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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3
- 297 :日本@名無史さん:2022/10/31(月) 20:57:56.31 ID:RWcyaZi50
- 一方の、三雲南小路1号大王は、洪水被害から脱出して、
西の日向に新伊都を建設した。
対馬海峡を保有していますから、
銅原料、鉄原料、を始めとして莫大な安定利益が約束されています。
三雲南小路1号大王の兄が存命の間は、
三雲南小路1号大王を中心に伊都王家がまとまって、他族に付け入られる隙を作らない、
という目的意識が共有されていましたが、
107年〜125年の間に三雲南小路1号大王の兄が亡くなって、須玖岡本D地点に埋葬された後に、
〇向と〇本のバランスが崩れたわけですね。
なぜ125年かというと、延光四年、つまり室見川の銅版ですね。
渡来系の有力部族複数が、それぞれの秘伝の書体で、
室見川にいた王、つまりは三雲南小路1号大王の兄の息子の一人、
を褒め称えた。
まあ当たり前といえば当たり前で、
元々栄えていた早良平野福岡平野が復興して、
さらに筑後も新興経済地域として大発展。
東方では銅戈軍が朝日遺跡まで進軍して、その先のこれも前世代の東国軍神が死去して、
東日本も降伏。
なんでいつまでも対馬海峡に従っていなくちゃならないんだ、
となったわけですね。
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