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維新の三傑って誰なの?
- 1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/02(月) 20:20:40.63 ID:zoH+XKJ+0.net
- 戦国の三英傑
・織田信長
・豊臣秀吉
・徳川家康
↑文句なし
維新の三傑
・西郷隆盛
・大久保利通
・木戸孝允
↑えっ、この三人?
- 145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/22(日) 06:51:28.50 ID:NL7zLemkO.net
- 薩摩は小松帯刀も凄そうだけどな
なんといっても上級家老にして行動力もある
維新前は一応まだまだ階級社会だし、この人の影響力や威光は薩摩では絶大だったはず
ただ、名前はよく書物などで目にするが、俺も含めてだけどこの人物のことをよく知らないんだよな
鹿児島の人、小松帯刀の為にももう少し頑張ってあげればいいのに
- 146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/22(日) 09:58:37.86 ID:NL7zLemkO.net
- 薩摩の小松帯刀
上級家老にして実行力もあるし、薩摩藩における維新のキーマンだろうによく知らない人なんだよなぁ、俺も含めて
鹿児島の人、もう少し帯刀の宣伝頑張れよと言いたい
- 147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/22(日) 10:17:13.11 ID:BRMiDVKD0.net
- 西郷、大久保の思惑と久光の思惑の間で抜群の調整役。
家柄、人柄、見識、家老なのに小姓頭並みのフットワークの軽さw
- 148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/22(日) 10:17:53.06 ID:z+/YPzt70.net
- >>145
>維新前は
一応まだまだ階級社会
その階級社会に関わらず突出した活躍をした人物だから三傑と言われるのじゃないかね
もともと階級が高いだけで活躍した人物ならいっぱいいるし
というか、十傑には入っているよな、小松
- 149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/22(日) 12:49:37.60 ID:c3TPyJK60.net
- 入るだろうね。
小松生きてたら西南戦争回避できていたか?
小松個人にそこまで時代の軋みを埋める力があったかという話に興味あるね。
- 150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/29(日) 14:32:03.23 ID:plWKaMbb0.net
- 明治維新という軍事クーデターを成功させた三人を選べというなら、西郷、板垣、大村益次郎。これ以外は無い。
明治維新が成功だったかと問われれば、現在の視点からは最早むしろ大失敗だったと言わざるを得ない。
- 151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/29(日) 15:07:54.40 ID:M2x6GbjM0.net
- 長州再征鳥羽伏見に比べたら甲州上野会津の官軍勝利はサプライズって感じが薄い。
幕府軍より明らかに弱小な薩長が官軍になれたことの意味が重要なんだろう。
- 152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/29(日) 22:48:43.64 ID:VczoMnHx0.net
- >>150
米国の近代革命は独立戦争に始まって南北戦争で完成した。
フランスの近代革命はフランス革命で始まりパリコミューン陥落で完成した。
日本の近代革命は明治維新で始まり対米戦敗北で完成した。
100年単位の長い目で見ればけっして失敗ではない。
- 153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/29(日) 22:52:22.79 ID:VczoMnHx0.net
- 長州が倒幕路線を確立したのが画期。
その意味で高杉晋作は3傑の一人だろう。
- 154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 04:03:01.35 ID:T3DaBgrq0.net
- >>152
なんという欧米史観無条件肯定。しかしこれがいわゆる一般常識なのだろうな。
攘夷から一転富国強兵と叫んで対外膨張主義に走った挙句に外国に占領されて、何が成功した近代化なのだろう?
こんなファンタジーを維持するために明治維新絶対正義が今だに何の疑問も持たれないようにNHKは幕末青春ドラマ()ばっかり繰り返すのだ。
- 155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 07:45:26.15 ID:WlByNXb/0.net
- 外国に一度は敗北したが、実際には日本を立て直したのは日本の民主主義だからな
その発端を築き、その後につなげた維新、明治初期の功績は大きい
- 156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 07:55:00.13 ID:GSyu4a2Y0.net
- 攘夷や富国強兵という視点から見れば、1945年の敗戦と米軍による占領統治という結末からは、
外圧に抗して独立を守るという幕末以来の目的が完全に失敗に帰したとしか言いようがない。
- 157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 08:08:14.76 ID:LBUO1R+a0.net
- 安政条約を改正したんだから、
攘夷とゆう維新の目的は実現できてる。
対米戦敗北はもっと後なんだから、維新が失敗てことではない。
対米戦じたいが失敗なの。
- 158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 08:15:11.29 ID:GSyu4a2Y0.net
- 1945年8月から現在にいたるまでの状況は、幕末の志士や明治の元勲の望んだ状況ではない。
むしろ、このような状況になるのを避けようとしたはずの維新と明治国家建設だったはず。
- 159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 09:05:17.40 ID:+4uU/offO.net
- >>154
明治の近代化路線と、それ以降の対外拡張路線って
全然違う話だけど?
