邪馬台国の歩き方(女王之所都=伊都國)3´
- 3 :日本@名無史さん:2023/11/29(水) 02:28:41.56 ID:aBqf69hH3
- 『山海経』前4-前3世紀(註:西晋(265-316)の郭璞(276-324))
『盖國 在鉅燕南倭北 倭属燕』
(倭國在帶方東大海? 以女爲主 其俗露?衣服無針功 以丹朱塗身 不?忌一男子數十婦也)
『朝鮮 在列陽東海北山南 列陽属燕』
(朝鮮今樂浪縣 箕子所封也 列亦水名也 今在帶方 帶方有列口縣)
秦前漢新後漢三国と600年の王朝交代を経た後の註は置いておいて、
『』の原文部分だけで考えていきます。
盖國は、巨大な燕の南、かつ倭の北にある。倭は燕に属している。
朝鮮は、列陽の東、かつ海の北、かつ山の南にある。列陽も燕に属している。
倭が日本だと、倭の北に盖國があることになります。
しかし、朝鮮は海の北とありますから、盖國と被ってしまいますね。
確定部分は、燕国が、北京北西部の薊を首都とする中国北西の国家ですね。
周分家の燕と同時代であれば、朝鮮は殷末裔の箕子朝鮮。
三国志と同じ解釈法で、朝鮮はこの場合、南が海、北が山、東が列陽、と接するわけですから、
列陽とは陸地で接している。
よって、朝鮮の東にある列陽とは、燕に征服された遼東勢力(遼寧式銅剣)と考えられ、
鴨緑江が境界で、列陽=遼東勢力と、朝鮮が接しているのか、
列陽は後の楽浪帯方郡領域まで含んでいて、その東に朝鮮なのか、
ということになります。
そうなると、盖國とその南の倭、は、朝鮮半島と日本列島の位置ではなく、
山東半島とその南方領域である、ことになりますね。
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