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邪馬台国畿内説 Part1009
- 1 :1 :2024/04/04(木) 12:08:30.38 .net
- 邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現期段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。(◆2,4~6)
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。
前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1712032230/l50
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。
2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当する。畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入していく時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大する。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階に入る。
絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纒向以外にあり得ない。
- 458 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 12:55:47.28 .net
- >>358
畿内説には味噌もくそも両方が存在するが、九州説は味噌もなく、全てクソだからな
- 459 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 12:58:50.40 .net
- >>453
前漢時代から通交があったのは、鉄器王国「阿波」内で鉄器を自前で自由に製作していた国々やからなあ。 @阿波
- 460 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 13:01:33.67 .net
- >>457
>邪馬台は大和だよ。こんなの常識だよね。
邪馬台は倭(阿波)だよ。こんなの常識だよね。 @阿波
- 461 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 13:02:53.05 .net
- 邪馬ってのが共通する枕言葉やの🤔
それら書いたのみんな別々のやつらなんやろ
- 462 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 13:04:42.24 .net
- へ〜秦氏のルーツってそんなもんだったわけか🤔
- 463 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 13:06:33.21 .net
- あ〜分かった
日本てより辰韓に関係ある話だわこれ
秦氏ってのがもとは辰韓の王族なんだろ
- 464 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 13:08:36.45 .net
- 新羅ってのは辰韓における家臣みたいのが立てたか別の部族のやつらの王朝だからよ
- 465 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 13:14:29.43 .net
- >>463
百済建国者・温祚の兄貴の沸流(フル)が三韓の辰王(振・震=フル)になって、日本に来て天皇になった
日本を乗っ取ってから、秦氏を半島に迎えに行った話が神功皇后の三韓征伐になった
フルは日本では布留・布都・経津などと表記
- 466 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 13:26:03.73 .net
- >>457
邪馬臺 240年魏使が作った女王国仮称
邪馬壹 倭人伝での転字
邪馬嘉 廣志での転字
邪馬惟 今、唐代の注で奈良を見た後
臺は、曹操の高楼を意味する。
表意文字で和音国名では無い。
壹、嘉 は形を転じた代用文字
- 467 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 13:34:55.93 .net
- 465
なるわけないだろ
天皇の起源は武王だからよ
元は辰韓の王家の血を引いてたとか言われていた子孫の女性とその部下だった武将との間にできたのが応神天皇みたいに言われてるのによ
だから男系が縄文系となったんだろ
- 468 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 13:36:32.08 .net
- 百済の王が日本の天皇家になっただのそれどこの情報だよ?
応神天皇は母親の方の関係で辰韓における支配権を持っていたから辰韓を支配したんだろ
- 469 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 13:37:42.95 .net
- 後漢書の邪馬惟、注と字が違った?
後漢書の時は
版本以前の原文が有ったので
邪馬臺国に戻っている。
- 470 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 13:37:56.46 .net
- >>438
>ホケノの棺外から出たお供え物らしき小枝は、C14 で4世紀だった。
それは炭素年代を理解できない人の妄言で、ちゃんと270年代の天井崩落時点を示す値が出ている
むろんお供えの小枝などではない
>それを「後世の木槨崩落で外から混じり込んだもの」、とかなんとかありえないことを言ってスリ抜けた。
罵っても反論にならない
- 471 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 13:38:32.37 .net
- >>466
邪馬臺の臺で倭のような国家を指すと思わなかったんじゃないかと
王宮のある場所だと中国人は勘違いした
- 472 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 13:43:31.63 .net
- >>270年代の天井崩落時点
天上崩落時点はどのようにして分かったのか、或は決定したのか??
- 473 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 13:48:45.59 .net
- 耶馬渓はなんで(日本語としては絶対に当てるはずのない)邪馬台国の邪馬が使われているのか?
つまりそれが答えだw
- 474 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 13:48:52.35 .net
- >>465
韓伝だと、
辰韓には独自の王は無く
馬韓に居て治めた。
と、謎だが、
この王が倭人の国司なら解決する。
これが、
日本の聖帝による
百済建国370年以前の半島情勢。
- 475 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 13:50:08.66 .net
- 継体天皇のときに切り替わったろ🤔
これで半島支配のための大義名分がなくなったとも言われとる
その後からだ
半島におった連中らも次々と新羅側に寝返るのが続出したの
最後は大伴金村が任那四県割譲したのをキッカケとして崩壊した
古墳時代における武将などは圧倒的に縄文系が日本国内においても占めてるのだ
- 476 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 13:54:34.92 .net
- 473
文字を知る手段が中国を頼りにするしかなかったんだろ
- 477 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 13:54:44.15 .net
- >>473
漢字を音で当てたのは、
万葉仮名の始まりだけどね。
倭人伝の倭名の当て字も
和音を聞いた人によって字が違う。
- 478 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 13:55:09.81 .net
- そんなの後からつけられる
実際文字が入ってきてからつけたんだから
- 479 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 13:56:02.94 .net
- 耶麻って書いたのどこだっけ?
