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【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬拾玖

1 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:23:56.15 .net
九州に決まっとろうが?
福岡県山門郡、筑紫、糸島、大宰府、鐘崎、鹿児島県川内、出水、阿久根、宮崎県日向、延岡、高千穂、熊本県熊本、阿蘇、八代、球磨郡、人吉、佐賀県唐津、伊万里、長崎県松浦、佐世保、雲仙、島原、天草、潜木、塩田周辺を今すぐ発掘せないかん!

九州中南部説、九州南部説、魏志倭人伝から邪馬台国の位置を何らかの根拠を以って推測する議論等々も大歓迎!
ただし異説を唱えたい人は必ず根拠を明示すること。
根拠がなければただの妄想やけんね。

議論百出は大いに歓迎。
レッテル貼りで議論から逃げ出すごたる奴は九州男児じゃなかばい!

前スレ
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬拾捌
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1609874228/

前スレは荒らしや叩きなど醜いレスバに邪魔され続けて住人たちがまともに議論し合えなかったという経緯があります。
同じ轍を踏まないためにも、このスレでは罵倒のみの駄レスを禁じます。
それは声闘という朝鮮人の文化です。
反論は論理的に、それが出来ないのはただの負け犬です。

2 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:24:15.78 .net
邪馬台国議論で必ずと言っていいほど議題に上がる水行陸行の記述だが、他の中国史書に照らすと
水行●●陸行▲▲という表現は、「水行ならば●●掛かり、陸行ならば▲▲掛かる」の意味である
これを押さえておかないと正解には辿り着かない

【用例】
通鑑釋文辯誤卷六
https://www.kanripo.org/text/KR2b0012/006#1a
>沈約宋書云汶陽太守何承天志新立去江陵陸行四百里水行七百里上黃縣
江陵から上黄県まで陸路で200kmほどなので、陸行四百里だけで目的地に着いてしまう
江陵は長江のほとりなので蛇行する川を水行すると陸路は無しで目的地に着ける

【嘉興府志】
https://wenku.baidu.com/view/d78078781711cc7931b71692.html
>{嘉善縣誌}達省城二百里達京師水行四千一百三十裡陸行三千六百二十裡
嘉興府の置かれた嘉興市から京師(首都のこと、当時は北京)まで直線距離で1100kmほど
やはり陸行三千六百二十裡だけで目的地に到達してしまう
また、杭州湾沿岸の嘉興市から沿岸水行して北上し、蛇行する川を遡って北京まで2000kmほどで水行もそれのみで目的地到達、陸路の出番なし

3 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:24:29.01 .net
>>2により邪馬台国までの所要時間は水行ならば10日、陸行ならば一ヶ月であると確定したが、
同時に行程が放射読みで書かれていることも導かれる

なぜなら前段に書かれている投馬国へは水行20日とあるので、連続読みならば、訪問者は投馬国に着いた時点で必ず船に乗っていることになる
20日間も船に乗って投馬国まで来たのに、そこからわざわざ船を乗り捨てて3倍も時間の掛かる陸路を選ぶ理由が存在しない
そのままあと10日船で行けば済む話であるから、もし連続読みで記載しているのならば投馬国からの陸路なんて記載する必要が無い

そうではなく、行程が放射読みで書かれているため、伊都国を経由して邪馬台国へ行こうとする中国人への道案内のための文章としては
彼らが船を確保できていないケースも想定しなければならない
なぜなら末廬国から伊都国までは陸行だと書いてある以上、伊都国に到着する中国人は船に乗っていないわけだからな
そのため時間さえかければ陸路でも行けることを併記する必要があった

つまり邪馬台国の場所は伊都国と地続きの範囲、すなわち九州内に限られる
水行のみで行ける場所なので海か大河のほとりであり、かつ陸行も可能なので伊都国との間に通行不能な山塊などは存在しない地域、となる

4 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:24:41.00 .net
BS-TBSの諸説あり!の映像らしいが、弥生時代の鉄鏃が大量に出土した場所が九州を横断するように存在している
どう見てもここが邪馬台国と狗奴国が戦闘してた戦線=国境ライン

https://i.imgur.com/31R7rP6.jpg

熊本も菊池川より北側あたりは女王国に属していたようだ
これは免田式土器の分布とも一致する

https://i.imgur.com/4pKQIsd.jpg
https://i.imgur.com/xysLhhD.jpg

5 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:24:55.57 .net
383 :日本@名無史さん :2020/05/28(木) 00:59:58.44
さて、こうして狗奴国の領域を考古学的に検証してみると
以前作ったこの地図はかなり正しいように思えるな

309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
>>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に>>138,290,295の内容を加味して
総合的に考えた結果こうなった
https://i.imgur.com/8UPzltf.jpg
https://i.imgur.com/pPIaxBU.jpg


当時はまだ免田式土器の知識が足りなかったから狗奴国に阿蘇地域を含めていないなどの欠点はあるが
邪馬台国の位置検討の上では支障無いだろう

6 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:25:11.79 .net
キナイコシの発言には考古学的裏付けが全くありません、ただの嘘です

考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

7 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:25:40.23 .net
570 :日本@名無史さん :2020/11/28(土) 01:54:13.64
>>550
そう考えたい気持ちも分からないではないけど、それだと魏志倭人伝を無視しすぎになってしまうと思う
伊都国の主体が海人族の安曇なのだから、伊都国の領域は糸島から博多沿岸部にかけてで、
内陸の農耕国家の奴国(春日市一帯)と分かれていたと考えるべきだろう

では切れ目はどこに?と思うだろう
これを見てほしい
http://inoues.net/iron_nakoku.gif

博多湾周辺の製鉄遺跡の分布だが、今宿から早良一帯にかけて多数あるのに対し、
樋井川を境に分布がぷっつりと切れている
そこから東にある奴国の都とされる春日丘陵一帯には全く存在せず、東区あたりからまたまばらに存在する
樋井川は細く国境としてはいささか心もとないが、樋井川のすぐ東には鴻巣山など中央区〜南区の丘陵地帯があり、これが国境を分けたのだろう
ここから読み解けば、樋井川以西は内陸まで伊都国であり、奴国は丘陵を挟んだ東側一帯という分かれ方だったと分かる
また東区に少数とはいえ分布があるということは、やはり博多湾沿岸は伊都国の勢力圏だったということだろう

春日丘陵には多くの青銅器加工遺跡が見つかっているにも関わらず、製鉄遺跡は全然無いというのは特筆するべきことだろう
伊都国は奴国に鉄加工の技術を渡さなかったことになる
鉄は銅より融点が高いため、加工にはより高温の炉が必要となる
海人族の航海術を生かして海外に直接進出していた伊都国のほうが技術力は上だったということだな
青銅の奴国と鉄の伊都国、そんな分かれ方が見て取れる

奴国からも鉄鏃等の鉄器は多数発掘されているので交易により製品は渡っていたが、肝心の加工技術は伊都国が独占していたようだ
これは倭国大乱で争ってからそう時間が経っておらず、大国である奴国を警戒した結果だと考えるのが自然だろう

8 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:26:10.90 .net
考古学的にはどう見ても伊都国は当時の先進国
それは紀元前からの流れ

福岡、国内最古級の「すずり」か 糸島市の御床松原遺跡
https://www.tokyo-np.co.jp/article/71187
> 福岡県糸島市の御床松原遺跡で出土していた板状石製品は弥生時代中期前半(紀元前150年ごろ)で、国内最古級のすずりとみられることが分かったと
> 柳田康雄・国学院大客員教授(考古学)が28日、九州考古学会総会で発表した。
> 柳田氏は御床松原遺跡の発掘報告書で「くわ」とされた石製品(長さ18・6センチ、幅6・8センチ、厚さ1・2センチ)を鑑定。
> 柳田氏が2017年に墨の付着跡などから完形品のすずりと発表した薬師ノ上遺跡(同県筑前町)の石製品(長さ15・3センチ、最大幅6・3センチ、厚さ0・7センチ)と同じ形状と分かり、
> 御床松原の石製品は製作途中のすずりと判断した。

キナイコシの発言には考古学的裏付けが全くありません、ただの嘘です

9 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:26:46.13 .net
考古学的にはどう見ても伊都国は当時の先進国
それは紀元前からの流れ

298 :日本@名無史さん :2020/11/24(火) 22:51:33.01
>>234
>伊都王家なんて幻想。独立した存在ではない
そうやって考古学的事実から逃げるから君は事実に辿り着けない
古代史を考えるときに文献から出発するのは間違いの元
まず考古学的事実を確かめ、それを文献から解釈するようにしないと文献の嘘や誤りに流されるだけ

https://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp020101.htm
> 現在のところ、我が国で見つかった最も古い鉄器は、縄文時代晩期、つまり紀元前3〜4世紀のもので、
> 福岡県糸島郡二丈町の石崎曲り田遺跡の住居址から出土した板状鉄斧(鍛造品)の頭部です。
> 鉄器が稲作農耕の始まった時期から石器と共用されていたことは、稲作と鉄が大陸からほぼ同時に伝来したことを暗示するものではないでしょうか。

分かるかい?
日本で一番古い鉄器は伊都国から出土してるんだよ
紀元前から鉄を手に入れ、その後も半島航路を牛耳っていた伊都国が畿内の田舎に仕えるなどあり得ないことだ


キナイコシの発言には考古学的裏付けが全くありません、ただの嘘です

10 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:27:00.68 .net
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

11 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:27:13.44 .net
対馬の霹靂神社には磯武良も祀られている
式内社なので言うまでもなく江戸時代どころの話ではなく、はるか昔から磯武良の呼称は存在する
キナイコシ君がどんなに捏造しても無駄

https://genbu.net/data/tusima/ikaduti3_title.htm
> 霹靂神社
> いかづちじんじゃ
> 長崎県対馬市上対馬町大増1073
>
> 式内社 對馬嶋上縣郡 能理刀神社
>
> 御祭神
> 雷大臣 日本大臣 磯武良
> 伊弉諾尊 事解男 速玉男 『大小神社帳』

12 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:27:27.31 .net
考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/qQUIcdb.jpg

> 417 :日本@名無史さん :2020/10/14(水) 00:33:35.04
> https://i.imgur.com/Ah5Akjy.jpg
> この図を見れば、航海術を活かして海外と交易していた海人族の国がどこだったか一目瞭然だなw
> 奴国の王都だった須玖には中国銭や楽浪系土器はほとんど無い
> 博多湾の沿岸部にはあるのに奴国の王都にほとんど無いのは何故か
> それは博多湾沿岸部の集落が伊都国に属していたから以外に説明はつかない

13 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:27:42.68 .net
220 :日本@名無史さん :2020/10/01(木) 00:05:02.26
>>218
事実を述べられるのがよほど都合が悪いようだねキナイコシ君w

まあそれはそうだろう
3世紀までには安曇は既に近江まで進出して畿内を包囲しつつあったのだから
その安曇が卑弥呼の腹心である伊都国の民ならば畿内説は絶望だもんな
でも君の都合で歴史の真実を曲げることはできないんだよ
諦めて現実と向き合いなさい

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B3%B6%E5%B8%82
> 高島市(たかしまし)は、滋賀県の西部、琵琶湖北西に位置する市。市の面積は県下一である。
>
> 古代の弥生時代の3世紀以前に古代日本を代表する有力氏族である安曇族が定着した。
> 高島の一級河川の安曇川の名称は安曇族に由来する。県名の滋賀県も安曇族に由来すると言われている。(滋賀郡の郡名の由来を参照)


包囲される奈良盆地の図
https://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg

14 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:28:11.78 .net
854 :ニューノーマルの名無しさん :2020/10/25(日) 16:41:20.86 ID:LE6hm1QV0
>>799>>832のように、九州邪馬台国が東遷して大和朝廷になったのは状況的にほぼ確か
ではその時期はいつか、となると考古学でみるしかない

九州から本州西部への民族大移動の形跡は破鏡の分布の変遷で見ることが出来る
破鏡とは銅鏡を割った破片で、縁をナイフ状に加工したものや紐を通して首から下げるために穿孔したものだが、
弥生後期から古墳時代にかけて出土する

その分布を見ると、卑弥呼のいた弥生後期〜終末期とそのすぐ後の古墳時代前期で劇的に変化していることがわかる
図は「破鏡の伝世と副葬ー穿孔事例の観察からー」辻田淳一郎 より

弥生時代後期〜終末期
https://i.imgur.com/r08Lrgf.jpg
古墳時代前期
https://i.imgur.com/AeBKKnz.jpg

弥生時代には破鏡の分布はほぼ九州の北半分に偏っていて、本州では九州から海人族が進出していた沿岸部に限られているのに対して
古墳時代になると本州西部全域に分布が広がり、逆に九州からは減少している
九州内でも、弥生時代には熊本平野、大分大野川流域に分布していた破鏡が古墳時代になるときれいに消滅している

破鏡は鏡の破片なので支配者層の持ち物ではなく、それよりやや下級の武人等が身につけたと考えられる
弥生時代に熊本平野に破鏡があるのは狗奴国と戦闘していた邪馬台国の兵が身につけていたものだろう
それが古墳時代に無くなり本州西部に移るのは、弥生末に狗奴国が滅びて九州北部を統一した邪馬台国が本州へ東征を行ったことを示している
このことは、3世紀まで鉄器のなかった奈良盆地が4世紀に入った途端に大量の鉄器が出土するようになることとも符合する

考古学的に見て、神武東征の時期は3世紀末〜4世紀初頭頃

15 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:28:28.97 .net
> 825 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:55:12.63 ID:d3rkd5G50
> 弥生時代の鉄分布と北部九州を代表する海人族阿曇の分布がよく一致する
> 鉄は海人族とともに九州からやってきたんだな
> http://inoues.net/tango/tango_z1.jpg
> http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg

> 828 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:01:52.61 ID:yQGATf5S0
> >>825
> 福岡の1621に対して奈良の13が光るねwwww
>
> そこから読み取れるのは、奈良は九州を支配するどころか近隣の山城や河内さえ支配できてなかったってことだな
> そして4世紀以降急に発展するのは九州の海人に征服されてその東国攻略の前線基地になったおかげ、と

> 841 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:23:21.53 ID:1L9obXG40
> >>825
> >>308の資料と照らしても間違いなさそうだな
> 弁韓の鉄材と鉄加工の技術を持った海人が西日本を席巻していき、やがて東日本をも射程に捉えたので畿内を前線基地にしたのだろう
> だが東に版図を広げるにつれて遠い九州が本国では不便になり、畿内に都を移した、というのが一番しっくりくるストーリーだ

16 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:28:41.97 .net
淡路島の遺跡は瀬戸内海を支配した北部九州の海人族の遺跡

弥生時代の海の勢力図
http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/doigahama/a2.jpg
瀬戸内海は北部九州を本拠地とする海人族の支配下


弥生期の鉄製ヤス出土 淡路で近畿初
https://www.infokkkna.com/ironroad/2018htm/2018iron/18iron03.pdf
> エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
> ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
>
> 弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
> 愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
> 「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
> 今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。

https://sun-tv.co.jp/suntvnews/news/2020/11/23/31436/
> 調査の結果、4棟の工房や20棟の竪穴建物跡が発見され、釣り針などの漁具や小刀を含め、およそ170もの鉄器が出土。
> また、九州産のヤリガンナや山陰地方の土器などが見つかったほか、中国から来たとされる青銅鏡の一部が出てきました。

> 九州産のヤリガンナ
> 九州産のヤリガンナ
> 九州産のヤリガンナ

17 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:30:10.84 .net
136 :日本@名無史さん :2021/01/11(月) 01:47:53.36
>>70
そうではなくて、北部九州の海人族が本州の沿岸部や淡路島にも進出してたってことだよ
絹の話になるが、絹研究の権威、布目順郎氏の見解によると北部九州は400年ほど養蚕技術を独占して他に渡さなかったという

https://www.jstage.jst.go.jp/article/fiber1944/45/6/45_6_P277/_pdf
> (iv)九州から本州への養蚕伝播――
> 弥生絹は今のところ福岡,佐賀,長崎の3県以外からは出ていない。
> それが古墳時代前期になると近畿,中国,北陸からも絹が出るようになり,九州では北部のみでなく熊本県からも出るようになる。
> すなわち,養蚕がわが国へはじめて伝えられてから少なくとも400年間は九州北部で独占していたことになる。
> 九州から本州への伝播経路としては,瀬戸内海ルートと日本海沿岸ルートの2つが想定される(図4)。
> 魏志倭人伝は,邪馬台国において養蚕・絹織が行われていると記し,その時期は弥生後期に当たる。
> そのことと,上記の事柄とから,邪馬台国の所在地としては,九州北部とするのが妥当と考える。

つまり弥生期の北部九州には重要技術を独占して自らの優位性を保つという発想が既に存在していたわけで、
まして兵器に使用できて絹より軍事的に重要な鉄加工の技術を他国においそれと渡したと考えるのは難しい
海人族自身が現地に行って鉄加工していた痕跡と見るのが正当だろう

18 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:32:37.38 .net
鹿島のタケミカヅチは安曇磯良だから九州系

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
> 民間伝承では、阿曇磯良(磯武良)は豊玉毘売命の子とされており、「日子波限建」(ひこなぎさたけ)と冠されることのある鵜葺草葺不合命と同神であるとする説がある
> (磯と渚はどちらも海岸である)。また、『八幡宮御縁起』では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしている。
> 『磯良ト申スハ筑前国鹿ノ島明神之御事也 常陸国鹿嶋大明神大和国春日大明神 是皆一躰分身 同躰異名以坐ス 安曇磯良ト申ス志賀海大明神
> 磯良ハ春日大社似祀奉斎 天児屋根命以同神』(愚童訓より)

http://www.genbu.net/saijin/isora.htm
> 袋中上人の『琉球神道記』には「鹿島の明神は。もとはタケミカヅチの神なり。人面蛇身なり。 常州鹿島の海底に居す。
> 一睡十日する故に顔面に牡蠣を生ずること、磯のごとし。故に磯良と名付く。 神功皇后、三韓を征し給うときに、九尾六瞬の亀にのりて、九州にきたる。
> 勅によりて、梶取となる。また筑前の鹿の島の明神。和州の春日明神。この鹿島。おなじく磯良の変化なり」とある。


古代にも要職にある人物等は事実を知っていたらしく、宮城の磯良神社では坂上田村麻呂が筑前志賀島ではなく常陸国鹿島郡から磯良を勧請している
つまり茨城の鹿島神宮に祀られるタケミカヅチが安曇磯良だと坂上田村麻呂は知っていたわけだ

http://miyagitabi.com/sikama/isorajinja/index.html
<磯良神社の由来>
> 延暦23年(804)、坂上田村麻呂が常陸国鹿島郡から磯良明神を勧請して祀ったもので、阿度目神・河童明神ともいい、「おかっぱ様」という名前で広く知られています。
> 古くはここから南方にある真山三十郎(大崎氏の家臣)の屋敷の氏神として祀られていましたが、後に現在地に移されたといわれています。

19 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:33:30.18 .net
576 :日本@名無史さん :2021/01/23(土) 19:31:56.74
さて、どうやらこれに対する反論は無いようだな
では皆納得したようなのでテンプレに入れるとしよう

https://i.imgur.com/hLZdESM.jpeg

20 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:37:35.97 .net
>>10-11関連
磯武良について貝原好古がどうのとデマを飛ばす奴がいるが、対馬の式内社に祀られているので福岡藩の貝原好古は全く関係ありません
それを言っているのはキナイコシと呼ばれる頭のおかしい人なので無視しましょう
彼はとっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードですから

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

21 :日本@名無史さん:2021/02/23(火) 23:38:22.64 .net
キナイコシ君の得意技・声闘(ソント)とは


821 :日本@名無史さん :2020/11/18(水) 04:59:39.47
https://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/84c2c259b1f71ebaff516783041f0fdc
>  朝鮮半島には、声闘(ソント)とという朝鮮人の古くからの伝統があり、現在でも彼らのお家芸である
>
> 声闘を平たく説明するなら。声の大きさで相手の言論を封じること。
> 人と議論をするとき、議論の内容は関係なく、ただ大声で早口で居丈高に話し、 相手が何も言い返せなくなれば勝ち、という思考形態であり、そこには道理も真実もない。。
> 古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である
>
> 相手が論理的に反論しても、聞こえないか 聞こえないふりをして大きな声で意味不明な反論を威圧的に繰り返す。
> そして相手を加害者に仕立て上げ自分を被害者にする。自分に非があっても決して認めず、大声で反論を繰り返して相手が、疲れ呆れて黙り込んだら勝利宣言をする。

ビックリするくらいキナイコシ君の行動パターンそのままで笑う
キナイコシ君はチョンチョンうるさいけど彼自身の行動が一番朝鮮人的なんだなw
彼が朝鮮人を嫌うのは同族嫌悪でしかないわけだ

22 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:04:49.88 .net
https://konspekta.net/zdavalkaru/baza1/1999564350478.files/image034.jpg
ヒゲタイプ1・2が弥生人 3は半チョッパリ 4・5が縄文人

23 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:06:07.50 .net
.




(8)蒸して食べる

7000年前 中国に起源

最近、タジン鍋やシリコンスチーマーといった、油を使わずに調理できる蒸し調理器具が話題になっています。
モノを蒸す調理法は、形を崩さずに素材の持つ美味しさをそのまま生かせるだけではなく、お酒やお茶を
作る際にも欠かせない調理法です。

この「蒸し調理」、実は東アジアで発達した調理方法なのです。

蒸し調理の起源は、今から6000〜7000年前の中国新石器時代にまで遡り、黄河流域の遺跡から、
粘土で作った蒸し器がわずかながら発見されています。それ以前は、ゆでる、煮る、焼くといった調理法が
基本だったと考えられています。

日本へは中国東北地方、朝鮮半島を経由してこの調理法が伝わりました。最初に蒸し調理が行われたのは
3世紀頃の北部九州。福岡市の西新町遺跡から土製蒸し器が出土しています。実に4000年余りの時を経て、
ようやく日本にまで到達したことになります。

しかし、この後、日本では蒸し調理は廃れ、全国的な普及はそれから数百年後のことでした。

今では日本料理とは切っても切れない蒸し料理。普段、何気なく接している蒸し料理にも、
数千年にわたる人々の営みが隠されているのです。 http://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/04/tanken08.html



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24 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:11:17.32 .net
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7000年前から中国では炊飯するのに、釜と竈(=火へんに土)のセットで炊く、
鼎で炊く、さらに甑を釜にセットして蒸し上げる、という3種類の炊飯方法があった。

6000年前には鬲も登場して、甑を鬲にセットして蒸し上げるという炊飯方法も加わる。

ところが縄文末に渡来した、いわゆる弥生人は渡来時に釜も竈も鼎も鬲も甑も何一つ伝えなかった。

弥生人は弥生末の3Cに甑が半島から伝わるまで甑で蒸し上げて炊飯する事を知らなかったのだ。

中国には7000年前からある甑で蒸し上げて炊飯する方法を弥生末の3Cまで知らなかったのだ。

甑と同時に伝わった同じく中国には7000年前からある竈もそれまで知らなかった。

釜に至っては5Cまで待たなければならない。

弥生人が中国からなんて2兆%あり得ないね。


◆7000年前の江南の河姆渡遺跡の釜と竈(=火へんに土)と甑


http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html



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25 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:43:13.08 .net
前スレは荒らしや叩きなど醜いレスバに邪魔され続けて住人たちがまともに議論し合えなかったという経緯があります。
同じ轍を踏まないためにも、このスレでは阿波ネタ、伊都ネタ、オクキョンネタ、キナイコシネタを禁じます。

必須NGワード:@阿波、伊都、五十迹手、オクキョン、キナイコシ

伊都国王=海人族だと言い張る猿はコチラ↓に移動
伊都国王は五十猛で阿曇磯良で伊都国は邪馬台国
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1603956031/

伊都国=邪馬台国だと言い張る無能はコチラ↓に移動
女王國=伊都國=邪馬台国の首都 Part.2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1598892939/
or
邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1603107979/

倭国=阿波だと言い張る阿呆はコチラ↓に移動
「邪馬臺国」は阿波だった Part.8
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1601267699/

オクキョン?遺跡が名畑遺跡より古いと言い張るキチガイはコチラ↓に移動
日本に対する朝鮮起源説を真面目に考えるスレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1549585819/

26 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:43:29.33 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

https://i.imgur.com/Km8Z0re

27 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:43:43.27 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/puurb8v

28 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:43:56.66 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

〜糸島朝鮮人特有の三種の珍技〜

∧,_∧
< `∀´>
記憶喪失
(論破されても半日で忘れる)

∧_,,∧             
<♯`Д´>
文盲病
(前後の文脈や論の大局を読めない)

∧_,,∧
<;l|l;`田´>
チヨンコロ目
(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)

https://i.imgur.com/faTpmpq

29 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:44:09.75 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3

30 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:44:24.68 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/l9G4Wk2
現実はコチラ
https://i.imgur.com/oBTovjf

31 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:44:39.24 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る


声闘連投で精神勝利するしか能のないち糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してあげました

https://i.imgur.com/puurb8v

32 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:44:54.27 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

【捏造中】 糸島トンスル妄想ファンタジー 【創作中】
          __
        /  ../)
        三三)/) 声闘でゴリ押しし続けるニダよ〜
  __    三三)/           __
/  ../) ウリたちが安曇ニダ♪   /  ../)
三三)/)   ∧_,,∧   ∧_,,∧   三三)/)
三三)/   < `∀´>  <`∀´ ;>  三三)/ 卑弥呼もウリナラ
ニダ ∧_,,∧ と  φ)  (つ φ)  ∧_,,∧ 邪馬台国もウリナラ
  < #i!`Д>/⌒/⌒/ ̄/⌒/⌒/ ̄<田´#>  /  ../)
  / _∧_,,∧口  ∧_,,∧ ⌒   φと_   ヽ  三三)/)
  (/<   `>口 <   #>φ/⌒//(__ム  三三)/)
 ‖ ̄(l    ノ  ̄(   ノ ̄ ̄ ̄||       三三)/
  __`ー‐' ニダ `ー‐' 漁村という真実は感情的に
/  ../)       __    受け入れられないニダ!
三三)/)     /  ../)
三三)/)     三三)/) 〃∩ ∧_∧良い感じニダ♪
三三)/      三三)/  ⊂⌒< `∀´>
                  `ヽ_っ⌒/⌒c
                     ⌒⌒

33 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:45:07.04 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼

34 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:45:21.48 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる
となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは名島神社
先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている
阿曇氏いわく名島のナは浦と同義で壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
つまりナ島は阿曇読みで大和読みではウラ島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている
一方で風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は那珂川市の現人神社だとしている

35 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:47:01.56 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。

声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 このスレで言えば>>1-22のような連投が糸島朝鮮式声闘。

議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。

古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。

相手が論理的に反論しても、聞こえないふりをするか同族のキナチョンのせいだと被害妄想を抱き、執拗に意味不明なコピペを威圧的に繰り返す。

そして得意の思い込みで相手をキナイコシや出雲信者だと錯覚し、被害妄想に陥る。

自分に非があっても決して認めず、>>1-22のように大声で持論や長文コピペの連投を繰り返し、相手が疲れ呆れて黙り込んだら自明ニダ〜!確定ニダ〜!と独り精神勝利で大喜びをするのだ。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3

36 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:47:35.22 .net
>>1-22
結局、今日もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
しつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww

37 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:47:58.80 .net
>>23-24
               ∩_
              〈〈〈 ヽ
      ____   〈⊃  }
     /⌒  ⌒\   |   |
   /( ●)  (●)\  !   !
  / :::::⌒(__人__)⌒:::::\|   l   
  |     |r┬-|       |  / < 反日教育に洗脳された
  \     ` ー'´     //      哀れな在日ヒトモドキ
  / __        /          まるだしで草wwww
  (___)      /

38 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:48:17.77 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの泡チョン、糸チョン、キナチョン、在日ヒトモドキ

"ア"が付いたら何でも強引に阿波に引き込む泡チョンは巣に帰れ
「邪馬臺国」は阿波(笑)だった Part.8(笑)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1601267699/

"イ"が付いたら何でも強引に伊都にこじつける糸チョンも巣に帰れ
伊都は邪馬台国で海人族の首都ニダァァァ
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/sf/1601842277/

何もなくても邪馬台国関連は畿内に巻き込むキナチョンは首を吊れ

中国共産党に狙われてるとかいう被害妄想で戦い続けてる在日ヒトモドキはドブ川に身投げしろ
  
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの得意技

こじつけ

思い込み

盲信

猿芝居

声闘

https://i.imgur.com/faTpmpq
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

39 :日本@名無史さん:2021/02/24(水) 00:49:49.61 .net
当スレのテンプレは>>25-38となります。

>>1-22は糸島朝鮮人のお里自慢と願望から派生した荒唐無稽なトンスルファンタジーですのでご注意ください。

40 :日本@名無史さん:2021/02/25(木) 18:39:46.94 .net
考古学はわきにおいて、魏志倭人伝を正しく読むとすると、邪馬壹國は大宰府にあった
としてほとんど矛盾はありません。

今まで幾多の人が惑わされてきたのは、「邪」を「や」と読んできたことにあるのです。

漢字はその構成上から<象形><指事><会意>そして<形声>の4種の原理によって
成り立っています。邪は牙と邑の字から作られた形声文字で、文字の意味を表す邑
(意符)と発音を表す牙(音符)とが結合してできています。形声文字で牙を音符と
する漢字を見ると、牙・雅・訝・芽・呀は漢音で(が)、蚜・谺は漢音で(か)と読んでいます。
邪を漢字の原則に従って読むと、(が)または(か)と読むことになります。日本の地名
では濁音が先頭に来ることは少ないですから、邪は(か)と読むのです。

<途中、「馬」と「壹」は省略しますけど>

「邪馬壹」は「かまど」と読むと考えることができます。「かまど」というと大宰府の
守護神である竈門神社となるのです。

41 :日本@名無史さん:2021/02/25(木) 20:25:25.71 .net
.


日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具だって当時の
中国とは全く違ったものが伝わっている。

と言うか、当時の中国の耕作用農具が日本最古の稲作遺構には一つも伝わっていないのだ。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具 → クワ、エブリ 《すべて木製》

◆同期する中国の耕作用農具 → 耜、鋤、犂 《すべて石刃》


クワ、エブリに該当する耕作用農具が当時の中国にない!

耜、鋤、犂に該当する耕作用農具が日本最古の稲作遺構にない!


伝わった日本最古のイネの粒種だって違う。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古のイネ → 短粒種のみ

◆同期する中国のイネ → 中粒種が半分近く混ざったもの



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!

.

42 :日本@名無史さん:2021/02/25(木) 21:01:39.53 .net
40の続き

安本美典氏は『邪馬台国は99.9%福岡県にあった』で、魏志倭人伝に登場する鉄、絹
そのほかの3世紀の出土状況から邪馬台国は福岡県に存在したと推計しています。

また、井沢元彦氏は、『逆説の日本史1』で「ヒミコという女性の日本宗教史に占める
大きさというものを考えると、日本の宗教的な伝統を考えると」、「何らかの形で
「宗教的聖地」であり、「女神」が祀られているところでなければ邪馬台国の候補地とは
なりえないと思う。」としています。

では、福岡県で女神を祀る最も位階の高い神社とはどこかというと、それは、大宰府の
守護神とされる竈門神社なのです。

43 :日本@名無史さん:2021/02/26(金) 01:54:49.35 .net
名神大社である宗像大社や箱崎宮は無視ですかそうですか。

44 :日本@名無史さん:2021/02/26(金) 02:58:11.24 .net
前スレ消化してから書き込もぜ

前スレ
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬拾捌
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1609874228/

45 :日本@名無史さん:2021/02/26(金) 08:34:27.15 .net
>>43

魏志倭人伝や安本さんや井沢さんの考えと、邪馬壹国が大宰府にあったという仮説との
間に問題がないということを言っているのですが。

46 :日本@名無史さん:2021/02/26(金) 09:45:34.67 .net
倭人伝や魏略や廣志の「上陸したら東南へ行け」を無視しての99.9%なんだろうな、、。

つまり中国の史書を無視するんなら、全国どんな所でも99.9%の確率になる。

47 :日本@名無史さん:2021/02/26(金) 10:09:29.26 .net
>>46
前スレ消化してから書き込もぜ

前スレ
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬拾捌
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1609874228/

48 :日本@名無史さん:2021/02/26(金) 10:09:39.63 .net
前スレ消化してから書き込もぜ

前スレ
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬拾捌
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1609874228/

49 :日本@名無史さん:2021/02/26(金) 13:50:41.19 .net
.





日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった炊飯器だって当時の中国とは全く違っている。


◆菜畑遺跡に伝わった炊飯器 → 甕

◆同期する中国の炊飯器 → 鼎、鬲と甑のセット、釜と竈のセット


鼎は穀物を煮炊きする三足と双つの直耳とフタの付いた炊飯器で日本には伝わっていない。

鬲は上に甑をセットして穀物を蒸し上げて炊く三足の袋足が付いた炊飯器で、
これも日本には伝わっていない。

甑と竈が伝わったのは弥生末の3C頃。

釜が伝わったのは古墳期の5C頃。



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!




.

50 :日本@名無史さん:2021/02/26(金) 14:56:34.19 .net
>>49
前スレ消化してから書き込もぜ

前スレ
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬拾捌
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1609874228/

51 :日本@名無史さん:2021/02/26(金) 16:57:11.19 .net
>>45
「最も位階が高い」が根拠だとするなら、事実誤認が根拠になってるじゃん。

52 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 11:12:23.01 .net
>>51
前スレ消化してから書き込もぜ

前スレ
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬拾捌
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1609874228/

53 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 15:11:54.02 .net
>>27
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw

日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

54 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 15:12:32.55 .net
>>29

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

55 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 15:13:08.40 .net
>>30
考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/qQUIcdb.jpg

> 417 :日本@名無史さん :2020/10/14(水) 00:33:35.04
> https://i.imgur.com/Ah5Akjy.jpg
> この図を見れば、航海術を活かして海外と交易していた海人族の国がどこだったか一目瞭然だなw
> 奴国の王都だった須玖には中国銭や楽浪系土器はほとんど無い
> 博多湾の沿岸部にはあるのに奴国の王都にほとんど無いのは何故か
> それは博多湾沿岸部の集落が伊都国に属していたから以外に説明はつかない

56 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 15:13:28.90 .net
>>31
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

関係ない例をいくつ持ってきたところで一番肝心のイソタケルに直結する五十猛町がイソタケだからイソタケルが正しいのは自明
そして対馬の安曇磯武良が上陸した土地に神社を作ったと伝わっている場所にイソタケルを祀る神社が現存するんだから
安曇磯武良=五十猛はもう確定したんだよ
負け犬は潔く去れ
トランプかお前はw

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

57 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 15:13:50.91 .net
>>33
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

58 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 15:14:41.25 .net
>>34

41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ


とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

59 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 15:15:11.44 .net
>>35
キナイコシの得意技・猿真似乙
オリジナルはこれ

4 :日本@名無史さん :2020/12/02(水) 02:16:27.08
キナイコシ君の得意技・声闘(ソント)とは


821 :日本@名無史さん :2020/11/18(水) 04:59:39.47
https://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/84c2c259b1f71ebaff516783041f0fdc
>  朝鮮半島には、声闘(ソント)とという朝鮮人の古くからの伝統があり、現在でも彼らのお家芸である
>
> 声闘を平たく説明するなら。声の大きさで相手の言論を封じること。
> 人と議論をするとき、議論の内容は関係なく、ただ大声で早口で居丈高に話し、 相手が何も言い返せなくなれば勝ち、という思考形態であり、そこには道理も真実もない。。
> 古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である
>
> 相手が論理的に反論しても、聞こえないか 聞こえないふりをして大きな声で意味不明な反論を威圧的に繰り返す。
> そして相手を加害者に仕立て上げ自分を被害者にする。自分に非があっても決して認めず、大声で反論を繰り返して相手が、疲れ呆れて黙り込んだら勝利宣言をする。

ビックリするくらいキナイコシ君の行動パターンそのままで笑う
キナイコシ君はチョンチョンうるさいけど彼自身の行動が一番朝鮮人的なんだなw
彼が朝鮮人を嫌うのは同族嫌悪でしかないわけだ

60 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 15:16:40.45 .net
結局、今日も>>19の事実には何一つ反論ができないみじめな負け犬キナイコシくんでしたw

61 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 17:59:16.66 .net
>>53
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/puurb8v

62 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 17:59:35.03 .net
>>54
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3

63 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 18:00:11.63 .net
>>55
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!
〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/l9G4Wk2.jpg
現実はコチラ
https://i.imgur.com/oBTovjf.png

64 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 18:00:24.80 .net
>>56
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る


声闘連投で精神勝利するしか能のないち糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してあげました

https://i.imgur.com/puurb8v

65 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 18:00:41.69 .net
>>57
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼

66 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 18:00:52.14 .net
>>58
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる
となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは名島神社
先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている
阿曇氏いわく名島のナは浦と同義で壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
つまりナ島は阿曇読みで大和読みではウラ島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている
一方で風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は那珂川市の現人神社だとしている

67 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 18:01:58.93 .net
>>59
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。

声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 このスレで言えば>>53-60のような連投が糸島朝鮮式声闘。

議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。

古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。

相手が論理的に反論しても、聞こえないふりをするか同族のキナチョンのせいだと被害妄想を抱き、執拗に意味不明なコピペを威圧的に繰り返す。

そして得意の思い込みで相手をキナイコシや出雲信者だと錯覚し、被害妄想に陥る。

自分に非があっても決して認めず、>>53-60のように大声で持論や長文コピペの連投を繰り返し、相手が疲れ呆れて黙り込んだら自明ニダ〜!確定ニダ〜!と独り精神勝利で大喜びをするのだ。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3

68 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 18:02:20.77 .net
>>60

結局、今日もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
しつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww

69 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 18:02:42.53 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

https://i.imgur.com/Km8Z0re

70 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 18:02:57.79 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

〜糸島朝鮮人特有の三種の珍技〜

∧,_∧
< `∀´>
記憶喪失
(論破されても半日で忘れる)

∧_,,∧             
<♯`Д´>
文盲病
(前後の文脈や論の大局を読めない)

∧_,,∧
<;l|l;`田´>
チヨンコロ目
(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)

https://i.imgur.com/faTpmpq

71 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 18:03:22.34 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

【捏造中】 糸島トンスル妄想ファンタジー 【創作中】
          __
        /  ../)
        三三)/) 声闘でゴリ押しし続けるニダよ〜
  __    三三)/           __
/  ../) ウリたちが安曇ニダ♪   /  ../)
三三)/)   ∧_,,∧   ∧_,,∧   三三)/)
三三)/   < `∀´>  <`∀´ ;>  三三)/ 卑弥呼もウリナラ
ニダ ∧_,,∧ と  φ)  (つ φ)  ∧_,,∧ 邪馬台国もウリナラ
  < #i!`Д>/⌒/⌒/ ̄/⌒/⌒/ ̄<田´#>  /  ../)
  / _∧_,,∧口  ∧_,,∧ ⌒   φと_   ヽ  三三)/)
  (/<   `>口 <   #>φ/⌒//(__ム  三三)/)
 ‖ ̄(l    ノ  ̄(   ノ ̄ ̄ ̄||       三三)/
  __`ー‐' ニダ `ー‐' 漁村という真実は感情的に
/  ../)       __    受け入れられないニダ!
三三)/)     /  ../)
三三)/)     三三)/) 〃∩ ∧_∧良い感じニダ♪
三三)/      三三)/  ⊂⌒< `∀´>
                  `ヽ_っ⌒/⌒c
                     ⌒⌒

72 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 18:03:36.96 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの泡チョン、糸チョン、キナチョン、在日ヒトモドキ

"ア"が付いたら何でも強引に阿波に引き込む泡チョンは巣に帰れ
「邪馬臺国」は阿波(笑)だった Part.8(笑)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1601267699/

"イ"が付いたら何でも強引に伊都にこじつける糸チョンも巣に帰れ
伊都は邪馬台国で海人族の首都ニダァァァ
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/sf/1601842277/

何もなくても邪馬台国関連は畿内に巻き込むキナチョンは首を吊れ

中国共産党に狙われてるとかいう被害妄想で戦い続けてる在日ヒトモドキはドブ川に身投げしろ
  
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの得意技

こじつけ

思い込み

盲信

猿芝居

声闘

https://i.imgur.com/faTpmpq
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

73 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 18:04:07.18 .net
>>53-72
前スレ消化してから書き込もぜ

前スレ
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬拾捌
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1609874228/

74 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 21:02:30.44 .net
しらぬいのコピペで埋まる旧スレかな

75 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 21:36:55.79 .net
>安本美典氏は『邪馬台国は99.9%福岡県にあった』と推計しています。

魏志倭人伝や、魏略や、廣志の、「上陸したら東南へ行け」を無視しての99.9%なんだろう、、。
つまり、中国王朝の三大史書を無視してよいのなら、全国どんな所でも99.9%の確率になるよ。

76 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 21:40:28.05 .net
福岡県の北西部に上陸するのだから、南東に進んでも福岡県だよ。
帯方郡から邪馬台国まで一万二千里。
そのうち九州北岸までで一万里。
残り二千里しかないが、これは対馬海峡の三千里より短いのである。

77 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 21:51:46.34 .net
福岡県の北西部ってどのあたりだい?
それで、そこから東南500里はどこになるか、よーく地図を眺めてから言ってくれよな。

78 :日本@名無史さん:2021/02/27(土) 23:52:53.15 .net
.






今から約3500年前の紀元前15世紀には、朝鮮半島でも数ヘクタールという大きな畑を
作って、そこでコメや麦を栽培する生活が始まります。朝鮮半島では日本よりも
500年も前に、本格的な農耕生活に入ったのです。

紀元前11世紀になると、朝鮮半島南部で水田稲作が始まります。本格的な穀物栽培が
始まって約400年後のことになります。

こちらにある写真は韓国で最も古い水田の一つの写真です。釜山の少し北側に
位置する蔚山(ウルサン)市で見つかったオクキョン遺跡の水田跡です。

http://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=2975


※炭素年代測定と他国からの共同研究を拒否して埋め戻す隠蔽工作をしたという
ウソのレッテルをしている中国人詐欺師にその証拠提出を無数に求めましたが、
その証拠が出てきた事はありません

遺跡のメイン部分が今も空き地である事などグーグル地図の航空写真で確認すれば
容易に分かる事であるし、それ以前にこれは国の研究機関の公表であるので悪しからず





.

79 :日本@名無史さん:2021/02/28(日) 01:35:19.28 .net
>>78
在日ヒトモドキは執拗に玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡のウソを流布して回っていますが、同遺跡は意図的に炭素年代測定を行わないまま埋め戻された程度の価値しかありません。

1999年に学術論文「蔚山ムゴドン オクヒョン遺跡」(イ・サンギル、イ・ヒョンソク、ガク・ジョンチョル共著)が発表されて以来20年以上も研究対象になっていない遺跡です。
同論文に在日ヒトモドキが言うような紀元前15世紀や紀元前11世紀などという記述は皆無な上、玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡の地は大韓住宅公社に売却され既に「文殊中学校」になっていると明記されています。
※学術論文「蔚山ムゴドン オクヒョン遺跡」
https://library.knou.ac.kr/user/login?returnUrl=http%3A%2F%2Fopenlink%2Elibmeta%2Eknou%2Eac%2Ekr%3A8090%2Flink%2En2s%3Furl%3Dhttp%3A%2F%2Fkiss%2Ekstudy%2Ecom%2Fthesis%2Fthesis%2Dview%2Easp%3Fkey%3D257061&__referer=http%3A%2F%2Fopenlink%2Elibmeta%2Eknou%2Eac%2Ekr%3A8090%2Flink%2En2s%3Furl%3Dhttp%3A%2F%2Fkiss%2Ekstudy%2Ecom%2Fthesis%2Fthesis%2Dview%2Easp%3Fkey%3D257061

加えてウルサン市の公式サイトには、玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡の地は大韓住宅公社運営の「オクヒョン第二住公アパート」になっていると明記されています。
※ウルサン市公式サイト「ムゴドン オクヒョン遺跡」
http://ulsan.grandculture.net/Contents/Index?local=ulsan

本国ですら正確な位置を把握していないという無価値さを証明するように玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡を示す記念碑はこの地球上に存在すらしていません。

玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡のウソを始めたのは元国立歴史民俗博物館副館長の藤尾慎一郎氏ただ一人であり、そう主張した2019年に同氏は副館長から一般研究員に降格しました。
よって突如として玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡の水田遺構が日本最古の水田遺構より古いという主張は、中国における玉蟾岩土器を模倣した悪質な反日愛国行為としてすでに韓国歴史学の恥部となっています。

にも関わらず、在日ヒトモドキは学術論文や行政の発表という現実から逃げ回り、グーグル地図うんぬんやら国の研究機関の公表だとホラを吹き、中国共産党への被害妄想に嵌まり込むという醜態を繰り返すしか能のない
賤しくも憐れな無能生物なのです。

80 :日本@名無史さん:2021/02/28(日) 18:11:20.08 .net
諸説ありといえど、殆どが『邪馬台国は99.9%の確率で、我が故郷の○○県○○地方にあった』と論じています。
しかしそれは、魏志倭人伝の「東南」や、魏略の「東南」や、廣志の「東南」を、
つまり、「倭国に上陸したら、東南へ進め」という共通の指示を無視しての99.9%なのではないでしょうか。

中国王朝の三大史書が語る「東南へ進め・・」を無視してよいのであれば、
「邪馬台国女王之都」の所在地は、日本全国どんな所でも99.9%の確率になってしまいます。
三太史書に共通する明確な行程記述は、何にもまして尊重さるべきでありましょう。

81 :日本@名無史さん:2021/02/28(日) 20:07:04.75 .net
.






◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。


「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
 


ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!





.