なんで明治時代の内政と昭和の外交問題がリンクすんの?
大正、昭和前期に対する理解雑じゃないか
- 160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 09:45:02.39 ID:LBUO1R+a0.net
- アメリカに負けたのは、
維新の十傑が死んでから後のことなんだから、維新したことが失敗だったかのようにゆうのは間違い。
- 161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 13:42:15.59 ID:dStmPIsEO.net
- 長嶋さんとか英雄だけど、100年後の評価では王さんが絶対的一番だと言われるような感じだな。実際に記録を出すのも立派だが、人を奮い起たすような存在感というのはその時を生きた人しかわからないだろう。
- 162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 16:33:46.10 ID:+tfnj19D0.net
- >>161
西郷と大久保みたいな関係だな
- 163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 18:23:34.99 ID:GSyu4a2Y0.net
- 対外拡張路線は、江戸後期の経世家から吉田松陰まで共通してみられる主張なので、
昭和戦前の満州・大陸への武力進出は、松蔭門下の元勲たちの考え方に反するものではない。
一方、アメリカの従属国となった戦後の状況は、攘夷や富国強兵を唱えた明治の元勲から見れば、
全く望まなかった状況であり、彼らの視点からは嘆くべき状況。
- 164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 18:48:09.51 ID:YCcZvimb0.net
- 全く不毛だな。
当時のままだとしたら日本全滅もあったかもしれないぞ。
- 165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 19:01:02.50 ID:+4uU/offO.net
- >>163
伊藤と山形の対外政策について、ちゃんと調べた上で書き込んでる?
二人とも日露戦争は消極的だったよ?
伊藤なんて、戦争で勝った後も満鉄アメリカに譲ってもいいってスタンスだったよ?
- 166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 20:53:54.08 ID:T3DaBgrq0.net
- >>159
>明治の近代化路線と、それ以降の対外拡張路線って
>全然違う話だけど?
何これ?俺が東大早慶目指して落ちて、すべり止めのMARCHに引っかかっのって、全然違う話だけど?
とか言って居直ってんの?(うわー。2ちゃんクオリティーにまとめてるわ。我ながら。ちなみに俺は高卒のバカでMARCHなんて頭の片隅にも無かったよ)
- 167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 20:58:28.56 ID:T3DaBgrq0.net
- 続けて書くと、>>159 の如き居直りが通用するのが日本社会なんじゃねえかな?
原子力発電所がエネルギー問題の解決策だと言い張った大昔の自民党と、福一原発事故は無関係だけど?
その時の政権政党は民主党!民主党!民主党!
これが、明治維新っていう低能革命の全てじゃねえかな。今に続く、な。
- 168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 22:12:14.21 ID:Rmgbnu5Y0.net
- >>167
ぜんぜん今に続いてねーよバカチョン
おめーの学歴だの自民党だの民主党だのスレ違いなんだよ
消えろよキチガイ荒らしヤロー
- 169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 22:15:37.02 ID:Rmgbnu5Y0.net
- >>167
ぜんぜん今に続いてねーよバカチョン
おめーの学歴だの自民党だの民主党だのスレ違いなんだよ
消えろよキチガイ荒らしヤロー
- 170 :159:2015/03/30(月) 23:18:10.44 ID:Qse24tOw0.net
- >>166
煽る様な口調になってしまって申し訳ない。
このスレの主旨から、明治維新の範囲は大政奉還〜西南戦争あたりの政策、もっというと
朝廷と幕府(+諸藩)の多重権力構造を朝廷の元に一元化する過程(M.4あたりまで)中心と思っていたので……
明治初期の対外政策というと、不平等条約の解消が焦点で、拡張主義を考えるような段階じゃなかったよなというのと、(木戸・西郷の征韓論は別に拡張主義じゃない)
日露戦争〜第一次対戦あたりの日英同盟時代の外交戦略と、日英同盟解消後の国際協調路線とアジア主義の対立とか
その後の国際情勢による協調路線の行き詰りとか、
その辺りをすっとばして、明治初頭から太平洋戦争までの日本に一貫した外交路線があったと取れる書き込みを
されていたので、どういうスタンスなのか聞きたかったのですが、ぶっちゃけスレ違いでした。
荒れさせてすみません。
- 171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/30(月) 23:59:49.39 ID:WlByNXb/0.net
- いや、荒れてもいないし
- 172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/31(火) 01:53:04.09 ID:uRCNtr9r0.net
- 対外政策に関しては昭和初年までは一貫して英米と協調、ドイツとは新しい国家同士の親近感と憲法含めた政治制度の一つの指標にしてたよね。
それが中国市場の取り合いから英米と対立。
イギリスとは距離的にも遠かったから、直接の軍事衝突にはなりにくかったけど、太平洋の覇権を巡ってアメリカとは軍事衝突が避けられないぐらい利害関係が生まれた。
