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維新の三傑って誰なの?
- 1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/02(月) 20:20:40.63 ID:zoH+XKJ+0.net
- 戦国の三英傑
・織田信長
・豊臣秀吉
・徳川家康
↑文句なし
維新の三傑
・西郷隆盛
・大久保利通
・木戸孝允
↑えっ、この三人?
- 176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/31(火) 14:05:53.92 ID:knXxgme70.net
- 西郷、大久保、岩倉
- 177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/31(火) 14:09:25.46 ID:a/hZsa9Q0.net
- 周布が長生きしてたら周布?
- 178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/31(火) 19:46:25.74 ID:5/8U7U7h0.net
- >>175
旧体制は倒したけど、民衆の革命じゃないよな…頭がすげ変わっただけじゃねーのみたいな
近代国家として歩もうという気概はあるだろうけど
でもアメリカ独立もフランス革命も人が大量に死んだけど、本当に民衆だったのかな?という疑問はある
- 179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/31(火) 21:20:19.30 ID:fiLK+9TFO.net
- そもそも共和制目指してないしなぁ>明治維新
アメリカ、フランスと比べて民衆の革命かどうか、ていうのはなんか違う気がする。
というか、明治維新の意義は諸大名による割拠状態の解消だから
頭が徳川が薩長に代わっただけってことはない。
薩長自体もただの地方自治体に成り下がった。
- 180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/01(水) 05:03:41.63 ID:rgt5vfld0.net
- >>178
よくよく見なおせば頭すらすげ変わって無いのがわかるしね。
260年も太平の世が続いて使いもんにならなくなったチンピラを大量リストラしただけで。
実行犯だった元々下級階層連中は軒並み自滅、暗殺で粛清される。親分連中はいったん失職してもすぐもっと高待遇のポストにスライド。
本質は何も変わらなかった。
- 181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/01(水) 07:06:18.32 ID:tcmn8FYc0.net
- >>180
そりゃ王政復古だからね。
本質はかえちゃダメじゃね? 何を指して本質といってるかわからんけど、
ネットだと幕末の話するときに、無条件に徳川幕府を日本の正統政府と定義した上で
明治維新は薩長への政権交代に過ぎないって人結構多いよね。
そういうの見てると、明治以降の国民国家の造成という課題はかなり成果挙げてるんじゃないかと思う。
実際、現代人からすると幕権派の外様への疑心とか、諸藩の幕府への不信とか理解しがたいっていうか
お前ら普通に話し合えよ、とツッコミ入れたくなる
- 182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/01(水) 07:46:09.54 ID:dtP3FGUY0.net
- >>181
話し合えないような政治形態だったから、その状況で正当とは言えない状況だったんだろ
徳川幕府が正統とか言ってるのは開き直った佐幕派で、
やはり特定の武家がずっと政治のトップで居続ける構造も、それを支持する意見の信者も偏り過ぎなんだよ
>明治以降の国民国家の造成という課題はかなり成果挙げてる
国民が自由に民主主義形成の過程さえ否定的にぶつくさ言えるほど自由な状態に成長したのは
ある意味国民全体に教育を行き渡るようにした明治政府の希望だろうからね
もっとも、慢心してよくわからず権威っぽいものを叩けばいいと思ってるタイプが出てくる
という弊害もあるが
その時点で、かえってそういう自分側が悪く言われるようになる可能性も考えていたはずなのに
それでも国民を成長させることを優先した
そのある意味自己犠牲的なほどに国民を大事にした精神こそが、維新の志士の尊さだよ
- 183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/01(水) 08:13:51.98 ID:fNKCg5ReO.net
- 坂本龍馬を出すと怒られそうなこの雰囲気が恐い
- 184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/01(水) 09:02:56.37 ID:lYdu7kMV0.net
- >>178
お前あほだろ
> 民衆の革命じゃないよな…頭がすげ変わっただけじゃねーのみたいな
頭すげ変わっただけなら
徴兵制とか民選議会とか廃藩置県とか条約改正なんてめんどくせーことやらねーだろ
- 185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/01(水) 20:12:23.75 ID:6FKJuQEdO.net
- >>183
小説準拠でなければ怒られはしないんじゃね?
薩長同盟が龍馬のおかげというのは、木戸の主観(社交辞令込み)で過剰評価と思うけど
薩土盟約と大政奉還に対する貢献度ってどんなもんかね?
