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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3
- 557 :日本@名無史さん:2023/01/09(月) 08:12:48.70 ID:H+4GMAtJM
- 奴国王本人の墓は、晩年に失脚していますから、無いわけですね。
天寿を全うしていたなら、やはり四隅突出だったでしょうけれども。
楽浪郡と提携した奴族が渡来してきて、まずは須玖遺跡に入ったと思われるわけで、
少なくとも奴国王の父は、墓を残したはずですが、
須玖遺跡に四隅突出墓が残っていません。
奴国王失脚時に破却されたものと思われます。
おそらくですが、日本列島においては、
奴国王の父、一人から、
奴国王の兄達→日本海沿岸の四隅突出型墳丘墓国家=後漢書「東の拘奴國」
奴国王とその大勢の子孫達(ゴホウラ貝釧多数副葬者)
が分岐していった可能性が考えられますね。
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