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維新の三傑って誰なの?

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/02(月) 20:20:40.63 ID:zoH+XKJ+0.net
戦国の三英傑
・織田信長
・豊臣秀吉
・徳川家康
↑文句なし

維新の三傑
・西郷隆盛
・大久保利通
・木戸孝允
↑えっ、この三人?

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 23:07:01.53 ID:J1Kb4d5Y0.net
革命家達が革命後に老害化してしまうことを大村は恐れていたみたいだね。
韓信が粛清されたように、主流から外れた武力は国家の脅威となるから、自ずと排除の対象となる。そのあたりを西郷が察していたのかそうでなかったのかは今でも不明だが、他と合流するわけでもなく暴発に身を委ねて滅びゆく様は、英雄にふさわしいのではないかと。

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 23:32:07.44 ID:N4KSdisZ0.net
幕府はそれまで長崎沖縄アイヌ対馬の四口に貿易を制限しており
貿易がなかったわけではないが、貿易による不利益を最大限制限しようとしてきた。
そして貿易をする理由も、経済的利益ではなく、情報にあったようにすら思われ、攘夷のための貿易だったのではなかろうか。
寛政には幕府の公的学問所では異学の禁が行われるものの
実際はキリスト教以外の西洋書を翻訳した漢籍が大量に日本に入ってきており
とくに蘭医学の研究は民間で盛んにされており、伊能忠敬の日本地図などその影響を受けている。

一方、攘夷論者も、たとえば吉田松陰や佐久間象山も、攘夷を唱えつつも西洋の技術を受け入れることを別に否定していない。
また攘夷で有名な水戸学を簡単にまとめれば、天皇を中心とした国家体制の強化、産業振興、人材育成採用
適所適材、外国の攻撃から身を守るだけの戦略、武装を調えて、その国力によってこれまで通り
外国とは極力かかわらないようにしようというものであるが、同時に孫子が引かれ、敵を知ることも重要視されている。
そもそも水戸学は既存の体制を保守するために門閥を乗り越えて優秀な者を登用するというある種矛盾をかかえており、
明治維新の萌芽を内包させている。

では攘夷論者は何に不満をもっていたのか。開国論者、特に武備開国と言われた斉彬らとは何がちがっていたのか。
思うに、外国の脅威、あるいは外国が戦争を仕掛けてきたときに
どの程度の準備によって自国が勝つことができるかの具体的なビジョンの違いであると思う。
伊藤や井上、高杉は下関戦争の欧米による第一次反撃のときに上海に赴いているが
そこで軍艦の多さを目にして条約破棄を目的とした攘夷を諦めている。
その後、帰国して同輩を説得するが、禁門の変、下関戦争の第二次反撃と敗北を味わうまで軍制改革が進まないでいる。
一方、幕府側も開国当初、廃藩置県までの考えには至っていないと思われる。
長州征伐に敗北したことから、幕府の軍制改革は明らかに遅れており、これが彼らのビジョンの先見性のなさを示している。
結果から先に言えば、大久保がしたように欧米秩序に組み込まれることでしか、日本は自国の安全保障を維持できなかった。と思われる。
それに朝鮮の攘夷派のようにゲリラや焦土作戦をも辞さない覚悟で望めと政府に迫ったのが士族たちであったのではないか。
しかし、佐賀は倒幕に最後の最後に参加しただけでそれまでずっと慎重な態度で事態を見守っていただけ。
そのような推論もやや全体を説明づけるには弱いように思う。

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 01:29:54.48 ID:jlwb0ec+0.net
>>245
西郷には西郷の都合があったというだけかと
維新でも英雄と呼ばれた人達は意図してかっこよく死のうとかしたというよりは
激動の中でその人物にしかできないことを命がけでして死んでいったというだけ
西郷を担がれただけとするのは何か無理がある
薩摩の状況を見るに、やはり薩摩が中心の政府を新たに作ろうとしていたと考えた方がしっくりくる

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 02:12:57.68 ID:hyWLXxb00.net
>>247
西郷の意思はどうあれ結果的に乱は制圧されているので、武力を背景にする政治から、より民主的な政治に移行されたところが当時のその直後の人たちの共感を得たのではないかとも思う。実際最後の士族の反乱になった点も直近の反乱分子への抑止力にもなっている。
西郷は旧薩摩藩内の教育を通じて全国の見本としたかったところへ有頂天になった西郷を慕う軍人たちが集まり、結果、小さな国が形成される形となったとすれば、政府との衝突は必然だったのではとも考えられる。
人望がありすぎた所以の流れではないか。
と言っても、完全に政府に従順の意を示さなかった点は弁護の余地はないが。

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 07:32:06.16 ID:OXen8Nn10.net
留守政府の面々によるその後の歴史を見たかった
薩摩長州よりも肥前土佐の方が多いやんw
なんで簡単に下野しちゃうかな
自分がその立場なら絶対に地位にしがみつくけどなw

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 08:43:01.55 ID:tiFm20j20.net
>>249
その時々で選択していったことなんだから
そういうイフの話してもしかたないわ
下野した結果暴れるという者はその程度ということで

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 10:00:36.53 ID:OvDzua4g0.net
西郷も下野して暴れたそこまでの人物で
大久保も暴政が行き過ぎて暗殺されただけの人物だと

