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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3

208 :日本@名無史さん:2022/08/21(日) 11:31:46.78 ID:PFiVUuoK8
70年に軍神が長野に落ちのびますね。

ワニ女王系女性と結婚するまでは、祭祀型銅矛も卜占も無関係の
地方領主として東国攻略していましたが、

結婚してからは倭国将軍として半島出征に参加しますので、
ゲン担ぎの卜占は息で習慣付いていたわけですね。

ただ、逃げ込んだ先の長野には卜占専門家がいなかったので、
軍神の配下の燕系人が担当者として卜占を新規開始した。
だから、長野と、静岡〜房総半島の沿岸には、卜占面焼灼面一致型の独特の傾向を持つものが分布するわけですね。

北部九州の主力となった銅戈軍は、朝日遺跡まで進軍して軍神軍と睨み合い、
前線の味方集落に近畿式銅鐸を配備して、
東海で卜占して出撃。

軍神は、長野から出撃して東国制圧して銅戈軍と睨み合い、
前線の味方集落に三遠式銅鐸を配備して、
静岡〜房総半島の沿岸で卜占して出撃。

軍神が亡くなると、東国は征服されて、遠征事案は無くなり、
畿〇〜房総半島の一帯の卜占は一度終了したわけですね。

倭国乱から邪馬台国の長い戦乱時代を経て、
台与の頃になって北部九州が統一され、軍神子孫も支配体制に組み込まれ、
静岡〜房総半島の沿岸で卜占が再開したのは、東北蝦夷への遠征が始まった、と考えられます。

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