82 :日本@名無史さん:2021/02/28(日) 22:04:37.84 .net
>>81
               ∩_
              〈〈〈 ヽ
      ____   〈⊃  }
     /⌒  ⌒\   |   |
   /( ●)  (●)\  !   !
  / :::::⌒(__人__)⌒:::::\|   l   
  |     |r┬-|       |  / < 反日教育に洗脳された
  \     ` ー'´     //      哀れな在日ヒトモドキ
  / __        /          まるだしで草wwww
  (___)      /

83 :日本@名無史さん:2021/03/01(月) 20:42:25.49 .net
参問 倭地 絶在 海中 洲㠀之上 或絶 或連 周旋可 五千餘里

つまり、邪馬台国には、壱岐、対馬は含まれない。
そのうえで、
16 南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月
の行程で、参問した邪馬台国の7万戸は、九州上陸後、南北2千里の中の

19 次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國
  次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國
  次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國
  次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國
20  此 女王 境界 所盡

の 21国であって、これは、5千里で周旋可

22 自郡 至 女王國(240年梯儁の行程で女王宮までは) 萬二千餘里
で、あった。

84 :日本@名無史さん:2021/03/01(月) 22:26:59.54 .net
もう俺が結論づけてるはずだぞ、前スレで

卑弥呼は九州、トヨは畿内って

投馬国は宮崎、邪馬台国は畿内だよ

ただし卑弥呼時代は北九州が女王国の本拠地

トヨ時代を前後に畿内へ遷都

85 :日本@名無史さん:2021/03/02(火) 01:36:41.89 .net
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           O
 ZZZzzz 。 という民族願望の夢を見てるニダ
        _∧_∧_____,,
      /( <`∀´ > (() /
     /  ⊂    つ ./
   / ̄⌒(ヘヽ (へ) /
  / ※※\  ⌒⌒く
 (_____(___,,ノ

86 :日本@名無史さん:2021/03/02(火) 14:24:11.39 .net
倭人伝が説明しているのは
今 使 譯 所通 三十國
この使の説明に從って、 郡至倭であって、

魏時に知り得た倭の国は30国、
帯方郡から七千餘里で其北岸の狗邪韓國、島で対馬、壱岐、

経過地名で末盧國、伊都國、不彌國、奴国(重複)
邪馬台国卑弥呼女王所属、参問の21国、
これらは、九州島の中で、周旋可 五千餘里

馬韓弁辰韓のような国体の国で、邪馬壹國、狗奴國
これらが30国。

女王国の東の倭種や、使が行っていない、それ以遠は
自 女王国 以北 其 戸數 道里 可得略載 其 餘旁國 遠絶 不可得詳

であって、倭人伝では、説明し得ていない。
また、247年以降のトヨが機内に嫁に行ったか?
なんて妄想話は魏史国交断絶後の事。

87 :日本@名無史さん:2021/03/02(火) 14:57:54.17 .net

邪馬台国ボーイング説w

88 :日本@名無史さん:2021/03/02(火) 15:22:56.81 .net
壹與(イチヨ)や臺與(ダイヨ)じゃなくてトヨってどこに登場するん?

89 :日本@名無史さん:2021/03/02(火) 15:32:12.38 .net
中国三大史書の、魏志倭人伝、魏略、廣志は、
「倭国に上陸したら東南へ進め」と記している。
どう見ても、吉野ヶ里を通過することになる・・。

90 :日本@名無史さん:2021/03/02(火) 16:35:07.63 .net
「倭国に上陸したら東南へ進め」
じゃあなくて、
末盧國で上陸した場合は、東南 陸行 五百里 到 伊都國
考古学で伊都国が、今宿から吉武高木を想定するなら末盧國は糸島半島北西岸

末盧國に上陸したのは、247年の張政で、
遣 倭 載斯烏越 等 詣郡 説相攻撃状 の船での 帰国便便乗。
この時の伊都には、一大卒が有り、丗有王皆統屬女王國 郡使 往來 常所駐
で、張政は、帰国便が有る迄、検閲の上、伊都に常駐させられている。

240年の梯儁は、皇帝の使者としての来訪であり、魏の軍船で
奉詔書 印綬 詣倭国 拝仮倭王 并齎詔賜 金帛錦罽刀鏡采物
女王宮まで出向き、
南至 投馬國 水行二十日 官日 彌彌 副日 彌彌那利 可五萬餘戸
南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月
の 萬二千餘里を行軍し、女王に奉書、拝仮、詔賜している。

梯儁は、伊都国や一大卒の存在は確認していないし、皇帝の軍船は、
風向きで呼子や糸島を経由したとしても、当然、直近の博多湾で上陸する。
末盧國の松浦説は大和同様のミスリードだ。

91 :日本@名無史さん:2021/03/02(火) 19:25:52.18 .net
>>88
細かいことは気にするな
それを言ったら卑弥呼もヒミコ?ってなる

92 :日本@名無史さん:2021/03/02(火) 19:40:37.89 .net
724 ニューノーマルの名無しさん 2020/12/07(月) 23:35:24.72 ID:GVm4dqYs0
どこが上陸地だったかは揺るぎがないな

263 ニューノーマルの名無しさん 2020/12/07(月) 13:19:04.38 ID:GVm4dqYs0
五畿七道
https://i.imgur.com/lmYJeDr.jpg

これを見ると上陸地がわかる?w

参考、国交省マップ
https://i.imgur.com/hsFvhYC.jpg

93 :日本@名無史さん:2021/03/02(火) 19:48:28.55 .net
300 日本@名無史さん 2021/02/08(月) 17:26:11.78
洛陽→大月氏の首都だった現ペシャワール 約5000キロ
https://i.imgur.com/7MolHFx.jpg

同じくらいの距離である邪馬台国

洛陽→邪馬台国 日本に上陸して約2000キロ
https://i.imgur.com/bo5BZEs.jpg

そこから畿内に向かっても5000キロも無い
実質、大月氏の半分の距離である

台湾を投馬国に比定すれば
邪馬台国フィリピン説の爆誕になる

304 日本@名無史さん 2021/02/08(月) 17:36:39.71
畿内だと、洛陽から日本海ルート経由で
約3000キロってとこか
https://i.imgur.com/JnnsR32.jpg

大月氏の約5000キロには程遠い事実

94 :日本@名無史さん:2021/03/02(火) 19:55:08.05 .net
当時の中国は、地球平面説

太陽が昇る方角は「東」と決まっていた
どの季節月日であろうと

977 日本@名無史さん 2020/12/08(火) 15:19:03.91
45度、東へ傾けるだけですべて解決する
https://i.imgur.com/CISt7dl.jpg

行程の方角も一致
https://i.imgur.com/GYTkff8.jpg
https://i.imgur.com/Wrz3HP6.jpg

95 :日本@名無史さん:2021/03/02(火) 20:01:26.86 .net
409 日本@名無史さん 2021/01/21(木) 20:38:31.32
そもそも地軸で洛陽中心だと
↓こうなるんだよw
https://i.imgur.com/XeIVam4.jpg

しかも当時の中華は地球平面説なので
地上は平面、天はアンダーザドームな半球w

太陽の出る方角は「常に東」と言う認識だ

またまた俺は謎が解けてしまったw

96 :日本@名無史さん:2021/03/02(火) 20:03:07.15 .net
574 ニューノーマルの名無しさん 2020/11/30(月) 07:50:24.56 ID:h/pX76tQ0
末盧国の上陸地を中心に

橙円=半径1500里範囲
赤円=半径2000里範囲
https://i.imgur.com/og179a0.jpg

卑弥呼が居たのは八女
(卑弥弓呼とは名が似てるので近親者同族。磐井)

壹與が居たのは遷都して日田
(豊国。鉄鏡。日田から四方の川へ流れ出る瀬織津姫)

と俺予想

97 :日本@名無史さん:2021/03/02(火) 20:12:46.03 .net
.


◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用
新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用


アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww

http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa

アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww

http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

アー タノシーデスネー 7000年前の江南の河姆渡遺跡の釜と竈(=火へんに土)と甑!wwww

http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html


.

98 :日本@名無史さん:2021/03/02(火) 20:25:23.90 .net
135 日本@名無史さん 2020/12/31(木) 09:41:51.06
卑弥呼の墓などそもそもあるわけないだろw

卑弥呼は突然死んだんだよ
後継者候補も言わずに

死んだあとにバカデカイあの箸墓つくんの?w
何年かかんだよw

質素な墓に決まってるだろ、あっても
常識的に考えたらわかるだろw

↓だいいち

887 日本@名無史さん 2020/12/21(月) 23:02:55.73
曹操も曹丕も司馬懿すらも「不封不樹」の薄葬

卑弥呼の墓が到底デカイとは考えにくい

99 :日本@名無史さん:2021/03/02(火) 20:25:38.19 .net
↓さらに

190 日本@名無史さん 2020/12/31(木) 14:48:21.79
徑とは、みち/小道/近道などの意味をもつ漢字。 10画の画数をもち、彳部に分類される。 日本では大学もしくは一般レベルの漢字とされる。

三国志全体を読んでも徑は徑路的な意味合いw

円のケイで有らずんばw

>>168 ←このレスの意味が近い

>参考
渙曰「那可爾」曄卽入室殺侍者、徑出拜墓。

168 日本@名無史さん 2020/12/31(木) 13:30:55.96
>>100
大いに塚を作る。参道100歩に、殉じて葬られるは、奴隷100人。

の方が良いよ。

100 :日本@名無史さん:2021/03/02(火) 23:09:43.26 .net
>>87
エアバス説かもしれんぞ(笑)

101 :日本@名無史さん:2021/03/03(水) 07:55:06.03 .net
【邪馬台国と周辺の国】
1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)
2番 己百支国は伊万里(佐賀県伊万里市)
3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊佐早国(長崎県諫早市)
4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番 彌奴国は長崎県長崎市(または長崎県西彼杵郡)または嶺(佐賀県みやき町三根)
6番 好古都国は高来郡(長崎県雲仙市)
7番 不呼国は須古(佐賀県杵島郡白石町)
8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番 蘇奴国は?
11番 呼邑国は佐賀県小城市
12番 華奴蘇奴国は佐賀県神埼市の吉野ケ里遺跡
13番 鬼国は?
14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の広川、高良台、室岡・亀ノ甲遺跡
17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺、浮羽郡)
19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

邪馬台国の範囲はおおむね筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた範囲であり、半時計回りに周旋5000里である(対馬海峡が3000里)。
魏志倭人伝には、東に海をわたったところにも倭人がいると記載され、本州と四国のことと考えられる。
狗邪韓国 朝鮮半島南岸
対海国 長崎県対馬市、一大国 長崎県壱岐市
末廬国(諸説あり)
伊都国 糸島市(旧怡土郡)、奴国 福岡市(那の津)→あわせて邪馬台国(女王の都)
不彌国 福岡市東区(香椎宮)
投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)
https://i.imgur.com/lo1K3BJ.jpg

102 :日本@名無史さん:2021/03/03(水) 08:13:18.73 .net
中国三大史書の、魏志、魏略、廣志が云う「倭国に上陸したら東南へ・・」の通りに進めば、
邪馬台国へのメインルートは、必ずや吉野ヶ里を通る。そしてこの吉野ヶ里(不彌国)の南1400里(105q)に女王の所都はあった。

103 :日本@名無史さん:2021/03/03(水) 19:50:49.73 .net
>>96
帯方郡から1万2千里とみると、松浦から2千里。直線だと熊本から北九州あたり
までですね。
途中で曲がっていたら、もっと近いところですよね。

魏志倭人伝のこの記事を書いた人は嬉野あたりまで来て、その先には行っていない
と思います。
(理由)
実際に邪馬壹国まで行ったなら、日数ではなく里数で記述するはず。
”その山に丹あり”として、実際に丹があるのを確認しているように書いている。佐賀
県では嬉野から鹿島の塩田川沿いに丹生神社が点在し、このあたりで丹が産出していた
ので嬉野あたりまでは確かに行った。
有明海は干満の差が激しく、引き潮のときはずっと沖まで干潟になるなるので海に
潜らなくても獲物が手に入る。大魚をよけるために入れ墨などしなくてもいい。
だから、佐賀平野に入っていない。

ちなみに、松浦(名護屋あたり)から嬉野→鳥栖→大宰府で大体150kmになります。

104 :日本@名無史さん:2021/03/03(水) 20:32:29.95 .net
.




(8)蒸して食べる

7000年前 中国に起源

最近、タジン鍋やシリコンスチーマーといった、油を使わずに調理できる蒸し調理器具が話題になっています。
モノを蒸す調理法は、形を崩さずに素材の持つ美味しさをそのまま生かせるだけではなく、お酒やお茶を
作る際にも欠かせない調理法です。

この「蒸し調理」、実は東アジアで発達した調理方法なのです。

蒸し調理の起源は、今から6000〜7000年前の中国新石器時代にまで遡り、黄河流域の遺跡から、
粘土で作った蒸し器がわずかながら発見されています。それ以前は、ゆでる、煮る、焼くといった調理法が
基本だったと考えられています。

日本へは中国東北地方、朝鮮半島を経由してこの調理法が伝わりました。最初に蒸し調理が行われたのは
3世紀頃の北部九州。福岡市の西新町遺跡から土製蒸し器が出土しています。実に4000年余りの時を経て、
ようやく日本にまで到達したことになります。

しかし、この後、日本では蒸し調理は廃れ、全国的な普及はそれから数百年後のことでした。

今では日本料理とは切っても切れない蒸し料理。普段、何気なく接している蒸し料理にも、
数千年にわたる人々の営みが隠されているのです。 http://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/04/tanken08.html



.

105 :日本@名無史さん:2021/03/03(水) 20:35:07.33 .net
.




7000年前から中国では炊飯するのに、釜と竈(=火へんに土)のセットで炊く、
鼎で炊く、さらに甑を釜にセットして蒸し上げる、という3種類の炊飯方法があった。

6000年前には鬲も登場して、甑を鬲にセットして蒸し上げるという炊飯方法も加わる。

ところが縄文末に渡来した、いわゆる弥生人は渡来時に釜も竈も鼎も鬲も甑も何一つ伝えなかった。

弥生人は弥生末の3Cに甑が半島から伝わるまで甑で蒸し上げて炊飯する事を知らなかったのだ。

中国には7000年前からある甑で蒸し上げて炊飯する方法を弥生末の3Cまで知らなかったのだ。

甑と同時に伝わった同じく中国には7000年前からある竈もそれまで知らなかった。

釜に至っては5Cまで待たなければならない。

弥生人が中国からなんて2兆%あり得ないね。


◆7000年前の江南の河姆渡遺跡の釜と竈(=火へんに土)と甑


http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html



.

106 :日本@名無史さん:2021/03/03(水) 23:55:41.48 .net
>>104-105
               ∩_
              〈〈〈 ヽ
      ____   〈⊃  }
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   /( ●)  (●)\  !   !
  / :::::⌒(__人__)⌒:::::\|   l   
  |     |r┬-|       |  / < 反日教育に洗脳された
  \     ` ー'´     //      哀れな在日ヒトモドキ
  / __        /          まるだしで草wwww
  (___)      /

107 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 00:21:26.78 .net
>>61
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw

日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

108 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 00:21:55.54 .net
>>62

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

109 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 00:22:17.54 .net
>>63
考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/qQUIcdb.jpg

> 417 :日本@名無史さん :2020/10/14(水) 00:33:35.04
> https://i.imgur.com/Ah5Akjy.jpg
> この図を見れば、航海術を活かして海外と交易していた海人族の国がどこだったか一目瞭然だなw
> 奴国の王都だった須玖には中国銭や楽浪系土器はほとんど無い
> 博多湾の沿岸部にはあるのに奴国の王都にほとんど無いのは何故か
> それは博多湾沿岸部の集落が伊都国に属していたから以外に説明はつかない

110 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 00:22:47.61 .net
>>64
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

関係ない例をいくつ持ってきたところで一番肝心のイソタケルに直結する五十猛町がイソタケだからイソタケルが正しいのは自明
そして対馬の安曇磯武良が上陸した土地に神社を作ったと伝わっている場所にイソタケルを祀る神社が現存するんだから
安曇磯武良=五十猛はもう確定したんだよ
負け犬は潔く去れ
トランプかお前はw

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

111 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 00:23:14.11 .net
>>65
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

112 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 00:23:39.24 .net
>>66

41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ


とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

113 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 00:24:34.13 .net
結局、今日も>>19の圧倒的事実には何一つ反論ができないみじめな負け犬キナイコシくんでしたw

114 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 00:31:04.70 .net
>>75
魏の使者は磁石(指南魚)を使って方位を測ったはずだから、磁北基準での東南だよ

当時の磁北は地軸から約15°ほど西にずれていた
このため磁石で方位を測ると真北(地軸方向)は東北東15°となり、方位は東寄りにずれが生じる
魏の使者は磁石で方位を測ったため、方位の表記は全体的に東寄りにずれている
これを補正すれば上陸地の呼子から東南で方位は合致する

古代の方位測定法
https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2013/06/20130601-1.html
>いまの私たちなら、方位磁針(コンパス)を使うのが簡便です。ただし、よく知られているように、磁針が指す磁北は、地球の自転軸の延長方向である真北とは一致しません。
>奈良や京都では、真北から7度ほど西にずれています。この差は地域や時代によって異なりますが、6〜8世紀ではさらに大きく、西日本では平均して10〜15度も西へずれていました。
>したがって、古代に磁北を測って方位を定めたのでないことは確実です。
>
>ではどうやって方位を測ったのかというと、まず間違いないのは太陽を利用する方法です。地面に棒を垂直に立て、それを中心に円を描きます(全周させなくてもかまいません)。
>午前と午後の2回、棒の影の先端が円周上にくるときがありますが、その2点を結べば、ほぼ正確に真東西となります。
>この方法は、古くから『周礼しゅらい』をはじめとする中国の書物に記され、簡単なうえに精度もよいことが実験でも確かめられています。

この周礼の方法は高精度だが午前と午後の2回、同地点での測定を行わなければならないので、魏の使者のように旅をして移動している人間には使用できない
都市計画などには良いが、移動する人間は磁石を使うしかなかった
当時まだ羅針盤は無いが、指南魚という永久磁石を用いて方位を知る道具が既に存在している

ちなみにこの15°補正により別の方位問題も解決する
会稽東治(江蘇省蘇州市)からの方位に15°の補正を加えると筑後山門はほぼ真東となる
https://i.imgur.com/IOyJ05p.jpg

115 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:31:48.49 .net
>>107
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

https://i.imgur.com/Km8Z0re

116 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:32:01.19 .net
>>108
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/puurb8v

117 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:32:14.75 .net
>>109
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

〜糸島朝鮮人特有の三種の珍技〜

∧,_∧
< `∀´>
記憶喪失
(論破されても半日で忘れる)

∧_,,∧             
<♯`Д´>
文盲病
(前後の文脈や論の大局を読めない)

∧_,,∧
<;l|l;`田´>
チヨンコロ目
(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)

https://i.imgur.com/faTpmpq

118 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:32:28.59 .net
>>110
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3

119 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:32:54.30 .net
>>111

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/l9G4Wk2
現実はコチラ
https://i.imgur.com/oBTovjf

120 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:33:10.98 .net
>>112
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る


声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/puurb8v

121 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:33:32.70 .net
>>113
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼

122 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:33:50.14 .net
>>114
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる
となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは名島神社
先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている
阿曇氏いわく名島のナは浦と同義で壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
つまりナ島は阿曇読みで大和読みではウラ島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている
一方で風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は
那珂川市の現人神社だとしている

123 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:34:07.47 .net
【捏造中】 糸島トンスル妄想ファンタジー 【創作中】
          __
        /  ../)
        三三)/) 声闘でゴリ押しし続けるニダよ〜
  __    三三)/           __
/  ../) ウリたちが安曇ニダ♪   /  ../)
三三)/)   ∧_,,∧   ∧_,,∧   三三)/)
三三)/   < `∀´>  <`∀´ ;>  三三)/ 卑弥呼もウリナラ
ニダ ∧_,,∧ と  φ)  (つ φ)  ∧_,,∧ 邪馬台国もウリナラ
  < #i!`Д>/⌒/⌒/ ̄/⌒/⌒/ ̄<田´#>  /  ../)
  / _∧_,,∧口  ∧_,,∧ ⌒   φと_   ヽ  三三)/)
  (/<   `>口 <   #>φ/⌒//(__ム  三三)/)
 ‖ ̄(l    ノ  ̄(   ノ ̄ ̄ ̄||       三三)/
  __`ー‐' ニダ `ー‐' 漁村という真実は感情的に
/  ../)       __    受け入れられないニダ!
三三)/)     /  ../)
三三)/)     三三)/) 〃∩ ∧_∧良い感じニダ♪
三三)/      三三)/  ⊂⌒< `∀´>
                  `ヽ_っ⌒/⌒c
                     ⌒⌒

124 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:34:57.40 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。

声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 このスレで言えば>>107-114のような連投が糸島朝鮮式声闘。

議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。

古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。

相手が論理的に反論しても、聞こえないふりをするか同族のキナチョンのせいだと被害妄想を抱き、執拗に意味不明なコピペを威圧的に繰り返す。

そして得意の思い込みで相手をキナイコシや出雲信者だと錯覚し、被害妄想に陥る。

自分に非があっても決して認めず、>>107-114のように大声で持論や長文コピペの連投を繰り返し、相手が疲れ呆れて黙り込んだら自明ニダ〜!確定ニダ〜!と独り精神勝利で大喜びをするのだ。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3

125 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:35:10.83 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの泡チョン、糸チョン、キナチョン、在日ヒトモドキ

"ア"が付いたら何でも強引に阿波に引き込む泡チョンは巣に帰れ
「邪馬臺国」は阿波(笑)だった Part.8(笑)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1601267699/

"イ"が付いたら何でも強引に伊都にこじつける糸チョンも巣に帰れ
伊都は邪馬台国で海人族の首都ニダァァァ
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/sf/1601842277/

何もなくても邪馬台国関連は畿内に巻き込むキナチョンは首を吊れ

中国共産党に狙われてるとかいう被害妄想で戦い続けてる在日ヒトモドキはドブ川に身投げしろ
  
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの得意技

こじつけ

思い込み

盲信

猿芝居

声闘

https://i.imgur.com/faTpmpq
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

126 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 03:35:22.17 .net
結局、また今夜もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
深夜にコソコソとしつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww

127 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 14:54:28.26 .net
伊都は240年の邪馬台国21王国には無い。 
つまり、伊都国には漢代など古くからや卑弥呼を共立した世襲王は無い。
一大卒(進駐軍)が置かれた21国いずれか内の地名、または、軍の租借地名。

奴国南東至100里であるから卑弥呼所属の主要国である2万戸の奴国内でもない。
奴国は糸島以東、広域で福岡平野を想定可能であるから
伊都は、この西麓、今宿〜吉武高木間の峠付近、東面の山城が妥当。

北西500里末盧國を糸島半島北西岸以外を想定するなら
倭人伝の文献価値を、畿内説同様はじめから無視している。

128 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 17:14:35.62 .net
>>103
クシャーナ朝の首都まで約5000キロだから
本来、邪馬台国(12000里)は
そのクシャーナ朝(11370里)より
ちょっと遠くにないと里数的におかしいんだよね

ちなみに
魏長里435m×11370里=約5000キロ
でクシャーナ朝までのキロ数は合ってる

そもそもの12000里じたい(周旋5000里じたい)が
短里であったと考えるべきだし

投馬国と邪馬台国も口伝であることは事実だし

陳寿は魏長里と言う感覚で参問倭地したが
実際は短里であり、九州内に収まる位置に邪馬台国があったことは明白

129 :日本@名無史さん:2021/03/05(金) 21:06:50.71 .net
長里と短里の問題ですが、

中国の高級役人が自分で歩くことはないでしょう。長里は馬車、短里は輿なのでは
ないかと思うのですが、どうでしょうか?

130 :日本@名無史さん:2021/03/06(土) 00:57:03.07 .net
>>1
★★★猿でもわかる邪馬台国の(北部)九州否定説★★★


邪馬台国 論争の背景
http://www.yoshinogari.jp/ym/topics/yama02.html

伊都国(福岡県糸島市)

↓百里

奴国(福岡県博多湾付近)

↓百里

不弥国(福岡県糟屋郡宇美町付近)

↓水行二十日

投馬国(不明)

↓水行十日、陸行一月

邪馬台国

まともな地図を作れなかった古代では方角や距離を正しく測れなかった可能性が高いが、
日数を数え間違える可能性はほぼゼロに等しい
ということは、この時点で不弥国のすぐ近くにある(北部)九州の可能性が真っ先に消えることは猿でもわかるはずだよね???
考古学会も畿内説でほぼ固まっている
(北部)九州説を主張してる人は振り上げたこぶしを下ろせないだけでしょ?
いい大人がいつまでもみっともないよ
もういい加減あきらめろよ

131 :日本@名無史さん:2021/03/06(土) 00:57:39.87 .net
>>127
現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

132 :日本@名無史さん:2021/03/06(土) 14:00:06.89 .net
>>130
猿でもわかることは

12000里のウチ
その不弥国から、残り何里?

133 :日本@名無史さん:2021/03/07(日) 15:21:16.74 .net
「水行十日陸行一月」の距離も解決済み

三国志時代、使者は1日50里ほど歩いた
50里は、箱根駅伝のヒト区間=20キロちょい、いわゆる長里だ

陸行一月 = 30日×50里 = 1500里

自郡至女王國 萬二千餘里= 水行10000里+陸行1500里+余里
(本来は11500里だが、大月氏よりちょい長めの萬二千餘里に)

帯方郡から
狗邪韓国←7000里 水7日
對海国 ←1000里 水1日
一大国 ←1000里 水1日
末盧国 ←1000里 水1日
計   10000里 ◆水行十日

伊都国 ← 500里 歩10日
奴国  ← 100里 歩2日
不彌国 ← 100里 歩2日
残り    800里 歩16日
計    1500里 ◆陸行一月

よく残りの距離は1300里と言われるが、それだと陸行40日になってしまう
陸行一月その逆算から、残り800里と計算が出る(ただし、放射説であれば残り里は増える)

つまり、「水行十日陸行一月」は解釈としては合ってる

陳寿は長里と言う認識で書いたが、実際の距離は短里(約75メートル)だったと言うだけだ

参考 短里 約1500里 = 約112・5キロ
https://i.imgur.com/C4LFaUh.jpg

134 :日本@名無史さん:2021/03/07(日) 19:20:07.46 .net
裴秀の道里は1里が76.5m程度の短里で周代に倣ったものなのだろう

135 :日本@名無史さん:2021/03/07(日) 19:50:10.23 .net
中国三大史書の、魏志、魏略、廣志、が云う「倭国に上陸したら東南へ・・」の通り進めば、
邪馬台国へのメインルートは、必ず佐賀平野の吉野ヶ里を通る。
そしてこの吉野ヶ里(=不彌国)から南へ1400里(約105q)、九州島のど真ん中に位置する阿蘇地方に、共立女王卑弥呼の所都はあった。

136 :日本@名無史さん:2021/03/07(日) 20:37:01.41 .net
軍から万里の、末盧國は、女王国内にある。
末盧國は、邪馬台国女王卑弥呼共立21王国には無い。 王は無い。

対馬、壱岐は、
邪馬台国女王卑弥呼共立21王国には無い。

女王国は
参問 倭地 絶在 海中 洲㠀之上 或絶 或連 周旋可 五千餘里
の 21国である。
其南 有 狗奴國 男子為王 其官有 狗古智卑狗 不屬女王

邪馬台国は、21王国が共立した卑弥呼の国である。
女王の処都は、郡から12000里であり、
邪馬台国入国までは、1万里である。
九州上陸=女王国入国である。

伊都国は、女王国内にある。
邪馬台国共立21王国には無い。 王は無い。 
一大率 檢察 諸國 畏憚之 常治 伊都國 於國中有 如刺史 が、ある。

倭人伝の女王国は、倭人伝247年当時に畿内王朝と統合した、筑紫だろ?

137 :日本@名無史さん:2021/03/07(日) 20:56:41.06 .net
>>135 の続き
つまり、佐賀〜熊本平野を舞台に繰り広げられた、生々しい倭人伝物語を第1幕とすれば、
次の第2幕の日本神話では、同じ面々が、天上の神々に名前と姿をかえて登場し、高天原・高千穂劇場で、うやうやしく神の舞を舞って見せたというわけだ。
何も難しく考えることはない、皇祖は、共立されて九州島を治めた親魏倭王だった・・。ただそれだけのこと。

138 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 07:26:56.12 .net
生姜

139 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 08:46:34.21 .net
崑崙元初

140 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 14:32:37.95 .net
>>116
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw

日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない

141 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 14:33:09.57 .net
>>118

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

142 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 14:33:47.72 .net
>>119

考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/qQUIcdb.jpg

> 417 :日本@名無史さん :2020/10/14(水) 00:33:35.04
> https://i.imgur.com/Ah5Akjy.jpg
> この図を見れば、航海術を活かして海外と交易していた海人族の国がどこだったか一目瞭然だなw
> 奴国の王都だった須玖には中国銭や楽浪系土器はほとんど無い
> 博多湾の沿岸部にはあるのに奴国の王都にほとんど無いのは何故か
> それは博多湾沿岸部の集落が伊都国に属していたから以外に説明はつかない

143 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 14:34:14.52 .net
>>120
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

関係ない例をいくつ持ってきたところで一番肝心のイソタケルに直結する五十猛町がイソタケだからイソタケルが正しいのは自明
そして対馬の安曇磯武良が上陸した土地に神社を作ったと伝わっている場所にイソタケルを祀る神社が現存するんだから
安曇磯武良=五十猛はもう確定したんだよ
負け犬は潔く去れ
トランプかお前はw

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

144 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 14:35:28.03 .net
>>121
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

145 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 14:35:49.07 .net
>>122

41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ


とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

146 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 14:36:18.99 .net
結局、今日も>>19の圧倒的事実には何一つ反論ができないみじめな負け犬キナイコシくんでしたw

147 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 14:39:30.78 .net
>>127
>伊都は240年の邪馬台国21王国には無い。
名前だけ列挙されてる国々は遠絶で詳細が分からなかった国だぞ
伊都国は実際に訪れて詳細が分かってるんだからそこに無いのは当たり前

君はまず魏志倭人伝をきちんと読みなさい
話はそれからだ

148 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 14:41:14.07 .net
>>130
>>2-3でとっくに論破されてるぞw
テンプレで論破されてることを何回繰り返す気だこの馬鹿w

149 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 14:41:34.18 .net
>>131
>>140

150 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 14:43:25.04 .net
>>133
>三国志時代、使者は1日50里ほど歩いた
ソースは?

まあそれ以前に水行陸行の解釈が間違ってて話にならないわけだが
>>2を100回読んで出直しなさい

151 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 14:45:54.92 .net
>>137
そこには同意するけど、都を阿蘇に想定するのは>>4の考古学的事実に反するから難しいと思うな
やはり>>5のように筑後山門と考えるのが妥当な線だろう

152 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 15:26:30.64 .net
>>150
ソースは三国志時代に精通している専門家の話だが?

水行陸行は帯方郡からの日程と考えのが妥当

仮に帯方郡から狗邪韓国までの
半島内での水行経由と陸行経由となった場合

投馬国の日程の説明がおかしくなる

153 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 15:28:28.42 .net
>>152
>ソースは三国志時代に精通している専門家の話だが?
そんな架空の人物はソースになりませんw
ちゃんと人名といつどこで何と発言したかが分からないものはソースたり得ない

>ソースは三国志時代に精通している専門家の話だが?
根拠は何?

154 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 15:31:41.96 .net
この写真の人だけど?
あとはググレ
https://i.imgur.com/FaQISsr.jpg

155 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 15:32:57.62 .net
>>154
つまりソースはありません、と
ソースってのは主張する側が自分で用意するものだぞw

156 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 15:33:57.98 .net
このYouTube動画で語ってんだよチミ

あとはググレ

157 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 15:37:39.57 .net
天才的な俺の邪馬台国研究

凄いよね、たかだか半年でここまで読めてしまってる

水行陸行ですら解決

まさに天才の俺w

158 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 15:48:10.39 .net
とっくに伊都国で決着しているよ。
三種の神器を保有する倭国女王の墓が糸島平野で発見されたときに決着していたはず。
認めたくないと駄々をこねるキナイコシみたいなのが学会にたくさん寄生しているだけ。

159 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 16:07:04.68 .net
>>151
>>137 の前提として、>>135 が有る。
つまり、中国三大史書の、魏志、魏略、廣志、が云う「倭国に上陸したら東南へ・・」の通り進めば、
邪馬台国へのメインルートは、必ず佐賀平野の吉野ヶ里を通る。するとその後の方角里数からして、筑後山門では近過ぎる。

なお、九州中部の阿蘇〜~大分間の鉄鏃の集中出土だが、この調査報告書の出典を見たことがない。
此れだけ広範囲の調査には、30年100億円規模の調査費が必要だが、どこの公的機関が調査を行ったのか教えてくれないか??

160 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 19:12:27.59 .net
倭人伝を、ちゃんと読んでないだろ?

03 循海岸 水行 歴韓国 乍南乍東 到 其北岸 狗邪韓國 七千餘里
これは、帯方郡から、南に四千里、東に三千里だよ。

04 始度 一海 千餘里 至 對海國
これは、半島南岸東三千里から渡海で、南北市糴だし、対馬以外無いから南のはず。

07 又 南 渡 一海 千餘里 名日 瀚海 至 一大國
これは、対馬は南北400里の西岸しか見てないとして、
若干南東向きだが南北市糴だし、壱岐しかない。
 
09 又 渡 一海 千餘里 至 末盧國 有四千餘戸
末盧國は壱岐の南とは書いてない。 
距離的には松浦半島よりは、糸島半島が近い。

考古学データで、伊都は今宿〜吉武高木が有力。
伊都から、北西に5百里必要なら、糸島半島北岸が末盧の港というのが妥当。

まあ、全行程で、女王の処都は、帯方郡から南で里程は一万二千里。
これが、水行三十日で女王国入国からプラス陸行一月で女王の王宮だったということ。

末盧國の松浦半島説は、大和=邪馬台並で、完全にミスリード。

161 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 19:58:02.50 .net
>>160
>若干南東向きだが南北市糴だし、壱岐しかない。
>又 渡 一海 千餘里 至 末盧國 有四千餘戸

「又 渡 一海 千餘里」は、その前の「南北市糴」を受けてのことだ。
地元民でさえ南北しか行き来しないかのごとく書いているのは、次の航路も南だという暗示。陳寿は「又、言わせるな」と言っているのだ。、

162 :日本@名無史さん:2021/03/13(土) 20:10:21.57 .net
.






中国大陸には7000年前の河姆渡遺跡の時代から皿という器種がありました。

あちらで皿は盤と呼びます。

ところが、縄文末に渡来した弥生人は鬲や鼎どころか、皿(盤)の一枚さえも
伝えませんでした。

日本に皿という器種が伝わるのは4C末の古墳時代です。

中国大陸には7000年前からある皿という器種を我々の祖先は古墳時代まで
知らなかったのだ。

その時代差、約5400年。

弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!





.

163 :日本@名無史さん:2021/03/14(日) 05:18:27.24 .net
>>140
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/puurb8v

164 :日本@名無史さん:2021/03/14(日) 05:19:05.79 .net
>>141
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3

165 :日本@名無史さん:2021/03/14(日) 05:22:38.34 .net
>>142
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、
民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてる
んだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の
妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/l9G4Wk2.jpg
現実はコチラ
https://i.imgur.com/oBTovjf.png

166 :日本@名無史さん:2021/03/14(日) 05:23:22.34 .net
>>143
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/puurb8v

167 :日本@名無史さん:2021/03/14(日) 05:24:04.03 .net
>>144
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼

168 :日本@名無史さん:2021/03/14(日) 05:24:42.99 .net
>>145
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる
となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは名島神社
先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている
阿曇氏いわく名島のナは浦と同義で壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
つまりナ島は阿曇読みで大和読みではウラ島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている
一方で風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は
那珂川市の現人神社だとしている

169 :日本@名無史さん:2021/03/14(日) 05:26:02.20 .net
>>146
結局、また今夜もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
深夜にコソコソとしつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww

170 :日本@名無史さん:2021/03/14(日) 05:29:42.79 .net
>>147
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

https://i.imgur.com/Km8Z0re

171 :日本@名無史さん:2021/03/14(日) 05:30:47.69 .net
>>148-149
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

〜糸島朝鮮人特有の三種の珍技〜

∧,_∧
< `∀´>
記憶喪失
(論破されても半日で忘れる)

∧_,,∧             
<♯`Д´>
文盲病
(前後の文脈や論の大局を読めない)

∧_,,∧
<;l|l;`田´>
チヨンコロ目
(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)

https://i.imgur.com/faTpmpq

172 :日本@名無史さん:2021/03/14(日) 05:32:09.13 .net
>>150
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/puurb8v

173 :日本@名無史さん:2021/03/14(日) 12:45:16.51 .net
>>151
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼

174 :日本@名無史さん:2021/03/14(日) 12:45:59.52 .net
>>153
【捏造中】 糸島トンスル妄想ファンタジー 【創作中】
          __
        /  ../)
        三三)/) 声闘でゴリ押しし続けるニダよ〜
  __    三三)/           __
/  ../) ウリたちが安曇ニダ♪   /  ../)
三三)/)   ∧_,,∧   ∧_,,∧   三三)/)
三三)/   < `∀´>  <`∀´ ;>  三三)/ 卑弥呼もウリナラ
ニダ ∧_,,∧ と  φ)  (つ φ)  ∧_,,∧ 邪馬台国もウリナラ
  < #i!`Д>/⌒/⌒/ ̄/⌒/⌒/ ̄<田´#>  /  ../)
  / _∧_,,∧口  ∧_,,∧ ⌒   φと_   ヽ  三三)/)
  (/<   `>口 <   #>φ/⌒//(__ム  三三)/)
 ‖ ̄(l    ノ  ̄(   ノ ̄ ̄ ̄||       三三)/
  __`ー‐' ニダ `ー‐' 漁村という真実は感情的に
/  ../)       __    受け入れられないニダ!
三三)/)     /  ../)
三三)/)     三三)/) 〃∩ ∧_∧良い感じニダ♪
三三)/      三三)/  ⊂⌒< `∀´>
                  `ヽ_っ⌒/⌒c
                     ⌒⌒

175 :日本@名無史さん:2021/03/14(日) 12:47:33.88 .net
>>155
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。

声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 このスレで言えば>>140-151,153,155のような連投が糸島朝鮮式声闘。

議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。

古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。

相手が論理的に反論しても、聞こえないふりをするか同族のキナチョンのせいだと被害妄想を抱き、執拗に意味不明なコピペを威圧的に繰り返し、特に複数人を装うサル芝居を繰り返す。

そして得意の思い込みで相手をキナイコシや出雲信者だと錯覚し、被害妄想に陥る。

自分に非があっても決して認めず、>>140-151,153,155のように大声で持論や長文コピペの連投を繰り返し、相手が疲れ呆れて黙り込んだら自明ニダ〜!確定ニダ〜!と独り精神勝利で大喜びをするのだ。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3

176 :日本@名無史さん:2021/03/14(日) 12:47:55.95 .net
結局、また今夜もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
深夜にコソコソとしつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww

177 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 19:39:09.77 .net
>>170
>【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は
前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 
?何を言っているのか、全く判らない。


東南 陸行 五百里 到 伊都國 有千餘戸 官日 爾支 日 泄謨觚 柄渠觚
伊都の説明が、
 丗有王皆統屬女王國 郡使 往來 常所駐

伊都国には、女王に属するすべて21国の王は皆、往来していた。
247年の郡使政帳は、伊都国(の一大卒)に常駐させられた。

だから、到、伊都までで、
檄告喩 壹與と齎詔書 黄幢 拝假 難升米 為檄告喩之
で、この247年の張政の行程が終わってる。

と、書いてあります。

178 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 19:42:21.50 .net
>>173
>百越系文化を有する阿曇氏
>秦”系の一族の侵略
>奴国(百越系阿曇)






で、百越や秦から渡来定着した証拠の痕跡遺構は?




で、百越や秦から渡来定着したなんて中卒ギャグ飛ばしてる頭の中が
ファンキーすぎる考古学者の論文は?






早く出せよクッサイ汚らしい醜すぎる華南ブタ広鼻突顎巨大タラコ唇半ニグロ

179 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 19:48:19.89 .net
↑これって、広鼻ブラックレイシストの
歴史板最悪アラシのチョン認定の土器厨、京大キッド先生なのかな?

改行は、それっぽいw

180 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 20:09:52.82 .net
.






今から約3500年前の紀元前15世紀には、朝鮮半島でも数ヘクタールという大きな畑を
作って、そこでコメや麦を栽培する生活が始まります。朝鮮半島では日本よりも
500年も前に、本格的な農耕生活に入ったのです。

紀元前11世紀になると、朝鮮半島南部で水田稲作が始まります。本格的な穀物栽培が
始まって約400年後のことになります。

こちらにある写真は韓国で最も古い水田の一つの写真です。釜山の少し北側に
位置する蔚山(ウルサン)市で見つかったオクキョン遺跡の水田跡です。

http://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=2975


※炭素年代測定と他国からの共同研究を拒否して埋め戻す隠蔽工作をしたという
ウソのレッテルをしている中国人詐欺師にその証拠提出を無数に求めましたが、
その証拠が出てきた事はありません

遺跡のメイン部分が今も空き地である事などグーグル地図の航空写真で確認すれば
容易に分かる事であるし、それ以前にこれは国の研究機関の公表であるので悪しからず





.

181 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 21:17:59.94 .net
>>173
>百越系文化を有する阿曇氏
>秦”系の一族の侵略
>奴国(百越系阿曇)






で、百越や秦から渡来定着した証拠の痕跡遺構は?




で、百越や秦から渡来定着したなんて中卒ギャグ飛ばしてる頭の中が
ファンキーすぎる考古学者の論文は?






早く出せよクッサイ汚らしい醜すぎる華南ブタ広鼻突顎巨大タラコ唇半ニグロ

182 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 21:45:16.21 .net
>>178,180-181の在日ヒトモドキは執拗に玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡のウソを流布して回っていますが、同遺跡は意図的に炭素年代測定を行わないまま埋め戻された程度の価値しかありません。

1999年に学術論文「蔚山ムゴドン オクヒョン遺跡」(イ・サンギル、イ・ヒョンソク、ガク・ジョンチョル共著)が発表されて以来20年以上も研究対象になっていない遺跡です。
同論文に在日ヒトモドキが言うような紀元前15世紀や紀元前11世紀などという記述は皆無な上、玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡の地は大韓住宅公社に売却され既に「文殊中学校」になっていると明記されています。
※学術論文「蔚山ムゴドン オクヒョン遺跡」
https://library.knou.ac.kr/user/login?returnUrl=http%3A%2F%2Fopenlink%2Elibmeta%2Eknou%2Eac%2Ekr%3A8090%2Flink%2En2s%3Furl%3Dhttp%3A%2F%2Fkiss%2Ekstudy%2Ecom%2Fthesis%2Fthesis%2Dview%2Easp%3Fkey%3D257061&__referer=http%3A%2F%2Fopenlink%2Elibmeta%2Eknou%2Eac%2Ekr%3A8090%2Flink%2En2s%3Furl%3Dhttp%3A%2F%2Fkiss%2Ekstudy%2Ecom%2Fthesis%2Fthesis%2Dview%2Easp%3Fkey%3D257061

加えてウルサン市の公式サイトには、玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡の地は大韓住宅公社運営の「オクヒョン第二住公アパート」になっていると明記されています。
※ウルサン市公式サイト「ムゴドン オクヒョン遺跡」
http://ulsan.grandculture.net/Contents/Index?local=ulsan

本国ですら正確な位置を把握していないという無価値さを証明するように玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡を示す記念碑はこの地球上に存在すらしていません。

玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡のウソを始めたのは元国立歴史民俗博物館副館長の藤尾慎一郎氏ただ一人であり、そう主張した2019年に同氏は副館長から一般研究員に降格しました。
よって突如として玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡の水田遺構が日本最古の水田遺構より古いという主張は、中国における玉蟾岩土器を模倣した悪質な反日愛国行為としてすでに韓国歴史学の恥部となっています。

にも関わらず、在日ヒトモドキは学術論文や行政の発表という現実から逃げ回り、グーグル地図うんぬんやら国の研究機関の公表だとホラを吹き、中国共産党への被害妄想に嵌まり込むという醜態を繰り返すしか能のない
賤しくも憐れな無能生物なのです。

183 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 23:50:25.62 .net
>>156
imgurしか貼られてないわけだがw
つまりソースはありません、と

184 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 23:57:12.76 .net
>>159
>>114で何ら問題無いし、やはり>>4の考古学事実に照らすと筑後山門が妥当だろう

>此れだけ広範囲の調査には、30年100億円規模の調査費が必要だが、どこの公的機関が調査を行ったのか教えてくれないか??
広範囲の調査とか言い出すのはちょっと常識が無さすぎないか?
普通に考えれば各地の発掘状況をまとめた結果だと分かるだろうに
ソースはもう>>4で提示されているのだから、ソースのソースがほしければ自分で番組に問い合わせればいいだろう

と言いたいところだがググったら割とすぐそれっぽいのが見つかったから出してやろう
孫引きだが川越哲志氏の「弥生時代の鉄分化」が出所のようだ
https://pds.exblog.jp/pds/1/201802/21/45/a0237545_16344442.png

185 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 23:57:47.22 .net
>>163
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw

日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない

186 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 23:58:08.58 .net
>>164

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

187 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 23:58:27.74 .net
>>165

考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/qQUIcdb.jpg

> 417 :日本@名無史さん :2020/10/14(水) 00:33:35.04
> https://i.imgur.com/Ah5Akjy.jpg
> この図を見れば、航海術を活かして海外と交易していた海人族の国がどこだったか一目瞭然だなw
> 奴国の王都だった須玖には中国銭や楽浪系土器はほとんど無い
> 博多湾の沿岸部にはあるのに奴国の王都にほとんど無いのは何故か
> それは博多湾沿岸部の集落が伊都国に属していたから以外に説明はつかない

188 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 23:58:52.10 .net
>>166
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

関係ない例をいくつ持ってきたところで一番肝心のイソタケルに直結する五十猛町がイソタケだからイソタケルが正しいのは自明
そして対馬の安曇磯武良が上陸した土地に神社を作ったと伝わっている場所にイソタケルを祀る神社が現存するんだから
安曇磯武良=五十猛はもう確定したんだよ
負け犬は潔く去れ
トランプかお前はw

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

189 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 23:59:14.47 .net
>>167
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

190 :日本@名無史さん:2021/03/16(火) 23:59:28.70 .net
>>168

41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ


とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

191 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 00:00:23.51 .net
結局、今日も>>19の圧倒的事実には何一つ反論ができないみじめな負け犬キナイコシくんでしたw

192 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 00:01:44.85 .net
>>185
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/puurb8v

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

193 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 00:02:23.39 .net
>>186
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

194 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 00:03:05.09 .net
>>187糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、
民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!
〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/l9G4Wk2.jpg
現実はコチラ
https://i.imgur.com/oBTovjf.png

195 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 00:03:27.25 .net
>>188
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/puurb8v
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

196 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 00:03:45.88 .net
>>189
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

197 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 00:04:03.57 .net
>>190
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる
となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは名島神社
先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている
阿曇氏いわく名島のナは浦と同義で壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
つまりナ島は阿曇読みで大和読みではウラ島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている
一方で風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は
那珂川市の現人神社だとしている

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

198 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 00:04:20.79 .net
>>191
結局、また今夜もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
深夜にコソコソとしつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww

199 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 17:48:29.88 .net
>>196
>百越系文化を有する阿曇氏
>秦”系の一族の侵略
>奴国(百越系阿曇)






で、百越や秦から渡来定着した証拠の痕跡遺構は?




