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維新の三傑って誰なの?

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/02(月) 20:20:40.63 ID:zoH+XKJ+0.net
戦国の三英傑
・織田信長
・豊臣秀吉
・徳川家康
↑文句なし

維新の三傑
・西郷隆盛
・大久保利通
・木戸孝允
↑えっ、この三人?

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/02(月) 20:33:45.74 ID:zoH+XKJ+0.net
大名クラス部門
【S】
【A】
【B】
【C】
【D】



徳川家定、徳川家茂、徳川慶喜、徳川斉昭、徳川慶篤、徳川慶勝、
阿部正弘、堀田正睦、井伊直弼、安藤信正、久世広周、
島津斉彬、島津久光、毛利敬親、山内容堂、鍋島閑叟、
松平容保、黒田長溥、松平春嶽、伊達宗城・・・

適当に埋めて

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/02(月) 20:40:39.75 ID:zoH+XKJ+0.net
草莽クラス部門
【S】
【A】
【B】
【C】
【D】

 ↑

西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允

また適当に埋めて

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/04(水) 08:20:32.04 ID:R93FM/OJ0.net
慶喜、孝明天皇、久光
あとの奴は一人ぐらいなら掛けようが生きようがあんま変わらない
ただこの3人は居る居ないで大きく歴史が変わる

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/04(水) 10:36:00.98 ID:qx+dLjFeO.net
>>4
維新障害物三傑か

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/04(水) 17:18:34.54 ID:8m0gPMNK0.net
維新史的には>>4でいいだろ

倒幕側だけなら西郷隆盛、大久保利通、後藤象二郎
長州からあえて選ぶなら広沢兵助
なんで木戸が入ってんだか意味が分からん

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/06(金) 21:56:40.86 ID:WTAof0v40.net
 
【榮チャンネル】第17回 時事評論「『日本を取り戻す』ためには何が必要か」
http://ogawaeitaro.blog.fc2.com/blog-entry-42.html

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/06(金) 23:01:32.76 ID:cr+3rBWi0.net
木戸が長州の代表格になれたのは、坂本龍馬のお陰とも言える。
龍馬が薩摩から長州に乗り込む際、いま大河ドラマで活躍している
小田村素太郎らを通じて木戸孝允を指名した。このことが、その頃、
京から逃げ帰ってイマイチ冴えなかった木戸を長州政界中心に呼び
戻す契機となった。
また、龍馬が今日の人気を誇るのも、木戸の記した薩長同盟に関する
記述に負うものであると言える。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/07(土) 01:01:04.91 ID:1Zarmju10.net
後半は木戸のおかげで龍馬の手柄が言い伝えられたという話か?w

木戸が三傑にはいってるのは参議になった時期や薩摩の領袖たる西郷、大久保が対に見ていたのが山縣や伊藤ではなくあくまで木戸だったという点が大きいか。

実務の面で山縣や伊藤、先輩の広沢がいたが広沢は早々に亡くなり山縣や伊藤は省内の仕事がメイン。
国政全般の舵取りに関することは適任だったかどうかは別にして木戸の他に人もいなかったと。

リベラル過ぎたり、決断を迫られる時に優柔とも感じられるほど時間を掛ける面が逆に政府内で一目置かれる存在にしたようには思う。
実務だけでは全体のバランスは取れんし、早過ぎる決断が大失策の元になるというのは有能な組織人はよく理解している。

木戸がそこを意図していたかどうかは別にして、なんとなくそういう役割を果たしたという点はありそう。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/07(土) 01:40:26.53 ID:eKQn7hjA0.net
熟慮の末に行動する人物というのは安定感が抜群だからな。
木戸が新政府で大きな信頼を得ていたのもわかる気がする。
本人には英雄的な匂いはしないが、人の上に立つ人間はこういうタイプのほうが組織が上手く回ることが多々ある。
戦時には使い捨てのチンピラのような奴が目立つけど、そういうタイプが上に居座り続ける組織は遠からず破綻する。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/07(土) 03:31:54.06 ID:me8Mvhzr0.net
>>9
木戸と伊藤・山県はもとより比較にならないよ
それと木戸は熟慮でも何でもなくただ愚痴っぽくなってただけだし。岩倉使節団の帰朝後はほんとに名前貸してるだけの状態
問題は明治4年の広沢の暗殺の段階で明らかに精彩を欠いていた木戸がなぜ三傑なのかという話だよ
広沢は慶応2年後半から慶応3年の倒幕段階で木戸を上回って長州藩の代表者的存在になっていた
実務能力や調整能力も木戸を圧倒していたし、木戸もそれは認めて広沢に縋るような状態だった

長州閥の代表としては大久保を心底ウンザリさせてた木戸より、広沢のほうが明らかにふさわしい。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/07(土) 03:34:41.42 ID:me8Mvhzr0.net
倒幕側の三傑選びなら大久保・西郷までは確定で、残り1枠の争いなんだが、
存在感の大きさから見れば後藤、長州閥の代表格という意味で見たら広沢

三傑、五傑などが西郷大久保木戸の3人がいなくなった後で論じられてるのを考えると、
やはり3人目は後藤か広沢で決まりだろうね

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/07(土) 09:44:01.44 ID:Iounx4yK0.net
維新の三傑はまだいい。

維新の十傑
西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀、
大村益次郎、木戸孝允、前原一誠、広沢真臣
江藤新平、
横井小楠、
岩倉具視

↑ハァ?

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/07(土) 09:47:13.94 ID:Iounx4yK0.net
徳川斉昭
井伊直弼
徳川慶喜
じゃないの?

統幕側なら岩倉は入らんのか?

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/07(土) 10:49:20.78 ID:isNfDDI80.net
 ■■ 維新三傑
【思想家の部】 吉田松陰 佐久間象山 横井樟南
【革命家の部】 高杉晋作 武市半平太 坂本龍馬
【賢侯の部】  徳川斉昭 島津斉彬 松平春嶽
【挙兵の部】  伊藤博文 太田市之進 山田顕義
【武将の部】  板垣退助 黒田清隆 山県有朋
【参謀の部】  大村益次郎 西郷隆盛 伊地知正治
【政治家の部】 広沢真臣 大久保利通 木戸孝允
【公家の部】  中山忠光 岩倉具視 三条実美 
【幕臣の部】  大久保一翁 勝海舟 徳川慶勝

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/07(土) 17:35:49.57 ID:1/YWJyMc0.net
まぁ慶喜は入るだろ
ぶっちゃけ明治維新とは慶喜だ
歴史学的には>>14が正しい
小説としてなら>>15でもいいけど

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/07(土) 18:05:57.20 ID:OCYj/ECR0.net
一番の攘夷論者である孝明天皇が
幕末を複雑にし、そして捻じれを生じさせたという意味で
孝明天皇を加えたい

ドラマ等で孝明天皇を誰かが演じる事があるなら
竹田にやって欲しい
おそらく凄くハマると思う

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/07(土) 18:10:33.71 ID:xeccXaL10.net
その3人でいいんじゃないの?
西郷を抜いて岩倉でもいいけど。

揉めているのは倒幕三傑?

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/08(日) 01:33:42.52 ID:czQLf3W80.net
>>16
慶喜押しはさっぱりわからん
幕末期に高い地位にいたというだけであって
本人が大したことをしたわけではないからな
孝明天皇も同様

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/08(日) 04:10:45.32 ID:3GXHG6eU0.net
幕末の三傑は孝明天皇、慶喜、久光
倒幕の三傑なら西郷、大久保、後藤or広沢
>>15は厨二病の極みだから無視していい

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/08(日) 04:23:35.36 ID:R5LfRgI50.net
つうか木戸のほうが分からん
薩長盟約は西郷主導でFA、慶応2年終盤以降は広沢が最高幹部に
明治以降やったことは少なくとも明治2年から征韓を主導したけど樺太問題が浮上して中断したことくらい
岩倉使節団の帰朝後も閣議で西郷を止める役回りは大久保に全部押し付けて何が三傑なんだと

慶喜は対外政策においては朝廷を押し切って条約勅許と兵庫開港まで持っていったわけだし
最後は大政奉還で諸侯統率権を手放し政体の一元化を実現したのは事実だからな

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/08(日) 07:52:40.20 ID:iZIbAeO10.net
>>21
議院設置とか徴兵制への道を作ったり薩摩幕府阻止とか維新政府での功績大では?

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/08(日) 10:54:41.14 ID:nmE7RDH00.net
>>21
慶喜は時の為政者として仕事をしていたけれど
維新、新政府発足という変化を起こすことは積極的に行った訳ではないので
慶喜入れたカテゴリー作りたいなら全く別になるのでは
そこまでして入れる人物とも思えん

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/08(日) 11:17:00.07 ID:nmE7RDH00.net
西郷、大久保、木戸は、単に政治の顔とか代表というだけでなく
歴史の節目で活躍し、退場したというところで存在が大きいのではないだろうか
その後、実際に整備された国に君臨していくのはまた別の人物になっていく
その直前に去っていった者をあえてくくったのだろう

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/08(日) 21:56:05.15 ID:AgAASpOj0.net
十傑もまさに明治初期まで時代の都合のいいように生きてくれた人々って感じだもんな。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/08(日) 22:35:42.90 ID:zTkeLKx70.net
「実際にやった」人ではない、頭の良さ基準(構想力基準)なら

橋本左内、徳川慶喜、小栗忠順でいいよね?

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/09(月) 12:32:17.12 ID:jMUeSVn2O.net
頭のよさなら大村先生

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/09(月) 15:43:29.75 ID:eHtnRkeKO.net
身分も影響力の内なんだから慶喜、孝明天皇、久光でいいだろ
彼等が居ないと歴史は全然変わる
身分的地位による影響があったと言うなら西郷や木戸だって
小作農なら時代の表には出ないわけだし

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/09(月) 19:24:09.57 ID:vV75NfzqO.net
その、先の三人は特に世の中を変えようという意識はなかったと思うし
長州とかがいろいろしなければ今までのままのんびりしてたんじゃないかね

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/09(月) 20:43:13.96 ID:HiH9KbKG0.net
維新の三傑は、孝明天皇、徳川慶喜、島津久光ですなんてことに
なったら違和感ないか?
敢えて従来の3人をそっくり外す意味がわからん
戦国三傑に今川義元や足利義昭を入れてるようなもんだろ

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/09(月) 21:18:44.20 ID:D35qscIo0.net
孝明天皇は落とせない。
安政条約調印を批判する勅書を出したことで尊皇攘夷派を勢いづかせ
兵庫開港勅許しなかったことで倒幕にむすびついた

久光は藩主の忠義らとセットで評価だろうな。
久光が早い時期から一橋と対立したことで
薩長同盟も倒幕もすんなりこぎつけたんだと思う

慶喜は外すべき。
孝明天皇を騙して尊皇攘夷派のふりをしてたから

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/09(月) 22:52:19.08 ID:m2rL6jAL0.net
松平容保
小栗上野介
勝海舟

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/10(火) 01:25:03.26 ID:lEidVPJP0.net
>>22
徴兵制も議院設置も木戸が主要な役割を果たしたわけではない
薩摩幕府阻止に至っては、明治6年政変で西郷ら留守政府と対決したのは同じ薩摩閥の大久保
木戸は薩摩幕府阻止というより、圧倒的な薩摩系の存在感に対して不愉快だからネチネチ大久保に嫌味言ってただけ
(台湾出兵だって厳密に言えば反対ではない、植民地化計画が出てきてから薩摩系軍人の影響力増大が不愉快だから反対しただけ)

木戸って明治に入ってから気力を喪失していて、国政参加より海外視察に逃げようとしてた人なんだが
だから3人目は後藤、板垣もしくは広沢が妥当
板垣は戊辰戦争最大の会津戦争の大功労者、留守内閣で実力派参議として活躍してるし、
後藤は言わずもがなの大政奉還と、明治維新後も左院にあって大きな権限を保持している
長州から1人選ぶなら実務派の広沢だしな

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/10(火) 01:30:18.84 ID:lEidVPJP0.net
>>30
むしろ今までの西郷大久保木戸なんて意味不明な基準のほうが間違ってる
幕末は孝明天皇、一橋慶喜、島津久光の三者の対抗関係で見るほうがずっと分かりやすい
西郷たちだって島津久光が健在だった慶応2年くらいまではずっとその意思に背けない状態
(というか薩摩藩は西郷ら急進派だけで動かせたわけじゃないので)
慶応3年に上洛出兵が決したのは久光の影響力が落ちたからだし新政府成立以降も久光の存在感は大きく西郷を苦しめ続けている

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/10(火) 01:32:54.59 ID:lEidVPJP0.net
>>33訂正
岩倉>後藤>広沢>板垣 くらいだな 西郷大久保岩倉が穏当

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/10(火) 01:35:39.95 ID:lEidVPJP0.net
>>31
もし三傑を二傑に絞れと言われたら孝明天皇か慶喜かってくらいのウェイトだぞ
久光を外すならともかく慶喜を外すとか馬鹿なの?

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/10(火) 01:42:11.16 ID:aie3oHSK0.net
>>33
薩摩幕府阻止に関して
新政府発足後、西からの反乱を予知して鎮台を築くことを支持したのは大村であり
その大村を引きあげたのは木戸
西南戦争の時は既に木戸は倒れているが、未来的に阻止する布石をうってある
そういう意味では重要

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/10(火) 04:27:29.01 ID:Oxo5kNyp0.net
>>34
>慶応3年に上洛出兵が決したのは久光の影響力が落ちたからだし新政府成立以降も久光の存在感は大きく

逆だろ
久光の影響力が落ちたのは新政府成立以降で、
慶応3年なら久光みずから 率兵して入京してる

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/10(火) 05:30:43.64 ID:oA0Et2KK0.net
>>36
朝敵になって敗戦、降参した慶喜は傑物ではない
久光のほうがましだよ

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/10(火) 07:02:03.14 ID:Jfj35pFM0.net
兵庫開港のために孝明天皇を殺したのが徳川慶喜と松平容保らだろ
こいつら逆賊で間違いないな

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/10(火) 08:02:28.81 ID:6llbaxmV0.net
元々権力の座にいた人が英雄ってなんかナンセンスだよね。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/10(火) 08:17:47.22 ID:s3rToZ4e0.net
>>34 久光のことなんだけど

慶応3年に影響力が落ちたのに?
なんで新政府成立以降に存在感が大きくなってんの?

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/10(火) 08:31:07.19 ID:+lU518350.net
なんか会津マンセーから慶喜マンセーに乗り換えてるっぽいな

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/10(火) 09:47:53.24 ID:1PYH9B4lO.net
うーん
時代の軸と見て3人選べとなればやっぱり慶喜、孝明天皇、久光なんだよなぁ
これに付け足すなら斉昭、井伊、阿部かな

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/10(火) 10:38:57.28 ID:YOkXaN/50.net
維新三傑なのに幕府側の人間多すぎだろw
久光とか孝明天皇入れてるのもなんだかわざとらしく
思える
素直に西郷大久保木戸が気に食わないでいいだろ

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/10(火) 11:13:40.42 ID:yiZ1RYgO0.net
>>36
馬鹿なのはお前のほう。維新てのは倒幕のことが含まれてんの

薩摩は討幕した側
慶喜は討幕された側

47 :正理会:2015/03/10(火) 15:07:19.59 ID:MkIR0KXR0.net
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48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/10(火) 15:32:13.23 ID:fxi7PLcZO.net
>>44
その三人全てがいなくても維新は訪れていた。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/10(火) 15:47:58.89 ID:SounB6DT0.net
島津久光さまさまだよな公武合体公武合体で
一橋慶喜が尊王の塊みたいに洗脳されてしまった

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/10(火) 19:38:07.94 ID:oA0Et2KK0.net
>>44
スレタイは「時代の軸」じゃなくて「維新の三傑」なんで

幕末期の重要人物だとしても
維新を志向してない人物、維新に尽力してない人物は、
三傑の候補に入れるべきじゃない

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/10(火) 20:56:48.54 ID:vVTEycOX0.net
>>33
そうか?薩摩に対する意見集約が木戸に集まって明治維新政府の方向つけがされたから重要だろう。

それより倒幕の功績は別として、維新の功績なら西郷は退行的だし落として良い。

したがって維新の三傑なら、
岩倉、大久保、木戸。

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/10(火) 23:39:43.84 ID:OXMBFhdJ0.net
明治維新における最大のトピックとして倒幕があるのに西郷は落とせないだろ、バカ
倒幕がなければ岩倉なんて浮かばれずに隠遁者で終わっているよ

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/11(水) 02:13:52.90 ID:qP7foQEc0.net
基本的には明治維新の原動力の二藩の薩摩長州から選出だもんな。
これは揺るがない。
個人的には高杉晋作には明治またぎで長生きしてもらいたかったな。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/11(水) 08:22:22.49 ID:kpvnXZsBO.net
維新の概念が倒幕とは思えないけどな
仮に倒幕だとしても大政奉還した慶喜は確定になるだろ
そして革命ではなく維新を使ってる以上、孝明天皇は入れるべき

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/11(水) 09:12:55.67 ID:0e+ztBFE0.net
>>54
大政奉還は倒幕じゃないよ

王政復古の大号令によって徳川慶喜の将軍職辞任が勅許され、併せて幕府の廃止が宣言された

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/11(水) 09:47:04.77 ID:na+xmk4T0.net
>>54
もうあきらめろ。「維新〜傑」はちゃんと定義づけられてんだよ。
慶喜なんて入るわけがない

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/11(水) 09:56:45.55 ID:0e+ztBFE0.net
大政奉還の後も将軍職は暫時従来通りとされた。

15日、朝廷が大政奉還を受理、2 4日、慶喜は将軍職の返上も訴えたが、26日に朝廷から却下され、内政・外交共にこれまで通りとするよう回答された。

つまり大政奉還しても将軍の地位はこれまで通り

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/11(水) 09:59:27.40 ID:zHIIxVsHO.net
公明天皇とか、維新より前に死んでるし
それ以前に世の中を変えようとかより、自分の保身優先でまわりを振り回しただけの人物だろ
慶喜も必要に迫られなければ自分の地位守っていただけだろ
とても維新とかいう人物ではないよ

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/11(水) 11:26:10.57 ID:TX9IrdA+0.net
慶喜は幕府の統治機構や編成変えることは考えてたと思うけど。
幕府という名前捨てるぐらいはその方便の一つだったろうし、自分が実質的な政権の首班であることは当たり前だろうというのもあったと思う。

この前BSの歴史番組でとても的確な言い方だなと感じたのは

慶喜は徳川幕府の15代将軍というより、徳川慶喜政権の1代目。

という表現。

兵制改革や人材の抜擢など将軍後見職だった時から既にそれまでの幕府の枠を超えたことをやっている。
時代の変化に統治機構を合わせて変えていった人だと思うけど、徳川幕府から明治新政府への明治維新という変化の功績か大きかったかは別かと。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/11(水) 11:54:09.48 ID:qP7foQEc0.net
風が吹いたら桶屋が儲かる。

傑物とは風なのである。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/11(水) 12:40:54.48 ID:BZ/eQyNR0.net
>>44
井伊ってのは 直弼?
阿部ってのは 正弘? 正外?十郎?

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/11(水) 20:33:19.99 ID:vgyQKLpM0.net
>>52
はあ?西郷いなくとも代わりが出て幕府を倒したろ?

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/11(水) 21:09:21.59 ID:AClkk1xmO.net
こりゃだめだ

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/13(金) 01:47:03.59 ID:M7jQ5IGs0.net
明治10年に示し合わせたかのように次々と死んで行った維新の功労者達
そこに、運命的なロマンが見いだされたのだろう

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/13(金) 06:58:07.99 ID:9Hzavk6J0.net
加藤清正や浅野幸長みたいなもんだな

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/14(土) 22:39:53.08 ID:fIDJwkgT0.net
西郷の代わりができたのって島津斉彬くらいじゃね?

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/14(土) 23:41:53.97 ID:mM+xq4KH0.net
薩摩が寺田屋事件以降何故一枚岩だったかというところは大事だな

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/15(日) 18:13:40.80 ID:FnL529Rc0.net
代えがきかないのがナンバーワンが西郷だろう、次点で大久保

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/15(日) 18:33:40.46 ID:dPEqXa420.net
天皇や朝廷、諸侯の役割が非常に軽視されてて、藩士レベルが過大視されてる
強いて言えば徳川斉昭、孝明天皇、島津久光、一橋慶喜の4人。彼らは外せない。

この4人に西郷・大久保を入れるくらいだな。どんなに妥協しても後藤象二郎まで
ほかは不要

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/15(日) 18:36:31.82 ID:dPEqXa420.net
>>66
何か西郷を物凄く過大視してるけど、西郷が独自性を発揮するのは四候会議の後だし、
それも小松帯刀や穏健派の存在で抑えられてて、小松が慶応3年10月に帰国したまま病に伏したこと、
および江戸藩邸の浪士暴発で戦を覚悟しなくてはならなくなってやっと全権を得たんだよ
それまでは西郷を殺すとか言って藩士が押しかけてくる事件も発生してるんだから

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/15(日) 18:40:44.18 ID:dPEqXa420.net
>>51
あり得ないあり得ない、どうしても長州から1人入れろというなら広沢真臣。
何で木戸なのか理解に苦しむくらい。木戸は慶応3年の時点で広沢に藩政の仕切りを奪われてるくらい。
過去のキャリアだけで売ってたと言っても過言ではない

藩士・公卿クラスなら西郷・大久保・岩倉つまり薩摩藩と朝廷勢力だけで説明できるし、
大政奉還まで入れるなら後藤象二郎が浮上する。長州は薩摩の援軍以上の存在ではない。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/15(日) 18:47:28.85 ID:dPEqXa420.net
>>38
いや、久光の影響力は四候会議後に落ちてるよ。
小松帯刀と同じく久光も持病に苦しみ四候会議で慶喜に散々にやられた精神的打撃もあり、
それまで政務を切り回してたのを小松以下に放り投げて下坂してしまった。
だから「久光は上手く行かないもんだから家臣に放り投げた」という意地の悪い憶測も飛んだくらい。

ここで初めて久光の指導力が落ち、忠義(茂久)が藩政の表舞台に出てくるようになり、
強硬派が活動できる余地が増大する。久光は慶応2年くらいから少しずつ気力を失うようになってたけど

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/15(日) 20:00:50.99 ID:yUlfi6K50.net
四侯会議って開催され始めた時には外様の幕政への参入という意味合いができて、その後各藩と慶喜の思惑がズレて薩摩が倒幕に完全に向かう契機になっていくんだよな。

春嶽にしても慶喜の思惑との間で立ち位置変わっていったし。
土佐の容堂だけは無駄にやる気出した感じw

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/15(日) 20:15:18.40 ID:rvOm+0pE0.net
>>69
また同じこと繰り返すの?
慶喜を「維新の三傑」に入れることは無理
入れない理由もここでせんぞ述べられてる

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/15(日) 20:50:55.32 ID:HYepquY20.net
>>69
「 諸侯の役割が非常に軽視されてて、藩士レベルが過大視されてる 」

阿保か?お前が名前を挙げてる島津久光も「 藩士レベル 」なんだよ

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/15(日) 21:13:13.85 ID:FzqF0Zni0.net
>>71
明治初期までに死んだ連中を含めていないところを見ると
幕末を生き明治10年まで力を尽くしていた英雄というのがここの重要な要素だろ
単に地位とか権力自体が大きい、維新がなくてもでかい存在だった者達ではなく
幕末、維新に人生を捧げた生き様そのものみたいな者達が、あえて三傑として扱われたのだろうと思う
その劇的な三人、西郷、大久保、木戸にあえて送られた名誉称号みたいなものだから
他の者ではだめだろうな

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/15(日) 22:17:58.17 ID:rhaiORbk0.net
>>70
小松は穏健派じゃないよ
薩長同盟も討幕密勅も積極的に加わってる
>>72
久光自身が討幕密勅を了解してんだよ
薩摩の出兵に反対してたのは久光とは別の人物だ

「穏健派」や「強硬派」とゆうワードをデタラメに使ってんじゃねーよ

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/15(日) 22:45:43.86 ID:yUlfi6K50.net
>>76
名誉称号w
三国志の五虎将軍的なもんとするなら、それぞれのエピソード含め納得だわなw

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/15(日) 23:48:24.80 ID:rvOm+0pE0.net
慶喜ごり押しの人、ぜんぜん進歩してないな

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/16(月) 00:54:03.79 ID:xBfhkyNC0.net
西郷・大久保のほうが政治家として慶喜より一枚うわてだっただけのこと
外様の陪臣が天下の将軍に勝つんだからやはり英雄だろ

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/16(月) 00:54:09.77 ID:71SQ9bh30.net
>>71
大政奉還で 「 藩士レベル 」の 後藤象二郎を入れるの?
大政奉還の当事者は将軍と朝廷なんだけどなあ


天皇や朝廷の役割を軽視して、藩士レベルの後藤を過大視してる
のは、あんた自身てことになるよ

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/16(月) 08:20:06.45 ID:t12fnMMK0.net
>>69で岩倉を入れずに「ほかは不要」とまで断定してるのに
>>71で岩倉を入れてしまってる

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/16(月) 09:14:21.15 ID:71SQ9bh30.net
慶喜厨のレスって支離滅裂だな
自分の文章を読みなおしたほうがいい

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/16(月) 12:08:41.97 ID:c3gfU3Vp0.net
慶喜厨どうしたいんだよ?

>>44で阿部と井伊を付け足せって言ったり
>>69では「ほかは不要」と言ったり

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/16(月) 17:29:05.72 ID:ugaO8vOh0.net
幕末の四賢侯とか幕末幕府の三傑(仮名)とかを維新の三傑にどうしてもねじ込みたいんだよな?

