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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3
- 337 :日本@名無史さん:2022/11/06(日) 21:48:41.77 ID:qV1ymmbMb
- 甲羅派の卜占(焼灼V+ケズリD)が伝え残った経路は、
妻のT姫→Aタカヒコや姫達
だけでなく、
夫のS系統も生き残っていたわけですね。
銅戈時代に、紀伊→神戸→と移動し、
東征時に道案内をつとめたことで出世し、
倭国に領地を得たのだろう、ということになりますね。
ただ、どちらの系統についても、卜占の考古学的出土は限られています。
さらに、日本史書、中国史書、各種言い伝えでも、亀卜があったことは明らかなのに、
亀卜の甲羅が出土しませんから、
ただでさえ骨は残りにくいのに、
甲羅は骨よりもさらに残りにくいのか、
あるいは甲羅派の卜占神事の一環として、海に還すような手順があったのか、ということになります。
過去スレで検討したように、
T姫→娘達、の九州縄文女系子孫が、卑彌呼で、
「トト」というのは卜占を行っていたことを意味する可能性が高く、
卑彌呼や卑彌弓呼の「卑彌」「卑彌〇呼」も卜占を意味する可能性が高いですね。
ただ、
卑彌呼は第8代のトトであって、
第7代のトトは狗奴国王妃だと推定されますが。
同系統の卜占を行い、令亀法の辞だったのでしょう。
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