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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3
- 20 :日本@名無史さん:2022/04/30(土) 19:07:08.99 .net
- 中広型銅矛の奴国王が失脚した後の倭国を席巻したのが、
カモ系銅戈勢力ですね。
銅戈は奴国領域を占領、ならびに伊都国でも製作され、領土拡大へと出兵していきます。
長野県に逃げ込んだ、奴国王水軍大将「軍神」の攻略と、大阪湾上陸など畿内毛人の攻略、とについてです。
長野県の柳沢遺跡から銅戈と銅鐸の一括埋納遺構が出土しています。
・柳沢遺跡の銅戈は樋分離式(近畿式)で、初期のもの
・柳沢遺跡より奥の関東には祭祀型銅戈型の石戈が出土
・東日本にS字甕や多孔銅鏃が一定期間分布
・近畿式銅鐸と東海式銅鐸が一定期間愛知で睨み合い
つまり、
軍神が金印を持っていると考え、銅戈軍は征伐軍を派遣したものの、
軍神はより奥地へと銅戈軍を引きずり込んで、
関東奥地で壊滅させたわけですね。
銅戈が柳沢遺跡止まりで、関東まで分布していないので、
銅戈軍が継続的に派遣されて、柳沢遺跡からさらに周囲へと占領拡大したのではなく、
柳沢遺跡に攻め込んだ銅戈軍が、さらに奥地へと深入りさせられて、全滅したことになります。
軍神はおそらく、主要根拠地の諏訪ではなく、柳沢遺跡の方に陣を張っておびき寄せ、
わざと敗走して占領させた。
合戦で射るのもわざと、鉄鏃銅鏃2:石鏃8、くらいの割合にして、
物資不足を強調してみせる。
銅戈軍は金印奪取が主目的なので、弱小軍神軍を関東へと追撃します。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1601445951/413
所々で分岐して、銅戈軍を分裂させてからの、
関東奥深くで反転攻勢して補給路や逃走路を絶ってからの、各個撃破、したのでしょうね。
全滅でしょう。
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