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邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3
- 92 :日本@名無史さん:2022/05/07(土) 16:05:52.87 .net
- >>85
砂丘墓地+貝輪繋がりで、
土井ヶ浜遺跡から少なくとも古浦砂丘遺跡まで勢力圏だったのでしょうね。
古浦砂丘遺跡の、額から左眼にかけて青緑色の青銅器装着痕がある男性4人は、
おそらく燕系の青銅器工人の頭領でしょう。
炉の炎をずっと見ていると目が焼けるので、遮光器ゴーグルを装着していた。
スリット型だと視力向上効果もあるので一石二鳥ですね。
さらに旧八岐大蛇族のファッションセンスで、スチームパンク風の21世紀レベルの
おしゃれな青銅製遮光ゴーグルを常用していたのですね。一石三鳥でしょうか。
同じ渡来系奴族工人が西の奴国で成功しているのを見ていて、
平形銅剣女王国からの援軍依頼を受けた時に、
はるか逃れてきた東夷辺境の島国で、一旗揚げてみようかと、色気が出たのでしょうね。
土井ヶ浜女王とは意見が対立しながら、銅剣作成を引き受けたのでしょう。
燕系工人が強固な戦闘用銅剣を作るには、古式銅鐸の朝鮮系青銅ではなく、
外縁付鈕2式以降の華北系青銅が最適だった。
それに、燕族持参の青銅を混合したわけですね。
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