邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3´
- 137 :日本@名無史さん:2024/05/19(日) 15:19:52.89 ID:twoGTEO3p
- 青銅器の発達によって陸上生活が次第に豊かになり、
3000年前に養蚕が伝わって、富が蓄積された。
それによってようやく、海神族の有力者が陸上に上がって来たのが、
吉武高木遺跡の割竹形木棺大王だということになります。
原始神道とは先縄文人の1万年以上の長きに渡る禊ぎから連綿と繋がっており、
神道で祓い清めるのは海水での禊ぎが源流
お墓が無いのは、本来は舟葬だったから
裸足なのは、家舟生活だと靴は不要だったから
日本人が玄関で靴を脱ぐのも同じこと
海外では大袈裟なジェスチャーや親密なハグやキスをして、マスクで口を隠すのを嫌がるが、
日本人は動きが小さく、マスクで口を隠しても平気なのは、
舟上生活では転覆するから動きは小さく、
舟同士で離れていたので身体接触は無かった社会で、
距離が離れてるので声は届きにくく、アイコンタクトで以心伝心していた。
じゃあ陸地を領有していなかったかというとそうではなく、
真水の補給地点や、
綾羅木遺跡など各地の住居を伴わない陸上貯蔵拠点、
など重要地域を保有していた。
清浄系統の神社本来の意味はそれらの拠点区画の祀りであろう。
現在の祖神祭祀は、D1a2ナンムのシュメール祖神祭祀の集合であろう。
ということが考えられますね。
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