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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3
- 520 :日本@名無史さん:2023/01/06(金) 04:48:47.68 ID:jMqI6ECGN
- 稲が伝来してから数千年の間、縄文社会はイネ科雑穀を栽培して繁栄していた。
そこに、4000年前ハツカネズミが襲来してきたわけですね。
ハツカネズミは高い登攀能力を持ちますので、
縄文社会の倉庫は格好のえさ場になって、食い荒らされたのですね。
土器に蓋をして保管するしかありませんが、
稲穂を倉庫に山積みにするのに比べて、
保管できる量が極端に減りますね。
食料をストックできなくなると、集落で維持できる人数も激減して、
数千年かけて築き上げてきたムラ社会が崩壊したのでしょう。
保存がきく、という稲の長所も生かせなくなって、
稲作が衰退します。
ハツカネズミの出現によって、食料を奪われ汚染されて、
・三内丸山遺跡は約4000年前に途切れたし、
・縄文時代後期に、日本列島の人口は26万人から8万人に激減した。
ですから、水田遺構を探すのであれば、
2000年前-4000年前の遺跡ではなく、
むしろ
4000年以上前のなるべく古い遺跡の周辺を探した方が見つかるかもしれませんね。
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