあるが、主人公的な活動には見えないぞ

902 :日本@名無史さん:2021/01/09(土) 20:25:14.54 .net
>>898
ここ10年の史学界のトレンドは明君説だね。後醍醐は政治手腕にも優れた人間と評されてるけど、本当かなぁと。

903 :日本@名無史さん:2021/01/09(土) 20:34:46.80 .net
ひょっとしたら始皇帝ほどじゃないけどそれなりに名君だったかもしれん、ぐらい?

政策的に大覚寺統の先代先々代の続きみたいな部分が多かったこととか足利幕府が継承していったものが多かったこととかは知ってるけど、それだけだと後醍醐帝名君説にはならないぞ
必要とされてるはずの政策の投入タイミングを読めなかった微妙な君主になるだけだ

904 :日本@名無史さん:2021/01/09(土) 20:36:11.22 .net
>>901
ちゃんと太平記読んでないだろ
後醍醐の若い頃、挙兵前からずっと心情を追って物凄く丁寧に描かれてある
土豪から後醍醐に登用され深い恩義を受けた一人である楠木正成が
最後見捨てられたような表記があるからって
後醍醐への恩義がなくなったわけでも後醍醐魔王化もしていない
大河ドラマなどの影響で後醍醐を裏切った尊氏が英雄、
正成は尊氏と大の仲良しで本当は一緒に後醍醐裏切って
尊氏方につくべきだったみたいなのを見すぎ

905 :日本@名無史さん:2021/01/09(土) 20:48:33.69 .net
いや、23巻ぐらいだったか、後醍醐崩御後の転換点、欠落巻の次の巻で、死んで魔王に生まれ変わった後醍醐帝が魔物たちを率いて世間を乱そうと指示を出す話があるじゃん、読んでないのか?

906 :日本@名無史さん:2021/01/09(土) 20:50:07.60 .net
ちなみに、どんな魔王に生まれ変わったかというと「第六天魔王」だ。
のちに織田信長がry のヤツな

907 :日本@名無史さん:2021/01/09(土) 23:43:03.09 .net
>>903
俺もそう思うんだけど、今の学会の潮流はそうなのは事実なんだな。
大河ドラマやった時の定説に対する反証が進んでるんだと思うが、結果から見て公家衆の支持も繋ぎ止められて無いんだし、その内揺り返しがあるとは思うけど。
良かったら論文書いて見たら?

908 :日本@名無史さん:2021/01/10(日) 10:30:17.82 .net
人間の能力には複数の面があるというだけのこと
後醍醐天皇はある側面では有能だったかもしれないが別の側面では無能だった

本当に自分の血統を残したいのであればそれこそ北朝のように
足利尊氏をさっさと征夷大将軍にして、自分は和歌でも詠んでいればよかった

909 :日本@名無史さん:2021/01/10(日) 11:21:51.24 .net
征夷大将軍には親王将軍を立てて、足利尊氏は執権にすればよかったと思う。
執権なら官位も従五位下相模守くらいに抑えることができた。

910 :日本@名無史さん:2021/01/10(日) 11:33:22.95 .net
建武政権下の征夷大将軍は全部、親王将軍だよ。どれも対足利の牽制としてだけど。
直義は鎌倉府だけど、執権にもなってる。
有能な実務官僚を駆使して実務にあたった点を評価する学者が最近多いけど、摂関を任命しなかったとか、旧来の家格を軽視したのはやはり致命的だったんじゃないかなぁ。

911 :日本@名無史さん:2021/01/11(月) 13:40:11.06 .net
>>909
最初から足利尊氏は目指すは征夷大将軍のみ
足利はもともと源頼朝と同族で頼朝になれて足利になれないはずはないという発想
これが受け入れられないなら武力で天皇の挿げ替えをやるのみ
実際、護良親王は征夷大将軍を望んだので足利に殺されてる
更に尊氏は頼朝同様、娘を天皇に入内させて天皇の姻戚になろうとしており
(娘早世で実現しなかったが死んだ娘に従一位と后の称号を贈らせている)
執権などで手を打つはずもない