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 10:22:27.35 ID:w/H0KjZtO.net
広沢や大村、横井も小物に反感かって暗殺されただけの人物だね

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 12:36:35.74 ID:JqJaBuOnO.net
下野して反乱起こした連中よりは
踏みとどまった連中のほうが偉いとは思う
暴れるだけなら野蛮人でもできるし
日本を近代化させようとする維新のはずが
自分の不満で早速にぶっ壊そうとするのは感心できない

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 12:51:01.37 ID:JqJaBuOnO.net
>>241-244
維新の勢力でもトップの方は明確な志と危機感を持って命懸けで改革を目指していたが
勝ち馬に乗ろうとするだけの烏合の衆みたいなのも多くくっついていて
そいつらは目先の利益しか考えないから改革などについていける頭もない
維新は単純に幕府との戦いではなく
古い価値観にぶら下がってるだけの連中との戦いだったとも言えるだろうね

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 13:01:37.58 ID:hyWLXxb00.net
まあ、そういう感情は上に立った者にしかわからないところなんだよね

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 22:23:22.81 ID:UW11aBHR0.net
いわゆる三傑は鳥羽伏見までの三傑?

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/10(金) 22:56:33.58 ID:cASC8LQ90.net
> いわゆる三傑
史実の三傑なら、むしろ鳥羽伏見以降な気がする。
西郷、大久保、木戸が朝廷の臣として藩から浮き上がった存在になったのは
明治入ってからだと思うし。

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 03:00:41.66 ID:XE3z7Z9W0.net
西郷 大久保 岩倉

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 06:00:46.50 ID:w9PKX0080.net
抽出 ID:N4KSdisZ0 (5回)

全文コピーしてメモに保存させていただきました。貿易悪玉論か!なるほど、そういう考え方もあったのだな。

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 06:19:27.77 ID:drUjErks0.net
>>259
維新の前にテロったり弾圧したり、後で暗殺や反乱起こしているのは、大半はただの小中華思想かと。

漢字だって輸入品、良いものは取り入れようぜ、負けないように、とか言ってるところされちゃうんだぜ。

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 06:24:01.55 ID:olYZJNbi0.net
小攘夷と大攘夷の違いは早くから議論されてる

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 06:29:37.50 ID:olYZJNbi0.net
ただ大攘夷が想定していた開国がどの程度だったのか不明。
明治維新はやりすぎな感がある。
岩倉や大久保はヨーロッパ見て度胆をぬかれたんだろうな

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 12:44:50.41 ID:1QuXk9al0.net
大攘夷って、結局開国の方便って感じするけどね。
海外に対して忌避的な当時の人間を鼓舞して、海外に目を向けさせるためというか。

明治維新がやりすぎに感じるレベルで、西洋文化取り入れたのは、↑の意識変革を
企図した部分もあると思うけど、既存の秩序体系を破壊したうえで新たに自分を権威づけ
しようと思ったら、よそから持ってこなきゃいけなかったんじゃないかと。
王政復古って言ったって、本当に七百年前にもどすわけにもいかないし、上辺だけ
戻してみてもコスプレにしかならない。

江戸時代の服制とか髪型とか言語とか、身分とか出身地の区別するものだから
均一的な「日本人」を作ろうと思ったら、大々的な文化破壊になったというか……。

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 12:48:54.56 ID:1QuXk9al0.net
>>263
追加
髪型はさておき、服装については戦前はまだ仕事着以外は和服デフォみたいな
感じだったとは思うけどね。

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 21:58:35.76 ID:olYZJNbi0.net
いや、うわべだけ西洋文化を入れたほうがコスプレだろ

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 23:35:13.46 ID:aJQykmBQO.net
時代が変わっていて、それについていこうとする改革だから
立ち往生しているような態度ではダメだろ
復古というのは日本人の本来の精神に立ち返るみたいなもので
昔のまんまに再現なんてアホっぽいことするわけじゃないからな
日本が変われば周囲の国も変わるしな

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 23:56:03.56 ID:1QuXk9al0.net
>>265
うん、同じコスプレなら機能性が高い方がマシという話。

あとさ、中国の掲示板とかでさ、漢服とかの写真見てるとさ、やっぱコスプレって思うのよ。
彼らからすると(日本人の想定する一般的な)チャイナ服って満州族の伝統服だから、
漢民族の伝統復古させたいみたいなのがあるっぽいんだけどさ。
明代の服制と現代に至る迄にどうしようもない程の断絶があるわけで。

日本の場合そういう断絶はないけど、数百年にわたって変化し続けたもの拒絶して
昔に戻すってのもやはり断絶っていうか、すごい溝が生じるんだよ。

というかね、今更男子はみんな月代、制服は上下袴って言われるのと大して変わらん。

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/11(土) 23:59:28.78 ID:1QuXk9al0.net
と、実際に直垂着て仕事させられていた明治初期の官僚の気分を(勝手に)代弁してみた。

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 00:05:51.75 ID:q/sOBTTc0.net
>>267
服装と近代化はペアなのか?
いまいち意味がわからん

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 00:08:33.95 ID:aZvWtYqE0.net
見た目の変化は分かり易いんで服装とか儀式的なものは広報的に使われるという話じゃないかな?

