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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3
- 221 :日本@名無史さん:2022/09/07(水) 21:44:15.38 ID:2xfQGHIb1
- 考察を進めると、
北部九州からの東進が何波かに分かれているように、
燕人の渡来(亡命)も複数の波があり、
>>202
前314年に第一波(甲波)が卜占の貞人を伴って、半島南部へ。
吉武高木大王樹立に助力。
・壱岐・古浦・阿方にも拠点を持つ。
・中央にも進出したが、ために却って政変に巻き込まれた集団が、倭種〇モ族に匿われて唐〇カ〇遺跡へ。
>>112
前108年に燕系の衛氏朝鮮が滅亡し、
旧燕王族末裔が青銅器職人や燕復興資産を伴って来倭。(乙波)
これも倭種〇モ族と親しくして、女王一族と婚姻しながら、
古浦遺跡&田〇山遺跡に拠点を築く。
一方の甲波も、衛氏朝鮮滅亡によって半島南部を追われ、
勒島遺跡から青谷上寺地遺跡へ亡命移住。
・勒島遺跡と青谷上寺地遺跡の卜占相似
・勒島遺跡から北部九州系漁具や土器
・青谷上寺地遺跡のDNA解析で、男系は渡来+倭縄文、女系は渡来系
甲波と乙波には約200年のタイムラグがあったので、
同じ燕系ではあっても、同一ではなかった。
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