912 :日本@名無史さん:2021/01/11(月) 14:31:58.68 .net
執権なんて陪臣の地位。家格を考えれば足利氏の惣領がつける地位じゃない。

913 :日本@名無史さん:2021/01/11(月) 15:31:56.87 .net
>>911
それは時系列がめちゃくちゃだろ。

914 :日本@名無史さん:2021/01/11(月) 16:04:50.70 .net
>>911
護良の処断はもとは後醍醐帝との権力争いで破れたのが始まりで、その敗北によって足利氏の預かりとなったんだよ
尊氏と争って破れたんじゃなくて、後醍醐帝と争ったんだ
なんせ、倒幕を牽引してたのは後醍醐帝ではなくて護良親王だからな、勲功が大きすぎた
護良に実権を持たせると後醍醐帝が実権を振るえなくなるほどに勲功が大きかったから、争いになって敗北したわけだ

915 :日本@名無史さん:2021/01/13(水) 22:19:29.55 .net
大覚寺統代々の父子抗争の伝統もあるし
そもそも後醍醐自身が父の後宇多と激しくやりあってるしで

916 :日本@名無史さん:2021/01/14(木) 07:51:45.54 .net
暗君でも仕えるからこそ忠臣
最たる場面は当然に湊川

正成ある限り帝は安泰
だがこれって同時に俺が死ねばお前も終わりだって意味なんだよな

917 :日本@名無史さん:2021/01/14(木) 18:24:42.17 .net
後醍醐は悪くない余計な事を言った坊門が悪い
これが戦前の統帥権干犯問題の理屈にもつながる

918 :日本@名無史さん:2021/01/14(木) 20:18:25.23 .net
太平記の坊門悪玉説信じてる人が今時まだいるんだ。

919 :日本@名無史さん:2021/01/14(木) 21:39:37.00 .net
誰が進言したにせよ聖断を下したのは後醍醐

920 :日本@名無史さん:2021/01/14(木) 22:25:23.67 .net
水滸伝でも悪いのは周りの大臣で皇帝は悪くないって論理なんだよな
それも宋学かって

921 :日本@名無史さん:2021/01/15(金) 06:55:12.32 .net
後醍醐って傍系の傍系やったら諡は「光○天皇」でよかったんとちゃうんか

922 :日本@名無史さん:2021/01/15(金) 07:13:47.11 .net
>>907
元々公家衆の支持を集められないからこその新儀だからな
所詮は復讐も兼ねて自分に好意的でない連中の既得権益を失わせるための政策に過ぎない

923 :日本@名無史さん:2021/01/15(金) 17:11:48.47 .net
だから所詮は側近政治に過ぎないと言われる
どんな制度を作っても結局は天皇の聖断が絶対だとなれば意味は無い

924 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 03:23:17.21 .net
鎌倉府将軍の成良親王の執権が足利直義。
尊氏が直義との関係が悪化する前に亡くなったら、北条執権のような足利執権家が誕生していたかも知れない。

925 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 06:38:06.31 .net
>>924
両親に見捨てられたんだよな

926 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 10:00:05.21 .net
足利氏より北条氏のほうが朝廷(天皇)には扱いやすかったんじゃないかな?
北条氏は元の家格が低かったこともあり、他の御家人とともに親王将軍の臣下で、
得宗・執権の官位も受領程度に過ぎなかった。
北条氏の鎌倉幕府を存続させた上で、足利氏は御家人の地位に押し込んでいたほうが
朝廷や公家の地位を守ることができたのではないか?

927 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 10:06:25.30 .net
>>926
といっても当時の北条は事実上の皇位決定権を持ってたからな
後醍醐がそれをけしからんと怒っていたという記録もあるがそもそも後醍醐の即位自体が幕府の仲介あってなんだから無理と勝手がある

928 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 12:07:43.99 .net
>>926
武士が就任しうる官職・位階の上限を引き上げたのも後醍醐帝だしなあ
その結果が室町幕府ともいえる

929 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 12:19:46.50 .net
>>928
応仁の乱では室町幕府がそれをやって戦国時代を招く

930 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 14:52:53.01 .net
>>927
神皇正統記で北畠親房が北条は官位を欲しなかったと褒めていたような
朝廷が後深草か亀山かという皇位継承争いをわざわざ幕府に持ち込まなければ
北条も自分のほうから口出しすることはなかったと思う
「10年たったからそろそろこっちに皇位をよこせ」も
いちいち朝廷側から幕府に申し入れてたんだよ
後醍醐も戦うべきは皇位こっちによこせと
鎌倉幕府に申し入れている持明院統だったのに
矛先が鎌倉幕府に向いたからな
尊氏だって一度は後醍醐配下に入ったのだから
うまくやれば後醍醐で皇統統一は可能だった