で、百越や秦から渡来定着したなんて中卒ギャグ飛ばしてる頭の中が
ファンキーすぎる考古学者の論文は?






早く出せよクッサイ汚らしい醜すぎる華南ブタ広鼻突顎巨大タラコ唇半ニグロ

200 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 20:07:55.80 .net
.






◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。


「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
 


ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!





.

201 :日本@名無史さん:2021/03/17(水) 21:12:24.34 .net
>>196
>百越系文化を有する阿曇氏
>秦”系の一族の侵略
>奴国(百越系阿曇)






で、百越や秦から渡来定着した証拠の痕跡遺構は?




で、百越や秦から渡来定着したなんて中卒ギャグ飛ばしてる頭の中が
ファンキーすぎる考古学者の論文は?






早く出せよクッサイ汚らしい醜すぎる華南ブタ広鼻突顎巨大タラコ唇半ニグロ

202 :日本@名無史さん:2021/03/18(木) 01:12:18.65 .net
           ∧_∧   从从
           <丶`∀´>   ビシッ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
         _/  ⌒ヽ  (⌒)   < 世界は韓国から孤立しているニダ!!
       ⊂二 /    へ  ノ ~.レ-r┐  \_______________
          /    /  ヽノ__ | .| ト、
      _ _レ   /〈 ̄   `-Lλ_レ
    /   __ノ   ̄`ー‐---‐′
    ヽ <  | |
     \ \ | ⌒―⌒)
      ノ  )  ̄ ̄ ヽ (
     (_/     ⊂ノ

203 :日本@名無史さん:2021/03/18(木) 17:56:55.53 .net
571 日本@名無史さん 2021/01/23(土) 15:47:40.84
>參問倭地
3つの問いの倭地

>@絕在海中洲島之上、A或絕或連、B周旋可五千餘里。

>周旋可五千餘里。
倭人の締めがこれで、「周」王朝にかけてるわ
さすが陳寿w

さらに
>壹與、遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人、送政等還、因詣臺。
>獻上男女生口三十人、貢【白】珠五千、孔【青】大句珠二枚、異文雜錦二十匹。

卑弥呼のときのように倭錦と書かずに
>異文雜錦二十匹
異なる文身の錦(金・白の国)と混じる、で倭人伝終了

卑弥呼時代は
>其四年倭王復遣使大夫伊聲耆、掖邪狗等八人、
>上獻生口、倭錦、【絳青】縑、緜衣、帛布、【丹】、木拊、短弓矢。

赤、青、白の3つ文身は、どこの国かな?w

參問倭地=3文倭地

204 :日本@名無史さん:2021/03/18(木) 19:16:56.73 .net
>>196
>百越系文化を有する阿曇氏
>秦”系の一族の侵略
>奴国(百越系阿曇)






で、百越や秦から渡来定着した証拠の痕跡遺構は?




で、百越や秦から渡来定着したなんて中卒ギャグ飛ばしてる頭の中が
ファンキーすぎる考古学者の論文は?






早く出せよクッサイ汚らしい醜すぎる華南ブタ広鼻突顎巨大タラコ唇半ニグロ

205 :日本@名無史さん:2021/03/18(木) 19:24:59.61 .net
SD-1009は海水生簀。

SM-1001はその排水溝で、
魚が逃げないよう下流にスクリーンが張られており、
スクリーン手前には、ゴミ沈殿堆積への対策として大型土坑が掘られていた。

サバ、アジ、マダイ、などの海水魚を、海水ごと輸送してきて、
海水生簀SD-1009で養殖。
運んできた海水並びに、周囲の河川水+塩添加で塩水を維持。
輸送で疲労した魚に、
桃や人糞などを餌として与えて、栄養をつけることで魚の品質を向上させていた。

桃の種や、人糞中の蛙の骨などは、魚が食べないため、下流へ流れて、
スクリーン手前の土坑に沈殿。
海水はアルカリ性なので、スクリーン手前の土坑に沈殿した骨は溶けずに残った。

SD-1009とSM-1001は、庄内3式期〜布留0式期であり、
布留0式が副葬されていたホケノ山古墳被葬者の生前活動時期に一致する。

内行花文鏡片、大量の鉄器、そして海水魚への熱烈なこだわり。
ホケノ山古墳被葬者は、北部九州からやってきた海人族であった。

今や世界中に普及した倭食の歴史を物語る貴重な遺蹟である。

206 :日本@名無史さん:2021/03/18(木) 20:12:53.94 .net
.






日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では7000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約5500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。





.

207 :日本@名無史さん:2021/03/18(木) 20:15:36.98 .net
>>1
SD-1009は海水生簀。

SM-1001はその排水溝で、
魚が逃げないよう下流にスクリーンが張られており、
スクリーン手前には、ゴミ沈殿堆積への対策として大型土坑が掘られていた。

サバ、アジ、マダイ、などの海水魚を、海水ごと輸送してきて、
海水生簀SD-1009で養殖。
運んできた海水並びに、周囲の河川水+塩添加で塩水を維持。
輸送で疲労した魚に、
桃や人糞などを餌として与えて、栄養をつけることで魚の品質を向上させていた。

桃の種や、人糞中の蛙の骨などは、魚が食べないため、下流へ流れて、
スクリーン手前の土坑に沈殿。
海水はアルカリ性なので、スクリーン手前の土坑に沈殿した骨は溶けずに残った。

SD-1009とSM-1001は、庄内3式期〜布留0式期であり、
布留0式が副葬されていたホケノ山古墳被葬者の生前活動時期に一致する。

内行花文鏡片、大量の鉄器、そして海水魚への熱烈なこだわり。
ホケノ山古墳被葬者は、北部九州からやってきた海人族であった。

今や世界中に普及した倭食の歴史を物語る貴重な遺蹟である。

208 :日本@名無史さん:2021/03/18(木) 20:40:06.90 .net
           ∧_∧   从从
           <丶`∀´>   ビシッ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
         _/  ⌒ヽ  (⌒)   < 世界は韓国から孤立しているニダ!!
       ⊂二 /    へ  ノ ~.レ-r┐  \_______________
          /    /  ヽノ__ | .| ト、
      _ _レ   /〈 ̄   `-Lλ_レ
    /   __ノ   ̄`ー‐---‐′
    ヽ <  | |
     \ \ | ⌒―⌒)
      ノ  )  ̄ ̄ ヽ (
     (_/     ⊂ノ

209 :日本@名無史さん:2021/03/18(木) 21:58:27.43 .net
>>196
>百越系文化を有する阿曇氏
>秦”系の一族の侵略
>奴国(百越系阿曇)






で、百越や秦から渡来定着した証拠の痕跡遺構は?




で、百越や秦から渡来定着したなんて中卒ギャグ飛ばしてる頭の中が
ファンキーすぎる考古学者の論文は?






早く出せよクッサイ汚らしい醜すぎる華南ブタ広鼻突顎巨大タラコ唇半ニグロ

210 :日本@名無史さん:2021/03/19(金) 02:10:16.76 .net
           ∧_∧   从从
           <丶`∀´>   ビシッ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
         _/  ⌒ヽ  (⌒)   < 世界は韓国から孤立しているニダ!!
       ⊂二 /    へ  ノ ~.レ-r┐  \_______________
          /    /  ヽノ__ | .| ト、
      _ _レ   /〈 ̄   `-Lλ_レ
    /   __ノ   ̄`ー‐---‐′
    ヽ <  | |
     \ \ | ⌒―⌒)
      ノ  )  ̄ ̄ ヽ (
     (_/     ⊂ノ

211 :日本@名無史さん:2021/03/19(金) 21:58:54.06 .net
>>192
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw

日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない

212 :日本@名無史さん:2021/03/19(金) 21:59:19.14 .net
>>193

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

213 :日本@名無史さん:2021/03/19(金) 21:59:38.49 .net
>>194

考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/qQUIcdb.jpg

> 417 :日本@名無史さん :2020/10/14(水) 00:33:35.04
> https://i.imgur.com/Ah5Akjy.jpg
> この図を見れば、航海術を活かして海外と交易していた海人族の国がどこだったか一目瞭然だなw
> 奴国の王都だった須玖には中国銭や楽浪系土器はほとんど無い
> 博多湾の沿岸部にはあるのに奴国の王都にほとんど無いのは何故か
> それは博多湾沿岸部の集落が伊都国に属していたから以外に説明はつかない

214 :日本@名無史さん:2021/03/19(金) 21:59:58.83 .net
>>195
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

関係ない例をいくつ持ってきたところで一番肝心のイソタケルに直結する五十猛町がイソタケだからイソタケルが正しいのは自明
そして対馬の安曇磯武良が上陸した土地に神社を作ったと伝わっている場所にイソタケルを祀る神社が現存するんだから
安曇磯武良=五十猛はもう確定したんだよ
負け犬は潔く去れ
トランプかお前はw

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

215 :日本@名無史さん:2021/03/19(金) 22:00:13.55 .net
>>196
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

216 :日本@名無史さん:2021/03/19(金) 22:00:28.97 .net
>>197

41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ


とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

217 :日本@名無史さん:2021/03/19(金) 22:00:53.94 .net
結局、今日も>>19の圧倒的事実には何一つ反論ができないみじめな負け犬キナイコシくんでしたw

218 :日本@名無史さん:2021/03/20(土) 01:06:22.68 .net
>>211
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/puurb8v

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

219 :日本@名無史さん:2021/03/20(土) 01:06:36.67 .net
>>212
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/LZ2BRD3

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

220 :日本@名無史さん:2021/03/20(土) 01:07:03.01 .net
>>213糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、
民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!
〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/l9G4Wk2
現実はコチラ
https://i.imgur.com/oBTovjf

221 :日本@名無史さん:2021/03/20(土) 01:07:16.15 .net
>>214
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/puurb8v
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

222 :日本@名無史さん:2021/03/20(土) 01:07:28.48 .net
>>215
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

223 :日本@名無史さん:2021/03/20(土) 01:07:42.01 .net
>>216
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる
となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは名島神社
先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている
阿曇氏いわく名島のナは浦と同義で壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
つまりナ島は阿曇読みで大和読みではウラ島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている
一方で風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は
那珂川市の現人神社だとしている

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

224 :日本@名無史さん:2021/03/20(土) 01:07:58.34 .net
>>217
結局、また今夜もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
深夜にコソコソとしつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww

225 :日本@名無史さん:2021/03/21(日) 15:40:52.83 .net
郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

226 :日本@名無史さん:2021/03/21(日) 22:36:13.32 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/puurb8v

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

227 :日本@名無史さん:2021/03/22(月) 02:53:46.90 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

〜糸島朝鮮人特有の三種の珍技〜

∧,_∧
< `∀´>
記憶喪失
(論破されても半日で忘れる)

∧_,,∧             
<♯`Д´>
文盲病
(前後の文脈や論の大局を読めない)

∧_,,∧
<;l|l;`田´>
チヨンコロ目
(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)

https://i.imgur.com/6j9Vxm9.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

228 :日本@名無史さん:2021/03/24(水) 02:20:21.37 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/d23zGjw.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

229 :日本@名無史さん:2021/03/24(水) 09:10:39.22 .net
うざいから糸島 朝鮮人の話題はやめろ、嵐そのものだぞ
あぼーんした

230 :日本@名無史さん:2021/03/24(水) 22:13:03.16 .net
>>218
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw

日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない

231 :日本@名無史さん:2021/03/24(水) 22:13:24.56 .net
>>219

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

232 :日本@名無史さん:2021/03/24(水) 22:13:45.50 .net
>>220

考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/qQUIcdb.jpg

> 417 :日本@名無史さん :2020/10/14(水) 00:33:35.04
> https://i.imgur.com/Ah5Akjy.jpg
> この図を見れば、航海術を活かして海外と交易していた海人族の国がどこだったか一目瞭然だなw
> 奴国の王都だった須玖には中国銭や楽浪系土器はほとんど無い
> 博多湾の沿岸部にはあるのに奴国の王都にほとんど無いのは何故か
> それは博多湾沿岸部の集落が伊都国に属していたから以外に説明はつかない

233 :日本@名無史さん:2021/03/24(水) 22:14:03.84 .net
>>221
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

関係ない例をいくつ持ってきたところで一番肝心のイソタケルに直結する五十猛町がイソタケだからイソタケルが正しいのは自明
そして対馬の安曇磯武良が上陸した土地に神社を作ったと伝わっている場所にイソタケルを祀る神社が現存するんだから
安曇磯武良=五十猛はもう確定したんだよ
負け犬は潔く去れ
トランプかお前はw

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

234 :日本@名無史さん:2021/03/24(水) 22:14:21.81 .net
>>222
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

235 :日本@名無史さん:2021/03/24(水) 22:14:36.63 .net
>>223

41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ


とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

236 :日本@名無史さん:2021/03/24(水) 22:15:00.86 .net
結局、今日も>>19の圧倒的事実には何一つ反論ができないみじめな負け犬キナイコシくんでしたw

237 :日本@名無史さん:2021/03/25(木) 10:20:29.19 .net
>>230
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/puurb8v

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

238 :日本@名無史さん:2021/03/25(木) 10:21:08.23 .net
>>231
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/d23zGjw.jpeg

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

239 :日本@名無史さん:2021/03/25(木) 10:22:11.91 .net
>>232糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、
民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!
〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/XygXIv6.jpeg
現実はコチラ
https://i.imgur.com/dDySnL2.png

240 :日本@名無史さん:2021/03/25(木) 10:22:28.34 .net
>>233
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/puurb8v
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

241 :日本@名無史さん:2021/03/25(木) 10:22:41.33 .net
>>234
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

242 :日本@名無史さん:2021/03/25(木) 10:23:14.64 .net
>>235
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば
奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる。

となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは
名島神社のみであり、先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている。

阿曇氏いわく名島の「ナ」は「浦」と同義であり、壱岐・対馬では今でも「浦」を「ナ」と読む習慣があるという(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)。

つまり「ナ」島は阿曇読みで、大和読みでは「ウラ」島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている。

一方で、風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で、儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は
那珂川市の現人神社だとしている。

また住吉大社に伝わる住吉神代記や筑前住吉神社の社殿では現人神社こそ檍原(阿波岐原)だとしている。


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

243 :日本@名無史さん:2021/03/25(木) 10:23:28.80 .net
>>236
結局、また今夜もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
深夜にコソコソとしつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww

244 :日本@名無史さん:2021/03/25(木) 10:24:24.00 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/XygXIv6.jpeg
現実はコチラ
https://i.imgur.com/dDySnL2.png

245 :日本@名無史さん:2021/03/27(土) 23:48:56.39 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る


声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/aLfGtZl.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

246 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 21:47:04.63 .net
>>237
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw

日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない

247 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 21:47:21.53 .net
>>238

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

248 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 21:47:35.91 .net
>>239

考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/qQUIcdb.jpg

> 417 :日本@名無史さん :2020/10/14(水) 00:33:35.04
> https://i.imgur.com/Ah5Akjy.jpg
> この図を見れば、航海術を活かして海外と交易していた海人族の国がどこだったか一目瞭然だなw
> 奴国の王都だった須玖には中国銭や楽浪系土器はほとんど無い
> 博多湾の沿岸部にはあるのに奴国の王都にほとんど無いのは何故か

249 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 21:47:50.67 .net
>>240
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

関係ない例をいくつ持ってきたところで一番肝心のイソタケルに直結する五十猛町がイソタケだからイソタケルが正しいのは自明
そして対馬の安曇磯武良が上陸した土地に神社を作ったと伝わっている場所にイソタケルを祀る神社が現存するんだから
安曇磯武良=五十猛はもう確定したんだよ
負け犬は潔く去れ
トランプかお前はw

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

250 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 21:48:05.74 .net
>>241
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

251 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 21:48:24.83 .net
>>242

41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ


とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

252 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 21:48:43.94 .net
結局、今日も>>19の圧倒的事実には何一つ反論ができないみじめな負け犬キナイコシくんでしたw

253 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 23:25:33.02 .net
>>246
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/puurb8v.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

254 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 23:25:46.67 .net
>>247
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/d23zGjw.jpeg

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

255 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 23:26:42.56 .net
>>248糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、
民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!
〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/XygXIv6.jpeg
現実はコチラ
https://i.imgur.com/f4AxoZi.png

256 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 23:27:52.34 .net
>>249
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/7Fqjoly.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

257 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 23:28:14.01 .net
>>250
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼である


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

258 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 23:28:43.66 .net
>>251
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば
奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる。

となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは
名島神社のみであり、先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている。

阿曇氏いわく名島の「ナ」は「浦」と同義であり、壱岐・対馬では今でも「浦」を「ナ」と読む習慣があるという(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)。

つまり「ナ」島は阿曇読みで、大和読みでは「ウラ」島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている。

一方で、風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で、儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は
那珂川市の現人神社だとしている。

また住吉大社に伝わる住吉神代記や筑前住吉神社の社殿では現人神社こそ檍原(阿波岐原)だとしている。

https://i.imgur.com/aoekOiV.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

259 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 23:28:57.81 .net
>>252
結局、また今夜もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
深夜にコソコソとしつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww

260 :日本@名無史さん:2021/03/28(日) 23:29:51.02 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼である


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

261 :日本@名無史さん:2021/03/30(火) 01:58:30.17 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば
奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる。

となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは
名島神社のみであり、先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている。

阿曇氏いわく名島の「ナ」は「浦」と同義であり、壱岐・対馬では今でも「浦」を「ナ」と読む習慣があるという(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)。

つまり「ナ」島は阿曇読みで、大和読みでは「ウラ」島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている。

一方で、風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で、儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は
那珂川市の現人神社だとしている。

また住吉大社に伝わる住吉神代記や筑前住吉神社の社殿では現人神社こそ檍原(阿波岐原)だとしている。


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

262 :日本@名無史さん:2021/03/30(火) 11:25:28.42 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


【捏造中】 糸島トンスル妄想ファンタジー 【創作中】
          __
        /  ../)
        三三)/) 声闘でゴリ押しし続けるニダよ〜
  __    三三)/           __
/  ../) ウリたちが安曇ニダ♪   /  ../)
三三)/)   ∧_,,∧   ∧_,,∧   三三)/)
三三)/   < `∀´>  <`∀´ ;>  三三)/ 卑弥呼もウリナラ
ニダ ∧_,,∧ と  φ)  (つ φ)  ∧_,,∧ 邪馬台国もウリナラ
  < #i!`Д>/⌒/⌒/ ̄/⌒/⌒/ ̄<田´#>  /  ../)
  / _∧_,,∧口  ∧_,,∧ ⌒   φと_   ヽ  三三)/)
  (/<   `>口 <   #>φ/⌒//(__ム  三三)/)
 ‖ ̄(l    ノ  ̄(   ノ ̄ ̄ ̄||       三三)/
  __`ー‐' ニダ `ー‐' 漁村という真実は感情的に
/  ../)       __    受け入れられないニダ!
三三)/)     /  ../)
三三)/)     三三)/) 〃∩ ∧_∧良い感じニダ♪
三三)/      三三)/  ⊂⌒< `∀´>
                  `ヽ_っ⌒/⌒c
                     ⌒⌒

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

263 :日本@名無史さん:2021/03/31(水) 03:48:42.49 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。

声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 このスレで言えば>>246-252のような連投が糸島朝鮮式声闘。

議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。

古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。

相手が論理的に反論しても、聞こえないふりをするか同族のキナチョンのせいだと被害妄想を抱き、執拗に意味不明なコピペを威圧的に繰り返し、特に複数人を装うサル芝居を繰り返す。

そして得意の思い込みで相手をキナイコシや出雲信者だと錯覚し、被害妄想に陥る。

自分に非があっても決して認めず、>>246-252のように大声で持論や長文コピペの連投を繰り返し、相手が疲れ呆れて黙り込んだら自明ニダ〜!確定ニダ〜!と独り精神勝利で大喜びをするのだ。

https://i.imgur.com/C4BUClz.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

264 :日本@名無史さん:2021/03/31(水) 13:05:29.88 .net
【鬼道と神道】

伊都国にあたる平原遺跡からは最大の銅鏡である八咫の鏡5枚を含む史上最多の40枚の銅鏡と、太刀と約2000個の玉、鉄器などが出土しており、三種の神器に相当する副葬品(鏡、剣、玉)が揃って出土している。
3世紀で最大の銅鏡であり、倭国の王位を象徴する八咫の鏡を用いた国家規模の祭祀に倭国の女王である卑弥呼が関わらなかったわけはない。
周囲には鳥居や御柱の跡も残っており、古代神道の形式が整っていたことがわかる。
これは3世紀においてすでに倭国には神道があったことを意味している。
邪馬壹国は鬼道などの言葉の印象が強いため後進国のように思われがちだが、中国人から見た鬼道とは、神道の儀式を指していたと考えられる。
そして、その祭祀は畿内ではなく筑紫の伊都で行われていた。

平原遺跡から出土した八咫の鏡の形式である内行花文鏡は、もともと紀元前から博多湾岸では多く出土し、漢の皇帝から王侯に冊封された証である威信材として用いられていたと考えられる。
内行花文鏡の文様は太陽を形取っていることから、天つ神としての太陽信仰の象徴として最適であっただろう。
漢の滅亡後に作られた平原遺跡では八咫の鏡を含めほとんどが国産の鏡となっており、漢から下賜された鏡よりも大きな内行花文鏡を完成させることで新たな王権の象徴となったと考えられる。
後世においては、八咫の鏡を継承することが天皇位の証とされ、今日でも伊勢神宮と皇居で1枚ずつ祭られている。

265 :日本@名無史さん:2021/03/31(水) 16:07:26.64 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

古代史関連スレの四大迷惑チョンの徳島朝鮮人、糸島朝鮮人、キナチョン、在日ヒトモドキ

"ア"が付いたら何でも強引に阿波に引き込む徳島朝鮮人は巣に帰れ
「邪馬臺国」は阿波(笑)だった Part.8(笑)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1601267699/

"イ"が付いたら何でも強引に伊都にこじつける糸島朝鮮人も巣に帰れ
伊都は邪馬台国で海人族の首都ニダァァァ
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/sf/1601842277/

何もなくても邪馬台国関連は畿内に巻き込むキナチョンは首を吊れ

中国共産党に狙われてるとかいう被害妄想で戦い続けてる在日ヒトモドキはドブ川に身投げしろ
  
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの得意技

こじつけ

思い込み

盲信

猿芝居

声闘

https://i.imgur.com/6j9Vxm9.jpg

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

266 :日本@名無史さん:2021/04/02(金) 10:40:50.26 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

https://i.imgur.com/Km8Z0re.jpeg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

267 :日本@名無史さん:2021/04/04(日) 01:24:32.99 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!

徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。

少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、

なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。

何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、

稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

何 の 理 由 も な く 伊 都 国 だ っ た 地 域 が 松 浦 郡 (末 廬 国) に 取 り 込 ま れ た り、

志 摩 半 島 だ け 独 立 し た 郡 に 切 り 分 け ら れ た り す る は ず も な く、

稜 線 で 生 活 空 間 の 隔 た り の あ る 早 良 郡、

沖 と い う 生 活 空 間 の 隔 た り の あ る 志 賀 島 が 伊 都 国 だ っ た な ど 世 迷 い 言 で し か な い。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度で確定している。

https://i.imgur.com/puurb8v.jpeg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

268 :日本@名無史さん:2021/04/04(日) 19:50:57.22 .net
アクネ説はどうなったの?

269 :日本@名無史さん:2021/04/04(日) 21:40:30.24 .net
>>253
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw

日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない

270 :日本@名無史さん:2021/04/04(日) 21:40:51.01 .net
>>254

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

271 :日本@名無史さん:2021/04/04(日) 21:41:10.91 .net
>>255

考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/qQUIcdb.jpg

> 417 :日本@名無史さん :2020/10/14(水) 00:33:35.04
> https://i.imgur.com/Ah5Akjy.jpg
> この図を見れば、航海術を活かして海外と交易していた海人族の国がどこだったか一目瞭然だなw
> 奴国の王都だった須玖には中国銭や楽浪系土器はほとんど無い
> 博多湾の沿岸部にはあるのに奴国の王都にほとんど無いのは何故か

272 :日本@名無史さん:2021/04/04(日) 21:41:30.96 .net
>>256
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

関係ない例をいくつ持ってきたところで一番肝心のイソタケルに直結する五十猛町がイソタケだからイソタケルが正しいのは自明
そして対馬の安曇磯武良が上陸した土地に神社を作ったと伝わっている場所にイソタケルを祀る神社が現存するんだから
安曇磯武良=五十猛はもう確定したんだよ
負け犬は潔く去れ
トランプかお前はw

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

273 :日本@名無史さん:2021/04/04(日) 21:41:49.56 .net
>>257
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

274 :日本@名無史さん:2021/04/04(日) 21:42:08.38 .net
>>258

41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ


とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

275 :日本@名無史さん:2021/04/04(日) 21:42:50.84 .net
結局、今日も>>19の圧倒的事実には何一つ反論ができないみじめな負け犬キナイコシくんでしたw

276 :日本@名無史さん:2021/04/05(月) 08:18:30.29 .net
>>269
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

https://i.imgur.com/puurb8v.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

277 :日本@名無史さん:2021/04/05(月) 08:18:42.79 .net
>>270
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/d23zGjw.jpeg

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

278 :日本@名無史さん:2021/04/05(月) 08:18:58.67 .net
>>271糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、
民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!
〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/XygXIv6.jpeg
現実はコチラ
https://i.imgur.com/f4AxoZi.png

279 :日本@名無史さん:2021/04/05(月) 08:19:17.88 .net
>>272
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/7Fqjoly.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

280 :日本@名無史さん:2021/04/05(月) 08:19:33.44 .net
>>273
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼である


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

281 :日本@名無史さん:2021/04/05(月) 08:20:14.51 .net
>>274
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば
奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる。

となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは
名島神社のみであり、先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている。

阿曇氏いわく名島の「ナ」は「浦」と同義であり、壱岐・対馬では今でも「浦」を「ナ」と読む習慣があるという(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)。

つまり「ナ」島は阿曇読みで、大和読みでは「ウラ」島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている。

一方で、風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で、儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は
那珂川市の現人神社だとしている。

また住吉大社に伝わる住吉神代記や筑前住吉神社の社殿では現人神社こそ檍原(阿波岐原)だとしている。

https://i.imgur.com/aoekOiV.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

282 :日本@名無史さん:2021/04/05(月) 08:20:33.26 .net
>>275
結局、また今夜もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
深夜にコソコソとしつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww

283 :日本@名無史さん:2021/04/05(月) 08:21:42.79 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


〜糸島朝鮮人特有の三種の珍技〜

∧,_∧
< `∀´>
記憶喪失
(論破されても半日で忘れる)

∧_,,∧             
<♯`Д´>
文盲病
(前後の文脈や論の大局を読めない)

∧_,,∧
<;l|l;`田´>
チヨンコロ目
(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る)

https://i.imgur.com/6j9Vxm9.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

284 :日本@名無史さん:2021/04/05(月) 12:11:26.11 .net
407 日本@名無史さん sage 2020/11/05(木) 09:02:42.15
当時の中国では姓+官

邪馬壹國の官は国名+意味合いを持たせた当て字
国名プラスと言う官なら連合の総称が邪馬壹國と行き着く

伊支馬 伊(聖職者)を支える男将軍
彌馬升 女の文官
彌馬獲支 身の回りの世話をする女官
奴佳鞮 奴の優れた通訳者

413 日本@名無史さん sage 2020/11/05(木) 15:13:28.65
しかし難升米や牛利、伊聲耆なども調べてみたが
ヘイトどころか、とんでもなく罵られてて笑ったw

難升米 米を升で量れないほどのカタブツ馬鹿
牛利 牛が利口になった程度の何度言ってもまた同じことを繰り返す馬鹿
伊聲耆 耳がむしろ聞こえないジジイ

まああれだけの貢ぎ物でやって来るんだから
司馬懿の謀計思惑さえなければ、即バイバイキーンだっただろw

285 :日本@名無史さん:2021/04/06(火) 00:44:39.50 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/d23zGjw.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

286 :日本@名無史さん:2021/04/08(木) 00:15:39.24 .net
>>1
★★★猿でもわかる邪馬台国の(北部)九州否定説★★★


邪馬台国 論争の背景
http://www.yoshinogari.jp/ym/topics/yama02.html

伊都国(福岡県糸島市)

↓百里

奴国(福岡県博多湾付近)

↓百里

不弥国(福岡県糟屋郡宇美町付近)

↓水行二十日

投馬国(不明)

↓水行十日、陸行一月

邪馬台国

まともな地図を作れなかった古代では方角や距離を正しく測れなかった可能性が高いが、
日数を数え間違える可能性はほぼゼロに等しい
ということは、この時点で不弥国のすぐ近くにある(北部)九州の可能性が真っ先に消えることは猿でもわかるはずだよね???
考古学会も畿内説でほぼ固まっている
(北部)九州説を主張してる人は振り上げたこぶしを下ろせないだけでしょ?
いい大人がいつまでもみっともないよ
もういい加減あきらめろ

287 :日本@名無史さん:2021/04/08(木) 01:18:40.71 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る


声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/aLfGtZl.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

288 :日本@名無史さん:2021/04/08(木) 10:37:13.67 .net
田川邪馬台国スレより
626: 04/08(木)03:08 AAS
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七萬餘戸
 
>>580伊支馬 彌馬升 彌馬獲支 奴佳鞮 
奴佳の前に彌を付けたらムナカテになるんだょ

289 :日本@名無史さん:2021/04/08(木) 10:45:28.16 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/XygXIv6.jpg
現実はコチラ
https://i.imgur.com/dDySnL2.png

290 :日本@名無史さん:2021/04/10(土) 04:05:27.52 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/d23zGjw.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

291 :日本@名無史さん:2021/04/10(土) 17:57:55.11 .net
>>276
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw

日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない

292 :日本@名無史さん:2021/04/10(土) 17:58:17.94 .net
>>277

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

293 :日本@名無史さん:2021/04/10(土) 17:58:34.23 .net
>>278

考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/qQUIcdb.jpg

> 417 :日本@名無史さん :2020/10/14(水) 00:33:35.04
> https://i.imgur.com/Ah5Akjy.jpg
> この図を見れば、航海術を活かして海外と交易していた海人族の国がどこだったか一目瞭然だなw
> 奴国の王都だった須玖には中国銭や楽浪系土器はほとんど無い
> 博多湾の沿岸部にはあるのに奴国の王都にほとんど無いのは何故か

294 :日本@名無史さん:2021/04/10(土) 17:58:51.70 .net
>>279
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

関係ない例をいくつ持ってきたところで一番肝心のイソタケルに直結する五十猛町がイソタケだからイソタケルが正しいのは自明
そして対馬の安曇磯武良が上陸した土地に神社を作ったと伝わっている場所にイソタケルを祀る神社が現存するんだから
安曇磯武良=五十猛はもう確定したんだよ
負け犬は潔く去れ
トランプかお前はw

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

295 :日本@名無史さん:2021/04/10(土) 17:59:09.86 .net
>>280
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

296 :日本@名無史さん:2021/04/10(土) 17:59:25.88 .net
>>281

41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ


とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

297 :日本@名無史さん:2021/04/10(土) 18:00:14.36 .net
結局、今日も>>19の圧倒的事実には何一つ反論ができず、ただ逃げ惑うだけのみじめな負け犬キナイコシくんでしたw

298 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 03:39:40.60 .net
>>291
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!

徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。

少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、

なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。

何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、

稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

何 の 理 由 も な く 伊 都 国 だ っ た 地 域 が 松 浦 郡 (末 廬 国) に 取 り 込 ま れ た り、

志 摩 半 島 だ け 独 立 し た 郡 に 切 り 分 け ら れ た り す る は ず も な く、

稜 線 で 生 活 空 間 の 隔 た り の あ る 早 良 郡、

沖 と い う 生 活 空 間 の 隔 た り の あ る 志 賀 島 が 伊 都 国 だ っ た な ど 世 迷 い 言 で し か な い。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度で確定している。

https://i.imgur.com/8dwStjM.jpg

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

299 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 03:40:01.46 .net
>>292
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

https://i.imgur.com/d23zGjw.jpeg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

300 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 03:40:19.63 .net
>>293糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、
民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!
〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/XygXIv6.jpeg
現実はコチラ
https://i.imgur.com/f4AxoZi.png

301 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 03:40:34.17 .net
>>294
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/7Fqjoly.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

302 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 03:40:47.15 .net
>>295
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼である


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

303 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 03:41:02.16 .net
>>296
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば
奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる。

となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは
名島神社のみであり、先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている。

阿曇氏いわく名島の「ナ」は「浦」と同義であり、壱岐・対馬では今でも「浦」を「ナ」と読む習慣があるという(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)。

つまり「ナ」島は阿曇読みで、大和読みでは「ウラ」島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている。

一方で、風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で、儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は
那珂川市の現人神社だとしている。

また住吉大社に伝わる住吉神代記や筑前住吉神社の社殿では現人神社こそ檍原(阿波岐原)だとしている。

https://i.imgur.com/aoekOiV.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

304 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 03:41:27.19 .net
>>297
結局、また今夜もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
深夜にコソコソとしつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww


https://i.imgur.com/kGj8wGD.jpg

305 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 03:42:16.87 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している

五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は 「イソタケルノミコト」 は誤りだと断言している

五 十 猛 命 の 読 み 方 に 触 れ て い る 唯 一 の 神 社 は 「イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る

「 イ ソ タ ケ ル ノ ミ コ ト 」 は 誤 り だ と 断 言 し て い る


声闘連投で精神勝利するしか能のない糸島鮮人にも理解できるように三回連呼してやったから心置きなく首を吊れw

https://i.imgur.com/8dwStjM.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

306 :日本@名無史さん:2021/04/11(日) 09:21:07.53 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
歴史の真実は一つだけ!日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

〜仲哀天皇八年一月〜
   イトテ
<丶`∀´> ウリは仲哀様に曲妙に天下を治め
       分明に山川海原を看て
        十握剣をひっさげて天下を
        平定していただきたいと
         願っておりまするニダ
         あ、ウリは高麗意呂山に降りた
          日拝の苗裔ニダよ〜
  仲哀
( ゚^∀^゚) うん、エラしエラし!
      じゃっ!

〜現代〜
  糸チョン
<丶`∀´> エラし・・・ エラし?!       
        これはきっとスサノオと新羅に降りた
        エラ猛神ニダ!そうに違いないニダ!
         異論は認めないニダ!
  糸チョン
<丶*∀*> そしてエラ武良も同一人物ニダ!       
        つまり海人族も伊都国王ニダ!
         んで伊都は邪馬台国の首都ニダ!
         異論は認めないニダ!

糸島朝鮮人の妄想がコチラ
https://i.imgur.com/CFoiW4S.jpg
現実はコチラ
https://i.imgur.com/oQfVvpx.png

307 :日本@名無史さん:2021/04/14(水) 09:45:31.97 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)

筑後川以南(高天原)から北進し、筑前平野(葦原中津国)を攻め落とした(倭国乱、国譲りの開始)

天山連合に帰順した海人族が住吉、融和した海人族が阿曇氏、帰順も融和せず沿岸航行で全国に広がったのが安曇

山祇族の一派である水間君(水沼縣主)が海人族の島信仰と三神信仰を継承(※または海人族に奪われた山祇族の信仰対象を奪還したのかもしれない)

出雲より下った支族(タケミナカタ一族)と水間君一族が融合して和ったのが胸形君

葦原中津国平定後に天山連合が怡土地区に支分国の伊都国を創設(国譲りの終了と天孫降臨)

そして支分国の伊都国から田舎娘を一人連れてきて天・山・海の連合国の神輿に担いだのが卑弥呼である

https://i.imgur.com/Sc5XaiX.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

308 :日本@名無史さん:2021/04/14(水) 09:46:07.61 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば
奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる。

となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは
名島神社のみであり、先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている。

阿曇氏いわく名島の「ナ」は「浦」と同義であり、壱岐・対馬では今でも「浦」を「ナ」と読む習慣があるという(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)。

つまり「ナ」島は阿曇読みで、大和読みでは「ウラ」島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている。

一方で、風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で、儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は
那珂川市の現人神社だとしている。

また住吉大社に伝わる住吉神代記や筑前住吉神社の社殿では現人神社こそ檍原(阿波岐原)だとしている。

https://i.imgur.com/5HQ0c5o.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

309 :日本@名無史さん:2021/04/14(水) 09:46:21.77 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


【捏造中】 糸島トンスル妄想ファンタジー 【創作中】
          __
        /  ../)
        三三)/) 声闘でゴリ押しし続けるニダよ〜
  __    三三)/           __
/  ../) ウリたちが安曇ニダ♪   /  ../)
三三)/)   ∧_,,∧   ∧_,,∧   三三)/)
三三)/   < `∀´>  <`∀´ ;>  三三)/ 卑弥呼もウリナラ
ニダ ∧_,,∧ と  φ)  (つ φ)  ∧_,,∧ 邪馬台国もウリナラ
  < #i!`Д>/⌒/⌒/ ̄/⌒/⌒/ ̄<田´#>  /  ../)
  / _∧_,,∧口  ∧_,,∧ ⌒   φと_   ヽ  三三)/)
  (/<   `>口 <   #>φ/⌒//(__ム  三三)/)
 ‖ ̄(l    ノ  ̄(   ノ ̄ ̄ ̄||       三三)/
  __`ー‐' ニダ `ー‐' 漁村という真実は感情的に
/  ../)       __    受け入れられないニダ!
三三)/)     /  ../)
三三)/)     三三)/) 〃∩ ∧_∧良い感じニダ♪
三三)/      三三)/  ⊂⌒< `∀´>
                  `ヽ_っ⌒/⌒c
                     ⌒⌒
https://i.imgur.com/AyDRUbp.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

310 :日本@名無史さん:2021/04/15(木) 02:34:45.51 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。

声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 このスレで言えば>>291-297のような連投が糸島朝鮮式声闘。

議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。

古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。

相手が論理的に反論しても、聞こえないふりをするか同族のキナチョンのせいだと被害妄想を抱き、執拗に意味不明なコピペを威圧的に繰り返し、特に複数人を装うサル芝居を繰り返す。

そして得意の思い込みで相手をキナイコシや出雲信者だと錯覚し、被害妄想に陥る。

自分に非があっても決して認めず、>>291-297のように大声で持論や長文コピペの連投を繰り返し、相手が疲れ呆れて黙り込んだら自明ニダ〜!確定ニダ〜!と独り精神勝利で大喜びをするのだ。

https://i.imgur.com/DGqAyyB.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

311 :日本@名無史さん:2021/04/15(木) 08:56:00.75 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

古代史関連スレの四大迷惑チョンの徳島朝鮮人、糸島朝鮮人、キナチョン、在日ヒトモドキ

"ア"が付いたら何でも強引に阿波に引き込む徳島朝鮮人は巣に帰れ
「邪馬臺国」は阿波(笑)だった Part.8(笑)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1601267699/

"イ"が付いたら何でも強引に伊都にこじつける糸島朝鮮人も巣に帰れ
伊都は邪馬台国で海人族の首都ニダァァァ
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/sf/1601842277/

何もなくても邪馬台国関連は畿内に巻き込むキナチョンは首を吊れ

中国共産党に狙われてるとかいう被害妄想で戦い続けてる在日ヒトモドキはドブ川に身投げしろ
  
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの得意技

こじつけ

思い込み

盲信

猿芝居

声闘

https://i.imgur.com/NZ8OTCF.jpg

糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

312 :日本@名無史さん:2021/04/16(金) 01:56:35.37 .net
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww


郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

https://i.imgur.com/sqWR6yh.jpg


糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

313 :日本@名無史さん:2021/04/18(日) 22:55:39.87 .net
>>298
後世の行政区分を根拠に古代の勢力図を否定するのは君が愚かなだけだよキナイコシ君
4世紀以降に大和朝廷が全国を支配するようになったからといって全国にヤマト地名が湧いたりしてないだろう
ある勢力が拡大したからっていちいち地名が変わったりしないのが日本の歴史だが何も知らないんだなw

日本で一番先に海外から鉄器を手に入れたのが糸島なんだから伊都国の発祥地はここと考えるのが順当だが
それ以降の勢力拡大で伊都国の領域が広がったって何も矛盾は存在しない
考古学的には糸島から遺跡が全く切れ目なく分布している様を見れば早良周辺も伊都国なのは明白
倭国大乱で争ったばかりの隣国とそんなに隙間なく繋がるわけがない
http://wi12000.starfree.jp/map/itoshima_suido.gif.html

君のタワゴトのように雷山系で区切れていたとすると国境となる今宿周辺からカウントしても奴国王都の須玖までは直線距離でさえ18kmもある
山を避けて移動すれば300里を超えてしまうので魏志倭人伝の記述と一致しない
伊都国から奴国まで100里という魏志倭人伝を正しく読めば最低でも西新町遺跡くらいまでは伊都国でなければならない

314 :日本@名無史さん:2021/04/18(日) 22:55:59.18 .net
>>299

> 693 :日本@名無史さん :2020/12/19(土) 14:33:27.15
> >>687
> それは別スレで論破されてるでしょ
>
> 対馬の式内社が磯武良と表記してるんだから貝原好古なんてまるで関係ないよ
> 福岡藩の貝原好古が対馬藩の神社に影響するわけないでしょ

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

315 :日本@名無史さん:2021/04/18(日) 22:56:17.92 .net
>>300

考古学的に見ても文献的に見ても安曇が伊都王家なのは明白なんだな
キナイコシ君には残念だろうがw
https://i.imgur.com/qQUIcdb.jpg

> 417 :日本@名無史さん :2020/10/14(水) 00:33:35.04
> https://i.imgur.com/Ah5Akjy.jpg
> この図を見れば、航海術を活かして海外と交易していた海人族の国がどこだったか一目瞭然だなw
> 奴国の王都だった須玖には中国銭や楽浪系土器はほとんど無い
> 博多湾の沿岸部にはあるのに奴国の王都にほとんど無いのは何故か

316 :日本@名無史さん:2021/04/18(日) 22:56:36.12 .net
>>301
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良が上陸した五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在イソタケルを祀る神社が現存しています
ここに至ってまだ安曇磯武良とイソタケルが同一人物だと理解できないのは知恵遅れだけです

関係ない例をいくつ持ってきたところで一番肝心のイソタケルに直結する五十猛町がイソタケだからイソタケルが正しいのは自明
そして対馬の安曇磯武良が上陸した土地に神社を作ったと伝わっている場所にイソタケルを祀る神社が現存するんだから
安曇磯武良=五十猛はもう確定したんだよ
負け犬は潔く去れ
トランプかお前はw

とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

317 :日本@名無史さん:2021/04/18(日) 22:56:53.11 .net
>>302
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw

318 :日本@名無史さん:2021/04/18(日) 22:57:11.00 .net
>>303

41 :日本@名無史さん :2020/12/13(日) 11:52:07.51
>>36
>壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
「"郷ノ浦" "ごうな"」でググっても1件もそんな話はヒットしないぞ
嘘つくなクズ


とっくの昔に論破されたことを繰り返すだけの壊れたレコードキナイコシw

319 :日本@名無史さん:2021/04/18(日) 22:57:30.35 .net
結局、今日も>>19の圧倒的事実には何一つ反論ができず、ただ逃げ惑うだけのみじめな負け犬キナイコシくんでしたw

320 :日本@名無史さん:2021/04/22(木) 23:54:37.44 .net
對海国 一大国

これって、双神(ならびかみ)、独神(ひとりがみ)の3神ってヤツだよな

對海国→ 2つの島が海で向かい合う国

※対馬は元は2つの島から成り立っていた

一大国→ 一国(宗像以西〜九州)と
     大国(宗像以東〜本州)にルート分岐する国

※一国(いつこく)は卑弥呼の支配地域、大国(おほくに)は大国主の支配地域

一大国は、半島〜對海国から
九州or本州をつなぐ鉄輸入ルートの分岐点の国

交易は大倭(倭の大国おほくに)、検察は一大率が担う

大倭は、大国主の国を指し、ヤマト王権にあらず

321 :日本@名無史さん:2021/04/23(金) 00:04:07.40 .net
記紀で多数の紙数を割いている割に
魏志倭人伝では存在がないように見えた出雲

ヒメヒコもだが
これで記紀との整合性がとれてきた

322 :日本@名無史さん:2021/04/23(金) 11:07:54.97 .net
邪馬台国=卑弥呼の女王国=古の倭奴国(旧唐書による)=福岡県=弥生文化の中心地=倭国の都=豊葦原中国=筑紫の日向(記紀による)=天皇家の祖である天孫邇邇芸や山幸彦(彦火火出見=伊都高祖宮の祭神、邇邇芸の子、神武の祖父)の国
投馬国=宮崎県都万=隼人の祖である海幸彦の国
狗奴国=熊本県=熊襲の国
日本国=畿内=倭の別種=ヤマト王権=物部氏の祖である天孫饒速日の国

福岡県糸島市(伊都)の細石神社と、宮崎県西都市(妻)の都万神社は、どちらも天孫邇邇芸の妻であり山幸彦と海幸彦の母親である木花咲耶姫を祭っている。
宮崎県は日向国と呼ばれるが、糸島市を含む福岡県北西部も筑紫の日向と呼ばれ、奇妙な対比を呈している。
魏志倭人伝では、邪馬台国と投馬国はそれぞれ帯方郡から水行十日陸行一月(1日の誤りか?)と水行二十日と対比されて記載されている。

323 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 03:53:23.12 .net
結局のところ魏志倭人伝を正しく読めば北部九州というごく当たり前の答えにしか行き着かないんだよな

324 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 07:00:28.81 .net
>>1
★★★猿でもわかる邪馬台国の(北部)九州否定説★★★

邪馬台国 論争の背景
http://www.yoshinogari.jp/ym/topics/yama02.html

伊都国(福岡県糸島市)

↓百里

奴国(福岡県博多湾付近)

↓百里

不弥国(福岡県糟屋郡宇美町付近)

↓水行二十日

投馬国(不明、戦前は鞆の浦が有力だった?)