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/16(月) 18:33:23.72 ID:XA2m/gtL0.net
川路、小栗辺りは有能なんだけど何かを背負って立つ感じじゃないし政治家とか指導者っていうより官僚だしなぁ。

組織の中でその組織の目的に合わせた政策の有能な実行者であって、旗そのものをどうするか決めたり旗そのものじゃない。

上手く言えんがw

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/16(月) 20:14:20.40 ID:sgkSyhgZ0.net
薩摩をはじめ後の人材への影響力を考えると島津斉彬が原点だな。
四賢侯といっても斉彬を信奉する大名ばかりだしな。
蘭癖と言われたが、どれだけ頭のいい人だったんだろうと興味はある。
ただ、死後に動乱があり過ぎたから三傑とはニュアンスが違うが、もし死なずに井伊を倒していたら・・・

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/16(月) 21:38:10.75 ID:6sSjnUGJ0.net
慶喜推しの人は、幕府が存続して欲しかったから、幕府側若しくは幕府寄りの人物を評価してるんだろう
それは全然いいけど、やはり維新の三傑に幕府の人間や孝明天皇、久光は相応しいとは思えない
幕末に関しては、それ以前と違って勝ち組負け組なんて色分け出来ないから、
そんなに拘らなくてもいい気がするけどね
幕府も滅びたけど、薩摩も長州も領土を広げることなく消滅してるし、
藩閥も持続可能なものではなかったし
慶喜だって公爵だからな おまけに長生きしてるし、ある意味三傑とか
より勝ち組だ

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/16(月) 21:46:38.99 ID:6sSjnUGJ0.net
>>87
斉彬があそこで死ななかった場合、薩摩は倒幕まで行ったかな?

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/16(月) 22:52:18.31 ID:sgkSyhgZ0.net
>>89
わからん。

だけど斉彬が生きていたら、もっと早い時期に薩摩が軍事力全開で乗り込んでくるわけだから、
ここまで幕末のゴタゴタが長引くことはなかったと思う。

弟の久光が真似事を5年後に実行したけど、斉彬がやったなら幕府側の態度はまったく違っただろうね。
兄貴のほうはもともと江戸の政界で顔も利くし、味方の大名や幕閣を動かせる人だから。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/16(月) 23:56:48.70 ID:U4Okwo9U0.net
>>90
IF論だが、
斉彬のは一橋を将軍にするための出兵上洛なんだから、
それが成功してしまうと斉彬自身が慶喜幕府を守る側になると想定。

「江戸の政界で顔も利くし、味方の大名や幕閣を動かせる人」だからこそ斉彬は佐幕派になりやすい。

逆に久光のほうは、江戸の政界よりも天皇からの信任を得ることに成功してる。
生麦と薩英戦争での活躍が評価されたからね。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 00:53:29.27 ID:l0aT0jP20.net
>>91
まあ、IFの範疇での議論だからこの辺にしておくが。。
自分の手の内で言うことを聞くうちは、慶喜の後ろ盾になるんじゃないのか?
ちなみに、この時点では将軍継子争いでは敗けており、
この挙兵は安政の大獄を始めた井伊の強権政治への弾劾が目的だから、なお慶喜を推すことに執着したかどうか。

それと久光が朝廷の信頼を得ることに成功したのは寺田屋騒動がきっかけだよ。
まあ、斉彬なら有馬新七ら尊攘派の家臣からも慕われているし、こんな酷い身内同士の流血騒ぎ自体が起こらんが。
あと言っておくが、斉彬は近衛家など公家社会に対しても顔が利くぞw
無位無官の久光のように寺田屋騒動のような無茶をせずとも、島津家の正統な当主なのだから出だしから違う。

同じことをやろうとしても、粋と野暮、月とスッポンくらいに結果に違いがあるかと。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 01:30:37.57 ID:wtpBtn8s0.net
ただ斉彬の時代にはそこまで外様が幕政に直接影響力発揮できたかは怪しい。

久光の江戸入り後だって、春嶽を幕閣に入れたわけではなくほとんど名誉職みたいなもんにつけたぐらいで。

これが長州征伐の時期までくると政局が京都中心に動くようになり、江戸の幕閣の影響力が少なくなる。
だからここで初めて四侯会議の意味も出てくる。

慶喜としても幕閣の影響力排除して将軍親政の形で即断していける状態。
放り出された幕閣が焦って代わる代わる上洛する有様。

時代的な要素除くと個人の影響力という意味では斉彬と久光では斉彬の方があったのは間違いないけど、その時期だからこその影響力という点では久光の発言は斉彬生存時期の発言よりはるかに政局を動かすには大きかったと思う。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 03:29:34.00 ID:rZrp5fJI0.net
斉彬が健在で5000の薩摩兵で江戸に殴りこんで井伊に対してクーデターを起こせてたら、結局徳川斉昭の意思を組んで通商修好条約無視の攘夷を断行していたかもしれないね。そうなっていたなら結末は何とも分からん。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 07:38:17.66 ID:6FpHQmvF0.net
>>74
薩摩の国父で参預会議・四候会議にも招かれてる島津久光が「藩士レベル」だなんて言ってる人間がいるの?
久光は普通に重要人物。小松西郷大久保らの行動も久光の意向に大きく制約されている

西郷大久保だけに着目するのは結果論もいいところ

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 07:41:27.04 ID:6FpHQmvF0.net
>>77
ちゃんと読んでごらん。
「小松帯刀や穏健派」と並列で書いてあって、誰も小松帯刀を「穏健派」とは言ってない。

ただし、小松帯刀は大政奉還後はかなり慶喜寄りの路線を取るようになっており、
そのすぐ後国元で病にかからなければ西郷・大久保とは軋轢が生じたことも予想される。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 07:57:20.99 ID:x+RTAerf0.net
>久光自身が討幕密勅を了解してんだよ

とんでもない。久光は慶応3年9月に藩内に三藩挙兵計画が漏れて強い反対論が起きた際、
その趣旨は禁裏守衛に留まることを表明して反対派の鎮静に努めている。
この薩摩の藩論分裂は京でも発生している。
討幕密勅はこのような事態に対処して反対派を抑えつけるために必要とされたもの。
しかし、密勅を奏請した直後に長州藩が出兵を中止し(失機改図)、結局、挙兵は延期されている。

薩摩側は挙兵計画実現のために国元に帰って兵を連れてこなくてはならず、
そのためにどうしても密勅が必要になってるんだよ。討幕密勅って、こういうお家事情を抱えた薩摩限定で意味があるものなの。

デタラメなのはお前だろ。

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 08:02:25.25 ID:x+RTAerf0.net
ちなみに慶喜推しとか意味不明なこと言ってるようだけど、一橋慶喜を外して幕末をどうやって語るのか…
こんなの共通了解事項に近いんだけど。

慶喜を抜くのはまるで政権派閥の自民党清和会を抜かして今の日本の政局を語るようなもんで、びっくり仰天だよ。
当時の一橋慶喜は三傑が二傑になっても残るくらいのウェイトがある。
それは好き嫌いとは関係なく、あらゆる場面に慶喜が顔を出してくるんだから仕方ない。

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 08:10:20.17 ID:x+RTAerf0.net
誰か研究者でそんな変てこ見解の人でもいるのか?
慶喜の重要性なんて大したことないとか言い出してる人w

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 08:23:46.47 ID:wtpBtn8s0.net
他の人の発言の意図を汲み取れない自説押し付けの人ってすごく馬鹿に見えるね。

そもそも維新の三傑に維新を意図していなかった人間は入らない。
能力がどーこう、重要度がどーこうじゃないという。

上手い野球選手は誰だろう?という話をしている時に上手いサッカー選手を挙げてくる馬鹿によく似ている。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 09:02:37.92 ID:gmc9X4OS0.net
>>98>>99
おまえ文盲じゃないよね?ずっと同じこと繰り返してるみたいだけど荒らしたいの?
スレタイに「維新」て入ってるだろ
「幕末期」の重要人物を3人選ぶことじゃないんだよ

「維新」とゆうくくりがある限り慶喜が入ることはない

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 09:49:49.98 ID:qWV6DkyK0.net
日曜に連投してるのはアンチ会津という幕末スレを徘徊するキチガイだろ
ID変えてるようだけど

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 10:05:41.97 ID:JqiwPUZO0.net
維新の十傑
西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀、大村益次郎、木戸孝允、前原一誠、広沢真臣
江藤新平、横井小楠、岩倉具視

反乱起こした奴が2人も入ってる

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 10:35:20.65 ID:hJWLdwFX0.net
討幕三傑なら西郷・大久保までは決まりだが3番目は後藤、岩倉、広沢、板垣、木戸の順だろうな

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 10:46:00.03 ID:sLC7BU1a0.net
ビックカメ●札幌店
副店長
佐藤伸弦が暴行事件を起こしていた

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 11:48:57.66 ID:Bau5V0+p0.net
このスレが荒れてるのって、
再検討したら木戸が外れるからか

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 12:21:37.03 ID:X2v/cLRC0.net
>>95
ちゃんと読んでごらん。
>>74に「藩士レベル」なんて書かれてないよ
>>74に 西郷大久保なんて書かれてないよ

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 12:23:58.39 ID:Bau5V0+p0.net
>>75には書いてあるよね

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 12:46:44.14 ID:FtFuk1620.net
19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/08(日) 01:33:42.52 ID:czQLf3W80
>>16
慶喜押しはさっぱりわからん
幕末期に高い地位にいたというだけであって
本人が大したことをしたわけではないからな
孝明天皇も同様


バカなの?この人

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 13:16:24.50 ID:rDtJhRTmO.net
慶喜厨うぜー
そこまでして入りたいのかよ

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 13:31:36.71 ID:QP9CeBaO0.net
ID:6FpHQmvF0と ID:x+RTAerf0の文章ってそっくりだね
「重要」に固執してるところとか

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 15:05:21.03 ID:6siuwOu90.net
維新って一体どこからどこまでなんだよ?

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 16:27:59.41 ID:X2v/cLRC0.net
明治復古の鴻業偉蹟は首として三氏の忠誠に出つ故に世称して明治維新の三傑と云ふ

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 16:38:32.76 ID:YjcVPDkF0.net
維新三傑って、最初に三傑の3人のほうが確定してるからなあ
民間では三傑に違う人間挙げたりしてるけど華族令の時にこの3人だけ別格扱い
大久保西郷は確定としてもあと1人は…

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 16:57:13.84 ID:rZrp5fJI0.net
桂小五郎でダメなの?
実際、薩摩、長州が役者なんだし、長州だったら功山寺挙兵の高杉晋作だろうと思うけど、維新を待たずに亡くなってしまったんだし、その高杉が認めて長州代表で五分で薩摩と同盟を結んだわけだし、維新後とっとと屋台骨を作ったわけだし。ってな理由だけど。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 18:22:47.90 ID:3WKfPott0.net
志士歴の長さ、当時の名前の売れ方、薩長同盟の立会い、維新後10年生存、参議就任。

これだけ揃ってる長州の人物が他にいないw
志士歴問わないとか単に討幕とするなら別に人は挙がるだろうけど。

20年以上、政局の中心にい続けたというのはそれだけですでに傑出していると思うけどなw
隠れていた時期や左遷された時期もあるけど、それは西郷もだし大久保なんかは久光が登場するまでは藩内でも立場ないし。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 18:53:50.36 ID:ZCIL31Lb0.net
>>1が「えっこの3人?」って言ってる通りだろ。
西郷大久保には疑問はないと思われるから問題となるのは木戸
3人目は岩倉。岩倉は明治3年頃から半引退状態になってた木戸と違って大久保岩倉政権を主導してるし、
王政復古でも小御所会議で山内容堂の激しい糾弾を抑えてクーデタ断行を成し遂げている
(大久保は容堂との身分差もあって直接反論したという話は微妙だから、岩倉の闘志が大きいだろう)

西郷・大久保は文句なしだが木戸は明治3年くらいに既に気力を失ってる
てか三藩の代表者が討幕直前に会盟した時も長州は広沢が代表者だし慶応3年には既に広沢が長州トップだったと見られてる
木戸の活躍はそれ以前だが、木戸の売りの「薩長同盟」が討幕同盟だったというのが疑問視されてるし
もともと乙丑丸問題で上洛した木戸に対して、薩摩が長州赦免に尽力しますよとリップサービスしただけだろ
だから薩摩側には盟約に関する記述がほとんど見られない
木戸もおそらく「同盟」の実態を知ってただろうし、だから裏書を当事者でなく龍馬に求めたんだよ

で、翌年の「倒幕」の時の長州の代表者と言えば広沢。明治政府になってからも広沢のほうが重用される傾向にあった
暗殺される頃には木戸も広沢を頼ってる状態で、何で木戸なのかよく分からん。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 19:49:54.19 ID:ZroG9Fi40.net
>>117
いや、西郷は疑問だろ?近代国家として欧米に飲み込まれないように作った明治の立憲制に何を繋げた?
大久保と木戸は幕末から維新に貢献したけど、西郷は疑問付き、慶喜よりは上だけど重心が倒幕に片寄っているし、似たようなポジだな。

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 20:54:20.42 ID:b2CCvXM10.net
>>97
慶応3年9月なんてまだ 討幕密勅でてないだろ
そんなもん引き合いに出しても意味ねーよ

久光が討幕密勅に背いたってんなら、
おまえが見直そうとしてる
「維新の三傑」に、久光は加われなくなるぞ

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 21:16:13.55 ID:JsByMiKsO.net
大久保は異論はないのか?
当時大久保、木戸が別格扱いされたのを見ても
人気投票的なものではない、明治天皇から特別に頼られる重要な存在価値があったのだろうね
実際、木戸は引退したがっていたらしいが
実際には死ぬ直前くらいまで頼られ働いているらしいから、過小評価ではないかね
岩倉は公家という立場上、そういうグループには入れないと思う

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 21:34:17.50 ID:LII4uvT00.net
三条があれだからなぁw

宮内におかしな奴が現れて色々吹き込む防波堤の役割もするのが岩倉。
逆に言えば岩倉口説けば宮内通じて天皇の裁可降って色々できちゃうw

岩倉はその影響力を利用もするし、それによって家柄から言えばあり得ない大官、収入を得た。

幕末から昵懇だった大久保は志士として他藩に知られたわけじゃないし、人脈としては西郷、木戸下手したら後藤より劣る。
そんな大久保にとって天皇への通路となる岩倉の存在は大きい。
大久保と岩倉はセットでよろ。

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 21:49:47.17 ID:ZY+jUYSy0.net
>>103
3人では?

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 22:25:19.89 ID:rZrp5fJI0.net
つか、広沢は維新後の永世禄も大久保、木戸とならんで1,800石で四境、戊辰戦争と外交の面で活躍し、維新後も実務の面で優れてていたみたいだね。
参議経験もあるし実績的には申し分ないね。ただ、功山寺の時は参加していなかったのがなんか残念というのと、たいてい名目的には木戸の代理だったんだね。
それとさっきwikiってたら廃藩置県終了でとりあえずの維新完了という線もあるみたいだね。
で、あるなら、十傑ポイ人たちが維新の締めくくりに協力させようとした西郷、大久保、木戸じゃだめなの?

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 22:26:02.57 ID:rZrp5fJI0.net
因みに木戸は維新早々薩長土肥体制を長州の身でありながら一人で改革しようとした功績というのも地味に後々効いてきてるんだよね。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/18(水) 01:01:36.63 ID:o1G/EIVV0.net
そこが木戸が評価されるポイントだからなw

藩閥路線が当たり前になっておかしくない時期に、それやると外れた人達の不満煽るし意見を出し尽くすような議論できないじゃん!って今の時代なら当たり前な近代民主主義的な理念全開w

ラジカル過ぎて他のみんなドン引きになっても、お前ら藩閥政治やんないと女囲えないしな!とか子供っぽい皮肉言ったりするのもお茶目w

まっ、木戸も女囲ってて本当は人のこと言えないんだけどなんか面白いw

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/18(水) 07:53:57.23 ID:G1P8K0lxO.net
まぁ三傑も十傑も政府のプロパガンダで作ったもんだしね
そりゃ実態からズレてるわ

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/18(水) 08:08:40.88 ID:i/vhI8us0.net
>>126
ここで自分の自己流三傑作ってる奴のほうがプロパガンダしたいだけにしか見えないが

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/18(水) 08:45:45.00 ID:L+0hLcyJO.net
伊藤あたりは「維新の大儀=郡県政への以降」と定義づけしてたから、
維新三傑って廃藩置県やったころの主導者あげてんのかと思ってたわ

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/18(水) 13:24:59.71 ID:kyKjHMUTO.net
幕末から明治にかけての武勇伝、志の高さ、国へ尽くした姿勢を見るに
三傑筆頭は木戸と言ってもよい
志の高さゆえに政府に失望する姿勢もよくわかる

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/19(木) 03:23:49.35 ID:4vvwFrBQ0.net
わかるような気もする
問題は、大久保と並んでどんな功績があるかわからない人物ということだ

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/19(木) 09:08:05.10 ID:feAFtRlOO.net
>>130
それは大久保の功績がわからんという話なのか、
木戸が何で大久保と並び称されてるのかわからんと言うことなのか……

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/19(木) 09:56:49.49 ID:xrF3chIBO.net
聞いた話だが
日本史の人物で何をした人物かという問題で
一番わからなかったのが大久保で二番が木戸だったとか
現代人の認識はそんなものかもなあ

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/19(木) 12:58:30.27 ID:d9/esPzc0.net
リーダーシップとは目に見えないものだからねえ

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/19(木) 13:02:10.55 ID:feAFtRlOO.net
幕末明治って個人の才覚で事態が進展するような時代じゃないしね

木戸とか大久保あたりだと、関わった範囲広いし
反乱につぐ反乱でやりたいこと出来ないまま死んじゃうから、
「これやった」というのがパッと出で来ないのかね

しかし世間的な西郷の功績ってなんだろ?
江戸城の無血開城あたり?

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/19(木) 23:47:14.50 ID:+r4czBmD0.net
長州で言えば木戸よりも広沢のほうが実力があったと思うし、
実際に木戸のやった功績って何なの?世間的には五箇条の御誓文くらいか

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/20(金) 01:19:52.19 ID:NV3ENJUJO.net
>>135
薩長同盟にしても、廃藩置県にしても
木戸が構想を上げて、広沢はツッコミ入れつつ最終的に木戸に説得される
という構図だからね

木戸>広沢とは言わないけど、
長州から一人あげろって言われたら木戸でFAだろ

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/20(金) 01:30:10.06 ID:NV3ENJUJO.net
>>136
あー、「構想上げて」って言うと語弊があるか

「木戸が戦略立てて」に訂正しとく

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/20(金) 11:21:25.34 ID:hhaWsKrNO.net
版籍奉還
廃藩置県
教育制度充実

とかかな教科書的には

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/20(金) 23:22:07.59 ID:EK1OkEgb0.net
元々維新そのものが討幕までの計画しか具体性なかった。

で、幕府倒したけど何すんの?って話になった時に課題を整理して新政府で何をするのか決めていったのが大久保だったり木戸だったり西郷だったりなんじゃない?

大隈、伊藤、井上、山縣なんかはある分野に関しては幕末からの働きの中でそれぞれ見識も実務的な経験もあった。
でも色々ある中で優先順位つけたりどこに予算使うか人をどう集めて何を任せるかとか全体のマネジメントまではできなかった。

組織のトップマネジメントはそういうもんだろ。

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/20(金) 23:40:27.32 ID:kE4O8Uax0.net
また、西郷、大久保、木戸がトップだったから、維新後の不満分子による被害もあの程度だったのかもしれないな。偶然か必然かはわからんが。

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/20(金) 23:53:19.82 ID:EK1OkEgb0.net
いや明治初年での状況では年齢的にも3人は40歳ぐらいで死ぬ50際までの10年はまさに働き盛り。

確か脳学者や心理学なんかでもこの10年に大きな仕事をする人は多いとか。
伊藤や山縣はその次の10年がこの年齢。

更にその次の10年が桂、西園寺。
ここまでは順調でそっから先が世代交代できず元老としてすっかりじい様になった山縣とか権兵衛さんが張り切っちゃったし、それもうまく行っちゃった。

じい様達頑張り過ぎて世代交代失敗したのか、働き盛りの世代に人物がいなかったのか。

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/21(土) 09:26:43.63 ID:OENdeLB90.net
>>141
権兵衛って山本権兵衛のこと?
山本権兵衛は元老じゃないだろ
海軍大臣としては張り切ってたんだろうけど、2度の首相の時は
なんかあっさり辞めてたな
最初の時は兎も角、2度目は辞める必要あったんかな
なんか粘りが足りない気がする首相としては
海軍としては、加藤友三郎とか斎藤実とか後継者いたんじゃね

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/21(土) 11:20:38.64 ID:e0TKVE1A0.net
>>138
立憲体制の基礎固めとか、地方官会議とかも重要だと習ったような

後靖国神社とか護国神社とかも地味に重要なのでは

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/21(土) 20:00:46.18 ID:BIY7mP1UO.net
wiki見ただけでもたくさん仕事に関わっているから
イメージがわきにくいというのはあるな
>>139が言うように、ほとんど1から始めないといけない維新後の組み立てで
方向や優先順位を指導し、土台や柱を作っていったということだろうね
一歩気を許すと、昔に戻ろうとする勢力に足をすくわれるし
大変な作業であったことは想像される

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/22(日) 06:51:28.50 ID:NL7zLemkO.net
薩摩は小松帯刀も凄そうだけどな
なんといっても上級家老にして行動力もある
維新前は一応まだまだ階級社会だし、この人の影響力や威光は薩摩では絶大だったはず
ただ、名前はよく書物などで目にするが、俺も含めてだけどこの人物のことをよく知らないんだよな
鹿児島の人、小松帯刀の為にももう少し頑張ってあげればいいのに

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/22(日) 09:58:37.86 ID:NL7zLemkO.net
薩摩の小松帯刀
上級家老にして実行力もあるし、薩摩藩における維新のキーマンだろうによく知らない人なんだよなぁ、俺も含めて
鹿児島の人、もう少し帯刀の宣伝頑張れよと言いたい

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/22(日) 10:17:13.11 ID:BRMiDVKD0.net
西郷、大久保の思惑と久光の思惑の間で抜群の調整役。
家柄、人柄、見識、家老なのに小姓頭並みのフットワークの軽さw

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/22(日) 10:17:53.06 ID:z+/YPzt70.net
>>145
>維新前は
一応まだまだ階級社会

その階級社会に関わらず突出した活躍をした人物だから三傑と言われるのじゃないかね
もともと階級が高いだけで活躍した人物ならいっぱいいるし
というか、十傑には入っているよな、小松

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/22(日) 12:49:37.60 ID:c3TPyJK60.net
入るだろうね。
小松生きてたら西南戦争回避できていたか?
小松個人にそこまで時代の軋みを埋める力があったかという話に興味あるね。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/29(日) 14:32:03.23 ID:plWKaMbb0.net
明治維新という軍事クーデターを成功させた三人を選べというなら、西郷、板垣、大村益次郎。これ以外は無い。
明治維新が成功だったかと問われれば、現在の視点からは最早むしろ大失敗だったと言わざるを得ない。

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/29(日) 15:07:54.40 ID:M2x6GbjM0.net
長州再征鳥羽伏見に比べたら甲州上野会津の官軍勝利はサプライズって感じが薄い。
幕府軍より明らかに弱小な薩長が官軍になれたことの意味が重要なんだろう。

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/29(日) 22:48:43.64 ID:VczoMnHx0.net
>>150
米国の近代革命は独立戦争に始まって南北戦争で完成した。
フランスの近代革命はフランス革命で始まりパリコミューン陥落で完成した。
日本の近代革命は明治維新で始まり対米戦敗北で完成した。
100年単位の長い目で見ればけっして失敗ではない。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/29(日) 22:52:22.79 ID:VczoMnHx0.net
長州が倒幕路線を確立したのが画期。
その意味で高杉晋作は3傑の一人だろう。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 04:03:01.35 ID:T3DaBgrq0.net
>>152
なんという欧米史観無条件肯定。しかしこれがいわゆる一般常識なのだろうな。
攘夷から一転富国強兵と叫んで対外膨張主義に走った挙句に外国に占領されて、何が成功した近代化なのだろう?
こんなファンタジーを維持するために明治維新絶対正義が今だに何の疑問も持たれないようにNHKは幕末青春ドラマ()ばっかり繰り返すのだ。

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 07:45:26.15 ID:WlByNXb/0.net
外国に一度は敗北したが、実際には日本を立て直したのは日本の民主主義だからな
その発端を築き、その後につなげた維新、明治初期の功績は大きい

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 07:55:00.13 ID:GSyu4a2Y0.net
攘夷や富国強兵という視点から見れば、1945年の敗戦と米軍による占領統治という結末からは、
外圧に抗して独立を守るという幕末以来の目的が完全に失敗に帰したとしか言いようがない。

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 08:08:14.76 ID:LBUO1R+a0.net
安政条約を改正したんだから、
攘夷とゆう維新の目的は実現できてる。
対米戦敗北はもっと後なんだから、維新が失敗てことではない。

対米戦じたいが失敗なの。

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 08:15:11.29 ID:GSyu4a2Y0.net
1945年8月から現在にいたるまでの状況は、幕末の志士や明治の元勲の望んだ状況ではない。
むしろ、このような状況になるのを避けようとしたはずの維新と明治国家建設だったはず。 

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 09:05:17.40 ID:+4uU/offO.net
>>154
明治の近代化路線と、それ以降の対外拡張路線って
全然違う話だけど?
なんで明治時代の内政と昭和の外交問題がリンクすんの?