戦争が全く回避できない状況だったとまでは思わないけど、回避できるタイミングは昭和になってからでは遅かったとは思う。
ハリマン提案の一部でも受け入れ代わりに、無利子融資取り付けて軽工業から重工業への投資をし革命ソ連とも付かず離れずの関係作っていれば。
最早空想の域だけどw
維新の目的が元々討幕からの富国強兵だったのは間違いないだろうけど、外交的に戦略持っていたわけではないだろうし維新の三傑選ぶ上で日米戦争の話まで含めてしまうのはおかしいかと。
- 173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/31(火) 05:32:04.10 ID:gJoULDbP0.net
- >>170
いえ、すいませんでした(恐縮)。
>明治初期の対外政策というと、不平等条約の解消が焦点で、拡張主義を考えるような段階じゃなかったよなというのと、
>(木戸・西郷の征韓論は別に拡張主義じゃない)
ゲンダイの、平和ニッポンアピールをする既成の官製歴史授業では。
明治維新の大改革として出てくるのが大政奉還、版籍奉還、廃藩置県の一連の中央集権化なのだろうけど、
それとほぼ同時に台湾出兵、江華島事件も行っている(征韓論とは何なのか。結局単なる政争に過ぎないと思う)。
大日本帝国成立の遥か前から、もともとこれは維新政府の政策課題だったことがわかる。
尊皇攘夷は、尊王開国倒幕へと変質し、さらには尊王富国強兵対外拡張へと、既に維新の最初から既定路線化していた事がわかる。
>>156 も書くように、そもそも1945に突き進む方向性こそが武力クーデターを経て維新政府が興った事で不可避だったとしたら。
それはやはり、維新の大義名分から離れた、これが失敗革命だった事の一点に数えられると。
それ以上に、「この文化大革命は、」このクニの文化、社会の在り方を完全に破壊したのだけれども。
- 174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/31(火) 10:43:17.14 ID:Q9ZU9OrvO.net
- 民主主義を望みその礎を作った明治初期の志士達にとって
その後政府が交代していくことは前提のこと
時代に合わせて国を守れる人材が育ち
外国に負けない国になってくれることが希望だろう
ただし、交代することでそぐわない政府になっていくリスクもある
それもまた賭けのようなものだから仕方ない
その元勲達の希望とは違った方向へ行ってしまったこともあるというだけ
- 175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/31(火) 13:34:03.18 ID:ALhAGXB40.net
- あのときに旧体制を倒したということで明治維新が失敗だったわけがない。
アメリカ独立革命やフランス革命と同様に
後戻りのできない道を切り開いたのだから。
- 176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/31(火) 14:05:53.92 ID:knXxgme70.net
- 西郷、大久保、岩倉
- 177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/31(火) 14:09:25.46 ID:a/hZsa9Q0.net
- 周布が長生きしてたら周布?
- 178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/31(火) 19:46:25.74 ID:5/8U7U7h0.net
- >>175
旧体制は倒したけど、民衆の革命じゃないよな…頭がすげ変わっただけじゃねーのみたいな
近代国家として歩もうという気概はあるだろうけど
でもアメリカ独立もフランス革命も人が大量に死んだけど、本当に民衆だったのかな?という疑問はある
- 179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/31(火) 21:20:19.30 ID:fiLK+9TFO.net
- そもそも共和制目指してないしなぁ>明治維新
アメリカ、フランスと比べて民衆の革命かどうか、ていうのはなんか違う気がする。
というか、明治維新の意義は諸大名による割拠状態の解消だから
頭が徳川が薩長に代わっただけってことはない。
薩長自体もただの地方自治体に成り下がった。
- 180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/01(水) 05:03:41.63 ID:rgt5vfld0.net
- >>178
よくよく見なおせば頭すらすげ変わって無いのがわかるしね。
260年も太平の世が続いて使いもんにならなくなったチンピラを大量リストラしただけで。
実行犯だった元々下級階層連中は軒並み自滅、暗殺で粛清される。親分連中はいったん失職してもすぐもっと高待遇のポストにスライド。
本質は何も変わらなかった。
- 181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/01(水) 07:06:18.32 ID:tcmn8FYc0.net
- >>180
そりゃ王政復古だからね。
本質はかえちゃダメじゃね? 何を指して本質といってるかわからんけど、
ネットだと幕末の話するときに、無条件に徳川幕府を日本の正統政府と定義した上で
明治維新は薩長への政権交代に過ぎないって人結構多いよね。
そういうの見てると、明治以降の国民国家の造成という課題はかなり成果挙げてるんじゃないかと思う。
実際、現代人からすると幕権派の外様への疑心とか、諸藩の幕府への不信とか理解しがたいっていうか
お前ら普通に話し合えよ、とツッコミ入れたくなる
- 182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/01(水) 07:46:09.54 ID:dtP3FGUY0.net
- >>181
話し合えないような政治形態だったから、その状況で正当とは言えない状況だったんだろ
徳川幕府が正統とか言ってるのは開き直った佐幕派で、