- 186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/01(水) 23:27:09.64 ID:NLY8XpW30.net
- まあ、他藩に顔の効くのが坂本ぐらいしかいなかったというのはあるしな。
維新で活躍して新政府でも重職についたのは結局、江戸遊学組とか京都詰めの交友関係の広かった人物が多いし。
外との交渉には内をまとめる必要もあるし、内をまとめるには外との繋がりを上手く使う必要もあっただろうし。
そういう中で難しい調整やリーダーシップを発揮した人が当然ながら重職になるわけだ。
維新の三傑、その中に入っていてもおかしくないという人を見るとまあ妥当なところかなと。
坂本が死ぬ直前から藩の重役として薩長との窓口になった後藤は結局バスに乗り遅れた組で新政府では明らかに蚊帳の外。
- 187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/03(金) 12:38:12.11 ID:4kalrse80.net
- そもそも三傑は劉邦が漢を樹立した時の特に功労があった3人が語源
蕭何・・・兵站と新政府内政担当 ⇒ 小松帯刀 → 大久保利通
張良・・・劉邦の軍師 ⇒ 大村益次郎
韓信・・・軍司令官 ⇒ 西郷隆盛(板垣退助)
つまり、
小松帯刀(大久保利通) 西郷隆盛 大村益次郎
- 188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/03(金) 14:17:38.94 ID:U3oMJr180.net
- 韓信の才能を見抜いたのは蕭何だから
大村益次郎を見抜いた木戸は蕭何みたいなもんじゃね?
- 189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/03(金) 14:31:43.18 ID:1IZ4IT1gO.net
- 兵站担当で小松と大久保ってのもなぁ
幕末だと各藩持ち寄りな上に、動員数の総数だと長州のが多いくらいじゃなかったっけ
漢の三傑は劉邦の部下の中での役割分担だから、元ネタに合わせて選ぶのは無理があるかと。
- 190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/03(金) 22:40:11.05 ID:iPk4TFgT0.net
- 三傑の中でもショウカは別格だからなあ。
韓信、張良はいなくても何とかなっただろうけどショウカの行政、平坦、政治駆け引きの辣腕ぶり異常だよ。
管仲と並ぶ古代中華の化け物。
三傑というゴロや講談的な話で三傑選ぶならその三人でしょうというぐらいのもんで。
維新三傑を選ぶ際にショウカ並みの化け物いないのは日本的で良いような気がするw
- 191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/03(金) 23:18:27.01 ID:BLQSioxj0.net
- 蕭何なみの化け物はいない、というか韓信・張良相当もいるかというと……
明治維新までくると、史料残りまくってるから古代の英傑みたいに神格化しづらいよね。
もう既に英雄の時代じゃないって感じ。
- 192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/04(土) 03:15:17.74 ID:ikT3B8zR0.net
- そりゃ時代が全然違うからな
- 193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/04(土) 08:36:40.69 ID:1KCyTqTU0.net
- 官軍の主力=薩摩
小松帯刀はその薩摩藩の家老で
勝手掛(内政)・軍務掛(軍事)・琉球掛・産物方(産業)・唐物方(貿易)
・製薬方・蒸気船(造船)
これらの職務を兼任してさらに京都外交の全権担当者
倒幕までなら蕭何以上じゃないだろうか
- 194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/04(土) 11:21:24.87 ID:gctMtX0m0.net
- 蕭何相当がいないっていうのは、そもそも幕末の戦闘で、いつでもどこでも望みに応じて
兵力と兵糧を送り出す謎兵站能力を発揮した例がないって話じゃない?
- 195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/04(土) 11:21:35.98 ID:0LEtF/cH0.net
- お金と人脈作ってね担当
- 196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/05(日) 05:32:58.17 ID:bndMdNSd0.net
- そうか。そもそも維新が失敗革命だったっていう立場でものを語るのなら、三悪党になるのか。
そりゃもう決まってる。岩倉具視、木戸孝允、勝海舟だ。ああ、スッキリした。
- 197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/05(日) 07:37:37.89 ID:sp7pH2wM0.net
- どう見ても成功しているのに失敗とか、僻みは醜いのう
- 198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/05(日) 07:41:13.66 ID:xIXmjFOq0.net
- >>194
それに一極じゃないしねえ。
- 199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 07:17:50.86 ID:XCzlpYWt0.net
- 維新の産物である大日本帝国の末路を考えると、失敗以外の何物でもない。
アヘン戦争の衝撃で、独立を維持するため「万国対峙」「富国強兵」をめざしたものの、
結局、白人の武力に屈服し、独立も主権も失って、異民族の支配に甘んじる結果になった。
幕末の尊王攘夷の志士が見たら、死んでも死にきれない体たらくになって現在に至る。
- 200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 11:23:16.09 ID:ITfoxOgMO.net
- 今の日本の繁栄っぷり見て文句言うのもどうかと思うがね
まあ、個人主義が行き過ぎになってキテ
心が貧しい奴が増えてきているのは問題だが
- 201 :正理会:2015/04/06(月) 13:02:28.67 ID:f5rY/vCh0.net
- 『天皇陛下のことを玉体(ぎょくたい)と言うのです。
日本神道で言う玉留産霊(たまつめむすび)の玉体です。
天皇がいない国は、国民がバラバラになってしまいます。』
by中杉弘のブログより
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/
http://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi
- 202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 14:55:43.78 ID:ejYjvW3p0.net
- >>199
大久保は喜ぶと思うよ
西郷は怒り狂ってまた内乱を起こすかも
木戸は知らん
- 203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 15:52:09.20 ID:CoG1+qbC0.net
- >>199
三傑は誰かを語るスレなのに、失敗とか話そらしてんじゃねーよww
消えろよ!クソ荒らし野郎
- 204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 15:52:28.34 ID:4sTxAOiV0.net
- >>199
独立も主権も失ったのは、維新の三傑や十傑がいなくなってからだいぶ後のことだろ
- 205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 16:33:18.86 ID:UGD05nUu0.net
- だな。それなら関ヶ原で完全に島津毛利長宗我部を家臣まとめて潰しとけっつのw
- 206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 20:22:52.27 ID:1Q26/gyr0.net
- >>200
まあそれは日本だけじゃあるまい
- 207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/06(月) 21:36:38.08 ID:itnicuSo0.net
- 西郷大久保は分かるけど木戸は違うだろ
3人目は岩倉だな
- 208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 00:38:42.39 ID:gjxgleL30.net
- >>199
大日本帝国の末路を考えると桶狭間の戦いは失敗だね
- 209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 00:50:11.75 ID:C57iRS/E0.net
- >>202
木戸は喜ぶだろう
しかしなかなか進まない復興などの政策には
いろいろ口出ししてくるだろうな
- 210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 03:58:04.31 ID:ZWs9hY9J0.net
- 木戸の評価が低いのは司馬史観のせい?
