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【三十一谷人】福沢諭吉について(其の12)

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/26(日) 10:13:32.73 ID:ZGc1jhSE0.net
続きです。
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 しかしこうした俗論は、昭和五十二(一九七七)年に初刊された本書で、坂野潤治がす
でに破壊しつくしていた。しかも同時に、「脱亜論」か「アジア主義」かという、近代日
本の対外思想をとらえるさいによく用いられる図式に対して、その有効性に本書は大きな
疑問を投げかけている。俗論がいまだに横行しているのは、この本が長らく品切で入手困
難だったせいもあるだろうから、このたびの文庫化は大きな慶事である。

 いまふりかえると、本書は近代日本の対外思想をめぐって、先行する二つの有力説に対
する批判になっていた。まず第一には、丸山眞男が『福澤諭吉選集』第四巻(岩波書店、
一九五二年)の「解題」(『福沢諭吉の哲学 他六篇』岩波文庫、二〇〇一年、に再録)で述べ
た見解である。その説くところによれば、福澤諭吉は『時事小言』(一八八一年)を書いた
ころは、中国・朝鮮と提携して西洋諸国による侵略に対抗する構想を唱えていたが、やが
て「脱亜論」で「列強の中国分割への割り込みの要求」へと転換していった。

 この見解に対して坂野潤治は、テクストの表面に見える「表現」や「言葉」の次元では
なく、その奥にある筆者の意図、すなわち「東アジア情勢の具体的認識、およびその認識
にもとづいて具体的に意味されている対外政策」に目を向けることを提唱し、それを「対
外論」あるいは「思想の実像」と呼んでいる。

 その次元でとらえるならば、表面上は中国・朝鮮との連帯を説きながら、日本が「朝鮮
の国事に干渉」することを通じて「文明」化を進めようとした時代の福澤の方が侵略的で
あり、「脱亜論」は反対に、その朝鮮改造の努力を放棄した宣言にすぎないのである。そ
してそうした転換をもたらしたのは、壬午事変・甲申事変の過程で中国の軍事力の強大さ
を知ったという状況認識の変化であった。
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苅部直「解説 「脱亜論」と「アジア主義」のまぼろし」、210-212頁、
坂野潤治『近代日本とアジア 明治・思想の実像』ちくま学芸文庫、2013年。
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480095763/

解説の中の「中国や韓国にまで流布して」というのは、安川寿之輔さんの
『福沢諭吉のアジア認識』が中国語や韓国語に翻訳されていたことを
指しているのかもしれませんね。

安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識 日本近代史像をとらえ返す』高文研、2000年。
http://www.koubunken.co.jp/book/b201732.html

そして今度は安川寿之輔さんの『福沢諭吉と丸山眞男』が韓国語に翻訳されて
しまったという訳です。

安川寿之輔『福沢諭吉と丸山眞男 「丸山諭吉」神話を解体する』高文研、2003年。
http://www.koubunken.co.jp/book/b201784.html

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