やはり特定の武家がずっと政治のトップで居続ける構造も、それを支持する意見の信者も偏り過ぎなんだよ
>明治以降の国民国家の造成という課題はかなり成果挙げてる
国民が自由に民主主義形成の過程さえ否定的にぶつくさ言えるほど自由な状態に成長したのは
ある意味国民全体に教育を行き渡るようにした明治政府の希望だろうからね
もっとも、慢心してよくわからず権威っぽいものを叩けばいいと思ってるタイプが出てくる
という弊害もあるが
その時点で、かえってそういう自分側が悪く言われるようになる可能性も考えていたはずなのに
それでも国民を成長させることを優先した
そのある意味自己犠牲的なほどに国民を大事にした精神こそが、維新の志士の尊さだよ
- 183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/01(水) 08:13:51.98 ID:fNKCg5ReO.net
- 坂本龍馬を出すと怒られそうなこの雰囲気が恐い
- 184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/01(水) 09:02:56.37 ID:lYdu7kMV0.net
- >>178
お前あほだろ
> 民衆の革命じゃないよな…頭がすげ変わっただけじゃねーのみたいな
頭すげ変わっただけなら
徴兵制とか民選議会とか廃藩置県とか条約改正なんてめんどくせーことやらねーだろ
- 185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/01(水) 20:12:23.75 ID:6FKJuQEdO.net
- >>183
小説準拠でなければ怒られはしないんじゃね?
薩長同盟が龍馬のおかげというのは、木戸の主観(社交辞令込み)で過剰評価と思うけど
薩土盟約と大政奉還に対する貢献度ってどんなもんかね?
- 186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/01(水) 23:27:09.64 ID:NLY8XpW30.net
- まあ、他藩に顔の効くのが坂本ぐらいしかいなかったというのはあるしな。
維新で活躍して新政府でも重職についたのは結局、江戸遊学組とか京都詰めの交友関係の広かった人物が多いし。
外との交渉には内をまとめる必要もあるし、内をまとめるには外との繋がりを上手く使う必要もあっただろうし。
そういう中で難しい調整やリーダーシップを発揮した人が当然ながら重職になるわけだ。
維新の三傑、その中に入っていてもおかしくないという人を見るとまあ妥当なところかなと。
坂本が死ぬ直前から藩の重役として薩長との窓口になった後藤は結局バスに乗り遅れた組で新政府では明らかに蚊帳の外。
- 187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/03(金) 12:38:12.11 ID:4kalrse80.net
- そもそも三傑は劉邦が漢を樹立した時の特に功労があった3人が語源
蕭何・・・兵站と新政府内政担当 ⇒ 小松帯刀 → 大久保利通
張良・・・劉邦の軍師 ⇒ 大村益次郎
韓信・・・軍司令官 ⇒ 西郷隆盛(板垣退助)
つまり、
小松帯刀(大久保利通) 西郷隆盛 大村益次郎
- 188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/03(金) 14:17:38.94 ID:U3oMJr180.net
- 韓信の才能を見抜いたのは蕭何だから
大村益次郎を見抜いた木戸は蕭何みたいなもんじゃね?
- 189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/03(金) 14:31:43.18 ID:1IZ4IT1gO.net
- 兵站担当で小松と大久保ってのもなぁ
幕末だと各藩持ち寄りな上に、動員数の総数だと長州のが多いくらいじゃなかったっけ
漢の三傑は劉邦の部下の中での役割分担だから、元ネタに合わせて選ぶのは無理があるかと。
- 190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/03(金) 22:40:11.05 ID:iPk4TFgT0.net
- 三傑の中でもショウカは別格だからなあ。
韓信、張良はいなくても何とかなっただろうけどショウカの行政、平坦、政治駆け引きの辣腕ぶり異常だよ。
管仲と並ぶ古代中華の化け物。
三傑というゴロや講談的な話で三傑選ぶならその三人でしょうというぐらいのもんで。
維新三傑を選ぶ際にショウカ並みの化け物いないのは日本的で良いような気がするw
- 191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/03(金) 23:18:27.01 ID:BLQSioxj0.net
- 蕭何なみの化け物はいない、というか韓信・張良相当もいるかというと……
明治維新までくると、史料残りまくってるから古代の英傑みたいに神格化しづらいよね。
もう既に英雄の時代じゃないって感じ。
- 192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/04(土) 03:15:17.74 ID:ikT3B8zR0.net
- そりゃ時代が全然違うからな
- 193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/04(土) 08:36:40.69 ID:1KCyTqTU0.net
- 官軍の主力=薩摩
小松帯刀はその薩摩藩の家老で
勝手掛(内政)・軍務掛(軍事)・琉球掛・産物方(産業)・唐物方(貿易)
・製薬方・蒸気船(造船)
これらの職務を兼任してさらに京都外交の全権担当者
倒幕までなら蕭何以上じゃないだろうか
- 194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/04(土) 11:21:24.87 ID:gctMtX0m0.net
- 蕭何相当がいないっていうのは、そもそも幕末の戦闘で、いつでもどこでも望みに応じて
兵力と兵糧を送り出す謎兵站能力を発揮した例がないって話じゃない?