立憲君主制へ繋げたのは三傑の中でも木戸だけでは?
- 211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 06:52:29.23 ID:PNWmxH8B0.net
- 木戸が重要でないわけではないんだが、
岩倉使節団に参加した時はすでに過去の人になりかけてたのが1つ
あと憲法制定作業は左院(議長:後藤象二郎、副議長:江藤新平 他宮島誠一郎など)がリードしていて
明治5年4月には「立憲国議」や民選議院を提言した「下議院を設くるの議」が正院に提出されている
民法編纂も左院で始まってる。
ただ、左院で議論をリードした後藤や江藤は留守政府の中心人物になったあげく
明治6年政変で下野してしまったから…
- 212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 07:12:28.09 ID:6mSC87Sx0.net
- 憲法制定作業は
左院主導(明治3〜7)→元老院主導(明治9〜13)→明治14年政変で伊藤博文主導と変遷していて
左院(宮島・江藤・後藤)は空中分解、元老院(大木ら)のは岩倉・伊藤に潰されたから無視されてる
内容的にはかなり先進的
立憲君主制云々を言うなら、左院や元老院の作業のほうが圧倒的に大きいわけだしな
- 213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 07:50:27.82 ID:Lb/yMy3s0.net
- 明治国家って
大久保〜伊藤
西郷〜山県
ってラインだよね
それで木戸は?って考えた場合
確かにその系譜はどう受け継がれたんだろうって考える事はある
- 214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 10:23:27.71 ID:6cNqvSK5O.net
- 伊藤は木戸が育てたからこそのつながりだろ
権力的な価値観はおいといて
- 215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 11:25:36.47 ID:C2oQi1r+0.net
- 立憲君主制への道筋を説いていた点から言えば、伊藤西園寺が政治思想的には木戸の系譜かな。
板垣、大隈の政党活動はしょせん猟官運動でしかなかったわけで。
犬養なんかはその面受け継いで議員の立場から統帥権問題引き起こすアホやらかす。
政策的にいえば木戸は江戸以来の民憮的な発想が中心なんだけど、これは育った時代考えたらまあ仕方ないかなと。
国際金融絡んだ経済政策は2つ下の世代の高橋是清とか井上準之助の時代になってようやく色々手を打てるようになったし。
明治政府自体が創成期で政府が何をするか、民間が何をするかまだ曖昧。
だから渋沢栄一みたいな存在が重要になったりもした。
木戸の良さは具体的な政策が今という状況の中でどうバランスを取れるかを見抜くところだと思う。
逆に言えば具体的な成果とか結果とか残し辛い。
それが三傑は誰かという話になった時に木戸が外されやすい要因かな。
- 216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 13:39:48.09 ID:vJ5SzZp9O.net
- 木戸がいたから長州の暴発があのレベルで済んだ
- 217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 21:10:33.38 ID:KJ9T7+B30.net
- なんというか
木戸は有名な名前が二つあることで
イメージがわかりにくくなってる感がある
ドラマや小説での登場回数は桂>木戸
でも桂のままだったら維新の三傑に入らなかったような気もする
- 218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 21:15:54.15 ID:nSdeW7ay0.net
- > 西郷〜山県
このラインはよくわかんないな。
むしろ大村→山縣と思ってるんだけど
- 219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 21:37:45.78 ID:nSdeW7ay0.net
- >>215
> 木戸の良さは具体的な政策が今という状況の中でどうバランスを取れるかを見抜くところだと思う。
> 逆に言えば具体的な成果とか結果とか残し辛い。
> それが三傑は誰かという話になった時に木戸が外されやすい要因かな。
西郷が据え置きで木戸が外れる当たり、明治時代入ってからの政策をトータルで評価して
外しているというより、評価対象が慶応三年の京都の政局に集中してるせいな気がする。
活躍時期が微妙にズレるんだよなあ>西郷・大久保・木戸
- 220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/07(火) 23:33:12.40 ID:fmUGbGQ70.net
- >>210の言う、木戸が立憲君主制に繋げたってのは、木戸が憲法制定作業って
実務に携わったって話じゃないと思うけど
左院主導の憲法制定作業が江藤後藤の下野でポシャった後、元老院設置までを繋いだって話じゃ?