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 00:45:20.28 ID:AcwMi1Jv0.net
>>263
そう。明治維新がもたらした結果を成功か失敗かという論点で語り出したらまさにそこに行き着くのだ。
実際はそれまで存在しなかった「日本というクニ」を無理やり造ろうとした結果が、結局は極端な欧化政策だった。
小中華思想は欧州礼賛絶対追従へとすげ変わってしまった。脱亜入欧なんて言って。
強引極まりない暦法の改正統一、凶悪な文化破壊の廃仏毀釈、土地のいい加減極まりない農民への私有化はその最たるものだと。

こう語るには江戸幕府は日本を統一したのでは無く日本という枠組みの完成を260年以上遅らせてしまった、という前段階が出てくるのだが。

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 00:52:41.68 ID:q/sOBTTc0.net
廃仏毀釈なんて国学の影響じゃん
暦法の改正も給料払えなかったからだし
服装も庶民はずっと和装じゃん
戦後の話なら分かるが、あれはアメリカの差し金だろ?

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 02:50:08.37 ID:AcwMi1Jv0.net
そもそも明治期から広まった「和服」の様式はもともとは「呉服」である。
あんな高級な衣装は世界遺産にもなった大規模紡績技術が西欧から導入されて後です。
このあたりからして、日本の伝統なんてもののそもそものあやふやさが露見するのです。

私達の祖先、それもそんな遠くないせいぜい6〜7世代前の住んでいた日本列島ってものはもっと多様で多文化だった。
国民国家ってものを形成するのに、そういった多様性は有害、と時のテクノクラート達、「維新の元勲」以下官僚達に受け取られたのだろうな。
一つの国家、一つの民族、一つの思想。それこそが歴史。昔からそうだったのだ。そんなものを強調するところ、今の共産党独裁中国に似てる。
いや、何のことはない。東アジア、東洋漢字文化圏における西欧文明の移植は、そもそも日本から始まったムーブメントなのだから。こちらが先なのだ。

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 03:57:18.90 ID:q/sOBTTc0.net
言いたいこといっぱいあるんだが
とりま、極端な欧化政策ってやつはどこ行ったんだ
つーかその、話してるうちに何がトピックがわからなくなるやつやめろよ
イラつかせようと思ってないなら、親切で言っておいてやるけどそれ、それぜんぜんおもしろくないよ

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 08:56:23.13 ID:w/puA1A30.net
>>269
ごめん、コスプレという単語に引きずられて話がそれた。
制度方面についても似たようなもんだと思うけど。

ただ、個人的には明治維新の西洋文化導入がコスプレとは思ってない。
(服装とか建築とかそういう上辺部分はさておき)

木戸が明治二年の普通教育に関する建白の中で「政府に英雄が2,3人いても人民が
アホじゃ意味ない」というようなこと書いてるんだけど
幕府が安政の条約結んだ時、「幕閣には英雄がいない」みたいなこと言って歎いていた
ヤツがこういうこと言うようになったのが、幕末という時代なんだと思う。
こういう、社会の進展にそった国家体制を構築しようと思ったら、旧に復するというのは
まあ無理で、他所で実績のある体制を持ってくることにるんじゃないかと。

大体ヨソの体制参考にするって、どこの国でもやってるしなぁ。
そいういうのを、欧米化とかなんとか言うの好きじゃないな。

一から自分らで構築しようと思ったら、それこそ何十年単位でグダグダすることになる。

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 09:50:42.14 ID:Zq6JxiLe0.net
三井八郎右衛門高朗
伊藤八兵衛
鴻池善右衛門幸富

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 10:18:17.40 ID:RIryrEH90.net
時代の枠組みをどうするか?というところを幕末〜明治10年ぐらいまでの間にとにかく形にしなければないかったからな。

幕末なんて鎖国か開国か?幕府はどうするか?
ぐらいで中身については慶応年間に入ってようやく少し出てきたぐらいで実質明治の10年間に旧秩序社会から近代秩序社会へ移したんだからな。

模倣できるものをたたき台にして、まずいところを部分修正やアレンジで補いタイミングをズラすことで社会的なストレスを軽減するぐらいしか実際には難しい。

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 11:50:21.72 ID:AcwMi1Jv0.net
>>276
今からでも鹿児島に金返せって言うべき。

叩き潰されたのは当時の日本各地にあった文化であって旧秩序などでは無い。なんの根拠もなく威張ってた連中は勝手に溶けた。
現実には、そんなクソどもの現状維持に新生日本の国家予算は大半持ってかれてたのが明治前期。
旧秩序も旧秩序、天皇なんてものを今更のように担ぎ出す事で国民国家は強引にまとめられた。
ひな壇に上げたお内裏様とお雛様は率先して洋装させられて。

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 12:16:49.76 ID:w/puA1A30.net
>>278
> 天皇なんてものを今更のように担ぎ出すことで

「この国の主権者は誰か?」という命題は幕末になって急に持ち出されたわけじゃないから。

自分も頼山陽とかの話になると詳しくないから、あんまり人のこと言えないが
もうちょっと幕末の流れを確認してから書きこんだ方がいいと思う。

ここ明治スレじゃなくて維新三傑スレだから、バックボーンとなる世界観・文明観を語るのはいいと思うけど、
幕末→明治初期の流れのなかで誰がどういう役割を果たしたかって方向に持ってけるように語ってくれ。

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 16:02:58.88 ID:AcwMi1Jv0.net
>>279
実体の無い「日本」なんてものを綴る存在は他にいなかった。ただこれだけのことだ。
ビスマルクが我が連邦こそは神聖ローマ帝国っていまっさら言い出してハプスブルク家の馬の骨担ぎ出すようなもんだ。
グダグダと、日本ってのをなにか特別な存在のように考えずに世界史のただ一国の事と目を覚ませば、それだけの事。
かなり、時代錯誤でみっともない。この無理やりな大義名分の為に結局このクニは侵略国家の汚名を着ることになった。

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 19:27:59.91 ID:t8KTZKR30.net
>>280
日本という国が一つにまとまって意識持つというのが何か都合悪いのか?
侵略してくるから?