- 195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/04(土) 11:21:35.98 ID:0LEtF/cH0.net
- お金と人脈作ってね担当
- 196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/05(日) 05:32:58.17 ID:bndMdNSd0.net
- そうか。そもそも維新が失敗革命だったっていう立場でものを語るのなら、三悪党になるのか。
そりゃもう決まってる。岩倉具視、木戸孝允、勝海舟だ。ああ、スッキリした。
- 197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/05(日) 07:37:37.89 ID:sp7pH2wM0.net
- どう見ても成功しているのに失敗とか、僻みは醜いのう
- 198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/05(日) 07:41:13.66 ID:xIXmjFOq0.net
- >>194
それに一極じゃないしねえ。
- 199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 07:17:50.86 ID:XCzlpYWt0.net
- 維新の産物である大日本帝国の末路を考えると、失敗以外の何物でもない。
アヘン戦争の衝撃で、独立を維持するため「万国対峙」「富国強兵」をめざしたものの、
結局、白人の武力に屈服し、独立も主権も失って、異民族の支配に甘んじる結果になった。
幕末の尊王攘夷の志士が見たら、死んでも死にきれない体たらくになって現在に至る。
- 200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 11:23:16.09 ID:ITfoxOgMO.net
- 今の日本の繁栄っぷり見て文句言うのもどうかと思うがね
まあ、個人主義が行き過ぎになってキテ
心が貧しい奴が増えてきているのは問題だが
- 201 :正理会:2015/04/06(月) 13:02:28.67 ID:f5rY/vCh0.net
- 『天皇陛下のことを玉体(ぎょくたい)と言うのです。
日本神道で言う玉留産霊(たまつめむすび)の玉体です。
天皇がいない国は、国民がバラバラになってしまいます。』
by中杉弘のブログより
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/
http://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi
- 202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 14:55:43.78 ID:ejYjvW3p0.net
- >>199
大久保は喜ぶと思うよ
西郷は怒り狂ってまた内乱を起こすかも
木戸は知らん
- 203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 15:52:09.20 ID:CoG1+qbC0.net
- >>199
三傑は誰かを語るスレなのに、失敗とか話そらしてんじゃねーよww
消えろよ!クソ荒らし野郎
- 204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 15:52:28.34 ID:4sTxAOiV0.net
- >>199
独立も主権も失ったのは、維新の三傑や十傑がいなくなってからだいぶ後のことだろ
- 205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 16:33:18.86 ID:UGD05nUu0.net
- だな。それなら関ヶ原で完全に島津毛利長宗我部を家臣まとめて潰しとけっつのw
- 206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 20:22:52.27 ID:1Q26/gyr0.net
- >>200
まあそれは日本だけじゃあるまい
- 207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 21:36:38.08 ID:itnicuSo0.net
- 西郷大久保は分かるけど木戸は違うだろ
3人目は岩倉だな
- 208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 00:38:42.39 ID:gjxgleL30.net
- >>199
大日本帝国の末路を考えると桶狭間の戦いは失敗だね
- 209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 00:50:11.75 ID:C57iRS/E0.net
- >>202
木戸は喜ぶだろう
しかしなかなか進まない復興などの政策には
いろいろ口出ししてくるだろうな
- 210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 03:58:04.31 ID:ZWs9hY9J0.net
- 木戸の評価が低いのは司馬史観のせい?
立憲君主制へ繋げたのは三傑の中でも木戸だけでは?