↓水行十日、陸行一月

邪馬台国

まともな地図を作れなかった古代では方角や距離を正しく測れなかった可能性が高いが、
水行、陸行日数を数え間違える可能性はほぼゼロに等しい
ということは、この時点で不弥国のすぐ近くにある(北部)九州の可能性が真っ先に消えることは猿でもわかるはずだよね???
考古学会も畿内説でほぼ固まっている
(北部)九州説を主張してる人は振り上げたこぶしを下ろせないだけでしょ?
いい大人がいつまでもみっともないよ
もういい加減あきらめろ

325 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 14:03:03.41 .net
>>324
>>2-3でとっくに論破されてるぞw
テンプレで論破されてることを何回繰り返す気だこの馬鹿w

326 :日本@名無史さん:2021/04/30(金) 21:36:33.23 .net
キナイコシは恥知らずの荒らしだからな。

327 :日本@名無史さん:2021/05/02(日) 15:41:13.33 .net
>>324 お前は古代の測量術を舐めてるぞ。
そんないい加減な測量で戦争に勝てるわけがない。

328 :日本@名無史さん:2021/05/03(月) 11:43:42.27 .net
>>324
畿内説に拘ってるから、本来の畿内の古代の姿が
分からなくなるんよ。

正しく読むスレに対抗して恣意的に読むスレ作ってそこで
主張すればいいかと。

329 :日本@名無史さん:2021/05/03(月) 13:53:02.55 .net
帯方郡から福岡までちゃんと里数を数えているのに、福岡から近畿までは測定できないという理由がない。
そもそも後漢書では帯方郡から邪馬台国まで一万二千里で、九州北岸まで一万里を費やしている。
残り二千里では、福岡県を出ることすら難しい。

330 :日本@名無史さん:2021/08/12(木) 21:57:32.36 .net
>參問倭地

曹參、学問 = 斉国 の倭地

>周旋可五千余里

倭人は、周王朝につながる

倭人伝のシメは
陳寿の域な春秋の筆法で終えるw

331 :日本@名無史さん:2021/08/13(金) 13:57:19.87 .net
倭人
依山㠀 為國邑 舊百餘國 今 使譯 所通 三十國
自郡 至 女王國 萬二千餘里 

女王國 東渡海 千餘里 復有國 皆倭種 又有 侏儒國 在 其南 人長三四尺
去女王 四千餘里 又有 裸國 黒齒國 在 其東南 船行一年可至

参問 倭地 絶在 海中 洲㠀之上 或絶 或連 周旋可 五千餘里

これが魏での 倭人域と女王国についての認識だが、参問 倭地というのは、
240年建中校尉梯儁が女王に印を届けた際に聞いた邪馬台国列記21国可7万戸である。

これが、洲㠀之上にあり周旋可 五千餘里であって、
東に渡海した国や女王国以南は、餘旁國 遠絶 不可得詳 といっとぃる。

邪馬台国が参問 倭地であって、九州島の北部、
列記21国、此 女王 境界 所盡 以外には有り得ず、
帯方郡から南馬韓4千里で乍南乍東、東3千里、渡海計3千里で上陸できる。
女王の処都へは残り陸路2千里であって、
倭人伝だけで邪馬台国の位置は完結している。

332 :日本@名無史さん:2021/08/13(金) 16:27:05.20 .net
倭人伝曰く、
倭の末盧国に上陸したら東南500里へ向かえ、そこが伊都国だ。
その東南には戸数2万の奴国(があるが、そこへは行かず)、東へ100里行け、そこが不彌国だ。
そしてそこから南の方角へ行けば、投馬国と、(同じく)邪馬台国女王の都する所に至ることができる。

ま、どう読んでも北東の神功皇后記の怡土郡や那の津の方向ではない、佐賀平野経由の肥後熊本方面だろう。

333 :日本@名無史さん:2021/08/13(金) 18:22:42.84 .net
三国志の記述によれば3世紀の倭人は顔中体中真っ赤な入れ墨だらけ

ところが記紀では入れ墨族は
「天孫族」とやらにひたすら殺戮されていくウホウホ蛮族扱い

「天孫族」と入れ墨族のハーフのイワレビコが
入れ墨族の小邑を配下にしたという記述はあるが
イワレビコの配下の入れ墨族もやっぱり他の入れ墨族を殺戮していく

334 :日本@名無史さん:2021/08/13(金) 18:37:32.03 .net
刺青がどうこうは、魏使が見た、250年以前の倭人伝での筑紫の九州漁民と
700年に作った天孫降臨の記紀の与太話じゃ、
歴史資料として、相対させてもは話にならない。

って、時系列や歴史の読み方の必要性ってのが判るかな?

335 :日本@名無史さん:2021/08/14(土) 07:44:38.44 .net
記紀は時系列をわざと捻じ曲げているから、それは意味がない。

336 :日本@名無史さん:2021/08/18(水) 16:03:10.76 .net
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◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。


「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
 


ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!





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337 :日本@名無史さん:2021/08/19(木) 15:02:54.64 .net
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日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに木骨泥墻が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出して
土壁の住居の時代に入っていた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では7000年前に高床式住居も登場するが、先行した木骨泥墻に
吸収されて5000年前までに消滅し、4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。





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338 :日本@名無史さん:2021/08/19(木) 20:17:44.91 .net
01 倭人 在 帶方 東南 大海之中 依山? 為國邑 舊百餘國 漢時 有 朝見者
02 今 使 譯 所通 三十國 從 郡至倭

03 循海岸 水行 歴韓国 乍南乍東 到 其北岸 狗邪韓國 七千餘里
04 始度 一海 千餘里 至 對海國 其 大官日 卑狗 副日 卑奴母離
05  所居 絶? 方可 四百餘里 土地 山險 多深林 道路 如禽鹿徑
06  有千餘戸 無良田 食海物 自活乗船 南北市糴
07 又 南 渡 一海 千餘里 名日 瀚海 至 一大國 官亦日 卑狗 副日 卑奴母離 方可三百里 
08  多竹木 叢林 有三千許家 差有 田地耕田 猶不足食 亦南北市糴
09 又 渡 一海 千餘里 至 末盧國 有四千餘戸
10  濱山海居 草木茂盛 行 不見前人 好捕魚鰒 水無深淺 皆 ?没 取之
11 東南 陸行 五百里 到 伊都國 有千餘戸 官日 爾支 日 泄謨觚 柄渠觚
12  丗有王皆統屬女王國 郡使 往來 常所駐
13  東南 至奴国 百里 官日 ?馬觚 副日 卑奴母離 有二萬餘戸
14  東行 至不彌國 百里 官日 多模 副日 卑奴母離 有千餘家

15 南至 投馬國 水行二十日 官日 彌彌 副日 彌彌那利 可五萬餘戸
16 南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月
17  官有 伊支馬 次日 彌馬升 次日 彌馬獲支 次日 奴佳? 可七萬餘戸
18  自 女王国 以北 其 戸數 道里 可得略載 其 餘旁國 遠絶 不可得詳
19 次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國
  次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國
  次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國
  次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國
20  此 女王 境界 所盡
21 其南 有 狗奴國 男子為王 其官有 狗古智卑狗 不屬女王
22 自郡 至 女王國 萬二千餘里

339 :日本@名無史さん:2021/08/19(木) 20:25:26.52 .net
23 男子 無大小 皆 黥面 文身 自古以來 其使 詣中國 皆自稱 大夫
24 夏后少康之子 封於會稽 斷髪文身 以避 蛟龍之害
25 今 倭 水人 好?没 捕魚蛤 文身 亦以 厭大魚 水禽後稍 以為飾
26 諸國 文身 各異 或左 或右 或大 或小 尊卑 有差
27 計 其 道里 當在 會稽東治 之東

28 其 風俗 不淫 男子 皆露? 以木緜招頭 其 衣横幅 但結束 相連 略無縫
29 婦人 被髪 屈? 作衣 如 單被穿 其 中央 貫頭衣之
30 種禾稻紵麻蠶桑緝績出細紵?緜 其 地無 牛馬虎豹羊鵲
31 兵用 矛盾 木弓 木弓短下長上 竹箭 或 鐵鏃 或 骨鏃 所 有無
32 與 ?耳 朱崖 同 倭地 温暖 冬夏 食 生菜 皆 徒跣
33 有 屋室 父母 兄弟 ?息 異處
34 以 朱丹 塗 其身體 如 中國用 粉也 食飲 用 ?豆 手食
35 其死 有棺 無槨 封土 作冢 始死停喪 十餘日 當時 不食肉
36 喪主 哭泣 他人 就歌舞 飲酒 已葬擧家 詣 水中澡浴 以 如練沐
37 其行來 渡海 詣中國 恒使一人 不梳頭 不去?蝨 衣服垢汚 不食肉 不近婦人 如喪人
38 名之 為持衰 若行者吉善 共顧 其生口 財物 若有疾病 遭暴害 便欲殺 之謂 其持衰不謹
39 出 真珠 青玉 其山 有丹 其木有 ?杼橡樟?櫪投橿烏號楓香
40 其 竹篠?桃支 有 薑橘椒襄荷 不知 以 為 滋味 有 ?猴黒雉
41 其俗 擧事 行來 有所云 為輒 灼骨而卜以 占 吉凶 先告所 卜其辭 如 令龜法 視火?占兆
42 其會同 坐起 父子 男女 無別 人性嗜酒 見大人所敬 但搏手 以當跪拝
43 其人 寿考 或百年 或八九十年
44 其俗 国 大人 四五婦 下戸 或 二三婦 婦人 不淫 不妬忌
45 不盗 竊少 諍訟 其 犯法 軽者 没 其妻子 重者 没 其門戸 及 宗族
46 尊卑 各有 差序 足相 臣服 収租賦 有邸閣 國國 有市 交易 有無

340 :日本@名無史さん:2021/08/19(木) 20:26:36.94 .net
47 使 大倭 監之 自女王國 以北 特置 一大率 檢察 諸國 畏憚之 常治 伊都國 於國中有 如刺史
48 王 遣使 詣 京都 帶方郡 諸韓國 及 郡使 倭國 皆 臨津 捜露 傳送文書 賜遺之物 詣女王 不得差錯
49 下戸 與大人 相逢道路 逡巡入草 傳辭説事 或蹲或跪兩手 據地 為之恭敬 對應聲曰 噫比 如然諾

50 其國 本亦 以男子 為王 住七八十年 倭國 亂相攻 歴年 乃 共立 一女子 為王
51 名日 卑弥呼 事鬼道 能惑衆 年已長大 無夫婿 有男弟 佐治國
52 自為王 以来少有見者 以婢千人自侍 唯有 男子一人 給飲食 傳辭 出入 居處宮室
53 樓觀 城柵 嚴設 常有 人持兵 守衛

54 女王國 東渡海 千餘里 復有國 皆倭種
55 又有 侏儒國 在 其南 人長三四尺 去女王 四千餘里 又有 裸國 黒齒國 在 其東南 船行一年可至
56 参問 倭地 絶在 海中 洲?之上 或絶 或連 周旋可 五千餘里

341 :日本@名無史さん:2021/08/19(木) 20:27:44.31 .net
57 景初二年六月 倭女王遣大夫難升米等詣郡 求詣天子朝獻 太守劉夏遣吏将送詣京都
58 其年 十二月 詔書 報 倭 女王 曰
59 制詔 親魏 倭王 卑弥呼 帶方太守 劉夏 遣使送汝 大夫 難升米 次使 都市牛利
 奉 汝所獻 男生口四人 女生口六人 班布二匹二丈 以到
 汝所在踰遠乃遣使貢獻是汝之忠孝 我甚哀汝 
 今以汝為親魏倭王 假金印紫綬 装封付帶方太守假綬 汝其綏撫種人勉為孝順
 汝來使難升米 牛利 渉遠道路勤勞 今以難升米為率善中郎將 牛利為率善校尉 假銀印綬
 引見勞賜遣還 今以絳地交龍錦五匹 絳地?粟?十張 ?絳五十匹 紺青五十匹 答汝所獻貢直
 又特賜汝 紺地句文錦三匹 細班華?五張 白絹五十匹
 金八兩 五尺刀二口 銅鏡百枚 真珠チ丹各五十斤 皆装封付難升米牛利
 還到録受 悉可以示汝國中人使知國家哀汝 故鄭重賜汝好物也

60 正始元年 太守弓遵 遣建中校尉梯儁等 奉詔書 印綬 詣倭国 拝仮倭王
61 并齎詔賜 金帛錦?刀鏡采物 倭王因使上表 答謝詔恩

42 其四年 倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪拘等八人
63 上獻生口倭錦絳青?緜衣帛布丹木拊短弓矢 掖邪狗等 壱拝 率善中郎將 印綬

64 其六年 詔賜 倭難升米 黄幢 付郡 假授

66 其八年 太守王?到官
67 倭 女王卑弥呼 與狗奴國 男王卑弥弓呼 素不和 遣倭載斯烏越等 詣郡 説相攻撃状
68 遣 塞曹掾史張政等 因 齎詔書 黄幢 拝假 難升米 為檄告喩之

69 卑弥呼 以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者 奴婢 百餘人
70 更立男王 國中不服 更相誅殺 當時 殺千餘人
71 復立 卑弥呼宗女 壹與 年十三 為王 國中遂定
72 政等 以 檄告喩 壹與

73 壹與 遣倭大夫 率善中郎將 掖邪拘 等二十人 送政等還 因詣臺
74 獻上 男女生口三十人 貢白珠五千孔 青大句珠二枚 異文雑錦二十匹

342 :日本@名無史さん:2021/08/24(火) 21:37:31.58 .net
魏略より
>女王之南、又有狗奴國、女男子爲王、其官曰拘右智卑狗、不屬王女也

そもそも、この「女男子」の「女」は
本当に誤字なのか?

「女男子が王となる」

女のような男子と言えば
記紀にはヤマトタケルの熊襲征伐がある

女王国は
ヤマトタケルの国(征伐した熊襲国)と
対立になったのか?

それとも
倭人は執拗に「自謂太伯之後」と聞くだけに
「女男子」 = 姫を姓にする男王だったのか?

昨日は、ここで断念
答え出ませんでしたw

343 :日本@名無史さん:2021/08/25(水) 08:26:28.30 .net
「又男子」の写し間違いとか

344 :日本@名無史さん:2021/08/25(水) 15:07:04.15 .net
写し間違いなのかな、やっぱり

まあ妄想が、ととのってしまったw

345 :日本@名無史さん:2021/08/26(木) 22:03:18.65 .net
陳寿が生まれたのが233年
倭人が曹魏に朝貢したのが238年
陳寿が西晋に仕えたのが265年以降

わかってると思うが
編纂時は、過去の情報をかき集めて書いただけ

西晋に仕えた時点で、司馬懿も卑弥呼も死んでる

346 :日本@名無史さん:2021/08/27(金) 08:28:12.51 .net
歴史家っていうのは過去の資料を集めるのだから当然。
ただ、壹與は同時代なので、現代の歴史家が昭和の歴史をまとめるくらいの気分だろう。

347 :日本@名無史さん:2021/09/09(木) 17:19:52.30 .net
陳寿は中国史の編纂の出来る歴史家である。
邪馬台国が247年時点で既に世襲王のあった大和朝廷を意味する
のであれば、これを女王国などという呼び方はしない。
卑弥呼は夫も子も無い鬼道の巫女であり世襲王ではない。

中国で日本列島の統一王が存在した事実は認識されて無いし、
親魏倭王は百余国ある倭王の中の一時期の筑紫にあった女王国の王卑弥呼である。

この時の筑紫国は、次有21国の7万戸で女王国の境界が尽きるのであり、
帯方郡から王宮で萬2千里、周旋しても5千里の九州北部地域の国であった。
陳寿はこう記している。

247年に卑弥呼は死んで、日本は対魏防衛で軍事連携を迫られる。
日本海瀬戸内海北部九州諸国は軍事同盟を形成し古墳時代に突入する。
日本史にとって非常に重要な局面だが、記紀に沿うヤマトの歴史は書けない。

348 :日本@名無史さん:2021/09/09(木) 17:52:45.14 .net
>>347
>親魏倭王は百余国ある倭王の中の一時期の筑紫

その「筑紫」ってどこなのさ、って話。   @阿波

349 :日本@名無史さん:2021/09/09(木) 18:43:22.24 .net
チッ、うっせいな。 
あはは、で良いから出てくんなよ。 

おまえの中ではな・・・

話が通じないなら、意味無いだろ?
アタシの頭の中じゃ、あんたはもう死んでんの。

@阿波=あぼーん

350 :日本@名無史さん:2021/09/09(木) 18:51:42.65 .net
>>349
>おまえの中ではな・・・


結局、筑紫も出雲も日向も阿蘇も隼人も纏向も吉備も、記紀以降の後付け地名。

その後付け地名に踊らされている、三流学者ども。  わははははは   @阿波

351 :日本@名無史さん:2021/09/09(木) 19:21:59.40 .net
なぁ、ホレ、ミンシャイwww
話は成立しないだろ?

ちなみに、アタシは3年位前にご指導仰いだことまである。
あぼーん って、チラ裏には、絶対必要なアイテムだよネ。

352 :日本@名無史さん:2021/09/09(木) 22:18:00.91 .net
邪馬台国《九州》説は、大和朝廷の存在事実を“抹殺”し天皇制廃止を狙う極左キャンペーン
──邪馬台国論争そのものを即時絶滅させることが、天皇制度護持に不可欠な緊急要諦
https://nakagawayatsuhiro.com/?p=2013#more-2013

中川八洋、筑波大学名誉教授

“偉大な史書”記紀を尊敬し修理保守してこそ日本の学者──内藤湖南と中川八洋

353 :日本@名無史さん:2021/09/10(金) 00:31:49.49 .net
泡の壁

354 :日本@名無史さん:2021/09/10(金) 10:01:45.22 .net
記紀の上には、歴史の道理は建たない。
邪馬台国論争そのものを即時絶滅させる、
ことが出来るのは科学の上に立つ史実。

天皇制度護持は、日本国民の理想では有るが、
封建制崩壊、自由と平等、一夫一婦制道徳の確立によって存続は無理。
戦後、象徴天皇の道を歩み出した時からゴールは見えている。

今、上皇陛下が退位できて
人間天皇なるちゃん御夫妻に、皇位継承して戴けたことが
奇跡的な日本国民の幸運なのである。
皇室自体が日本神道を護持できているとも思わないが
記紀神話に由来した、伊勢神道は記念碑的に受け継がれていくだろう。

明治維新最大の間違いは、天皇制に依存し過ぎた
日本神道の確立、神仏分離での、日本文化の調和の破壊である。
記紀は日本神道のバイブルであって歴史ではない。

偉大な史書”記紀を尊敬し修理保守してこそ日本の学者?
宗教を学問、科学で粉飾するのは間違いである。

355 :日本@名無史さん:2021/09/10(金) 18:52:37.33 .net
とりあえず、記紀との日本史の整合性ということで
卑弥呼が筑紫地域の共立王に立って乱世が収まった200年に日本の統一王が居たか?
まだ、纏向の時期には早そうだが、纏向に九州は参加してるか?

というか、銅鐸時代は終わっているのかな?
まあ天智天皇でも良いけど、記紀の世界はなぜ実在した銅鐸社会を知らない?
まさかの、250年以降で馬鹿ちょん渡来人説になるのかナ
か、魏の進出でトンデモ詐欺師のBC200からの徐福の銅鐸文明を隠した説とか?

陳寿は、邪馬台国は帯方郡から萬二千里、洲島の上で斡旋五千里の北部九州で
次有21国の7万戸が女王の境界で、その南は別の男王の狗奴国だ。
って、記録している。 

大和朝廷の王が奈良に居ても、九州王の面々は
知ったこっちゃなかったんじゃないかな?

ただし魏による239年公孫氏滅亡、246年韓直轄化で
九州北部、日本海諸国、瀬戸内海諸国は青銅、鉄の移入や海洋防衛で結束した。
これが240年には無かった一大卒が九州に出来た歴史の記録だろ?

日本の古墳時代の始まりを、三国志で陳寿が証言してるんだが?
ちなみに、三国志的には、64 其六年 詔賜 倭難升米 黄幢 付郡 假授
で、帯方郡は、同盟国として韓制圧戦への参加を招請してきて
日本側は、これに応えなかった。 

皇帝の恥は書けないが、小さな声で稀代の歴史家、陳寿は語っている。
これが、三国志の倭人伝の意義だろ?

356 :日本@名無史さん:2021/09/10(金) 19:55:25.28 .net
三国志東夷伝倭人の条の記述によれば3世紀の倭人は顔中体中真っ赤な入れ墨だらけ

ところが記紀では入れ墨族は
「天孫族」とやらにひたすら殺戮されていくウホウホ蛮族扱い

「天孫族」と入れ墨族のハーフのイワレヒコが
入れ墨族の小邑を配下にしたという記述はあるが
イワレヒコの配下の入れ墨族もやっぱり他の入れ墨族を殺戮していく

357 :日本@名無史さん:2021/09/11(土) 11:39:18.83 .net
>三国志東夷伝倭人の条の記述によれば3世紀の倭人は顔中体中真っ赤な入れ墨だらけ
正しく読めてないんじゃないかな?

>>339
23 男子 無大小 皆 黥面 文身 自古以來 其使 詣中國 皆自稱 大夫
24 夏后少康之子 封於會稽 斷髪文身 以避 蛟龍之害
25 今 倭 水人 好?没 捕魚蛤 文身 亦以 厭大魚 水禽後稍 以為飾

先ず入れ墨だが、
これが九州北部漁民の事だと理解できなければいけない、

さらに、倭人の刺青を中国王の夏后少康之子の故事と対比した話で
倭人の使いが、かつて太伯の後という奏上をした事を検証した話のはず。
これが削除されたようで、陳寿の文章としては珍しくこの部分には瑕疵が有る。
それは、
27 計 其 道里 當在 會稽東治 之東
の指示代名詞、其 が示す道里が、文節の中で繋がらないのである。

次に、3世紀の倭人は顔中体中真っ赤な入れ墨だらけ
同じく、
34 以 朱丹 塗 其身體 如 中國用 粉也
これは、刺青ではなく、中国でも有る、おしろいのように朱丹を使う。
であり、朱丹の毒性を考慮すれば、紅をさす、程度とも考えられる。

記紀厨と馬鹿ちょんを、相手にしても無意味なのは知ってるけれども
「天孫族」とやら の 記紀も ちゃんと読めてないといのに、
なぜ、コピペの連投アラシで無知をさらす?

あぼ〜ん 
で良いだけですけど、
つい、老婆心で・・・

358 :日本@名無史さん:2021/09/11(土) 19:27:38.89 .net
>>355
>まだ、纏向の時期には早そうだが、纏向に九州は参加してるか?

纒向から筑紫の土器が見つからないので、参加していなかっただろう。

>というか、銅鐸時代は終わっているのかな?

同時代に神武が大和に入り、饒速日王朝の銅鐸が廃れていったのかもしれない。

>大和朝廷の王が奈良に居ても、九州王の面々は
>知ったこっちゃなかったんじゃないかな?

だろうね。
その大和の王が7世紀に白村江の敗戦処理で実権を掌握したので、それより前の文献を処分した上で、神武の頃からあたかも大和が列島を支配していたかのような嘘を並べ立てたのだろう。

359 :日本@名無史さん:2021/09/11(土) 21:48:17.05 .net
邪馬台国と狗奴国(熊襲)の混同…熊本説(白鳥庫吉・森村伊作)

邪馬台国とヤマト王権(年代繰り上げ操作)の混同…「畿内」説

360 :日本@名無史さん:2021/09/12(日) 11:33:59.43 .net
>同時代に神武が大和に入り、饒速日王朝の銅鐸が廃れていった
>邪馬台国とヤマト王権(年代繰り上げ操作)
ま〜た、記紀か〜〜 だけど・・・

神武は2680年前で、稲作を本州にも広めた神 でいいし、
200BC辺りからの銅鐸の青銅器文明は日本海ルートで出雲系の神だろ?

で、この青銅ルートを250年に魏の半島侵攻で失い、
九州はもちろん本土防衛や、南部韓の奪還も必要になって
日本は、海洋系各地領主や地方豪族王 の軍事協力が生まれて古墳時代になった。

統一王権確立してたなら、各地に古墳=王墓はできないで良いんだよ?
記紀厨や神道信者が日本史学者で、日本史の事はまじめに考える気がしないんだろ?

明治昭和の日本神道再興が、学会に与えた異常性も、知ってたよ・・・
記紀と一緒で、書き換えたのが間違いで、皇室の歴史は有るんだから、
現代学者までが、馬鹿ちょん擁護のついでで、ウヨぶる必要なんて無いだろ?

361 :日本@名無史さん:2021/09/12(日) 14:01:55.99 .net
>>360
>神武は2680年前で、稲作を本州にも広めた神 でいいし、

そんなの記紀にもないよ。
農業の伝播はスサノオあたりなので、神武より遥か昔。

>200BC辺りからの銅鐸の青銅器文明は日本海ルートで出雲系の神だろ?

神武は出雲(スサノオ)よりずっと後の時代だよ。
時系列がぐちゃぐちゃだな。
神武はやはり紀元後だね。

362 :日本@名無史さん:2021/09/12(日) 17:51:09.33 .net
200BC辺りからの銅鐸の青銅器文明は日本海ルートで出雲系の神
これは時系列として、200BCが指定であって、発掘で遡っても300BCかな?
時系列が、救いようないのは記紀。

輸入材は日本海ルートしか在り得無いから、出雲で八千鉾の神を想定したんだけど、
荒神谷だっけか青谷だっけか? 製鉄?銅職人であろう渡来人遺骨のDNAの話は聞いた。

でも、竪穴に住んで、日本独自の銅鐸作ってるんだから三足祭器とかの
中華文明が無い、縄文人系と同レベルだった半島人とか高句麗系なんじゃないのかナ?

銅鐸終了は、半島進出に際して、攘夷論、開国論の対立みたいのが有って
銅鐸祭祀系が渡来人に青銅器作らせてたのが廃絶されたんだと思うぞ。

国譲りが、250年とか? 
そんなもんはもう歴史と言えないどころか
記紀神話の否定でしかない。
 
倭の五王の話も出来ないんだから、
500年位までの記紀の内容は、神話は神話で良いだろ?
6〜700年代の話は、都合により嘘ついてるなwww

363 :日本@名無史さん:2021/09/12(日) 18:03:30.99 .net
>>362
>出雲で八千鉾の神を想定したんだけど


【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社」】

この八鉾神社、阿波では出雲の「杵築大社(出雲大社)」の元社であると伝えられている。   @阿波

364 :日本@名無史さん:2021/09/12(日) 18:24:01.97 .net
朝廷成立後の氏族の神社は万世一系の皇室の記紀で由来が成立する。
地方豪族自体が倭王である可能性を否定しているのが記紀。

邪馬台国が阿波なら、大和朝廷が奈良で建国する意味もない。
阿波の王はかなり古い初期王家か親族、物部系の直系? でも想定できるが、
出雲は渡来人雇ってた開国派で、物部は倭の五王系で攘夷派だろ?

てか、なんで陳寿がはっきり記録している九州島の北部が阿波なんだ?
日本史では、そこは筑紫という場合が多い。

あぼーん、出来てないのは事実だが、
話は、経験的に絶対通じない。

レス目的が、アラシなんだろ?

365 :日本@名無史さん:2021/09/12(日) 18:31:56.23 .net
>>364
>邪馬台国が阿波なら、大和朝廷が奈良で建国する意味もない

大いに意味があったから、くそ最悪最底辺地ズボズボ沼地に、しぶしぶ遷都した。

遷都理由:
白村江での惨敗による、唐軍侵攻に備える為、朝鮮渡来人開拓先住の地への遷都。   @阿波

366 :日本@名無史さん:2021/09/12(日) 18:47:39.94 .net
あわわ、師匠! 
白村江での惨敗と纏向時代の邪馬台国じゃ時系列が違います。

阿波が遷都したら、遷都じゃなくて
邪馬台国の安曇族の傍系が信州行ったみたいな配流なんですけど?

そもそも纏向建国は無意味だったんで
倭の五王で海、摂津大阪に下ってます。

戦争が怖いヘタレと、各地豪族の女や皇子が
奈良に籠ったんじゃないかな?

その、白村江当事者の天智天皇なんて、
奈良や大阪京都に居辛くなって、近江琵琶湖だろ?

367 :日本@名無史さん:2021/09/12(日) 19:11:59.67 .net
>>366
>白村江での惨敗と纏向時代の邪馬台国じゃ時系列が違います。

「纏向時代の邪馬台国」だと?  なんやそれ?  出直してこい!チンピラ。   @阿波

368 :日本@名無史さん:2021/09/12(日) 19:29:04.77 .net
そう、見りゃ判るのに、なんで・・・
猛省、こういう奴だったwww

アラシは、相手にする、意味がない。

369 :日本@名無史さん:2021/09/13(月) 18:15:51.30 .net
>>362
>国譲りが、250年とか? 

どこから出た数字?
国譲りと神武東征はぜんぜん世代が違うのに、ごちゃ混ぜにしてないか?

370 :日本@名無史さん:2021/09/13(月) 19:08:38.23 .net
記紀に迎合させるための、時系列繰り上げは
いろんなデタラメがあって・・・

邪馬台国東遷説、というのが有って、
250年から九州の女王国が東遷して纏向を作る話らしい。
そうすると、箸墓が、卑弥呼や壱与の墓になるとか?

記紀時代の王権はBC200〜250年の銅鐸時代を何も知らない。

記紀の神話の神代はそのまま神話で良いけど、漢四郡時代の三韓征伐、
350〜500年の百済新羅建国、対高句麗戦で
牛馬の移入や、製鉄の国内化の富国強兵半島進出が被るわけが無い。

同様に4〜500年半島利権交渉での 倭の五王の歴史はどうするんだ?
記紀は時系列で、この3世代がぐちゃぐちゃ、ごちゃまぜになるのは当たり前。

371 :日本@名無史さん:2021/09/13(月) 19:11:36.11 .net
三国志東夷伝倭人の条の記述によれば3世紀の倭人は顔中体中真っ赤な入れ墨だらけ

ところが記紀では入れ墨族は
「天孫族」とやらにひたすら殺戮されていくウホウホ蛮族扱い

「天孫族」と入れ墨族のハーフのイワレヒコが
入れ墨族の小邑を配下にしたという記述はあるが
イワレヒコの配下の入れ墨族もやっぱり他の入れ墨族を殺戮していく

372 :日本@名無史さん:2021/09/13(月) 21:41:54.85 .net
ところでイワレヒコの腹心になんで入れ墨族がいるのだ?

373 :日本@名無史さん:2021/09/14(火) 12:07:10.33 .net
【魏志倭人伝を正しく読む】 >>338
02 今 使 譯 所通 三十國 從 郡至倭
今=魏時、使=魏時の使は2回、240年遣建中校尉梯儁と247年塞曹掾史張政
この遣使で30国が通(知る)所となった。この(2回の)使に從る郡から倭の行程。
*時制は魏時、主語は使(2回)である。

03 循海岸 水行 歴韓国 乍南乍東 到 其北岸 狗邪韓國 七千餘里
海岸に循い水行で韓国を過ぎて、すぐ南ですぐ東行、(倭地の)北岸、
狗邪韓國に到達するまでは、7千里である。
*其北岸の其が示すのは倭(地)である。 到の文字は循海岸水行の最終到達点を意味する。
*狗邪韓國、韓は表意文字だが、狗邪は地名(または領主名を含む)で現地語音を漢字にしている。

04 始度 一海 千餘里 至 對海國 其 大官日 卑狗 副日 卑奴母離
始めて一つの海を度り千餘里 で對海國に至る。
*渡海に一つの が付く理由は、循海岸水行とは違い1日?一気に渡るからである。対馬である。
*前項(または領主名を含む)は、官名が前後の地名、例=狗 奴、に由来するが事例が多いため。

07 又 南 渡 一海 千餘里 名日 瀚海 至 一大國 (中略)
また、瀚海と名付けられた一海を南千餘里で渡り一大國に至る。
*始度はには初回の意味が有り、渡はつまり、わたっている。
*至と到 後出の有と可も同様だが、正しく読む為に注意すべき事=漢字は表意文字なのである。

09 又 渡 一海 千餘里 至 末盧國 有四千餘戸(略)
また、一海を千餘里で渡ると末盧國に至る。
*ここで注意するのは国について、島も国、集落も港町も国、郡県州も無いのが倭地だから。

11 東南 陸行 五百里 到 伊都國 有千餘戸
(船を降りて、)東南へ500里歩くと伊都国に到達する。有千餘戸
>>341 は、魏と邪馬台国の外交史、247年の張政は伊都までで卑弥呼の墓を見て帰国した。
*12  丗有王皆統屬女王國 郡使 往來 常所駐 なので、伊都で全ての用件は終わった。
*東南 至 奴国百里は檄告諭の難升米の国、東行 至不彌國 百里 は、帰国船の母港だろう。
ここで、今=魏時、使=魏時の使は2回のうち247年塞曹掾史張政の行程は終わる。

374 :日本@名無史さん:2021/09/14(火) 14:07:49.89 .net
【魏志倭人伝を正しく読む】 >>338

15 南至 投馬國 水行二十日 官日 彌彌 副日 彌彌那利 可五萬餘戸
投馬國へは南に水行20日で至る。(官略)可五萬餘戸
*前段迄里程で示された行程が日になっている。水行の主語が変わったことに気付く。
*古代漢文(史料)は省略された主語や時制、維持代名詞の判断が重要。
*なぜ里程が示されないか? だが、投馬國は国名なので馬韓の通過に20日なのであって、
 地名から地名のような、距離里程とは無関係な事として記録されている。
 240年は公孫氏陥落から2年、韓の制圧は246年、後の弁辰韓5万戸の仮称である。

16 南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月(略)可七萬餘戸
*邪馬壹國も筑紫女王国の仮称である。所属の21国名を参問漢字化した梯儁の命名。
梯儁の探検記の他で使われた事はない。可七萬餘戸である。
*水行十日の日はほぼ日程だが、陸行一月は特殊な外国域の地図での単位、で、
漢魏の官僚や軍事指揮官でないと知らなかったようだ。史料では倭地は南北3月行東西5月行、
及び済州島まで水行3月行で使用された。梯儁は魏帝の軍船司令官、張政は倭人船便乗で来た郡使。

18  自 女王国 以北 其 戸數 道里 可得略載 其 餘旁國 遠絶 不可得詳
*2回の使が南下した女王国以北の記載行程以外の、(倭の)餘旁國は遠絶で不可得詳。
 これは陳寿の補足で可得略載の主語が陳寿。

19 次有ー列記21国ー
20  此 女王 境界 所盡
*これは梯儁が、和音名を漢字にした邪馬台国21国の詳細。これが女王の境界までの全てである。
 邪馬國があるのでここで卑弥呼の臺を見て国名を邪馬壹國と仮称した。臺は曹操の忌字。

22 自郡 至 女王國 萬二千餘里
補足で
56 参問 倭地 絶在 海中 洲㠀之上 或絶 或連 周旋可 五千餘里
九州島の北部一月行=約2千里迄で、ほぼ筑紫地域である。

倭人伝の行程部分は記紀に迎合目的の現代語訳じゃなくて目で表意文字のまま読んだ方が良い。

375 :日本@名無史さん:2021/09/14(火) 16:31:34.80 .net
>>370
>邪馬台国東遷説、というのが有って、

それ自体、妄想なんだよ。
魏志倭人伝にはそんな話は出てこないのだから。
魏からの使いは九州ほくぶまで

>同様に4〜500年半島利権交渉での 倭の五王の歴史はどうするんだ?

朝鮮半島に容易に進出できた筑紫の王権の歴史だよ。

376 :日本@名無史さん:2021/09/14(火) 17:06:37.63 .net
動かぬ、倭国(阿波)の決定的証拠 : 「其山有丹」=「若杉山辰砂採掘遺跡」   @阿波

377 :日本@名無史さん:2021/09/14(火) 17:10:13.39 .net
妄想と言っても、一つの説として仕立ててはあるみたいで、
記紀に日本史を迎合させるためには、時系列の重複部分他を
繰り上げたりして、修正する必要が有るらしい。

で、 >>352 の先生みたいのが
“偉大な史書”記紀を尊敬し修理保守してこそ日本の学者──内藤湖南と中川八洋
とか、言ってるwww

この人は、邪馬台国論争自体と、九州説と東遷説をこきおろしてたけど?
所詮、創作の上に、ご都合主義で説を作っても、
結局、嘘の上の嘘の塗り重ねだと思うんだけどネ。

あたしは、邪馬台国に関しては、ただ正しく倭人伝を読めば、
九州の事しか書いてない、と 読めるだけで、説ですらないけど。

朝鮮半島進出は、青銅器製造で見る分には、日本海ルート国の方が濃いと思うよ。

これが、倭人伝に見える、239年公孫氏滅亡、246年韓の馬王朝廃絶で、
筑紫、瀬戸内海、日本海ルート諸国が海事防衛連携をせまられて、
牛馬、青銅、鉄の国内生産や百済新羅建国の、半島進出と古墳時代に突入した説。

378 :日本@名無史さん:2021/09/14(火) 17:47:19.24 .net
ゴメンナサイ。

>これが、倭人伝に見える、239年公孫氏滅亡、246年韓の馬王朝廃絶で、
筑紫、瀬戸内海、日本海ルート諸国が海事防衛連携をせまられて、
牛馬、青銅、鉄の国内生産や百済新羅建国の、半島進出と古墳時代に突入した説
タイトルのくせに長いしw

末行
牛馬、青銅、鉄の国内生産や百済新羅建国の半島進出という富国強兵政策で
日本が古墳時代に突入した説
が、正しいかも?

陳寿の古代漢文と違って、漢字並べても
助詞助動詞副詞とかで、ごまかしが効かないのが・・・

句読点の有る、現代中国語訳はもっと嫌い。

アラシは無詞。 という事で・・・ 
チラ裏用、おそ松説。

379 :日本@名無史さん:2021/09/14(火) 19:24:32.45 .net
>>377
>九州の事しか書いてない、と 読めるだけで、説ですらないけど。

同意。

380 :日本@名無史さん:2021/09/14(火) 21:28:39.12 .net
記紀編纂者すら
九州での出来事、話だと思ってるw

991 日本@名無史さん 2021/09/10(金) 18:50:49.17
記紀編纂した奴らは
三国志呼んで「ん? 邪馬台国? 卑弥呼? 女王国?」と思って
神功皇后のところでチラ載せしてる程度にとどめてる

が、明らかに、わかってないことは事実だな

「邪馬台国はヤマト王権のこととして、九州の方の話? 女の王?」
で無理やりピースを埋めてる

手元にある記録からは
欠史八代の実績はともかく、系譜からも読み取れなかった

少なくとも畿内で起こった話ではない
と解釈してる

381 :日本@名無史さん:2021/09/14(火) 21:50:30.19 .net
>>380
>少なくとも畿内で起こった話ではない

「魏志倭人伝」も「記紀」も、「阿波」で起こった話だ。   @阿波

382 :日本@名無史さん:2021/09/15(水) 05:45:21.97 .net
阿波さんへ
阿波が邪馬台国なら、
戦城としてはいいですけど、
ちょっと平地面積狭すぎませんか?
まあいいけど

383 :日本@名無史さん:2021/09/15(水) 06:28:23.85 .net
>>382
>ちょっと平地面積狭すぎませんか?

一度、大河大吉野川を池田から鳴門まで下ってごらん。  すぐ納得するから。   @阿波

384 :日本@名無史さん:2021/09/15(水) 06:46:39.61 .net
>>383
なるほど。何次元かの魂で推想しました。コンピューターグラフィックスかもしれませんが。

385 :日本@名無史さん:2021/09/15(水) 06:52:23.82 .net
しかし、観念破りも大変ですね
悪神悪霊だけでなくコンピューターグラフィクスもくわわるとなると。
もう思い付き閃き直感心音も操作されてると思うと、やめておくにしくはなしと思ったりします。

386 :日本@名無史さん:2021/09/15(水) 06:54:06.86 .net
真善美を惑わそうとしてるんですね

387 :日本@名無史さん:2021/09/15(水) 11:47:52.31 .net
>>380
神功皇后は記紀対応だと200年だけど
倭人伝の東夷伝?では、313年まで漢四郡あって三韓征伐できないし三韓も意味不明。
筑紫では卑弥呼が立って大乱が収まったのに、神功が征伐に来てどーすんだよw
って話。 

350年位に繰り上げれば良いだろって話だと
新羅百済の建国しなきゃなんないし、七支刀貰って、阿直岐、王仁が文字持って来て
百済の王子が日本に招かれてんだよね? 

それは南朝に高句麗戦と半島利権交渉で出向いた、
400〜500年の倭の五王に直結する話であって、
これも、記紀は書けてない。

さらにこんな時代まで来て九州征伐っていったい、いつの九州起源で
朝廷は日本の王になってた、ってことにしたんだよ? って話。

記紀厨は、もう古代は神話で良いんだから歴史の話はやめろよ、
って、馬鹿ちょん相手みたいな事になっちゃうんです。

388 :日本@名無史さん:2021/09/15(水) 19:15:39.93 .net
三韓征伐ってのが最大の間違いで
馬韓、辰韓を百済新羅王国として独立させただろ?

筑紫や出雲、吉備、まあ阿波とか、近江、美濃、とか、
それぞれが国境の有る国家じゃないんだけど、
百済、新羅は、対魏晋の防壁で350年辺りで独立国にした。

つまり後に貴族化する王子とか姫は朝廷に参加したんだろ?
明治維新のパリ万博で独立国ぶった薩摩琉球程度には、日本国だぞwww

後に? 1000年以降の古代韓遺伝子は、
石器人や無文土器土人、百済新羅人を継承しない
山葡萄原人系民族の侵略で滅びているのであれば、
日本との関係は絶たれているのであって、

なんで友邦王朝だった、古代韓にちなんで、
大日本帝国が、大韓帝国を独立させた?

王政復古のついでで、神仏分離で日本文化を破壊して
日本神道を作って皇室を消滅に導く?

まあ、封建制崩壊の一夫一婦制で王権継承なんて無理だけど
明治維新の失政っぷりには、
韓国の歴史が可哀そうとは別の次元で、馬鹿すぎて泣けるよ。

389 :日本@名無史さん:2021/09/15(水) 20:03:12.88 .net
なんか、よそで、誤爆したみたいで・・・

アホやキッドみたいな、連投コピペアラシの仲間に入るかもだけどwww
再投

記紀は600〜700年の天皇候補を、
天皇だった事にする為に人物の歴史を創作しました。

人物は? 
人物由来の年号は、後付けで全部歴史に実在することは出来ません。
神話または SFラノベ でしかない、とするのが妥当なのです。

日本最古のSFラノベが記紀。 
解明は、記紀厨諸君による、これからだし?

世界に誇れる創作文学なのですwww
誤爆じゃなきゃ、正しく読むスレでしょ?

390 :日本@名無史さん:2021/09/15(水) 20:25:24.56 .net
記紀厨には、なにを言ってるのか判らない、のは知ってるwww

倭人伝を正しく読む。
なら、九州の事しか、言ってない。

記紀は、九州起源で日本史?
250年に統一国家日本王朝は無いんだよ。

でも、対魏で350年に百済新羅を建国。
400年には、対高句麗戦での半島利権で
倭の五王は南朝と外交、という歴史は残されている。

嘘の為に、二重だから空白にしたい? のカモしらんけど
記紀の話は、日本史に必要なのかネ?

日本の天皇は武家政権を越えて
実在してるんだよ?

391 :日本@名無史さん:2021/09/23(木) 10:17:57.46 .net
虚言に終始する人生に疲れ果てたよ


        

            @阿波

                

392 :日本@名無史さん:2021/09/24(金) 20:22:37.87 .net
阿波は初期日本朝廷の最古参です。
邪馬台国論争で考古学が日本の初代王権の場所を探した間違いは
阿波が初期王権発祥の地であった事を否定しません。

阿波、出雲、吉備は、たぶん、越や三河、美濃、近江もだけど
300年までに、奈良に首長国連邦の都を作った。

邪馬台国が初代倭王の解釈は有り得無いし
記紀は嘘、ってのは、正しい。

阿波が日本皇室の元祖の一説なら
筑紫の卑弥呼は、阿波とは絶対関係ない。

お投稿が人生というのは病気だから
アラシは止めて、病院に行った方が良い。

393 :日本@名無史さん:2021/10/11(月) 12:01:37.25 .net
昨日から味覚が感じられない



             @阿波

394 :日本@名無史さん:2021/10/17(日) 14:50:09.64 .net
>邪馬台国は筑紫にあり卑弥呼は熊襲の類が
>神功皇后の名を語るのに用いたものであるとした。
これを言った、白石や宣長は、倭人伝をある程度まで読めていた。
何故、曲解で終ったのかは、今なら理解できる。

記紀信者は基本的に記紀に日本の歴史が書かれていると思い込んでいる。
歴史の基準として利用しない事には、歴史の話をするのが難しいのは事実だが・・・

源氏物語や平家物語、土佐日記等々には人間作者による
当時の実態や実像が描かれているのに比べ、
記紀には、作為的な、ご都合主義の腹黒い捏造が多く含まれている。

神功皇后なんて歴史の時系列の中に、有り得るわけが無いのである。
この目線になる事が、できないのであれば、歴史家陳寿が嘘ついてる
としか言えない という事。

つまり、記紀厨が、倭人伝を論じても真実には到達しない。

395 :日本@名無史さん:2021/10/17(日) 15:14:26.98 .net
倭人伝で、筑紫の卑弥呼が魏と独自外交を行っていたという事実で
370年の朝貢で建国した百済の真実も明らかになる。

七支刀銘文
(表) 泰和 四年五月十六日 丙午正陽 造百錬鉄 七支刀 ?辟百兵 宜供供候王(永年大吉祥)
意訳 
369年5月16日の炎天太陽の下で百錬した鉄の七支刀を造る。
候王(余句?ぐく)に相応しいものでありこれをもって百兵を辟ることが出来る。永年大吉祥。

(裏) 先世 以来未有 此刀 百濟王世子 奇生 聖(帝/音) 故為 倭王 旨造傳示 後世
いまだかつてこのような刀は無かった。(今)百済王子を聖帝(の恩情)に託します。
故にこの刀の造られた経緯を、後の世迄、倭王に語り継いで頂きたい。

表は、東晋に朝貢に来た肖古王に晋帝が与えた際の、元となる七支刀の銘文。
裏は、これを百済で模造して聖帝に送った際の銘文。

つまり、百済王、諡号肖古(余句)は、東晋に朝貢して供供候となりましたが、
七支刀にこの経緯を記し王子を預け、倭王、諡号仁徳天皇に忠誠を誓った、後世にもお伝えください。
という事、である。

候王は家臣であるから、朝貢した余句しか有り得ない。
供供候王はこの後漢字が伝わったので、国名または王の名の東晋が聞いた口語音の漢訳である。

裏の百済は漢字伝来で出来た国名、漢四郡撤退で馬韓には?百民が流入したと思う。
下寵刀が369年なのは中国皇帝には朝貢の形式が整わない最初の朝貢を記録しない傾向がある。

肖古が供供候から百済候となるのは372年なので、諡号仁徳天皇へはこの時、献上されている。
421年は倭王讃なので、仁徳は372年以降で、この年までに没した。

仁徳天皇は350年辺りから最長で421年の在位で実在した。
百済も、筑紫も、日本の一地方領主=中国で言う候王、ではあるが
纏向時代の筑紫や660年までの百済は、殿上や後宮に上がれない程度の下級貴族だったようである。

396 :日本@名無史さん:2021/10/17(日) 19:24:23.29 .net
ちなみに、他スレで投稿済みだが、金石文で記紀の修正を出来るのであれば、
だが?