なるほどなるほどw

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 20:33:53.44 ID:AcwMi1Jv0.net
>>281
Wのあとづけ始めると、もう会話は成立しない。でもいいや、少し続ける。
いや、聞きたいんだけどさ。そもそも19世紀末に無理やり日本って枠組みでクニを造る必要、あったのかね?
日本は外国の植民地になってたんだろうか?

ハッキリ言ってならなかったと言い切れるよ。欧米列強がつまみ食いしてた諸州より遥かに強大な連邦だったのだから。
幕末の動乱期に幕府が整備をはじめた国軍の素体は言うに及ばず。薩長土肥という辺境の中堅国が慌てて買い込んだ銃器で武装した、
農民崩れまで動員した奇兵隊なんて連中ですら、とんでもない武器弾薬の保有数なんだから。

あなたは、こういう風に考えたことは無いだろうね。
「はたして日本は、19世紀末の時点で統一国家である必要があったのか?」
実はかなり微妙なんじゃないかな。徳川官僚システムがとりあえず中心となって、
公家天皇家のパトロンとしてそのまま緩やかに連邦政府を運営するシステムが、
しばらく続いたほうが。よほどマトモなクニだったんじゃないのかな。

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 20:44:08.50 ID:AcwMi1Jv0.net
もっと言おう。薩長土肥にその武器弾薬を売りつけたのはそもそもその欧米列強、英米の死の商人たちだ。
地方の藩王をそそのかして武装させてそのクニの中央政府に揺さぶりをかけ、文化の移植で揺さぶりをかける。
これは、ズバリそのまま欧米列強の植民地化政策そのままだ。日本の藩王達はまんまとそれに乗っかったのだ。

藩王の反乱に内応するように、幕閣の立場から手練手管を弄して結果的に徳川の分裂を決定的に導いた勝海舟。
王政復古が聞いて呆れる換骨奪胎ぶりで、尊王を唱えながら元号と暦法を寸断し15歳の少年を持ち上げて洋装させる。
これが岩倉具視のやったことであり、廃藩置県、版籍奉還で強引に国土を出現させる。これが木戸孝允がやったことであり。
富国強兵を唱えながら、明治となった途端に対外派兵を繰り返す。半死半生状態だった朝鮮半島なんぞ割譲していったい何になるんだろう?
これは果たしてその後に出現した大日本帝国という存在を健全なものにし得ただろうか?

歴史は応えてくれている。しなかったのだ。

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 22:06:00.89 ID:t8KTZKR30.net
>>282-283
未来人が「もしも」の話してもなあ
おまえさんがタイムマシンでそこへ行けるわけでもないし

逆におまえさんの理想の流れに乗った国は本当にできたのか?できたとして問題はなかったのか?
それを考えればどっちもどっちだと思う

そして、>地方の藩王をそそのかして…それが欧米の植民地化政策
と、そこを問題にするなら、地方の、辺境の周辺国が存在する事自体がいけないということになる
そういう国が存在すること自体が悪ということだろ
何百年も、ただ従順に従うことだけを強要するなら、それこそ国内の植民地政策みたいなものだ

立ち上がった藩の者達は、そういう自分達をこそ消すために既存の価値観と戦っただけなんじゃないかね
とすれば、やはり幕府の体制のままでは無理があったとうことになると思う

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 22:38:48.70 ID:KNDUeYgQ0.net
>>282アホすぎるなwwお前

「日本は外国の植民地になってたんだろうか?」
「ハッキリ言ってならなかったと言い切れるよ」

じっさいに対馬がロシアに侵略占領されてたんだけどな
それに対し幕府は自力でロシア撤退させられなかったんだけどな

草不可避だボケww

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 22:41:07.47 ID:UcE3Pz/m0.net
>>283
> 「はたして日本は、19世紀末の時点で統一国家である必要があったのか?」

あったと思うよ。というか、薩長も幕府側の人間も、必要と考えていたろ。
一番強烈にそれを認識していたのが幕府の外国奉行じゃないか?

