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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3

278 :日本@名無史さん:2022/10/02(日) 18:02:49.94 ID:lYOAX7JeK
さらに三雲南小路1号2号において、
方格規矩鏡無しで、前漢鏡(連弧紋鏡)のみを大量入手している、
ということは、
57年奴国王は伊都勢力とは別である、
金印が主目的で、方格規矩鏡など銅鏡にはあまり興味が無かった、
の2点も強く示唆されますね。

そうなると自動的に、
107年倭国王が方格規矩鏡を入手しないと井原鑓溝の説明がつかなくなります。

平原遺跡に八葉の超巨大内行花文鏡が作られるためには、
国産での開発期間が必要ですから、
107年の段階で、四葉内行花文鏡がもたらされる必要がある。

また蝙蝠ではなく八葉ですから、
蝙蝠内行花文鏡は、後漢末狗奴国王か、239年以降の卑彌呼壹與か、
が入手したことになりますね。
九州内での蝙蝠出土分布はほぼ邪馬台国側ですから、
まずまず卑彌呼の銅鏡百枚の一部だったかと。

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