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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3
- 356 :日本@名無史さん:2022/11/23(水) 19:31:34.50 ID:dlk2F1+sv
- 対馬海峡に向かえば、今度こそ海神ワニ水軍=大鮫魚に襲われて、
間違いなく日本海の藻屑となりますから、
台湾沖縄経由で九州南部に入国したわけですね。
三千人の男女では、既に稲作をしていた九州を征服するのは不可能ですから、
現地の人たちと交わりながら、入居していった。
ワニに見つかると、始皇帝の手先として捕まりますから、
ワニがいない地域を選んで入っていく。
となると、
南部九州から有明海沿いに北上して、最終的には長崎の縄文系の人々と交わっていったわけですね。
南部九州から、東は四国や紀伊半島にも分布したかもしれませんが、
徐福集団も金属器ルートには近づきたかったでしょうから、
主勢力は長崎に入っていったのでしょうね。
徐福は長崎県で亡くなった可能性が高いですね。
前206年に秦が滅亡してくれますから、
始皇帝の手先のレッテルから解放されて、
ワニ活動地域に直接顔を出せるようになり、
前206年以降に、土井ヶ浜遺跡が開始となったのでしょう。
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