幕末で一番最悪なルートって、安政の時点で朝廷が開国方針になることだと思ってる。
諸藩が先を争って開国・開化した場合、発生しうる事態を考えてみるといい。
欧米が日本に軍事的に侵略するメリットなんかないし、軍事的に敗北して植民地になる
可能性はほぼないけどね。
破産寸前の大名がよそに借金して国土やインフラ施設の権利を売りとばす可能性は大いにある。
おまけに、日本/外国で足並みそろえてくれればいいけど、ある藩はイギリス・ある藩はアメリカみたいに
個別に関係結び始めたら、欧米の国際関係の拗れがダイレクトに日本に影響してくるわけですが。

で、諸藩と外国の間に問題が発生した場合、幕府はちゃんと責任とれるの?
とれなかったよね? 薩長を抑えることも、薩長の側に立って外国に立ち向かう事もできなかったよね?
賠償金を肩代わりして、体面保つことしかできなかったよね?
だからこそ、薩長とイギリスが直接結びつくことになったわけですが。

慶応年間の長州の割拠政策や薩摩の対外政策を批判するのは、妥当とは思うけど
幕末のあの展開を、薩摩がー長州がーとか、攘夷派がーっていうのはどうかと思う。
別に薩長が問題起こさなくても、開国が進めば何処かしらで問題が発生したでしょうよ。

だからこそ、版籍奉還・廃藩置県で己のバックボーンである薩長および雄藩をただの地方にした
新政府は偉いんだろ。

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 22:45:43.73 ID:UcE3Pz/m0.net
>>285
しまった、ポサドニック号事件のこと忘れてたわ。

小栗はあっさり処刑されてしまったけど、生き延びた場合、廃藩置県みてどう思うか
感想聞いてみたくなる。

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 22:54:46.20 ID:veFA4RDE0.net
まとめると

西郷大久保木戸でいいというところが着地点と、なる。

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 23:02:32.49 ID:UcE3Pz/m0.net
よくよく考えてみると、一周廻って妥当な感じしてくるよな。

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 23:18:25.87 ID:lpUJ7Z+o0.net
>>282
幕府にも武器弾薬売りつけてるやんけw
朝鮮半島の介入は将軍慶喜時代にフランスと約束したことが発端やっちゅーねんw

クソ長文で無知さらしてダッサwwwww

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 23:42:07.67 ID:KNDUeYgQ0.net
>>283
明治天皇(祐宮睦仁親王)践祚した時は、岩倉具視の御所出禁まだ解かれてないんだけどねww
その時に宮中を牛耳ってたのは佐幕派の二条斉敬関白(摂政)なんだけどねww

アホなくせにしょうもない工作してんじゃねーよww

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/12(日) 23:58:15.18 ID:KNDUeYgQ0.net
慶喜厨が逃げてから ID:AcwMi1Jv0みたいに維新失敗を連呼するアホが湧いてきてるようだな

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/13(月) 00:48:16.08 ID:8+XqeylM0.net
もっとまったりやってくれよ、うぜぇ

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/13(月) 02:46:11.28 ID:L7B9wQUc0.net
人間は思考の外にある言葉を耳にするとヘラヘラ笑い出すものだ。考えが及ばない、という事です。
一度でも想像してみたらいい。もしも統一国家日本が出現しなかったなら?という可能性も。
案外、それほど悪くもならなかったと思える。もちろん、これは「未来人の俺」の後付けに過ぎないが。

>>286
一言で切り返すなら(そうなったかどうかはまた別の話だが)、日本列島それぞれの地域がそれぞれの外国と手を結び、
その結果として日本国というひとつのネイションが出現しなかったとしても(これも恐らくそんな事には第二次大戦の頃までには統合が進んでいくと思うけど)、
それでその後に発生した日本という国家に引き起こされた悲劇を回避できていたとしたら、そのほうが良かったのでは?

で、対馬が占領されたと騒いでいるが、されてないね。さらに言えば対馬国は対馬国である。その後ロシアと彼の地の人々が友好的な関係を結べたのであれば
何の問題も無かったであろう(極めて薄い可能性であり、本国政府の意図と無縁の一戦艦の越権行為なんぞその後の歴史には何の影響も及ぼさないと思うけど)。
むしろ露による対馬の一時的占領という事件が江戸幕府のゆるやかな全国統治という形態に与えた影響は確かに大きかったのだろうな。

>>291 
小御所会議。以上。俺が岩倉が長州人の少年を天皇に祭り上げたとか陰謀論言い出してるとか思ってんの?

維新は失敗だったと言い得る根拠はいくらでもある。だから、そもそも傑物が19世紀末の日本をリードしたとは考えられない、という視点も当然あるという話です。
これからは、例えば大久保西郷木戸が三傑で妥当ってんなら、その根拠を書きなよ。

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/13(月) 03:24:59.88 ID:8+XqeylM0.net
敗戦の原因が維新にあるというのはあまりに短絡というか結論ありきだろう

俺は大正デモクラシーの平和ボケが大きいと思ってる
昭和の軍閥ひきいてるのは東北出身だしさ、石原にしろ東条にしろ

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/13(月) 03:36:18.67 ID:8+XqeylM0.net
なぜなら、天皇は226や満州事変を嫌悪して見てたのに、これに好意をもって迎えたのが
さわぎたてた新聞、煽られた国民であるし、その大衆のうねりを政治に反映させてしまったのが普通選挙法だからな
大正期の言論は冷戦期のそれとほとんど同じで、資本論を底本にした社会主義者や共産主義者による今となっては自称
”合理的”な社会システム論ばかりがもてはやされて、英米の自由主義が批判されている状況で
貧困をどうにかすべしという熱狂の中で、低レベルなイデオロギーでしか物事を見られない全体主義がはびこっていった。

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/13(月) 04:18:35.78 ID:RHi+qwF+0.net
支離滅裂になってきたな ID:L7B9wQUc0

