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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3
- 434 :日本@名無史さん:2022/12/18(日) 15:00:22.19 ID:Ttr88fH2l
- 弥生時代には現代よりも海岸線が内陸側でしたから、
当時の糸島半島は、入りこんだ入江と汽水にて、島のように分離しており、
斯馬國と呼ばれていたわけですね。
弥生時代の交通は、水上移動が基本であり、
吉武遺跡と三雲遺跡の交通は、伊都と斯馬國の間の水道を通っていたのでしょう。
糸島半島の外海側を通るより遥かに安全かつ早いですからね。
この水道の最も標高が高い部分は、
満潮の時には舟が通れるけれども、
干潮の時には浅瀬あるいは陸になって舟が通れない。
この天体運動による神秘の水門が、
橘の小戸
だった、と予想されますね。
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