そもそも、左院というか三院制自体も木戸のごり押しの賜物って印象なんだが
- 221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 00:57:34.22 ID:qkU8sPJk0.net
- 長州からのトップが木戸とかありえねえわ。
大楽源太郎のレベル。
普通に大村益次郎が妥当。
- 222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 02:03:57.33 ID:pESfstgX0.net
- 大村益次郎って傑物ってほど政治力はないな
長州藩的にもなんか亜流だし
- 223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 02:17:04.37 ID:exIn4qPD0.net
- >>220
もともと政体に関する腹案は新政府要人は多かれ少なかれ持ってる
立憲君主制の提言から言えば木戸が帰朝後に提言したものより、左院の建議のほうが早いし、
内容も先進的。木戸が出発するかしないかの頃にはもう草案詰めてるのだから。
左院では箕作麟祥のようなプロが翻訳に当たり、江藤新平が議論に当たり、後藤象二郎のバックアップを受ける、
という具合でかなり矢継早に草案出してるんだよね。
木戸の存在意義は乱暴に言えば長州閥の代表者というくらいだけど、実際は幕末ごろから広沢兵助が藩政で最高幹部の地位にあったし、
実務的能力ということになると広沢が上と思わざるを得ない面はある。
- 224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 03:05:34.05 ID:P6I8VzJYO.net
- 広沢は長州にいながら功山寺の挙兵にいなかったね
実務型の人間には間違いないけど、大村も同等で木戸がいたからこそ力を発揮できたんじゃないの
スキルはあるけど社長にはなれないって印象
- 225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 07:45:07.42 ID:0z0+RSiC0.net
- >>219
どちらかと言えば西郷がはずれるなあ
最終的に反乱起こして維新の足引っ張っちゃったから
ただ、木戸、大久保も活動時期としては微妙な期間もあるから
功績的にバランスとれば、西郷が入ってもいいかなという感じ
意図して作った三傑ではなく、やはりこの連中こそという存在感なんだろうね
- 226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 07:56:09.01 ID:g/sgXZpG0.net
- >>218
大久保 実務家
木戸 理想主義者(桂時代はネゴシエーター)
西郷 カリスマ
これが俺の勝手なイメージで
大久保の実務面を伊藤が引き継いだ
西郷のカリスマはカリスマ無き山縣が天皇をカリスマにして引き継いだ
こんなイメージ、ちなみに
大村 テクノクラート
小松 政治家
一番生きてて欲しかったのは小松かな
- 227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 08:44:59.38 ID:onoN27sA0.net
- >>223
いや、誰が早いかとか内容の先進性の話じゃなくて、政局の話。
そりゃ専門知識で言えば、幕末からずっと政治家やってた木戸より、学者の方が持ってるでしょ。
そういう専門知識もってるやつを起用して、バックアップするのが政治家なわけで
憲法導入に消極的な大久保と、早々に議会開設もとめる連中の間とって、斬新路線を
大久保に呑ませたあたりの事をいっている。
ついでに言えば先進的ならいいってもんでもない。
そもそもヨーロッパと日本の隔たり考えたら、左院は拙速、というのが木戸の意見だったかと。(うろ覚え)
- 228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 08:52:42.57 ID:onoN27sA0.net
- >>223
> 木戸の存在意義は乱暴に言えば長州閥の代表者というくらいだけど、実際は幕末ごろから広沢兵助が藩政で最高幹部の地位にあったし、
そうなん? 木戸と広沢は御互い相手のスペアという印象だった。
広沢興味あるけど、あんまり詳しくないな。その辺の広沢の役職詳しいならちょっと教えて欲しい。
>>224
> スキルはあるけど社長にはなれないって印象
桂と波多野の出世速度、というか仕事内容見てると桂かなりヤリ手だよなあ。
- 229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 19:33:51.45 ID:QIkO4OqT0.net
- 明治立憲体制に繋げる意見が木戸や大久保に集約していったのが重要なのでは?
テクノクラートは嫌いじゃないが、代わりはいくらでもいるのでは?
技術的なめんで大久保がダメになったら江藤あたりが台頭したりしそう。
大村自体が中折れして政策が山田などに引き継がれて木戸が取り上げられているし。
西郷ほどでなくとも大久保は薩摩幕府寄りに引きずられているので対抗軸は必要。
- 230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 19:36:33.89 ID:QIkO4OqT0.net
- どうもここで出てきた小松押しと広沢押しは藩内のリーダーシップ面の評価に片寄っているように思えるのだが。
勢力内の影響力を評価軸にするなら最高峰は勝になるのか?