古墳全盛時代は、大阪湾が中心地。
しかし各地豪族の王子や姫の住居、後宮は奈良、纏向? 周辺に作った。

倭の五王系、諡号仁徳〜ワカタケル=雄略天皇までは、物部系の磯城の宮が後宮。
502年倭王武から503年に蘇我系の継体天皇が生まれた後宮の押坂の宮へ遷宮する。

この経緯については、記紀には嘘が有り、人物画像鏡の銘文で、事実は解明できる。
現代では考古学者が漢文読めないのか、
記紀=日本神道信者なのかが、最大の謎なのである。

397 :日本@名無史さん:2021/10/17(日) 20:57:51.99 .net
>>394-396
プヨユウ信者君、ここでも狂ってるんだねwww

398 :日本@名無史さん:2021/10/18(月) 08:31:53.94 .net
奈良と大阪は近縁だが別の勢力で、基本的には記紀は奈良の歴史書だというだけ。
大阪が奈良も支配している期間は、奈良の歴史にも大坂が記載された。

399 :日本@名無史さん:2021/10/18(月) 08:34:12.07 .net
摂津も大和も饒速日(物部氏)の支配下だったが、記紀はあくまでも天皇家の歴史書なので、大和が興味の対象。
前方後円墳は物部氏の墓制。

400 :日本@名無史さん:2021/10/18(月) 15:58:26.06 .net
>>399
その物部氏、「忌部一族(阿波勢力)」の数ある部落集団の一つだから。   @阿波

401 :日本@名無史さん:2021/10/18(月) 19:45:52.86 .net
物部=出雲 蘇我=丹波 ではないだろうか?
阿波は、丹波の派生で、馬子以前の蘇我系ではないのかナ?

物部王朝は本願地が出雲海神の倭の五王だが、

丹波王朝つまり、蘇我には同時に進出した畿内での競合で
阿波路の開拓が、必要だった。

これは、日本海ルート諸国が瀬戸内海平定の為の必至の布石である。
阿波をとったのは、蘇我か、物部かそれだけの事。

阿波物部説なんだ? 検討します。

402 :日本@名無史さん:2021/10/18(月) 19:51:39.47 .net
>>401
なんかぐちゃぐちゃ言ってるが、全国へ散らばって進出して行ったのは、「忌部一族(阿波勢力)」。
だから、全国へ散って行った「忌部一族(阿波勢力)」の部落集団によって、物部とか蘇我とか言われている。   @阿波

403 :日本@名無史さん:2021/10/20(水) 18:52:17.53 .net
>>402 「忌部一族(阿波勢力)」
>全国へ散らばって進出して行った

出雲丹波越阿波美濃東海武蔵甲斐の、集まった纏向中央政権は
国司、国造を派遣して、諸国の王との連携を図った訳だが?

倭人伝の話しなんだから
半島の、246韓王朝廃絶、239公孫氏滅亡では、
BC200年から、搬入されてた青銅のルートが消えた。

日本海諸国と九州は、対魏防衛の必然で合流した。
これが、日本の軍事政権=古墳時代の発端だが? 軍事統一は源平どころか
信長以降の、徳川政権までない。

始皇帝と、神武は次元が違う。 
日本王朝は、半島から漢四郡が無くなる、
応仁仁徳の313年からである。

倭人伝が247年までの話なら、日本に統一王朝は無い

404 :日本@名無史さん:2021/10/20(水) 20:13:36.69 .net
三国志東夷伝倭人の条通称魏志倭人伝の記述によれば
3世紀の倭人は顔中体中真っ赤な入れ墨だらけ

ところが日本書紀・古事記では入れ墨族は
「天孫族」とやらにひたすら殺戮されていくウホウホ蛮族扱い

「天孫族」と入れ墨族のハーフのイワレヒコが
入れ墨族の小邑を配下にしたという記述はあるが
イワレヒコの配下の入れ墨族もやっぱり他の入れ墨族を殺戮していく

405 :日本@名無史さん:2021/10/22(金) 20:23:39.11 .net
なんか畿内説の重鎮である寺沢薫が九州にすり寄ってきたぞ
考古学的に畿内説は無理があるけど今更引っ込みがつかないんだろうなw

卑弥呼論争に一石 統治は纒向、擁立は九州・吉備中心
https://www.sankei.com/article/20211020-X3UJYBQUXJMSDPJJBJ3EYKPT6Y/

406 :太国 :2021/10/22(金) 20:27:32.56 .net
九州の国生みでは四面全部に『別』の字をつけて半島大陸と別もの
だとはっきり古事記に記述がある。

 筑紫國 白日別
 豐國  豐日別
 肥國  建日向日豐久士比泥別
 熊曾國 建日別

日本は大陸半島とは『別』ものの国なのだ。

神国日本は全世界の別格の国である。
黄金の国神国日本と半島の世界第参位の人参民族とは同等ではない。
半島は参位の銅メダル国家であって、黄金の国ジパングの金メダル国家
とは完全に別ものなのだ。それゆえ神国日本は萬邦無比の國體を誇るのである。
半島は銅級国家だからあのブスの銅像を各地に設置して銅だと
自認してる。w 朝鮮人は日本人と別の近族(金属)なのだ。

金メダル国家がこの神州であるからして、天意は日本に邪馬1国の
世界第1位の国家を置いてるのである。
したがって太古の日本人が半島から来たのではない。こちらの神国日本が半島の
ご本家だ。ご本家だから日本の国号に『本』の字がつくのだ。

天皇は萬世一系である。そして全世界の統帥権は大元帥陛下にある。

407 :日本@名無史さん:2021/10/22(金) 20:30:27.43 .net
>>405
>卑弥呼論争に一石 統治は纒向、擁立は九州・吉備中心

ほんとうに寺沢薫って学者なのか? わははははは   @阿波  

408 :太国 :2021/10/22(金) 20:33:52.05 .net
なんと無学者がいる。

稀代のデンパに注意せよ。

409 :日本@名無史さん:2021/10/22(金) 20:37:34.39 .net
寺沢薫ってちょび髭のあほ面だろ?  わははははは   @阿波

410 :日本@名無史さん:2021/10/23(土) 15:14:16.04 .net
大和弥生社会の展開とその特質
寺澤薫
(纒向学研究 第4号より抜粋・引用)

もともと第一の道論(注釈:奈良盆地の独自の発展によるヤマト王権の誕生)は、奈良盆地の自然環境の卓越性を根拠に、生産力の先進性をことさらに高く見積もり、
前期古墳に見る隔絶性から前段階の強力な権力の存在を推定するという本末転倒の論理によって説明されてきた感が強い。
以降、第一の道論は吉備連合論、河内(大和川水系)連合論、鉄ルート開発 ・ 確保論、倭国乱での巻き返し論等々を巻き込み、修復を繰りかえしながら多くの論者によって支持され続けてきた。
しかし証明のための論理や手法に根本的な改善は見られない。
私は第一の道を否定する立場である。
第二の道は多様である。
私は北部九州や2世紀以降とくに強大な勢力として新興してきた吉備を中心とした瀬戸内海勢力を維新主要勢力とした政治的談合による倭国の再編成(私の言う「新生倭国」の誕生)と考えている。
畿内や大和ではその直前まで首長墓を含む一般的墓制は方形墓なのであって、しかも王権を構成した主要地域に比べると、
墓に反映されるほどの階級的に隔絶した首長権力が存在した形跡は微塵もないのである。

ttp://www.makimukugaku.jp/pdf/kiyou-4.pdf

411 :日本@名無史さん:2021/10/23(土) 16:06:42.81 .net
なんで纏向の大王墓古墳が卑弥呼だよ?
仁徳陵が400年なら、350年以前の応神陵が必要だろ?

313年以前は半島進出が本格化してないから、
まだ、大阪湾に降りてなくて、奈良に作ると思うぞ?
この時期の、箸墓以外の大王墓って、どれ?

卑弥呼なんて神功になっちゃって、
引きこもりの女王なんて居ないだろ?

卑弥呼の墓は 247年
遣倭載斯烏越等 詣郡 説相攻撃状
の帰り便で伊都まで、
韓制圧戦での黄幢假授で、檄告喩=参戦の招請 の確認に来た張政が
卑弥呼 以死 大作冢 徑百餘歩 を見てるんだから糸島に有る。

死を以って数か月で盛った墓が大王墓古墳になるのかよ?
真面目に纏向の研究しろよwww

412 :日本@名無史さん:2021/10/28(木) 19:25:36.68 .net
纏向って、朝廷の起源なんだろうけど?
239年以降の筑紫の卑弥呼は、参加して良いのかね?

古墳時代ってのは、考古学では一番わかりやすいんだけど?
宮内庁って言うの? なんで、歴史消してる?

もう、ホントの事言っても、良いんじゃね?

記紀が嘘なのは白日のもとだし、
明治政府は全部掘って燃やしてないのかよ?

413 :太国 :2021/10/28(木) 20:00:08.98 .net
津田病患者がいるようだ。

414 :日本@名無史さん:2021/10/29(金) 17:09:09.35 .net
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16

http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1601445951/l50

415 :日本@名無史さん:2021/11/06(土) 13:52:21.71 .net
魏志倭人伝なんてただの創作だろ。魏なんて、日本からの鉄器で勝っていた筈。鉄器の事を調べれば日本の方が先進国だと思うよ。

416 :日本@名無史さん:2021/11/06(土) 14:25:04.24 .net
>>415
>鉄器の事を調べれば日本の方が先進国だと思うよ。

鉄器王国「阿波」だからな。   @阿波

417 :日本@名無史さん:2021/11/12(金) 18:10:02.95 .net
>因詣臺 獻上男女生口三十人

各国から1人づつ生口を出した

計30国! およよ、これは合ってるねw

となれば
>奉汝所獻 男生口四人 女生口六人

計10国?

狗邪韓国、對海国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不彌国、投馬国、邪馬壹国

9国、数が合わない(笑)

そこで返礼品チェック
>今以絳地交龍錦五匹 絳地縐粟罽十張 蒨絳五十匹 紺青五十匹 
>答汝所獻貢直 又特賜汝紺地句文錦三匹 細班華罽五張 
>白絹五十匹 金八兩 五尺刀二口 銅鏡百枚 真珠チ丹各五十斤

だいたい5の倍数だなって(目立つのは50の数字)

>其四年 倭王復遺使大夫伊聲耆 掖邪狗等八人

この年は8人も行ってる
俺もワイもボクチンも印綬もらいたくて行った模様w
前回の難升米と牛利を含めれば、合計10人になるね

418 :日本@名無史さん:2021/11/12(金) 18:11:39.40 .net
10国目は狗奴国で
使者行きたかったが第二次倭国大乱となって

実は卑弥呼時代は10国程度で
壹與時代で、ようやく30国になったとかw

>因詣臺 獻上男女生口三十人

少なくとも、壹與のときの女王国連合は30国だったとわかるね

>『晋書』武帝紀 太康10年(289年)条
>東夷絶遠三十餘國 西南二十餘國來獻

これでも30国!
289年でも、まだ30国だったと

答え、こんな感じですw

419 :日本@名無史さん:2021/11/12(金) 18:16:26.36 .net
卑弥呼時代では
熊国(狗奴国)を含めた九州10国程度

卑弥呼以死後に、神武東征があって

壹與時代に
西日本一体の連合体制で30国となった

420 :日本@名無史さん:2021/11/13(土) 08:10:07.04 .net
30といっても大小あっただろうし、もとは100あったとも書かれている。
九州北部で30だろう。
例えば吉野ヶ里だけで周辺に10程度の国邑を衛星都市のように伴っていた。

421 :日本@名無史さん:2021/11/13(土) 08:23:03.95 .net
もと100余国とは、漢倭奴国王が朝貢したころのことを云っているのであろう。
その漢倭奴国王は、南界を極めたる故を以て金印を拝したのであるから、
これは九州島全体が100余国であったことを示す。
その100余国が、今は30国に整理統合されている・・、と読むべきだろう。

ちなみに、江戸時代の九州諸藩は約30藩であった。倭人伝の30国がその原型であったと思われる。

422 :日本@名無史さん:2021/11/13(土) 12:17:33.01 .net
【邪馬台国と周辺の国】
1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)
2番 己百支国は伊万里(佐賀県伊万里市)
3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊佐早国(長崎県諫早市)
4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番 彌奴国は長崎県長崎市(または長崎県西彼杵郡)または嶺(佐賀県みやき町三根)
6番 好古都国は高来郡(長崎県雲仙市)
7番 不呼国は須古(佐賀県杵島郡白石町)
8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番 蘇奴国は?
11番 呼邑国は佐賀県小城市
12番 華奴蘇奴国は佐賀県神埼市の吉野ケ里遺跡
13番 鬼国は?
14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の広川、高良台、室岡・亀ノ甲遺跡
17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺、浮羽郡)
19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

邪馬台国の範囲はおおむね筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた範囲であり、半時計回りに周旋5000里である(対馬海峡が3000里)。
魏志倭人伝には、東に海をわたったところにも倭人がいると記載され、本州と四国のことと考えられる。
狗邪韓国 朝鮮半島南岸
対海国 長崎県対馬市、一大国 長崎県壱岐市
末廬国(諸説あり)
伊都国 糸島市(旧怡土郡)、奴国 福岡市(那の津)→あわせて邪馬台国(女王の都)
不彌国 福岡市東区(香椎宮)
投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)
https://i.imgur.com/lo1K3BJ.jpg

423 :日本@名無史さん:2021/11/23(火) 07:54:36.55 .net
https://plaza.rakuten.co.jp/utiwauke/diary/201709160000/

424 :日本@名無史さん:2021/11/23(火) 08:31:06.44 .net
投馬国を、
遠い南の宮崎県西都原市(都万神社)に比定しているのに、
その他の国々が、ほぼ福岡県・佐賀県・長崎県内に偏っているのは、まことに不自然極まりない!?

425 :日本@名無史さん:2021/11/23(火) 09:02:13.98 .net
福岡県・佐賀県・長崎県内に偏ってるのなら、
朝鮮半島のが近いな。

426 :日本@名無史さん:2021/11/23(火) 10:10:11.80 .net
元皇族・梨本之宮 伊都子妃(なしもとのみや いつこひ)
旧佐賀藩 鍋島家出身

末盧国東南500里の佐賀平野・大和町川上にあった伊都国は「いつこく」と読まれるべし

427 :日本@名無史さん:2021/11/23(火) 15:11:18.09 .net
>>424

投馬国への里程が明記されていないので、郡使が訪れないくらい遠かった。
また、日程が帯方郡を起点とするならば、福岡よりかなり南になる。

428 :日本@名無史さん:2021/11/23(火) 15:54:36.47 .net
>>427
>投馬国への里程が明記されていないので、郡使が訪れないくらい遠かった。

それを言うなら、邪馬台国女王之所都も郡使が訪れないくらい遠かったであろうな
また同様に、日程が帯方郡を起点とするならば、邪馬台国女王之所都も福岡よりかなり南だったのであろうな。

429 :日本@名無史さん:2021/11/23(火) 16:03:25.07 .net
>>428
つまり>>5で完全一致だな

430 :日本@名無史さん:2021/11/23(火) 18:18:44.26 .net
つまらん、、

431 :日本@名無史さん:2021/11/23(火) 18:21:21.33 .net
ロマンだったのに結論が出てしまってつまらないのは分かるが謎が解けたことを素直に喜ぶべきだろう

432 :日本@名無史さん:2021/11/23(火) 18:38:11.09 .net
そうかそうか、謎が解けてよかったな。素直に喜んでやろう。

ただ、それにしては客が少ないようだが、どうしたものか・・・、

433 :日本@名無史さん:2021/11/23(火) 18:44:52.64 .net
客の多寡なんて何の意味がある
大道芸じゃあるまいし

434 :日本@名無史さん:2021/11/23(火) 19:09:38.14 .net
大道芸的に飯の種にしようとするゲッすい勢力があるんですよ
文京区の街おこしみたいなお話です

435 :日本@名無史さん:2021/11/23(火) 19:11:52.07 .net
>>434
なるほど畿内説のことだな
確かに彼らは大道芸的だ

436 :日本@名無史さん:2021/11/23(火) 21:24:13.68 .net
郡使は女王に面会しているのだから、伊都国奴国不弥国までで女王国に達しているのだよ。
福岡県西北部が女王国。

437 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 06:48:31.76 .net
徳島県の北部が邪馬台国「粟国」で、南部が狗奴国「長国」。

阿南市長生町宮内の「八鉾神社」

祭神の「大己貴命」は狗奴国「長国」の祖神である。

「大国主命」には多くの別名があって、「大己貴命」も「八桙神」もその別名。

この「八桙神」の名が付いた「八桙神社」は、全国の式内社神名帳のなかで、阿波國阿南市長生町の一社のみしか存在しない。

まさに「大国主命」は、阿波の狗奴国「長国」が出身地だったのある。   @阿波

438 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 08:37:43.35 .net
3,132座の式内社の中に、

八鉾神社や事代主神社・多祁御奈刀祢神社 等の国譲りに遣わされた神達を祀る神社は、阿波にしかない。   

この事実から、国譲りの地が、「阿波」であると言わざるを得ない。   @阿波 

439 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 08:37:51.22 .net
3,132座の式内社の中に、

八鉾神社や事代主神社・多祁御奈刀祢神社 等の国譲りに遣わされた神達を祀る神社は、阿波にしかない。   

この事実から、国譲りの地が、「阿波」であると言わざるを得ない。   @阿波 

440 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 11:10:52.39 .net
八鉾とは八千矛神(やちほこのかみ)。  出雲の主であり、長(おさ)である大国主神のこと。
大国主神の別名、大己貴神は、長国の偉大な主を意味している。
大国主神は、スサノオ命の子孫で、稲羽の素兎の物語で有名である。
オオクニヌシは、兄さん達から大きな袋を持たされる等、色々のいじめを受けたが、
それらの試練を乗り越え、出雲国を治める立派な人となった。
オオクニヌシの子供にコトシロヌシ(えべっさん)と建御名方神(たけみなかたのかみ)がいる。
コトシロヌシは、式内社の事代主神社として、勝浦町沼江と阿波市市場町伊月に祀られ、
タケミナカタは、式内社の多祁御奈刀祢神社として石井町浦庄字諏訪に祀られている。   @阿波

441 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 13:36:24.04 .net
倭人伝の冒頭の30国とは何を意味するか。 >>338

02 今 使 譯 所通 三十國 從 郡至倭
意訳=今(魏時)使(240梯儁、247張政の二回)の説明に拠って知り得た30国。
この魏時の二回の使によって、説明された倭に至る行程は・・・
で、行程文節が始まる。

03 循海岸 水行 歴韓国 乍南乍東 到 其北岸 狗邪韓國 七千餘里
海岸に循がい水行で韓国を過ぎる。少し南ですぐ東遷。其北岸 狗邪韓國に至る。
韓は南北4千里、東に3千里の7千里で渡海起点の狗邪韓國。
次対馬島、次壱岐島、次上陸地の末盧國、次伊都国に到る。奴国と不彌國は各百里。
これが、7国。 伊都で駐留した247年張政の記録である。

次は240年梯儁の記録。 
南至 投馬國 水行二十日。  次、南至 邪馬壹國 水行十日
次有、列記21国。 此 女王 境界 所盡。これが邪馬壹國女王所属の21国である。
その南、狗奴国は女王に属さない。
「此」は倭人に参問して漢字にした、次有で特定した参問21国を示す代名詞。
女王に金印を届けたこの旅は、計1万2千里で、上陸から2000里の陸行が有る。

合計、31国だが、奴国は行程と所属で重複しているので、今 使 譯 所通 三十國がコレ。
56 参問 倭地 絶在 海中 洲?之上 或絶 或連 周旋可 五千餘里  これは21国の説明。
倭国の、自 女王国 以北 其 戸數 道里 可得略載 其 餘旁國 遠絶 不可得詳 である。
初探検は、筑紫域を出ていないので、当然なのである。

投馬國5万戸、邪馬壹國7万戸は、馬韓10万戸と同様の国。 不詳、狗奴国も。
対海国、一大国は島。 狗邪韓國、末盧國、不彌國は港。 伊都は時の首都。
筑紫21国が、初探検の梯儁の仮称邪馬台国であって、
自称は伊または金印の委国のはず。

442 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 14:05:36.47 .net
倭人伝の冒頭の30国とは何を意味するか。 >>338

02 今 使 譯 所通 三十國 從 郡至倭
意訳=今(魏時)使(240梯儁、247張政の二回)の説明に拠って知り得た30国。
この魏時の二回の使によって、説明された倭に至る行程は・・・
で、行程文節が始まる。

03 循海岸 水行 歴韓国 乍南乍東 到 其北岸 狗邪韓國 七千餘里
海岸に循がい水行で韓国を過ぎる。少し南ですぐ東遷。其北岸 狗邪韓國に至る。
韓は南北4千里、東に3千里の7千里で渡海起点の狗邪韓國。
次対馬島、次壱岐島、次上陸地の末盧國、次伊都国に到る。奴国と不彌國は各百里。
これが、7国。 伊都で駐留した247年張政の記録である。

次は240年梯儁の記録。 
南至 投馬國 水行二十日。  次、南至 邪馬壹國 水行十日
次有、列記21国。 此 女王 境界 所盡。これが邪馬壹國女王所属の21国である。
その南、狗奴国は女王に属さない。
「此」は倭人に参問して漢字にした、次有で特定した参問21国を示す代名詞。
女王に金印を届けたこの旅は、計1万2千里で、上陸から2000里の陸行が有る。

合計、31国だが、奴国は行程と所属で重複しているので、今 使 譯 所通 三十國がコレ。
56 参問 倭地 絶在 海中 洲?之上 或絶 或連 周旋可 五千餘里  これは21国の説明。
倭国の、自 女王国 以北 其 戸數 道里 可得略載 其 餘旁國 遠絶 不可得詳 である。
初探検は、筑紫域を出ていないので、当然なのである。

投馬國5万戸、邪馬壹國7万戸は、馬韓10万戸と同様の国。 不詳、狗奴国も。
対海国、一大国は島。 狗邪韓國、末盧國、不彌國は港。 伊都は時の首都。
筑紫21国が、初探検の梯儁の仮称邪馬台国であって、
自称は伊または金印の委国のはず。

443 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 16:39:07.82 .net
伊または倭が女王国
範囲は九州西北部(福岡県佐賀県長崎県)

444 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 16:46:39.33 .net
>>443
>範囲は九州西北部

根拠は無しか?   @阿波

445 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 17:44:01.67 .net
都万厨先生は、文献で邪馬台国が21国である。
という事が読めていることは評価できる。

しかし >>422 の範囲だと
福岡から長崎を周旋しただけで5千里に達してしまう。

ほぼ同様な大きさで、周旋可5千里なのだが・・・
考古学成果によって、糸島から八女の福岡、筑紫平野を優先するべきだと思う。

ちなみに、吉野ヶ里の存在によって武雄は含まれそうだが、
山の有る糸島から西の松浦半島、唐津は微妙で、女王国では無いと判断する。

西岸、五島や松浦ルートは、筑紫とは別の長崎、熊本側諸国の海路かと思う。
同様に宗像以東や国東半島も日本海ルート、卑弥呼と別の瀬戸内海の勢力圏だろう。

ちなみに、伊または委国、については、思いつきで初出なのだがw 
志賀島の57年の金印で、卑弥呼即位の190〜200年は、
まだ同じ後漢なのであって、倭国の地に有る漢時の委の奴国は、
魏時の女王国の伊の奴国になっている可能性が高い。

多分、奴国王の難升米=奴の升米だが、志賀島が話題の卑弥呼の墓でも有りだ。

446 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 17:59:55.60 .net
>>445
>多分、奴国王の難升米=奴の升米だが、志賀島が話題の卑弥呼の墓でも有りだ。

「難升米」は12世紀写本の場合であり、古事記、日本書紀では難斗米になっているので、
倭人伝原本でも難斗米だったのではないかと言われている。
これを日本語的に読めば「ナートミー」となる。つまり「なかとみー」の原型ではなかったかとする説もある。

447 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 18:16:52.27 .net
>>446
すまない。

私は記紀、特に倭の五王以前を否定することで、
倭人伝が正しく読めると思っている。

邪馬台国東遷説って、妥協にもほどがあるでしょ?
卑弥呼が実在なら、記紀の九州起源は無い。

九州は公孫氏とも交流は有っただろう。
公孫氏滅亡239年、馬韓王朝廃絶246年。

三国志倭人伝の女王国と魏の親交は247年で終っているが、
245年の韓制圧戦では、檄=参戦要請、黄幢=魏の正規軍、になるが、
対魏防衛の為、本州諸国と筑紫は協力した。

記紀の御都合主義の歴史創造ではない、歴史の話として、
中国正史の三国志は、実在しない国の歴史を残す必要があるのかな?

448 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 18:35:01.33 .net
>>447
>245年の韓制圧戦では、檄=参戦要請、黄幢=魏の正規軍、になるが、
>対魏防衛の為、本州諸国と筑紫は協力した。

黄幢は、正規軍に与えられるものでなく、外臣に贈られるものではなかったかな
(ここでは難升米に対し、倭を脅かす東夷(アズマエビス)を討伐するために魏王朝から「錦の御旗」として与えられたものに相当する)

対魏防衛の為:
このフレーズは意味がワカラン。このまま読めば、魏の進攻に対抗して韓を守るためという意味になるのだが??

449 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 18:52:12.71 .net
倭人伝における、漢字の無い時代の倭音の漢字変換として
列記21国の国名から

奴王/(難)升米
都支王/(都市)牛利
巳百支王/(伊聲耆)掖邪狗
は、明瞭。

官有、の人名固有名詞も、
寄港地の国名? 領主名? 由来の名前が多い。

狗奴国も、伊?委の奴国、に対する句の奴国だと思うよ? 
官の名も、キクチ? クコチ? 卑句 の卑句、
は、奴国の家臣、卑奴 母離 同様、句の家臣。
渡海前の狗邪韓國での官は卑狗だが、女王国の南の句国の、では無い。

氏姓が無いなら所属を氏として名乗る場合の
地名が王の名なのは当たり前だと思うね。

450 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 19:04:48.47 .net
>>448
魏の239〜246の公孫氏追討と韓王朝廃絶で
まさか、日本に何が起こったかが、判らない?

本州は日本海ルートでも青銅の移入はBC200から有る。 
これが、途絶えたから? 

九州は魏の侵略の前線、だから、
対魏戦略で九州と日本海、本州は協力する必要があった。

難升米が、韓制圧で三国志に参加?
トラ退治的には面白いけど、大和朝廷の前身は真面目
だったんじゃないのかな?

451 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 21:47:47.02 .net
>>445
>考古学成果によって、糸島から八女の福岡、筑紫平野を優先するべきだと思う。

奴国こと福岡は遺跡が切れ目なく続き、全体で三万戸の奴国なのだろう。
この巨大な国邑が周辺に生産拠点を伴わないわけはなく、糸島や唐津までも奴国の胃袋を支える必要がある。

>山の有る糸島から西の松浦半島、唐津は微妙で、女王国では無いと判断する。

糸島は福岡の奥座敷のような位置付けで、王都として繁栄していた。
考古学的には金属器生産の最大級の拠点でもある。
唐津抜きでは、周旋できなくなる。

>西岸、五島や松浦ルートは、筑紫とは別の長崎、熊本側諸国の海路かと思う。

肥国だと言いたいのかな?
卑弥呼が肥国出身なら、邪馬台国は筑紫と肥国を合わせた範囲だろう。
その上で肥後狗奴国が反乱したとすると、福岡県長崎県佐賀県を邪馬台国として説明し得る。
ただし宗像以東は含まないと思う。

452 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 21:50:20.96 .net
倭国が対魏体制だったら、その後の厚遇は、あり得ない。
国内が落ち着かない状況では、半島情勢は静観するしかない。
それが結果としては帯方郡とのスムーズな交渉につながったと思われる。

453 :日本@名無史さん:2021/11/25(木) 10:00:37.43 .net
祇園山古墳が高良大社の麓にあることは、ほとんどの本州人は知らないので、困ったことですね(大和説の陰謀?!^^)。
まず、魏志倭人伝「女王国(九州)東渡海千里複有国皆倭種(本州)。又有侏儒国(四国)在其南、去女王(之所都)四千里」で、九州で決まり。
さらに「(女王国)其南有狗奴国(長官・狗古智卑狗=菊池彦)」ですから、邪馬台国七万戸は、菊地平野の北・筑紫平野しかないですね。
そして3世紀中頃の築造で、殉葬者66人が確認されている王墓は祇園山古墳しかなく、その尾根上にある筑紫国一之宮・高良大社で決まりです(おめでとうございます)!
ちなみに「不弥国から南水行二十日で投馬国に至る。さらに南水行十日陸行一月で邪馬台国に至る」は、「その道里を計るに、まさに会計東冶(帯方郡から12,000里)之東(沖縄と台湾の中間)にあるべし」と結論するために、陳寿が中国大陸側の行程を倭国に転用した忖度(嘘)とすると、投馬国五万戸(宮崎都万)も九州内に収まりますよ。
なんだか双六の「ふりだしに戻る」みたいですね( *´艸`)

454 :日本@名無史さん:2021/11/25(木) 10:22:51.26 .net
発掘されたのが2/3で66人分なので、全体では約100人分の陪葬があったらしいですよ。

455 :日本@名無史さん:2021/11/25(木) 10:31:14.07 .net
>>453
高良大社は、卑弥呼台与の王宮跡地に、阿毎多利思比孤が建てた(昨日の敵は今日の友)高句麗の大使公邸だったんジャマイカ?

456 :日本@名無史さん:2021/11/25(木) 12:22:22.86 .net
九州説と畿内説を比較してみた

末盧国・伊都国・奴国・不弥国(玄界灘沿岸)→投馬国(出雲)→→邪馬台国(大和)狗奴国(東海)…「南⤴東」畿内説×
邪馬台国(筑紫平野)___↓「南水行二十日」(帯方郡→建業)
狗奴国(菊池・熊本・八代)投馬国(宮崎平野)
熊襲(薩摩)〜〜〜〜〜〜〜〜↓「南水行十日」(建業→東治)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜↓「南陸行一月」(東治→東冶580q)
東冶の東〜〜〜〜〜〜〜〜〜邪馬台国(陳寿の嘘)

457 :日本@名無史さん:2021/11/25(木) 12:36:13.91 .net
>>453
帯方郡【女王国(九州)島】〜【女王国東渡海千里複有国(本州)皆倭種】
↓「南水行二十日」〜〜〜〜〜〜【又有侏儒国(四国)在其南↖去女王(之所都)四千里】
建業【投馬国島】宮崎・都万
↓「南水行十日」〜
東治┌▲奄美大島┐〜
↓〜│邪馬台国島│↓「南陸行一月」580q(≒19q×30日)
東冶│女王之所都│←「その道里を計るに、まさに会稽東冶(呉越国境&12,000里)の東にあるべし=陳寿の嘘」
↓〜│「狗奴国」│〜〜〜
↓〜│其余傍之国│〜〜〜
↓〜│遠絶・不可│〜〜〜
↓〜└─┐得詳┌┘〜〜〜
儋耳朱崖└─幻┘←「所有無與儋耳朱崖同(服装・産物・動物・武器)倭地温暖冬夏食生菜」

458 :日本@名無史さん:2021/11/25(木) 17:41:43.61 .net
23 男子 無大小 皆 黥面 文身 自古以來 其使 詣中國 皆自稱 大夫
24 夏后少康之子 封於會稽 斷髪文身 以避 蛟龍之害
25 今 倭 水人 好沉没 捕魚蛤 文身 亦以 厭大魚 水禽後稍 以為飾
26 諸國 文身 各異 或左 或右 或大 或小 尊卑 有差
27 計 其 道里 當在 會稽東治 之東

無駄に文節ごと引用したが、
会稽東治之東、は、正しく読むうえで、倭人伝、最難の課題w
陳寿は、倭が「会計東冶之東にあるべし」 なんて、まさかでも、書かないよ?

計る、という動詞について「其 」は何をさしているのかな? 
つまり「道里」は、何のどれだけの距離で、この距離に何の意味が合る?
この文節は倭人の刺青の話であって、「其 」が指示する、距離が必要なものがない。
倭国の場所は冒頭の、01 倭人 在 帶方 東南 大海之中 で終ってて、
當在 会稽東治の東、だけならこの部分に、この文がある意味が判らない。
会稽東治が、なんで帯方の南の倭の位置の基準になる? 
そんな文は、有り得ない。

陳寿の文章が、壊れているのである。
修正方法=23と24の間に、次の文が入る。
『又 自謂 太伯之後 衆聞 皆訝 以其 遠絶 (27 計 其 道里 當在 會稽東治 之東)』

計 其 道里 當在 會稽東治 之東
意訳=その遠絶な距離は、洛陽から会稽の距離で(海を渡る)ほどもある。
太伯の後、は陳寿の手によらないで、
三国志の覇者が、対戦国、呉の後裔との同盟を憚って削除したものだろう。

これも、思いつきの初出だがw
一度どっかのブログか何か? 漢文じゃ無かったと思う? 
で、倭人は太伯の後を自称したが、その倭人の上奏を聞いた皆が訝しんだ。
と、いうのを、読んだ気がするんだが、もはや見当たらない。
ご存知の方が有れば、教えて君 orz。

459 :日本@名無史さん:2021/11/25(木) 17:43:17.83 .net
23 男子 無大小 皆 黥面 文身 自古以來 其使 詣中國 皆自稱 大夫
24 夏后少康之子 封於會稽 斷髪文身 以避 蛟龍之害
25 今 倭 水人 好沉没 捕魚蛤 文身 亦以 厭大魚 水禽後稍 以為飾
26 諸國 文身 各異 或左 或右 或大 或小 尊卑 有差
27 計 其 道里 當在 會稽東治 之東

無駄に文節ごと引用したが、
会稽東治之東、は、正しく読むうえで、倭人伝、最難の課題w
陳寿は、倭が「会計東冶之東にあるべし」 なんて、まさかでも、書かないよ?

計る、という動詞について「其 」は何をさしているのかな? 
つまり「道里」は、何のどれだけの距離で、この距離に何の意味が合る?
この文節は倭人の刺青の話であって、「其 」が指示する、距離が必要なものがない。
倭国の場所は冒頭の、01 倭人 在 帶方 東南 大海之中 で終ってて、
當在 会稽東治の東、だけならこの部分に、この文がある意味が判らない。
会稽東治が、なんで帯方の南の倭の位置の基準になる? 
そんな文は、有り得ない。

陳寿の文章が、壊れているのである。
修正方法=23と24の間に、次の文が入る。
『又 自謂 太伯之後 衆聞 皆訝 以其 遠絶 (27 計 其 道里 當在 會稽東治 之東)』

計 其 道里 當在 會稽東治 之東
意訳=その遠絶な距離は、洛陽から会稽の距離で(海を渡る)ほどもある。
太伯の後、は陳寿の手によらないで、
三国志の覇者が、対戦国、呉の後裔との同盟を憚って削除したものだろう。

これも、思いつきの初出だがw
一度どっかのブログか何か? 漢文じゃ無かったと思う? 
で、倭人は太伯の後を自称したが、その倭人の上奏を聞いた皆が訝しんだ。
と、いうのを、読んだ気がするんだが、もはや見当たらない。
ご存知の方が有れば、教えて君 orz。

460 :日本@名無史さん:2021/11/25(木) 18:26:43.23 .net
そう言えば関係ないけど、呉王夫差や越王勾践の辺の記述を読むと
古代の王は滅亡間際になると銅の原産地を拠点に武器や財物を生産しながら戦ってた感じがするな。会稽山も銅か鉄の鉱脈の露頭がある鉱山でしょ 今は観光のための山みたいだけどすごい聖山だったんだろうね

461 :日本@名無史さん:2021/11/25(木) 18:59:19.01 .net
揚子江から直接渡来は
縄文から弥生遺伝子変異の要だけど?

三国志ではそもそも半島にも倭人国は混在する。
日本人の信仰する水稲耕作は、半島から割ったって来たのかな?

まあ、壱岐、菜畑と、オクキョン??? 
縄文遺伝子の消滅? あんまり、関係ないね?
消滅じゃなくて、混血だろ?

縄文〜弥生の時間で、
米ができない諏訪人に100%の遺伝子変化は可能なのか?
そもそも遺伝で100%だった、縄文人は何故、100%で存続してない?

縄文弥生の変異も、伝染病ウイルスが、
基本だと、思うよ。

コロナに、日本人は免疫有ったよ? 
って、おかしいだろ?

コロナ実験の場合、世界には無い、
縄文混血の弥生人は、生き残るんじゃね?

所詮、兵器だからw これ言っちゃったら、
中凶は改良できるんだろ?

倭人伝時代以上には、
開国したくないね。

462 :日本@名無史さん:2021/11/25(木) 19:01:47.81 .net
揚子江から直接渡来は
縄文から弥生遺伝子変異の要だけど?

三国志ではそもそも半島にも倭人国は混在する。
日本人の信仰する水稲耕作は、半島から割ったって来たのかな?

まあ、壱岐、菜畑と、オクキョン??? 
縄文遺伝子の消滅? あんまり、関係ないね?
消滅じゃなくて、混血だろ?

縄文〜弥生の時間で、
米ができない諏訪人に100%の遺伝子変化は可能なのか?
そもそも遺伝で100%だった、縄文人は何故、100%で存続してない?

縄文弥生の変異も、伝染病ウイルスが、
基本だと、思うよ。

コロナに、日本人は免疫有ったよ? 
って、おかしいだろ?

コロナ実験の場合、世界には無い、
縄文混血の弥生人は、生き残るんじゃね?

所詮、兵器だからw これ言っちゃったら、
中凶は改良できるんだろ?

倭人伝時代以上には、
開国したくないね。

463 :日本@名無史さん:2021/11/25(木) 20:57:51.06 .net
>>460
九州だと香春岳とかがそうかな。

464 :日本@名無史さん:2021/11/26(金) 17:13:58.46 .net
なんか、二重投稿や誤爆やら? 
多分、時間かけた長文のせい、なのかな?

プヨヨンスレでは、今日は大丈夫だったみたい。
ご迷惑おかけして、すみませんでした。
TES だけどw

465 :日本@名無史さん:2021/11/26(金) 18:55:52.84 .net
九州説の決定版、邪馬台国論争の終焉
【ゆっくり解説】邪馬台国その1
https://www.youtube.com/watch?v=BxCJIR-J0Ug&;t=414s
【ゆっくり解説】邪馬台国 その2
https://www.youtube.com/watch?v=rKbL7sI-gFw&;t=23s
【ゆっくり解説】邪馬台国 その3
https://www.youtube.com/watch?v=qdoPwUPZuEU&;t=293s
【ゆっくり解説】邪馬台国その 4
https://www.youtube.com/watch?v=9-A8CAFv458&;t=165s
【ゆっくり解説】邪馬台国 その5
https://www.youtube.com/watch?v=F46GPHgTWVA&;t=401s

466 :日本@名無史さん:2021/11/27(土) 18:48:33.41 .net
238年 卑弥呼「親魏倭王」金印
    難升米「率善中郎將」銀印 都市牛利「率善校尉」銀印
243年 伊聲耆掖邪拘「率善中郎將」銀印

245年 
濊が高句麗に属したため、楽浪太守・劉茂と、帯方太守・弓遵がこれを討ち、
濊は魏に降伏した。

次いで韓が反乱したため、
同じく、楽浪太守・劉茂と、帯方太守・弓遵が、これを討ったが、
弓遵は戦死した。

245年6月 難升米に黄幢を賜う。

246年6月 韓滅亡

>馬韓の官には、魏率善、邑君、などなどがあるが、
>韓の臣智に与えられたのは、邑君であり、次が邑長とある。

苦戦した魏が、黄幢をあげるからと難升米に援軍を要請して、
伊聲耆掖邪拘が出陣して魏の勝利に貢献し、
魏率善として、馬韓に領土を得た。

後の百済であり、キナイコシが全力で九州説を妨害する核心的理由である。

467 :日本@名無史さん:2021/11/28(日) 18:54:07.87 .net
245年6月 難升米に黄幢を賜う。
246年6月 韓王朝廃絶

参戦要請は、普通、意味不明の黄幢ではなく、檄だけどね。
魏王が西に侵攻の前に、韓制圧で卑弥呼ではなく
中国三国志への参戦を難升米将軍に判断を委ねたというのは
卑弥呼が、ただの引き籠りの筑紫女王? 
ってのを、知ってたから? 

初めからそうかいてある、けどw

古代日本王朝の真実?
こんな、大和朝廷の女王は居ないんだよ?

468 :日本@名無史さん:2021/11/28(日) 20:17:50.85 .net
越前出身の継体天皇は邪馬台国後継者
邪馬台国の中心は越前だった

469 :日本@名無史さん:2021/11/29(月) 16:46:40.83 .net
隅田八幡神社 人物画像鏡 銘文

癸未年八月 日十大王年 男弟王 在 意柴沙加 宮 時
斯麻 念 長寿 遣 辟中 費直 穢人 今州利 二人等 取白上同 二百旱 作 此竟

意訳
503年8月 日本の大王をヲホド(継体)が継承し押坂宮に在った時に、
百済候王、斯麻は、大王の時世の長寿を念じ、辟中の費直と穢人今州利を使いで送り
上質の銅二百旱で作った鏡を朝貢す。

百済建国時より、百済人はその地を日本の前線の中、辟中と言った。
百済王は、王子を日本に派遣し養育する習わしで、
日本の進駐軍から辟中の費直が侍官として、宮廷に付いていた。
百済では日本本土のことは、ひのもと日下と言い、大王への卑字を避け、日十と記した。

で、502年は、雄略=倭王武の最後の遣使の年。
この503年の即位で継体は雄略の父、允恭の皇后の押坂宮に住んだ。

後宮の性治は不明だがw 雄略または允恭の王子だったというのが事実だろ?
物部朝から蘇我朝への変節時の、記紀が何を消しているのかは、判らない。

継体のこの親百済武寧王政策? 独立容認? 
によって任那四県割譲〜蘇我朝の仏教公伝に繋がる。

470 :日本@名無史さん:2021/11/29(月) 19:24:13.08 .net
>>468

馬鹿も休み休み言え。
越は出雲に押されて東へ流れされた勢力。
出雲も筑紫に押されて東に流された勢力。
倭国の歴史は博多の椅子取りゲームで、博多を制した者が倭王を名乗った。

471 :日本@名無史さん:2021/11/29(月) 19:34:45.95 .net
>>470
出雲と越は日本海ルートの雄で
青谷とか四隅方墳とか? 対立か競合か? 
は、不明じゃね?

倭人伝を正しく読むのスレだっけ?
倭人伝に日本海ルート諸国は、

一大率をどう扱うか?
以外では出てこないよ?

472 :日本@名無史さん:2021/11/30(火) 16:12:23.47 .net
ふむ、スレ違いであったか。
越を持ち出したのは私ではないが、脱線には違いない。

473 :日本@名無史さん:2021/11/30(火) 20:03:58.72 .net
古代氏族については、
ときどき姓氏録などに
詳しい先生からご指摘をいただいた。

感謝の限りなんだが、
記紀を逸脱する歴史の真実には
何故か、到達できない。

半島史には、日韓併合の忖度は無視で
本当のことは、金石文根拠で言ってしまった。

出雲と丹後と越、
日本海ルートに朝廷の起源は有るし
吉備、摂津、阿波路、近江の
瀬戸内海勢力も、はずせない。

これって、古代の皇室を構成した
氏族なんだけど? つまり、何?

474 :日本@名無史さん:2021/12/06(月) 09:00:34.80 .net
あ、これが九州説の本スレ?

475 :日本@名無史さん:2021/12/06(月) 21:12:29.64 .net
誰かが言ったように、九州説で実質決まったようなもんでしょ。
畿内説は、倭人伝の記述からも現実味がない。
考古学の世界では畿内説が強いらしいが、
おれが見る限り纏向とかの出土品をこじつけてるだけのようにしか見えない。
つくづく専門馬鹿の世界w

ただ、九州説の中でも、
問題は場所がわからない国々の位置特定でしょ。
それによって女王の居た場所も変わるわけで。

476 :日本@名無史さん:2021/12/07(火) 08:24:37.48 .net
王都たる遺跡は福岡県西北部しかない。
しかも3世紀の女王墓である平原遺跡が決定打。

477 :日本@名無史さん:2021/12/07(火) 08:43:48.52 .net
>>476
>王都たる遺跡は福岡県西北部しかない。

王都たる遺跡は福岡県西北部にない。   @阿波

478 :日本@名無史さん:2021/12/07(火) 09:03:09.08 .net
畿内説は要するに出土品から列島最強勢力っぽいのが畿内だからと言うのが根拠なので説得力ないんだよね
邪馬台国が日本唯一の政府であるはずという根拠のない思い込み

479 :日本@名無史さん:2021/12/07(火) 10:18:20.93 .net
>>478
>畿内説は要するに出土品から列島最強勢力っぽいのが畿内

どこがや? お前は畿内説の回し者か?   @阿波

480 :太国 :2021/12/07(火) 10:26:10.38 .net
紀無い説以上のデンパ説が阿電波説wwwww

481 :日本@名無史さん:2021/12/07(火) 17:52:40.38 .net
>>476
北部九州地域全体が邪馬台国だね
魏志倭人伝の都は動詞だかた首都の所って意味じゃなくて統べる所って意味だね

482 :日本@名無史さん:2021/12/07(火) 17:55:08.74 .net
>>475
学閥の利権争いだね
畿内説は学問じゃなくて宗教になってるね

女王の居た場所は糸島市南東部で決まりですよ。

483 :日本@名無史さん:2021/12/07(火) 18:47:12.91 .net
考古学で見たって、200年にはまだ筑紫は
日本の本州統一王朝に参加してないだろ?

