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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3
- 191 :日本@名無史さん:2022/08/20(土) 04:39:56.90 ID:O7SPllHJ4
- 『其大倭王居邪馬臺國 樂浪郡徼 去其國萬二千里』
にて、
倭国共立女王の卑彌呼は、
後漢代には「女王國=邪馬壱国=不彌國奴國+α」に留まっていたことになります。
と、いうことは、後漢書に記された、
『有一女子名曰卑彌呼 年長不嫁
事鬼神道 能以妖惑?
於是共立為王 侍婢千人 少有見者 唯有男子一人給飲食 傳辭語
居處宮室樓觀城柵 皆持兵守衛 法俗嚴峻』
の部分は、
「女王國=邪馬壱国=不彌國奴國+α」領域における卑彌呼の状況記録であり、
宮室樓觀城柵があるのは不彌國だということになりますね。
卑彌呼が新伊都に移動したのは220年代後半以降。
難升米が対馬海峡と金印を手土産に帰順してきて、邪馬嘉国(佐賀)を奪還して、
新伊都の安全が確保されてからですね。
魏志倭人伝の記録は後漢書と同じ部分は転載の可能性が出てきますから、
新伊都にも宮室樓觀城柵を作り直したかもしれないし、
旧倭国王の旧居館(高祖宮や細石神社)を使用していたかもしれません。
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