931 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 15:18:46.58 .net
尊氏も最初は「後醍醐流の下で幕府作らせてくれればそれでおk」だったぽいし。実力以上のものを欲しがってすべてを失ったと。

932 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 16:52:01.93 .net
全か無か
そして無で終わったわけで

933 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 17:28:29.14 .net
>>929
でも、戦国時代に朝廷が再びそれをやったときは、朝廷の権威は下げ止まり・底打ちになってんだよな

934 :日本@名無史さん:2021/01/16(土) 22:06:26.49 .net
>>933
朝廷が完全な権威機関として反転上昇する機会にもなったんだよな

935 :日本@名無史さん:2021/01/19(火) 21:36:46.34 .net
ようやく買った南朝の真実

936 :日本@名無史さん:2021/01/20(水) 19:15:36.15 .net
護良って祖父の女に産ませた子だったのか

937 :日本@名無史さん:2021/01/20(水) 19:23:22.95 .net
後醍醐帝の母親だって、たしか後宇多と疎遠になったあとで亀山の庇護下に入ってるし、わりとよくあったことかもしれない

938 :日本@名無史さん:2021/01/23(土) 13:10:08.00 .net
直仁が実際に即位してたらどうだったんだろうな
例え実の父が光厳であっても公的にはあくまで花園系なだけに

939 :日本@名無史さん:2021/01/27(水) 00:53:17.93 .net
ジャンプ新連載、北条時行が主役、今後楽しみ

940 :日本@名無史さん:2021/01/28(木) 22:28:31.67 .net
もしも光明に皇子がいたらもっと面倒になっていたか

941 :日本@名無史さん:2021/01/29(金) 13:09:29.85 .net
南朝による幽閉中に即位させないと書いちゃったんだろ
崇光流もそれでみじめな状態になった

942 :日本@名無史さん:2021/01/30(土) 08:38:03.94 .net
皇位のあっちこっちはもうウンザリだった幕府が後光厳流一本に絞ったのも大きかった

943 :日本@名無史さん:2021/01/30(土) 12:48:34.15 .net
天皇から官位を賜り将軍となるのに
将軍が天皇を選ぶんだからわけがわからない

944 :日本@名無史さん:2021/01/30(土) 15:30:28.21 .net
天皇家が自分で選べないから

945 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 18:18:18.19 .net
>>943
天皇が武家幕府の将軍を選んだことはなく、任命は単なる追認にすぎない
形式的には任命だが、その儀式で強化されるのは将軍の権威よりも天皇の権威の方だ

946 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 18:49:08.12 .net
理論より先に現実があり、理論ってのは現実を説明する、理解するためのもの

理屈に合わない現象があった場合、おかしいのは現実ではなく理論

947 :日本@名無史さん:2021/01/31(日) 23:26:06.41 .net
>>945
要するにコミッションなんだよな

948 :日本@名無史さん:2021/02/01(月) 06:55:25.57 .net
>>946
その逆が理先気後か

949 :日本@名無史さん:2021/02/01(月) 12:25:19.44 .net
現実的なものは論理的であり、論理的なものは現実的である

950 :日本@名無史さん:2021/02/01(月) 18:21:12.85 .net
数学の授業で背理法というのを習ったことはないかな

誤った仮定を元に、誤った前提で理論を構築することはできる、しかしそこからは誤った結論が出きる。
仮定、前提が正しいことは必ずしも容易には判断できない。

だから、理論的に考えて得られた結論が誤ってたり現実に会わないことは珍しくない。
そういうときは理論が間違ってるって訳だ

951 :日本@名無史さん:2021/02/02(火) 02:25:56.75 .net
>>950
それで、サヨクの宗教であるところの自然権たる基本的人権の尊重を否定できるのかな?
できたら、念仏もつまり南無阿弥陀仏も南無妙法蓮華経も否定できるのか な?
でも、そういう理想を現実無視して前提にしないとたしかにハナシが進まないことはある
神とか霊魂とかあの世とか
かといって無制限に移民を受け入れられるとか、自国民以外の面倒まで見る責任があると思われても困る
そこらへんの線引きを認めないのがサヨクのようだから、ハナシがすれ違って困るというか疲れる

