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戦後日本の出発点「全面講和」か「半面講和」か?

1 :shin:2013/02/14(木) 15:01:29.51 ID:/MZTfsRR0.net
日本は講和に際して、

@ アメリカ・ソビエトの両方と講和を行う(全面講和)。

A アメリカのみと講和を行う(半面講和)。

という二つの案がありました。
結局、日本は、全面講和を行い、戦争を放棄し、国連中心の全方位外交という道を採択しました。
第二次世界大戦において、日本と同様ドイツと同盟を結んでいた国家にオーストリアがあります。
オーストリアはドイツと同盟を結んで、第二次世界大戦を行いましたが、戦後は戦争を放棄した
永世中立国を宣言しています。国連事務総長のワルトハイムはオーストリア人です。日本の講和
はオーストリアに倣った形となっていたのです。こうして、太平洋戦争の後、日本は国際連合を
中心として、戦争を放棄した全方位外交(アメリカともソビエトとも友好的に付き合う)を採用
しました。日本の理屈は、「先の大戦で、日本は戦争を言う間違いを犯した。戦後の日本は戦争
を放棄し、国際連合を中心としてどこの国とも平和な関係を築いていく。」ということです。こ
の方針は、言葉だけを読むと非常に美しい印象を与えます。しかし、この方針は果たして現実と
一致していたのでしょうか?

2 :shin:2013/02/14(木) 15:02:15.81 ID:/MZTfsRR0.net
>>1
C:\Users\ta\Documents\日本近代史\近代日本史B(明治維新から太平洋戦争へ「大東亜戦争を巡る議論」).mht

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/14(木) 19:23:02.14 ID:EO+S7N3z0.net
沖縄が落ちたときに講和できたら
南樺太と千島列島は今も日本だったろうな

4 :shin:2013/02/14(木) 20:23:57.26 ID:/MZTfsRR0.net
>>3
ソビエトの対日参戦はヤルタ会談で決まっていたそうですね。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/14(木) 20:53:37.28 ID:gdpCoEhO0.net
そもそもなぜ南樺太と千島列島の返還を要求しないのか?

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/08(金) 23:21:11.41 ID:yTWBPfwx0.net
日本て地理的に分割されなかった代わりに
政治的に分割されたんじゃねえのか?
アメリカ=自由党
イギリス=民主党
ソ連=社会党
中国=共産党

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/06(土) 21:13:47.70 ID:NL1Jz/HS0.net
       真珠湾もミッドウェーも、東京大空襲も広島長崎も、すべて海軍の八百長! アメリカの内通組織、日本海軍!



「1532」

明治10年(1877年、西南の役で、西郷隆盛たちが新政府に嵌められて、
不満分子として殺された)には全ての仏(フランス)技術者が帰され、それからの帝国海軍は、一気に英国式になりました。
米英は、日本海軍にどういう内通者を置いたか?海軍のフリーメーソン人脈は?

米内、山本、井上の“海軍反戦トリオ”は、戦争開始前からのアメリカへの内通者で、

日本を負けるように仕組んで、今の日米安保体制に持って行った私もと思います。

「今日は出撃はないだろう」と艦上の攻撃隊だった飛行士たちが証言している、
ということは、その後の海軍が言い続けた大嘘の「運命の5分 」はなかったと言うことです(沢地久枝さんが暴露しました)。
山本五十六(やまもといそろく)聯合艦隊司令長官、は、
始めから負けるように仕組まれて、そえでミッドウエーで4隻の主力空母を失わせられたのだ、と推測されます。

そうでなければ戦(いくさ)が余りにも稚拙(ちせつ)です。アメリカの力を舐(な)めきっていた、だけでは説明がつきません。

海軍の“海軍反戦トリオ(米内、井上、山本)”は、戦後の創作(でっちあげ、虚構)であり、彼らは始めから敵と内通していた英米派だった。
海軍は、陸軍とは断固協調しないで、日本を始めから戦争に負けるように仕向けたのだ。
あの“海軍善玉、陸軍悪玉(陸軍が戦争の元凶を作った)“論 を書き続けた言論人、評論家たちは、どう反論するのかと、私はずっと疑問に思っています。

彼らは、これから、真実の炎で、焼き殺されなければいけない。
今からでも大きな真実を語ろうとする者たちの声を、集めなければいけない。
そしてどんどん表に出さなければいけない。

米内(光政、よないみつまさ。開戦時もずっと海軍大臣だった。副島隆彦注記。こいつが軍人では最大のアメリカの手先。
極東軍事裁判でも、絞首刑になったのは、東條英機以下6人陸軍ばかりで、あと一人は外交官の広田弘毅=ひろたこうき=だ。
海軍は、ひとりも死刑になっていない。起訴さえされていない。
このことのおかしさを、日本国民は、真剣に考えなければいけない。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/06(土) 21:24:18.54 ID:NL1Jz/HS0.net
戦後作られた「海軍善玉論」神話(海軍は、ずっと平和主義者だった。悪いのは陸軍だった、という歴史の捏造。文藝春秋と新潮社から、戦後、沢山の本が出た)。

ミッドウエー海戦という決定的な敗北を喫した。これで日本の太平洋戦争での敗北は、早くも決まった。
山本は、ずっと呉(広島)の戦艦大和の艦橋に居て、無線で指令を出していた。
無線封止(むせんふうし)さえしていなかった。これらはすべて露見している。
本当は、ミッドウエーには、戦艦大和 が先導して、空母艦隊を守りながら、戦闘(海戦)をするべきだったのだ。

今もなおアメリカの手先を自認している者ども、おのれらの恥多き人生を深く、真の英霊たちに向かって恥ぢよ。

この時の、「飛龍」艦長、山口多聞(やまぐちたもん)少将(第2航空戦隊司令官)の戦い方と死に方こそは、帝国海軍の軍人の鑑(かがみ)である。
敗戦後も、おめおめと生き延びて、「私たち海軍は、平和主義だった」などと、よくも、あの恥知らずの、アメリカの奴隷になった軍人どもは、言えるものだ。
文藝春秋、新潮社よ、産経バカ右翼は論外)お前たちの歴史の偽造を、私、副島隆彦は絶対に許さないからな。
山口多聞は、艦長として残り、飛龍沈没と運命を共にした。

南雲忠一(まぐもちゅういち)、栗田健男(くりたたけお)(聯合艦隊司令長官)ども!!!許さん。
それから、航空隊の司令官の、源田実(げんだみのる。戦後もずっと自衛隊代表で、参議院議員をやっていた)。
お前たちも、心底、怪しいのだ。始めからアメリカとつながっていた、スパイ軍人どもだ。
お前たちを、これから、日本国の真実の歴史の法廷に、引き釣り出す。

ミットウエー海戦で敗退したあとも、山本を連合艦隊長官から罷免せず、単に海軍内の庇(かば)い合いだけをした。

私が言いたいのは、海軍首脳は始めから負けるように作戦を立て、陸軍を太平洋に引きずり込んで、海軍も陸戦隊(りくせんたい)や基地の設営部隊は見捨てられました。

メディアも“海軍反戦トリオ”“海軍3提督”とかの虚構は作るものの、真の敗戦責任を問うた事がありません。

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