2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

邪馬台国畿内説 Part1015

82 :日本@名無史さん:2024/04/20(土) 13:20:09.17 .net
不弥国(奴国から百里なら宗像、もしくは直方平野の遠賀川流域)から南水行二十日で投馬国に至るルートは3つしかない

@日本海ルート(出雲投馬国)
A瀬戸内海ルート(吉備投馬国)
B豊後水道ルート(日向投馬国)

ここでヒントになるのが「女王国東渡海千里、複有国皆倭種」が本州とすると、それに続く「又有侏儒国在其南 去女王四千里」は四国と考えられ、里数表記であることから魏使は直接見たわけで、四国を見るルートはABで、@日本海ルート(出雲投馬国)は消える。
https://pbs.twimg.com/media/GHs4dfza4AA_XSu?format=jpg&name=medium

次にA瀬戸内海ルート(吉備投馬国)だが、山陽道は陸続きで道も直線的で平坦なため水行する必要はなく、さらに水行十日を大阪へ向かうとすると、同様に道が良く陸続きで水行する必要がない上、大阪に上陸してから纏向まで陸行なら確実に里数表記に戻るはずで、239年の明帝勅使も247年の張政も纏向まで行っていないことが判り、仮に大阪から陸行一月(20q×30日=600q)すると、女王之所都は横浜(385q)東京(498q)大宮(520q)から水戸(620q)となり、其南有狗奴国は東北地方蝦夷になってしまう。

残るB豊後水道ルート(日向投馬国)だが、山が海岸線に迫り道が狭く紆余曲折でアップダウンも激しい九州東岸においては水行の必然性があり、都萬(投馬)、耳川(官曰彌彌、副曰彌彌那利)など狗古智卑狗(肥後鞠智城)同様、地名も合致している。

総レス数 1001
404 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200