邪馬台国論争の畿内説は、日本神道信者が
記紀を基準にして、統一王朝がどこにあったか。
を 言ってるだけ。

神武の統一王朝を信じてしまうから、
本居宣長も新井白石も、
卑弥呼は九州の王を騙った詐欺師と言っている。

しかし現代では、神武も神功皇后も同時代なのでは?
と言うレベルまで、事実に近づいてきた。

学者が倭人伝を正しく読めるなら240年後半の一大率から、
筑紫勢力は大和朝廷に加わっている。

伊都の一大卒の場所は、博多の西麓で
概ね決まってんじゃないのかね?

本州の古墳時代の銅鏡文化って
この九州参加の後だろ?

日本海ルートとは、九州交流も有ったみたいだけど
地方領主に対する中国始皇帝的な軍事統一なんてのは
日本じゃ、信長〜家康でも、出来てないんだが?
記紀って、ラノベだぞw

なんで、考古学者が
馬も無い時代の軍事統一が有ると思うんだ?

484 :日本@名無史さん:2021/12/07(火) 19:13:16.06 .net
邪馬台国論争の畿内説は、日本神道信者が、250年の記紀を基準にして、
日本列島の、統一王朝がどこにあったか? を言ってるだけ。

神話以降の、神武の統一王朝を信じてしまうから、
本居宣長も新井白石も、卑弥呼は九州の王を騙った詐欺師だと言っている。

江戸時代の諸藩は徳川に軍事制圧されたのではなく
協力したのが譜代で、戦ったのが外様だろ?

で、明治以前の藩主は、
みんな記紀によって、源平以来の日本神道の神の子なんだよ。

日本人は、みんな皇族w 豪族?
? 縄文遺伝子を持っている。

485 :日本@名無史さん:2021/12/07(火) 20:18:00.78 .net
>>478
いやいや、考古学的に畿内にそれほどの勢力がいたということさえ証明されていない。
圧倒的な繁栄は九州北部ですよ。
結局、畿内説の連中は、「神武が大和に即位した」という記紀の一文から離れられない妄想集団ですよ。

486 :日本@名無史さん:2021/12/07(火) 20:46:41.50 .net
>>485
>圧倒的な繁栄は九州北部ですよ。

碌な弥生集落遺跡や鍛冶炉遺構の無い九州に、「邪馬臺国」など興る訳がない。  なにを考えているんだか。   @阿波   

487 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 20:06:25.07 .net
>>486
>碌な弥生集落遺跡や…

吉野ヶ里がある時点でその言葉は死んでいるw

488 :日本@名無史さん:2021/12/08(水) 20:12:22.17 .net
>>487
その吉野ヶ里遺跡が、ろくでもない遺跡というんだ。   

それと、吉野ヶ里遺跡ぐらいしか挙げる遺跡が無いというお粗末さ。  お話にならん。   @阿波

489 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 19:16:51.68 .net
>>488
福岡県
平原遺跡(糸島市)
三雲南小路遺跡(糸島市)
板付遺跡(福岡市)
野方遺跡(福岡市)
須玖岡本遺跡(春日市)
今宿五郎江・大塚遺跡(福岡市)
佐賀県
吉野ヶ里遺跡(吉野ヶ里町)
千塔山遺跡(基山町)
七ヶ瀬遺跡(佐賀市)
長崎県
原の辻遺跡(壱岐市)
里田原遺跡(平戸市)
富の原遺跡(大村市)
寄神貝塚
カラカミ遺跡(壱岐市)
車出遺跡(壱岐市)
熊本県
方保田東原遺跡(山鹿市)
小野崎遺跡(菊池市)
うてな遺跡(菊池市)
大分県
安国寺集落遺跡(国東市)

490 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 19:26:10.63 .net
うてな遺跡
臺遺跡と書くのね

491 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 19:29:10.10 .net
>>490
おお、邪馬台国決定だ!

492 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 19:30:51.67 .net
鞠智城の麓か
しかも2世紀の古銭まで出てるじゃんw

493 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 20:01:44.61 .net
臺遺跡の報告書
211ページにこっそり「貨泉」のひとりごとw

494 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 20:38:04.45 .net
それ、邪馬台国じょなく狗奴国では?

495 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 20:45:30.33 .net
そのへんの区別は古代では曖昧だったのよ
直前まで指導者自体が共立だったり
卑弥弓呼って名前も親戚っぽいし

496 :日本@名無史さん:2021/12/09(木) 20:47:11.28 .net
熊本説スレがないと思ったらここだったのか

博多湾岸 (奴国二万)
↓南
投馬国 (五万)
↓南
邪馬台国 (七万)

この倭人伝の基本モデルが合致するのは九州の平野部を見ると熊本だけだもんな

497 :日本@名無史さん:2021/12/11(土) 12:12:24.88 .net
>>494
>>4を見るとうてな遺跡あたりはまだ邪馬台国側のようだ

498 :日本@名無史さん:2021/12/12(日) 14:24:10.64 .net
熊本の北側1/3くらいまでが邪馬台国か

499 :日本@名無史さん:2021/12/12(日) 20:54:42.13 .net
>>498
その南側が ”狗古智卑狗” を擁する 狗奴国だね。

500 :日本@名無史さん:2021/12/12(日) 21:19:58.62 .net
>>499
碌な弥生集落遺跡や鍛冶炉遺構の無い熊本に、「邪馬臺国」や「狗奴国」など興る訳がない。  なにを考えているんだか。   @阿波   

501 :日本@名無史さん:2021/12/13(月) 16:26:59.35 .net
>>499
そうなると狗古智卑狗=菊池彦の領地だった菊池とは
現在の菊池市ではなくもっと南の熊本県菊池郡の方かな
https://i.imgur.com/NAKDb3l.jpg

502 :日本@名無史さん:2021/12/13(月) 18:22:05.74 .net
何言ってんだ?

狗古智卑狗
名のれば、狗国の古智、で、卑狗は狗国の家臣だろ?
狗奴国と言うのは、狗国にも領主名の奴国が有ったんじゃないのかね?

【倭人伝の固有名詞】
投馬/彌彌 彌彌那利  彌国の彌 なら王だろ?
邪馬壹/伊支馬 彌馬升 彌馬獲支 奴佳鞮  
=壱岐の馬。 彌馬=邪馬国の升、獲支、奴国の佳鞮

狗奴/狗古智卑狗 ↑

【属女王倭人国の王名】 
奴王/(難)升米
都支王/(都市)牛利
巳百支王/(伊聲耆)掖邪狗

狗奴王/卑弥弓呼

・梯儁の 漢語化当て字 による国名
斯馬國 巳百支國 伊邪國 都支國
彌奴國 好古都國 不呼國 姐奴國 對蘇國 蘇奴國 呼邑國
華奴蘇奴國 鬼國 為吾國 鬼奴國 邪馬國 邪馬壹國 狗奴國
躬臣國 巴利國 支惟國 烏奴國 奴國 狗邪韓國

末盧、伊都、躬臣は表意文字? 巳百支、好古都は扶余系外来語の可能性。
邪馬壹国 も 金印紫綬時の王宮を見た中国人 梯儁の命名だが
邪馬 は倭人国の音に同じ、壹 は王宮の楼閣の表意文字
邪馬国 にある王の 臺 であると考える。

503 :日本@名無史さん:2021/12/13(月) 20:52:15.49 .net
>>501
菊池城はどっちにあるの?
そっちだと思う。

504 :日本@名無史さん:2021/12/14(火) 01:03:34.81 .net
>>502
狗古智卑狗は中国人がキクチヒコに音を当てただけ
字義を考えるのは無意味

505 :日本@名無史さん:2021/12/14(火) 05:57:51.26 .net
>卑弥呼=天照だとしてなんで中国のやつらは天照の名を知らなかったのや?

知っていた。  「卑彌呼」=大日孁女命こと天照大神。
「日孁女命」(ひるめみこと)→(ひ・め・こ)   
中国人にはそう聞こえたんだろうて。  わははははは   @阿波

506 :日本@名無史さん:2021/12/14(火) 06:02:19.66 .net
その場合卑弥弓呼はどうなるの

507 :日本@名無史さん:2021/12/14(火) 06:25:06.46 .net
>>506
卑弥弓呼の情報がなくて分らん。   @阿波

508 :日本@名無史さん:2021/12/23(木) 07:36:41.50 .net
倭奴国は奴国のことじゃなく同じ刺青の風習を持つ匈奴を念頭に蔑みを含ませた倭国への呼称という説は説得力があった

あとクナとクマはあまり似ていない
後漢書では東方にも狗奴国があった
狗奴国はこれも地名じゃなく倭国と後ろ楯になってる支那にとって忌まわしい勢力の呼称だろう

匈奴、倭奴、狗奴は似たような命名感覚でつけられたもので必ずしも地名に直結するものじゃない

509 :日本@名無史さん:2022/01/05(水) 20:36:46.08 .net
あほか
異民族の言葉なんだから音写に決まってる
意味を汲み取るなら漢訳しちゃうぞ

510 :日本@名無史さん:2022/01/13(木) 23:12:31.05 .net
>何が言いたいかと言うと、倭人伝の奴国の東.百里に不彌国ふみ国ありの
>フミは現代仮名遣いで「フ」が「ウ」に変化し
>福岡県糟屋郡宇美川の宇美国で正しいだろう。

間違いやすい歴史的仮名遣い一覧表
http://www.hiiragi-hp.jp/kana/kana.html
現代仮名遣い      古文・歴史的仮名遣い
会う合う〔会い 会え〕  会ふ 合ふ 〔会ひ 会へ〕
祝う 〔祝い 祝え〕   祝ふ 〔祝ひ 祝へ〕
追う負う〔追い 追え〕  追ふ 負ふ 〔追ひ 追へ〕
買う 〔買い 買え〕   買ふ 〔買ひ 買へ〕
競う 〔競い 競え〕   競ふ 〔競ひ 競へ〕
てふ→ちょう  てふてふ蝶々
けふ→きょう 今日

511 :日本@名無史さん:2022/01/13(木) 23:49:25.30 .net
>私も九州説ファンなんだけど、これを見ると
>案外、記紀の記録は正確なんではと最近感じる
>となると卑弥呼はやはり記紀にある百襲媛かな??

邪馬壱国に至る。女王の都とする所の官に
伊支馬イクメ=後の11代垂仁天皇となる陵墓は奈良生駒よりの西大寺近く
   伊久米伊理毘古伊佐知命(いくめいりびこいさちのみこと)『古事記』
   活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと)『日本書紀』
彌馬升=10代崇神天皇、の御間城ミマキ王族?だろう
彌馬獲支ミマワカ=御間城の王子?
奴佳鞮ヌカタ =後世の額田の大君の額田氏(生駒山南部が本貫地)

512 :日本@名無史さん:2022/01/14(金) 00:12:38.54 .net
不思議なことに漢書韓伝には「卑弥国」「不弥国」「彌烏耶馬ミワヤマ国」や
ヒナモリ(卑奴母離)の省略と思える〇〇卑離の国名が可なり出て来る

ヒナモリ(卑奴母離、比奈毛里、鄙守、比奈守、夷守)は、
3世紀から4世紀頃の日本の邪馬台国の国境を守備する軍事的長の名称。

と、言う事は博多湾沿いの国々に副官卑奴母離が居る、中心ではなく国境の意味になる
卑弥呼時代には大倭やまと勢力がすでに九州北部を統治してて
後世の史実に南部勢力「熊襲」との戦いが記紀には多く書かれてる。

513 :日本@名無史さん:2022/01/14(金) 00:42:40.76 .net
記紀神話などに良くでてくる宇佐、宇佐嶋、などは
御笠川辺りを中心北向きで右手が右佐ウサの島(縄張りの意味で)で左手側が左佐ササ島
左佐島の左端には佐々川(佐々町)があって鎌倉ころの行政単位「保」がついて佐世保。
右佐島の右端には宇佐がある、「佐」は助ける補佐するの意味。

だから神武東征の筑紫の日向ヒムカ(西区早良平野)を出発し
宇佐に立ち寄りは今の宇佐神宮じゃなく右佐島(博多湾東部)の事では??
速吸の戸とは博多湾の出入口、能古島辺り満ち引きで可なりの海流がある。

514 :日本@名無史さん:2022/01/14(金) 16:22:54.03 .net
>古代史関連では余り話題に上らないが、
>百襲媛命に関しては讃岐国(香川県)に詳細な伝承地が多い、吉備津彦との関係か?。

倭迹迹日百襲媛命(卑弥呼)
彦五十狭芹彦命(吉備津彦命)の姉神として扱われるため、
旧吉備国の周辺地域(主には備前国・備中国・備後国・讃岐国)に
根強い吉備津彦信仰において女性の守護者ないしは水神として祀られる事が多い。
特に讃岐国一宮である田村神社では地域の水神と習合し、主祭神として扱われている。
http://mb1527.thick.jp/momosohime.html

515 :日本@名無史さん:2022/01/14(金) 19:36:10.86 .net
>>512
>ヒナモリ(卑奴母離、比奈毛里、鄙守、比奈守、夷守)は、
>3世紀から4世紀頃の日本の邪馬台国の国境を守備する軍事的長の名称。

後世において辺境とされただけで、実は首都防衛だったのかもよ。
太宰府が九州の地方行政府ではなく、筑紫倭国の中央行政府だったように。

516 :日本@名無史さん:2022/01/14(金) 19:37:10.48 .net
後漢書における邪馬台国までの里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(倭国のことだが、ここではその王都がある邪馬台国を指すと考えられる)から一万二千里である。
その西北界(倭国の西北の国境)である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の南界を極める。

魏略逸文における里程
帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里。

魏志倭人伝の邪馬台国までの里程
帯方郡(朝鮮北部)から狗邪韓国(朝鮮半島南岸)まで七千里、女王国まで一万二千里。
対馬海峡が三千里であり、帯方郡から九州上陸までで一万里となるので、邪馬台国の位置は九州北部になる。

魏志倭人伝の邪馬台国までの日程
帯方郡から邪馬台国(福岡県)まで水行10日、陸行1月(1日の誤りか)
また、帯方郡から投馬国(宮崎県)までは水行20日

517 :日本@名無史さん:2022/01/14(金) 19:40:50.62 .net
吉武高木遺跡から始まる多数の王墓、玄界灘沿岸の稲作文化、金印や八咫の鏡をはじめとする王権を示す威信材の数々について、畿内説は何も説明することができない。

最初の王墓として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、須玖岡本遺跡(紀元前1〜1世紀)があり、
高祖山をはさんだ西側の糸島平野に三雲南小路遺跡(1世紀頃の王・王妃墓)、井原鑓溝遺跡(紀元1〜2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2〜3世紀の女王墓)がある。
これらの遺跡からは、皇位の象徴とされる三種の神器と同じ剣、鏡、玉があわせて出土する。
倭国王権の起源は稲作伝来と弥生文化発祥の地である博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。

邪馬台国は、魏志伝倭人だけではなく、後漢書などもあわせて理解しなくてはいけない。
西暦57年に博多湾沿岸の倭王が漢委奴国王印をもらい、107年に倭王帥升も朝貢しているが、190年頃とされる卑弥呼の即位までの短い期間に領土が100倍以上に拡大して、倭が大和に東遷でもしたのだろうか?
魏志倭人伝にも後漢書にも、倭が東遷したとはまったく書かれていないし、考古学的な裏づけもまったくない。
金印をもって倭国の代表に冊封された王たちは、博多湾沿岸にいた。
それには卑弥呼も含まれる。

518 :日本@名無史さん:2022/01/14(金) 20:45:44.28 .net
百襲媛の弟、吉備津彦命は崇神天皇から西道将軍に任ぜられており
岡山の備讃地域から西部の統治権は吉備氏に一任されてたと思う

淡路出身の倭国香姫、母子百襲媛が幼女7才から成人するまでの伝承が讃岐には多く
成人してからは出雲方面での活躍伝承などがあり九州も吉備氏西道将軍の統治範囲、
成人した百襲媛が女副将軍として宇佐や伊都、吉野ヶ里に赴任しても可笑しくない。

519 :日本@名無史さん:2022/01/14(金) 21:01:33.83 .net
百襲媛はあまりにも強硬な狗奴国(熊襲)攻めをし、名のしれた姫だったのかも
のちの人が(百)多くの熊襲を(襲)う姫で百襲姫とはピッタリの名付け。

520 :日本@名無史さん:2022/01/14(金) 21:15:42.52 .net
なお、岡山の倉敷の周りには鞆トモ、玉島、玉野と言った地名があり
「投馬国」とは今の倉敷、岡山平野辺りにあったのではと思う、5万戸の民家も
宇佐から岡山でちょうど水行20日、岡山から奈良まで水行10日又は陸行1か月で
丁度会う、宇佐地域はもともと吉備一族の管理地。

邪馬台国は南方と言うのは卑弥呼ヤマト軍の前線基地が吉野ヶ里や八女市辺りに
有ったので山門郡の地名が後世まで残ったのだろう。

521 :日本@名無史さん:2022/01/14(金) 21:44:48.25 .net
倭人伝に伊都国には代々、王ありと書かれており、みな女王国に従属していると。

倭の王と名付けられたのは、邪馬台国の女王と倭の面土王帥升の3名だけ

すると狗奴国の王、卑弥弓呼はもと伊都国の王族の可能性があり
邪馬台国の女王卑弥呼に追い出された?  いわゆる九州王朝の王族
大倭ヤマト連合に加わるのを拒否反抗し熊襲に亡命した孤軍の王となる。

522 :日本@名無史さん:2022/01/14(金) 22:09:13.54 .net
卑弥呼とか卑弥弓呼の「卑ヒ」は「日、火、肥」の意味で
火の国熊本とか肥前肥後の肥の国、そして太陽神の日

九州でイザナミの国生み神話に筑紫島の神、
白日別、豊日別、建日向日豊久士比泥別、建日別とあり
肥の国に建日向日豊久士比泥別と九州島の中心となる神が居たんだろう

いわゆる九州王朝の王、卑弥弓呼で卑弥呼とは御家内乱になった同族かも。
まるで菊池一族の「二階崩れの変」のような骨肉の争い??

523 :日本@名無史さん:2022/01/14(金) 22:19:25.77 .net
>>521
>すると狗奴国の王、卑弥弓呼はもと伊都国の王族の可能性があり

倭とは、博多湾を中心とする筑紫、肥国、豊国だと考えればいいよ。

524 :日本@名無史さん:2022/01/14(金) 22:23:08.32 .net
倭国は筑紫を中心に、肥国、豊国、海を渡り出雲、越などから構成される連合国家である。
一時期は出雲が覇権を掌握したが、国譲り以降は筑紫が復権したというのが記紀の内容。
中国との交易は一貫して筑紫が独占していたことが、三雲南小路遺跡や平原遺跡などの豪華な出土品から考古学的に明白である。
博多湾沿岸に稲作が上陸し、初期の倭国王権が成立した。
イザナギが矛(武力)で獲得したはじめの領土は能古島(おのころ島)であり、イザナミと別れてから禊をしたのが、筑紫の日向の小戸(現在の小戸公園)とされている。

筑紫の特に玄界灘周辺の勢力は、対馬海峡の権益を独占して力をつけ、海人の国、天津国と呼ばれ、その王族は天津神(アマツカミ)として九州や本州の王族である国津神と区別された。
博多湾以外で海人族の勢力の中心にあったのが、宗像氏族が聖地としていた沖ノ島であり、その磐座信仰がおそらくは高天原(タカアマハラ=祖なる海の城)の天照(アマテラス=海を支配する王)に対する祭だろう。
宗像氏族が支援したのが高天原から筑紫への天孫降臨であり、降臨先が筑紫の日向(博多湾沿岸)とされている。
降臨した天孫ニニギが大山積から娶った姫が木花咲耶姫(細石神社)であり、天孫の息子である彦火々出見(山幸彦)を祭る宮が高祖宮である。
しかし記紀によると天孫族による筑紫の支配は三代で終わったとされている。
四代目の彦火々出見は筑紫の日向の高千穂宮を出て大和へ移り、後に神武と呼ばれた。

卑弥呼は肥国の山門の出身で、それまでの伊都国王統を継承するために都である伊都に行き、倭国全体を統治したのだろう。
特に敵対的だった伊都より北の国々(狭義の倭国=天津国)には一人の大率を任命して監視した。
しかしそれは卑弥呼が筑紫の王のようになってしまうこととなり、肥後狗奴国の王と肥国の家督争いを招いたのかもしれない。
後に山門は有明海に向かって拡大する筑紫に飲み込まれて筑後となる。
これにより肥国は肥前と肥後に分裂する。
卑弥呼は死後に都の平原遺跡に葬られた。

525 :日本@名無史さん:2022/01/14(金) 22:25:49.99 .net
>>521
時代は遡るけど肝心の「倭の奴国王」が抜けてたな
AD57年の「倭の奴国王」の子孫がAD107年ころの倭の面土王帥升や
AD200年ころの卑弥弓呼、卑弥呼なのかも??

526 :日本@名無史さん:2022/01/14(金) 22:35:10.91 .net
【肥国】

倭国は筑紫を中心に、肥国、豊国、海を渡り出雲、越などから構成される連合国家である。
瀬戸内、畿内、東海はまだ開拓の途上であり、関東や東北は蝦夷の地であった。
筑紫の王族は天津神として他の王族である国津神と区別された。
国津神には豊国王家、肥国王家、出雲王家などがあった。
その中でも、免田式土器に代表される阿蘇の東西にまたがる倭人の勢力が、狗奴国や熊襲、肥国であり、年代や立場により呼称が変化したのたろう。

筑紫が博多湾沿岸国家なら、肥国は有明海沿岸国家である。
もともとは有明海沿岸はすべて肥国だったが、筑紫が筑後川流域を吸収して有明海に進出すると、肥国は肥前(佐賀県)と肥後(熊本県)に分断された。

肥国王家の別称が熊襲であり、本貫地は熊本が想定される。
肥前も肥後も筑紫とはやや縁が遠く、その王家は記紀にあまり名前を残していない。
ヤマトタケルに殺された熊襲タケルの墓は肥前川上大願寺にあるという。これは肥国と熊襲は同じだということになる。
ここにある肥前国一宮の河上神社(與止日女神社)の祭神は、壹與に比定できる淀姫である。
ならば肥前佐賀も卑弥呼の領土であったはずであり、南の肥後熊本の狗奴国の王であった卑弥弓呼との対立は家督争いだったのだろう。魏志倭人伝に卑弥弓呼とはもとより不和とある。
卑弥呼、卑弥弓呼、壹與、熊襲タケル、田油津姫らはいずれも肥国王家の人物であり、倭国王となる資格を持っていたが、最終的に天皇家につながる筑紫日向の天孫族である伊都国王家との関係は良好ではなかったため、記紀には卑弥呼の名が記載されていないのかもしれない。
熊襲征伐、田油津姫征伐は、倭国の内乱を筑紫の天孫族から見たものであったと考えることができる。

527 :日本@名無史さん:2022/01/14(金) 22:40:14.08 .net
>>525

博多湾沿岸を制した者が倭王であり、その王統は一つではないだろう。
記紀には何度も筑紫の支配者が交代したことが記録されている。

528 :日本@名無史さん:2022/01/14(金) 22:42:13.32 .net
大足彦忍代別(景行天皇)が海路で九州に入るとき、筑紫の魁帥である神夏磯媛の出迎えを受け、かわりに朝敵である土蜘蛛を討伐することを求められた。
このとき、神夏磯媛は榊に八握剣、八咫鏡、八尺瓊を掛けて神威を示している。
これは倭国の皇位を象徴する三種の神器そのものである。
日本書紀は神夏磯媛と大足彦のどちらの立場が上であったかぼかしてあるのであるが、
神夏磯媛が筑紫を支配して三種の神器を保有していたのであるから、神夏磯媛こそが当時の筑紫倭国の女王であり、アマテラスやニニギ、卑弥呼の後継者であったと考えられる。
その尊号には筑紫の支配者を意味する帥(そち)の字が使われている。
神夏磯媛は朝廷にまつろわぬ者として、
菟狭(うさ、豊前国宇佐郡、大分県宇佐市)の川上の鼻垂(はなたり)、
御木(みけ、豊前国三毛郡、大分県中津市)の川上の耳垂(みみたり)、
高羽(たかは、豊前国田河郡、福岡県田川市)の川上の麻剥(あさはぎ)、
緑野(みどりの、福岡県北九州市紫川)の川上の土折猪折(つちおりいおり)
を挙げて討伐するように求めるが、いずれも卑弥呼時代の倭国連合の範囲の辺縁部である。
耳垂の名は、魏志倭人伝において投馬国の官と副官である彌彌(みみ)と彌彌那利(みみたり)とも同じである。
大足彦より前とされる神武東征の折にはすでに菟狭の川上には後の宇佐国造家の祖である菟狭津彦と菟狭津媛がいたことになっている。
すなわちこの戦いは異国や異民族との戦いではなく、倭国内部の権力闘争であり、筑紫の女王である神夏磯媛にしてみれば分家(ワケ)である大足彦忍代別の兵力を借りて国内にいる政敵を倒したことになり、
神夏磯媛が言う朝廷は大足彦ではなく、筑紫に都した自らの倭国王権を指していたことになる。

529 :日本@名無史さん:2022/01/14(金) 22:44:06.18 .net
日本書紀の記述からは、畿内だけではなくなぜか九州北部の各地に宮家があり、それぞれが三種の神器を持っていたことになっている。
その中でも、神夏磯姫の三種の神器の鏡は八咫の鏡と明記されている。
その年代は推定で4世紀の初めであり、3世紀中頃の卑弥呼崩御からほんの半世紀しか経っていない。
伊都平原の八咫の鏡が作られたのが3世紀初めと推定される。
神夏磯姫が卑弥呼や壹與の後継者だった可能性は高い。

もう一つの興味深い点は、記紀において神武は三種の神器を筑紫から持ち出していないこと。
三種の神器は神武の曽祖父のニニギが筑紫に持ち込んだものだが、大和で神武と饒速日が会談したとき、互いの身の証としては天羽羽矢を示している。
つまりその時点ではまだ三種の神器は筑紫にあったことになる。

神夏磯姫は日本書紀で筑紫の梟師(タケル)と書かれている。
これは筑紫で一番偉いまたは強いという意味だが、筑紫大宰の帥や倭王帥升にも通じる名前である。
そして帥は率とも書けるので、伊都の大率にも通じるのである。
それは九州倭国の支配者の称号に他ならない。
神夏磯姫を助けて戦った景行天皇の諡は、分家を意味する忍代別。
本家はもちろん、八咫の鏡を持つ筑紫大宰の帥である神夏磯姫。

530 :日本@名無史さん:2022/01/15(土) 14:36:47.66 .net
このスレのテンプレを見たら九州以外はあり得ない事がよく分かるな

531 :日本@名無史さん:2022/01/19(水) 21:09:28.09 .net
神夏磯媛は12代景行天皇の時代で、卑弥呼時代より100年弱の後の時代

それに三種の神器はニニギの天孫降臨伝説地
早良平野、吉武高木遺跡(紀元前4世紀)で甕棺墓から出土してる。

532 :日本@名無史さん:2022/01/19(水) 21:19:14.69 .net
男子無大小 皆黥面文身 自古以來 其使詣中國 皆自稱大夫
「男子は大小無く、皆、黥面文身す。古より以来、その使中国に詣(いた)るや、皆、自ら大夫と称す。

>倭人伝にはこのように書かれているが、2〜4世紀ころの
>奈良ヤマトや九州北部には男子は大小無く、皆、黥面文身した考古学的証拠が薄い
>宗像などは胸にイレズミしてたのかな?と想像するくらい。

533 :日本@名無史さん:2022/01/19(水) 21:25:26.25 .net
それに九州北部に邪馬台国があって卑弥呼が居たとするには
卑弥呼の鬼道の証拠、桃の種や亀卜・卜骨の考古学的遺物が極端に少なすぎる
筑後川下流の蒲池・柳川周辺に卜骨が少し出土するだけ。

534 :日本@名無史さん:2022/01/19(水) 21:33:00.83 .net
所がこれら全てが大量に出土する地域がある

それは、岡山、広島、香川、の吉備を中心とする備讃地域
桃の種は万の数を超え、卜骨も大量に出土し、鯨面人物を描いた土器、鯨面土器が
備讃・安芸地域から西日本で唯一大量に出土する。これいかに?

535 :日本@名無史さん:2022/01/19(水) 21:43:31.02 .net
弥生中期ころの墓は全国的には方形周溝墓が標準
しかし如何ゆう訳か、吉備地域から突然、円形周溝墓が出現し
その発展系が前方後円墳と云われ、初期には吉備式円筒埴輪が埋葬される

弥生後期ころには百蘇姫の実家吉備津、讃岐から播磨、淡路、地域が先進地だったのでは?

536 :日本@名無史さん:2022/01/19(水) 21:58:20.19 .net
倭人伝は100年くらいの時間スケールを同時代のように記録してて、

7代孝霊天皇皇女百蘇姫=卑弥呼と伊支馬11代イクメイリヒコとはズレが大きいような。
10代崇神の時には百蘇姫が枕元に現れとあるから、もう亡くなってるし。

537 :日本@名無史さん:2022/01/19(水) 22:05:58.17 .net
>535に書き忘れたが卑弥呼の墓は倭人伝に有名な経100歩で
明かに円形の墓で方形ではない。

538 :日本@名無史さん:2022/01/19(水) 22:31:34.16 .net
例えて言うなら、奈良ヤマトに本店がある老舗が
吉備支店に吉備より西方の統括本部を置いて
有能な吉備統括本部のお嬢様百蘇姫に九州地域支店を任せた

ところが九州伊都支店には代々の支店長が居座り百蘇姫お嬢様とは仲が悪く
和せずして狗奴国支店に逃亡した。

539 :日本@名無史さん:2022/01/19(水) 22:39:31.21 .net
倭人伝にある遣倭載斯烏越等
  「倭、載斯烏越等を遣わし」

これ、大使、烏越=瀬戸内水軍、越智(をち・おち)等(ら)を遣わしだろ。

540 :日本@名無史さん:2022/01/20(木) 00:24:23.68 .net
相変わらず九州説以外は妄想だけで語ってるな

541 :日本@名無史さん:2022/01/20(木) 00:25:46.65 .net
3世紀当時の国力は北部九州が圧倒的で他地域はまだまだ未開
他地域が北部九州を支配なんて笑い話にしかならない

542 :日本@名無史さん:2022/01/20(木) 06:34:27.81 .net
>>534
>備讃・安芸地域から西日本で唯一大量に出土する。これいかに?

「阿波」からの「倭人(阿波勢力)」の進出を証明している。 墳丘墓もしかり。   @阿波

543 :日本@名無史さん:2022/01/20(木) 06:35:41.20 .net
>>535
>弥生後期ころには百蘇姫の実家吉備津、讃岐から播磨、淡路、地域が先進地だったのでは?

「阿波」からの「倭人(阿波勢力)」の進出を証明している。 墳丘墓もしかり。   @阿波

544 :日本@名無史さん:2022/01/20(木) 09:37:47.92 .net
寝起きの阿波が、まーだ寝言を言ってる。

545 :日本@名無史さん:2022/01/20(木) 10:35:14.96 .net
>>533
近畿
山陰、青谷遺跡からの避難地でもあった近畿等
水害が大きい東海、滋賀南部からも流入
その唐古も水没する。
吉備にト骨は、近畿から避難した人のものによるから
案外、あたらしい。
BA31027730_290_p099_KOK.pdf
水害等が落ち着いきだし、戻ってくる人も合わせ
人口増加する。復興、開拓期に鉄は欠かせない。
その上、丹もある、貴重な外貨(鉄)稼ぎ
マーキュリーラッシュでさら人が集まる時期
卜骨の考古学的遺物が九州に出現期間に
金環食 168年12月17日
卑弥呼登場はその後だな。

546 :日本@名無史さん:2022/01/20(木) 11:14:20.15 .net
>>545
続き
なので、長崎、佐賀西部には丹山神社多い。
りっぱな楠もあるな。
有明海抜けるから海難事故が多いのだろう。
ト骨で航海の安全を占ったり、祈祷だろうな。

547 :日本@名無史さん:2022/01/20(木) 11:15:32.15 .net
>>535
>弥生後期ころには百蘇姫の実家吉備津、讃岐から播磨、淡路、地域が先進地だったのでは?

「阿波」からの「倭人(阿波勢力)」の進出を証明している。 墳丘墓もしかり。  鉄器も軽量薄型土器も勾玉も朱もしかり。   @阿波

548 :日本@名無史さん:2022/01/20(木) 11:43:02.88 .net
>>545
金環食 168年12月17日
九州〜室戸・松江まで。

ちなみに皆既日食
146年8月25日
158年6月13日
に近畿にある。
どちらかが卑弥呼が誕生かな

549 :日本@名無史さん:2022/01/20(木) 11:54:10.16 .net
>>548
ちなみの247年は残念ながら半島南部で
248年は、能登半島、福島、相馬あたりで
西日本ではまったく見ることできない。

550 :日本@名無史さん:2022/01/20(木) 11:59:12.18 .net
>>549
だな。また辻褄があうな。
邪馬壱国は近畿
卑弥呼は九州(佐賀平野・筑後平野)

551 :日本@名無史さん:2022/01/20(木) 12:43:04.87 .net
二世紀後半に火山大噴火や大規模な気候変動があったんだっけ
統一するにせよ制圧するにせよ武力による対決は不可避だったんだな

552 :日本@名無史さん:2022/01/20(木) 17:40:35.22 .net
狗奴国国邑推定地「東方丘陵」

553 :日本@名無史さん:2022/01/20(木) 21:33:20.44 .net
>>534
>「邪馬台」は、存在もしなかった嘘つき詐欺文言であるし、

不可知90何パーセントとか連呼しながら
そんな断定ばかりしてるのが自己撞着の九州説

554 :日本@名無史さん:2022/01/20(木) 21:34:15.29 .net
>>541
>3世紀当時の国力は北部九州が圧倒的で他地域はまだまだ未開

相変わらず九州説は妄想だけで語ってるな

555 :日本@名無史さん:2022/01/20(木) 23:50:59.16 .net
>>554
事実だがw
畿内はクソ田舎
http://inoues.net/9shumapnew15.gif

556 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 07:49:05.02 .net
考古学的には九州しかあり得ないな

557 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 08:22:02.82 .net
方角里数からしても九州しかあり得ないな

558 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 11:13:28.21 .net
>>555
近畿
邪馬壹國はクソ広い田舎だよ。
なので行程は略されている。
考古学的には近畿しかあり得ないな
陳寿、使者や間違いはない。
不彌國から日数からしても近畿だな。

ただし、卑弥呼が居る伊都国 不彌國 奴国は
考古学的には佐賀平野、筑後平野、有明海しかあり得ないな
方角里数からしても佐賀平野、筑後平野、有明海しかあり得ないな

559 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 11:19:49.87 .net
>>558
の続き
魏志倭人伝にも合致する。

560 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 12:33:41.47 .net
近畿は、
畿内説の変形顔

561 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 13:35:03.87 .net
>>558
>邪馬壹國はクソ広い田舎だよ。

根拠なし

>なので行程は略されている。

都合のいい言い訳

562 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 13:56:49.95 .net
>>561
根拠
https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/100266/BA31027730_290_p099_KOK.pdf
データ108ページ
弥生
(前・中)
唐古
(前・中) 弥生(後)〜古墳(初)
博多、糸島市では出土なし
壱岐、佐賀平野、筑後平野のみ

563 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 13:59:52.40 .net
>>561
>>都合のいい言い訳
南至邪馬壹國,女王之所都,水行十日,陸行一月
これ以外にあるのか?
反論に根拠がないのはそっちだな。

564 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 14:15:01.74 .net
>>555
近畿
どう見ても邪馬壹國はクソ広い田舎だよ。
鉄武器はないし、争いのない宗教地域だな。
その後、デカい墓ができるのが証拠
卑弥呼は、共立され紛争地域の九州に定住かな。

565 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 14:22:45.94 .net
その後の卜部氏になるんだろな。

566 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 14:29:25.29 .net
根拠
南至邪馬壹國に里数はない。

要するに使者の目的でも目的地でもない。

567 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 14:37:05.18 .net
>南至邪馬壹國,女王之所都,

なんだから、邪馬壹國も,女王之所都も南は疑いない。

>水行十日,陸行一月

「倭人伝」という呼び名は、後世の日本人が、日本から見て勝手につけたもの
実際には、魏王朝の出先拠点であった帯方郡の事績を記録した史書なので「帯方郡伝」と称すべき。
よって、なにごとによらず、帯方郡から見て(帯方郡起点で)書かれているので、
水行十日,陸行一月も帯方郡起点で読むのが玄人の読み方だね。

568 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 14:45:21.33 .net
>>567
>>玄人の読み方
阿保じゃないの?
誰に報告するのか?
南は出発方向だよ。

東南500里を北東の糸島市方面の阿保とは違う。

569 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 14:51:26.94 .net
>>567
根拠なし

570 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 14:58:52.71 .net
>>563
里数と日数を同列に取り扱うから間違えるんだよ。

571 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 15:01:09.73 .net
後漢書における邪馬台国までの里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(倭国のことだが、ここではその王都がある邪馬台国を指すと考えられる)から一万二千里である。
その西北界(倭国の西北の国境)である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の南界を極める。

魏略逸文における里程
帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里。

魏志倭人伝の邪馬台国までの里程
帯方郡(朝鮮北部)から狗邪韓国(朝鮮半島南岸)まで七千里、女王国まで一万二千里。
対馬海峡が三千里であり、帯方郡から九州上陸までで一万里となるので、邪馬台国の位置は九州北部になる。

魏志倭人伝の邪馬台国までの日程
帯方郡から邪馬台国(福岡県)まで水行10日、陸行1月(1日の誤りか)
また、帯方郡から投馬国(宮崎県)までは水行20日

572 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 15:14:30.58 .net
>>570
里数と日数を同列?
順次に取り扱うから
間違えていないけど?
魏志倭人伝どうり。
魏略でも
帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里
女王国であって邪馬壹國の記載はない。

573 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 15:23:16.48 .net
>>571
『後漢書』(432 年に成立)の「邪馬臺国」
この頃には中央集権化が進んでいるから
「邪馬臺国」になっている。

『三国志』(280 年頃成立)の「邪馬壹国」
は、まだまだ中心国でもないし支配する力などない。
復興、開拓、宗教地で
女王国の国々のひとつにすぎない。

574 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 16:01:18.52 .net
『後漢書』
五胡十六国時代、南北朝時代
だな。

575 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 16:26:11.32 .net
なんで奈良が、「飛ぶ鳥(カモメ)」なんだろうな〜。   @阿波

576 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 16:31:53.58 .net
>>575
近畿
稀なケースだが飛んでいたらしい。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1486784104

稀なことだから歌にしたかもしれない。
諸説あるがね。

577 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 16:45:55.72 .net
小松島は、海原に、鴎立ち立つ「飛鳥の地」。

小松島は、香具山・畝傍山・耳成山(日の峰山・中津峰山・津の峰山)を見渡せる「飛鳥の地」。   @阿波

578 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 17:21:30.85 .net
さすが阿波さん
本当の飛鳥の地を知ってるね
@ 福岡説

579 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 17:29:50.26 .net
>>573
>女王国の国々のひとつにすぎない。

魏志倭人伝では、女王の都するところだ。
嘘をつくな。

580 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 17:41:42.06 .net
>大和には 群山むらやまあれど
>とりよろふ 天あめの香具山
>登り立ち 国見くにみをすれば
>国原くにはらは 煙けぶり立ち立つ
>海原うなはらは 鴎かまめ立ち立つ
>うまし国ぞ 蜻蛉島あきづしま 大和の国は

原文: 山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜■(りっしんべん+可)國曽 蜻嶋 八間跡能國者

これは、「大和」ではなく、 「山常」・「八間跡」で詠んだ歌である。   

小松島は、海原に、鴎立ち立つ「飛鳥の地」。

小松島は、香具山・畝傍山・耳成山(日の峰山・中津峰山・津の峰山)を見渡せる「飛鳥の地」。   @阿波

581 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 17:42:51.20 .net
>>577
近畿
小松島は歌には登場しないけど?
埴安池を海原にたとえたのだろう。

箸墓や天皇陵等のため池 多いな
環濠跡がため池にもなるな。

582 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 17:46:14.73 .net
蜻蛉島 やまと(大和・倭)に掛かる枕詞

583 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 17:49:19.39 .net
>>582
>蜻蛉島 やまと(大和・倭)に掛かる枕詞

違う。 「山常」・「八間跡」などであり、決して「大和」ではない。   @阿波

584 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 19:10:55.11 .net
>>579
女王之所都だった
南至邪馬壹國,女王之所都
水害地 災難地だな。

「女王国の都」
「倭国の都」の記載なし。

585 :日本@名無史さん:2022/01/21(金) 20:21:34.33 .net
意味不明

586 :日本@名無史さん:2022/01/22(土) 10:03:47.28 .net
>>572
>里数と日数を同列?
>順次に取り扱うから 間違えていないけど?

里数は距離q、日数は時間Hourだ。
だから、○○Km+○○Hour=○○○ という計算は出来ない。
そもそも両者は、水と空気のように同列には扱えない別概念の数字なのだ・・。

587 :日本@名無史さん:2022/01/22(土) 10:10:12.29 .net
>>586
順次だよ。
行っていないから里数出していない。
不彌國から日数になっただけだよ。
倭人から聞いたのみ。なんで足すんだよ。

588 :日本@名無史さん:2022/01/22(土) 10:15:16.01 .net
>>585
女王国の都や倭国の都の記載なし。
「女王の所の都だった」と過去のこと。

589 :日本@名無史さん:2022/01/22(土) 10:28:25.30 .net
>>587
さっぱり文章読めないおっちょこちょいな男だねえ。
だからKmはKm、HourはHour。それを足すことはできないといっているだろう。

原文に明記されているように、全行程里数1万2000余里から不彌国までの1万700里を引けば、残りは1300里だ。
つまり不彌国から1300里の範囲に女王の都は有った。

590 :日本@名無史さん:2022/01/22(土) 10:56:49.32 .net
>>587
足しているのは自分だろ

591 :日本@名無史さん:2022/01/22(土) 11:31:07.66 .net
>>590
足していない。
不彌国又は奴国まで1万2000余里だよ。
女王国の境。

592 :日本@名無史さん:2022/01/22(土) 11:34:46.33 .net
>>590
次有烏奴国 次有奴国 此女王境界所盡

自郡至女王国 萬二千余里 
であって邪馬壱国 女王之所都とは書いていない。

593 :日本@名無史さん:2022/01/22(土) 11:39:26.91 .net
>>592
胴体が一つで、頭が二つのお化けヘビ
一方のアタマは畿内説だが、もう一方のアタマは北部九州説の古死学

594 :日本@名無史さん:2022/01/22(土) 12:00:10.65 .net
>>593
反論の根拠がないから
ただの阿保の言いがかりだな。

595 :日本@名無史さん:2022/01/22(土) 12:17:49.38 .net
>>593
近畿
胴体が一つで、頭がひとつだよ。
卑弥呼が中心であって
伊都国も邪馬壱国も女王国の
ひとつの国に過ぎない。紛争地域、交易の出入口の
九州で生涯を終えただけだよ。

596 :日本@名無史さん:2022/01/22(土) 12:58:31.45 .net
近畿は、双頭のお化けヘビの尻っぽ

597 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 11:44:34.05 .net
女王之所都

女王が選択的に都をおいた場所というイメージなんだよ
邪馬台国が覇権を握ったから必然的に王都になったイメージもないし、倭国の古都だったというイメージももちろんない
そうであるなら女王が都をおいたみたいな表現はしないだろうと思う

598 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 11:54:12.78 .net
>>597
女王之所都は、「邪馬臺国」の首都。

そこは、「矢野遺跡」「庄・蔵本遺跡」「名東遺跡」などがひしめく「鮎喰川下流域集落群」。   @阿波

599 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 12:02:49.42 .net
阿波の「鮎喰川」じゃなくて、
阿波のは「人を喰った・・」の印象だよねえ

600 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 12:07:43.74 .net
>>599
「卑彌呼」も鮎を食ったことだろう。  わははははは   @阿波

601 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 12:35:29.82 .net
近畿
狗邪韓國〜郡至狗邪韓國 7000余里
狗邪韓國〜對海國(上陸で一寸千里法で1000余里得る、島を探索、道険しく
海上より測る 方可400里(400+400)で8800余里(周旋1800余里)
對海國〜一大國 (上陸で一寸千里法で1000里得る
海上より測る 方可三百里(300+300)で10,400余里(周旋3200余里)
一大國〜末盧國 1000餘里 で11,400餘里(周旋4200余里)
末盧國〜伊都国500里で11,900余里(周旋4900余里)→東 不弥国100里 情報収集で行く12,000余里(周旋可5,000余里)→投馬国(行っておらず水行20日)→邪馬壹国(行っておらず水行10日陸1月)
       ↘東南 奴国 行っておらず。次有奴国 此女王境界所盡で100里で12000余里(周旋可5,000余里)
二島の方可は誤差大きい、又 一大國〜末盧國の千里は他の千里の測定日より少し前後した日か
天候等により、やむなく計測、早まったか、遅れたかだな

602 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 12:47:59.76 .net
>>597
邪馬壱国が中心国でもなく王都でもない
女王之所都だった(過去形)

行く目的でもないとすると
辻褄が合うんだよ。

603 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 12:52:50.66 .net
>>601
ズレたな
>>↘東南 奴国 行っておらず。次有奴国 此女王境界所盡で100里で12000余里(周旋可5,000余里)
伊都国→東南100里 奴国 行っておらず。次有奴国 此女王境界所盡で100里で12000余里(周旋可5,000余里)

604 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 12:59:06.38 .net
なんだかんだと言ってはいるが
けっきょく近畿は、古い死学のシッポの先

605 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 13:04:21.24 .net
古い死学のシッポの先は
畿内説と北部九州説
糸島市は共通。

606 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 13:09:17.56 .net
>>605
糸島市は、「魏志倭人伝」にまったく無関係。   @阿波

607 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 13:12:07.43 .net
近畿
近畿が邪馬壱国である。
伊都国、奴国、不弥国は
佐賀、筑後平野一帯

608 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 13:17:20.49 .net
>>605

説得力なさすぎ。
糸島説は昭和末期の平原遺跡発見から出てきた説なので、それ以前の九州説や畿内説とはかなり違う。
それまでは九州説も南九州とかが多かった。
しかし平成に考古学的な証拠が積み上がってきて、九州北部の圧倒的な物量の中で、一番先進地域はどこかといえば糸島じゃんということになった。
大規模な金属加工の痕跡や硯など文字仕様の形跡など、弥生時代のイメージそのものが変わった。

609 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 13:18:34.40 .net
近畿のような辺境に都を置く意味はない。
魏の使いは卑弥呼に謁見したのに、福岡までしか来ていない。
つまり、邪馬台国は福岡。

610 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 13:26:24.41 .net
>>609
近畿
近畿のような辺境に都を置く意味はない
当然だな だから邪馬壱国なんだよ。
女王の都(鬼道中心地)だった所だよ。
けして倭国の都でもない女王国の都でもないのが
中心邪馬壱国である。

611 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 13:28:00.48 .net
>>609
近畿
鬼道の中心地が邪馬壱国

612 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 13:30:51.09 .net
>>608
で現在の九州説や畿内説は
糸島市及び近辺ではないてこと?
どこなのよ?

