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【三十一谷人】福沢諭吉について(其の12)

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/14(月) 01:47:32.43 ID:QNakmjYv0.net
> >>126
> 坂野氏は諭吉氏は一貫して「侵略的」だったとし、
> 一見して「脱亜」「興ア」かを議論するのは無意味で、
> 国際情勢に応じたものだったという前提でしたよね。

坂野説は、
「福澤は甲申事変以前の方がヨリ侵略的だった」という説ですね。

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侵略的といえば、福沢は壬午事変から甲申事変にかけてのいわゆる
「アジア改造論」時代において、もっとも侵略的であった。ただし
この侵略的政策論は、あくまでも朝鮮国内における改革派の存在と
いう前提があっての上でのことであった。反対にこの前提がなくなった時
の福沢の「脱亜論」は、当面朝鮮問題における清国との対決を避ける
という点では、日清間の一時休戦協定である同年四月の天津条約体制と
むしろ合致するものであった。この点においても、我々は福沢の
状況認識能力と情報収集能力を過小評価すべきではないであろう。
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坂野潤治「解説」『脱亜論 他』岩波書店〈福沢諭吉選集 第7巻〉、1981年3月、338頁。ISBN 4-00-100677-4。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/10/4/1006770.html

> ようするに坂野氏は「別に脱亜論にはじまるわけではない」の解釈。

なるほど、坂野説の
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福沢の「脱亜論」をもって彼のアジア蔑視観の開始であるとか、
彼のアジア侵略論の開始であるとかいう評論ほど見当違いなものはない。
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という部分を「別に脱亜論にはじまるわけではない」と解釈する訳ですね。
たしかにその部分のみを局所的に解釈すればそういう解釈も可能ですが、
別の社説と合わせてみるとそういう解釈はできないと思われます。
つまり、清国関連の社説をのぞいて朝鮮関連の社説に限定すれば、
甲申事変以後の「脱亜論」と巨文島事件以後のいわゆる朝鮮滅亡論を
最後にして、「日清戦争前夜まで朝鮮関連社説の掲載がほぼ皆無になる
からです。

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「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」(八五・八・一三I)および同社説による『時事』の発行停
止のため掲載されなかった「朝鮮の滅亡は其国の大勢に於て免る可らず」(I)は、朝鮮に波及した
英露対立を受けて、朝鮮がイギリスによって「滅亡」させられるべきことを述べたもので、この二つ
の社説を機に福沢は「朝鮮改造論」を放棄し、その後の『時事』に日清戦争前夜まで朝鮮関連社説の
掲載がほぼ皆無になるのである。
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月脚達彦『福沢諭吉と朝鮮問題 「朝鮮改造論」の展開と蹉跌』東京大学出版会、2014年、pp.82-83。ISBN 978-4-13-021078-2
http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-021078-2.html

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