大正、昭和前期に対する理解雑じゃないか

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 09:45:02.39 ID:LBUO1R+a0.net
アメリカに負けたのは、
維新の十傑が死んでから後のことなんだから、維新したことが失敗だったかのようにゆうのは間違い。

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 13:42:15.59 ID:dStmPIsEO.net
長嶋さんとか英雄だけど、100年後の評価では王さんが絶対的一番だと言われるような感じだな。実際に記録を出すのも立派だが、人を奮い起たすような存在感というのはその時を生きた人しかわからないだろう。

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 16:33:46.10 ID:+tfnj19D0.net
>>161
西郷と大久保みたいな関係だな

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 18:23:34.99 ID:GSyu4a2Y0.net
対外拡張路線は、江戸後期の経世家から吉田松陰まで共通してみられる主張なので、
昭和戦前の満州・大陸への武力進出は、松蔭門下の元勲たちの考え方に反するものではない。
一方、アメリカの従属国となった戦後の状況は、攘夷や富国強兵を唱えた明治の元勲から見れば、
全く望まなかった状況であり、彼らの視点からは嘆くべき状況。

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 18:48:09.51 ID:YCcZvimb0.net
全く不毛だな。
当時のままだとしたら日本全滅もあったかもしれないぞ。

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 19:01:02.50 ID:+4uU/offO.net
>>163
伊藤と山形の対外政策について、ちゃんと調べた上で書き込んでる?
二人とも日露戦争は消極的だったよ?
伊藤なんて、戦争で勝った後も満鉄アメリカに譲ってもいいってスタンスだったよ?

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 20:53:54.08 ID:T3DaBgrq0.net
>>159
>明治の近代化路線と、それ以降の対外拡張路線って
>全然違う話だけど?

何これ?俺が東大早慶目指して落ちて、すべり止めのMARCHに引っかかっのって、全然違う話だけど?
とか言って居直ってんの?(うわー。2ちゃんクオリティーにまとめてるわ。我ながら。ちなみに俺は高卒のバカでMARCHなんて頭の片隅にも無かったよ)

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 20:58:28.56 ID:T3DaBgrq0.net
続けて書くと、>>159 の如き居直りが通用するのが日本社会なんじゃねえかな?

原子力発電所がエネルギー問題の解決策だと言い張った大昔の自民党と、福一原発事故は無関係だけど?
その時の政権政党は民主党!民主党!民主党!


これが、明治維新っていう低能革命の全てじゃねえかな。今に続く、な。

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 22:12:14.21 ID:Rmgbnu5Y0.net
>>167
ぜんぜん今に続いてねーよバカチョン
おめーの学歴だの自民党だの民主党だのスレ違いなんだよ
消えろよキチガイ荒らしヤロー

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 22:15:37.02 ID:Rmgbnu5Y0.net
>>167
ぜんぜん今に続いてねーよバカチョン
おめーの学歴だの自民党だの民主党だのスレ違いなんだよ
消えろよキチガイ荒らしヤロー

170 :159:2015/03/30(月) 23:18:10.44 ID:Qse24tOw0.net
>>166
煽る様な口調になってしまって申し訳ない。

このスレの主旨から、明治維新の範囲は大政奉還〜西南戦争あたりの政策、もっというと
朝廷と幕府(+諸藩)の多重権力構造を朝廷の元に一元化する過程(M.4あたりまで)中心と思っていたので……

明治初期の対外政策というと、不平等条約の解消が焦点で、拡張主義を考えるような段階じゃなかったよなというのと、(木戸・西郷の征韓論は別に拡張主義じゃない)
日露戦争〜第一次対戦あたりの日英同盟時代の外交戦略と、日英同盟解消後の国際協調路線とアジア主義の対立とか
その後の国際情勢による協調路線の行き詰りとか、

その辺りをすっとばして、明治初頭から太平洋戦争までの日本に一貫した外交路線があったと取れる書き込みを
されていたので、どういうスタンスなのか聞きたかったのですが、ぶっちゃけスレ違いでした。
荒れさせてすみません。

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 23:59:49.39 ID:WlByNXb/0.net
いや、荒れてもいないし

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/31(火) 01:53:04.09 ID:uRCNtr9r0.net
対外政策に関しては昭和初年までは一貫して英米と協調、ドイツとは新しい国家同士の親近感と憲法含めた政治制度の一つの指標にしてたよね。

それが中国市場の取り合いから英米と対立。
イギリスとは距離的にも遠かったから、直接の軍事衝突にはなりにくかったけど、太平洋の覇権を巡ってアメリカとは軍事衝突が避けられないぐらい利害関係が生まれた。

戦争が全く回避できない状況だったとまでは思わないけど、回避できるタイミングは昭和になってからでは遅かったとは思う。
ハリマン提案の一部でも受け入れ代わりに、無利子融資取り付けて軽工業から重工業への投資をし革命ソ連とも付かず離れずの関係作っていれば。

最早空想の域だけどw


維新の目的が元々討幕からの富国強兵だったのは間違いないだろうけど、外交的に戦略持っていたわけではないだろうし維新の三傑選ぶ上で日米戦争の話まで含めてしまうのはおかしいかと。

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/31(火) 05:32:04.10 ID:gJoULDbP0.net
>>170
いえ、すいませんでした(恐縮)。

>明治初期の対外政策というと、不平等条約の解消が焦点で、拡張主義を考えるような段階じゃなかったよなというのと、
>(木戸・西郷の征韓論は別に拡張主義じゃない)

ゲンダイの、平和ニッポンアピールをする既成の官製歴史授業では。
明治維新の大改革として出てくるのが大政奉還、版籍奉還、廃藩置県の一連の中央集権化なのだろうけど、
それとほぼ同時に台湾出兵、江華島事件も行っている(征韓論とは何なのか。結局単なる政争に過ぎないと思う)。
大日本帝国成立の遥か前から、もともとこれは維新政府の政策課題だったことがわかる。

尊皇攘夷は、尊王開国倒幕へと変質し、さらには尊王富国強兵対外拡張へと、既に維新の最初から既定路線化していた事がわかる。
>>156 も書くように、そもそも1945に突き進む方向性こそが武力クーデターを経て維新政府が興った事で不可避だったとしたら。
それはやはり、維新の大義名分から離れた、これが失敗革命だった事の一点に数えられると。
それ以上に、「この文化大革命は、」このクニの文化、社会の在り方を完全に破壊したのだけれども。

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/31(火) 10:43:17.14 ID:Q9ZU9OrvO.net
民主主義を望みその礎を作った明治初期の志士達にとって
その後政府が交代していくことは前提のこと
時代に合わせて国を守れる人材が育ち
外国に負けない国になってくれることが希望だろう
ただし、交代することでそぐわない政府になっていくリスクもある
それもまた賭けのようなものだから仕方ない
その元勲達の希望とは違った方向へ行ってしまったこともあるというだけ

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/31(火) 13:34:03.18 ID:ALhAGXB40.net
あのときに旧体制を倒したということで明治維新が失敗だったわけがない。
アメリカ独立革命やフランス革命と同様に
後戻りのできない道を切り開いたのだから。

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/31(火) 14:05:53.92 ID:knXxgme70.net
西郷、大久保、岩倉

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/31(火) 14:09:25.46 ID:a/hZsa9Q0.net
周布が長生きしてたら周布?

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/31(火) 19:46:25.74 ID:5/8U7U7h0.net
>>175
旧体制は倒したけど、民衆の革命じゃないよな…頭がすげ変わっただけじゃねーのみたいな
近代国家として歩もうという気概はあるだろうけど
でもアメリカ独立もフランス革命も人が大量に死んだけど、本当に民衆だったのかな?という疑問はある

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/31(火) 21:20:19.30 ID:fiLK+9TFO.net
そもそも共和制目指してないしなぁ>明治維新

アメリカ、フランスと比べて民衆の革命かどうか、ていうのはなんか違う気がする。
というか、明治維新の意義は諸大名による割拠状態の解消だから
頭が徳川が薩長に代わっただけってことはない。
薩長自体もただの地方自治体に成り下がった。

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/01(水) 05:03:41.63 ID:rgt5vfld0.net
>>178
よくよく見なおせば頭すらすげ変わって無いのがわかるしね。
260年も太平の世が続いて使いもんにならなくなったチンピラを大量リストラしただけで。
実行犯だった元々下級階層連中は軒並み自滅、暗殺で粛清される。親分連中はいったん失職してもすぐもっと高待遇のポストにスライド。
本質は何も変わらなかった。

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/01(水) 07:06:18.32 ID:tcmn8FYc0.net
>>180
そりゃ王政復古だからね。
本質はかえちゃダメじゃね? 何を指して本質といってるかわからんけど、

ネットだと幕末の話するときに、無条件に徳川幕府を日本の正統政府と定義した上で
明治維新は薩長への政権交代に過ぎないって人結構多いよね。
そういうの見てると、明治以降の国民国家の造成という課題はかなり成果挙げてるんじゃないかと思う。

実際、現代人からすると幕権派の外様への疑心とか、諸藩の幕府への不信とか理解しがたいっていうか
お前ら普通に話し合えよ、とツッコミ入れたくなる

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/01(水) 07:46:09.54 ID:dtP3FGUY0.net
>>181
話し合えないような政治形態だったから、その状況で正当とは言えない状況だったんだろ
徳川幕府が正統とか言ってるのは開き直った佐幕派で、
やはり特定の武家がずっと政治のトップで居続ける構造も、それを支持する意見の信者も偏り過ぎなんだよ

>明治以降の国民国家の造成という課題はかなり成果挙げてる

国民が自由に民主主義形成の過程さえ否定的にぶつくさ言えるほど自由な状態に成長したのは
ある意味国民全体に教育を行き渡るようにした明治政府の希望だろうからね
もっとも、慢心してよくわからず権威っぽいものを叩けばいいと思ってるタイプが出てくる
という弊害もあるが
その時点で、かえってそういう自分側が悪く言われるようになる可能性も考えていたはずなのに
それでも国民を成長させることを優先した
そのある意味自己犠牲的なほどに国民を大事にした精神こそが、維新の志士の尊さだよ

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/01(水) 08:13:51.98 ID:fNKCg5ReO.net
坂本龍馬を出すと怒られそうなこの雰囲気が恐い

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/01(水) 09:02:56.37 ID:lYdu7kMV0.net
>>178
お前あほだろ
> 民衆の革命じゃないよな…頭がすげ変わっただけじゃねーのみたいな
頭すげ変わっただけなら
徴兵制とか民選議会とか廃藩置県とか条約改正なんてめんどくせーことやらねーだろ

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/01(水) 20:12:23.75 ID:6FKJuQEdO.net
>>183
小説準拠でなければ怒られはしないんじゃね?

薩長同盟が龍馬のおかげというのは、木戸の主観(社交辞令込み)で過剰評価と思うけど
薩土盟約と大政奉還に対する貢献度ってどんなもんかね?

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/01(水) 23:27:09.64 ID:NLY8XpW30.net
まあ、他藩に顔の効くのが坂本ぐらいしかいなかったというのはあるしな。
維新で活躍して新政府でも重職についたのは結局、江戸遊学組とか京都詰めの交友関係の広かった人物が多いし。

外との交渉には内をまとめる必要もあるし、内をまとめるには外との繋がりを上手く使う必要もあっただろうし。

そういう中で難しい調整やリーダーシップを発揮した人が当然ながら重職になるわけだ。
維新の三傑、その中に入っていてもおかしくないという人を見るとまあ妥当なところかなと。

坂本が死ぬ直前から藩の重役として薩長との窓口になった後藤は結局バスに乗り遅れた組で新政府では明らかに蚊帳の外。

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/03(金) 12:38:12.11 ID:4kalrse80.net
そもそも三傑は劉邦が漢を樹立した時の特に功労があった3人が語源

蕭何・・・兵站と新政府内政担当 ⇒ 小松帯刀 → 大久保利通
張良・・・劉邦の軍師 ⇒ 大村益次郎
韓信・・・軍司令官 ⇒ 西郷隆盛(板垣退助)

つまり、
小松帯刀(大久保利通) 西郷隆盛 大村益次郎

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/03(金) 14:17:38.94 ID:U3oMJr180.net
韓信の才能を見抜いたのは蕭何だから
大村益次郎を見抜いた木戸は蕭何みたいなもんじゃね?

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/03(金) 14:31:43.18 ID:1IZ4IT1gO.net
兵站担当で小松と大久保ってのもなぁ
幕末だと各藩持ち寄りな上に、動員数の総数だと長州のが多いくらいじゃなかったっけ

漢の三傑は劉邦の部下の中での役割分担だから、元ネタに合わせて選ぶのは無理があるかと。

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/03(金) 22:40:11.05 ID:iPk4TFgT0.net
三傑の中でもショウカは別格だからなあ。

韓信、張良はいなくても何とかなっただろうけどショウカの行政、平坦、政治駆け引きの辣腕ぶり異常だよ。
管仲と並ぶ古代中華の化け物。

三傑というゴロや講談的な話で三傑選ぶならその三人でしょうというぐらいのもんで。

維新三傑を選ぶ際にショウカ並みの化け物いないのは日本的で良いような気がするw

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/03(金) 23:18:27.01 ID:BLQSioxj0.net
蕭何なみの化け物はいない、というか韓信・張良相当もいるかというと……
明治維新までくると、史料残りまくってるから古代の英傑みたいに神格化しづらいよね。

もう既に英雄の時代じゃないって感じ。

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/04(土) 03:15:17.74 ID:ikT3B8zR0.net
そりゃ時代が全然違うからな

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/04(土) 08:36:40.69 ID:1KCyTqTU0.net
官軍の主力=薩摩
小松帯刀はその薩摩藩の家老で
勝手掛(内政)・軍務掛(軍事)・琉球掛・産物方(産業)・唐物方(貿易)
・製薬方・蒸気船(造船)
これらの職務を兼任してさらに京都外交の全権担当者

倒幕までなら蕭何以上じゃないだろうか

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/04(土) 11:21:24.87 ID:gctMtX0m0.net
蕭何相当がいないっていうのは、そもそも幕末の戦闘で、いつでもどこでも望みに応じて
兵力と兵糧を送り出す謎兵站能力を発揮した例がないって話じゃない?

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/04(土) 11:21:35.98 ID:0LEtF/cH0.net
お金と人脈作ってね担当

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/05(日) 05:32:58.17 ID:bndMdNSd0.net
そうか。そもそも維新が失敗革命だったっていう立場でものを語るのなら、三悪党になるのか。

そりゃもう決まってる。岩倉具視、木戸孝允、勝海舟だ。ああ、スッキリした。

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/05(日) 07:37:37.89 ID:sp7pH2wM0.net
どう見ても成功しているのに失敗とか、僻みは醜いのう

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/05(日) 07:41:13.66 ID:xIXmjFOq0.net
>>194
それに一極じゃないしねえ。

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 07:17:50.86 ID:XCzlpYWt0.net
維新の産物である大日本帝国の末路を考えると、失敗以外の何物でもない。
アヘン戦争の衝撃で、独立を維持するため「万国対峙」「富国強兵」をめざしたものの、
結局、白人の武力に屈服し、独立も主権も失って、異民族の支配に甘んじる結果になった。
幕末の尊王攘夷の志士が見たら、死んでも死にきれない体たらくになって現在に至る。

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 11:23:16.09 ID:ITfoxOgMO.net
今の日本の繁栄っぷり見て文句言うのもどうかと思うがね
まあ、個人主義が行き過ぎになってキテ
心が貧しい奴が増えてきているのは問題だが

201 :正理会:2015/04/06(月) 13:02:28.67 ID:f5rY/vCh0.net
『天皇陛下のことを玉体(ぎょくたい)と言うのです。
日本神道で言う玉留産霊(たまつめむすび)の玉体です。
天皇がいない国は、国民がバラバラになってしまいます。』

by中杉弘のブログより

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/

http://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 14:55:43.78 ID:ejYjvW3p0.net
>>199
大久保は喜ぶと思うよ
西郷は怒り狂ってまた内乱を起こすかも
木戸は知らん

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 15:52:09.20 ID:CoG1+qbC0.net
>>199
三傑は誰かを語るスレなのに、失敗とか話そらしてんじゃねーよww
消えろよ!クソ荒らし野郎

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 15:52:28.34 ID:4sTxAOiV0.net
>>199
独立も主権も失ったのは、維新の三傑や十傑がいなくなってからだいぶ後のことだろ

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 16:33:18.86 ID:UGD05nUu0.net
だな。それなら関ヶ原で完全に島津毛利長宗我部を家臣まとめて潰しとけっつのw

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 20:22:52.27 ID:1Q26/gyr0.net
>>200
まあそれは日本だけじゃあるまい

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 21:36:38.08 ID:itnicuSo0.net
西郷大久保は分かるけど木戸は違うだろ
3人目は岩倉だな

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 00:38:42.39 ID:gjxgleL30.net
>>199
大日本帝国の末路を考えると桶狭間の戦いは失敗だね

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 00:50:11.75 ID:C57iRS/E0.net
>>202
木戸は喜ぶだろう
しかしなかなか進まない復興などの政策には
いろいろ口出ししてくるだろうな

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 03:58:04.31 ID:ZWs9hY9J0.net
木戸の評価が低いのは司馬史観のせい?

立憲君主制へ繋げたのは三傑の中でも木戸だけでは?

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 06:52:29.23 ID:PNWmxH8B0.net
木戸が重要でないわけではないんだが、
岩倉使節団に参加した時はすでに過去の人になりかけてたのが1つ

あと憲法制定作業は左院(議長:後藤象二郎、副議長:江藤新平 他宮島誠一郎など)がリードしていて
明治5年4月には「立憲国議」や民選議院を提言した「下議院を設くるの議」が正院に提出されている
民法編纂も左院で始まってる。
ただ、左院で議論をリードした後藤や江藤は留守政府の中心人物になったあげく
明治6年政変で下野してしまったから…

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 07:12:28.09 ID:6mSC87Sx0.net
憲法制定作業は
左院主導(明治3〜7)→元老院主導(明治9〜13)→明治14年政変で伊藤博文主導と変遷していて
左院(宮島・江藤・後藤)は空中分解、元老院(大木ら)のは岩倉・伊藤に潰されたから無視されてる
内容的にはかなり先進的
立憲君主制云々を言うなら、左院や元老院の作業のほうが圧倒的に大きいわけだしな

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 07:50:27.82 ID:Lb/yMy3s0.net
明治国家って

大久保〜伊藤
西郷〜山県

ってラインだよね

それで木戸は?って考えた場合
確かにその系譜はどう受け継がれたんだろうって考える事はある

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 10:23:27.71 ID:6cNqvSK5O.net
伊藤は木戸が育てたからこそのつながりだろ
権力的な価値観はおいといて

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 11:25:36.47 ID:C2oQi1r+0.net
立憲君主制への道筋を説いていた点から言えば、伊藤西園寺が政治思想的には木戸の系譜かな。

板垣、大隈の政党活動はしょせん猟官運動でしかなかったわけで。
犬養なんかはその面受け継いで議員の立場から統帥権問題引き起こすアホやらかす。

政策的にいえば木戸は江戸以来の民憮的な発想が中心なんだけど、これは育った時代考えたらまあ仕方ないかなと。
国際金融絡んだ経済政策は2つ下の世代の高橋是清とか井上準之助の時代になってようやく色々手を打てるようになったし。

明治政府自体が創成期で政府が何をするか、民間が何をするかまだ曖昧。
だから渋沢栄一みたいな存在が重要になったりもした。

木戸の良さは具体的な政策が今という状況の中でどうバランスを取れるかを見抜くところだと思う。
逆に言えば具体的な成果とか結果とか残し辛い。
それが三傑は誰かという話になった時に木戸が外されやすい要因かな。

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 13:39:48.09 ID:vJ5SzZp9O.net
木戸がいたから長州の暴発があのレベルで済んだ

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 21:10:33.38 ID:KJ9T7+B30.net
なんというか
木戸は有名な名前が二つあることで
イメージがわかりにくくなってる感がある

ドラマや小説での登場回数は桂>木戸

でも桂のままだったら維新の三傑に入らなかったような気もする

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 21:15:54.15 ID:nSdeW7ay0.net
> 西郷〜山県
このラインはよくわかんないな。
むしろ大村→山縣と思ってるんだけど

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 21:37:45.78 ID:nSdeW7ay0.net
>>215
> 木戸の良さは具体的な政策が今という状況の中でどうバランスを取れるかを見抜くところだと思う。
> 逆に言えば具体的な成果とか結果とか残し辛い。
> それが三傑は誰かという話になった時に木戸が外されやすい要因かな。

西郷が据え置きで木戸が外れる当たり、明治時代入ってからの政策をトータルで評価して
外しているというより、評価対象が慶応三年の京都の政局に集中してるせいな気がする。

活躍時期が微妙にズレるんだよなあ>西郷・大久保・木戸

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 23:33:12.40 ID:fmUGbGQ70.net
>>210の言う、木戸が立憲君主制に繋げたってのは、木戸が憲法制定作業って
実務に携わったって話じゃないと思うけど

左院主導の憲法制定作業が江藤後藤の下野でポシャった後、元老院設置までを繋いだって話じゃ?
そもそも、左院というか三院制自体も木戸のごり押しの賜物って印象なんだが

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 00:57:34.22 ID:qkU8sPJk0.net
長州からのトップが木戸とかありえねえわ。
大楽源太郎のレベル。
普通に大村益次郎が妥当。

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 02:03:57.33 ID:pESfstgX0.net
大村益次郎って傑物ってほど政治力はないな
長州藩的にもなんか亜流だし

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 02:17:04.37 ID:exIn4qPD0.net
>>220
もともと政体に関する腹案は新政府要人は多かれ少なかれ持ってる
立憲君主制の提言から言えば木戸が帰朝後に提言したものより、左院の建議のほうが早いし、
内容も先進的。木戸が出発するかしないかの頃にはもう草案詰めてるのだから。
左院では箕作麟祥のようなプロが翻訳に当たり、江藤新平が議論に当たり、後藤象二郎のバックアップを受ける、
という具合でかなり矢継早に草案出してるんだよね。

木戸の存在意義は乱暴に言えば長州閥の代表者というくらいだけど、実際は幕末ごろから広沢兵助が藩政で最高幹部の地位にあったし、
実務的能力ということになると広沢が上と思わざるを得ない面はある。

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 03:05:34.05 ID:P6I8VzJYO.net
広沢は長州にいながら功山寺の挙兵にいなかったね
実務型の人間には間違いないけど、大村も同等で木戸がいたからこそ力を発揮できたんじゃないの
スキルはあるけど社長にはなれないって印象

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 07:45:07.42 ID:0z0+RSiC0.net
>>219
どちらかと言えば西郷がはずれるなあ
最終的に反乱起こして維新の足引っ張っちゃったから
ただ、木戸、大久保も活動時期としては微妙な期間もあるから
功績的にバランスとれば、西郷が入ってもいいかなという感じ
意図して作った三傑ではなく、やはりこの連中こそという存在感なんだろうね

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 07:56:09.01 ID:g/sgXZpG0.net
>>218
大久保 実務家
木戸 理想主義者(桂時代はネゴシエーター)
西郷 カリスマ

これが俺の勝手なイメージで

大久保の実務面を伊藤が引き継いだ
西郷のカリスマはカリスマ無き山縣が天皇をカリスマにして引き継いだ
こんなイメージ、ちなみに

大村 テクノクラート
小松 政治家

一番生きてて欲しかったのは小松かな

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 08:44:59.38 ID:onoN27sA0.net
>>223
いや、誰が早いかとか内容の先進性の話じゃなくて、政局の話。
そりゃ専門知識で言えば、幕末からずっと政治家やってた木戸より、学者の方が持ってるでしょ。

そういう専門知識もってるやつを起用して、バックアップするのが政治家なわけで
憲法導入に消極的な大久保と、早々に議会開設もとめる連中の間とって、斬新路線を
大久保に呑ませたあたりの事をいっている。

ついでに言えば先進的ならいいってもんでもない。
そもそもヨーロッパと日本の隔たり考えたら、左院は拙速、というのが木戸の意見だったかと。(うろ覚え)

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 08:52:42.57 ID:onoN27sA0.net
>>223
> 木戸の存在意義は乱暴に言えば長州閥の代表者というくらいだけど、実際は幕末ごろから広沢兵助が藩政で最高幹部の地位にあったし、

そうなん? 木戸と広沢は御互い相手のスペアという印象だった。
広沢興味あるけど、あんまり詳しくないな。その辺の広沢の役職詳しいならちょっと教えて欲しい。

>>224
> スキルはあるけど社長にはなれないって印象

桂と波多野の出世速度、というか仕事内容見てると桂かなりヤリ手だよなあ。

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 19:33:51.45 ID:QIkO4OqT0.net
明治立憲体制に繋げる意見が木戸や大久保に集約していったのが重要なのでは?

テクノクラートは嫌いじゃないが、代わりはいくらでもいるのでは?
技術的なめんで大久保がダメになったら江藤あたりが台頭したりしそう。
大村自体が中折れして政策が山田などに引き継がれて木戸が取り上げられているし。

西郷ほどでなくとも大久保は薩摩幕府寄りに引きずられているので対抗軸は必要。

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 19:36:33.89 ID:QIkO4OqT0.net
どうもここで出てきた小松押しと広沢押しは藩内のリーダーシップ面の評価に片寄っているように思えるのだが。
勢力内の影響力を評価軸にするなら最高峰は勝になるのか?

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 20:31:51.62 ID:OQTxyXj40.net
えっ?w

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 21:14:46.90 ID:onoN27sA0.net
>>229
> テクノクラートは嫌いじゃないが、代わりはいくらでもいるのでは?

いくらでもっていうと、ちょっと江藤と大村が気の毒な感じはするなぁ。
この辺のテクノクラートは、明治の本当の最初期だとやっぱ希少だと思う。
確かに、留学生が育ったら取って代わられたであろう過渡期の人材だけどさ。
それ言ったらこのスレで名前出てる人、全員過渡期の人だし。

まあ、そういう近代国家に必要な人材を安定供給するために、留学生送ったり
学校制度整えたりするわけだから、その辺の国家戦略や方針たてる政治家を
上位に上げるべきだろうね。

じゃないと三傑どころか十傑でもおさまんない。

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 11:39:44.94 ID:D7mzjdOg0.net
>>229
西郷は幕府作ろうとしてたの?