「対馬が占領されたと騒いでいるが、されてないね」
ってドヤってるくせに
「露による対馬の一時的占領という事件」
ってキチガイかよww

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/13(月) 05:36:19.11 ID:CVxs/lTl0.net
>>294
それ思考とゆーより妄想なww
「想像してみたら」とか「もしも」とか「回避できていたとしたら」とか、
たらたら連呼してアホ丸出しだっつーのwwここ近代の歴史板なんだよ

起きた事実から目を背けて、起きてないことを妄想するから笑われるんだよww

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/13(月) 05:48:40.86 ID:L7B9wQUc0.net
>>297
対馬国領内での、本国政府の意図とは無縁に行われたロシア艦艇乗組員による一部地域の極短期間の一時的占拠、と書くといいのかな?
いいから、君は一生笑ってろよ。そしていかに維新の元勲が偉大であって三傑は誰であったか論拠を交えて開陳してなさい。


>>298
起きた事実に目を向けると、維新と呼ばれる時期は尊王は革命の御旗にすげ替えられないがしろにされて攘夷は開国へと180度変わり、
日本の伝統文化を護るとか言いながら極端な欧化政策へ狂奔してこの地に根付いていた様々な文化文明を破壊荒廃させたんだよな。
そして挙句の果てに待っていたのは外国軍隊による占領支配でありそれは今もって続いているのだ。大した成果だね。
これ、どこが素晴らしいの?まずこのあたりから説明してよ。

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/13(月) 06:29:50.72 ID:CVxs/lTl0.net
>>299

外国軍隊による占領支配は維新と呼ばれる時期じゃないだろww
領事裁判とかはあったけどなw徳川幕府時代からだけど

日本語も平がなも守られてるし、大規模移民も受け入れてないから、極端な欧化政策へ狂奔もしてない
そもそも欧化政策はじめたのは維新前からだしなww

徳川幕府時代に結んだ不平等条約を明治政府が改正してんだから攘夷実現してるんだよ
だから攘夷と開国も全く矛盾しない

お前ごとき低能がなんぼ妄想しても維新をけなすのは無理なんだよww

「その後ロシアと彼の地の人々が友好的な関係を結べたのであれば
何の問題も無かったであろう」
↑↑↑↑↑↑↑↑
こんなことを妄想してるようではなwww

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/13(月) 17:58:32.10 ID:8It9dEpB0.net
現状に満足できないから過去の分岐点までさかのぼって独自の妄想で責任回避をしたいだけなんだな。
未来を変えてみろよ。そうすれば維新が輝いてくるからw

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/13(月) 18:58:03.41 ID:L7B9wQUc0.net
明治維新ってのがいかに素晴らしいか自分の言葉で語ってからそのうえで三傑ってのを根拠を立てて書きなさい。以上。


303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/13(月) 19:11:44.20 ID:Ba133lkFO.net
>>302
君は暇そうだから、1からこのスレを読んでそれなりに妥当な話を纏めろ。
新しい発見があるから。

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/16(木) 18:28:30.70 ID:98gkX1a40.net
元勲クラスの子や孫って殆ど政府高官になってないし、
軍でも出世してないよな
牧野と木戸くらいか

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/20(月) 02:57:19.89 ID:rYbR9tqE0.net
水戸浪士、土佐郷士、長州過激派

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/24(金) 15:06:22.10 ID:/KJvD+V00.net
「三傑」の初出は明治17年の山脇之人の「維新元勲十傑論」
同年の華族令では大久保と木戸の息子だけ侯爵を授けられている
西郷は庶民人気的にも別格だし、大久保の功績も疑いない所だから、
結局、明治3年にはボロボロになってた木戸のために存在する概念

だから木戸を抜いた三傑を提唱すると自動的に文句が出る

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/25(土) 21:01:26.61 ID:jMbLbzws0.net
維新の三傑って三井、鴻池、住友だろ?

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/25(土) 21:30:47.44 ID:+sF6gPk90.net
>>286
開港場は条約で決まってる。
あと統一国家=中央集権国家を意味しないから。
ドイツ帝国は諸邦連合帝国、大英帝国は連合王国だし、アメリカ合衆国・オランダは連邦制共和国。

地方官まで中央政府が任命するグロテスクな国家はフランス、ロシアくらいしかない。
そして日本は明らかにそっちの系譜じゃない。

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/26(日) 00:44:42.61 ID:cMQ5ZsWI0.net
>>306
その経緯だと、西南戦争起こして賊軍になっちまった西郷を救済する概念のようにも見えるなw
木戸は明治天皇からの信頼は絶対あったし

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/26(日) 23:01:37.21 ID:SP3g+T0w0.net
>>309
だいたいの奴は天皇に信頼されてたと言われるから意味ない
それに西郷はとにかく庶民人気がずば抜けて高いし薩摩藩出身者から恨みを買ってたわけでもない
外すなんてあり得ないよ
一方の木戸は明治3年頃にはすっかり元気がなくなってて征韓論政変の時も先に帰国してるのに書面出してるだけ

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/26(日) 23:05:08.85 ID:SP3g+T0w0.net
>>306で「木戸を抜いたらさっそく文句が出る」と書いたら案の定>>309みたいな木戸信者が出てきたじゃん

西郷や大久保は三傑に入ってようが入ってまいが関係ないだろうよ
こいつらは別格だから。一方、木戸は正直この頃になると長州閥の名目的代表者という以外の存在意義がない
だったら広沢が生きてたらたぶん広沢のほうが上に行ってただろう。藩政指導でも最終段階では広沢がしのいでたっぽいし。

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/27(月) 03:56:29.74 ID:WkBVnink0.net
>>31
広沢が生きてたらというのは、大村は生きてたらと同じようなもので
意味ないとおも

西郷大久保をそこまで信望するあんたもなかなかのものだね

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/27(月) 07:15:14.61 ID:knvtisVQ0.net
>>311
またまた司馬史観ですか?