- 211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 06:52:29.23 ID:PNWmxH8B0.net
- 木戸が重要でないわけではないんだが、
岩倉使節団に参加した時はすでに過去の人になりかけてたのが1つ
あと憲法制定作業は左院(議長:後藤象二郎、副議長:江藤新平 他宮島誠一郎など)がリードしていて
明治5年4月には「立憲国議」や民選議院を提言した「下議院を設くるの議」が正院に提出されている
民法編纂も左院で始まってる。
ただ、左院で議論をリードした後藤や江藤は留守政府の中心人物になったあげく
明治6年政変で下野してしまったから…
- 212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 07:12:28.09 ID:6mSC87Sx0.net
- 憲法制定作業は
左院主導(明治3〜7)→元老院主導(明治9〜13)→明治14年政変で伊藤博文主導と変遷していて
左院(宮島・江藤・後藤)は空中分解、元老院(大木ら)のは岩倉・伊藤に潰されたから無視されてる
内容的にはかなり先進的
立憲君主制云々を言うなら、左院や元老院の作業のほうが圧倒的に大きいわけだしな
- 213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 07:50:27.82 ID:Lb/yMy3s0.net
- 明治国家って
大久保〜伊藤
西郷〜山県
ってラインだよね
それで木戸は?って考えた場合
確かにその系譜はどう受け継がれたんだろうって考える事はある
- 214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 10:23:27.71 ID:6cNqvSK5O.net
- 伊藤は木戸が育てたからこそのつながりだろ
権力的な価値観はおいといて
- 215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 11:25:36.47 ID:C2oQi1r+0.net
- 立憲君主制への道筋を説いていた点から言えば、伊藤西園寺が政治思想的には木戸の系譜かな。
板垣、大隈の政党活動はしょせん猟官運動でしかなかったわけで。
犬養なんかはその面受け継いで議員の立場から統帥権問題引き起こすアホやらかす。
政策的にいえば木戸は江戸以来の民憮的な発想が中心なんだけど、これは育った時代考えたらまあ仕方ないかなと。
国際金融絡んだ経済政策は2つ下の世代の高橋是清とか井上準之助の時代になってようやく色々手を打てるようになったし。
明治政府自体が創成期で政府が何をするか、民間が何をするかまだ曖昧。
だから渋沢栄一みたいな存在が重要になったりもした。
木戸の良さは具体的な政策が今という状況の中でどうバランスを取れるかを見抜くところだと思う。
逆に言えば具体的な成果とか結果とか残し辛い。
それが三傑は誰かという話になった時に木戸が外されやすい要因かな。
- 216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 13:39:48.09 ID:vJ5SzZp9O.net
- 木戸がいたから長州の暴発があのレベルで済んだ
- 217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 21:10:33.38 ID:KJ9T7+B30.net
- なんというか
木戸は有名な名前が二つあることで
イメージがわかりにくくなってる感がある
ドラマや小説での登場回数は桂>木戸
でも桂のままだったら維新の三傑に入らなかったような気もする
- 218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 21:15:54.15 ID:nSdeW7ay0.net
- > 西郷〜山県
このラインはよくわかんないな。
むしろ大村→山縣と思ってるんだけど
- 219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 21:37:45.78 ID:nSdeW7ay0.net
- >>215
> 木戸の良さは具体的な政策が今という状況の中でどうバランスを取れるかを見抜くところだと思う。
> 逆に言えば具体的な成果とか結果とか残し辛い。
> それが三傑は誰かという話になった時に木戸が外されやすい要因かな。
西郷が据え置きで木戸が外れる当たり、明治時代入ってからの政策をトータルで評価して
外しているというより、評価対象が慶応三年の京都の政局に集中してるせいな気がする。
活躍時期が微妙にズレるんだよなあ>西郷・大久保・木戸
- 220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 23:33:12.40 ID:fmUGbGQ70.net
- >>210の言う、木戸が立憲君主制に繋げたってのは、木戸が憲法制定作業って
実務に携わったって話じゃないと思うけど
左院主導の憲法制定作業が江藤後藤の下野でポシャった後、元老院設置までを繋いだって話じゃ?