中国史の文献を頼りにするってもそれを書いた中国内の人々が全部バラバラだからよ
- 480 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 13:56:11.21 .net
- >>473
試行錯誤の万葉仮名でもないしなw
つまりそういうことw
- 481 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 13:58:28.72 .net
- やっぱね半島は徐々に南に追い詰められて倭人は領土を失ったんだろ?
卑弥呼の時代はもっと広大だったかもね
- 482 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 14:00:14.03 .net
- 耶馬渓はなんで(万葉仮名でもなく、日本語としては絶対に当てるはずのない)魏志倭人伝にしか登場しない邪馬台国の「邪馬」が使われているのか?
つまりそれが答えだw
- 483 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 14:00:45.42 .net
- >>473
耶馬渓は、江戸時代に頼山陽?が当てたものと記憶している
- 484 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 14:01:06.87 .net
- 馬韓の王から選んだ❗ってことか?
通説では元は高句麗と同族だったのがやって来て百済王になっただの言われとるけどな
最初は百済の方から倭の支配地に乗り込んできてフルボッコされて降伏してるんだけどよ
- 485 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 14:02:47.07 .net
- >>482
隋書俀國伝では「邪靡堆」だしなw
九州説の諸君、おめでとう!諸君に乾杯(完敗)だよ デスラー
- 486 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 14:08:11.67 .net
- >>481
卑弥呼の時は狗邪韓国だけだよ。
九州は西岸から、製品輸入。
釜山方面は、日本海ルート国。
青銅は、原料輸入。
漢四郡との戦史はない。
記紀は無理w
- 487 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 14:10:34.43 .net
- >>486
でも倭の五王の時は渡平海北九十五国だし
- 488 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 14:12:48.38 .net
- 戦ったとかじゃなくて倭人が勝手に半島に住んでただけだろうけど
それが徐々に南に追い詰められた追い出された
- 489 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 14:14:43.79 .net
- そもそも中国側が半島も倭と言ってるだけで日本側の認識はわからんのよね
- 490 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 14:17:25.60 .net
- >>482
19世紀に作られた地名を邪馬台国の理由にしようとする
決して学ばない人たち
それが九州説
- 491 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 14:18:53.16 .net
- >>484
百済王は漢四郡が滅びて
350年高句麗王が幽州刺史楽浪候に就任
日本の後援で370年高句麗を押し返し
朝貢で建国。
この間で、日本に馬が来た。
百済王は日本に馬の輸送を教えた
高句麗の分家臭いが、
百済王は扶余を名乗る。
同じだけどね。
- 492 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 14:22:29.04 .net
- >>485
日田で出土した曹操鉄鏡といい、人間がいかに開きメクラかってことが良くわかるなw
- 493 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 14:35:11.84 .net
- >>451
コピペと無駄な改行はやめろ
そして狗奴国はクノ国とは読まない
卑狗がヒコ、卑奴がヒナなのだからコナ国だ
コナが付く地名を探すんだな
- 494 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 14:38:42.30 .net
- 新羅から来ただの言われたらキレ出す人らもそりゃおるだろ
新羅に土地を奪われたが正解なんだからよ
ま〜よ〜するに現地人らがみんな裏切っちゃったんだけどね
- 495 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 14:38:55.68 .net
- >>409
その論文が書かれた頃は、邪馬台国の年代は弥生時代後期に相当すると考えられていた
今は古墳時代初期と考えられている
その違いだけで、論文の著者の憶測である邪馬台国は九州との部分の論拠は消え去っている
- 496 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 14:41:42.07 .net
- >>493
匈奴、クド国だな
- 497 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 14:42:00.90 .net
- >>487
倭の五王は400年で渡平海北九十五国は
卑弥呼以降だけど313年までは漢四郡が居る。
これ以前が九州平定で、300年位から半島進出。
渡平海北九十五国、370年百済、新羅建国。
百済王は、七支刀を贈って、世子王子を聖帝に委ねた。
同時に中国が属国教化で百済に送った博士が渡来。
高句麗王が幽州刺史楽浪候になった意味を知り
高句麗交戦権、半島利権交渉を始めたのが
倭の五王
- 498 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 14:42:12.12 .net
- 日鮮同祖だの唱えてたのも日本の学者らだろ