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/27(月) 23:40:29.09 ID:9KQNTP+CO.net
維新の三角関係で三ケツだろ
他の男ではそこまで熱くなれない

315 :『佳子様』の『秘密』を【暴露!!】:2015/04/28(火) 02:02:49.24 ID:4qEPNaXT0.net
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316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/28(火) 23:30:10.37 ID:ZZCql7gd0.net
倒幕三傑、西郷、高杉、坂本

留守政府三傑、大村、江藤、副島

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/29(水) 11:40:48.62 ID:mZhn8cY20.net
>>311
>>309が木戸信者に見えるのか?
普通の考え方だと思うが
人気という点でいえば、当時の政府で特に信頼を置かれ頼られていた点で
この三人の存在感は大きかったということだろう
単純に立場が上の人間なら山ほどいるが
それを超えての存在感だろうな

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/29(水) 11:50:33.40 ID:GrFPjD+V0.net
旧官軍、佐幕諸藩や民権派士族派などの意見集約や調整、裁断をしていたのが三人だからね。
西郷は一段落ちるけど、野党的に意見をまとめていた面で貢献している。

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/29(水) 12:03:45.31 ID:aDW6kdAY0.net
倒幕三傑、西郷、高杉、坂本

留守政府三傑、大村、江藤、副島

維新三傑、西郷、大久保、木戸

第2世代、伊藤、板垣、大隈

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/29(水) 16:06:42.04 ID:aCKfXGoP0.net
若頭三傑 小松 周布 後藤

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/29(水) 16:08:11.85 ID:GrFPjD+V0.net
>>319
板垣を抜いて山県だな。

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/03(日) 14:47:40.81 ID:ooRvX3LY0.net
>>80
同意

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/03(日) 18:52:28.29 ID:9Fy5LPge0.net
>>80
えぇ?じゃあ、慶喜ポジが西郷や大久保だったら政治力を発揮してどうなっていたの?
どうにもならんか、悲惨な内戦が拡大していたのでは?

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/03(日) 20:57:29.57 ID:I2btbIHG0.net
>>323
スタート地点が違うんだからどうしよもないがな

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/01(月) 00:17:01.06 ID:qve/2nOT0.net
とりあえず小御所会議にも出てない小物を入れんなよ(失笑)

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/01(月) 16:28:46.93 ID:Jw159hjl0.net
>>319
坂本が倒幕に入ってるのは納得できん、政治的な面でどう考えても岩倉だろう
それか慶喜

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/04(木) 14:50:05.39 ID:28WwL5ru0.net
木戸孝允を何とか功労者として捏造したい

しかし大したことはしてない

そうだ!没年が同じくらいだから西郷大久保に混ぜてしまえ

維新の三傑はこうして生まれた

だから木戸抜きの三傑なんてあり得ないんだよw

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/04(木) 14:52:29.86 ID:28WwL5ru0.net
>>319
第1世代参与クラスなら 西郷大久保小松 もしくは 西郷大久保岩倉 で決定
大村は留守政府の前にとっくに死んでるし木戸は明治4年の広沢暗殺事件の頃には廃人化してるからな

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/04(木) 14:55:48.50 ID:28WwL5ru0.net
三傑って2人までは決まるけどあと1人で揉めるな
幕末維新史の重要人物挙げろと言われたら孝明天皇、徳川慶喜までは決定だけどあと1人は島津久光というと違和感あるだろうし
徳川斉昭と言っても違和感あるだろうし

まあアイドルトリオで1人だけどうでもいい奴がいるように、
無理やり3人目を押し込みたいから三傑になるんだよw
維新三傑で言えば、あの水ぶくれみたいな顔した木戸だな

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/04(木) 14:59:11.56 ID:28WwL5ru0.net
>>318
西郷が一段落ちるとかお前まじもんのヴァカなの?
大久保が何より気にしたのは西郷の動向に他ならないんだが。

木戸なんて西郷下野で少数与党になったから板垣と一緒に連立に引き込んだくらいの意味しかないよ
だからまた辞める病起こしても大して関心持ってない
大久保にとって木戸はつねに人数合わせの対象
まだ大隈重信や広沢真臣のほうが実務家として意識してるくらい

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/04(木) 15:03:05.20 ID:28WwL5ru0.net
>>312
>広沢が生きてたらというのは、大村は生きてたらと同じようなもので意味ないとおも

慶応3年には広沢真臣が木戸孝允を抑えて長州藩最高幹部になってたと見られてるから、
生きてるうちから木戸を抑えてたんだよ。ただ、広沢は木戸よりキャリアが遅く始まったから序列的には賞典禄でも同格になってただけで、
実務能力的には維新以降も木戸をしのいでる。木戸もすっかり気が弱くなって広沢暗殺の頃は頭上がらなくなってたし。

