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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3
- 609 :日本@名無史さん:2023/06/04(日) 01:28:14.23 ID:A+J+vh5mG
- 家船で暮らすアマの存在によって説明できる次の謎は、
一大國三千許家と、不彌國千餘家ですね。
この2国だけが、戸ではなく家なのは、
アマの家船を足しているから、と考えられますね。
倭人伝と一続きの記載である乾伝との整合性を取ると、
しっかりとした住居を構えて戸籍調査に登録されたのが「戸」
家船のような水上生活者、あるいは遊牧民・漂流民や野宿者も含めるのが「家」
と考えられます。
倭地で考えると、全ての国の津々浦々にアマの家船が漂泊していたのでしょうが、
その所属する母港、が、壱岐(ツクヨミ)や志賀島(ワダツミ・アズミ)だった、ということですね。
他にも伊邪國(ヒラフガイ?)や、岡田(ワニ)や、越(八岐大蛇→ヌナカワ?)や、
東方にも日本列島全域でアマが活動していたわけですね。
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