それで併合だのしよ〜としたわけだ
これはぶち殺されて当たり前だわ
- 499 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 14:46:42.96 .net
- つまり畿内説は何年経っても頭の悪い詐欺師のまんま
- 500 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 14:47:20.83 .net
- >>497
進出とかじゃなく武の上表文は勝ちとったみたいにええかっこ言ってるけど元々倭人が住んでただけだろ
- 501 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 14:54:02.18 .net
- >>495
これやっぱ年代ズラしてんなw
- 502 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 14:55:05.34 .net
- 高句麗との交戦は奪いに行ったんじゃなく元々平和に暮らしてたのに追い出されそうになっただけだろ
勿論日本から援軍を出したのは半島利権を護る目的だけど
- 503 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 15:00:03.98 .net
- >>448
年代はいいとして、3世紀中頃が古墳時代初頭って言われるのってやっぱ違和感あるなぁ
そして奈良より琵琶湖南側の方が栄えてた印象もある
- 504 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 15:00:31.71 .net
- >>501
このように
根も葉もない中傷だけなのが九州説(死亡済み)
- 505 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 15:03:03.09 .net
- >>500
301 倭王讃の上表文(冊府元亀)
是年,倭國王倭贊遣使奉表獻方物,
表曰:「封國偏遠 作藩于外 『自昔祖父』
躬擐甲胄 跋涉山川 遑寧處
東征毛人五十五國 西服眾夷六十六國 渡平海北九十五國
これ、ほとんどが言うほど武力侵攻じゃなくて
友好や豪族間の婚姻や調略でヤマト朝廷って言うのは、
都に姫や王子の宮を作って、権力を構築していく手法だよ。
天下布武は信長までない。
だから、百済王子も日本で養育して王妃が日本王族だった。
戦国藩ほど戦わなくても、講和が主目的。
- 506 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 15:06:20.95 .net
- >>503
どうでもいいわ
弥生時代はいつからよ?
- 507 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 15:09:27.84 .net
- >>495
つまり古墳時代前期と書かれてるものは3世紀後葉のことだろう
鉄の出土量が九州と畿内で逆転するタイミングと同じか
- 508 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 15:12:28.68 .net
- >>505
平安時代とか鎌倉時代とかそんな事やってたのか?
- 509 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 15:17:25.45 .net
- >>505
甲冑跋渉の意味は?
- 510 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 15:18:54.41 .net
- はっきり区切らないと納得しないのな
縄文人と弥生人の顔に違いなんか無いわ
それより縄文初期と縄文後期の方がよっぽど違うだろうよ
- 511 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 15:18:57.81 .net
- >>301
(冊府元亀)の上表文、初めて見た。ありがとう。
『自昔祖父』って、讃の祖父は応神だけど
この文によって、応神がヤマト朝廷の租で良いかもな?
300〜350応神、350〜400仁徳、400〜倭の五王
480雄略、〜誰か? で503継体。
応神もアヤシイとは思ってたけど
神功皇后より前に遡るのは無理すぎると思うんだ。
- 512 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 15:21:01.39 .net
- >>458
いっそ全部がクソだったら、間違って食ってしまう心配なんてないので、潔いとさえいえる
なまじ、味噌も混じってるからこそ混乱してしまう、始末におえない
という考え方もある
瓦礫しか存在してなくて宝玉など存在しないとこと、玉石混淆のとこと、どちらがマシか。
瓦礫なんて捨てちまうわな
- 513 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 15:23:20.04 .net
- 510
縄文人オリジナルと言われてる人らに近いアイヌ人らは白人と黒人の中間みたいな顔立ちだったとよ
- 514 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 15:23:30.82 .net
- >>511
景行・成務(ヤマトタケル)時代に東55国、西66国を平定
仲哀・神功時代に海を渡って北に95国平定
そして応神の時代に
- 515 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 15:24:15.11 .net
- ロシアの探検隊のやつらが言ってるからな
どちらの特徴も持っておる
まだ未分化だったわけやな
- 516 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 15:25:30.67 .net
- >>513
僅か1000年で顔が変わるか
縄文時代は10000年だぞ
- 517 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 15:27:38.18 .net
- >>514
年代はいつ頃?
紀元前ですか?