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/04(木) 16:26:00.48 ID:AjxGuJgn0.net
広沢は高杉の系譜じゃないし

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/04(木) 18:00:59.78 ID:xBl+BpV90.net
なんだこいつ?まだ木戸孝允が鬱病とか勘違いしてる奴がいるのか?高杉晋作だって病気で亡くなっても英雄扱いじゃん、病気で臥せって何が悪い。
つか維新三傑だのって言い出したのは政府じゃなくて当時のジャーナリストとかだろ?
だったら当時福地源一郎だのマスコミとくっついてた木戸孝允が入らない方がおかしいだろ。
現代でも一人与党とか言われてるし、基本的に政府批判は民衆から支持を得やすいしね。
広沢が上だのなんだの意味わからんが、とりあえず世論を味方にするのも実力のうちって考えれば?
大体人数合わせったってなぁ、木戸がごねれば政府が停滞するくらいには発言力あるよあの人。

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/04(木) 22:13:34.16 ID:mONpCebh0.net
維新政府の西郷は社会党並みの批判集票マシーンで役立たずだからねえ。

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/05(金) 03:42:22.35 ID:bccCvrP20.net
>>332
元治内戦で高杉が全権握ったとか思ってる馬鹿?
元治内戦は鎮静会が事態収拾に動いてるから普通に非正義派のほうが多数だよ

>>333
何だこいつも何も、木戸は使節団派遣の頃は政局からの逃避しか考えてない
そんな奴が明治6年政変の当事者になった西郷大久保と同格であるわけがないじゃん
その後の木戸は大久保にとっては人数合わせに過ぎない。板垣と大差ないよ。

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/05(金) 03:45:18.09 ID:bccCvrP20.net
いや、そんなことを言うのは板垣に失礼か。
板垣は明治6年政変の閣議の2日目の西郷欠席説が確かなら、副島と2名で大久保と論戦して論破してるわけだから。
大久保にとってはよほど手ごわい存在だっただろうな

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/05(金) 03:50:48.84 ID:bccCvrP20.net
台湾出兵の時に大久保が木戸との暗黙の合意を破って薩摩閥の支持固めに動いてるのでも分かる通り、
大久保にとって致命的に重要なのはつねに身内の薩摩閥、ひいてはそのコントローラとしての西郷であって木戸じゃないよ

西郷が挙兵に参加してないと信じ込んでた西南戦争の初期対応と、
千坂高雅が「玉石ともに砕く」ことを直言した時の凄まじい怒りようを見ても、そんなもん常識だろ

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/05(金) 03:52:41.51 ID:bccCvrP20.net
>>334
じゃその社会党が征韓論の大使差遣を決めたのに書面一枚出してあとは逃げ回ってた男はなんだ?社民党?

つかおっさん社会党とか歳いくつだよ

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/05(金) 05:29:46.56 ID:lzMYUumK0.net
広沢の方が上だのの謎理論の次は大久保が信頼していたら維新三傑なのか?
お前が木戸孝允をどうしても認めたくないことは解ったが、人数合わせってなんのだ?長州のか?
なら大久保は何故前原一誠を木戸孝允と伊藤博文が押した時に反対したんだ?年齢的に佐賀が大隈重信や板垣退助で良いなら長州には他にも井上馨だっているだろ?
>>335はなぜ木戸孝允が辞表出しても無理矢理に政府に引っ張られて来たのかっていう疑問をもう少し考えるべきだと思うな。
大体明治初年度から一貫して木戸孝允が政府にいたら政策が停滞する流れが目に見えて明らかなのに、人数合わせってのが理由ならはっきり言ってリスクが高すぎる。
木戸は積極的に後輩育てたりしてたから、後世に名を残したし、木戸の庇護下にあった優秀な後輩が後の政府を引っ張っていったんだから、それも評価されていいだろ。
何を持って木戸孝允じゃダメなんだ?病気だっつってんのにそれは無視か?

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/05(金) 06:13:22.31 ID:lzMYUumK0.net
そもそも大久保が西郷の動きを気にしてたってのを西郷が偉かった証拠みたいに語るのはどうなんだ?西郷のバックに薩摩士族が控えてんだからそりゃあ神経質にもなんだろ。

341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/05(金) 10:25:55.41 ID:pF4/Z9EY0.net
>>335
多数だろうが結局勢いに流されただけじゃねーかアホか
広沢が頭だったら恭順だったろどうせボケ

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/05(金) 12:55:28.46 ID:DfQgSRQP0.net
>>335
人数合わせは言い過ぎじゃね、木戸を引き留めるメリットは
・下野されて担がれるのを防ぐ
・長州に話が通る便利な人(優秀な後輩のおかげ)だろう

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/05(金) 15:32:45.04 ID:ceJ+uCR+O.net
立場だの地位だのが三傑より高かった人間はいくらでもいるだろう
でも維新というのを単純な地位争いではなく
志に基づくもと考えれば
やはり木戸を無視することはできないだろう
単に地位とか能力だけの話ではないから
その三人の存在が大きいのだろう
維新という時代、構造を命懸けで司ったというような意味で

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/06(土) 07:35:10.55 ID:yZgZSi0O0.net
>>338
なんだワカゾー、社会党知らないなんてなんで歴史板に居るんだ?
ゆとりは社会党の歴史知らんの?

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