613 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 13:39:18.15 .net
>>608
発掘ズミ遺跡偏重の短絡的発想だ
未発掘の遺跡は数知れず、また都市発展等で破壊され失われてしまった遺跡も数知れず。
既存遺跡頼りは学問に甚大な悪弊を生む。
だがまあ、幸いにして発掘ブームに乗遅れた佐賀平野は、これから大発見が続き、古代史の学説/通説が、次々ひっくり返るだろう。。

614 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 13:50:08.17 .net
>>613
>だがまあ、幸いにして発掘ブームに乗遅れた佐賀平野は、これから大発見が続き、古代史の学説/通説が、次々ひっくり返るだろう。。

佐賀は、朝鮮半島への出航地。  これから朝鮮半島への出航地としての大発見が続くだろう。   @阿波

615 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 13:52:25.12 .net
>>608
畿内説も6世紀までは入れ墨はないとしていたが
その後の発掘で4世紀末の入墨と思われる
もん茅原大墓から出てきたしな。

616 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 13:54:35.34 .net
邪馬台国は大都会で卑弥呼の都は大王都だという前提がおかしいのよ

>>602
大王が中央ではなく地方に都を作る例は日本書紀にも多数ある
過去形にする必要はないよ

邪馬台国はただの田舎で倭国の属国で植民地に過ぎないという意味においてのみ畿内にも一抹の可能性があるかもね

617 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 13:55:17.82 .net
近畿
当然、鉄もそうだよ。
稲部遺跡などもそうだろう。

618 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 13:57:23.58 .net
>>617
矢野遺跡は?   @阿波

619 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:05:44.55 .net
>>616
倭国の属国で植民地に過ぎないという意味はない
し、魏志倭人伝の記載はない。
30ヶ国の国々のひとつにすぎない。

620 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:09:39.93 .net
>>618
https://www.pref.tokushima.lg.jp/rekishiru/remains/5022970

621 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:10:56.21 .net
>>619
>30ヶ国の国々のひとつにすぎない。

違う。 30ヶ国の国々の集合体が「邪馬臺国」。 女王国がその「邪馬臺国」の首都。   @阿波

622 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:11:22.60 .net
>>618
https://infokkkna.com/ironroad/2011htm/iron7/1103iron00.htm

このデータも2000年、刷新して貰いたいもんだな。

623 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:13:05.15 .net
後漢書でも倭王は邪馬台国にいるとある。
つまり卑弥呼より前も倭の王都は同じ。
金印をもらった倭奴国の王も、倭王帥升も、邪馬台国にいた。
ちなみに帥升の帥の字は、魏志倭人伝の大率の率と読みも意味も同じ。
太宰の帥のこと。
もう邪馬台国がどこであったかわかるよね。

後漢書より

大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(倭国のことだが、ここではその王都がある邪馬台国を指すと考えられる)から一万二千里である。
その西北界(倭国の西北の国境)である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の南界を極める。

後漢当時は倭奴国までしか情報がなかった。
魏の時代に帯方郡の役人が伊都国や奴国を訪れて卑弥呼に会って、周辺の国の情報も増え、さらに南に狗奴国があるとか、さらに東にも別の陸地(本州)があるという情報が増えた。

624 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:14:53.77 .net
>>622
>このデータも2000年、刷新して貰いたいもんだな。

じゃあ、「狗奴国」なんだが「加茂宮ノ前遺跡」が新しいぞ。   @阿波

625 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:15:04.31 .net
>>621
近畿
違うよ。
ほとんど女王国で国々の集合体をあらわしている。

626 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:16:46.39 .net
>>612
違う違う。
かつての九州説や畿内説は全て力を失い、九州説は糸島説に吸収された。

627 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:20:49.52 .net
後漢書における邪馬台国までの里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(倭国のことだが、ここではその王都がある邪馬台国を指すと考えられる)から一万二千里である。
その西北界(倭国の西北の国境)である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の南界を極める。

魏略逸文における里程
帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里。

魏志倭人伝の邪馬台国までの里程
帯方郡(朝鮮北部)から狗邪韓国(朝鮮半島南岸)まで七千里、女王国まで一万二千里。
対馬海峡が三千里であり、帯方郡から九州上陸までで一万里となるので、邪馬台国の位置は九州北部になる。

魏志倭人伝の邪馬台国までの日程
帯方郡から邪馬台国(福岡県)まで水行10日、陸行1月(1日の誤りか)
また、帯方郡から投馬国(宮崎県)までは水行20日

628 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:25:42.78 .net
>>627
>帯方郡から邪馬台国(福岡県)まで水行10日、陸行1月(1日の誤りか)

1月は1日の誤りだとか、行き詰ると改ざんねつ造で逃げるのが、古い一派の特異ワザ

629 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:29:03.27 .net
「自郡至女王國萬二千餘里」
なぜ魏志倭人伝で、「從郡至倭・・・」の行程記述とは別に、「自郡至女王國萬二千餘里」が ポツンと 分離して書かれているのだろうか?
それは、行程記述と「自郡至女王國萬二千餘里」が、別事項だからである。
「自郡至女王國萬二千餘里」は、帯方郡から女王国までの距離が、「直線距離」で一万二千余里を特記したもの。  
だからことさら、行程記述とは切り離して記述している。  
その心は、帯方郡から女王国までの距離が、「直線距離」で「萬二千餘里」だと言いたかったから。    
その心は、帯方郡から女王国までの距離が、「直線距離」なのであって、間違っても決して「行程里数加算距離」と取られないため。   @阿波 

630 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:30:19.78 .net
>>610
卑弥呼の鬼道とは、おそらく古代神道だろう。
それは祖先を祭ることであり、倭王の祖先のイザナギ大神も天孫ニニギも筑紫の日向にいた。
その墓前で行われる祭りが最も重要であったろう。
その墓は王権の象徴である三種の神器が副葬されており、福岡や糸島には多数存在する。
特に卑弥呼の直前の後漢代には糸島平野に代々の王墓があったと思われる。

後漢が滅亡し、卑弥呼の時代になって国産の大型鏡(八咫の鏡)が作られるようになったと考えられ、それが副葬されたのが平原遺跡である。
倭王の祖先を祭る古代神道、つまり鬼道の使い手であったろう。
しかも、平原遺跡は副葬品のほとんどが宝飾品であることから、被葬者は女性と考えられている。
平原遺跡は、後漢滅亡後の卑弥呼の治世の王墓であり、被葬者は三種の神器を持つ倭王であり、女王である。
なお、魏志倭人伝では卑弥呼の前は男王が続いていたとある。

問 平原遺跡の被葬者は誰でしょう?

631 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:32:06.02 .net
『名曰卑彌呼事鬼道能惑衆』  『名を「卑弥呼」といい、「鬼道」に仕えて人心を惑わしている』
大麻(麻)の繊維は、日本では古くからしめ縄、祓い具(おはらい)としての神事の大麻(おおぬさ)などに用いられてきた。
また、麻から作った大麻(マリファナ)は薬理作用があり、紀元前から古代人が嗜好品、また医薬品として用いてきた。
大麻(マリファナ)は喫煙、気化、飲食により成分を摂取する。
大麻といえば、阿波忌部。 
卑弥呼は大麻(マリファナ)を利用して「鬼道」を操ったのだろう。   @阿波

632 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:34:06.33 .net
>>629
>それは、行程記述と「自郡至女王國萬二千餘里」が、別事項だからである。

そのとおり。

>その心は、帯方郡から女王国までの距離が、「直線距離」で「萬二千餘里」だと言いたかったから。    

それは違う。
韓が方四千里であり、帯方郡からは南に水行四千里。
ここで朝鮮半島に沿って東に水行三千里。
狗邪韓国からは対馬海峡を南に渡海三千里だ。
直線距離ではないのは明白。

633 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:39:19.76 .net
>>632
>韓が方四千里であり、帯方郡からは南に水行四千里。
>ここで朝鮮半島に沿って東に水行三千里。

それは違う。

帯方郡(沙里院市)
↓【南】海岸水行7000里( 直線距離 500km)1里=71m
狗邪韓国(順天)

634 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:42:23.89 .net
>>631
〆縄は稲藁で作る。
それは日本が稲作の国だからだ。
日本には大麻を用いた神事はない。

なお、ニニギやニギハヤヒのニギとは、稲が賑々しく実ることを言祝ぐ名前であり、稲作を指導した古代倭王の役割を象徴しているのだろう。
魏志倭人伝に伊都国の官として記録されるネギもおそらく同じかつての倭王の一族だろう。
現在では、神社で神事を司る神職の名に禰宜の名が残っている。
神事、祭祀とは、イザナギやアマテラスなど、天皇家の祖先を祭ることに他ならない。
そしてその祭祀の場は(伊都を含む)筑紫である。

635 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:44:11.07 .net
「現代人は麻の持つ意味を忘れようとしている」
天皇陛下即位式である大嘗祭に、麁服を調進する大役を太古から担う
御衣御殿人(みぞみあらかんど)の家柄である三木家は、木屋平村の三木山山頂に居を構える。
貢(みつぎ)、あるいは三ッ木とも呼ばれる地名は、深く調進に関わる為でもあろう。 
南北朝時代にあっては、山岳武士の頭目として南朝に関わった。
さて、この三木山こそは、太古の高天原であると同時に、天皇家の故郷でもある。
このお山から御霊を大嘗宮へ運ぶ為には何か媒体が必要である。
つまり、依り代に付いて初めて示現されるのが神霊であるなら、「麻」こそ媒体であると云える。
古来より伊勢神宮の神札は神宮大麻と呼ばれ、御師が領布した御祓大麻を指すからだ。
後世、大麻(おおぬさ)は紙に変わってしまい、現代人は麻の持つ意味を忘れようとしている。   @阿波

636 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:45:08.39 .net
>>633

地図をよく見ろ。
韓が方四千里だからこそ、その後で東に三千里で狗邪韓国なんだ。
真南に七千里では朝鮮半島を突き抜けてしまう。

637 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:46:59.34 .net
■ 祓詞

掛けまくも畏き 伊邪那岐大神
かけまくもかしこき いざなぎのおほかみ

筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 
つくしのひむかのたちばなのをどのあはぎはらに

禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等
みそぎはらへたまひしときに なりませるはらへどのおほかみたち

諸々の禍事・罪・穢 有らむをば
もろもろのまがごとつみけがれ あらむをば

祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと
はらへたまひきよめたまへと まをすことをきこしめせと

恐み恐みも白す
かしこみかしこみもまをす

これが神道で最も重要な祝詞であり、そこに出る地名は筑紫だけ。
博多湾沿岸の小戸で生まれた住吉の神を祀るのが博多住吉神社。

638 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:47:13.34 .net
>>636
>真南に七千里

そんな記述はない。   @阿波

639 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:49:34.69 .net
>>623
後漢書でも大倭王は邪馬台国にいるとあるが

57年「漢委奴国王」
金印をもらった倭奴国の王は九州だろうな。
107年
倭王帥升等なので有力な王のひとりに違いないが
それほど強い権力ではないから金印の受けもない

邪馬壹國が邪馬臺国に変化
會稽東治之東も会稽東冶之東になる。
一国から範囲を広がるから文字や範囲も広がる
大和政権の台頭によるものかも?
狗奴國でなく拘奴国で方角も違い
不和などの記載はない。

640 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:49:43.14 .net
>>637
>そこに出る地名は筑紫だけ。

筑紫であり 地名の「筑紫国」でない。  日向も同じこと。   @阿波

641 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:54:52.96 .net
ソウルから珍島までを四千里としているのであれば、その距離が約350キロだそうなので、一里は約87メートルになる。
魏志東夷伝の基本的な縮尺がこれである。

642 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 14:59:28.72 .net
>>639
>倭王帥升等なので有力な王のひとりに違いないが

倭王本人が洛陽まで出向いたとは考えにくい。
帥升とは、実際には倭王が派遣した実力者、太宰の帥だろう。
倭王は本当の博多にいたのだろう。
そのあたりの関係が漢帝国では把握できずに、金印拝受は数世代待つ必要があった。

>大和政権の台頭によるものかも?

1、2世紀の畿内は未開拓の辺境の地だよ。
筑紫からの入植=征服が始まった頃。

643 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 15:03:48.80 .net
>>630
近畿
魏志には(八咫の鏡)が作られるように
なったという記載はない。

魏志倭人伝との一致
輒灼骨而卜の遺跡は壱岐、佐賀平野
有明海沿いの筑後平野以外に出てこない

徇葬者奴婢百餘、
居處宮室樓觀,城柵嚴設,常有人持兵守衛。
丹絡みの神社も多い

三種の神器 佐賀平野にも出土
庄内式甕 祇園山古墳

644 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 15:03:56.59 .net
畿内の主な神社を調べてみたよ。

摂津国一宮 住吉神社 筑紫で生まれた住吉の神を祭る
河内国一宮 枚岡神社 筑紫に降臨した天児屋根命を祭る
和泉国一宮 大鳥神社 天児屋根命の子孫を祭る
山城国一宮 上賀茂下鴨神社 筑紫からの神武の東征を助けた三島溝杭耳を祭る
紀伊国一宮 日前宮、国懸宮 筑紫に降臨した天道根命が持っていた鏡を祭る

ここまで筑紫と東征関連。
例外はこれ。
大和国一宮 大神神社 大物主を祭るとされるが、その実は山門郡太神村の磯上物部神社に由来するのだろう。
物部氏の本拠地の一つである石上神宮は三輪山の近くにある。
三輪山の神とは、本来の畿内の支配者である物部氏のことであり、その祖は筑紫から来た天孫ニギハヤヒである。

畿内は筑紫からの入植地ですね。

645 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 15:05:32.23 .net
【伊都国】

伊都には高祖宮(高祖神社)があり、後世にはその東側の高祖山とクシフル山の山頂を囲む中国式山城(奈良時代は怡土城、戦国時代は高祖城と呼称される)があった。
高祖山を越える峠が日向峠であり、筑紫の日向のクシフル山にあり彦火々出見を祭る高祖宮の古名が高千穂宮であったと考えられる。

アマテラスの孫のニニギはクシフル山に降臨してその西側に埋葬されたとあり、三雲南小路遺跡、井原鑓溝遺跡などが、魏志において倭国大乱の前の男王の時代70〜80年を担った彦火々出見ら日向王家の王墓であると考えられる。
倭国の王と王妃の墓である三雲南小路遺跡の拝殿である細石(さざれいし)神社は木花佐久夜毘売を祭神とし、墓は天孫ニニギと木花咲耶姫の墓と考えられる。
平原遺跡や三雲南小路遺跡などの特徴は三種の神器に相当する副葬品があることであり、筑紫の伊都が記紀にあるように倭国王家である日向三代の都であった証拠である。

魏志倭人伝では伊都国の官は爾支と記されているが、ニニギ、ニギハヤヒなどと同じ系統の名であり、神道における神職を意味する禰宜にも通じる。
平原遺跡には鳥居などの遺構があり、いわゆる神道の形式が整いつつあった。
高千穂宮から始まる神武東征の時、神武が天の子は太陽を背にするべきだと発言している。
高祖宮は伊都から日の出の方にあり、倭王は太陽を背にして君臨していて、この様式は大和の三輪山などと同じ配置である。
伊都は神道の基本である太陽信仰の都だったのだろう。

伊都国の平原遺跡は3世紀頃の女王墓であり、方格規矩四神鏡と内行花文鏡、玉を中心とする豪華な副葬品を持ち、後漢の頃には見られなかった巨大な国産の内行花文鏡、いわゆる八咫の鏡が5面含まれていたことから、倭国大乱後の倭国の王権が伊都国にあったことがわかる。
2世紀の倭国大乱以降では卑弥呼が最初の女王であるため、平原遺跡の被葬者の最有力候補が卑弥呼である。
魏志において伊都国は人口が1000戸と少ないが、魏志に卑弥呼の王宮の下女は1000人とることと一致する。
近隣の世俗の商業都市としての博多奴国と、政治・祭祀・外交のための聖なる王都である伊都が分離されていたと考えられる。

646 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 15:09:08.04 .net
饒速日「後から来て天孫を名乗るお前は何者だ。我こそ天孫ぞ」
神武「(饒速日の弟の)邇邇芸の末裔です。これ(天羽羽矢)が証拠です」
饒速日「おお、それはわしのものと同じだな!確かに同郷の者らしいな」
長髄彦「我々の軍勢にも被害が出ていますし、まさか和解するなんてことはないでしょうね」
饒速日「天神の子は人間(の論理)とは違うのだ」
長髄彦「納得いかないので戦闘を継続します!」
饒速日「そんなことは許さん!命令を聞かないなら手打ちにしてくれる!」
神武「ありがとうございます。筑紫は(倭国大乱で)荒れていて暮らせないので、ここにいさせてください」
饒速日「うむ、大叔父としてお前を迎え入れよう」
神武「ありがたい」

饒速日の末裔が物部氏や尾張氏であり、畿内や東海の覇権を掌握した。
物部氏は、「ヤマト王権」において軍事と祭祀(つまりマツリゴトの全て)を司っていたとされる。
そして畿内を中心に分布する前方後円墳も物部氏の墓制だと考えられている。

647 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 15:13:47.00 .net
>>646
>そして畿内を中心に分布する前方後円墳も物部氏の墓制だと考えられている。

「天皇家」も「蘇我氏」も「物部氏」も「中臣氏」も「葛城氏」も「大伴氏」も、
平安時代の『新撰姓氏録』編纂以前は全部、「忌部一族(阿波勢力)」。   
みんな元を辿れば全部、「忌部一族(阿波勢力)」=「倭人」。   @阿波   

648 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 15:22:51.00 .net
>>647

倭国の中心勢力たる天津神(海の神、海人族)の本拠地は玄界灘、博多湾、志賀島。

記紀の国生み神話で、イザナギが矛を使って最初に得た領土である淤能碁呂島は、銅矛文化圏の中心である博多湾の能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国土のうち、天の冠詞がつく隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国(海の国)の本来の領域である。
これは倭が博多湾沿岸を都として対馬海峡に広がるという後漢書の記事とよく対応している。

後漢や魏の時代、中国の視野には九州までしか入っていない。
畿内など西日本は筑紫倭国の植民地に過ぎず、開拓の途上であった。

649 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 15:27:12.60 .net
ここまでの議論を見ても>>5が一番妥当にしか見えんな

650 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 15:31:09.45 .net
南四国に大国「邪馬臺国」・「狗奴国」・「投馬国」が興るのも当然と言えば当然。
「弥生人にとって、阿波はまさにパラダイス」
南四国は、温暖な黒潮流れる太平洋に面し、漁労・航海術が発達、内陸は高温多雨による森林資源に恵まれ、
一方、希少価値の高い鉱物にも恵まれている。
また、吉野川を始めとする、いくつもの大河が流れ、大河流域には、広範に肥沃な土壌の恵みを与えている。   @阿波

651 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 17:25:33.12 .net
>>649
自演乙

652 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 17:29:23.38 .net
まいどお馴染み、大研究の筑前煮!

653 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 17:33:20.64 .net
まいどお馴染み、筑前のガメ煮!

654 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 17:46:16.89 .net
日琉民族の発祥地は南満洲すなわち中国の遼寧省
日本神話は蒙古高原にいた印欧語族の強い影響下で成立している

もともと南満洲の遼河東岸から朝鮮半島にかけて日琉民族が住んでいたが
やがて遼河西岸にいた原朝鮮民族が勢力を伸ばし日琉民族を朝鮮半島南端と
日本列島に置いやったようだ

遼河西岸は中国の河北省と遼河東岸は中国の山東省と文化的つながりがあった
日琉系の稲作技術は山東半島系であり中華の歴史でいう東夷そのものだったろう
そして彼らは青銅器文化人であった
対して朝鮮系は中国の戦国七雄の燕の文化を受け入れた鉄器文化人だった
青銅器文化と鉄器文化では戦の勝敗は明らかで朝鮮系は日琉系を圧倒しただろう

弥生時代は半島を追われた日琉民族が日本列島に渡来して始まった
半島では全羅道の百済語や済州島の済州語などの日琉系の生き残りと
新羅語などの朝鮮系が混住していた

これが欧米の研究者の間の日本の韓国の古代に関する定説だね

縄文文明なんてスピ系の頭の中の産物で架空だから

655 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 18:06:42.71 .net
日本神話は日琉民族が遼寧省にいた頃の影響を強く受けている

中国の歴史でいう殷王朝時代の蒙古高原は印欧系民族の支配下にあった
トルコ人やモンゴル人はまだおらずコーカソイドがユーラシア大陸の
草原の道を完全に押さえていた

そもそも中華に金属器や大麦小麦の種や牛馬などをもたらしたのは
これらの印欧系民族の人たちだった
もしかしたら漢字の元となる文字文化もそうだったかもしれない

日本神話の神々の多くは元々は大陸の印欧系民族の神々という説が
最近のアメリカで唱えられている
ハーバード大学マイケルビッツェル教授の比較神話学の論文によると
スサノオの原像はアーリア神話のインドラであるという
興味ある方は日本語訳もあるので参照せられたし

邪馬台国論争にスピ系が巣食っているがスピ系が東日流外三郡誌だのと
寝言を言っている間に学問はドンドンと日本の古代史の真相を暴き始めている

656 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 18:47:11.64 .net
>>651
負け犬おつ

657 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 19:17:11.63 .net
弥生時代に「丹」を採取していたのは、「阿波」だけ。  

たとえ山に「丹」鉱脈が有ろうとも、採取していなければ只の山。   @阿波

658 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 20:02:21.69 .net
>>642
>>1、2世紀の畿内は未開拓の辺境の地
唐古等があり、近畿では有力地だっただよ
弥生時代中期末の洪水で埋没する。
弥生時代後期、復興するも衰退し始める
戦乱を避けた人や東海地方からの難民も流入
人口が増え、環濠がじゃまなもんになる。
もっと大規模な国造りを始めた時期で
支配とか、征服などはあとの話

『後漢書』は劉宋(420年〜479年)の范曄が執筆
魏志倭人伝の後に
初期の大和政権の資料があったんじゃないか?

邪馬壹國が邪馬臺国
會稽東治之東も会稽東冶之東
狗奴國でなく拘奴国で方角も違い
不和などの記載はない
と魏志倭人伝と違う。

659 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 21:37:58.57 .net
>これらのように九州有明海地域と島根、岡山平野地域は、
>日本最古の縄文農耕、焼き畑稲作で有名な地域で古代より豊な所です。

島根県板屋V遺跡が紀元前10950年(13000年前)となっており、
これが世界で最古の栽培イネのようです。

なお、板屋V遺跡の紀元前10950年の稲のプラント・オパールは、
現代の栽培されたアジアイネの組織と一致することなどから
熱帯ジャポニカの栽培種とされます。

660 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 21:38:33.00 .net
日本列島における世界最古級の稲のプラント・オパールの時期は、紀元前10950年です。
13000年前の栽培種のプラント・オパールが発見された島根県板屋V遺跡を始め、
縄文時代草創期(約13000年前〜10000年前)の遺跡から
稲作の遺構が発見されるのは時間の問題であるように思います。

日本では稲モミの圧痕については、熊本県本渡市の大矢遺跡から
5000年前から4000年前の土器にあるのが最古のようです。
また、炭化米については、岡山県の朝寝鼻貝塚から発見され、
約6000年前の熱帯ジャポニカと分析されています。

661 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 22:18:21.42 .net
日本列島と朝鮮半島じゃ雨量の違いから、樹木や穀物の実りが桁違いに違う、
と言うことは兵となる人口も桁違いになるな、

662 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 23:17:10.12 .net
>>658
>『後漢書』は劉宋(420年〜479年)の范曄が執筆
>魏志倭人伝の後に
>初期の大和政権の資料があったんじゃないか?

倭奴国が倭の極南界と書かれているのだから、ヤマト王権なんて眼中になかったろう。
そのヤマト王権とやらも、記紀でさえ筑紫から入植したニギハヤヒと磐余彦に始まる地方政権なわけだし、列島を代表していたのはあくまでも筑紫倭国。

663 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 23:18:37.90 .net
稲の収量も人口も、金属器の普及も、鏡などの維新財も、すべて九州北部が圧倒的なんだよなあ。

664 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 23:38:21.82 .net
>>663
九州北部が圧倒的なので、
邪馬壹國は九州ではない。

665 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 23:44:29.59 .net
>>662
>記紀でさえ筑紫から入植したニギハヤヒと磐余彦に始まる
地方政権なわけだし

記紀はずいぶん後のもんだし
魏志倭人伝、後漢書 晋書には一切、筑紫の記載もない。
隋書であたりからだな。

666 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 23:49:47.66 .net
>>645
平原遺跡は3世紀頃の他国の女王墓かもしれないが
卑弥呼及び宗には、成金趣味はないだろうな。
豪華絢爛なら魏志倭人伝に記載する。

667 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 23:51:11.66 .net
>>663
人口は北部九州より多いよ。
可7万戸

668 :日本@名無史さん:2022/01/23(日) 23:51:42.70 .net
邇芸速日は筑紫には降臨していない
日向國の磐余彦が天皇を号したのは大和で、日向国では王権は誕生していない

669 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 00:25:12.53 .net
高天原が九州だよアホ

670 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 01:24:22.77 .net
よく読んでみると魏志倭人伝は,邪馬台国に
養蚕・鉄が豊富などの記載はないな。

671 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 01:35:58.87 .net
邇邇芸命は印欧神話から取り入れられたもの
高天原から高千穂にたどり着いた話は
インド神話のマヌと共通するもの

オリエントのノアの箱舟やギルガメッシュ神話などとも
その原像を共有しているだろう

邇邇芸命の話は日本を舞台にした話ではない
外国の神々の話だ

672 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 01:45:35.32 .net
なるほど
話を混ぜっ返す役も居られるのか

673 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 01:50:48.27 .net
日本神道の古代の神々は印欧神話の神々がその起源にある。
邇邇芸命の話も本来は印欧語族の持っていた大洪水神話の派生だろうと思われる。
これは上述のマイケルビッツェル教授の論文にも書かれている見解である。

イザナギイザナミもその原像は印欧神話のマヌーとイェモだろう
この二人は結婚して世界を産むがそれによって女神は死ぬ

日本神話ではイザナギイザナミの舞台はオノゴロ島になっているが
それは後に神話の舞台が日本国内とされるようになっただけで
本来はどこともしれぬ神の世界の話だったのだろう

日本神話の古層の話を日本の歴史の一部と捉えるのは無意味と考えて良い

674 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 01:57:45.85 .net
少なくとも前代から受け継いだものでなければ
神話とはならなかったことは確かだわね
アニメのヒーローや浦島太郎ではないんだから

675 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 04:34:04.54 .net
東南五百里至伊都国
https://dotup.org/uploda/dotup.org2702402.jpg

女王国東渡海千余里復有国皆倭種
https://dotup.org/uploda/dotup.org2702404.jpg

又有侏儒國在其南去女王四千餘里
https://dotup.org/uploda/dotup.org2702405.jpg

南至投馬國水行二十曰
https://dotup.org/uploda/dotup.org2702847.jpg

南至邪馬壹國水行十日
https://dotup.org/uploda/dotup.org2702848.jpg

676 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 04:34:56.95 .net
おっと
水行十日の所は水行十日or陸行一月な

677 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 04:52:39.84 .net
自郡至女王國萬二千餘里
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org15058.jpg

678 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 06:49:36.18 .net
デタラメ乱投

679 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 07:37:02.37 .net
>>675
>東南五百里至伊都国

@なんでこれが東南なん?

Aなんで直接糸島へ行かんの?   @阿波   

680 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 08:27:37.18 .net
これで、飛鳥の地は、小松島で確定だな。

「遠都祖神社」「「東宮神社」「西宮神社」「建嶋女祖命神社(嶋の宮)「杵築神社」「蛭子神社」「事代主神社」等々

まあ、これだけこの辺りに曰くありそうな神社が集中してりゃ、

そりゃここが「飛鳥の宮地」だって誰でも思うわな。

しかも、海辺で、大和三山も揃ってりゃ、疑うほうがどうかしている。   @阿波

小松島市の神社一覧
https://jinja-ichiran.com/tag/%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E5%B3%B6%E5%B8%82%E3%81%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E4%B8%80%E8%A6%A7/

681 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 08:35:53.00 .net
魏志倭人伝の元ネタは漢書だね
漢書では邪馬臺國
魏志で削除された文も乗っている

682 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 09:26:27.55 .net
方角を太陽を基準に測ると夏場呼子から見て糸島半島は東に見えた。
倭人から、これから向かうのはあの半島の南の内陸部だと案内された。
なるほど次の国は東南かと魏使は理解した。
なぜ直接あの半島に向かわないのかと問うと、夏場は台風がくることがあり一大国から最も近い本土に上陸したかった。それにあちらの半島周辺は遠浅が有名で大きな中国船では座礁するかもしれないと返された。
なるほど倭人はよく海を読むと魏使は感心した。

683 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 09:36:50.25 .net
関西の古タヌキ死学が、こじつけに一生懸命

684 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 09:40:42.33 .net
邪馬台国=福岡説 PART5
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1642983858/

685 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 09:51:31.90 .net
>>682
佐賀平野の大和町川上と神崎吉野ヶ里では、本格的大発掘の準備が進んでいる。
福岡説もあと少しの寿命だろうな。

686 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 11:35:07.60 .net
>>685
ほうそうか。
邪馬台国ではないだろうが、かなり楽しみだ。

687 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 11:39:06.74 .net
>>675
>東南五百里至伊都国

@なんでこれが東南なん?

Aなんで直接糸島へ行かんの?   @阿波 

688 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 12:36:41.00 .net
>>687
東南が右下という事が分からないのはかなりやばいな
そらキチガイ主張してしまうわな
なんで直接糸島?それなら対馬にも壱岐にも別に行く必要は無い

689 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 12:49:39.91 .net
>>688
>なんで直接糸島?それなら対馬にも壱岐にも別に行く必要は無い

エンジン付きならな。 お前、アホだろ?  わははははは   @阿波

690 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 12:51:05.92 .net
>>688
>東南が右下という事が分からないのはかなりやばいな

お前のことだな。   @阿波

691 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 12:52:38.67 .net
>>689
エンジンなんて無くてもわざわざ時間掛けて壱岐対馬に上陸する必要はない
まあ、こういうのガイジには理解するのは難しいよな、どんまい
ていうか東南が分からないのはガチでやばいでしょwww

692 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 12:54:30.05 .net
>>691
>エンジンなんて無くてもわざわざ時間掛けて壱岐対馬に上陸する必要はない

じゃなんで上陸したんだ?   @阿波

693 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 13:02:18.15 .net
>>692
調査とかしたんだろ
もちっと脳味噌使ったらどうだ?w

694 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 14:32:11.02 .net
>>693
>調査とかしたんだろ

何をいまさら調査すんだ?  「倭人(阿波勢力)」がしょっちゅう通って知り尽くしているがな。 アンポンタン。   @阿波

695 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 16:28:33.37 .net
近畿
距離は計測しているだろー。
倭人は里数知らず。
植物、動物、地形、祭祀等の風習や習慣も調査している。
倭人や倭人以外から聞いたのは丹、橘等
水行から始める投馬国、邪馬壹國の所
と小人伝説位。一般的な倭人が
一月という単位知らないと思うが
東千里に倭種とか
里数、月、暦等を知る者からの聞き取り。

696 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 16:55:34.04 .net
とある人の指摘である

(1) 琉球諸語と中央日本語の比較から,日琉祖語の名詞 *nesi (> 中央 nisi【西】,琉球祖語 *nesi【北】,沖縄語 /niɕi=nu ʔumi/【東シナ海】)は【季節風の方向】という原義を持っていたと推定される。

(2) 漢語話者である魏書の記録者は,恐らく半島日琉語に最初に接触したと考えられる。したがって,韓半島では季節風は南向きに吹くので,恐らく半島日琉語の *nesi の同源詞は【北】の意味だと誤まって解せられたであらう。


つまり本土日本語の人が東に進むと邪馬臺國という本土日本語の人間発言が
半島日本語の人間の通訳によって南に行くと邪馬臺國という意味に変わってしまった。

弥生時代にはまだ朝鮮半島の半島日本語が残っており本土日本語と半島日本語で
相互理解可能性を保持していたが若干コミュニケーションの齟齬は起きうる状況だった

697 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 17:04:00.34 .net
>>670
当然だな。鉄武器などが大量にある所
は邪馬壹國ではない。
まして養蚕など無理だろうな。
養蚕は独占事業で九州だった
卑弥呼を通じて近畿へ広がる
すこし遅れるのが邪馬壹國。

天皇の行事
五穀豊穣の儀式 大嘗祭
養蚕 玉箒
式年遷宮 土おこし、開拓
建築や道具等、職業の等の技術の継承
とか新技術とか発明の集大成

698 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 17:12:31.09 .net
近畿
記紀を編纂した人々て戦争とか支配とか
が好きなんだな。

699 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 17:29:29.45 .net
あとから出てきた新興層が旧支配層を乗り越えて
正統性を主張しつつ国を支配するための言い訳の本だな

700 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 18:30:16.60 .net
九州から畿内に進出した勢力が、自らを正当化するための歴史書が記紀だよ。

701 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 18:30:59.19 .net
>>694
「倭人(阿波勢力)」wwww
頭大丈夫かよ
魏志倭人伝書いたのは中国人だぞwwwww

702 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 18:32:19.29 .net
>>697
鉄器を使っていたり、絹織物をやりとりしているのだから、邪馬台国にはそれらがなくてはならない。
しかし畿内大和にはいずれもない。
あるのは九州。

そもそも東に渡海するとまた倭種がいる(=本州にも仲間がいる)と書いてあるのだから、邪馬台国は九州しかあり得ない。

703 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 18:33:03.13 .net
>>702
これ、ウソね

704 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 18:38:27.77 .net
>>703
これ、真っ赤なウソね

705 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 18:38:37.47 .net
>>701
>魏志倭人伝書いたのは中国人だぞwwwww

「倭人(阿波勢力)」からの情報の基にな。   @阿波

706 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 18:39:34.87 .net
>>702
「阿波」一択だ。   @阿波

707 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 18:42:49.56 .net
北部九州は弥生終末期には絹が激減してるから
事業なんてものはない

https://yamataikokunokai.com/tousennsetu/kinu.htm

708 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 18:47:44.87 .net
>>705
隋書の時代ですら里数を知らずと言われてるのにどんな情報を教えて貰えるんだよw
なんでガイジって史書の話をする時に史書に書かれてる事を無視するんだろうな
これが理解出来ない

709 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 18:57:53.79 .net
>>706
阿波は侏儒国(小人の国)と魏志倭人伝に書かれてるだろ
阿波って四国のどっかで合ってるよな???

710 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 19:03:23.70 .net
>>702
邪馬壹國 限定的な詳細なことは書いていない。
本州にも仲間がいると書いていない。
女王國東 渡海千餘里 復有國皆倭種である。

711 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 19:07:00.50 .net
>>702
卑弥呼の時代の
邪馬台国にはそれらがあまりなくてもいいだよ。
増えるきっかけになる時期なんでね。

712 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 19:09:30.23 .net
>>710
こういう事やね

女王国東渡海千余里復有国皆倭種
https://dotup.org/uploda/dotup.org2702404.jpg

713 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 19:26:33.91 .net
>>709
>阿波は侏儒国(小人の国)と魏志倭人伝に書かれてるだろ

お前、侏儒国に「其山有丹」はないぞ!  あたま狂ってるのか?   @阿波

714 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 19:42:39.56 .net
末盧国は、佐賀県北部の海に面した唐津市、
東南陸行500里の伊都国は、佐賀平野中央部の大和町の川上、
東南へ行けば100里で至ることができる奴国は、現・佐賀市の中心市街地
東へ行って至る100里の不彌国は、これまた佐賀県の神崎郡吉野ヶ里町〜同三養基郡上峰町(上彌根町)

つまり「女王の邪馬台国」は肥後熊本だったが、「女王国以北の国々」は肥前の佐賀平野にあったということなのさ。。、

715 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 19:46:20.43 .net
>>707
甕棺墓が無くなったから、絹が残りにくくなっただけ

716 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 20:05:32.43 .net
自女王國以北其戸數道里可得略載
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org15152.jpg

其餘旁國遠絶不可得詳
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org15153.jpg

>>713
侏儒国については住人が小人であるという事以外には、どんな国であるかは記述されていない。
こんな事すら理解出来ないのに魏志倭人伝の事語ってんの?ウケるwww

717 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 20:09:46.16 .net
>>716
>侏儒国については住人が小人であるという事以外には、どんな国であるかは記述されていない。

「其山有丹」が無いから、記述していない。 当たり前の話。   @阿波

718 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 20:19:08.75 .net
>>717
分からないから記述されて無いんだぞ
そもそも女王国は其山有丹なんだから、「其山有丹」が無いという事は阿波とやらは女王国では無いというだけの事なんだが
自分を自分を論破するのもガイジあるあるだよな、一体何がしたいのか

719 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 20:21:07.39 .net
>>718
>分からないから記述されて無いんだぞ

違う。 「其山有丹」が無いから記述していないだけ。 小人だけ分かるはずもなし。   @阿波

720 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 20:33:37.66 .net
>>719
都合悪すぎて二行以下が見えて無くて笑える
ていうか四国説スレに帰ったらどうだ?
四国説スレだと誰も来てくれないのか?w

721 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 20:57:09.22 .net
>>715

であれば弥生中期の北部九州が甕棺墓だったから絹が残っただけということになる

722 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 20:59:11.90 .net
>>718
>そもそも女王国は其山有丹なんだから

違う。倭国に「其山有丹」だ。 
「魏志倭人伝」時代の倭国は、せいぜい「邪馬臺国」+「狗奴国」+讃岐+南部淡路島 程度だろう。   
因みに「邪馬臺国」は、大河「吉野川」流域に展開する弥生後期集落遺跡国群。   
その南に位置する「狗奴国」は、黒潮太平洋岸に展開する弥生後期集落遺跡国群。   @阿波  

723 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 21:27:48.68 .net
>>722
倭国で詳細が分かるのはこの範囲、魏志倭人伝にそう書かれてる
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org15152.jpg

壱岐対馬までは特に書く事は無いだろうから、記述内容はほぼ女王国に限られる
なぜガイジは魏志倭人伝を語る時に魏志倭人伝に書かれてる事を無視するのか、これが分からない

724 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 21:38:18.63 .net
>>723
>倭国で詳細が分かるのはこの範囲、魏志倭人伝にそう書かれてる

ペテン師。 そんなことは書かれていない。   @阿波

725 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 21:41:04.42 .net
自女王國以北其戸數道里可得略載其餘旁國遠絶不可得詳

なぜ書かれてる事を理解出来ないのか、解せない

726 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 21:48:44.37 .net
「其戸數道里可略載」(女王国より北にある国々は、その戸数や道順、距離をおおよそ記載できる)。

この意味は、女王国(粟国=大吉野川流域)に所属する21カ国については、

「その戸数や道順、距離をおおよそ記載できる」との説明である。   @阿波

727 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 21:49:10.46 .net
「其餘旁國遠絶不可得詳」(その他の周辺国は遠く離れていて、戸数や道順、距離がつまびらかでない)。

この意味は、阿讃山脈を越え、海を隔てた遠く瀬戸内海地域などの国々(吉備など)については、

「遠く離れていて、戸数や道順、距離がつまびらかでない」との説明である。   @阿波

728 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 21:49:36.39 .net
「其戸數道里可略載」

だ・か・ら・「戸数や道順、距離」は略載(書こうと思えば書けるが、省略して書かなかった)としている。   @阿波

「戸数や道順、距離」を書けば、「略載」とはならず、「詳載」となってしまう!   @阿波

729 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 21:50:05.13 .net
「その戸数や道順、距離をおおよそ記載できる」これすら出来ない辺境の国の風俗なんて余計に分かるわけねーだろ
なぜまともに思考出来る能力も無いのに魏志倭人伝の事を語ろうと思ってしまうのか、解せない

730 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 21:56:56.50 .net
>>729
>「その戸数や道順、距離をおおよそ記載できる」これすら出来ない

だ・か・ら・「戸数や道順、距離」は略載(書こうと思えば書けるが、省略して書かなかった)としている。 

「邪馬臺国」所属国だから、略載しただけ。   @阿波

731 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 22:05:18.97 .net
>>730
自女王國以北はこの範囲だぞ、魏志倭人伝にそう書かれてる
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org15152.jpg

これ、何度目だよwww
そもそも「邪馬臺国」所属国なんて物は存在しない

732 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 22:10:04.77 .net
>>728
ちょっちょっ
このガイジ、略の意味が分かってないのかwwww

略載
10239メートルのところを10km
51587戸の事を5万戸

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%95%A5_%28%E3%81%BB%E3%81%BC%29/#jn-205197

733 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 22:14:56.77 .net
>>732
>このガイジ、略の意味が分かってないのかwwww

だから、略して国名だけは書いている。   @阿波

734 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 22:34:23.92 .net
>>733
略載は書かない事では無い

お前の言う「書かない」はこれ
其餘旁國遠絶不可得詳

分からないから書かない、分かるから略載する

これもう義務教育レベルの事も理解出来ない奴だろ・・・施設からネットしてるのか?

735 :日本@名無史さん:2022/01/24(月) 23:12:32.91 .net
阿波は泡クズだから無視しようぜ

736 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 00:34:26.25 .net
>>712
なぜ?糸島市 灘山付近なんですか?
今津、福津、中津、宗像市、北九州は女王国ではないてこと?
>>731
>自女王國以北はこの範囲
投馬国はどこでしょうか?

737 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 00:42:05.74 .net
>>736
その辺りは女王国では無いだろうね
この辺のどっかに烏奴国があったんだろうが、詳細は不明

南至投馬國水行二十曰
https://dotup.org/uploda/dotup.org2702847.jpg

738 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 00:48:29.25 .net
>>737
約300kmに二十日はかかり過ぎだろう
そこまで船足が遅いと対馬海峡を渡れない
>>5の航路のほうが正しいと思われる

739 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 01:04:25.20 .net
>>737
自女王國以北ですが?
狗奴国はどこ?
>>738
陸1月?

740 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 01:31:04.10 .net
>>738
別にかかりすぎじゃねーよ
渡海用の船と沿岸航海用の船なんて別物だし
そもそも対馬海峡の流速なんて2km程度だけどな

>>739
自女王國以北がなんなのか分かってないのか?
狗奴国は女王國の南だぞ、魏志倭人伝読んだ事無いのか?

741 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 01:47:43.89 .net
>>740
投馬國 邪馬臺国、奴国、狗奴国の位置がさっぱり
わからん。

742 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 01:51:11.23 .net
邪馬臺国はここだぞ

南至邪馬壹國水行十日
https://dotup.org/uploda/dotup.org2702848.jpg

奴国は伊都国の側だろ、そう書いてるじゃん

743 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 01:55:44.07 .net
>>742
水行10日陸1月もかかるのか?

744 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 01:57:16.77 .net
>>743
今の基準で考えるな
あと、水行は十日が最低単位だから細かい事は気にするな

745 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 02:06:09.51 .net
>>744
今の基準で考えていない
海岸線も今より内陸にある。
干満利用すれば1日で到着
却下だな。

746 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 02:16:07.80 .net
>>745
干満は海面の上下移動だぞw
ていうかそういう妄想は妄想スレでやってなw

747 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 03:56:43.85 .net
>>746
引き潮、上げ潮
https://www.env.go.jp/council/09water/y0910-31/ref03.pdf
https://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN5/siryouko/monosiri/arekore/ryuukou.htm

748 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 04:22:32.98 .net
>>747
書いてる事読めないガイジなの?
両方向に動くって書いてるだろw上下運動だからな

749 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 04:31:04.71 .net
>>748
書いてる事読めないガイジはあんただな

750 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 04:47:09.31 .net
>>748
古代人の有明海
竹下泰彦

https://www.ariakekai-gururin.net/app/download/14746002924/%E6%9C%89%E6%98%8E%E6%B5%B710001_2.pdf?t=1511410791

751 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 04:50:38.71 .net
>>748
反論するなら 流れがない という
有明海の資料つけてね
ガイジ

752 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 04:51:23.65 .net
>>750
どこをどう見ても両方向に動くって書いてるな
自分を論破するソースを二つも自分で持ち出すって言うのは、ある意味才能だよな

753 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 05:13:24.66 .net
>>752
ガイジさん

754 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 05:15:55.76 .net
>>752
反論は論理的に、それが出来ないのはただの負け犬です。

755 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 05:22:09.90 .net
>>753
>>754
朝から自己紹介しなくて良いからちゃんと1行目理解しような
もしかして、義務教育すら受けてないレベルか?