- 518 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 15:32:00.66 .net
- 不思議だよね
- 519 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 15:38:06.49 .net
- >>503
感情だけでものを言っても意味がない
- 520 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 15:40:05.17 .net
- >>512
九州説に味噌はないから大丈夫
- 521 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 15:40:07.42 .net
- つまり畿内説は意図的に古墳を100年古く編年してきた邪馬台国オレオレ詐欺でしたと
4世紀の墓から5世紀の剣が出たニダ→古墳が5世紀だろ
3世紀の古墳から4世紀の三角が出たニダ→古墳が4世紀だろ
3世紀の箸墓古墳周辺で5世紀の木製輪鐙が4世紀の層から発見されたニダ→古墳が4世紀だろ
- 522 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 15:43:20.42 .net
- >>509
まあ、侵攻は無くは無いんだけど
国が荘園領主の纏まり程度で
お互いが奪い合いの戦争を続けないための領主。
戦争も総力戦じゃなくて、
縄張り争いの延長戦上かと。
四道将軍とか、何人規模で行ったのかね?
馬が無いのに?
面と線で仕切る国じゃなくて点を集めた国。
やくざの親分、日本統一というかw
- 523 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 16:02:54.89 .net
- >>522
国があって王が居るなら、王を倒せば倒した者の国になる。
- 524 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 16:04:50.07 .net
- 523
ならないよ
日本の戦国時代あたりの話だの重ねて考えても無駄だからよ
- 525 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 16:05:56.78 .net
- >>504
実際には、年代測定法の技術的進歩によって数値の確実度を高めたら推定値が変化したってのが実態で、意図的にずらしたわけではないんだけど、敵の論拠を誹謗中傷して潰さないと自説が消えてしまうという存亡の危機の前で、なりふり構わなくなってんだよね
- 526 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 16:08:24.69 .net
- 武王の上表文には、「昔から祖先はみずから甲冑を身につけ…」と訳する人もいる
- 527 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 16:11:27.23 .net
- >>524
国があるなら王なり、それに相当する人物がいる
- 528 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 16:14:20.07 .net
- そこにいる人間らを皆殺しにでもするんだな
そおすりゃその地はその王のものとやらになるだろ
中国みたいなことも日本では起こらんからよ
- 529 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 16:16:50.71 .net
- 赤の他人を王だの認めるとかって話なわけだろ
認めない絶対に
それでこんなやつらに随えるか❗ってんで住民残らずみんな消えてるんだからよ
- 530 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 16:17:54.24 .net
- バカの妄想取るに足りず
中国内ですら実際には土地を捨てて移動だのあたりまえだったのだ
- 531 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 16:20:12.15 .net
- すごいもんだろw
何十万人て人間らが移動するんだからな
大陸の方が大規模だ
- 532 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 16:21:41.39 .net
- >>517
モモソはいつ頃なの?
- 533 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 16:24:02.86 .net
- >>532
知らん
- 534 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 16:36:57.61 .net
- モンゴルも漢人派閥を利用した間接統治だからよ
モンゴル軍がそのまま攻め込んでも皆殺しにされて終わりだ
- 535 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 16:48:17.27 .net
- 日本が台湾を統治したってときも警察官らを派遣しただけ
政治には口出ししとらん
日本が満州に進出して欲しかったのは向こうに鉄道を作ってその利権みたいなもの
鉄道の運転手とか廃業した武士らの転職先だったんだよね
- 536 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 17:02:15.05 .net
- 漢以来の皇帝にはなれなくなったがおそろしい劉将軍とかいたからなあ
連中らが実質的に中国の軍隊だの指揮ってたのさ
その連中らを味方につけられたら皇帝にもなれたみたいにかわってきたからな
- 537 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 17:03:06.60 .net
- だから国名は変わったけど中身はそんなにかわってなかったんだよ
- 538 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 17:04:37.15 .net
- 異国人「コレカラハ コノクニハ ワタシノクニデス」
先住民「ワカリマシタ」
- 539 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 17:09:28.22 .net
- >>535
それが可能なのは専門の軍隊が居たからでしょう
遊牧民が定住するんだから住民は追い出される
- 540 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 17:11:16.71 .net
- 司馬懿
司馬壹恣
邪馬壹国
分かるかい?
陳寿のメッセージ
- 541 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 17:16:16.83 .net
- 九州の卑弥呼が景行に
八咫鏡と剣と勾玉差し出したんだけど
応神が在位313年〜350年で実在した
とすると246年は誰?
景行で良いのか?