- 231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 20:31:51.62 ID:OQTxyXj40.net
- えっ?w
- 232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/08(水) 21:14:46.90 ID:onoN27sA0.net
- >>229
> テクノクラートは嫌いじゃないが、代わりはいくらでもいるのでは?
いくらでもっていうと、ちょっと江藤と大村が気の毒な感じはするなぁ。
この辺のテクノクラートは、明治の本当の最初期だとやっぱ希少だと思う。
確かに、留学生が育ったら取って代わられたであろう過渡期の人材だけどさ。
それ言ったらこのスレで名前出てる人、全員過渡期の人だし。
まあ、そういう近代国家に必要な人材を安定供給するために、留学生送ったり
学校制度整えたりするわけだから、その辺の国家戦略や方針たてる政治家を
上位に上げるべきだろうね。
じゃないと三傑どころか十傑でもおさまんない。
- 233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 11:39:44.94 ID:D7mzjdOg0.net
- >>229
西郷は幕府作ろうとしてたの?
- 234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 11:55:04.66 ID:J1Kb4d5Y0.net
- 西郷は邁進力∞
- 235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 20:47:46.83 ID:GQyeYGVZ0.net
- >>233
久光の息が掛かって引き面れるのが嫌で引退。
- 236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 21:08:57.04 ID:N4KSdisZ0.net
- 征韓論てなんだったんだろ?
新政府に集まってる人たちは国民国家の成立をみんな望んでたはずなのに
征韓論というささいな出来事から下野し
佐賀の乱から始まる不平士族の反乱にかつがれてしまう
なぜこんなことが起こったのだろう?
- 237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 21:13:52.99 ID:GQyeYGVZ0.net
- >>236
はず?猟官運動とか激しかったけど?
- 238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 21:28:23.27 ID:kbdaocHB0.net
- 士族なくす前に最後のボーナスステージくれるか政府高官のポストくれという要求が征韓論だと思う。
萩、佐賀、薩摩という新政府にも高官送り込んでいる藩閥元藩士も結局主流から外されたから乱を起こした。
土佐は元々一枚岩じゃない上に領袖の板垣自身がそんなに権力いらんけど、みんなの顔立ててみたいな感じだったし武力決起はなかった。
その後の民権運動という名の猟官運動でも板垣自身よりその下の世代、土佐閥にぶら下がるゴロツキが極端な行動したりだし。
そんな板垣だから大阪会議で大久保や木戸も妥協点見つけられたかなと。
多分大雑把な方針としては板垣より木戸の方がよほどリベラルで理念曲げないタイプだったから大久保は手こずっただろうねw
- 239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 21:38:54.65 ID:N4KSdisZ0.net
- >>238
んー?そうかな
江藤新平は有司専制と非難する建白書に参加していて
帰郷を大久保の思うつぼだと木戸らに止められているよね
しかも江藤は相当なフランスかぶれでいち早く民法導入してるし
旧体制の維持を望んでいるとは思えない、過激な革新派だと思う
島義勇も士官されていたにもかかわらず佐賀の乱に参加させられている。
下野は分かるとしても、そこから反乱への参加が意味不明すぎる
萩の乱でも前原一誠はなるべく反乱を抑えようとしたとあるし
- 240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 22:01:43.97 ID:GQyeYGVZ0.net
- >>239
祭り上げられて下僚の暴発に巻き込まれるのがパターン。
- 241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 22:01:49.80 ID:kbdaocHB0.net
- 担がれた奴らはな。
担いだ奴らは神輿があれば大義はあとからつけられるからそんな事はどーでも良い。
新政府内で主流から外れたあと帰京したら担がれるのは誰の目にも明らか。
最後の西郷の時なんかは佐官級ごっそり引き連れた形。
これで何を言い訳しても無理だろ。
担がれた奴らじゃなくて、乱に参加した数万の人間の思惑の方が時代を反映していると思うがどうだろう?
- 242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 22:11:35.58 ID:N4KSdisZ0.net
- でも、征韓論が単なるきっかけなのか、それとも
裏に何やら思惑があったと考えるのかでずいぶん解釈が変わってくる。
征韓論は実は士族の雇用先だったのかとか
でもそれなら大久保の台湾出兵の意味が分からなくなるし
因果関係を探ろうとするだけ無駄なのかな
あと、大きな反乱おこしたのって西側だけなんだよね
薩摩、佐賀、長州にちょっと特異な肥後が加わっているって感じ。
他の藩よりめぐまれてるはずなのになんで反乱おこしたのか
なまじ戦争に勝って政権をとったと思ってるから反乱をおこしたのか
なぜなんだろう
- 243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 22:50:06.18 ID:N4KSdisZ0.net
- そもそも攘夷論てなんだったんだろう。
萩の乱では松陰の家が相当かかわっていたとあるし
不平士族の反乱に強硬な攘夷思想が残存していたとは言えないだろうか?