そもそも、左院というか三院制自体も木戸のごり押しの賜物って印象なんだが
- 221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 00:57:34.22 ID:qkU8sPJk0.net
- 長州からのトップが木戸とかありえねえわ。
大楽源太郎のレベル。
普通に大村益次郎が妥当。
- 222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 02:03:57.33 ID:pESfstgX0.net
- 大村益次郎って傑物ってほど政治力はないな
長州藩的にもなんか亜流だし
- 223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 02:17:04.37 ID:exIn4qPD0.net
- >>220
もともと政体に関する腹案は新政府要人は多かれ少なかれ持ってる
立憲君主制の提言から言えば木戸が帰朝後に提言したものより、左院の建議のほうが早いし、
内容も先進的。木戸が出発するかしないかの頃にはもう草案詰めてるのだから。
左院では箕作麟祥のようなプロが翻訳に当たり、江藤新平が議論に当たり、後藤象二郎のバックアップを受ける、
という具合でかなり矢継早に草案出してるんだよね。
木戸の存在意義は乱暴に言えば長州閥の代表者というくらいだけど、実際は幕末ごろから広沢兵助が藩政で最高幹部の地位にあったし、
実務的能力ということになると広沢が上と思わざるを得ない面はある。
- 224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 03:05:34.05 ID:P6I8VzJYO.net
- 広沢は長州にいながら功山寺の挙兵にいなかったね
実務型の人間には間違いないけど、大村も同等で木戸がいたからこそ力を発揮できたんじゃないの
スキルはあるけど社長にはなれないって印象
- 225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 07:45:07.42 ID:0z0+RSiC0.net
- >>219
どちらかと言えば西郷がはずれるなあ
最終的に反乱起こして維新の足引っ張っちゃったから
ただ、木戸、大久保も活動時期としては微妙な期間もあるから
功績的にバランスとれば、西郷が入ってもいいかなという感じ
意図して作った三傑ではなく、やはりこの連中こそという存在感なんだろうね
- 226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 07:56:09.01 ID:g/sgXZpG0.net
- >>218
大久保 実務家
木戸 理想主義者(桂時代はネゴシエーター)
西郷 カリスマ
これが俺の勝手なイメージで
大久保の実務面を伊藤が引き継いだ
西郷のカリスマはカリスマ無き山縣が天皇をカリスマにして引き継いだ
こんなイメージ、ちなみに
大村 テクノクラート
小松 政治家
一番生きてて欲しかったのは小松かな
- 227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 08:44:59.38 ID:onoN27sA0.net
- >>223
いや、誰が早いかとか内容の先進性の話じゃなくて、政局の話。
そりゃ専門知識で言えば、幕末からずっと政治家やってた木戸より、学者の方が持ってるでしょ。
そういう専門知識もってるやつを起用して、バックアップするのが政治家なわけで
憲法導入に消極的な大久保と、早々に議会開設もとめる連中の間とって、斬新路線を
大久保に呑ませたあたりの事をいっている。
ついでに言えば先進的ならいいってもんでもない。
そもそもヨーロッパと日本の隔たり考えたら、左院は拙速、というのが木戸の意見だったかと。(うろ覚え)
- 228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 08:52:42.57 ID:onoN27sA0.net
- >>223
> 木戸の存在意義は乱暴に言えば長州閥の代表者というくらいだけど、実際は幕末ごろから広沢兵助が藩政で最高幹部の地位にあったし、
そうなん? 木戸と広沢は御互い相手のスペアという印象だった。
広沢興味あるけど、あんまり詳しくないな。その辺の広沢の役職詳しいならちょっと教えて欲しい。
>>224
> スキルはあるけど社長にはなれないって印象
桂と波多野の出世速度、というか仕事内容見てると桂かなりヤリ手だよなあ。
- 229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 19:33:51.45 ID:QIkO4OqT0.net
- 明治立憲体制に繋げる意見が木戸や大久保に集約していったのが重要なのでは?
テクノクラートは嫌いじゃないが、代わりはいくらでもいるのでは?
技術的なめんで大久保がダメになったら江藤あたりが台頭したりしそう。
大村自体が中折れして政策が山田などに引き継がれて木戸が取り上げられているし。
西郷ほどでなくとも大久保は薩摩幕府寄りに引きずられているので対抗軸は必要。
- 230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 19:36:33.89 ID:QIkO4OqT0.net
- どうもここで出てきた小松押しと広沢押しは藩内のリーダーシップ面の評価に片寄っているように思えるのだが。
勢力内の影響力を評価軸にするなら最高峰は勝になるのか?
- 231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 20:31:51.62 ID:OQTxyXj40.net
- えっ?w
- 232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 21:14:46.90 ID:onoN27sA0.net
- >>229
> テクノクラートは嫌いじゃないが、代わりはいくらでもいるのでは?
いくらでもっていうと、ちょっと江藤と大村が気の毒な感じはするなぁ。
この辺のテクノクラートは、明治の本当の最初期だとやっぱ希少だと思う。
確かに、留学生が育ったら取って代わられたであろう過渡期の人材だけどさ。
それ言ったらこのスレで名前出てる人、全員過渡期の人だし。
まあ、そういう近代国家に必要な人材を安定供給するために、留学生送ったり
学校制度整えたりするわけだから、その辺の国家戦略や方針たてる政治家を
上位に上げるべきだろうね。
じゃないと三傑どころか十傑でもおさまんない。
- 233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 11:39:44.94 ID:D7mzjdOg0.net
- >>229
西郷は幕府作ろうとしてたの?
- 234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 11:55:04.66 ID:J1Kb4d5Y0.net
- 西郷は邁進力∞
- 235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 20:47:46.83 ID:GQyeYGVZ0.net
- >>233
久光の息が掛かって引き面れるのが嫌で引退。
- 236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 21:08:57.04 ID:N4KSdisZ0.net
- 征韓論てなんだったんだろ?
新政府に集まってる人たちは国民国家の成立をみんな望んでたはずなのに
征韓論というささいな出来事から下野し
佐賀の乱から始まる不平士族の反乱にかつがれてしまう
なぜこんなことが起こったのだろう?
