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【偉人】福沢諭吉について【悪人】(其の12)

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/01(月) 20:34:03.19 ID:Kliv8kzt0.net
福沢が、白皙人種に関しては、身体特徴に関して「容貌骨格都て美なり」と審美的価値を付け加え、
赤色人種と茶色人種に関しては「復讎の念」が強いなどと悪意ある性格付けを加えることも忘れてはならないだろう。
赤色人種とは北米の原住民であり、茶色人種とは島嶼部のマレー人のことだが、「インディアン」と呼ばれた北米原住民が
「白皙人種」によって狭隘な居留地に囲い込まれ、マレー系住民が「白皙人種」から植民地化されたという「復讎の念」
の由来である歴史的事実を無視し、あたかも歴史の外部に不易ものとして存在するかのような本質主義的な性格付けをするのが、
福沢の人種主義的なダーウィニズムの特徴である。

福沢にとって、文明の度合いとは、人種とその身体特徴に緊縛した性質に依拠するものであって、黄色人種は
「其才力狭くして事物の進歩甚だ遅」く「白皙人種」に劣った存在であり、福沢のアジア蔑視は、当時の欧米に普及していた
通俗的な人種イデオロギーを内面化し、それを他の「其才力狭くして事物の進歩甚だ遅」いとされる「支那」
など他のアジア諸国に適用することによって生まれたものである。福沢の人種観の救いがたいところは、
あれほど排撃したキリスト教の世界観に疑似科学説を融合した人種論、しかも日本人が「ガンジス川を超えた先に
あるアジア諸国」の劣等人種として位置づけられているブルーメンバッハの人種論による五分類を何の疑いもなく受け
入れているところである。

◆ 福沢「アイヌ人は慶応義塾の上等の教員にはなれない」

福沢諭吉といえば、誰しも『学問のすゝめ』の天賦人権論を想起するだろう。しかし、
同書の3年後の1875年(明治8年)6月に書かれた「國権可分の説」 には、「百姓車挽の學問を進めて其気力を生ずるを待つは
、杉苗を殖へて帆柱を求めるが如し」と下層階級をさげすみ、「『ニウトン』は亜米利加の内地に誕生す可らず。
蝦夷の土人は『アダムスミス』を生むこと能わず」と主張し、その理由を「人間の智力は其體力に等しく
世々に伝えざれば進む可きものに非ず。性理に於て明白なり」と述べている。つまり、「人間の智力」は体力同様に
遺伝するものであるという、『掌中萬國一覧』と同様の人種主義的発想を披瀝しているわけである。

「人の能力は天賦遺傳の際限ありて、決して其の以上に上がるべからず」という福沢的な「系統論」 からすれば、
極貧家庭から世界的な学問業績を達成することはあり得ないわけだが、福沢の主張の馬鹿げていることは、
子供でも知っている野口英世(1876-1928)の例を一つ挙げればわかるだろう。

1888年(明治21年)になっても、「遺傳之能力」において、福沢は「北海道の土人の子を養て之を学ばしめ。
時を費やし財を捐てゝ辛苦教導するも、其成業の後に至り我慶應義塾上等の教員たる可らざるや明なり。
蓋し其本人に罪なし、祖先以来精神を錬磨したることなくして遺伝の智徳に乏しければなり」と述べているが、
平山洋によれば、この『時事新報』(1882年3月25日、27日)の論説の筆者は「福沢(推定)」とのことである。
福沢によれば、アイヌ人は遺伝形質が劣っているのだから、時間や金を費やして教育しても
慶応の上等の教員にはなれないそうである。

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