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 11:55:04.66 ID:J1Kb4d5Y0.net
西郷は邁進力∞

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 20:47:46.83 ID:GQyeYGVZ0.net
>>233
久光の息が掛かって引き面れるのが嫌で引退。

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 21:08:57.04 ID:N4KSdisZ0.net
征韓論てなんだったんだろ?

新政府に集まってる人たちは国民国家の成立をみんな望んでたはずなのに
征韓論というささいな出来事から下野し
佐賀の乱から始まる不平士族の反乱にかつがれてしまう
なぜこんなことが起こったのだろう?

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 21:13:52.99 ID:GQyeYGVZ0.net
>>236
はず?猟官運動とか激しかったけど?

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 21:28:23.27 ID:kbdaocHB0.net
士族なくす前に最後のボーナスステージくれるか政府高官のポストくれという要求が征韓論だと思う。

萩、佐賀、薩摩という新政府にも高官送り込んでいる藩閥元藩士も結局主流から外されたから乱を起こした。

土佐は元々一枚岩じゃない上に領袖の板垣自身がそんなに権力いらんけど、みんなの顔立ててみたいな感じだったし武力決起はなかった。
その後の民権運動という名の猟官運動でも板垣自身よりその下の世代、土佐閥にぶら下がるゴロツキが極端な行動したりだし。

そんな板垣だから大阪会議で大久保や木戸も妥協点見つけられたかなと。
多分大雑把な方針としては板垣より木戸の方がよほどリベラルで理念曲げないタイプだったから大久保は手こずっただろうねw

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 21:38:54.65 ID:N4KSdisZ0.net
>>238
んー?そうかな

江藤新平は有司専制と非難する建白書に参加していて
帰郷を大久保の思うつぼだと木戸らに止められているよね
しかも江藤は相当なフランスかぶれでいち早く民法導入してるし
旧体制の維持を望んでいるとは思えない、過激な革新派だと思う
島義勇も士官されていたにもかかわらず佐賀の乱に参加させられている。
下野は分かるとしても、そこから反乱への参加が意味不明すぎる
萩の乱でも前原一誠はなるべく反乱を抑えようとしたとあるし

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 22:01:43.97 ID:GQyeYGVZ0.net
>>239
祭り上げられて下僚の暴発に巻き込まれるのがパターン。

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 22:01:49.80 ID:kbdaocHB0.net
担がれた奴らはな。
担いだ奴らは神輿があれば大義はあとからつけられるからそんな事はどーでも良い。

新政府内で主流から外れたあと帰京したら担がれるのは誰の目にも明らか。
最後の西郷の時なんかは佐官級ごっそり引き連れた形。

これで何を言い訳しても無理だろ。
担がれた奴らじゃなくて、乱に参加した数万の人間の思惑の方が時代を反映していると思うがどうだろう?

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 22:11:35.58 ID:N4KSdisZ0.net
でも、征韓論が単なるきっかけなのか、それとも
裏に何やら思惑があったと考えるのかでずいぶん解釈が変わってくる。
征韓論は実は士族の雇用先だったのかとか
でもそれなら大久保の台湾出兵の意味が分からなくなるし
因果関係を探ろうとするだけ無駄なのかな

あと、大きな反乱おこしたのって西側だけなんだよね
薩摩、佐賀、長州にちょっと特異な肥後が加わっているって感じ。
他の藩よりめぐまれてるはずなのになんで反乱おこしたのか
なまじ戦争に勝って政権をとったと思ってるから反乱をおこしたのか
なぜなんだろう

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 22:50:06.18 ID:N4KSdisZ0.net
そもそも攘夷論てなんだったんだろう。
萩の乱では松陰の家が相当かかわっていたとあるし
不平士族の反乱に強硬な攘夷思想が残存していたとは言えないだろうか?

wikiの攘夷論からの受け売りで申し訳ないが
攘夷の背景には朱子学的な名分論を換骨奪胎させた国学があり
ある種、貿易を文化思想侵略とする思想があったように思う。
というか、この考えは程度の差こそあれ、現代でも通用する部分があると思う。
オランダのプロパガンダという面もあるが、ある面では確かにスペインポルトガルは
キリスト教を使って他国を侵略していたし
オランダも英仏もキリスト教の布教はしないよう控えたものの
自由貿易という名で世界各地の市場と商売を行う一方
ヨーロッパの他国が自分の確保した市場に入ってこないように独占を試みた。
貿易港には富が集まり、はじめはwinwinの関係であったが、
貿易港を治外法権にとられ、富を吸い出されても力では対抗できないようになると
19世紀はじめには英仏にアジアの多くの国が植民地として従属をしいられていた。
これらはすべて港という経路を介しての文化や富の侵入であり、
既存文化や経済の破壊であるから、ここから貿易=悪とする考えが清や日本ではびこったとしても
おかしくはなかった。

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 22:53:26.62 ID:kbdaocHB0.net
小泉改革の時と同じで勝ち馬に乗ったから大したことない奴まで勘違いして高望みした。

が、結局行政面では元幕府官吏とか実務経験あって有能なのが登用された。
大臣クラスの席は望むべくもなく。

一つ一つの事件や出来事に意味をつけようとし過ぎると無理があるかと。

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 23:07:01.53 ID:J1Kb4d5Y0.net
革命家達が革命後に老害化してしまうことを大村は恐れていたみたいだね。
韓信が粛清されたように、主流から外れた武力は国家の脅威となるから、自ずと排除の対象となる。そのあたりを西郷が察していたのかそうでなかったのかは今でも不明だが、他と合流するわけでもなく暴発に身を委ねて滅びゆく様は、英雄にふさわしいのではないかと。

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 23:32:07.44 ID:N4KSdisZ0.net
幕府はそれまで長崎沖縄アイヌ対馬の四口に貿易を制限しており
貿易がなかったわけではないが、貿易による不利益を最大限制限しようとしてきた。
そして貿易をする理由も、経済的利益ではなく、情報にあったようにすら思われ、攘夷のための貿易だったのではなかろうか。
寛政には幕府の公的学問所では異学の禁が行われるものの
実際はキリスト教以外の西洋書を翻訳した漢籍が大量に日本に入ってきており
とくに蘭医学の研究は民間で盛んにされており、伊能忠敬の日本地図などその影響を受けている。

一方、攘夷論者も、たとえば吉田松陰や佐久間象山も、攘夷を唱えつつも西洋の技術を受け入れることを別に否定していない。
また攘夷で有名な水戸学を簡単にまとめれば、天皇を中心とした国家体制の強化、産業振興、人材育成採用
適所適材、外国の攻撃から身を守るだけの戦略、武装を調えて、その国力によってこれまで通り
外国とは極力かかわらないようにしようというものであるが、同時に孫子が引かれ、敵を知ることも重要視されている。
そもそも水戸学は既存の体制を保守するために門閥を乗り越えて優秀な者を登用するというある種矛盾をかかえており、
明治維新の萌芽を内包させている。

では攘夷論者は何に不満をもっていたのか。開国論者、特に武備開国と言われた斉彬らとは何がちがっていたのか。
思うに、外国の脅威、あるいは外国が戦争を仕掛けてきたときに
どの程度の準備によって自国が勝つことができるかの具体的なビジョンの違いであると思う。
伊藤や井上、高杉は下関戦争の欧米による第一次反撃のときに上海に赴いているが
そこで軍艦の多さを目にして条約破棄を目的とした攘夷を諦めている。
その後、帰国して同輩を説得するが、禁門の変、下関戦争の第二次反撃と敗北を味わうまで軍制改革が進まないでいる。
一方、幕府側も開国当初、廃藩置県までの考えには至っていないと思われる。
長州征伐に敗北したことから、幕府の軍制改革は明らかに遅れており、これが彼らのビジョンの先見性のなさを示している。
結果から先に言えば、大久保がしたように欧米秩序に組み込まれることでしか、日本は自国の安全保障を維持できなかった。と思われる。
それに朝鮮の攘夷派のようにゲリラや焦土作戦をも辞さない覚悟で望めと政府に迫ったのが士族たちであったのではないか。
しかし、佐賀は倒幕に最後の最後に参加しただけでそれまでずっと慎重な態度で事態を見守っていただけ。
そのような推論もやや全体を説明づけるには弱いように思う。

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 01:29:54.48 ID:jlwb0ec+0.net
>>245
西郷には西郷の都合があったというだけかと
維新でも英雄と呼ばれた人達は意図してかっこよく死のうとかしたというよりは
激動の中でその人物にしかできないことを命がけでして死んでいったというだけ
西郷を担がれただけとするのは何か無理がある
薩摩の状況を見るに、やはり薩摩が中心の政府を新たに作ろうとしていたと考えた方がしっくりくる

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 02:12:57.68 ID:hyWLXxb00.net
>>247
西郷の意思はどうあれ結果的に乱は制圧されているので、武力を背景にする政治から、より民主的な政治に移行されたところが当時のその直後の人たちの共感を得たのではないかとも思う。実際最後の士族の反乱になった点も直近の反乱分子への抑止力にもなっている。
西郷は旧薩摩藩内の教育を通じて全国の見本としたかったところへ有頂天になった西郷を慕う軍人たちが集まり、結果、小さな国が形成される形となったとすれば、政府との衝突は必然だったのではとも考えられる。
人望がありすぎた所以の流れではないか。
と言っても、完全に政府に従順の意を示さなかった点は弁護の余地はないが。

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 07:32:06.16 ID:OXen8Nn10.net
留守政府の面々によるその後の歴史を見たかった
薩摩長州よりも肥前土佐の方が多いやんw
なんで簡単に下野しちゃうかな
自分がその立場なら絶対に地位にしがみつくけどなw

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 08:43:01.55 ID:tiFm20j20.net
>>249
その時々で選択していったことなんだから
そういうイフの話してもしかたないわ
下野した結果暴れるという者はその程度ということで

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 10:00:36.53 ID:OvDzua4g0.net
西郷も下野して暴れたそこまでの人物で
大久保も暴政が行き過ぎて暗殺されただけの人物だと

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 10:22:27.35 ID:w/H0KjZtO.net
広沢や大村、横井も小物に反感かって暗殺されただけの人物だね

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 12:36:35.74 ID:JqJaBuOnO.net
下野して反乱起こした連中よりは
踏みとどまった連中のほうが偉いとは思う
暴れるだけなら野蛮人でもできるし
日本を近代化させようとする維新のはずが
自分の不満で早速にぶっ壊そうとするのは感心できない

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 12:51:01.37 ID:JqJaBuOnO.net
>>241-244
維新の勢力でもトップの方は明確な志と危機感を持って命懸けで改革を目指していたが
勝ち馬に乗ろうとするだけの烏合の衆みたいなのも多くくっついていて
そいつらは目先の利益しか考えないから改革などについていける頭もない
維新は単純に幕府との戦いではなく
古い価値観にぶら下がってるだけの連中との戦いだったとも言えるだろうね

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 13:01:37.58 ID:hyWLXxb00.net
まあ、そういう感情は上に立った者にしかわからないところなんだよね

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 22:23:22.81 ID:UW11aBHR0.net
いわゆる三傑は鳥羽伏見までの三傑?

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 22:56:33.58 ID:cASC8LQ90.net
> いわゆる三傑
史実の三傑なら、むしろ鳥羽伏見以降な気がする。
西郷、大久保、木戸が朝廷の臣として藩から浮き上がった存在になったのは
明治入ってからだと思うし。

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 03:00:41.66 ID:XE3z7Z9W0.net
西郷 大久保 岩倉

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 06:00:46.50 ID:w9PKX0080.net
抽出 ID:N4KSdisZ0 (5回)

全文コピーしてメモに保存させていただきました。貿易悪玉論か!なるほど、そういう考え方もあったのだな。

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 06:19:27.77 ID:drUjErks0.net
>>259
維新の前にテロったり弾圧したり、後で暗殺や反乱起こしているのは、大半はただの小中華思想かと。

漢字だって輸入品、良いものは取り入れようぜ、負けないように、とか言ってるところされちゃうんだぜ。

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 06:24:01.55 ID:olYZJNbi0.net
小攘夷と大攘夷の違いは早くから議論されてる

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 06:29:37.50 ID:olYZJNbi0.net
ただ大攘夷が想定していた開国がどの程度だったのか不明。
明治維新はやりすぎな感がある。
岩倉や大久保はヨーロッパ見て度胆をぬかれたんだろうな

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 12:44:50.41 ID:1QuXk9al0.net
大攘夷って、結局開国の方便って感じするけどね。
海外に対して忌避的な当時の人間を鼓舞して、海外に目を向けさせるためというか。

明治維新がやりすぎに感じるレベルで、西洋文化取り入れたのは、↑の意識変革を
企図した部分もあると思うけど、既存の秩序体系を破壊したうえで新たに自分を権威づけ
しようと思ったら、よそから持ってこなきゃいけなかったんじゃないかと。
王政復古って言ったって、本当に七百年前にもどすわけにもいかないし、上辺だけ
戻してみてもコスプレにしかならない。

江戸時代の服制とか髪型とか言語とか、身分とか出身地の区別するものだから
均一的な「日本人」を作ろうと思ったら、大々的な文化破壊になったというか……。

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 12:48:54.56 ID:1QuXk9al0.net
>>263
追加
髪型はさておき、服装については戦前はまだ仕事着以外は和服デフォみたいな
感じだったとは思うけどね。

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 21:58:35.76 ID:olYZJNbi0.net
いや、うわべだけ西洋文化を入れたほうがコスプレだろ

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 23:35:13.46 ID:aJQykmBQO.net
時代が変わっていて、それについていこうとする改革だから
立ち往生しているような態度ではダメだろ
復古というのは日本人の本来の精神に立ち返るみたいなもので
昔のまんまに再現なんてアホっぽいことするわけじゃないからな
日本が変われば周囲の国も変わるしな

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 23:56:03.56 ID:1QuXk9al0.net
>>265
うん、同じコスプレなら機能性が高い方がマシという話。

あとさ、中国の掲示板とかでさ、漢服とかの写真見てるとさ、やっぱコスプレって思うのよ。
彼らからすると(日本人の想定する一般的な)チャイナ服って満州族の伝統服だから、
漢民族の伝統復古させたいみたいなのがあるっぽいんだけどさ。
明代の服制と現代に至る迄にどうしようもない程の断絶があるわけで。

日本の場合そういう断絶はないけど、数百年にわたって変化し続けたもの拒絶して
昔に戻すってのもやはり断絶っていうか、すごい溝が生じるんだよ。

というかね、今更男子はみんな月代、制服は上下袴って言われるのと大して変わらん。

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 23:59:28.78 ID:1QuXk9al0.net
と、実際に直垂着て仕事させられていた明治初期の官僚の気分を(勝手に)代弁してみた。

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 00:05:51.75 ID:q/sOBTTc0.net
>>267
服装と近代化はペアなのか?
いまいち意味がわからん

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 00:08:33.95 ID:aZvWtYqE0.net
見た目の変化は分かり易いんで服装とか儀式的なものは広報的に使われるという話じゃないかな?

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 00:45:20.28 ID:AcwMi1Jv0.net
>>263
そう。明治維新がもたらした結果を成功か失敗かという論点で語り出したらまさにそこに行き着くのだ。
実際はそれまで存在しなかった「日本というクニ」を無理やり造ろうとした結果が、結局は極端な欧化政策だった。
小中華思想は欧州礼賛絶対追従へとすげ変わってしまった。脱亜入欧なんて言って。
強引極まりない暦法の改正統一、凶悪な文化破壊の廃仏毀釈、土地のいい加減極まりない農民への私有化はその最たるものだと。

こう語るには江戸幕府は日本を統一したのでは無く日本という枠組みの完成を260年以上遅らせてしまった、という前段階が出てくるのだが。

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 00:52:41.68 ID:q/sOBTTc0.net
廃仏毀釈なんて国学の影響じゃん
暦法の改正も給料払えなかったからだし
服装も庶民はずっと和装じゃん
戦後の話なら分かるが、あれはアメリカの差し金だろ?

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 02:50:08.37 ID:AcwMi1Jv0.net
そもそも明治期から広まった「和服」の様式はもともとは「呉服」である。
あんな高級な衣装は世界遺産にもなった大規模紡績技術が西欧から導入されて後です。
このあたりからして、日本の伝統なんてもののそもそものあやふやさが露見するのです。

私達の祖先、それもそんな遠くないせいぜい6〜7世代前の住んでいた日本列島ってものはもっと多様で多文化だった。
国民国家ってものを形成するのに、そういった多様性は有害、と時のテクノクラート達、「維新の元勲」以下官僚達に受け取られたのだろうな。
一つの国家、一つの民族、一つの思想。それこそが歴史。昔からそうだったのだ。そんなものを強調するところ、今の共産党独裁中国に似てる。
いや、何のことはない。東アジア、東洋漢字文化圏における西欧文明の移植は、そもそも日本から始まったムーブメントなのだから。こちらが先なのだ。

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 03:57:18.90 ID:q/sOBTTc0.net
言いたいこといっぱいあるんだが
とりま、極端な欧化政策ってやつはどこ行ったんだ
つーかその、話してるうちに何がトピックがわからなくなるやつやめろよ
イラつかせようと思ってないなら、親切で言っておいてやるけどそれ、それぜんぜんおもしろくないよ

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 08:56:23.13 ID:w/puA1A30.net
>>269
ごめん、コスプレという単語に引きずられて話がそれた。
制度方面についても似たようなもんだと思うけど。

ただ、個人的には明治維新の西洋文化導入がコスプレとは思ってない。
(服装とか建築とかそういう上辺部分はさておき)

木戸が明治二年の普通教育に関する建白の中で「政府に英雄が2,3人いても人民が
アホじゃ意味ない」というようなこと書いてるんだけど
幕府が安政の条約結んだ時、「幕閣には英雄がいない」みたいなこと言って歎いていた
ヤツがこういうこと言うようになったのが、幕末という時代なんだと思う。
こういう、社会の進展にそった国家体制を構築しようと思ったら、旧に復するというのは
まあ無理で、他所で実績のある体制を持ってくることにるんじゃないかと。

大体ヨソの体制参考にするって、どこの国でもやってるしなぁ。
そいういうのを、欧米化とかなんとか言うの好きじゃないな。

一から自分らで構築しようと思ったら、それこそ何十年単位でグダグダすることになる。

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 09:50:42.14 ID:Zq6JxiLe0.net
三井八郎右衛門高朗
伊藤八兵衛
鴻池善右衛門幸富

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 10:18:17.40 ID:RIryrEH90.net
時代の枠組みをどうするか?というところを幕末〜明治10年ぐらいまでの間にとにかく形にしなければないかったからな。

幕末なんて鎖国か開国か?幕府はどうするか?
ぐらいで中身については慶応年間に入ってようやく少し出てきたぐらいで実質明治の10年間に旧秩序社会から近代秩序社会へ移したんだからな。

模倣できるものをたたき台にして、まずいところを部分修正やアレンジで補いタイミングをズラすことで社会的なストレスを軽減するぐらいしか実際には難しい。

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 11:50:21.72 ID:AcwMi1Jv0.net
>>276
今からでも鹿児島に金返せって言うべき。

叩き潰されたのは当時の日本各地にあった文化であって旧秩序などでは無い。なんの根拠もなく威張ってた連中は勝手に溶けた。
現実には、そんなクソどもの現状維持に新生日本の国家予算は大半持ってかれてたのが明治前期。
旧秩序も旧秩序、天皇なんてものを今更のように担ぎ出す事で国民国家は強引にまとめられた。
ひな壇に上げたお内裏様とお雛様は率先して洋装させられて。

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 12:16:49.76 ID:w/puA1A30.net
>>278
> 天皇なんてものを今更のように担ぎ出すことで

「この国の主権者は誰か?」という命題は幕末になって急に持ち出されたわけじゃないから。

自分も頼山陽とかの話になると詳しくないから、あんまり人のこと言えないが
もうちょっと幕末の流れを確認してから書きこんだ方がいいと思う。

ここ明治スレじゃなくて維新三傑スレだから、バックボーンとなる世界観・文明観を語るのはいいと思うけど、
幕末→明治初期の流れのなかで誰がどういう役割を果たしたかって方向に持ってけるように語ってくれ。

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 16:02:58.88 ID:AcwMi1Jv0.net
>>279
実体の無い「日本」なんてものを綴る存在は他にいなかった。ただこれだけのことだ。
ビスマルクが我が連邦こそは神聖ローマ帝国っていまっさら言い出してハプスブルク家の馬の骨担ぎ出すようなもんだ。
グダグダと、日本ってのをなにか特別な存在のように考えずに世界史のただ一国の事と目を覚ませば、それだけの事。
かなり、時代錯誤でみっともない。この無理やりな大義名分の為に結局このクニは侵略国家の汚名を着ることになった。

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 19:27:59.91 ID:t8KTZKR30.net
>>280
日本という国が一つにまとまって意識持つというのが何か都合悪いのか?
侵略してくるから?

なるほどなるほどw

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 20:33:53.44 ID:AcwMi1Jv0.net
>>281
Wのあとづけ始めると、もう会話は成立しない。でもいいや、少し続ける。
いや、聞きたいんだけどさ。そもそも19世紀末に無理やり日本って枠組みでクニを造る必要、あったのかね?
日本は外国の植民地になってたんだろうか?

ハッキリ言ってならなかったと言い切れるよ。欧米列強がつまみ食いしてた諸州より遥かに強大な連邦だったのだから。
幕末の動乱期に幕府が整備をはじめた国軍の素体は言うに及ばず。薩長土肥という辺境の中堅国が慌てて買い込んだ銃器で武装した、
農民崩れまで動員した奇兵隊なんて連中ですら、とんでもない武器弾薬の保有数なんだから。

あなたは、こういう風に考えたことは無いだろうね。
「はたして日本は、19世紀末の時点で統一国家である必要があったのか?」
実はかなり微妙なんじゃないかな。徳川官僚システムがとりあえず中心となって、
公家天皇家のパトロンとしてそのまま緩やかに連邦政府を運営するシステムが、
しばらく続いたほうが。よほどマトモなクニだったんじゃないのかな。

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 20:44:08.50 ID:AcwMi1Jv0.net
もっと言おう。薩長土肥にその武器弾薬を売りつけたのはそもそもその欧米列強、英米の死の商人たちだ。
地方の藩王をそそのかして武装させてそのクニの中央政府に揺さぶりをかけ、文化の移植で揺さぶりをかける。
これは、ズバリそのまま欧米列強の植民地化政策そのままだ。日本の藩王達はまんまとそれに乗っかったのだ。

藩王の反乱に内応するように、幕閣の立場から手練手管を弄して結果的に徳川の分裂を決定的に導いた勝海舟。
王政復古が聞いて呆れる換骨奪胎ぶりで、尊王を唱えながら元号と暦法を寸断し15歳の少年を持ち上げて洋装させる。
これが岩倉具視のやったことであり、廃藩置県、版籍奉還で強引に国土を出現させる。これが木戸孝允がやったことであり。
富国強兵を唱えながら、明治となった途端に対外派兵を繰り返す。半死半生状態だった朝鮮半島なんぞ割譲していったい何になるんだろう?
これは果たしてその後に出現した大日本帝国という存在を健全なものにし得ただろうか?

歴史は応えてくれている。しなかったのだ。

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 22:06:00.89 ID:t8KTZKR30.net
>>282-283
未来人が「もしも」の話してもなあ
おまえさんがタイムマシンでそこへ行けるわけでもないし

逆におまえさんの理想の流れに乗った国は本当にできたのか?できたとして問題はなかったのか?
それを考えればどっちもどっちだと思う

そして、>地方の藩王をそそのかして…それが欧米の植民地化政策
と、そこを問題にするなら、地方の、辺境の周辺国が存在する事自体がいけないということになる
そういう国が存在すること自体が悪ということだろ
何百年も、ただ従順に従うことだけを強要するなら、それこそ国内の植民地政策みたいなものだ

立ち上がった藩の者達は、そういう自分達をこそ消すために既存の価値観と戦っただけなんじゃないかね
とすれば、やはり幕府の体制のままでは無理があったとうことになると思う

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 22:38:48.70 ID:KNDUeYgQ0.net
>>282アホすぎるなwwお前

「日本は外国の植民地になってたんだろうか?」
「ハッキリ言ってならなかったと言い切れるよ」

じっさいに対馬がロシアに侵略占領されてたんだけどな
それに対し幕府は自力でロシア撤退させられなかったんだけどな

草不可避だボケww

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 22:41:07.47 ID:UcE3Pz/m0.net
>>283
> 「はたして日本は、19世紀末の時点で統一国家である必要があったのか?」

あったと思うよ。というか、薩長も幕府側の人間も、必要と考えていたろ。
一番強烈にそれを認識していたのが幕府の外国奉行じゃないか?