- 237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 21:13:52.99 ID:GQyeYGVZ0.net
- >>236
はず?猟官運動とか激しかったけど?
- 238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 21:28:23.27 ID:kbdaocHB0.net
- 士族なくす前に最後のボーナスステージくれるか政府高官のポストくれという要求が征韓論だと思う。
萩、佐賀、薩摩という新政府にも高官送り込んでいる藩閥元藩士も結局主流から外されたから乱を起こした。
土佐は元々一枚岩じゃない上に領袖の板垣自身がそんなに権力いらんけど、みんなの顔立ててみたいな感じだったし武力決起はなかった。
その後の民権運動という名の猟官運動でも板垣自身よりその下の世代、土佐閥にぶら下がるゴロツキが極端な行動したりだし。
そんな板垣だから大阪会議で大久保や木戸も妥協点見つけられたかなと。
多分大雑把な方針としては板垣より木戸の方がよほどリベラルで理念曲げないタイプだったから大久保は手こずっただろうねw
- 239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 21:38:54.65 ID:N4KSdisZ0.net
- >>238
んー?そうかな
江藤新平は有司専制と非難する建白書に参加していて
帰郷を大久保の思うつぼだと木戸らに止められているよね
しかも江藤は相当なフランスかぶれでいち早く民法導入してるし
旧体制の維持を望んでいるとは思えない、過激な革新派だと思う
島義勇も士官されていたにもかかわらず佐賀の乱に参加させられている。
下野は分かるとしても、そこから反乱への参加が意味不明すぎる
萩の乱でも前原一誠はなるべく反乱を抑えようとしたとあるし
- 240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 22:01:43.97 ID:GQyeYGVZ0.net
- >>239
祭り上げられて下僚の暴発に巻き込まれるのがパターン。
- 241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 22:01:49.80 ID:kbdaocHB0.net
- 担がれた奴らはな。
担いだ奴らは神輿があれば大義はあとからつけられるからそんな事はどーでも良い。
新政府内で主流から外れたあと帰京したら担がれるのは誰の目にも明らか。
最後の西郷の時なんかは佐官級ごっそり引き連れた形。
これで何を言い訳しても無理だろ。
担がれた奴らじゃなくて、乱に参加した数万の人間の思惑の方が時代を反映していると思うがどうだろう?
- 242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 22:11:35.58 ID:N4KSdisZ0.net
- でも、征韓論が単なるきっかけなのか、それとも
裏に何やら思惑があったと考えるのかでずいぶん解釈が変わってくる。
征韓論は実は士族の雇用先だったのかとか
でもそれなら大久保の台湾出兵の意味が分からなくなるし
因果関係を探ろうとするだけ無駄なのかな
あと、大きな反乱おこしたのって西側だけなんだよね
薩摩、佐賀、長州にちょっと特異な肥後が加わっているって感じ。
他の藩よりめぐまれてるはずなのになんで反乱おこしたのか
なまじ戦争に勝って政権をとったと思ってるから反乱をおこしたのか
なぜなんだろう
- 243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 22:50:06.18 ID:N4KSdisZ0.net
- そもそも攘夷論てなんだったんだろう。
萩の乱では松陰の家が相当かかわっていたとあるし
不平士族の反乱に強硬な攘夷思想が残存していたとは言えないだろうか?
wikiの攘夷論からの受け売りで申し訳ないが
攘夷の背景には朱子学的な名分論を換骨奪胎させた国学があり
ある種、貿易を文化思想侵略とする思想があったように思う。
というか、この考えは程度の差こそあれ、現代でも通用する部分があると思う。
オランダのプロパガンダという面もあるが、ある面では確かにスペインポルトガルは
キリスト教を使って他国を侵略していたし
オランダも英仏もキリスト教の布教はしないよう控えたものの
自由貿易という名で世界各地の市場と商売を行う一方
ヨーロッパの他国が自分の確保した市場に入ってこないように独占を試みた。
貿易港には富が集まり、はじめはwinwinの関係であったが、
貿易港を治外法権にとられ、富を吸い出されても力では対抗できないようになると
19世紀はじめには英仏にアジアの多くの国が植民地として従属をしいられていた。
これらはすべて港という経路を介しての文化や富の侵入であり、
既存文化や経済の破壊であるから、ここから貿易=悪とする考えが清や日本ではびこったとしても
おかしくはなかった。
- 244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 22:53:26.62 ID:kbdaocHB0.net
- 小泉改革の時と同じで勝ち馬に乗ったから大したことない奴まで勘違いして高望みした。
が、結局行政面では元幕府官吏とか実務経験あって有能なのが登用された。
大臣クラスの席は望むべくもなく。
一つ一つの事件や出来事に意味をつけようとし過ぎると無理があるかと。
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