wikiの攘夷論からの受け売りで申し訳ないが
攘夷の背景には朱子学的な名分論を換骨奪胎させた国学があり
ある種、貿易を文化思想侵略とする思想があったように思う。
というか、この考えは程度の差こそあれ、現代でも通用する部分があると思う。
オランダのプロパガンダという面もあるが、ある面では確かにスペインポルトガルは
キリスト教を使って他国を侵略していたし
オランダも英仏もキリスト教の布教はしないよう控えたものの
自由貿易という名で世界各地の市場と商売を行う一方
ヨーロッパの他国が自分の確保した市場に入ってこないように独占を試みた。
貿易港には富が集まり、はじめはwinwinの関係であったが、
貿易港を治外法権にとられ、富を吸い出されても力では対抗できないようになると
19世紀はじめには英仏にアジアの多くの国が植民地として従属をしいられていた。
これらはすべて港という経路を介しての文化や富の侵入であり、
既存文化や経済の破壊であるから、ここから貿易=悪とする考えが清や日本ではびこったとしても
おかしくはなかった。
- 244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 22:53:26.62 ID:kbdaocHB0.net
- 小泉改革の時と同じで勝ち馬に乗ったから大したことない奴まで勘違いして高望みした。
が、結局行政面では元幕府官吏とか実務経験あって有能なのが登用された。
大臣クラスの席は望むべくもなく。
一つ一つの事件や出来事に意味をつけようとし過ぎると無理があるかと。
- 245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 23:07:01.53 ID:J1Kb4d5Y0.net
- 革命家達が革命後に老害化してしまうことを大村は恐れていたみたいだね。
韓信が粛清されたように、主流から外れた武力は国家の脅威となるから、自ずと排除の対象となる。そのあたりを西郷が察していたのかそうでなかったのかは今でも不明だが、他と合流するわけでもなく暴発に身を委ねて滅びゆく様は、英雄にふさわしいのではないかと。
- 246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 23:32:07.44 ID:N4KSdisZ0.net
- 幕府はそれまで長崎沖縄アイヌ対馬の四口に貿易を制限しており
貿易がなかったわけではないが、貿易による不利益を最大限制限しようとしてきた。
そして貿易をする理由も、経済的利益ではなく、情報にあったようにすら思われ、攘夷のための貿易だったのではなかろうか。
寛政には幕府の公的学問所では異学の禁が行われるものの
実際はキリスト教以外の西洋書を翻訳した漢籍が大量に日本に入ってきており
とくに蘭医学の研究は民間で盛んにされており、伊能忠敬の日本地図などその影響を受けている。
一方、攘夷論者も、たとえば吉田松陰や佐久間象山も、攘夷を唱えつつも西洋の技術を受け入れることを別に否定していない。
また攘夷で有名な水戸学を簡単にまとめれば、天皇を中心とした国家体制の強化、産業振興、人材育成採用
適所適材、外国の攻撃から身を守るだけの戦略、武装を調えて、その国力によってこれまで通り
外国とは極力かかわらないようにしようというものであるが、同時に孫子が引かれ、敵を知ることも重要視されている。
そもそも水戸学は既存の体制を保守するために門閥を乗り越えて優秀な者を登用するというある種矛盾をかかえており、
明治維新の萌芽を内包させている。
では攘夷論者は何に不満をもっていたのか。開国論者、特に武備開国と言われた斉彬らとは何がちがっていたのか。
思うに、外国の脅威、あるいは外国が戦争を仕掛けてきたときに
どの程度の準備によって自国が勝つことができるかの具体的なビジョンの違いであると思う。
伊藤や井上、高杉は下関戦争の欧米による第一次反撃のときに上海に赴いているが
そこで軍艦の多さを目にして条約破棄を目的とした攘夷を諦めている。
その後、帰国して同輩を説得するが、禁門の変、下関戦争の第二次反撃と敗北を味わうまで軍制改革が進まないでいる。
一方、幕府側も開国当初、廃藩置県までの考えには至っていないと思われる。
長州征伐に敗北したことから、幕府の軍制改革は明らかに遅れており、これが彼らのビジョンの先見性のなさを示している。
結果から先に言えば、大久保がしたように欧米秩序に組み込まれることでしか、日本は自国の安全保障を維持できなかった。と思われる。
それに朝鮮の攘夷派のようにゲリラや焦土作戦をも辞さない覚悟で望めと政府に迫ったのが士族たちであったのではないか。
しかし、佐賀は倒幕に最後の最後に参加しただけでそれまでずっと慎重な態度で事態を見守っていただけ。
そのような推論もやや全体を説明づけるには弱いように思う。
- 247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 01:29:54.48 ID:jlwb0ec+0.net
- >>245
西郷には西郷の都合があったというだけかと
維新でも英雄と呼ばれた人達は意図してかっこよく死のうとかしたというよりは
激動の中でその人物にしかできないことを命がけでして死んでいったというだけ
西郷を担がれただけとするのは何か無理がある
薩摩の状況を見るに、やはり薩摩が中心の政府を新たに作ろうとしていたと考えた方がしっくりくる
- 248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 02:12:57.68 ID:hyWLXxb00.net
- >>247
西郷の意思はどうあれ結果的に乱は制圧されているので、武力を背景にする政治から、より民主的な政治に移行されたところが当時のその直後の人たちの共感を得たのではないかとも思う。実際最後の士族の反乱になった点も直近の反乱分子への抑止力にもなっている。
西郷は旧薩摩藩内の教育を通じて全国の見本としたかったところへ有頂天になった西郷を慕う軍人たちが集まり、結果、小さな国が形成される形となったとすれば、政府との衝突は必然だったのではとも考えられる。
人望がありすぎた所以の流れではないか。
と言っても、完全に政府に従順の意を示さなかった点は弁護の余地はないが。
- 249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 07:32:06.16 ID:OXen8Nn10.net
- 留守政府の面々によるその後の歴史を見たかった
薩摩長州よりも肥前土佐の方が多いやんw
なんで簡単に下野しちゃうかな
自分がその立場なら絶対に地位にしがみつくけどなw
- 250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 08:43:01.55 ID:tiFm20j20.net
- >>249
その時々で選択していったことなんだから
そういうイフの話してもしかたないわ
下野した結果暴れるという者はその程度ということで
- 251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 10:00:36.53 ID:OvDzua4g0.net
- 西郷も下野して暴れたそこまでの人物で
大久保も暴政が行き過ぎて暗殺されただけの人物だと
