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邪馬台国畿内説 Part1022

987 ::2024/05/14(火) 19:38:05.59 .net
これが畿内説のゴッドハンド

じつは、歴博グループが示している炭素14年代測定法のデータを用いても、
箸墓古墳の年代は、卑弥呼の没年よりも100年ほどあとの、西暦350年前後にもっていったほうが、
歴愽グループの説いているところよりも、全体的には、はるかに収まりがよい
[これについては、拙著『「邪馬台国=畿内説」「箸墓=卑弥呼の墓説」の虚妄を衝く!』(宝島社新書、2009年刊)、58ページ以下などにくわしい]。
さすがに、『毎日新聞』はこの疑問点について、2009年6月8日付夕刊で、
歴博の研究グループの小林謙一氏に問いただしている。
ところがこの質問に対する小林氏の回答は、記事では、次のように一言で記されている。

「理論的にはこの布留1式の数値が4世紀の中盤以降に入る可能性があるが、『考古学的にありえない』として退けられた」

小林氏のいうように「考古学的にありえない」は正しいのであろうか。正しくない。
すでに紹介したように、東大の考古学者、斉藤忠教授は、
箸墓古墳の築造年代は四世紀の中ごろまたはそれをやや下降する時期に築造された崇神天皇陵古墳よりも、
さらにおくれて築造されたものとしておられるのである。

また、奈良県立橿原考古学研究所の考古学者で、纏向遺跡を発掘された関川尚功氏は、
ホケノ山古墳や箸墓古墳は、いずれも、ほぼ同時期の布留1式期のもので、四世紀の中ごろのものであることを、ここ四十年近くにわたり、相当な根拠をあげて主張しておられる。
[関川氏の古い論文には、「近畿・庄内式土器の動向」
(『三世紀の九州と近畿』河出書房新社、1986年刊所収)があり、比較的最近の著書に『考古学から見た邪馬台国大和説-畿内ではありえない邪馬台国』(梓書院2020年刊)がある。]

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