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日本は侵略国家じゃないとか言うけどさ Part3

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/08/26(水) 12:45:50.98 ID:k5gvZmcn0.net
>>219
>日本がかつて支那を侮蔑するため敢えてその呼称を用いていたので
その過去を省み、恥を知る日本人は自ら支那の呼称を使わない
過去を省みることなく、当時と変わらぬ認識の人たちが敢えて支那を使いたがっているんだよね

マスコミなどは、侮辱のために用いられていた用語であることを省みて自ら用いていないが
このスレでも解るように自由に用いる人も存在する、にも関わらず
>日本人だけは「支那」を使ってはいけない
などという被害妄想を、一体どこから湧かしてきたものなのかな

大日本帝國において支那という言葉を軽視や見下しの意味を込めて用いた過去があり
戦後日本は過去の差別意識を省みて、その呼称を自ら用いない
今現在において、過去の誤りを省みることに背を向け、過去の差別意識の理由ままに
差別の意識を載せて敢えて支那を用いたがる差別主義者、それら個人の品性の問題でしかないものを
日本人全体の問題であるかのごとく膨らませようというのは、姑息なすり替えだよね

>>220
>日本だけが侮蔑の意を示すために、敢えて「支那」という呼称を使ったという根拠
>>14の資料、>>202で引用して示している
 最初日本では、中国文化に敬意を持ち、讃美する気持ちを込めて「支那」を使用したが、アヘン戦争以降
 中国が頽勢に傾いたことによって、中国を軽視する風潮が高まり、この語の普及した時期にもあって、
 「支那」という語には次第に「惰弱、因循姑息、驕慢不遜、無能、不潔」というような感覚が結びつけら
 れるようになっていった。「日清戦争後、日本人の支那ということばはけいべつをもっていわれるように
 なった」と実藤忠秀が指摘している。

 日本の知識人は「中国」「中華」という語について、周囲の「四方」(東夷、南蛮、西戎、北秋)に対する
 「天下の中心」という音山味を捉え他国を夷秋視する尊大な「中華思想」のあらわれであると理解していた。

 近代の日本人は「中国」「中華」という敬意を込めた呼称に強い反発を示した 

 対中蔑視感から派生した新政府の共和制に対する危倶と軽視感は、伊集院を代表とする多くの日本知識人に
 共有されたものであった。伊集院の日記には「支那」という二字がひんぱんに使用され、中国の共和制に対
 する強い不信と対中蔑視感が満ちている。英公使ジョルダンらが袁世凱の臨時大統領就任を訪問したことに
 ついて、「此挙は支那人に対する外国の与し易すきの感を抱かし、今後の制御上不尠影響を与ふるものなら
 ん、外国公使として失態なり、余は断して之を為さざる積りなり、若し政府の命あるも之を為さす、命令巳
 を得すとあれは職を辞するの積なり」とその心境を窺わせていた。また、米英公使に倣って袁世凱を訪問す
 ることさえ「帝国の威信を損するもの」と認識していた。伊集院は南京より孫大統領就任式及び内閣成員の
 構成等を通知した報告について、「余まり重きを置くの必要なし」と記し、さらに「孫の発布せる共和政府
 の宣言書めきたるもの」と見て軽視した。
更に致命的なのが、日中戦争において多用された「暴支膺懲」
対等という意識を持っていれば、懲らしめるなどという表現にはならないからね

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