- 252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 10:22:27.35 ID:w/H0KjZtO.net
- 広沢や大村、横井も小物に反感かって暗殺されただけの人物だね
- 253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 12:36:35.74 ID:JqJaBuOnO.net
- 下野して反乱起こした連中よりは
踏みとどまった連中のほうが偉いとは思う
暴れるだけなら野蛮人でもできるし
日本を近代化させようとする維新のはずが
自分の不満で早速にぶっ壊そうとするのは感心できない
- 254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 12:51:01.37 ID:JqJaBuOnO.net
- >>241-244
維新の勢力でもトップの方は明確な志と危機感を持って命懸けで改革を目指していたが
勝ち馬に乗ろうとするだけの烏合の衆みたいなのも多くくっついていて
そいつらは目先の利益しか考えないから改革などについていける頭もない
維新は単純に幕府との戦いではなく
古い価値観にぶら下がってるだけの連中との戦いだったとも言えるだろうね
- 255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 13:01:37.58 ID:hyWLXxb00.net
- まあ、そういう感情は上に立った者にしかわからないところなんだよね
- 256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 22:23:22.81 ID:UW11aBHR0.net
- いわゆる三傑は鳥羽伏見までの三傑?
- 257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 22:56:33.58 ID:cASC8LQ90.net
- > いわゆる三傑
史実の三傑なら、むしろ鳥羽伏見以降な気がする。
西郷、大久保、木戸が朝廷の臣として藩から浮き上がった存在になったのは
明治入ってからだと思うし。
- 258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 03:00:41.66 ID:XE3z7Z9W0.net
- 西郷 大久保 岩倉
- 259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 06:00:46.50 ID:w9PKX0080.net
- 抽出 ID:N4KSdisZ0 (5回)
全文コピーしてメモに保存させていただきました。貿易悪玉論か!なるほど、そういう考え方もあったのだな。
- 260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 06:19:27.77 ID:drUjErks0.net
- >>259
維新の前にテロったり弾圧したり、後で暗殺や反乱起こしているのは、大半はただの小中華思想かと。
漢字だって輸入品、良いものは取り入れようぜ、負けないように、とか言ってるところされちゃうんだぜ。
- 261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 06:24:01.55 ID:olYZJNbi0.net
- 小攘夷と大攘夷の違いは早くから議論されてる
- 262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 06:29:37.50 ID:olYZJNbi0.net
- ただ大攘夷が想定していた開国がどの程度だったのか不明。
明治維新はやりすぎな感がある。
岩倉や大久保はヨーロッパ見て度胆をぬかれたんだろうな
- 263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 12:44:50.41 ID:1QuXk9al0.net
- 大攘夷って、結局開国の方便って感じするけどね。
海外に対して忌避的な当時の人間を鼓舞して、海外に目を向けさせるためというか。
明治維新がやりすぎに感じるレベルで、西洋文化取り入れたのは、↑の意識変革を
企図した部分もあると思うけど、既存の秩序体系を破壊したうえで新たに自分を権威づけ
しようと思ったら、よそから持ってこなきゃいけなかったんじゃないかと。
王政復古って言ったって、本当に七百年前にもどすわけにもいかないし、上辺だけ
戻してみてもコスプレにしかならない。
江戸時代の服制とか髪型とか言語とか、身分とか出身地の区別するものだから
均一的な「日本人」を作ろうと思ったら、大々的な文化破壊になったというか……。
- 264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 12:48:54.56 ID:1QuXk9al0.net
- >>263
追加
髪型はさておき、服装については戦前はまだ仕事着以外は和服デフォみたいな
感じだったとは思うけどね。
- 265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 21:58:35.76 ID:olYZJNbi0.net
- いや、うわべだけ西洋文化を入れたほうがコスプレだろ
- 266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 23:35:13.46 ID:aJQykmBQO.net
- 時代が変わっていて、それについていこうとする改革だから
立ち往生しているような態度ではダメだろ
復古というのは日本人の本来の精神に立ち返るみたいなもので
昔のまんまに再現なんてアホっぽいことするわけじゃないからな
日本が変われば周囲の国も変わるしな
- 267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 23:56:03.56 ID:1QuXk9al0.net
- >>265
うん、同じコスプレなら機能性が高い方がマシという話。
あとさ、中国の掲示板とかでさ、漢服とかの写真見てるとさ、やっぱコスプレって思うのよ。
彼らからすると(日本人の想定する一般的な)チャイナ服って満州族の伝統服だから、
漢民族の伝統復古させたいみたいなのがあるっぽいんだけどさ。
明代の服制と現代に至る迄にどうしようもない程の断絶があるわけで。
日本の場合そういう断絶はないけど、数百年にわたって変化し続けたもの拒絶して
昔に戻すってのもやはり断絶っていうか、すごい溝が生じるんだよ。
というかね、今更男子はみんな月代、制服は上下袴って言われるのと大して変わらん。
- 268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 23:59:28.78 ID:1QuXk9al0.net
- と、実際に直垂着て仕事させられていた明治初期の官僚の気分を(勝手に)代弁してみた。
- 269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 00:05:51.75 ID:q/sOBTTc0.net
- >>267
服装と近代化はペアなのか?