幕末で一番最悪なルートって、安政の時点で朝廷が開国方針になることだと思ってる。
諸藩が先を争って開国・開化した場合、発生しうる事態を考えてみるといい。
欧米が日本に軍事的に侵略するメリットなんかないし、軍事的に敗北して植民地になる
可能性はほぼないけどね。
破産寸前の大名がよそに借金して国土やインフラ施設の権利を売りとばす可能性は大いにある。
おまけに、日本/外国で足並みそろえてくれればいいけど、ある藩はイギリス・ある藩はアメリカみたいに
個別に関係結び始めたら、欧米の国際関係の拗れがダイレクトに日本に影響してくるわけですが。

で、諸藩と外国の間に問題が発生した場合、幕府はちゃんと責任とれるの?
とれなかったよね? 薩長を抑えることも、薩長の側に立って外国に立ち向かう事もできなかったよね?
賠償金を肩代わりして、体面保つことしかできなかったよね?
だからこそ、薩長とイギリスが直接結びつくことになったわけですが。

慶応年間の長州の割拠政策や薩摩の対外政策を批判するのは、妥当とは思うけど
幕末のあの展開を、薩摩がー長州がーとか、攘夷派がーっていうのはどうかと思う。
別に薩長が問題起こさなくても、開国が進めば何処かしらで問題が発生したでしょうよ。

だからこそ、版籍奉還・廃藩置県で己のバックボーンである薩長および雄藩をただの地方にした
新政府は偉いんだろ。

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 22:45:43.73 ID:UcE3Pz/m0.net
>>285
しまった、ポサドニック号事件のこと忘れてたわ。

小栗はあっさり処刑されてしまったけど、生き延びた場合、廃藩置県みてどう思うか
感想聞いてみたくなる。

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 22:54:46.20 ID:veFA4RDE0.net
まとめると

西郷大久保木戸でいいというところが着地点と、なる。

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 23:02:32.49 ID:UcE3Pz/m0.net
よくよく考えてみると、一周廻って妥当な感じしてくるよな。

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 23:18:25.87 ID:lpUJ7Z+o0.net
>>282
幕府にも武器弾薬売りつけてるやんけw
朝鮮半島の介入は将軍慶喜時代にフランスと約束したことが発端やっちゅーねんw

クソ長文で無知さらしてダッサwwwww

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 23:42:07.67 ID:KNDUeYgQ0.net
>>283
明治天皇(祐宮睦仁親王)践祚した時は、岩倉具視の御所出禁まだ解かれてないんだけどねww
その時に宮中を牛耳ってたのは佐幕派の二条斉敬関白(摂政)なんだけどねww

アホなくせにしょうもない工作してんじゃねーよww

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 23:58:15.18 ID:KNDUeYgQ0.net
慶喜厨が逃げてから ID:AcwMi1Jv0みたいに維新失敗を連呼するアホが湧いてきてるようだな

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/13(月) 00:48:16.08 ID:8+XqeylM0.net
もっとまったりやってくれよ、うぜぇ

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/13(月) 02:46:11.28 ID:L7B9wQUc0.net
人間は思考の外にある言葉を耳にするとヘラヘラ笑い出すものだ。考えが及ばない、という事です。
一度でも想像してみたらいい。もしも統一国家日本が出現しなかったなら?という可能性も。
案外、それほど悪くもならなかったと思える。もちろん、これは「未来人の俺」の後付けに過ぎないが。

>>286
一言で切り返すなら(そうなったかどうかはまた別の話だが)、日本列島それぞれの地域がそれぞれの外国と手を結び、
その結果として日本国というひとつのネイションが出現しなかったとしても(これも恐らくそんな事には第二次大戦の頃までには統合が進んでいくと思うけど)、
それでその後に発生した日本という国家に引き起こされた悲劇を回避できていたとしたら、そのほうが良かったのでは?

で、対馬が占領されたと騒いでいるが、されてないね。さらに言えば対馬国は対馬国である。その後ロシアと彼の地の人々が友好的な関係を結べたのであれば
何の問題も無かったであろう(極めて薄い可能性であり、本国政府の意図と無縁の一戦艦の越権行為なんぞその後の歴史には何の影響も及ぼさないと思うけど)。
むしろ露による対馬の一時的占領という事件が江戸幕府のゆるやかな全国統治という形態に与えた影響は確かに大きかったのだろうな。

>>291 
小御所会議。以上。俺が岩倉が長州人の少年を天皇に祭り上げたとか陰謀論言い出してるとか思ってんの?

維新は失敗だったと言い得る根拠はいくらでもある。だから、そもそも傑物が19世紀末の日本をリードしたとは考えられない、という視点も当然あるという話です。
これからは、例えば大久保西郷木戸が三傑で妥当ってんなら、その根拠を書きなよ。

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/13(月) 03:24:59.88 ID:8+XqeylM0.net
敗戦の原因が維新にあるというのはあまりに短絡というか結論ありきだろう

俺は大正デモクラシーの平和ボケが大きいと思ってる
昭和の軍閥ひきいてるのは東北出身だしさ、石原にしろ東条にしろ

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/13(月) 03:36:18.67 ID:8+XqeylM0.net
なぜなら、天皇は226や満州事変を嫌悪して見てたのに、これに好意をもって迎えたのが
さわぎたてた新聞、煽られた国民であるし、その大衆のうねりを政治に反映させてしまったのが普通選挙法だからな
大正期の言論は冷戦期のそれとほとんど同じで、資本論を底本にした社会主義者や共産主義者による今となっては自称
”合理的”な社会システム論ばかりがもてはやされて、英米の自由主義が批判されている状況で
貧困をどうにかすべしという熱狂の中で、低レベルなイデオロギーでしか物事を見られない全体主義がはびこっていった。

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/13(月) 04:18:35.78 ID:RHi+qwF+0.net
支離滅裂になってきたな ID:L7B9wQUc0

「対馬が占領されたと騒いでいるが、されてないね」
ってドヤってるくせに
「露による対馬の一時的占領という事件」
ってキチガイかよww

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/13(月) 05:36:19.11 ID:CVxs/lTl0.net
>>294
それ思考とゆーより妄想なww
「想像してみたら」とか「もしも」とか「回避できていたとしたら」とか、
たらたら連呼してアホ丸出しだっつーのwwここ近代の歴史板なんだよ

起きた事実から目を背けて、起きてないことを妄想するから笑われるんだよww

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/13(月) 05:48:40.86 ID:L7B9wQUc0.net
>>297
対馬国領内での、本国政府の意図とは無縁に行われたロシア艦艇乗組員による一部地域の極短期間の一時的占拠、と書くといいのかな?
いいから、君は一生笑ってろよ。そしていかに維新の元勲が偉大であって三傑は誰であったか論拠を交えて開陳してなさい。


>>298
起きた事実に目を向けると、維新と呼ばれる時期は尊王は革命の御旗にすげ替えられないがしろにされて攘夷は開国へと180度変わり、
日本の伝統文化を護るとか言いながら極端な欧化政策へ狂奔してこの地に根付いていた様々な文化文明を破壊荒廃させたんだよな。
そして挙句の果てに待っていたのは外国軍隊による占領支配でありそれは今もって続いているのだ。大した成果だね。
これ、どこが素晴らしいの?まずこのあたりから説明してよ。

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/13(月) 06:29:50.72 ID:CVxs/lTl0.net
>>299

外国軍隊による占領支配は維新と呼ばれる時期じゃないだろww
領事裁判とかはあったけどなw徳川幕府時代からだけど

日本語も平がなも守られてるし、大規模移民も受け入れてないから、極端な欧化政策へ狂奔もしてない
そもそも欧化政策はじめたのは維新前からだしなww

徳川幕府時代に結んだ不平等条約を明治政府が改正してんだから攘夷実現してるんだよ
だから攘夷と開国も全く矛盾しない

お前ごとき低能がなんぼ妄想しても維新をけなすのは無理なんだよww

「その後ロシアと彼の地の人々が友好的な関係を結べたのであれば
何の問題も無かったであろう」
↑↑↑↑↑↑↑↑
こんなことを妄想してるようではなwww

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/13(月) 17:58:32.10 ID:8It9dEpB0.net
現状に満足できないから過去の分岐点までさかのぼって独自の妄想で責任回避をしたいだけなんだな。
未来を変えてみろよ。そうすれば維新が輝いてくるからw

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/13(月) 18:58:03.41 ID:L7B9wQUc0.net
明治維新ってのがいかに素晴らしいか自分の言葉で語ってからそのうえで三傑ってのを根拠を立てて書きなさい。以上。


303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/13(月) 19:11:44.20 ID:Ba133lkFO.net
>>302
君は暇そうだから、1からこのスレを読んでそれなりに妥当な話を纏めろ。
新しい発見があるから。

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/16(木) 18:28:30.70 ID:98gkX1a40.net
元勲クラスの子や孫って殆ど政府高官になってないし、
軍でも出世してないよな
牧野と木戸くらいか

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/20(月) 02:57:19.89 ID:rYbR9tqE0.net
水戸浪士、土佐郷士、長州過激派

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/24(金) 15:06:22.10 ID:/KJvD+V00.net
「三傑」の初出は明治17年の山脇之人の「維新元勲十傑論」
同年の華族令では大久保と木戸の息子だけ侯爵を授けられている
西郷は庶民人気的にも別格だし、大久保の功績も疑いない所だから、
結局、明治3年にはボロボロになってた木戸のために存在する概念

だから木戸を抜いた三傑を提唱すると自動的に文句が出る

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/25(土) 21:01:26.61 ID:jMbLbzws0.net
維新の三傑って三井、鴻池、住友だろ?

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/25(土) 21:30:47.44 ID:+sF6gPk90.net
>>286
開港場は条約で決まってる。
あと統一国家=中央集権国家を意味しないから。
ドイツ帝国は諸邦連合帝国、大英帝国は連合王国だし、アメリカ合衆国・オランダは連邦制共和国。

地方官まで中央政府が任命するグロテスクな国家はフランス、ロシアくらいしかない。
そして日本は明らかにそっちの系譜じゃない。

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/26(日) 00:44:42.61 ID:cMQ5ZsWI0.net
>>306
その経緯だと、西南戦争起こして賊軍になっちまった西郷を救済する概念のようにも見えるなw
木戸は明治天皇からの信頼は絶対あったし

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/26(日) 23:01:37.21 ID:SP3g+T0w0.net
>>309
だいたいの奴は天皇に信頼されてたと言われるから意味ない
それに西郷はとにかく庶民人気がずば抜けて高いし薩摩藩出身者から恨みを買ってたわけでもない
外すなんてあり得ないよ
一方の木戸は明治3年頃にはすっかり元気がなくなってて征韓論政変の時も先に帰国してるのに書面出してるだけ

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/26(日) 23:05:08.85 ID:SP3g+T0w0.net
>>306で「木戸を抜いたらさっそく文句が出る」と書いたら案の定>>309みたいな木戸信者が出てきたじゃん

西郷や大久保は三傑に入ってようが入ってまいが関係ないだろうよ
こいつらは別格だから。一方、木戸は正直この頃になると長州閥の名目的代表者という以外の存在意義がない
だったら広沢が生きてたらたぶん広沢のほうが上に行ってただろう。藩政指導でも最終段階では広沢がしのいでたっぽいし。

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/27(月) 03:56:29.74 ID:WkBVnink0.net
>>31
広沢が生きてたらというのは、大村は生きてたらと同じようなもので
意味ないとおも

西郷大久保をそこまで信望するあんたもなかなかのものだね

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/27(月) 07:15:14.61 ID:knvtisVQ0.net
>>311
またまた司馬史観ですか?

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/27(月) 23:40:29.09 ID:9KQNTP+CO.net
維新の三角関係で三ケツだろ
他の男ではそこまで熱くなれない

315 :『佳子様』の『秘密』を【暴露!!】:2015/04/28(火) 02:02:49.24 ID:4qEPNaXT0.net
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316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/28(火) 23:30:10.37 ID:ZZCql7gd0.net
倒幕三傑、西郷、高杉、坂本

留守政府三傑、大村、江藤、副島

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/29(水) 11:40:48.62 ID:mZhn8cY20.net
>>311
>>309が木戸信者に見えるのか?
普通の考え方だと思うが
人気という点でいえば、当時の政府で特に信頼を置かれ頼られていた点で
この三人の存在感は大きかったということだろう
単純に立場が上の人間なら山ほどいるが
それを超えての存在感だろうな

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/29(水) 11:50:33.40 ID:GrFPjD+V0.net
旧官軍、佐幕諸藩や民権派士族派などの意見集約や調整、裁断をしていたのが三人だからね。
西郷は一段落ちるけど、野党的に意見をまとめていた面で貢献している。

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/29(水) 12:03:45.31 ID:aDW6kdAY0.net
倒幕三傑、西郷、高杉、坂本

留守政府三傑、大村、江藤、副島

維新三傑、西郷、大久保、木戸

第2世代、伊藤、板垣、大隈

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/29(水) 16:06:42.04 ID:aCKfXGoP0.net
若頭三傑 小松 周布 後藤

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/29(水) 16:08:11.85 ID:GrFPjD+V0.net
>>319
板垣を抜いて山県だな。

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/03(日) 14:47:40.81 ID:ooRvX3LY0.net
>>80
同意

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/03(日) 18:52:28.29 ID:9Fy5LPge0.net
>>80
えぇ?じゃあ、慶喜ポジが西郷や大久保だったら政治力を発揮してどうなっていたの?
どうにもならんか、悲惨な内戦が拡大していたのでは?

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/03(日) 20:57:29.57 ID:I2btbIHG0.net
>>323
スタート地点が違うんだからどうしよもないがな

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/01(月) 00:17:01.06 ID:qve/2nOT0.net
とりあえず小御所会議にも出てない小物を入れんなよ(失笑)

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/01(月) 16:28:46.93 ID:Jw159hjl0.net
>>319
坂本が倒幕に入ってるのは納得できん、政治的な面でどう考えても岩倉だろう
それか慶喜

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/04(木) 14:50:05.39 ID:28WwL5ru0.net
木戸孝允を何とか功労者として捏造したい

しかし大したことはしてない

そうだ!没年が同じくらいだから西郷大久保に混ぜてしまえ

維新の三傑はこうして生まれた

だから木戸抜きの三傑なんてあり得ないんだよw

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/04(木) 14:52:29.86 ID:28WwL5ru0.net
>>319
第1世代参与クラスなら 西郷大久保小松 もしくは 西郷大久保岩倉 で決定
大村は留守政府の前にとっくに死んでるし木戸は明治4年の広沢暗殺事件の頃には廃人化してるからな

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/04(木) 14:55:48.50 ID:28WwL5ru0.net
三傑って2人までは決まるけどあと1人で揉めるな
幕末維新史の重要人物挙げろと言われたら孝明天皇、徳川慶喜までは決定だけどあと1人は島津久光というと違和感あるだろうし
徳川斉昭と言っても違和感あるだろうし

まあアイドルトリオで1人だけどうでもいい奴がいるように、
無理やり3人目を押し込みたいから三傑になるんだよw
維新三傑で言えば、あの水ぶくれみたいな顔した木戸だな

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/04(木) 14:59:11.56 ID:28WwL5ru0.net
>>318
西郷が一段落ちるとかお前まじもんのヴァカなの?
大久保が何より気にしたのは西郷の動向に他ならないんだが。

木戸なんて西郷下野で少数与党になったから板垣と一緒に連立に引き込んだくらいの意味しかないよ
だからまた辞める病起こしても大して関心持ってない
大久保にとって木戸はつねに人数合わせの対象
まだ大隈重信や広沢真臣のほうが実務家として意識してるくらい

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/04(木) 15:03:05.20 ID:28WwL5ru0.net
>>312
>広沢が生きてたらというのは、大村は生きてたらと同じようなもので意味ないとおも

慶応3年には広沢真臣が木戸孝允を抑えて長州藩最高幹部になってたと見られてるから、
生きてるうちから木戸を抑えてたんだよ。ただ、広沢は木戸よりキャリアが遅く始まったから序列的には賞典禄でも同格になってただけで、
実務能力的には維新以降も木戸をしのいでる。木戸もすっかり気が弱くなって広沢暗殺の頃は頭上がらなくなってたし。

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/04(木) 16:26:00.48 ID:AjxGuJgn0.net
広沢は高杉の系譜じゃないし

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/04(木) 18:00:59.78 ID:xBl+BpV90.net
なんだこいつ?まだ木戸孝允が鬱病とか勘違いしてる奴がいるのか?高杉晋作だって病気で亡くなっても英雄扱いじゃん、病気で臥せって何が悪い。
つか維新三傑だのって言い出したのは政府じゃなくて当時のジャーナリストとかだろ?
だったら当時福地源一郎だのマスコミとくっついてた木戸孝允が入らない方がおかしいだろ。
現代でも一人与党とか言われてるし、基本的に政府批判は民衆から支持を得やすいしね。
広沢が上だのなんだの意味わからんが、とりあえず世論を味方にするのも実力のうちって考えれば?
大体人数合わせったってなぁ、木戸がごねれば政府が停滞するくらいには発言力あるよあの人。

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/04(木) 22:13:34.16 ID:mONpCebh0.net
維新政府の西郷は社会党並みの批判集票マシーンで役立たずだからねえ。

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/05(金) 03:42:22.35 ID:bccCvrP20.net
>>332
元治内戦で高杉が全権握ったとか思ってる馬鹿?
元治内戦は鎮静会が事態収拾に動いてるから普通に非正義派のほうが多数だよ

>>333
何だこいつも何も、木戸は使節団派遣の頃は政局からの逃避しか考えてない
そんな奴が明治6年政変の当事者になった西郷大久保と同格であるわけがないじゃん
その後の木戸は大久保にとっては人数合わせに過ぎない。板垣と大差ないよ。

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/05(金) 03:45:18.09 ID:bccCvrP20.net
いや、そんなことを言うのは板垣に失礼か。
板垣は明治6年政変の閣議の2日目の西郷欠席説が確かなら、副島と2名で大久保と論戦して論破してるわけだから。
大久保にとってはよほど手ごわい存在だっただろうな

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/05(金) 03:50:48.84 ID:bccCvrP20.net
台湾出兵の時に大久保が木戸との暗黙の合意を破って薩摩閥の支持固めに動いてるのでも分かる通り、
大久保にとって致命的に重要なのはつねに身内の薩摩閥、ひいてはそのコントローラとしての西郷であって木戸じゃないよ

西郷が挙兵に参加してないと信じ込んでた西南戦争の初期対応と、
千坂高雅が「玉石ともに砕く」ことを直言した時の凄まじい怒りようを見ても、そんなもん常識だろ

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/05(金) 03:52:41.51 ID:bccCvrP20.net
>>334
じゃその社会党が征韓論の大使差遣を決めたのに書面一枚出してあとは逃げ回ってた男はなんだ?社民党?

つかおっさん社会党とか歳いくつだよ

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/05(金) 05:29:46.56 ID:lzMYUumK0.net
広沢の方が上だのの謎理論の次は大久保が信頼していたら維新三傑なのか?
お前が木戸孝允をどうしても認めたくないことは解ったが、人数合わせってなんのだ?長州のか?
なら大久保は何故前原一誠を木戸孝允と伊藤博文が押した時に反対したんだ?年齢的に佐賀が大隈重信や板垣退助で良いなら長州には他にも井上馨だっているだろ?
>>335はなぜ木戸孝允が辞表出しても無理矢理に政府に引っ張られて来たのかっていう疑問をもう少し考えるべきだと思うな。
大体明治初年度から一貫して木戸孝允が政府にいたら政策が停滞する流れが目に見えて明らかなのに、人数合わせってのが理由ならはっきり言ってリスクが高すぎる。
木戸は積極的に後輩育てたりしてたから、後世に名を残したし、木戸の庇護下にあった優秀な後輩が後の政府を引っ張っていったんだから、それも評価されていいだろ。
何を持って木戸孝允じゃダメなんだ?病気だっつってんのにそれは無視か?

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/05(金) 06:13:22.31 ID:lzMYUumK0.net
そもそも大久保が西郷の動きを気にしてたってのを西郷が偉かった証拠みたいに語るのはどうなんだ?西郷のバックに薩摩士族が控えてんだからそりゃあ神経質にもなんだろ。

341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/05(金) 10:25:55.41 ID:pF4/Z9EY0.net
>>335
多数だろうが結局勢いに流されただけじゃねーかアホか
広沢が頭だったら恭順だったろどうせボケ

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/05(金) 12:55:28.46 ID:DfQgSRQP0.net
>>335
人数合わせは言い過ぎじゃね、木戸を引き留めるメリットは
・下野されて担がれるのを防ぐ
・長州に話が通る便利な人(優秀な後輩のおかげ)だろう

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/05(金) 15:32:45.04 ID:ceJ+uCR+O.net
立場だの地位だのが三傑より高かった人間はいくらでもいるだろう
でも維新というのを単純な地位争いではなく
志に基づくもと考えれば
やはり木戸を無視することはできないだろう
単に地位とか能力だけの話ではないから
その三人の存在が大きいのだろう
維新という時代、構造を命懸けで司ったというような意味で

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/06(土) 07:35:10.55 ID:yZgZSi0O0.net
>>338
なんだワカゾー、社会党知らないなんてなんで歴史板に居るんだ?
ゆとりは社会党の歴史知らんの?

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/06(土) 15:14:34.74 ID:Qq90XPEY0.net
何で江戸人は黒船ごときにビビってたの? [転載禁止](c)2ch.net
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1433562966/

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/06(土) 15:14:45.57 ID:0akrd64+0.net
三悪人、だと誰になる?
三条、岩倉、慶喜、ぐらいか?

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/07(日) 03:45:40.51 ID:7g5ycVt10.net
>>346
山縣、井上、黒田

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/07(日) 14:46:52.41 ID:jqaxUxhP0.net
何を以て悪とするかだな

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/07(日) 22:56:53.73 ID:AiuhozFO0.net
>>346
魔王宮、二条摂政、徳川慶喜

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/08(月) 22:31:29.16 ID:AYgoyVGv0.net
>>337
それは大久保が新政府で薩摩風を吹かせることができなくなるからでは?

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/09(火) 01:24:27.41 ID:ziiZRqfM0.net
>>337
木戸の良さは派閥作らないリベラルさだから、
大久保が薩摩閥と手を組もうが、それは木戸の美点にはなんの影響も及ぼさない。
政治家としてもっと派閥作ってくれていたらと思わんでもないが…。

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/09(火) 01:42:09.96 ID:eGIWW4bK0.net
理想が高いのはいいが、文句言ってるだけじゃ駄目なんだよな

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/09(火) 01:56:19.60 ID:ziiZRqfM0.net
木戸孝允=理想論者的な見方もあるが、
現在進行形で起こっている竹島問題を予見していたり、
軍隊にウエイトを起き過ぎることで起こる問題を指摘したりするあたり、
先見性は三傑の中でトップだったとは思う。

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/10(水) 20:14:59.34 ID:O65QOXBE0.net
>>349
魔王宮って誰?

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/10(水) 20:56:45.14 ID:CvPUtXko0.net
>>354
検索しなさい

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/10(水) 21:53:41.79 ID:O65QOXBE0.net
>>355
ふむ。そんなに悪い人とも思えないが。

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/11(木) 14:03:38.45 ID:QXV8OdJ10.net
>>353
確かにそれはあると思う。
当時として見れば、西郷や大久保に劣るかもしれないが、
今から見てみると、先見の明も含めて相当優秀だよな。

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/17(水) 16:01:49.88 ID:+YCpLcO/0.net
勝海舟だ。江戸を守ったわけではない。
江戸城にある経済や流通、各地の防衛情報が手に入ると反抗勢力に抑え込むに利用。龍馬の⚪⚪⚪は勝海舟かも?

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/19(金) 17:14:22.92 ID:DYEM6/Iz0.net
>>351
×派閥作らない
○派閥作れない
明治6年政変の時には西郷・板垣ら征韓派参議と大久保・岩倉の対立に、
木戸=伊藤の長州閥回復の動きが連動してる。派閥には興味ありまくりだから。
あとリベラルとかどこから出てきた誤解なのか。自助社が天皇機関説もどきの本来の立憲論を唱えたら激怒してるだろ。


>>353
木戸は竹島問題を予見してたのではなく明治初年から征韓論をテリトリにしてるんだよ。
そういうのを予見とか言わないので…。

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/19(金) 17:18:48.89 ID:DYEM6/Iz0.net
>>339
>なぜ木戸孝允が辞表出しても無理矢理に政府に引っ張られて来たのかっていう疑問をもう少し考えるべき

与党が分裂して下野して少数与党になったから、旧連立与党の党首を引き込んだに決まってんじゃん
大久保は木戸に対して数合わせ以外の価値を認めてない
大久保を基準にするのがなぜか?この時期の明治政府を引っ張ってたのが大久保だからに決まってるだろ。
木戸みたいに征韓論政変の時に書面だけ出して西郷との対決を避けてたような人間じゃなく、
閣議でほぼ1人で反対論を背負って西郷・板垣・副島と言った面々と対決した人物なんだから

木戸は民主党政権の時の福島みずほみたいなもんだろ。

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/19(金) 17:25:46.83 ID:DYEM6/Iz0.net
>>350
薩摩風も何も、西郷の存在はそれだけ大きいんだよ。
賞典禄基準では1人だけ2000石貰ってるし、留守政府では首班、日本唯一の陸軍大将なんだから
大久保にとって薩摩閥は絶対に離反させてはならない政権基盤

一方の長州閥は木戸−広沢が対立関係に立ったり、ナンバー2になり得た広沢や大村が暗殺されて、
ただでさえ薩摩に比べて弱体なのに一層弱体化してた
伊藤、井上、山県らも西郷や大久保らと個別に関係を結んでる
薩摩風を吹かせるも何も、留守政府で長州から1人も参議が出てないどころか、
山県や井上が陸軍や大蔵と言った重要省庁のポストを失い、
征韓論政変がなければ井上の拘引が秋の政治日程に上るはずだったことでも分かるように長州閥は壊滅の危機。

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/19(金) 20:03:54.02 ID:yjVvl8dG0.net
>>359
征韓論がテリトリなのはそうだろうな。
しかも、征韓論や脱亜論を唱えていたのは木戸だけじゃない。
何故か、それは当時の朝鮮が鎖国状態にあり、
開国した日本に警戒心を向けていたから。
で、世界地図の表記間違いがあり、
日韓の間にある竹島がそれを根拠に取られてしまう可能性があった。
…というだけならまあ、予見とは言わんが、実際竹島問題は起きたよね?
残念だが、起こったことを予め予測するのを予見と言うなら、
君がごねてもこれは予見で合っている。

ただの社会人だもんで、なかなか木戸について詳しい奴と話せなくってな、
君が来ると木戸孝允について大いに語れて楽しいからまた色々聞かせてくれ。

363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/20(土) 11:42:12.86 ID:EfKpAyxs0.net
広沢は別にいなくても他の誰かが似たようなことをやっていただろう

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/20(土) 15:54:45.83 ID:YhjYcjzL0.net
>>363
そりゃ全員に当てはまることだろ

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/20(土) 16:44:36.06 ID:v+9C56wu0.net
伊藤ははじめから大久保についていってると思うんだが
木戸とも接点あったの?

