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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3
- 396 :日本@名無史さん:2022/12/04(日) 15:23:07.12 ID:A6QDbB09B
- 吉野ヶ里遺跡には、ゴホウラ貝輪の「貝釧多数被葬者」はいませんね。
36個のイモガイ貝釧を装着した女性甕棺墓被葬者は見つかっていますが、
副葬されていた銅鏡には「久不相見長毋相忘」の銘がありますから、
(久しく会うことができなくても、末永くお互いを忘れないようにしましょう)
地域女王ではあるでしょうが、どう見ても広域元首ではなく、
奴国王の数多くの妻の一人、であった可能性が非常に高いでしょうね。
そう考えると、
イモガイ貝釧の「貝釧多数被葬者」は、奴国王と結ばれた地域女王(女性首長)
ゴホウラ貝釧の「貝釧多数被葬者」が、「奴国王時代の卑奴母離」
奴国王は長寿だったので、先に亡くなる息子がいたのでしょうし、
70年に生きていた息子たちは貝釧を外したでしょうから、
ゴホウラ貝釧の「貝釧多数被葬者」の出土総数は、
実際にいた「奴国王時代の卑奴母離」よりは、少なくなる計算になりますね。
ゴホウラ貝釧は基本的に男性ですが、
奴国王が自らの男系にこだわった結果とも考えられるわけで、
極めて例外的に女児に与えられた吉野ヶ里での9個ゴホウラ貝釧は、
母のイモガイ貝釧「貝釧多数被葬者」が娘しか産まず、
かつ「倭國之極南界也」の奴国王にとって吉野ヶ里は重要地点であったため、
女性に与えることを特別に認められた、けれども夭逝してしまったのでしょうね。
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