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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3
- 706 :日本@名無史さん:2023/11/19(日) 22:23:44.16 ID:kFppqJVaI
- 刻目突帯文土器渡来に次いで、
3000年前に浙南石棚墓の倭人=大陸水上生活者が少数漂着渡来してきます。
彼らの主要スペックは、
水田稲作、青銅器あり、養蚕、水上生活者、ですね
ニホンヤモリのDNA解析が示す、漂着早期の定住地の一つである、
宇久松原遺跡において、
刻目突帯文土器が出土していることから、
3000年前までには、
先に渡来した刻目突帯文土器奴人が、五島列島まで分布していたことになります。
それだけねずみ返しの貢献度が大きかったのですね。
漂着倭人は日本列島側の縄文からの水上生活者アマと親和性が高かったでしょうが、
一方で、養蚕は当然陸上生活者が屋根裏で行うものですから、
これをアマが陸上に上がってやったのか、
それともクニにやらせたのか、でその後の展開が大きく違ってきます。
どちらにせよ、
水上生活者アマのうち、縄文系支配層が割竹形木棺。
渡来系が石棺。
由来に関係なく、養蚕で資産形成した者が甕棺ですね。
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