952 :日本@名無史さん:2021/02/02(火) 07:43:35.19 .net
猪飼野の歴史の本を本屋で立ち読みしてたら熊沢天皇のことが書いてあった
・・・と言っても、猪飼野出身ではなくたまたま(?)居候していただけのようだが

953 :日本@名無史さん:2021/02/02(火) 12:12:13.72 .net
>>951
いや、オレは基本的人権は尊重されなければならない派だから否定したくないんだが

ただ、自然発生的なものではなくて社会の要請によるもので、近代社会は基本的人権を前提とした社会構造ができてしまってるから今さら否定するのは無理、的な。
現代社会においては、持続的発展を支える基礎が基本的人権の存在を前提にしてるから、
これを否定したら社会は長期的には安定できなくなると。

逆にいえば、社会の要請として古代から中世に存在した奴隷制もまた、社会の存立を支えていた基盤であり、時代に合わなくなったから廃止されざるを得なかっただけと考えている

954 :日本@名無史さん:2021/02/02(火) 21:18:16.74 .net
>>952
戦前で熊沢が不敬罪にならなかったのはやはり南朝の威光か

955 :日本@名無史さん:2021/02/04(木) 08:20:34.64 .net
正平の一統以外にも南朝が有利な形で妥協するチャンスは何度かあったんだよな
もちろん相手が最後まで約束を守るか信用出来ないかったというのもあるだろうが形として蹴ったのが南朝側だった事実に間違いない

956 :日本@名無史さん:2021/02/09(火) 08:33:07.37 .net
結局は後醍醐だけでなく祖父の亀山以来の皇統全てが衰滅した事になるんだよな
その意味では祖父や父に対する復讐だけは果たせた事になるか

957 :日本@名無史さん:2021/02/09(火) 14:23:08.74 .net
後醍醐は自身の中宮腹の皇女を光厳上皇に嫁がせるなど
融和を考慮したといえなくもないからな
後小松のときの南北朝合一ではそれすらなかった

958 :日本@名無史さん:2021/02/09(火) 22:36:13.75 .net
>>957
後醍醐にとっては大覚寺統内部こそ敵だったとも言えるからな

959 :日本@名無史さん:2021/02/10(水) 06:08:58.57 .net
あと後醍醐自身が持明院統から中宮を迎えてるからな
もし皇子が生まれていたら一番のベストだったんだが
後醍醐ならばあっさりそっちに後継をすげ替えたか恒良の次にしたかもしれない

960 :日本@名無史さん:2021/02/10(水) 13:37:51.15 .net
>一番のベスト

961 :日本@名無史さん:2021/02/11(木) 13:48:22.18 .net
ふうむ


オレ的には、一番のベストより二番のベストが実現してた方が面白かったと思うなあ(って、二番ってどんなシナリオやねん

962 :日本@名無史さん:2021/02/12(金) 16:22:38.82 .net
まあ具体的には後醍醐流の皇位独占を持明院統に認めさせる事が出来るなら何でもなんだろうがな

963 :日本@名無史さん:2021/02/12(金) 19:28:00.76 .net
しかし、キリありまへんな  どこまでいくんや


A流-A流A家-------A流A家
         ------- A流D家
         --------A流E家
   -A流B家--------A流B家
         --------A流F家
   -A流C家--------A流C家
         --------A流G家

B流-B流-A家
   -B流-B家
   -B流-C家

964 :日本@名無史さん:2021/02/16(火) 00:14:29.27 .net
無理を承知で各勢力の石高わからんかなあ

朝廷 40万石
延暦寺 50万石
北朝 15万石
南朝初期 1万石
南朝後期 1千石
北条全体 30万石
足利氏 3万石
斯波氏 2千石
細川氏 1千石
高氏 1千石
新田氏 1万石
楠木氏 8千石

965 :日本@名無史さん:2021/02/16(火) 02:18:54.76 .net
そもそも、領地の収益を石高という単一指標で表そうとする仕組みを作って整備したのが戦国時代末、織豊政権ごろのことだからなあ

