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【三十一谷人】福沢諭吉について(其の12)

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/13(日) 23:08:52.71 ID:lVT3jFYX0.net
>>123
そりゃ脱亜論のタイトルだけをそのまま読めば、アジアから離れるという意味にとることも
できるがね。だから福沢諭吉を韓国の国交断絶を訴えた先覚者であるという風に、2chで
解釈する奴もいるわけだが、脱亜論は単純な国交断絶論ではないわけね。福沢のそれまでの
韓国への関与が失敗に終わったことを認めた敗北宣言という解釈もできるが、福沢が
福沢の敗北で日韓関係が終わり、日韓は国交断絶状態になったわけでもないねw

脱亜論では、西洋と共に国際法にしたがって、日韓は関係を築くべきということで、別に
関係を断絶すべしといってるわけではないね。まあ脱亜論が福沢の敗北宣言とするならば
福沢によるそれまでの韓国への関わりは、「隣國なるが故にとて特別の會釋」にもとづいて
いたということで、隣国なるがゆえの特別性というのは多くのアジア主義者も共通して
抱いていた認識とかんがえられるねw そのような認識は当時の欧米中心の国際法のもとでは
なんら意味が無いと脱亜論では宣言されたわけだね。

脱亜論の最後は「我は心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり。」という一文で終わっているが
謝絶するのはあくまで「心に於いて」の話であり、現実の日韓関係は単にドライに当時の
国際法にしたがってやるべきと、ただそれだけの話なわけだねw 福沢は敗北意識にとらわれて
いただけでなくて、日清戦争の勝利では大いに喜んだわけで、日露戦争のときまで福沢が
生きてたら、やはり日露戦争の勝利にも大いに感動し、そのあとの韓国併合も肯定したのでは
ないだろうか? まあこれは福沢が日露戦争まで生きてたらという仮定にすぎないが、福沢が
内村鑑三のように日清戦争肯定から日露戦争否定へ転回するとは、俺にはあまり思えないんだよねえ。

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