756 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 05:24:10.51 .net
>>755
解説をどうぞ?
義務教育すら受けてないレベルさん

757 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 05:26:45.83 .net
2.有明海における潮流の分布
有明海の大潮平均流速分布について以下に示した。
大潮平均流速分布は湾口部の早崎瀬戸で最大7ノットを超え、湾南部で2〜3 ノット、湾中
央部で 1.5〜2 ノット、湾奥部と沿岸部でも 1〜1.5 ノットに達する。湾奥部でも強い流速を
有するのは潮汐と同様に湾の共振による振動増幅及び水深減少のためと考えられている。ま
た、浅海部の観測によると、湾奥河口域では澪筋に速い流れが出現している。

>>755
流速て何?
義務教育すら受けてないレベルさん

758 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 05:39:13.89 .net
>>756
ガチで理解出来ないとかやべーな
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org15188.jpg

>>757
ガイジ君、君がコピってる文に流速は使われてるぞw
これ、ガチで内容理解出来ずに貼ってるんだなwwww

759 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 05:53:41.27 .net
>>758
ガイジくん
干満利用すれば10日もかからないよ。

760 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 06:47:54.49 .net
>>759

746日本@名無史さん2022/01/25(火) 02:16:07.80>>747
>>745
>>干満は海面の上下移動だぞw
>>ていうかそういう妄想は妄想スレでやってなw

干満利用するとかの
考えもないノータリン相手にしてもどうしようもないぞ

761 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 07:11:23.47 .net
壇ノ浦の戦いみたく短期では使えるかもしれんが
一方向への長距離移動では無意味

762 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 07:16:26.87 .net
一定時間で交互に向きが変わるから、自分の行きたい方向の時間だけ潮に乗ればいい。
潮待ちという言葉もあるしね。
遠浅の有明海は特に干満による水平方向の流れが大きく、利用しやすい。

763 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 08:16:05.22 .net
>>734
>分からないから書かない

その通り!  だから、「遠く離れていて、戸数や道順、距離がつまびらかでない」から、何も書いていない。

 
>分かるから略載する

その通り!  だから、略して国名だけは書いている。   @阿波

764 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 08:31:38.19 .net
>卑弥呼の居た三世紀半ばは西日本は近畿、吉備、出雲などの諸勢力が割拠していて

と言うよりも、「倭人(阿波勢力)」が進出していただけ。   @阿波

765 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 09:23:43.60 .net
有明海は内湾であるから、
干満といっても内湾全体で見れば、潮は反時計回りにゆっくり優しく渦を巻いて流れている。
例えていえば、船を浮かべたままにしておくと、ぐるり一回りして、やがて元のところに帰ってくるんだよ。
阿波の鳴門の、人を喰い、飲み込むような過激底なしの大渦潮とは違う。

766 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 10:17:13.48 .net
水行しないほうが早いじゃんw

767 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 10:47:02.11 .net
>>766
近畿
3ノット 時速5.5km
戸ヶ里港(筑後川)〜宇土マリーナ(熊本市の南 宇土市)
60kmとして12時間
2日あれば到着だな
風があるともっとお早いかもね

768 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 10:50:50.28 .net
近畿
水行10日陸1月をどう解釈?

水行10日或いは歩いて1月なのか?
水行10日の後に陸1月歩くのか?

769 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 11:05:35.51 .net
近畿
その前に南水行20日 投馬国だな。
陸路では行けない所?

770 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 11:27:34.94 .net
糸島から久留米に行くのに二十曰かけて長崎ぐるっと回る奴はおらん

771 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 11:47:50.54 .net
>>770
佐賀バカだけだろう。   @阿波

772 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 12:03:16.96 .net
>楯築弥生墳丘墓のホウガフルイ
>前方後円墳の起源は岡山ニダ


その岡山の元は、「阿波」の「四隅突出墓」荷駄。   

「四隅突出墓」も倭国(阿波)発祥!   
萩原1号墳・萩原2号墳・足代東原1号墳・奥谷2号墳・寺山3号墳   @阿波

773 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 12:25:02.72 .net
>>739
>>2

774 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 12:29:25.48 .net
>>771
ハーイ、佐賀バカですが何か?

唐津を出て、糸島から久留米に行くのに二十曰かけて長崎ぐるっと回る奴はおらん
同じく唐津を出て、糸島から久留米に行くのに二十曰かけて博多や宇美や大宰府をぐるっと回る奴はおらん
それよりも唐津から東南の佐賀平野へスッと抜けて、そのまま東の久留米へ向かえば
4-5日で着く、、。

775 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 12:38:24.31 .net
>>774
久留米には、なにもない。   @阿波

776 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 12:52:58.36 .net
>>775
ちとブサイクだが、久留米はオレのカアチャンの里だ。文句あっか、、。

777 :太国 :2022/01/25(火) 13:29:53.49 .net
あいつは稀代のデンパ。pppp

778 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 13:51:14.41 .net
近畿
佐賀平野、筑後平野、有明海に
伊都国、不彌國 奴國 烏奴國がある。

779 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 13:52:38.68 .net
飛鳥も出雲も伊勢も日向も阿蘇も筑紫も大津も吉野も纏向も吉備も、記紀以降の後付け地名。

その後付け地名に踊らされている、三流学者や郷土史家ども。  わははははは   @阿波

780 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 16:23:18.13 .net
九州の前期古墳(50m以上)

TB期
那珂八幡古墳(86博多)
UB期
山の鼻2号墳(83今宿) 光正寺古墳(52宇美) 御道具山古墳(65糸島泊) 島津丸山古墳(57遠賀)
赤塚古墳(57宇佐) 西都原1号?墳(52宮崎)
UC期
久里双水古墳(95唐津) 三雲瑞山古墳(78糸島) 豊前石塚山古墳(134京都郡) 生目1号墳(135宮崎)
檍1号墳(51宮崎) 原口古墳(84筑紫野) 車坂古墳(58宇佐) 徳正寺山古墳(糸島二丈52) 西都原72号墳(81宮崎)

781 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 18:00:02.05 .net
>楯築弥生墳丘墓のホウガフルイ
>前方後円墳の起源は岡山ニダ


その岡山の元は、「阿波」の「四隅突出墓」荷駄。   

「四隅突出墓」も倭国(阿波)発祥!   
萩原1号墳・萩原2号墳・足代東原1号墳・奥谷2号墳・寺山3号墳   @阿波

782 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 18:10:28.24 .net
>>780
近畿
烏帽子塚古墳
東西258m、南北100m、周囲712mという巨大なお墓だったと記されている前方後方墳

前方後方墳
赤坂古墳墳丘
鳥栖市永吉町赤坂
筑前町四三嶋
焼ノ峠古墳

宝満川及び周辺
弥生時代の殺傷遺骨 多い地域

783 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 18:13:10.06 .net
近畿
烏帽子塚古墳
修正
東西256m、南北100mの前方後円墳だったと記されていた。
スマソ

784 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 18:25:16.18 .net
狗奴国国邑推定地「東方丘陵」

785 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 19:23:14.54 .net
>>761
まっとうに考えればすぐ分かる事なのになて

>>762
待つなら利用しないと時間変わらないな
有明海は水平方向の流れは小さいしなw

>>770
長崎ぐるっと回るルート以外の道は無いから行き来するなら自然とそうなる

786 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 19:24:51.16 .net
>>785

遠浅だと、少しの干満でも水平方向に海水が大きく動く。
小学生でもわかること。

787 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 19:29:22.74 .net
>>785
川を使えば、簡単に福岡から筑後平野に出られるよ。
昭和のモータリゼーションまでは、数千年にわたって河川が主要交通路だった。
危険な海路をわざわざ使うわけがない。

788 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 19:43:49.61 .net
>>786
https://www.env.go.jp/council/09water/y0910-31/ref03.pdf
はい、1ノットwwww

>>787
川まで辿り着け無いから無意味だよw

789 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 19:56:50.98 .net
福岡側から川を遡上するだけ。

790 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 20:02:50.79 .net
川を遡上うけるwwww
いっぱい死人出しながら必死こいて山の奥地まで辿り着いてからどうするんだ?www
山の奥地まで行ってまた同じ川の川下りすんのか?
意味ねーwwww

791 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 20:55:09.61 .net
>>782

烏帽子塚古墳 無い
赤坂古墳 24m
焼ノ峠古墳 39m

792 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 21:46:04.58 .net
>>790
>いっぱい死人出しながら必死こいて山の奥地まで辿り着いてからどうするんだ?www
>山の奥地まで行ってまた同じ川の川下りすんのか?

いや、そんなことはしない。 船をかついで、尾根道をひたすら突き進む。 たぶんw  わははははは   @阿波

793 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 21:51:38.38 .net
>>792
そんなん確実に死者出るやんwwww

794 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 22:29:34.62 .net
>>793
川を遡上するぐらいだから、死んでも悔いないだろう。  わははははは   @阿波

795 :日本@名無史さん:2022/01/25(火) 22:43:58.58 .net
>>767
そんなもんだな。
https://www.env.go.jp/council/09water/y0910-31/ref03.pdf
早崎瀬戸 4.27 〜 1.36ノット。
速すぎると逆に怖い。

796 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 00:00:39.70 .net
船の速度から考えるとこっちのほうが正しそうだな

https://i.imgur.com/8UPzltf.jpg
https://i.imgur.com/pPIaxBU.jpg

797 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 00:08:47.87 .net
>>796
弥生日本人が1日にどのくらい進むか分からんガイジなだけやで

798 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 00:27:16.01 .net
一日に歩ける距離には個人差がある
徒歩なら一日20キロとも100キロとも考えうる
地球半周が2万キロだから早くて1年遅くて10年で他の全地域の情報は伝わるということ。
無論のろしや駅馬などを利用しない場合の話。

799 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 00:33:35.87 .net
宮崎で無い理由

邪馬台国より先にあるなら邪馬台国の後に書かれるはずである
自女王國以北其戸數道里可得略載其餘旁國遠絶不可得詳と整合性が取れない
女王國東渡海千餘里復有國皆倭種と書かれてる国の方が近く通り道上にある事になってしまう
五万戸もあるような大規模集落遺跡も無い

>>798
そういう補給無視したただ移動するだけの思考するから間違えるんやで

800 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 00:41:03.50 .net
>>798
これは古代史の問題なのだから、
古代の駅家制度を引用するのが最も適切ではないか。
事実、倭人伝には、女王への文書や品々は「伝送」したとあるからな。

801 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 00:44:08.86 .net
>>789
船を担いで、箱根や生駒山を越えるようなことを、そうそう気安く云ってくれるなよ。

802 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 00:48:03.86 .net
のろしとともに鏡を使用した場合、情報の伝わる速度は理論上光ファイバーと同等になる←ここ重要。

803 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 00:53:23.77 .net
「早くて1年遅くて10年で他の全地域の情報は伝わる(キリッ)」


ローマ帝国の情報は中国にはまったく伝わらなかった模様

804 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 00:55:00.31 .net
>>803
安頓って皇帝の話が出てくるね
そもそも香炉台に景教系の人が結構いたんでしょ

805 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 00:56:44.87 .net
>>804
安頓がローマ皇帝かどうかすら分からないレベルだが
ていうかお前の世界ではローマ皇帝は一人しかいなかったのか?w
他の情報は?
ローマ帝国は何年続いたの?ww

806 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 01:01:06.98 .net
>>805
もう少し勉強しなさい。

807 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 01:13:21.93 .net
>>806
なるほど、これが鏡を使用して情報を伝えるという奴か

808 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 01:14:09.51 .net
のろしネットワークは博多〜熊本の烽火台の話ね
博物館に貼ってあった

809 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 01:15:09.51 .net
>>796
近畿
黒潮に逆らうのでむつかしい
なので陸路で佐賀平野なんだろうな。
帰路では利用できる。
筑後川南下、有明海さらに南下で
長崎の西に出て黒潮に乗って帰路。
狗奴国との緊張状態であること
呉との関係で帰路としては使えず、
もと来た行程で帰路。もっとも使えたと想定で
不弥国南至り投馬国(四国)水行20日としている。
卑弥呼は伊都国にいるので邪馬壱国に行く必要もない。

810 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 04:18:24.70 .net
>>809
黒潮がどこを流れているか知らない人?

811 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 04:51:41.65 .net
近畿
書き間違いだ。
対馬海流に逆らうのでむつかしいだな。
サンキュー。

812 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 04:54:40.54 .net
近畿
長崎の西に出て対馬海流に乗って帰路だな。

813 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 06:44:48.43 .net
御笠川の上流と宝満川の上流は数百メートルしか離れてなくて、船を担いで行き来する。
これを船越という。
だっけ?
だから博多湾と有明海は内陸で水行できるのだそうだ。
確かに筑紫野市のあたりで近接している。

814 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 06:47:49.07 .net
壱岐も対馬も「南北巿糴」。

近畿の言うことは基本間違っていると思って読めば丁度いい。

815 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 06:52:55.48 .net
>船を担いで行き来する
お前は猿か。
荷を担いで行き来する。だ。
博多湾と有明海は河川交通でもいいし、陸地を歩いてもいい。
マツロから肥前川上も30キロ程度だから歩いて1日。弥生の小道でも2日ありゃ着く。

816 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 07:00:52.92 .net
>>790
>いっぱい死人出しながら必死こいて山の奥地まで辿り着いてからどうするんだ?www

筑紫野や太宰府は地形的には山の奥地ではない。
あのあたりからなら、福岡平野と筑後平野の両方を睨むことができ、川を使った交通も楽だということ。
県立筑紫高校のあたりが分水嶺のようだ。

817 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 07:04:48.07 .net
>>815
実際に福岡県には船越という地名があちこちにあるようだ。
荷を担いでいくのもいいが、船も担いだようだ。
福岡県の皆さんの常識を他の地域の常識で測るのは誤りなのだろう。

818 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 07:17:10.12 .net
>山の奥地まで
んなこと言ってる猿が邪馬台国論争してんのか。
福岡平野〜筑紫野〜筑後平野は弥生遺跡がびっしりと連なってる人口密集地。
筑紫野市の辺りは河川交通の要衝だから甕棺墓集落から始まって後の城壁やらなんやら重要遺跡が目白押しだぞ。

819 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 07:36:24.58 .net
たまに邪馬台国の話する時に、弥生時代の話と古墳の時代の話の区別が付かないやつおるよな
河川交通www

820 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 07:45:15.13 .net
弥生時代と古墳時代で河川交通がどう変わったのか説明してもらおうじゃないか。
筑紫野に弥生遺跡があるということは、河川で遡ってきていたことは確実なんだが。

821 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 07:53:04.72 .net
こいつ正気で言ってんのかなw

822 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 07:55:33.15 .net
河川交流といっても、ちょろちょろ水の小流れでどうして船が動くのか
ま、せいぜいプラ洗面器が浮かぶ程度で、たらいすら流れない。
御笠川の上流と宝満川の上流は、500mどころか、何qも船を担がなきゃならんのだぞ。

823 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 08:13:53.27 .net
やっぱり違いは外洋航海できる船があったかどうかじゃないのかな
10万人単位で海外から人口移動したのなら移動手段も丸木舟だけとは思えないね

824 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 08:39:54.49 .net
三国志に登場する船は、川船ではあるが、数百人の兵と武器をのせる軍船。
外洋を乗り切る帯方郡の軍船も、同じような巨大船だったのだろう。
というのは、すでに当時の漢はハガネの加工具が全盛を迎えており、
古代とはいえ、我々想像を超える技術が有ったのだ。

825 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 08:42:13.24 .net
つまり、邪馬台国は中国にあったという事かな?w

826 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 08:43:38.86 .net
>>822
宝満川はちょろちょろではないぞ。
現代の地図でも数百メートルまで接近しているのは確認できる。
県立筑紫高校を挟んですぐだ。
実際にこのあたりは河川交通で栄えた弥生銀座だろ。
反論になってないぞ。

827 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 08:45:21.80 .net
まぁ漆塗りのかごでもホームセンターのゴムボートよりは耐久性ありそうだからな

828 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 08:50:29.74 .net
工作精度だけ見れば
銅鏡を作れる技術があれば
車輪とか平面の板も物理的には制作可能でしょ
民生品としては必要がないからそこまでやらなかっただけの話

829 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 08:51:31.34 .net
>>826
川幅はその通りだが、それは洪水に備えて近代に構築された河川幅。
肝心なのは、それを平時どれだけの水が流れているかだ。
芦敷に遮られ遮られして、小さな流れはとぎれとぎれ、とうてい船で行き来できる状況ではない。
船が通えるのは遥か下流まで。

830 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 08:58:21.43 .net
博多から佐賀平野なんて歩いていけるぞ
東京から平塚くらいの距離だ
輿に乗って移動でも一ヶ月もかからん

831 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 08:58:47.77 .net
現代の地図www
なぜ弥生時代の話だという事を理解出来ないのか、解せない

832 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 09:01:57.55 .net
平野部は河川交通のほうが便利だろうね
特に荷物が大きい場合は

833 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 09:07:48.14 .net
>>831
そうか、その弥生時代の地図をUPしてくれ

ま、彌生時代に集水面積が何十倍もあったわきゃなかろもん・・

834 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 09:28:04.21 .net
>>812
>長崎の西に出て対馬海流に乗って帰路だな。

お前も私の主張を採用か?  わははははは   @阿波

835 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 09:57:56.94 .net
>>814
近畿
意味不明
壱岐も対馬も「南北巿糴」
だから上陸地は、唐津港なんだけど?
帰路の別ルートを書いたまで。

836 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 10:16:14.29 .net
>>834
前からそうだけどな。
不彌國が起点と順次だな。
投馬国 対馬海流で北上で
五島列島さらに北上で平戸
東へ進路変更、壱岐を通り福津、
開門海峡を通り南下、姫島、
四国の三瓶港あたりに上陸
で水行20日。陸路の記載がないから
陸路では行けない所。投馬国は四国しかない。

837 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 10:33:06.41 .net
>>836
>前からそうだけどな。

だったら、「上陸地は、唐津港」など有り得ない。

対馬海流の流れを、お前の好き勝手に使うな!   @阿波

838 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 10:41:31.87 .net
>>796
邪馬台国まで約300kmで水行10日か
妥当な線だな

839 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 11:08:55.20 .net
>>837
近畿
帰路の別ルート

840 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 11:26:05.72 .net
近畿
伊万里ルート、今津ルート
福津ルート、中津ルート
別府ルート、大分ルートと多くてんざんしていた。
古墳多くある所に津、街道あり。道しるべにもなる。

841 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 11:27:29.87 .net
大陸からの玄関口(福津市周辺 万津浦)

大陸への出航地(平戸市周辺)   @阿波

842 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 11:55:08.52 .net
>>841
近畿
魏志倭人伝では
「南北巿糴」より唐津ルート
東南500里に伊都国(吉野ケ里遺跡)
8km先に不弥国。
>>817
筑紫野に実際に行った人ならできそうと思うよ
パナマ運河構想は昔からあるよな。
「二日市宿庄屋覚書」によると、寛文三年(1663)に二日市から博多の川端町までの運河が整備され、川船で物資を運んだとされる。
とか。

843 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:00:53.24 .net
伊都国が吉野ヶ里とかまじで言ってんのかよ
伊都国は何戸と書かれてるんだよwww

東南五百里至伊都国
https://dotup.org/uploda/dotup.org2702402.jpg

844 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:05:57.19 .net
吉野ヶ里はもっと大きいな。

845 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:06:00.33 .net
>>791
赤坂古墳 24m
焼ノ峠古墳 39m
突如、前方後方墳ができる。
3世紀半ば以降
伊都國,官曰爾支,副曰泄謨觚、柄渠觚
は東海関東と繫がりがあるのでは?

なぜか宝満川及び周辺に殺傷痕のある遺骨が多い。

846 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:06:19.80 .net
>>840
その「近畿」はなんだ?
目印か?

847 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:07:01.84 .net
>>830
陸行一月が解決した瞬間

848 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:07:42.09 .net
>>829
>芦敷に遮られ遮られして、小さな流れはとぎれとぎれ、とうてい船で行き来できる状況ではない。

弥生時代に流れが途切れ途切れだったという証拠は?

849 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:11:45.21 .net
>>843
それ途中から北東になっているから間違い
>>843
https://www.yoshinogari.jp/introduction/qa/
より
最盛期には、外環壕の内部におよそ1,200人、吉野ヶ里を中心とするクニ全体では、5,400人くらいの人々が住んでいたのではないかと考えられています。
千余戸と合う

850 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:13:22.58 .net
>>847
逆だよ。10日で行ける

851 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:17:16.11 .net
>>842
>「南北?糴」より唐津ルート

その南北とは、島の南北のこと。  だから、「對海國」「一大國」それぞれに「南北市糴」を記している。
それをあたかも、朝鮮半島や北部九州とする恣意的解釈をするトンデモ。
そもそも、島が食料不足なのであれば、朝鮮半島や北部九州と市糴するに値する物が無く、市糴が成り立つ訳がない。   @阿波

852 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:19:28.18 .net
>>842
そもそも、対馬海峡をお手軽に航行できると考えること自体がお粗末思考。   @阿波

853 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:20:24.01 .net
>>842
「無良田食海物自活 乗船南北市糴」=良い田は無い(並みの田はある)ので、海産物を食べて自活している。
船に乗って島内を南北に行き来し、商取引(物々交換)をしている。
「耕田猶不足食 亦南北市糴」=田を耕し生活している。なお不足の時は、島内を南北に行き来し、
商取引(物々交換)をしている。   @阿波

854 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:20:55.51 .net
>>842
>島で作物が取れないから、
そんなことはどこにも書かれていない。 
むしろ逆で、自活しているとある。 自活できる食料が島内にあるということ。  
ちいさい島ながら、自活している島民に感心している記述である。
「南北市櫂」は、対馬と壱岐 それぞれの島内での話。   @阿波 
いい大人が自分に都合のいいように、自分勝手な解釈をするでない。   @阿波

855 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:22:46.49 .net
>>843
上陸地も違う、唐津市佐志あたり

856 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:23:39.92 .net
>>852
近畿
お手軽に航行できると考えていないけど?

857 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:26:08.11 .net
>>856
なら、「南北市糴」より唐津ルート  は有り得ない。    @阿波

858 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:26:16.81 .net
>>826

弥生銀座と呼ばれてるのは春日市あたり    
洪水地域の久留米は発展していないから
川で運ぶものはない

859 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:28:31.95 .net
>>854
「島で作物が取れないから」とか書いていないけど?

魏志倭人伝には乖船南北市糴、
耕田猶不足食,亦南北市糴と書いてあるが?

860 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:31:12.83 .net
>>840
途中から北東になって何が問題なんだ?

末廬國から東南に陸を行く、五百里で伊都国につく
真っ直ぐ進むとはどこにも書いて無い
末廬國からの出発方向と到着までの距離しか書いていない。

南至投馬國水行二十曰
これは南に投馬國がある(国がある方向)、水行二十曰(到着までの時間)が書かれてる

こうやってわざわざ区別して書いてるのに、全部いっしょくたにするのは頭の悪い証拠やで

861 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:33:48.44 .net
>>860
北東に進むとも書いていないけど。
なぜ、書いていないことを書くのだ?
そのまま素直に東南だな。

862 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:36:42.96 .net
>>859
そんなことはどこにも書かれていない。 
むしろ逆で、自活しているとある。 自活できる食料が島内にあるということ。  
ちいさい島ながら、自活している島民に感心している記述である。
「南北市櫂」は、対馬と壱岐 それぞれの島内での話。   @阿波 
いい大人が自分に都合のいいように、自分勝手な解釈をするでない。   @阿波

863 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:37:25.21 .net
南至投馬國水行二十曰
これが出発方向
投馬國(到着場所)、水行二十曰(到着までの日数)が書かれてる
陸行がないので陸路でいけない所、四国である。

864 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:39:28.43 .net
>>863
>陸行がないので陸路でいけない所、四国である。

南四国に大国「邪馬臺国」・「狗奴国」・「投馬国」
「弥生人にとって、阿波はまさに常世の国・パラダイス」
南四国は、温暖な黒潮流れる太平洋に面し、漁労・航海術が発達、内陸は高温多雨による森林資源に恵まれ、
一方、「辰砂」「青玉」など希少価値の高い鉱物にも恵まれている。
また、吉野川を始めとする、いくつもの大河が流れ、大河流域には、広範に肥沃な土壌の恵みを与えている。   
南四国に大国「邪馬臺国」・「狗奴国」・「投馬国」が興るのも当然と言えば当然。   @阿波

865 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:39:55.65 .net
>>862
近畿
無良田,食海物自活,乖船南北市糴。又南渡一海千餘里,名曰瀚海,至一大國,官亦曰卑狗,副曰卑奴母離。方可三百里,多竹木叢林,有三千許家,差有田地,耕田猶不足食,亦南北市糴。又渡一海
爺が自分に都合のいいように、自分勝手な解釈をするでない。 

866 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:40:43.80 .net
>>863

歴韓国は陸行で行けるけど水行している

867 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:46:15.09 .net
>>860
>末廬國から東南に陸を行く、五百里で伊都国につく
>真っ直ぐ進むとはどこにも書いて無い

我田引水の身勝手自己流解釈だ、
唐津からは、「東南へ陸行500里の道」を行くであり、東南は「陸行500里」全体に掛かっている。
出発時だけではない。

868 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:47:47.20 .net
>>858
久留米までは持ち出してないよ。
それでも有明海まで内陸交通(河川を含む)で楽勝なのに、危険な外海を含む海路をわざわざ使う意味はない。

869 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:48:48.96 .net
>>848
弥生時代には、満々と水を湛えて流れていたという証拠は?

870 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:48:59.76 .net
>>866
それがどうしたの?
南至邪馬壹國,女王之所都,水行十日,陸行一月
と書いているけど

871 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:50:24.47 .net
>>868

内陸交通でも外海を含む海路でも有明海に行く意味が無い

872 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:50:30.01 .net
>>860
なら、まっすぐの東南でも無問題だな。

873 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:50:54.32 .net
基本、河川でも沿岸航行でも、船で行けるところは船で行く。
それが古代の交通のポイント。
だから、陸行一月はあり得ない。
そして、博多湾から有明海に出るには、河川を利用する(沿岸航行は距離が長くなるので非現実的)。

874 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:51:45.53 .net
>>870

水行だから陸行で行けない所ということにはならない

875 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:51:57.35 .net
>>871
邪馬台国が伊都国より南なら、筑紫平野を南下するしかない。
そこには河川があるので、水行そのものは可能。

876 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:54:09.91 .net
>>854
島内を廻るのなら、歩いて行けばよいし、その方が遥かに便利、
それを、わざわざ市櫂とは言わぬ。

877 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:56:32.77 .net
>>875

佐賀平野の拠点集落吉野ヶ里の東や東南に吉野ヶ里よりも大規模な遺跡は無い
唐津から東南に行くと吉野ヶ里で終わってしまう

878 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 12:59:07.04 .net
>>876
>島内を廻るのなら、歩いて行けばよいし、その方が遥かに便利、

アホか! 荷物を運ぶのはどっちが便利か考えろ、ボンクラめ。   @阿波

879 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:00:19.65 .net
>>845
>伊都國,官曰爾支,副曰泄謨觚、柄渠觚
>は東海関東と繫がりがあるのでは?

なぜ関東が突然出るのかは不明だが、最大の要所であった鹿島が志賀島に因むことから、関東は筑紫の海人族(天津神)の勢力範囲に収まったのは間違いない。
後の藤原氏もこの流れによるもの(鎌足は関東の出身)。
ご丁寧なことに、藤原氏の氏神は元を辿ると福岡の春日神社だしね。
内陸の諏訪経由で出雲も進出しようとしたが(鷲宮)、本国の敗戦により廃れてしまった。

880 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:01:27.23 .net
>>877
それ、吉野ヶ里を伊都と呼んでいる?
やはり伊都は糸島でなければならないのだろう。

881 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:01:38.64 .net
>>861
進むのは東南だが?
もしや、目が付いてない?

>>863
四国はこれや
又有侏儒國在其南去女王四千餘里
https://dotup.org/uploda/dotup.org2702405.jpg

>>867
それこそ我田引水の身勝手自己流解釈だ

>>871
単純に当時は有明海方面に通じる道が無い

882 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:02:38.99 .net
>>877
>唐津から東南に行くと吉野ヶ里で終わってしまう

他所もんの知ったかwww

883 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:03:41.97 .net
>>876
>島内を廻るのなら、歩いて行けばよいし、その方が遥かに便利、

アホか! 荷物を運ぶのはどっちが便利か考えろ、ボンクラめ。   @阿波

884 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:03:59.46 .net
関東は筑紫の海人族(天津神)の勢力範囲に収まったのは間違いない

魏志倭人伝に筑紫も海人もない。

885 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:05:12.00 .net
藤原氏の祖先は、筑紫伊都への天孫降臨に随伴した天児屋命、またの名を春日戸神。

886 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:05:19.02 .net
>>874
南至邪馬壹國,女王之所都,水行十日,陸行一月
なぜ、陸行一月と書いたの?

887 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:05:27.11 .net
>>880

筑紫平野を南下しても吉野ヶ里より大きな遺跡は有明海沿岸には無い

888 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:06:13.15 .net
>>884

畿内も関東も四国も、東の倭の別種

889 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:06:33.83 .net
>>886
陸行一日の書き間違い

890 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:06:56.59 .net
>>886

おそらく陸地が続いているのを表すため

891 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:07:25.30 .net
>>887

じゃあやはり邪馬台国は福岡を含む連合国家だ。

892 :太国 :2022/01/26(水) 13:08:09.43 .net
一か月観光しててのんびりしてたということだろう。

893 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:08:44.06 .net
>>891

そんな閉鎖的な思考だと福岡の首長にすらなれない

894 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:09:54.75 .net
>>886

水行十日 または 陸行一月    @阿波

895 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:10:19.23 .net
>>890
水行20日は続いていないこと?

896 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:11:57.68 .net
>>895

陸地が続いていても水行している

897 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:15:06.38 .net
>>896
陸地が続いてなくても水行している。

898 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:17:09.36 .net
>>897

どこを?

899 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:19:12.83 .net
>>896
どこを?

900 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:20:05.01 .net
>>899

歴韓国を

901 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:21:02.36 .net
>>898
投馬国

902 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:24:10.61 .net
>>887
発掘が遅れてる地域なのに、無いという証拠は??

903 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:26:27.95 .net
>>902

筑後とか熊本は必ず今は無いけど有ると言い張る

904 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:28:47.86 .net
邪馬台国が七万戸とある時点で、福岡を含む連合国家しかあり得ない。

905 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:32:13.13 .net
>>904

>>891が本州までの広域連合なら正しい

906 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:33:07.53 .net
そもそも邪馬台国の南に女王国と敵対してる狗奴国があるからな
狗奴国と対峙するのに邪馬台国の兵力(人)を集中させたんだろう
だから首都は狗奴国から遠い伊都国に置いている

907 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:35:00.24 .net
>>906

後漢書で狗奴国は東と修正されている

908 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:36:58.60 .net
>>904
邪馬台国はそれ1国で邪馬台国である。
もし連合国家と定義するのなら、いくつかの国が連合したということであり、倭人伝では、それは共立倭国である。
そうでない連合を自分勝手に作るな。

909 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:38:20.85 .net
>>908
もちろん、共立した倭国のことだよ。
だから魏も倭王として卑弥呼に金印を与えている。

910 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 13:55:21.34 .net
>>909
当然だな。邪馬台国にあたられたもんでもない。
倭国に与えられもん

911 :太国 :2022/01/26(水) 14:01:16.34 .net
>>673
日本神道の古代の神々は印欧神話の神々がその起源ではない

記紀の国生みだが、日本の国生みだけであって、インドの国生みも神も
載っていない。日本が世界のご本家であって、インドがご本家ではない。
わが神国日本は全世界の別格の国家であり、外国とか格がちがう黄金の国ジパグ
たる金メダル級国家である。それ故神国日本は萬邦無比の國體を誇るのだ。

912 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 14:04:11.61 .net
>>904
>邪馬台国が七万戸とある時点で、福岡を含む連合国家しかあり得ない。

トンデモの考えそうなこと。   @阿波

913 :太国 :2022/01/26(水) 14:06:53.26 .net
〇トンデモの俺の文句いいそうなこと。   @阿電波

914 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 14:07:48.51 .net
>>881
これこそ我田引水の身勝手自己流解釈。

915 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 14:58:00.35 .net
>台与が王になってるんだからな

「壹與」の時代に、粟国(「邪馬臺国」)と長国(「狗奴国」は統一された。   @阿波

916 :太国 :2022/01/26(水) 15:03:10.65 .net
1≠2                       わはははははは @太国

917 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 15:50:11.68 .net
これらは、鮎喰川流域の「聞く銅鐸」だろう。 後ろの数値は銅鐸の高さ(cm)   @阿波

安都真2号銅鐸     徳島市入田町安都真     21.7
安都真3号銅鐸     徳島市入田町安都真     24.6
安都真4号銅鐸     徳島市入田町安都真     21

918 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 16:01:27.96 .net
結論
邪馬台国は福岡を含む女王共立国家群。
筑紫平野、筑後平野、佐賀平野を含む。

919 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 16:11:15.11 .net
佐賀平野、筑後平野南部は含まない

920 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 16:18:02.09 .net
佐賀平野は含むだろ。

921 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 16:21:45.09 .net
3世紀の福岡の中心地の博多湾沿岸は佐賀平野と共通した文化は無い

922 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 16:32:51.33 .net
博多湾沿岸には
乱跡なし
輒灼骨而卜なし
山に丹なし 橘なし
以婢千人自侍,唯有男子一人給飲食,傳辭出入。居處宮室樓觀,城柵嚴設,常有人持兵守衛
なし
徇葬者奴婢百餘人なし

923 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 16:36:29.36 .net
もともと卜骨は後漢に朝見した時代の九州には無い

924 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 16:39:59.05 .net
徇葬者奴婢百餘人は日本には無い

925 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 16:42:04.52 .net
>>921

甕棺

926 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 16:45:03.24 .net
北部九州の殺傷人骨は弥生中期の甕棺墓盛行時期のもの

927 :太国 :2022/01/26(水) 16:45:20.30 .net
なしは阿蘇噴火で埋没だ。九州に卑弥呼はいたのさ。
記紀に女王の記事は神功の伝の借り物以外推古までねえのさ。

928 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 16:50:13.06 .net
>>923
>>924
魏志倭人伝の記述とあわないので北部九州ではない。
卜骨は、佐賀、有明海に遺跡あり
祇園山古墳

929 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 16:52:17.29 .net
>>926
出るのは吉野ケ里遺跡
宝満川及び周辺に多い

930 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 16:57:45.63 .net
>>927
正解 卑弥呼は共立で九州にいる
邪馬壹國,女王之所都は近畿一帯

931 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 17:00:09.47 .net
>>928

卜骨は弥生前期に山陰、大和、伊予に伝播し
弥生中期までに九州を除く壱岐や関東まで拡がった本州の風習
ザラゴキが連呼している祇園山古墳は4世紀初(UC期)の小さな集団墓地
同時期の九州東部には祇園山古墳の6倍級の墓が造られている

九州の前期古墳(50m以上)

TB期
那珂八幡古墳(86博多)
UB期
山の鼻2号墳(83今宿) 光正寺古墳(52宇美) 御道具山古墳(65糸島泊) 島津丸山古墳(57遠賀)
赤塚古墳(57宇佐) 西都原1号?墳(52宮崎)
UC期
久里双水古墳(95唐津) 三雲瑞山古墳(78糸島) 豊前石塚山古墳(134京都郡) 生目1号墳(135宮崎)
檍1号墳(51宮崎) 原口古墳(84筑紫野) 車坂古墳(58宇佐) 徳正寺山古墳(糸島二丈52) 西都原72号墳(81宮崎)

932 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 17:05:48.75 .net
>>918
×結論
×邪馬台国は福岡を含む女王共立国家群

邪馬台国は邪馬台国。
福岡を含む女王共立国家群は「共立倭国」、又は単に「倭国」という。
だから共立女王に擁立された卑弥呼は、倭王、又は倭女王、或は親魏倭王と称されたわけだ。

933 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 17:25:17.41 .net
>>930
女王が都するところに女王がいるに決まっているだろ。
つまりすべて九州。

934 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 17:26:53.09 .net
>>932
ところが魏志東夷伝には倭国はない。
倭人の中で共立国家群すなわち邪馬台国の女王を、倭王としたのだよ。

935 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 17:31:14.04 .net
>>931
近畿
突如
牟田寄遺跡
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/35183
西蒲池池淵遺跡
弥生後期〜古墳初期にあらわれる。
また、3世紀後半あたりから前方後方墳も出現
https://www.guidoor.jp/places/5600
長崎、佐賀 筑後平野には丹に関する神社も多い、
卑弥呼、壹與の時代と重なるのである。

936 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 17:40:53.10 .net
>>934
>ところが魏志東夷伝には倭国はない。

意味不明、なんのこっちゃ??

937 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 17:44:20.41 .net
>大和には 群山むらやまあれど
>とりよろふ 天あめの香具山
>登り立ち 国見くにみをすれば
>国原くにはらは 煙けぶり立ち立つ
>海原うなはらは 鴎かまめ立ち立つ
>うまし国ぞ 蜻蛉島あきづしま 大和の国は


原文: 山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜可國曽 蜻嶋 八間跡能國者

これは、「大和」ではなく、 「山常」・「八間跡」で舒明天皇が詠んだ歌である。   

小松島は、海原に、鴎立ち立つ「飛鳥の地」。

小松島は、香具山・畝傍山・耳成山(日の峰山・中津峰山・津の峰山)を見渡せる「飛鳥の地」。   @阿波

938 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 17:44:43.90 .net
近畿
佐賀市大和町・七ヶ瀬遺跡 「三種の神器」セットで出土 弥生後期
これも重なる。
ト骨遺跡と近い。

939 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 17:46:31.75 .net
>>927
北九州より
阿蘇に近い久留米、佐賀
有明海、筑後平野。

940 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 17:49:47.49 .net
>>933
に決まっていないよ。
都だった所、或いは宗教の中心地だな。
倭国の都、女王国の都の記述がない。

941 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 17:50:07.75 .net
「遠都祖神社」「「東宮神社」「西宮神社」「建嶋女祖命神社(嶋の宮)「杵築神社」「蛭子神社」「事代主神社」等々

まあ、これだけこの辺りに曰くありそうな神社が集中してりゃ、

そりゃここが「飛鳥の宮地」だって誰でも思うわな。

しかも、海辺で、大和三山も揃ってりゃ、疑うほうがどうかしている。   @阿波

小松島市の神社一覧
https://jinja-ichiran.com/tag/%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E5%B3%B6%E5%B8%82%E3%81%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E4%B8%80%E8%A6%A7/

942 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 17:55:09.17 .net
>>935

卜骨の風習をもつ倭人が歴年攻伐したのだから
卜骨は鬼道に仕える卑弥呼の存在の根拠にはならない
焼ノ峠古墳は4世紀(久住編年)、3世紀前半にその倍以上の規模の前方後円墳が博多に築造されている
九州では前方後円墳は少数派

943 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 17:56:06.59 .net
>>931
烏帽子塚古墳
前方後円墳の形がわずかに残っている

944 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 17:56:36.00 .net
>>942訂正

九州では前方後方墳は少数派

945 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 18:12:59.12 .net
>>942
歴年攻伐した証拠は?
平原古墳はちがうんだね。
焼ノ峠古墳は4世紀(久住編年)
久住の説に過ぎない。

魏志倭人伝の記述の一致
もない北部九州

前方後方墳は少数派 当然だけど
なぜ、この頃できたのか?

946 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 18:18:50.28 .net
北部九州説は
卑弥呼の墓は、前方後円墳と見ているのか?

魏志倭人伝の記述
北部九州と一致するもんて何?

947 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 18:39:48.26 .net
平原遺跡でFA

948 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 19:05:24.80 .net
>>947
再分析必要かもな。

949 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 19:08:17.89 .net
>>945

歴年攻伐したと倭人伝に書いてある
博多より数十年後に2分の1以下の東海の前方後方墳を造るということは
博多湾沿岸、糸島、宇美、遠賀、宇佐、日向とは別の少数勢力
書紀では抵抗勢力がいた地域

950 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 19:36:21.38 .net
征服した毛人どもに作らせた絶対服従を誓わせるための土盛り

951 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 19:37:21.70 .net
>>949
其國本亦以男子爲王,住七八十年,倭國亂,相攻伐歷年
焼ノ峠古墳は4世紀(久住編年)は間違い?
もっと古い時期からいたて事?


証拠にならない。

952 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 19:39:55.28 .net
>>949
魏志倭人伝の記述
北部九州と一致するもんて何があるの?

953 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 19:40:02.17 .net
>>951
?だらけのお前の全てが間違いだよ近畿

954 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 19:40:41.19 .net
>>952
畿内説が滅亡して悔しいのうw

955 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 19:41:04.44 .net
平原遺跡でFA

956 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 19:44:51.80 .net
>>951

もっと古い時期から誰がいた?

957 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 19:51:57.89 .net
>>952
鉄や絹やその他多数。
ほとんどすべて九州に当てはまり、畿内にはほとんど何も当てはまらない。
邪馬台国とベイズ法でググってね。

958 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 19:54:09.50 .net
>>957
「丹」や「タチバナ」や「クスノキ」は?   @阿波

959 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 20:01:26.17 .net
>>957
佐賀平野、筑後平野、有明海について
聞いているだが?
鉄は豊富にあって鉄鏃も大量にある。

邪馬台国に鉄が豊富にあるとかの
記述はないよ。

960 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 20:08:24.47 .net
>>956
なんで俺に聞く?
949に聞けば?
俺は、東海の前方後方墳を造るとかは書いていない

961 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 20:13:06.91 .net
>>960

お前の>>951の質問の日本語がよくわからんから聞いている

962 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 20:15:24.84 .net
>>961
さらに意味わからんな。

963 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 20:16:49.07 .net
>>959

鉄がないのに大和が邪馬台国だと言い張るアホウがたくさんいるのさ。

964 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 20:21:15.28 .net
魏志倭人伝の記述
北部九州と一致するもんて何?

入れ墨はどうなの?
埴輪とかあるの?
八女とか、西都原、桜井市では出土あるけど

965 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 20:25:03.76 .net
>>963
大和?
近畿なんだが?
稲部遺跡もあるがな。
若狭湾にもある。

966 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 20:31:16.10 .net
https://infokkkna.com/ironroad/2011htm/iron7/1103iron09.jpg
古いデータだけどね。
その後に稲部遺跡見つかる。
刷新してもらいたいんだが。

967 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 20:33:50.61 .net
>>966
それより、「阿波」を刷新しろ!

「阿波は鉄器鍛冶王国」
阿波は、遺跡発掘が少ない発掘後進県にも関わらず、
阿波一国だけで現在、阿波各地10か所もの弥生時代鉄器鍛冶炉遺構が出土している。  
「加茂東原遺跡」・「拝原東遺跡」・「光勝院寺内遺跡」・「矢野遺跡」・「名東遺跡」
・「庄、蔵元遺跡」・「高川原遺跡」・「鮎喰遺跡」・「加茂宮ノ前遺跡」・「芝遺跡」  
このように阿波は、他地域に見られない最高・最新の文化水準を誇り、まさに「邪馬臺国」に相応しいと言える。   
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。   @阿波

968 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 20:38:13.38 .net
>>967
阿波も刷新必要だな。
2000年以降に発見されたもんもあるだろう。

969 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 20:45:02.14 .net
>>966
古墳時代の遺跡なんてどうでも良いじゃん

970 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 20:53:58.71 .net
>>969
鉄器なんだけどな。

971 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 20:59:29.59 .net
>>970
古墳時代の遺跡なんてどうでも良いじゃん

972 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 21:01:49.92 .net
>>971
平原の古墳もなしてことだな。

973 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 21:05:30.61 .net
>>971
「卑彌呼」の時代は「阿波」一択。   @阿波

974 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 21:07:19.56 .net
>>964

古事記には、筑紫から来た神武の随身の顔の刺青に、大和の姫が驚く話があってな、刺青は九州の文化だとわかるんだよ。

975 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 21:08:52.81 .net
>>972

畿内説は、平原遺跡を弥生時代の2世紀だと言ってみたり、古墳時代の4世紀だと言ってみたり、大変だねw
よほと平原遺跡の説明に苦労しているようだw

976 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 21:10:03.46 .net
平原遺跡は古墳ではなく方形周溝墓であつて、盛り上げてはいないからね。
もう一度よく勉強するといいよ。
そうしないとまともに九州説に対して反論できないよ。

977 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 21:10:42.29 .net
>>972
平原は弥生時代の遺跡だけど?

978 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 21:14:44.60 .net
>>974
魏志倭人伝には筑紫も大和もない。
>>975
ぜんぜん、違うから苦労せず。
魏志倭人伝と一致していない北部九州説

>>古墳時代の遺跡なんてどうでも良いじゃん
と書いた阿保にいいなさい

979 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 21:17:39.32 .net
>>974
そんなグローバルのような話、あるわけなかろうが!   @阿波

980 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 21:18:34.78 .net
>>978
古墳時代の話で平原遺跡を持ち出したのだから、あなたは平原遺跡を古墳時代のものだと思っているのでは?

981 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 21:21:10.59 .net
>>965

お前の説は近畿説ではない

982 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 21:23:18.41 .net
>>975

近畿は畿内説じゃないから

983 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 21:24:31.75 .net
>>980
https://infokkkna.com/ironroad/2011htm/iron7/1103iron09.jpg
古墳時代 三世紀初めからとある。
弥生時代 二世紀とある。
ようするに平原遺跡は二世紀てことだな。

984 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 21:29:07.22 .net
平原遺跡は調査した柳田は200年ころ
久住は古墳時代に近いTA期=200年ころ

985 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 21:29:13.48 .net
>>980
二世紀までのもんでいいなら
古墳時代 3世紀初頭以降でなくてもいいけど。
まあ、若狭湾 弥生時代にも鉄器ある。
なんら近畿説には影響なし

986 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 21:30:51.72 .net
近畿爺は、近畿には中心がなかったという主張なので近畿説ではない

987 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 21:36:29.69 .net
>>986
邪馬壹國は近畿一帯なので近畿説
佐賀平野、筑後平野、有明海近辺に
伊都国、奴国、烏奴國,不彌國がある。
で卑弥呼は伊都国にいる。

988 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 21:38:38.18 .net
>>987

何一つ根拠がない

989 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 21:49:02.75 .net
>>988
アンタ所がない。
近畿に丹ありト骨の歴史あり
入れ墨文化もある。宗教地でもある。

990 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 21:52:35.38 .net
まあ、たしかに
魏志倭人伝と一致しないのは北部九州説

991 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 22:05:06.39 .net
>>990
敗残説が
まだ大丈夫?
まだ大丈夫なんだ?
と自分に言い聞かせているw

992 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 22:05:22.84 .net
平原遺跡で決着ですな

993 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 22:05:48.32 .net
まあ、たしかに
魏志倭人伝と完全一致するのが北部九州説

994 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 22:09:08.92 .net
平原遺跡が3世紀中旬

995 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 22:09:54.38 .net
>>993
ト骨、丹、入れ墨、橘
居處宮室樓觀,城柵嚴設
徇葬者奴婢百餘人
示しもしない。

996 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 22:10:17.52 .net
つか、北部九州が突出してて、
北部九州を通らないと何も入手できないから、
北部九州が盟主だったのであった

997 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 22:10:59.39 .net
>>995
近畿には無いからって涙を流すなよw

998 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 22:11:16.26 .net
畿内説が無残に散って、近畿が愚痴るw

999 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 22:11:36.37 .net
邪馬台国は北部九州の連合国

1000 :日本@名無史さん:2022/01/26(水) 22:11:48.62 .net
平原遺跡が3世紀中旬で、卑弥呼の女王墓

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