範囲を限れば貫高として表現できることもある、程度かと

966 :日本@名無史さん:2021/02/16(火) 03:51:45.58 .net
>>965
まあ指標・単位はなんでもええねん
要は相対評価できれば・・・・

967 :日本@名無史さん:2021/02/16(火) 03:53:45.49 .net
>>966
細かい訂正 相対評価とは言わんか

相対的に比較・・・か

968 :日本@名無史さん:2021/02/16(火) 22:26:44.76 .net
中世の前半までは荘園の年貢は単一指標で把握するのが困難なんだよなー

荘園によって絹布だったり米だったり柿しぶや銅銭や樹木と、年貢の内容が異なってて金額としての把握自体が難しい
物価が場所によって、ものによっては季節によっても違うことも比較困難さに拍車をかける

969 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 08:05:44.91 .net
>>826
平泉が意図したのはむしろ現在においてあるべき理想的な忠臣のモデルケースたからな
だから実際にどうであったかは重要ではないし知った事でもない

970 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 08:13:08.44 .net
>>837
といってもそれはあくまで生きていればの話であって死んでしまえば死後にどうしろなど紙屑同然
それこそ恒明や直仁みたいに

971 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 12:33:22.87 .net
後南朝の所領は小規模だっただろうな
兵の動員力もせいぜい数千人くらいだっただろう
指揮を執ることができる武士も楠木正理くらいしかいなかった
北山御所の公卿たちは実戦には役に立たなかった

972 :日本@名無史さん:2021/02/26(金) 08:02:42.33 .net
究極的に言うなら後醍醐は自分の子孫たちが皇位を巡って殺し合っても一向に構わなかった感じなんだよな
それがあくまで自分の血脈の中であるのなら
但し結局はあれだけ作った子孫たちの誰もが生き残れなかったが

973 :日本@名無史さん:2021/02/26(金) 21:30:55.17 .net
おそらく自分の子孫が皇位を独占出来ないのなら天皇制も日本もどうなっても構わなかった

974 :日本@名無史さん:2021/02/26(金) 21:34:43.82 .net
後醍醐天皇は一番、天皇になってはいけない人物だったな

975 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 00:18:08.60 .net
>>974
だからこそ天皇制の自浄能力によって排除されたとも言えるんだよな

976 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 01:38:57.34 .net
天皇家の伝統のなかではすさまじく異質な後醍醐天皇も、大覚寺統の中では、ちょっと自己主張が強すぎる他は異質というほど異質じゃないっぽいんだよねえ
政策の多くは大覚寺統の天皇たちの延長線から大きく離れてはいない
倒幕だけが突出してる程度かと

977 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 08:51:11.26 .net
>>976
倒幕しないと自分の皇位が保たれないからな
大覚寺統の独自性は血統的に傍流である事も大きいが後醍醐は更に傍流だからな

978 :日本@名無史さん:2021/02/28(日) 02:03:04.40 .net
>>953
は基本的人権を前提とした近代社会
古代から中世に存在した奴隷制社会

この対比を同一根拠と捉えてるのはなかなか興味深い

979 :日本@名無史さん:2021/02/28(日) 17:58:25.93 .net
もともと、大学の頃に教わった話題、南北戦争の北部諸州を筆頭に近代工業社会では奴隷制より市民制のほうが資本家にとって有利だから南北戦争が起きて北部が勝ったとの視点bから出た見方だが、
奴隷制も基本的人権も社会的要請に由来するものと統一的に考える方が理解しやすいだろ

質的にまったく異なる新規の概念が急速に普及するのはおかしいことだ。

980 :日本@名無史さん:2021/03/01(月) 09:27:54.88 .net
皇室はいっぺん傍流になったら後は落ちていくだけやしなあ

息子・孫あたりまでは公卿になれてもそこから先は落ちるところまで落ちて最終的には大半が庶民になったのではないか

981 :日本@名無史さん:2021/03/01(月) 12:44:01.25 .net
天武天皇の系統も次第に衰えていったからね
文室氏なんかは最初は公卿になっていたが、やがて下級官人や武士の家人しかいなくなる

982 :日本@名無史さん:2021/03/01(月) 16:13:01.32 .net
>>980
それでも崇光流は曾孫の代でカムバック出来たからな
幸運もあるが血統的に本来の嫡流だというのも強かったか

983 :日本@名無史さん:2021/03/02(火) 06:30:23.67 .net
>>976
異質な存在という括りなら後鳥羽天皇も

984 :日本@名無史さん:2021/03/02(火) 06:39:24.87 .net
>>950
カロリックという今では間違いとされる説を元に構築された熱力学は正しい理論だがw

985 :日本@名無史さん:2021/03/03(水) 18:36:43.79 .net
(脱線)
高校で「フロジストン」は習ったけど「カロリック」を習わなかったのはなんでだろう?