366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/20(土) 16:47:23.08 ID:v+9C56wu0.net
木戸とりこみ謀ったのは大久保が反政府派の切り崩しがしたかったからだろ?
伊藤なんて大久保の腰ぎんちゃくじゃん

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/20(土) 17:01:43.37 ID:cyBc8A4e0.net
>>365
幕末時代木戸孝允(当時は桂小五郎)の小姓だったのが伊藤。明治初めは木戸のお使いみたいなこともやってた。

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/20(土) 17:07:48.29 ID:cyBc8A4e0.net
話がおかしな方向に行くからずっと指摘して来なかったが、
大久保は別に薩摩閥作りたかったんじゃなく、
縦のネットワークは持っていても横のネットワークが無かったから、
他藩の人材が薄くなっただけではなかったか。

あと、なぜ陸軍大将が西郷だけなのかって、もともとそこは万事に天皇が就く職であって
本来空白でなければいけなかったからだ。西郷が禁忌を犯しちゃっただけな。

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/20(土) 23:10:44.68 ID:v+9C56wu0.net
帝国政府以後ずっと残っていった岩倉大久保の悪影響って何があるんだろう?
制度、官省庁の伝統どれでもいいので。

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/21(日) 15:49:20.45 ID:gI72ONyM0.net
>>368
大久保は反薩摩なのにポリティカルソースが薩摩だからな。
それこそ西郷があれだけ反動派を引き付けてくれたから良かったが大成できなかった構造はあると思うよ。

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/21(日) 16:35:01.30 ID:/bqzA+Je0.net
>>368
軍警察の薩摩閥を作ったのは西郷だろ
大久保は最初はともかく他藩の人材を入れてると思うけどな
なんでも大久保のせいにするなよ

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/21(日) 17:24:11.07 ID:gAecTUkK0.net
前島とか旗本系入れたのは大久保主導

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/21(日) 19:11:47.80 ID:rd2McF+y0.net
>>370
だから俺は大久保は薩摩閥作りたかったんじゃないと言ってるだろ。
積極的に他藩の人材を入れてるのも知ってる。
ただ、統計とるとどうしても薩摩が多くなっているからそう言ったんだ。

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/21(日) 19:14:18.04 ID:rd2McF+y0.net
>>373>>371にだわ
下げ忘れたし安価間違えたわすまん…
半年ROMってくる…_| ̄|○

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/21(日) 21:19:35.73 ID:gI72ONyM0.net
>>373
別に批判はしていないが?

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/22(月) 23:16:07.03 ID:jb8pH/jzO.net
>>365
接点も何も
家族みたいな関係だっただろ
まだ芽が出る前の伊藤は桂に世話になってるし

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/23(火) 01:23:41.06 ID:EGsV/zkS0.net
>>359
自助社って自由民権運動の派閥じゃん
反対のための反対やってるような連中が偉そうなこと言ったら
そらまともな神経の人間は怒るか相手にしないわ

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/23(火) 01:25:40.76 ID:ys0FOKB10.net
>>376
伊藤は伊藤公直話とか読むと
吉田松陰よりよっぽど
木戸の方が思い入れがありそうだよな

379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/23(火) 01:38:23.56 ID:ys0FOKB10.net
>>377
木戸は士族の先導で自由民権運動するのは良くない民間から起こるべきって考えだからな
実際この頃の自由民権運動は士族の権力復帰の側面が抜けなくて
政府との癒着や内部分列で有耶無耶になった例が少なくないし
真面目に斬新的立憲民主制考えてた木戸が怒らん方がおかしいよな

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/23(火) 08:42:46.39 ID:pu32j+KG0.net
木戸は積極的に派閥作ったわけじゃないが、
明治2年〜4年ごろの目立つ開明派は「木戸派」と看做されてたわけだろ。
この時期は大久保は空回りしてて、
木戸の影響力が大きかったと思う。
軍事的には数の多い薩摩が力持ってても、
大蔵省とか民部省とか木戸派の巣窟っしょ。

個人的には悪貨贋貨問題のとき、
木戸が大久保に、面目を保つためにも
薩摩が率先して贋金造り自首したほうがいいですよ…と
遠まわしに説得する手紙が好きだw
大久保はそれを読んで覚悟を固めて藩を説得し、
問題解決への道筋ができた。
こういう機転と手回しが木戸の凄みだと思う。

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/23(火) 08:44:23.39 ID:pu32j+KG0.net
あ、もちろん工部省も木戸派の巣窟w

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/23(火) 13:23:04.55 ID:ys0FOKB10.net
木戸といえば、明治四年の制度取調会議、明治八年の地方官会議なんかが好きだわ
失敗を次に活かして少しずつ立憲政体に向けて歩んでいくのにワクワクするな
ここでいきなり民選とか言い出さないあたり、木戸を理想論者なんて語って欲しくないわ

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/23(火) 14:52:25.63 ID:MGqLIdkz0.net
三傑に入れるべきでないはずの木戸がここに来て、陰の権力者になっとるやん

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/23(火) 15:08:21.29 ID:sN1U5leH0.net
長州から選ぶなら消去法でも木戸となる

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/24(水) 11:03:21.31 ID:aCtF+HcO0.net
国家犯罪確定!!豊中市の事件の容疑者は集団ストーカー犯罪・テクノロジー犯罪被害者だった!!
テクノロジー犯罪で音声送信されるとほんとに隣部屋から悪口をいわれている風に聞こえます。
私も数年間騙されました。犯人は警察です。警察による集団ストーカーやテクノロジー犯罪によってターゲ
ットをキレさせ(統合失調症に仕立て上げ)、本来起こらなかった事件を意図的に誘発させているのです。
周南市事件、淡路島事件、中央大教授刺殺事件、秋葉原事件も同様です。
集団ストーカーとは警察による監視+挑発+家宅侵入・器物破損・窃盗等を繰り返すことで、一度ターゲット
にしたら止めることはありません。警察は金儲けのためにこういったいやがらせ犯罪を行っているのです。

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/25(木) 12:49:20.20 ID:hJAXYoAd0.net
>>380
>木戸は積極的に派閥作ったわけじゃないが、
明治2年〜4年ごろの目立つ開明派は「木戸派」と看做されてたわけだろ。

木戸と廣澤の政治的な対立も木戸派の台頭に起因しているしな

>個人的には悪貨贋貨問題のとき、
木戸が大久保に、面目を保つためにも
薩摩が率先して贋金造り自首したほうがいいですよ…と
遠まわしに説得する手紙が好きだw
大久保はそれを読んで覚悟を固めて藩を説得し、
問題解決への道筋ができた。
こういう機転と手回しが木戸の凄みだと思う。

版籍奉還〜廃藩置県の時も諸侯へきっちり根回ししてるし、この辺の細かい配慮が木戸らしいよな

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/26(金) 01:09:36.24 ID:6irv0sE00.net
清濁あわせもつ薩摩の方が現実主義なんだが

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/26(金) 03:27:48.56 ID:IVsBm4ri0.net
変な比較だぬ

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/30(火) 02:44:34.20 ID:HbjRmdXJ0.net
>>371
西郷は単なる腰抜けだからね。
メンヘラみたいに心中を企んだ挙句月照だけ
死んで西郷は死に切れない。
板垣らが征朝を唱えたのに、自分が使者となって
朝鮮に渡ると言いだした挙句、論争に敗れると
ガキの如くヘソを曲げて国に帰る。
終いには根占くんだりまで狩りに出掛けて
私学校生を抑えきれず、反乱軍の首領に祭り上げられてんだから世話ないじゃない。
麻原彰晃みたいなもんだよ。

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/30(火) 19:42:52.25 ID:38ZhUAcw0.net
木戸 :立憲
大久保:官僚
西郷 :軍閥

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/06(月) 03:32:13.90 ID:I1NBKdd00.net
木戸の言ってる立憲政治って当然ながら近代的な立憲主義じゃなくて、
端的に武力によって成立し、その正統性が確立してない明治政府を法的に正当化するという意図なのよね
もちろん条約改正交渉において、とくに治外法権撤廃には基本法を最高法規とする法体系整備は必須だから
だから民権運動のように天皇を行政府の長と規定するような動きには激怒してる
(天皇はあくまで国家権力の頂点に立つ存在でなければならなかった)

天皇大権を広く留保してそれを現政府が囲い込む、それを法によって正当化して叩き込みましょうという発想なんだよ
それを意図的に無視して木戸=憲法みたいな誤解を広めてる人がいるけどね

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/06(月) 03:59:53.10 ID:+RgGs8Eu0.net
当時の日本が天皇を中心とした国になったばかりの状況では
天皇ありきの政府を固めるのは当然だけどね
それを踏まえた上で、現代にも通じて行く布石があることが重要なんだろう
誤解でもなんでもない
むしろ意図的に誤解させようとする文を含む>>391の方がその一文に当てはまる

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/06(月) 07:32:11.10 ID:q0MvIbeV0.net
>>391
意味不明すぎる
天皇に国家の統治権(対外的には国家主権)が存在するのは君主国として当たり前なんだが。
そうすれば、行政権が天皇に帰するのも当然
そもそもウェストミンスターモデルができた歴史の流れ見れば、
統治権から司法、立法、行政の権力が順に分離したことくらい分かるだろ

木戸が反対した理由が分からんが
一旦統治権から分離した行政権をわざわざ天皇がもつとか二度手間すぎて頭おかしいよ

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/06(月) 08:40:50.93 ID:kkZZHU7f0.net
そもそも王政復古の大号令出して間もない明治政府が
天皇の権利を奪ったり(行政権だけに絞る)したら大変なことになるだろ…
そんな事も予想できんとか頭大丈夫か…

木戸って士族が率先して引っ張る民間運動ではなく
国民の開化の進んだ時にも人民から民権運動の起こった時
政府は国民に権力を明け渡さねばならないみたいな事言ってなかったっけ?

士族がその下を引っ張る形じゃ、国民が自分の意志で行動できてないし
それじゃあお上の言うこと聞いてた江戸幕府時代と何も変わらない

フランス革命も市民を先導したのは一部のブルジョア的知識人だったが
革命のその後、市民には政治を統治する能力がなく
市民を抑えるために恐怖政治が始まったり王政に戻ったり大きな混乱を招いている
さらにブルジョア層の海外逃亡のせいで国力が一気に低下した
もし民権運動の起こり始めのあの時期にほいほい政府がそのいう事を聞いたら
フランスの二の舞になる可能性だってあった

フランスほどの国力がない当時の日本でそんなことになれば
混乱に乗じて攻めて来たロシアの一部になって終了したかもね

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/06(月) 22:38:18.51 ID:q0MvIbeV0.net
近代憲法とかはっきりいって定義の必要あるのか疑問だな
日本がアメリカに占領されたから拘られているだけな気がするんだが。
帝国憲法においても現憲法と絶して過酷な人権侵害があったわけではない。
臣民は天皇の赤子とは書かれていたし
日本人は民族的同質性、同調性が高かったので
あえて人権尊重を成文化する必要がなかっただけな気がするんだが。

そもそもイギリスとフランスでの法概念はまったくちがう。
イギリスには成文憲法が存在しないし、法の支配という考え方があった。
イギリスはノルマンコンケストで国王位がのっとられた経緯があったから
アングロサクソンの慣習法を守ろうとした貴族たちが国王権力より法を上位におこうとした。
そのために、権力者が法によって支配するのではなく、法が権力者の上位にあり支配する
、法の支配という概念がつくられた。
だが、そのころは人権という概念はまだ明確に打ち出されていたわけではない。
大航海時代を迎えて、アメリカの銀が欧州に大量に入ってきて経済が活性化し
豪奢な宮廷ができ、資本家が成長してくると、自由主義、が台頭してくる。
また宗教改革によってプロテスタンティズムの勃興すると
労働の奨励、既存秩序より聖書に基づく社会つまり革命を鼓舞する社会風潮が高まって
その土壌から理性主義や合理主義が芽ばえてくる。
その中でイギリスでジョンロックが名誉革命を正当化する理論づけをしたのが
今のイギリスまで王と国民の関係を規定しつづけている法。
イギリスは国王権力の自由に任せるのも、プロテスタントクロムウェルのようなバカ騒ぎも
合理主義者による成文憲法も受け入れず、彼らの慣習と国民相互の合意と発展に任せることを
是とした結果が結果的に近代憲法の体をなしているにすぎないわけ。
伊藤も帝国憲法をそのように運用してやがて政党政治にもっていく腹づもりだったし
今では罵りの対象のようにされる帝国憲法すら当時の日本には早すぎた感があるわけで
今から見れば遅れていることをもって明治元勲が権力の亡者だったかのような予断をするのは
適切ではないと思うけどな

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/06(月) 22:44:44.53 ID:q0MvIbeV0.net
つーか、自分も大陸法系の法実証主義は官僚的で嫌悪感をいだく
そのために日本国憲法の運用も少数派の権利を守るためにかえって一般人に迷惑が
かかりすぎているきらいがあるのでなんだかなーと思う次第。
先進国の社会がのきなみ病がかってきているのはそのせいな気がするよ

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/06(月) 23:34:12.92 ID:y6kiVsWu0.net
>>392-393
自分らが「天皇ありきの政府」と
「天皇を行政府の長として位置付ける」の違いを強引に無視してるの分かる?
木戸は「天皇を政府の長とする案」に対して激怒してるんだよ。
当時の政治体制では、民間試案でも当然ながら天皇にいくつかの大権事項が委ねられる
しかし天皇を国家の機関として位置付けその地位を明確にすることに焦点が置かれてたのに対して、
木戸のはそうじゃない。
木戸にとっては天皇は行政府のみならずまさに統治権の総攬者でないといけない
そんなもの立憲体制とは言わない。

立憲君主制と明治国家で木戸が構想した「憲法」体制は根本的に異なってる。

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/06(月) 23:56:17.53 ID:y6kiVsWu0.net
>>394
>そもそも王政復古の大号令出して間もない明治政府が
>天皇の権利を奪ったり(行政権だけに絞る)したら大変なことになるだろ…
>そんな事も予想できんとか頭大丈夫か…

は?天皇を「政府の長」という機関として位置付ける案に対してすら木戸は反対してる
議会の同意を得て行政権を持つ君主が統治するというのが当時欧州で言われてた立憲主義体制なんだが。

それと明治政府も初期には行政監視や立法の検討にあたる左院が存在したし、
その左院や転出組の司法省によって国憲や民法と言った基本法典の編纂作業が開始されていた
明治6年政変のように参議による閣議決定事項が事実上の延期として転覆される事態まで招いてるわけなんだが。
それ以前に民部大蔵の権限争いの当事者だったのが木戸だぞ。

この時の天皇には行政の長に限るどころか、最終的な裁可の手順についてすら権限が明確でない。
民間草案で権限分配を明確にしたのはむしろ国家権力の相互関係を明確にしたもので混乱が少なくなる
(行政府の長が最大の権限を有するのは自明)
木戸の憲法構想はその真逆で、天皇と各国家権力を全て直結させることで相互抑制や権限分配が不明確となり、
その調整にはすべて有司が当たるという専制の法的正当化に他ならない
だからその後も政府への反発が続いてるんだ。もともと木戸の頭にあったのは同時期の欧州レベルの立憲君主制ですらないのだから

>>395
定義の必要は大ありだな。
これは木戸でなく少しは勉強した伊藤の憲法案になるからスレチに近いが、
少なくとも密室で起草され不磨の大典として臣民に授与される形式を取った帝国憲法と比較して、
現行憲法でなぜ皇室や皇室経済の管理、軍の発動、責任内閣制、刑事手続の条文が充実してるのか、
一方で緊急権や大権事項が消滅してるのか考えてみたら分かる。少なくとも内閣を憲法上の制度として認めなかったツケは大きかった

お前が長々と書いてる英米法と大陸法の違いなんざ英米法やってりゃ誰でも習うよ
だが英国では少なくとも18世紀には責任内閣制の先例が成立してたし、
コモンローに対するエクイティも成立してる。権利章典も存在してる。
議会主権や法の支配に対するダイシーの根拠づけも帝国憲法発布前には固まってる

帝国憲法は明らかにプロイセンの鬼子的存在だろ。あんなもん日本の憲法的沿革もくそもない。

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/07(火) 01:23:13.52 ID:0iYTDTJj0.net
んー…高卒の俺には半分も解らんが、ここは維新三傑スレなわけだから
つまり木戸の立憲構想が稚拙だから木戸は三傑に入れないでおk?
渡欧して本腰入れて勉強する機会も少なかった木戸に完璧を求めんのも何だか可愛そうだな…

今詳しい人が多いようなんで聞きたいのだが、
ファシズムの台頭前、当時の新興国プロイセンを
日本が憲法その他で模範としたことのデメリット(なのでファシズム時代を除く)は具体的にどういうところ?
イギリスの司法がその時期に日本で適用可能だったというのは、
英国と同じように責任内閣制から入ればよかったってこと?
イギリスに司法制度ができた時の社会情勢は日本と同じ、または近いってことでいいのか?

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/07(火) 03:19:21.68 ID:LuifUuQ00.net
大陸法に対して英米法を持ってきて、人権や民主政の歴史的相違を強調する(その国独自の人権がある)
みたいな論法って昔からあるけど、笑うしかないな。

イギリスではフランスに1世紀先だって国王を処刑して共和制を実現してるし、
王政復古がなってからも審査律や人身保護律で議会が抵抗拠点になり
名誉革命では外国から縁戚オラニエ公ウィレムを引き入れて権利章典を認めさせてる
アメリカ独立革命においては政府からの自由が国家成立原理なわけで、これが現在でも保守。
英米における歴史的な立憲制はまさに自由・人権・議会制に他ならない
英米を大陸の対立項のように持ち出して日本の明治「立憲制」を正当化するのって、
まったくの自殺行為。

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/07(火) 07:15:52.87 ID:S3/TzJZt0.net
>>398
意味不明
天皇機関説なんてのは要するに天皇も好き勝手できるわけじゃなくて
日本の慣習と法の中で動かされている歯車の一つにすぎないということだろ
江戸時代を通して日本人の倫理感に影響を与えてきた儒教の「分を尽くす」という意識が
働いた結果の所産だと思うけどねぇ
いや、むしろ日本では律令以来天皇の立場はそんなところで終始してたろ
しかし、それと天皇に統治権が収斂することは別段両立しないことじゃないぞ?

>議会の同意を得て行政権を持つ君主が統治するというのが
>当時欧州で言われてた立憲主義体制なんだが。
意味不明、君主はすでに統治している。行政権の執行について
議会のつくった法に拘束されるというだけ。
国家の統治権=行政権ではない。
行政は具体的な政治の実行機関のことでたいていはじめは国王の家政機関が
これを受け持っていた。その家政機関に好き勝手させないために
法による縛りをもうけさせ、さらに立法については必ず議会を通させた。
結果的に統治権のうち行政権が最後に国王に残ることになる。
しかし、下積みなんて一度もしない国王が家政をすべてとりしきることなんてできないので
結局、国家方針を下の者に出させて最終的な裁可をする権限しかないわけ。
つまり、優秀な者にキャビネット、内閣を組織させるのがこれまた昔からの常。
これが超然内閣制。内閣の指名が国王の権限だったわけ。
しかし貴族院あるし、国王がもう無駄口はさむことなんてめったになくなってくるから
権限があっても使わない、それでどんどんなくてもいいよねと権限が弱まって
18世紀末になると責任内閣制になった。ただ、国王にはほぼ有名無実の拒否権が今でも残されてる。
こうして、国王から三権すべてが奪われたわけだが、統治権の発生源は国王にあるという
意識は存続してる。だから対外的に国家元首として君臨していると見られる。

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/07(火) 08:15:09.37 ID:S3/TzJZt0.net
>>398
基本知識がないのが痛すぎるな・・・
戦前の皇室財産だって英国王室と比べれば雀の涙だろ
統帥権の独立についても功罪あるんだぞ
英国空軍だって今でも王室の所有だし
良識ある運用さえできるならさして問題ある憲法じゃない

木戸の憲法案についてよく知らんのだが
その列挙した諸問題てのは立憲体制とはまったく関係ないよね?
日本国憲法でもダラ菅がアホな縄張り争いしまくったし
そんなもんビギナーが政治やると普通に起こることだろ

そんなん現憲法が押し付けられたせいに決まってるだろ
アメリカが占領しているときに日本が緊急事態に対処する必要ないだろ
現憲法も密室でつくられとるがな

責任内閣制なんて国王と国民痛みわけだろ
国王が責任追わなくていいんだから。
議会主権てのは要するに、議会が政治を決定する最高責任機関だって意味以外の
何物でもないわけで、国王もよきにはからえてなもんでしょ。
その点、戦前日本とまったく変わらないんだけど。
日本も大正には政党政治がはじまったでしょ

反中英米の空気ひろめたの国民自身だし
戦争煽ったのも国民なんですけど。
帝国憲法の欠陥なんて、閣内不一致で総辞職を余儀なくされることと
統帥権に首相が直接口をはさめなかったことくらいだろ
他は普通選挙された議会が決定しないと何もできんぞ

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/07(火) 08:49:59.04 ID:S3/TzJZt0.net
>>400
共和制てクロムウェルのことか?
クロムウェルらプロテスタントのキチガイっぷりを知らないとは幸せ者だな
共産主義者も似たようなもんだし、設計主義者てのは救いようがない人種なのかもな

英米系は自然法を基本とする法体系が共通しているってだけで
米はむしろ既存秩序の破壊という点で革命国家の仏との共通点の方が多いと思うけどな
アメリカってインディアンがのっとられた国なわけだろ?

帝国憲法は別に人権守らなかったわけじゃないし、
現憲法が憲法として優れているかといえばそうでもないよ
戦後、戦前と比べてその近代立憲政治とやらの威力が発揮したことなんて
日本国民全体からすれば皆無。
犯罪者だとか、特殊な思想家だとかの少数者が利益を得ているだけ。
国民が反省したことは戦争で被害をこうむったってことくらいで
そうした少数者が被害をこうむったことなんて反省してないだろうね
なぜなら日本人は同質性が高かったし、彼らは実際異常だったから。
だから純粋に現憲法がすぐれている所なんて内閣に関するところだけ
しかもそのことについて戦前日本のころから自前で変えようという機運はあった。
戦後日本はなんにも変ってないよ、いまだ衆愚の中という感じ。

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/11(土) 14:58:12.89 ID:6Poh0KMn0.net
木戸はリアリズムで民主化についても漸進主義。
立憲は列強と対等になるために必要だが民権派や対外硬はNGなのがわかっている。

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/20(月) 02:48:38.75 ID:6scX7Pmp0.net
吉田松陰、武市半平太、(空席)

新政府がテロリストだとすれば
やはりテロリストを育成した指導者こそが黒幕だろう
とりわけ吉田や武市は幕末のビンラディンと言ってもいい

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/20(月) 07:29:49.12 ID:WsqRjIK+0.net
>>405
藤田東湖、吉田松陰、武市半平太

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/20(月) 08:03:13.92 ID:mFrcEEOU0.net
>>405
その場合は精忠組から西郷?

