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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3
- 331 :日本@名無史さん:2022/11/06(日) 19:57:54.21 ID:qV1ymmbMb
- 甲羅派の生き残りがいたわけですね。
>>93
一つは、各地から供出される銅鐸を、古浦の青銅器工房へ輸送護衛していた兵達。
出張先の各所で、故郷の滅亡を知ったことになります。
もう一つは、急襲された古浦から命からがら脱出した人たち。
銅矛水軍の大軍が押し寄せたので、
逃走経路は中国山地に逃げ込むしかなく、
その先には、奴国王の兄達の一族がいて、敵の敵は味方で匿ってくれたわけですね。
(後の西谷墳墓群と吉備の縁の始まりでしょうか)
その中には、燕王族の末裔がいた可能性が非常に高く、
そしてその勢力が、カモに匿われて、
70年に、Aタカヒコの出陣要請に応えて、紀伊の上ノ段銅鐸銅戈出土地から出撃した、6尋の銅戈軍とイコールあるいはその一部となったわけですね。
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