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邪馬台国畿内説 Part1014
- 139 :日本@名無史さん:2024/04/18(木) 00:15:02.75 .net
- 新嘗祭や大嘗祭の翌日に行う豊明の節会に使う三角柏
葛城の磐の姫の時代は熊野に生えていて取りに行く話がある
朝廷の儀式に不可欠なものが当時は熊野にあり、葛城の磐の姫はその所在を知る人物だったということだな
因みに奈良時代に書かれた志摩国風土記逸文に、当時は堺に三角柏が生えていて行基が志摩国にも三角柏を植えた話が残っている
弥生時代末期熊野の阿須賀神社の境内とその周辺に突然集落が誕生する。古墳時代前期迄営みがあったようだ
その集落跡からは大阪湾岸と同じ形の製塩土器が見つかっている
倭国大乱以降の国内の騒動から逃れる為、ヤマト政権の核となるものは一時熊野に逃れていたんじゃないか?
そして古墳時代中期には再び畿内の中枢に戻ってきたと考えられる
三角柏は別名隠れ蓑の葉や大谷渡りとも言う
熊野の神は初めゴトビキ岩に降臨しその後熊野川の対岸の阿須賀神社の地に移ったという
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