■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
秦氏はどこから来たか 4
- 988 :日本@名無史さん:2023/09/16(土) 00:09:13.03 .net
- >>987
この考え方が正しければ、弓月君が渡来した4世紀末頃には、半島には辰韓の呼称はあったが、秦韓の呼び名はまだなかったということになる。
その後、半島では斯盧国が力をつけて大きくなり新羅と称するようになった結果、辰韓諸国はまとまりをなくして、新羅以外のこれらの旧辰韓諸国は秦韓と便宜的に呼ばれる部族連合になっていたということだ。
そして、倭王の讃が宋王朝に朝貢した425年頃には、かつての辰韓は大きくなった新羅と残余の秦韓諸国に分裂していたと理解すれば、讃の奏上文をそのままに受け入れることができることになる。
なので、秦氏が秦韓の秦の字をハタの名に被せたのだとすれば、それは弓月君が渡来した4世紀末頃のことではなく、それから30数年くらいも後になってからのことになるわけだ。
しかし、その仁徳のころに、氏族の名に漢字を被せることが慣習的に行われていたかどうか、その検証が必要だろうな。
総レス数 1054
397 KB
新着レスの表示
掲示板に戻る
全部
前100
次100
最新50
read.cgi ver.24052200