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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3

456 :日本@名無史さん:2022/12/24(土) 14:32:26.84 ID:NckeOKwEs
伊都国がどのような立ち位置にあった国なのかは、倭人伝よりも魏略を見るほうが分かりやすい。
魏略では、「帯方より倭に至るには…対馬国に至る…一支国に至る…末盧国に至る…伊都国に至る」と道順を示したあと、
「その国王は皆女王に属すなり」と書いてある。
帯方郡などからの使節が留まる所とする字句はどこにも見えないし、
対馬から伊都までの四ヶ国の王は皆倭国の女王に所属しているとしている。

一方、倭人伝では対馬などの四ヶ国の道順は同じだが、
伊都国については「…伊都国に到る」として魏略の「至」字ではなく「到」字を用いて書いている。
そしてそのあとに「世々王有りて皆女王国に統属す」と続けている。
伊都国の王たちは皆女王国に統属してきたとするものだ。
さらにこの伊都国は「郡使往来するに常に留まる所なり」と書いて締めくくっている。

上の魏略が対馬から伊都までの国の王たちが皆倭国の女王に所属しているとしているが、
倭人では女王に所属しているのは伊都国の歴代の王たちだとし、その伊都国に帯方などの使節は逗留しているとしており、
この部分が魏略と大きく異なっていて、倭人伝は魏略の記述を書き換えていることが分かる。

魏略のほうが先行する史書であることからすると、倭人伝の伊都国に関する書き換えは明らかに意図的なものであることが考えられる。
なので、この倭人伝の記述に立って伊都国を理解すると、倭人伝の著者の意図に乗せられてしまう危険性がでてくるというわけ。
十分に注意する必要があるだろう。

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