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/20(月) 10:28:30.66 ID:jxrP80oU0.net
清川八郎、吉田松陰、金子孫二郎

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/20(月) 18:09:53.61 ID:HShgWBLP0.net
サンフランシスコ講和条約とソヴィエト崩壊で欧米諸国の植民地になる危機は去ったのだから
徳川宗家首班の公武合体政権で内憂外患を打破。

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/20(月) 22:46:28.01 ID:rfAP9JfH0.net
>>406
良いね、或る意味この三傑が居なけりゃ日本は穏便に公武合体から西欧化したとも考えられるな

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/20(月) 23:01:10.82 ID:WsqRjIK+0.net
うん、でも生まれるべくして産まれた封建社会の結晶だよ
攘夷って易々と日本を呑み込ない外人の障害にもなってて、安易に無駄とは言えないから
命を費やしたご先祖達は少なくとも本気だった、日本の富を失った害でもあるけれど責められない

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/21(火) 09:26:44.40 ID:L3lwbN8b0.net
公武合体の路線なら農民は一生農民か…
そうならなくって良かったわ
いくらせ西欧化や諸侯会議やったって
江戸幕府に諸藩の全部に口出す権利がない限り
俺なんか重税の中死んでくのがオチだったんだろうな…
好きな仕事やって恋愛結婚してこうやって楽しく暮らしてるとか
明治維新サイコーだわマジwww

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/21(火) 15:37:17.76 ID:T8T3L90XO.net
うむ、公武合体を防いだだけでも
明治維新は価値があるな
当時としては命懸けの行動だったが
志士達は立派だった

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/21(火) 16:43:07.28 ID:7vSyjGmh0.net
それどころか、英語が公用語になってるかもな

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/08/18(火) 14:36:12.84 ID:bIp3KMqN0.net
あれ?ひさびさに来たらわけわかんなくなってんだが
木戸の憲法案って、人民の政治力が育つまでは
天皇が権力暴走のストッパーにならなきゃだから
それまでの暫定案じゃなかったっけ?
イギリスみたいな議会制度にすぐ移行するには
蓄積がなさ過ぎてムリ、まずは人民に身近な地方の議会からね〜て
実際天皇にも、「2〜30年はあなたが人民を守らなきゃなんだから
しっかり勉強してください」っていってたそうだし

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/08/18(火) 15:13:24.44 ID:5dE+iGWM0.net
なんつうか、木戸の憲法なんぞ俺は憲法と認めねえ!って流れから
イギリス憲法や日本国憲法ベタ褒めの人が現れて
憲法の話で白熱(スレチ)してだいぶ逸れたよね、勉強になったけど
木戸の良い点を上げると必ず細かい揚げ足取りが現れる(大久保には食いつかない)から
なんか維新三傑スレなのに木戸の話だけ書き込みづらいわ…

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/08/18(火) 19:10:23.00 ID:mDmOX1nj0.net
>>415
そうだよ。急進派を押さえながら条約改正を目指した現実的漸進主義。

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/08/19(水) 03:39:21.61 ID:N7UH+mQWO.net
この木戸アンチさんは雑談板の幕末明治スレでも噛みつきまくっててビビった

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/09/13(日) 08:30:34.22 ID:9MbxMW9W0.net
維新150年に向け協議会発足ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/kochi/8014660811.html
明治維新から150年となる3年後の平成30年に向けて明治維新をテーマにした企画展などを連携して開くため11日、高
知県内の12の歴史館や資料館などが参加する協議会が発足しました。
江戸幕府が倒れ明治政府が発足した明治維新から3年後の平成30年で150年となります。
これを記念する企画展などを連携して開くためきょう、「明治維新150年高知県ミュージアム連絡協議会」が設立され、
高知市内で発足式が行われました。
協議会には高知市の県立坂本龍馬記念館や市立龍馬の生まれたまち記念館、それに北川村の村立中岡慎太郎館
など県内各地の12の歴史館や資料館などが参加しています。
協議会では来年度から随時、薩長同盟、大政奉還、戊辰戦争などのテーマごとに土佐藩士の日記や手紙などの
展示会を開くほか、平成30年には明治維新をテーマに年間を通じた企画展を開くことにしています。
協議会の会長で高知市教育委員会の筒井秀一参事は「本物の資料を通して明治維新と高知県の関わりを深く学んで
もらいたい」と話していました。
2015年09月11日 20時03分更新ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/kochi/8014660811_m.jpg

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/26(土) 03:56:25.34 ID:9InH2f9h0.net
最近の日本史近代史板は会津・南京・慰安婦ばかり
もううんざり

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/01(月) 08:05:44.23 ID:O/nNTct00.net
あなたは40代ロサンゼルス新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?

それともいくつですか?

それともいくつですか?

それともいくつですか?

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/04(月) 21:50:16.95 ID:VGaNt/ct0.net
結局、木戸 > 大久保 > 西郷 なんだよなあ・・

西郷は西南戦争で大久保にフルボッコされ、
その大久保は木戸に生涯頭が上がらなかった
木戸からの信任あっての大久保だったからなあ

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/04(月) 22:30:27.56 ID:xeYhvPiJ0.net
木戸は押してもダメ、横に引かないと

424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/03(火) 22:38:05.99 ID:TPLDkYMP0.net
よくよく考えると明治維新に繋げた順位

1 阿部正弘(日米和親条約に関して、悩みすぎて死亡)
2 井伊直弼
3 吉田松陰
4 高杉晋作
5 島津斉彬
6 西郷隆盛
7 坂本龍馬
8 岩倉具視
9 村田蔵六
10 大久保利通

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/04(水) 10:37:39.47 ID:LjFvBoCU0.net
長州って自己評価ほど活躍してないと思う

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/04(水) 13:09:56.83 ID:2JsP3kv+0.net
>>425
そうか?結構、破壊的な活躍をしていると思うが?
普通に考えたらあんな支離滅裂にはならないだろ?

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/06(金) 01:02:51.03 ID:2D7VNn0P0.net
井伊直弼
ジョン万次郎
大村益次郎

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/08(日) 00:22:18.59 ID:HeVn9UMS0.net
>>426
それは活躍とは言わん
むしろ邪魔

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/19(木) 23:16:32.31 ID:GDkzzM7B0.net
十九世紀一の…
政治家 小栗上野介 東京神田
思想家 横井小楠 熊本熊本
実業家 渋沢栄一 埼玉深谷
資産家 岩崎弥太郎 高知安芸
農政家 二宮尊徳 神奈川小田原
兵法家 平山子龍 東京四谷
剣術家 男谷下総守 東京本所
探検家 間宮林蔵 茨城筑波
測量家 伊能忠敬 千葉九十九里
策略家 勝安房守 東京本所
陰謀家 岩倉具視 京都京都
開国家 岩瀬肥後守 東京愛宕
自信家 佐久間象山 長野松代
経世家 海保青陵 東京霞ヶ関
紀行家 菅江真澄 愛知豊橋
砲術家 高島秋帆 長崎長崎
藩政家 渡辺崋山 東京三宅坂
翻訳家 杉田玄白 東京新宿
啓蒙家 福澤諭吉 大分中津
遊説家 坂本龍馬 高知高知
財政家 松方正義 鹿児島鹿児島
民政家 上杉鷹山 東京霞ヶ関
開明家 橋本左内 福井福井
革命家 高杉晋作 山口萩
戦術家 立見尚文 東京八丁堀
尊王家 蒲生君平 栃木宇都宮
随筆家 松浦静山 東京浅草
画家 葛飾北斎 東京本所
作家 滝沢馬琴 東京深川
噺家 三遊亭円朝 東京湯島
医者 華岡青洲 和歌山西野山
為政者 島津斉彬 東京芝
指導者 西郷隆盛 鹿児島鹿児島
独裁者 大久保利通 鹿児島鹿児島
国学者 塙保己一 埼玉児玉
蘭学者 緒方洪庵 岡山足守
教育者 吉田松陰 山口萩
扇動者 藤田東湖 茨城水戸
兵学者 大村益次郎 山口山口
儒学者 広瀬淡窓 大分日田
漢学者 安井息軒 宮崎宮崎
経済学者 山片蟠桃 兵庫高砂
博物学者 南方熊楠 和歌山和歌山
キリスト教教育者 新島襄 東京神田
キリスト教指導者 内村鑑三 東京小石川
西洋哲学者 西周 島根津和野
仏教哲学者 清沢満之 愛知名古屋
自然哲学者 三浦梅園 大分国東
重商主義者 本多利明 新潟蒲原
国粋主義者 平田篤胤 秋田秋田
豪胆者 山岡鉄舟 東京本所
理学者 帆足万里 大分日出
化学者 川本幸民 兵庫三田
求道者 白井亨 東京桜田
英学者 中村正直 東京麻布
本草学者 平賀源内 香川志度

幕末の大分県は人材の宝庫。儒学者の枠に収まらない傑物の帆足万里に三浦梅園、広瀬淡窓、武芸は西国一の剣客島田虎之助。前野良沢は江戸生まれ江戸育ち。
幕末維新明治スッカスカの大阪『ええじゃないか、ええじゃないか』←これ踊ってただけ

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/04(土) 02:43:48.41 ID:a/zs0SnV0.net
大政奉還 徳川慶喜 
王政復古 大久保利通
版籍奉還 木戸孝允

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/04(土) 02:47:21.92 ID:a/zs0SnV0.net
大政奉還は、「徳川慶喜にそれを出させた側」を入れても良いかもしれん
……西郷隆盛か。結局いつもの3人になった

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/13(月) 16:48:59.96 ID:SDkqYpJE0.net
小松帯刀じゃねの?

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/13(月) 18:02:02.45 ID:zt+7hAbA0.net
山内容堂では?

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/14(火) 09:37:28.39 ID:JxPo81Gi0.net
山内容堂は建白した人
実際に建白書の提出や根回しをしたのは後藤象二郎だけど
で、慶喜に決意を迫ったのが小松

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/14(水) 04:25:01.18 ID:Dv0EDSat0.net
斉昭一傑なんだよ
朝廷と薩摩を抱き込み幕府には息子で楔を打ち身分の低い若者の能力を引き出し
慶喜は維新後表から身を引く斉昭のシナリオ通り

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/09(金) 08:52:32.01 ID:PsrjJc9G0.net
パークス グラバー サッスーン
ロス茶セレクト

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/20(火) 16:25:17.72 ID:nKOxZvKf0.net
支那人は病原菌をばら撒くゴキブリなんだよ
そんなことも知らなかったラオス政府は時代遅れ

素直に日本の投資を受け入れておけば
こんなことにならなかったのにね
【清潔・真面目・キチンと最後までフォローの日本】
【不潔・手抜き・最初だけやっておしまい・そのくせ大挙して居座るのが支那】

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/05(木) 14:25:46.71 ID:z4pj0HPn0.net
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/vX3ERl
https://youtu.be/Kgp4ZCK6sW4
https://youtu.be/1yjRBMVEKFs
https://youtu.be/XPywXIvckI8
https://www.youtube.com/watch?v=dCEJ7TUY06w

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/02(日) 22:38:34.69 ID:kwhFlq9H0.net
安倍昭恵
稲田朋美
豊田真由子

安倍ぴょんの足を引っ張った3愚女

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/09(日) 14:44:46.24 ID:KUtYa1c20.net
長州はいてもいなくても明治維新はできたかもね

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/12(水) 07:03:41.11 ID:zB0LZKsz0.net
>>440
仮に薩摩藩単独で倒幕をしたとすると
江戸は火の海だったな
その後、薩摩出身者だけで政府を作ったら
かなり大雑把な政治になっていただろう
その上、西郷は朝鮮に行ってコロされているだろうし
それをきっかけに朝鮮と戦争になって
戦いは楽勝だったがそのときイギリスかフランスに攻撃されて植民地にされただろう

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/26(水) 12:06:31.20 ID:9e7bg3PN0.net
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/31(水) 14:06:34.43 ID:I/Y5AjPQ0.net
近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

13D14

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/13(金) 06:11:13.78 ID:pegqJS3X0.net
いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

BVR

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/18(木) 20:42:31.80 ID:pfXalpkP0.net
吉田松蔭 久坂玄瑞 高杉晋作
以上

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/18(木) 23:00:02.96 ID:2/D6WD2A0.net
>>445
全員歴史の教科書から外される人やん

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/21(木) 02:51:27.37 ID:fMT4WSLl0.net
テロリストとカルト教祖と詐欺師と人殺しが勢揃いのスレ

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/02(金) 13:01:09.56 ID:Xd5vP77o0.net
藤林丈司

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/04(日) 12:39:28.71 ID:MPSNV2VP0.net
藤林丈司

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/24(土) 03:05:30.12 ID:IGkq9ShG0.net
松井 橋下 石原

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/10/01(火) 15:49:18.48 ID:N+b/r+sq0.net
藤林丈司

452 ::2019/10/10(木) 21:07:52 ID:ZLaGO+QT0.net
枝野、菅直人、謝 蓮舫。

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/10/13(日) 21:31:46.51 ID:j2onbVr50.net
清河八郎、中岡慎太郎、西郷隆盛

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/10/14(月) 02:24:53.51 ID:TEPWQa2A0.net
大村 高杉 木戸 でしょ

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/10/15(火) 19:30:39.65 ID:aEpWHkQn0.net
>>454
うーむ木戸は無い

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/10/31(木) 17:32:00.47 ID:XuDunugb0.net
歴史家がもう幕末の最重要人物が誰だったか書いてるよ
維新の6傑だな

【歴史の転換点から】江戸無血開城の「点と線」(7)西郷と勝 家近良樹教授に聞く(下)勝のけれん味
https://www.sankei.com/life/news/190915/lif1909150001-n3.html

>幕末維新史における最重要人物がだれだったかと考えると、まず孝明天皇が浮かびます。そしてやはり西郷・大久保。
それから島津久光と慶喜。また、『功山寺挙兵』で長州藩を一変させた高杉晋作。いずれも超一級です。彼らに比べると勝海舟は2番手です。

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/10/31(木) 19:02:51.97 ID:ctN/nmGL0.net
高杉晋作は無い断言する
事を成す前に死んだ鮮人。

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/11/01(金) 23:15:28 ID:EkbkK0HY0.net
高杉晋作を外して山岡鉄舟を入れるべき
あとやっぱり木戸は外せないので、七傑で

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/11/05(火) 14:54:49.21 ID:YXFocxR20.net
>>456
5年位前にレスしてた>>20って歴史学者とほぼ同じ意見じゃん
すげえな

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/11/05(火) 21:43:29 ID:1udhcu/50.net
https://i.imgur.com/NIsnKY3.jpg

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/11/06(水) 00:46:42.76 ID:vkxpJJhF0.net
なぜ大村益次郎先生がいない!

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/11/10(日) 18:56:14 ID:foALADos0.net
木戸は、明治になってからも五箇条、版籍、廃藩など功績は残しているが、
何か地味なんだよね。ずる賢くて、陰湿な政治家というイメージがある。
だから、小説家や歴史家が感情移入できないと思う。
でも、戦前は西郷と同じくらいの人気があったみたいね。
戦後は国民的小説家の司馬によっておきおろされたのが痛かったね。

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/12/08(日) 21:29:04.00 ID:kNysWS2t0.net
藤林丈司

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/12/27(金) 21:30:41 ID:y5Ra80Ct0.net
藤林丈司

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/09(木) 13:02:47.72 ID:V3j9ghzN0.net
>>456
1月15日の英雄たちの選択が孝明天皇だからヨロシク

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/10(金) 02:29:56.65 ID:U49Fre2p0.net
武田鉄矢

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/11(土) 20:54:01 ID:/8jR3LJq0.net
戦国時代の良さって全国的に人気みたいだけど、俺分かんないんだよな。
もともと歴史好きじゃないし。

ただ最近勉強して思うのは、 戦国時代なんて
全国がばらばらで統一された状態に不満があるなんて
 上に文句あるの? とでもいいたいけど、

勝手に上の代弁をしても 上の承認もないから
負ける意見なんて認定もないって撥ね付けられるんだよね。


維新の3傑が何かって
 ぼろぼろにまで働いて、何の地位も名誉も
 得られず死んでいってなんか憐憫の情も湧くし、死後の名誉ぐらいあってもいいよね

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/17(金) 15:47:41.06 ID:zMLq3TSY0.net
藤林丈司

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/17(金) 21:24:30 ID:H8wH5oFW0.net
清河八郎
永倉新八
佐久間象山

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/18(土) 01:14:14 ID:r346oakD0.net
武田鉄矢
福山雅治
里見浩太朗

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/27(月) 22:36:29.41 ID:1niVO+VM0.net
>>456
功山寺挙兵とやらはそんなに重要だったの?
坂本とどっちが重要?

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/28(火) 15:32:56 ID:PNtRP8Hl0.net
>>471
功山寺に決まっとるがな

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/31(金) 14:51:15.94 ID:x/LHePpb0.net
>>471
歴史家によって評価はわかれるだろうな実際
高杉選ぶか竜馬選ぶかだと
もしくは>>20が書いてる後藤か広沢か

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/31(金) 16:25:58 ID:CBhDFtEX0.net
敗者にも目を向ければ
功労者が居るはずでは

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/31(金) 22:51:47.58 ID:pXi5jrSh0.net
>>473
後藤、広沢より、木戸と思うが、ダメかね。

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/02/01(土) 04:35:48 ID:vpyVeXbX0.net
倒幕三傑。西郷、坂本、高杉

維新の三傑。西郷、大久保、木戸

477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/02/01(土) 07:12:23 ID:N9AS+t5g0.net
どれも過大評価されすぎ

478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/02/01(土) 09:53:34.04 ID:vpyVeXbX0.net
明治三傑は西郷、大久保、伊藤

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/02/01(土) 10:33:35 ID:Ku62VlGP0.net
明治三傑に西郷・大久保はちょっとな。
彼らはやはり維新だよ。

明治三傑は、伊藤、山縣、東郷くらいかな。

480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/02/13(木) 18:59:52 ID:4tjFNzMr0.net
藤林丈司

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/02/14(金) 11:01:47 ID:R0y+6Ouk0.net
西郷隆盛
大久保利通
安倍晋三

482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/02/14(金) 20:44:48.96 ID:y6lFtOaJ0.net
三舟

483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/02/15(土) 16:18:30 ID:b/u5rVpI0.net
安倍が好きなのは、高杉 or 木戸 ?

484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/02/15(土) 16:35:56 ID:4772X25U0.net
足軽

485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/19(木) 16:42:34 ID:ksxndsUp0.net
徳川慶喜、勝海舟、西郷隆盛だな

486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/19(木) 16:45:53 ID:Xj9lKlQQ0.net
明治三傑なら
伊藤、政治
山縣、軍
陸奥、外交

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/20(金) 16:37:22.29 ID:5Vuwp+090.net
ところでキミたち低能にとって明治維新とは何ぞや

488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/20(金) 20:47:45 ID:b75a7P2K0.net
まず痴呆老人のお前から
お願いします。

489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/21(土) 02:18:50 ID:hVaLtJfH0.net
維新の原動力は列強からの脅威に対する物

490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/21(土) 12:27:02.03 ID:23LWW3Kt0.net
日本がグローバル化の波に巻き込まれたことにより生じた様々な案件の根本的、抜本的処理

491 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/23(月) 17:36:04 ID:NDnCgoNk0.net
維新の3傑は
大村益次郎、木戸孝允(桂小五郎)、山田顯義(市之允)が正解

いづれも長州藩出身で明治新政府誕生の
最大の功労者。
高杉晋作が遺言で一番期待したのがこの3傑です。 愛エメ総長

日本大学と早稲田大学の違いは 長州藩出身者と佐賀藩出身 [無断転載禁止]©2ch.net
https://medaka.2ch.net/test/read.cgi/jsaloon/1506120669/l50

陣頭指揮突貫 日大の山田顕義と慶応の福沢諭吉、早稲田の大隈重信との違いは血みどろの戦いを [無断転載禁止]©2ch.net 1
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/joke/1501510625/

陣頭指揮突貫 日大の山田顕義と慶応の福沢諭吉、早稲田の大隈重信との違いは血みどろの戦いを [無断転載禁止]©2ch.net 2
https://tamae.5ch.net/test/read.cgi/jsaloon/1481985949/

狂騒のパジェント 靖国神社の大村益次郎像についての批判
http://pagent.seesaa.net/article/388231675.html

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/24(火) 01:25:58 ID:VL08RSo70.net
>>476
木戸はむしろ前者に入ると思うけどね
高杉は藩論全体を動かす根回しは苦手で西郷、木戸、坂本と違って枠組み作ることはできんかった

維新後の木戸は体調不良とメンタルの問題で参議としての役割も十分に果たしたとは言い難い
長州の実務屋は西郷、大久保、大隈に諮ることはあっても木戸には事前連絡と報告しかしとらん

493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/24(火) 12:45:31 ID:OysO7r1p0.net
母校が入って無い

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 02:39:22.73 ID:I8xsFY8n0.net
大久保と木戸を、松平春嶽が明治の父母と評し、徳富蘇峰が性の合わない夫婦のようと
評しているのだから、この二人は三傑から外せないよ。

アンチ木戸の人たちは木戸を「ずる賢くて、陰湿」と言うけど、当時の人達の木戸評を読めば、
「世話好きで、きさくで、人の話を良く聞いて、根回しが上手で、多くの人から好かれる性格」
ってことが伝わってくるぞ。

もちろん八方美人という意味でもなくて、ウマが合わない連中もいただろうけど、
長州嫌いの山内容堂公とも呑み友だったという事は、人好きだったということの証明だ。

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 20:52:48 ID:b+ZDWP+I0.net
>>494
木戸は冷淡な部分が多い
陰湿である!
裏の顔は奇兵隊の皆殺し

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 08:09:56 ID:/SFK1l6D0.net
>>495
アンチ乙。

冷淡な部分って、脱退騒動と萩の乱の鎮圧だけだろ。
鎮圧=皆殺しではないし、下っ端兵士には米を与えて帰郷させている。

そもそも、拙速な奇兵隊解散は良くない、十分な報酬を与えて次の仕事を手配してから
解散すべきだと、木戸は県に指示していたんだよ。それを怠った県の責任だ。

鎮圧後の処罰を、同郷だからってナァナァにして甘いものにしたら、それはそれで
身内びいきだと非難するんだろ。身内びいきにせず、公平に対処するところに
木戸の凄さがある。

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 13:23:08 ID:iD7FLH7n0.net
脱退騒動では、木戸は自ら軍を指揮して銃弾飛び交う中で戦っているんだよね。
元志士の血が騒いだのかどうか、逃げの小次郎のイメージはない。
この点、佐賀の乱における大久保とは違うところ。
武力鎮圧後は藩内での木戸のリーダーシップが確立され、木戸・井上の了解を得ない限り、
藩政の要路につけないことになった。藩政の主導権は完全に木戸・井上の手中になり、これが、
廃藩置県に繋がったんだよね。

時代はさかのぼるが、維新直後、新政府確立には「戦争より良法はなし」と確か小松に書簡を送り、
戊辰戦争の拡大を望んでいる。又、彰義隊鎮圧の為、大村投入を三条に説いたのも木戸だと
する歴史家もいる。会津への過酷な処分、浦上キリスト教徒処分を主導したのも木戸。

うーん、木戸はやはり冷徹・聡明・怜悧だよ。西郷にもう少し、木戸のような個性があれば
西南戦争は防げたかも。

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 18:02:30 ID:FfpN5qgZ0.net
>>497

概ね同意だが、会津への処分が過酷というの会津史観の影響を受けすぎだし、
キリスト教徒処分も当時の禁教令通りのもので、特別酷いものとは言えない。

会津の件についてさらに言えば、一会桑の中で慶喜と桑名が早々に恭順したのに対し、
徹底抗戦を望んだのが会津。会津への処分が、慶喜や桑名に対するものより重いのは
当然だ。

容保の命は助かり、減封・転封だけですんだのは恩情とも言っていいくらいだ。

499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 18:19:57 ID:FfpN5qgZ0.net
会津藩処分でググったら、こんな記事があった。
https://ameblo.jp/masajion/entry-11508916480.html

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 18:25:43 ID:V8pRQLev0.net
だから長州閥は国滅ぶ寸前まで米国に徹底抗戦したのかー納得

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 19:04:32.22 ID:XPNu8o2q0.net
国滅ぶ寸前まで米国に徹底抗戦した長州閥ってナニ?
夢か幻の話?
それともキミの妄想での話?

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 19:14:58.72 ID:iD7FLH7n0.net
国滅ぶ寸前まで米国に徹底抗戦したのは長州閥ではない。

長州、薩摩が政治、軍の要職を占めていたのは、大正まで。
昭和になってからは 軍の要職には士官学校卒の東北出身者が多い
(東条、石原、米内、板垣など)。

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 20:02:54 ID:V8pRQLev0.net
黒幕だろ?
岸は何故総理に?
満洲国では産業開発国務院高級官僚、
商工大臣、国務大臣と軍需省次官兼務
終戦後3年5か月A級戦犯として服役
後に不起訴無罪放免
政界から姿消すが冷戦後復帰
石橋の時外務大臣後に総理
日米安保成立中身は糞
安保闘争乗り切るが
昭和の妖怪
安倍で山口県総理も終わりよ

504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 20:10:42 ID:/SFK1l6D0.net
ここは維新三傑スレだ。

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 20:21:47 ID:V8pRQLev0.net
高杉晋作
吉田松陰
佐久間象山
ゴメンよ

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 21:32:44 ID:XPNu8o2q0.net
岸は満州で培った人脈と利権によるものがその実力の源で長州閥とはまるで関係ないし
この当時の長州閥など政界にはすでに跡形もなく消え
かろうじて陸軍内に宇垣が率いる軍閥として存在感薄く漂ってたにすぎないのにナニを言ってるのかな?

507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 21:56:39 ID:/SFK1l6D0.net
だから維新三傑スレだって!

500に釣られ過ぎ。

508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 22:39:16.62 ID:V8pRQLev0.net
>>506
最後に久慈力の本読めよ
江戸から現代までの本だ
俺は吉田松陰を三傑に入れてる
後はスレタイに従う。

509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 22:59:39 ID:/SFK1l6D0.net
ではスレの趣旨に戻ろう。

維新三傑を挙げるのなら、維新政府成立後にも影響があった人を挙げるべきだ。
象山、松陰、晋作は新政府の方針への影響は直接的ではないという点でNGだと思う。

もちろん、彼らの影響を受けた人が維新を担ったのは確かだけど。

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 23:18:09 ID:/SFK1l6D0.net
で、オレ自身の意見としては、>>494に書いたように大久保と木戸は外せない。

で、西郷を入れたらこの3人は明治10年前後に3人とも、志半ばにして倒れる
というドラマチック要素があって収まりが良い。

ただ薩州2人、長州1人というバランスの悪さが気になるので、大久保・木戸・岩倉が
維新三傑に相応しいと思うのだ。

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 23:28:25 ID:XPNu8o2q0.net
>>508
ちよwおまw久慈力とかww

久慈の言ってること鵜呑みにしてんのなw
すごく納得したわw

ま、あんま恥ずかしいこと人前で言わん方がいいぞw

512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 00:23:44 ID:z+PAh8lI0.net
洋行中に、伊藤博文(長州ファイブ)と森有礼(薩摩留学生)が国教をキリスト教にしましょう、
公用語を英語にしましょう、と浮かれていたのを、青木周蔵(長州ドイツ留学生)の意見を参考に
一蹴したのが木戸。

現代人がその是非を論じても良いけど、明治以降木戸は精彩を欠いた・何もしてない等の意見は
全く的外れだと思う。

513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 00:27:26 ID:DvbWscHO0.net
>>510
文久年間までは岩倉は公武合体派で幕府よりで三条らとは距離が遠いんだよな
久光の上洛と文久の改革を経て薩摩が本格的に朝廷工作を始める段階で長州に肩入れし過ぎた三条らが追われて以降近衛の仲介を経て岩倉を発見した大久保がこれと組む
ここからの岩倉のすっとぼけと謀略で薩摩が朝廷を抑え禁門の変、長州征伐、薩長同盟と目まぐるしく政局が変わる中でいつの間にやら幕府をポイ捨てw
普通なら戸惑うばかりのハズの朝廷が薩摩と近衛プラス三条の返り咲きで一気に討幕まで向かうっていうとんでもシナリオを成立させた

維新後の留守政府追い落としから大久保の返り咲きとポスト大久保に伊藤を持ってくるところまで結局トップ人事を決めたのはいつも岩倉だったっていう

514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 00:37:34 ID:z+PAh8lI0.net
すぐ辞表を出して逃げる、と木戸を批判する人もいるけど、政策論争で負けて下野するのは
当時では当たり前のことだから。

西郷:征韓論で負けて下野
木戸:征台論で負けて下野
大久保:征韓論でも征台論でも勝ち

それでも再び政治の場に駆り出されるのは、西郷も木戸も同じ立場だろ。

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 00:40:43 ID:z+PAh8lI0.net
>>513

そう、岩倉こそ、倒幕と明治新政府の方針に多大な影響を与えた人物。

大久保・木戸は外せないとして、もう一人挙げるなら岩倉だよ。

516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 01:02:13 ID:z+PAh8lI0.net
岩倉に関しては、当初公武合体派で、その後倒幕派になるという変わり身の速さが
嫌われている原因だと思うけど、天皇・朝廷の地位を上げるためという目的では一貫
しているんだよね。

状況に合わせて戦略を最適化しただけだ。

明治の世になったら維新政府の中では保守的だったというのも、面白い。

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 01:07:49 ID:z+PAh8lI0.net
征韓論争で、洋行組が逆転勝利したのも岩倉が絡んでいるだろ。

あれは、岩倉じゃないとできないよ。

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 01:31:16 ID:z+PAh8lI0.net
オレは去年の11月頃からこのスレを覗き始めたのだけど、このスレ当初2015年頃の
「広沢推し」の人に教えを請いたい。

広沢真臣さんって何した人なのか。
なぜ、木戸よりもこの人のほうが、維新三傑にふさわしいのか?