986 :日本@名無史さん:2021/03/23(火) 08:17:32.01 .net
>>16
光厳が直仁をゴリ押ししたのも典型だな
もちろん即位させる前に死んでしまえばそれまでだが
皮肉にも正平の一統こそが将来の厄介を取り除いたとも言える
まだ後光厳の方がマシだって

987 :日本@名無史さん:2021/03/24(水) 16:26:41.67 .net
即位しても実権を持てずに終わった崇徳の例もある

988 :日本@名無史さん:2021/03/24(水) 18:43:39.90 .net
基本は院政だから、治天にならなかった天皇はたいてい実権をもてないまま退位してるだろ、崇徳だけちゃうで

989 :日本@名無史さん:2021/03/24(水) 19:00:58.08 .net
>>988
その時の治天がゴリ押ししてもそのまま正統となるとはいえない
典型はまさに亀山

990 :日本@名無史さん:2021/03/25(木) 10:08:46.22 .net
         ,___
       o'⌒)  `ヽ
        (i:i:i:i:i:☆i:i) 朝鮮ヒトモドキの良い所を3つ言え
         ( ´・ω・)
         (  ∽)         (~)
           ) ノ        γ´⌒`ヽ
          (_         {i:i:i:i:i:i:i:i:} えっと、、、
          [il=li]        (ω・`  ) マ○コが・・・
          )=(_        (:::::::∪)    キモチイイ
         (-==-)         し─J      くらいかな
          `ー‐''

991 :日本@名無史さん:2021/03/26(金) 06:36:09.84 .net
>>989
本人に対しても本人にとっても

992 :デルタ サギッタリ:2021/03/26(金) 09:48:37.37 .net
仏教ってさあ、最高存在を、
法って教えてるんだぜ
道教もそう
儒教は人間信仰
キリスト教は、天国信仰 
神は、ヤーベとエホバしか説いてない
アブラハム信仰は、
一時代しか説いてない
神道神学歴史学自然科学

993 :デルタ サギッタリ:2021/03/26(金) 09:52:31.77 .net
もとい、大学

994 :デルタ サギッタリ:2021/03/26(金) 09:56:51.63 .net
俺は何故か、
平氏の女性が大好きだ
前田有紀ちゃんも好き

995 :日本@名無史さん:2021/03/26(金) 12:20:00.10 .net
>>992
ヤーベとエホバって、ジョンとヨハネみたいなもんで、単なる発音違いの同一名称じゃないの?

996 :デルタ サギッタリ:2021/03/28(日) 03:09:42.56 .net
そうか、
要するに、
神道と、神学だけでいいのか

997 :デルタ サギッタリ:2021/03/28(日) 03:11:45.07 .net
学は添えだな
寧ろ

998 :日本@名無史さん:2021/03/31(水) 06:55:02.32 .net
昨日の読売新聞夕刊に「新田義貞は足利一門の庶流」って書いてあったんやが、そうなん?

俺、素人なんで初耳 知らなんだ

999 :日本@名無史さん:2021/03/31(水) 07:44:09.64 .net
最近はそういう説が有力らしいよ

鎌倉時代後半には、幕府からはそう扱われてたと。

南北朝期に新田氏支流なのに足利がわについたのが少なくなかったのも、新田を裏切って足利についたのではなかったから、
その後も足利の支流扱いされてたのも従来の扱いを踏襲してただけ、として説明しやすくなるみたい

1000 :日本@名無史さん:2021/03/31(水) 13:50:01.55 .net
吉野の南朝皇居の吉水神社のお守りにセーマンドーマン ついてたわ
やっぱり五芒星と六芒星は2つあってはじめて邪気を払えるってことな

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