- 542 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 17:18:21.56 .net
- 銅鏡2、3枚9ださい。
239年卑弥呼魏に使いを送る。
- 543 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 17:22:53.45 .net
- 400 応神、倭王讃の時代
350 仲哀、神功
300 景行、成務、ヤマトタケル(倭王讃の祖父)
250 崇神、垂仁、四道将軍、266年朝貢途絶(倭国滅亡)
- 544 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 17:23:18.71 .net
- >>541
「神」の字が入ってる初代神武から15代応神までは同一人物や
神武で軍事、崇神で宗教、応神で外交事業を体現してる
神道や道教で、数字の15は完璧を意味するからそうしてある
それで欠史八代とかの、内容スカスカの天皇が設置してある
- 545 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 17:23:57.27 .net
- あ〜なるほど
- 546 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 17:27:43.22 .net
- 軍隊もいなかったわけかい?
しんじられないなわ
- 547 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 17:28:03.76 .net
- 武力抗争が現実的になるのは源平からで
平安時代までは、諸国豪族が集まって都作って
王子や姫の結婚とかで勢力広げてただけだぞ?
物部、蘇我、藤原でも
皇室の本流は確定してない。
半島進出を実現したのが応神313年でも
高句麗戦が必要な馬の移入は313年以降だと思うぞ。
- 548 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 17:28:09.14 .net
- .
投馬国(ダウマコク)は岡山にあった「たまのくに」
都は倉敷市と岡山市の中間あたりに位置する上東遺跡あたり
当時はヤマトに奈良という呼称がまだなかったように吉備という呼称もまだない
玉や玉島など、当時の「たまのくに」という呼称の名残というか残骸が周辺に
残っている
投馬国の場合、当時は穴海になっていて海岸線が今よりもはるかに内陸にあったため、
都である中心港の遺構がかなり内陸にあったのだ
今の倉敷市と岡山市の大部分は当時はまだ海の底だったのである
郡使は今の岡山の玉に寄港したのではなく、今では内陸になってしまった当時の
たまのくにの中心港だった上東遺跡に寄港したのである
https://stat.ameba.jp/user_images/20170602/00/kadoyas02/c9/40/j/o0454031313951122410.jpg?caw=1125
.
- 549 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 17:30:35.94 .net
- 547
いや飛鳥奈良時代から戦争だらけだよ
記録を残すかは知らないけどさ
桓武天皇以外の皇族とかみんな戦争で死んだんだぞ
- 550 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 17:31:51.76 .net
- それで嫌って平安を願うってのが平安京都だぞ
- 551 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 17:33:07.77 .net
- >>522
古事記の四道将軍の記事の前に「驛使はゆまづかひを」派遣してオオタタネコを探させた逸話がある
駅使はwikipediaに「古代に駅馬に乗用することが許された公的な使者」とある
すでにこの時点で馬が用いられていたのだろう
- 552 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 17:36:42.57 .net
- 平安時代だって戦争はあったさ
荘園作りなんかが本格化してきたからそっちにせいを出す連中らが増えたけどよ
京都中心のことしか書いてないから地方の記録だの抜けてるんだろ
天皇の軍隊だの言われた物部氏は朝廷とは反目して清和天皇の時代に講和が成立するまで朝廷を離れていたしよ
- 553 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 17:36:53.71 .net
- 九州の倭国には牛馬が居なかったが東の倭種には馬がいたのか
- 554 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 17:40:21.34 .net
- あ?🐴なんざ連絡するのに使われたくらいだろ
使者として早🐴が出るときくらいだろ
行軍は山の尾根を利用するか船だからよ
- 555 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 17:41:55.76 .net
- どおも騎馬民族みたいな戦争のやり方のくせが抜けないみたいね😄
- 556 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 17:42:35.95 .net
- いざ鎌倉って普段百姓やってる人たちが何かあったら直ぐ駆けつける意味だと思ってた
- 557 :日本@名無史さん:2024/04/05(金) 17:51:47.79 .net
- >>544
アタシもそう思う。
財力出雲−軍事尾張の勢力競合で
神話が2回繰り返して、畿内奈良纏向。
有り得ない三韓征伐が出来た。
応神以前の実在可能性って何?
子の仁徳はどっかの古墳が証拠だが
アタシは370年の七支刀だと思う。
700年に持ち主の有った古墳は
全て記紀作成皇室の焚書で、盗掘されている。
八咫鏡は、見て無いけどw 平原鏡なら
古墳出品じゃない? と思うけど?
徳ちゃんに調査してくれるか、聞いてみるか?
七支刀は仁徳陵
人物画像鏡は継体陵
に、有った。
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