オレが知っている広沢さんは、長州征伐の時に宮島で勝海舟と交渉した人で、
(当の宮島では木戸孝允とアピールしているけどww)

おそらくは倒幕の密勅(=偽勅?)工作に関わった人、くらいだ。

倒幕に貢献したのは間違いないが、維新政府の方針に影響を与えたとは思えないんだが。

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 11:48:22 ID:vasnGGwr0.net
司馬史観、水戸史観
色々見方があるが
長州五傑は外せない。

520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/08(水) 01:38:27.20 ID:LksDWgsh0.net
長州五傑って誰のこと?

521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/08(水) 14:59:51 ID:eljRFs5t0.net
幕末に長州藩からイギリスに密航した5名の藩士のことじゃない?
所謂 長州ファイブ(伊藤、井上薫、井上勝、遠藤、山尾)。

その中で、山尾は工部省の開設に尽力している。

民蔵分離で近代化路線が後退。大久保は工部院設立に反対、民部省で事業を継続
することを求めたが、木戸・山尾の奔走により、工部院設立が廟議で決定され、
工部省の開設に繋がった。

民蔵分離をめぐる政治闘争では、木戸は大久保に敗北したが、工部院設立で挽回。近代化の流れを絶やさずにすんだことは大きいよ。

497だが、”小次郎”なんて恥ずかしい書き込みをしてしまった。
桂さんに申し訳ない。

522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/08(水) 16:35:19 ID:k7e2b/xa0.net
長州五傑と長州ファイブとでは全然意味あいが違ってくるとおもうが

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(木) 08:48:57.64 ID:rlBgS5jR0.net
こっちの本では、久坂玄瑞・高杉晋作・伊藤博文・木戸孝允・井上馨。
『吉田松陰と長州五傑 』 頭山 満 ・田中 光顕・伊藤 痴遊 著

こっちでは、いわゆる長州ファイブのこと。
『明治の技術官僚 - 近代日本をつくった長州五傑』 柏原 宏紀 著

紛らわしいね。

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 17:34:12.49 ID:0iQz04QF0.net
やっぱり司馬史観がガンだよな〜・・・

「司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解」 土居 豊著 関西学院大学出版会2018年

では、西郷を結局上手く描けなかっただけでなく、大久保や木戸を矮小化してしまった
ことが述べられている。

他にも『花神』『竜馬がゆく』『世にも棲む日日』にも触れられている。

525 :524:2020/04/10(金) 17:54:33.27 ID:0iQz04QF0.net
維新の三傑で一番不思議なのは、木戸と西郷の関係だと思う。

西郷は一般的には器が大きいと言われているし、木戸も気さくで人付き合い上手と言われている。
だからこそ、この二者間で薩長同盟が成立したわけだ。

だけど、明治の世になって廃藩置県までは協力し合えたのに、征韓論争以降は
西南戦争で両者が死ぬまで全く接点が成立しなかった。

馬が合わなかった、だけなのかな〜・・・?


風雲児たちでもあったけど、人付き合い好き同士が仲が悪く、その両者とも
上手く付き合えるのが、人付き合い嫌いの人だったということもあるのかなww

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 18:29:23 ID:6Z4Windz0.net
人望があるというのはその人に期待するそれぞれの出身藩や新政府の派閥があり、木戸も西郷も本人達の考えだけで付き合えるわけじゃなかったということだと思う

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/11(土) 14:19:13 ID:uRhZ99I40.net
木戸や大村の国民皆兵に反対し、旧武士の利権を守ろうとしたという意味で、
西郷と前原一誠は同じ立場だし、木戸と前原の仲が悪いように、
木戸と西郷の仲が悪いのも当然と思う。

528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/11(土) 15:24:53 ID:HGDUA0To0.net
それに関しては御親兵動員で高禄を与え過ぎたというのが一番の間違いだったと思う
戦場で役に立つからと高いサラリー与えたらみんな女と酒と次の利殖に夢中になって良い思いをしたんで、国民皆兵でサラリーが減るのを嫌がった士族とその状況を用意した奴が悪い

529 :527:2020/04/11(土) 16:14:59.63 ID:uRhZ99I40.net
なるほど、納得

530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/11(土) 21:54:33 ID:YljLYp/a0.net
藤林丈司

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 02:47:36 ID:MxQXK4o50.net
>>497
>>浦上キリスト教徒処分を主導したのも木戸

というけど、大隈がイギリス公使ハリー・パークスと交渉した一件から見ても
当時の政府としては当然の対応だと思うぞ。

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/06(水) 23:44:41 ID:wq1FZH+D0.net
パークスと西周が描いたシナリオ通りになった日本

533 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/07(木) 01:55:12.53 ID:qkex6f3O0.net
描いたというよりはプロイセンやフランスみたいな封建制から中央集権による郡県制への移行しか政治体制はできないだろうという観測だろ
幕府将軍自体が天皇によって封建領主連合の主導者としての地位でその幕府組織を中心にした郡県制への意向は当時の幕末日本では無理だと
地方領主と天皇の間で外交政策の決定にも難渋し分野によっては雄藩の西洋技術導入に遅れを取り、組織変更も立ち遅れている
特に富国強兵のための政策は雄藩の方が実務的にも組織的にもその対応が早くから行われていて幕府を出し抜いている
そして幕政に関与しつつ幕府が後手に回るような時には雄藩同士が結びついてまた幕府の意向とは違う動きもしている

その初期の首魁が島津斉彬で斉彬時代に再整備された下級藩士登用による政治改革と外交活動の素地がじんわりと雄藩内に広がった
表立って武力衝突はないけどいずれ薩摩を中心とする雄藩が連合して幕府と武力対決に及ぶことは幕府とも薩摩とも交渉している当事者の目にはかなりハッキリ見えていただろう

534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/07(木) 06:41:47.50 ID:UaPLQbDK0.net
三傑は名も無き
志士

535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/08(火) 10:31:35.48 ID:pIDAvegU0.net
藤林丈司

536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/10/06(火) 15:24:03.68 ID:TIaTzCnj0.net
<<禁門の変

この事変で たった300名ほどの長州兵に 完全に御所まで突入されてしまった
ちゃんと戦ったのは 薩摩兵と会津兵だけだった
徳川の軍事力が空洞化してるのがバレてしまった

537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/10/26(月) 18:15:17.21 ID:lI75Cfs70.net
>>536
会津は京都守護職だし、禁裏守衛総督徳川慶喜は自ら出馬して戦い、長州は敗退
久坂玄瑞も戦死した
これが禁門の変

538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/01/29(金) 19:17:24.15 ID:8nhguLvU0.net
>>1

>維新の三傑って誰なの?

ジェイ‐Z
ザ・ノトーリアス・B.I.G.
ナズ

539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/02/07(日) 18:30:08.35 ID:l2wby3Bf0.net
>>538
はあ?

2Pac
Snoop Dogg
Dr. Dre

だろタコ助

540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/22(月) 23:09:03.48 ID:M4d6ZaOM0.net
たこ
イカ
カニ

541 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/25(木) 11:14:53.45 ID:ClLk/WBx0.net
たこ焼き
お好み焼き
焼きそば

もんじゃ焼きはハブ

542 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/25(木) 14:21:38.22 ID:5/45m0ej0.net
ロバート・スミス
バーナード・サムナー
マーティン・ゴア

543 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/04/03(土) 13:40:55.72 ID:oR0IUr5N0.net
薩州代表で、大久保

公家代表で、岩倉

長州代表で、木戸

544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/04/10(土) 17:01:29.57 ID:Hii62xd70.net
大久保、木戸、岩倉かな

545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/04/11(日) 00:08:47.06 ID:GJFqUybE0.net
長州の三傑

木戸
広沢
高杉

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/04/12(月) 22:56:51.47 ID:7isvaiYt0.net
今風に言うとテロリストだよな薩長は

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/04/13(火) 00:56:53.11 ID:65RzbVjB0.net
勝ったからテロリストではないな
歴史上負けた方がテロリストと呼ばれる
つまり、テロリストは幕府、会津、桑名藩、仙台藩、新選組など

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/04/15(木) 18:13:29.01 ID:YqoUWSns0.net
西郷って何やった人なの?
戊辰戦争の大将なのと、廃藩置県で諸侯を恫喝したくらいしか思い当たらないけど。

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/04/15(木) 20:50:45.02 ID:hPvtz4GF0.net
薩摩 小松
長州 木戸
公家 岩倉

これで行きましょう

550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/04/16(金) 14:35:13.13 ID:rNp0SKSc0.net
>>547
勝ったからテロリストでなくなるのは判るが
だからといってそれによって旧体制側がテロリスト呼ばわりされるのはまったくもって間違ってる話

例外挙げるなら新撰組を白色テロと呼ぶかどうかというとこだろ

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/04/16(金) 18:44:13.72 ID:SD6CY9ur0.net
>>548
それ以外はとくにやってないよ!
薩長同盟締結の際の薩摩藩側代表者は小松清廉(帯刀)で西郷も同席した!(長州藩側代表者は木戸)
あとは反乱を起こしたくらい!(←代表作)

552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/04/16(金) 18:47:33.08 ID:SD6CY9ur0.net
あと廃藩置県の時は薩摩に引っ込んでたの木戸とか三條?岩倉?に呼ばれて置物役をやっただけで政策を主体的に押し進めたわけではない

553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/04/25(日) 08:50:35.23 ID:1XsiFN1z0.net
大久保 朝廷工作
木戸 薩長間調整
大村(生きてれば高杉) 軍事

554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/04/27(火) 22:42:58.75 ID:Eg2x6Whb0.net
大久保 朝廷工作
木戸 薩長間調整
大村(生きてれば高杉) 用兵

に変更

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/21(金) 23:29:22.30 ID:YiSGOhWg0.net
日本お笑い界の三傑

たけし
さんま
松本

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/22(土) 16:29:34.03 ID:EH7P1jnc0.net
木戸
大久保
岩倉

一次資料を読むと、岩倉って凄いと思う。

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/23(日) 08:46:53.61 ID:lLvE5toR0.net
HUNTER×HUNTER
ONE PIECE
NARUTO-ナルト-

558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/25(火) 14:11:22.49 ID:ujvhryz30.net
おれなら国民国家の大前提である国民軍の前身を組織した大村入れるな
で、あと大久保
あと一人はいっぱいすぎて誰でもいいかなー

559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/25(火) 14:38:26.66 ID:bYctV4Hh0.net
明治の岩倉使節団帰朝後の「安定〜内乱」期の政局だと大久保だけど、幕末〜明治初頭の「維新」期だと木戸だな

560 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/25(火) 17:08:27.41 ID:bFC2Dfmf0.net
禁門の変以降の藩政と藩外交は木戸がいなかったらどうにもならない状況だったからな
新政府樹立から太政官制度構築するにも西郷は軍人としての評価はあったけど治政や裏方での根回しは木戸に及ばず
大久保は幕府相手の交渉は担当していたけど藩主クラスとの面識がそもそもなく戊辰戦争時は薩摩藩士の立場を超える動きはなかった
戊辰戦争をどう終わらせ次の政府が何をどういう形でやっていくかの企画や組織作りは基本的に木戸、岩倉の仕事だった

561 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/26(水) 15:53:27.59 ID:fUV05DgS0.net
思想なら木戸・岩倉の右に出る者なし。

562 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/29(土) 02:12:16.39 ID:BZCsAr0A0.net
北野門下の三傑

そのまんま東(東国原英夫)
ガダルカナル・タカ
ダンカン

563 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/29(土) 18:43:40.32 ID:0z3WRl8y0.net
徳川幕府=徳川軍事独裁政権
明治維新=明治クーデター
長州軍=長州テロリスト
薩摩郡=薩摩テロリスト

冷静にみるとこうだよね

564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/29(土) 19:32:58.63 ID:tY1gSTwS0.net
>>563
全然ちがう

維新は クーデター(政変) ではなく レストレーション(復古) ないしは レヴォリューション(革命)

薩長は 軍事独裁 に抵抗する 民主化勢力

565 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/29(土) 19:49:28.70 ID:UyP3xsF/0.net
巨人の三傑

長嶋茂雄
王貞治
ウォーレン・クロマティ

566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/30(日) 14:19:20.76 ID:jcDjVvsc0.net
松門の三傑

前原一誠
伊藤博文
山県有朋

567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/06/18(金) 22:16:41.00 ID:BqJOyOln0.net
歌姫三傑

退鬼(ひっき)
暗鬼(くらき)
破魔裂鬼(はまさき)

568 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/07/06(火) 02:40:29.65 ID:/zxRanya0.net
>>563-564
幕府は大獄や新選組といった暴力装置を発動させて血の粛清を行ったからな
長州と薩摩なんて可愛いもん

569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/10/21(木) 06:08:07.86 ID:xzAPO4U10.net
明治維新は公武合体なんだよ

ただそれでは旧支配者と現支配者がくっ付くだけで地方の若者が日本の為に死んでくれない
一番裏切りそうな薩摩・長州、水戸の学者は予測していた
薩摩はイギリスと長州は南下したロシアとくっ付く
日本の統治を任せると言われれば尻尾を振る

辺境の薩摩と長州を煽て陸海軍を任せる
上手く行った
喜んで死んでくれた

570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/10/21(木) 14:43:46.95 ID:kIvHusv40.net
板垣退助ってそのまま陸軍の軍人だったら元帥になれた?

571 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/10/21(木) 18:40:09.70 ID:lQHxQUt80.net
多分無理やったやろう

そもそも明治前半で板垣が就けるポストがない
鎮台司令官とかは板垣より二つぐらい格下の谷クラスの職で板垣をそこに据えたら嫌がらせにしかならん
西郷が近衛大将を辞職しての下野なら板垣がそれを引き継げる唯一の元勲やろうけどね
その場合も薩長閥は西郷の乱に備えて残った幹部が団結する際にわざわざ板垣を近衛大将にする人事を許すとは思えない

とんでもない章典禄貰ってるから金はあるけど結局は史実通り薩長閥に対抗できるようにに議会開設に向けた運動を在野でやるしかなかったと思う
土佐が武力討伐に動いたのが安芸や因幡より遅かったことを考えると維新後の十分以上の扱い受けたと思うよ

572 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/10/22(金) 04:32:03.48 ID:aT1hdyW00.net
もし乱がなくて桐野が生きてたら爵位は子爵どまりか?
西郷の子飼いだから伯爵までいったか?

573 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/10/22(金) 09:13:47.80 ID:+2NeiIuK0.net
山本権兵衛って実は大したことなくね?
実戦も若造の時だけ中央勤務時代は所詮西郷従道のバックアップがあってこそ。
よかったのは海軍大臣の時だけ。
首相時代は粘り足りない。二つの件も辞める必要まるでなし。
川村純義や東ク平八郎の方が上だろ

574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/10/23(土) 10:03:07.13 ID:x9gblciU0.net
権兵衛はドイツ留学中にドイツ国内の内戦があり残って戦ってくれと
頼まれた逸材。東郷はともかく川村て(笑)

575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/10/23(土) 18:19:41.30 ID:hGejWE+G0.net
板垣が大阪会議で復帰した後に政府に居座ってれば、板垣、木戸、大久保の三頭政治になったかもしれない
木戸、大久保亡き後は板垣に逆らえる奴も大して居ないだろうが、岩倉と薩長が繋がっているからどうにもならんか
大隈もイギリス型の政党政治を主張して野に下ったし、連携して政府内から民権を進めるやり方もあったんではないだろうか

576 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/10/24(日) 01:55:56.65 ID:VHatouMj0.net
>>571
賞典禄1000石って現在の年収だとどれくらいですか?

577 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/10/24(日) 13:13:02.78 ID:TF2cmh3P0.net
>>576
1億2000万ぐらい
明治15年政府が自由民権運動の最有力勢力自由党の勢力を削ぐために板垣と後藤象二郎を共に洋行させて分裂を図った。
この時の洋行費2万円は土屋という商人が出した。
この当時の2万円は現在に換算すると大体8000万円。

ちなみに板垣その人は金に頓着はなく明治維新の功労者に対する叙爵(爵位を与え法律の適応や天皇からの特別恩典などの優遇措置が合わせて与えられる)を頑なに固辞するような人。
これは最終的に天皇の面子潰すつもりか?と追い詰められて受けた
しかし内心では「四民平等の原則で特権階級作るようなことすんな」と相当お怒りだった模様。

幕末土佐藩内で起きた上士下士の激しい対立で土佐藩内で賊扱いされていた武市半平太、坂本竜馬の名誉回復に努めた。
明治24年武市の嫁、元藩主や上士の主だった面子、下士を中心に結成し活動していた土佐勤皇等の生き残りを集めて矢面に立って謝罪したのが板垣。
政治的な立ち回りはハッキリ言って子供レベルの人だけど頓着なく人と広く交際し人柄と才能に関して素直に褒めるような人で面倒見も良かった。
人柄としては西郷と非常に似ており戦機を読む感も大村益次郎と並ぶ。
薩長閥のバランスの中で維新後の陸軍内で浮いてしまったことはこの人のキャリアには決定的にマイナスに働いた。

自由民権運動を始めてからも常に板垣の周りに人が集まり、その動向を常に伊藤ら政府首脳が注視し時に懐柔して政府内部に取り込もうとしていたのも理解できる。
ちなみに板垣は日本人として初めてルイヴィトンのカバンを買ったことが買っいそのカバンが現存しているというエピーソドもある。
http://www.shikoku-np.co.jp/national/life_topic/20170702000280

578 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/10/26(火) 14:36:10.16 ID:2XPw6E1B0.net
権兵衛さんは10さいぐらいで薩英戦争に参加したんだよな

579 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/10/26(火) 16:22:54.03 ID:hj9qj+5+0.net
従来は元老は9人説が有力だったが近年は10人目として山田をカウントする説も出てきてるらしいな
最初期の元勲会議に名を連ねているし、その直後に早世してしまったが、生きていれば元老になっていただろうと

580 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/10/27(水) 20:29:12.63 ID:ljWnVyYZ0.net
>>577
板垣はなんだかんだで成功したわけだ
明治の偉人の一人として名が上がるし、お札にもなった
権力闘争の上手い下手は大して関係ないということ
坂本龍馬なんてたかが数年の活躍で名が残っとるからね

581 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/10/28(木) 12:09:48.80 ID:I8dFyci/0.net
そもそも山縣みたいな小物がでかい顔をしていたのが
明治以降の陸軍の悲劇。あんなの寺内正毅と大差ないから

582 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/10/28(木) 18:41:50.95 ID:K/m0TF/V0.net
大村暗殺、山田死去で3番手の軍政家だからね、山縣は
それでも議会開設、憲法施行、地方行政整備、元老として政党内閣を嫌いはしても西園寺や原が政権を任されたのは山縣がいなければ無理だったと思うけどね
いくらなんでも寺内正毅と大差ないっていう評価は山縣の評価としては不当だと思う

583 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/10/29(金) 08:05:46.11 ID:I0OODoFJ0.net
軍人としては無能の部類だろ山縣は。

584 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/10/29(金) 10:21:29.25 ID:0xb3vzne0.net
山縣ァ

https://i.pinimg.com/736x/b5/9b/26/b59b268a1952fd1e655d00cbbfd4678f.jpg

585 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/10/31(日) 04:00:22.89 ID:1x+DQOJ60.net
>>583
グンジングンジンってグンジン脳かお前は
グンジンとして何をしたかより政治家として何をしたかが重要だ
政治家は施政者であり、グンジンはその下位に属する
山縣が生きてた頃はな
山縣という “重し” がいなくなってグンブは暴走し始めた

586 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/10/31(日) 23:02:31.06 ID:jw7EWfuS0.net
真・維新の三傑

高杉晋作
坂本龍馬
土方歳三

587 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/11/01(月) 04:49:39.55 ID:dzYKiQf10.net
>>586
3人目は釣り針ですか

588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/11/01(月) 04:54:44.33 ID:gdDGtWpK0.net
山縣と山田は同門なのになぜ仲が悪かったんだろう?
松門は基本的に結束が固いし、両人ともとくに人付き合いが不向きなタイプでもない
普通なら年下の山田を山縣が可愛がっていてもおかしくなかったはず

589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/11/01(月) 21:14:08.58 ID:eyN+HFmc0.net
>>585
山縣が軍を政治より重くしたから暴走したんだろ

590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/11/01(月) 23:22:18.47 ID:BU0YEGYM0.net
>>589
いつ山縣が軍を政治より重くして暴走したの?

591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/11/02(火) 20:16:13.17 ID:IngTV+bu0.net
軍部大臣現役武官制作ったのは山縣だよ
これで軍が気に入らない内閣を拒否潰す事ができるようになった

592 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/11/02(火) 22:51:09.59 ID:nQ4G7mth0.net
軍部大臣現役武官制も軍令による軍部の統帥権独立も山縣によるものだけど、山縣自身は権限の濫用には反対の立場だったんだよね
制度だけ作ってあとは自分が抑えればいいと思ってたのか
自分が未来永劫生きると思ってたのかね

593 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/11/02(火) 22:52:51.65 ID:QZ23PMKO0.net
>>591
なるほど
その軍部大臣現役武官制を使って山縣がどの内閣を拒否して潰したの?

594 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/11/08(月) 13:53:45.18 ID:DIULnN9U0.net
タカ(木戸)
トシちゃん(大久保)
モリ(西郷)

幕末〜明治のたのきんトリオ

595 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/01/24(月) 22:40:50.35 ID:gxhOHyNH0.net
普通にこれでいい

長州 木戸(桂)
薩摩 西郷
公卿 岩倉

596 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/26(土) 10:15:02.10 ID:HPBFRg+Y0.net
倒幕の三傑なら
西郷、高杉、坂本

597 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/26(土) 12:19:45.70 ID:NntTVWSt0.net
ザコ本龍馬はない

598 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/03(木) 19:13:09.30 ID:fSv1qLSH0.net
普通に

長州代表 木戸
公卿代表 岩倉
薩摩代表 西郷

でよい

599 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/04(水) 23:47:02.98 ID:ZbqrVQtt0.net
三傑は木戸と大久保
残り1人は西郷か岩倉

四傑なら木戸大久保西郷岩倉

600 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/05(木) 01:14:34.73 ID:HiK9JVIK0.net
そう維新四傑もしくは維新四天王にすればいいのに維新三傑にするから人物が漏れてしまう

601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/05(木) 16:03:34.20 ID:qOsY7MAu0.net
高杉晋作と坂本龍馬も入れたら六傑

602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/07(土) 17:54:42.85 ID:zIvPKcsN0.net
十傑まで広げると

岩倉具視(公家)
西郷隆盛(薩摩)
大久保利通(薩摩)
小松帯刀(薩摩)
大村益次郎(長州)
前原一成(長州)
広沢真臣(長州)
木戸孝允(長州)
横井小楠(肥後)
江藤新平(肥前)

603 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/07(土) 17:56:08.09 ID:zIvPKcsN0.net
西郷隆盛、高杉晋作、坂本龍馬は
倒幕の三傑

604 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/07(土) 21:43:18.62 ID:WNKW1z8u0.net
>>602
前原だけが良く分からんな
高杉が死んだからか

605 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/08(日) 17:19:05.94 ID:3NHQrMHW0.net
第二次長州征討での長州藩指導部は木戸孝允、広沢真臣、山田宇右衛門
大村でもないし高杉でもない
山田宇右衛門は王政復古の直前に病死
もし生きてれば維新の十傑に入っていたと思われる

606 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/08(日) 22:13:49.46 ID:y5yImfzC0.net
絶対に入れ替えることができないのは西郷、大久保、岩倉の三人だな
これが木戸、高杉に龍馬だと外すことができてしまう

607 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/09(月) 01:14:17.13 ID:KljTPp0M0.net
真の維新三傑とは西郷、大久保、岩倉。

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