いまいち意味がわからん
- 270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 00:08:33.95 ID:aZvWtYqE0.net
- 見た目の変化は分かり易いんで服装とか儀式的なものは広報的に使われるという話じゃないかな?
- 271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 00:45:20.28 ID:AcwMi1Jv0.net
- >>263
そう。明治維新がもたらした結果を成功か失敗かという論点で語り出したらまさにそこに行き着くのだ。
実際はそれまで存在しなかった「日本というクニ」を無理やり造ろうとした結果が、結局は極端な欧化政策だった。
小中華思想は欧州礼賛絶対追従へとすげ変わってしまった。脱亜入欧なんて言って。
強引極まりない暦法の改正統一、凶悪な文化破壊の廃仏毀釈、土地のいい加減極まりない農民への私有化はその最たるものだと。
こう語るには江戸幕府は日本を統一したのでは無く日本という枠組みの完成を260年以上遅らせてしまった、という前段階が出てくるのだが。
- 272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 00:52:41.68 ID:q/sOBTTc0.net
- 廃仏毀釈なんて国学の影響じゃん
暦法の改正も給料払えなかったからだし
服装も庶民はずっと和装じゃん
戦後の話なら分かるが、あれはアメリカの差し金だろ?
- 273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 02:50:08.37 ID:AcwMi1Jv0.net
- そもそも明治期から広まった「和服」の様式はもともとは「呉服」である。
あんな高級な衣装は世界遺産にもなった大規模紡績技術が西欧から導入されて後です。
このあたりからして、日本の伝統なんてもののそもそものあやふやさが露見するのです。
私達の祖先、それもそんな遠くないせいぜい6〜7世代前の住んでいた日本列島ってものはもっと多様で多文化だった。
国民国家ってものを形成するのに、そういった多様性は有害、と時のテクノクラート達、「維新の元勲」以下官僚達に受け取られたのだろうな。
一つの国家、一つの民族、一つの思想。それこそが歴史。昔からそうだったのだ。そんなものを強調するところ、今の共産党独裁中国に似てる。
いや、何のことはない。東アジア、東洋漢字文化圏における西欧文明の移植は、そもそも日本から始まったムーブメントなのだから。こちらが先なのだ。
- 274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 03:57:18.90 ID:q/sOBTTc0.net
- 言いたいこといっぱいあるんだが
とりま、極端な欧化政策ってやつはどこ行ったんだ
つーかその、話してるうちに何がトピックがわからなくなるやつやめろよ
イラつかせようと思ってないなら、親切で言っておいてやるけどそれ、それぜんぜんおもしろくないよ
- 275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 08:56:23.13 ID:w/puA1A30.net
- >>269
ごめん、コスプレという単語に引きずられて話がそれた。
制度方面についても似たようなもんだと思うけど。
ただ、個人的には明治維新の西洋文化導入がコスプレとは思ってない。
(服装とか建築とかそういう上辺部分はさておき)
木戸が明治二年の普通教育に関する建白の中で「政府に英雄が2,3人いても人民が
アホじゃ意味ない」というようなこと書いてるんだけど
幕府が安政の条約結んだ時、「幕閣には英雄がいない」みたいなこと言って歎いていた
ヤツがこういうこと言うようになったのが、幕末という時代なんだと思う。
こういう、社会の進展にそった国家体制を構築しようと思ったら、旧に復するというのは
まあ無理で、他所で実績のある体制を持ってくることにるんじゃないかと。
大体ヨソの体制参考にするって、どこの国でもやってるしなぁ。
そいういうのを、欧米化とかなんとか言うの好きじゃないな。
一から自分らで構築しようと思ったら、それこそ何十年単位でグダグダすることになる。
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